思い思いの幸福論を書き殴るんや。
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KANAME
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まず人間にとっての真の幸福とは一体なんなのかを考える。
幸福とは何か?
地位や名誉、金・・・etc.
考え出したらきりがなく、そしてそれらは上限・下限に際限がないものなのである。
それらを目指す人間の幸福はいわゆる「自己実現」である。
更にその先の地位、名誉、金を手にした人間が行き着く先は「精神的充足」なのだ。
地位名誉・金では得ることのできない更に先の高次元の幸福は「宗教」や「ドラッグ」といった精神世界に干渉する領域に話が進むのである。
著名人が宗教やドラッグにのめり込む話をよく耳にするのはそういった理由からであろう。
私は「自己実現」を達成するために学生時代から勉学やスポーツに励み、自身に課した目標を成し遂げ自己実現を成し遂げた。
学歴も社会的地位も信用もあり、競争から落ちこぼれたクソカス共(笑)からしたら、いわゆる勝ち組だろう。
だがしかし、ここである事に気付く。
クソカス共(笑)が遊び呆けている間に己を律し勉学・スポーツに励んだ先に待ち受けていたものは社畜生活だった。
人間的魅力に欠け、全く尊敬できない上司や先輩に囲まれ、そいつらの機嫌をとらなければ出世は見えてこない。
休みは少なく時間に追われるストレスフルな生活。
あえて言おう。
「私はこんな生活を得るために努力をしてきたのではない」と!
努力人は一生努力し続けなければならないシステムに日本はなっている。
逆に考えてみる。
つ ま り
「努力しない人間は一生努力しなくてもよい」ということなのだ!
自己研鑽をしてきた先に待ち受けるストレスフルな社会人生活。
こんなバカバカしい話はない!
ならば「努力しないための努力」が必要だ!
”幸福”はそこにある。断言しよう!
私はそのことに気付いた翌日に会社を辞めたwww
そして、辞表を出した帰り足で精神科に駆け込み、ハリウッド俳優ばりの演技で鬱病の診断書をGETしたのである。
私の第二の人生はここから始まった!
私と同じ慶●大学卒の夫とは離婚し、私は見事母子家庭となり、公営住宅への入居がすぐさま決定した。
夫も私同様鬱病の診断書を取得し、見事夫婦揃って「生活保護」を得ることに成功したのである。
私と夫は離婚しているが、夫が借りた生活保護用貧乏アパートは事実上の物置とし、平常はの公営住宅で生活を送った。
それは自堕落の結晶のような生活だった。
なんせ何時に起きてもいいし、明日のことなど考える必要もないv(´∀`)v
24時間365日が夏休み状態!酒・タバコ・ギャンブル・SEXに明け暮れる最高の日々である。
勝手に金は入ってくるから、鬱病のふりして好き勝手し放題だ!
人間関係に悩まされることないストレスと無縁の桃源郷がそこに在った!
だから幸福をつかむためのキャリア形成は鬱病になることだと知った。
学生時代、私は遊び呆けている奴等を嘲笑った。彼らをバカだと思っていた。
しかし、実際バカだったのは私の方だった・・・。
彼らは遊び呆けることで生活保護などを取得するためのキャリア形成を当時からしていたのだ!
私が既成概念にとらわれ、テストや部活動で良い成績を残すことに夢中になっていた時、彼らは”福祉”という甘美なる蜜を手にするために、遊び、本能の赴くままにSEXに明け暮れ子供を産み増やし、酒に溺れることをしていた!
そしてそれが”勝利への真のキャリア形成”だったのだ!
ストレスを蓄積し、自我を抑止し、その結果手にしたものが自由の全くない社畜さながらの社会人という地位。
ところが彼らは常に自由でいた。そして今も、これからも・・・。
人の本来あるべき姿は”自由”だったのだ。
既成概念にとらわれることなく自由でいることが幸福の原点であったことをいつしか忘れていた。
そして私も自由を勝ち取った。鬱病になるための努力・生活保護をえるための努力が本当の意味での努力であって、勉強や運動で得られる他者への優越感とは比較にならない充足感をこの身に感じることが出来た。
赤子のようにストレスのない自由な生。それが人間の本来在るべき姿だった。
エデンにおいて禁断の果実を食べたイブ(人間)が知性を得た代償に原罪を背負い、生への幸福を失った。
私は禁断の果実の呪縛から解き放たれた!私に恐れるものは何もない!
思うがままにネット・ポケモン・読書に明け暮れようではないか。
当然・・・
お前等”既成概念に縛られた敗者共”の納めた税金でな
アハハハハハハ😄
生活保護を受けるのには、厳しい条件があります。
もし、天使さんの話が本当ならば貯金0です。
生活に制限かかり、欲しいものも買えない。
こんな生活に幸福を感じるでしょうか?
私は感じません。負け組の生活ですよ。
>> 2
なんでれれれのアカウントで書かないの?
はい、というわけで始まりました。
題して、「幸せとは何か」。
今回は精神医学界の権威であらせられる過失川先生をパネリストにお迎えして、このトピックを進めて参りたいと思います。
さっそくですが先生。
「幸せ」とはなんでしょう?
人々は常に「幸福」を求めますが、それがかえって「不幸」に陥ることになる事例も少なくないように思います。
『幸福の経済学』でお馴染みの経済学者リチャード・レイヤードは、「幸福」に影響を与える7つの要因をビッグセブンと呼び、人は「幸福であると同時に不幸である」と考えました。
<幸福に影響を与える7大要素(Big Seven)>
(1)家族関係
(2)家計の状況
(3)雇用状況
(4)コミュニティと友人
(5)健康
(6)個人の自由
(7)個人の価値観
たとえば、「お金持ち」であったとしても、「孤独である」といったように、「幸せか否か」というテーマの結論には多面性があるということです。
その点、過失川先生はどのようにお考えでしょうか?
もちろん、私たちが属している社会制度や貧富の差といった問題もあるでしょう。
しかし今回は、そういった外的要因が影響与える精神構造の本質(エピクロスも言っているような「心の健康」)について、精神医学の観点から「幸せ」に関する意見を述べていただきたいと思います。
では先生、よろしくお願いいたします。
>> 3
私は過失川ひろゆきです。
どうして私がれれれさんだと思ったのですか?
>> 1
生活保護を貰う事が幸福か…
まるで悲鳴だな。
人は皆、生まれてから限られた幸福をつかみ取る勝負をしている。
貴様は恐れているんだ!
この勝負からな。
勝負を諦め、余り物の餌に縋る虫ケラと同じ。
本当は分かってるはずだ。
もっと上の世界がある事にな。
貴様は生まれてから何度諦めてきた、世間はおまえらくずの決心をいつまでも待ったりはせん!
一生迷ってろ、そしてチャンスを失い続けろ
ひっしに勉強したわけでもなく、懸命に働いたわけでもなく、何も絶えず何も乗り越えず
ただだらだら過ごしてきたような人間に簡単に幸福が手に入るか!
お前らのような積み重ねていない人間がそれでも幸福を手に入れたい、それも短時間でというのなら
これはもうとどのつまり、命を張る以外ない!