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MELTY BLOOD企画SSスレ

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泥のメルブラまとめに投下されたキャラクターたちのSSスレ。

「」ゲミヤ
作成: 2021/05/27 (木) 23:26:07
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─────

廃墟のすぐ近く、茂みに隠したバッグを取り、表通りに出る。幸か不幸か、底の方は多少濡れているが、教科書は無事な範囲だろう。
……そう言えば、傘を持っていない。普段から持ち歩いていないし、持って来ることもなかった。
別に濡れる事自体は気になどしないが、やはり面倒くさい。そう思いつつ、そのまま帰ろうと踵を返した瞬間、彼女を呼び止める声があった。

『……あれ、ステラ先輩?』

自分をその様に呼ぶのは、数人しか心当たりが無い。振り返ると、傘の下に見知った顔があった。
それは彼女がこの街で拠点とする学校の生徒。企図せずよく話すようになった、一つ下の後輩だった。

「支くん」

それなりに降っている雨粒の中で、平然と歩いている彼女を怪訝に思ったのだろう。
彼は彼女の姿を上から下まで見た後、少し気まずそうに目を逸らしながら、彼は質問を投げ掛ける。

『どうしたんですか?傘も差さないで……』
「……ああ。傘、持ってきてないから。」
『えっ。予報で言ってましたよ、16時からどしゃ降りだって。』
「うち、まだ新聞取ってないし。」
『……テレビは?』
「あの箱?ないよ。」
『……。』

彼は分厚く空にかかった暗雲を、傘の下から一瞥する様子を見せた。彼女もそれに合わせて上を向く。見れば、空の色はつい数分前より濃い灰に代わっていた。
……なるほど、確かにこのままでは土砂降りになるだろう。

「ほんとに強まりそうね。急いで帰らないと。……じゃ。」
『あ……待ってください。』

再び歩き出そうとした時、彼はまた彼女を呼び止めた。彼女は背けかけた首を戻し、続きを言いよどむ彼の顔を、端正で小さな顔に嵌められた、輝く緑の瞳でもって不思議そうに覗き込む。
数拍ののち、彼は手に持った傘をやおら彼女に突き出しながら言った。

『あの……良ければ、入りますか?』
「傘?良いの。」
『はい。先輩なら……』

何が自分ならなのかは分からないが、教科書が濡れるのはまずい。……断る理由はないか。

「……じゃ、入れて。」

濡れた金の短髪をかき上げながら、軽く首を下げ、傘を持つ彼の左隣に入った。

10

傘はさして大きいわけでもなく、思ったよりも狭く感じた。暗い空の下で歩くうち、外界の雨は一段と強まりつつある。
傘の下の暗く閉塞した空間には、ただこもった水音と、すぐ上で跳ねる雨粒が弾ける音ばかりが聞こえている。
手に持ったバッグになお雨粒が掛かる事に気付き、身体を少し彼の方に寄せる。それまで腕が触れていた程度だったのが、肩と肩、腰と腰まで接触する程の距離に縮んだ。
十分すぎるほど雨に濡れたブラウスやスカートは、もはや彼女の身体に完全に張り付いている。それが彼に触れる度、その制服までもを濡らしてしまっていた。

これは、思った以上に窮屈だ。ここまで近いと互いの息遣いまで聴こえて来る。
歩き始めてすぐはぽつぽつとあった会話も既に無く、彼は黙り込んでしまっていた。ちらと見れば若干自分から目を逸らしている様だった。
……濡れるのを嫌がっているのだろう。思えば彼は普段から、制服をきっちりと着こなしている。彼女はつぶやく様に言った。

「……悪いね」
『え。……何がですか?』
「わたしの服、濡れてるから。……あなたのまで濡れちゃって。」
『あ、ああ。……いや、そんな大した事じゃ無いですよ……。』

どうも歯切れが悪い。彼の様子を測りかね、隣から少し身を乗り出す。彼女はその翠玉に輝く双眸をもって彼の表情をしばし覗き込み、その心境を見定めにかかる。
視線が合う。外れる。視線が合う。外れる。……およそ10秒ほど凝視する中で、彼女は彼に現れている、ある異変に気が付くことが出来た。
それとほぼ同時に、彼の方からどこか気不味そうに、控えめな質問が上がる。

『先輩、その……何です?』
「……支くん」
『はい』

じとっとした緑の目で彼の瞳をまっすぐ見つめながら、彼女は真に迫った声色で言った。

「……もしかして、風邪?凄く顔が赤いけど。」
『え?!いや、これは……。』

普段感情の起伏が乏しい彼には珍しく、一瞬たじろいだ様子を見せ、頬に手を当てる。図星か。
彼の額に指先を当てる。心なしか熱くなっている様に感じた。

「やっぱり。ちゃんと体調管理はしなさい。倒れられでもしたら困るんだから。」
『……そういう事にしときます』

その後は、彼の様子を案じながら暫く歩き続け、細い分岐の近くで立ち止まる。
共に立ち止まった彼に向き直り、道の向こうへ指を差して言った。

「じゃ、わたし、こっちだから。」
『そうですか……。お疲れ様です。』
「お大事に。」
『……。……どうも。先輩も気を付けてください。』

そう告げて傘から出る。雨足は一時的に弱まった様だ。まだまだ降っているものの、雲間からは光が差し込んでいるところも見える。
立ち去ろうとした彼に向けて振り返り、彼女はふと、声を上げた。

「支くん」

彼が振り返る。薄紅の瞳をまた見つめ、彼女は小さく、呟く様に言った。

「傘、ありがと。」
「……嬉しかった。」

雨に打たれ、雲間の光に照らされながら別れを告げる。
彼女の顔には、知ってか知らずか──大輪に咲く華の様に、柔らかく、暖かな微笑みが浮かんでいた。

11

─────

彼と別れて数分。少し歩いただけで、空模様はまたバケツをひっくり返した様な豪雨になっていた。不安定な気候……。やはり予報など信用ならない。
熱いのは慣れっこだが、冷たいのはそんなに慣れていない。ようやく、一人で暮らしているアパートのすぐ前まで辿り着いた。
エントランスに入りがけ、雨でぼやけた道の向こうから、何やら見覚えのある人影が近づいて来るのが見えるや否や、向こうから声を掛けてきた。

『……あ!ステラちゃんだ~!……あれ、傘持ってないの?ビショビショじゃない。』
「……ナンシーさん」
『連れないわねー。ナナで良いのに。』

ナンシー・ディッセンバー……彼女にとり数少ない、名前を覚えている女性だった。
自分と同じ、聖堂教会からこの街へ派遣されて来た、ニルエーラ聖彩騎士団(総勢一名)の団長……。
様々な異名をとる誉れ高い聖騎士(パラディン)というが、管轄が異なるのであまり良く知っているわけではない。
一方でひとたび挨拶に行って以来、やたらと自分に絡んでくる様になった。色々な面で謎の多い女性だった。

『傘入る?大変でしょ。』
「いえ、結構です。住んでるの、ここなので。」
『へぇ?。いいこと聞いちゃった。』

今度遊びに行っちゃお、などとはしゃぎ始めたナナを見て、彼女は内心で失敗した、と思った。
せめて部屋番は秘密にしておかなければ。いつインターホンを鳴らされるか分かったものではない。

『せっかくだし、軽く拭いたげよっか。こっちこっち。』

言うが早いかナナはエントランスに入って来て、タオルを持ち出し、凄い勢いで手招きをして来る。
……現に寒いし、部屋の玄関には拭くものもない。廊下が水浸しにする事もないし、厚意を無碍にする理由はないだろう。
近寄ると、すぐさまタオルを上から被せられた。力強く、しかし繊細な手付きで、髪から身体まで水分が落とされて行く。

しばし身を任せながら、彼女はナナについて思考していた。相変わらず、この人のことはよく分からない。何が楽しくて自分に構うのだろうか?
魔との混血。それは聖堂教会の討伐対象ではないが、さりとて忌まれる存在に変わりはない。夢魔の血が入っている彼女は、表立って排斥された事こそないが、それでも水面下では少なからぬ反感にさらされてきたのは事実だ。
だからこそ、何ひとつ隔壁なく好意的に振る舞い、そのように自分に接してくる教会の人間など、彼女にとっては珍しく感じるものだった。
そういった在り方も含めて、評判通り、色々と規格外な人物なのだろう。いつも一緒のお付きの人には同情を禁じ得ない。
タオル越しにしきりに頬を撫でられ、思考を中断されながらもそんな事を考えていると、不意に手が止まった。

『はい、こんなものでしょ。でもほんとにずぶ濡れねー。上から下まで透けちゃって。可愛いんだから、少しは気にしないと』

タオルが外される。指摘されて初めて、彼女は自分の身体に目をやった。
見れば肌に張り付いたブラウス越しに、薄ピンク色の下着と、白く透き通る様な、しかし僅かに紅く彩られた、生気に満ちた肌色までがはっきりと透けて見えて居る。
彼女はそれに気付いても大した動揺を見せることなく、ずぶ濡れのスカートの裾をおもむろに絞り始めた。

「……え?あ、本当だ。ん、気を付けないとですね。……わたしの身体なんて、見てもいい気分にならない。」
『そう思ってるの?アタシはとっても嬉しいけど~?』
「えぇ……?」
『もっと自分に自信を持っていいのよー?それだけのものは持ってるんだし。ね?』
「……はぁ」
『じゃ、アタシ用事あるから。またね~!』

そう告げて、彼女は嵐の様に過ぎ去って行った。……最初から最後まで、よく分からない人だった。

彼女と別れた後は、何事もなく自室に帰ってくる。びしょびしょの制服を絞り、濡れた下着を脱ぎ、洗濯機に入れながら、ふと帰り道のことを思い出す。
支くんにも、わたしの身体を見られていたのだろうか。
……だとしたら、どう思われていたのだろう?

