オリフレのやつです。
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日記
2021/2/21
車の加工とか塗装 他の人の見ると出来ると錯覚するよね(挑戦したけど残念な結果に…)
2020/2/20
はじめてガチャを本気で回した気がする
1900貯めといてよかった
補足
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とりあえず、完結させることを目標に頑張ります。
💪 ガンバレ
頑張ります!💪💪
声を聞いた気がした。
私を呼ぶ声。
とても……悲しい声だ。
ねぇ、あなたはどうしてそんなにも悲しい声で私を呼ぶの?
……返事はない。
私の声はもう、誰にも届いてはいなかったから。
あなたの顔に手を伸ばそうとした。
でも……届かない。
そこには、伸ばすべき手なんて無かったから。
これじゃあ、あなたの涙を拭ってあげられない。
……まあ、いいか。
あなたはもう、ひとりなんかじゃないから。
きっとみんなが助けてくれるはずだから。
だから、わたしは……。
体が融けてなくなっていく。
後悔は……ない。
……だってこれは……私の望んでいた最期だから。
それは、とある夏の日の夕暮れ時のこと。
一人の少女が何やら独り言を言いながら、暗い森の中を俯きがちに歩いていた。
空は灰色に染まり、しとしとと雨が降っていた。
森の中は草木が鬱蒼と生い茂っており、まだ日は落ちていないというのにほとんど真っ暗だ。
こんなにも心がジメジメとしているのはきっと雨のせいだけではないだろう。
「あの言い方は酷かったかな……」
私はそう言うと、小さくため息をついた。
思い出していたのは、ついさっきのこと。
初めて会ったフレンズのことだった。
あの子は私に友達になりたいと言った。
でも私はその願いを拒絶したのだ。
今でも覚えている。
あの子の顔には痛々しい程下手な作り笑いが浮かべられていた。
あの顔を見ればわかる。
きっとあの子を傷つけたに違いない。
……でもこれは、仕方の無いこと。
必要な拒絶なんだ。
これはあの子の為の拒絶。
いずれ来る別れを穏やかなものにするための、優しい拒絶。
私は兵士だ。
生まれながらに兵士としての役割を与えられ、守るために戦って、そして死んでゆく。
それが私の運命であり、私の存在意義。
仮に私と彼女が友達になったとして、私が彼女を残して居なくなる事は最初から決まっている。
そしてそれは彼女を大いに悲しませるだろう。
だから将来的に考えれば、これが彼女を傷つけない為の最善の行いだ。
「うん、そうだよ」
私は自らを肯定せんとする言葉を、独り言には多少大き過ぎるくらいの声で発した。
いつまでもこうして言い訳がましく考えてしまうのは、私の悪い癖。
誰かを思いやっての行いに後悔なんてあるはずがない。
それでもなお後悔するのなら、それは自分自身を守るためにほかならない。
後悔した所であの子を傷つけた事をなかったことには出来ないのだから。
後悔したから、私は大丈夫。
そんな自分の浅はかな考えがみてとれて、私は苦笑した。
ぴちゃん
「……?」
ふと、自分のものとは別にもうひとつ足音が聞こえていたことに気づいた。
考え事に集中していたからか、今の今まで気が付かなかった。
……足音は…私のすぐ後ろをついてきている。
私はその足音と鉢合わせしないように、二、三歩駆けてから振り向いた。
バッ
私が振り向くとそこには、……一人の少女が立っていた。
白と黒のヒラヒラとしたスカートが特徴的で、それ以外も全て白と黒だけで彩られていた。
夏だというのに、首にはマフラーを巻いている。
全身白と黒だけで構成されたこの少女は、何故かずぶ濡れだった。
こんな雨の中、雨宿りもせずに何をしていたのだろう。
そんな疑問を抱いた。
しかし不思議なことに、彼女の緩くウェーブのかかった白い髪はほとんど濡れていない。
そこで私は、一つ二つと増えてゆく疑問の中で今私が最も気になっていることを、彼女に直接聞いてみることにした。
「あの、……どうしてついてくるんですか?」
「さて、どうしてかしら?」
白黒の少女は目を細めて不気味に笑う。
その様子を見て、私は言い知れない苛立ちを覚えた。
「用がないならいいです」
私は彼女に背を向けそのまま歩きだそうとするが、彼女の二の句に引き止められてしまう。
「せっかく出会ったんだもの、仲良くしましょう?ね?」
わからない。
「…それは、できません」
「あら、どうして?」
……どうして?
「どうしてって……」
"どうしてこんなにも、彼女に苛立ちを覚えるの……?"
ぴしゃん!
私の彼女への怒りが最高潮に達した時、突然目の前が真っ暗になった。
急に、目が見えなくなった……?
