媚びる、批判を投げかける、プレゼント企画に参加する、異質な個人に攻撃する、多数決で判断する、匿名性に守ってもらうetc. このどれもが倉花とかいうポンコツが推奨する「なんにも咎められることのない自由」に基づいて行われてると思うんだけど、それって「とっても解放的じゃないですか」とは思わないんだ?
なんだろう。 彼が批判する人物と彼の違いって何? 自由であることをいいことに不謹慎な発言をしてるお前も同じ穴の狢なんじゃねーのかな?って思っちゃうんだけど。
何こいつ?
どうも、若さです。 以上、若さでした。
これどういう類のボケなの? 「若さ」って何? 身内ネタ?
若さなので、青臭い文章を書きますし、
これから「青臭い文章を書くよ〜」ってことの予防線を前もって張ってるってこと? 「若さ」ゆえに駄文書きますって? なにそれ。全然ピンとこない。 これ見た人ってどういうリアクションするのが正解なんすか?
正義漢ぶった批判をして、理想を夢見ながら現実から目を反らし、自分よりも程度の低い生き物を探しては悦に入っています。
正義漢ぶった批判って表現の仕方雑じゃない? なにそれ? 本当にできてんの?
自分よりも程度の低い生き物を気にしてばかりだから
こういうのばっかりに目がいっちゃうんじゃね? 大丈夫? もっと健全なネットライフ送ったらどうすか? そんなばっかりじゃないよ知ってるよね?
ユーザー個々が現実世界での鬱憤を晴らすために同じ趣味を持つ同志を見つけてはコミュニティを形成し傷を嘗め合ったり、行き場のない暴力性を振り撒いてスッキリした気分に浸ったり
なにこれ。 赤村一門の紹介っすか?
ニュースアカウントや企業などの公式アカウントが増え、一般人感覚を捨てられる遊び場に現実で幅を利かせている有名人なんかが餌場とばかりにたかりだし
なんの問題があるの? 人の勝手じゃね? お前になんか迷惑かかんの?w
ネットコミュニケーションの醍醐味は匿名性という盾で身を隠し、現実世界では考えられないほどローリスクで言いたいことを言えることだと思っていました。
やばくない?この考え方。 「ネチケット」とかあるやん? 匿名だからって、ネットだからって言っていいことと悪いことの区別くらい普通つくんじゃね? え、だから
「子供を産む機械のクセに喋る」
とか言っちゃったってこと? 頭おかしいよ自分。
学校の友人には言えないような趣味や卑猥、人前だと熟れたトマトのようになりかねない浅いポエム、コストゼロの誹謗中傷。これらが自由にできるって、とっても解放的じゃないですか。
だからこういうポエム書いてるってこと?w
現実での親や先生やいじめっ子、なんにも咎められることのない自由な自分。その実現がインターネットでは容易にできた。
いじめられてんの…? もしくはそういう過去をお持ちで?
女の子にいじめられた経験から女性に嫌悪感を示すようになったとか? ほら自分語りしてみろ。
もし時間がw軸に置けるのであれば…
我々は紛れもなく四次元にいるし、認識だってできているよな。
現在は同じペースで進み続けている。 我々はw軸を同じペースでスライドしながら、三次元空間を自由に移動できている。そして視覚は二次元だ。
ただ、視覚が二次元なのって、三次元にいるからじゃなくて人間の目や脳の作りが問題なんじゃないかなって思う。 更に進化すれば、三次元に生きていながらも視覚で三次元を見れる可能性だってあるよな。
>> 37
そんな番組あるのか。スマホ持つようになってからテレビとか見向きもしなかった。自分の知識欲のなさには幾呆れる。
喧嘩界を見てると、専門でもないのに広い知識を持った人間ばかりで嫌になるね。(その中でも詠人は格が違うように見えるけど)
しかも、感心しているさなか「俺とて素人」とか言われる始末。
議論は俺が喋れば喋るほど損をするように作られてる。知らないことだらけだからだ。(知らないことを多く学べる点はむしろ得) だから議論は諦めてたのに、ほんとトドメ刺してくれてありがとう。
あと、スマホでいい感じの描画アプリってある? ibisPaintXってやつダウンロードして使ってたんだけどどうも使いにくい。
「無の証明」という途方もないテーマで話てんだけど 俺の 宇宙が始まる前は無だった
てのをテメーが違うと断じて
宇宙は存在するのか
これ2命題共に人知超越の観点から「無」を話す上で同一だろ
宇宙が始まる前は「無」じゃなかったと断言できるから「ちがう」って言ったんだよな? 説明してみろ笑
今まで「~ということになる」とかさんざん言い切ってきたけど、結局のところ俺もシロウトだからな。 イメージしやすさを優先して整合性とかは後回しにしてるし、くれぐれも俺が発信する文章を過度に信用しすぎないようにしてくれ。 ディスカバリーチャンネルを見る頻度が少しだけ多い、あくまでその程度です。
あ、ちなみに、晩飯食いながらよくこのシリーズを見てます。
四次元になった時点で空間ではない…ということか??
4次元のそれを空間と呼ぶかどうかは権威ある学者に任せるとして、少なくとも性質は俺たちが見てる世界とぜんぜん違うだろうね。
>> 24でも使ったけど「類推」ってのは非常に便利でして。 2次元の住人も3次元の住人も、見えている景色に対して近づいたり遠ざかったりする・・・つまり「運動」を通してようやく自分のいる次元が何次元なのかを認識しているってわけだ。
部屋の隅にある点Pを見つめる霧雨の視界は、前回貼った図では「台形が2つ、三角形が1つ」だったけど、点Pから遠ざかればそのうち「台形が2つ、5角形が1つ」になるはずだ。
遠ざかった距離を示す緑の線の長さは実際には同じ距離であるはずなのに、「3次元を2次元に変換した図」では場所によって見かけ上の長さが異なることが確認できる。 超立方体における「この面が正方形なんて信じられねーんだが?」ってのも、同じ要領で起こってる現象じゃないだろうか?
空間の話である以上は時間を軸として取り入れるのは正しくないんじゃないのか?
しょうじき俺も意味分かってないんだけど、時間と空間を混ぜ合わせた「時空」って言葉はとりあえずあるよな。そんな感じの扱いでよくね?
