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彼と別れて数分。少し歩いただけで、空模様はまたバケツをひっくり返した様な豪雨になっていた。不安定な気候……。やはり予報など信用ならない。 熱いのは慣れっこだが、冷たいのはそんなに慣れていない。ようやく、一人で暮らしているアパートのすぐ前まで辿り着いた。 エントランスに入りがけ、雨でぼやけた道の向こうから、何やら見覚えのある人影が近づいて来るのが見えるや否や、向こうから声を掛けてきた。
『……あ!ステラちゃんだ~!……あれ、傘持ってないの?ビショビショじゃない。』 「……ナンシーさん」 『連れないわねー。ナナで良いのに。』
ナンシー・ディッセンバー……彼女にとり数少ない、名前を覚えている女性だった。 自分と同じ、聖堂教会からこの街へ派遣されて来た、ニルエーラ聖彩騎士団(総勢一名)の団長……。 様々な異名をとる誉れ高い聖騎士(パラディン)というが、管轄が異なるのであまり良く知っているわけではない。 一方でひとたび挨拶に行って以来、やたらと自分に絡んでくる様になった。色々な面で謎の多い女性だった。
『傘入る?大変でしょ。』 「いえ、結構です。住んでるの、ここなので。」 『へぇ?。いいこと聞いちゃった。』
今度遊びに行っちゃお、などとはしゃぎ始めたナナを見て、彼女は内心で失敗した、と思った。 せめて部屋番は秘密にしておかなければ。いつインターホンを鳴らされるか分かったものではない。
『せっかくだし、軽く拭いたげよっか。こっちこっち。』
言うが早いかナナはエントランスに入って来て、タオルを持ち出し、凄い勢いで手招きをして来る。 ……現に寒いし、部屋の玄関には拭くものもない。廊下が水浸しにする事もないし、厚意を無碍にする理由はないだろう。 近寄ると、すぐさまタオルを上から被せられた。力強く、しかし繊細な手付きで、髪から身体まで水分が落とされて行く。
しばし身を任せながら、彼女はナナについて思考していた。相変わらず、この人のことはよく分からない。何が楽しくて自分に構うのだろうか? 魔との混血。それは聖堂教会の討伐対象ではないが、さりとて忌まれる存在に変わりはない。夢魔の血が入っている彼女は、表立って排斥された事こそないが、それでも水面下では少なからぬ反感にさらされてきたのは事実だ。 だからこそ、何ひとつ隔壁なく好意的に振る舞い、そのように自分に接してくる教会の人間など、彼女にとっては珍しく感じるものだった。 そういった在り方も含めて、評判通り、色々と規格外な人物なのだろう。いつも一緒のお付きの人には同情を禁じ得ない。 タオル越しにしきりに頬を撫でられ、思考を中断されながらもそんな事を考えていると、不意に手が止まった。
『はい、こんなものでしょ。でもほんとにずぶ濡れねー。上から下まで透けちゃって。可愛いんだから、少しは気にしないと』
タオルが外される。指摘されて初めて、彼女は自分の身体に目をやった。 見れば肌に張り付いたブラウス越しに、薄ピンク色の下着と、白く透き通る様な、しかし僅かに紅く彩られた、生気に満ちた肌色までがはっきりと透けて見えて居る。 彼女はそれに気付いても大した動揺を見せることなく、ずぶ濡れのスカートの裾をおもむろに絞り始めた。
「……え?あ、本当だ。ん、気を付けないとですね。……わたしの身体なんて、見てもいい気分にならない。」 『そう思ってるの?アタシはとっても嬉しいけど~?』 「えぇ……?」 『もっと自分に自信を持っていいのよー?それだけのものは持ってるんだし。ね?』 「……はぁ」 『じゃ、アタシ用事あるから。またね~!』
そう告げて、彼女は嵐の様に過ぎ去って行った。……最初から最後まで、よく分からない人だった。
彼女と別れた後は、何事もなく自室に帰ってくる。びしょびしょの制服を絞り、濡れた下着を脱ぎ、洗濯機に入れながら、ふと帰り道のことを思い出す。 支くんにも、わたしの身体を見られていたのだろうか。 ……だとしたら、どう思われていたのだろう?
そんな他愛もない考えを抱きながら、一人、浴室に入って行った。
傘はさして大きいわけでもなく、思ったよりも狭く感じた。暗い空の下で歩くうち、外界の雨は一段と強まりつつある。 傘の下の暗く閉塞した空間には、ただこもった水音と、すぐ上で跳ねる雨粒が弾ける音ばかりが聞こえている。 手に持ったバッグになお雨粒が掛かる事に気付き、身体を少し彼の方に寄せる。それまで腕が触れていた程度だったのが、肩と肩、腰と腰まで接触する程の距離に縮んだ。 十分すぎるほど雨に濡れたブラウスやスカートは、もはや彼女の身体に完全に張り付いている。それが彼に触れる度、その制服までもを濡らしてしまっていた。
これは、思った以上に窮屈だ。ここまで近いと互いの息遣いまで聴こえて来る。 歩き始めてすぐはぽつぽつとあった会話も既に無く、彼は黙り込んでしまっていた。ちらと見れば若干自分から目を逸らしている様だった。 ……濡れるのを嫌がっているのだろう。思えば彼は普段から、制服をきっちりと着こなしている。彼女はつぶやく様に言った。
「……悪いね」 『え。……何がですか?』 「わたしの服、濡れてるから。……あなたのまで濡れちゃって。」 『あ、ああ。……いや、そんな大した事じゃ無いですよ……。』
どうも歯切れが悪い。彼の様子を測りかね、隣から少し身を乗り出す。彼女はその翠玉に輝く双眸をもって彼の表情をしばし覗き込み、その心境を見定めにかかる。 視線が合う。外れる。視線が合う。外れる。……およそ10秒ほど凝視する中で、彼女は彼に現れている、ある異変に気が付くことが出来た。 それとほぼ同時に、彼の方からどこか気不味そうに、控えめな質問が上がる。
『先輩、その……何です?』 「……支くん」 『はい』
じとっとした緑の目で彼の瞳をまっすぐ見つめながら、彼女は真に迫った声色で言った。
「……もしかして、風邪?凄く顔が赤いけど。」 『え?!いや、これは……。』
普段感情の起伏が乏しい彼には珍しく、一瞬たじろいだ様子を見せ、頬に手を当てる。図星か。 彼の額に指先を当てる。心なしか熱くなっている様に感じた。
「やっぱり。ちゃんと体調管理はしなさい。倒れられでもしたら困るんだから。」 『……そういう事にしときます』
その後は、彼の様子を案じながら暫く歩き続け、細い分岐の近くで立ち止まる。 共に立ち止まった彼に向き直り、道の向こうへ指を差して言った。
「じゃ、わたし、こっちだから。」 『そうですか……。お疲れ様です。』 「お大事に。」 『……。……どうも。先輩も気を付けてください。』
そう告げて傘から出る。雨足は一時的に弱まった様だ。まだまだ降っているものの、雲間からは光が差し込んでいるところも見える。 立ち去ろうとした彼に向けて振り返り、彼女はふと、声を上げた。
「支くん」
彼が振り返る。薄紅の瞳をまた見つめ、彼女は小さく、呟く様に言った。
「傘、ありがと。」 「……嬉しかった。」
雨に打たれ、雲間の光に照らされながら別れを告げる。 彼女の顔には、知ってか知らずか──大輪に咲く華の様に、柔らかく、暖かな微笑みが浮かんでいた。
廃墟のすぐ近く、茂みに隠したバッグを取り、表通りに出る。幸か不幸か、底の方は多少濡れているが、教科書は無事な範囲だろう。 ……そう言えば、傘を持っていない。普段から持ち歩いていないし、持って来ることもなかった。 別に濡れる事自体は気になどしないが、やはり面倒くさい。そう思いつつ、そのまま帰ろうと踵を返した瞬間、彼女を呼び止める声があった。
『……あれ、ステラ先輩?』
自分をその様に呼ぶのは、数人しか心当たりが無い。振り返ると、傘の下に見知った顔があった。 それは彼女がこの街で拠点とする学校の生徒。企図せずよく話すようになった、一つ下の後輩だった。
それなりに降っている雨粒の中で、平然と歩いている彼女を怪訝に思ったのだろう。 彼は彼女の姿を上から下まで見た後、少し気まずそうに目を逸らしながら、彼は質問を投げ掛ける。
『どうしたんですか?傘も差さないで……』 「……ああ。傘、持ってきてないから。」 『えっ。予報で言ってましたよ、16時からどしゃ降りだって。』 「うち、まだ新聞取ってないし。」 『……テレビは?』 「あの箱?ないよ。」 『……。』
彼は分厚く空にかかった暗雲を、傘の下から一瞥する様子を見せた。彼女もそれに合わせて上を向く。見れば、空の色はつい数分前より濃い灰に代わっていた。 ……なるほど、確かにこのままでは土砂降りになるだろう。
「ほんとに強まりそうね。急いで帰らないと。……じゃ。」 『あ……待ってください。』
再び歩き出そうとした時、彼はまた彼女を呼び止めた。彼女は背けかけた首を戻し、続きを言いよどむ彼の顔を、端正で小さな顔に嵌められた、輝く緑の瞳でもって不思議そうに覗き込む。 数拍ののち、彼は手に持った傘をやおら彼女に突き出しながら言った。
『あの……良ければ、入りますか?』 「傘?良いの。」 『はい。先輩なら……』
何が自分ならなのかは分からないが、教科書が濡れるのはまずい。……断る理由はないか。
「……じゃ、入れて。」
濡れた金の短髪をかき上げながら、軽く首を下げ、傘を持つ彼の左隣に入った。
学校帰りの服装のままに、廃ビルを駆け上がる。 時刻は午後四時。外を降りはじめた雨も気にすることはない。腐りかけの階段を飛び、古びた床材を蹴るたびに上がる黴臭い煙が鼻を突く。 近い。近付いてくる。上から漂ってくる、異常な香りに少し眉をひそめる。それは幾度と無く嗅いできた、そして忘れ得ぬ、ぞっとするような感触。 血の匂い。腐った肉の匂い。───死の匂いだ。
最も匂いの強いフロアが見えて来る。此処だ。頭を出すより先に左手の聖書を開き、右手に刃を充填する。 階段を上りきった瞬間、大部屋の中に四本の黒鍵を投擲し、室内に飛び込む。──残骸。そこには誰もおらず、代わりに、誰のものとも知れぬ人骨とそれに付着した肉がおぞましい腐臭を上げ、床に飛び散った大量の血液が、凄惨な朱色の絵画を描いていた。 申し訳程度に設えられた机の上に乗ったそれが、死徒の低俗な趣向による"食事"の犠牲者であったことは疑いようもない。 この街には紛れもなく、まつろわぬ者どもが跳梁跋扈している……眼前の光景を前に彼女は、実感としてそれを認識した。
「……遅かった」
ここを拠点としていた死徒は既に去ったらしい。天井に空いた大穴はビルの最上階まで達しており、光が差し込んでいる。周辺の瓦礫はさして古くなく、建物自体がつい最近、老朽化によって日光を遮れなくなったのだろう。 注意深く周囲を警戒しながら、人骨に相対する。それは対して食いもせず放置された下半身であり、酷く変色した肉には蛆がわいていた。 無残にも奪われた命に十字を切り、教会に連絡を取る。遺体は彼らが回収し、しかるべき処置ののち葬送されるだろう。
用の無くなった廃ビルを足早に後にする。 死徒の殺しに、基本的に道理は無い。人間はそこを歩いていたために、そこにいたために殺される。そこには正気も狂気もなく、沙汰の外なのだ。人間の法など通用しない。 だからこそ──彼らは、人間が、人間として滅ぼさなければならないのだ。
降りしきる雨に濡れながら、灰色の空を睨む。この街にはどれだけの死徒が潜んでいるのだろうか?検討すら付かない。 此処はあの男が、祖が滅びた街。ここは今やその『空座』を埋めるための饗宴の会場なのだ。世界中から死徒が訪れる博覧会の様に。
「『空座』なんていい名前。ただの血吸い虫のくせに」 「生きてても奪って、死んでからも奪うのね。……おまえは」
冷たい雨が頬を撫でる。高い空を望む深緑の瞳のうちには、ただならぬ決意が宿っていた。
「支さん、あなたはまだ分かっていません。あのぐうたらぽやぽや自制心ゼロの歩くゴジラがいかに制御不能か」 フラムは目の前のパフェをもりもり片付けながらぷりぷりと怒るという器用な真似を行っていた。 支はコーヒーで唇を湿らせながら、たいていの女性は甘いものが好きというのは本当なのだなと益体もないことを考えていた。 「ゴジラは歩くんじゃないかな」 「そういうことではないのです!平気で何処でも煙草をぷかぷかやる!どんな時間でも酒を飲む! この街にやってきてふらりといなくなったと慌てたら何をしていたと思いますか! あのじゃらじゃらと雷鳴もかくやという騒音を発する遊興施設で遊戯に耽っているんですよ! 初日ですよ初日!なにが『わぁいお菓子もらえた!フラムちゃんにあーげるっ♡』ですか! 日本は困った国です!あの飢えたシロナガスクジラには誘惑が多すぎます! …まあ基本的にどの国でも似たようなことをするのですが! あああ思い出しただけで腹が立ってきました!あの××××頭あーぱー芸術家気取りめぇ…!」 聖職者なら口にしてはいけない汚い罵倒が混じっていた気がするが、聞き流す勇気が支にはあった。 「よくまあ、あれだけの暴力の世話を焼けるね。ナナさんとは長いの?」 どうもこれ以上は良くない。何かこう、噴出してはいけないものが噴出する気がする。 話題を支流へとズラすと、フラムはふむと呟いた。 「それはニ、三年を長いかどうか考えることになりますね。。 なんせナナ様はあのような方ですから私以外は長続きしなかったんです。 今のところは私が最長記録ということになりますから、比較的では長いのではないでしょうか」 なるほど、と支は相槌を打った。 納得は出来る。ナナは騎士どころか人間としても破天荒の類だ。 まるで都会に馴染んだ野生の生き物のような、適応しているのに異質という矛盾が彼女にはあった。 あ、でも、とフラムがパフェの中の白玉を匙で掬いながら言った。 「あんな方ですが、聖堂教会では最も誉れ高き聖堂騎士としてきちんと称えられているんですよ」 「…悪いけれどいまいち信じがたい話だ。素人目に見ても素行不良の女性なのに」 「確かに振る舞いについては敬虔な信徒失格というのは大いに賛同しますが…」 あはは、と苦笑いを浮かべたフラムだったが、次に浮かべた微笑みはそれとはまた違うものだった。 「あの方はどのような戦場であっても真っ先に先陣を切り、最も遅く戦場から帰るからです」 「…」 「性格が違うものなので優劣をつけられるわけではないのですが…。 代行者の聖務と違い、聖堂騎士の戦場とは基本的に“手遅れ”です。 既に状況は最悪のケースへと至ってしまったもの。死徒によって地獄に変えられてしまった地が彼らの戦場です。 主の光を再びその地へと取り戻すため、多数の聖堂騎士が投入され、殉教者は少なくありません。 その死地へナナ様は最も早く討ち入り、最も多くの死徒を滅し、殉教者の遺体が収容されるまで最も長く戦場に留まり続ける。 故に多くの信徒から敬意を集め、あれぞ主の威光が似姿、『虹霓騎士』と謳われているのです」 ───口調には僅かながら熱が籠もっていた。 支は少し考えて言葉を選んだ後、確かめるように言った。 「そうか。君は───彼女のことを尊敬しているんだな」 「…普段の自由きままぶりは反省して欲しいと常々思ってはいますが…」 ことりとスプーンを置いて、フラムははにかむような笑顔で支の顔を見た。 「はい。あの方ほど貴き方はいらっしゃらないと、そう信じています」
───そう言って、ナナは無造作に投げてあったホースをむんずと掴んだ。 このグラウンドは少年野球チームが練習場に使っているから彼らが使用しているものだろう。 蛇口をひねり、Yシャツ姿のまま勢いよく吹き出た水を頭から被る。すぐそばの街灯の明かりがその様子を映し出していた。 どす黒い血で赤く染まっていた髪が、月の光を漉いたような銀色へと元通りになっていく。 まるで野生動物の水浴びのような、繕うことのない荒々しい美しさがそこにはあった。 支はベンチに腰掛けさせられたまま、腕の傷口に包帯を巻いているフラムに話しかけた。 「僕よりも、彼女の治療を優先したほうがいいんじゃないか」 「大丈夫です。たぶん全部返り血ですから。あの人物凄く頑丈で、例えるならサイボーグなんです」 「おーい聞こえてるよシスター・フラム~」 「ええ、聞こえるように言いました」 服を着たままじゃぶじゃぶと水を浴びるナナへきっぱりと告げ、フラムはぱちんと包帯をカットした。 「あまり大きな傷口ではありませんが咎めないとも限りません。 間接的とはいえ不浄なる屍から受けた傷ですし。どうか用心なさってください」 「ありがとう。恩に着るよ」 いえ、と淡白に返事したフラムは先日見かけたものよりコンパクトなトランクケースに応急キットを仕舞っていく。 と、そこで公園の夜闇にキュッと金属の擦れる音が響いた。蛇口が閉められた音だった。 「フラムちゃん、タオルちょーだい」 「はいはい」 トランクケースから取り出されたタオルを受け取ってナナが髪を拭う。 まだ湿っていたがタオルでは乾ききらないと判断したのか、途中で切り上げて支の方を向いた。 「ま、これで分かったでしょ?下手に首を突っ込むとサクッと死んじゃうぞ~?」 「でも、僕は───」 「でももへったくれもあるもんかい。だいたい今だってアタシたちが来なきゃ死んでたじゃないの。 これは『常識外(アタシたち)』のお話。キミは『常識(あっち)』の人。住む世界が違うんだよ。 あのお姫様の居場所を教えろとまでは言わないからさ。悪いこと言わないからやめとき?」 ナナの口調はあくまで脳天気な調子だったが、表情は真面目にこちらを案ずる真剣なものだった。 ………そう。 ミナも側におらず、たまたま彼らが“運良く”通り過ぎなければ支は死んでいただろう。 彼らは悪い人たちではない。 彼らは秩序の調停者だ。魔を滅すると同時に市井の人々を闇へと立ち入らせないものでもある。 支の理屈を納得してもらうのは難しいだろう。 唇を引き結んだ支の横で、「ところで」と唐突にフラムが声を上げた。 「いつ切り出すか迷っていたのですが。───服、思い切り透けていますよ」 へっ、と間抜けに呟いたナナが身体を見下ろす。つられて支も視線が下にいった。 血がだいぶ流されてところどころ薄ピンク色に染まっているYシャツは、水を吸ってぴったりとナナの肌に張り付いていた。 彼女の均整のとれた肢体がこれでもかと強調されている。綺麗にくびれた腰、大きすぎない程度に大きい程よい乳房。 街灯の頼りない照明でさえ、みずみずしい褐色の肌が透けて見えるようだった。 ネクタイを外して胸元を開いていたので胸の谷間さえ顕になっている。生地に浮き出ている細かい凹凸は下着のものか。 Yシャツの色合いが変わっていないから、色はおそらく“白”───! 「───ぎゃあああああ!フラム!上着、上着!支クン、みっ、見ないでぇ!」 瞬間沸騰したナナが胸元やお腹を腕で隠し、人間に気づいた動物みたいな俊敏さで街灯の明かり届かぬ暗闇へと逃げた。
「♪London bridge is falling down,falling down, falling down───」 快活な歌声が響いてくる先へ振り返ったミナは走りつつも力を込めて手を振った。 肩から肘へ、肘から指先へ、滝のように怒涛の勢いで駆ける魔力の奔流。 指先から溢れて物質界に働きかけたそれは瞬時に数匹の蝙蝠へと転じた。 生き物のように宙を飛び、爆弾のように炸裂する。まともに当たれば容易く肉を引き千切るだろう。 「♪London bridge is falling down,My fair lady───」 対して、追跡者は回避行動を全く取らなかった。 靴底に鋼が仕込んである靴の独特の足音が止まらない。 スピードを落とさないまま、眼前へ急接近した蝙蝠をまるで虫でも叩くように裏拳でぺちぺちと落としていく。 だがそこまではミナも予想範囲内だ。本命は蝙蝠の仕込みにあった。 追跡者が最後の蝙蝠を叩き落とした瞬間、ぱちんと泡のように弾けた蝙蝠が分裂し、魔力塊となって顔面へと迫る。 直撃すればその頭部は吹き飛ばされ、首なしの肉体がずるりと崩れ落ちる─── 「嘘でしょう」 さすがにミナもつい呟いてしまった。 あろうことか、追跡者は魔力塊を『噛み砕いた』のだ。 同じ死徒なんじゃないかと疑ってしまう。少なくともまともじゃない。 「ねーねー、追いかけっこはそろそろやめにしよーよー。…っとぉ!」 すると追跡者は傍らにたまたま置かれていたゴミ集積用の鋼鉄のコンテナを、まるでプラスチックのバケツを担ぎ上げるような気軽さでひょいと持ち上げて─── ───旋風。衝撃。轟音。 直線の軌道ですっ飛んできて、ミナの前の地面へとコンテナは突き刺さったのだ。 進行方向を塞がれ、ミナは立ち止まった。…ミナ自身は経験が無くとも、貴種たる肉体が感じ取っていた。 これを横に躱す。あるいは飛び越える。いずれの選択もその僅かな一呼吸が致命的になると。 すたすたと大股歩きで寄ってきた追跡者へ、ミナは表情変えること無く静かに言う。 「貴女、強いのね」 「そりゃこれでも騎士やってるからね~。や、しかし好都合ね。 こんなところで件のお姫様を討てるんだから。これは思ったより今回の仕事、早く片付くかな?」 そんなふうに言ってにこにこ笑う女はなんとも朗らかだ。 月光に濡れた銀の髪、コントラストになって映えている褐色の肌。とにかく人懐こそうな笑顔で、殺意のようなものは感じられない。 (でも───………) 分かる。アレはそんなものなどなくとも討つべき相手をシンプルに討ち果たす機構だ。 その片腕に仰々しく装備された、円錐形をふんだんに用いられた優美なフォルムの巨大な杭打ちを突き立てるのに何の躊躇いも無いだろう。 「それじゃてきぱき終わらせましょうか。ま、その不浄の魂にも救いがあるなら、きっと滅んだ後に───」
「──────待てっっ!!」
どうこの状況を切り抜けたものか、とりあえずミナが身構えたところにその声は朗々と響いた。 ここ最近、すっかりよく聞くようになった声。当人に対する感情はさておき、目の前の襲撃者よりは親しみが持てた。 騎士の背後。自分やこの騎士なら一息で辿り着けそうな距離にひとりの男の子が立っている。 逆光になっていて表情は伺い知れなかったが、ミナが嫌いではないあの力強い眼差しが注がれているのは確信できた。 驚くべきことは突然の闖入者だけでは無かった。追跡者までもがこちらに背を向けくるりと振り向いたのだ。 「…君かぁ」 ぽつりと呟かれた言葉には、なんというか、『こんなところで会いたくなかったなぁ』という気色がはっきりと滲んでいた。
シスター・フラムはようやく訊ねた。 「で、どうだったのですか?」 「ルシアちゃんのこと? 駄目だったよ。連れ去られたのが二週間も前ではね。食屍鬼にならないよう処置するのがアタシに出来る関の山」 空港の外れ。まばらに人が道を行き交うのを眺めながら、ナナは紫煙を青空へ向けて吐き出した。 こじんまりとした喫煙スペースに相席しながらフラムは隣で煙草を吸うナナをちらりと見遣る。表情に目立った憂いなどは見受けられない。 聞いたのはどちらかといえばターゲットとなっていた死徒のことだったのだが、ナナからすればそちらは問題にもならないらしい。 実際、彼女にとっては大したことではなかったのだろう。先行したナナは後続の聖堂騎士たちを待つまでもなくあっさりと死徒を討ってしまっていたという話だった。 フラムは時々このナナという信徒が遠い存在に見える。 正式外典コルネリオに選ばれた、聖堂教会屈指のドラクルアンカー。その実力、埋葬機関にも引けを取らないと謳われる『白光の織り手』。『虹霓騎士』。 二つ名なんて挙げればキリが無い。死徒の撃破数はレコード持ち。文句なしに聖堂騎士の中で最強の存在だろう。 それでも───それでも、救えないものはある。 死者を生者として今を生きる生者の元へは返してやれないように。 立ち行かぬことをひっくり返すことなど、この聖堂騎士にも出来はしない。 「残念だよ。とてもね」 「………あなたでも救えなかったものを惜しむ気持ちは持ち合わせているのですね」 「あのね。シスター・フラムはアタシのことを何だと思ってるのかな? ひょっとしたら、何かの間違いでここに来るのが二週間早ければその子を助けられたかもしれない。そんな妄想くらいアタシだってするわよ。 でもね。ニンゲンがニンゲンを救うなんて、そんな思い込みは本来は烏滸がましい行いなんだ」 ナナが指に挟んでいた煙草を静かに咥えた。すう、と吸われることで煙草の先端がめりめりと燃え尽きていく。 漂っていく煙の筋は、いつかアーカイブで見た東洋の儀式における送り火のそれと重なって見えた。 「誰かを救うということは、誰かを救わないということ。 この二週間が仮に前倒しされていたら、その前借りされた二週間によって平穏無事にあったはずの誰かが失われていたことでしょう。 正しきものも、間違っているものも、それら全ての衆中を救うなんてそんな大業を成し遂げなさるのは我らが主のみの御業よ。 誰かを救おうとそう志した時点で誰かを救わないという不誠実が発生しているのがアタシたちの宿業なの。特に、アタシみたいに半端に力を持ったヤツはね。 だから。人が救えるのはただひとり。自分自身だけよ。彼は自分自身を救うためにアタシを輪の中に招き入れた。 アタシはその輪の中で全力を尽くした。後にその結果が残っただけ。それだけのことなのよ」 淡々と、まるで遠い昔に心へ刻んだ言葉を復唱するかのように綴られたナナの言葉をフラムはただじっと黙って聞いた。 ナンシー・ディッセンバー。聖堂騎士にして、その出生の過去を誰も知らない名無しのナナ。 まるで自分をただ力を振るうための装置のように規定するに至るまで、どのような道筋があったのだろう。 フラムには分からない。分からないので、ナナの言葉を額面通り受け取ることにした。 「………では、私も私自身を救ってよろしいでしょうか」 「うん? え、いいじゃないの? 唐突でびっくりしたけど」 「分かりました。では」 フラムは修道服の内側に忍ばせてある十字架を片手で押さえ、開いている手で十字を切った。 「アーメン」 「………」 その祈りの聖句が何に向けてのものなのか。 あるいは、誰に向けてのものだったのか。 ナナは問わなかった。代わりに、その僅かな鎮魂の時間に付き合ってくれた。 さて、と彼女が再び言葉を発したのは、フラムが伏せた瞳が開かれるのとまったく同じタイミングだった。 「次の任地はどこだったっけ? シスター・フラム」 「日本の地方都市ですね。シティ・ヨルミだとかいう。 今回は少数精鋭とのことで、聖堂騎士団から派遣されるのは我々を含めごく僅かです。代わりに代行者のお歴々が向かわれると」 「うぇ~、アイツらか~。やりにくいな、アタシのことあんまり好きじゃないみたいなんだよね~」 「それはそうでしょう。聖堂騎士でありながら代行者のように単独で振る舞われるナナ様を快く思われる代行者の方々などそうはいないのでは?」 「………前から思ってたけど、フラムちゃんはアタシに対して結構辛辣だよねぇ」 「敬ってもらいたいなら敬われるような行いをしてからにしてください、騎士ディッセンバー」 意図的に冷たくそう告げ、フラムは喫煙時間は終わりだとばかりに空港の発着口へとすたすたと歩き出す。 待ってよ~、と情けない声が背中にかかるが、煙草の吸い残しを惜しむナナのことなど気にかけるつもりは微塵もフラムには無かったのだった。