……違う。
私は確かに見ていた。
私の顔を覗き込んでくる少女の瞳。
深く真っ暗な、深淵の瞳を。
「ねえ、どうして?」
少女はなおも問いかけてくる。
彼女に嘘やごまかしなんて無意味だろう。そう思わせるだけの色を彼女は持っていた。
私は意を決して、返答をした。
「私、……友達は作らないって……決めてるんです」
「ふーん、そう……」
少女はまるで、そんな事には興味が無いという風に視線を逸らして言った。
そして、こう続けた。
「仲良くしましょう?」
「その、だから……」
「……はぁ」
少女は小さくため息をついて、おもむろに一歩踏み出した。
そして、絶対に逃がさないと言わんばかりに両手で私の顔を掴んで、ぐっと顔をちかづけた。
頬を伝う手の感触はとても冷たくて、その冷たさが私をより一層凍てつかせる。
「貴方は私の言う通りにしておけばいいの。だって貴方は、………私の暇つぶし、兼…………………」
時間が止まったかのような感覚。私は蛇に睨まれた蛙の様に動けない。
白黒の少女もまた、動かない。
見つめ合う二人。
その時、どこからか生温い風が吹いた。
鼻先を撫でるその風は、雨の匂いに混じって、…… 微かに血の匂いがした気がした。
額に汗が浮かぶのを感じる。
こんな手遅れな状況になって、今更本能が警告する。
……いや、ずっと警告していた。
私の彼女に対する苛立ち、
それそのものが危険信号だったのだ。
少女はゆっくりと口を開く。
「……非常食なの」
「……」
「あなたがどう思おうが、絶対に逃げることは許さない。…あなたに拒否権はないわよ」
少女はそれだけ言うと、私を解放した。
束縛から解放された私は、全身の力が抜け地面にへたり込んでしまう。
私を恐怖のどん底に突き落とした少女はというと、こちらに背を向け、元来た道へと引き返し始めている。
私が正気を取り戻し、逃げるために立ち上がった時、少女はゆっくりとした動作でこちらへと振り向いた。
そして恐ろしいほどに色のない笑みで言った。
「またね」
それだけ言うと、少女は森の奥へと消えていった。
ひ、非常食だとぉー・・・
挿し絵付きで読みやすいです
(一話づつ感想いれます)
非常食、ですね……。
実を言うと、挿絵があるのは最初の数話だけなんです(後で描こうと思ってもついサボってしまって……)
たくさんの感想コメントをありがとうございます
気づいたらいっぱい来ててちょっとビビりましたが、こちらも一つずつ返信していこうと思います
私は思い出していた。昨日の、血の匂いを纏った恐ろしい少女との出会いを。そして、彼女が去り際に残した一言を。
"またね"
彼女は言った。「またね」と。再開の約束を口にした。……それはつまり、私の前に再び彼女が現れるのは、彼女自身によって決められたことであって…………。
背筋に冷たいものが走る。
今この瞬間も、やつは私のことを探してこの辺りを徘徊しているかもしれないのだ。
ピチャン……
その時遠くから微かに足音が聞こえた。……気がした。
私は目を閉じて耳を澄ませた。
ピチャン…ピチャン……
気の所為ではない。確かに聞こえた。何者かの足音が。
そしてその音は次第にハッキリと聞き取れるようになってきている。
「っ!」
私は咄嗟に木陰に隠れた。
ピチャン、チャプン、ポチャン……
ピチャン、ピチャン……
荒くなりそうな呼吸を必死に抑える。
足音は私の存在を知ってか知らずか、僅かな迷いも持たず、容赦なくこちらへと向かってくる。
姿が見えず、迫って来る足音だけが聞こえるというのは、とても恐ろしい。
ちらりと顔を覗かせて足音の正体を確かめることも出来たが、そうする事によってこちらの位置がバレるかもしれないというリスクを冒してまですることではないと思う。
結局私は、その場で息を殺し、足音が過ぎ去るのを待つことにした。
ピチャン…パシャン…ピチャン……
ピチャン…ピチャン…ピシャン……
足音がすぐそばを通る。私と足音の近さは距離にして僅か1メートルほどだ。
……今日に限って、私の気配を消してくれる雨音が……ない。
つまり、私が物音ひとつ立てようものなら、即座に居場所がバレてしまうことになる。
足音の主は特別大袈裟に音を立てて歩いている訳では無い。
それにもかかわらず、こんなにも存在感を持って私の耳を刺激してくる。
相手も私と同じ、もしくはそれ以上の聴覚を持っているならば、こちらが立てた物音に気づかないはずがないのだ。
私は目をギュッと閉じ、ただ足音が遠ざかるのを待った。
………………。
……心臓がバクバクとうるさい。
これ以上強く拍動してしまったら、その音を聞かれてしまうなんてことも実際に起こりうるだろう。
私は動悸が激しくならないようにと、心を無理矢理に落ち着ける。
この時ばかりは心臓が止まってもいいと思った。
…………………………
どれだけの時間が過ぎただろう。もしかすると、ほんの数秒のことだったのかもしれない。
……いや、間違いなくそうだと言える。
私がまだ息を止めていられることがその証明だ。
私は10秒も息を止めて居られない。
だから必然的に、これは数秒の出来事ということになる。
緊張した私の頭が、実際の時間を何倍にも引き伸ばして見せているに違いない。
……だから、……何もおかしなことなんて、ない。
たとえ遠ざかる足音が、……聞こえなくとも。
おかしいことなんてなにもないんだ。
恐怖でどうにかなってしまいそうな自我を必死な言い訳でなだめる。
ピチャン…ピチャン…パシャッ。
酸欠で意識を手放してしまいそうと言う時に、足音が聞こえた。遠ざかっていく足音が。
ずっと待ち望んでいた音ということもあってか、とてもはっきりと聞こえた。うるさいくらいに。
ぷはっ
もう自分の意思で息を止めていられる限界だったようだ。
すぅー
私は静かに息を吸った。
そこでようやくまともな思考能力を取り戻せた。
……取り戻してしまった、というほうが正しいかもしれない。
たった今恐怖から解放されたばかりの私を、さらなる恐怖へと突き落とすであろう違和感に、気づくことになってしまったのだから……。
違和感の正体。
やけにはっきりと聞こえた遠ざかる足音。
それだけなら敏感になった聴覚が過敏に反応したと言うだけのことで説明がつく。
だが奇妙なのはその後だ。
遠ざかっていく足音が、一瞬で途絶えたのだ。ほんの、二三歩で。
たったの二三歩じゃ、1メートルほどしか歩けないはず……。
"1メートル"という言葉が頭に浮かんだ瞬間、最悪な想像が頭をよぎった。
1メートル。……足音の主と、私との距離がちょうどそのくらい"だった"。
そこを1メートルいどうしたというのだから……。
酸欠で頭に十分な酸素が行き渡ってなかったが故の、致命的な勘違い。
足音は遠ざかってなんかなかった。
それどころか今、……私のすぐ側で、冷や汗を額にうかべる間抜けな少女を見下ろしているに違いないんだ。
今の私に出来るのはもう、私が隠れるべきだと判断した対象が、白と黒だけで構成されたひらひらを纏っていないことをただ祈ることだけだった。
私は全てが悪い想像であることを願いつつ、ゆっくりと目を開け……。
「何を……してるの?」
突然、冷たい声が降ってきた。

足音の主は、私が決心して目を開けるのを待ってはくれなかった。
……私の嫌な想像は、……全て当たっていたようだった。
恐る恐る目を開けると、凍てつくような視線。
その目は私のよく知るものであった。
今すぐ立ち上がって逃げないと……!