ベクトルを持つものなら次元を構成する軸になり得ると思うよ。 「このままx軸上を真っすぐに進み続けたら、宇宙の外に出るんだろうか?その先はどうなってるんだろうか?空間に行き止まりはあるのか?」と3次元的な限界について考えることは可能だ。 それと同じで「時間の軸をこのまま進み続けていったら、いつか終点に辿り着くんだろうか?それとも無限に続くのだろうか?」と考えることも可能なはずだ。 拭いきれない微妙な違和感は残るかもしれないけど、一応は軸として機能しそうな気はする。
そういう意味では、温度のベクトルを色で表すサーモグラフィーなんかも4次元的だな。
>> 15
>その勇気は、化粧が上手くなっていけばいくほど、薄れていくものです。
>毒正義はフェミニストであると他者から認識されるとします。この場合、その「フェミニストの毒正義」は、僕が指す「何か」に該当します。
このトピック自体、人の真性に差し迫るものなのに、そこまで自己分析されているのは尊敬します。フェミニストの例えがとてもわかりやすく思います。確かにフェミニストに見られたいからフェミニストの振りをする技術は恥ずかしいですよね。私も災害時の募金などに参加するときに恥ずかしさを感じます。誰一人として災害の被害者に知り合いはいないのに、赤の他人のために行動をする自分の「善い行い」に酔いたいだけなのですから。恥ずべきことです。もし誰かに募金の理由を問われたら、「苦しんでいる人を放っておけない」などと、適当なことを言う自信があります。恥ずべきことです。
毒正義様のフェミニズムによって気分がよくなる人がいるのは確かです。その技術を利用する人もいるでしょう。私の募金も、その金を使用する人がいるわけです。しかし、その見返りは「恥」。たまらないですね。
「本来の僕」
そこで改めて考えるのが本来の自分です。本来の自分は恥を望んではいないはずです。しかしその恥を自覚するのも、ここまで自己分析が必要となるのではないかと考えます。恥を自覚することが、何につながるのか。そもそも恥を自覚しなければよかったのでしょうか?うーん、この恥が何につながるのか、まだ私にも答えがわかりませんが、少なくとも恥を自覚することをやめるのはもったいない気がします。
つまり、まとめるならば、羞恥から僕は逃げられないという事です。全てが敵ということです。誰かに殺されたくなくて逃げに逃げた先に待つのは、結局のところ僕なのです。裏切り者は僕でした。恥ずかしいですね。
ポイズンまさよしさんの言っていることはいささか傲慢な気がするな。 化粧した自分はありのままの自分じゃないのか?そうと結論付けてしまうのか??
化粧を施したのは自分自身だから、「何か」によって生まれる発想、「何かによって生まれる」行為、「何か」によって繰り返される筆舌に尽くし難き神列伝やクズ列伝…。これら全ては、ポイズンまさよしさんのありのままの行いなのではないか?
化粧することそのものが、ポイズンまさよしさんのありのままの行いであるから、それによって付随する行動も全てポイズンまさよしさんのありのままの行いじゃないかな。 新しい人格を作り出し、自分とは別の存在として「何か」を独立させ、俯瞰的な立ち位置となったありのままの自分が「何か」を指揮している…いや…むしろ、
その「何か」すら自分とは異なる自我を持っていると信じているのではないか…??と、さえ見えてくる。
すごく危険で、傲慢で、人間らしい考え方だと思う。
たとえば。
人は人が自然破壊を嘆いているだろう。 しかし、人とて自然の一部なのであるから、自然である人がいかに「人工物と呼ばれる物」を作って豊かな生活をしながら「自然破壊と呼ばれる行為」を嘆き続けたところで、それもまた自然の一部である…と。 なぜ、鳥の巣は自然の産物なのに、家は人工物として分けて考えるのか。
人間の傲慢さ故だ。
ポイズンまさよしさんの思考はまさに、それに似ている。 ここでいうところの、自然が「ありのままの自分」で、自然破壊が「何か」に相当すると思ってくれるとわかりやすい。
ポーヤン、改めて聞くが
「なんかようか?」
おまえ何をもったいぶって喋ってんだよ いつまで服の中からチャカ突き付けて脅してんだ? 服からチャカ出してみろや どーせ中身は指鉄砲なんやろ?
あとおまえも俺の>> 9に答えてねーよな
なんで雑魚戦法選んだんや
倒せると思った?
倒せねーよな指鉄砲じゃよ
その場合も『一生が記録されていることの証明(データに抜け落ちがないことの証明)』なんてのは到底不可能だろうし、無実をカンペキに証明することはできないだろうね。
俺がよく分からんのは、現代の論理からすれば詭弁になるって部分だよ。 無実を証明できなかった場合は、無実かどうか不明ってのが論理なのでは?
「無実かどうかは不明だ」と主張する場合は無実であることを証明する必要なんて確かにないけど 「無実だ(不明ではない)」と主張する場合は証明する必要が出てくると思うぞ。
間違ってるかもしれんが自己解決できそう。いや、ビミョー。
一次元が直線、二次元が平面、三次元が空間…であるから、
空間でない以上、w軸が時間であったところでなんの問題もないのか…?? 腑には落ちないがそういうことなら理にかなってると言えなくもない。こじつけな気がしてならないが。
単純に感心するしかない。 なんとなく知ってるような話から知らなかった話まで分かりやすく説明くださりありがとうございます。
四次元について、俺からはこれ以上出せるカードがないので、いまだ唯一解消できていないこの疑問だけ解決させたいんだ。
空間の話に時間という異なる概念が割り込んで、あまつさえ一つの軸として居座りやがっていいものなのか? 物事を理解するための手段としてはアリだが、空間の話である以上は時間を軸として取り入れるのは正しくないんじゃないのか?
>> 12 お前、会話できねーのか?^ ^
Q.言語化しない理由はなんですか? A.あえてしませんでした(ドヤ)
笑わせんなバカwwwww
これは納得。 例えば5次元の空間があったとして、そこで4次元シミュレーションを実行する能力があるものが存在したとする。 では、こう考えたらどうだろうか。3つの標軸は固定して、1つの座標軸だけ常に一定の速度で動かすとすれば。シミュレーション上にクオリアを持つ主体が作成された、もしくは外部からクオリアを持つ主体のみが介入したとして、それらの主体に身体が与えられたとしよう。このとき、これらの主体は、一定の速度で動く座標軸を視覚できるのか、という話である。1つの座標軸が常に移動していれば、個々の主体において、勝手に流れているものというように認識される。これが我々にとっての時間軸ではないか、という考え方もできるのでは、と思う。
うんだから無実の確固たる証明って、その人間の一生が記録されてなくちゃ現実的には不可能だよねって話をしているの。それこそ同一時間に同一人物が1人しか存在しないことすら証明できないし、発展的には、シミュレーション仮説の可能性まで考慮すればもう証明のしようがない。
>> 11
だとして、その「向上心」と「後悔」はどこからやってくるんだろうね。
3次元で立方体が直進したら直方体に見えるって、その立方体が運動してる時間軸が可視化されたらって話?
>> 17
この「 」に相当する部分に嘘偽りがあると「恥ずかしい」と感じ、劣等感を抱くということだね。 しかし「毒正義が何者かになりたい」という願望に嘘偽りがない場合はどうなるんだ? たとえば、「知的な人に見られたい」という願望に正直にしたがって、実際に知性を養い、技術を磨き、知的な人物として認識された場合の話だよ。
snowの場合も同じ。 美しくなるための努力を重ねたり、化粧の技術を上げたり、整形したり、手段はいろいろあると思うが、毒正義は彼らを「恥ずかしい人間だ」と思うのか?