そんな他愛もない考えを抱きながら、一人、浴室に入って行った。

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ヒロイン2人が焼肉を堪能するだけのお話 2021/05/27 (木) 23:43:59

かちゃ、じゅうじゅう。
もっ、もっ、からん。
トングの音。肉を焼く音。食べる音。そして皿が積まれる音だけが店内を満たしていた。
夜の10時。何時もならたくさんの人で賑わっている筈の店、しかし今そこにいる客はたったの二名。
にもかかわらず、店員たちの間にはまるでセレブが来ているかのような張り詰めた空気が漂っていた。
しかし無理もない。何せ今、店の中央のテーブルに座っているのは、生物として人間の上に立つ存在。
片や、踝まで届く長い銀の髪をポニーテールにし、声が聞こえているかの如く肉を完璧に焼いていく少女。
片や、臭いなど知らぬとばかりの着物姿で、丁寧な箸使いで50人前の肉をぺろりと平らげてしまった少女。
洋装の少女が焼き、和装の少女が食べ、時折洋装の少女がレバーを食べる光景がかれこれ30分続いており。
そして51度目の全肉メニューを綺麗に完食し、注文を受けるためだけに立たされていた店員へとこう言った。

「「おかわりはまだかしら」」

その年、夜観市でも人気店だったその焼肉屋は創業してから一番の売り上げを叩き出したという。

13

 ───よく食べる人だ。
 感心半分呆れ半分、そんな心持ちでステラはパスタを巻き取って口に運んだ。
 ヴォーノ。麺のチョイスと茹で加減、ソースの絡み具合。地方都市の小さなイタリア料理店としては十分と言えるだろう。
 しかしステラの食欲なんて可愛いもので、目の前の麗人は食卓いっぱいに並べられた大皿をざくざくと片付けている最中だった。
 色とりどりの魚介類が並んだ宝石箱みたいだったアクアパッツァもすっかり駆逐されてしまっている。
 真っ昼間からボトルで頼んだワインを嬉々としてグラスに注ぐナナにステラは小さく嘆息した。
 「よくこんな店知っていましたね。この街で出来のいいパスタを出す店は調べ尽くしたつもりだったんですが」
 「アタシね。不味い飯は我慢できないタイプなの。現地についてまず探すのは美味しいレストラン。頼りは勘かな~」
 勘、ときた。そんな表現が彼女に限っては何だか納得できる。
 人懐こい、大柄な野生の動物。例えるならナナはそんな人間だ。
 人懐こいからすぐにこっちへ鼻先を擦り寄せて好意を示してくるが、一方で決して飼い馴らされることはない。
 代行者に非ず、規律と全体の調和を尊ぶ聖堂騎士団では確かにこれは異物だろう。
 聞けば彼女の育て親たるスミルグラ卿は、もともと聖堂騎士の後ろ盾を務めていたそうだ。………そうでなければ、今頃何処で何をやっていた事だろう。
 「別にいいのよ?アタシの注文した品だからって遠慮せず食べちゃって。一皿で足りる?」
 「いえ。見ているだけでお腹いっぱいなので」
 ごってりと盛られていたはずのニョッキが全てナナの胃袋に収まっていくのを見ながらステラはそう言った。
 本当に───変わった人だ。
 聖堂教会は魔術師どもの巣窟である時計塔みたいに猜疑心と詐術で凝り固まった場所ではない代わりに、偏見と固定観念に満ちた世界だ。
 魔との混血は異端からは外れるもの。だから駆逐されない一方で、ステラへの冷ややかな視線が止むことは無い。
 同じ代行者の中でもステラをあからさまに軽蔑する者は何人もいた。だが、当然だ。彼らは間違ってなどいない。
 わたしは彼らの言う通り、人間ではないものの血が流れている魔性であることに変わりはないのだから。
 わたしは彼らの言う通り、真っ白で輝かしい信仰心に殉じることで代行者となったわけではないのだから。
 だからこそステラにはナナがよく分からなかった。
 聖堂騎士。代行者とは別の括りで動く聖堂教会の暴力装置。『虹霓騎士』の二つ名を筆頭に、稀代のドラクルアンカーの名を得るもの。
 仰々しい肩書とは裏腹に、驚くほど彼女は友好的だった。
 いや友好的すぎた。この街には他にも代行者が何人も乗り込んできているが、他には親しげに振る舞いながらもここまで干渉はしてこない。
 ところがステラにだけは彼女はやけに懐いてきた。その差くらいは、ステラにだって嫌でも分かる。
 だからだろう。ワインを心ゆくまで痛飲しているナナへ、ステラはつい問いかけてしまった。

14

 「何故ですか?」
 「ん?」
 「何故………あなたはわたしに構うんですか?」
 ことり、とワイングラスが机に置かれる。店内を流れるイタリア語で歌われたBGMは陽気だ。
 それらがちゃんと耳に入ってくるくらい、ナナの所作は穏やかで、落ち着いていて、緊張を感じさせなかった。
 「うーんとね。それは多分なんだけど、ステラちゃんが“普通”だからなんだと思うなぁ」
 「普通………?」
 意味が分からない。混血でありながら代行者。わたしほど普通から掛け離れたものもそう無いだろうに。
 だが、ナナは聞き返したステラの言葉にうんと頷いた。
 「聖堂教会………特に代行者だとか、聖堂騎士だとか、魔を討つ役目を主よりお預かりしている立場の人間はね。
  ほとんど全員が気狂いよ。アタシも含めてね。まともじゃないんだなぁ、みんなさ。
  でもね。ステラちゃんはちょっと違うよね。客観視してるというか、一歩距離を置いてるというか。
  我らが主の教えを信じながらもどう自分の中に取り込むか、いつも考えてる気がするの。
  アタシ、そういうの素敵だなぁって思うなぁ。アタシはもうそこには戻れないしさ」
 ───それは、魔との混血故に皆が到れるような清らかなるものにはなり得ない諦観から。
 ───それは、いつか魔に転じ得るかもしれないが故に自分自身を常に見つめ続ける恐怖から。
 ステラにとってそれは誇れるものでは無かった。だから、ナナの言ったことを理解することはできなかった。
 「………よく分かりません、あなたの言うことは」
 「ん、それでいいと思うよ。それを教えてくれる人にいつか出会えたらいいね。アタシには無理だもん」
 あっけらかんとした調子で言い、テナガエビのフリットをフォークで突き出したナナにステラは告げた。
 「あなたは変な人です。ナンシーさん」
 「ナナでいいよ~。むしろナナって呼んで~」
 「………。………ナナさん」
 「そうそう、やっぱりそっちの方がいい響きよね」
 にっかりと笑ったナナの笑顔は本当に子供みたいに毒気がなくて、ステラはやっぱり変な人と口の中で呟いた。

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支とヴィルヘルミナ・邂逅(1) 2024/02/20 (火) 21:54:04

あの夜は静かだった。
日付が変わる直前の、皆が寝床に就く時間。
僕は住宅街を歩いていた。
普段であれば、すでに晩御飯を済ませ、熱いシャワーを浴びて、次の日の予習か、健康的に睡眠をしている頃だった。だけど、その日はなぜか、深夜に無性に外に出たくなってしまった。
今思えば、その根拠の無い発作的な衝動も『たまたま』だったんだろうとわかる。
おかげで僕は彼女に出会えたのだから。これを幸運と言わずして何と言おう。

美しいものを見た。
否、美しいものに、魅入られた。
街灯に照らされた道の中央に、女の子が倒れていた。闇の中で一際目立つ白銀の髪。鮮やかな赤に染まった高価そうな黒いドレスから伸びる手は、生者とは思えないほどに白かった。
白。黒。赤。白。それらの色彩は、この世界から切り離されているかのように場にそぐわず、浮いていた。まるで映画の中から飛び出してきたような非現実感。初めて味わう、地に足のつかない感覚。
僕は、誘蛾灯に集まる虫のように、吸い寄せられるように、何かに背中を押されるかのように、歩を進める。
抵抗はできない。抗おうという発想が浮かばない。ただ彼女の元に辿り着かねばならないと、なぜかそう思った。
街灯が照らす範囲に、僕の足が到達する。夜のジョギングのために履いてきた運動靴が、反射光を撒き散らす。
それが目に入り起こされた、というわけではないだろうが、僕の足元にいる女の子の身体がピクリと動く。どうやら、生きてはいるようだ。

「キミ、意識はある?身体は動く?怪我をしているのなら救急車を呼ぼう。困っているのなら、何か僕にできることはある?」
呆れ返るほどに常識的な問答。きっと、この時の僕は、非現実的な目の前の女の子を、心のどこかで否定したかったんだろう。近づいてみて、ドレスの赤色が血であるとわかり、異常性をさらに強く突きつけられた僕は、普通という拠り所に縋ろうとした。
けれど、そうはいかなかった。
「…………血…………血が……」
 倒れた身体を起こそうと、手を道路につきながら、彼女は言う。
「血?出血は止まっているようだから━━━」
「血を、あなたの、血を、よこしなさい」
言うが早いか、女の子は目にもとまらない動きで僕に襲いかかり、僕の首を、噛んだ。今の今まで生きているかもわからないほど憔悴していたはずなのに、その動きは少女のそれでは、いいや、人のそれではなかった。

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支とヴィルヘルミナ・邂逅(2) 2024/02/20 (火) 21:54:20

「なっ…!あっ……ぐぅぅ!」
道路に押し倒される形になった僕は、突如として訪れた、経験の無い箇所への痛みに頭を焼かれる。状況がわからない。自分の身体から、何か大切なものが消えていく感覚。今、僕は何をされている?とにかく、今自分の上にのし掛かっているこのドレスの少女をどかさねば。
そう思い、少女の身体を押し返そうと手で触れる直前。
「んくっ……ん……痛っ!!」
弾かれるように少女が身体を起こし、僕の手は空振りする。少女は馬乗りの体制からさらに後退しようとするが、その足が僕のものと絡みつく。
引き摺られるような形で僕の身体も起き上がり、少女は道路に背中を打ち付ける。
奇しくも先ほどとは逆の体制。僕がマウントを取り、その下に少女がいるという図式に書き換わった。
見目麗しい血だらけの女の子と、その子を押し倒す夜間徘徊の学生。もし誰かに見られたら、きっと僕が悪者ということになってしまうだろう。
しかし、今はそんなことを心配していられない。
『幸い』にも取れた優位を崩さないように、空いた両手で少女の腕を掴む。ドレスで隠れていたのでわかりづらかったが、掴んでみて気づいたその腕の細さと柔らかさは、男一人に襲いかかれるようなものではないように思えた。
それでも、反射的に捕らえた以上、マウントを維持する。
「キミは、『何』だ?」
血と同じ、それより深い赫い眼を見ながら問いかける。
「レディに名前を聞く態度では無いけれど、血のお礼に教えてあげるわ。
 私は、ヴィルヘルミナ・レーゲンスブルク。貴方たち人間が言うところの、吸血鬼よ」
得意げに語る少女。顔には生気が戻っていた。
「吸……血鬼……だって……?」
バカな。と言いたかったが、首筋の痛みと、彼女の口元の牙と血が、荒唐無稽な自己紹介に現実味を持たせる。
つまり、そう、僕は血を吸われたのだ。美しい少女に。美しい鬼に。
血を吸われたものは吸血鬼の仲間入りを果たすというが、現状肉体が大きく変化するような感覚は無い。あるのは異常事態への興奮と、虚脱感。
吸血鬼にも種類があって、血を吸うだけで眷属を増やすものもいれば、逆に吸血鬼の血を与えることでそれを成すものもいるという。彼女は後者なのだろうか。
いいや、違う。問題はそこでは無い。大事なところは、重要な点は、抑えなければならないポイントは吸血鬼の体質ではない。
真に優先するべきは。
「ええそうよ、吸血鬼。俗な言い方はあまり好みじゃないのだけれど。
 実はちょっとへまをしちゃって、貴方が『幸運』にも通りかからなかったら死んでいたかもしれないくらい追い詰められていたの」
「へまっていうのは、誰かと戦って、負けたってこと?」
「む。負けた、というのは聞き捨てならないわ。他の死徒たちに血を奪われただけよ。死んではいないのだから負けではないわ」
思ったよりも負けん気の強い少女の言い分はともかくとして、そう、重要な点とはそこだ。
この吸血鬼の少女を死に至る直前まで痛めつけ、殺しかけ、勝利(彼女曰く違うらしいが)した存在が、この街にいるということだ。
化け物が僕の街にいるということこそ、聞き捨てならない。
「それで、そろそろこの手をどけてはくれないかしら。情熱的なのは嬉しいけれど、時と場所は考えないと駄目よ?」
聞こえない。
「キミは、その吸血鬼たちの敵なのか?」「……ええ、そうよ。お父様の後を継ぐんだって血気盛んな人たちでいっぱい。
 私としては別に座には興味ないのだけれど、奪っていったものをきちんと返してもらわないと」
許せない。
「そいつらは、さっきのキミみたいに、人を襲うのか」
「襲うでしょうね。それが死徒の生きる術だもの」
認められない。
 「━━━━そうか、なら、ヴィルヘルミナ」
「何かしら?」
「僕の血をキミに与える。その代わり、その吸血鬼たちの戦いに僕も混ぜろ」
まだ生態もわからないが、それでも彼女が僕の血液を必要としているのは明らかだった。「……本気? まだ会って数分足らずの私と同盟を結ぶの? 見たことも聞いたこともない化物たちと戦うの?」
「もちろん。それが僕の生きている意味なんだから。ヴィルヘルミナ、化け物の中でもキミだけは救ってやる。代わりに、僕のために働け。僕が提供するものは、僕の血と、『幸運』。キミが提出するものは」
「戦いの情報と、死徒としての力と言う訳ね。ええ、いいでしょう」
これにて契約は成立した。
これより先は地獄の道。
常人の踏み入れる余地の無い、血で血を洗う人のなれ果てたちの饗宴。
僕は、闇の世界に、一歩踏み出した。