しかし体がすくんでしまって、動けない。
……声も、出ない。
そんな私の姿を見てどう思ったのか、やつはこう言葉を続けた。
「大丈夫? 」
2話まで拝読しました
サイレントホラー的緊迫感があるのに、声の主のかける言葉は優しいものばかりで、主人公が精神的に追いつめられているのが伝わってきます
兵士ちゃん(主人公のことです)の覚悟が自身を苦しめてしまっているのではないかと心配になりますが、今後の展開を見続けていきたくなりました
続きも楽しみです!
ご感想ありがとうございます
ちゃんと書けているか不安だったので、とても嬉しいです
主人公の名前が出るのはもう少し先になると思いますが、
それまではそのまま兵士ちゃんでお願いします。
(兵士ちゃんって呼び方かわいい)
最後に
返信遅れて本当にすみません
こわいこわいこわい!
迫ってくるスリルの演出が上手でとても参考になります
怖がっていただけたようで何よりです
あの挿絵も読んだ人怖がらせたろって思ってこさえたので
ただ、挿絵が最初から見えてしまっているのがちょっと残念ですね……
「それで、……なんで隠れてたの?」
「……」
彼女の問いかけに私は答えない。
その術を持たなかったから。
体が硬直していて、声も出ないのだ。
「もしかして、私に会いたくなかったのかしら?」
目の前の少女の声が胸に刺さり、心臓がドキリと跳ねた。
彼女の言ったことは真実だった。
「んー?」
ここで下手な行動に出れば、確実に……殺される。
だから私は、彼女の機嫌を損ねないように振る舞わなくてはいけない。
なのに……
「……」
自分の言葉に、完全な無視を決め込む少女を見下ろす彼女は、次第に不満げな顔になってゆく。
そんな一方的に不機嫌になられても困る。
声が出ないのだから、仕方がないではないか。
「ねぇ」
彼女の声は先程よりも低く、鋭い。それは、かなりの怒りを帯びているように聴こえた。
もしかして私は、このまま殺されてしまうのではないか……?
何も出来ずに、誰にも知られずに、一人で……。
───嫌だ。
「……? いま、なんて……」
たった今、体にかかった呪縛が解けたのを直感した。
今ならきっと動ける。
相手はこちらから攻撃されるなんて思ってはいないだろうから、その隙をついて逃げよう。
やつを突き飛ばして、そのまま走る。
私は決意が揺るがないうちに、これを行動に移すことにした。
………………。
タイミングを見計らう為に相手をじっと見つめる。
すると、彼女も無言でこちらを見つめ返してくる。
このように黙られると、急に彼女が言葉の通じる相手ではないように思えてきて、恐怖感を増長させる。
……だが、言葉を用いた対話など端からするつもりはないので、何も問題は無い。
非常に不気味だが、ここは我慢するしかない。
それに、むしろこれは好都合だ。
私の思考の邪魔をするノイズが消えたと、そう考えよう。
……………………
機をうかがいすぎるのは危険だ。
だからこそ私は、慎重に相手を見据える。
一瞬の隙も見逃せない。
もしそれを見逃してしまえば、彼女が次に隙を見せるのは私を殺した後かもしれないのだ。
私が内心焦りを感じ始めてから、相手が隙を見せるまで、それほど時間はかからなかった。
ふいに強い風が吹いたのだ。
風を全身で受けた彼女はというと、片手で髪をおさえ、目を瞑っている。
…………今しかない…!
あまりに無防備な少女の姿を前に、一瞬自分のすべきことを忘れそうになってしまった。
これを逃したら、もうあとはないだろう。
私は覚悟を決めて、作戦を実行する。
ばっしゃん!
私は大きな水音とともに立ち上がり、その勢いのまま敵との距離を詰めた。
そして、今につき飛ばそうとした時に、彼女の私とそう変わらない姿が目に入り、一瞬の躊躇いが生まれてしまう。
ぽすっ
躊躇いは勢いを殺し、……私を殺す。
相手を突き飛ばすための体当たりには体重が乗らず、突き飛ばすつもりが、あろうことかそのまま抱きとめられることになってしまった。
この状況は敵の腹の中にいるのとなんら変わらない。
彼女がその気になれば、なんの労もなく即座に私を噛み殺せてしまえる体勢だ。
私はすぐさま、そのやわらかな拘束を振り払った。
そしてもう一度、彼女へ体当たりを試みるが、やはりブレーキがかかってしまう。
私は彼女への攻撃を諦め、全力で逃げる姿勢に移った。
攻撃ができないのなら、逃げる他ない。
「待って!」
彼女に背を向け、今に駆け出そうとした時に、後ろから静止の言葉が投げられた。
その言葉が足に絡まり、地に根を張ってしまう。
私をこの場に縛り付けた少女は、ゆっくりとこちらへと近づいて来る。
私は見えない根っこを強引に引きちぎり、少女と距離を取ろうとすた。
が、彼女は既に真後ろまで来ていた。
「私から逃げようとしたのね?」
「そんな、こと……」
はいそうですと言う訳にもいかず、私は曖昧な返事をした。
「いいわよ」
「……え?」
「逃げてもいいわよ」
少女はそう言うと、私の正面に回り込んできた。
「でもその前に、私の遊びに付き合ってもらうけどね」
「……遊び……?」
「鬼ごっこって知ってる? 誰かが鬼とかいうのになって、他のひとが逃げるの」
「……」
「あなたが私から逃げ切れたら、そのまま見逃してあげる」
「…に、……逃げきれなかったら……」
「そうね……じゃあ、こういうのはどうかしら? あなたが鬼に捕まったら……足を一本、もがれるの。あなたが二度と逃げられないように…ね」
「そんなのって……」
あまりに横暴な話に言葉を失ってしまう。
彼女は遊びだと言っていたが、負けて足をもがれるなんて、そんな遊びがあってたまるか。
「嫌ならしなくてもいいのよ? 私はあなたとずーっと一緒にいられれば、それで満足なんだから」
彼女はそう言って楽しそうに笑う。
いつかは殺して食べるつもりのくせに、よくもそんなことが言えたものだ。
いつ来るかも分からない最後の日に怯えながら生きていくなんて、私は真っ平御免だ。
……どうやら、彼女と遊ぶ以外の選択肢は無いらしい。
「わかりました。……その条件で構いません」
「ぅ……じゃあ、私が…今から十秒数えるから、その間に逃げてね」
彼女はそれだけ言うと、十秒を数え始めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やつはもう十秒を数え終えただろうか……?