「何か」になりたいと願っているのかもしれません。
「本来の僕」になりたいのでは? それは「今の僕」じゃないのかもしれないし、「未来の僕」なのかもしれないし、あるいは「過去の僕」だったのかもしれない。
要するにこの空白を埋めたいわけだよね。 そう思うのはなぜ? 「どう在るべき」だと思ってる? それはそもそも「本来」と呼べるものなのか?
「何か」が何かと言えば、「本来の僕」に対立する行為全般ということはわかった。 では、毒正義の言う「本来の僕」とは何か? それは逆説的に輪郭をあらわしてくるんじゃないかと思うわけだ。
それはどういう状態を指しているのか? カント風に言うと「定言命法」といったところか。
時間軸が1つと言い切ることもできない。 パラレルワールドも否定できないからだ。
ちがうぞい。例を出すなら宇宙自体が存在するのかって話やで。
お、出たなデカルト 我思う、ゆえに我あり 俺もおんなじような考えだよ。 ところで質問いい? 「A⇒B B⇒C よってA⇒C」 これってこの世界じゃないところでも成り立っていると思う?
>> 16
「何か」とは何か
僕が指す「何か」とは、僕が作った、僕には無いものです。例えば、僕はフェミニストでは無いですが、フェミニストのフリをすることによって、毒正義はフェミニストであると他者から認識されるとします。この場合、その「フェミニストの毒正義」は、僕が指す「何か」に該当します。つまり、「何か」は化粧をした僕のことを指します。つまり、「何か」は嘘であり、騙しであり、偽りです。
「本来の僕」は願望なのか
本来の僕でいることは、確かに僕の願望でしょう。しかし、本来の僕より「何か(化粧を纏った僕)」の方が魅力的な場合が多く、寧ろ「何か」になりたいと願っているのかもしれません。本来の僕が「何か」であることが、最も望ましい状態でしょう。例えば、snowで加工されている自分の顔が元々の自分だったらな、と願うのと同じです。
何故騙す行為を自覚すると良くないのか
一言で言うならば、他者を騙すことによって作られる「何か」に劣等感を覚えてしまい、「何か」に劣る自分が恥ずかしいからです。例えば、道徳を本来の僕は好まないのにも関わらず、道徳的な行動をし、恰も「本来の僕は道徳を好む人間である」と他者に認識させ、「道徳的な人間で素晴らしい」と他者から褒められ、名声を得るとします。その場合、名声を得たのは本来の僕ではなく「何か」であり、その「何か」に、名声を得たがっている本来の僕は嫉妬します。その解決策は「何か」を自分だと認識してしまうことなのですが、騙していることを自覚すると、「何か」は「何か」のままで、自分は自分のままになってしまいます。なので、騙していること、つまり「何か」は僕ではないことに気づいてしまうと良くないのです。
あとは俺たちの次元は高次元から見るとパラパラ漫画のような無限座標の連射なのかもしれないな 高次元との交点はマンガの1枚 最後のページはなんだろうか
どういう世界だろう なんとなくだが合わせ鏡の中のような世界かな? 合わせた瞬間に奥行きの最深部まで移動できた気分になる 人が合わせ鏡を気持ち悪いと思うのはそこに次元の歪みが生じているのかも 時間の概念が崩されてるからな
2次元の真理は3次元に住む俺たちにしか書き表せないってことだな 2次元の住人は実際そこに「面」があるのにそれを「線」としか認識できない。線の向こう側が覗けないからな
4次元の住人は俺たち3次元の向こう側が覗けるってことか
>> 12
ありのままを記述するという作業は、ありのままの自分を受け入れる「強さ」がなければ成立しないと俺は思ってるよ。 それは恥ずべきことではなく、むしろ誇りに思うべきだというのが持論だ。
それらの行為に自覚があるという状態を良く思わないのはどうして? その「何か」とは何か。
言い換えれば「こだわり」「執着心」「矜持」「独自性」「人格」「アイデンティティ」「欲求」のようなものだと思うんだけど。
ならさしずめ「本来の僕」とは「理想」や「願望」といったところなのかな。
「何か」を言語化することはできるか?
人間が観測できるのは一瞬であるよね(そもそも観測すらできない、限りなく0に近い交点になるんだろうけど)
w軸方向に移動する物体を特定した話は聞いたことがないので何とも言えないけど その物体のw軸方向に対する幅と移動する速度次第じゃないか?
俺たちが(w=0)の3次元空間にいると仮定すると 俺たちが観測できるのは『4次元的な物体を(w=0)で分断したときの断面図のみ』ってことになる。 前回CTスキャンの例を少しだけ出したけど、「3次元構造物(人体)を2次元的に観測すると、その瞬間にスキャンしてる場所の2次元的な断面図になる」ってのと原理は同じ感じかと。
俺たちは3次元しか認識できない。 そして、上図で示されている、クセの強い部屋に住んでいる霧雨も同じく3次元の住人だ。 彼が点Pを見つめたとき視界に映る景色は「台形が2つと三角形が1つある平面」だ。 そう、3次元的存在であるはずの俺たちの視界は平面なんだ。 しかし、歩けば近づいたり遠ざかったりできることを俺たちは知っている。 なので平面でしかない視界が実際には3次元的なものだ(奥行きがある)と俺たちは認識することができている。
これを元にして、異なる次元について類推していこう。
まずは、2次元の世界に住んでいる霧雨がいたとする。 図で示したように、彼が見ている景色は恐らく1次元だろう。 彼の視界は幅のない線であるにもかかわらず、歩けば近づいたり遠ざかったりできることを彼は知っているので 線でしかない視界が実際には2次元的なものだ(奥行きがある)と彼は認識できているはずだ。
以上を踏まえると、4次元的存在の視界は3次元ではなかろうかと類推できるはずだ。
で、そこでややこしくなってくるのが『3次元的な断面図って何?』って話なんだけど それが超立方体のような多胞体なのでは?と俺は解釈してる。
これ以上はもう俺の言語力が限界突破する(画力はとっくに限界を迎えてる)領域なので霧雨の想像力に頼りまくるしかないんだけど 4次元的存在である霧雨は、w,x,y,zの4軸方向に動ける。 そして、そんな彼の視界は恐らくx,y,z座標で表される3次元の景色であるはず。 さらに、彼が歩いたら視界にある3次元の光景も連動して超立方体のようにウネウネ動く。
俺のイメージはそんな感じ。
>> 14 僕なんかに文章をありがとうございます。とても理解が深いことが文章を読んでわかります。駄文しか送れないかもしれませんが、良ければお読みください。 まず、僕も化粧に失敗する時があるということを伝えたいです。もしzawazawaにおける僕が「何か」に見えないのであれば、それは丸裸の僕が見られているということです。馬鹿だと思われれば、それは僕なのでしょう。 丸裸の僕が見られているという状態は、それこそ何よりも恥ずかしいことなのですが、しかしその状態は「何か」は居なく、「僕」しか存在しない状態なので、純粋に、運良く得た幸せや名声を噛み締めることが出来ます。それと対立的に、「何か」が居ると、僕は幸せや名声を噛み締めることが出来ません。「何か」を僕だと、僕を騙すことは出来ませんから。つまり「僕」をさらけ出すことこそ幸せに繋がるものなのかもしれませんが、如何せん僕にはその勇気がありません。 その勇気は、化粧が上手くなっていけばいくほど、薄れていくものです。嘘が上手くなればなるほど、化けの皮が剥がれるのが怖くなるのです。なので、それならばいっその事、そのような技術などなかった方が良かった、という考えもできます。こんな技術、いらないのです。
なんだか雲行きが怪しくなってきたな さて、どこから整理したものか・・・
そうだな、とりあえず 否定的に見ている / スゲェと思う それぞれの対象を明確にしておこうか。 ※前回も念を押したけど、あくまで喧嘩オタク目線での考察だぞ?