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支とヴィルヘルミナ・初陣(1) 2024/02/20 (火) 21:55:27

街を歩く。
失踪者が相次いでることもあり、この時間では、人通りはほとんど見られない。時折走り抜けていく車は、県外の職場からの帰宅者だろうか。
高校でも夜に出歩かないようにと、普段にも増して厳しく注意されているので、よほど反骨精神に溢れていて恐怖心と警戒心に欠けた人間でなければ深夜徘徊などはしないだろう。
元々夜遊びに長けている街ではないし、今歩いている住宅街の端ではなおさらだ。人の姿どころか、気配も感じられない。
「ねえ支。この方向で合っているのかしら。私の血の匂いは全然しないのだけれど」
後ろから聞こえる疑問の声は、先日出会ったばかりの銀髪の少女、ヴィルヘルミナ・レーゲンスブルクのもの。
「大丈夫だよ、たぶん、もうしばらくしたら遭遇すると思う。今回は初陣だし、キミの血を奪った死徒ではないかもしれないけれど」
「そう。それは残念ね。でもいいわ、あなたの手伝いもすると言ったものね」
僕たちは今、この夜観市に集まっているという、死徒と呼ばれる怪物を探している。
死徒。死を徒とする者。ヴィルヘルミナ曰く吸血鬼。人を吸い殺し、その命を糧とする夜の怪物。そのようなモノが、今この街大量にいるらしい。
事実、ここ最近は失踪事件が絶えず、街全体が怯えている様子だ。
怪物たちはヴィルヘルミナの父親が死んだ後、跡継ぎを決めるために招待したとのことだが、はた迷惑なことこの上ない。
いざそいつらと出会う前に、比較的温厚そうなこの少女と手を組めたのは『幸運』だったが、さて。
手を組んだ以上、ギブアンドテイクの関係を下地にしなければならない。僕が与えるものは血と幸運。彼女が与えるものは情報と力。
そのうち血液と情報に関しては、すでに交換を終えている。
今行っているのは、僕が幸運であり死徒を見つけ出すことができるということと、彼女が死徒を殺せる力を持っているというそれぞれの証明だ。
これが成せない限り協力関係は破綻しかねない。
「それにしても、幸運を対価にするなんて、貴方変わっているわね。普通自分の運が良いと思っても、それを切り売りするほど明確なモノとして捉えられる人はいないわ」
「産まれた時からの付き合いなんだ。今さら存在を疑ったりなんかしないよ」
「貴方が信じているかじゃないわ、それを人に自信を持って話せるか、ということよ。まだ命を差し出すと言う方が納得できるわ」
この話ぶりを聞くに、初めに幸運の証明を行なったのは正解だったようだ。驚嘆と疑義の眼は、これからの僕らの付き合いでは邪魔にしかならない。きっちりと信頼できる確かなモノであるのを見せることは、決して無駄では無かったようだ。

「それに…あら」
人のいない通りを30分ほど歩いたときだった。ずっと並んで鳴っていた足音がやみ、交わしていた言葉が途切れる。
「ヴィルヘルミナ?何か感じたことでもあった?」
僕も足を止め、ヴィルヘルミナに声をかけながら振り返る。彼女はその綺麗な整った鼻をひくひくと上品に━━━鼻を動かす挙動に品性など無いであろうにも関わらず、ぼくにはそうみえた。━━━━動かして、周囲の匂いを嗅いでいた。
「ええ、あるわ。この先から血の匂いがするの。私のものではなくて、人の血の匂い」
ビンゴだ。僕の幸運は、死徒探しにもきちんと機能している。
死徒が活動している近くまで行けば彼女の探知に引っかかるのならば、思ったよりも見つける難易度は低いのかもしれない。少なくとも、道でばったり出会うよりはまだ現実的な確率だ。
その程度ならば、いくらでも引き寄せられる。
「つまり、誰かが襲われているって?この先で?今?」
「いいえ、これだけ匂うのなら、きっともう吸い殺されているわ。大量の人間を殺したのか、それとも一人の人間をよほど汚く食べ散らかしたのか。どちらにせよ、もう手遅れだと思うわ」
やや焦燥感に蝕まれながら投げかけた質問の答えは望ましくないものだった。とはいえ、これは僕自身の運でどうにかなる部分ではない。夜中に死徒と出会うなどという愚を犯した彼、あるいは彼女の運の尽きである。
だが、今襲われたであろう人を救えなかったとしても、死徒を放置しておけばこれから先さらに人が襲われる。
結局やることは変わらない。
「わかった。なら急ごう、そいつが場所を離れないうちに見つけ出して、そしてキミが殺す。ここからは先に進んでくれ、僕が先導しなくても匂いを追えばわかるだろ?僕も後ろから追いかける」
「物騒なレディファーストね」
ヴィルヘルミナは、こちらに冷ややかな目線を向けた後、駆け出す。
風が今まで彼女のいた空間を埋めるように吹き込んだ時には、すでにその姿は夜の闇に書き消えてしまった。
その生物の域を凌駕した速さと力強さは、彼女が人間では無いということを再認識するのには十分なものだったが、同時に起こった静かさには、これもまたどこか気品のようなものが感じられた。
「レディファースト、か」
元来の意味を考えれば、むしろこれほどレディファーストに相応しい状況は無いのだが。
とにかく、僕もこのまま阿呆のように突っ立っているわけにはいかない。すでにヴィルヘルミナの姿は見失ってしまったが、道なりに走ればおそらく追いつけるだろう。
僕は一つ深呼吸して、駆け出した。

18
支とヴィルヘルミナ・初陣(2) 2024/02/20 (火) 21:55:43

結論から言うと、僕は間に合わなかった。
追いつきはしたのだが、すでにその時には勝負、あるいは殺し合い、あるいは狩り、は決着とあいなっており、僕が目にしたのは血だらけの路地裏に立っているヴィルヘルミナと、その足元にある肉片のみであった。
「遅かったわね支。もう終わってしまったわよ」
血液の海の上にありながら、靴以外は一切赤く染まっていない少女が、こちらに気づき声をかけてきた。
「死徒は、そこの肉か?」
対する僕は走り終わった直後で、やや乱れている息を整えながら問いかける。
「いいえ、違う。死徒じゃなかったわ。死徒になりかけの人間、食屍鬼ね。再生能力もろくに無いから、試金石としては微妙なところよ」
こともなげに言っているが、あたりの様子からして、その食屍鬼が幾人もの人を襲い喰らったことは間違い無い。それを無傷で返り血すら浴びずに殺したのであれば、ヴィルヘルミナの強さはすでに疑うところに無い。少なくとも人の域にいないことはわかっている。それならば、後は『活用』の仕方の問題でしかない。
「いや、十分だよ。さっきも言ったけど、今回は初陣、チュートリアルだ。あまり強力な敵が出てきても困る。当初の互いの能力の証明という目的は果たせたんだから、上々だ」
血の海に足を踏み入れ、ヴィルヘルミナに歩み寄る。足元から鳴る粘り気のある水音が、建物の壁に反響する。
それでも構わず歩を進め、彼女の目の前に立ち、手を伸ばす。
「今日のところは、ここまでにして帰ろうか。明日からはもっと本格的に、キミの血を奪った死徒を探そう」
「そうしてくれるなら助かるわ。取り戻すのは早い方がいいもの」
色素の薄い顔に、うっすらとした苦笑のようなものを浮かべながら、彼女は僕の手を取る。
そのままエスコートでもするかのように、血溜まりを背に歩き出す。
きっとこの現場を発見した人は警察に連絡をする。けれどすでに犯人はこの世にいない。僕が操作の槍玉に挙げられることもありえない。ヴィルヘルミナはわからないが、戸籍があるかも怪しい彼女の足取りを掴むことなど不可能だろう。
そんな、犯人の見つからない行方不明、殺人事件が、この街ではこれからも増えていく。集う死徒たちが増やしていく。そんなことは看過できない。
人喰いの化物達を殺せるのなら、今僕と手を繋いでいる化物だって、構うものか、『使い潰して』やる。

19
支とヴィルヘルミナ・観戦(1) 2024/02/20 (火) 21:57:31

風が頬を撫でる。
場所は路地裏。時は深夜。状況は、ヴィルヘルミナと死徒の戦闘の真っ最中。
人の眼では捉えきれないほどの速度で彼女らは狭い空間を飛ぶように動き回り、攻撃の応酬を繰り返している。
建物の壁の一部が抉れる。刃物で切り取ったかのような跡だった。
しかしヴィルヘルミナは丸腰、相手の死徒も何か獲物を持っている様子は無い。
爪かとも思ったが、それにしては傷が付く場所があまりに離れ過ぎている。
おそらく鎌鼬かなにか、遠隔の武器か技術で斬撃を飛ばしているのだろう。
その証拠に、戦いを眺めている僕の真横を頻繁に風が通り過ぎる。直後に床が傷つく音が後ろから聞こえるので、間違いないだろう。
あいにく、それが僕に直撃することは無いのだけど。
趨勢はヴィルヘルミナの優位に見える。相手がヒットアンドアウェイで距離をとりながら一方的な攻撃を行おうとするせいで手間取りはしているが、敵の刃は一度たりとも致命の位置には当たらず、彼女の肌は裂かれるたびに再生を行うので、相手はジリ貧だろう。
そうこうしているうちに、決着は付く。空へ飛んだ死徒が、地面に着地する瞬間。ヴィルヘルミナは凄まじい速度で懐に潜り込み、死徒の首を噛んだ。
ここまでくればもう番狂わせは起こらない。吸血行為は相手の存在そのものを喰らい尽くす簒奪手段に他ならず、名も知れないこの程度の死徒ならば、争う術も無いだろう。みるみるうちに死徒の身体が干からびていき、最終的に塵も残さずその場から消滅した。