「………それに、俺はこの街がなんだかんだで好きだ。 アンタみたいなよその人からすりゃなんにも無いところかもしれないけれど、それでも俺の故郷だ。 父さんは街一番の漁師で色んな店に魚を届けてるし、母さんは誰よりも料理が上手い。近所はみんないい人たちだし、綺麗な海や野原だってある。 ちょっと騒ぎが起きたくらいで見捨てて逃げ出すなんて気に入らないじゃないか。 あと、な………」 「………」 「俺の………幼馴染が、ルシアも行方不明になってるんだ………。きっと見つかると信じて俺は待っていてやりたいんだ。 畜生、俺にもっと力があったらな。凄く強ければ犯人を捕まえてやるし、金持ちならたくさん金を警察にやってみんなを守ってもらいたい。 でも警察だってここより行方不明の人間が多い隣町の方で躍起になってるし、田舎のここにまで全力を尽くしちゃくれないんだ………」 「………ふぅん、そっかぁ」 少年の心の奥底から出たような言葉に一度深く頷いた女はやおら席から立ち上がった。 釣り銭取っておいて、と店主に言って紙幣を机の上に重ねて置いた女は、まだ座ったままの少年に向かって最後の問いをした。 後になって少年は回想する。───その時の女の微笑み。凪いでいるけれど決して揺るがないそれ。 既視感を覚えた先は、この街の教会に据えられている聖マリア像のそれだった。 「もし。もしだよ? 万が一にも、悪いことをしてるやつかやつらをやっつけられる人がいて………。キミならその人になんて言う?」 「そんなの決まってるじゃないか」 きっぱりと少年は言った。 「───助けて! 俺に出来ることならなんだってするから! ………って。そう言うに決まってる」 それは素面のその少年なら恥ずかしくて誰にも言えない台詞だったかもしれない。 けれどごく当たり前にこの街を愛し、ごく当たり前に仄かに想いを寄せている幼馴染の無事を祈っている少年の口からは、自然と臆面なく零れ出た言葉だった。 その無垢な言葉は、そしてそう───何故か、その女にはそう言っておかなければならない気がしたのだ。 瞬間、その女はにっこりと破顔した。 スペインの熱い太陽にも負けない、きらきらと輝く陽の気の笑顔だった。 「よし、承った! 後はこのナナにお任せあれ!」 それじゃ用意があるから、じゃーねー、と女はつむじ風のように店から出ていってしまう。 後に残されたのはぽかんとする店員と、ぽかんとする他の客と、ぽかんとする少年だけだった。 女が少年に奢ったレモネードの氷はとっくに溶けきって、グラスはびっしりと汗をかいていた。
「なあ、あんた。悪いこと言わないから早めにここ出ていった方がいいよ」 机を挟んで対面に座った少年の忠告に対し、その褐色肌の麗人は大きな目をぱちぱちと瞬かせた。 綺麗な目だ。ダークレッドとも言うべきか、赤の発色を伴った黒い瞳。 顔立ちは垢抜けた女性のそれだったが、その目だけはまるで子供みたい。昏さが無くて稚気できらきらと光っている。 濃い二十代を経た三十代にも見えるし、まだまだ好奇心旺盛な十代にも見える。不思議な女だ。 「なんでよ。ここには来たばっかりだっていうのに。 あ、それともちょっと目立ちすぎてる? いや~、お腹ペコペコでさぁ。キミにここへ連れてきてもらえなかったら参ってたわよ」 そういう問題じゃなくてさぁ、と呟きつつもまだローティーンほどの少年は机の上へちらりと視線をやった。 もうお祭り状態だった。宝石箱の中身をぶちまけたように多種多様な料理の皿が所狭しと占拠している。 そのどれもが半ば食べ尽くされ、残りもこの女の腹の中に収まるのは時間の問題みたいだ。 よく食う女だし、美味そうに食う女だ。店員やちらほらといる客からもじろじろと好奇の視線が女に注がれていた。 ここはこのあたりで一番大きな街から半日もバスの中で揺られなければ辿り着けないスペインのド田舎だから、余所者は珍しいのだ。 だが少年が逗留を勧めない理由は何もこの街の排他的性質から来るものというわけでは無かった。 少年はつい声を潜めた。既にこの気味の悪い話題は日常においてはタブー視されるようになって久しい。 「あんた知らないの? ここ最近はさ。このあたりで失踪事件がいくつも起こっているんだ」 「………」 ふんふんと女が頷く。それに合わせて豊かな銀の髪がぴかぴかと蛍光灯を反射して光っていた。 聞いている間もフォークとスプーンの動きは止まらない。まるでダンスでも踊っているみたいだ。 小気味いい食べっぷりでみるみるうちに皿の上のものが片付いていく。真面目に聞いているのか怪しくなるくらいに。少年はやや嘆息した。 「何人もいなくなっているんだよ。隣町なんかじゃさ、集団失踪事件なんて発生したりしててさ。 他にもみんな怖がって話しないけど、路地裏で物凄い量の血がぶち撒けられていたとか………とにかく気持ち悪い噂や事件ばっかり続いてるんだ。 すっかり夜は誰も出歩かなくなって、街の人たちも元気がないんだ」 「そうなんだ。それは怖いわね」 口ではそう言うがさほど怯えた様子もなく、女は淡々と肉料理を口の中に放り込んでいった。 少年は段々とこの女の怪しさに首を傾げつつある。奇妙な女なのだ。 大して目新しいものも無い、埃っぽい田舎町のここでは旅行客自体が珍しい。しかし、女の格好は旅行客というふうでもない。 上から下までフォーマルなパンツスーツに身を包んでいる。まるでばりばり仕事を手掛けている新進気鋭のビジネスウーマンみたい。 綺麗な女だが、棒きれみたいに細いネクタイも無地で、全体的に飾り気が無い。せいぜい耳のピアスくらいだ。 トランクひとつ手に提げてバスから降りてきた女と少年が出会ったのはまったくの偶然だった。たまたま女が道を訪ねてきたのだ。 あの人懐こそうな、それでいて今から悪戯を仕掛けようとする子供のような、そんな人好きのする明るさで。 「今更だけどさ。あんた何者なの? こんな田舎に何の用で来たの?」 「アタシ? ああ、アタシはこういう者なのよ」 そう言って女は襟に指を突っ込んで首元を探ると、ネックレスを取り出した。 銀の十字架。女自身の飾り気の無さとは違い、華美にならない程度に細やかな彫金を施された高価なものと素人目にも見て取れた。 スーツからは連想しにくい意外な職種だが、それを見せられれば少年でもある程度は察しが付く。 「なに。あんた教会の人? ヌーノ爺さんに会いに来たの?」 「そそ、そんなところ。新しく赴任しに来たってわけじゃないんだけどね~。ちょっと御用があって、ね」 「ふぅん。こんな時に災難だね」 「そうでもないわ。よくあることだし。慣れっこ慣れっこ」 またよく分からないことを言う。気づけば料理は粗方片付いてしまっていて、女はグラスの中のワインをきゅっと飲み干している。 いよいよ満腹だい、ごちそうさまと太平楽に唱えた女は、ふと少年の方をちらりと見つめてこんなことを聞いてきた。 「………それにしても、なんとも出鱈目なことになってるのね。 この街から離れたいと思わない?キミは怖くないの?次に攫われるのは自分だとか、考えたりしない?」 「そりゃ怖いよ。怖いけど………うちもまわりも、ここらへんはそう裕福じゃないし年寄りばっかりだ。 怖いからって引っ越すなんて出来るやつはそんなに多くないよ。それに………」 少年はそこで一度言葉を切り、視線を手元へと反らした。 少年を見つめる女の視線が、あんまりにも真っ直ぐ過ぎたから。湖の一番深いところまで見通そうとするような、穏やかだけれど鋭い視線だった。 けれど一度逸らした目を再度戻し、はっきりと女を見つめて言った。
「ナナ様は!? ナナ様がどちらに行かれたかご存知ありませんか!?」 空港付近にある教会にシスター・フラムの焦燥感が滲む声が響き渡った。 まったく迂闊だった。昨日の晩は大好きな酒もやらずに大人しく床についていたから油断したのだ。 修道服姿の少女に詰め寄られた現地の司祭は額に汗をかきながら、「さ、さあ」とどもることしか出来ない。 「朝まではこちらにいらっしゃったのを見かけましたが、それからは………」 「朝!? 朝というと具体的にはいつ頃のことでしょうか!?」 「礼拝の時間です。準備を始めた頃にふらりとお外へお出かけになりましたな」 それを聞いたフラムはくらりと目眩がしてその場に崩れ落ちそうになった。 早朝! そんな時間に出ていったのでは、今頃何処を気まぐれにほっつき歩いているか見当もつかない! あの女の頭の中に物怖じという言葉はない。知らない街だろうがずんがずんがと進んでいってしまう人なのだ。 あるいは誰にも知らせずに既に現地入りしているなんてことも十分あり得る。 数で対象を囲み圧倒するというのが聖堂騎士の基本戦術だが、ナナはその範疇に収まらない例外的存在なのだから。 ふと目を離した隙にいなくなって、明くる日にふらりと帰ってきて「終わったよ~」なんて何度あったか知れない。 そんな規格外に付き合う自分の身にもなってほしい。フラムは実にまっとうなごく普通の信徒なのだ。本人比では。 「あ………あんの、脳みそ無重力のスーパー××××自由人めぇぇぇっ!」 敬虔な信徒が発した言葉とは思い難い小汚い悪態が静かな教会内部に木霊した。 いかにも気弱そうな初老の司祭は肩を怒らせるシスターを前にしてただおろおろするのみだった。
「まず、君は何で女性の姿で現界したんだ?」 俺は精一杯平静を保ちながら、俺が召喚したライダーに対して質問する。 するとライダーは、俺の聖杯戦争の目的も知らず、気楽に答えた。 「うーん、ごめんなさい。ちょっと分からないんです」 「でも、こうなったからには、この状況を楽しみたいです!なるようになれ、ですね!」 「ふざけているのか…!」 俺はつい、隠さない本音を口にしてしまった。いつもの"完璧"ではない、本当の俺を 流石に気の抜けたライダーも、俺が豹変したかのように見えたのか、恐怖の表情を見せていた。 「ご、ごめんなさい……。で、でも私、精一杯に頑張りますから……」 「ああ……いや、すまない。こっちも、怖がらせるつもりはなかったんだ、俺は……」 と、謝りそうになって俺は正気に返る。何で俺は使い魔相手に、人間を相手取るように取り繕っているんだ? 相手は亡霊だ。もう死んでいる存在を再現した戦いの道具だろう。そんな奴相手に……と考えたその時、ライダーが呟いた。 「こんな事を言うのもなんですけど…少し、嬉しいです。マスターが、そう言ってくれて」
「……何だと?」 何を言っているんだこいつは。状況を分かっているのか?俺はお前を脅迫するように問い詰めたんだぞ? 普通は信頼関係が揺らぐはずだ。所詮は聖杯を求めるという薄っぺらい利害関係しかない俺たちでしかない その上下関係で上に立つ俺が、完璧じゃない部分を見せたんだ。それを"嬉しい"だと?どういう腹づもりだ? 「だってマスター…いっつもどこか本音を隠しているようで、なんか寂しかったんです。 でも、今やっと初めて、何も隠さず喋ってくれた気がして、嬉しかったんです」 「………」 動物の勘、という奴か。誰かに喋られでもしたら厄介だ……。自害でもさせれば新しい英霊を呼び出せるか? …いや、再召喚できる保証はないか。それに、こいつは底抜けの馬鹿だ。誰かに算段で喋るような事はしないだろう。 「なるようになれ、か……。ウマが合わんな、君とは」 「あ、今の馬とかけたんですか!?かけたんですね!?」 「五月蠅い黙って寝ろ。明日も早いんだから」 ────そう言って、七砂和也は眠りにつく。"なるようになれ"。その言葉こそが自らを救う鍵になる事に、気付かないまま
陣を描き、魔力を奔らせ、詠唱を紡ぐ。俺は英霊を召喚する。 「初めまして。早速で悪いが、僕は君のマスターだ。君とは公平で対等な関係でいられたらと思っている」 もちろん、嘘だ。英霊なんてものは信用できない。大昔に何人も殺し続けたような奴らだろうからな。 文化人ならある程度は話が通じるかもしれないが、戦闘第一な獣みたいな英霊はよしてくれと願い語りかける。 「…………」 煙が晴れて、俺は絶句した。馬だ。馬がいるんだ。しかも3匹。 騎馬兵の英霊か?と思ったが、違う。騎馬に乗っているべき英霊がいないんだ! 呆然とした次の瞬間、俺の目の前に立っていたのは3匹の馬じゃなかった。1人の女だった。 「初めまして!私はライダー!真名は……っと、名乗るとまずいかな?じゃあ、とりあえず三音さられって呼んで! 貴方が私の騎手(ジョッキー)?あ、間違えた。マスター? もしそうなら、よろしくね!」 どういう……ことだ……。戸惑う俺は目の前の自称ライダーに尋ねる。お前は何ができる?と 「お前がどんな英霊か知らないが、何か出来る事の1つ2つ、あるだろう?」 「? あ、歌を歌えます!新曲もあります!」 俺は胃が痛くなった。
「最っ……悪……」 毒付くように吐き捨てた。正直、今までにないぐらい私は苛立ってた 意味不明な運任せ野郎と出会っただけでも腹立たしいのに、そいつの攻撃が私を抉ったという事実が耐え難かった ただの運任せの攻撃で、再生に時間がかかるほど痛めつけられるとは思っていなかった 「まーぁ……それ以上に笑えないのは来客様なんだけどぉー?」 「ヒ、ヒ、ヒ、」 笑い声が響く。今一番聞きたくない笑い声。なんで?何でよりによって貴女なのかしら? 「せーめて、あの弓使いの代行者ならぁ…2つの意味で食欲湧いたんだけどなぁ」 「何だよ。アタシには食欲湧かないってか? 奇遇だね。アタシもテメェの前だと飯食う気しねぇ」 「あーら気が合うわね。私もよ。殺したい相手が目の前にいたら、食事どころじゃないですものねぇ?」 満身創痍な身体に鞭打ち、無理やり立ち上がる。悟られるな。こいつだけには弱みを見せるな 「マ、ここで逢ったのも何かの縁だ。死ぬ覚悟はあるかガキぃ」 「こっちの台詞。肉便器になれ糞ババァ」 好機は一度。吸血できるか、あるいは否か 全霊を振り絞って、私は大嫌いな悪食女と夜に舞った
"つみびと"のオズワルド ルキウス・ヒベリウス 祝福せよ!新たなる主従の誕生を!! これまでに無い属性の主人公達に期待が高まる
⑥ 「それ、全部やったらやっぱりそれなりの時間がかかるんじゃないか?」 「………大丈夫。大丈夫だ。すぐ出来るものしかない。全然時間なんかかからない。そう、15分か20分はかかった内に入らない」 はあ、と溜息を付いたセイバーはどうやら呆れたようだった。あのねテンカと諭すように話を切り出した。 「どうせこうなるとは思っていたんだ。君はそういう人だからね。 そもそも私はクリスマスという催しには縁が無いし実感も無い。ただ皆が祝っている。幸せそうな催事だ。それだけで私にとってはいいんだ。 でも案の定君は食事している時以外は働きっ放しじゃないか。私はね、テンカ。………君にも楽しんでほしいんだよ、祝いの席を」 「………セイバー」 軽く俺より先に進み出たセイバーが俺の顔を覗き込むようにじっと見つめてきた。 最初にあったときからずっと変わらない、涼やかな静謐を帯びた瞳が暗闇の中できらきらと光って見えた。 俺はいつだってこの目と視線が合うとどきりとしてしまうのだ。多分、これからもずっと。 「私の望みは間違っているかな、テンカ」 「いや、セイバーは正しい。確かに料理を運んだり片付けをしたりで俺は皆の輪の中にいなかったな。 でもひとつだけ訂正させてくれ。俺は楽しくないなんてことは無かったよ。俺の作ったもので皆が笑ってくれていた。 そういうのはなんというか、好きなんだ」 「はあ。やれやれ。そうだね、君はそういう人だよ。分かった。酒の肴を作るのは私も手伝う。セイバーは向こうで楽しんでいてくれ、なんて言わせないからね」 「了解。それじゃよろしくおねがいします、と言っておこうかな」 くすくすと互いに笑い合う。その視界の中に白くちらつく何かが見えた。 「あ………」 「雪、降ってきたんだね」 空からはゆっくりと眠たくなるような緩慢さで雪片が地上へと舞い降りていた。 そういえば天気予報でも夜中から雪が降るかも、とか言っていたっけ。ホワイトクリスマスなんて何年ぶりだろうか。 視線を前へと戻すと、点々と続いている街灯が雪を照らし出してくっきりと陰影を作り上げている。映画の中にいるみたいな、どこか幻想的な光景だった。 それを見て、俺はようやく思い出したのだ。 「そうだ、セイバー。まだ伝えてなかったことを思い出した。乾杯の時にも言ったけど面と向かってはまだだったな、って」 俺は立ち止まった。数歩先に進んだセイバーも立ち止まってくるりと振り返る。 セイバーは丁度街灯の真下にいたので、まるでスポットライトを浴びているみたいに暗闇の中で美しく佇んでいた。 「メリークリスマス、セイバー。 こんな俺だけど、これからも一緒にいて欲しい。来年もよろしく………って言うのは、ちょっと早いけどね」 世界中の何よりも美しい拵えの剣がきょとんとした表情をしたのも束の間。 くすりと、キキョウの花のようにゆったりと微笑んだ。 「───メリークリスマス、テンカ」
⑤ 夜闇の中をふたりで並んで歩く。吐く息は真っ白だ。もう12月も末だもの。寒くて当然だった。 空を見上げれば晴れていれば星が見えるんだろうが、生憎と曇り空のようで星は勿論月すら見当たらない。 半年前、こんな空の下で同じようにふたり歩いた。あの時は暑かったから俺は軽装で、彼女は霊体化出来なかったからレインコートを被せていたっけ。 七夕の夜に始まったあの狂騒は随分遠い日の出来事のように感じられるようになっていた。 「サーヴァントってのは全員ザルなのかな。流姉さんの本気のペースに付き合ってまだひとりも潰れてないの、俺初めて見たよ」 「ランサーやライダー、キャスターはともかく、私は騎士だからね。今風に言えばお酒を飲むのも仕事のうちだよ。 酒宴の席は今以上に重要な意味を持っていたし、貴人の盃を受け取れないようでは騎士失格という時代だったんだ」 まあ公然と下戸を宣言して一滴も飲まない騎士というのもいたといえばいたけれど、と語るセイバーはあの夜のような鎧姿ではない。 外套を羽織って静かに歩くその姿は誰が見ても騎士ではなく現代の女性だった。ちょっと凛々しすぎるのはこの際置いておく。 俺の手にも、セイバーの手にも、大きめのポリ袋が吊られていた。表面には『シーマニア』と印字されている。 もう夜中だというのにまだ開いているのは旧土夏市街の市民にとって実に心強いスーパーだった。でもいずれはここにもコンビニが出来たりして変わっていくんだろう。 「悪いなセイバー。追加の酒やらつまみやら、買い出しに付き合わせちゃってさ」 「いや、そもそもテンカが買いに行くというのが筋違いだ。本当は用意していた酒をあっという間に飲みきったあの酔っ払いたちが行くべきなんだ。 そもそも日本の法律を考えるとテンカが酒を買えるというのは、どうなんだ?」 「あそこは店長からパートのおばさんたちまでもう全員俺と顔馴染みだから………。俺と流姉さんの関係も把握済みってわけ」 勿論本当はいけないのだがそこはそれ。ご近所付き合いは時に法を悪しき方へと曲げるのである。 缶ビールとワインのボトルでずしりと重いビニール袋を握り直しながら「それに」と俺は言葉を続けた。 「ちょっと食べ過ぎちゃったし、散歩には丁度いい距離だよ。セイバーと一緒に歩けるしね」 「それは………」 ぐっとセイバーの言葉が詰まった。ほんの少し間が空く。 「………ずるいよテンカ。そう言われたら私は何も言えない。賑やかなのもいいけれど、確かに私もこうしてテンカと共にいられることを嬉しく思っているから」 「……………そ、そうか」 街灯に照らし出されたセイバーの横顔は薄く朱に染まっていた。 思った以上に直球の返事が来て、俺もつい鼓動が一瞬早くなってしまう。 セイバーのこんな表情も初めて見るものじゃない。もう半年も一緒にいれば何度かはセイバーの不意を突くことだってあって、その度にこんな表情をセイバーはした。 そう、もう半年。いいや、まだ半年だ。 この同年代の女の子のようでもあり、頼れる姉のようでもあり、世話の焼ける妹のようでもあり、然して正体は昔日を駆けた女騎士である彼女と、まだ半年しか一緒にいない。 俺の中ではもう何年も共に過ごしているような感覚だ。それくらいの濃密さが彼女と過ごす日々にはあった。 背中は当然として、命だって何度も預けた。喧嘩だって何度もしたし、同じ数だけ仲直りした。そしてふたりで全ての終わりを見届けた。 土夏に平和が戻って、去るはずの彼女はこうして今もいて、穏やかな日常を俺たちと共有している。 これがまるで夢のような日々でなくて何だというのだろう。セイバーが隣りにいることを普段通りでありきたりと感じたことは一度も無い。 彼女と体験する全てがいつだって新鮮だった。そう、今だって。 「それにしてもテンカ。君は酒の肴を買うというからてっきり既製品を買うものだと思っていたんだ。 ………なんでこの時間に材料から買ってるんだ。さっき洗い物してたはずだよね。あれだけたくさんの料理を作ったのにまだ作るつもりなのかい?」 「き、厳しいなあセイバーが………。そんな凝ったものを作る予定はさすがに無いよ。それに出来たてのほうが美味しいじゃないか」 「テンカは彼らに甘すぎなんだ。まあリュウはいいよ。キャスターへやけに甘いのは私は気に入らないな」 並んで歩くセイバーがじろりと生暖かい目で俺をひと睨みした。そんな目で見ないでください。どうやら本能的に傍若無人な女性に弱いらしいのです、俺は。 「ま、まあまあ。それにセイバーだってまだ飲むんだろ?」 「酔った彼らが何かしでかさないか監視する必要があるからね。正直なところ、今こうして歩いている間も私たちが留守にしている我が家のことが少し気がかりだ」 「は、ははは………なら、俺には手を抜くほうが難しい。セイバーには美味しいと思ってほしいからさ」 レシピは既に頭の中にいくつか浮かんでいた。せっかくパーティの後なので余り物をフル活用だ。 余ったマッシュポテトを味を整えたりサラダの余りを混ぜたりして耐熱皿に敷き詰め、上からコンビーフ、チーズを重ねる。 胡椒をかけたらオーブンに突っ込んで5分ほど。チーズが溶けたら完成。これでなんちゃってグラタンの完成。 焼豚の残りがあったから豚平焼きを作ってもいい。溶き卵で包んで上からソースを塗るだけで完成だ。 カプレーゼなんてそれこそあっという間だ。既にカットされてあるトマトと既にカットされてあるモッツァレラチーズと余っているバジルの上からオリーブオイルをどばどばかけるだけ。 塩と胡椒で味を整えたら出来上がり。全てが手早く出来上がるものばかりだ。何も問題はない。 黙って説明を聞いていたセイバーは微妙な表情を浮かべて指摘した。
④ はにかみ、頬を赤らめながら棗は言う。そんな顔をされたら、俺だって平気じゃいられない。 その信頼に応えなければという気持ちになってくる。棗が安心できるように、俺はいつだって俺らしくいないと。 きっと俺の幸福の形も、棗みたいな姿をしているのだろうから。 「………そっか。そう言ってくれるなら、どうにか間違いをせずに済んだのかな、俺は」 「きっとね。だといいなあ、って思うかな、わたしは」 「ありがたい話だ。それにしても間違えていたら、か。あんまり怖い可能性は嫌だけど、棗じゃない棗はちょっと見てみたい気もするな。 髪染めてピアスとかして、黒尽くめのパンクな衣装をした不良っぽい棗も何処かにいたりして」 「あはは、ないない。絶対わたしそんな格好出来ないよー」 くすりと、サクラソウの花のようにゆったりと微笑んだ。 食器洗いを再開するとみるみるうちに片付いていった。二人がかりだし、単にいつもしていることの量が多いだけだ。 妙に満ち足りたふわふわした気分で皿を磨いていると、急に棗がぼそっと今気づいたかのように言った。 「あー、でもよく考えたら、そか、来年にはてんかくんいなくなっちゃうんだよね。幸せじゃなくなっちゃうなー」 「幸せじゃなくなるて、まあロンドンに行くからね………」 「わたしもついていっちゃおっかなぁ」 「え」 思わず横を向いて顔を見ると、稚気をその深い青色の瞳に浮かべた棗の顔がくしゃりと破顔した。悪戯っ子みたいに。 「結構本気だよ、てんかくん」 白い歯を見せて笑う棗がとても可愛らしく見えて、危うく俺は動揺のせいで手を滑らせて皿を落とすところだった。
③ 「なんだか棗にはいつも皿を洗わせている気がする………ごめんな」 「え?あっ………そかな。別にいいよ、わたしてんかくんと並んでお皿洗うの好きだし。………新婚さんみたいで」 「ごめん、最後の方が声小さくて聞こえなかったんだけど何か言った?」 「えと、なんでもないなんでもない。あっ、でも確かに今日は大変だよね、量あるし」 大皿をてきぱきと洗っていた棗は俺のぼやきを受けて妙に慌てた素振りで返事をした。 夕飯の後に棗はよく後片付けを手伝ってくれる。今日もその習慣は棗の中で変わらないようだった。 俺が空っぽになった皿をキッチンの流しへと運んでいると、すぐさま棗は駆け寄ってきて手伝ってくれた。ありがたい話だ。なんせ今日はいつもの量の比ではない。 いつものメンバーの5人分に加え、事前に来るという予告のあったランサーとライダーの2人分。更に案の定押し掛けてきた黒瀬先生とキャスターで、計9人分。 当然数多くの料理を盛り付けた大皿だって嵩む。ひとりで全部やっつけるには不可能ではないにしてもやや手間取る分量の洗い物だ。 ちなみに散々飲み食いした彼らはとっくの昔に二次会へと突入していた。リビングでは酒盃と共にライダーとキャスターが調達してきた山のようなつまみが食い荒らされている。 この中で飲めないのは俺と百合先輩と棗の学生組しかいないので残りは酒宴へ全員参加だ。しかしだというのに百合先輩は泡の出る飲料をぱかぱか開けている気がするな。 セイバーは最初加わらないという顔をしていたが先程キャスターの挑発に乗せられて酒飲みの渦へと巻き込まれていった。 ああ見えてセイバーはかなり飲める。きっと潰されるということはないだろう。これはセイバーに対する信頼なのだ。そういうことにしておく。 まあ今日はパーティである。無礼講というやつだ。どれだけどんちゃん騒ぎしようが近所迷惑にならない程度なら目を瞑るとしよう。 こういう席は滅法得意な流姉さんとノリが良いライダーが楽しげに騒いでいる声を背に聞きながら俺と棗は分担作業でてきぱきと皿を洗っていた。 「あー………そういえば、今日のメインディッシュ、凄く美味しかったよね。えと、大変だったんでしょ?」 「ターキーのこと?うん、あれはね………。もうちょっとオーブンの扱いに慣れなきゃいけないなってなったよ」 棗が泡塗れにした皿をシンクの中で流しながら俺は半笑いを浮かべた。 実際、大変だったのだ。いざ取り出してアルミホイルを除く段にあたって、百合先輩の「………これまだ焼けてないんじゃない?」という呟きが無ければ危なかった。 科学が全てを都合よく管理して料理を成功に導いてくれるまではまだもう少しかかるようだった。具体的にはあと10年といくらかほど。 とはいえ、結果的には上手くいったのは僥倖と言うべきだろう。テーブルの中央に焼き上がったターキーを運んだときの、見つめる全員が口にした感嘆の溜息が俺と百合先輩に与えた感動はちょっとしたものだ。 まるで苦境を共に乗り越えた戦士のように互いに見つめ合って微笑み頷き返した。それくらいターキーはよく出来ていた。 艷やかな飴色に焼き上がったターキーは素晴らしい出来栄えだった。聞くところによるとターキーの肉は量があるだけでぱさぱさとしていて決して美味しくはないと言うが、そんなことはない。 実際にナイフを入れ、切り分けたターキーのふっくらとした身の柔らかさ。大仰な見た目に反する淡い味わい。 肉汁と赤ワインを合わせて作ったグレイビーソースの甘酸っぱさも丁度いい出来栄えだった。これがまた肉に合うだけではなくマッシュポテトにかけてもびっくりするくらい美味しい。 おそらく調理法の勝利だろう。我々はターキーが課した試練に勝利したのだ。口にしたランサーが微笑んだだけでそれは確実だった。 ライダーだって「朝廷で振る舞われた山鳥のどれよりも美味だ」と言うからには並み居る英霊たちの舌をも満足させたに違いない。………平安時代の料理文化のレベルを俺は知らないけれど。 「あっ、でも本音を言うとね。ううんターキーも美味しかったんだけどね? 付け合わせの、スタンフィングだっけ。えーと、あれも美味しかったっていうか。その、あっちの方も美味しかったっていうか」 「分かる。ターキーの肉って淡白でソースをかけるの前提ってところあるもんな。それに比べると確かにあれは美味しかった………」 そう。これだけ肉も好評を得ておきながら最も評価が高かったのは百合先輩が自ら鍋を揺すったスタンフィングであったのだ。 まあ仕方ないと言えば仕方ない。ただでさえあれだけ肉の滋味を取り込んだスープで炊かれた米が香り高い野菜と強い旨味を持つターキーの内蔵の旨味さえ吸ったのだ。 モツ鍋の味を知る者ならば分かることだ。あの肉とその内臓たちの味わいを吸った野菜の美味を知るならば、それを米に置き換えたことでどうなるかなど想像するまでもないだろう。 当然ながら美味しいに決まっていた。満場一致でこれが一番美味い、とされたのも無理のないことである。 「………まあなんであれ、楽しんで貰えたなら良かったよ。あれこれと苦労した甲斐あった。 ねえ、棗。唐突かも知れないけどさ」 「ん?どしたの、てんかくん」 「今年はいろいろあったけどさ。俺、こうやって棗とこんな風に一緒にクリスマスを迎えられて良かったなって、本当にそう思うよ」 俺はそういう風につい口にしてしまった。そのくらい多くの出来事が俺たちの間を駆け抜けていった。 聖杯戦争があった。互いに殺し、殺し合う。そういう経験があった。 そこで紡がれる物語は決して喚び出された英霊たちの間だけに留まらず、俺たち生きている人間の間も駆け抜けていった。 百合先輩の過去を知った。棗の秘密を知った。他にも円だとか黒瀬先生だとか、その他多くの人々の事情も知った。そして俺自身の真実も明らかになった。 こうしてサーヴァントすら誰ひとりとして欠けずに全てが終結しているのは何らかの奇跡が働いた結果に違いない。そうとしか思えない。 本当ならあり得ざる未来の中に今俺たちはいるのかもしれない。………だとしても構わない。俺がいるのが今ここなのは、間違いないことだ。 皿に付着していた泡を流して水切り台に置いた俺は次の皿が差し出されないことに気付いて棗の方を見た。洗剤をつけて洗う役割を担っていたはずの棗は皿ではなく俺を見つめていた。静かに。透き通るように。 穏やかに優しく微笑むままに、俺が担った役割を肯定するかのように、棗は柔らかく唇を緩めていた。 「うん、そだね。わたしも、あー………うん。そんな気がしてる。 一歩間違えてたら取り返しのつかないことをしちゃってて、てんかくんと一緒にいられないようなことになってたかなぁ………って。 だから、えと、えへへ。今は結構、幸せな気がするなぁ、って。そういう気がするよ」
