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**イチ広場 / 43

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ディープインパクト 2024/07/19 (金) 22:53:55

 skogenさん
大和三山に囲まれた場所を都に選んだ理由に、当時、九州倭国があった筑後川流域と同じ風景を畿内に探して、そこに遷都したという説があります(昔、NHKでやってました)。宗教的な理由なのか、当時の畿内の豪族を納得させるためだったのか、畿内の中心では無いところに人工的な都を作った、という話だったかな。
現代人にとって山の有難味は分かり難いですが、燃料としての落ち葉や薪は重要で、豊かな集落は平地では無く山裾にあります。木は木材にもなり、落ち葉は肥料にもなります。いわゆる里山です。そして、日当たりが良い南斜面の集落が豊かです。(近所に山があれば、調べてみて下さい。北斜面と南斜面で使われ方が違うのに気付くと思います)

平地にある集落は、現代人には優良地に見えますが、昔は平地は燃料や山裾の果樹園や畠や肥料が無い貧しい場所とされてました。例えば、昔からある酒蔵は山裾に立地しているのが多いんじゃ無いかと思います。

農村地帯だとこういう土地の成り立ちは、わずか数10年前までずーっと大昔から続いていたんですが、既に記憶から消えているかも知れませんね。私は田舎育ちなので、祖父母とかからそんな話を聞いて育った最後の世代かも知れません。

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