「終わったわ」
「おつかれ。どう?血を吸って体調は」
「悪くないけれど、私の血は一滴も無かったから、別段変わらないわ。持っててこの強さだったら、それこそ失礼しちゃうのだけれど」
「そうか。今日は今までより骨のあったように見えたから、もしかしたらと思ったけど」

残念だ。本心からそう思う。
ヴィルヘルミナの目的そのものはどうでもいいが、彼女に力を取り戻してもらうことは、僕にとっても重要だ。
いつまでも雑魚だけにかかずらってはいられないのだから。

「ねえ、いつまで見ているのかしら」
「……?なんの話だ?」
「私の服装を見て、少しは気を遣おうとは思わないのかしら」

服装?
言われて目線を彼女の胴体に向ける。
そこにあった、彼女が普段から着ている戦闘用とおぼしきドレスは、激しい戦いの余波からか、ところどころ破けていて、布の隙間からは白い素肌、スタイルの良い肉体が覗いており、下着も部分的に露出していた。
今日駆除した死徒は、雑魚の中ではそれなりに強力だった。未だ血を満足に取り戻してないヴィルヘルミナは、負ける事は無いまでも少々手間取っていた。その結果がこの服の損傷だろう。
なるほどと合点は行ったが、どうやら僕と彼女の認識には誤解があるらしい。
全く、一応一蓮托生ということで手を組んでるんだから、相方のパーソナリティくらい把握してほしい。

「ああ……そういうことか。だったら気にしなくていいよ。僕はキミに下心を抱いたりはしな」
「今から五つ数えるわ。それまでに後ろを向きなさい。向かなかったら、殺すわ」
「え」
「ひとーつ」

本気の殺意だった。
嘘だろ。
さすがにここで無為に命を散らすわけにもいかない。納得いかない心を押し留め身体の向きを変える。
空には、満ちている最中の三日月が僕の滑稽さを嗤っていた。
しかし、話を聞いた限りではヴィルヘルミナは人から死徒になったタイプではなく、産まれながらの死徒だったはずだ。
純潔。純血。純正。純粋。血統書付きの化物。
人の生活様式に合わせているのは、あくまで人間社会に馴染むためであり、それ自体に意味を見出しているとは思わなかった。
具体的には肌を見られたからと言って、羞恥や嫌悪を覚えるような感性は無いものだと決め込んでいた。
見た目こそ美しい少女の様相をしているが、内部はどうなっているか判ったものじゃないのだから。
これは完全に僕側の配慮不足、観察力不足である。どうやら想像していたよりも、彼女は高い人間性を持っているらしい。
くだらない反省点を頭の中で取りまとめていると、突然後ろから手を回された。
驚いて振り返ろうとすると。

20
支とヴィルヘルミナ・観戦(2) 2024/02/20 (火) 21:57:59

「動かないで」

いつも落ち着いて言葉を編む口から、鋭く釘を刺される。
ヴィルヘルミナだった。
そもそも彼女しかいないのだから当然である。

「何をしている」
「羽織るものが無いか探してみたのだけれど、どれもこれも血だらけで、とてもじゃないけど使えないわ。だから貴方の上着を貰うわね」

それはそうだろう。
今この場にある服は、彼女が殺した死徒が纏っていたものくらいなのだから。

「血ならいつも口にしてるだろう。今さら何を嫌がることがある」
「食べ物だからこそ身体に付けたくないという心理は、人間と共通すると思うわ。それともなあに?手を血で汚すこともしないどころか、衣すら渡したくないと言うの?」
「そんなことは言っていない。下手人がキミというだけで、主導者は僕なんだから。汚れるのはキミの手じゃなく、僕の口だな。そもそも、化物を殺したところでそれが罪になるとは思えないけれど」
「物は言いようね。んっ、脱げたわ」

残暑があるとはいえ、すでに夏は過ぎ去り、草むらでは虫の鳴き声の響く季節。
シャツを剥がれると、さすがに少し肌寒い。
背中でもぞもぞと服を着る気配がする。

「寒いんだけど」

やる事もないので悪態をつく。

「男の子でしょう、我慢なさい。着れたわ。もう振り返っていいわよ」

言われて後ろ、あるいは前を向く。
ヴィルヘルミナは、ボロボロになったドレスの上から、僕のシャツを着ていた。
体格的にはあまり変わらないはずなのだが、そこは男女の差なのか、少しばかり肩や袖がダブついている。
本来の彼女の見た目とは、明らかに不釣り合いで均整の取れていない姿を見て、おかしくなって小さく吹き出してしまう。

「あら失礼ね。急場凌ぎとはいえ、ここは嘘でも悪くないとでも言うべきところではなくて?」

しまった。
今さっきデリカシーの無い行為をして機嫌を損ねたばかりだった。

「いや、バカにするつもりはなかった。ついおかしくなって、なんというか、そう、いつものキミは浮世離れした雰囲気をしてるから、僕の服を着てると妙にアンバランスで、天使が零落したかのように見えてしまって━━━━」

慌てて取り繕う。自分でも何を言っているのかよくわからなくなったが、とりあえずこれ以上のすれ違い、衝突は避けたかった。
すると、今度は彼女の方が目を丸くしていた。

「私が天使かどうかはともかく、褒め言葉で零落はどうなのかしら。貴方にしては珍しいわね」
「良い表現が思い浮かばなかったんだよ。堕天とでも評した方が良かったか?」
「いいえ、そうではなくて。人を一番上に置く貴方が、私を人の上に居たモノとして扱った事がよ」
「それこそモノの例えだ。深い意味は無い」
「そうかしら」
「そうだよ。ほら、今日はここまでだ。そのナリじゃあ戦えないだろう。シャツはやるから、また明日同じ時間に。次こそはキミの血を見つけ出すと祈っておこう」
「そうしてくれると私も助かるわ。そろそろ、準備運動には飽きてきたもの」

終わってみれば僕が失ったものはシャツ一枚だけ、今日のところは信頼を損ねずに済んだらしい。
僕達は路地裏を抜け出し、大通りに向かって歩き出した。

21
支とともり・契約(1) 2024/02/20 (火) 21:59:29

その目線を一言で形容するならば、値踏みをする眼と言えるだろう。
見下すわけでも、見下ろすわけでも、見下げるわけでもなければ、見上げるわけではもちろんなかったし、なら対等かと言われればそれも違った。X軸Y軸Z軸とも異なる、自分の認識できないどこか別の場所から、別の世界観に則って観察している。
そんな目線を夏継ともりは、夏継ともりだったモノは受けている。浴びている。
全身は傷が無い場所を探す方が困難なほど切り裂かれ、特に脚は一から生やした方が早いのではないかと言うほど、限界を留めずズタズタになっていた。当然そんな状態では動くことなどできない。
路地の奥に座り込み、向こう側から歩いてきた少年の目線に耐えるだけ。
いつ追い討ちが来てもおかしくない以上、一刻も早く再生を遂げなければならないのだが、執拗に念入りに壊された身体は、いかに死徒の身といえど数瞬で元通りとはいかない。
そして、値踏みが終わったのかほんの少しだけ少年の眼が緩み、

「あと1分もしないうちにあるミナはここに辿り着き、お前を殺す。それは決定事項だし、今のお前にそれを覆す力は無い」

判決を言い渡す裁判官のように、淡々と言葉を投げてくる。
少年の言葉は事実だ。1分と言ってはいるが、十数秒あるかも怪しい。

「だが、お前の力を失うのは惜しい。己が肉を喰らったものを癒す力。ミナが戦いの合間に血を吸っていなければ、そのまま殺してしまうところだった。その力は僕にとって、必要な力だ。
 だから赤頭巾。お前に選択肢を与えてやる。僕の道具として生き延びるか。それとも僕らに殺されるか。お前の命運はすでに尽きた、だから、せめて悔いのない道を選べ。僕はお前たちを、導いてなどやらない。選ぶのはお前だ」

それは、思いもよらない展開だった。
必要な力?わたしが?いいや、それ以前に、この人間は死徒である自分を喰らおうと言うのか。
銀髪の死徒をわたしにけしかけたように、わたしのことを利用しようと言うのか。
なんという不遜だろう。
わたし達は退治されるものではあるけれど、排斥されるものであるけれど、人に利用されるなんてそんなもの、死徒らしくないにもほどがある。

「死徒の、わたし、が、あなた、みたい、な、人間、の言うこと、なんか、聞くと思うの?」

毅然と答えたつもりだったけれど、口から出てきたのは息も絶え絶え途切れ途切れの言葉。肺がまだ治っていないらしい。

「僕は答えを出さない。僕は、お前があるべき場所など教えない。僕の命を聞くか否かはお前が選ぶことで、お前だけが選べることだ。一人歩きが怖かろうと、その手を引く者など、誰もいない」

その言葉は何かしらの哲学に則ったもののようで、優しさなんて欠片も乗っていない。

「意味が、分からない」

「分からなかろうと、分かろうと、僕の関知したことでは無い。もう一度だけ聞こう、僕の道具になるか、ここで死ぬか。選べよ、赤頭巾」

死徒としての本能が警鐘を鳴らす。こいつはダメだ。生かしてはならない。襲え、殺せ、吸え。
だけれど、ほんの少しだけ残った人としてのあたしが、全く別のことを訴えてくるのだ。彼を手伝え、彼の役に立て、彼の道を作れ、彼こそが我らの━━━━━━。

22
支とともり・契約(2) 2024/02/20 (火) 21:59:49

「……………分かったよ、君の側についてあげる」

気づいたら頷きを返していた。
ほとんど無意識に、うちから湧き出てくる何かに押されるように首と口が動いた。
そして、返答を言い切ると同時に、少年の赫色の眼が光を取り戻す。これまでずっとのしかかっていた、全人類から見られているかのような重圧が消える。
値踏みは終了し、売買が完了したというのだろうか。

「そうか、なら、僕に言われたらその血肉をよこせ、そしてこれから人を襲うな。わかったな?」

少年はそれだけ言い残すと、踵を返して、背中を向けて、その場を後にしようとする。

「……………え?ちょ、ちょっと待ってよ!?」

「なんだ。何か文句でもあるのか?」

「いや………そういうわけじゃ、ないけど。わたしのこと、このまま置いていっていいの。口約束なんて、いつでも破れるんだよ」

しかし、少年は理解できないというように眼を細め、

「なんで、僕の道具が、僕に逆らうんだ?」

「は?」

「だって、お前はもう僕の手駒になっただろ。手駒が勝手に動くなんて、あるわけがないだろう。欠落した脳味噌が治っていないのか?」

あまりに堂々としすぎていて、もしかして自分が変なことを言ってしまっているのでは?という勘違いをしそうになるが、いや違う。
おかしいのはこの男の子だ。
ともりは依然として何にも縛られていない。
何の魔術的&ruby(契約){ギアス}も結んでいない。
少年は、今度こそ話は終わりだと再びともりに背を向ける。
すでにともりの肉体の大部分は再生を終えており、武装もしていない少年を後ろから襲い、血を吸い、銀髪の死徒から逃げるチャンスを作ることだってできるのだ。やろうと思えば。
なのに一切、その心配をしている様子は見られない。寝首どころか、後ろ首を掻かれることすら!
まだ成熟しきっていない華奢さが残る後ろ姿。
一方的に優位な約定を結びながら、彼の肉体はただの人間で、その気になれば数秒とかからずその命を絶てる。&ruby(絶){奪}って、&ruby(吸){奪}って、逃げて。

