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哲学的雑談

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このトピックでは主に哲学的な話を行います。
暴言は禁止。ルール守れない人ポアします。
モラルとマナーを守って好き勝手語りましょう。

KANAME
作成: 2019/05/31 (金) 00:23:12
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29
野良 2019/12/23 (月) 21:04:45 037c3@be086

>> 28

やがて自分を客観視できる次元(自分じゃない存在を自己流で定義づけ、自分からそぎ落とす次元)に到達する

最初期は機械的だった学習が、複雑化していく過程のどこかで自分を客観視できる次元に到達するが、到達のタイミングがアクセス意識発生の前か後かは不明、
というご見解ですね。

確かに、自我の定義によってはそうかもしれません。


ああ・・・「個」という見方そのものが間違ってるんじゃね?
という見方もできるわけですね。

仮にそれが真実だとすれば、キリスト教的な神はいよいよ胡散臭さが決定的になりますね。神が一人ひとりを愛して魂を与えたなんてのはウソっぱちで、クリスタとタチアナには合計1.5個くらいの魂しか与えないケチ臭ペテン師差別野郎ということになり、ホーガン夫妻に提訴されることでしょう。

なるほどなあ、「個」という思い込みさえ取っ払えば、創造論vs進化論に関して僕が感じている創造論サイドのアドバンテージが弱まるかもしれません。
「意識(主観)」なんてのは崇高なものでもなんでもなく、
「個人」に対してではなく「複雑さ」に対して与えられるものであり、
物理的世界における多種多様なグラデーションの一つに過ぎないのだから。


そもそも人間って有機的な面で個体差あるし
『あなたは人間が持ちうる全ての感情をもれなく備えていますか?』って聞かれたとき
Yesって答えられる人いなくね?誰しも欠落してる部分あると思うよ

詠み人知らずさんが以前こういったことを仰っていましたが、これには僕も賛同しています。

感情の有無や強弱だけでなく、意識体験の強弱についても同様のことが言えると考えています。

他者の一挙手一投足に一喜一憂するようなクオリア豊富な人もいれば、パワハラレベルの圧をかけられないと他者の意向に気づきさえしないクオリア欠乏な人もいるかもしれません。

そういう意識体験の強弱も、人間の人格形成に寄与しているのかもしれませんね。

そしてクオリア欠乏な人は、平均的な人間より「個」である度合いが低かったりするのかもしれません。クオリア豊富な「人間」というよりは、「肉で出来た地蔵」に近いのかもしれない。


核心に迫るヒントをいただいたので、話題提供がてら、
僕がなぜこの問いに執着するのかを述べます。

僕はこの問いこそが、「人は何のために生きるのか?」というあるあるテーマの大前提になると考えています。

人という存在がもし、物理的現象でしかないのなら、我々がこうして思考することも物理的因果に依拠した必然でしかなく、

Q.「人は何のために生きるのか?」
A.「何のためでもないです。石ころは何かのために存在しているわけではありませんよね。」

という結論が自然と導き出されるかと思います。

それでも人は、ニヒリズムやペシミズムに陥らず、前向きに生きることが可能だと思いますが。

例えば、快楽主義がそうですね。

イキテるコトにイミなんかねェケド、オナニーキモ゛チイイからソレでいいッショォ!!👺

と言いながら利き手を愛し続け、一定の幸福度を維持しながら幾度ものクリスマスを越え天寿を全うすることも可能かもしれません。

お答えしづらいであろう陰気な質問で恐縮ですが・・・。
詠み人知らずさんは、快楽主義をもって生きることを肯定していますか?

30
KANAME 2020/05/04 (月) 07:59:23 修正

みなさん、大変ご無沙汰しております。
KANAMEです。
このトピックにお邪魔するのが、なんと10ヶ月ぶり。
今思えば、「お前、今までどこで油売ってたんだよ。殺すぞ」と罵られないために暴言を禁止にしていたのだなぁとあらためて思い知らされました。
ありがとうございます(?)。
それではとりあえず>> 11に返していきましょう。


その日 人類は思い出した…
奴らに支配されていた恐怖を…
鳥籠の中に囚われていた…屈辱を…


はい。というわけでね、もしかしたら俺たちには「言語」以外の意思疎通手段、つまり超能力みたいなものが備わっていた可能性があるんだ。
ピラミッドもきっとその力を行使することによって、古の人類が作り上げたに違いない。
ところが、俺たちはその力の使い方をどういうわけか全員忘れてしまった。
これには深い事情があるはずなのだけれど、一応俺の仮説を書いておくと…

超能力によって巻き起こってしまった大規模な利権争いによる殺し合いが行われてしまったからなんだよ。
これは現代を生きる人類の想像を絶する。
どのような手段を用いて、争いを止めた(我々の記憶から力の存在を抹消した)のかは定かではないけれど、とにかくネット上でチラチラ散見されるレスバトル(笑)なんてのはかわいいもので、その時代は人類滅亡の一歩手前までいっていた、ということなんだ。

ある日とつぜん地球上の全人類が超能力(仮称)を忘却してからというもの、世界は平和になるかと思いきや、また別の形で争いを始めてしまったんだ。
それが科学の力であり、お金の力さ。
結局俺たち人類の本質は超能力(仮称)を奪われても何も変わらない、愚かな生き物ということなのかもしれない。


俺たちは言語を会得したのではない。
超能力(仮称)を失って不完全な存在に成り下がり、万能感の供給がなくなったことによって「不安」という感情が芽生えてしまっただけなんだ。
ビリビリと電気を走らせ、壊れたまま起動し続けるロボットと同じようなものだよ。
生まれながらに呪われている。
それがニンゲンと呼ばれる生命体だ。
だから俺たちは第一に不完全な存在であることを認めなければならない。
完全な存在(神)への信仰やお願い、幻想を抱くのをやめて、現実を直視しなければならない。
不完全な状態であることが完全な状態であることを認識し、何も不足がないことを悟らなければならない。
そのために宗教と呼ばれるものができあがったんだ。
生涯をかけて、自己言及的命題に向き合った哲学者や思想家の多くは、それらを一般人にもわかりやすく提供し、新たな法として定めようと考えた。
その結果が今だ。

ご覧の通り、ユダヤによってそれは阻止された。
彼らは真実よりも終わりのない目先の快楽に溺れることを選択したんだ。
そして布教した。
結果は大成功だったみたいだよ。
何せニンゲンってのは心が弱いからね。
嫌なことがあるとすぐに楽な方向に流れる。
その集団心理に訴えかけて洗脳するのは容易かったはずだよ。
おかげでユダヤ人の企業は大儲けさ。
彼らは自分の欲求を満たすことに知能や言葉という道具を使っている。
つまり「不安」を逆手に取った、ということだよ。
賢いよね。

ところで、確かヒトラーがユダヤ人を根絶しようとしたよね。
この話前にもどこかでしたような気がするけれど、彼はきっとドイツを守りたかっただけだ。
ユダヤ人の脅威にいち早く気付き排除しようとした。

その際に彼はユダヤ人から「言葉を奪った」らしいよ。
どういうことかわかる?
言葉を失うっていうのはね、出自の文化を失うということだよ。
たとえば、今君たちが使っている日本語。
これが消えたら、君たちは日本人で居続けられると思う?
アイデンティティの話だよ。
民族浄化とはこうやって行われるという一例を、ヒトラーは示してくれたように思う。

