今まで「~ということになる」とかさんざん言い切ってきたけど、結局のところ俺もシロウトだからな。
イメージしやすさを優先して整合性とかは後回しにしてるし、くれぐれも俺が発信する文章を過度に信用しすぎないようにしてくれ。
ディスカバリーチャンネルを見る頻度が少しだけ多い、あくまでその程度です。
あ、ちなみに、晩飯食いながらよくこのシリーズを見てます。
四次元になった時点で空間ではない…ということか??
4次元のそれを空間と呼ぶかどうかは権威ある学者に任せるとして、少なくとも性質は俺たちが見てる世界とぜんぜん違うだろうね。
>> 24でも使ったけど「類推」ってのは非常に便利でして。
2次元の住人も3次元の住人も、見えている景色に対して近づいたり遠ざかったりする・・・つまり「運動」を通してようやく自分のいる次元が何次元なのかを認識しているってわけだ。
部屋の隅にある点Pを見つめる霧雨の視界は、前回貼った図では「台形が2つ、三角形が1つ」だったけど、点Pから遠ざかればそのうち「台形が2つ、5角形が1つ」になるはずだ。
遠ざかった距離を示す緑の線の長さは実際には同じ距離であるはずなのに、「3次元を2次元に変換した図」では場所によって見かけ上の長さが異なることが確認できる。
超立方体における「この面が正方形なんて信じられねーんだが?」ってのも、同じ要領で起こってる現象じゃないだろうか?
空間の話である以上は時間を軸として取り入れるのは正しくないんじゃないのか?
しょうじき俺も意味分かってないんだけど、時間と空間を混ぜ合わせた「時空」って言葉はとりあえずあるよな。そんな感じの扱いでよくね?
ベクトルを持つものなら次元を構成する軸になり得ると思うよ。
「このままx軸上を真っすぐに進み続けたら、宇宙の外に出るんだろうか?その先はどうなってるんだろうか?空間に行き止まりはあるのか?」と3次元的な限界について考えることは可能だ。
それと同じで「時間の軸をこのまま進み続けていったら、いつか終点に辿り着くんだろうか?それとも無限に続くのだろうか?」と考えることも可能なはずだ。
拭いきれない微妙な違和感は残るかもしれないけど、一応は軸として機能しそうな気はする。
そういう意味では、温度のベクトルを色で表すサーモグラフィーなんかも4次元的だな。