俺が否定的に見ている対象は 『知性なき読み手』 『知性なき読み手が傲慢さを遺憾なく発揮する140文字界隈』 この2つだ。
例に出したソクラテスの言葉然り、はあちゅうの先輩の言葉然り、よくよく見てみると1~5の範囲・・・つまりわざわざ説明されずとも大半の人が心得ている内容を語っているだけの空虚な文章にすぎない。
「ギミックは分かる」とのことだけど、少し心配だから改めて説明を添えておく。
実際に昇華してる、あるいは昇華したと錯覚させてるならスゴイよ。
だいたいの人が心得ている範囲を仮に1~5として、その場合6~10に足を踏み入れてこそ昇華だろう。 6の扉を開くキッカケづくりになるような文章は言うまでもなくスゲェと思うよ。 『1だけを記載し、読み手の想像力を介して5までを悟らせる』 『1を元にして2~5の道のりを自らの想像力で歩んだ読み手は、新たな気付きを得た(昇華した)かのような錯覚を抱く』 これがギミックだな。
しかし、その読み手は言うまでもなく「知性なき者」だろう。 なんせ自分の天井は相変わらず5のままなのに、5までしか知らない分際で傲慢にも「この文章は核心を突いてる!真理だ!10まで理解できた!」と上から目線で世迷いごとを並べるわけだからな。 これは属性とかそういう尺度でフォローできる領域じゃないと思うが。
結果論とはいえバズってるからにはどこかに優れた部分は備わってるんだろうけど、「良い文章とは〇〇だ!」って結論を模索する時の参考にはならないと思う。 例外となるのは「大体の人に備わってる予備知識だけで価値を判断できる文章」くらいだ。
>> 108のこの部分でも言ってるんだけど、偏差値40を対象にしたような「大体の人に備わってる予備知識だけで価値を判断できる文章」ってのは、ピカソの絵画や俳句なんかと違って非オタクでも良さを共有できるからこそ前述したギミックも意図的に仕込めるわけで、『しかじかの要素を備えているため秀逸である』と結論付けることはできる。そこに異論はないんだよ。 比喩なんかはその象徴だよな。必要な予備知識のハードルを下げてるわけだ。 喧嘩界隈にも通ずるものがある。ありまくると思うよ。
>> 0
理想としている自分というのは、いつも現実の自分とはかけ離れています。その理想を表面上とはいえ、体現できていることがまず、すごいことだと思います。化粧でもそうですが、あれは「技術」です。
ところで恥ずかしいのは、「理想の自分」を褒められる時などでしょうか?けなされる方が安心することもありますか? それこそ慢心していないように受け取れます。すでに理想の自分と現実の自分との間に距離を感じることがなければ、褒められてもそれは当然のように思えてしまうのではないでしょうか? 私は日々の積み重ねを「恥の上塗り」だと思っています。嘘をつき、理想を振る舞い、しかし失敗し、現実を突きつけられてばかりだからです。まぁ、毒正義様とは違い、「化粧に失敗」してることが私にとっては恥ずかしいのですが。 周りの評価を気にすることは、客観的な視座に立とうとする心がけの裏返しでもある気がします。上から目線な言い方で失礼千万ですが小耳にでも挟んでもらえれば幸いです。
>> 18
書き方についてのルールは特にないよ。 どんどん自由な発言をしてもらって構わない。
なるほど、わかりました。
機能についてはトップにあるテストトピックや板の使い方ってリンクに目を通してみてくれ。
テストトピックを確認しました。今後はこちらのトピックを使って、いろいろ調べてみます。ありがとうございます。
なんとなくそういうのも相対評価に入れてるけど、はっきりこうやって言語化してくれると助かるよ。 合いの手のうまさやおもしろさなんかも評価基準には入ってるからね。
なるほど、スベらないように気を付けます。
>> 0めっちゃ早口で言ってそう
>> 2
親愛なるカナメさんへ
拝啓、僕は恥ずかしいです。このトピックに記述する事に、とても羞恥を覚えてしまいます。何故ならば、僕は馬鹿なのにも関わらず、僕自身を賢く見せようとしているからです。馬鹿であることを隠す、これはつまり自分を隠すということです。化粧をするということです。つまり、ここに書き込む僕は「自分が作った何か」なのでしょう。それってまさに他者を騙すということですよね。では何故それが恥ずかしく感じるのか。さぁ、自分解剖を始めましょう。
「何か」への嫉妬
「何か」はいつも僕より上手くやってしまいます。僕が作った、僕ではない「何か」は、いつも僕が欲しいものを得ます。そんな「何か」を誰よりも間近に見ているからこそ、「何か」に僕は嫉妬してしまうのです。例えば、賢く見せる事によって得ることが出来た名声は、僕のものではなく、「何か」のものなのです。嫉妬してしまいます。劣等感を覚えてしまいます。「何か」に負ける自分が恥ずかしくてたまらないのです。 ですが、「何か」から僕は幸せを得ようとします。幸せも名声も、元から全て「何か」の所有物ですので、「何か」が居ようと居まいと僕には何もないのですが、「何か」の所有物を僕の所有物だと勘違いをすることで、偽りの幸せを僕は得ようとしているのです。みんなに見られる時は、「何か」を「僕ではない」と突き放す癖に、「何か」が得たものだけは僕がかっさらおうとするのです。僕は都合のいいゴミですね。しかし、そんな僕を僕が見てしまうので、結局僕は、勘違いが出来ないのです。僕を僕は騙せないのです。ただ、全てを持つ「何か」に嫉妬する、何も持たない「僕」がいるだけなのです。つまり、僕には劣等感による羞恥心だけが残ります。結局、僕と「何か」という対立構造からは抜け出せないのです。
所々、論理的におかしいのかもしれません。とても僕の文章は見苦しいかもしれません。しかし、これが僕です。文章に酔わないとこんなテーマの文章は書けないので、温かい目で見てください。
敬具
>> 10 紛い物の自分と接してる相手は、その化粧された顔によってリアクションを変える
知っていると嘘をつけば知っている前提で行動されてしまうだろう しかし本音で接し、知らない事を尋ねれば答えが返ってくるかもしれない
自分を騙せず自責の念を抱くというのは向上心があるからこそだと思う 成長の機会をつぶしていることへの後悔があるのかもしれない
的外れならスマン
>> 9
逆ではないと思うけど、「嘘や秘密による化粧」を「他人に見られる」ことは
この2点が理由になっているとは言えるだろうね。 そのへんをもっと深掘りしていきたいわけだが。
俺バカだけど参加していいか? >> 2
嘘や秘密による化粧を自分に施して他人に見られることは恥ずかしい
これ逆じゃないか? >> 0の感じだと人を騙せても自分は騙せないから恥ずかしさを感じるって聞こえるんだが
わざわざリスキーなトピックを立ててもらったわけだから。 このトピックの趣旨に参加しない奴にはちょっと黙っといてもらいたいかな。 俺はこいつの話が聞きたい。
>> 6
ほんとだ。 でも逆によかった。 冷やかしが相殺できて。
>> 5 いや、そこじゃないw
>> 4
近いね。 俺は彼に自己投影してる。 で、鏡となった彼が俺と違う動きをするならおもしろい、そう思ってトピックを立ててもらったんだよ。 大抵こういう話題は茶化されるからつまらないんだ。 でも毒正義なら俺の言葉に真摯に応答してくれそうだから。
媚びる、批判を投げかける、プレゼント企画に参加する、異質な個人に攻撃する、多数決で判断する、匿名性に守ってもらうetc.
