これ無理くね? Yは10より大きくなければいけないけど、それだと面積9が求まらない。 お手上げです。
>> 294 芸能人が政治的発言をすること自体を規制しろとは思いません。 しかし発言には明確な責任が発生する仕組みが必要だと思います。
極端な話、ビートたけし級の著名人が「竹島は韓国の領土だ」と発言すれば、韓国にも利用され国益を損ないます。 そうなったとしてもビートたけしは私人であり、思想の自由も言論の自由も保障されているわけですから法的には何の問題もありません。
社会的に叩かれるだけです。
そして考察したいのはこの「社会的制裁」についてです。
法的に問題点はなく、ただ与えられた権利を行使しただけのビートたけしに社会的制裁を与えれば、その行為は決して正当化できません。
もちろん発言自体を"批判"することはできますが、芸能人という職業柄、批判の声が高まれば番組への出演が取り消されたり、活動自粛へと追い込まれたりと、どうしても社会的制裁へと繋がっていきます。
この状態は果たして健全と言えるでしょうか。 私は不健全だと思います。
何も悪いことをしていないビートたけしが制裁を受けるのはおかしい。
しかし制裁はうけるべきです。
この矛盾した状態を解決するためにも、社会的制裁に根拠を与える、すなわち責任の明確化が必要だと思います。
もちろん、最初はバカ正直に計算して
この問題の答えは96だって言おうと思ったよ。 けど、それだと右上の長方形の面積が99になるからおかしいことに気付いたんだよ…。
問題の前提がおかしいってことで、いいよな? どうせ、もっと厳密におかしい理屈を説明しないと正解にならないんだろうけど…
「惜しい!」とか言って「実はこういうカラクリなのだ!」とか嬉嬉として説明してくるナチュラルのドヤ顔を思い浮かべると死ぬほど不快すごく素敵なので寝るわおやすみ
※追記 ラベルつけました。
面白い問題っていうかおかしい問題だね イラストからは
x-4>y x=2y-6
が導き出せる。 上の式のxに2y-6を代入して整理すると
y>10が得られる。
で、灰色の部分の面積をyを使った方程式で表すと、
y×(y-8)=9
これを解くと、
y=-1、9
y>10と矛盾してる。 おかしいよな?
俺のやり方がおかしいのか問題がおかしいのか、答えに期待。
初音ミクの中で好きな曲をいくつか。
はい、なんかちょっとトラブっちゃいました。すいません。 まだあんまりシステム理解できてないんです。すいません。
気を取り直して記念すべき1問目。 ネットから拾ってきたものだから見たことある人いるかもしれないけど、個人的に面白い問題だと思ったので選びました。
灰色の部分の面積が9になるとき、長方形ABCDの面積を求めてください。
解答はまた後で載せます。
あれ? ログインしていたはずなのに....。
歌はないし、どっちかといえば動画作品かもしれませんが 指で生物の進化と人間社会を表現してるのが面白いなと思ったので共有します。
この人の作品はどれもすごく独特な表現でおもしろいんですけど、見る人によっては気味悪く感じるかもしれないので注意です。
よみ人さんにこころを詠まれてしまいましたが、分家だからか、一部間違っています。 一応ことわっておきますが、要望をおくっているのは、CAPCOMではなく、コーエーです。
たとえば、『戦国無双』なんかは戦国時代をモチーフにしていることもあって、人殺しをしています。 でもそれは、そういうゲームです。
そのゲームをやっているからと言って、本当に人殺しがしたいわけではないでしょうし 誰もその人が総理大臣を討ち取って天下を取るなんて思わないでしょう。
後田さんの言うように、本来の喧嘩は、相手を潰して優越感に浸るものだったかもしれませんが 江戸時代、明治維新をむかえた令和では、それをモチーフにしたゲームが主流なんです。
もちろん、ストーリーの中では争うこともあるでしょうけど、それはあくまでもそういうストーリーなんです。 別のストーリーでは織田信長と明智光秀が本能寺で共闘します。
その方が面白いと思いませんか。
>> 1 生活保護を貰う事が幸福か…
まるで悲鳴だな。
人は皆、生まれてから限られた幸福をつかみ取る勝負をしている。 貴様は恐れているんだ! この勝負からな。
勝負を諦め、余り物の餌に縋る虫ケラと同じ。 本当は分かってるはずだ。 もっと上の世界がある事にな。
貴様は生まれてから何度諦めてきた、世間はおまえらくずの決心をいつまでも待ったりはせん! 一生迷ってろ、そしてチャンスを失い続けろ
ひっしに勉強したわけでもなく、懸命に働いたわけでもなく、何も絶えず何も乗り越えず ただだらだら過ごしてきたような人間に簡単に幸福が手に入るか!
お前らのような積み重ねていない人間がそれでも幸福を手に入れたい、それも短時間でというのなら これはもうとどのつまり、命を張る以外ない!
>> 3 私は過失川ひろゆきです。 どうして私がれれれさんだと思ったのですか?
はじめまして、後田マサシさん。 初対面で突然こんなこと言うと戸惑うかと思いますが、実はわたくし超能力者の家系の生まれでして。 (とはいっても分家ですので、宗家の方々ほど強力な能力は持っていないのですが・・・)
このたび、超能力協会にて正当な手続きを済ませたのちダイゴキネシスでトピ主さんの心を読んでみました。 どうやらトピ主さんが本当に言いたかった言葉は
相手を潰して優越感にひたる「だけ」ではない
・・・という言葉のようです。 確かに、後田さんがおっしゃるように口論の目的はおおむね相手を潰して優越感に浸ることです。 「さまざまな価値観を持つ人たちが、自由な発想で、相手の知らないことや、発言から連想する言葉を並べる」というのはそれだけで1つのコンテンツとして成立しており、そこにわざわざ「説得する」を追加する理由は相手を上回って優越感に浸るためです。我儘(わがまま)を押し通す力ッッッッ!!!!その力に心酔するためにッッッッ!! 例外として「どうしても譲れない主義主張が衝突してしまったとき」も相手の説得を試みる機会となりますが、全体的な頻度としては稀でしょう。
しかし、それ「だけ」ではないんですよ。 いま、わたくしの心にはダイゴキネシスで連結されたマインドシナジーを通してトピ主さんの熱い思いが次々と伝わってきています。感覚的には、ジャッキーチェンのモノマネをしてご本人に怒られたときの劇団ひとりの心境に似ています。 この非言語的な情報をうまく文章化できるかどうかは分かりませんが、「意見を見せあって終わり」と「説得を試みる」には大きな違いがあります。
自分の意見がどれくらいの強度なのかは外部から負荷をかけてみるまで判明しない、というのがその違いです。 アウフヘーベンという言葉を使ってしまうと途端にチンケな聞こえになってしまいますが、つまるところ「否定を含む他者からの説得的フィードバック」は推敲作業としての役割を果たすのです。
こういう実話があります。 CAPCOMは自社製格闘ゲームのヴァージョンアップや新作を開発するとき、格闘ゲームのプロゲーマーのみならずアクションゲームやシューティングゲーム、それどころか映画関係者などの全く異なる畑のエキスパートにも声をかけて、開発に携わってもらっています。 格闘ゲームに造詣のある人たちだけで制作するよりも完成度が高くなるという理由です。
「さまざまな価値観を持つ人たちが、自由な発想で、相手の知らないことや、発言から連想する言葉を並べる」という構図は、このCAPCOMの体制にとても似ていると思いませんか? 口論の主目的が相手を圧倒して優越感に浸ることであったとしても、自らの意見の強度測定や新たな改善点の発見など、副次的な効果は見込めるわけです。
トピ主さんの心を読んだ結果、CAPCOM公式twitterアカウントに要望を送りまくってることが判明したわけですが その思いが制作チームに届くことを祈りつつ筆を擱かせていただきます。
九拝
逆に聞きますけど、なぜ喧嘩が相手を潰して、優越感にひたるものではないと思うんですか?
さまざまな価値観を持つ人たちが、自由な発想で、相手の知らないことや、発言から連想する言葉を並べたり、相手を説得したりする遊びです。
と言いますが、どうして相手を説得する必要があるのですか? 個々人が自由な発想で様々な価値観を背景に交流することは、それ自体が娯楽として成立し得るわけですよね。 その上でなぜ、その先に説得するというゴールを設定しているのですか? 説得する、言い負かす、相手に反論の余地を与えなかった先にはなにがあるのだと思いますか?