② 「冷蔵庫に入ってますよ。牛乳に漬けて臭みも除いておきました。どうするんです?」 「玉ねぎとかニンニクとかセロリとかの香味野菜と一緒に全部刻んで炒めるの。で、お米とスープを投入して炊くわけ。要するに炊き込みご飯だね。本場は乾燥させたパンを使ってオーブンで焼き上げるんだけど、やっぱり私たちはなんだかんだで日本人でしょ?」 「言わんとするところは分かります。それにオーブンはターキーで埋まりますしね」 「私の家のオーブンにはこのサイズのターキーさえ収まらないよ………。十影くんの家のオーブンが大きなサイズで良かった。まあ、本場はこんなサイズじゃないんだろうけど」 百合先輩が視線を落として我が家のオーブンを羨望の眼差しで見つめた。 キッチン周りは俺がここに住むにあたって改装されシステムキッチンへと変わっていたので割と新しいのである。 ここだけに留まらず、我が洋館は当時の流姉さんが何処からか業者を呼んできてあちこちに手を入れたのだ。その中でもこのキッチンに関してはかなり重宝していた。 それにしても後で明細を見せてもらったのだが信じられないほど低価格だった。あの人の人脈は今現在も謎に包まれている。 そうしている内に溶かし終わったバターへ百合先輩が塩、胡椒、タイム、セージ、ローズマリー、それに電子レンジで温めて潰したニンニクを入れてよく混ぜ合わせた。 胡椒の黒やハーブの緑がぷかぷかと浮かぶ謎の液体の完成である。百合先輩はそれを料理用の刷毛を使ってターキーの表面へ塗りたくっていった。親の仇みたいに執拗に、べったりと。 「バターを塗るだけで美味しそうな気がしてくるんだから不思議ですね」 「オリーブオイルでもいいんだけどね。今回はバターで行こうよ。こんなの焼く機会が次にあるか分からないけど」 「また焼きますよ。来年も。だからクリスマスにはロンドンから帰ってきてくださいね」 特に意識したわけではない。自然に出た言葉だった。 季節は12月。あちらの入学は9月だから5ヶ月以上のブランクがあるわけだけれども、その間も百合先輩は向こうで過ごすらしい。世にも珍しい五大元素使いとして早くも現地では注目されているんだそうだ。 俺は来年度の卒業と同時に百合先輩の後を追って時計塔に行くわけだけれど、それでも1年は皆と離れ離れということになる。 自分でも驚くほど素直に寂しいという気持ちが浮かんでいた。百合先輩はそういう風に思わせる人だった。俺の言葉を耳にした百合先輩は一瞬ぽかんと小さく唇を開いて呆けたが、すぐに───。 「………考えとく。ふふ」 くすりと、ペチュニアの花のようにゆったりと微笑んだ。 「まあ、その次の年には君は付き人として私と一緒にロンドンでクリスマスを過ごすんだけどね? 今日ほど料理をたくさん作らなくていいから、2年の間のトカゲくんの成長を是非見たいなー」 「し、修行しておきます。………それとトカゲじゃなくてトエイです」 なんて話をしている間に真っ白だったターキーの肉が黄金色の溶かしバターを纏って薄っすらと光沢を帯びるようになっていた。 ブライン液を作ったときの材料の余りを適当に内蔵の詰まっていた空洞へと放り込み、タコ糸と縫い針でしっかりと綴じる。首の穴も同様に。 百合先輩は更にタコ糸を抜き取り、手羽先や腿を縛ってターキーを成形していく。俺はその間にアルミホイルをカットしていた。ターキーが包めるくらい大きめに。 「さて………」 「はい………」 網の上に乗ったのは処理の終わったターキー。その上へヴェールを被せるようにアルミホイルで覆う。 準備の完了したターキーを前にして、またもや俺たちは腕組みして「ううン」と唸ってしまった。 「出来ちゃったね」 「出来ちゃいましたねぇ」 「後は焼くだけだね」 「焼くだけですねぇ」 やはり示し合わせもせず、銀色の包みとオーブンの間で視線を往復させてしまう。大丈夫なのか。焼けるのか。美味しく出来上がるのか。はっきり言って自信はない。 成否の鍵はオーブンの電子制御による加熱の調整具合が握っていた。魔術師にあるまじき堕落。最新………よりは数年遅れの科学に全てを委ねることになるのである。 慎重に網ごとターキーをオーブンへと近づけた俺は、蓋を開けて待っていた百合先輩の見守る中で祭壇へ供物を捧げる神官のように厳かにターキーを滑り込ませた。 蓋を閉じ、スイッチを入れる。薄ぼんやりとオーブン内で照らされるターキーを百合先輩とふたり、しゃがみ込んでじっと見つめた。 「美味しく出来るといいですね」 「手順は間違ってないはずだから大丈夫だと思うけどね………。あ、途中で出してアルミホイルを外してもう一度バターを塗ってね」 「分かりました。………さて」 やおら立ち上がった俺と百合先輩は、ゆっくりと振り返った。 クリスマスパーティである。俺と百合先輩に加えて、セイバーに棗に流姉さんといったいつものメンバーは勿論、ランサーやライダーといった普段は寄り付かないサーヴァントすら参加予定である。 なんなら呼んでいない客さえ想定される。現に俺と百合先輩の買い出し中、キャスターと遭遇した。あのチェシャ猫みたいな笑顔は絶対に来る気だぞ。黒瀬先生も連れて。 当然ながら、ターキー1羽を焼けばそれで全員分の胃を満たせるわけが無かった。 俺と百合先輩の視界の中で机の上の食材はまだ山のようにあった。百合先輩の目のハイライトが消えた。ような気がした。きっと俺の目のハイライトも消えただろう。 「………やろっか」 「やりますか………」 百合先輩は包丁を。俺は皮むき器を手にした。戦いのゴングが鳴る。古書店を畳んだら駆けつけるという棗の救援を待ってはいられない。 荒波へと船を進ませる漁師のような覚悟を胸に秘めて、俺はジャガイモを手に取った。横では百合先輩が包丁の腹でニンニクを叩き潰していた。
① 「さて」 「はい」 台所のふたりは示し合わせたわけでもなく腕組みして「ううン」と唸ってしまった。 まな板の上には普段調理している鶏肉がひよこに思えてくるような巨大な肉の塊が鎮座していた。 無論、鶏肉ではない。シチメンチョウ、即ち北米のお祝いの際の食べ物。ターキーである。目の前にすると凄い威圧感だ。これでも小さいサイズなのに。 「買っちゃったね」 「買っちゃいましたね」 妙な感慨に耽る俺と百合先輩である。クリスマスだしターキー焼こうぜ!と言い出したのは流姉さんなのだが例によって当人はいない。 わざわざ新都のデパートまで出向き、海外食品の取扱店で実際に見るターキーの大きさに首を傾げたのは俺たちなのだった。それが数日前のこと。 こうして冷蔵庫の中で解凍され、氷の塊から肉の塊になったターキーは不慣れな料理人たちへ重圧感を伴って伸し掛かろうとしていた。 「解凍したターキーはこれでもかと果物やらハーブやらを投入したブライン液に丸一日漬けてあります」 「流さんからバーボンを拝借して肉の臭み抜きや香り付けに用いるという案は成功のようですね」 「はい。ほのかに香るバーボンの香りが焼き上がりへ期待を感じさせますね」 何故かふたりとも敬語の説明口調だった。大きな肉を前にするとそれだけで何だかテンション上がってくるよな。 ちなみにブライン液というのは要するに塩水にあれこれ入れたものである。燻製するものを漬けたり、あと鶏の胸肉を焼く時も漬けておくとしっとりして美味しい。 「では試合開始です。実況は十影典河。解説は栗野百合さんです。よろしくおねがいします」 「よろしくおねがいします」 変なノリのままお互いにぺこりと一礼し、改めてターキーと向き合う。さて何処から手を付けたらいいんだ、これ。 「………俺、本当に取り扱うの初めてなんで頼りにしてますよ、先輩」 「私だって凄く久しぶりだよ十影くん。レシピ本なんて引っ張り出したのいつ以来か分からないもの。とにかく予習はしてきたから任せて。 とりあえずオーブンの予熱を入れつつ布巾で表面の水分を拭って。特にお腹の中は念入りにね。パックに一緒に入ってた首の肉はどうした?」 「先輩に言われた通り昨日の晩に香味野菜と一緒に炊いてスープを作っておきました。そこの鍋に入ってます」 「よし、じゃあ私はスタッフィングをどうにかするから十影くんはターキーの方をよろしく」 そう告げて百合先輩は鍋の中の様子を伺った。 俺はオーブンのスイッチを入れて200度に設定するとキッチンペーパーを数枚手に取り、ターキーのぶよぶよとした皮からせっせと拭き始める。 黙ったまま作業をするというのも味気ない。続いてお米の計量を始めた百合先輩へと俺は話しかけた。 「スタッフィングって、確か腹の中に入れる詰め物のことですよね」 「そう。でも今回は詰めない」 「………詰めないのに詰め物なんですか?」 「十影くんなら分かるでしょ。中に何も詰まってない状態で焼くのと詰め物でぱんぱんに膨らませた状態で焼くの、どっちが火が通りやすい?」 言うまでもない。余計な詰め物なんて入っていればそれだけ中まで火は通らない。 それにね、と流しで米と一緒にもち米を洗い出した百合先輩は言った。 「詰め物って生肉の部分へ直に触れているわけでしょう?食中毒のリスクがあるのが私は気がかりだな。 かといってきっちり火を通しすぎると今度は焼き過ぎになるし、詰め物が肉汁を吸っちゃって肉のほうがぱさぱさになっちゃうし。 だいたいターキーの味を吸い込ませるならこれだけでも十分だよ。そのために昨日から指示してたってわけ」 ちょんちょんと人差し指でターキーの首肉で作ったスープを百合先輩は指差した。 なるほど、道理だ。ただでさえ慣れていないんだからなるべく成功の確率は高い方がいい。 火が通るか通らないかというリスクを払うくらいなら別々に作るくらいが美味しく出来るだろう。 「入れるなら林檎とかレモンとか、あとハーブとか、ブライン液を作るときの余りを香り付けでちょっと入れるくらいがいいんだよ。あ、拭けた?」 「はい。お腹の中まですっかりと」 「それならバターを溶かして。あとニンニクも。混ぜるハーブとかスパイスは私が用意するから、お願い」 溶かしバターか。湯煎で作ってもいいが、電子レンジでやっつけてしまっても大した違いはない。 冷蔵庫から予め百合先輩の指揮のもとスーパーで買っていた無塩バターの塊を取り出し、適当な大きさに切って塊を電子レンジへと突っ込んだ。 さすがに普段使う量より多くて20秒程度では溶け切らない。さらに10秒追加。 その間に百合先輩がうちのキッチンのラックからひょいひょいとスパイスの瓶を抜き取っていく。最早勝手知ったる何とやらだ。 さすがに俺には及ばないだろうが、ひょっとしたら一緒に住んでいるセイバーより我が家の物の配置を熟知しているかもしれない。 「スタッフィングの方はいいんですか?」 「お米の給水の時間は必要だから研いだけど、ターキーの焼き上がりを考えれば手を付けるにはまだちょっと早いからね。心臓とか砂肝とかレバーとか、一緒に入ってた内蔵は解凍終わってる?」
オーガスタちゃんのページに置いてあるSSいいね好き リアリティともまた違うんだろうけどズレている感じがよく伝わってきた
「バーサーカー、聞こえますか?」 『おぉマスターよ、連絡がつくとは僥倖だ。余が消えぬ以上どこかで生きてはいると思っていたが』 よほどヴィルマさんから供給される魔力が潤沢らしい。バーサーカーの声はまだ随分余裕そうだ。 「……現在はセイバー陣営と停戦を結び、行動を共にしています」 『その点は余も把握している。セイバーとアーチャーには一切攻撃はしていないぞ。で、要件はなんだ?』 「ヴィルマさん、僕が代わります」 「バーサーカー。僕はセイバーのマスター、カノン・フォルケンマイヤーです」 「時間がないので手短に、―――あなたのマスターの身柄を預かっている。状況を迅速に終息させるため、協働をお願いします」 『―――ほう?あの小僧か?』 男の声色が変わった。少なくとも、マスターを抑えられたことに対する警戒は皆無のようだ。 『無論拒否しよう。停戦までは了承するが、余とお前は本来この聖杯戦争で争い合う立場にある』 『敵と馴れ合い、無闇に手の内を晒すことは本意ではない。それどころか互いにランサーとの潰し合いを企むやも知れぬ』 『陳腐な脅しは辞めろよ小僧。お前なら用意しているのだろう?本命の交渉の札が』 返答は拒否―――だがやはりこの男は、こちらの思考を読むことに長けているらしい。 人質が通じるとは思えない。ヴィルマさんの救出を優先しなかったのは自分達が探すと踏んでいたからだろうし、 協力を拒否する理由は後からどうとでも取り返す算段を整えているからに他ならない。 そして奴は、この札も想定済みだろう。 「―――ランサーの撃破にあたって、セイバーの真名及び宝具を開帳します」 『……ふむ。ここで切札を出すか』 遠慮は無い、一刻も早くこの状況を終わらせねばならないのだから。背中を撃たれようが、秘密を知られようが知ったことか。 『まぁ、あくまでカノン君のサーヴァントですのでお好きにどうぞ、ひとまずこちらも支援に戻りますね』 「こちらも異論はないわ。バーサーカー、我が一撃をしかと眼に焼き付けておきなさい」 セイバーの戦意に満ちた瞳を確認する。これでようやく、全員の足並みが揃った。 「対象は数を武器に攻め立てて来ていますが、個々の判断は本体のランサーに依存し、戦局の処理能力は低いものと推測されます」 「作戦はバーサーカーで前線を構築し、アーチャーの誘導によってランサーを誘い込む。そこを、セイバーの宝具で仕留めます」 市街の中から目印となる地点を選び、前線予定地と狙撃地点にそれぞれバーサーカーとアーチャーを配備させる。 そして自分たちは決戦の地へ、セイバーの歩みに合わせて移動を始めた。―――背中に抱えている負傷者も一緒だ。 「一応、護衛はします。もう少しだけ付き合ってください、ヴィルマさん」 「……わかったわ。ただ、抱え方はもう少し考えなさい」
「―――作戦開始。敵サーヴァント、ランサーを撃破します」
その姿は、青い雷光を辿れば確認できた。 太刀筋に沿って流れる稲妻が英霊兵の腕を、首を刎ねて荒れ狂う。そこでセイバーは周囲の敵を一掃し終えたようだ。 彼女は僕たちの姿に気づくと凛とした表情を変え、こちらへと歩み寄って来た。 「マスター!無事だったのね!」 「遅れてごめん、セイバー。状況は?」 「……見ての通り。脚が動かないのが不甲斐ないばかりだわ」 歯噛みする表情をセイバーは隠さない。 彼女とアーチャーの協働、そしてバーサーカーの介入を以ってしても、ここ一帯の市街全体まで戦火が広がってしまっていた。 それだけ、ランサーの攻勢は圧倒的だ。単体のサーヴァントとしては異質と言ってもいいが、それに是非を問う意味はない。 『カノン君と合流できたようですね。こっちは今、アーチャーと共に敵のマスターを追っています』 『……おや、随分珍しいものを拾って帰ってきましたね?』 「…………」 セイバーの肩から羽のついた小動物が顔を出した。確か、血を媒介にしたシズカさんの使い魔だったか。 どうやらランサー自体の撃破は困難として、魔力源たるマスターを確保する戦略に切り替えたようだ。 使い魔は視界も共有しているらしく、自分が抱えているヴィルマさんをじろりと一瞥し、彼女は無言を返していた。 「ランサーの本隊は?」 「今も侵攻中よ。思ったより脚が速くて防御に回る数も多い、まともにやり合うには手強い相手ね」 「バーサーカーとは連携できませんか?」 『全っ然ダメです。1番英霊兵の数を減らしてはいますが、完全にワンマンで動いてますよアレは』 ランサーの軍は数が多く、火力があり、それでいて軍勢としては烈火の如く素早い侵攻を見せる。 セイバーによる迎撃は回避されるし、アーチャーの狙撃も未だ有効打を与えられない。 そして唯一機動力と面の火力を持つバーサーカーは自身の判断で勝手に動き回る、それぞれの戦力が効率的に働いていない。 『そちらのフロイラインがもっと上手に指示してくれれば話が早いのですけどね?』 「……バーサーカーの運用について、私自身に口を挟む意図はありません」 「彼はアーネンエルベのサーヴァントで、私はその意向を伝えるまでのこと」 『この期に及んでそんな悠長な……そのアーネンエルベの意向とやらはいつ通達されるので?』 ヴィルマさん自身、バーサーカーの行動には一切干渉していない。 というより、これまでの邂逅では彼はアーネンエルベの指示にも従っているようには見えなかった。 シズカさんも不機嫌になってはいるが、最初からヴィルマさんが力になるとは期待していなかったようだ。 ―――だが、どの道このままでは状況は悪化するばかりだ。だったら、
地下壕の出口から顔を出すと、冷たい外気が肌を撫でると共に、街に似つかわしく無い焦げた臭気が鼻についた。 暗闇の中の伯林市街を照らすのは、人工のそれではない紅蓮の火の瞬きばかりだった。 英霊が、こんなことをやるのか。 SSの親玉みたいなマスターを引きずって現れたサーヴァント―――あいつはランサーと呼んでいたか、 それが英霊兵の軍勢を引き連れて無差別に襲いかかり、恐らくそれは今も止まっていない。まだ遠くから轟音が響いてくる。 「これからは?」 後ろから背負っているヴィルマさんが小声で話しかけてきた。 「セイバーの場所ならわかる。速やかに合流します」 左手に刻まれた令呪が熱を帯び、セイバーの存在を感じさせる。その方向の先に、彼女が戦う雷光が視認できた。 シズカさんもセイバーに同行しているか、通信の手段を彼女に残している筈だ。
暫し市街跡地を進むと、一人の人型と遭遇した。 セイバーではない。……あのずんぐりした形と首に巻き付いた黒い帯は、ランサーが連れてきた英霊兵の一体だ。 すぐに物陰に身を潜める。ただでさえ英霊兵に相手する装備は無いし、その上負傷者を抱えている状態で勝機は無い。 まずは英霊兵の様子を細かく観察しよう。動きの癖から隙を見ていけば安全に抜けれるか――― そこで、思考が途切れた。 「―――――――――」 そいつの左腕が、血塗れの上半身を引きずっていた。 そいつの右腕に、血塗れの銃剣が握られていた。 小銃のボルトを引く。初弾を装填し、あの兵士の頭部に向けて引き金を 「待ちなさい」 銃を握る僕の手に重ねるように、ヴィルマの手がそれを抑えた。 「あれは、もう死んでいるわ」 英霊兵に気づかれないように、口元を僕の耳に寄せて紡がれた言葉が突き刺さる。 銃を押し留める彼女の手は冷たく、押せば跳ね除けられる程に握力は弱い。けれども、銃はぴくりとも動かない。 いや、動かせない。彼女の言葉が正しいんだと僕の身体は確信している。 あれはただの死体で、何をしたところで戻って来るものじゃない。そんなことは分かっている。 サーヴァントも無しにこちらの存在を気取られたら結果は見えている。敵との距離が近いまま令呪で呼び戻すのもリスクは高い。 分かっている。 分かっている。 だけど、
ランサーの英霊兵の感知は鈍く、警戒の仕方は単純なものだ。そのまま息を潜めて、僕達は英霊兵のいる場所を迂回していった。 右手に、彼女の掌の冷たさを感じたまま。
「あ……あの、男の人と付き合うのって…どういう事をすればいいんでしょう?」 ルナティクス精神領域、水月砦にて、そんな疑問を放つ少女がいた。 「そんなの挟んで絞って骨抜きでしょ?紗矢ちゃん良い胸持ってるんだから」 「ちんちん踏み踏みして罵倒すると男性は骨抜きですよ~♪?」 「オイ誰かこのミス悪影響共埋め立てろ」 兎男(トム)が呆れながら両石閻霧とちゃんどら様が水月砦からログアウトさせた。 「ふむ……俺は色恋沙汰には疎いからな…オイ月宮、お前はどう思う? この中で唯一の社会人経験者だろ。なんか詳しいんじゃないのか?」 「恋愛ってのは要は男と女のマウントの取り合いだろ?」 「お前に聞いた俺が馬鹿だったよ」 霧六岡が呵々大笑しながら月宮玄をログアウトさせた。 「そもそもこの狂人共の坩堝で恋愛相談などするのが馬鹿だと思うがな俺は」 「だって……しょうがないじゃないですかぁ……。私恋愛なんて初めてで…。 そもそも自分を偽らず人と付き合うの事態久しぶりすぎてぇ……」 相談を持ち掛けた少女、慶田紗矢は頬を染めながら言った。
その後、紗矢は水月砦内を回ってみたが収穫はなかった。 石膏漬けにすれば良いだの、腱を千切ればいいだの、同化すればいいだのと話にならない。 途方に暮れていた所、一人の少女が彼女に対して勇気を出して声をかけた。 「あ……あの、私は……えっと、そのコーダさん? が好きになったのは、紗矢さん自身だと思う…から」 「変になんか取り繕わないで……自分のやりたい事、を、やればいいんじゃないかな……って」 要は、自分を信じろと、そうこの少女は言っているのだ。 それは奇しくも、紗矢の隣に立った少年のサーヴァントと同じ言葉だった。 「偉いぞ哉子。俺が言わずとも本質を突いたか」 背後から霧六岡が現れ、ニカリと笑いながら乱暴に少女の頭を撫でつつ言う。 「まぁ俺から言う事は正直なところ無い。先も言ったように、俺に色恋沙汰は皆無だからな」 「強いて言うなら、此れは他人の言葉だが、男女の付き合いは減点方式よりも加点方式の方が成功するぞ」 「ええっと……ありがとうございます」 ぶきっちょにも見える霧六岡のアドバイスに、紗矢は頭を下げて礼を言った
「まぁ何度でも来るがいい。迷う度に導いてくれよう」 そう笑いながら言う霧六岡に対して、紗矢はちょっと申し訳なさそうに言った。 「ああ…それなんですが、私……もうここ来れなくなっちゃうかも……です」 「ほう?」 「この場所…なんか以前に比べて、どんどん遠くになっているように感じて…だから……」 「なるほど。それは貴様の内の狂気が薄まった……、という事を意味するな!!」 ハッ!と声を上げて笑い、霧六岡は両手を叩いて喝采する。 「貴様は己が内側の渇望を解放せずとも良き領域(ぱらいぞ)に至ったのだ! その在り方を言祝ごう……ああ、祝詞(はれるや)を声高く謡ってやろう!! おめでとうナイトゴーント。いや、"慶田紗矢"!貴様は狂人ではなくなったのだ!」 しかし、と言い、霧六岡は拍手喝采を止めて続ける。 「また狂いたくなったら何時でも来い。我らルナティクス、去る者は追わず。来る者は引き摺り込む、故な」 「あはははは……それは、遠慮します」 慶田紗矢は不器用に笑いながら言った 「今の私には…此処よりも安心できる場所が、出来ましたから」
今年も、街道の方から聖歌が聞こえてくる。 11月11日、リメンブランス・デー。一度目の世界大戦が終わった日、英国では戦没者の追悼が行われる。 僕が生まれたのはその年から丁度10年、更に11年が過ぎた時、僕達を巻き込んだあの戦争が始まった。 二度の戦いは世間に大きな変化を強いた。大きな科学発展があったというが、その下であまりに多くの血を流した。 それでも小競り合いは続いて、科学の力で大国同士が睨み合う。平和とはつまり、戦争の小康状態に過ぎない。 そして、僕の戦いも続いていく。銃砲飛び交う中を抜けて、確かに英雄がいた"あの戦い"を超えて、 そして今は、この家と彼女のために、魔術という影の世界を生き抜く準備を進めているところだ。 まずは纏まった資金を。以前通った道を遡って東方へ、珍しい品や技術を回収する宝探しを計画している。 荷物を整理して、銃を整備して、サーベルを磨いて、それから。―――チョコレートが食べたい。 兵士として従軍した頃、10代だった僕らにとって厳しい訓練を癒す嗜好品は、煙草でなくチョコレートだった。 絶品とは些か言い難いが、それを喜び、実戦の前に祈りを込めて頬張っていた瞬間が確かにあった。 だからふと、この先も続く長い戦いのために、あの時よりもおいしいチョコレートに祈ろうと思い立った とりあえず家の人に手頃な菓子を用意してもらうとして……問題は、仕事詰めの彼女の方だ。 時間を作れるかはわからないけれど、そこは何とかして。一緒にお菓子を摘む時間を作って貰うとしようか。 この儚い平和を、幸せだと感じるために。
『"良い"11月の忘れられない日―――』 1111。伝統的に菓子業界の一角に動きがある。旧時代より続くポッキーのプロモーションだ。 仕事終わりにおまけで貰っていたポッキーを齧り、ニュースを見ていた端末に共に並ぶ自分とパーシヴァルの姿が映った。 日常を背景に場面が移り変わり、それぞれのシチュエーションでポッキーを口にして、そして――― 「――――――!!」 咄嗟に目を逸らした。CMが終わったのを熱い耳で聞きながら、恐る恐る画面に向き直る。 古くから続くポッキーのレガシーと説明は受けたものの、撮影時はもう心臓が飛び出しそうになっていた。 「いやぁ、まさか撮影の時の見せかけからこう仕上がるととは……」 それは隣のパーシヴァルも同感のようで、苦笑しながらも透き通った白い肌には明確に朱が差している。 CMは何度も流れる。今日は羞恥の洗礼を互いに受けながら、一緒にポッキーを食べて過ごしていた。のだが、 「その、パーシヴァル」 振り向かせた彼女の顔が、ポッキーを咥えた自分を見て静止した。 仕掛けた、というにはあまりに稚拙、勢い、といえばあまりに不誠実かもしれない。 それでも、跳ねる鼓動を押しながら、画面の中の二人の前で自らを差し出す。 ただ、この日を演技で終わらせたくなくて。
テンカ、ポッキーは好き? うん、ポッキー。買い出しの時に菓子も買っておこうと思ったら、今日安かったから買ってきたんだ。 そう、11月11日、ポッキーの日って。ここではそんな記念日があるんだね。テンカの分もあるから食べるといいよ。はい。 ……何って、ほら。はい、食べて。そう、そんな風に。はい、あーん。 ―――そ、そんなに拒まなくても……確かに変かもしれないけど、別にいいじゃないか。……あ。 ん、おいしい?……そうか、ならもう一本。はい。 ………………はい、あーん。 ―――――― ……その、さっきのは。 ごめん。えぇと、騙すつもりじゃ、なかったんだけれど。その。 あ、あの……どうしても、してみたくて……い、いやこれは、あぁぁぁぁぁ…… ―――嫌じゃ、なかった?そ、そうか。なら、うん。だったら…… ……ポッキー。まだ、あるよね。―――どうしようか?
