科学は必ず一定の仮定より出発するが,哲学はその仮定の成立根拠を問う
いや必ずしもそうではないよ。
科学がある仮定を科学的方法で検証するのに対して、哲学はそれを記述によって行う。
たとえばプラトン哲学で言えば、「もの」には「イデア」と呼ばれる概念(魂のようなもの)が宿っており、その住処である霊界が存在していることを仮定していて、その断片による再現性を与えられることこそ「学習」なのだ、と説かれている。
そもそも、「一定の仮定より出発する」って、最初の哲学者と呼ばれてるタレスの時代からすでに行われてるよ。
「万物の根源は水である」って言葉は有名だと思うけど、これはとどのつまり「世界は神がつくった」という説の否定(仮定)だからね。
そのために「水」を物質として扱い始めたのが自然哲学の始まりだから。
そして、その「物質」に「魂」のようなもの(イデア)があるんやで😄
と、したり顔で観念論を押し付けてきたプラトンに対し…
タレスの自然哲学をアップデート(つまり現代で言うところの「物理学」)しようとしたプラトンの弟子であるアリストテレスが
「なにいってんだこいつ」
と心の中で言い放ったと噂されている絵が
コレでしょうよ。
だから俺は尋ねたいわけだ。
物理信仰の現実主義者がそれを選択することに科学的な理由があんのか?と。
「脳にも魂が宿っている」
「思考を生き物だと仮定する」
「赤ちゃんのみんなはどう行動すれば、正しいのだろうかという直感で動いてる」
先行研究も提示せずに科学的根拠があるってどういうことですか。
俺に「なにいってんだこいつ」って言わせないでくれ。
お前がやってるのは単なる形而上学、というか程度の低い妄想の類だよ。
別にここは哲学トピックだからあれこれ思索を深めるのはいいんだけど、「思考がピラミッド」とか「直感は無意識が軸」とか意味不明だから他人にもわかるように説明してみ。
野良や詠み人知らずがやってるみたいに自分の考えていることをちゃんと言語化する努力をしましょう。
「人からの教え込み」とやらから逸脱するイレギュラーについても既出というか>> 31で回収済みだし(なんなら俺があえて明確に書かなくてもここの参加者の大半は想定済みの意見だと思うけど…)もっとしっかりしてくれ。マジ頼むわ。