根本的に勘違いしていそうなので言いますが、喧嘩はどこまで行っても相手を潰して、優越感にひたる為のものですよ。 ただその潰し方にセンスがあるか、周りが引かないか、笑っていられるのか、潰すという明らかに幼稚な行為でありながらも支持を受けられるのか、というのがこの遊びのポイントなわけです。 そのために、ある人は自分の立場を正当化しようとロジカルであることにこだわったり、説得力をもたせるために難解な思想を入れ込んだり、周りに支持されやすいようユーモアのあるフレーズを入れ込んだりするのであって、 これはそれ自体が目的なのではなくて、あくまでそれをすることで、相手を潰すという幼稚な行為を取っている側が支持される余地を作っているにすぎないんですよ。 個人情報を晒して人生を破壊して潰すという方法が取られていないのは、単純にそれが取れないほど匿名化されているとか、もしくは相手からも逆に晒されるリスクがあるからしないとかっていう理由もあるんでしょうが、 もっと本質的なことを言えばそれが支持されない、笑い事にならない、ドン引きする、つまり潰しにかかっている側が逆に批判される可能性があるからやってないだけでしょう。 もしここが、相手を潰しさえすればそれでいい、誰かが潰れていく様を見るのがそもそも楽しいのだという価値観の跋扈したコミュニティなら当たり前ですが晒し合いは横行しますよ。なんせやってることは喧嘩なわけですから。
芸能人であろうが無かろうが、影響力のある人間が何かしら発信するときは、 その影響力故に批判も浴びるのだろうし、そういう意味で慎重な発言が必要なことには間違いないと思う。 ただそれは芸能人の目線に立ったときの話で、 もし影響力のある人物の発言だからと考えもなく受け入れる人間がいるなら、それは単にその人が愚かなだけでしょう。 影響力があるのだから発言を控えてくれ、なんてことは他人の言うこっちゃないということですね。
そもそも芸能人の政治活動なんて昔からいくらでもあるわけで、 それが今更になって批判されている意味が分からないし、そっちのほうがむしろ疑問に思うポイントだね。 >> 294の言うように、民間人が政治的活動を行うことに対する無理解と法整備不足が原因なのかな? もちろんそういう側面もあるとは思うが、それ以上に今の政治が反知性主義を中心に回ってるが故に、 なおさら芸能人の影響力なるものに言及した上で批判されているのではないかとも思ったりするが。
「政治家や官僚ではない民間人が政治的影響を及ぼすことを目的として行う私的活動」をロビー活動と呼びますが ロビー活動の本場アメリカでは、ロビイストとして活動する人に対してわいろ授受などの腐敗を防ぐため登録を済ませることが義務付けられており、活動を開示させる法律も施かれています。 実際にアメリカの政治は「ロビー活動ありき」で行われています。団体の利益のためだけに行われるロビー活動はもちろん批判されますが、何らかの公益と抱き合わせることでWin-Winの関係を築き、議会側もロビイストの求心力に便乗して票を得るという構造です。 全米ライフル協会(NRA)なんかはその最たる例でしょう。
アメリカが抱えるこの構造の裏には「他国企業の侵略的な国内進出から国益を守る」という目的も含まれています。 まぁ言ってしまえば中国系のロビー能力(政治的圧力の強さ)が余りにもすさまじいわけで。 だからといって「ロビー活動(意見の陳情)そのものを禁止」とすると実質的な独裁になってしまうからそれもできない、なのでいっそのこと他国のロビイストの活動も含めて法令で制定しておこう・・・というのがアメリカ政治の構想です。 ワシントンにはNRAのみならず中国系をはじめとした各国のロビー団体が山ほど在籍しています。
対する日本では、ロビー活動は(少なくとも表面上では)あまり活発に行われておらず(裏ではやりまくってるが)、法律面でも後進的なわけです。日本風に言うところの「根まわし」ってやつの民間版です。うさんくさいでしょ?w 柴崎コウ氏がいずれかの企業や団体から依頼を受けてロビー活動を行ったのかどうかは別問題として、その行為に対してネガティブで批判的な声が多く上がる一因として、法整備と認知のどちらも足りていない(裏でやりまくってる)という点は大いにあるかと思います。
政治家と民間人という垣根を越えて「こういうルールがあれば(なければ)社会はもっと良くなるのでは?」と声をあげルール作りに積極的に関わっていくことが民主主義的にとても重要なのは言うまでもないことです。 芸能人や俳優などの有名な民間人が自由に政治的発言を発信できる社会こそ本来あるべき理想的な社会だと思います。
どちらがクリーンかは一目瞭然でしょう。 「日本の方針を決めるために日本人が話し合う」という時代はとっくに過ぎ去っています。 他国の政治的圧力に押しつぶされずに済むように、日本のロビー活動能力をもっと養っていくべきだと思います。
【政治問題に対する芸能人の発言について】
芸能人が政治問題に言及することの是非がここ最近活発に議論されています。
もともと外国に比べると日本の芸能人は政治的発言をすることが少ないと言われておりますが、ついこの前の「警察庁法改正案」に対しては多くの芸能人がSNS等で反対意見を表明しておりました。
普段はおとなしい日本の芸能人たちが、なぜ今回に限りこうも揃って反対意見を表明するに至ったのかについては疑問の残るところですが、それはさておき、発言のかいあってか法案は可決とならず、芸能人にとってはさぞ華々しい成功体験となったことでしょう。
また更に、警察庁法案やコロナの陰に隠れて>> 292でおむすびさんが言っているように「種苗法改正」が廃案となりました。 今回このきっかけといっても過言ではないのが、柴崎コウさんによるツイートです。 種苗法改正について柴崎コウさんが反対意見を表明され、それが広く拡散したことの影響は大いにあるでしょう。 (※その後批判を受けた柴崎さんはツイートを削除しています)
以上2つの例に鑑みても、芸能人の発言力・影響力は一般人のそれとは比べ物にならないほど大きく、またそれが意見の発信に伴い否定的にみられる要因でもあります。
ここで皆さんに考えてほしいのは、「芸能人の政治的発信は積極的であるべきか」という点について、憲法上、経済的、道徳的、などなど複合的な見地から勘案し、一つの結論に到達してほしいと思います。
ではよろしくお願いします。
トリップに含まれるのかどうか微妙だけど ライフハック的な感じで読んでもらえると幸いです。
そもそもルーティン自体が暗示によって精神状態を意図的に再現する効果なので、ほとんどの場合において強度は低めになりがち。俺は未体験だけど、刷り込みに用いる体験によっては3以上も見込めるかもしれない。 (例えばPTSDなんかは強度5の刷り込みトリップと言えなくもない)
ルーティン実行後の周辺環境に左右される。 簡単に言ってしまえば、他の要素によってトリップ状態が上書きされやすい。
何も使わなくても出来るけど、体感的には何か使ったほうが強度と持続性(と再現性)を高めやすい。 場所によっては使えない小道具もあるので注意。
刷り込みの精度を高める期間および元となる「別のトリップ体験」が必要なので難易度は高め。 何らかの手段で集中したりリラックスしたりトリップできているときに特定の所作をおこなう。 これを日常的に継続する(ルーティン化する)ことにより、体験と所作を関連付けて自分に刷り込んでいく。
「変顔をして心を落ち着かせる」みたいなルーティンを編み出して人前で実践したりしない限りはノーリスク。
具体例として、俺が実践済みのルーティンを踏まえて紹介しておきます。
はい、というわけで始まりました。 題して、「幸せとは何か」。 今回は精神医学界の権威であらせられる過失川先生をパネリストにお迎えして、このトピックを進めて参りたいと思います。
さっそくですが先生。 「幸せ」とはなんでしょう? 人々は常に「幸福」を求めますが、それがかえって「不幸」に陥ることになる事例も少なくないように思います。 『幸福の経済学』でお馴染みの経済学者リチャード・レイヤードは、「幸福」に影響を与える7つの要因をビッグセブンと呼び、人は「幸福であると同時に不幸である」と考えました。
<幸福に影響を与える7大要素(Big Seven)>
(1)家族関係 (2)家計の状況 (3)雇用状況 (4)コミュニティと友人 (5)健康 (6)個人の自由 (7)個人の価値観
たとえば、「お金持ち」であったとしても、「孤独である」といったように、「幸せか否か」というテーマの結論には多面性があるということです。 その点、過失川先生はどのようにお考えでしょうか? もちろん、私たちが属している社会制度や貧富の差といった問題もあるでしょう。 しかし今回は、そういった外的要因が影響与える精神構造の本質(エピクロスも言っているような「心の健康」)について、精神医学の観点から「幸せ」に関する意見を述べていただきたいと思います。
では先生、よろしくお願いいたします。
それなりに推敲したつもりだったけどトピックの頭に書いたテンプレートの部分で訂正箇所が見つかったので直します。 具体的には、入手性のところで、入手性の高いものほど評点が低くなるという問題がありました。 これに伴って自分で書いたレポートも直します。(すでにこれを見ている人からすると直しました) この書き込み以前にレポートを書いてくれた方、すみませんでした。
>> 2 なんでれれれのアカウントで書かないの?
面白いと言ってくれる人がいるので、今度はなんの摂取も伴わないトリップ体験についてレポートしていく。
【名称】馬連10万円トリップ
【強度】4 湧き上がる興奮と万能感が抑えられない。 思わず立ち上がってフラフラと歩き出してしまうような強烈なトリップである。
【持続性】3 まず10万円を獲得したその瞬間に強烈な興奮が湧き上がる。 その後、数十分ほどは万能感を感じ続ける状態が持続する。
【入手性】2~3 このトリップは競馬というギャンブルによってもたらされるものなので、まずギャンブルに勝つ必要がある。 その点で予算と準備が必要であり、10万円程度の配当を得るには負けるレースも含めて数万円単位での投機が必要である。 なお、当然ながら不確定要素があり、入手の再現性は低い。
【難易度】3~4 競馬というものは(特に中央競馬は)毎週土日に開催されており、ここで開催されるレースに出走する馬はその週の木曜夕方に発表される。 つまり木曜夕方以降、予想という形で準備を行う必要がある。 ただし10万円単位の配当を得た場合、多くの人間は興奮状態に陥ると思われるので、当たりさえすればトリップは容易である。
【リスク】4 昨今社会問題化しているギャンブル依存症に陥る危険性がある。
【レポート】 上でも書いたとおり、このトリップは競馬で10万円勝つことで体験可能なものである。 また、特にこの10万円という数字については、累計の勝ち分という意味ではなく、 1レース、1回のベットに対する勝ち分として10万円という配当を手にするという点が重要である。 なお、当然ながら勝ち分は多ければ多いほどトリップの強度と持続性を高めるものと考えられる。 今回のトリップは今年の4月19日に開催された皐月賞において体験したものだ。 競馬をしない人のために説明すると、皐月賞というのは毎年4月の第3日曜日に開催されるレースで、馬齢が3歳の競走馬のみ出走するレースである。 筆者はこのレースにおいて馬連という券種(1着と2着でゴールする馬を順不同で当てる)で、更に1点のみに対し2万円ベットした。 競馬で馬券を購入する場合、大抵の馬券購入者は複数の券種に対して複数点ベットする。 例えば、先にあげた馬連という券種とは別にワイドという券種(1,2,3着でゴールする馬の内2頭を順不同で当てる)にベットするなどしてベットの対象を分散させる。 あるいは券種は馬連のみであったとしても、1番~18番の番号が割り振られた馬に対して馬連1-2と1-3の2点に投票するなど、これらの”分散投資”は言うなれば馬券購入におけるセオリーである。 しかし、筆者はあえて今回そのセオリーを採らなかった。なぜならば、このレースの予想に対して絶対の自信を持っていたからである。 ちなみに、馬券購入者というのは同じ場に集まると各々がなにを買ったのか報告し合う習性がある。筆者も同様にこのセオリー無視の1点勝負を競馬仲間に報告した。 するとどういうことが起こるだろうか。「当たるといいね」などという生易しい言葉がかけられることはまず無い。 「なんで?」「嘘でしょ」「バカじゃん」という反応。自分の予想が支持されないのだ。つまりアウェーだった。 レースが始まる瞬間まで本当にこれでいいのだろうかという問いが生じ続ける。 ここでセオリーを無視するのであれば今まで自分がやってきたことはなんだったのだろうかという疑問。仲間に支持されないことによる不安も積み重ねられていく。 ではここから、具体的にレースに勝った瞬間、トリップのその瞬間についてレポートする。 まず、レースはどんなに長くとも3分ほどで終わる。ゲートが開いて、馬が飛び出してから3分である。 その3分間で、特に今回の場合は「全てが思い通りに回っている」という万能感が生じた。出走している全ての馬が、自分が事前に予想した通りに走っていたからだ。 馬が1完歩ずつストライドする度に、レース前に感じていた疑問が着実に確信に変わっていく。「お前は正しい」と天から言われているような感覚が湧き上がってくる。 ゲートから1コーナーまでの間、4コーナーを回って最後の直線に至るまで、万能感で満たされ続ける。 レースは予想通りの着順となった。走り疲れた馬が首を上下させながら強く息を吐いている。 体内で何かが暴れ出すような興奮が湧き上がり、しびれのようなものが体の先を這い回る。そして、それらがまた体内に収束し脳天を貫く。 それから、13万2000円という額を噛みしめる。多幸感に溢れる脳内で13万2000円分のありとあらゆる娯楽がスライドショーのように映し出される......。 以上がトリップの瞬間のレポートである。 なおこのトリップのあとはレース中にあった万能感が余韻として数十分程度残り、無性に金を使いたくなるので注意が必要である。