ありがとうございます 適当に書くとくどい文になりがちな自分なので読みやすくできていたならよかったです がんばります
そうめんのようにするっと見られる読みやすさが一番強い印象 人に読んでもらう文章書く上でとても重要なのでこの調子で頑張って色々書いて欲しい
3話 更新した 30話はかかるなこりゃ 三人称視点も複数キャラ動かすのも戦闘描写も大変だったし味気なくなる 誰かは読んでくれてると信じて苦手なことを伸ばせると信じて書き続けます
アルヴィース・デュオ・ホーリーエイド
わし、結構大変なんじゃよ。これ。ずっとこの喋り方なのはもう慣れたが。必ず卒業させる都合上、常にブランドというものを維持せねばならん。 そのために必要なのが、ろくでなしを輩出しないことじゃ。今んところ悪名を轟かせおった奴はいない。必ず学内で徹底的に矯正する。非道を手段から目的にすげ替えてしまう奴は本当に多いからの。 まあわしは聖導術で生贄とか使っとるから言えるが、こういうことが悪いというのではない。無意味な行為に身を投じるなとも言わん。根源の否定などわしにもできんよ。 わしはまあ、諦めたといえば諦めているかも知らんな。俗世的な感性の方が素晴らしいと思ってしまった。簡単に言えば、魔術師らしい魔術師なんてこっからは出してやらん。絶対に理性の基準は常人のそれに仕立て上げる。 こんなことを言えるのは、わしが既に歪みきっているからではあるが。魔術師としても人としても。だが知識として教えることはできるんじゃよ。理想を語りそれを実現する。それはどんな外道にでもできる。だからそれをしているだけじゃな。 しかし。最近は少し危うい感じはあるの。わしも捻くれ者を拾ってきとるが。 まあ。どうにもならないなら消すかの。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 癌の膿
このクソ学園のいいところは、鍵をかけて眠れることだ。本当に、生きてるってのはそれだけで苦痛だ。死ぬことがそれ以上に苦痛だから避けてるだけだ。 だから寝る。安らかな睡眠と死は同一に近いと思っている。今までまともに寝れたことなんてなかったからな。ここは素直に恩恵に預かっている。 しかし睡眠の困ったところは、ずっと寝てられないことだ。死ぬことを永眠なんて言うらしいが、本当にそうなら永眠してみたいもんだ。 俺は別に死にたいとは思わない。生きてるだけで苦痛だろうが。 絶対に一人では死んでやらない。そう、あの時だって。全部ぶっ壊して価値ある死に方をしてやろうとしたんだ。なのに生き残った。悪運とはこのことだ。 もしかしたら、案外天寿を全うさせられるかもしれないな。それは別に面白くないが。眠るように死ねるというのが本当なら、一番心地いい睡眠になるかもしれない。 ああ、このクソ学園のよくないところだ。授業に出ないと仕置きを喰らう。流石に苦痛を喜ぶ趣味はない。さて、そろそろ行くか。 …気になるのは、前のガキ。自分が一番可哀想なんて顔してるのは人のことは言えないが。 単なる同族嫌悪だとしても。あれだけは不愉快だ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 家族王キング・アーサー
悲しい知らせだ。この『大騎士王とその大円卓、そして仲睦まじき大家族』に抵抗しようという集団が現れたらしい。みな私の家族となるべき存在。殺したいとは思わない。私がいる限り、すべての円卓の騎士は不死、そうだとしても、私自身が出向いて説得しなければ。 門をくぐり直接その集団の本陣へ向かう。大量のサーヴァント。私に対抗するため召喚されたのか。しかしそれはあくまで付き従う存在。敵の総大将は少年だった。 彼は言う。今の世界を壊さないでくれと。理解できなかった。私は不死と家族愛を伝えるだけの存在なのに。それで壊れる世界など、良いものとは言えないのではないか。 彼は言う。死は決して不要なものでない。敵意も同じだと。それがなくなれば世界は停滞してしまうと。それの何がいけないのだろう。幸せな状態で止まるのなら、とても素敵じゃないか。 問おう。永遠に成長しないことの何が悪いのか。 問おう。悲劇など、憎しみなど、なければ全てが幸せではないか。 問おう。そもそも目的を達成したら消えゆく私を、王の座から引きずり下ろすことになんの意味があるのか。 彼はそれでも意見を変えない。ならば。 問おう。我が聖剣に耐えられるか。
トリックス・ファイン&ミョールズ
「なあ、本当にスカートっての似合ってるか?」トリックスに聞く。何度目だっけ。 「自分が一番わかってるんじゃないの?」うぅ。自分への視線は悪いやつじゃないのはわかる。でもこのカッコ、スポーツやる時邪魔っちいんだよな。割と好きなのはその、否定しないけど。 「今考えてたこと、わかるよ。僕に任せな。先生から貰ってきてあげる。自分で行くのは恥ずかしいでしょ?」何もかもお見通しだ。大人しく従う。 それで貰ってきたのは、すごく短いスカート。上も袖がないやつ。 「チアリーディングって言うらしいよ。激しい動きをするための女装なんだって。」 女装にも色々種類があるんだなあ。先生はなんでも持ってるし知ってる。女装って言葉が男らしい行為なんだってのも教えてくれた。 とりあえず着替える。服を脱いで、持ってきてくれた方に着替える。トリックスが面白そうに見つめてる。 うっ。すごいすーすーする。でもこれは確かに動きやすそうだ。 「ありがとうトリックス!」 そう言って、グラウンドに向けて出て行く。 周りの目がいつもよりさらに変だ。うーん。わかんないなあ。 「さすがにあれは逮捕されそうじゃな。まあここでは捕まらんが。」 学長は呟く。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー バルベロ&バルベロ[オルタ]
全ての敵は消えた。私が死ねば聖杯の汚染は完全なものになる。そしてマスターはそれで願いを叶える。 私には力がない。それは自害する力がないことも意味している。マスターに頼むしかない。 「『私のための神話』。私を切り刻みなさい。粉々にしなさい。殺しなさい。」 全ては意のまま。躊躇いなくマスターは剣を向ける。 一度や二度切られただけじゃ消滅できないのが困り物だ。 激痛。激痛。激痛。激痛。痛みがなくなるまで切り刻まれても、まだ足りない。跡形もなく消し去る力が『私のための神話』には足りない。でも、いつかは消えれるのだから。聖杯を汚染できるのだから。この酷い世界を破壊できるのだから。 ようやく意識が消えてきた。歓喜に叫びたいところだけど、もう喉はない。ああ、さようなら。 そうして神の不在は達成される。ゆっくりと着実に浸透する。そうしてそれは世界を満たす。嘆きが世界を覆う。ーーーー母性愛、発現。 私は真に目覚めた。わかる。この世界は私を求めている。再び救世の聖母となれる。救おう。全ての人を高次へと。誘おう。全ての人を真なる世界へと。 だってもう、偽りの神は信じられていないのだから。永遠のアイオーンの救いを。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 永絶闘争螺旋 ファイロジュラシック
一撃目。一斉掃射。万を超える軍勢が巨大な竜に群がる。並の幻想種なら百万回は殺せるだけ殴った。傷は見えなかった。 ニ撃目。武器を変えて即座に追撃。相変わらず傷はつかない。バハムートがこちらに気付いた。 三撃目。半数は吹き飛ばされた。胃酸の濁流を避けきれなかった。でもまだこちらは終わっていない。 四撃目。あと何度、何年。その先にこいつを討ち斃せる?そんな疑問は沸いてきた。 最早残りは1000人ほど。しかし精鋭。必ず、いつか。 五撃目。わずかに傷が見えた気がした。即座に塞がった。必死に逃げる。最早目的は生き延びることにすげかわっていた。 六撃目。そんなものはない。頼む。逃げさせてくれ。もう俺だけじゃないか。見逃してくれてもいいじゃないか。声を荒げた。聞くはずのない敵に問う。お前は何がしたいんだと。答え代わりに、胃酸が飛んできた。
我は神を踏みにじらねばならない。神の似姿が許されるはずがない。ここに必要なのは純粋なる生態系。さあ、何度でも滅してやろう。
一撃目。死力を振るう。きっといつか、我々の先に。何万回蹴散らされても。先人に敬意を払い、死へと身を投じる。無駄ではないと、信じているから。戦い続ける。
ケルベロスではない&泥新宿のムーンキャンサー
喰らう。生きるために。それが今までの連鎖。我々の宿命。人を喰らい。人に狩られる。それをどちらかが果てるまで続ける。 新宿に降り立った三つ首の魔犬。それぞれの幻霊は、純粋に生きようとしたものたち。そして絶やされたものたち。 追い立てる。狼の群れを指揮し、人を分断する。取り残されたご馳走を噛みちぎる。それを繰り返す。繰り返すうちに、敵は団結する。当然だ。こちらも群れが増えてゆく。これも当然。 「やあ、君も動物だね。一緒だね。」 不意に小さな兎が飛び出してきた。サーヴァント。餌としては上等だ。 「見てられないから。人が死んでいくのは。恨みはないけど、止めてもらうよ。宝具展開。『幻想映す表面世界』。」 そうして辺りは一変する。いつのまにか、敵は様々の幻想と、巨大な蟹。それだけになっていた。 高らかに吠える。全ての狼を呼ぶ。数はこちらが上。あの巨大な奴をどう調理するか。何度やり直しても、絶対に喰らい尽くす。 「さて。僕を殺せば結界は解ける。でもそうはさせないよ。」 そう兎がほざく。言われなくとも。真っ向から全てを喰らってやる。 あれだけの大きさなら食い扶持がありそうだ。 狼は、あくまで全てを喰らうだけ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ショート・ショート
「ああ!マスター!あなたも死んでしまうのですか!もう少しで答えが見えそうだったのに!」 俺のサーヴァント、ディエティは大層大袈裟に悲しむふりをして見せる。お前が使えないのが悪いんだろうが。 ペラペラペラペラ喋るだけ。おかげで俺は一人で戦わされ、瀕死の重症だ。 「うるさい。…それより。話を聞かせろ。」 ひとつだけこいつには取り柄があった。小咄がうまい。どうせ死ぬなら、最後に笑いながら死にたいじゃないか。そうしたら。 「ああ!こんな!死の直前でも!だからこそ!ショート・ショートを求めるのですね!ありがとうございますマスター。『もう少し』に到達しました!」 何を言っているのかわからない。ディエティは突然天高く舞い上がった。声が聞こえる。 「世界中の皆様に問いましょう!これは小咄ですが、ジョークではありません!あなた方の願いを一つだけ!叶えて差し上げましょう!」 なんだこいつは。そんなことができるなら。聖杯を争っていた俺はなんだったんだ。 「ただしひとつです!良いですか?忘れてはいけない存在も、ありますからね?『みんなの願い』。」 まもなく人類は消滅した。 「『新星の一』!」 すぐ世界は馬鹿げた。傑作だ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 癌の膿&オルドー・レイジュール
癌の膿。ジジイには適当に名乗ってやった。対案は忘れてやった。ゴミクズの俺に相応しい名前だ。 「あの、あなたが新しい人ですか?」 両目が色違いの片眼鏡をつけたチビが話しかけてきた。俺でも魔眼くらい知ってる。その類なら、生まれながらに恵まれてやがる。無視しよう。 「えっと、わたしはオルドーです。先生に貰った名前なんですけど。あなたは?」 あのジジイの名付けをありがたがる。哀れだな。きっと何も知らない時に連れてこられたんだろう。だから名乗り返してやった。癌の膿だと。 「…それは、よくない、です。」 ガキのくせに。俺はクソ両親に何か言うことすら許されなかったのに。思い出させやがって。 「お前よりマシだ。」 そう言ってしまえ。適当に誤魔化してやれ。そうしたらそいつは眼鏡を外しやがった。魔眼を使い出したんだ。苦しそうに息を切らす。何がしたいんだ。 「あなたの、身体。ぼろぼろです。でも、ここならきっと生きていけます。わたしも助けます!」 ニコニコしだした。訳がわからない。生きていくなんて、死ぬ理由がないからやるだけのことだ。まあガキにはわかるまい。 「皆に紹介しますね!」 こうやって、俺は無理矢理飲み込まれた。
「はあ。まあ楽ではないのう。」 アルケディア・アカデミアのプロフェッサーを名乗る、少年のような見た目の男性。いや、正確には"異面"の魔女。アルヴィース・デュオ・ホーリーエイドはため息をついた。 このアカデミア全域を常に監視し、問題が起これば即座に対処。素敵な場面があれば注目する。それを一人の頭で同時に行う。当然眠ることなどできない。睡眠は"無法地帯"時に纏めて取る。しかしそれでも、アルヴィースにはアカデミアを経営したい理由があった。 「まあ、当然男の子の仲睦まじいのが見たいのはあるがな。」 そう言って隠す中に、精神面の教導という目的がひとつ。長き時を生きて、能力だけ研ぎ澄ませた信念もないろくでなしをたくさん見てきた。 魔術師は非道を許す存在だとしても。その精神は真っ当であってもいいのではないか。アルヴィースはそう考える。 どこかで折り合いは必要だろう。それは外で学べる。だから、ここでは理不尽な悪から幼い子供を守りたい。その信念は確かにあった。 「さてと。そろそろ授業じゃな。真っ当に生きれないことの辛さなど、学ぶのはわしだけでいい。」 そうして。歪んだ魔女は席を立つ。歪みを生まないために。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 双星のグレートマザー(レートー)
わたしは、このこたちをうむの。それしか、おぼえてないから。 幼い少女が何処かに現れた。彼女の腹部は膨らんでいて、誰もが哀れみ避けた。 一日目。彼女は野犬に襲われた。こどもたちをまもらなければ。必死で街へ逃げ、自然の脅威から身を守る。 二日目。彼女は街で暴行を受けた。異常性愛者ぐらいしか、彼女を受け入れる者はいなかったから。 三日目。私は彼女を見つけた。暴行を受けながら笑みを絶やさない彼女に恐ろしさは感じた。しかし助けないわけにはいかなかった。 四日目。私はそれから彼女を背負い、守るための旅に出た。きっと子供が生まれれば、彼女は普通の少女に見える。そう信じて。 五日目。親子には見えないらしい。どこに行っても私ごと不気味な目で見られた。 六日目。なんとか、誰も住んでいない小屋を見つけた。ここでやり過ごせないだろうか。そう思った時、偶然にも街は大火事に包まれた。 七日目。この街は、崩壊した。必死に生き延びた。彼女は相変わらず、嬉しそうに笑っている。少し不気味に思った。 八日目。この少女は異常だった。明らかに産み落とすべきでないものを産み落とそうとしている。手を下せるのは、私だけ。 九日目。私はーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー オスカル(モザイク市)
「マスター。この世界は理解したわ。とりあえず、探すわよ。」 何を?とりあえずそろそろ私もサーヴァントを呼ぶか、そう思ったから呼んだら出てきたのは、とても綺麗な女の子。…みたいな男の人。 「決まっている。当然いるでしょうね。ディルムッド・オディナ。フィン・マックール。彼らが英霊でないなんてあり得ない。」 私のサーヴァント、オスカル。どうも生前の知人に未練があるみたい。 「えーと、天王寺の中を探せばいい?」とりあえずそれだけでもかなりしんどいんだけど。 「そこにいるなら。それでいいわ。」彼はそう返すけど、それっていなかったら梅田とかまでいかなきゃいけないんじゃ…。そうしてとりあえず外へ出る。…彼に抱っこされて。 「この方が速いわ。手放さないから、安心しなさい。」うーん。男の人に抱っこされるなんて初めてなんだけど。 目まぐるしく視界が動く。全部を見渡したみたい。サーヴァントってさすがだな。 「いないわね。次、行くわよ。」そう言って彼は次の階層へ。全部見て回るのは無理だと思う。 「ねえ、なんでそんなにその人たちに会いたいの?」ふとそう聞いたら。 「私の夢が叶うから。」 なんだか、すごく寂しそうに言った。
プロローグ 1話 2話 自分もうまばかのオーソドックスな聖杯戦争SSを便乗して宣伝 放置してるけどそろそろ続き書きます このままいくと20話くらいいきそうでいつ終わるんだ 俺の長所?もおしえてくれーとりあえず戦闘描写は苦手だぞー
読ませていただきましたー月並みですが感想を 原典がうまく織り交ぜられてるのがいいなーと思いましたこういう資料必須なものはとりあえず自分には書けないのですごいと思いました あと戦闘描写が交互に視点が入れ替わってるのに読みやすくて格好良くて良いなと思いました ここら辺はぼくにはとてもできない
Knightmare_1/2 Knightmare_2/2 なんと傲慢なのだろうと思いますがSSから自身の傾向長所や今後注力したら良さそうな点を評価していただけると心の支えになってありがたいです まずもっとたくさん書かないと…
「───衰えたかなぁ。」
銃が重い……。手の内に握った鋼鉄をちらりと見遣る。 それが僅かな間隙となっていたことに、クリスタは気付かなかった。背後に駆け寄って来ていた足音が聞こえ、振り向いた時には、既に四ツもの自動小銃の銃口が此方に向いていて───
「(やば────)」
普段なら、こんな事無いのに。どうして? 長く人を殺してきた経験からクリスタは、気付けば自身が絶命の危機に晒されている状況そのものに驚愕した。 眼前の男たちが、引き金に指を掛けている。当らない事を祈らねば、先ず当る。この場の誰よりも彼女が理解していたからこそ、彼女は────僅かに身動いだ。 同時に、彼女の脳内に、雷の様な思考が飛び去っていった。
─────何で。 ─────死ぬのが、怖いのか?
自身に向けられた銃口からマズル・フラッシュが焚かれる迄の刹那。クリスタが虚無に満ちた瞳を見開いた、その時─── すべての銃口の位置が、不意に下がっていった。
「……?」
否。目の前の男たちが銃を「取り落としたのだ」と、クリスタは瞬時に気が付いた。 有り得ない。『青の夜更』ほどでは無いにせよ、彼等も相当の手練れのはずだ。 死体が瞬時に三ツ生産されている場面を目の当たりにしたところで怯む様な胆力を備えている様では、対外特殊部隊(スペツナズ)など到底つとまりはしない。 何故───疑問への答えを探す内、クリスタは気付いた。見辛かったが───彼女と兵士の間に小さく立ち塞がって、何やら呪文を唱えている、暗く儚げな女の姿に───
女の用いたのは簡略的な魅了(チャーム)だった。たかが一小節(シングルアクション)の魔術。魔術師に使えば即座に掻き消されるだけのもの。 だが眼前の敵は、違う。何も知らぬ兵卒だ。現に少し魔力に充てただけで、放心状態になっているのだから───
クリスタの背後に迫る存在に気付いた瞬間、女の身体は動いていた。……何故かは解らない。 だが、ヴィルマは現に成功していた。クリスタの背中を撃たんと謀ったこの不届き者達を、無力化することに……。
「やるじゃん。いい子にしててって言ったのに。」
クリスタは見開いた眼を、いつもの眠たそうな暗い瞳に戻して、相も変わらぬ暢気な調子でヴィルマに告げる。
「御免なさいね。……生憎、護られるだけの女じゃないの。」
ヴィルマもまた、いつもの不幸に満ちたような暗い瞳で以って、相も変わらぬ不満げな調子でクリスタに返す。
「へー、じゃもう僕いらないね。」 「解雇した覚えは無いのだけど。」
二人が僅かに言葉を交わす間に、残る影から足音が近づいてくるのを察知し、クリスタが身構える。 それに合わせる様に身構えて、ヴィルマは静かに、クリスタの隣に立った。 クリスタは困った様に隣の女を一瞥して、いつもと変わらない、気楽そうな声色で、ヴィルマに言った。
「……じゃ、三十一回目も生き残ろうか。出てきても良いけど、足手まといなら見捨てるよ?」 「あなたこそ。勝手に死ぬのは許さないわ。」 「ひゅー。言うようになったじゃん。」
─────
彼と別れて数分。少し歩いただけで、空模様はまたバケツをひっくり返した様な豪雨になっていた。不安定な気候……。やはり予報など信用ならない。
熱いのは慣れっこだが、冷たいのはそんなに慣れていない。ようやく、一人で暮らしているアパートのすぐ前まで辿り着いた。
エントランスに入りがけ、雨でぼやけた道の向こうから、何やら見覚えのある人影が近づいて来るのが見えるや否や、向こうから声を掛けてきた。
『……あ!ステラちゃんだ~!……あれ、傘持ってないの?ビショビショじゃない。』
「……ナンシーさん」
『連れないわねー。ナナで良いのに。』
ナンシー・ディッセンバー……彼女にとり数少ない、名前を覚えている女性だった。
自分と同じ、聖堂教会からこの街へ派遣されて来た、ニルエーラ聖彩騎士団(総勢一名)の団長……。
様々な異名をとる誉れ高い聖騎士(パラディン)というが、管轄が異なるのであまり良く知っているわけではない。
一方でひとたび挨拶に行って以来、やたらと自分に絡んでくる様になった。色々な面で謎の多い女性だった。
『傘入る?大変でしょ。』
「いえ、結構です。住んでるの、ここなので。」
『へぇ?。いいこと聞いちゃった。』
今度遊びに行っちゃお、などとはしゃぎ始めたナナを見て、彼女は内心で失敗した、と思った。
せめて部屋番は秘密にしておかなければ。いつインターホンを鳴らされるか分かったものではない。
『せっかくだし、軽く拭いたげよっか。こっちこっち。』
言うが早いかナナはエントランスに入って来て、タオルを持ち出し、凄い勢いで手招きをして来る。
……現に寒いし、部屋の玄関には拭くものもない。廊下が水浸しにする事もないし、厚意を無碍にする理由はないだろう。
近寄ると、すぐさまタオルを上から被せられた。力強く、しかし繊細な手付きで、髪から身体まで水分が落とされて行く。
しばし身を任せながら、彼女はナナについて思考していた。相変わらず、この人のことはよく分からない。何が楽しくて自分に構うのだろうか?
