ありのままを記述するという作業は、ありのままの自分を受け入れる「強さ」がなければ成立しないと俺は思ってるよ。
それは恥ずべきことではなく、むしろ誇りに思うべきだというのが持論だ。
- 隠す
- 騙す
- 偽る
それらの行為に自覚があるという状態を良く思わないのはどうして?
その「何か」とは何か。
言い換えれば「こだわり」「執着心」「矜持」「独自性」「人格」「アイデンティティ」「欲求」のようなものだと思うんだけど。
ならさしずめ「本来の僕」とは「理想」や「願望」といったところなのかな。
「何か」を言語化することはできるか?
通報 ...
投稿するにはメンバーである必要があります。