このどれもが倉花とかいうポンコツが推奨する「なんにも咎められることのない自由」に基づいて行われてると思うんだけど、それって「とっても解放的じゃないですか」とは思わないんだ?
なんだろう。
彼が批判する人物と彼の違いって何?
自由であることをいいことに不謹慎な発言をしてるお前も同じ穴の狢なんじゃねーのかな?って思っちゃうんだけど。
何こいつ?
これどういう類のボケなの?
「若さ」って何?
身内ネタ?
これから「青臭い文章を書くよ〜」ってことの予防線を前もって張ってるってこと?
「若さ」ゆえに駄文書きますって?
なにそれ。全然ピンとこない。
これ見た人ってどういうリアクションするのが正解なんすか?
正義漢ぶった批判って表現の仕方雑じゃない?
なにそれ?
本当にできてんの?
自分よりも程度の低い生き物を気にしてばかりだから
こういうのばっかりに目がいっちゃうんじゃね?
大丈夫?
もっと健全なネットライフ送ったらどうすか?
そんなばっかりじゃないよ知ってるよね?
なにこれ。
赤村一門の紹介っすか?
なんの問題があるの?
人の勝手じゃね?
お前になんか迷惑かかんの?w
やばくない?この考え方。
「ネチケット」とかあるやん?
匿名だからって、ネットだからって言っていいことと悪いことの区別くらい普通つくんじゃね?
え、だから
とか言っちゃったってこと?
頭おかしいよ自分。
だからこういうポエム書いてるってこと?w
いじめられてんの…?
もしくはそういう過去をお持ちで?
女の子にいじめられた経験から女性に嫌悪感を示すようになったとか?
ほら自分語りしてみろ。
もし時間がw軸に置けるのであれば…
我々は紛れもなく四次元にいるし、認識だってできているよな。
現在は同じペースで進み続けている。
我々はw軸を同じペースでスライドしながら、三次元空間を自由に移動できている。そして視覚は二次元だ。
ただ、視覚が二次元なのって、三次元にいるからじゃなくて人間の目や脳の作りが問題なんじゃないかなって思う。
更に進化すれば、三次元に生きていながらも視覚で三次元を見れる可能性だってあるよな。
>> 37
そんな番組あるのか。スマホ持つようになってからテレビとか見向きもしなかった。自分の知識欲のなさには幾呆れる。
喧嘩界を見てると、専門でもないのに広い知識を持った人間ばかりで嫌になるね。(その中でも詠人は格が違うように見えるけど)
しかも、感心しているさなか「俺とて素人」とか言われる始末。
議論は俺が喋れば喋るほど損をするように作られてる。知らないことだらけだからだ。(知らないことを多く学べる点はむしろ得)
だから議論は諦めてたのに、ほんとトドメ刺してくれてありがとう。
あと、スマホでいい感じの描画アプリってある?
ibisPaintXってやつダウンロードして使ってたんだけどどうも使いにくい。
「無の証明」という途方もないテーマで話てんだけど
俺の
宇宙が始まる前は無だった
てのをテメーが違うと断じて
宇宙は存在するのか
これ2命題共に人知超越の観点から「無」を話す上で同一だろ
宇宙が始まる前は「無」じゃなかったと断言できるから「ちがう」って言ったんだよな?
説明してみろ笑
今まで「~ということになる」とかさんざん言い切ってきたけど、結局のところ俺もシロウトだからな。
イメージしやすさを優先して整合性とかは後回しにしてるし、くれぐれも俺が発信する文章を過度に信用しすぎないようにしてくれ。
ディスカバリーチャンネルを見る頻度が少しだけ多い、あくまでその程度です。
あ、ちなみに、晩飯食いながらよくこのシリーズを見てます。
4次元のそれを空間と呼ぶかどうかは権威ある学者に任せるとして、少なくとも性質は俺たちが見てる世界とぜんぜん違うだろうね。
>> 24でも使ったけど「類推」ってのは非常に便利でして。
2次元の住人も3次元の住人も、見えている景色に対して近づいたり遠ざかったりする・・・つまり「運動」を通してようやく自分のいる次元が何次元なのかを認識しているってわけだ。
部屋の隅にある点Pを見つめる霧雨の視界は、前回貼った図では「台形が2つ、三角形が1つ」だったけど、点Pから遠ざかればそのうち「台形が2つ、5角形が1つ」になるはずだ。
遠ざかった距離を示す緑の線の長さは実際には同じ距離であるはずなのに、「3次元を2次元に変換した図」では場所によって見かけ上の長さが異なることが確認できる。
超立方体における「この面が正方形なんて信じられねーんだが?」ってのも、同じ要領で起こってる現象じゃないだろうか?
しょうじき俺も意味分かってないんだけど、時間と空間を混ぜ合わせた「時空」って言葉はとりあえずあるよな。そんな感じの扱いでよくね?