ただの十秒だったら、だいたいわかる。
だが、彼女にとっての一秒は私の知る一秒とは違った。
彼女が数え始めて直ぐに走り出したので、あまり聞こえなかったが、あの数え方は明らかにズレていた。
いーーーち。
にーーーーぃ。
こんな感じだったと思う。
一秒を数えるのに三秒はかかっていたような気がする。
彼女の数える一秒は、どういう訳か……長いのだ。
だからこそ私は、これだけの距離を離すことができたのだが……。
ここはあまり深く考えずに、猶予が伸びたことを喜ぶべきだろうか?
……もし、アレを意図的にやっていたとしたら……そこにはどんな意味があるのだろうか……?
さっきからずっと何かが引っかかっているが、この得体の知れない不安感の正体がわからない。
本当は考えたくなんかない。
でも、これは知っておかなくてはいけないことのような気がする。
私は立ち止まることなく考え続けた。
考え続けて、そして……気づいた。
重要なことを聞いていないことに今更気づいた。
いつまで逃げればいいのか、その説明がされていないではないか。
相手は私を捕まえれば遊びは終わる。
でも私が無事にこの遊びを終わる方法が思いつかない。
今の今までそんなことにも気が付かないなんて……。
この遊びのルールをちゃんと理解していなかった時点で、私の負けは最初から決まっていたようなものだ。
……そもそも、こんな遊びに付き合うべきではなかったのだ。
全てを悟った今ならわかる。
やつがあんなにもゆっくりと十秒を数えたのは、最初から私を逃がすつもりなどなかったからだ。
やつにとっては、文字通りただの遊び。
私を殺す前の暇つぶしだったんだ。
……やめよう。
今更そんなことがわかったからって、私のすべきことは変わらない。
今は一歩でも遠く、逃げるんだ。
私はただ、走る。
足元だけを見て走る。
ちゃんと前を見て走らないと危ないことぐらい分かっている。
でも……今の私はもう、前を向いて走ることなんてできそうにないから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もうどれだけ走ったのだろう。
全身にかなりの疲労感を感じる。
私の体はもうとっくに限界をむかえていて、歩いているのか走っているのか分からないほどの速度で……やっぱり歩いていた。
私は全身の疲労に耐えきれずにその場にしゃがみ込んだ。
身体中から汗が流れている。
そのうちのひとつ、頬を伝う汗が今、落ちた。
私はぼーっと、それを眺めていた。
滴が水たまりに落ちて、消えた。
すると突然、足元がぱっと明るくなった。
視界の急な変化に驚き、思わず顔を上げた。
辺りを見渡すとそこは、開けた場所。
私は知らないうちに、薄暗い森をぬけていたようだった。
そして私はその景色を見てまもなく絶望した。
森をぬけた先には何も無かった。
地面すらも。
そこは崖だった。
崖の下を覗き込むと、そこには大きな大きな水たまりがある。
底が見えないほどに深い水の城。ここに落ちたら間違いなく助からないことは考えるまでもなかった。
これ以上進むことはできない。
そうと分かれば引き返す他ないのだが、今引き返したら追跡者と鉢合わせしてしまう可能性が高い。
だからといって、大人しく捕まる訳にはいかない。
危険が当たり前のように徘徊しているこの世界で、片足を失うこと。
それは死と同義だ。
私は崖に背を向け、ナイフを強く握りしめた。
戦うつもりはない。
彼女はセルリアンのように言葉の通じない相手ではないから、脅しに使えればそれで十分。
こんな追い詰められた状態での脅しが意味を持つのかは分からないが、今の自分にできることはこれくらいしかない。
私が決意すると、それが揺るぐほどの間隙もなくやつが姿を現した。
彼女は相変わらず気味の悪い笑みを浮かべていたが、こちらの明確な敵対の意思に気がつくと、直ぐに表情を曇らせた。
「あなた……それ……」
相手に動揺の色が見えた。
私はこの隙を見逃さない。
「ここで足を失うくらいなら、私は全生命をかけてでも抵抗します。…私が死ぬ気で戦ったら、あなたも無傷ではいられないはずです」
「あれは…ほんの冗談よ。……非力な私に、あなたの足…を、どうこうできるわけないわ」
「……非力…あなたが? それこそ冗談じゃないですか…?」
「……ねぇ、あなたのそれも…冗談、なんでしょ……? それ、あんまり面白くないわよ?」
「冗談なんかじゃありません」
「あ、あんまりしつこいと怒るよ…?」
「それはこわいですね。きっと私なんかは、すぐに殺されちゃいますね」
「そんなこと……」
私の言葉を聞き、言い淀む少女。
彼女の興味は、いつしか私から私の言葉へと移っていた。
どうやら脅しの効果はあったようだ。
それなら、と私は更にお粗末な脅し文句を続けようとしたが、少女が次にが放った一言に全て飲み込まれてしまった。
「そこから……動かないでね」
そう言うと、彼女は伏し目がちににこちらへ向かってくる。
「こ、これ以上近づいたら、宣戦布告とみなします……!」
私は威勢のいいことを言ってはいたが、ナイフを持つこの手は震えていた。
……もしかしたら、声も震えていたかもしれない。
「私は……本気です。」
最後に付け足すように言った言葉が、無意味な威嚇を更に安っぽいものへと変える。
私はそれからも、思いつく限りの脅しを口にした。
途中、ただの悪口や、目を背けたくなるような酷いことも言ったかもしれない。
それだけ必死だった。
でも彼女にはそれら全てが、脅しではなく、ただの命乞いにしか聞こえなかったことだろう。
私の脅し、もとい命乞いを全て無視し、ついに彼女が止まることはなかった。

私のすぐ目の前まで歩んできた彼女は、こちらへ真っ直ぐと両手を伸ばす。
そして、凶器を持つ手にそれを重ねた。