ところがユダヤは根絶やしにできなかった。
彼らは言葉を失った文化を再建築したんだ。
恐ろしいでしょう?
再起不能とまで言われたのに、今や世界のトップに深く腰掛けているのはユダヤ人ばかりじゃないか。
ここまでくると、ニンゲンには二種類存在しているのかもしれない、と勘繰ってしまうよね。
ユダヤかそれ以外か。


話が脱線しちゃった。
えーっと、人類が言葉を失ったら?だっけ。
有る状態から失っても、失っていた状態がスタンダードだった状態に戻るわけじゃないんだ。
一度壊れたおもちゃを完全に修復することができないのと同じように、俺たちニンゲンも、生まれながらに欠陥品なわけだから、それをどうこうできないわけさ。
ぬわいえいるれいとほうてぃーぷならできるかもしれないね。
しかしそれは白馬の王子様を待つよりも根気がいる作業だし、とてもおすすめはできない。

俺がここで話している解決策ってのは、前にも言ったようにあくまで理論上の話でさ。
壊れたおもちゃでもみんなで認めてしまえば無駄な修理のために部品の取り合いをしなくても済むんじゃない?ってことよ。
でもニンゲンって部品を取りに行くまでの過程(物語)に一喜一憂するから、それがなくなっていっちゃうかもしれない(芸術が死ぬ)この提案の行く末はちょっぴり哀しい気もしている。
でも安心して。これが現実味を帯びてくるのは俺たちが死んでからずっと先の話だよ。


それから、侘び寂びの件についてはこっちで話そうかなと思います。

『ペイフォワード』最高だよねぇ。
『イエスマン』は見たような見てないような。
『メッセージ』は、見たことあるけどうろ覚えで、なんかすごく細長い舟が印象的だったのはその通りなんだけど、中に入ると重力や向きの概念すら覆されてしまったというところが衝撃だったかな。

彼らの言語を理解したとき、果たしてどのようなマルチリンガル的『人格』を手に入れるのだろうか?

少なくとも俺たちニンゲンは、それを一度経験しているはずだよ。
なんせオギャーからいきなりぺらぺらとネイティブレベルの母国語を話し始める赤ちゃんなんていないからね。


座禅して
ひたすら集中して
心の中を無にして
悟りをひらく

これってつまり「意識をアニマル(アダム&イヴ)レベルにしましょう」ってことなのかもしれない

なかなかユニークな発想だね。
俺が思うに、座禅ってのは意識的に思考停止させる訓練みたいなイメージだけど。
いや、言ってることは同じか。
ただアニマル化っていうと定言命法のほうがニュアンスとして近いと思う。
詳しいことはよく知らないけれど、カントと仏教には密接な関係があるのかな?と思ったり。

それから、オートマチックに言語迷宮に迷い込むのがニンゲンのだからさ。
出口のない通路を勝手に歩く足を止めましょうってことだと思うよ。
ぴえんとか嘆いてる若者こそ、こういう思想に早い段階で触れていればメンヘラとか存在しなかったかもしれないね。
でもそうすると少女漫画とかポエムとかの価値を損なっちゃうかも。

未知が生まれて、それが未知のままであるということが既知であるとき、その答えを埋め合わせようとする行為に嫌気が差したとも言える。
そこに価値を与えることでしかニンゲンは救われなかったというのがことの顛末じゃない?


いま世界は空前の無宗教ブーム(?)に差し掛かろうとしている
独自のタイミングで独自のリズムを刻んでいたメトロノームがやがて独自性を失い同期するのと同じように
今のところメジャー扱いされているキリスト教とかも、そのうちアイルランド語みたいなポジションになって、やがては消えていくのかもしれないね

メトロノームの同期動画見たけど、これを社会に置き換えるなら『攻殻機動隊』で言うところのスタンド・アローン・コンプレックスだね。

劇中において電脳技術という新たな情報ネットワークにより、独立した個人が、結果的に集団的総意に基づく行動を見せる社会現象を指し、孤立した個人(スタンドアローン)でありながらも全体として集団的な行動(コンプレックス)を取ることを意味する。

31
KANAME 2020/05/04 (月) 10:01:32 修正

>> 12

まず、俺は創造論者ではないよw
よく読んでもらえらばわかると思うけど、教典そのものがさまざまな事象をわかりやすく伝えるための物語としての役割を持っているのだろうな、という立場。
俺はキリスト教ではなく、仏教の天台宗だ。

それで、「意識(主観)はなぜ存在するのか?」という話だったね。
正直、詠み人知らずと野良の両者で話が展開しすぎているので、そこも含めて返信を書きたいと思います。

まず、目に入ったのは科学信仰の話。
残念ながら創造論vs進化論の話にはあまり興味が持てなかったので(その中身はいろいろ書いてくれてるみたいだし)、俺はあくまで哲学的な視点から意見させてもらうけど、科学的なものを信仰する人間の価値観はどこからやってくるのか、それは果たして正しいと言えるのか、ということをテーマにしたい。

たとえば、俺の知人のキリスト教徒は、経済が悪化して国力が下がり、生活水準が落ちても「別にそれはそれでいいじゃないですか。みんなで農業とかすれば(笑)」という立場だ。
スマホがなくなろうが、自動車がなくなろうが、「それが何か問題なんですか?」みたいな。

確かに科学の力は素晴らしい。
俺たちの生活は豊かになった。
ノーベル賞をあげたくなる気持ちもわかる。
こうしてインフラが整ったことで、赤の他人とインターネットを通じて交流を持つことができる。
だとしても、「科学的ではないもの」との比較で、どちらが素晴らしいのか甲乙つけられるものなのか?
あるいは、「科学的ではないもの」同士であったとしてもだよ。
俺たちが無意識に下しているものの価値の判断、値踏みは、等しく感覚的に与えられているものにすぎないのではないか、と思ったりするわけで。

つまり、科学者が科学を信仰することに科学的な根拠はあるのか?というのが、昔から気になっていることのひとつなんだよ。
今までこの類の質問にしっくりくる回答を与えてくれた人がいないので、よかったら誰かチャレンジしてね。


意識とか主観とか、いろんな呼び方をされるものの正体を突き止めよう、みたいな話について。
俺は人間と哲学的ゾンビに違いは感じないよ。
いずれも物理的化学的電気的反応な連続が表出したものにすぎないと思ってる。

>> 16で言われている

ビルの屋上で足ガクガク震えさせたり冷や汗かいたり腰抜かしたりするのって
ある程度の知性と経験が備わって「ヤベェ危険だコワイ」と認識できるようになった生き物だけなのでは?

というのも、複雑化した反応による当然のリアクションだとしか思ってない。
学習機能のあるAIがそのプログラム通りに動くのと、人間が恋をするの、同じじゃない?
強いて言うなら、プログラミングの量くらいでしょうよ。

>> 17

ビルの屋上から視覚情報を得ることで、神経系に電気信号が流れたり、情報伝達物質が分泌されたりします。
・・・で、それらの現象が起きたらなぜ意識体験が生じることになるのでしょう?

