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恥晒しの毒正義

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僕の文章を見て、恥云々についてカナメさんが語りたいと言っていたので、トピックを立てました。僕の文章は以下の通りです。

自分を人に見られる事に、僕は恥じらいを覚えます。なので嘘や秘密による化粧を自分にしやすい、というネットの性質に僕は期待していました。しかし、化粧がある程度濃くても、完璧に自分を隠せないのであれば、化粧をした僕に僕を感じてしまうので、結局恥じらいを覚えてしまいます。
本問題を解決する為に、嘘や秘密による化粧で僕を完全に塗り潰すとします。まさに発言や性格等の全てが、本来の僕とあべこべの状態です。そうすれば僕が作った何かを、皆は僕だと認識するので、僕は恥ずかしくないのです。そうしてネットの僕(僕が作った何か)に僕を感じなくなるとします。
しかしそこで気付きます。その状態を保とうとする本来の僕を見ている人が、一人だけいるのです。それは僕です。化粧によって「自分が作った何か」を僕だと皆に認識させ、皆を騙せても、皆を騙そうとしている僕自身を見ている僕は騙せないのです。よって僕が作った何かを操る僕が、僕に見られるのです。
つまり、まとめるならば、羞恥から僕は逃げられないという事です。全てが敵ということです。誰かに殺されたくなくて逃げに逃げた先に待つのは、結局のところ僕なのです。裏切り者は僕でした。恥ずかしいですね。

注意
とても僕は気まぐれです。なので、噛みつかれても返事をする保証はありません。もし丁寧に書いた文章に僕からの返事が来なくても、悪く思わないでくださいね。

毒正義
作成: 2019/11/19 (火) 15:31:23
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7
KANAME 2019/11/19 (火) 18:38:28

>> 6

ほんとだ。
でも逆によかった。
冷やかしが相殺できて。

8
KANAME 2019/11/19 (火) 18:41:31

わざわざリスキーなトピックを立ててもらったわけだから。
このトピックの趣旨に参加しない奴にはちょっと黙っといてもらいたいかな。
俺はこいつの話が聞きたい。

9
名前なし 2019/11/19 (火) 18:48:59 ab276@f031d

俺バカだけど参加していいか?
>> 2

嘘や秘密による化粧を自分に施して他人に見られることは恥ずかしい

これ逆じゃないか?
>> 0の感じだと人を騙せても自分は騙せないから恥ずかしさを感じるって聞こえるんだが

10
KANAME 2019/11/19 (火) 18:54:55

>> 9

逆ではないと思うけど、「嘘や秘密による化粧」を「他人に見られる」ことは

  • 紛い物の自分を見られていること
  • 自分を騙せていないこと

この2点が理由になっているとは言えるだろうね。
そのへんをもっと深掘りしていきたいわけだが。

11
名前なし 2019/11/19 (火) 19:13:31 ab276@f031d

>> 10
紛い物の自分と接してる相手は、その化粧された顔によってリアクションを変える

知っていると嘘をつけば知っている前提で行動されてしまうだろう
しかし本音で接し、知らない事を尋ねれば答えが返ってくるかもしれない

自分を騙せず自責の念を抱くというのは向上心があるからこそだと思う
成長の機会をつぶしていることへの後悔があるのかもしれない

的外れならスマン

13
キリト 2019/11/19 (火) 22:08:47

>> 0めっちゃ早口で言ってそう

14
バンドル 2019/11/20 (水) 02:08:55 c4f7a@abbb4

>> 0

理想としている自分というのは、いつも現実の自分とはかけ離れています。その理想を表面上とはいえ、体現できていることがまず、すごいことだと思います。化粧でもそうですが、あれは「技術」です。

ところで恥ずかしいのは、「理想の自分」を褒められる時などでしょうか?けなされる方が安心することもありますか?
それこそ慢心していないように受け取れます。すでに理想の自分と現実の自分との間に距離を感じることがなければ、褒められてもそれは当然のように思えてしまうのではないでしょうか?
私は日々の積み重ねを「恥の上塗り」だと思っています。嘘をつき、理想を振る舞い、しかし失敗し、現実を突きつけられてばかりだからです。まぁ、毒正義様とは違い、「化粧に失敗」してることが私にとっては恥ずかしいのですが。
周りの評価を気にすることは、客観的な視座に立とうとする心がけの裏返しでもある気がします。上から目線な言い方で失礼千万ですが小耳にでも挟んでもらえれば幸いです。

