バンドル
2019/11/20 (水) 23:57:33
02f51@0c5ff
>その勇気は、化粧が上手くなっていけばいくほど、薄れていくものです。
>毒正義はフェミニストであると他者から認識されるとします。この場合、その「フェミニストの毒正義」は、僕が指す「何か」に該当します。
このトピック自体、人の真性に差し迫るものなのに、そこまで自己分析されているのは尊敬します。フェミニストの例えがとてもわかりやすく思います。確かにフェミニストに見られたいからフェミニストの振りをする技術は恥ずかしいですよね。私も災害時の募金などに参加するときに恥ずかしさを感じます。誰一人として災害の被害者に知り合いはいないのに、赤の他人のために行動をする自分の「善い行い」に酔いたいだけなのですから。恥ずべきことです。もし誰かに募金の理由を問われたら、「苦しんでいる人を放っておけない」などと、適当なことを言う自信があります。恥ずべきことです。
毒正義様のフェミニズムによって気分がよくなる人がいるのは確かです。その技術を利用する人もいるでしょう。私の募金も、その金を使用する人がいるわけです。しかし、その見返りは「恥」。たまらないですね。
「本来の僕」
そこで改めて考えるのが本来の自分です。本来の自分は恥を望んではいないはずです。しかしその恥を自覚するのも、ここまで自己分析が必要となるのではないかと考えます。恥を自覚することが、何につながるのか。そもそも恥を自覚しなければよかったのでしょうか?うーん、この恥が何につながるのか、まだ私にも答えがわかりませんが、少なくとも恥を自覚することをやめるのはもったいない気がします。
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