これ。
なぜ意識体験が生じることが前提にあるのかがわからない。
ただ俺たちは捉えたものを「こういう感じ」としてアウトプットする言語的機能を持ってるだけでしょう。

小学生の頃、ザリガニとウシガエルを捕まえて同じバケツに入れてたら、ザリガニがウシガエルの足を挟んでしまったことがあった。
そのとき、ウシガエルはなんとも形容しにくい鳴き声をあげたよ。
この鳴き声は、「痛み」を与えられたことによる副産物だと思うが、それを表現するバリエーションが人間とウシガエルとでは差があるってだけの話なのでは。
人間ほど脳が発達してないウシガエルが痛みに対するリアクションとして鳴き声をあげるのは、そうプログラミングされているからにすぎない。
しかし人間の場合は経験でそれぞれ独自の学習プログラムを組み込むから結果としては人間の行動には一貫性がないように見えるが、実はみな各々のプログラムにしたがって反応しているとするならバラバラの結果でも筋が通る。という寸法なわけさ。
ブラインドサイトってのには驚いたけど、それも同じロジックで説明付けれる気がするよ。

そう考えると「中央監視室」なんてものの存在がすでに眉唾なんだよね。俺からすると。

>> 18

『物理的に同一であるならば、同じ刺激に対し同じメカニズムで反応し、同じリアクションを出力するはずでは?』

動物に例えると誤差はあれどほとんどが同じリアクションをとる。
ロボットの場合も同じ。
では人間は?と考えたときに、物理的に同一ではあるが、同じ刺激に対し別のメカニズム(経験を含んだ行動原理)で反応するから、別のリアクションを出力することは何もおかしくないと言えちゃうよね。

ざっと飛んで>> 28(一応すべてに目を通してます)

「真に純粋な自発的選択」なんて無くないですか?

まさしく俺もそう思う。
自由意志なんてないのでは?
動物より行動原理が複雑化しただけ(行動の発生装置が「本能」から「欲求」に変換されただけ)であって、実際のところやってることに大差ない気がするよ。

>> 29

それでも人は、ニヒリズムやペシミズムに陥らず、前向きに生きることが可能だと思いますが。

例えば、快楽主義がそうですね。

(中略)

お答えしづらいであろう陰気な質問で恐縮ですが・・・。
詠み人知らずさんは、快楽主義をもって生きることを肯定していますか?

彼は答えたがらなそう(察し)なので、俺が代わりに答えるとしようか。
答えは、イエスだ。
しかしここで言う「快楽」とは、利き手との戯れ(目先の快楽)に偏ることなく、ニヒリズムやペシミズムに陥ってしまう心的ジレンマを解消すること(永遠の享楽)も意味する。
120点ください。

32
KANAME 2020/05/10 (日) 18:30:17 修正

金八先生が「人という字は人と人が支え合っている」という名言を残しているけれど、この言葉の成り立ちとしては骨文字で「一人の人間を真横から見た形」だそうで、別に支え合っているわけではないそうだ。
それはさておき、「人」という字を使って、もうひとつ違った解釈ができるのではないかと昔から思ってるんだけど、「人」って逆さまにすると「Y」みたいな感じになると思うんだよね。
要するに支え合っているのではなく、さけていると言いますか。
個人的に「さけるチーズ論」って呼んでるんだけど。
「人」は「l」(一義的な世界)に「間」が生じるから「人間」って言うのかなぁなんて勝手に妄想を膨らませている。

この「間」とか「さけている状態」ってのが、言い換えるなら原初の「母」との鏡像的一体性が切断され、すでに失われたものとしての「母」=「もの」(das Ding)を欲望の対象(objet de désir)に据えるってことなのかなと。
つまり「Y」から「l」への回帰現象が人間の本質的(?)な行動原理ではなかろうかと。
ただその対象って文字通り「すでに失われた対象」(自我がなかった頃の状態を認識できない)だから別の何か(自己実現の対象)にそれが置き換わっているというのが実際のところだと思う。
つまり「Y」の片割れは存在しない。
そんなこと知る由もなく片割れに向かって同一化を図ろうとするのが人間が最初に植え付けられた強迫観念でそういう意味では全員精神病になるプロセスをスルーできないというか、避けては通れない道なんだと思う。

ただそれに気付こうが気付かまいが、結局「私の欲望」は「大他者の欲望」で、私の欲望が象徴的秩序によって構造化されていることはやはり否定できない。
たとえば、アフリカの奥地でそこの住人たちには馴染みのある生活必需品であるが日本人にとっては見たことも聞いたこともないものがあったとすれば、俺たちはそれを望むことができない。
せいぜいできるのは既知の欲望の対象のチャンネルを変えることくらい。
変えたほうのドラマにおいても、シナリオの中で演技させられているだけということは変わりはない。

となると、「生きていることに意味なんてない」ってのがひとつの真理になるわけだけど、「自分という意味が剥奪されても、絶望を感じることがない」存在ってまさにニーチェのいう「超人」そのもので、現代人はどちらかと言えば真逆で、東浩紀が言うような「動物化」(animalisation)が進行しているというか、「意味」という刺激に反応して「欲求」を満足させようとする側面が強いのかなって感じ。
TikTokとかが流行るのもそういうことじゃねーかな。知らんけど。

33
三週まわって新月 2020/05/10 (日) 20:59:26 修正 c55c5@e26e8

フリードリヒ2世の赤ちゃん隔離実験とかありますよ。

34
高村喧嘩師匠 2020/05/19 (火) 12:47:41 fba58@a14a0

>科学者が科学を信仰することに科学的な根拠はあるのか?

科学は必ず一定の仮定より出発するが,哲学はその仮定の成立根拠を問う

科学が正しいものだと信仰する段階に至るまでの過程において、フィルターがない
つまり、無意識に教え込まれている。

ここだけ聞けばわからないかもしれんから詳しく論述すると
第一に
人は小さい頃から道理について学んできた。
何が倫理的に良いか、そして倫理的に悪いものは行ってはいけない
それっていわゆる、人からの教え込みによるもので、そこに「その教え込みが正しいかを見極めてから排斥するかどうかを決めるフィルター的役割」が存在しない。
科学もそれと同じように、
科学を開発した人たちも、過去にはそういう様なフィルター無しの状態での教え込みによって思考が形成され、そうやって常識たるものを作ってきた。

それは、信仰についても同じことが言えるでしょう。
なにを信仰したら悪いか良いか
それはフィルターなしの状態で押し込まれているから、科学的根拠はないと言える

だがなこの考えは余りにも常識に縛られすぎている。

脳にも魂が宿っており、思考を生き物だと仮定するやり方を使えば、科学を信仰することに科学的根拠があると言える。
そもそも思考というのは、赤ちゃんの頃から存在しており、
赤ちゃんのみんなはどう行動すれば、正しいのだろうかという直感で動いてる。

しかし、直感というのは思考ピラミッドが元でピラミッドの先端の段階に存在しているのが直感。
直感は、無意識が軸だと言えることもここでは忘れてはならない。

ということは、科学が正しいという信仰に至るまで、人からの教え込みというものがあるが、その教え込みとはまさに思考がその情報を鵜呑みにしていいかを判断している。
そこで、思考が思考をする という表現は伝わりにくいが、
思考が「その教え込みを鵜呑みにしていいか」を処理しているということは、それが仮定になって信仰するという行為に移るため、

>科学者が科学を信仰することに科学的な根拠はあるのか?

あるということになります。

37
天使 2020/05/19 (火) 13:05:06 修正

てか>> 34って誰に向けた発言なの?