【名称】ホワイトノイズ
【強度】2 時間が経つにつれてカラフルのもやが視界を覆ってきた。 集中力の高まりを自覚できた。
【持続性】2 数分間で幻覚はなくなり、もとの視界に戻った。
【入手性】1 推奨サイトによると特製のアイマスクを準備する必要があるがマスクで代用できた。 イヤホンもノイズキャンセリング機能付きが推奨されているがなくても問題ないと思われる。 私はノイズキャンセリング機能があるイヤホンを使用した。
【リスク】1 精神的・肉体的悪影響は無いように思われる。
【レポート】 ネットでトリップを調べたところ、手間をかけずにできそうなものがあったのでやってみることにした。 ベッドに横たわり、マスクで顔を覆い、air pods proを装着し、youtubeでホワイトノイズを再生。 この時、照明の明るさは最も明るい状態にした。
開始直後、心地よいとは思わないノイズが耳を支配し、視界は鮮明で白い世界が広がっていた。
体感で10分ほど経過したところで、集中力の高まりを自覚した。 視界は変わらずに白いが、それがマスク越しの照明ではなく、純白の世界にいるような感覚にとらわれる。
それからしばらくすると音の感じ方も変わり、滑走路を走る飛行機の轟音のようにうるさく感じていたものが、滝壺に落ちる水の音のように心地よく感じられた。
と同時に白一面だった視界に、桃色、きいろ、だいだい色、水色、といったカラフルなもやのようなものが広がりだした。 ここで一種の感動が覚えられ、恥ずかしい話リビドー(笑)のようなものに支配される感覚に陥った。
その状態が数分続いたあと、カラフルなもやがさっと引いていき、白一面の世界へともどった。
マスクを外し音楽をとめ、恍惚を瞳に宿し、初トリップは終了した。
生活保護を受けるのには、厳しい条件があります。 もし、天使さんの話が本当ならば貯金0です。 生活に制限かかり、欲しいものも買えない。 こんな生活に幸福を感じるでしょうか? 私は感じません。負け組の生活ですよ。
【名称】地元のローソンのアイスカフェラテ(ガムシロップ一個入り)
【強度】5 最近は頻度が減ったものの、一時期は週8日のペースで注文していた店頭メニュー。 正式なサービス名称は「マチカフェ」であり、大手コンビニのセブンイレブンやファミリーマートなど含めて今では大半のコンビニが類似したサービスを提供している。 コンビニにおけるコーヒーマシーンを使ったコーヒー類の販売をはじめて利用したのはセブンイレブンの「セブンカフェ」(アイスコーヒーのSサイズを注文。原始人のように訝しいおろおろとした態度でボタンを押し、出てきた黒い液体に感動する)であったが、近年では経費削減のためか標準装備されていたストローがない(カップのフタに飲み口を搭載したものを導入)という点でやや味の質が落ちていると考えられる。 また、ファミリーマートの「ファミマカフェ」では、他のコンビニに比べて商品のバリエーションが豊富である。 特に「アイス抹茶ラテ」は口当たりもよく商品設計のクオリティで言えば間違いなく一番だろう。 ただし、スタバですら高いと感じている筆者にとっては少々コスパが悪い。 そこで個人的にはローソンのマチカフェを推している。 決定的に違うのは、基本的にセルフメニューである他のコンビニに反して、店員が入れてくれるという利便性の高さだろう。 これは、自分でやるのがめんどくさいと常々考えている怠け者にとって、まさしくコンビニの利点を十二分に発揮したサービスと言える。 しかも、地元のローソンにおいては、従業員への教育がこれでもかというほどに行き届いており、なおかつトイレを含めた店内が清潔感にあふれているという点が評価できる。 さらに、毎朝ほとんどの確率でシフトに入っていると思われる女の子の店員が美しい。 極めつけは、レジ業務での安定したスピード感である。 一切の焦りを見せることなく、こちらが煩わしいと思う前に手を打つキビキビとした動きは、同じ社会人として自分が恥ずかしくなってくるレベルの接客である。 毎朝笑顔でしっかりと「おはようございます」と声をかけつつ、時によっては二言三言の何気ない談笑を交えるあたりも加算して100点である。
「よし、今日も頑張ろう」
そういう気に思わずさせてくれる、彼女たちの仕事ぶりにリスペクトを込めて、第一位とさせていただきました。 カフェラテの美味しさは言わずもがな。 「ここはコーヒーショップなのか?」と疑いたくなる優良店員の絶妙な混ぜ加減にも注目したい。
【持続性】3 最近は人件費削減のためか、トッピングはセルフで、という店舗が多くなってしまった。 おかげで週3日の頻度になりました。
【入手性】4 ローソンはそこら中にあります。
【難易度】2 コンビニのほとんどはフランチャイズ。 したがって、各オーナーに店舗の具体的な運営方針が一任されている。 いい店舗に出会えるかどうかは、あなた次第です。
【リスク】0
>> 2>> 3 ありがとう。 まず、CBDのレポートを最初に放り込んでしまったことに、 トピックへの"引き"を意識した結果ではあるものの若干後悔している。
というのも、これでは誤解を生むかもしれないなと思ったからだ。 また、そもそも、このトピックの範疇としては本来それこそ筋トレだとか美食なんかによる認知の変容も一種のトリップとして扱っていて、実際その方が万人が試せる、共有されるトリップ体験として価値が高いと思っている。 ここで話に挙げると誰かのネタを消費しそうで少しもったいないが、最近話題になっているサウナで”整う”というのも一種のトリップ体験だ。 あるいは音楽を聴いて”トリップ”したことも人によってはあるだろう。 ロマンチックに言えば恋に落ちた体験なんかも一種のトリップを伴うかもしれない。
そう考えれば大抵の人間が、どこかのタイミングでなんらかのトリップを体験しているものだと思う。 ということで、もしこのトピックが面白いと感じてもらえたなら、是非そのトリップ体験をレポートしてほしい。
何か書きたいけど思い浮かぶ実体験が乏しい
おもしろいな
せっかく立てたトピックに誰も書き込まないというのは悲しいので、 早速レポートを記載する。
【名称】CBDトリップ
【強度】1~2 意識すれば僅かにリラックスしているような感じがする。 継続して使用することで効果が感じられるタイプのものらしいので、準備期間が足りなかった可能性はある。
【持続性】2~3 そもそもトリップの強度が弱いのでなんとも言えない部分はあるが、 数分~数十分程度は効果らしきものを感じられる。
【入手性】3 CBDは現状まあまあ高い。特に純度の高いワックス状のものについては1gで1万円近い値段がする。 舌下摂取するCBDオイルやグミなどは別だが、CBDを含むVAPE用のリキッドの場合は別途ヴェポライザーが必要なのでその分のコストがかさむ。 なお今回摂取したのはワックスだが、ワックスの場合は専用のヴェポライザーが必要なので、すでにVAPEを持っている人でも追加で買う必要がある。
【難易度】3~4 人によって効果がかなり変わるらしい。というのも普段から酒やタバコを嗜む人には作用が弱まるらしい。 というわけで本気で効果を感じようと思ったら数日程度の禁酒・禁煙は必須だと思われる。 また、習慣的に使用することで効果が感じやすくなるらしいので、その分も準備が必要だろう。 俗に言うセッティングなどは特に必要ない模様。
【リスク】3 CBD自体、大麻草から抽出しているものなのでその分のイメージの悪さは間違いなくある。 よって、そういったものにある程度理解がある人でなければ誤解を生じさせるものではあるだろう。 また、健康被害についてもよく分かっていないところが多いのでリスクが高い。 特にCBD単体の健康被害に加えて、ヴェポライザーを利用する場合は、発生する蒸気による肺機能障害は懸念すべき点だと考える。
【レポート】 今回は、最近美容界隈でもよく話題になるCBDを試してみた。 その前にまずCBDについて説明しておく必要があるだろう。 CBDとは大麻草から抽出した物質で、これ自体は合法なものである。(2020/05/20現在) ただしここらへんの法律は若干ややこしく、CBDを抽出するにあたって原材料となった麻がどのようなものであるのかによって取り扱いが変わったり、 あるいはCBDオイルとパッケージされていながらTHC(これは麻薬取締法の対象)が含有されているものが海外では流通していたりもするので、入手する際は信頼できる販売店を探す必要があるだろう。 CBDのもたらす作用は主にリラックス効果とされているが、どれほどの臨床試験が行われているのか明確ではない部分もあり(個人的にそこらへんの論文を読んでいるわけでもなく)ファジーな存在である。ちなみに抗酸化作用や抗炎症作用などもあるらしい。美容業界から注目されるのはここらへんの効果が期待されてのことだと思われる。 そんなCBDとはいえ、麻から抽出していることには変わりなく、何らかのトリップを期待してしまうのが人の性というものだろう。他聞に漏れず、高い金を払って体験してみることとした。 今回使用したのは1g中に680mgのCBDを含有するワックスで、量としては耳かき1杯程度なので0.1gに満たない量だと推測する。つまりCBDの摂取量としてはざっと0.07g程度ということになるだろう。 専用のヴェポライザーにCBDワックスを放り込んで熱する。蒸気がわずかにあがるので、それを一気に吸い込んで肺に溜める。そしてゆっくりと吐き出す。 まず、めちゃくちゃいい匂いがする。爽やかな中国茶のような匂いと少し青臭い草の匂いが混じったようである。 そして意識してみる。するとなんと.........なにも感じられない。せっかく1万近く払ってなにも感じないとはどういうことなのか。これぞガセネタというやつであろうか。 さらにワックスを追加して、熱し、吸い込み、そして強く意識する。もはや念じていると言ってもいいレベルだ。すると僅かに、ほんの僅かに、クタクタになって疲れたあとに熱いお茶をすすったときに感じられるような、フワッとしたリラックス感が感じられるではないか。 なるほど、CBDとはこういうものなのか。という妙な納得感が得られる。その後もワックスを追加していくが、感じられるのはどこまで行っても"熱いお茶"だけであった......。 以上をもって、これならば同じ値段で本当に中国茶を買って飲んだほうがマシだろう、というのがCBDに下した結論だ。 ちなみに今回のCBDは上野にあるVape屋で購入したものである。興味のある人は(20歳以上に限り)購入して試してみるのがよいだろう。少なくとも知的好奇心は満たされるはずである。
まず人間にとっての真の幸福とは一体なんなのかを考える。
幸福とは何か?
地位や名誉、金・・・etc.
考え出したらきりがなく、そしてそれらは上限・下限に際限がないものなのである。
それらを目指す人間の幸福はいわゆる「自己実現」である。
更にその先の地位、名誉、金を手にした人間が行き着く先は「精神的充足」なのだ。
地位名誉・金では得ることのできない更に先の高次元の幸福は「宗教」や「ドラッグ」といった精神世界に干渉する領域に話が進むのである。
著名人が宗教やドラッグにのめり込む話をよく耳にするのはそういった理由からであろう。
私は「自己実現」を達成するために学生時代から勉学やスポーツに励み、自身に課した目標を成し遂げ自己実現を成し遂げた。
学歴も社会的地位も信用もあり、競争から落ちこぼれたクソカス共(笑)からしたら、いわゆる勝ち組だろう。
だがしかし、ここである事に気付く。
クソカス共(笑)が遊び呆けている間に己を律し勉学・スポーツに励んだ先に待ち受けていたものは社畜生活だった。 人間的魅力に欠け、全く尊敬できない上司や先輩に囲まれ、そいつらの機嫌をとらなければ出世は見えてこない。 休みは少なく時間に追われるストレスフルな生活。
あえて言おう。
「私はこんな生活を得るために努力をしてきたのではない」と!
努力人は一生努力し続けなければならないシステムに日本はなっている。
逆に考えてみる。
つ ま り
「努力しない人間は一生努力しなくてもよい」ということなのだ!
自己研鑽をしてきた先に待ち受けるストレスフルな社会人生活。
こんなバカバカしい話はない!
ならば「努力しないための努力」が必要だ!
”幸福”はそこにある。断言しよう!
私はそのことに気付いた翌日に会社を辞めたwww
そして、辞表を出した帰り足で精神科に駆け込み、ハリウッド俳優ばりの演技で鬱病の診断書をGETしたのである。
私の第二の人生はここから始まった!
私と同じ慶●大学卒の夫とは離婚し、私は見事母子家庭となり、公営住宅への入居がすぐさま決定した。
夫も私同様鬱病の診断書を取得し、見事夫婦揃って「生活保護」を得ることに成功したのである。
私と夫は離婚しているが、夫が借りた生活保護用貧乏アパートは事実上の物置とし、平常はの公営住宅で生活を送った。 それは自堕落の結晶のような生活だった。
なんせ何時に起きてもいいし、明日のことなど考える必要もないv(´∀`)v
24時間365日が夏休み状態!酒・タバコ・ギャンブル・SEXに明け暮れる最高の日々である。
勝手に金は入ってくるから、鬱病のふりして好き勝手し放題だ!
人間関係に悩まされることないストレスと無縁の桃源郷がそこに在った!
だから幸福をつかむためのキャリア形成は鬱病になることだと知った。
学生時代、私は遊び呆けている奴等を嘲笑った。彼らをバカだと思っていた。
しかし、実際バカだったのは私の方だった・・・。
彼らは遊び呆けることで生活保護などを取得するためのキャリア形成を当時からしていたのだ!