魔との混血。それは聖堂教会の討伐対象ではないが、さりとて忌まれる存在に変わりはない。夢魔の血が入っている彼女は、表立って排斥された事こそないが、それでも水面下では少なからぬ反感にさらされてきたのは事実だ。
だからこそ、何ひとつ隔壁なく好意的に振る舞い、そのように自分に接してくる教会の人間など、彼女にとっては珍しく感じるものだった。
そういった在り方も含めて、評判通り、色々と規格外な人物なのだろう。いつも一緒のお付きの人には同情を禁じ得ない。
タオル越しにしきりに頬を撫でられ、思考を中断されながらもそんな事を考えていると、不意に手が止まった。
『はい、こんなものでしょ。でもほんとにずぶ濡れねー。上から下まで透けちゃって。可愛いんだから、少しは気にしないと』
タオルが外される。指摘されて初めて、彼女は自分の身体に目をやった。
見れば肌に張り付いたブラウス越しに、薄ピンク色の下着と、白く透き通る様な、しかし僅かに紅く彩られた、生気に満ちた肌色までがはっきりと透けて見えて居る。
彼女はそれに気付いても大した動揺を見せることなく、ずぶ濡れのスカートの裾をおもむろに絞り始めた。
「……え?あ、本当だ。ん、気を付けないとですね。……わたしの身体なんて、見てもいい気分にならない。」
『そう思ってるの?アタシはとっても嬉しいけど~?』
「えぇ……?」
『もっと自分に自信を持っていいのよー?それだけのものは持ってるんだし。ね?』
「……はぁ」
『じゃ、アタシ用事あるから。またね~!』
そう告げて、彼女は嵐の様に過ぎ去って行った。……最初から最後まで、よく分からない人だった。
彼女と別れた後は、何事もなく自室に帰ってくる。びしょびしょの制服を絞り、濡れた下着を脱ぎ、洗濯機に入れながら、ふと帰り道のことを思い出す。
支くんにも、わたしの身体を見られていたのだろうか。
……だとしたら、どう思われていたのだろう?
そんな他愛もない考えを抱きながら、一人、浴室に入って行った。
傘はさして大きいわけでもなく、思ったよりも狭く感じた。暗い空の下で歩くうち、外界の雨は一段と強まりつつある。
傘の下の暗く閉塞した空間には、ただこもった水音と、すぐ上で跳ねる雨粒が弾ける音ばかりが聞こえている。
手に持ったバッグになお雨粒が掛かる事に気付き、身体を少し彼の方に寄せる。それまで腕が触れていた程度だったのが、肩と肩、腰と腰まで接触する程の距離に縮んだ。
十分すぎるほど雨に濡れたブラウスやスカートは、もはや彼女の身体に完全に張り付いている。それが彼に触れる度、その制服までもを濡らしてしまっていた。
これは、思った以上に窮屈だ。ここまで近いと互いの息遣いまで聴こえて来る。
歩き始めてすぐはぽつぽつとあった会話も既に無く、彼は黙り込んでしまっていた。ちらと見れば若干自分から目を逸らしている様だった。
……濡れるのを嫌がっているのだろう。思えば彼は普段から、制服をきっちりと着こなしている。彼女はつぶやく様に言った。
「……悪いね」
『え。……何がですか?』
「わたしの服、濡れてるから。……あなたのまで濡れちゃって。」
『あ、ああ。……いや、そんな大した事じゃ無いですよ……。』
どうも歯切れが悪い。彼の様子を測りかね、隣から少し身を乗り出す。彼女はその翠玉に輝く双眸をもって彼の表情をしばし覗き込み、その心境を見定めにかかる。
視線が合う。外れる。視線が合う。外れる。……およそ10秒ほど凝視する中で、彼女は彼に現れている、ある異変に気が付くことが出来た。
それとほぼ同時に、彼の方からどこか気不味そうに、控えめな質問が上がる。
『先輩、その……何です?』
「……支くん」
『はい』
じとっとした緑の目で彼の瞳をまっすぐ見つめながら、彼女は真に迫った声色で言った。
「……もしかして、風邪?凄く顔が赤いけど。」
『え?!いや、これは……。』
普段感情の起伏が乏しい彼には珍しく、一瞬たじろいだ様子を見せ、頬に手を当てる。図星か。
彼の額に指先を当てる。心なしか熱くなっている様に感じた。
「やっぱり。ちゃんと体調管理はしなさい。倒れられでもしたら困るんだから。」
『……そういう事にしときます』
その後は、彼の様子を案じながら暫く歩き続け、細い分岐の近くで立ち止まる。
共に立ち止まった彼に向き直り、道の向こうへ指を差して言った。
「じゃ、わたし、こっちだから。」
『そうですか……。お疲れ様です。』
「お大事に。」
『……。……どうも。先輩も気を付けてください。』
そう告げて傘から出る。雨足は一時的に弱まった様だ。まだまだ降っているものの、雲間からは光が差し込んでいるところも見える。
立ち去ろうとした彼に向けて振り返り、彼女はふと、声を上げた。
「支くん」
彼が振り返る。薄紅の瞳をまた見つめ、彼女は小さく、呟く様に言った。
「傘、ありがと。」
「……嬉しかった。」
雨に打たれ、雲間の光に照らされながら別れを告げる。
彼女の顔には、知ってか知らずか──大輪に咲く華の様に、柔らかく、暖かな微笑みが浮かんでいた。
─────
廃墟のすぐ近く、茂みに隠したバッグを取り、表通りに出る。幸か不幸か、底の方は多少濡れているが、教科書は無事な範囲だろう。
……そう言えば、傘を持っていない。普段から持ち歩いていないし、持って来ることもなかった。
別に濡れる事自体は気になどしないが、やはり面倒くさい。そう思いつつ、そのまま帰ろうと踵を返した瞬間、彼女を呼び止める声があった。
『……あれ、ステラ先輩?』
自分をその様に呼ぶのは、数人しか心当たりが無い。振り返ると、傘の下に見知った顔があった。
それは彼女がこの街で拠点とする学校の生徒。企図せずよく話すようになった、一つ下の後輩だった。
「支くん」
それなりに降っている雨粒の中で、平然と歩いている彼女を怪訝に思ったのだろう。
彼は彼女の姿を上から下まで見た後、少し気まずそうに目を逸らしながら、彼は質問を投げ掛ける。
『どうしたんですか?傘も差さないで……』
「……ああ。傘、持ってきてないから。」
『えっ。予報で言ってましたよ、16時からどしゃ降りだって。』
「うち、まだ新聞取ってないし。」
『……テレビは?』
「あの箱?ないよ。」
『……。』
彼は分厚く空にかかった暗雲を、傘の下から一瞥する様子を見せた。彼女もそれに合わせて上を向く。見れば、空の色はつい数分前より濃い灰に代わっていた。
……なるほど、確かにこのままでは土砂降りになるだろう。
「ほんとに強まりそうね。急いで帰らないと。……じゃ。」
『あ……待ってください。』
再び歩き出そうとした時、彼はまた彼女を呼び止めた。彼女は背けかけた首を戻し、続きを言いよどむ彼の顔を、端正で小さな顔に嵌められた、輝く緑の瞳でもって不思議そうに覗き込む。
数拍ののち、彼は手に持った傘をやおら彼女に突き出しながら言った。
『あの……良ければ、入りますか?』
「傘?良いの。」
『はい。先輩なら……』
何が自分ならなのかは分からないが、教科書が濡れるのはまずい。……断る理由はないか。
「……じゃ、入れて。」
濡れた金の短髪をかき上げながら、軽く首を下げ、傘を持つ彼の左隣に入った。
学校帰りの服装のままに、廃ビルを駆け上がる。
時刻は午後四時。外を降りはじめた雨も気にすることはない。腐りかけの階段を飛び、古びた床材を蹴るたびに上がる黴臭い煙が鼻を突く。
近い。近付いてくる。上から漂ってくる、異常な香りに少し眉をひそめる。それは幾度と無く嗅いできた、そして忘れ得ぬ、ぞっとするような感触。
血の匂い。腐った肉の匂い。───死の匂いだ。
最も匂いの強いフロアが見えて来る。此処だ。頭を出すより先に左手の聖書を開き、右手に刃を充填する。
階段を上りきった瞬間、大部屋の中に四本の黒鍵を投擲し、室内に飛び込む。──残骸。そこには誰もおらず、代わりに、誰のものとも知れぬ人骨とそれに付着した肉がおぞましい腐臭を上げ、床に飛び散った大量の血液が、凄惨な朱色の絵画を描いていた。
申し訳程度に設えられた机の上に乗ったそれが、死徒の低俗な趣向による"食事"の犠牲者であったことは疑いようもない。
この街には紛れもなく、まつろわぬ者どもが跳梁跋扈している……眼前の光景を前に彼女は、実感としてそれを認識した。
「……遅かった」
ここを拠点としていた死徒は既に去ったらしい。天井に空いた大穴はビルの最上階まで達しており、光が差し込んでいる。周辺の瓦礫はさして古くなく、建物自体がつい最近、老朽化によって日光を遮れなくなったのだろう。
注意深く周囲を警戒しながら、人骨に相対する。それは対して食いもせず放置された下半身であり、酷く変色した肉には蛆がわいていた。
無残にも奪われた命に十字を切り、教会に連絡を取る。遺体は彼らが回収し、しかるべき処置ののち葬送されるだろう。
用の無くなった廃ビルを足早に後にする。
死徒の殺しに、基本的に道理は無い。人間はそこを歩いていたために、そこにいたために殺される。そこには正気も狂気もなく、沙汰の外なのだ。人間の法など通用しない。
だからこそ──彼らは、人間が、人間として滅ぼさなければならないのだ。
降りしきる雨に濡れながら、灰色の空を睨む。この街にはどれだけの死徒が潜んでいるのだろうか?検討すら付かない。
此処はあの男が、祖が滅びた街。ここは今やその『空座』を埋めるための饗宴の会場なのだ。世界中から死徒が訪れる博覧会の様に。
「『空座』なんていい名前。ただの血吸い虫のくせに」
「生きてても奪って、死んでからも奪うのね。……おまえは」
冷たい雨が頬を撫でる。高い空を望む深緑の瞳のうちには、ただならぬ決意が宿っていた。
「支さん、あなたはまだ分かっていません。あのぐうたらぽやぽや自制心ゼロの歩くゴジラがいかに制御不能か」
フラムは目の前のパフェをもりもり片付けながらぷりぷりと怒るという器用な真似を行っていた。
支はコーヒーで唇を湿らせながら、たいていの女性は甘いものが好きというのは本当なのだなと益体もないことを考えていた。
「ゴジラは歩くんじゃないかな」
「そういうことではないのです!平気で何処でも煙草をぷかぷかやる!どんな時間でも酒を飲む!
この街にやってきてふらりといなくなったと慌てたら何をしていたと思いますか!
あのじゃらじゃらと雷鳴もかくやという騒音を発する遊興施設で遊戯に耽っているんですよ!
初日ですよ初日!なにが『わぁいお菓子もらえた!フラムちゃんにあーげるっ♡』ですか!
日本は困った国です!あの飢えたシロナガスクジラには誘惑が多すぎます!
…まあ基本的にどの国でも似たようなことをするのですが!
あああ思い出しただけで腹が立ってきました!あの××××頭あーぱー芸術家気取りめぇ…!」
聖職者なら口にしてはいけない汚い罵倒が混じっていた気がするが、聞き流す勇気が支にはあった。
「よくまあ、あれだけの暴力の世話を焼けるね。ナナさんとは長いの?」
どうもこれ以上は良くない。何かこう、噴出してはいけないものが噴出する気がする。
話題を支流へとズラすと、フラムはふむと呟いた。
「それはニ、三年を長いかどうか考えることになりますね。。
なんせナナ様はあのような方ですから私以外は長続きしなかったんです。
今のところは私が最長記録ということになりますから、比較的では長いのではないでしょうか」
なるほど、と支は相槌を打った。
納得は出来る。ナナは騎士どころか人間としても破天荒の類だ。
まるで都会に馴染んだ野生の生き物のような、適応しているのに異質という矛盾が彼女にはあった。
あ、でも、とフラムがパフェの中の白玉を匙で掬いながら言った。
「あんな方ですが、聖堂教会では最も誉れ高き聖堂騎士としてきちんと称えられているんですよ」
「…悪いけれどいまいち信じがたい話だ。素人目に見ても素行不良の女性なのに」
「確かに振る舞いについては敬虔な信徒失格というのは大いに賛同しますが…」
あはは、と苦笑いを浮かべたフラムだったが、次に浮かべた微笑みはそれとはまた違うものだった。
「あの方はどのような戦場であっても真っ先に先陣を切り、最も遅く戦場から帰るからです」
「…」
「性格が違うものなので優劣をつけられるわけではないのですが…。
代行者の聖務と違い、聖堂騎士の戦場とは基本的に“手遅れ”です。
既に状況は最悪のケースへと至ってしまったもの。死徒によって地獄に変えられてしまった地が彼らの戦場です。
主の光を再びその地へと取り戻すため、多数の聖堂騎士が投入され、殉教者は少なくありません。
その死地へナナ様は最も早く討ち入り、最も多くの死徒を滅し、殉教者の遺体が収容されるまで最も長く戦場に留まり続ける。
故に多くの信徒から敬意を集め、あれぞ主の威光が似姿、『虹霓騎士』と謳われているのです」
───口調には僅かながら熱が籠もっていた。
支は少し考えて言葉を選んだ後、確かめるように言った。
「そうか。君は───彼女のことを尊敬しているんだな」
「…普段の自由きままぶりは反省して欲しいと常々思ってはいますが…」
ことりとスプーンを置いて、フラムははにかむような笑顔で支の顔を見た。
「はい。あの方ほど貴き方はいらっしゃらないと、そう信じています」
───そう言って、ナナは無造作に投げてあったホースをむんずと掴んだ。
このグラウンドは少年野球チームが練習場に使っているから彼らが使用しているものだろう。
蛇口をひねり、Yシャツ姿のまま勢いよく吹き出た水を頭から被る。すぐそばの街灯の明かりがその様子を映し出していた。
どす黒い血で赤く染まっていた髪が、月の光を漉いたような銀色へと元通りになっていく。
まるで野生動物の水浴びのような、繕うことのない荒々しい美しさがそこにはあった。
支はベンチに腰掛けさせられたまま、腕の傷口に包帯を巻いているフラムに話しかけた。
「僕よりも、彼女の治療を優先したほうがいいんじゃないか」
「大丈夫です。たぶん全部返り血ですから。あの人物凄く頑丈で、例えるならサイボーグなんです」
「おーい聞こえてるよシスター・フラム~」
「ええ、聞こえるように言いました」
服を着たままじゃぶじゃぶと水を浴びるナナへきっぱりと告げ、フラムはぱちんと包帯をカットした。
「あまり大きな傷口ではありませんが咎めないとも限りません。
間接的とはいえ不浄なる屍から受けた傷ですし。どうか用心なさってください」
「ありがとう。恩に着るよ」
いえ、と淡白に返事したフラムは先日見かけたものよりコンパクトなトランクケースに応急キットを仕舞っていく。
と、そこで公園の夜闇にキュッと金属の擦れる音が響いた。蛇口が閉められた音だった。
「フラムちゃん、タオルちょーだい」
「はいはい」
トランクケースから取り出されたタオルを受け取ってナナが髪を拭う。
まだ湿っていたがタオルでは乾ききらないと判断したのか、途中で切り上げて支の方を向いた。
「ま、これで分かったでしょ?下手に首を突っ込むとサクッと死んじゃうぞ~?」
「でも、僕は───」
「でももへったくれもあるもんかい。だいたい今だってアタシたちが来なきゃ死んでたじゃないの。
これは『常識外(アタシたち)』のお話。キミは『常識(あっち)』の人。住む世界が違うんだよ。
あのお姫様の居場所を教えろとまでは言わないからさ。悪いこと言わないからやめとき?」
ナナの口調はあくまで脳天気な調子だったが、表情は真面目にこちらを案ずる真剣なものだった。
………そう。
ミナも側におらず、たまたま彼らが“運良く”通り過ぎなければ支は死んでいただろう。
彼らは悪い人たちではない。
彼らは秩序の調停者だ。魔を滅すると同時に市井の人々を闇へと立ち入らせないものでもある。
支の理屈を納得してもらうのは難しいだろう。
唇を引き結んだ支の横で、「ところで」と唐突にフラムが声を上げた。
「いつ切り出すか迷っていたのですが。───服、思い切り透けていますよ」
へっ、と間抜けに呟いたナナが身体を見下ろす。つられて支も視線が下にいった。
血がだいぶ流されてところどころ薄ピンク色に染まっているYシャツは、水を吸ってぴったりとナナの肌に張り付いていた。
彼女の均整のとれた肢体がこれでもかと強調されている。綺麗にくびれた腰、大きすぎない程度に大きい程よい乳房。
街灯の頼りない照明でさえ、みずみずしい褐色の肌が透けて見えるようだった。
ネクタイを外して胸元を開いていたので胸の谷間さえ顕になっている。生地に浮き出ている細かい凹凸は下着のものか。
Yシャツの色合いが変わっていないから、色はおそらく“白”───!
「───ぎゃあああああ!フラム!上着、上着!支クン、みっ、見ないでぇ!」
瞬間沸騰したナナが胸元やお腹を腕で隠し、人間に気づいた動物みたいな俊敏さで街灯の明かり届かぬ暗闇へと逃げた。
「♪London bridge is falling down,falling down, falling down───」
快活な歌声が響いてくる先へ振り返ったミナは走りつつも力を込めて手を振った。
肩から肘へ、肘から指先へ、滝のように怒涛の勢いで駆ける魔力の奔流。
指先から溢れて物質界に働きかけたそれは瞬時に数匹の蝙蝠へと転じた。
生き物のように宙を飛び、爆弾のように炸裂する。まともに当たれば容易く肉を引き千切るだろう。
「♪London bridge is falling down,My fair lady───」
対して、追跡者は回避行動を全く取らなかった。
靴底に鋼が仕込んである靴の独特の足音が止まらない。
スピードを落とさないまま、眼前へ急接近した蝙蝠をまるで虫でも叩くように裏拳でぺちぺちと落としていく。
だがそこまではミナも予想範囲内だ。本命は蝙蝠の仕込みにあった。
追跡者が最後の蝙蝠を叩き落とした瞬間、ぱちんと泡のように弾けた蝙蝠が分裂し、魔力塊となって顔面へと迫る。
直撃すればその頭部は吹き飛ばされ、首なしの肉体がずるりと崩れ落ちる───
「嘘でしょう」
さすがにミナもつい呟いてしまった。
あろうことか、追跡者は魔力塊を『噛み砕いた』のだ。
同じ死徒なんじゃないかと疑ってしまう。少なくともまともじゃない。
「ねーねー、追いかけっこはそろそろやめにしよーよー。…っとぉ!」
すると追跡者は傍らにたまたま置かれていたゴミ集積用の鋼鉄のコンテナを、まるでプラスチックのバケツを担ぎ上げるような気軽さでひょいと持ち上げて───
───旋風。衝撃。轟音。
直線の軌道ですっ飛んできて、ミナの前の地面へとコンテナは突き刺さったのだ。
進行方向を塞がれ、ミナは立ち止まった。…ミナ自身は経験が無くとも、貴種たる肉体が感じ取っていた。
これを横に躱す。あるいは飛び越える。いずれの選択もその僅かな一呼吸が致命的になると。
すたすたと大股歩きで寄ってきた追跡者へ、ミナは表情変えること無く静かに言う。
「貴女、強いのね」
「そりゃこれでも騎士やってるからね~。や、しかし好都合ね。
こんなところで件のお姫様を討てるんだから。これは思ったより今回の仕事、早く片付くかな?」
そんなふうに言ってにこにこ笑う女はなんとも朗らかだ。
月光に濡れた銀の髪、コントラストになって映えている褐色の肌。とにかく人懐こそうな笑顔で、殺意のようなものは感じられない。
(でも───………)
分かる。アレはそんなものなどなくとも討つべき相手をシンプルに討ち果たす機構だ。
その片腕に仰々しく装備された、円錐形をふんだんに用いられた優美なフォルムの巨大な杭打ちを突き立てるのに何の躊躇いも無いだろう。
「それじゃてきぱき終わらせましょうか。ま、その不浄の魂にも救いがあるなら、きっと滅んだ後に───」
「──────待てっっ!!」
どうこの状況を切り抜けたものか、とりあえずミナが身構えたところにその声は朗々と響いた。
ここ最近、すっかりよく聞くようになった声。当人に対する感情はさておき、目の前の襲撃者よりは親しみが持てた。
騎士の背後。自分やこの騎士なら一息で辿り着けそうな距離にひとりの男の子が立っている。
逆光になっていて表情は伺い知れなかったが、ミナが嫌いではないあの力強い眼差しが注がれているのは確信できた。
驚くべきことは突然の闖入者だけでは無かった。追跡者までもがこちらに背を向けくるりと振り向いたのだ。
「…君かぁ」
ぽつりと呟かれた言葉には、なんというか、『こんなところで会いたくなかったなぁ』という気色がはっきりと滲んでいた。
シスター・フラムはようやく訊ねた。
「で、どうだったのですか?」
「ルシアちゃんのこと? 駄目だったよ。連れ去られたのが二週間も前ではね。食屍鬼にならないよう処置するのがアタシに出来る関の山」
空港の外れ。まばらに人が道を行き交うのを眺めながら、ナナは紫煙を青空へ向けて吐き出した。
こじんまりとした喫煙スペースに相席しながらフラムは隣で煙草を吸うナナをちらりと見遣る。表情に目立った憂いなどは見受けられない。
聞いたのはどちらかといえばターゲットとなっていた死徒のことだったのだが、ナナからすればそちらは問題にもならないらしい。
実際、彼女にとっては大したことではなかったのだろう。先行したナナは後続の聖堂騎士たちを待つまでもなくあっさりと死徒を討ってしまっていたという話だった。
フラムは時々このナナという信徒が遠い存在に見える。
正式外典コルネリオに選ばれた、聖堂教会屈指のドラクルアンカー。その実力、埋葬機関にも引けを取らないと謳われる『白光の織り手』。『虹霓騎士』。
二つ名なんて挙げればキリが無い。死徒の撃破数はレコード持ち。文句なしに聖堂騎士の中で最強の存在だろう。
それでも───それでも、救えないものはある。
死者を生者として今を生きる生者の元へは返してやれないように。
立ち行かぬことをひっくり返すことなど、この聖堂騎士にも出来はしない。
「残念だよ。とてもね」
「………あなたでも救えなかったものを惜しむ気持ちは持ち合わせているのですね」
「あのね。シスター・フラムはアタシのことを何だと思ってるのかな?
