なんだか雲行きが怪しくなってきたな
さて、どこから整理したものか・・・
そうだな、とりあえず
否定的に見ている / スゲェと思う それぞれの対象を明確にしておこうか。
※前回も念を押したけど、あくまで喧嘩オタク目線での考察だぞ?
俺が否定的に見ている対象は
『知性なき読み手』
『知性なき読み手が傲慢さを遺憾なく発揮する140文字界隈』
この2つだ。
例に出したソクラテスの言葉然り、はあちゅうの先輩の言葉然り、よくよく見てみると1~5の範囲・・・つまりわざわざ説明されずとも大半の人が心得ている内容を語っているだけの空虚な文章にすぎない。
「ギミックは分かる」とのことだけど、少し心配だから改めて説明を添えておく。
- 実際に多くの人の想像力で昇華させることのできる文章ってのはすごいとは思わんか?
実際に昇華してる、あるいは昇華したと錯覚させてるならスゴイよ。
だいたいの人が心得ている範囲を仮に1~5として、その場合6~10に足を踏み入れてこそ昇華だろう。
6の扉を開くキッカケづくりになるような文章は言うまでもなくスゲェと思うよ。
『1だけを記載し、読み手の想像力を介して5までを悟らせる』
『1を元にして2~5の道のりを自らの想像力で歩んだ読み手は、新たな気付きを得た(昇華した)かのような錯覚を抱く』
これがギミックだな。
しかし、その読み手は言うまでもなく「知性なき者」だろう。
なんせ自分の天井は相変わらず5のままなのに、5までしか知らない分際で傲慢にも「この文章は核心を突いてる!真理だ!10まで理解できた!」と上から目線で世迷いごとを並べるわけだからな。
これは属性とかそういう尺度でフォローできる領域じゃないと思うが。
結果論とはいえバズってるからにはどこかに優れた部分は備わってるんだろうけど、「良い文章とは〇〇だ!」って結論を模索する時の参考にはならないと思う。
例外となるのは「大体の人に備わってる予備知識だけで価値を判断できる文章」くらいだ。
>> 108のこの部分でも言ってるんだけど、偏差値40を対象にしたような「大体の人に備わってる予備知識だけで価値を判断できる文章」ってのは、ピカソの絵画や俳句なんかと違って非オタクでも良さを共有できるからこそ前述したギミックも意図的に仕込めるわけで、『しかじかの要素を備えているため秀逸である』と結論付けることはできる。そこに異論はないんだよ。
比喩なんかはその象徴だよな。必要な予備知識のハードルを下げてるわけだ。
喧嘩界隈にも通ずるものがある。ありまくると思うよ。