その手からは、ナイフをどうにかしようという意思は感じられない。
子どもを諭すように、そっと優しく包み込む。
そして言った。
「つかまーえたっ。……行こ、ここは危ないわ。」
私は、その言葉に逆らうことが出来なかった。
頭が真っ白になり、彼女の言葉の意味がうまく理解できない。
結局私は、手を引かれるまま断崖を後にしたのだった。
私の手を引きどこかへ向かう途中、彼女はずっと何かを言っていたが、その内容は思い出せない。
ただ、ずいぶんと楽しそうな声だな、と思ったことだけを覚えている。
「約束……だからね」
「……ぇ…?」
「これで私たちは、ずっと一緒ね」
兵士ちゃんはセルリアンともそれ以外の敵ともある程度戦った経験があってそれ故にその冗談をすぐには信じられなかったんだろうというのと、相手の白い子は本当に遊びで兵士ちゃんと鬼ごっこをして捕まえた後も前々から友達だったかのように優しくて兵士ちゃんは安らいでいるなと思いました。
オリフレスレとかあまり覗けてないので既に出ているかも知れませんが、この話を読んで白い子がどんなフレンズか見ていきたいと思います。
一応は二人ともオリフレスレに上げたことがありますけど、見た目も性格も微妙に違うので、あっちは全然気にしなくてもOKです。
どんな事を書いたかあんまり覚えてませんが、この先の展開のネタバレとかがあったりするかもしれないので完結するまでは見つけてもスルーして頂けるとありがたいです。
ちょっとからかっただけで本当はいい子なのかな
現時点ではどちらともわからないが・・・
どうでしょうね〜
こればっかりは続きを読まないと分かりませんね〜
どうしてこうなってしまったのだろう……。
私は頭を抱えていた。
私のことを非常食とまで言ったあの少女が今、私のすぐ横にいるのだ。
それも、お互いの肩が触れてしまうほどに近くに。
こうなった原因は……私にもあるのだと思う。
少し前に遡る
彼女は何かと話題を見つけて話をふってくる。
だが私はそれら全てを無視しし続けていた。
そうすれば彼女は諦めてくれるだろうと思ったから。
しかし、私の目算は外れてしまったのだ。
私に無視され続けた彼女はどう思ったのか、おもむろに立ち上がり、こちらまで歩いてくると、私の真横に腰を下ろした。
意味がわからない。
彼女の行動が意味不明なら、次に私がとった対応も意味不明だ。
彼女の奇行を見届けた私は、こんな状況に陥ってもなお、無視を続けることを選んだのだ。
私は……正しい判断が出来なかった。
彼女は私が何も反応を示さなかったのを見て、隣に座るのを許されたと思ったらしい。
時間とともに段々と小さくなっていって、ようやく聞こえなくなった彼女の声が、再び私の名を呼ぶ。
「ササコ?」
…………。
これはさっき知ったことなのだが、彼女の名前はゴイシシジミというらしい。
ついさっき、彼女が唐突に自己紹介をしてきた時に聞いた。
その際に「イシちゃんって呼んでもいいのよ?」などと言ってきたが、私が彼女のことを親しみを込めた愛称で呼ぶ日はおそらく来ないだろう。
ちなみに、私の名前も彼女に知れてしまっている。
教えるつもりはなかったが、あまりにしつこく聞いてくるので言わざるをえなかった。
「うん?…んー……あ、ササちゃん!」
「……」
それにしても、……近い。
馴れ馴れしいなんてもんじゃない。
実際の距離もそうなのだが、さっきから私のことをササコ、ササコと呼び、やたらと距離を詰めてこようとする。(私の名前はササコナフキツノアブラムシという)
自分でも長い名前だとは思うし、略して呼ぶことは別段気にはしないのだが……。
なのだが……彼女にその名で呼ばれるのは、なんだか癪に障るのだ。
「ねぇ」
私はゴイシシジミの言動や振る舞い一つ一つがとても腹立たしく感じてしまう。
その明確な理由を探しても、やはり見つからない。
「ねーえー」
そこまで考えたところで、初めて彼女に会った時のことを思い出した。
あの時感じた苛立ちの正体……それは恐怖だった。
でもよくよく考えたら、それだけではなかったように思う。
感情ひとつではとても言い表せないような嫌悪感。
ふと、本能という言葉が頭によぎった。
私は……本能的に彼女を嫌っているのだろうか。
「ねえってば」
「……なんですか?」
さっきからしつこく話しかけてくる声を無視し続けていたのだが、一向に諦める気配がないので、私は仕方なく返事をした。
「なんだ、喋れるのね。声が出せないのかと思って心配してたのよ?」
「別にあなたと話したいこともないですし」
結果的にゴイシシジミの思い通りになったのが面白くなくて、私はトゲのある言葉で返事をした。
だが、彼女は冷たくあしらう私をお構いなしに言葉を続けた。
「あら、見かけによらず冷たいのね」
「それ、どういう意味ですか……?」
「気になるのかしら?」
自分の言葉に私が興味を持ったのを知ると、ゴイシシジミは目を少し細めてそう言った。
「……」
私はこのまま会話を続ける気はなかったので、沈黙でもってして否定の意を伝えた。
だが、相手は沈黙を別の意味にとらえたようだった。
「私のお友達にね、あなたが似てたの」
「そうですか」
「そうよ」
「……」
「……」
気まずい沈黙。
ゴイシシジミは自分から話し始めたくせに黙り込んだ。
どうやら彼女は、私の次の言葉を待っているようだ。
「だったら、そのひとのところへ行けばいいじゃないですか」
私がそう言うと、ゴイシシジミは少し困ったような顔をした。
私の返事が彼女の望んでいた形でなかったことは、彼女の微妙な表情から容易に想像できた。
「……無理よ。だって、……あの子はもう……」
ゴイシシジミは寂しそうに呟いた。
彼女の様子から、その人がもういない事が分かる。
今のは失言だった。
だから、私は今からでも彼女に気遣いの言葉を……。
「……その人、実は貴方が食べちゃったんじゃないですか?」