15
毒正義 2019/11/20 (水) 09:10:44

>> 14
僕なんかに文章をありがとうございます。とても理解が深いことが文章を読んでわかります。駄文しか送れないかもしれませんが、良ければお読みください。
まず、僕も化粧に失敗する時があるということを伝えたいです。もしzawazawaにおける僕が「何か」に見えないのであれば、それは丸裸の僕が見られているということです。馬鹿だと思われれば、それは僕なのでしょう。
丸裸の僕が見られているという状態は、それこそ何よりも恥ずかしいことなのですが、しかしその状態は「何か」は居なく、「僕」しか存在しない状態なので、純粋に、運良く得た幸せや名声を噛み締めることが出来ます。それと対立的に、「何か」が居ると、僕は幸せや名声を噛み締めることが出来ません。「何か」を僕だと、僕を騙すことは出来ませんから。つまり「僕」をさらけ出すことこそ幸せに繋がるものなのかもしれませんが、如何せん僕にはその勇気がありません。
その勇気は、化粧が上手くなっていけばいくほど、薄れていくものです。嘘が上手くなればなるほど、化けの皮が剥がれるのが怖くなるのです。なので、それならばいっその事、そのような技術などなかった方が良かった、という考えもできます。こんな技術、いらないのです。

16
KANAME 2019/11/20 (水) 10:47:01 修正

>> 12

ありのままを記述するという作業は、ありのままの自分を受け入れる「強さ」がなければ成立しないと俺は思ってるよ。
それは恥ずべきことではなく、むしろ誇りに思うべきだというのが持論だ。

  • 隠す
  • 騙す
  • 偽る

それらの行為に自覚があるという状態を良く思わないのはどうして?
その「何か」とは何か。

言い換えれば「こだわり」「執着心」「矜持」「独自性」「人格」「アイデンティティ」「欲求」のようなものだと思うんだけど。

ならさしずめ「本来の僕」とは「理想」や「願望」といったところなのかな。

「何か」を言語化することはできるか?

17
毒正義 2019/11/20 (水) 15:47:09

>> 16

「何か」とは何か

僕が指す「何か」とは、僕が作った、僕には無いものです。例えば、僕はフェミニストでは無いですが、フェミニストのフリをすることによって、毒正義はフェミニストであると他者から認識されるとします。この場合、その「フェミニストの毒正義」は、僕が指す「何か」に該当します。つまり、「何か」は化粧をした僕のことを指します。つまり、「何か」は嘘であり、騙しであり、偽りです。

「本来の僕」は願望なのか

本来の僕でいることは、確かに僕の願望でしょう。しかし、本来の僕より「何か(化粧を纏った僕)」の方が魅力的な場合が多く、寧ろ「何か」になりたいと願っているのかもしれません。本来の僕が「何か」であることが、最も望ましい状態でしょう。例えば、snowで加工されている自分の顔が元々の自分だったらな、と願うのと同じです。

何故騙す行為を自覚すると良くないのか

一言で言うならば、他者を騙すことによって作られる「何か」に劣等感を覚えてしまい、「何か」に劣る自分が恥ずかしいからです。例えば、道徳を本来の僕は好まないのにも関わらず、道徳的な行動をし、恰も「本来の僕は道徳を好む人間である」と他者に認識させ、「道徳的な人間で素晴らしい」と他者から褒められ、名声を得るとします。その場合、名声を得たのは本来の僕ではなく「何か」であり、その「何か」に、名声を得たがっている本来の僕は嫉妬します。その解決策は「何か」を自分だと認識してしまうことなのですが、騙していることを自覚すると、「何か」は「何か」のままで、自分は自分のままになってしまいます。なので、騙していること、つまり「何か」は僕ではないことに気づいてしまうと良くないのです。

18
KANAME 2019/11/20 (水) 19:29:43 修正

>> 17

  • 毒正義は「  」である

この「  」に相当する部分に嘘偽りがあると「恥ずかしい」と感じ、劣等感を抱くということだね。
しかし「毒正義が何者かになりたい」という願望に嘘偽りがない場合はどうなるんだ?
たとえば、「知的な人に見られたい」という願望に正直にしたがって、実際に知性を養い、技術を磨き、知的な人物として認識された場合の話だよ。

snowの場合も同じ。
美しくなるための努力を重ねたり、化粧の技術を上げたり、整形したり、手段はいろいろあると思うが、毒正義は彼らを「恥ずかしい人間だ」と思うのか?