私が既成概念にとらわれ、テストや部活動で良い成績を残すことに夢中になっていた時、彼らは”福祉”という甘美なる蜜を手にするために、遊び、本能の赴くままにSEXに明け暮れ子供を産み増やし、酒に溺れることをしていた!
そしてそれが”勝利への真のキャリア形成”だったのだ!
ストレスを蓄積し、自我を抑止し、その結果手にしたものが自由の全くない社畜さながらの社会人という地位。
ところが彼らは常に自由でいた。そして今も、これからも・・・。
人の本来あるべき姿は”自由”だったのだ。
既成概念にとらわれることなく自由でいることが幸福の原点であったことをいつしか忘れていた。
そして私も自由を勝ち取った。鬱病になるための努力・生活保護をえるための努力が本当の意味での努力であって、勉強や運動で得られる他者への優越感とは比較にならない充足感をこの身に感じることが出来た。
赤子のようにストレスのない自由な生。それが人間の本来在るべき姿だった。
エデンにおいて禁断の果実を食べたイブ(人間)が知性を得た代償に原罪を背負い、生への幸福を失った。
私は禁断の果実の呪縛から解き放たれた!私に恐れるものは何もない!
思うがままにネット・ポケモン・読書に明け暮れようではないか。
当然・・・
お前等”既成概念に縛られた敗者共”の納めた税金でな
アハハハハハハ😄
俺、野村宏一は、某私立中学校に通う中学3年生。 他人と違うことと言えば、「自分の前世を明確に覚えていること」。
前世での名は三島謙治。生きていれば40をとうに過ぎだったはずだが、15年前に交通事故で死んでしまい、奇しくも幼なじみの野村健一朗の息子として生まれ変わってしまったのだった。この事実を知っているのは"父母"である健一朗と則子のみ。
幼なじみとは言え所詮は他人。明確に「三島謙治」としての意思や歴史を持っている宏一は、健一朗と則子の実の子供といえど、明らかに"異物"であった。 自分の家なのに、自分の家族なのに、まるで他人の家に転がり込んでいるような居心地の悪さ。生前にほとんど面識の無かった則子のことを、「お母さん」と呼んだことは一度もない。そして、母親の強い希望があって生まれた年の小さな妹。
何のために生きているのか、どうして生まれてきたのか、なんのために存在しているのか。ふとした瞬間に沸き上がってくる、"恐れ"にも似た自問自答。そしてやり場のない"怒り"。
ストレス解消のために、学校に行けば気にくわないヤツをイジメ抜く。自分の行動によって他人が不幸になっているのが愉快でしょうがない。「俺は他人をどうにかすることができるんだ」という優越感。
時に狂いそうになりながらも毎日を生きている中、通りすがりの電柱に落書きに目を留める。 「変えられない事実を受け入れる力を、私に下さい」。
宏一は、この言葉にハッとする。俺にもそんな力があるのだろうか。そんな力が欲しい。もがき続ける宏一。
やがて宏一は、生きるヒントを探るべく、前世である「三島謙治」の軌跡を辿ることにした。旧友とのコネクションを作ってもらうべく、夕食の際に健一朗にその案を話すと、健一朗は頑なにそれを却下した。
「お前は"野村宏一"だ。むかしのことを探っても前には進めない。余計なことはするな」
健一朗に期待できない宏一は、独自に旧友をあたり、生前に付き合っていた彼女である"涼子"が、三島謙治の亡き後、他の男性と家庭を持って近くに暮らしていることを知る。
涼子に息子がいるのを知った宏一は、それが自分の子供ではないのかと考えたがすぐにそれを脳裡で打ち消す。「未婚で子供を産んで他の男と結婚するなんてことは無いだろう。 ある日、宏一は涼子の息子の年齢を知る。涼子の息子は、三島謙治が生きていた時に作られた子供でしか有り得なかった。
「もしかして本当に俺の子供なのか」。興奮が収まらない宏一は毎日のように涼子の住む家の近くまで足を運び、やがて近くのスーパーマーケットで、涼子と夫、その夫にソックリな息子の姿を目にすることになる。
「どうして俺の子供のはずなのに、アイツにソックリな子供がいるんだ?」 事情を知っているであろう健一朗に問い糾す宏一。そして宏一が知った事実は、「涼子は三島謙治と付き合っていたとき既に、現在の夫の子供を身ごもっていた」ということ。
狂ったように騒ぐ宏一。自らの理不尽すぎる運命に対する怒り、怒り、怒り。
途轍もない"絶望"。もはや誰を信じることもできない、誰にも裏切られたくない、誰にも依存したくない。
誰とも関わりたくない。
これでも俺には、「変えられない事実を受け入れる力」が必要なのか。どうして俺を殺してくれなかったんだ、どうして俺はこの世に生まれてきたんだ。
宏一は、家を飛び出し、鉄路を走る列車に身を投じた。
享年、15歳。 次の輪廻転生、未定。
>> 29
トピック見落としてて質問ごと放置しちゃってたので、今更ながら答えておきます。 もう見てないかもしれないけど、野良さんごめんよ。
快楽主義をもって生きることを肯定していますか?
幅が広いテーマだと思うので、現時点では「否定はしない」としか答えられそうにないです。 快楽主義と一言でいっても、その中には自分の快楽を何よりも重視する考え方もあれば、最大多数の最大幸福を掲げる功利主義なんかも含まれてると思うんだけど 「そのどちらかに偏ってる生き方」はあまり肯定する気になれないかな。
このままだとトロッコが5人を轢き殺してしまう、進路を切り替えたら5人を救えるが別の1人を轢いてしまう ・・・みたいな道徳問題よく見かけるじゃないですか。
基本的にはレールを切り替えて5人を救うべきだと思います。あるいは、その5人全員が余命いくばくかの病人で別の1人が若い子供だったりしたら、子供を救うという選択は肯定します。 この辺はまさに最大多数の最大幸福に賛成です。
ただし これを生き延びたら幸福な人生を歩めるであろう5人と「家族や友人などの自分にとって大切な人」のどちらか片方しか救えない、みたいなシチュエーションだったら、最大多数の最大幸福なんて無視して利己主義な判断を下しても仕方がないとも思います。
「人は何のために生きるのか?」という問いに答えるなら 利己主義と功利主義のはざま、あるいはニヒリズムと快楽主義のはざまでゆれ動くために生きているんじゃないかな そういうのが人間性じゃないのかな、ってのが俺の考えです。
理解できない未知の物事に不安や恐怖を覚えるのが直感に由来する反応なら、ピラミッドの先端って扱いは何となくわかる。
こう考えれば辻褄が合うよね!ってな具合に、状況証拠だけを頼りにして未知の物事を「理解可能な鋳型にねじ込む」のがいわゆる科学的アプローチなので、その結果として導出される科学的結論が科学以外の分野においても同じく真理であるのかどうかは科学的にさほど重要じゃないのかもしれないな。
自己言及のパラドックスは文字通り自己に言及した場合にのみ生じるものなので、何とも皮肉な話だけど「科学的結論の正しさはあくまで科学のみによって担保される」という感じで科学の外側からの目線で言及することで科学的な整合性を保つことはできると思う。 つまり「科学を信じれば科学的には辻褄が合う、なので信じます」ってのは科学を信じる科学的根拠として機能してるかと。
>> 33
う~ん実に興味深い。
年代史家ナリベーネによれば、科学に夢中であったフリードリヒ2世はいくつかの実験で同時代人を仰天させている。たとえば、皇帝は乳母など育児にたずさわる者に命じて、授乳している赤子に向かってなにもしゃべらせないようにさせた。生まれた子どもがまず何語をしゃべるのか知るためである。アダムから授かった言語であるヘブライ語か、あるいはギリシア語、ラテン語、アラビア語なのか、それとも母語なのか。しかし実験されたすべての子どもは死んでしまった。 フランソワ・トレモリエール・カトリーヌ・リシ編『ラルース 図説 世界史人物百科 Ⅰ 古代ー中世』(原書房、2004)
年代史家ナリベーネによれば、科学に夢中であったフリードリヒ2世はいくつかの実験で同時代人を仰天させている。たとえば、皇帝は乳母など育児にたずさわる者に命じて、授乳している赤子に向かってなにもしゃべらせないようにさせた。生まれた子どもがまず何語をしゃべるのか知るためである。アダムから授かった言語であるヘブライ語か、あるいはギリシア語、ラテン語、アラビア語なのか、それとも母語なのか。しかし実験されたすべての子どもは死んでしまった。
フランソワ・トレモリエール・カトリーヌ・リシ編『ラルース 図説 世界史人物百科 Ⅰ 古代ー中世』(原書房、2004)
残酷だけどなぜ死んじゃったのか気になるね。 そもそも一部の人たちから愛情とかふれあい不足が原因と考えられていることがいまいち腑に落ちない。 世界を分節するための機能が備わっていると仮定して、そこに言語の表出がなされなかったことが死因なのか? 「発話障害」とはまた違うしね。彼らは少なくとも言語による理解(読み書き)はできているはずだから。 >> 32で言うところの強迫観念がないと生きようとする欲求を喪失して物理的な影響を及ぼすってことなのかな。 結果から見ればそういうふうにしか俺は考察できんな。
>> 34
科学は必ず一定の仮定より出発するが,哲学はその仮定の成立根拠を問う
いや必ずしもそうではないよ。 科学がある仮定を科学的方法で検証するのに対して、哲学はそれを記述によって行う。 たとえばプラトン哲学で言えば、「もの」には「イデア」と呼ばれる概念(魂のようなもの)が宿っており、その住処である霊界が存在していることを仮定していて、その断片による再現性を与えられることこそ「学習」なのだ、と説かれている。
そもそも、「一定の仮定より出発する」って、最初の哲学者と呼ばれてるタレスの時代からすでに行われてるよ。 「万物の根源は水である」って言葉は有名だと思うけど、これはとどのつまり「世界は神がつくった」という説の否定(仮定)だからね。 そのために「水」を物質として扱い始めたのが自然哲学の始まりだから。
そして、その「物質」に「魂」のようなもの(イデア)があるんやで😄 と、したり顔で観念論を押し付けてきたプラトンに対し… タレスの自然哲学をアップデート(つまり現代で言うところの「物理学」)しようとしたプラトンの弟子であるアリストテレスが
「なにいってんだこいつ」
と心の中で言い放ったと噂されている絵が コレでしょうよ。
だから俺は尋ねたいわけだ。 物理信仰の現実主義者がそれを選択することに科学的な理由があんのか?と。
「脳にも魂が宿っている」 「思考を生き物だと仮定する」 「赤ちゃんのみんなはどう行動すれば、正しいのだろうかという直感で動いてる」
先行研究も提示せずに科学的根拠があるってどういうことですか。 俺に「なにいってんだこいつ」って言わせないでくれ。
お前がやってるのは単なる形而上学、というか程度の低い妄想の類だよ。 別にここは哲学トピックだからあれこれ思索を深めるのはいいんだけど、「思考がピラミッド」とか「直感は無意識が軸」とか意味不明だから他人にもわかるように説明してみ。 野良や詠み人知らずがやってるみたいに自分の考えていることをちゃんと言語化する努力をしましょう。
「人からの教え込み」とやらから逸脱するイレギュラーについても既出というか>> 31で回収済みだし(なんなら俺があえて明確に書かなくてもここの参加者の大半は想定済みの意見だと思うけど…)もっとしっかりしてくれ。マジ頼むわ。
こんなことで大騒ぎ。こんなもんより種子法廃止の方が何十倍もヤバかったのにね もう遅いよマスコミにも触れられず今年4月にスピード可決された
もうおしまい
マズ宇宙の果てはどうなっているのか論からスタートしなぜ存在は存在するのか論を通り越しそこからようやくのようやく現実か夢かのテーマに回帰していくことをオススメしたいと思いましたまる
この件って論点バラバラになっちゃっててどれから手付けて良いかそもそも分からないし、そもそも自分詳しい事あまり知らないんで誰かにパス。
もし死後の世界が確認されたら 死に際の言葉は「さようなら」ではなく「いってきます」になって MMORPGからログアウトするような感覚で自殺する人が急増したりするかもな。
これ無理くね?