ベクトルを持つものなら次元を構成する軸になり得ると思うよ。
「このままx軸上を真っすぐに進み続けたら、宇宙の外に出るんだろうか?その先はどうなってるんだろうか?空間に行き止まりはあるのか?」と3次元的な限界について考えることは可能だ。
それと同じで「時間の軸をこのまま進み続けていったら、いつか終点に辿り着くんだろうか?それとも無限に続くのだろうか?」と考えることも可能なはずだ。
拭いきれない微妙な違和感は残るかもしれないけど、一応は軸として機能しそうな気はする。
そういう意味では、温度のベクトルを色で表すサーモグラフィーなんかも4次元的だな。
>> 15
>その勇気は、化粧が上手くなっていけばいくほど、薄れていくものです。
>毒正義はフェミニストであると他者から認識されるとします。この場合、その「フェミニストの毒正義」は、僕が指す「何か」に該当します。
このトピック自体、人の真性に差し迫るものなのに、そこまで自己分析されているのは尊敬します。フェミニストの例えがとてもわかりやすく思います。確かにフェミニストに見られたいからフェミニストの振りをする技術は恥ずかしいですよね。私も災害時の募金などに参加するときに恥ずかしさを感じます。誰一人として災害の被害者に知り合いはいないのに、赤の他人のために行動をする自分の「善い行い」に酔いたいだけなのですから。恥ずべきことです。もし誰かに募金の理由を問われたら、「苦しんでいる人を放っておけない」などと、適当なことを言う自信があります。恥ずべきことです。
毒正義様のフェミニズムによって気分がよくなる人がいるのは確かです。その技術を利用する人もいるでしょう。私の募金も、その金を使用する人がいるわけです。しかし、その見返りは「恥」。たまらないですね。
「本来の僕」
そこで改めて考えるのが本来の自分です。本来の自分は恥を望んではいないはずです。しかしその恥を自覚するのも、ここまで自己分析が必要となるのではないかと考えます。恥を自覚することが、何につながるのか。そもそも恥を自覚しなければよかったのでしょうか?うーん、この恥が何につながるのか、まだ私にも答えがわかりませんが、少なくとも恥を自覚することをやめるのはもったいない気がします。
ポイズンまさよしさんの言っていることはいささか傲慢な気がするな。
化粧した自分はありのままの自分じゃないのか?そうと結論付けてしまうのか??
化粧を施したのは自分自身だから、「何か」によって生まれる発想、「何かによって生まれる」行為、「何か」によって繰り返される筆舌に尽くし難き神列伝やクズ列伝…。これら全ては、ポイズンまさよしさんのありのままの行いなのではないか?
化粧することそのものが、ポイズンまさよしさんのありのままの行いであるから、それによって付随する行動も全てポイズンまさよしさんのありのままの行いじゃないかな。
新しい人格を作り出し、自分とは別の存在として「何か」を独立させ、俯瞰的な立ち位置となったありのままの自分が「何か」を指揮している…いや…むしろ、
その「何か」すら自分とは異なる自我を持っていると信じているのではないか…??と、さえ見えてくる。
すごく危険で、傲慢で、人間らしい考え方だと思う。
たとえば。
人は人が自然破壊を嘆いているだろう。
しかし、人とて自然の一部なのであるから、自然である人がいかに「人工物と呼ばれる物」を作って豊かな生活をしながら「自然破壊と呼ばれる行為」を嘆き続けたところで、それもまた自然の一部である…と。
なぜ、鳥の巣は自然の産物なのに、家は人工物として分けて考えるのか。
人間の傲慢さ故だ。
ポイズンまさよしさんの思考はまさに、それに似ている。
ここでいうところの、自然が「ありのままの自分」で、自然破壊が「何か」に相当すると思ってくれるとわかりやすい。
ポーヤン、改めて聞くが
「なんかようか?」
おまえ何をもったいぶって喋ってんだよ
いつまで服の中からチャカ突き付けて脅してんだ?
服からチャカ出してみろや
どーせ中身は指鉄砲なんやろ?
あとおまえも俺の>> 9に答えてねーよな
なんで雑魚戦法選んだんや
倒せると思った?
倒せねーよな指鉄砲じゃよ
その場合も『一生が記録されていることの証明(データに抜け落ちがないことの証明)』なんてのは到底不可能だろうし、無実をカンペキに証明することはできないだろうね。
俺がよく分からんのは、現代の論理からすれば詭弁になるって部分だよ。
無実を証明できなかった場合は、無実かどうか不明ってのが論理なのでは?
「無実かどうかは不明だ」と主張する場合は無実であることを証明する必要なんて確かにないけど
「無実だ(不明ではない)」と主張する場合は証明する必要が出てくると思うぞ。
間違ってるかもしれんが自己解決できそう。いや、ビミョー。
一次元が直線、二次元が平面、三次元が空間…であるから、
四次元になった時点で空間ではない…ということか??
空間でない以上、w軸が時間であったところでなんの問題もないのか…??
腑には落ちないがそういうことなら理にかなってると言えなくもない。こじつけな気がしてならないが。
単純に感心するしかない。
なんとなく知ってるような話から知らなかった話まで分かりやすく説明くださりありがとうございます。
四次元について、俺からはこれ以上出せるカードがないので、いまだ唯一解消できていないこの疑問だけ解決させたいんだ。
空間の話に時間という異なる概念が割り込んで、あまつさえ一つの軸として居座りやがっていいものなのか?
物事を理解するための手段としてはアリだが、空間の話である以上は時間を軸として取り入れるのは正しくないんじゃないのか?
>> 12
お前、会話できねーのか?^ ^
Q.言語化しない理由はなんですか?
A.あえてしませんでした(ドヤ)
笑わせんなバカwwwww
これは納得。
例えば5次元の空間があったとして、そこで4次元シミュレーションを実行する能力があるものが存在したとする。
では、こう考えたらどうだろうか。3つの標軸は固定して、1つの座標軸だけ常に一定の速度で動かすとすれば。シミュレーション上にクオリアを持つ主体が作成された、もしくは外部からクオリアを持つ主体のみが介入したとして、それらの主体に身体が与えられたとしよう。このとき、これらの主体は、一定の速度で動く座標軸を視覚できるのか、という話である。1つの座標軸が常に移動していれば、個々の主体において、勝手に流れているものというように認識される。これが我々にとっての時間軸ではないか、という考え方もできるのでは、と思う。
うんだから無実の確固たる証明って、その人間の一生が記録されてなくちゃ現実的には不可能だよねって話をしているの。それこそ同一時間に同一人物が1人しか存在しないことすら証明できないし、発展的には、シミュレーション仮説の可能性まで考慮すればもう証明のしようがない。
>> 11
だとして、その「向上心」と「後悔」はどこからやってくるんだろうね。
3次元で立方体が直進したら直方体に見えるって、その立方体が運動してる時間軸が可視化されたらって話?
>> 17
この「 」に相当する部分に嘘偽りがあると「恥ずかしい」と感じ、劣等感を抱くということだね。
しかし「毒正義が何者かになりたい」という願望に嘘偽りがない場合はどうなるんだ?
たとえば、「知的な人に見られたい」という願望に正直にしたがって、実際に知性を養い、技術を磨き、知的な人物として認識された場合の話だよ。
snowの場合も同じ。
美しくなるための努力を重ねたり、化粧の技術を上げたり、整形したり、手段はいろいろあると思うが、毒正義は彼らを「恥ずかしい人間だ」と思うのか?
「本来の僕」になりたいのでは?
それは「今の僕」じゃないのかもしれないし、「未来の僕」なのかもしれないし、あるいは「過去の僕」だったのかもしれない。
要するにこの空白を埋めたいわけだよね。
そう思うのはなぜ?
「どう在るべき」だと思ってる?