「何か」になりたいと願っているのかもしれません。

「本来の僕」になりたいのでは?
それは「今の僕」じゃないのかもしれないし、「未来の僕」なのかもしれないし、あるいは「過去の僕」だったのかもしれない。

  • 毒正義は「  」である

要するにこの空白を埋めたいわけだよね。
そう思うのはなぜ?
「どう在るべき」だと思ってる?
それはそもそも「本来」と呼べるものなのか?


「何か」が何かと言えば、「本来の僕」に対立する行為全般ということはわかった。
では、毒正義の言う「本来の僕」とは何か?
それは逆説的に輪郭をあらわしてくるんじゃないかと思うわけだ。

  • 化粧しないもの
  • 技術を使わないもの
  • 丸裸
  • 化けの皮が剥がれているもの

それはどういう状態を指しているのか?
カント風に言うと「定言命法」といったところか。

19
KANAME 2019/11/20 (水) 19:31:28 修正

>> 11

だとして、その「向上心」と「後悔」はどこからやってくるんだろうね。

20
霧雨 2019/11/20 (水) 23:53:46 修正

つまり、まとめるならば、羞恥から僕は逃げられないという事です。全てが敵ということです。誰かに殺されたくなくて逃げに逃げた先に待つのは、結局のところ僕なのです。裏切り者は僕でした。恥ずかしいですね。

ポイズンまさよしさんの言っていることはいささか傲慢な気がするな。
化粧した自分はありのままの自分じゃないのか?そうと結論付けてしまうのか??

化粧を施したのは自分自身だから、「何か」によって生まれる発想、「何かによって生まれる」行為、「何か」によって繰り返される筆舌に尽くし難き神列伝やクズ列伝…。これら全ては、ポイズンまさよしさんのありのままの行いなのではないか?

化粧することそのものが、ポイズンまさよしさんのありのままの行いであるから、それによって付随する行動も全てポイズンまさよしさんのありのままの行いじゃないかな。
新しい人格を作り出し、自分とは別の存在として「何か」を独立させ、俯瞰的な立ち位置となったありのままの自分が「何か」を指揮している…いや…むしろ、

その「何か」すら自分とは異なる自我を持っていると信じているのではないか…??と、さえ見えてくる。

すごく危険で、傲慢で、人間らしい考え方だと思う。

たとえば。

人は人が自然破壊を嘆いているだろう。
しかし、人とて自然の一部なのであるから、自然である人がいかに「人工物と呼ばれる物」を作って豊かな生活をしながら「自然破壊と呼ばれる行為」を嘆き続けたところで、それもまた自然の一部である…と。
なぜ、鳥の巣は自然の産物なのに、家は人工物として分けて考えるのか。

人間の傲慢さ故だ。

ポイズンまさよしさんの思考はまさに、それに似ている。
ここでいうところの、自然が「ありのままの自分」で、自然破壊が「何か」に相当すると思ってくれるとわかりやすい。

21
バンドル 2019/11/20 (水) 23:57:33 02f51@0c5ff

>> 15

>その勇気は、化粧が上手くなっていけばいくほど、薄れていくものです。

>毒正義はフェミニストであると他者から認識されるとします。この場合、その「フェミニストの毒正義」は、僕が指す「何か」に該当します。

このトピック自体、人の真性に差し迫るものなのに、そこまで自己分析されているのは尊敬します。フェミニストの例えがとてもわかりやすく思います。確かにフェミニストに見られたいからフェミニストの振りをする技術は恥ずかしいですよね。私も災害時の募金などに参加するときに恥ずかしさを感じます。誰一人として災害の被害者に知り合いはいないのに、赤の他人のために行動をする自分の「善い行い」に酔いたいだけなのですから。恥ずべきことです。もし誰かに募金の理由を問われたら、「苦しんでいる人を放っておけない」などと、適当なことを言う自信があります。恥ずべきことです。

毒正義様のフェミニズムによって気分がよくなる人がいるのは確かです。その技術を利用する人もいるでしょう。私の募金も、その金を使用する人がいるわけです。しかし、その見返りは「恥」。たまらないですね。