私は冷たく言い放っ……ていた。
無意識に口をついて出たのは、最悪な言葉。
自分でも信じられないほどの暴言。
今のは、いくらなんでも酷すぎる。
いきなり理不尽な暴言を吐きかけられた彼女は、言葉を失ったようだった。
「……すみません」
私はうまく組み上がらない感情の中、なんとか謝罪の言葉を紡ぎ出した。
「ぁ…あはは、あなた酷いこと言うのね…………うん、あなたは思ったことをそのまま口に出せる正直者のいい子。そう…思うことにするわね」
今のは怒ってもいい所だ。
それなのに、彼女は無理に笑った。
…………。
こんなやさしいひとを嫌うなんて……私は、……。
「……あ、でも、あまりひとに酷いことを言っちゃダメよ? 私は気にしないからいいけど、中にはすごく怒る子も居るんだから。あなた、そんな事ばっかり言ってると、いつか殺されちゃうわよ?」
そうだ、彼女は私に言ったじゃないか。
お前は非常食だと、確かに言った。
そんなことを言うようなひとがいいひとなわけがない。
……本当に、そう言っていたのだろうか?
もしかして、何かの聞き間違いだったり…?
非常食
ひじょうしょく
ヒジョウショク……?
"あなたは暇つぶし兼……非常食なの。"
聞き間違いなんかじゃない。
彼女は確かに言っていた。
言っていた……はず。
おかしいのは、私の方なのかな?
「心配しなくても、私がこんなこと言うのはあなたくらいですよ」
私は投げやりに言った。
自分のことすら信じられなくなったという不安感から、私はどうやって逃れればいいのだろう。
「私のこと特別扱いしてくれてるの? 嬉しいわね」
ゴイシシジミは相も変わらず、私にとって都合のいい言葉をかけてくれる。
……。
いっその事、自分の使命や自分自身すらも全部忘れて、彼女の為だけに生きるのもいいかもしれない。
そんなあるはずのない未来に思いを馳せてみる。
ゴイシシジミは遊びが好きなようだから、きっと色んな遊びを知っている。
二人で、思いつく限りの遊びを試してみよう。
へとへとになるまで遊んで、疲れたら木陰で休憩。
ちょうどお腹がすいてくる頃だ。
ご飯を食べるのももちろん一緒。
同じものを食べて、おいしいねって言って、そうだねって……。
そして、お腹がいっぱいになったら、急に眠くなってきちゃって……そのまま木陰でお昼寝をする。
気づいたら夢の中で、隣にはあなたがいて。
夢の中でも一緒で、二人で……なんだかおかしいねって……笑いあって…………。
それは、とても幸せな未来だ。
……それなのに本能が、恐怖と怒りの感情がその未来の邪魔をする。
恐怖も、怒りも、そんな得体の知れないものは捨ててしまえばいい。
そうすれば、もう悩まなくてよくなる。
死すらも快く受け入れられるようになるだろう。
───ダメだ。
私は、焦げ付いて駄目になってしまった思考回路ごと頭をブンブンと振った。
すると、遠のきかけていた理性が戻ってくる。
何もかもが信用出来なくなった時、最後の最後に頼るべきは本能なのだ。
その本能を疑うなんてどうかしていた。
熱くなってしまった頭を冷やすために、私は深く息を吸う。
体内に取り込んだ空気は生暖かったけど、私の熱を冷ますにはこのくらいで十分……?
……少なくとも、もう先程のように変な気を起こすことはないと思う。
少しだけ冷静になった頭で考える。
私はどうして、どうしてこんなにも心を乱されているのだろう?
…………。
本当のことはわからない。
だけど、自分の中で一応納得がいくだけの答えらしきものは用意できた。
私が彼女に絆されてしまいそうになったのは……。
…………それは……きっとこの雨のせいだ。
根拠なんてない。
ただ漠然と、そう思った。
この雨粒の一つ一つが、いつか私たちの凍てついた関係を、…どろどろに溶かしてしまうんだ。
……。
私はそんな未来を否定する。
でも……雨が降ることと同じで、私が彼女に惹かれていくのも、自然なこと…なのかな?
「……ううん、違う」
私はぽつりと、その最良の未来を否定する言葉を呟いた。
「……? いまなんて言ったの?」
「内緒、です」
私は怪訝な顔をするゴイシシジミにそう言った。
すると彼女は「そっか」と言って、それ以上聞いては来なかった。
……雨の音だけが聞こえる。
ちらりと視線を横の方へやると、ゴイシシジミは空を見上げていた。
何か声をかけてみてもいいかもしれない。
「何をしてるんですか?」
「……太陽を探してるの」
「太陽……?」
私は彼女に倣って空を仰ぐ。
…………。
空は重い灰色で覆い尽くされていて、とても太陽が探せるような状態ではなかった。
私は、彼女の興じているよく分からない遊びをそうそうに切り上げた。
すると、ゴイシシジミも太陽を探すのを諦めたようだった。
それからは、お互いに言葉を交わすことはなかった。
だけど、先程のような気まずい沈黙ではない。
互いに、無言であることを受け入れていたから。
しとしと、ぴちゃぴちゃ。
しばしの間、透き通った雨音に耳を傾ける。
いつもは鬱陶しいだけなのに、今はこの雨の音が心地いい。
私たちは小さな木の下で隣り合い、降り注ぐ雨音たちをいつまでもいつまでも眺めていた。
二人の元動物を調べてみたら、兵士ちゃん(ササコ、ササコナフキツノアブラムシ)の反応は当然だったし、ゴイシシジミの言葉も事実だったりするんですね
元はそんな関係にありながらも、優しくササコに接するゴイシシジミの思いがいつか届いてほしいと思いました
原作の二人も雨の日は笹の葉の裏で一緒にいると思うとエモさがあります
毎度感想ありがとうございます。
そういったエモさもこれから追求していけたらなって思ってます。
ゴイシジミちゃんから何かこう迫ってくるような圧を感じますね・・・イシちゃんとササコちゃんは一体どういう関係だったんだろう
非常食・・・?