38
KANAME 2020/05/19 (火) 21:53:43 修正

>> 34

科学は必ず一定の仮定より出発するが,哲学はその仮定の成立根拠を問う

いや必ずしもそうではないよ。
科学がある仮定を科学的方法で検証するのに対して、哲学はそれを記述によって行う。
たとえばプラトン哲学で言えば、「もの」には「イデア」と呼ばれる概念(魂のようなもの)が宿っており、その住処である霊界が存在していることを仮定していて、その断片による再現性を与えられることこそ「学習」なのだ、と説かれている。

そもそも、「一定の仮定より出発する」って、最初の哲学者と呼ばれてるタレスの時代からすでに行われてるよ。
「万物の根源は水である」って言葉は有名だと思うけど、これはとどのつまり「世界は神がつくった」という説の否定(仮定)だからね。
そのために「水」を物質として扱い始めたのが自然哲学の始まりだから。

そして、その「物質」に「魂」のようなもの(イデア)があるんやで😄
と、したり顔で観念論を押し付けてきたプラトンに対し…
タレスの自然哲学をアップデート(つまり現代で言うところの「物理学」)しようとしたプラトンの弟子であるアリストテレスが

「なにいってんだこいつ」

と心の中で言い放ったと噂されている絵が
コレでしょうよ。

画像1


だから俺は尋ねたいわけだ。
物理信仰の現実主義者がそれを選択することに科学的な理由があんのか?と。

「脳にも魂が宿っている」
「思考を生き物だと仮定する」
「赤ちゃんのみんなはどう行動すれば、正しいのだろうかという直感で動いてる」

先行研究も提示せずに科学的根拠があるってどういうことですか。
俺に「なにいってんだこいつ」って言わせないでくれ。

お前がやってるのは単なる形而上学、というか程度の低い妄想の類だよ。
別にここは哲学トピックだからあれこれ思索を深めるのはいいんだけど、「思考がピラミッド」とか「直感は無意識が軸」とか意味不明だから他人にもわかるように説明してみ。
野良や詠み人知らずがやってるみたいに自分の考えていることをちゃんと言語化する努力をしましょう。

「人からの教え込み」とやらから逸脱するイレギュラーについても既出というか>> 31で回収済みだし(なんなら俺があえて明確に書かなくてもここの参加者の大半は想定済みの意見だと思うけど…)もっとしっかりしてくれ。マジ頼むわ。

39
KANAME 2020/05/19 (火) 22:27:23 修正

>> 33

う~ん実に興味深い。

 年代史家ナリベーネによれば、科学に夢中であったフリードリヒ2世はいくつかの実験で同時代人を仰天させている。たとえば、皇帝は乳母など育児にたずさわる者に命じて、授乳している赤子に向かってなにもしゃべらせないようにさせた。生まれた子どもがまず何語をしゃべるのか知るためである。アダムから授かった言語であるヘブライ語か、あるいはギリシア語、ラテン語、アラビア語なのか、それとも母語なのか。しかし実験されたすべての子どもは死んでしまった。

フランソワ・トレモリエール・カトリーヌ・リシ編『ラルース 図説 世界史人物百科 Ⅰ 古代ー中世』(原書房、2004)

残酷だけどなぜ死んじゃったのか気になるね。
そもそも一部の人たちから愛情とかふれあい不足が原因と考えられていることがいまいち腑に落ちない。
世界を分節するための機能が備わっていると仮定して、そこに言語の表出がなされなかったことが死因なのか?
「発話障害」とはまた違うしね。彼らは少なくとも言語による理解(読み書き)はできているはずだから。
>> 32で言うところの強迫観念がないと生きようとする欲求を喪失して物理的な影響を及ぼすってことなのかな。
結果から見ればそういうふうにしか俺は考察できんな。

40
詠み人知らず 2020/05/20 (水) 07:01:24 修正

理解できない未知の物事に不安や恐怖を覚えるのが直感に由来する反応なら、ピラミッドの先端って扱いは何となくわかる。

こう考えれば辻褄が合うよね!ってな具合に、状況証拠だけを頼りにして未知の物事を「理解可能な鋳型にねじ込む」のがいわゆる科学的アプローチなので、その結果として導出される科学的結論が科学以外の分野においても同じく真理であるのかどうかは科学的にさほど重要じゃないのかもしれないな。

自己言及のパラドックスは文字通り自己に言及した場合にのみ生じるものなので、何とも皮肉な話だけど「科学的結論の正しさはあくまで科学のみによって担保される」という感じで科学の外側からの目線で言及することで科学的な整合性を保つことはできると思う。
つまり「科学を信じれば科学的には辻褄が合う、なので信じます」ってのは科学を信じる科学的根拠として機能してるかと。

41
詠み人知らず 2020/05/20 (水) 07:35:25

>> 29

トピック見落としてて質問ごと放置しちゃってたので、今更ながら答えておきます。
もう見てないかもしれないけど、野良さんごめんよ。

快楽主義をもって生きることを肯定していますか?

幅が広いテーマだと思うので、現時点では「否定はしない」としか答えられそうにないです。
快楽主義と一言でいっても、その中には自分の快楽を何よりも重視する考え方もあれば、最大多数の最大幸福を掲げる功利主義なんかも含まれてると思うんだけど
「そのどちらかに偏ってる生き方」はあまり肯定する気になれないかな。

このままだとトロッコが5人を轢き殺してしまう、進路を切り替えたら5人を救えるが別の1人を轢いてしまう
・・・みたいな道徳問題よく見かけるじゃないですか。

基本的にはレールを切り替えて5人を救うべきだと思います。あるいは、その5人全員が余命いくばくかの病人で別の1人が若い子供だったりしたら、子供を救うという選択は肯定します。
この辺はまさに最大多数の最大幸福に賛成です。

ただし
これを生き延びたら幸福な人生を歩めるであろう5人と「家族や友人などの自分にとって大切な人」のどちらか片方しか救えない、みたいなシチュエーションだったら、最大多数の最大幸福なんて無視して利己主義な判断を下しても仕方がないとも思います。

「人は何のために生きるのか?」という問いに答えるなら
利己主義と功利主義のはざま、あるいはニヒリズムと快楽主義のはざまでゆれ動くために生きているんじゃないかな
そういうのが人間性じゃないのかな、ってのが俺の考えです。

46
アベル 2023/07/28 (金) 17:14:32 修正 f2eb8@03b53

ふむむ。
“哲学的雑談”と見て若干好奇心が湧いた為自分もこのトピックに伸し掛かろうと思ったのだが…
最後のレス(詠み人)が浮上し約3年程の月日が経過している・・・また、殆どがこのサイトの上層部で当たる人物であったり、中々の実力者と見られる人物により構成されたスレである為、多少抵抗が在り本能的に伸し掛かる事を拒んでいるな・・・。
てかこれ、今まで話題の流れに沿り会話が続いてきたのにも関わらず、いきなり遮断して別の話題持ち出していいのかしら・・・まぁ、何年も経ってるし、いっか。
全体的なRoundTableの浮上率と俺の今から提唱する哲学的話題の需要性を演繹して考えてみると、中々更に伸し掛かってくれる優人が居るとは思いませんが、軽く話題を振ろうと思います。宜し熊の糞。

】“世界五分前創造説”
“世界五分前創造説世界(〈別名〉:五分前仮説)は、バートランド・ラッセルに依って提唱された懐疑的且つ哲学的な思考実験の一つである、簡単に解説をすると。
??《世界は五分前に創造されたのかもしれない》というもの。
まぁ一見は「は?w 何言ってんの?俺1時間前に放送されていたプリキュ〇をみてたが?」等と、五分以上過去の記憶、根拠があるからして世界五分前創造説は論理的な破綻と言える様にも見える。
・・・だがよ、実はこれがそう言えないんだよ。

