かつて、ネット上には、喧嘩サイトがありました。
喧嘩と言っても、みなさんの想像するような、相手を潰して、優越感にひたるものではないです。
さまざまな価値観を持つ人たちが、自由な発想で、相手の知らないことや、発言から連想する言葉を並べたり、相手を説得したりする遊びです。
「うそはうそであると見抜けない人はむずかしい」
という言葉がありますが、今の時代、うそだと言われなければわからなくなってきたのも事実です。
真面目に喋っている相手に、空気の読めない悪口を送ってブロックされて喜ぶような人がたくさんいます。
誰だって、罵られたら傷つきます。
マウントを取られれば腹が立ちます。
それは、痛いほど分かります。
そのサイトで行われているそういうやりとりは、その遊びのスパイスに過ぎません。
「罵倒を織り交ぜて相手を煽り、冷静な判断をしにくい状態にする」という、ひとつの定石なのです。
大切なのは、日常会話の中で、そういうことをするのは間違っているということです。
わたしは、真面目な話がしたい人に、そういう遊びを仕掛けるのはおかしいことだと、心から思います。
ここは、そういったやりとりを、遊びとして、ゲームとして、あえて再現したトピックです。
こういうことをtwitterでやれば、変な人が騒いでいるようにしか見えません。
たとえそれが、チャットであっても、掲示板であっても、どこであっても、同じことでしょう。
喧嘩をしてても、そこに恨みはない。
個人情報を晒したり、人生を破壊することはしない。
ただ純粋に、言葉のやりとりを楽しみたい。
そういう特殊な暇つぶしの場なのです。
みなさんも、暇つぶしに文章を書き綴ってみませんか?
それがネタだとわかった上で、あえてマジレスしたりしてみませんか?
根本的に勘違いしていそうなので言いますが、喧嘩はどこまで行っても相手を潰して、優越感にひたる為のものですよ。
ただその潰し方にセンスがあるか、周りが引かないか、笑っていられるのか、潰すという明らかに幼稚な行為でありながらも支持を受けられるのか、というのがこの遊びのポイントなわけです。
そのために、ある人は自分の立場を正当化しようとロジカルであることにこだわったり、説得力をもたせるために難解な思想を入れ込んだり、周りに支持されやすいようユーモアのあるフレーズを入れ込んだりするのであって、
これはそれ自体が目的なのではなくて、あくまでそれをすることで、相手を潰すという幼稚な行為を取っている側が支持される余地を作っているにすぎないんですよ。
個人情報を晒して人生を破壊して潰すという方法が取られていないのは、単純にそれが取れないほど匿名化されているとか、もしくは相手からも逆に晒されるリスクがあるからしないとかっていう理由もあるんでしょうが、
もっと本質的なことを言えばそれが支持されない、笑い事にならない、ドン引きする、つまり潰しにかかっている側が逆に批判される可能性があるからやってないだけでしょう。
もしここが、相手を潰しさえすればそれでいい、誰かが潰れていく様を見るのがそもそも楽しいのだという価値観の跋扈したコミュニティなら当たり前ですが晒し合いは横行しますよ。なんせやってることは喧嘩なわけですから。
逆に聞きますけど、なぜ喧嘩が相手を潰して、優越感にひたるものではないと思うんですか?
と言いますが、どうして相手を説得する必要があるのですか?
個々人が自由な発想で様々な価値観を背景に交流することは、それ自体が娯楽として成立し得るわけですよね。
その上でなぜ、その先に説得するというゴールを設定しているのですか?
説得する、言い負かす、相手に反論の余地を与えなかった先にはなにがあるのだと思いますか?
はじめまして、後田マサシさん。
初対面で突然こんなこと言うと戸惑うかと思いますが、実はわたくし超能力者の家系の生まれでして。
(とはいっても分家ですので、宗家の方々ほど強力な能力は持っていないのですが・・・)
このたび、超能力協会にて正当な手続きを済ませたのちダイゴキネシスでトピ主さんの心を読んでみました。
どうやらトピ主さんが本当に言いたかった言葉は
相手を潰して優越感にひたる「だけ」ではない
・・・という言葉のようです。
確かに、後田さんがおっしゃるように口論の目的はおおむね相手を潰して優越感に浸ることです。
「さまざまな価値観を持つ人たちが、自由な発想で、相手の知らないことや、発言から連想する言葉を並べる」というのはそれだけで1つのコンテンツとして成立しており、そこにわざわざ「説得する」を追加する理由は相手を上回って優越感に浸るためです。我儘(わがまま)を押し通す力ッッッッ!!!!その力に心酔するためにッッッッ!!
例外として「どうしても譲れない主義主張が衝突してしまったとき」も相手の説得を試みる機会となりますが、全体的な頻度としては稀でしょう。
しかし、それ「だけ」ではないんですよ。
いま、わたくしの心にはダイゴキネシスで連結されたマインドシナジーを通してトピ主さんの熱い思いが次々と伝わってきています。感覚的には、ジャッキーチェンのモノマネをしてご本人に怒られたときの劇団ひとりの心境に似ています。
この非言語的な情報をうまく文章化できるかどうかは分かりませんが、「意見を見せあって終わり」と「説得を試みる」には大きな違いがあります。
自分の意見がどれくらいの強度なのかは外部から負荷をかけてみるまで判明しない、というのがその違いです。
アウフヘーベンという言葉を使ってしまうと途端にチンケな聞こえになってしまいますが、つまるところ「否定を含む他者からの説得的フィードバック」は推敲作業としての役割を果たすのです。
こういう実話があります。
CAPCOMは自社製格闘ゲームのヴァージョンアップや新作を開発するとき、格闘ゲームのプロゲーマーのみならずアクションゲームやシューティングゲーム、それどころか映画関係者などの全く異なる畑のエキスパートにも声をかけて、開発に携わってもらっています。
格闘ゲームに造詣のある人たちだけで制作するよりも完成度が高くなるという理由です。
「さまざまな価値観を持つ人たちが、自由な発想で、相手の知らないことや、発言から連想する言葉を並べる」という構図は、このCAPCOMの体制にとても似ていると思いませんか?
口論の主目的が相手を圧倒して優越感に浸ることであったとしても、自らの意見の強度測定や新たな改善点の発見など、副次的な効果は見込めるわけです。
トピ主さんの心を読んだ結果、CAPCOM公式twitterアカウントに要望を送りまくってることが判明したわけですが
その思いが制作チームに届くことを祈りつつ筆を擱かせていただきます。
九拝
よみ人さんにこころを詠まれてしまいましたが、分家だからか、一部間違っています。
一応ことわっておきますが、要望をおくっているのは、CAPCOMではなく、コーエーです。
たとえば、『戦国無双』なんかは戦国時代をモチーフにしていることもあって、人殺しをしています。
でもそれは、そういうゲームです。
そのゲームをやっているからと言って、本当に人殺しがしたいわけではないでしょうし
誰もその人が総理大臣を討ち取って天下を取るなんて思わないでしょう。
後田さんの言うように、本来の喧嘩は、相手を潰して優越感に浸るものだったかもしれませんが
江戸時代、明治維新をむかえた令和では、それをモチーフにしたゲームが主流なんです。
もちろん、ストーリーの中では争うこともあるでしょうけど、それはあくまでもそういうストーリーなんです。
別のストーリーでは織田信長と明智光秀が本能寺で共闘します。
その方が面白いと思いませんか。