コメントありがとうございます
彼女の高圧的な態度は結構意識して書いてました。
非常食……あ、そういえば家に非常食とか備蓄してないじゃん!!(露骨な話題の切り替え)
えっと……詳しいことはまだ言えないんですすみません
俺前にも読んでるじゃん!
ゴイシジミちゃんは少し影のあるフレンズのようですね
過去にいったい何があったのだろう
お帰りなさいませ! 多重感想コメント、大いに結構です(聞いてない)
ゴイシシジミちゃんの過去が明かされるのはまだ先になりそうですね……
4話までに出てきた情報だけではまだ推測することも難しいかと思われます
ゴイシシジミに鬼ごっこで負けたあの日から3日がすぎた今日まで、私は彼女と常に行動をともにすることを余儀なくされていた。
でも今は一人。彼女の姿はない。
まだ太陽が上り初めて間もない早朝。
眠ったままのゴイシシジミの元からこっそりと抜け出してきたのだ。
でもそれは逃げるためではない。
逃げても無駄なことは、この数日間で嫌という程思い知らされた。
だから私が今一人で森の中を歩いている理由は、束縛からの解放などではなく、もっと単純な理由。
私は空腹を満たすために、未だ眠りから覚めきらぬ森の中を彷徨っていた。
「この辺のはダメかぁ……」
辺り一面に青々とした草が生い茂っているが、これらは食べられない。
毒に汚染されているからだ。
毒の有無を見分けるのはそう難しくはない。
キラキラとした光を纏っている草は間違いなく有毒だ。
一見なんの変哲もない草も、毒草の周辺に生えているものは危険性が高いから、食べない方がいい。
毒が身体に及ぼす害が大したことなければ、わざわざこんな風に歩き回って余計にお腹を空かせたりはしない。
でもこの毒は、死に至るほどの強力なものだ。
それを食べてしまったら最後、高熱で三日三晩苦しんだ後に死んでしまうという。
本当に恐ろしい話だ。
……それほどまでに致命的な毒が故に、ゴイシシジミが毒のある草を当たり前のように食べ始めた時は驚愕した。
誰も食べようとしない死の塊を、顔色一つ変えずに食べる彼女が信じられなかった。
悪食なんて言葉で言い表すことの出来ない、常軌を逸した食性。
それは明らかに……異常だった。
「食性……」
ふと嫌なことを思い出しそうになったが、今は無理にでも忘れておくことにする。
今は自分の食料の調達が先決だ。
私はより、感覚を研ぎ澄まし、注意深く毒の及ばない清浄な草を探して歩く。
そうして無心で足を動かし続けた。
気づけばそこは知らない場所。
…光の届かない暗緑の森。
どうやら、いつの間にかだいぶ森の奥の方まで来ていたらしい。
私は足を止める。
「……」
辺りはしんと静まり返っている。
木々が風に吹かれて揺れる音すら聞こえない。
ここには一切の風が届かないのか。
「それに……」
夏といえど、朝は少しだけ肌寒い。
でも今感じている寒気は、そういったものとは別の寒気。
例えるならそれは、一人で雨の中歩いていて、ふと後ろに気配を感じた時のようだった。
「……!」
なんだか既知感のある例えをしてしまった私は、慌てて辺りを見回したが、ゴイシシジミの姿は見えない。
私は少し安心した。
…だがその安心はすぐに不安に包まれる。
…………。
あまりに不気味な雰囲気に多少の恐怖心を抱き、一瞬引き返そうかとも思ったが、その考えは無情にもお腹の音に却下される。
背に腹は変えられない、ということか。
「……いこう」
私は覚悟を決めて歩き出したが、足どりは重くとても進んでいるとはいえない。
そこで私は、今感じている厄介な感情を克服するために、一人の少女のことを思い出すことにした。
それはゴイシシジミのこと。
よくよく考えたら、彼女以上に恐ろしい存在なんて他にないのだ。
もちろんセルリアンも少しだけ怖いが、倒すべき敵である以上、恐怖心よりも戦意が上回る。
だけどゴイシシジミはフレンズで、一応私の守るべき対象だ。
……だから殺すことは出来ない。
その事実が彼女への恐怖心を増長させているのは確かだが、それを除いても、彼女にはセルリアンをはるかに凌ぐ恐ろしさがあった。
ゴイシシジミに比べたらこんなの全然怖くない。
だから、……大丈夫。
「……あ…れ?」
そこで、自分がおかしなことを考えているのに気づいた。
私はゴイシシジミのことを散々怖い怖いと言っているが、今は恐怖心を押しとどめ一歩を踏み出す為の、……心の拠り所にしようとしているのだ。
……なんだか、いろいろと矛盾しているような気がする。
でも、彼女のおかげでこうして恐怖心が薄らいだのは事実で……。
……。
私は、ゴイシシジミに感謝しても良いものかと頭をひねらせる。
彼女のせいで新たな悩みができてしまったが、足取りの方は軽くなっていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
あれからどれだけ歩いたのだろう。
さっきまでとあまり変わらない景色から、そんなに歩いてはいないのではないかと予測する。
私はいつの間にか再び足を止めていた。

一度は収まった恐怖の感情が再発したから、というわけではない。
誰かが私をミていた。
私はただ、その視線に釘付けにされていたのだ。
同意の目。…好奇の目。……殺意の目。
それらのどれにも当てはまらない……無感情な眼。
それは、私が心に抱いていたもやもやを全て消し去ってくれた。
「ぇ……ぇ…?」
バックリと大きく開かれた、目らしき部位は、信じられないくらい真っ暗で、吸い込まれそうになる。