ぶっちゃけ投槍で言ってしまえば
“パルスという生き方”とかいう宛もローランドが付けそうなスレ名でパルス重力おにぎりがバチバチで殺り合ってたから、そっちを見た方が世界五分前創造説の意味やら理解をし易いってのはあると思う。あ、因みにだが勿論“世界五分前創造説”な「5分」である深い意味は無い。
純粋に「仮説の一つ」で5分ぐらいにしようか程度で設定された時間帯なだけらしい。

まぁ取り敢えず「何故、世界五分前創造説の真偽を断定出来ないのか」について丸数字を用いて区切っていこう。  

❶創造者が不可知的存在に辺ると仮定されているから。

んまぁ例えで言うと如上で野良さんやら詠み人さんやらが熱弁されている“神”の存在。
こちらも(いや、こちら“が”が正当な指しであろうか。)人間が観測できる範疇内を大いに超越してる存在の一つ、これを所謂“不可知論”という。つまり、我々人類が何故“世界五分前創造説”を論破する事が出来ないかと言えば〈創造者が、不可知的な存在である為「どの様な/どれ程の“力”を持っているか」が観測不可能である為〉である。長々と解説文をカキコしてるだけでは理解し難いであろうから、軽く世界五分前創造説についての例話をABにして貰おうか。

【A「世界五分前創造説って知ってるか?『世界は五分前に出来ていて、実際は5分以上前を俺らは生きていないのでは』という仮説なんだけど、お前はどう思う?」

B「うーん。5分前以降を我々が生きていないと言っても、実際俺は5分以上前に昼食を食べたからな。
飯の写真を撮ったから、端末内から撮影時刻を確認すれば“五分前創造説”は破綻するくね?」

A「神は5分以上前にお前が飯を食ったと感じる/また、その端末で5分以上前の時刻に設定ってのを神がプログラムしたのでありその記憶は虚偽記憶なのでは?」】
こんな感じだ。“もしかしたら”神はその様にプログラムする力を所持しているのかもしれない。

今から個人的に想定できたこのトピックの読者が“過去の存在の証拠”と(一見)思う(反駁にもなり得る。)であろう現代的な道具をいくつか挙げよう。
「カメラ」や「メモ帳/日記」、「履歴」等がある。
だが、これらは全て「神(不可知的存在)が『読者がこれらを“過去”と感じる様にしよう。』とプログラムした。」と反駁されれば論証出来なくなってしまう、事実上ラッセルも今如上で挙げた“反駁”と類似する仮説否定者に提唱した。

ラッセル「世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した、という仮説に論理的不可能性はまったくない。異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。それゆえ、いま起こりつつあることや未来に起こるであろうことが、世界は五分前に始まったという仮説を反駁することはまったくできない。したがって、過去の知識と呼ばれている出来事は過去とは論理的に独立である。そうした知識は、たとえ過去が存在しなかったとしても、理論的にはいまこうであるのと同じであるような現在の内容へと完全に分析可能なのである。」
— ラッセル "The Analysis of Mind" (1971) pp-159-160: 竹尾 『心の分析』 (1993)
引用:Wiki と。

ただ、所持してるか否かを確信を付けることが出来ない、だからこそ論破出来ない。というもの。
類似した同じ様なものので水槽の脳や、仮想現実(シュミレーション世界)等がある。
これらも構造自体は全て同じで、創造者/主が不可知的存在に当たると仮定できる為、意見が分かれるだけで論破/確定させる事が出来ないのである。

❷次元の関係に依り人間の観測出来る範疇に上限があるから。

まぁ正味❶と関連付けれるし、❶でも多少触れた理由だね。というか、❶の中の❷みたいな感じでもある。

我々は今現在数ある次元の中の“三次元”という場所に居ます。
更に内容を吟味すると、三次元内以外の場に移行する事は不可能な為、世界五分前創造説の真偽の断定/及び反駁をする事が出来ない。」のである、超絶簡潔にマトメると、我々人類は次元という(必ず出られない)檻の中に居座っている為である。例えで、創造者が不可知的存在の“神”であると仮定しよう。

ここから具体的に解説する為多少読解が困難になる可能性もあるが、悪しからず。
先ず三次元では、“空間認識、及び時間の経過”程度しか把握出来ないからである。今回の取り上げた哲学の仮説では“時間”を取り上げている為三次元に於ける“時間”の概観について解説すると、“三次元の時間”では、その時一瞬の連続しか感じる事が出来ないから。つまり、三次元では、過去に起きた事柄は“記憶”という形で保存する事しか出来ず、その起きた“事柄”を再度確認する事が不可能であるから。

これがもしも我々が“四次元の時間”も肉体的に感じる事が可能であるならば、四次元は時空軸を行き来する事が可能である為、“世界五分前創造説”の真偽を論証できる。
(転用:相対性理論の諸関係)
“仮”にいつか、我等が一、二、三次元を行き来でき、未来をも行き来できる存在となった暁には、世界五分前創造説の真偽について断定をし、ラッセル「世界五分前創造説は間違ってる!」と抗議しに行く事は可能になるかもしれないね。

❸“絶対と断定する”方法が見出されていない(とされている)から。

・・・いや、これ実は9割型俺が様々な資料を演繹法と因果関係で観た非妥当性的な推論だから・・・正味かなり正当性が欠落していれば、誤謬/詭弁である可能性がむちゃくちゃ高いから、仮に“誤謬点”があれば(優しく)指摘してほしいんだけどさ。
でも・・・!折角・・・!頑張ってクラミジアサイズの脳みそを極小ピンセットで絞りに絞って考え抜いた推論だからさ・・・!一応執筆しようと思う・・・!

今さ、懐疑主義的哲学(?)の中で、“物事を断定できるか否か”って議論が進められているんだよね。んで結論(調べた情報)から申し上げると、今の所“完全なる断定する方法”がまだ発見されてない訳なんですよ。 
まぁ昔ならば数学者ラプラスさんが“ラプラスの悪魔”(ラプラスの悪魔では、物体の位置と運動量が分かれば、物理法則に基づいて計算すれば未来を完全予測出来る。)を提唱して“物事を断定する事”が可能とされてたんだよ、1927年まではね。だけど、

・・・が、1927年以降に理論物理学者のハイゼンベルクが、量子力学の一環“不確定性原理”([不確定性原理(∆x∆p ≧ 4π/h)とは]量子の位置と運動量を同時に把握する事は出来ない。)という物理法則が発見された為、不確定性原理論との論戦が行われ、正否はラプラスが否定される結果となった。
が、更にここで世界の大理論物理学者“アルベルト・アインシュタイン”が量子力学の“不確定性原理”を否定する物理法則的なのを発見したんだけど、その詳細内容が記載された資料が他の資料の山に埋まって見つけられなかったらしい。(諸説あり)

んで結局今現在ではバイゼンベルクさんが信仰されていて、“完全に断定する方法”ってのが見つかってない、この様に何度も何度も論戦が広げられたって訳。
老害校長の如し長々と語って「何が言いたいんだ!」って所だけど、つまりはその方法が見つかっていないから「世界五分前創造説」が完全に否定も肯定も出来てないのだろうな・・・って思ったって訳、これが-❸-

少なくとも、今“有神論者”と“無神論者”がバチバチに殴り合っている現代、また、次元/時空間についてが全く判明してない今現代では世界五分前創造者の真偽を発覚させる事は無理だろうし、科学的に論証可能となる未来はかなり乖離しているだろう。

