親愛なるカナメさんへ
拝啓、僕は恥ずかしいです。このトピックに記述する事に、とても羞恥を覚えてしまいます。何故ならば、僕は馬鹿なのにも関わらず、僕自身を賢く見せようとしているからです。馬鹿であることを隠す、これはつまり自分を隠すということです。化粧をするということです。つまり、ここに書き込む僕は「自分が作った何か」なのでしょう。それってまさに他者を騙すということですよね。では何故それが恥ずかしく感じるのか。さぁ、自分解剖を始めましょう。
「何か」への嫉妬
「何か」はいつも僕より上手くやってしまいます。僕が作った、僕ではない「何か」は、いつも僕が欲しいものを得ます。そんな「何か」を誰よりも間近に見ているからこそ、「何か」に僕は嫉妬してしまうのです。例えば、賢く見せる事によって得ることが出来た名声は、僕のものではなく、「何か」のものなのです。嫉妬してしまいます。劣等感を覚えてしまいます。「何か」に負ける自分が恥ずかしくてたまらないのです。
ですが、「何か」から僕は幸せを得ようとします。幸せも名声も、元から全て「何か」の所有物ですので、「何か」が居ようと居まいと僕には何もないのですが、「何か」の所有物を僕の所有物だと勘違いをすることで、偽りの幸せを僕は得ようとしているのです。みんなに見られる時は、「何か」を「僕ではない」と突き放す癖に、「何か」が得たものだけは僕がかっさらおうとするのです。僕は都合のいいゴミですね。しかし、そんな僕を僕が見てしまうので、結局僕は、勘違いが出来ないのです。僕を僕は騙せないのです。ただ、全てを持つ「何か」に嫉妬する、何も持たない「僕」がいるだけなのです。つまり、僕には劣等感による羞恥心だけが残ります。結局、僕と「何か」という対立構造からは抜け出せないのです。
所々、論理的におかしいのかもしれません。とても僕の文章は見苦しいかもしれません。しかし、これが僕です。文章に酔わないとこんなテーマの文章は書けないので、温かい目で見てください。
敬具