Yは10より大きくなければいけないけど、それだと面積9が求まらない。
お手上げです。
>> 294
芸能人が政治的発言をすること自体を規制しろとは思いません。
しかし発言には明確な責任が発生する仕組みが必要だと思います。
極端な話、ビートたけし級の著名人が「竹島は韓国の領土だ」と発言すれば、韓国にも利用され国益を損ないます。
そうなったとしてもビートたけしは私人であり、思想の自由も言論の自由も保障されているわけですから法的には何の問題もありません。
社会的に叩かれるだけです。
そして考察したいのはこの「社会的制裁」についてです。
法的に問題点はなく、ただ与えられた権利を行使しただけのビートたけしに社会的制裁を与えれば、その行為は決して正当化できません。
もちろん発言自体を"批判"することはできますが、芸能人という職業柄、批判の声が高まれば番組への出演が取り消されたり、活動自粛へと追い込まれたりと、どうしても社会的制裁へと繋がっていきます。
この状態は果たして健全と言えるでしょうか。
私は不健全だと思います。
何も悪いことをしていないビートたけしが制裁を受けるのはおかしい。
しかし制裁はうけるべきです。
この矛盾した状態を解決するためにも、社会的制裁に根拠を与える、すなわち責任の明確化が必要だと思います。
もちろん、最初はバカ正直に計算して
この問題の答えは96だって言おうと思ったよ。
けど、それだと右上の長方形の面積が99になるからおかしいことに気付いたんだよ…。
問題の前提がおかしいってことで、いいよな?
どうせ、もっと厳密におかしい理屈を説明しないと正解にならないんだろうけど…
「惜しい!」とか言って「実はこういうカラクリなのだ!」とか嬉嬉として説明してくるナチュラルのドヤ顔を思い浮かべると
死ぬほど不快すごく素敵なので寝るわおやすみ※追記
ラベルつけました。
面白い問題っていうかおかしい問題だね
イラストからは
x-4>y
x=2y-6
が導き出せる。
上の式のxに2y-6を代入して整理すると
y>10が得られる。
で、灰色の部分の面積をyを使った方程式で表すと、
y×(y-8)=9
これを解くと、
y=-1、9
y>10と矛盾してる。
おかしいよな?
俺のやり方がおかしいのか問題がおかしいのか、答えに期待。
初音ミクの中で好きな曲をいくつか。
はい、なんかちょっとトラブっちゃいました。すいません。
まだあんまりシステム理解できてないんです。すいません。
気を取り直して記念すべき1問目。
ネットから拾ってきたものだから見たことある人いるかもしれないけど、個人的に面白い問題だと思ったので選びました。
灰色の部分の面積が9になるとき、長方形ABCDの面積を求めてください。
解答はまた後で載せます。
あれ?
ログインしていたはずなのに....。
歌はないし、どっちかといえば動画作品かもしれませんが
指で生物の進化と人間社会を表現してるのが面白いなと思ったので共有します。
この人の作品はどれもすごく独特な表現でおもしろいんですけど、見る人によっては気味悪く感じるかもしれないので注意です。
よみ人さんにこころを詠まれてしまいましたが、分家だからか、一部間違っています。
一応ことわっておきますが、要望をおくっているのは、CAPCOMではなく、コーエーです。
たとえば、『戦国無双』なんかは戦国時代をモチーフにしていることもあって、人殺しをしています。
でもそれは、そういうゲームです。
そのゲームをやっているからと言って、本当に人殺しがしたいわけではないでしょうし
誰もその人が総理大臣を討ち取って天下を取るなんて思わないでしょう。
後田さんの言うように、本来の喧嘩は、相手を潰して優越感に浸るものだったかもしれませんが
江戸時代、明治維新をむかえた令和では、それをモチーフにしたゲームが主流なんです。
もちろん、ストーリーの中では争うこともあるでしょうけど、それはあくまでもそういうストーリーなんです。
別のストーリーでは織田信長と明智光秀が本能寺で共闘します。
その方が面白いと思いませんか。
>> 1
生活保護を貰う事が幸福か…
まるで悲鳴だな。
人は皆、生まれてから限られた幸福をつかみ取る勝負をしている。
貴様は恐れているんだ!
この勝負からな。
勝負を諦め、余り物の餌に縋る虫ケラと同じ。
本当は分かってるはずだ。
もっと上の世界がある事にな。
貴様は生まれてから何度諦めてきた、世間はおまえらくずの決心をいつまでも待ったりはせん!
一生迷ってろ、そしてチャンスを失い続けろ
ひっしに勉強したわけでもなく、懸命に働いたわけでもなく、何も絶えず何も乗り越えず
ただだらだら過ごしてきたような人間に簡単に幸福が手に入るか!
お前らのような積み重ねていない人間がそれでも幸福を手に入れたい、それも短時間でというのなら
これはもうとどのつまり、命を張る以外ない!
>> 3
私は過失川ひろゆきです。
どうして私がれれれさんだと思ったのですか?
はじめまして、後田マサシさん。
初対面で突然こんなこと言うと戸惑うかと思いますが、実はわたくし超能力者の家系の生まれでして。
(とはいっても分家ですので、宗家の方々ほど強力な能力は持っていないのですが・・・)
このたび、超能力協会にて正当な手続きを済ませたのちダイゴキネシスでトピ主さんの心を読んでみました。
どうやらトピ主さんが本当に言いたかった言葉は
相手を潰して優越感にひたる「だけ」ではない
・・・という言葉のようです。
確かに、後田さんがおっしゃるように口論の目的はおおむね相手を潰して優越感に浸ることです。
「さまざまな価値観を持つ人たちが、自由な発想で、相手の知らないことや、発言から連想する言葉を並べる」というのはそれだけで1つのコンテンツとして成立しており、そこにわざわざ「説得する」を追加する理由は相手を上回って優越感に浸るためです。我儘(わがまま)を押し通す力ッッッッ!!!!その力に心酔するためにッッッッ!!
例外として「どうしても譲れない主義主張が衝突してしまったとき」も相手の説得を試みる機会となりますが、全体的な頻度としては稀でしょう。
しかし、それ「だけ」ではないんですよ。
いま、わたくしの心にはダイゴキネシスで連結されたマインドシナジーを通してトピ主さんの熱い思いが次々と伝わってきています。感覚的には、ジャッキーチェンのモノマネをしてご本人に怒られたときの劇団ひとりの心境に似ています。
この非言語的な情報をうまく文章化できるかどうかは分かりませんが、「意見を見せあって終わり」と「説得を試みる」には大きな違いがあります。
自分の意見がどれくらいの強度なのかは外部から負荷をかけてみるまで判明しない、というのがその違いです。
アウフヘーベンという言葉を使ってしまうと途端にチンケな聞こえになってしまいますが、つまるところ「否定を含む他者からの説得的フィードバック」は推敲作業としての役割を果たすのです。
こういう実話があります。
CAPCOMは自社製格闘ゲームのヴァージョンアップや新作を開発するとき、格闘ゲームのプロゲーマーのみならずアクションゲームやシューティングゲーム、それどころか映画関係者などの全く異なる畑のエキスパートにも声をかけて、開発に携わってもらっています。
格闘ゲームに造詣のある人たちだけで制作するよりも完成度が高くなるという理由です。
「さまざまな価値観を持つ人たちが、自由な発想で、相手の知らないことや、発言から連想する言葉を並べる」という構図は、このCAPCOMの体制にとても似ていると思いませんか?
口論の主目的が相手を圧倒して優越感に浸ることであったとしても、自らの意見の強度測定や新たな改善点の発見など、副次的な効果は見込めるわけです。
トピ主さんの心を読んだ結果、CAPCOM公式twitterアカウントに要望を送りまくってることが判明したわけですが
その思いが制作チームに届くことを祈りつつ筆を擱かせていただきます。
九拝
逆に聞きますけど、なぜ喧嘩が相手を潰して、優越感にひたるものではないと思うんですか?
と言いますが、どうして相手を説得する必要があるのですか?
個々人が自由な発想で様々な価値観を背景に交流することは、それ自体が娯楽として成立し得るわけですよね。
その上でなぜ、その先に説得するというゴールを設定しているのですか?
説得する、言い負かす、相手に反論の余地を与えなかった先にはなにがあるのだと思いますか?
根本的に勘違いしていそうなので言いますが、喧嘩はどこまで行っても相手を潰して、優越感にひたる為のものですよ。
ただその潰し方にセンスがあるか、周りが引かないか、笑っていられるのか、潰すという明らかに幼稚な行為でありながらも支持を受けられるのか、というのがこの遊びのポイントなわけです。
そのために、ある人は自分の立場を正当化しようとロジカルであることにこだわったり、説得力をもたせるために難解な思想を入れ込んだり、周りに支持されやすいようユーモアのあるフレーズを入れ込んだりするのであって、
これはそれ自体が目的なのではなくて、あくまでそれをすることで、相手を潰すという幼稚な行為を取っている側が支持される余地を作っているにすぎないんですよ。
個人情報を晒して人生を破壊して潰すという方法が取られていないのは、単純にそれが取れないほど匿名化されているとか、もしくは相手からも逆に晒されるリスクがあるからしないとかっていう理由もあるんでしょうが、
もっと本質的なことを言えばそれが支持されない、笑い事にならない、ドン引きする、つまり潰しにかかっている側が逆に批判される可能性があるからやってないだけでしょう。
もしここが、相手を潰しさえすればそれでいい、誰かが潰れていく様を見るのがそもそも楽しいのだという価値観の跋扈したコミュニティなら当たり前ですが晒し合いは横行しますよ。なんせやってることは喧嘩なわけですから。
芸能人であろうが無かろうが、影響力のある人間が何かしら発信するときは、
その影響力故に批判も浴びるのだろうし、そういう意味で慎重な発言が必要なことには間違いないと思う。
ただそれは芸能人の目線に立ったときの話で、
もし影響力のある人物の発言だからと考えもなく受け入れる人間がいるなら、それは単にその人が愚かなだけでしょう。
影響力があるのだから発言を控えてくれ、なんてことは他人の言うこっちゃないということですね。
そもそも芸能人の政治活動なんて昔からいくらでもあるわけで、
それが今更になって批判されている意味が分からないし、そっちのほうがむしろ疑問に思うポイントだね。
>> 294の言うように、民間人が政治的活動を行うことに対する無理解と法整備不足が原因なのかな?