「本来の僕」

そこで改めて考えるのが本来の自分です。本来の自分は恥を望んではいないはずです。しかしその恥を自覚するのも、ここまで自己分析が必要となるのではないかと考えます。恥を自覚することが、何につながるのか。そもそも恥を自覚しなければよかったのでしょうか?うーん、この恥が何につながるのか、まだ私にも答えがわかりませんが、少なくとも恥を自覚することをやめるのはもったいない気がします。

22
KANAME 2019/11/23 (土) 18:25:56 修正

ポイズンまさよし氏は忙しいとの報告が俺に入っているので、僭越ながら彼に代わり俺がこのトピックを進めていこうと思います。


>> 20

とてもいい着眼点だと思う。
技術を行使することを含めて自分というひとつの存在として見なせるのではないか、という話だね。

また、人工物も自然現象のひとつにすぎない、という見解もまさしくその通りだと思うよ。

分けて考える

これがたとえ「欺瞞」であったとしても、そこには確かに「分けてしまう精神構造」があると思うんだよね。
俺がしたかったのは「それは何か?」ということを突き詰めていくことだよ。
意見があれば頂戴したい。

25
霧雨 2019/11/24 (日) 22:44:15 修正 >> 22

1日ほど考えてたけど、

そういう精神構造でいることによって自分が救われるから

という逃げじみた結論から全く進展しなかった。

23
KANAME 2019/11/23 (土) 18:37:10 修正

>> 21

引用符はその記号の後に半角空白を開けるといけます。
一行以上改行しなければひとつ「>」をつけるだけで継続して効果を発揮してくれるので楽ですよ。
また、他人の投稿がどういう入力構成になっているか調べる場合は、他人の投稿の日付の部分を押して下にいくと「ソースの表示」っていうチェックボックスがあるから、そこを押して見ていただくと理解が深まるかと思います。


彼に共感を示しているバンドルさんに聞きたい。
「偽善」はわかるけど、そこに対して「恥」という認識を持つのはまた別の話だと俺は思ってるんだよ。
これは何に基づいてそういうネガティブな判断を下していると思う?

次に、「本来の自分は恥を望んではいない」とする理由を知りたい。
なぜ恥ずかしいことは望まれないのか?

24
バンドル 2019/11/24 (日) 00:28:22 02f51@9c910 >> 23

>> 23

KANAME様

引用符はその記号の後に半角空白を開けるといけます。

ありがとうございます。最近はプレビューボタンを押して確認するようになりました。勉強の日々です(笑)

「偽善」はわかるけど、そこに対して「恥」という認識を持つのはまた別の話だと俺は思ってるんだよ。
これは何に基づいてそういうネガティブな判断を下していると思う?

考えてみると、クリティカルな質問ですね。
まず「理想とは違う目的(気分で募金)」で募金の行為に至った自分を知っています。そこで目的を隠そうとしているので、恥を感じます。つまり本当のことを言えばいいのに、「見栄」を張っている自分が恥ずかしいのです。確かに偽善とは別の話ですね。認めます(笑)

次に、「本来の自分は恥を望んではいない」とする理由を知りたい。
なぜ恥ずかしいことは望まれないのか?

付け加えるに、見栄を張ることで感じる恥を望んでいません。というより、見栄を望んでいません。しかし張ってしまう時があります。どうしたら見栄を張らずに、さらけ出せるのか。
もっと言えば、苦役列車という私小説を思い出します。作者の私小説なのですが、「自分の身の上の話を悲しそうに語っても面白くない。ギャグにしなきゃいけない」みたいなことをおっしゃってました。どうしたら、見栄を張らずに、出したくない自分を笑い話のように出せるのか。強くありたいものですね。

26
霧雨 2019/11/26 (火) 23:27:57

仮面を被る程度の行いは、みんなやっている。

職場でも、取引先でも、友達の前でも、恋人の前でも、みんな自然と演技をしているのだ。

ここから、人は大まかに3つに分けられる。

  1. 演技していることを自覚していない。

  2. 演技していることを自覚しているが、恥じてはいない。

  3. 演技していることを自覚し、恥じている。

毒正義は、3の状態にあるわけだが、これは最も思考が発達していると思う。

恥知らずな人間であるよりも恥を自覚している人間であることによって、

仮面を被った罪深き自分と、それを俯瞰している本来の自分とのギャップを深く心に刻み込めるのだ。

そして…恥に対してもがき苦しむことこそが罪滅ぼしであり、自分が救われるための手段なのである。

27
天使 2019/11/27 (水) 00:23:57

>> 1
恥というのは他人がいるから発生する感情だと思うんです。
もし世界に自分一人しかいないなら恥という感情は生まれてこないでしょう。
だからこそ不思議なのが「僕が僕を見ている」という他人が存在しない状況で恥を覚えるというあなたの感性です。