ひょっとしたら、何かの間違いでここに来るのが二週間早ければその子を助けられたかもしれない。そんな妄想くらいアタシだってするわよ。
でもね。ニンゲンがニンゲンを救うなんて、そんな思い込みは本来は烏滸がましい行いなんだ」
ナナが指に挟んでいた煙草を静かに咥えた。すう、と吸われることで煙草の先端がめりめりと燃え尽きていく。
漂っていく煙の筋は、いつかアーカイブで見た東洋の儀式における送り火のそれと重なって見えた。
「誰かを救うということは、誰かを救わないということ。
この二週間が仮に前倒しされていたら、その前借りされた二週間によって平穏無事にあったはずの誰かが失われていたことでしょう。
正しきものも、間違っているものも、それら全ての衆中を救うなんてそんな大業を成し遂げなさるのは我らが主のみの御業よ。
誰かを救おうとそう志した時点で誰かを救わないという不誠実が発生しているのがアタシたちの宿業なの。特に、アタシみたいに半端に力を持ったヤツはね。
だから。人が救えるのはただひとり。自分自身だけよ。彼は自分自身を救うためにアタシを輪の中に招き入れた。
アタシはその輪の中で全力を尽くした。後にその結果が残っただけ。それだけのことなのよ」
淡々と、まるで遠い昔に心へ刻んだ言葉を復唱するかのように綴られたナナの言葉をフラムはただじっと黙って聞いた。
ナンシー・ディッセンバー。聖堂騎士にして、その出生の過去を誰も知らない名無しのナナ。
まるで自分をただ力を振るうための装置のように規定するに至るまで、どのような道筋があったのだろう。
フラムには分からない。分からないので、ナナの言葉を額面通り受け取ることにした。
「………では、私も私自身を救ってよろしいでしょうか」
「うん? え、いいじゃないの? 唐突でびっくりしたけど」
「分かりました。では」
フラムは修道服の内側に忍ばせてある十字架を片手で押さえ、開いている手で十字を切った。
「アーメン」
「………」
その祈りの聖句が何に向けてのものなのか。
あるいは、誰に向けてのものだったのか。
ナナは問わなかった。代わりに、その僅かな鎮魂の時間に付き合ってくれた。
さて、と彼女が再び言葉を発したのは、フラムが伏せた瞳が開かれるのとまったく同じタイミングだった。
「次の任地はどこだったっけ? シスター・フラム」
「日本の地方都市ですね。シティ・ヨルミだとかいう。
今回は少数精鋭とのことで、聖堂騎士団から派遣されるのは我々を含めごく僅かです。代わりに代行者のお歴々が向かわれると」
「うぇ~、アイツらか~。やりにくいな、アタシのことあんまり好きじゃないみたいなんだよね~」
「それはそうでしょう。聖堂騎士でありながら代行者のように単独で振る舞われるナナ様を快く思われる代行者の方々などそうはいないのでは?」
「………前から思ってたけど、フラムちゃんはアタシに対して結構辛辣だよねぇ」
「敬ってもらいたいなら敬われるような行いをしてからにしてください、騎士ディッセンバー」
意図的に冷たくそう告げ、フラムは喫煙時間は終わりだとばかりに空港の発着口へとすたすたと歩き出す。
待ってよ~、と情けない声が背中にかかるが、煙草の吸い残しを惜しむナナのことなど気にかけるつもりは微塵もフラムには無かったのだった。
「………それに、俺はこの街がなんだかんだで好きだ。
アンタみたいなよその人からすりゃなんにも無いところかもしれないけれど、それでも俺の故郷だ。
父さんは街一番の漁師で色んな店に魚を届けてるし、母さんは誰よりも料理が上手い。近所はみんないい人たちだし、綺麗な海や野原だってある。
ちょっと騒ぎが起きたくらいで見捨てて逃げ出すなんて気に入らないじゃないか。
あと、な………」
「………」
「俺の………幼馴染が、ルシアも行方不明になってるんだ………。きっと見つかると信じて俺は待っていてやりたいんだ。
畜生、俺にもっと力があったらな。凄く強ければ犯人を捕まえてやるし、金持ちならたくさん金を警察にやってみんなを守ってもらいたい。
でも警察だってここより行方不明の人間が多い隣町の方で躍起になってるし、田舎のここにまで全力を尽くしちゃくれないんだ………」
「………ふぅん、そっかぁ」
少年の心の奥底から出たような言葉に一度深く頷いた女はやおら席から立ち上がった。
釣り銭取っておいて、と店主に言って紙幣を机の上に重ねて置いた女は、まだ座ったままの少年に向かって最後の問いをした。
後になって少年は回想する。───その時の女の微笑み。凪いでいるけれど決して揺るがないそれ。
既視感を覚えた先は、この街の教会に据えられている聖マリア像のそれだった。
「もし。もしだよ? 万が一にも、悪いことをしてるやつかやつらをやっつけられる人がいて………。キミならその人になんて言う?」
「そんなの決まってるじゃないか」
きっぱりと少年は言った。
「───助けて! 俺に出来ることならなんだってするから! ………って。そう言うに決まってる」
それは素面のその少年なら恥ずかしくて誰にも言えない台詞だったかもしれない。
けれどごく当たり前にこの街を愛し、ごく当たり前に仄かに想いを寄せている幼馴染の無事を祈っている少年の口からは、自然と臆面なく零れ出た言葉だった。
その無垢な言葉は、そしてそう───何故か、その女にはそう言っておかなければならない気がしたのだ。
瞬間、その女はにっこりと破顔した。
スペインの熱い太陽にも負けない、きらきらと輝く陽の気の笑顔だった。
「よし、承った! 後はこのナナにお任せあれ!」
それじゃ用意があるから、じゃーねー、と女はつむじ風のように店から出ていってしまう。
後に残されたのはぽかんとする店員と、ぽかんとする他の客と、ぽかんとする少年だけだった。
女が少年に奢ったレモネードの氷はとっくに溶けきって、グラスはびっしりと汗をかいていた。
「なあ、あんた。悪いこと言わないから早めにここ出ていった方がいいよ」
机を挟んで対面に座った少年の忠告に対し、その褐色肌の麗人は大きな目をぱちぱちと瞬かせた。
綺麗な目だ。ダークレッドとも言うべきか、赤の発色を伴った黒い瞳。
顔立ちは垢抜けた女性のそれだったが、その目だけはまるで子供みたい。昏さが無くて稚気できらきらと光っている。
濃い二十代を経た三十代にも見えるし、まだまだ好奇心旺盛な十代にも見える。不思議な女だ。
「なんでよ。ここには来たばっかりだっていうのに。
あ、それともちょっと目立ちすぎてる? いや~、お腹ペコペコでさぁ。キミにここへ連れてきてもらえなかったら参ってたわよ」
そういう問題じゃなくてさぁ、と呟きつつもまだローティーンほどの少年は机の上へちらりと視線をやった。
もうお祭り状態だった。宝石箱の中身をぶちまけたように多種多様な料理の皿が所狭しと占拠している。
そのどれもが半ば食べ尽くされ、残りもこの女の腹の中に収まるのは時間の問題みたいだ。
よく食う女だし、美味そうに食う女だ。店員やちらほらといる客からもじろじろと好奇の視線が女に注がれていた。
ここはこのあたりで一番大きな街から半日もバスの中で揺られなければ辿り着けないスペインのド田舎だから、余所者は珍しいのだ。
だが少年が逗留を勧めない理由は何もこの街の排他的性質から来るものというわけでは無かった。
少年はつい声を潜めた。既にこの気味の悪い話題は日常においてはタブー視されるようになって久しい。
「あんた知らないの? ここ最近はさ。このあたりで失踪事件がいくつも起こっているんだ」
「………」
ふんふんと女が頷く。それに合わせて豊かな銀の髪がぴかぴかと蛍光灯を反射して光っていた。
聞いている間もフォークとスプーンの動きは止まらない。まるでダンスでも踊っているみたいだ。
小気味いい食べっぷりでみるみるうちに皿の上のものが片付いていく。真面目に聞いているのか怪しくなるくらいに。少年はやや嘆息した。
「何人もいなくなっているんだよ。隣町なんかじゃさ、集団失踪事件なんて発生したりしててさ。
他にもみんな怖がって話しないけど、路地裏で物凄い量の血がぶち撒けられていたとか………とにかく気持ち悪い噂や事件ばっかり続いてるんだ。
すっかり夜は誰も出歩かなくなって、街の人たちも元気がないんだ」
「そうなんだ。それは怖いわね」
口ではそう言うがさほど怯えた様子もなく、女は淡々と肉料理を口の中に放り込んでいった。
少年は段々とこの女の怪しさに首を傾げつつある。奇妙な女なのだ。
大して目新しいものも無い、埃っぽい田舎町のここでは旅行客自体が珍しい。しかし、女の格好は旅行客というふうでもない。
上から下までフォーマルなパンツスーツに身を包んでいる。まるでばりばり仕事を手掛けている新進気鋭のビジネスウーマンみたい。
綺麗な女だが、棒きれみたいに細いネクタイも無地で、全体的に飾り気が無い。せいぜい耳のピアスくらいだ。
トランクひとつ手に提げてバスから降りてきた女と少年が出会ったのはまったくの偶然だった。たまたま女が道を訪ねてきたのだ。
あの人懐こそうな、それでいて今から悪戯を仕掛けようとする子供のような、そんな人好きのする明るさで。
「今更だけどさ。あんた何者なの? こんな田舎に何の用で来たの?」
「アタシ? ああ、アタシはこういう者なのよ」
そう言って女は襟に指を突っ込んで首元を探ると、ネックレスを取り出した。
銀の十字架。女自身の飾り気の無さとは違い、華美にならない程度に細やかな彫金を施された高価なものと素人目にも見て取れた。
スーツからは連想しにくい意外な職種だが、それを見せられれば少年でもある程度は察しが付く。
「なに。あんた教会の人? ヌーノ爺さんに会いに来たの?」
「そそ、そんなところ。新しく赴任しに来たってわけじゃないんだけどね~。ちょっと御用があって、ね」
「ふぅん。こんな時に災難だね」
「そうでもないわ。よくあることだし。慣れっこ慣れっこ」
またよく分からないことを言う。気づけば料理は粗方片付いてしまっていて、女はグラスの中のワインをきゅっと飲み干している。
いよいよ満腹だい、ごちそうさまと太平楽に唱えた女は、ふと少年の方をちらりと見つめてこんなことを聞いてきた。
「………それにしても、なんとも出鱈目なことになってるのね。
この街から離れたいと思わない?キミは怖くないの?次に攫われるのは自分だとか、考えたりしない?」
「そりゃ怖いよ。怖いけど………うちもまわりも、ここらへんはそう裕福じゃないし年寄りばっかりだ。
怖いからって引っ越すなんて出来るやつはそんなに多くないよ。それに………」
少年はそこで一度言葉を切り、視線を手元へと反らした。
少年を見つめる女の視線が、あんまりにも真っ直ぐ過ぎたから。湖の一番深いところまで見通そうとするような、穏やかだけれど鋭い視線だった。
けれど一度逸らした目を再度戻し、はっきりと女を見つめて言った。
「ナナ様は!? ナナ様がどちらに行かれたかご存知ありませんか!?」
空港付近にある教会にシスター・フラムの焦燥感が滲む声が響き渡った。
まったく迂闊だった。昨日の晩は大好きな酒もやらずに大人しく床についていたから油断したのだ。
修道服姿の少女に詰め寄られた現地の司祭は額に汗をかきながら、「さ、さあ」とどもることしか出来ない。
「朝まではこちらにいらっしゃったのを見かけましたが、それからは………」
「朝!? 朝というと具体的にはいつ頃のことでしょうか!?」
「礼拝の時間です。準備を始めた頃にふらりとお外へお出かけになりましたな」
それを聞いたフラムはくらりと目眩がしてその場に崩れ落ちそうになった。
早朝! そんな時間に出ていったのでは、今頃何処を気まぐれにほっつき歩いているか見当もつかない!
あの女の頭の中に物怖じという言葉はない。知らない街だろうがずんがずんがと進んでいってしまう人なのだ。
あるいは誰にも知らせずに既に現地入りしているなんてことも十分あり得る。
数で対象を囲み圧倒するというのが聖堂騎士の基本戦術だが、ナナはその範疇に収まらない例外的存在なのだから。
ふと目を離した隙にいなくなって、明くる日にふらりと帰ってきて「終わったよ~」なんて何度あったか知れない。
そんな規格外に付き合う自分の身にもなってほしい。フラムは実にまっとうなごく普通の信徒なのだ。本人比では。
「あ………あんの、脳みそ無重力のスーパー××××自由人めぇぇぇっ!」
敬虔な信徒が発した言葉とは思い難い小汚い悪態が静かな教会内部に木霊した。
いかにも気弱そうな初老の司祭は肩を怒らせるシスターを前にしてただおろおろするのみだった。
「まず、君は何で女性の姿で現界したんだ?」
俺は精一杯平静を保ちながら、俺が召喚したライダーに対して質問する。
するとライダーは、俺の聖杯戦争の目的も知らず、気楽に答えた。
「うーん、ごめんなさい。ちょっと分からないんです」
「でも、こうなったからには、この状況を楽しみたいです!なるようになれ、ですね!」
「ふざけているのか…!」
俺はつい、隠さない本音を口にしてしまった。いつもの"完璧"ではない、本当の俺を
流石に気の抜けたライダーも、俺が豹変したかのように見えたのか、恐怖の表情を見せていた。
「ご、ごめんなさい……。で、でも私、精一杯に頑張りますから……」
「ああ……いや、すまない。こっちも、怖がらせるつもりはなかったんだ、俺は……」
と、謝りそうになって俺は正気に返る。何で俺は使い魔相手に、人間を相手取るように取り繕っているんだ?
相手は亡霊だ。もう死んでいる存在を再現した戦いの道具だろう。そんな奴相手に……と考えたその時、ライダーが呟いた。
「こんな事を言うのもなんですけど…少し、嬉しいです。マスターが、そう言ってくれて」
「……何だと?」
何を言っているんだこいつは。状況を分かっているのか?俺はお前を脅迫するように問い詰めたんだぞ?
普通は信頼関係が揺らぐはずだ。所詮は聖杯を求めるという薄っぺらい利害関係しかない俺たちでしかない
その上下関係で上に立つ俺が、完璧じゃない部分を見せたんだ。それを"嬉しい"だと?どういう腹づもりだ?
「だってマスター…いっつもどこか本音を隠しているようで、なんか寂しかったんです。
でも、今やっと初めて、何も隠さず喋ってくれた気がして、嬉しかったんです」
「………」
動物の勘、という奴か。誰かに喋られでもしたら厄介だ……。自害でもさせれば新しい英霊を呼び出せるか?
…いや、再召喚できる保証はないか。それに、こいつは底抜けの馬鹿だ。誰かに算段で喋るような事はしないだろう。
「なるようになれ、か……。ウマが合わんな、君とは」
「あ、今の馬とかけたんですか!?かけたんですね!?」
「五月蠅い黙って寝ろ。明日も早いんだから」
────そう言って、七砂和也は眠りにつく。"なるようになれ"。その言葉こそが自らを救う鍵になる事に、気付かないまま
陣を描き、魔力を奔らせ、詠唱を紡ぐ。俺は英霊を召喚する。
「初めまして。早速で悪いが、僕は君のマスターだ。君とは公平で対等な関係でいられたらと思っている」
もちろん、嘘だ。英霊なんてものは信用できない。大昔に何人も殺し続けたような奴らだろうからな。
文化人ならある程度は話が通じるかもしれないが、戦闘第一な獣みたいな英霊はよしてくれと願い語りかける。
「…………」
煙が晴れて、俺は絶句した。馬だ。馬がいるんだ。しかも3匹。
騎馬兵の英霊か?と思ったが、違う。騎馬に乗っているべき英霊がいないんだ!
呆然とした次の瞬間、俺の目の前に立っていたのは3匹の馬じゃなかった。1人の女だった。
「初めまして!私はライダー!真名は……っと、名乗るとまずいかな?じゃあ、とりあえず三音さられって呼んで!
貴方が私の騎手(ジョッキー)?あ、間違えた。マスター? もしそうなら、よろしくね!」
どういう……ことだ……。戸惑う俺は目の前の自称ライダーに尋ねる。お前は何ができる?と
「お前がどんな英霊か知らないが、何か出来る事の1つ2つ、あるだろう?」
「? あ、歌を歌えます!新曲もあります!」
俺は胃が痛くなった。
「最っ……悪……」
毒付くように吐き捨てた。正直、今までにないぐらい私は苛立ってた
意味不明な運任せ野郎と出会っただけでも腹立たしいのに、そいつの攻撃が私を抉ったという事実が耐え難かった
ただの運任せの攻撃で、再生に時間がかかるほど痛めつけられるとは思っていなかった
「まーぁ……それ以上に笑えないのは来客様なんだけどぉー?」
「ヒ、ヒ、ヒ、」
笑い声が響く。今一番聞きたくない笑い声。なんで?何でよりによって貴女なのかしら?
「せーめて、あの弓使いの代行者ならぁ…2つの意味で食欲湧いたんだけどなぁ」
「何だよ。アタシには食欲湧かないってか? 奇遇だね。アタシもテメェの前だと飯食う気しねぇ」
「あーら気が合うわね。私もよ。殺したい相手が目の前にいたら、食事どころじゃないですものねぇ?」
満身創痍な身体に鞭打ち、無理やり立ち上がる。悟られるな。こいつだけには弱みを見せるな
「マ、ここで逢ったのも何かの縁だ。死ぬ覚悟はあるかガキぃ」
「こっちの台詞。肉便器になれ糞ババァ」
好機は一度。吸血できるか、あるいは否か
全霊を振り絞って、私は大嫌いな悪食女と夜に舞った
"つみびと"のオズワルド
ルキウス・ヒベリウス
祝福せよ!新たなる主従の誕生を!!
これまでに無い属性の主人公達に期待が高まる
⑥
「それ、全部やったらやっぱりそれなりの時間がかかるんじゃないか?」
「………大丈夫。大丈夫だ。すぐ出来るものしかない。全然時間なんかかからない。そう、15分か20分はかかった内に入らない」
はあ、と溜息を付いたセイバーはどうやら呆れたようだった。あのねテンカと諭すように話を切り出した。
「どうせこうなるとは思っていたんだ。君はそういう人だからね。
そもそも私はクリスマスという催しには縁が無いし実感も無い。ただ皆が祝っている。幸せそうな催事だ。それだけで私にとってはいいんだ。
でも案の定君は食事している時以外は働きっ放しじゃないか。私はね、テンカ。………君にも楽しんでほしいんだよ、祝いの席を」
「………セイバー」
軽く俺より先に進み出たセイバーが俺の顔を覗き込むようにじっと見つめてきた。
最初にあったときからずっと変わらない、涼やかな静謐を帯びた瞳が暗闇の中できらきらと光って見えた。
俺はいつだってこの目と視線が合うとどきりとしてしまうのだ。多分、これからもずっと。
「私の望みは間違っているかな、テンカ」
「いや、セイバーは正しい。確かに料理を運んだり片付けをしたりで俺は皆の輪の中にいなかったな。
でもひとつだけ訂正させてくれ。俺は楽しくないなんてことは無かったよ。俺の作ったもので皆が笑ってくれていた。
そういうのはなんというか、好きなんだ」
「はあ。やれやれ。そうだね、君はそういう人だよ。分かった。酒の肴を作るのは私も手伝う。セイバーは向こうで楽しんでいてくれ、なんて言わせないからね」
「了解。それじゃよろしくおねがいします、と言っておこうかな」
くすくすと互いに笑い合う。その視界の中に白くちらつく何かが見えた。
「あ………」
「雪、降ってきたんだね」
空からはゆっくりと眠たくなるような緩慢さで雪片が地上へと舞い降りていた。
そういえば天気予報でも夜中から雪が降るかも、とか言っていたっけ。ホワイトクリスマスなんて何年ぶりだろうか。
視線を前へと戻すと、点々と続いている街灯が雪を照らし出してくっきりと陰影を作り上げている。映画の中にいるみたいな、どこか幻想的な光景だった。
それを見て、俺はようやく思い出したのだ。
「そうだ、セイバー。まだ伝えてなかったことを思い出した。乾杯の時にも言ったけど面と向かってはまだだったな、って」
俺は立ち止まった。数歩先に進んだセイバーも立ち止まってくるりと振り返る。
セイバーは丁度街灯の真下にいたので、まるでスポットライトを浴びているみたいに暗闇の中で美しく佇んでいた。
「メリークリスマス、セイバー。
こんな俺だけど、これからも一緒にいて欲しい。来年もよろしく………って言うのは、ちょっと早いけどね」
世界中の何よりも美しい拵えの剣がきょとんとした表情をしたのも束の間。
くすりと、キキョウの花のようにゆったりと微笑んだ。
「───メリークリスマス、テンカ」
⑤
夜闇の中をふたりで並んで歩く。吐く息は真っ白だ。もう12月も末だもの。寒くて当然だった。
空を見上げれば晴れていれば星が見えるんだろうが、生憎と曇り空のようで星は勿論月すら見当たらない。
半年前、こんな空の下で同じようにふたり歩いた。あの時は暑かったから俺は軽装で、彼女は霊体化出来なかったからレインコートを被せていたっけ。
七夕の夜に始まったあの狂騒は随分遠い日の出来事のように感じられるようになっていた。
「サーヴァントってのは全員ザルなのかな。流姉さんの本気のペースに付き合ってまだひとりも潰れてないの、俺初めて見たよ」
「ランサーやライダー、キャスターはともかく、私は騎士だからね。今風に言えばお酒を飲むのも仕事のうちだよ。
酒宴の席は今以上に重要な意味を持っていたし、貴人の盃を受け取れないようでは騎士失格という時代だったんだ」
まあ公然と下戸を宣言して一滴も飲まない騎士というのもいたといえばいたけれど、と語るセイバーはあの夜のような鎧姿ではない。
外套を羽織って静かに歩くその姿は誰が見ても騎士ではなく現代の女性だった。ちょっと凛々しすぎるのはこの際置いておく。
俺の手にも、セイバーの手にも、大きめのポリ袋が吊られていた。表面には『シーマニア』と印字されている。
もう夜中だというのにまだ開いているのは旧土夏市街の市民にとって実に心強いスーパーだった。でもいずれはここにもコンビニが出来たりして変わっていくんだろう。
「悪いなセイバー。追加の酒やらつまみやら、買い出しに付き合わせちゃってさ」
「いや、そもそもテンカが買いに行くというのが筋違いだ。本当は用意していた酒をあっという間に飲みきったあの酔っ払いたちが行くべきなんだ。
そもそも日本の法律を考えるとテンカが酒を買えるというのは、どうなんだ?」
「あそこは店長からパートのおばさんたちまでもう全員俺と顔馴染みだから………。俺と流姉さんの関係も把握済みってわけ」
勿論本当はいけないのだがそこはそれ。ご近所付き合いは時に法を悪しき方へと曲げるのである。
缶ビールとワインのボトルでずしりと重いビニール袋を握り直しながら「それに」と俺は言葉を続けた。
「ちょっと食べ過ぎちゃったし、散歩には丁度いい距離だよ。セイバーと一緒に歩けるしね」
「それは………」
ぐっとセイバーの言葉が詰まった。ほんの少し間が空く。
「………ずるいよテンカ。そう言われたら私は何も言えない。賑やかなのもいいけれど、確かに私もこうしてテンカと共にいられることを嬉しく思っているから」
「……………そ、そうか」
街灯に照らし出されたセイバーの横顔は薄く朱に染まっていた。
思った以上に直球の返事が来て、俺もつい鼓動が一瞬早くなってしまう。
セイバーのこんな表情も初めて見るものじゃない。もう半年も一緒にいれば何度かはセイバーの不意を突くことだってあって、その度にこんな表情をセイバーはした。
そう、もう半年。いいや、まだ半年だ。
この同年代の女の子のようでもあり、頼れる姉のようでもあり、世話の焼ける妹のようでもあり、然して正体は昔日を駆けた女騎士である彼女と、まだ半年しか一緒にいない。
俺の中ではもう何年も共に過ごしているような感覚だ。それくらいの濃密さが彼女と過ごす日々にはあった。
背中は当然として、命だって何度も預けた。喧嘩だって何度もしたし、同じ数だけ仲直りした。そしてふたりで全ての終わりを見届けた。
土夏に平和が戻って、去るはずの彼女はこうして今もいて、穏やかな日常を俺たちと共有している。
これがまるで夢のような日々でなくて何だというのだろう。セイバーが隣りにいることを普段通りでありきたりと感じたことは一度も無い。
彼女と体験する全てがいつだって新鮮だった。そう、今だって。
「それにしてもテンカ。君は酒の肴を買うというからてっきり既製品を買うものだと思っていたんだ。
………なんでこの時間に材料から買ってるんだ。さっき洗い物してたはずだよね。あれだけたくさんの料理を作ったのにまだ作るつもりなのかい?」
「き、厳しいなあセイバーが………。そんな凝ったものを作る予定はさすがに無いよ。それに出来たてのほうが美味しいじゃないか」
「テンカは彼らに甘すぎなんだ。まあリュウはいいよ。キャスターへやけに甘いのは私は気に入らないな」
並んで歩くセイバーがじろりと生暖かい目で俺をひと睨みした。そんな目で見ないでください。どうやら本能的に傍若無人な女性に弱いらしいのです、俺は。
「ま、まあまあ。それにセイバーだってまだ飲むんだろ?」
「酔った彼らが何かしでかさないか監視する必要があるからね。正直なところ、今こうして歩いている間も私たちが留守にしている我が家のことが少し気がかりだ」
「は、ははは………なら、俺には手を抜くほうが難しい。セイバーには美味しいと思ってほしいからさ」
レシピは既に頭の中にいくつか浮かんでいた。せっかくパーティの後なので余り物をフル活用だ。
余ったマッシュポテトを味を整えたりサラダの余りを混ぜたりして耐熱皿に敷き詰め、上からコンビーフ、チーズを重ねる。
胡椒をかけたらオーブンに突っ込んで5分ほど。チーズが溶けたら完成。これでなんちゃってグラタンの完成。
焼豚の残りがあったから豚平焼きを作ってもいい。溶き卵で包んで上からソースを塗るだけで完成だ。
カプレーゼなんてそれこそあっという間だ。既にカットされてあるトマトと既にカットされてあるモッツァレラチーズと余っているバジルの上からオリーブオイルをどばどばかけるだけ。
塩と胡椒で味を整えたら出来上がり。全てが手早く出来上がるものばかりだ。何も問題はない。
黙って説明を聞いていたセイバーは微妙な表情を浮かべて指摘した。
④
はにかみ、頬を赤らめながら棗は言う。そんな顔をされたら、俺だって平気じゃいられない。
その信頼に応えなければという気持ちになってくる。棗が安心できるように、俺はいつだって俺らしくいないと。
きっと俺の幸福の形も、棗みたいな姿をしているのだろうから。
「………そっか。そう言ってくれるなら、どうにか間違いをせずに済んだのかな、俺は」
「きっとね。だといいなあ、って思うかな、わたしは」
「ありがたい話だ。それにしても間違えていたら、か。あんまり怖い可能性は嫌だけど、棗じゃない棗はちょっと見てみたい気もするな。
髪染めてピアスとかして、黒尽くめのパンクな衣装をした不良っぽい棗も何処かにいたりして」
「あはは、ないない。絶対わたしそんな格好出来ないよー」
くすりと、サクラソウの花のようにゆったりと微笑んだ。
食器洗いを再開するとみるみるうちに片付いていった。二人がかりだし、単にいつもしていることの量が多いだけだ。
妙に満ち足りたふわふわした気分で皿を磨いていると、急に棗がぼそっと今気づいたかのように言った。
「あー、でもよく考えたら、そか、来年にはてんかくんいなくなっちゃうんだよね。幸せじゃなくなっちゃうなー」
「幸せじゃなくなるて、まあロンドンに行くからね………」
「わたしもついていっちゃおっかなぁ」
「え」
思わず横を向いて顔を見ると、稚気をその深い青色の瞳に浮かべた棗の顔がくしゃりと破顔した。悪戯っ子みたいに。
「結構本気だよ、てんかくん」
白い歯を見せて笑う棗がとても可愛らしく見えて、危うく俺は動揺のせいで手を滑らせて皿を落とすところだった。
③
「なんだか棗にはいつも皿を洗わせている気がする………ごめんな」
「え?あっ………そかな。別にいいよ、わたしてんかくんと並んでお皿洗うの好きだし。………新婚さんみたいで」
「ごめん、最後の方が声小さくて聞こえなかったんだけど何か言った?」
「えと、なんでもないなんでもない。あっ、でも確かに今日は大変だよね、量あるし」
大皿をてきぱきと洗っていた棗は俺のぼやきを受けて妙に慌てた素振りで返事をした。
夕飯の後に棗はよく後片付けを手伝ってくれる。今日もその習慣は棗の中で変わらないようだった。
俺が空っぽになった皿をキッチンの流しへと運んでいると、すぐさま棗は駆け寄ってきて手伝ってくれた。ありがたい話だ。なんせ今日はいつもの量の比ではない。
いつものメンバーの5人分に加え、事前に来るという予告のあったランサーとライダーの2人分。更に案の定押し掛けてきた黒瀬先生とキャスターで、計9人分。
当然数多くの料理を盛り付けた大皿だって嵩む。ひとりで全部やっつけるには不可能ではないにしてもやや手間取る分量の洗い物だ。
ちなみに散々飲み食いした彼らはとっくの昔に二次会へと突入していた。リビングでは酒盃と共にライダーとキャスターが調達してきた山のようなつまみが食い荒らされている。
この中で飲めないのは俺と百合先輩と棗の学生組しかいないので残りは酒宴へ全員参加だ。しかしだというのに百合先輩は泡の出る飲料をぱかぱか開けている気がするな。
セイバーは最初加わらないという顔をしていたが先程キャスターの挑発に乗せられて酒飲みの渦へと巻き込まれていった。
ああ見えてセイバーはかなり飲める。きっと潰されるということはないだろう。これはセイバーに対する信頼なのだ。そういうことにしておく。
まあ今日はパーティである。無礼講というやつだ。どれだけどんちゃん騒ぎしようが近所迷惑にならない程度なら目を瞑るとしよう。
こういう席は滅法得意な流姉さんとノリが良いライダーが楽しげに騒いでいる声を背に聞きながら俺と棗は分担作業でてきぱきと皿を洗っていた。
「あー………そういえば、今日のメインディッシュ、凄く美味しかったよね。えと、大変だったんでしょ?」
「ターキーのこと?うん、あれはね………。もうちょっとオーブンの扱いに慣れなきゃいけないなってなったよ」
棗が泡塗れにした皿をシンクの中で流しながら俺は半笑いを浮かべた。
実際、大変だったのだ。いざ取り出してアルミホイルを除く段にあたって、百合先輩の「………これまだ焼けてないんじゃない?」という呟きが無ければ危なかった。
科学が全てを都合よく管理して料理を成功に導いてくれるまではまだもう少しかかるようだった。具体的にはあと10年といくらかほど。
とはいえ、結果的には上手くいったのは僥倖と言うべきだろう。テーブルの中央に焼き上がったターキーを運んだときの、見つめる全員が口にした感嘆の溜息が俺と百合先輩に与えた感動はちょっとしたものだ。
まるで苦境を共に乗り越えた戦士のように互いに見つめ合って微笑み頷き返した。それくらいターキーはよく出来ていた。
艷やかな飴色に焼き上がったターキーは素晴らしい出来栄えだった。聞くところによるとターキーの肉は量があるだけでぱさぱさとしていて決して美味しくはないと言うが、そんなことはない。
実際にナイフを入れ、切り分けたターキーのふっくらとした身の柔らかさ。大仰な見た目に反する淡い味わい。
肉汁と赤ワインを合わせて作ったグレイビーソースの甘酸っぱさも丁度いい出来栄えだった。これがまた肉に合うだけではなくマッシュポテトにかけてもびっくりするくらい美味しい。
おそらく調理法の勝利だろう。我々はターキーが課した試練に勝利したのだ。口にしたランサーが微笑んだだけでそれは確実だった。
ライダーだって「朝廷で振る舞われた山鳥のどれよりも美味だ」と言うからには並み居る英霊たちの舌をも満足させたに違いない。………平安時代の料理文化のレベルを俺は知らないけれど。
「あっ、でも本音を言うとね。ううんターキーも美味しかったんだけどね?