もちろんそういう側面もあるとは思うが、それ以上に今の政治が反知性主義を中心に回ってるが故に、
なおさら芸能人の影響力なるものに言及した上で批判されているのではないかとも思ったりするが。
「政治家や官僚ではない民間人が政治的影響を及ぼすことを目的として行う私的活動」をロビー活動と呼びますが
ロビー活動の本場アメリカでは、ロビイストとして活動する人に対してわいろ授受などの腐敗を防ぐため登録を済ませることが義務付けられており、活動を開示させる法律も施かれています。
実際にアメリカの政治は「ロビー活動ありき」で行われています。団体の利益のためだけに行われるロビー活動はもちろん批判されますが、何らかの公益と抱き合わせることでWin-Winの関係を築き、議会側もロビイストの求心力に便乗して票を得るという構造です。
全米ライフル協会(NRA)なんかはその最たる例でしょう。
アメリカが抱えるこの構造の裏には「他国企業の侵略的な国内進出から国益を守る」という目的も含まれています。
まぁ言ってしまえば中国系のロビー能力(政治的圧力の強さ)が余りにもすさまじいわけで。
だからといって「ロビー活動(意見の陳情)そのものを禁止」とすると実質的な独裁になってしまうからそれもできない、なのでいっそのこと他国のロビイストの活動も含めて法令で制定しておこう・・・というのがアメリカ政治の構想です。
ワシントンにはNRAのみならず中国系をはじめとした各国のロビー団体が山ほど在籍しています。
対する日本では、ロビー活動は(少なくとも表面上では)あまり活発に行われておらず(裏ではやりまくってるが)、法律面でも後進的なわけです。日本風に言うところの「根まわし」ってやつの民間版です。うさんくさいでしょ?w
柴崎コウ氏がいずれかの企業や団体から依頼を受けてロビー活動を行ったのかどうかは別問題として、その行為に対してネガティブで批判的な声が多く上がる一因として、法整備と認知のどちらも足りていない(裏でやりまくってる)という点は大いにあるかと思います。
政治家と民間人という垣根を越えて「こういうルールがあれば(なければ)社会はもっと良くなるのでは?」と声をあげルール作りに積極的に関わっていくことが民主主義的にとても重要なのは言うまでもないことです。
芸能人や俳優などの有名な民間人が自由に政治的発言を発信できる社会こそ本来あるべき理想的な社会だと思います。
どちらがクリーンかは一目瞭然でしょう。
「日本の方針を決めるために日本人が話し合う」という時代はとっくに過ぎ去っています。
他国の政治的圧力に押しつぶされずに済むように、日本のロビー活動能力をもっと養っていくべきだと思います。
【政治問題に対する芸能人の発言について】
芸能人が政治問題に言及することの是非がここ最近活発に議論されています。
もともと外国に比べると日本の芸能人は政治的発言をすることが少ないと言われておりますが、ついこの前の「警察庁法改正案」に対しては多くの芸能人がSNS等で反対意見を表明しておりました。
普段はおとなしい日本の芸能人たちが、なぜ今回に限りこうも揃って反対意見を表明するに至ったのかについては疑問の残るところですが、それはさておき、発言のかいあってか法案は可決とならず、芸能人にとってはさぞ華々しい成功体験となったことでしょう。
また更に、警察庁法案やコロナの陰に隠れて>> 292でおむすびさんが言っているように「種苗法改正」が廃案となりました。
今回このきっかけといっても過言ではないのが、柴崎コウさんによるツイートです。
種苗法改正について柴崎コウさんが反対意見を表明され、それが広く拡散したことの影響は大いにあるでしょう。
(※その後批判を受けた柴崎さんはツイートを削除しています)
以上2つの例に鑑みても、芸能人の発言力・影響力は一般人のそれとは比べ物にならないほど大きく、またそれが意見の発信に伴い否定的にみられる要因でもあります。
ここで皆さんに考えてほしいのは、「芸能人の政治的発信は積極的であるべきか」という点について、憲法上、経済的、道徳的、などなど複合的な見地から勘案し、一つの結論に到達してほしいと思います。
ではよろしくお願いします。
トリップに含まれるのかどうか微妙だけど
ライフハック的な感じで読んでもらえると幸いです。
ルーティンによる刷り込みトリップ
🔸強度:1~2
そもそもルーティン自体が暗示によって精神状態を意図的に再現する効果なので、ほとんどの場合において強度は低めになりがち。俺は未体験だけど、刷り込みに用いる体験によっては3以上も見込めるかもしれない。
(例えばPTSDなんかは強度5の刷り込みトリップと言えなくもない)
🔸持続性:1~2
ルーティン実行後の周辺環境に左右される。
簡単に言ってしまえば、他の要素によってトリップ状態が上書きされやすい。
🔸入手性:4~5
何も使わなくても出来るけど、体感的には何か使ったほうが強度と持続性(と再現性)を高めやすい。
場所によっては使えない小道具もあるので注意。
🔸難易度:4~5
刷り込みの精度を高める期間および元となる「別のトリップ体験」が必要なので難易度は高め。
何らかの手段で集中したりリラックスしたりトリップできているときに特定の所作をおこなう。
これを日常的に継続する(ルーティン化する)ことにより、体験と所作を関連付けて自分に刷り込んでいく。
🔸リスク:1
「変顔をして心を落ち着かせる」みたいなルーティンを編み出して人前で実践したりしない限りはノーリスク。
レポート
具体例として、俺が実践済みのルーティンを踏まえて紹介しておきます。
俺の場合は「両手を上にあげて伸び」をしてるけど、上唇を舐めるとか別の所作でもいい。
なるべく意識せずにできる所作ならそれでOK。
集中とリラックスあるいはアッパーとダウナーのような異なる性質のトリップにはそれぞれ別の所作を振り分けたほうがいい。俺の場合は各種の精神状態を「リラックス」「集中」「それ以外(達成感や興奮など)」の3つに分類したうえで、リラックスと集中のみに絞って実践しています。
注意点その2
「リラックスしたとき拳をグッと握る」みたいな組み合わせにもし違和感を覚えるようなら、その組み合わせは成功しづらいと思われる。あくまで暗示なので、自分を納得させやすい組み合わせのほうがいい。逆に違和感がないなら前述した組み合わせで何も問題ない。
それが俺です。
はい、というわけで始まりました。
題して、「幸せとは何か」。
今回は精神医学界の権威であらせられる過失川先生をパネリストにお迎えして、このトピックを進めて参りたいと思います。
さっそくですが先生。
「幸せ」とはなんでしょう?
人々は常に「幸福」を求めますが、それがかえって「不幸」に陥ることになる事例も少なくないように思います。
『幸福の経済学』でお馴染みの経済学者リチャード・レイヤードは、「幸福」に影響を与える7つの要因をビッグセブンと呼び、人は「幸福であると同時に不幸である」と考えました。
<幸福に影響を与える7大要素(Big Seven)>
(1)家族関係
(2)家計の状況
(3)雇用状況
(4)コミュニティと友人
(5)健康
(6)個人の自由
(7)個人の価値観
たとえば、「お金持ち」であったとしても、「孤独である」といったように、「幸せか否か」というテーマの結論には多面性があるということです。
その点、過失川先生はどのようにお考えでしょうか?
もちろん、私たちが属している社会制度や貧富の差といった問題もあるでしょう。
しかし今回は、そういった外的要因が影響与える精神構造の本質(エピクロスも言っているような「心の健康」)について、精神医学の観点から「幸せ」に関する意見を述べていただきたいと思います。
では先生、よろしくお願いいたします。
それなりに推敲したつもりだったけどトピックの頭に書いたテンプレートの部分で訂正箇所が見つかったので直します。
具体的には、入手性のところで、入手性の高いものほど評点が低くなるという問題がありました。
これに伴って自分で書いたレポートも直します。(すでにこれを見ている人からすると直しました)
この書き込み以前にレポートを書いてくれた方、すみませんでした。
>> 2
なんでれれれのアカウントで書かないの?
面白いと言ってくれる人がいるので、今度はなんの摂取も伴わないトリップ体験についてレポートしていく。
【名称】馬連10万円トリップ
【強度】4
湧き上がる興奮と万能感が抑えられない。
思わず立ち上がってフラフラと歩き出してしまうような強烈なトリップである。
【持続性】3
まず10万円を獲得したその瞬間に強烈な興奮が湧き上がる。
その後、数十分ほどは万能感を感じ続ける状態が持続する。
【入手性】2~3
このトリップは競馬というギャンブルによってもたらされるものなので、まずギャンブルに勝つ必要がある。
その点で予算と準備が必要であり、10万円程度の配当を得るには負けるレースも含めて数万円単位での投機が必要である。
なお、当然ながら不確定要素があり、入手の再現性は低い。
【難易度】3~4
競馬というものは(特に中央競馬は)毎週土日に開催されており、ここで開催されるレースに出走する馬はその週の木曜夕方に発表される。
つまり木曜夕方以降、予想という形で準備を行う必要がある。
ただし10万円単位の配当を得た場合、多くの人間は興奮状態に陥ると思われるので、当たりさえすればトリップは容易である。
【リスク】4
昨今社会問題化しているギャンブル依存症に陥る危険性がある。
【レポート】
上でも書いたとおり、このトリップは競馬で10万円勝つことで体験可能なものである。
また、特にこの10万円という数字については、累計の勝ち分という意味ではなく、
1レース、1回のベットに対する勝ち分として10万円という配当を手にするという点が重要である。
なお、当然ながら勝ち分は多ければ多いほどトリップの強度と持続性を高めるものと考えられる。
今回のトリップは今年の4月19日に開催された皐月賞において体験したものだ。
競馬をしない人のために説明すると、皐月賞というのは毎年4月の第3日曜日に開催されるレースで、馬齢が3歳の競走馬のみ出走するレースである。
筆者はこのレースにおいて馬連という券種(1着と2着でゴールする馬を順不同で当てる)で、更に1点のみに対し2万円ベットした。
競馬で馬券を購入する場合、大抵の馬券購入者は複数の券種に対して複数点ベットする。
例えば、先にあげた馬連という券種とは別にワイドという券種(1,2,3着でゴールする馬の内2頭を順不同で当てる)にベットするなどしてベットの対象を分散させる。
あるいは券種は馬連のみであったとしても、1番~18番の番号が割り振られた馬に対して馬連1-2と1-3の2点に投票するなど、これらの”分散投資”は言うなれば馬券購入におけるセオリーである。
しかし、筆者はあえて今回そのセオリーを採らなかった。なぜならば、このレースの予想に対して絶対の自信を持っていたからである。
ちなみに、馬券購入者というのは同じ場に集まると各々がなにを買ったのか報告し合う習性がある。筆者も同様にこのセオリー無視の1点勝負を競馬仲間に報告した。
するとどういうことが起こるだろうか。「当たるといいね」などという生易しい言葉がかけられることはまず無い。
「なんで?」「嘘でしょ」「バカじゃん」という反応。自分の予想が支持されないのだ。つまりアウェーだった。
レースが始まる瞬間まで本当にこれでいいのだろうかという問いが生じ続ける。
ここでセオリーを無視するのであれば今まで自分がやってきたことはなんだったのだろうかという疑問。仲間に支持されないことによる不安も積み重ねられていく。
ではここから、具体的にレースに勝った瞬間、トリップのその瞬間についてレポートする。
まず、レースはどんなに長くとも3分ほどで終わる。ゲートが開いて、馬が飛び出してから3分である。
その3分間で、特に今回の場合は「全てが思い通りに回っている」という万能感が生じた。出走している全ての馬が、自分が事前に予想した通りに走っていたからだ。
馬が1完歩ずつストライドする度に、レース前に感じていた疑問が着実に確信に変わっていく。「お前は正しい」と天から言われているような感覚が湧き上がってくる。
ゲートから1コーナーまでの間、4コーナーを回って最後の直線に至るまで、万能感で満たされ続ける。
レースは予想通りの着順となった。走り疲れた馬が首を上下させながら強く息を吐いている。
体内で何かが暴れ出すような興奮が湧き上がり、しびれのようなものが体の先を這い回る。そして、それらがまた体内に収束し脳天を貫く。
それから、13万2000円という額を噛みしめる。多幸感に溢れる脳内で13万2000円分のありとあらゆる娯楽がスライドショーのように映し出される......。
以上がトリップの瞬間のレポートである。
なおこのトリップのあとはレース中にあった万能感が余韻として数十分程度残り、無性に金を使いたくなるので注意が必要である。
【名称】ホワイトノイズ
【強度】2
時間が経つにつれてカラフルのもやが視界を覆ってきた。
集中力の高まりを自覚できた。
【持続性】2
数分間で幻覚はなくなり、もとの視界に戻った。
【入手性】1
推奨サイトによると特製のアイマスクを準備する必要があるがマスクで代用できた。
イヤホンもノイズキャンセリング機能付きが推奨されているがなくても問題ないと思われる。
私はノイズキャンセリング機能があるイヤホンを使用した。
【リスク】1
精神的・肉体的悪影響は無いように思われる。
【レポート】
ネットでトリップを調べたところ、手間をかけずにできそうなものがあったのでやってみることにした。
ベッドに横たわり、マスクで顔を覆い、air pods proを装着し、youtubeでホワイトノイズを再生。
この時、照明の明るさは最も明るい状態にした。
開始直後、心地よいとは思わないノイズが耳を支配し、視界は鮮明で白い世界が広がっていた。
体感で10分ほど経過したところで、集中力の高まりを自覚した。
視界は変わらずに白いが、それがマスク越しの照明ではなく、純白の世界にいるような感覚にとらわれる。
それからしばらくすると音の感じ方も変わり、滑走路を走る飛行機の轟音のようにうるさく感じていたものが、滝壺に落ちる水の音のように心地よく感じられた。
と同時に白一面だった視界に、桃色、きいろ、だいだい色、水色、といったカラフルなもやのようなものが広がりだした。
ここで一種の感動が覚えられ、恥ずかしい話リビドー(笑)のようなものに支配される感覚に陥った。
その状態が数分続いたあと、カラフルなもやがさっと引いていき、白一面の世界へともどった。
マスクを外し音楽をとめ、恍惚を瞳に宿し、初トリップは終了した。
生活保護を受けるのには、厳しい条件があります。
もし、天使さんの話が本当ならば貯金0です。
生活に制限かかり、欲しいものも買えない。
こんな生活に幸福を感じるでしょうか?