逃げて、どうしよう。

この街を出れば、死徒同士の殺し合いなんかに巻き込まれず、自由に人を食らって生きていけるかもしれない。
そう、また、人を殺して。
何度も何度も、柔らかい肉を引き裂き、どろどろの血液を飲み込み、代行者たちから逃げ惑う。
結局元の木阿弥。
だったら、もう。

「もう、いいや………」

前に伸ばしかけた腕をだらんと降ろし、天を仰ぐ。
人工の光にも遮られない、強い星がまばらに映る。
これからどうなるんだろう。
手下じゃなくて手駒、仲間じゃなくて道具。きっと、酷い使われ方をするに違いない。もしかしたら、すぐにでも死んでしまうかもしれない。
だけど、それは必要とされたからで、人の役に立った結果であって、今よりきっと、正しいんだろうと思えて。

「ふふ…………」

少しだけ口元が緩んでしまった。

23
支とともり・吸血(1) 2024/02/20 (火) 22:03:53

二人きりの家に、衣擦れの音が響く。
ともりはフローリングの床に正座の姿勢のまま、その音に意識を傾けていた。
上着を脱いでシャツ一枚になろうとする支の姿は、とてもじゃないが直視できず、目線は下向きのまま固定されている。男の人の上裸くらい、水泳の授業でもテレビでも何度も見ている。別に照れるほどのことでもないはずなのに、見たら頭がどうにかなりそうな、そんな気分に襲われていた。
そうして、身軽になった支は、ともりの正面に向かい合うように腰を下ろし、左の袖をずり下ろした。
そう、これは支からともりへの報酬。血液の譲渡である。

「ほら、どこを向いている」
「……どこを向いていようと、わたしの勝手でしょ」
「キミに勝手なんてものがあると思っているのか?生かされている以上、僕の言葉に従って一挙手一投足動かすのが道理だろう。少なくとも、その意識を持つべきだ」
「………本当にその態度、どうかと思うよ。あの綺麗な死徒の子にもそんななら、今に見捨てられるよ」
「ミナのことなら、それこそキミに言われることじゃない。僕だって道具や奴隷と対等な相方で対応くらい変えるさ」
「一応言っておくけど、私はきみの奴隷じゃない。これは協力関係。対等だと言うなら私だってそうだから」
「ああそうかよ。それで、吸わないのか?いい加減この体制も面倒なんだけど」
「吸う。吸うよ」

ともりは腰を少し上げて、膝立ちの体制を取って、支の肩に手を付く。
そしてそのまま抱きつくように顔を彼の首に牙を突き立てる。

「っ……!」

支の口から小さな呻きが漏れる。
ともりの口から赤い雫が漏れる。
ゆっくり、ゆっくり。静かに肉体から血液を吸い上げる。
それは吸いすぎて支を殺さないようにするための配慮でもあったが、それ以上に、その甘露を味わうためのものであった。
血が美味しいなどと、これまでの望まぬ捕食では全く思ったことなど無かったのに。この血だけは、とても美味しい。
人間だった頃に食べた蜂蜜のような、喉を焼く強烈な感覚。
だがそれもそう長くは続かない。

「ともり、そこまでだ。それ以上吸われる、と、困る」

静かに嗜めるような声。その声に従い、名残惜しげに、支の首元から口を離す。
目の前の少年は血の気が失せた顔で、吸血痕を抑えていた。

「あっごめ……きゃあ!?」

つい夢中になって吸いすぎてしまった。とっさに謝ろうとしたが、その前に支に抱きつかれる。

「え?え?あの、待って。そんな急に、もっと段階とか」

抗議の言葉を聞いているのかいないのか、今度は支の方がともりの首に食らいつく。
本来死徒の肉体に、人間の歯など容易には通らないが、ともりは別だった。彼女は生まれながらにして、食われることを前提にした死徒。たとえ人だろうと、それが捕食行為であれば、肉体はどうぞ食べてくださいと言わんばかりに脆く、柔らかくなる。
しかし、その肉は同時に捕食者にとって害ともなる。大量に食らえば命にも関わる。
ゆえに血。
支はともりの傷痕からの出血を舐めるように飲み、すぐにその口を離した。

「ぶはぁ!はぁ…はぁ…。ん……とりあえず、血は止まったか」

支は再び首元の傷口を抑える。そこから流れる血は確かに収まっており、痕は残るかもしれないが、これ以上無駄に血を失うことはなくなった。

「あのさ、『食べる』なら、前もって言って欲しいんだけど」

紅潮した顔を見られないように少し俯きながら文句を言う。
異性に抱きつかれるなんて経験、これまでほとんど無かったから、とてもびっくりしてしまった。いや、それを抜きにしても無言で距離を詰められたら誰だろうと驚くだろう。
そういう思いを込めての言葉だったが。

24
支とともり・吸血(2) 2024/02/20 (火) 22:04:24

「キミが深く傷をつけすぎなんだ。喋っている時間ももったいない。ミナはもう少し上手く吸ってたぞ」
「それは、悪かったけど」

なんでそこであの死徒の子の名前を出すのか。
自分があの美しさと比べられたような気持ちになって、少しむっとする。

「それでも心の準備ってものがあるんだよ。いきなり来られると、ほら、反射的にきみを押しのけたり………殺しちゃう、かもしれないし」

意趣返し、ではないが。少しばかり脅しを混ぜたような言葉を続ける。
だが。

「無いな。そんな『うっかり』は僕には起こらない」

鼻で笑われた。
これでは本当に眼中にないと言われている気分だ。

「ああでも、不満だと言うならそうだな。じゃあ次、血をやる時は、互いに吸い合いながらにするか?」

互いに?
向かい合い、抱き合って、首元に顔を寄せ合う光景を幻視する。
少し冷えてたはずの頬がまた赤くなり出す。

「それはそれで……ちょっと……」
「不満なのか?なら…………ん。まずいな、頭が回らなくなってきた。クソ、今日はもう寝る。朝まで起こすな」

支は立ち上がると、すぐ横にある自分のベッドに寝っ転がる。
話の途中で置いてけぼりを食らったともりは、少し口を尖らせたが、原因を作ったのは自分であるため、これ以上の文句は言えない。
小さくため息をつく。
そして早くも寝息を立て始めた(寝るというよりも気絶してないだろうか?)、支の姿を眺める。

「ん……」

身体の中に取り入れた彼の血が、全身を回っているのが分かる。
今さっき吸ったばかりなのに、まだ欲しい、まだ飲みたい、まだまだ。という欲求が胸の内から湧いてくる。
これは、そう、誰かが言っていた『吸血衝動』というやつなのだろうか。わからない。
無意識に、先程牙を突き立てたうなじをみやる。
あと一口くらいもらっても大丈夫かな?いや、これ以上はさすがに彼の命に関わる。我慢しなければ。
ああでも、飲まなければこの渇きが癒えそうな気はしない。なにか、せめて何か、いっそ血じゃなくてもいい。体液ならそれで。

『━━━━━━繁殖もできない化物なのに━━━━━』

ふと、以前支に言われた言葉を思い出す。
繁殖。体液。異性。
うなじから外れた目線は、そのまま胸、腹を通り過ぎ、下半身に止まる。
ごくりと喉が鳴る。
死徒になって以降、滅多なことでは乱れなかった心音が、どんどん激しくなっていく。
すぐに塞がったはずのうなじが熱い。
自分は死徒。彼は人間。
生殺与奪は私が握っている。にも関わらず、こんなにも無防備に肉体を晒している。
この家には私と彼の2人きり。
今の彼には意識が無い。
脳内でどんどんと条件が羅列されていく。『それ』に及ぶ際の障害がどかされていく。
ああ、もうダメだ。
頭の中の枷が吹き飛び、支の服に手をかけかけて、

25
支とともり・吸血(3) 2024/02/20 (火) 22:04:36

ガタッ!

「誰!?」

反射的にドアの方向に振り返ると、そこにいたのは、
『&ruby(たてまえ){この作品の登場人物は全て18歳以上です}』。と書かれたスケッチブックを持った青い髪の少女だった。
少女はやっべとほんの少しだけ表情を曇らせると、スケッチブックのページをめくって新たな文字をペンで書き込んでいく。

『おっと、見つかってしまいました。せっかく支さんの脱童貞チャンスでしたのに。私としたことがおじゃま虫になってしまいました』

ほんの数秒前まであったはずの張り詰めた空気は一瞬のうちにどこかへ霧散し、青い少女の独特の世界観に飲み込まれた。
体内で渦巻いていた渇望ごと毒気を抜かれたともりは、半ばパンクしかけた頭でかろうじて少女に問いを投げる。

「いや…あなた…本当にだれ…?この人の…知り合い…?」
『私は支さんの&ruby(奴隷){道具}ですので、あなたの&ruby(ライバル){恋敵}とかそういうのではないです。今のところ。都合のいい女というやつです』
「えっはっええ!?恋って……そんな………勝手に変な決めつけ………しないでよね!」
『勘違いでしたらごめんなさい。でも、&ruby(ガチンコ){本音}じゃないですよね?』
「だからっ!違うってば!」
『ムキになるところがますます』
「〜〜〜〜〜!!!!」

青い少女が意識せずに煽り、興奮状態の赤い少女がそれに応対するこの問答は日が登るまで行われたが、支が起き出すことはなく、この夜の喧騒を通して、ともりの想いが意図せずして伝わるということはなかった。

スケッチブックに残った会話の記録?さあ?