後少し余談だけど、“不可知論”やら“次元の限界”やら“時空軸の把握不足”ってのが解消された場合、《世界五分前創造説》に限らずかなりの哲学の答えってのは出てくるかと思われる。
喧嘩師やらzawazawa最強と謳われている詠み人さんの文章(の下位下位下位互換)っぽいフィーリングで羅列してったけど、何か、グチャグチャになったなとか思ってます…。
後書いたり資料見てて思ったけど、仮に判明した際の世間的な見解では「クソ範囲のデカい長きに渡った超ド屁理屈」みたいな感じで流れるのかな。

一応メンタル的な麺で保険かけとくと、揶揄で侮辱するってよりは、論理的な否定であったり、“世界五分前創造説”に対する見解ってのを教えて戴けたら幸いであります。
あと、後に別に畢竟(かなめ)の最初の要項内容に反する意図では無いので、そこだけはご理解の程ほど。
あ、後に「逃亡だ!」とか袋叩きにされる可能性を想定して前述しておくと、忘れたり気分であったり、面倒だからやらリアルが忙しくて浮上が出来ない可能性があるのでそこん何処よろっす。
“保険”やら“ビビってる”など様々なご意見が浮かぶでありましょうが、何と思って戴いても構わないんでおけです^^

以上、アベル報道局からでした。

52
ナチュラル 2023/07/29 (土) 15:23:20 修正

トピックルールに違反した人物を確認したため、投稿ごとポアしました。

53
アベル 2023/07/29 (土) 17:08:23 f2eb8@57aa9

>> 52
ご苦労さまです。

56
詠み人知らず 2023/07/30 (日) 15:01:45 修正

なんかメールボックスに通知が届いてて、開いてみたらクソ懐かしい光景が広がってた・・・
3年前のワシはこのトピックをフォローしておったようじゃな


フィーリングというわりに出典とかいろいろ記載されてあって読み応えありました

世界5分前仮説で個人的に気になるのは「論理体系自体の信頼性」ですな
先人たちが何度も何度も様々な思考や実験を重ねて科学や物理学の信頼性を高めてきた・・・っていう知的営みの歴史そのものが5分前に生まれた虚構だと仮定するなら、世界5分前仮説の論理的検証そのものが茶番になると思うんだよな

分かりやすく言っちゃうと
「紀元前3世紀にユークリッド氏が幾何学原論を書いたと言ったな・・・あれは嘘だ」
ってことになるわけで💀
A=BかつB=CであったとしてもマジでA=Cなのかどうかは分からない・・・っていう世界線における世界5分前仮説の検証って
一体どういう条件をもって完遂とすべきなんだろうね(''ω'')

57
アベル 2023/07/30 (日) 20:49:47 修正 f2eb8@12877

うおおー!憧れの詠みさんだ、初めまして!
>> 56

フィーリングというわりに出典とかいろいろ記載されてあって読み応えありました

いやはや・・・このクソレスをそこまで多大に評価して戴けて、既に私の涙腺は崩壊し顔面は原型を留めておりませぬ。
今宵はその褒め言葉を食卓に置き白飯五杯食わせて頂きます。

論理体系自体の信頼性

なるほど・・・良く分かります。
詠み人さんの言った通り先人達が多大な労力、知力を消費し提唱した“論理”や“科学”をも、たった一言の「有り得なかった」で終わらせてしまう可能性を持っている、自分的にはこれが「世界五分前創造説の恐ろしさ。」だと思いましたね。

勿論それは“科学”や“論理”に留まらず、今までの代々伝えられてきた“歴史”を大いに覆され、否定されてしまう。
例えば“最も初めに陸地に上がったとされる「イクチオステガ」の存在であったり今俺が使っているHNの生みの親及び畢竟さんが如上で挙げた「アダムイヴ」の存在であったり、今までの築き上げられた“歴史”、“世界”の概念自体を壊しかねない仮説。

ぶっちゃけその所謂“不可知的存在”の力量が不明瞭であるならば、全然あり得る話なんですよね。

一体どういう条件をもって完遂とすべきか

うーむ、今現代の考えられる条件と致しましては。
1. 創造者の正体を知る。(「能力」・「力量」など。)
2. 他次元を完全把握する。
3. 時空を行き来可能とする。
先ず大前提として、この2つは必ず確定させなければならないと思ってます。

とは言え、物凄く難しい話だと思いますがね、「存在」が不確定であり、尚我等人類の“力”が増せば…!とか、そんな次元の話ではなくぶっ飛んで超越してる存在な為人類の力で1を把握する事なんぞ不可能に近いと考えられます。
恰も“地球”という限られた球体であり、「存在」が確定されている“海洋”の地形の正確な地図すら15%程度しか分かっていない状況では話にならない(´・ε・`)

2も1程は理解が困難では無いと思われますが、“三次元”という理念を生きている、“三次元だからこそ生きている人間”が他次元を行き来できるとも思えない。

3も“時間”って“絶対的に過ぎる普遍的な存在”という絶対的理念から抜け出す事は不可能と言っても過言ではない。
詠みさんと話せる機会に歓喜し長々となってしまいましたが、我ら人間が「世界五分前創造説」の真偽を理解できる時は恐らく億単位でも難しいでは無いだろうかという風に思えます。

最初に話を戻しますが立論への貴重なご意見ありがとうございました。
これからも密かに陰ながら推させて頂きます。

58
詠み人知らず 2023/07/31 (月) 05:59:20
  1. 創造者の正体を知る。(「能力」・「力量」など。)
  2. 他次元を完全把握する。
  3. 時空を行き来可能とする。
    我ら人間が「世界五分前創造説」の真偽を理解できる時は恐らく億単位でも難しいでは無いだろうかという風に思えます

何億年もかけてこれら全ての条件をもし達成できたとしても
「世界が5分前にできたかもしれないと考えている状態の我々が2秒前に創られた可能性もある」
みたいな、上書きに上書きを重ねたちゃぶ台返しがいくらでも出来ちゃうわけで
ルールに則って結論を出した後にルール自体を歪められちゃお手上げですわな

学術的な検証で導き出せるのはあくまで「論理的な確からしさ」のみであり
その論理体系内で参照してる学術的前提(定理など)そものものの真偽について同一の論理体系内で証明することはできなくて。

「検証に用いた科学や論理学そのものが5分前に生まれた虚構かもしれないよ?」と問いかけてくる世界5分前仮説には
「もしそうだとしても、そんなわけないだろ」と返してやればいいと思うんだぜ
これは、何ていうか・・・自己言及のパラドックスというか・・・
「お前が5分前に作ったルールに従うなら世界は5分以上前から存在してたことになるんだが?」って感じですな

59
アベル 2023/07/31 (月) 13:02:51 修正 f2eb8@12877

確かに・・・。
深いですねぇ。

何億年〜出来ちゃう訳で

一応“飽く迄で、論証をする為の大前提の一つ”として3つ程区切り案を出してみましたが、これを実践し結果が出たとしても、ほぼ無意味同然ですからね。

世界五分前創造説なんて言ってしまえば大規模であり反証不可能な“屁理屈”とも見れますからね。
正直「2と3」はあまり前提としてクリアしてもほぼ無意味同然だと思ってます。
ただ、1の創造者(不可知的存在)について知り、“創造者に答えを問う”事により仮説は幕を閉じるのかな・・・と思います。