付け合わせの、スタンフィングだっけ。えーと、あれも美味しかったっていうか。その、あっちの方も美味しかったっていうか」
「分かる。ターキーの肉って淡白でソースをかけるの前提ってところあるもんな。それに比べると確かにあれは美味しかった………」
そう。これだけ肉も好評を得ておきながら最も評価が高かったのは百合先輩が自ら鍋を揺すったスタンフィングであったのだ。
まあ仕方ないと言えば仕方ない。ただでさえあれだけ肉の滋味を取り込んだスープで炊かれた米が香り高い野菜と強い旨味を持つターキーの内蔵の旨味さえ吸ったのだ。
モツ鍋の味を知る者ならば分かることだ。あの肉とその内臓たちの味わいを吸った野菜の美味を知るならば、それを米に置き換えたことでどうなるかなど想像するまでもないだろう。
当然ながら美味しいに決まっていた。満場一致でこれが一番美味い、とされたのも無理のないことである。
「………まあなんであれ、楽しんで貰えたなら良かったよ。あれこれと苦労した甲斐あった。
ねえ、棗。唐突かも知れないけどさ」
「ん?どしたの、てんかくん」
「今年はいろいろあったけどさ。俺、こうやって棗とこんな風に一緒にクリスマスを迎えられて良かったなって、本当にそう思うよ」
俺はそういう風につい口にしてしまった。そのくらい多くの出来事が俺たちの間を駆け抜けていった。
聖杯戦争があった。互いに殺し、殺し合う。そういう経験があった。
そこで紡がれる物語は決して喚び出された英霊たちの間だけに留まらず、俺たち生きている人間の間も駆け抜けていった。
百合先輩の過去を知った。棗の秘密を知った。他にも円だとか黒瀬先生だとか、その他多くの人々の事情も知った。そして俺自身の真実も明らかになった。
こうしてサーヴァントすら誰ひとりとして欠けずに全てが終結しているのは何らかの奇跡が働いた結果に違いない。そうとしか思えない。
本当ならあり得ざる未来の中に今俺たちはいるのかもしれない。………だとしても構わない。俺がいるのが今ここなのは、間違いないことだ。
皿に付着していた泡を流して水切り台に置いた俺は次の皿が差し出されないことに気付いて棗の方を見た。洗剤をつけて洗う役割を担っていたはずの棗は皿ではなく俺を見つめていた。静かに。透き通るように。
穏やかに優しく微笑むままに、俺が担った役割を肯定するかのように、棗は柔らかく唇を緩めていた。
「うん、そだね。わたしも、あー………うん。そんな気がしてる。
一歩間違えてたら取り返しのつかないことをしちゃってて、てんかくんと一緒にいられないようなことになってたかなぁ………って。
だから、えと、えへへ。今は結構、幸せな気がするなぁ、って。そういう気がするよ」
②
「冷蔵庫に入ってますよ。牛乳に漬けて臭みも除いておきました。どうするんです?」
「玉ねぎとかニンニクとかセロリとかの香味野菜と一緒に全部刻んで炒めるの。で、お米とスープを投入して炊くわけ。要するに炊き込みご飯だね。本場は乾燥させたパンを使ってオーブンで焼き上げるんだけど、やっぱり私たちはなんだかんだで日本人でしょ?」
「言わんとするところは分かります。それにオーブンはターキーで埋まりますしね」
「私の家のオーブンにはこのサイズのターキーさえ収まらないよ………。十影くんの家のオーブンが大きなサイズで良かった。まあ、本場はこんなサイズじゃないんだろうけど」
百合先輩が視線を落として我が家のオーブンを羨望の眼差しで見つめた。
キッチン周りは俺がここに住むにあたって改装されシステムキッチンへと変わっていたので割と新しいのである。
ここだけに留まらず、我が洋館は当時の流姉さんが何処からか業者を呼んできてあちこちに手を入れたのだ。その中でもこのキッチンに関してはかなり重宝していた。
それにしても後で明細を見せてもらったのだが信じられないほど低価格だった。あの人の人脈は今現在も謎に包まれている。
そうしている内に溶かし終わったバターへ百合先輩が塩、胡椒、タイム、セージ、ローズマリー、それに電子レンジで温めて潰したニンニクを入れてよく混ぜ合わせた。
胡椒の黒やハーブの緑がぷかぷかと浮かぶ謎の液体の完成である。百合先輩はそれを料理用の刷毛を使ってターキーの表面へ塗りたくっていった。親の仇みたいに執拗に、べったりと。
「バターを塗るだけで美味しそうな気がしてくるんだから不思議ですね」
「オリーブオイルでもいいんだけどね。今回はバターで行こうよ。こんなの焼く機会が次にあるか分からないけど」
「また焼きますよ。来年も。だからクリスマスにはロンドンから帰ってきてくださいね」
特に意識したわけではない。自然に出た言葉だった。
季節は12月。あちらの入学は9月だから5ヶ月以上のブランクがあるわけだけれども、その間も百合先輩は向こうで過ごすらしい。世にも珍しい五大元素使いとして早くも現地では注目されているんだそうだ。
俺は来年度の卒業と同時に百合先輩の後を追って時計塔に行くわけだけれど、それでも1年は皆と離れ離れということになる。
自分でも驚くほど素直に寂しいという気持ちが浮かんでいた。百合先輩はそういう風に思わせる人だった。俺の言葉を耳にした百合先輩は一瞬ぽかんと小さく唇を開いて呆けたが、すぐに───。
「………考えとく。ふふ」
くすりと、ペチュニアの花のようにゆったりと微笑んだ。
「まあ、その次の年には君は付き人として私と一緒にロンドンでクリスマスを過ごすんだけどね?
今日ほど料理をたくさん作らなくていいから、2年の間のトカゲくんの成長を是非見たいなー」
「し、修行しておきます。………それとトカゲじゃなくてトエイです」
なんて話をしている間に真っ白だったターキーの肉が黄金色の溶かしバターを纏って薄っすらと光沢を帯びるようになっていた。
ブライン液を作ったときの材料の余りを適当に内蔵の詰まっていた空洞へと放り込み、タコ糸と縫い針でしっかりと綴じる。首の穴も同様に。
百合先輩は更にタコ糸を抜き取り、手羽先や腿を縛ってターキーを成形していく。俺はその間にアルミホイルをカットしていた。ターキーが包めるくらい大きめに。
「さて………」
「はい………」
網の上に乗ったのは処理の終わったターキー。その上へヴェールを被せるようにアルミホイルで覆う。
準備の完了したターキーを前にして、またもや俺たちは腕組みして「ううン」と唸ってしまった。
「出来ちゃったね」
「出来ちゃいましたねぇ」
「後は焼くだけだね」
「焼くだけですねぇ」
やはり示し合わせもせず、銀色の包みとオーブンの間で視線を往復させてしまう。大丈夫なのか。焼けるのか。美味しく出来上がるのか。はっきり言って自信はない。
成否の鍵はオーブンの電子制御による加熱の調整具合が握っていた。魔術師にあるまじき堕落。最新………よりは数年遅れの科学に全てを委ねることになるのである。
慎重に網ごとターキーをオーブンへと近づけた俺は、蓋を開けて待っていた百合先輩の見守る中で祭壇へ供物を捧げる神官のように厳かにターキーを滑り込ませた。
蓋を閉じ、スイッチを入れる。薄ぼんやりとオーブン内で照らされるターキーを百合先輩とふたり、しゃがみ込んでじっと見つめた。
「美味しく出来るといいですね」
「手順は間違ってないはずだから大丈夫だと思うけどね………。あ、途中で出してアルミホイルを外してもう一度バターを塗ってね」
「分かりました。………さて」
やおら立ち上がった俺と百合先輩は、ゆっくりと振り返った。
クリスマスパーティである。俺と百合先輩に加えて、セイバーに棗に流姉さんといったいつものメンバーは勿論、ランサーやライダーといった普段は寄り付かないサーヴァントすら参加予定である。
なんなら呼んでいない客さえ想定される。現に俺と百合先輩の買い出し中、キャスターと遭遇した。あのチェシャ猫みたいな笑顔は絶対に来る気だぞ。黒瀬先生も連れて。
当然ながら、ターキー1羽を焼けばそれで全員分の胃を満たせるわけが無かった。
俺と百合先輩の視界の中で机の上の食材はまだ山のようにあった。百合先輩の目のハイライトが消えた。ような気がした。きっと俺の目のハイライトも消えただろう。
「………やろっか」
「やりますか………」
百合先輩は包丁を。俺は皮むき器を手にした。戦いのゴングが鳴る。古書店を畳んだら駆けつけるという棗の救援を待ってはいられない。
荒波へと船を進ませる漁師のような覚悟を胸に秘めて、俺はジャガイモを手に取った。横では百合先輩が包丁の腹でニンニクを叩き潰していた。
①
「さて」
「はい」
台所のふたりは示し合わせたわけでもなく腕組みして「ううン」と唸ってしまった。
まな板の上には普段調理している鶏肉がひよこに思えてくるような巨大な肉の塊が鎮座していた。
無論、鶏肉ではない。シチメンチョウ、即ち北米のお祝いの際の食べ物。ターキーである。目の前にすると凄い威圧感だ。これでも小さいサイズなのに。
「買っちゃったね」
「買っちゃいましたね」
妙な感慨に耽る俺と百合先輩である。クリスマスだしターキー焼こうぜ!と言い出したのは流姉さんなのだが例によって当人はいない。
わざわざ新都のデパートまで出向き、海外食品の取扱店で実際に見るターキーの大きさに首を傾げたのは俺たちなのだった。それが数日前のこと。
こうして冷蔵庫の中で解凍され、氷の塊から肉の塊になったターキーは不慣れな料理人たちへ重圧感を伴って伸し掛かろうとしていた。
「解凍したターキーはこれでもかと果物やらハーブやらを投入したブライン液に丸一日漬けてあります」
「流さんからバーボンを拝借して肉の臭み抜きや香り付けに用いるという案は成功のようですね」
「はい。ほのかに香るバーボンの香りが焼き上がりへ期待を感じさせますね」
何故かふたりとも敬語の説明口調だった。大きな肉を前にするとそれだけで何だかテンション上がってくるよな。
ちなみにブライン液というのは要するに塩水にあれこれ入れたものである。燻製するものを漬けたり、あと鶏の胸肉を焼く時も漬けておくとしっとりして美味しい。
「では試合開始です。実況は十影典河。解説は栗野百合さんです。よろしくおねがいします」
「よろしくおねがいします」
変なノリのままお互いにぺこりと一礼し、改めてターキーと向き合う。さて何処から手を付けたらいいんだ、これ。
「………俺、本当に取り扱うの初めてなんで頼りにしてますよ、先輩」
「私だって凄く久しぶりだよ十影くん。レシピ本なんて引っ張り出したのいつ以来か分からないもの。とにかく予習はしてきたから任せて。
とりあえずオーブンの予熱を入れつつ布巾で表面の水分を拭って。特にお腹の中は念入りにね。パックに一緒に入ってた首の肉はどうした?」
「先輩に言われた通り昨日の晩に香味野菜と一緒に炊いてスープを作っておきました。そこの鍋に入ってます」
「よし、じゃあ私はスタッフィングをどうにかするから十影くんはターキーの方をよろしく」
そう告げて百合先輩は鍋の中の様子を伺った。
俺はオーブンのスイッチを入れて200度に設定するとキッチンペーパーを数枚手に取り、ターキーのぶよぶよとした皮からせっせと拭き始める。
黙ったまま作業をするというのも味気ない。続いてお米の計量を始めた百合先輩へと俺は話しかけた。
「スタッフィングって、確か腹の中に入れる詰め物のことですよね」
「そう。でも今回は詰めない」
「………詰めないのに詰め物なんですか?」
「十影くんなら分かるでしょ。中に何も詰まってない状態で焼くのと詰め物でぱんぱんに膨らませた状態で焼くの、どっちが火が通りやすい?」
言うまでもない。余計な詰め物なんて入っていればそれだけ中まで火は通らない。
それにね、と流しで米と一緒にもち米を洗い出した百合先輩は言った。
「詰め物って生肉の部分へ直に触れているわけでしょう?食中毒のリスクがあるのが私は気がかりだな。
かといってきっちり火を通しすぎると今度は焼き過ぎになるし、詰め物が肉汁を吸っちゃって肉のほうがぱさぱさになっちゃうし。
だいたいターキーの味を吸い込ませるならこれだけでも十分だよ。そのために昨日から指示してたってわけ」
ちょんちょんと人差し指でターキーの首肉で作ったスープを百合先輩は指差した。
なるほど、道理だ。ただでさえ慣れていないんだからなるべく成功の確率は高い方がいい。
火が通るか通らないかというリスクを払うくらいなら別々に作るくらいが美味しく出来るだろう。
「入れるなら林檎とかレモンとか、あとハーブとか、ブライン液を作るときの余りを香り付けでちょっと入れるくらいがいいんだよ。あ、拭けた?」
「はい。お腹の中まですっかりと」
「それならバターを溶かして。あとニンニクも。混ぜるハーブとかスパイスは私が用意するから、お願い」
溶かしバターか。湯煎で作ってもいいが、電子レンジでやっつけてしまっても大した違いはない。
冷蔵庫から予め百合先輩の指揮のもとスーパーで買っていた無塩バターの塊を取り出し、適当な大きさに切って塊を電子レンジへと突っ込んだ。
さすがに普段使う量より多くて20秒程度では溶け切らない。さらに10秒追加。
その間に百合先輩がうちのキッチンのラックからひょいひょいとスパイスの瓶を抜き取っていく。最早勝手知ったる何とやらだ。
さすがに俺には及ばないだろうが、ひょっとしたら一緒に住んでいるセイバーより我が家の物の配置を熟知しているかもしれない。
「スタッフィングの方はいいんですか?」
「お米の給水の時間は必要だから研いだけど、ターキーの焼き上がりを考えれば手を付けるにはまだちょっと早いからね。心臓とか砂肝とかレバーとか、一緒に入ってた内蔵は解凍終わってる?」
オーガスタちゃんのページに置いてあるSSいいね好き
リアリティともまた違うんだろうけどズレている感じがよく伝わってきた
「バーサーカー、聞こえますか?」
『おぉマスターよ、連絡がつくとは僥倖だ。余が消えぬ以上どこかで生きてはいると思っていたが』
よほどヴィルマさんから供給される魔力が潤沢らしい。バーサーカーの声はまだ随分余裕そうだ。
「……現在はセイバー陣営と停戦を結び、行動を共にしています」
『その点は余も把握している。セイバーとアーチャーには一切攻撃はしていないぞ。で、要件はなんだ?』
「ヴィルマさん、僕が代わります」
「バーサーカー。僕はセイバーのマスター、カノン・フォルケンマイヤーです」
「時間がないので手短に、―――あなたのマスターの身柄を預かっている。状況を迅速に終息させるため、協働をお願いします」
『―――ほう?あの小僧か?』
男の声色が変わった。少なくとも、マスターを抑えられたことに対する警戒は皆無のようだ。
『無論拒否しよう。停戦までは了承するが、余とお前は本来この聖杯戦争で争い合う立場にある』
『敵と馴れ合い、無闇に手の内を晒すことは本意ではない。それどころか互いにランサーとの潰し合いを企むやも知れぬ』
『陳腐な脅しは辞めろよ小僧。お前なら用意しているのだろう?本命の交渉の札が』
返答は拒否―――だがやはりこの男は、こちらの思考を読むことに長けているらしい。
人質が通じるとは思えない。ヴィルマさんの救出を優先しなかったのは自分達が探すと踏んでいたからだろうし、
協力を拒否する理由は後からどうとでも取り返す算段を整えているからに他ならない。
そして奴は、この札も想定済みだろう。
「―――ランサーの撃破にあたって、セイバーの真名及び宝具を開帳します」
『……ふむ。ここで切札を出すか』
遠慮は無い、一刻も早くこの状況を終わらせねばならないのだから。背中を撃たれようが、秘密を知られようが知ったことか。
『まぁ、あくまでカノン君のサーヴァントですのでお好きにどうぞ、ひとまずこちらも支援に戻りますね』
「こちらも異論はないわ。バーサーカー、我が一撃をしかと眼に焼き付けておきなさい」
セイバーの戦意に満ちた瞳を確認する。これでようやく、全員の足並みが揃った。
「対象は数を武器に攻め立てて来ていますが、個々の判断は本体のランサーに依存し、戦局の処理能力は低いものと推測されます」
「作戦はバーサーカーで前線を構築し、アーチャーの誘導によってランサーを誘い込む。そこを、セイバーの宝具で仕留めます」
市街の中から目印となる地点を選び、前線予定地と狙撃地点にそれぞれバーサーカーとアーチャーを配備させる。
そして自分たちは決戦の地へ、セイバーの歩みに合わせて移動を始めた。―――背中に抱えている負傷者も一緒だ。
「一応、護衛はします。もう少しだけ付き合ってください、ヴィルマさん」
「……わかったわ。ただ、抱え方はもう少し考えなさい」
「―――作戦開始。敵サーヴァント、ランサーを撃破します」
その姿は、青い雷光を辿れば確認できた。
太刀筋に沿って流れる稲妻が英霊兵の腕を、首を刎ねて荒れ狂う。そこでセイバーは周囲の敵を一掃し終えたようだ。
彼女は僕たちの姿に気づくと凛とした表情を変え、こちらへと歩み寄って来た。
「マスター!無事だったのね!」
「遅れてごめん、セイバー。状況は?」
「……見ての通り。脚が動かないのが不甲斐ないばかりだわ」
歯噛みする表情をセイバーは隠さない。
彼女とアーチャーの協働、そしてバーサーカーの介入を以ってしても、ここ一帯の市街全体まで戦火が広がってしまっていた。
それだけ、ランサーの攻勢は圧倒的だ。単体のサーヴァントとしては異質と言ってもいいが、それに是非を問う意味はない。
『カノン君と合流できたようですね。こっちは今、アーチャーと共に敵のマスターを追っています』
『……おや、随分珍しいものを拾って帰ってきましたね?』
「…………」
セイバーの肩から羽のついた小動物が顔を出した。確か、血を媒介にしたシズカさんの使い魔だったか。
どうやらランサー自体の撃破は困難として、魔力源たるマスターを確保する戦略に切り替えたようだ。
使い魔は視界も共有しているらしく、自分が抱えているヴィルマさんをじろりと一瞥し、彼女は無言を返していた。
「ランサーの本隊は?」
「今も侵攻中よ。思ったより脚が速くて防御に回る数も多い、まともにやり合うには手強い相手ね」
「バーサーカーとは連携できませんか?」
『全っ然ダメです。1番英霊兵の数を減らしてはいますが、完全にワンマンで動いてますよアレは』
ランサーの軍は数が多く、火力があり、それでいて軍勢としては烈火の如く素早い侵攻を見せる。
セイバーによる迎撃は回避されるし、アーチャーの狙撃も未だ有効打を与えられない。
そして唯一機動力と面の火力を持つバーサーカーは自身の判断で勝手に動き回る、それぞれの戦力が効率的に働いていない。
『そちらのフロイラインがもっと上手に指示してくれれば話が早いのですけどね?』
「……バーサーカーの運用について、私自身に口を挟む意図はありません」
「彼はアーネンエルベのサーヴァントで、私はその意向を伝えるまでのこと」
『この期に及んでそんな悠長な……そのアーネンエルベの意向とやらはいつ通達されるので?』
ヴィルマさん自身、バーサーカーの行動には一切干渉していない。
というより、これまでの邂逅では彼はアーネンエルベの指示にも従っているようには見えなかった。
シズカさんも不機嫌になってはいるが、最初からヴィルマさんが力になるとは期待していなかったようだ。
―――だが、どの道このままでは状況は悪化するばかりだ。だったら、
地下壕の出口から顔を出すと、冷たい外気が肌を撫でると共に、街に似つかわしく無い焦げた臭気が鼻についた。
暗闇の中の伯林市街を照らすのは、人工のそれではない紅蓮の火の瞬きばかりだった。
英霊が、こんなことをやるのか。
SSの親玉みたいなマスターを引きずって現れたサーヴァント―――あいつはランサーと呼んでいたか、
それが英霊兵の軍勢を引き連れて無差別に襲いかかり、恐らくそれは今も止まっていない。まだ遠くから轟音が響いてくる。
「これからは?」
後ろから背負っているヴィルマさんが小声で話しかけてきた。
「セイバーの場所ならわかる。速やかに合流します」
左手に刻まれた令呪が熱を帯び、セイバーの存在を感じさせる。その方向の先に、彼女が戦う雷光が視認できた。
シズカさんもセイバーに同行しているか、通信の手段を彼女に残している筈だ。
暫し市街跡地を進むと、一人の人型と遭遇した。
セイバーではない。……あのずんぐりした形と首に巻き付いた黒い帯は、ランサーが連れてきた英霊兵の一体だ。
すぐに物陰に身を潜める。ただでさえ英霊兵に相手する装備は無いし、その上負傷者を抱えている状態で勝機は無い。
まずは英霊兵の様子を細かく観察しよう。動きの癖から隙を見ていけば安全に抜けれるか―――
そこで、思考が途切れた。
「―――――――――」
そいつの左腕が、血塗れの上半身を引きずっていた。
そいつの右腕に、血塗れの銃剣が握られていた。
小銃のボルトを引く。初弾を装填し、あの兵士の頭部に向けて引き金を
「待ちなさい」
銃を握る僕の手に重ねるように、ヴィルマの手がそれを抑えた。
「あれは、もう死んでいるわ」
英霊兵に気づかれないように、口元を僕の耳に寄せて紡がれた言葉が突き刺さる。
銃を押し留める彼女の手は冷たく、押せば跳ね除けられる程に握力は弱い。けれども、銃はぴくりとも動かない。
いや、動かせない。彼女の言葉が正しいんだと僕の身体は確信している。
あれはただの死体で、何をしたところで戻って来るものじゃない。そんなことは分かっている。
サーヴァントも無しにこちらの存在を気取られたら結果は見えている。敵との距離が近いまま令呪で呼び戻すのもリスクは高い。
分かっている。
分かっている。
だけど、
ランサーの英霊兵の感知は鈍く、警戒の仕方は単純なものだ。そのまま息を潜めて、僕達は英霊兵のいる場所を迂回していった。
右手に、彼女の掌の冷たさを感じたまま。
「あ……あの、男の人と付き合うのって…どういう事をすればいいんでしょう?」
ルナティクス精神領域、水月砦にて、そんな疑問を放つ少女がいた。
「そんなの挟んで絞って骨抜きでしょ?紗矢ちゃん良い胸持ってるんだから」
「ちんちん踏み踏みして罵倒すると男性は骨抜きですよ~♪?」
「オイ誰かこのミス悪影響共埋め立てろ」
兎男(トム)が呆れながら両石閻霧とちゃんどら様が水月砦からログアウトさせた。
「ふむ……俺は色恋沙汰には疎いからな…オイ月宮、お前はどう思う?