26
美影ルート・支とヴィルヘルミナ・デートについて 2024/02/20 (火) 22:07:18

「それで、どうだったのかしら」

久しぶりにミナと夜の街を歩いている最中の出来事。
すでに今日は死徒を3匹狩り終えて、家路に着こうという時だった。駆除したのはどれもこれも小粒で、放っておいても黒角さんや、ナナさんあたりに惨殺されていただろうが、それでも成果は成果。元より、他人がやるからという理由でサボるくらいなら、この戦いに参加はしていない。
そんなある程度の達成感のようなものをいている僕に、ミナは問いを投げてきた。

「どうって…何が?」
「とぼけないの。頭は回るのに、相手の言わんとすることがわからないはずがあるものですか。ミカゲとデートしたのでしょう?貴方がきちんと女の子をエスコートできたのか、私は不安で仕方なかったのよ」
「ああ……」

その件か。
デートという言い回しがどうもむず痒いが、事実僕は昨日(正確にはすでに一昨日)、久遠美影と水族館に出かけたのである。
久遠美影という少女の本質に近づくための新たな刺激。それを与えるための行動だった。当初は安直で浮かれたようなその手段に、僕も気乗りしなかったのだが、ミナの後押しと、『都合良く』そのタイミングでチケットが手に入ったこともあり、覚悟を決め、彼女をデートに誘ったのである。
だが、既に終わったこととはいえ気恥ずかしいことに変わりはない。
思い出として胸にしまっておきたいなんて殊勝な心は無いが、誰かに語って聞かせるなんてそれこそ浮かれポンチの阿呆のようで、情けなくってできやしない。

「別に、大したことはなかったよ」

そう言って歩く速度を上げることで、遠回しな拒絶を示したつもりだったのだが、それに気づかなかったのか、意図して無視したのか、いずれにせよミナには通用しなかった。

「待ちなさい。私にはプライベートへの配慮なんて欠片も無いくらい、根掘り葉掘りお昼に食べたデザートの数まで話させるくせに、貴方が逃げるのは狡いわ。私たちは対等な協力関係なのでしょう。その名目を保ちたいなら、洗いざらい話すといいわ」

ぐうの音も出ない正論だった。そう言われれば断ることはできない。
後衛の僕と前衛のキミでは持つべき情報の量が違うんだ。みたいなことを言い返そうかとも一瞬思ったが、さすがにそこまでムキになると、本気で呆れられそうだったので飲み込む。

「わかった、話すよ。でもキミが満足できるようなスペクタクルは無いよ。概要だけ見れば、本当にただの高校生のデートだ」
「ならその概要以外の部分を話してちょうだい。『普通じゃない』高校生のデートだった部分。貴方の心に刺さった部分を」

勘が鋭いというべきか、観察力があるというべきか。
そう、久遠美影は"化物"である。"化物"は人とは異なるから、"化物"なのだ。
異常が無ければそちらの方が異常である。
僕は肩をすくめて諦めのポーズを取る。

「そうだな━━━━じゃあまず最初から話そうか」

27
美影ルート・支と美影・デート・導入 2024/02/20 (火) 22:08:02

「美影さん、デートに行こう」

そう切り出した言葉は震えてなかっただろうか。
久遠家の奥深く、厳重に施錠された座敷牢の奥に僕は語りかける。正確には、厳重に施錠されていた、という過去形だが。

「でーと?」

聞こえてくる声は、間の抜けた響きとは裏腹に、とてもよく通る美しい声だった。その音は確かに一方向からしているのに、あらゆる位置から問われているような、そんな支配的な声。
その声の主は久遠美影。
一週間前、僕がヴィルヘルミナと別行動をしているとき、ちょうど彼女が、死者を『砕く』瞬間に出くわした。
その時は僕もあまりの恐怖と興奮と何やらわからない感情に押しつぶされそうになったが、今は良い。
とにかくそれ以降、時間ができるとこうやって彼女に会うために足しげく通っている。

「デート、男女が一緒に出歩くことだよ。社会常識に欠けているどころじゃあないな、俗語だけど、聞いたこともないのはいくらなんでもおかしいだろう。デートという言葉がわかりづらければ、散歩と言い換えてもいい。行き場は決まっているけれど」
「散歩なら好きよ。けれど、今はお昼でしょう」
「それは重畳。夜に散歩するからって、昼間に遊んじゃいけない道理は無いだろう。ここしばらくキミを見ていたけれど、この時間は何もせずぼうっとしているだけじゃないか。それはあまりにも━━もったいないよ」

実際、久遠美影という脅威を理解するために観察を始めてから、彼女は昼間のこの時間、何もせずに日がな一日座って虚空を見つめているのだ。
これではわざわざ時間を割いている甲斐が無い。多少強引にでも状況を動かさなければ、久遠美影という人間が見えてこない。
それに、もったいないと言うのも嘘では無い。

「そうかしら、私はこれで満足しているのだけど」
「そうだよ。そんなのは若さの浪費だ。書を捨てて街に出よとは言うけど、キミは書すら取らないんだから、なおさらだ。安心して良い。絶対に退屈はさせない。少なくともここで暇を潰すことすらしないよりは、よっぽど有意義な時間を約束する。もしつまらないと思ったら、煮るなり焼くなり砕くなり、好きにしてくれて構わないよ」

これも本気だ。彼女はその気になれば、今この瞬間僕を砕き、命を摘むことだってできるし、彼女はそれに躊躇を覚えるような真っ当な感性をしていない。
ただ単に今は気分でないというだけ。すでに僕の命は彼女に握られており、もし地雷を踏み抜いたならば、その次の瞬間に僕が生きている保証はない。
だからこそ、僕が彼女の機嫌を悪くさせることはありえない。そんな不運は起こらない。不機嫌と殺人を直結させることで、絶対にデートが成功するという保証を作る。
仮にこれで死んだとしても、それは僕がそこまでの人間であったというだけで、それならば生きていても仕方がない。

「ずいぶんと、必死なのね。貴方はもっと、静かなモノだと思っていたのだけれど」
「必死にもなるよ、美影さんのような綺麗な人を誘っているんだ、僕だって平常心でいられるわけがない。口数が増えるのはその表れだよ。だからお願いだ。僕と一緒に、来てほしい」

口説き文句としては拙い歯の浮くような━━華夏にでも聞かれたら大笑いされそうな━━セリフを吐き懇願する。
嘘は言っていない。平常心でないのは美しさゆえではないが。

「……………ご飯」
「ご飯?」
「あなたと出かけたら、ご飯の時間に間に合わなくなってしまわないかしら。それはごめん被るのだけれど」
「ああ、そこは抜かりない。屋敷の人たちに持ち運べる形にするように頼んである。まあ、少し説得に手間はかかったけど。たぶん今ごろ重箱か何かで用意してくれてるんじゃないかな」

ここの使用人たちは久遠美影の暴走を何より恐れている。決まった時間の食事、着替え、風呂。それらルーチンワークを作り、それを絶対厳守することで、久遠美影という怪物が荒ぶることの無いように、必死に仕事をこなしている。
しかし、彼らは同時に久遠美影に干渉することを恐れている。本気で彼女を完璧に閉じ込め、外部とのつながりを断ちたいのなら、彼女自身がこんな座敷牢から抜け出して出歩いているわけがない。
僕が初めてここを訪れた日、久遠美影が夜の散歩から帰還する際に彼女の横に連れ立って入った時も、人の気配がしたにも関わらず、僕には完全にノータッチだった。おそらく彼女自身が連れてきたのだと思い、僕に関わることで間接的に彼女の機嫌を損ねることを恐れたのだろう。
そうでも無ければ、僕のような部外者がこんなところに潜り込めるわけがない。
つまり、彼らにとって僕は、ある意味で久遠美影と同じジャンルにあてがわれたということだ。美影さんから頼まれたと言えば、彼らはそれに合わせて料理を作るしかない。たぶん、僕が虚言を吐いた可能性を考慮して、念のためにいつも通りのものも作っているだろうが。

「そう。だったらいいわ、行ってあげます。どうせ、何も変わらないのだから、断るのもめんどうだわ」
「よかった、美影さんならきっと、そう言ってくれると思っていたよ。ならすぐにでも行こう。デートっていうのは時間がいくらあっても足りないものらしいからね」

壊れた座敷牢の扉を開け放ち、彼女の手を取る。
さあ、これからはまた綱渡りだ。何でもかんでも好きに使って、全身全霊でこのワガママな&ruby(怪物){お嬢様}を楽しませてあげなければ。

28
美影ルート・支と美影・デート・本番(1) 2024/02/20 (火) 22:11:42

屋敷を出ると、門の前にはタクシーが停まっていた。街を空車で走り回り、駅前のロータリーで客を待ちながらおじさん運転手がタバコを吸っているような見慣れたものではなく、送迎専用と思われる少しばかり変わった意匠のものだった。
運転手の言い振りから察するに、どうも久遠家の人間が呼び寄せ金を支払ったらしい。
直系の継子に誰もつけず送り出すのは憚られるが、あくまで脱走という名目であるため自前の車を出すわけにもいかない。あるいはお抱えの運転手ですら、久遠美影とは関わり合いになりたくないのかもしれない。
その上での折衷案。
歪で矛盾だらけな対応だが、こちらとしては助かる。好意に(あるいは害意に)甘えさせてもらおう。

久遠美影は目立つ。
久遠の家系ということを差し引いても、女性としては高い身長、高級な和服に身を包み、色の抜けた長い髪、息を飲むような美しい顔。所作の一つ一つが流麗で、癖を消し去り礼儀を弁えたその姿は、凡俗とは住む場所が違うのだと声高に主張しているかのよう。
そしてなにより、&ruby(それらを塗り潰す圧倒的な存在感){・・・・・・・・・・・・・・・}。
あまりに巨大すぎて、一般人なら直視することすら無意識に避けるだろう。
それならば逆に目立たないと言えなくもないかもしれないが、結局その場において特異な存在として扱われることに変わりはない。
ならば人目に付く頻度は極力下げ、お忍びという体で動くほうが皆が幸せになる。

僕と久遠美影は車の中で言葉を交わさなかった。
それは彼女との会話を他人に聞かれることがあまり良くないと判断したからだが、後になって思うと、はじめてのデートで緊張をしていたのかもしれない。

40分ほど車に揺られた後、目的地、夜観ウォーター・パークについた。
プールみたいな名前をしているが、これでも夜観市にある唯一の水族館である。
周りに海が無いためか、大規模な巨大水槽や海水の生物は少ないが、規模自体はそれなりに大きく、端から端まで回れば朝から夜まで潰せるだろう。
休日の娯楽施設にも関わらず人影はまばら。本気で運営が大丈夫なのか心配になってくる。

入場券を受け付けの青年に渡す。駅の自動改札のドアの部分が、回転する3本の金属の棒に置き換えられたような特殊な入り口を通る。
一人ずつしか通らせない仕組みになっていて、遊園地なんかに使われているものと同じだった。

「美影さん、どこから回ろうか。何か見たいモノはある?」

建物の中に入ってすぐに、斜め後ろを歩いてきた久遠美影に声をかける。

「任せるわ。貴方がえすこーとしてくれるのでしょう?」

およそ45分ぶりの彼女の発声は、つれない返事だった。
にべもない。
最も、全力で楽しませると言ったのは自分なのだから、そこに文句を言うのは筋違いだろう。
それに、水族館を回るルートにそう種類もない。
入り口の棚から取ったパンフレット(ご自由にお取りくださいというやつだ)を見ながら、脳内で組み立てを行う。
元々目星は付けていたため、十数秒ほどすれば方針は固まった。いくら久遠美影だろうと性別は女の子。
自然を細かに再現したような水槽よりは、派手で見栄えがしたり可愛らしい生き物の方が好みだろう。

「じゃあ美影さん。まずは━━━」

そうやって即興で練り上げたプランを話そうと後ろを向くと、すでにその場に彼女の姿は見えなかった。

「あれ」

目を離したのはほんのわずか、慌てて周囲を見渡すと、すぐに見慣れた和服を発見する。暗い館内でも、さすがに人間が一人でいれば見つけることは容易だった。
彼女がいた場所は、カサゴの水槽の前。
水族館に入り、一番最初に目にする位置にあるものだった。
それをじぃーっと、まるで有史以前からそこに立っていましたとでも言わんばかりに立ち尽くして目を向けている。
もしカサゴに物を考える知性と、何かを崇める信仰心があるとしたら、彼は己と彼女を隔てるアクリル板に多大なる感謝と祈りを向けていることだろう。
今にも眼から光線が出そうな怪獣ミカゲに触れるのも憚られたが、かといってそのまま眺めているのはそれはそれで不誠実というもの。