ルールに則って結論を出した後にルール自体を歪められちゃお手上げですわな

ですね、しかもその“ルールを何度歪めれるか”であったり、“歪めれるルール(他ルール)はいくつあるのか”という部分も導き出す事は現段階では出来ない。
ただでさえ「“今”を(の)生きる人間、及び世界が五分前に創られたと仮定(ルール)」という条件下での答えが全く導き出せてない所か、仮説の足元の小指の爪垢すら剥がせてない状況下なのに、更に変えられてしまったらもう・・・ね。

更に、我儘な創造者が本当に「実は、こうでしたー!」と言い換えれてしまうから、もう人間の手に終えるお話ではない。
更に吟味すると、創造者が不可知的存在である以上どんな脳力を所持しているかは不明瞭、即ち、言葉通りに世界を対象とし合わせられるかもしれない。

結局これは“人間が何度も何度も何度も何度も条件(ルール)を変えられてもめげずに考え抜けるか”という部分もですが、先程も話したようにあの一つの条件ですら“途方のない時間による経過”が必要と仮定できるのに、更に何度も、何十億回も何千京回も変えられてしまえば・・・考えたくもないです。

論理体系内で証明することはできない

姿形不明/存在不明/能力不明/の不可知的存在の創造者が仮に(というか、五分前創造説の定義通りならば然り)超越的存在であるならば、その存在の内在に辺る我々の思考により導き出された“論理”やら“科学”やらは創造者の前ではゴミカス同然ですからね。

「お前が5分前に作ったルールに従うなら世界は5分以上前から存在してたことになるんだが?」

これは何とも有力な反駁、お見事。
ガチで世界五分前創造説の肯定派を信仰し信念を曲げない輩が居たら転用して蹴散らそうかと思います()
とは言えども、「世界五分前創造説は有り得ない!」やら「創造者が身なり不明だから何とも言えないよねー。」等の、否定派やら曖昧派を道端に生えた雑草のように見かけるだけであり、中々レアキャラの「世界五分前創造説は合ってる!うん!」と吠える肯定派は見つかりませんけどね。

バタバタしてて作業を同時進行させながらのレスになりましたから文章がぐちゃぐちゃになってしまいましたがアクシカラズ。

60
ナチュラル 2023/07/31 (月) 19:06:22 修正

詠み人知らずさん、お久しぶりです。

各トピックの更新が進んでなかったり、買ったのに封も開けてないゲームが約60本以上あったり、YouTubeの後で見るリストが1000を越えてたり、色々と放置プレイヤーなナチュラルです。

せっかく会えたので、ずっと気になってたことをお尋ねします。

RoundTable
神は実在するか否か
私が思う神って色々な災害から守ってくれる、災害を止めてくれる者だと思うんです。そこで災害がなくなっているならいると思いますが、災害はなくなっていませんよね? なので私は実在ないと思
zawazawa

このトピック覚えてますか?

ここで詠み人知らずさんが語ってたことについてコンナコト言ってる人がいたんですが、どう思いますか?

あ、ついでにお知らせしときますが、ここの後継コミュニティーがディスコードにあるので、来てくれると嬉しいです。

61
詠み人知らず 2023/08/02 (水) 06:20:10

お久しぶりでござんす。
当時の記憶はあんまり覚えてないから、一度溶けたアイスを再度凍らせたような粒度のコメントしか返せないけど・・・

いつの間にか「神といえば超常的で神秘的だよね」みたいな前提が共通認識のようになりかけてて、さらにトピック主の迦唯さんがそういう概念的な話について行けてない様子(発想がきわめて等身大)だったから
あえて堤防とかスプリンクラーみたいなクッソ日常的な例を出したんだと思う。
当時のワシはきっとそう考えとったんじゃろうな・・・

磁力とか引力って超常的な側面があるじゃん。
さらに言うと、磁力を「実在するもの」として扱っていいのかどうかも当初は分かんなかったわけで。
「磁力を例にすればいい」ってのは「堤防は目で見て触れるだろw」っていうワンクッションありきの発想だよ。
作用する実体がない場合も磁力や引力が実在してると言えるのか?っていう問題もある。

実在ってつまり何なんや、っていう本質的な部分は迦唯さんに伝わらないまま「確かにそうかもしれませんね」とか返されて終わりそうじゃん。
恐らく「磁力とかよく分かんないから聞き流そう」みたいになってたよ。
堤防とかスプリンクラーとか、超常とは対極にある身近で既知なものを題材にしたのは別にそれほど悪い判断じゃなかったと思うよ。


言論広場はチラッと覗いたことあるんだけど肌に合わないです、ソーリー

62
ナチュラル 2023/08/02 (水) 18:50:52 >> 61

実在とは何か...か。

そのDISCORDサーバーでK氏が「矛盾は実在するか?」と、なんか昔どっかの有名喧嘩師が出してきた話らしき議題でちょいと盛り上がったんだけど、「実在」と「存在」は区別すべきだよね~くらいの結論しか得られなかったな。

ところで言論広場はメンバーの質や趣味趣向みたいな、コミュニティーの雰囲気が好かないのか、それともそもそもDISCORDの機能自体慣れないのか、どんな感じ?

個人的には昔のここみたいな議論チックなやり取りができるコミュニティー欲しさに入った...みたいなところがあるんだけど、多少慣れたものの機能的にはコッチの方が好みだし、最近過疎化してきてるのもあって、いつか俺が新規にコミュニティー立てたいなぁと思ってるところ。

空知英秋とか宮崎駿みたいなポジションだから敢えて「立てる」とは断言しないけども、まぁ、意欲だけはあるんだ。

過疎化しないように、詠み人知らずみたいな人が興味を持ってくれそうなモノを継続的に投下していくことで、過疎化を防ごうというくらいの策しか立ててなくて、今こんな感じ
で準備中。

行く行くはここで更新が止まってるトピックも移設したい。

という気持ちだけはある。

気が向いたらたまにでも覗いてくれ。

63
詠み人知らず 2023/08/03 (木) 03:17:59

たぶん機能にも文化にも慣れてないからだと思う
布製のマウスパッドをプラ製に取り換えた初日の感覚というか、左利き用のツールを使ったときの感覚というか
過去ログちょろっと読む程度ならストレスフリーだったけど、参加する意欲が沸かなかったです・・・

64
アベル 2023/08/03 (木) 03:37:05 修正 f2eb8@12877

>> 63

団欒の最中に割入ってしまい申し訳ないのですが、詠み人大教授に幾つか質問及び学びたい事が在るので訊かせて頂きます。
面倒でしたらすみません。

・どうすれば、レスバや論争が強くなるのか。効果的且つ確りとした文章を構成するには何を意識するのか。
等を教えて頂きたいです。
陳腐な戦法・・・というよりかは、詠み人大教授の経験則/実証した結果したがって話して頂ければ助かります。

・詠み人大教授の様な論理的且つユーモアに富んだ存在になるにはどんな習慣であったり、どんな事を学んだり、どんな事を意識すれば良いのでしょうか。

これは・・・詠み人大教授の解釈/見解次第では「失礼」に該当してしまう可能性もある為恐る恐る訊きますが
・詠み人大教授はあの“selcia”なのですか?

