自転車道場

ロードバイクの進化の歴史 / 28

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ディープインパクト 2024/09/16 (月) 12:47:55 修正

 泣き虫ペダルさん
私が最初にロードを組んだときには、まだ、シュパーブというというブランドはなく、その前身となるような物でした。前にも書きましたが、ホイールはNISIで、ここだけ国産ではありませんが、ハブは三信のプロエムラージでした。(スポークは忘れちゃったな)クランクはスギノマイティコンペ、ブレーキはヨシガイのグランコンペ、ハンドルステムピラーは日東、タイヤは、その時に安かったのをどんどん使っていたので、覚えていません、あとディレイラーはサンツアーサイクロン。ペダルは私はなぜか三ヶ島じゃなくて、極東のプロエースを付けていました。あとチェーンはなぜか外国のを付けていたんですが、忘れちゃいました。その当時から写真をあまり撮っていないので記憶がよみがえってきた物だけ書いています。サドルは藤田でした。

こうやって書き並べると全く統一感がないように見えますが、当時にはコンポという考え方がなかったので、みんなこんな感じでしたよ。だって、スギノのクランクにカンパや、サカエの歯が付けられたんですから。(実は私軽量化のために一度サカエの穴の開いた歯に代えて、ぐにゃぐにゃでだめだこりゃっと思いすぐにスギノの歯に戻したことがあります。

昔の少年が何でも分解して組み立てて覚えていくように、中学生の私にとって、自転車は最高のおもちゃでした。でもね中学生から高校生にかけてですから、まあ、お金なかったですから、その頃のサイスポには広告で、志木のヨシダや立川のナルシマの今月の特売品いくらというのが乗っていて、小遣いや、寺の掃除のバイトで貯めた金を持って買いに行っていました。うちの中学バイトはダメだったんだけど、もう時効って事で。今思うとよく立川から杉並まで、リム2本肩からかけて、甲州街道走って帰ってきたもんだと思います。(交通費ももったいなかったし、その当時仲間内ではどこに行くのでも自転車でしたから)
そんな私が、20年以上離れていた自転車にまた戻ってこれたのも、この道場のおかげです。本当にありがたいです。あと20年間の抜けている知識と実践がないのが悔しいかな。

寝ぼけてうっていたのでタイプミスが多かったので書き直します。

先ほどの私の書き込み、間違いがあるかも、その当時まだサンツアーじゃなく前田のサイクロンだったかも、ここら辺の部品の光具合、輝き(アルマイト仕上げとかいったかな)が大好きで、走ったら掃除走ったらあと、あちこちグリースアップしては回してみては一人でにんまりしているなんて事もありましたね。あの頃のカンパのグリースのにおいがなんだか好きで、無理して買いました。生活が自転車中心だったかもしれません。あと、どこかか一つでもカンパを使いたいなと思ってWレバーの台座をカンパ用にして、カンパのWレバーつけていました。(でもそのあと軽量化のために穴開けしてしまったのでカンパであった意味はないんですが、)この穴開けって、結構勝手にやってしまいました。今考えると恐ろしいことです。あの頃の好奇心と、時間、体力、そして今のお金(って言っても貧乏なんですけどね)おもしろいことできそうなんだけどなあ。

また、今だとできないですが、あの頃は、寝袋積んであれば、交番のおまわりさんにいって、駅前の広場のベンチで寝させてもらえましたから。23時出発、3時頃から2~3時間仮眠朝日とともに公園で顔を洗って歯を磨いて出発なんて事もやっていました。(神奈川だけはうるさくて、夜間高校生の外出禁止だと何回も追い払われましたが。)

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