それはそもそも「本来」と呼べるものなのか?
「何か」が何かと言えば、「本来の僕」に対立する行為全般ということはわかった。
では、毒正義の言う「本来の僕」とは何か?
それは逆説的に輪郭をあらわしてくるんじゃないかと思うわけだ。
それはどういう状態を指しているのか?
カント風に言うと「定言命法」といったところか。
時間軸が1つと言い切ることもできない。
パラレルワールドも否定できないからだ。
ちがうぞい。例を出すなら宇宙自体が存在するのかって話やで。
お、出たなデカルト
我思う、ゆえに我あり
俺もおんなじような考えだよ。
ところで質問いい?
「A⇒B B⇒C
よってA⇒C」
これってこの世界じゃないところでも成り立っていると思う?
>> 16
僕が指す「何か」とは、僕が作った、僕には無いものです。例えば、僕はフェミニストでは無いですが、フェミニストのフリをすることによって、毒正義はフェミニストであると他者から認識されるとします。この場合、その「フェミニストの毒正義」は、僕が指す「何か」に該当します。つまり、「何か」は化粧をした僕のことを指します。つまり、「何か」は嘘であり、騙しであり、偽りです。
本来の僕でいることは、確かに僕の願望でしょう。しかし、本来の僕より「何か(化粧を纏った僕)」の方が魅力的な場合が多く、寧ろ「何か」になりたいと願っているのかもしれません。本来の僕が「何か」であることが、最も望ましい状態でしょう。例えば、snowで加工されている自分の顔が元々の自分だったらな、と願うのと同じです。
一言で言うならば、他者を騙すことによって作られる「何か」に劣等感を覚えてしまい、「何か」に劣る自分が恥ずかしいからです。例えば、道徳を本来の僕は好まないのにも関わらず、道徳的な行動をし、恰も「本来の僕は道徳を好む人間である」と他者に認識させ、「道徳的な人間で素晴らしい」と他者から褒められ、名声を得るとします。その場合、名声を得たのは本来の僕ではなく「何か」であり、その「何か」に、名声を得たがっている本来の僕は嫉妬します。その解決策は「何か」を自分だと認識してしまうことなのですが、騙していることを自覚すると、「何か」は「何か」のままで、自分は自分のままになってしまいます。なので、騙していること、つまり「何か」は僕ではないことに気づいてしまうと良くないのです。
あとは俺たちの次元は高次元から見るとパラパラ漫画のような無限座標の連射なのかもしれないな
高次元との交点はマンガの1枚
最後のページはなんだろうか
どういう世界だろう
なんとなくだが合わせ鏡の中のような世界かな?
合わせた瞬間に奥行きの最深部まで移動できた気分になる
人が合わせ鏡を気持ち悪いと思うのはそこに次元の歪みが生じているのかも
時間の概念が崩されてるからな
2次元の真理は3次元に住む俺たちにしか書き表せないってことだな
2次元の住人は実際そこに「面」があるのにそれを「線」としか認識できない。線の向こう側が覗けないからな
4次元の住人は俺たち3次元の向こう側が覗けるってことか
>> 12
ありのままを記述するという作業は、ありのままの自分を受け入れる「強さ」がなければ成立しないと俺は思ってるよ。
それは恥ずべきことではなく、むしろ誇りに思うべきだというのが持論だ。
それらの行為に自覚があるという状態を良く思わないのはどうして?
その「何か」とは何か。
言い換えれば「こだわり」「執着心」「矜持」「独自性」「人格」「アイデンティティ」「欲求」のようなものだと思うんだけど。
ならさしずめ「本来の僕」とは「理想」や「願望」といったところなのかな。
「何か」を言語化することはできるか?
w軸方向に移動する物体を特定した話は聞いたことがないので何とも言えないけど
その物体のw軸方向に対する幅と移動する速度次第じゃないか?
俺たちが(w=0)の3次元空間にいると仮定すると
俺たちが観測できるのは『4次元的な物体を(w=0)で分断したときの断面図のみ』ってことになる。
前回CTスキャンの例を少しだけ出したけど、「3次元構造物(人体)を2次元的に観測すると、その瞬間にスキャンしてる場所の2次元的な断面図になる」ってのと原理は同じ感じかと。
俺たちは3次元しか認識できない。
そして、上図で示されている、クセの強い部屋に住んでいる霧雨も同じく3次元の住人だ。
彼が点Pを見つめたとき視界に映る景色は「台形が2つと三角形が1つある平面」だ。
そう、3次元的存在であるはずの俺たちの視界は平面なんだ。
しかし、歩けば近づいたり遠ざかったりできることを俺たちは知っている。
なので平面でしかない視界が実際には3次元的なものだ(奥行きがある)と俺たちは認識することができている。
これを元にして、異なる次元について類推していこう。
まずは、2次元の世界に住んでいる霧雨がいたとする。
図で示したように、彼が見ている景色は恐らく1次元だろう。
彼の視界は幅のない線であるにもかかわらず、歩けば近づいたり遠ざかったりできることを彼は知っているので
線でしかない視界が実際には2次元的なものだ(奥行きがある)と彼は認識できているはずだ。
以上を踏まえると、4次元的存在の視界は3次元ではなかろうかと類推できるはずだ。
で、そこでややこしくなってくるのが『3次元的な断面図って何?』って話なんだけど
それが超立方体のような多胞体なのでは?と俺は解釈してる。
これ以上はもう俺の言語力が限界突破する(画力はとっくに限界を迎えてる)領域なので霧雨の想像力に頼りまくるしかないんだけど
4次元的存在である霧雨は、w,x,y,zの4軸方向に動ける。
そして、そんな彼の視界は恐らくx,y,z座標で表される3次元の景色であるはず。
さらに、彼が歩いたら視界にある3次元の光景も連動して超立方体のようにウネウネ動く。
俺のイメージはそんな感じ。
>> 14
僕なんかに文章をありがとうございます。とても理解が深いことが文章を読んでわかります。駄文しか送れないかもしれませんが、良ければお読みください。
まず、僕も化粧に失敗する時があるということを伝えたいです。もしzawazawaにおける僕が「何か」に見えないのであれば、それは丸裸の僕が見られているということです。馬鹿だと思われれば、それは僕なのでしょう。
丸裸の僕が見られているという状態は、それこそ何よりも恥ずかしいことなのですが、しかしその状態は「何か」は居なく、「僕」しか存在しない状態なので、純粋に、運良く得た幸せや名声を噛み締めることが出来ます。それと対立的に、「何か」が居ると、僕は幸せや名声を噛み締めることが出来ません。「何か」を僕だと、僕を騙すことは出来ませんから。つまり「僕」をさらけ出すことこそ幸せに繋がるものなのかもしれませんが、如何せん僕にはその勇気がありません。
その勇気は、化粧が上手くなっていけばいくほど、薄れていくものです。嘘が上手くなればなるほど、化けの皮が剥がれるのが怖くなるのです。なので、それならばいっその事、そのような技術などなかった方が良かった、という考えもできます。こんな技術、いらないのです。
なんだか雲行きが怪しくなってきたな
さて、どこから整理したものか・・・
そうだな、とりあえず
否定的に見ている / スゲェと思う それぞれの対象を明確にしておこうか。
※前回も念を押したけど、あくまで喧嘩オタク目線での考察だぞ?
