自転車道場

**イチ広場 / 140

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ディープインパクト 2024/08/05 (月) 13:23:48

 うーむ。。。さん
1, 自転車で巡礼しても特に問題ありません。お遍路で移動手段は問われません。八十八か寺をお参りする心があれば、歩きでもバスでもタクシーでも、何でも構いません。
このあたりがヨーロッパお遍路のサンチアゴ巡礼と異なります。サンチアゴ巡礼は歩きは100km、自転車や馬は200km以上でないと巡礼証明書を貰えません。

服装について、輪袈裟と白衣、さらに菅笠や杖らがお遍路さんの正装です。輪袈裟はお坊さんの袈裟を民間人も着られるようにしたもの、白衣は途中で行き倒れたときの死に装束、杖は墓標と言われています。
ただこれも特に厳密性は問われません。20年前に初めてお遍路を回り始めた時には白衣輪袈裟なんか誰もいませんでしたが、10年前にはそこそこいました。今回は非常にたくさんの人が来ています。ほぼコスプレですね。
私は一応輪袈裟と白衣を羽織ってます。自転車では杖は止めた方がいいです。その代わりに一部のお寺やお店で売っている杖型のキーホルダーを付けてます。
菅笠は非常に危険な側面と、非常に安全な側面があり、お勧め出来るか微妙です。危険な側面とはもちろん風に煽られる、視界が妨げられるという点です。トラックの風でぶっ飛びかけたこと一度や二度ではありません。
逆に非常に安全な側面とは、「お遍路さんである」ことが遠目に分かることです。四国の人はお遍路さんに非常に優しいです。いろいろ御接待(お世話してくれたり、おやつや果物をくれること)をしてくださったり擦るだけでなく、お遍路さんを守ろうとしてくれるので、交通量の激しい道でトラックの運転手さんが風よけになり、車よけになり、ヤンキーがたむろっているところで追っ払ってくれて、安全に通行できるようはかってくれたりします。(ヤンキーもお遍路さんには手を出さない) こうした経験は、お遍路と分かる格好でないと得られません。遠目に見えるのは有利です。
なので、条件のいいところは菅笠を被ってゆっくり走るのが良いと思います。

2,遍路宿は厳密な定義はなく、一般的には遍路に都合がいい宿、お遍路さんがたくさん泊まる宿、運営側からするとお遍路さんのために営業している宿という意味程度で、お遍路さん以外お断りの宿はほとんどないと思います。その代わりに、特段安いわけではありません。だいたい2食付き6000円-7000円くらいが相場でしょうか。ただいわゆる遍路宿は、予定通り進まず途中で暗くなってしまった時に、お迎えに来てくれたりします。
逆に「通夜堂」(お寺がお遍路さんに開放している雨露を凌ぐ部屋)や「善根宿」(民間の人が善意で無償もしくは低額でお遍路さんに提供している宿)は基本お遍路さん以外はお断りかと思います。
宿坊もあります。お寺が宿を提供しているものです。これも元々はお遍路専用でしたが、お寺の経営上、一般客も泊めているところは多いです。
サンチアゴ巡礼でも「アルベルゲ」という巡礼宿が有ります。だいたい食事無し5ユーロが相場ですが、これは巡礼証明書がないと泊まれません。さらに歩き優先。予約は受け付けず、昼頃から宿泊者を受け付けるものの当初は歩行者のみで、自転車はお断り。3時頃になると自転車もOKになり、自動車の人は常時禁止だったり、夜になっても空きがあるときだったり。

3,問題ありません。宗教の有無、宗派は問われません。今回、非常にたくさんの外人さんを見かけました。
私自身、最初は「スタンプラリー」感覚で自動車で遍路を始めたクチです。そこで仏様にすがらなければ生きていけないような人たちを目の当たりにして罰当たりなことをしている気持ちになり断念。10年前には心機一転自転車で回り始めたところ初日に車に追突され骨折(^^;) その翌年に2度に分けて続きを周り高野山までいって結願。最初はお経を読まずに回っていたのですがそれでは良くない気がしてお経を見よう見まねで唱えるようになり、読み方も勉強するようになり、自分の気持ちも変わってきます。そうすると周りがよく見えるようになり、困っている人に優しくなれるような気もします。自分自身仏教に帰依しているわけではないですが、宗教とはなんぞや、などを考えるようになり、自転車でサンチアゴ巡礼にも行きました。そして西国三十三/坂東三十三などにも行きました。
宿坊に泊まっているときにお坊さんとお話しする機会があり、そのような話をしたところ、それがお遍路の効用だと随分喜んで下さいました。

あと無宗教について。
多くの日本人は「自分は無宗教だ」と言いますが、これは外人さんには大いなる誤解を与えます。
日本でいう「無宗教」とは、神様がいるかどうか分からない、キリスト教徒やイスラム教徒のように神様に帰依しているわけでもきちんとお祈りしているわけでもない。だから宗教を信じているとは言えないのではないかという消極的な感じで言うのかと思いますが、そして私から見ると非常に宗教が身近すぎて逆に見えないだけ、非常に宗教と密接な民族だと思います。
日本以外の人にとって「無宗教」とは「「神の存在と神を信じる人を積極的に否定する、神という存在と敵対する」という強い意味を感じる人が多いようなので、その温度差を知らないと酷い誤解を与えます。正月に初詣に行って大晦日に除夜の鐘を聞き、結婚式は教会に行く人は無宗教ではありません。日本的な仏教でいいと思います。ガイジン的意味の無宗教の人はそれら全てを否定する人で、寺や教会に行くのは彼らを論破にいったり、もしくは襲撃に行く、焼き討ちするとかいう想像をするらしいです。サンチアゴ巡礼の時に聞きました。実際、中国では文革があったし、ソ連でも似たようなことがあったのでしょう、共産主義が自らを権威づけるために神様を否定したのかと。日本は八百万の神の国で、神様そのものが曖昧なんですよね。一神教の国のような絶対的な神様とは異なるので、その辺りも違いを生む背景かなと思います。

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