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哲学的雑談 / 31

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KANAME 2020/05/04 (月) 10:01:32 修正

>> 12

まず、俺は創造論者ではないよw
よく読んでもらえらばわかると思うけど、教典そのものがさまざまな事象をわかりやすく伝えるための物語としての役割を持っているのだろうな、という立場。
俺はキリスト教ではなく、仏教の天台宗だ。

それで、「意識(主観)はなぜ存在するのか?」という話だったね。
正直、詠み人知らずと野良の両者で話が展開しすぎているので、そこも含めて返信を書きたいと思います。

まず、目に入ったのは科学信仰の話。
残念ながら創造論vs進化論の話にはあまり興味が持てなかったので(その中身はいろいろ書いてくれてるみたいだし)、俺はあくまで哲学的な視点から意見させてもらうけど、科学的なものを信仰する人間の価値観はどこからやってくるのか、それは果たして正しいと言えるのか、ということをテーマにしたい。

たとえば、俺の知人のキリスト教徒は、経済が悪化して国力が下がり、生活水準が落ちても「別にそれはそれでいいじゃないですか。みんなで農業とかすれば(笑)」という立場だ。
スマホがなくなろうが、自動車がなくなろうが、「それが何か問題なんですか?」みたいな。

確かに科学の力は素晴らしい。
俺たちの生活は豊かになった。
ノーベル賞をあげたくなる気持ちもわかる。
こうしてインフラが整ったことで、赤の他人とインターネットを通じて交流を持つことができる。
だとしても、「科学的ではないもの」との比較で、どちらが素晴らしいのか甲乙つけられるものなのか?
あるいは、「科学的ではないもの」同士であったとしてもだよ。
俺たちが無意識に下しているものの価値の判断、値踏みは、等しく感覚的に与えられているものにすぎないのではないか、と思ったりするわけで。

つまり、科学者が科学を信仰することに科学的な根拠はあるのか?というのが、昔から気になっていることのひとつなんだよ。
今までこの類の質問にしっくりくる回答を与えてくれた人がいないので、よかったら誰かチャレンジしてね。


意識とか主観とか、いろんな呼び方をされるものの正体を突き止めよう、みたいな話について。
俺は人間と哲学的ゾンビに違いは感じないよ。
いずれも物理的化学的電気的反応な連続が表出したものにすぎないと思ってる。

>> 16で言われている

ビルの屋上で足ガクガク震えさせたり冷や汗かいたり腰抜かしたりするのって
ある程度の知性と経験が備わって「ヤベェ危険だコワイ」と認識できるようになった生き物だけなのでは?

というのも、複雑化した反応による当然のリアクションだとしか思ってない。
学習機能のあるAIがそのプログラム通りに動くのと、人間が恋をするの、同じじゃない?
強いて言うなら、プログラミングの量くらいでしょうよ。

>> 17

ビルの屋上から視覚情報を得ることで、神経系に電気信号が流れたり、情報伝達物質が分泌されたりします。
・・・で、それらの現象が起きたらなぜ意識体験が生じることになるのでしょう?

これ。
なぜ意識体験が生じることが前提にあるのかがわからない。
ただ俺たちは捉えたものを「こういう感じ」としてアウトプットする言語的機能を持ってるだけでしょう。

小学生の頃、ザリガニとウシガエルを捕まえて同じバケツに入れてたら、ザリガニがウシガエルの足を挟んでしまったことがあった。
そのとき、ウシガエルはなんとも形容しにくい鳴き声をあげたよ。
この鳴き声は、「痛み」を与えられたことによる副産物だと思うが、それを表現するバリエーションが人間とウシガエルとでは差があるってだけの話なのでは。
人間ほど脳が発達してないウシガエルが痛みに対するリアクションとして鳴き声をあげるのは、そうプログラミングされているからにすぎない。
しかし人間の場合は経験でそれぞれ独自の学習プログラムを組み込むから結果としては人間の行動には一貫性がないように見えるが、実はみな各々のプログラムにしたがって反応しているとするならバラバラの結果でも筋が通る。という寸法なわけさ。
ブラインドサイトってのには驚いたけど、それも同じロジックで説明付けれる気がするよ。

そう考えると「中央監視室」なんてものの存在がすでに眉唾なんだよね。俺からすると。

>> 18

『物理的に同一であるならば、同じ刺激に対し同じメカニズムで反応し、同じリアクションを出力するはずでは?』

動物に例えると誤差はあれどほとんどが同じリアクションをとる。
ロボットの場合も同じ。
では人間は?と考えたときに、物理的に同一ではあるが、同じ刺激に対し別のメカニズム(経験を含んだ行動原理)で反応するから、別のリアクションを出力することは何もおかしくないと言えちゃうよね。

ざっと飛んで>> 28(一応すべてに目を通してます)

「真に純粋な自発的選択」なんて無くないですか?

まさしく俺もそう思う。
自由意志なんてないのでは?
動物より行動原理が複雑化しただけ(行動の発生装置が「本能」から「欲求」に変換されただけ)であって、実際のところやってることに大差ない気がするよ。

>> 29

それでも人は、ニヒリズムやペシミズムに陥らず、前向きに生きることが可能だと思いますが。

例えば、快楽主義がそうですね。

(中略)

お答えしづらいであろう陰気な質問で恐縮ですが・・・。
詠み人知らずさんは、快楽主義をもって生きることを肯定していますか?

彼は答えたがらなそう(察し)なので、俺が代わりに答えるとしようか。
答えは、イエスだ。
しかしここで言う「快楽」とは、利き手との戯れ(目先の快楽)に偏ることなく、ニヒリズムやペシミズムに陥ってしまう心的ジレンマを解消すること(永遠の享楽)も意味する。
120点ください。

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