・僕が構築した立論内に含まれる“弱点/悪点”(「ここを〜〜すれば、治せば良くなる。強くなるよ。」等)を引き出して頂き、具体的に教えて頂きたいです。

大変失礼な事は重々承知ですが、論戦等に於ける“更なる高み/理想体”を作る為、アドバイスを頂けると幸いです。

65
詠み人知らず 2023/08/03 (木) 11:15:26 修正 >> 64

詠みさん、実戦でヒント得てぶっつけ本番でいろいろ試して育ってきたスラム出身者だから「基本の構えはこう!」みたいなレクチャーできないよ
脚が弱そうな相手と戦うことになったのでソイツの足を蹴りまくった
結果的にローキックを習得した・・・みたいな感じです

少なくとも詠みさんは「あなたみたいに強くなりたい、教えてください」みたいなこと口が裂けても絶対に言わなかったし、同期にもそういうこと言っちゃう人なんて(ほとんど)いなかったよ
だって・・・それってもはや敗北宣言に等しいでしょ・・・

言論とか正しさとか矛盾とか論破とか、そういうのは飽くまで道具
自分のメンツに箔をつけて、相手に苦渋を飲ませるための道具
その道具を手に入れるためにメンツを質屋に入れちゃ本末転倒

心の中で誰かを尊敬したり憧れたりしてても、相手を尊敬しちゃうことを悔しく思ってたし
そういう相手がいたら「教えてください!」とか遜ったりせず、対等な目線で・・・むしろ見下すくらいの勢いで喧嘩ふっかけてました
相手に賛辞を贈るときも「詠み人大教授の発言は素晴らしい!」とか絶対言わない
「その辺の雑魚よりはマシかもな」みたいな言い方を徹底してた気がする

つまり・・・1つ言えるのは「目的とメンタルには一貫性を持たせたほうが良い」のかもね
詠みさんが住んでたスラム街にはそういう「メンツ優先」なヤクザ文化があったし
同じノリで活動してる同期も多かったのです
今はそういうユーザーも環境も殆ど残ってなさそうだし、時代にあった令和流の言論ガイダンスが他にあるとは思うけれども・・・

アベルくんがメンツとかに拘ってないなら別にいいんだけど
もし仮に、レスバや論争で強くなりたい理由が「見下されたくない」とか「相手を見下したい」みたいな目的によるものなら、今回の「失礼は重々承知ですがアドバイスください」って言動は一貫性ないよね
内心めちゃくちゃ悔しがりながら詠み人さんに頭を下げて頼んでる、っていうなら話は別だけども・・・

なんでレスバ強くなりたいの?
根っこにある目的を理解して、自分のメンタルをその目的にシンクロさせていくといいんじゃないかなって思います


トピックの趣旨とだいぶズレてるんで、この話題をまだ継続するならこっちを使ってくださいな

最後に、詠みさんはselciaじゃないです

66

おもしろいトピックに出会えた記念に、世界五分前創造説についてひとつ素人考えを投下しておきます(_ _) 

世界五分前創造説では、時間が関係する物体に言及すると「それは最初からそういう状態で現れたんだぜ!」と躱されてしまう。
例えば、大陸の移動とかも最初から「移動した状態」で現れたと解釈される。

この説に基づけば『数億年かけて移動した大陸は存在しない』と言える訳だけど、では『世界は元々ひとつの大陸だった』という「知識」はどこからやって来たものなのか、という疑問が生じる。

超大陸パンゲア等の史実も“そういう状態”で現れた「知識」ということになるのか?と。

もしこれを肯定するなら、そもそも「知識」全般が“そういう状態”に紐付けられて現れたと言えるので「知識」を備えた私たちも“そういう状態”で五分前に現れたことになる。
当然、その知識には「世界五分前創造説」も含まれているため、「『世界は五分前に出来た』と考える私が五分前に現れた」と説明できる。
否、その説明まで「世界五分前創造説」に織り込まれているなら更に、
「『〈世界は五分前にできた〉と考える私が五分前に現れた』と考える私が....」と、入れ子構造になってしまう。
私の想像の域を出ないはずなのに“実際に”五分前に世界が創造され、想像の域を超えていることになる。
そうでないならば、通説どおり138億年前に誕生した世界(宇宙)の中で、ただ「私が『世界五分前創造説』を唱えている」というだけの無駄に壮大な話どまりになる。

つまり、「世界五分前創造説」が抱える課題は、数ある「知識」の中で「世界五分前創造説」“だけが”本物といえるのは何故か、という疑問の解消なのかな~と思ったり。
この疑問の解消がなければ「世界五分前に創造されてない説」とか適当にでっちあげた仮説も同じ力で競わせられてしまう気がしています。

ともあれ、色々考察しがいのある仮説はおもしろいですね。哲学者すごい。
文字の装飾とかよく分からなくて、読みづらかったらごめんなさい(..)

67
名前なし 2023/08/08 (火) 23:30:32 69b66@122d0

とりあえずなぜ点Pは動くのか

68
諷詠 2023/08/25 (金) 14:24:13 修正

>> 66

どうも、アベル(元名)です。諸事情(リアルが多忙になった為)遅レスとなってしまった。
大変申し訳無い・・・これでは、まるで俺が“敢えて詠み人知らずとだけ対話を嗜み、他者との交流/会話を控えた”やらしい人物みたいではないか。

一月が経過しそうになった所で、見るに絶えない“下手くそ”な文章でお返ししたいと思います。
論争が趣旨では無いので、敢えて“考え”に触れず、翠さんの感じた疑問点を中心に答えたいと思います。

「知識」はどこからやって来たものなのか、という疑問が生じる。

んーと、持論だけど、その“知識”ってのは元は“認識”を元にして辿り着いた「最終地点」だと思うんですよ。
具体化すると、「大陸の移動(認識)」⇒「世界は元々ひとつの大陸だった(知識/最終地点)」って感じ、超大陸パンゲアも、飽く迄は〈認識〉から辿り着いた《知識》の形でしか無い。

世界五分前創造説含め、超越的原理全て含め、『例えば「我々人類を圧倒的に超越した不可知(神)の存在が超越的な能力を用い、我々に認識をさせた。」という形である』と釘刺しすれば別に変に疑問で覚える事でもない、何故なら“有り得ないと確証付けれる事が無い”から。

というか、我々人類って“水槽の脳”や“仮想現実説”を完全に論破する事が未だに出来てないから、尚更何とも演繹する事も出来ない為結局何とも言えなくなってしまう、更に吟味すればそれ以前に“確証的に在る物”すらも未だに突破出来てないんだから。

私の想像の域を出ないはずなのに“実際に”五分前に世界が創造され、想像の域を超えていることになる。

そら我々人類を想像の域を遥かに超越するでしょうねw
想定した相手ってのが超越的存在か訳ですから、「出ない“はず”」今の我々が認識できてる“世界”という鳥籠の中に於ける“一般論”に基づくならば、確かに「は?」ってなっちゃう話。

ただ「私が『世界五分前創造説』を唱えている」というだけの無駄に壮大な話どまりになる

無駄に壮大話しとは言えど、「我々は『“世界五分前創造説”という哲学』を思考し、嗜んでる。
また、世界五分前創造説に依る人的被害食らった」訳では無いのだから、別に全然良いと思いますがね。

あと、「だけが本物」ってのは、一体どういう意味なの?“5分という時間数だけが”ってニュアンスに感じたけど、あってる?とすれば、別にバートランド・ラッセルが適当に“五分”という数字に選んだから、特に特別的な理由とかは無いよ。

時間数が“1分”であろうと“10分”であろうと“1時間”であっても、思考の内容は「条件の時間数」が変更されるだけであり、特に構造自体に変化はないとおもわれる。