「その魚、気になった?」
「いいえ。けれど、初めて見るものだったから」

29
美影ルート・支と美影・デート・本番(2) 2024/02/20 (火) 22:12:48

ああ、なるほど。完全に失念していた。やっぱり今日の僕は頭が回っていないらしい。
初めてのデート以前に、初めての水族館。それならば、下手にあれこれ見物先を選ぶよりも、手前から奥まで眺めて、興味が湧いたものを長く見るという、手ぶら無策で挑む方がきっと楽しい。
エスコートすると言った通り、今日の僕は道案内役に徹しよう。頭の中で描いたプランを、まとめて浄化の火に投げ込んで忘れる。
久遠美影は計5分ほどカサゴを眺めると隣の水槽へ歩を進める。そこにいたのはエビ。
食卓に並ぶような赤くて折れ曲がってプリプリしたやつではなく、やや青みがかった鎧のような殻を全身に被り、切断の用途には使いづらそうなずんぐりとした鋏を持った手のひらほどの海棲生物。
水槽の下に貼られているパネルを見ると、どうやらシャコの仲間らしい。
カサゴと同様、視線にエネルギーがあるのならシャコを殺していたと思えるほど、美影さんは水槽の中をその両の眼で覗いている。
今度は2分と経たずに次の水槽へ、その次は、その次は。
繰り返すたびに時間が短くなるのは慣れか飽きか。
およそ1時間半ほど経っただろうか、見物時間の差こそあれ、これまで全ての水槽を眺めながら、僕らは館内の半ばに至っていた。
狭い通路の両側にクラゲの水槽が設置されている箇所を抜けた先にあるそこは、いわゆる海の生物との触れ合いコーナー、というやつだった。
さすがに人が直接触れるものとなると種類は限られていて、蓋が空いた横に長い水槽の中に小さなサメやヒトデ、ウニの仲間と思わしきものが入っていた。水槽を跨いだ先から係員さんがニコニコしながらぜひ!とこちらを誘導してくる。
ちらりと横目に久遠美影の表情を伺う。相も変わらない無表情だが、それはつまり不快感を抱いていないということである。
彼女はポーカーフェイスに見えるが、それは感情の揺れ動きが少ないだけであり、不満な時はきちんとそれが表出する。僕が会話を交わし続けて理解した、数少ない彼女のパーソナリティ。
ならば是非もない。

「触ってみようか」
「…………ええ」

レディファーストよりは男が先陣を切るべき場面だろうと考え、軽く腕を捲ってから水槽の水に手を付ける。水道水とは異なる磯の臭いを感じながら、水底のヒトデに触れる。
初めて触ったわけではない、と思うのだけれど、そのザラついた石ともゴムともつかないような感触は記憶の倉庫には入っていない新鮮なものだった。

「ほら、美影さんも。噛み付いたりはしないよ」
「……………」

和装の袖を持ち上げ、やや無理をする形で腕を出す久遠美影。彼女にしては珍しいことに、おそるおそると言った調子で水に指をつけていく。表情は本当に僅かにだが強張っているように見え、眼だけが今までと同じく淀んだ視線をサメに向けている。
白く長い中指の先、爪がサメに触れた瞬間。

サメが跳ねた。

「え………?」
「…………!」

魚が水面から跳ね出るという光景はけして珍しいものではないし、自然環境を中継するテレビ番組や、学校にある池なんかで何度も見たことはある。
しかし今回のそれは、それらと比べても異様だった。
まずその高さ。僕の腰のあたりにあった水槽から、僕が見上げなければならないほどの高さまで一気に跳ね上がったのである。
そして跳ねたならば当然落下もするわけで、やたら高く飛んだサメは派手な水飛沫を上げながら水槽に着水すると、
再び跳んだ。
今度はやや低く、そして着水と同時にまた跳ねる。
何か薬物でも打ち込まれたのかと疑うほどの狂騒状態で、あたり一面が水槽から溢れた水で水びたしになっていく。
そばにいた僕もそうだが、水槽に手をつけていた久遠美影は酷い有り様だった。

「美影さん!そこにいると危ない、離れよう!」

呆然としているのか、それとも状況を観察しているのか、とにかく棒立ちのまま水を浴び続けていた彼女の手を取って後ろに下がらせる。
すると、それを待っていたかのように、途端にサメの大暴れは終わりを迎え、水槽に立った波音ばかりが残された。
これは、つまり、サメが&ruby(・・・・・・・・・){久遠美影を怖がった}ということか?
未知の脅威に晒されて、それから逃れるためにあれだけ暴れたと?
そんなバカな、という気持ちが3割。得心がいったという気持ちが7割。脳の算術的に常識的に考える部分は疑問符を浮かべているが、感情的に直感的に考える部分はこれ以上のない正答だと電球マークを浮かべている。
確かに今日はずっと見られている魚を哀れに思ってはいたが、本当に恐怖し逃げ惑われるとは思っていなかった。
そうやって脳内で今回の事故の整理を付けていると、

「冷たいのだけれど」

30
美影ルート・支と美影・デート・本番(3) 2024/02/20 (火) 22:13:13

不機嫌そうな彼女の声を聞いてようやく正気に戻ったのか、呆けていたスタッフがこちらによってくる。
お怪我はありませんか。申し訳ありません。今タオルを持ってきますので。休憩室にご案内いたします。
そんなふうなことを複数人に言われてスタッフ専用通路を通り医務室のような休憩室のような場所に案内される。
お着替えになりそうなものを持ってきますと言われたが、僕は水さえ拭けば大したことが無さそうなので断る。
久遠美影も、

「知らない服は着たくないわ」

と拒絶。
代わりと言わんばかりに大量のタオルを押し付けられ、席を外してきますので何かありましたらお呼びくださいとの言葉を残して彼らは去っていった。
後には濡れ鼠の僕と久遠美影。
流れるように流れに身を任せてしまったが、さて。こうなってしまってはデートも失敗と言う他無いだろう。

「ごめん、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった」
「なぜ謝るの。貴方がやったわけではないでしょう。責任の伴わない謝罪は、むしろ不快だわ」
「いいや、これは予測できた事故だ。僕の想像力と危機管理能力の欠如が招いた結果でしかない。僕はキミを楽しませると言ったんだから。約束を果たせなかったら、それは王に相応しい人間じゃない」
「ああ。そうだったわね。私はなかなか楽しめたのだけれど」
「は?」
「初めて見るものばかりで、ええ。悪くなかったわ」

そういう彼女の顔は、ほんの少し険が取れていた。
驚いた。
確かに久遠美影はやけに熱心に生物たちを眺めてはいたが、それはあくまで暇つぶしの一環程度だとばかり思っていた。
新しいものは楽しいし、見慣れたものは安心する。それらは両立できる、ということなんだろうか。だとしたら、僕が想定していたよりも、彼女の精神性は普通の人間に近いのかもしれない。

「そうか、それなら良かった。でも、後始末の手伝いくらいはするよ。つまり、そう

僕は一通り自分の身体を拭き終え、さて和装の久遠美影は未だひどく濡れているだろう、触れられるのを嫌がられなければ髪くらい拭いてあげようかと、後ろを振り向いたところ。
久遠美影は、着物をはだけて白い襦袢姿となったいた。
大量に浴びた水は襦袢にまで達していたようで、そうなれば当然その裏にあるものまで透けて…。

「…………席を外すよ、服を着たら呼んで」
「なぜ?後始末を手伝ってくれるのでしょう?」
「いや、でも」
「私に嘘をついたというの」

さっきまでの緩やかな空気はどこへやら。うろたえる僕を睨みつける眼は見慣れたいつものもので、心中の苛立ちを隠そうともしていなかった。

31
美影ルート・支と美影・デート・本番(4) 2024/02/20 (火) 22:13:31

「わかったよ。やるよ」

観念して久遠美影の方へ歩いていき、その流れで机の上に大量に積まれた、フェイスと付けるには大きめのタオルを一枚掴む。
あまり目線を下に向けないように意識しながら、彼女の後ろに回り、長い髪にタオルを押し当てるようにして水分を取り除いていく。
かすかに残った潮の臭いを嗅ぎながら、もしこの髪が傷んでしまったらどうしようと考える。本人はああは言っていたが、罪の意識は拭いきれない。今日はこのまま帰って、すぐに風呂に入ってもらったほうがいいだろう。
儚い抵抗として思索を続けるが、目に写った濡れ襦袢の光景が脳から離れない。
濡れた生地から透ける、薄い肌の色。それは、あるいは不健康と捉えられてもおかしくないほどだったが、そこには生気が溢れ出ていて、病弱、虚弱、貧弱、惰弱、脆弱。それら弱さという要素が一切感じられなかった。
ゆったりとした普段の格好では目立たなかった双丘は、ここ最近知り合った女性たちと比べてもかなりの大きさを主張していて、先端にはうっすらと桜色が見えたような気がした。
水の滴る良い男という表現があるが、水で色気が増すのが男だけであろうはずがない。
絶対的で超越的で、人であるかすらわからない異生物。
そう思っていた久遠美影に対して性を感じてしまった。
そもそもなんで水など浴びているんだ。そういうキャラじゃないだろう。あれだけ軽く化物を潰して返り血の一つも浴びていなかったくせに、怪物なら怪物らしく何か超常的な力で避けたらどうなんだ、それじゃあまるで。

まるで普通の少女みたいじゃないか。

「は。はは。ははは。ハ………………」

自嘲の笑いを堪える。被った猫のうちでくぐもるように声を噛み潰す。
だってそうだろう。今わかったんだ。
&ruby(目の前の少女){久遠美影}は&ruby(駒){ミナ}とは違うんだ。彼女の前では僕は、先導者でなければならない。こんな情けない姿など見せられようか。
なるほど、ありがとうミナ。わざわざこんなデートを仕組んだ甲斐があった。
これまで僕にとって久遠美影は怪物だった。だがどうだ、僕は彼女に劣情を抱き、彼女はサメが暴れる程度のアクシデントにも巻き込まれる不完全な生物だった。
これが人間でなくてなんだという。
人間ならば、僕の取るべきスタンスは揺るがない。

「何が面白いのかしら」
「なにもかもだよ。美影さん」

水を吸い取ったタオルを真新しいものに取り替え、今度は服に押し当てる。
女の子の身体に触れていることで顔が赤らむのがわかる。心臓の拍動は外に漏れていないだろうか。&ruby(・・・・){美影さん}相手だと持ち前の感知能力なりでバレてしまうかもしれない。
だけど知ったことか、この興奮こそが美影さんが人である証なんだ。熱を忘れるな、鼓動を胸に刻み込め。
僕にとって守るべき対象であると深く認識しろ。
もはや何に対して盛り上がっているのか自分で自分がわからなくなりながら、美影さんの身体を拭いていく。
腕を、背中を、腹を、胸元を、脚を。丁寧に水を取り除く。
混乱と興奮を味わいながら、一通りの水を取り切った。

