「♪London bridge is falling down,falling down, falling down───」
快活な歌声が響いてくる先へ振り返ったミナは走りつつも力を込めて手を振った。
肩から肘へ、肘から指先へ、滝のように怒涛の勢いで駆ける魔力の奔流。
指先から溢れて物質界に働きかけたそれは瞬時に数匹の蝙蝠へと転じた。
生き物のように宙を飛び、爆弾のように炸裂する。まともに当たれば容易く肉を引き千切るだろう。
「♪London bridge is falling down,My fair lady───」
対して、追跡者は回避行動を全く取らなかった。
靴底に鋼が仕込んである靴の独特の足音が止まらない。
スピードを落とさないまま、眼前へ急接近した蝙蝠をまるで虫でも叩くように裏拳でぺちぺちと落としていく。
だがそこまではミナも予想範囲内だ。本命は蝙蝠の仕込みにあった。
追跡者が最後の蝙蝠を叩き落とした瞬間、ぱちんと泡のように弾けた蝙蝠が分裂し、魔力塊となって顔面へと迫る。
直撃すればその頭部は吹き飛ばされ、首なしの肉体がずるりと崩れ落ちる───
「嘘でしょう」
さすがにミナもつい呟いてしまった。
あろうことか、追跡者は魔力塊を『噛み砕いた』のだ。
同じ死徒なんじゃないかと疑ってしまう。少なくともまともじゃない。
「ねーねー、追いかけっこはそろそろやめにしよーよー。…っとぉ!」
すると追跡者は傍らにたまたま置かれていたゴミ集積用の鋼鉄のコンテナを、まるでプラスチックのバケツを担ぎ上げるような気軽さでひょいと持ち上げて───
───旋風。衝撃。轟音。
直線の軌道ですっ飛んできて、ミナの前の地面へとコンテナは突き刺さったのだ。
進行方向を塞がれ、ミナは立ち止まった。…ミナ自身は経験が無くとも、貴種たる肉体が感じ取っていた。
これを横に躱す。あるいは飛び越える。いずれの選択もその僅かな一呼吸が致命的になると。
すたすたと大股歩きで寄ってきた追跡者へ、ミナは表情変えること無く静かに言う。
「貴女、強いのね」
「そりゃこれでも騎士やってるからね~。や、しかし好都合ね。
こんなところで件のお姫様を討てるんだから。これは思ったより今回の仕事、早く片付くかな?」
そんなふうに言ってにこにこ笑う女はなんとも朗らかだ。
月光に濡れた銀の髪、コントラストになって映えている褐色の肌。とにかく人懐こそうな笑顔で、殺意のようなものは感じられない。
(でも───………)
分かる。アレはそんなものなどなくとも討つべき相手をシンプルに討ち果たす機構だ。
その片腕に仰々しく装備された、円錐形をふんだんに用いられた優美なフォルムの巨大な杭打ちを突き立てるのに何の躊躇いも無いだろう。
「それじゃてきぱき終わらせましょうか。ま、その不浄の魂にも救いがあるなら、きっと滅んだ後に───」
「──────待てっっ!!」
どうこの状況を切り抜けたものか、とりあえずミナが身構えたところにその声は朗々と響いた。
ここ最近、すっかりよく聞くようになった声。当人に対する感情はさておき、目の前の襲撃者よりは親しみが持てた。
騎士の背後。自分やこの騎士なら一息で辿り着けそうな距離にひとりの男の子が立っている。
逆光になっていて表情は伺い知れなかったが、ミナが嫌いではないあの力強い眼差しが注がれているのは確信できた。
驚くべきことは突然の闖入者だけでは無かった。追跡者までもがこちらに背を向けくるりと振り向いたのだ。
「…君かぁ」
ぽつりと呟かれた言葉には、なんというか、『こんなところで会いたくなかったなぁ』という気色がはっきりと滲んでいた。