私は感じません。負け組の生活ですよ。
【名称】地元のローソンのアイスカフェラテ(ガムシロップ一個入り)
【強度】5
最近は頻度が減ったものの、一時期は週8日のペースで注文していた店頭メニュー。
正式なサービス名称は「マチカフェ」であり、大手コンビニのセブンイレブンやファミリーマートなど含めて今では大半のコンビニが類似したサービスを提供している。
コンビニにおけるコーヒーマシーンを使ったコーヒー類の販売をはじめて利用したのはセブンイレブンの「セブンカフェ」(アイスコーヒーのSサイズを注文。原始人のように訝しいおろおろとした態度でボタンを押し、出てきた黒い液体に感動する)であったが、近年では経費削減のためか標準装備されていたストローがない(カップのフタに飲み口を搭載したものを導入)という点でやや味の質が落ちていると考えられる。
また、ファミリーマートの「ファミマカフェ」では、他のコンビニに比べて商品のバリエーションが豊富である。
特に「アイス抹茶ラテ」は口当たりもよく商品設計のクオリティで言えば間違いなく一番だろう。
ただし、スタバですら高いと感じている筆者にとっては少々コスパが悪い。
そこで個人的にはローソンのマチカフェを推している。
決定的に違うのは、基本的にセルフメニューである他のコンビニに反して、店員が入れてくれるという利便性の高さだろう。
これは、自分でやるのがめんどくさいと常々考えている怠け者にとって、まさしくコンビニの利点を十二分に発揮したサービスと言える。
しかも、地元のローソンにおいては、従業員への教育がこれでもかというほどに行き届いており、なおかつトイレを含めた店内が清潔感にあふれているという点が評価できる。
さらに、毎朝ほとんどの確率でシフトに入っていると思われる女の子の店員が美しい。
極めつけは、レジ業務での安定したスピード感である。
一切の焦りを見せることなく、こちらが煩わしいと思う前に手を打つキビキビとした動きは、同じ社会人として自分が恥ずかしくなってくるレベルの接客である。
毎朝笑顔でしっかりと「おはようございます」と声をかけつつ、時によっては二言三言の何気ない談笑を交えるあたりも加算して100点である。
「よし、今日も頑張ろう」
そういう気に思わずさせてくれる、彼女たちの仕事ぶりにリスペクトを込めて、第一位とさせていただきました。
カフェラテの美味しさは言わずもがな。
「ここはコーヒーショップなのか?」と疑いたくなる優良店員の絶妙な混ぜ加減にも注目したい。
【持続性】3
最近は人件費削減のためか、トッピングはセルフで、という店舗が多くなってしまった。
おかげで週3日の頻度になりました。
【入手性】4
ローソンはそこら中にあります。
【難易度】2
コンビニのほとんどはフランチャイズ。
したがって、各オーナーに店舗の具体的な運営方針が一任されている。
いい店舗に出会えるかどうかは、あなた次第です。
【リスク】0
>> 2>> 3
ありがとう。
まず、CBDのレポートを最初に放り込んでしまったことに、
トピックへの"引き"を意識した結果ではあるものの若干後悔している。
というのも、これでは誤解を生むかもしれないなと思ったからだ。
また、そもそも、このトピックの範疇としては本来それこそ筋トレだとか美食なんかによる認知の変容も一種のトリップとして扱っていて、実際その方が万人が試せる、共有されるトリップ体験として価値が高いと思っている。
ここで話に挙げると誰かのネタを消費しそうで少しもったいないが、最近話題になっているサウナで”整う”というのも一種のトリップ体験だ。
あるいは音楽を聴いて”トリップ”したことも人によってはあるだろう。
ロマンチックに言えば恋に落ちた体験なんかも一種のトリップを伴うかもしれない。
そう考えれば大抵の人間が、どこかのタイミングでなんらかのトリップを体験しているものだと思う。
ということで、もしこのトピックが面白いと感じてもらえたなら、是非そのトリップ体験をレポートしてほしい。
何か書きたいけど思い浮かぶ実体験が乏しい
おもしろいな
せっかく立てたトピックに誰も書き込まないというのは悲しいので、
早速レポートを記載する。
【名称】CBDトリップ
【強度】1~2
意識すれば僅かにリラックスしているような感じがする。
継続して使用することで効果が感じられるタイプのものらしいので、準備期間が足りなかった可能性はある。
【持続性】2~3
そもそもトリップの強度が弱いのでなんとも言えない部分はあるが、
数分~数十分程度は効果らしきものを感じられる。
【入手性】3
CBDは現状まあまあ高い。特に純度の高いワックス状のものについては1gで1万円近い値段がする。
舌下摂取するCBDオイルやグミなどは別だが、CBDを含むVAPE用のリキッドの場合は別途ヴェポライザーが必要なのでその分のコストがかさむ。
なお今回摂取したのはワックスだが、ワックスの場合は専用のヴェポライザーが必要なので、すでにVAPEを持っている人でも追加で買う必要がある。
【難易度】3~4
人によって効果がかなり変わるらしい。というのも普段から酒やタバコを嗜む人には作用が弱まるらしい。
というわけで本気で効果を感じようと思ったら数日程度の禁酒・禁煙は必須だと思われる。
また、習慣的に使用することで効果が感じやすくなるらしいので、その分も準備が必要だろう。
俗に言うセッティングなどは特に必要ない模様。
【リスク】3
CBD自体、大麻草から抽出しているものなのでその分のイメージの悪さは間違いなくある。
よって、そういったものにある程度理解がある人でなければ誤解を生じさせるものではあるだろう。
また、健康被害についてもよく分かっていないところが多いのでリスクが高い。
特にCBD単体の健康被害に加えて、ヴェポライザーを利用する場合は、発生する蒸気による肺機能障害は懸念すべき点だと考える。
【レポート】
今回は、最近美容界隈でもよく話題になるCBDを試してみた。
その前にまずCBDについて説明しておく必要があるだろう。
CBDとは大麻草から抽出した物質で、これ自体は合法なものである。(2020/05/20現在)
ただしここらへんの法律は若干ややこしく、CBDを抽出するにあたって原材料となった麻がどのようなものであるのかによって取り扱いが変わったり、
あるいはCBDオイルとパッケージされていながらTHC(これは麻薬取締法の対象)が含有されているものが海外では流通していたりもするので、入手する際は信頼できる販売店を探す必要があるだろう。
CBDのもたらす作用は主にリラックス効果とされているが、どれほどの臨床試験が行われているのか明確ではない部分もあり(個人的にそこらへんの論文を読んでいるわけでもなく)ファジーな存在である。ちなみに抗酸化作用や抗炎症作用などもあるらしい。美容業界から注目されるのはここらへんの効果が期待されてのことだと思われる。
そんなCBDとはいえ、麻から抽出していることには変わりなく、何らかのトリップを期待してしまうのが人の性というものだろう。他聞に漏れず、高い金を払って体験してみることとした。
今回使用したのは1g中に680mgのCBDを含有するワックスで、量としては耳かき1杯程度なので0.1gに満たない量だと推測する。つまりCBDの摂取量としてはざっと0.07g程度ということになるだろう。
専用のヴェポライザーにCBDワックスを放り込んで熱する。蒸気がわずかにあがるので、それを一気に吸い込んで肺に溜める。そしてゆっくりと吐き出す。
まず、めちゃくちゃいい匂いがする。爽やかな中国茶のような匂いと少し青臭い草の匂いが混じったようである。
そして意識してみる。するとなんと.........なにも感じられない。せっかく1万近く払ってなにも感じないとはどういうことなのか。これぞガセネタというやつであろうか。
さらにワックスを追加して、熱し、吸い込み、そして強く意識する。もはや念じていると言ってもいいレベルだ。すると僅かに、ほんの僅かに、クタクタになって疲れたあとに熱いお茶をすすったときに感じられるような、フワッとしたリラックス感が感じられるではないか。
なるほど、CBDとはこういうものなのか。という妙な納得感が得られる。その後もワックスを追加していくが、感じられるのはどこまで行っても"熱いお茶"だけであった......。
以上をもって、これならば同じ値段で本当に中国茶を買って飲んだほうがマシだろう、というのがCBDに下した結論だ。
ちなみに今回のCBDは上野にあるVape屋で購入したものである。興味のある人は(20歳以上に限り)購入して試してみるのがよいだろう。少なくとも知的好奇心は満たされるはずである。
まず人間にとっての真の幸福とは一体なんなのかを考える。
幸福とは何か?
地位や名誉、金・・・etc.
考え出したらきりがなく、そしてそれらは上限・下限に際限がないものなのである。
それらを目指す人間の幸福はいわゆる「自己実現」である。
更にその先の地位、名誉、金を手にした人間が行き着く先は「精神的充足」なのだ。
地位名誉・金では得ることのできない更に先の高次元の幸福は「宗教」や「ドラッグ」といった精神世界に干渉する領域に話が進むのである。
著名人が宗教やドラッグにのめり込む話をよく耳にするのはそういった理由からであろう。
私は「自己実現」を達成するために学生時代から勉学やスポーツに励み、自身に課した目標を成し遂げ自己実現を成し遂げた。
学歴も社会的地位も信用もあり、競争から落ちこぼれたクソカス共(笑)からしたら、いわゆる勝ち組だろう。
だがしかし、ここである事に気付く。
クソカス共(笑)が遊び呆けている間に己を律し勉学・スポーツに励んだ先に待ち受けていたものは社畜生活だった。
人間的魅力に欠け、全く尊敬できない上司や先輩に囲まれ、そいつらの機嫌をとらなければ出世は見えてこない。
休みは少なく時間に追われるストレスフルな生活。
あえて言おう。
「私はこんな生活を得るために努力をしてきたのではない」と!
努力人は一生努力し続けなければならないシステムに日本はなっている。
逆に考えてみる。
つ ま り
「努力しない人間は一生努力しなくてもよい」ということなのだ!
自己研鑽をしてきた先に待ち受けるストレスフルな社会人生活。
こんなバカバカしい話はない!
ならば「努力しないための努力」が必要だ!
”幸福”はそこにある。断言しよう!
私はそのことに気付いた翌日に会社を辞めたwww
そして、辞表を出した帰り足で精神科に駆け込み、ハリウッド俳優ばりの演技で鬱病の診断書をGETしたのである。
私の第二の人生はここから始まった!