「さすがに布に染み込んだ分までは取れてない湿ったままだから、しばらくストーブに当てなきゃ乾かないと思うけど。どうしようか美影さん。乾くまで待つか、それとも、もうこのまま帰っちゃおうか?」
「帰るわ。そろそろ家で食事の時間なの」
「だったら、また車を呼ぶよ」

とはいえ、下着姿の美影さんを放置して電話をかけにいくわけにもいかない。事務机の上に広げられた和服を手に取り(水を吸っていることもあってすごい重い)、彼女が服を着る手伝いをする。
また指があらぬところに当たってしまい、落ち着いてきた心臓が今一度仕事を始めるが、深呼吸をして抑え込む。
細かい部分はさすがに手に負えなかったが、そこは美影さんが自前でやってくれたので、とりあえず破廉恥な格好ではなくならせることができた。
さて。
携帯を開き、以前覚えておいたタクシー会社のダイヤルを打ち込む。
これで今日のデートは終わりだ。後は美影さんを送って、別れるだけ。だからその時言い損ねても良いように、今のうちに言っておかなきゃいけないことがある。

「今日はとても楽しかった。ありがとう美影さん」
「そう」

返事はそっけなかったけれど、その声色は今まで聞いたどの時よりも柔らかく、幸せそうだったのは、気のせいだろうか。

32
美影ルート・支と美影・初夜(1) 2024/02/20 (火) 22:17:09

「襲ってくれても構わないのだけれど」
「は?」

突如として発せられた衝撃的な言葉の理解に、やや時間を消費する。
最近は屋敷の人も妙に態度が柔らかくなり、やたらと僕への挨拶や気配りを利かせてくれている。今日も美影さんとの夜の散歩の後、ぜひ泊まってくれと言われたので、それに甘えて一晩過ごさせてもらっている。どうせ家に誰がいるというわけでもないのだし。
だが想定外だったのは、なぜか座敷牢に僕の分の布団が敷かれ美影さんもそれを受け入れていたことだった。
たしかに一般的な精神病者の自宅隔離に使われていた部屋に比べて、久遠家のそれはやたら広く、人2人が使う程度分にはなんら問題がない面積を有していたが、だとしてもあんまりだろう。
それは信頼の現れなのか、もしくは何かを期待されているのかわからないが。
とにかく、そういう何かを意識せずにはいられない状況に、僕は置かれていた。そしてこの美影さんの言葉である。
正直9割くらい意味は分かっていたが、残りの1割で地雷を踏みかねない可能性を考えて、一応確認をしておく。

「……誰が?誰を?」
「女の子がここまで言ってあげているのに察せないなんて、愚鈍なのかしら。それとも、へたれ?」

勘違いじゃあなかった。本当に"そういう"意味で言っているらしい。
いくらなんでも心の準備ができていない。
普段はこんな風に露骨な誘導をされたら、それに引っかかってあげているけれど、今回はそうもいかない。

「僕がへたれかどうかはともかく、女の子だと言うのなら、そんなことを口走るべきじゃないよ」

口をついて出たのはそんな模範解答。どうやら僕は追い詰められると、テンプレートに沿って言葉が出るようになっているらしい。
美影さんはさらに不機嫌そうな顔になると、こちらに向き直り、僕の顔を押さえつけてきた。
作り物のような美しい顔が目の前に迫り、一瞬ギョッとする。

「私は貴方のことが好きよ。愛しているわ。それでもダメかしら」

それは、愛の告白だった。
前、僕を殺そうとしてきた時に口走っていたことから、好意を抱かれているのは認識していたが、面と向かって言われた時の心への衝撃は、これっぽっちも緩和されてくれなかった。

「僕も、美影さんのことは好きだよ。広義では愛していると言ってもいい。だからと言って、すぐにどうこうしたいと思っているわけじゃないんだよ」

剥がれかける平静の仮面を、必死に被り直しながら答える。
愛している。嘘じゃない。だけど物事には順序があって、何より美影さんの僕への愛がどんな形なのか、それをわかっていないうちに行為に及ぶのは、分別のつかない子供を誑かす不審者と同様の所業だろう。
脈打つ心臓に急かされながら、穏便に断るための言葉を探していくが。
美影さんはそれを許してくれなかった。

「信じられない。貴方は私の次に、どの女のところへ行くのかしら。
 ミナかしら、それともあの混じり物かしら、頭巾の子供、は無いと思うけれど。
 ━━━━━許せないわ。私から離れるなんて、許さない。貴方は私のモノなのだから、私の側に居続けなさい。
 貴方がいなくなると、私の生は酷く退屈でつまらないものになってしまうの。
 貴方がいない世界を、私はもう忘れてしまったの。
 ねえ、支。貴方はどうすれば私に縛りつけられてくれるのかしら。
 貴方の好きな、契約。必要な対価があれば、あげるわ。少しくらいは、変わってあげてもいいわ。食事も、散歩も、我慢してあげてもいいわ。私の身体だって、獣のように貪ってくれて構わないわ。
 だから、私の側にいてちょうだい。私を置いていかないで。もう、ひとりにしないで」

脅迫というにはあまりに拙く、告白というにはあまりに暴虐で、弱音というにはあまりに力強く、嘆きというにはあまりに静かだった。
そんなことを言いながらも、その眼に宿っていたのが寂しさでも涙でもなく、純粋な怒りと不快さだったのはとても"らしい"けれど。

33
美影ルート・支と美影・初夜(2) 2024/02/20 (火) 22:17:35

「それは、キミが僕しか知らないから、キミの世界に僕しかいないからそう思うだけだ。視野を広げれば僕に執着する必要なんか━━━━」
「いいえ。貴方以外の男なんて、興味もないの。貴方より優秀でも、貴方より強くても、貴方じゃないのなら、それは要らない。必要無いわ」

彼女は隠し事ができるようなタチではない。喋らないことで己を読み取らせないことはあっても、偽りを口にするなんて、とてもじゃないができやしない。
ゆえに今の言葉は紛れもない本音で、彼女の中にある確かな欲求なのだ。

「なんで、僕なんだ」
「貴方が、ここに居続けたから。
 貴方が、私の中に入り込んできたから」

つまりそう、僕の何かに惚れ込んだのではなく、ただ僕がそこにいたから、それが当たり前になったから、美影さんは、久遠美影はそれを失うことを良しとしないのだ。
長く観察を続けてきたんだ、美影さんの行動理念が常にその一点を重要視していることくらいわかっている。
ただ変化を厭い、劣化を嫌い、堕落を拒絶し、進化をしない。それこそが久遠美影が求める唯一の願い。
だったら。ああ、だったら。僕の答えは決まっている。

「大丈夫。僕は美影さんから離れたりはしないよ。キミを変えた責任は取る。言っただろう、僕はみんなを正しい道へ導くのが目標なんだ。美影さん1人を救えなくて、全人類が救えるものか。だから、僕に救われる1人目になってくれ」

頬に置かれていた手を外し、身体の前で両の手で両の手を包み込む。
やるべきこと、言うべきこと、進むべき道は固まった。
僕が選んだ道だ、これが間違った選択肢であるものかよ。
ゆえにすでに迷いは無い。

「嘘じゃないかしら」
「とてもじゃないけど、キミには吐けないよ」
「他の女に、目移りしないかしら」
「そうなればこの眼を潰してくれてもいい」
「私の手を引いてくれるかしら」
「一緒にいる時は、ずっと」
「愛を、絶やさないでくれるかしら」
「誓うよ。僕の愛は最期まで、美影さんに注ぎ続けよう」
「貴方は、変わらずにいてくれるかしら」
「それは━━━━━」

言葉を詰まらせる。澱んだ水晶体が、僕の顔を写している。
断罪者と相対しているようなプレッシャー。心臓を見えない手で掴まれたような不快感。触れている手はとても冷ややかで、全身で僕の言葉を待っていた。
でも、ここだけは譲れない。

「それは、約束できない。変化を拒むということは、停滞と同義だ。あってはならないことで、もし諦めて、投げ出してしまったら、僕は僕じゃなくなる。美影さんの求めた、愛輪支はいなくなるんだよ。だから止まる気はない。死ぬまで進み続ける。そうじゃなければ、僕は、僕を愛した人に報いれない。
 そして、美影さんも留まらせて置く気は無い。一緒にはいよう。隣にはいよう。だけどそれは、同じことを繰り返して死んでいくという意味じゃない。共に歩くという意味なんだから」

34
美影ルート・支と美影・初夜(3) 2024/02/20 (火) 22:17:47

僕の在り方は揺らがない。揺るがせない。たとえ美影さんに望まれようと、その一線だけは越えさせない。
僕の言葉を聞いた美影さんは、眉間の皺をほんの少し深くした後。

「そう。わかったわ。だったら、貴方が夢を諦めるくらい、私に夢中にさせてしまえばいいのね」

そう言って、僕の唇を奪ってきた。

「んん!?」

それは迷いなどない即断即決の動きで、のけぞることもできなかった。確かに話の発端は抱く抱かないだったけれど。
抑えつけるようなキスの感触に脳を蝕まれる。
頭のどこか冷静な部分で、これはファーストだったっけか、美影さんのまつ毛長いなとか考えながらも、体が動かない。
客観的に見たらおよそ10秒ほど、体感で1時間経ったあたりで、解放される。

「み、美影、さん。今、のは」

呼吸が乱れる。息が上手く吸えない。酸素を求めているのか二酸化炭素を吐き出したいのかわからない。
狼狽する僕とは裏腹に、美影さんは虚ろな眼で、蠱惑的に笑っている。とても珍しい笑顔だったが、それに感動している余裕はない。

「襲ってくれても構わないのだけど?」

再びの誘惑。

「だから、それは、」
「構わないのだけど?」

三度。
そこにさっきまでの幼稚な必死さは無かった。男を誑かす毒婦というよりは、沼地に引き摺り込む妖怪と言った雰囲気。
どうやら美影さんの中ですでに結論は決まっていて、後は今から夜明けまでの数時間、僕をひたすら誘うつもりらしい。
逃げ出させくれるとも思えない。
正直もう理性もだいぶ限界に達していて、ふと気を抜くと豊満な胸部に眼が行きかけてしまう。
嘆息しながら己の運命を受け入れる。ここから違うルートに行きつく未来が想定できない。

「わかったよ。僕も覚悟を決める。だけど、その、やるなら僕が襲うとか、僕を繋ぎ止める対価じゃなくて、ちゃんと、恋人としてだ。そこだけは、しっかりしよう」
「なら、もう一度囁いてちょうだい。私に、愛の言葉を」

そう言う美影さんは本当に楽しそうで、今まで見たことがないほど満たされた顔つきで。
それを見たらもう、躊躇とか照れとか、どうでもよくなってしまった。

「愛しているよ、美影さん」
「ええ、私も愛しているわ」

僕らはどちらともなく再び口を合わせ、そのまま流れるように布団の上に倒れ伏していく。
ここから先は未知の時間。
愛を証明しながら、愛に溺れないための儀式。
僕と美影さんが、初めて結ばれた話。