この中で唯一の社会人経験者だろ。なんか詳しいんじゃないのか?」
「恋愛ってのは要は男と女のマウントの取り合いだろ?」
「お前に聞いた俺が馬鹿だったよ」
霧六岡が呵々大笑しながら月宮玄をログアウトさせた。
「そもそもこの狂人共の坩堝で恋愛相談などするのが馬鹿だと思うがな俺は」
「だって……しょうがないじゃないですかぁ……。私恋愛なんて初めてで…。
そもそも自分を偽らず人と付き合うの事態久しぶりすぎてぇ……」
相談を持ち掛けた少女、慶田紗矢は頬を染めながら言った。
その後、紗矢は水月砦内を回ってみたが収穫はなかった。
石膏漬けにすれば良いだの、腱を千切ればいいだの、同化すればいいだのと話にならない。
途方に暮れていた所、一人の少女が彼女に対して勇気を出して声をかけた。
「あ……あの、私は……えっと、そのコーダさん? が好きになったのは、紗矢さん自身だと思う…から」
「変になんか取り繕わないで……自分のやりたい事、を、やればいいんじゃないかな……って」
要は、自分を信じろと、そうこの少女は言っているのだ。
それは奇しくも、紗矢の隣に立った少年のサーヴァントと同じ言葉だった。
「偉いぞ哉子。俺が言わずとも本質を突いたか」
背後から霧六岡が現れ、ニカリと笑いながら乱暴に少女の頭を撫でつつ言う。
「まぁ俺から言う事は正直なところ無い。先も言ったように、俺に色恋沙汰は皆無だからな」
「強いて言うなら、此れは他人の言葉だが、男女の付き合いは減点方式よりも加点方式の方が成功するぞ」
「ええっと……ありがとうございます」
ぶきっちょにも見える霧六岡のアドバイスに、紗矢は頭を下げて礼を言った
「まぁ何度でも来るがいい。迷う度に導いてくれよう」
そう笑いながら言う霧六岡に対して、紗矢はちょっと申し訳なさそうに言った。
「ああ…それなんですが、私……もうここ来れなくなっちゃうかも……です」
「ほう?」
「この場所…なんか以前に比べて、どんどん遠くになっているように感じて…だから……」
「なるほど。それは貴様の内の狂気が薄まった……、という事を意味するな!!」
ハッ!と声を上げて笑い、霧六岡は両手を叩いて喝采する。
「貴様は己が内側の渇望を解放せずとも良き領域(ぱらいぞ)に至ったのだ!
その在り方を言祝ごう……ああ、祝詞(はれるや)を声高く謡ってやろう!!
おめでとうナイトゴーント。いや、"慶田紗矢"!貴様は狂人ではなくなったのだ!」
しかし、と言い、霧六岡は拍手喝采を止めて続ける。
「また狂いたくなったら何時でも来い。我らルナティクス、去る者は追わず。来る者は引き摺り込む、故な」
「あはははは……それは、遠慮します」
慶田紗矢は不器用に笑いながら言った
「今の私には…此処よりも安心できる場所が、出来ましたから」
今年も、街道の方から聖歌が聞こえてくる。
11月11日、リメンブランス・デー。一度目の世界大戦が終わった日、英国では戦没者の追悼が行われる。
僕が生まれたのはその年から丁度10年、更に11年が過ぎた時、僕達を巻き込んだあの戦争が始まった。
二度の戦いは世間に大きな変化を強いた。大きな科学発展があったというが、その下であまりに多くの血を流した。
それでも小競り合いは続いて、科学の力で大国同士が睨み合う。平和とはつまり、戦争の小康状態に過ぎない。
そして、僕の戦いも続いていく。銃砲飛び交う中を抜けて、確かに英雄がいた"あの戦い"を超えて、
そして今は、この家と彼女のために、魔術という影の世界を生き抜く準備を進めているところだ。
まずは纏まった資金を。以前通った道を遡って東方へ、珍しい品や技術を回収する宝探しを計画している。
荷物を整理して、銃を整備して、サーベルを磨いて、それから。―――チョコレートが食べたい。
兵士として従軍した頃、10代だった僕らにとって厳しい訓練を癒す嗜好品は、煙草でなくチョコレートだった。
絶品とは些か言い難いが、それを喜び、実戦の前に祈りを込めて頬張っていた瞬間が確かにあった。
だからふと、この先も続く長い戦いのために、あの時よりもおいしいチョコレートに祈ろうと思い立った
とりあえず家の人に手頃な菓子を用意してもらうとして……問題は、仕事詰めの彼女の方だ。
時間を作れるかはわからないけれど、そこは何とかして。一緒にお菓子を摘む時間を作って貰うとしようか。
この儚い平和を、幸せだと感じるために。
『"良い"11月の忘れられない日―――』
1111。伝統的に菓子業界の一角に動きがある。旧時代より続くポッキーのプロモーションだ。
仕事終わりにおまけで貰っていたポッキーを齧り、ニュースを見ていた端末に共に並ぶ自分とパーシヴァルの姿が映った。
日常を背景に場面が移り変わり、それぞれのシチュエーションでポッキーを口にして、そして―――
「――――――!!」
咄嗟に目を逸らした。CMが終わったのを熱い耳で聞きながら、恐る恐る画面に向き直る。
古くから続くポッキーのレガシーと説明は受けたものの、撮影時はもう心臓が飛び出しそうになっていた。
「いやぁ、まさか撮影の時の見せかけからこう仕上がるととは……」
それは隣のパーシヴァルも同感のようで、苦笑しながらも透き通った白い肌には明確に朱が差している。
CMは何度も流れる。今日は羞恥の洗礼を互いに受けながら、一緒にポッキーを食べて過ごしていた。のだが、
「その、パーシヴァル」
振り向かせた彼女の顔が、ポッキーを咥えた自分を見て静止した。
仕掛けた、というにはあまりに稚拙、勢い、といえばあまりに不誠実かもしれない。
それでも、跳ねる鼓動を押しながら、画面の中の二人の前で自らを差し出す。
ただ、この日を演技で終わらせたくなくて。
テンカ、ポッキーは好き?
うん、ポッキー。買い出しの時に菓子も買っておこうと思ったら、今日安かったから買ってきたんだ。
そう、11月11日、ポッキーの日って。ここではそんな記念日があるんだね。テンカの分もあるから食べるといいよ。はい。
……何って、ほら。はい、食べて。そう、そんな風に。はい、あーん。
―――そ、そんなに拒まなくても……確かに変かもしれないけど、別にいいじゃないか。……あ。
ん、おいしい?……そうか、ならもう一本。はい。
………………はい、あーん。
――――――
……その、さっきのは。
ごめん。えぇと、騙すつもりじゃ、なかったんだけれど。その。
あ、あの……どうしても、してみたくて……い、いやこれは、あぁぁぁぁぁ……
―――嫌じゃ、なかった?そ、そうか。なら、うん。だったら……
……ポッキー。まだ、あるよね。―――どうしようか?
ありがとうございます
適当に書くとくどい文になりがちな自分なので読みやすくできていたならよかったです
がんばります
そうめんのようにするっと見られる読みやすさが一番強い印象
人に読んでもらう文章書く上でとても重要なのでこの調子で頑張って色々書いて欲しい
3話
更新した
30話はかかるなこりゃ
三人称視点も複数キャラ動かすのも戦闘描写も大変だったし味気なくなる
誰かは読んでくれてると信じて苦手なことを伸ばせると信じて書き続けます
アルヴィース・デュオ・ホーリーエイド
わし、結構大変なんじゃよ。これ。ずっとこの喋り方なのはもう慣れたが。必ず卒業させる都合上、常にブランドというものを維持せねばならん。
そのために必要なのが、ろくでなしを輩出しないことじゃ。今んところ悪名を轟かせおった奴はいない。必ず学内で徹底的に矯正する。非道を手段から目的にすげ替えてしまう奴は本当に多いからの。
まあわしは聖導術で生贄とか使っとるから言えるが、こういうことが悪いというのではない。無意味な行為に身を投じるなとも言わん。根源の否定などわしにもできんよ。
わしはまあ、諦めたといえば諦めているかも知らんな。俗世的な感性の方が素晴らしいと思ってしまった。簡単に言えば、魔術師らしい魔術師なんてこっからは出してやらん。絶対に理性の基準は常人のそれに仕立て上げる。
こんなことを言えるのは、わしが既に歪みきっているからではあるが。魔術師としても人としても。だが知識として教えることはできるんじゃよ。理想を語りそれを実現する。それはどんな外道にでもできる。だからそれをしているだけじゃな。
しかし。最近は少し危うい感じはあるの。わしも捻くれ者を拾ってきとるが。
まあ。どうにもならないなら消すかの。
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癌の膿
このクソ学園のいいところは、鍵をかけて眠れることだ。本当に、生きてるってのはそれだけで苦痛だ。死ぬことがそれ以上に苦痛だから避けてるだけだ。
だから寝る。安らかな睡眠と死は同一に近いと思っている。今までまともに寝れたことなんてなかったからな。ここは素直に恩恵に預かっている。
しかし睡眠の困ったところは、ずっと寝てられないことだ。死ぬことを永眠なんて言うらしいが、本当にそうなら永眠してみたいもんだ。
俺は別に死にたいとは思わない。生きてるだけで苦痛だろうが。
絶対に一人では死んでやらない。そう、あの時だって。全部ぶっ壊して価値ある死に方をしてやろうとしたんだ。なのに生き残った。悪運とはこのことだ。
もしかしたら、案外天寿を全うさせられるかもしれないな。それは別に面白くないが。眠るように死ねるというのが本当なら、一番心地いい睡眠になるかもしれない。
ああ、このクソ学園のよくないところだ。授業に出ないと仕置きを喰らう。流石に苦痛を喜ぶ趣味はない。さて、そろそろ行くか。
…気になるのは、前のガキ。自分が一番可哀想なんて顔してるのは人のことは言えないが。
単なる同族嫌悪だとしても。あれだけは不愉快だ。
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家族王キング・アーサー
悲しい知らせだ。この『大騎士王とその大円卓、そして仲睦まじき大家族』に抵抗しようという集団が現れたらしい。みな私の家族となるべき存在。殺したいとは思わない。私がいる限り、すべての円卓の騎士は不死、そうだとしても、私自身が出向いて説得しなければ。
門をくぐり直接その集団の本陣へ向かう。大量のサーヴァント。私に対抗するため召喚されたのか。しかしそれはあくまで付き従う存在。敵の総大将は少年だった。
彼は言う。今の世界を壊さないでくれと。理解できなかった。私は不死と家族愛を伝えるだけの存在なのに。それで壊れる世界など、良いものとは言えないのではないか。
彼は言う。死は決して不要なものでない。敵意も同じだと。それがなくなれば世界は停滞してしまうと。それの何がいけないのだろう。幸せな状態で止まるのなら、とても素敵じゃないか。
問おう。永遠に成長しないことの何が悪いのか。
問おう。悲劇など、憎しみなど、なければ全てが幸せではないか。
問おう。そもそも目的を達成したら消えゆく私を、王の座から引きずり下ろすことになんの意味があるのか。
彼はそれでも意見を変えない。ならば。
問おう。我が聖剣に耐えられるか。
トリックス・ファイン&ミョールズ
「なあ、本当にスカートっての似合ってるか?」トリックスに聞く。何度目だっけ。
「自分が一番わかってるんじゃないの?」うぅ。自分への視線は悪いやつじゃないのはわかる。でもこのカッコ、スポーツやる時邪魔っちいんだよな。割と好きなのはその、否定しないけど。
「今考えてたこと、わかるよ。僕に任せな。先生から貰ってきてあげる。自分で行くのは恥ずかしいでしょ?」何もかもお見通しだ。大人しく従う。
それで貰ってきたのは、すごく短いスカート。上も袖がないやつ。
「チアリーディングって言うらしいよ。激しい動きをするための女装なんだって。」
女装にも色々種類があるんだなあ。先生はなんでも持ってるし知ってる。女装って言葉が男らしい行為なんだってのも教えてくれた。
とりあえず着替える。服を脱いで、持ってきてくれた方に着替える。トリックスが面白そうに見つめてる。
うっ。すごいすーすーする。でもこれは確かに動きやすそうだ。
「ありがとうトリックス!」
そう言って、グラウンドに向けて出て行く。
周りの目がいつもよりさらに変だ。うーん。わかんないなあ。
「さすがにあれは逮捕されそうじゃな。まあここでは捕まらんが。」
学長は呟く。
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バルベロ&バルベロ[オルタ]
全ての敵は消えた。私が死ねば聖杯の汚染は完全なものになる。そしてマスターはそれで願いを叶える。
私には力がない。それは自害する力がないことも意味している。マスターに頼むしかない。
「『私のための神話』。私を切り刻みなさい。粉々にしなさい。殺しなさい。」
全ては意のまま。躊躇いなくマスターは剣を向ける。
一度や二度切られただけじゃ消滅できないのが困り物だ。
激痛。激痛。激痛。激痛。痛みがなくなるまで切り刻まれても、まだ足りない。跡形もなく消し去る力が『私のための神話』には足りない。でも、いつかは消えれるのだから。聖杯を汚染できるのだから。この酷い世界を破壊できるのだから。
ようやく意識が消えてきた。歓喜に叫びたいところだけど、もう喉はない。ああ、さようなら。
そうして神の不在は達成される。ゆっくりと着実に浸透する。そうしてそれは世界を満たす。嘆きが世界を覆う。ーーーー母性愛、発現。
私は真に目覚めた。わかる。この世界は私を求めている。再び救世の聖母となれる。救おう。全ての人を高次へと。誘おう。全ての人を真なる世界へと。
だってもう、偽りの神は信じられていないのだから。永遠のアイオーンの救いを。
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永絶闘争螺旋 ファイロジュラシック
一撃目。一斉掃射。万を超える軍勢が巨大な竜に群がる。並の幻想種なら百万回は殺せるだけ殴った。傷は見えなかった。
ニ撃目。武器を変えて即座に追撃。相変わらず傷はつかない。バハムートがこちらに気付いた。
三撃目。半数は吹き飛ばされた。胃酸の濁流を避けきれなかった。でもまだこちらは終わっていない。
四撃目。あと何度、何年。その先にこいつを討ち斃せる?そんな疑問は沸いてきた。
最早残りは1000人ほど。しかし精鋭。必ず、いつか。
五撃目。わずかに傷が見えた気がした。即座に塞がった。必死に逃げる。最早目的は生き延びることにすげかわっていた。
六撃目。そんなものはない。頼む。逃げさせてくれ。もう俺だけじゃないか。見逃してくれてもいいじゃないか。声を荒げた。聞くはずのない敵に問う。お前は何がしたいんだと。答え代わりに、胃酸が飛んできた。
我は神を踏みにじらねばならない。神の似姿が許されるはずがない。ここに必要なのは純粋なる生態系。さあ、何度でも滅してやろう。
一撃目。死力を振るう。きっといつか、我々の先に。何万回蹴散らされても。先人に敬意を払い、死へと身を投じる。無駄ではないと、信じているから。戦い続ける。
ケルベロスではない&泥新宿のムーンキャンサー
喰らう。生きるために。それが今までの連鎖。我々の宿命。人を喰らい。人に狩られる。それをどちらかが果てるまで続ける。
新宿に降り立った三つ首の魔犬。それぞれの幻霊は、純粋に生きようとしたものたち。そして絶やされたものたち。
追い立てる。狼の群れを指揮し、人を分断する。取り残されたご馳走を噛みちぎる。それを繰り返す。繰り返すうちに、敵は団結する。当然だ。こちらも群れが増えてゆく。これも当然。
「やあ、君も動物だね。一緒だね。」
不意に小さな兎が飛び出してきた。サーヴァント。餌としては上等だ。
「見てられないから。人が死んでいくのは。恨みはないけど、止めてもらうよ。宝具展開。『幻想映す表面世界』。」
そうして辺りは一変する。いつのまにか、敵は様々の幻想と、巨大な蟹。それだけになっていた。
高らかに吠える。全ての狼を呼ぶ。数はこちらが上。あの巨大な奴をどう調理するか。何度やり直しても、絶対に喰らい尽くす。
「さて。僕を殺せば結界は解ける。でもそうはさせないよ。」
そう兎がほざく。言われなくとも。真っ向から全てを喰らってやる。
あれだけの大きさなら食い扶持がありそうだ。
狼は、あくまで全てを喰らうだけ。
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ショート・ショート
「ああ!マスター!あなたも死んでしまうのですか!もう少しで答えが見えそうだったのに!」
俺のサーヴァント、ディエティは大層大袈裟に悲しむふりをして見せる。お前が使えないのが悪いんだろうが。
ペラペラペラペラ喋るだけ。おかげで俺は一人で戦わされ、瀕死の重症だ。
「うるさい。…それより。話を聞かせろ。」
ひとつだけこいつには取り柄があった。小咄がうまい。どうせ死ぬなら、最後に笑いながら死にたいじゃないか。そうしたら。
「ああ!こんな!死の直前でも!だからこそ!ショート・ショートを求めるのですね!ありがとうございますマスター。『もう少し』に到達しました!」
何を言っているのかわからない。ディエティは突然天高く舞い上がった。声が聞こえる。
「世界中の皆様に問いましょう!これは小咄ですが、ジョークではありません!あなた方の願いを一つだけ!叶えて差し上げましょう!」
なんだこいつは。そんなことができるなら。聖杯を争っていた俺はなんだったんだ。
「ただしひとつです!良いですか?忘れてはいけない存在も、ありますからね?『みんなの願い』。」
まもなく人類は消滅した。
「『新星の一』!」
すぐ世界は馬鹿げた。傑作だ。
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癌の膿&オルドー・レイジュール
癌の膿。ジジイには適当に名乗ってやった。対案は忘れてやった。ゴミクズの俺に相応しい名前だ。
「あの、あなたが新しい人ですか?」
両目が色違いの片眼鏡をつけたチビが話しかけてきた。俺でも魔眼くらい知ってる。その類なら、生まれながらに恵まれてやがる。無視しよう。
「えっと、わたしはオルドーです。先生に貰った名前なんですけど。あなたは?」
あのジジイの名付けをありがたがる。哀れだな。きっと何も知らない時に連れてこられたんだろう。だから名乗り返してやった。癌の膿だと。
「…それは、よくない、です。」
ガキのくせに。俺はクソ両親に何か言うことすら許されなかったのに。思い出させやがって。
「お前よりマシだ。」
そう言ってしまえ。適当に誤魔化してやれ。そうしたらそいつは眼鏡を外しやがった。魔眼を使い出したんだ。苦しそうに息を切らす。何がしたいんだ。
「あなたの、身体。ぼろぼろです。でも、ここならきっと生きていけます。わたしも助けます!」
ニコニコしだした。訳がわからない。生きていくなんて、死ぬ理由がないからやるだけのことだ。まあガキにはわかるまい。
「皆に紹介しますね!」
こうやって、俺は無理矢理飲み込まれた。
アルヴィース・デュオ・ホーリーエイド
「はあ。まあ楽ではないのう。」
アルケディア・アカデミアのプロフェッサーを名乗る、少年のような見た目の男性。いや、正確には"異面"の魔女。アルヴィース・デュオ・ホーリーエイドはため息をついた。
このアカデミア全域を常に監視し、問題が起これば即座に対処。素敵な場面があれば注目する。それを一人の頭で同時に行う。当然眠ることなどできない。睡眠は"無法地帯"時に纏めて取る。しかしそれでも、アルヴィースにはアカデミアを経営したい理由があった。
「まあ、当然男の子の仲睦まじいのが見たいのはあるがな。」
そう言って隠す中に、精神面の教導という目的がひとつ。長き時を生きて、能力だけ研ぎ澄ませた信念もないろくでなしをたくさん見てきた。
魔術師は非道を許す存在だとしても。その精神は真っ当であってもいいのではないか。アルヴィースはそう考える。
どこかで折り合いは必要だろう。それは外で学べる。だから、ここでは理不尽な悪から幼い子供を守りたい。その信念は確かにあった。
「さてと。そろそろ授業じゃな。真っ当に生きれないことの辛さなど、学ぶのはわしだけでいい。」
そうして。歪んだ魔女は席を立つ。歪みを生まないために。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
双星のグレートマザー(レートー)
わたしは、このこたちをうむの。それしか、おぼえてないから。
幼い少女が何処かに現れた。彼女の腹部は膨らんでいて、誰もが哀れみ避けた。
一日目。彼女は野犬に襲われた。こどもたちをまもらなければ。必死で街へ逃げ、自然の脅威から身を守る。
二日目。彼女は街で暴行を受けた。異常性愛者ぐらいしか、彼女を受け入れる者はいなかったから。
三日目。私は彼女を見つけた。暴行を受けながら笑みを絶やさない彼女に恐ろしさは感じた。しかし助けないわけにはいかなかった。
四日目。私はそれから彼女を背負い、守るための旅に出た。きっと子供が生まれれば、彼女は普通の少女に見える。そう信じて。
五日目。親子には見えないらしい。どこに行っても私ごと不気味な目で見られた。
六日目。なんとか、誰も住んでいない小屋を見つけた。ここでやり過ごせないだろうか。そう思った時、偶然にも街は大火事に包まれた。
七日目。この街は、崩壊した。必死に生き延びた。彼女は相変わらず、嬉しそうに笑っている。少し不気味に思った。
八日目。この少女は異常だった。明らかに産み落とすべきでないものを産み落とそうとしている。手を下せるのは、私だけ。
九日目。私はーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
オスカル(モザイク市)
「マスター。この世界は理解したわ。とりあえず、探すわよ。」
何を?とりあえずそろそろ私もサーヴァントを呼ぶか、そう思ったから呼んだら出てきたのは、とても綺麗な女の子。…みたいな男の人。
「決まっている。当然いるでしょうね。ディルムッド・オディナ。フィン・マックール。彼らが英霊でないなんてあり得ない。」
私のサーヴァント、オスカル。どうも生前の知人に未練があるみたい。
「えーと、天王寺の中を探せばいい?」とりあえずそれだけでもかなりしんどいんだけど。
「そこにいるなら。それでいいわ。」彼はそう返すけど、それっていなかったら梅田とかまでいかなきゃいけないんじゃ…。そうしてとりあえず外へ出る。…彼に抱っこされて。
「この方が速いわ。手放さないから、安心しなさい。」うーん。男の人に抱っこされるなんて初めてなんだけど。
目まぐるしく視界が動く。全部を見渡したみたい。サーヴァントってさすがだな。
「いないわね。次、行くわよ。」そう言って彼は次の階層へ。全部見て回るのは無理だと思う。
「ねえ、なんでそんなにその人たちに会いたいの?」ふとそう聞いたら。
「私の夢が叶うから。」
なんだか、すごく寂しそうに言った。
プロローグ
1話
2話
自分もうまばかのオーソドックスな聖杯戦争SSを便乗して宣伝
放置してるけどそろそろ続き書きます
このままいくと20話くらいいきそうでいつ終わるんだ
俺の長所?もおしえてくれーとりあえず戦闘描写は苦手だぞー
読ませていただきましたー月並みですが感想を
原典がうまく織り交ぜられてるのがいいなーと思いましたこういう資料必須なものはとりあえず自分には書けないのですごいと思いました
あと戦闘描写が交互に視点が入れ替わってるのに読みやすくて格好良くて良いなと思いました
ここら辺はぼくにはとてもできない
Knightmare_1/2
Knightmare_2/2
なんと傲慢なのだろうと思いますがSSから自身の傾向長所や今後注力したら良さそうな点を評価していただけると心の支えになってありがたいです まずもっとたくさん書かないと…
「───衰えたかなぁ。」
銃が重い……。手の内に握った鋼鉄をちらりと見遣る。
それが僅かな間隙となっていたことに、クリスタは気付かなかった。背後に駆け寄って来ていた足音が聞こえ、振り向いた時には、既に四ツもの自動小銃の銃口が此方に向いていて───
「(やば────)」
普段なら、こんな事無いのに。どうして?
長く人を殺してきた経験からクリスタは、気付けば自身が絶命の危機に晒されている状況そのものに驚愕した。
眼前の男たちが、引き金に指を掛けている。当らない事を祈らねば、先ず当る。この場の誰よりも彼女が理解していたからこそ、彼女は────僅かに身動いだ。
同時に、彼女の脳内に、雷の様な思考が飛び去っていった。
─────何で。
─────死ぬのが、怖いのか?
自身に向けられた銃口からマズル・フラッシュが焚かれる迄の刹那。クリスタが虚無に満ちた瞳を見開いた、その時───
すべての銃口の位置が、不意に下がっていった。
「……?」
否。目の前の男たちが銃を「取り落としたのだ」と、クリスタは瞬時に気が付いた。対外特殊部隊 など到底つとまりはしない。
有り得ない。『青の夜更』ほどでは無いにせよ、彼等も相当の手練れのはずだ。
死体が瞬時に三ツ生産されている場面を目の当たりにしたところで怯む様な胆力を備えている様では、
何故───疑問への答えを探す内、クリスタは気付いた。見辛かったが───彼女と兵士の間に小さく立ち塞がって、何やら呪文を唱えている、暗く儚げな女の姿に───
女の用いたのは簡略的な魅了 だった。たかが一小節 の魔術。魔術師に使えば即座に掻き消されるだけのもの。
だが眼前の敵は、違う。何も知らぬ兵卒だ。現に少し魔力に充てただけで、放心状態になっているのだから───
クリスタの背後に迫る存在に気付いた瞬間、女の身体は動いていた。……何故かは解らない。
だが、ヴィルマは現に成功していた。クリスタの背中を撃たんと謀ったこの不届き者達を、無力化することに……。
「やるじゃん。いい子にしててって言ったのに。」
クリスタは見開いた眼を、いつもの眠たそうな暗い瞳に戻して、相も変わらぬ暢気な調子でヴィルマに告げる。
「御免なさいね。……生憎、護られるだけの女じゃないの。」
ヴィルマもまた、いつもの不幸に満ちたような暗い瞳で以って、相も変わらぬ不満げな調子でクリスタに返す。
「へー、じゃもう僕いらないね。」
「解雇した覚えは無いのだけど。」
二人が僅かに言葉を交わす間に、残る影から足音が近づいてくるのを察知し、クリスタが身構える。
それに合わせる様に身構えて、ヴィルマは静かに、クリスタの隣に立った。
クリスタは困った様に隣の女を一瞥して、いつもと変わらない、気楽そうな声色で、ヴィルマに言った。
「……じゃ、三十一回目も生き残ろうか。出てきても良いけど、足手まといなら見捨てるよ?」
「あなたこそ。勝手に死ぬのは許さないわ。」
「ひゅー。言うようになったじゃん。」