私と同じ慶●大学卒の夫とは離婚し、私は見事母子家庭となり、公営住宅への入居がすぐさま決定した。
夫も私同様鬱病の診断書を取得し、見事夫婦揃って「生活保護」を得ることに成功したのである。
私と夫は離婚しているが、夫が借りた生活保護用貧乏アパートは事実上の物置とし、平常はの公営住宅で生活を送った。
それは自堕落の結晶のような生活だった。
なんせ何時に起きてもいいし、明日のことなど考える必要もないv(´∀`)v
24時間365日が夏休み状態!酒・タバコ・ギャンブル・SEXに明け暮れる最高の日々である。
勝手に金は入ってくるから、鬱病のふりして好き勝手し放題だ!
人間関係に悩まされることないストレスと無縁の桃源郷がそこに在った!
だから幸福をつかむためのキャリア形成は鬱病になることだと知った。
学生時代、私は遊び呆けている奴等を嘲笑った。彼らをバカだと思っていた。
しかし、実際バカだったのは私の方だった・・・。
彼らは遊び呆けることで生活保護などを取得するためのキャリア形成を当時からしていたのだ!
私が既成概念にとらわれ、テストや部活動で良い成績を残すことに夢中になっていた時、彼らは”福祉”という甘美なる蜜を手にするために、遊び、本能の赴くままにSEXに明け暮れ子供を産み増やし、酒に溺れることをしていた!
そしてそれが”勝利への真のキャリア形成”だったのだ!
ストレスを蓄積し、自我を抑止し、その結果手にしたものが自由の全くない社畜さながらの社会人という地位。
ところが彼らは常に自由でいた。そして今も、これからも・・・。
人の本来あるべき姿は”自由”だったのだ。
既成概念にとらわれることなく自由でいることが幸福の原点であったことをいつしか忘れていた。
そして私も自由を勝ち取った。鬱病になるための努力・生活保護をえるための努力が本当の意味での努力であって、勉強や運動で得られる他者への優越感とは比較にならない充足感をこの身に感じることが出来た。
赤子のようにストレスのない自由な生。それが人間の本来在るべき姿だった。
エデンにおいて禁断の果実を食べたイブ(人間)が知性を得た代償に原罪を背負い、生への幸福を失った。
私は禁断の果実の呪縛から解き放たれた!私に恐れるものは何もない!
思うがままにネット・ポケモン・読書に明け暮れようではないか。
当然・・・
お前等”既成概念に縛られた敗者共”の納めた税金でな
アハハハハハハ😄
俺、野村宏一は、某私立中学校に通う中学3年生。
他人と違うことと言えば、「自分の前世を明確に覚えていること」。
前世での名は三島謙治。生きていれば40をとうに過ぎだったはずだが、15年前に交通事故で死んでしまい、奇しくも幼なじみの野村健一朗の息子として生まれ変わってしまったのだった。この事実を知っているのは"父母"である健一朗と則子のみ。
幼なじみとは言え所詮は他人。明確に「三島謙治」としての意思や歴史を持っている宏一は、健一朗と則子の実の子供といえど、明らかに"異物"であった。
自分の家なのに、自分の家族なのに、まるで他人の家に転がり込んでいるような居心地の悪さ。生前にほとんど面識の無かった則子のことを、「お母さん」と呼んだことは一度もない。そして、母親の強い希望があって生まれた年の小さな妹。
何のために生きているのか、どうして生まれてきたのか、なんのために存在しているのか。ふとした瞬間に沸き上がってくる、"恐れ"にも似た自問自答。そしてやり場のない"怒り"。
ストレス解消のために、学校に行けば気にくわないヤツをイジメ抜く。自分の行動によって他人が不幸になっているのが愉快でしょうがない。「俺は他人をどうにかすることができるんだ」という優越感。
時に狂いそうになりながらも毎日を生きている中、通りすがりの電柱に落書きに目を留める。
「変えられない事実を受け入れる力を、私に下さい」。
宏一は、この言葉にハッとする。俺にもそんな力があるのだろうか。そんな力が欲しい。もがき続ける宏一。
やがて宏一は、生きるヒントを探るべく、前世である「三島謙治」の軌跡を辿ることにした。旧友とのコネクションを作ってもらうべく、夕食の際に健一朗にその案を話すと、健一朗は頑なにそれを却下した。
「お前は"野村宏一"だ。むかしのことを探っても前には進めない。余計なことはするな」
健一朗に期待できない宏一は、独自に旧友をあたり、生前に付き合っていた彼女である"涼子"が、三島謙治の亡き後、他の男性と家庭を持って近くに暮らしていることを知る。
涼子に息子がいるのを知った宏一は、それが自分の子供ではないのかと考えたがすぐにそれを脳裡で打ち消す。「未婚で子供を産んで他の男と結婚するなんてことは無いだろう。
ある日、宏一は涼子の息子の年齢を知る。涼子の息子は、三島謙治が生きていた時に作られた子供でしか有り得なかった。
「もしかして本当に俺の子供なのか」。興奮が収まらない宏一は毎日のように涼子の住む家の近くまで足を運び、やがて近くのスーパーマーケットで、涼子と夫、その夫にソックリな息子の姿を目にすることになる。
「どうして俺の子供のはずなのに、アイツにソックリな子供がいるんだ?」
事情を知っているであろう健一朗に問い糾す宏一。そして宏一が知った事実は、「涼子は三島謙治と付き合っていたとき既に、現在の夫の子供を身ごもっていた」ということ。
狂ったように騒ぐ宏一。自らの理不尽すぎる運命に対する怒り、怒り、怒り。
途轍もない"絶望"。もはや誰を信じることもできない、誰にも裏切られたくない、誰にも依存したくない。
誰とも関わりたくない。
これでも俺には、「変えられない事実を受け入れる力」が必要なのか。どうして俺を殺してくれなかったんだ、どうして俺はこの世に生まれてきたんだ。
宏一は、家を飛び出し、鉄路を走る列車に身を投じた。
享年、15歳。
次の輪廻転生、未定。
>> 29
トピック見落としてて質問ごと放置しちゃってたので、今更ながら答えておきます。
もう見てないかもしれないけど、野良さんごめんよ。
幅が広いテーマだと思うので、現時点では「否定はしない」としか答えられそうにないです。
快楽主義と一言でいっても、その中には自分の快楽を何よりも重視する考え方もあれば、最大多数の最大幸福を掲げる功利主義なんかも含まれてると思うんだけど
「そのどちらかに偏ってる生き方」はあまり肯定する気になれないかな。
このままだとトロッコが5人を轢き殺してしまう、進路を切り替えたら5人を救えるが別の1人を轢いてしまう
・・・みたいな道徳問題よく見かけるじゃないですか。
基本的にはレールを切り替えて5人を救うべきだと思います。あるいは、その5人全員が余命いくばくかの病人で別の1人が若い子供だったりしたら、子供を救うという選択は肯定します。
この辺はまさに最大多数の最大幸福に賛成です。
ただし
これを生き延びたら幸福な人生を歩めるであろう5人と「家族や友人などの自分にとって大切な人」のどちらか片方しか救えない、みたいなシチュエーションだったら、最大多数の最大幸福なんて無視して利己主義な判断を下しても仕方がないとも思います。
「人は何のために生きるのか?」という問いに答えるなら
利己主義と功利主義のはざま、あるいはニヒリズムと快楽主義のはざまでゆれ動くために生きているんじゃないかな
そういうのが人間性じゃないのかな、ってのが俺の考えです。
理解できない未知の物事に不安や恐怖を覚えるのが直感に由来する反応なら、ピラミッドの先端って扱いは何となくわかる。
こう考えれば辻褄が合うよね!ってな具合に、状況証拠だけを頼りにして未知の物事を「理解可能な鋳型にねじ込む」のがいわゆる科学的アプローチなので、その結果として導出される科学的結論が科学以外の分野においても同じく真理であるのかどうかは科学的にさほど重要じゃないのかもしれないな。
自己言及のパラドックスは文字通り自己に言及した場合にのみ生じるものなので、何とも皮肉な話だけど「科学的結論の正しさはあくまで科学のみによって担保される」という感じで科学の外側からの目線で言及することで科学的な整合性を保つことはできると思う。
つまり「科学を信じれば科学的には辻褄が合う、なので信じます」ってのは科学を信じる科学的根拠として機能してるかと。
>> 33
う~ん実に興味深い。
残酷だけどなぜ死んじゃったのか気になるね。
そもそも一部の人たちから愛情とかふれあい不足が原因と考えられていることがいまいち腑に落ちない。
世界を分節するための機能が備わっていると仮定して、そこに言語の表出がなされなかったことが死因なのか?
「発話障害」とはまた違うしね。彼らは少なくとも言語による理解(読み書き)はできているはずだから。
>> 32で言うところの強迫観念がないと生きようとする欲求を喪失して物理的な影響を及ぼすってことなのかな。
結果から見ればそういうふうにしか俺は考察できんな。
>> 34
いや必ずしもそうではないよ。
科学がある仮定を科学的方法で検証するのに対して、哲学はそれを記述によって行う。
たとえばプラトン哲学で言えば、「もの」には「イデア」と呼ばれる概念(魂のようなもの)が宿っており、その住処である霊界が存在していることを仮定していて、その断片による再現性を与えられることこそ「学習」なのだ、と説かれている。
そもそも、「一定の仮定より出発する」って、最初の哲学者と呼ばれてるタレスの時代からすでに行われてるよ。
「万物の根源は水である」って言葉は有名だと思うけど、これはとどのつまり「世界は神がつくった」という説の否定(仮定)だからね。
そのために「水」を物質として扱い始めたのが自然哲学の始まりだから。
そして、その「物質」に「魂」のようなもの(イデア)があるんやで😄
と、したり顔で観念論を押し付けてきたプラトンに対し…
タレスの自然哲学をアップデート(つまり現代で言うところの「物理学」)しようとしたプラトンの弟子であるアリストテレスが
「なにいってんだこいつ」
と心の中で言い放ったと噂されている絵が
コレでしょうよ。
だから俺は尋ねたいわけだ。
物理信仰の現実主義者がそれを選択することに科学的な理由があんのか?と。
「脳にも魂が宿っている」
「思考を生き物だと仮定する」
「赤ちゃんのみんなはどう行動すれば、正しいのだろうかという直感で動いてる」
先行研究も提示せずに科学的根拠があるってどういうことですか。
俺に「なにいってんだこいつ」って言わせないでくれ。
お前がやってるのは単なる形而上学、というか程度の低い妄想の類だよ。
別にここは哲学トピックだからあれこれ思索を深めるのはいいんだけど、「思考がピラミッド」とか「直感は無意識が軸」とか意味不明だから他人にもわかるように説明してみ。
野良や詠み人知らずがやってるみたいに自分の考えていることをちゃんと言語化する努力をしましょう。
「人からの教え込み」とやらから逸脱するイレギュラーについても既出というか>> 31で回収済みだし(なんなら俺があえて明確に書かなくてもここの参加者の大半は想定済みの意見だと思うけど…)もっとしっかりしてくれ。マジ頼むわ。
こんなことで大騒ぎ。こんなもんより種子法廃止の方が何十倍もヤバかったのにね
もう遅いよマスコミにも触れられず今年4月にスピード可決された
もうおしまい
マズ宇宙の果てはどうなっているのか論からスタートしなぜ存在は存在するのか論を通り越しそこからようやくのようやく現実か夢かのテーマに回帰していくことをオススメしたいと思いましたまる
この件って論点バラバラになっちゃっててどれから手付けて良いかそもそも分からないし、そもそも自分詳しい事あまり知らないんで誰かにパス。
もし死後の世界が確認されたら
死に際の言葉は「さようなら」ではなく「いってきます」になって
MMORPGからログアウトするような感覚で自殺する人が急増したりするかもな。