31
霧雨 2019/11/29 (金) 18:39:54

>> 29
恥を恥たらしめている理由は、今後の人生(自分への評価)に悪影響を及ぼすからだよな。

恥とは自分でおかした失敗である。
そして失敗の連続によってコミュニティで悪目立ちする…。

論理的に間違えるというのも喧嘩界というコミュニティに限らず、リアルにおいても明らかな失敗。この瞬間は良くても、めぐりめぐって自分の首を締めることになる…かもしれない。

恥とは、同じ間違いを繰り返さないための防衛本能なのである…。

しかし、どうにも分からんな…。毒正義の恥は防衛本能の域を超えている。
恥というよりはむしろ自己嫌悪の類いなのではないだろうか…。

33
バンドル 2019/11/29 (金) 20:21:53 02f51@3f93a

>> 28

なるほど!わかりました。ありがとうございます!二回付いていたのは恥ずかしいです(笑)

「理想と目的の違い」→「見栄」→「恥」

理想と実際の目的が違うから、理想が実際の目的であるようにふるまうことを「見栄」としました。またなぜ「見栄」を張るかと言うと、他人によく思われたいからですね。
逆に「見栄を張る→自らの本性を知る→恥を感じる」かもしれません。これは、恥ずかしいですよ。後から見栄を張っていることを自覚するんです。あ、また張っちゃった。という具合です。

  • 見栄を張りたくない
  • 自分を出したくない
    この欲望ってどこから発生してるのか。

「見栄を張る→自らの本性を知る→恥を感じる」

この順序であれば、見栄を張るが先に来ています。まず見られたい自分が先立ち、そのあとから見栄を張ったことを意識するパターンです。おそらくですが、「見栄を張っちゃった自分が評価されて、見栄を張っていない自分のことが出しにくいという思い」のことを恥と言っているのかもしません。

例えば最初から銭湯で堂々と裸でいれば恥ずかしくないのに、
タオルを巻いた後にやっぱり裸になるのってめっちゃ恥ずかしいと思うのですよ。

現象の説明ができた気がしますが、しかしタオルを巻かずに裸で堂々とするためには、何かが足りない気がします。

34
霧雨 2019/11/29 (金) 20:27:53 修正

>> 32
 恥を感じることは心的現象の一種である。これを公理とみなさず、更に噛み砕いて説明するということが求められているわけだな。

こういうのを恥ずかしいと感じちゃうのはなぜか

 恥の原因となった行動もとい失敗によって、人間関係的な意味での生存率が下がるから。

 人は、恥を感じるか否かによって以下の二通りに分けられる。

  1. 失敗によって恥を感じなければ深く心には刻み込まれない。深く心に刻み込まれないのであれば、また同じ失敗を繰り返しやすい。こうして人間関係的生存率はどんどん下がっていく

  2. 失敗によって恥を感じるということは、人間の心に強烈な失敗体験を自認させるということである。その体験は反省を生み、次の失敗を予防する効果がある。こうして人間関係的生存率を維持することができる。


 なので、個人差はあれど人間は生まれつき恥を感じることができるように遺伝子によって決められている

 そして何によって恥を感じるのか(感じるべきか)は教育も含めたあらゆる後天的要因によって形成されるのである。

 恥とは生命の神秘であり、自然淘汰に抗う術なのだ。

結論:失敗などによって恥を感じる理由

 恥を感じなければ人生終了してしまう危険性が極めて高いからである。

35
KANAME 2019/11/30 (土) 20:27:52 修正

>> 33

言い換えると

  • 見栄を張りたい欲求

これが「自らの本性」ってことだよね。
それを恥と「感じる」メカニズムを知りたいよね。

見栄を張るという気持ちを持つことがダメって認識になってないか?
その理由として「見栄を張っていない自分を出しにくい思い」が挙げられてるけど、じゃあ逆にその思いがなかった場合には「恥ずかしいとは思わない」ってことになるのかな。

それって恥について無自覚なただの裸の王様じゃね?