俺が否定的に見ている対象は
『知性なき読み手』
『知性なき読み手が傲慢さを遺憾なく発揮する140文字界隈』
この2つだ。
例に出したソクラテスの言葉然り、はあちゅうの先輩の言葉然り、よくよく見てみると1~5の範囲・・・つまりわざわざ説明されずとも大半の人が心得ている内容を語っているだけの空虚な文章にすぎない。
「ギミックは分かる」とのことだけど、少し心配だから改めて説明を添えておく。
実際に昇華してる、あるいは昇華したと錯覚させてるならスゴイよ。
だいたいの人が心得ている範囲を仮に1~5として、その場合6~10に足を踏み入れてこそ昇華だろう。
6の扉を開くキッカケづくりになるような文章は言うまでもなくスゲェと思うよ。
『1だけを記載し、読み手の想像力を介して5までを悟らせる』
『1を元にして2~5の道のりを自らの想像力で歩んだ読み手は、新たな気付きを得た(昇華した)かのような錯覚を抱く』
これがギミックだな。
しかし、その読み手は言うまでもなく「知性なき者」だろう。
なんせ自分の天井は相変わらず5のままなのに、5までしか知らない分際で傲慢にも「この文章は核心を突いてる!真理だ!10まで理解できた!」と上から目線で世迷いごとを並べるわけだからな。
これは属性とかそういう尺度でフォローできる領域じゃないと思うが。
>> 108のこの部分でも言ってるんだけど、偏差値40を対象にしたような「大体の人に備わってる予備知識だけで価値を判断できる文章」ってのは、ピカソの絵画や俳句なんかと違って非オタクでも良さを共有できるからこそ前述したギミックも意図的に仕込めるわけで、『しかじかの要素を備えているため秀逸である』と結論付けることはできる。そこに異論はないんだよ。
比喩なんかはその象徴だよな。必要な予備知識のハードルを下げてるわけだ。
喧嘩界隈にも通ずるものがある。ありまくると思うよ。
>> 0
理想としている自分というのは、いつも現実の自分とはかけ離れています。その理想を表面上とはいえ、体現できていることがまず、すごいことだと思います。化粧でもそうですが、あれは「技術」です。
ところで恥ずかしいのは、「理想の自分」を褒められる時などでしょうか?けなされる方が安心することもありますか?
それこそ慢心していないように受け取れます。すでに理想の自分と現実の自分との間に距離を感じることがなければ、褒められてもそれは当然のように思えてしまうのではないでしょうか?
私は日々の積み重ねを「恥の上塗り」だと思っています。嘘をつき、理想を振る舞い、しかし失敗し、現実を突きつけられてばかりだからです。まぁ、毒正義様とは違い、「化粧に失敗」してることが私にとっては恥ずかしいのですが。
周りの評価を気にすることは、客観的な視座に立とうとする心がけの裏返しでもある気がします。上から目線な言い方で失礼千万ですが小耳にでも挟んでもらえれば幸いです。
>> 18
なるほど、わかりました。
テストトピックを確認しました。今後はこちらのトピックを使って、いろいろ調べてみます。ありがとうございます。
なるほど、スベらないように気を付けます。
>> 0めっちゃ早口で言ってそう
>> 2
親愛なるカナメさんへ
拝啓、僕は恥ずかしいです。このトピックに記述する事に、とても羞恥を覚えてしまいます。何故ならば、僕は馬鹿なのにも関わらず、僕自身を賢く見せようとしているからです。馬鹿であることを隠す、これはつまり自分を隠すということです。化粧をするということです。つまり、ここに書き込む僕は「自分が作った何か」なのでしょう。それってまさに他者を騙すということですよね。では何故それが恥ずかしく感じるのか。さぁ、自分解剖を始めましょう。
「何か」はいつも僕より上手くやってしまいます。僕が作った、僕ではない「何か」は、いつも僕が欲しいものを得ます。そんな「何か」を誰よりも間近に見ているからこそ、「何か」に僕は嫉妬してしまうのです。例えば、賢く見せる事によって得ることが出来た名声は、僕のものではなく、「何か」のものなのです。嫉妬してしまいます。劣等感を覚えてしまいます。「何か」に負ける自分が恥ずかしくてたまらないのです。
ですが、「何か」から僕は幸せを得ようとします。幸せも名声も、元から全て「何か」の所有物ですので、「何か」が居ようと居まいと僕には何もないのですが、「何か」の所有物を僕の所有物だと勘違いをすることで、偽りの幸せを僕は得ようとしているのです。みんなに見られる時は、「何か」を「僕ではない」と突き放す癖に、「何か」が得たものだけは僕がかっさらおうとするのです。僕は都合のいいゴミですね。しかし、そんな僕を僕が見てしまうので、結局僕は、勘違いが出来ないのです。僕を僕は騙せないのです。ただ、全てを持つ「何か」に嫉妬する、何も持たない「僕」がいるだけなのです。つまり、僕には劣等感による羞恥心だけが残ります。結局、僕と「何か」という対立構造からは抜け出せないのです。
所々、論理的におかしいのかもしれません。とても僕の文章は見苦しいかもしれません。しかし、これが僕です。文章に酔わないとこんなテーマの文章は書けないので、温かい目で見てください。
敬具
>> 10
紛い物の自分と接してる相手は、その化粧された顔によってリアクションを変える
知っていると嘘をつけば知っている前提で行動されてしまうだろう
しかし本音で接し、知らない事を尋ねれば答えが返ってくるかもしれない
自分を騙せず自責の念を抱くというのは向上心があるからこそだと思う
成長の機会をつぶしていることへの後悔があるのかもしれない
的外れならスマン
>> 9
逆ではないと思うけど、「嘘や秘密による化粧」を「他人に見られる」ことは
この2点が理由になっているとは言えるだろうね。
そのへんをもっと深掘りしていきたいわけだが。
俺バカだけど参加していいか?
>> 2
これ逆じゃないか?
>> 0の感じだと人を騙せても自分は騙せないから恥ずかしさを感じるって聞こえるんだが
わざわざリスキーなトピックを立ててもらったわけだから。
このトピックの趣旨に参加しない奴にはちょっと黙っといてもらいたいかな。
俺はこいつの話が聞きたい。
>> 6
ほんとだ。
でも逆によかった。
冷やかしが相殺できて。
>> 5
いや、そこじゃないw
>> 4
近いね。
俺は彼に自己投影してる。
で、鏡となった彼が俺と違う動きをするならおもしろい、そう思ってトピックを立ててもらったんだよ。
大抵こういう話題は茶化されるからつまらないんだ。
でも毒正義なら俺の言葉に真摯に応答してくれそうだから。