ちょっと一回物理的な現象と意識の問題は分けて考えてみてほしいかな。
裸が恥ずかしいってのと、間違いが恥ずかしいってのは全然恥ずかしさの種類が違うと俺は思ってるから。
後者をまずはクリアしていきたい。

36
バンドル 2019/12/02 (月) 20:29:44 02f51@9b100 >> 35

それを恥と「感じる」メカニズムを知りたいよね。

「恥」を感じるというのは、隠したいという欲求でもあると考えます。この場合は「見栄を張っていない自分を隠したい」ということです。

それって恥について無自覚なただの裸の王様じゃね?

その通りだと思います。

見栄を張るという気持ちを持つことがダメって認識になってないか?

KANAMEさんとのやり取りの中で、見栄にも色々な種類があると考えました。ひとつの見解です。見栄に対してどれだけ責任を持てるかどうかだと思いました。その時、できもしないことを、できると言ったとしても、後から見栄に対して責任を持ち、できるようになることもあるのではないかと考えた次第です。

上記のような場合は、自信につながります。

37
バンドル 2019/12/02 (月) 20:32:22 02f51@9b100 >> 35

その前に、すみません、返信が遅れてしまいました。

38
KANAME 2020/02/28 (金) 23:58:20 修正

>> 37

こちらこそ3ヶ月も待たせてしまってマジで申し訳ない…。
返信の約束を必ず守る男、KANAMEです。

>> 36

「恥」を感じるというのは、隠したいという欲求でもあると考えます。この場合は「見栄を張っていない自分を隠したい」ということです。

なぜ隠したいと思うのかってのがこのテーマのミソだと思う。
それは恥ずかしいから。
なら恥ずかしいと感じるのはなぜ?

それは「お腹が空く」とか「眠たい」っていう生理現象に基づいてる感情とは違って、「恥ずかしい」の発動条件は、「何かに対して負い目を感じていること」だと思うんだけど。
その価値観を解体したときに出てくる「これはダメ!あれもダメ!」って認識の正体は>> 34に書いてるような「遺伝子によって決められていること」なのかもしれないし、「後天的要因によって形成されるもの」もあるかもしれないわけなんだけど、その結論が生存本能ってのは全然しっくりこない。
だったらお笑い芸人や恥をかくことを生業としているような人たちは生存本能ぶっ壊れてるとか言えちゃうんだが…。

しかも何を恥ずかしいと思うかってのはメタ認知のレベル(子供の頃好きだったアーティストが大人になってミーハーであることが発覚してなんだかファンでいるのが恥ずかしくなるみたいな)で変わってくるし。

恥ずかしさを自己言及すると偏ったこだわりやかくあるべしという考え方に反してることに対する抵抗感ってことならアダムとイヴの思い込みってことになるぞ。

しかも問題はそれだけじゃない。
なんでそれに反したら抵抗感を伴うのかってところ。
これは自分の価値観の絶対性という幻想が強ければ強いほど反動が大きくなる。
逆に自覚があったら?わかりきっていたらどうなる?
それでも街の中を裸で歩き回るのは気が引けるわな。
そもそも公然猥褻罪だし。
法に触れるから?周りに迷惑がかかるから?
公的な場で、大勢の人の前で裸にはならないと。
でもその判断ってもはや「恥ずかしいから」が隠す動機として機能してんのか危うくね?なんて考えちゃうわけであります。
どうスカ?

39
霧雨 2020/02/29 (土) 14:58:18

一時の恥、末代の恥

恥をしのぶ

恥ずかしながら

より大きな報酬を得るための、必要経費的恥
人の生存本能というものは、より大きな心の報酬を求め、心の罰を回避します。

恥ずかしいということは、心に与える罰であり人の本能だ。

お笑い芸人は

カタルシスのためか、金のためか、名声のためかは定かではないが、

報酬のために恥をかきます。むしろ生存本能に則っているとさえ思えますがいかがでしょうか。

40
KANAME 2020/03/01 (日) 01:24:16 修正

>> 39

お前のダンス動画とかホスト動画とか恥ずかしいとか言われてるわけじゃん。
でもあれってまったくの部外者から見たら「単に祭りで人が踊ってるだけ」だし「ホストのCM」でしかないわけだろ。

個人に帰属しない商標的な動画を晒してまでごちゃごちゃ言うのはやりすぎだと思うけど、お前自身はそれを必要経費的恥として割り切れてんだったらそれもう生存本能とかじゃないだろ?

心の底から恥ずかしいと思ってるとして、その認識を成立させるための条件ってなんだ?
自問自答してみろや。