私は、……こんな目をしたひとを知っている。
「……ゴイシシジミさん?」
私は、瞬きひとつしないそいつに呼びかけた。
違う。違うんだ。そんなのは分かっている。こいつが彼女ではないのはわかっている。
だってこいつは……。
「……せ…セルリアン……」
こちらを捉えて離さない、無機質な眼光。
それはフレンズの天敵、セルリアンのものだった。
それを完全に理解した私は、今自分が置かれている状況も理解して青ざめる。
私は何を呑気にセルリアンと見つめあってるんだ。
……こんなに接近するまでセルリアンの存在にも気づかないだなんて。
それは、死に至りうる程に危険な油断。
今までにこんなことは一度も無かった。
本能が警告をしてくれていたから。
にもかかわらずこんな状況に陥ってしまったのは、本能が警戒を怠ったからだ。
私はここのところ、常にゴイシシジミと行動を共にしていた。
本能が拒むキケンな少女と、四六時中一緒だったのだ。
ずっと警戒を続けるなんて、そんなことは出来っこない。
私の彼女への警戒心は、段々と薄れつつあった。
最初のうちはその事実を否定し続けていたが、今では認めざるを得ない程に手遅れなことになってしまっている。
……つまり、私の本能はゴイシシジミのせいでバカになってしまったのだ。
「ゴイシシジミさん……」
私はあなたを恨みます。
ここで死んだら、もっと怨みます。
そして、もし生きて戻ったのなら文句を言ってやります。絶対に。
私はそうかたく決意し、ナイフを強く握りしめた。
まず私がすべきことは、敵を観察すること。
相手の弱点や、攻撃方法、その範囲が分かれば、こちらの勝率はぐっと上がるはずだ。
しかし、私の観察眼はあまり優れてはいない。
その理由は、今までの私の戦闘スタイルにあった。
それは、相手を敵だと判断した次の瞬間に突撃、攻撃をするというもの。
以前はそれでもなんとかなっていたが、今はこの身を守る硬質がほとんど砕け落ちてしまっていて、脆い部分が露出してしまっている。
本来鎧に守られるべきであったであろうそこを狙われてはひとたまりもない。
だから私は慎重にならざるを得なかったのだ。
私は生き残るために、未習熟な観察眼をもってして敵を観る。

セルリアンの大きさは、ゴイシシジミの身長の2倍くらい。
形状は、地面から突き出した1本の柱の上に、眼を有した頭らしきものが付いている、というもの。
頭からは触手のようなものが2本垂れていて、その先端は鋭い刃物のようになっている。
それは、敵を攻撃する以外の用途が思いつかない程に凶悪な形状だった。
…あの触手を伸ばして攻撃をするのだろう。
だとすると、今私が立っている位置はセルリアンの攻撃範囲内ということになる。
ざり……
私は、セルリアンから視線を外さず、一歩後ずさる。
セルリアンもまた、こちらを観ているのか動かない。
一歩……もう一歩。
そのようにして、ジリジリと距離を開いていく。
あと二、三歩で敵の攻撃範囲から出れるだろうと言うところで、背後に気配を感じた。
しまった、挟み込まれた……?!
私は最初、背後から感じる禍々しい気配の正体をセルリアンかと思ったが、彼女の第一声ですぐにそうではないと分かる。
「こんなところにいたのね」
それは、私のよく知る声。
その声を聞いた私は安心したと同時に、恐れを抱いてしまった。
セルリアンのほうがまだマシだと思える程に、彼女が怖い。
それは、ゴイシシジミに初めて会った時に感じた恐怖とはどこか違う。
……とにかく、私は彼女がこの場にいるということが、どういうわけか怖くてたまらないのだ。
怖いと思った時にはもう遅い。
一度恐怖に屈してしまった私は、恐怖に対して負の耐性が付いてしまっていた。
ゴイシシジミによって再びもたらされた恐怖は、あの日と同じように私の身体を縛り付ける。
体が動かない。
手足を動かそうと試みたが、やはりびくともしない。
私は、恐怖と焦りでどうにかなってしまいそうな心を無理やりに落ち着ける。
こんな時こそ冷静にならなければならない。
セルリアンは……まだ動く様子はない。
それなら、セルリアンが動き出すよりも早くこの呪縛を解けばいいだけのことだ。
私は目を閉じ、考えをめぐらせる。
私は前に一度、ゴイシシジミの縛りを自力で打ち破ったことがあったはず。
あの時はどうやって動けるようになった……?
……………………うまく思い出せない。
そもそも、何も特別なことはしなかったはずだ。
ただ動けるような気がして、そうしたら本当に動けた。それだけ。
……でも今は、それがない。
動ける気がしないどころか、絶対に動けないとさえ思ってしまいそうになる。
どうやらこの方法は望み薄のようだった。
……でも、万策が尽きたわけではない。
もうひとつだけ策が残されている。
本命はこっちの方だ。
私が常日頃から考えていた、対ゴイシシジミ用の秘策。
……それは、恐怖の原因を突き止めて、それを解消するというもの。
怖くなくなれば、自然と体の硬直も解けるはず。
実に単純な考えではあるが、その効果は絶大…のはず。
…確実性の有無について考えているほど時間に余裕はない。
私はセルリアンが活動を開始するまでに、この呪いを解かなくてはならないのだ。
私は考える。
まず、私がさっき感じたのは間違いなく恐怖だった。
次に、ゴイシシジミの声が聞こえるまで普通に動けていたことから、セルリアンに対する恐怖ではないということがわかる。
私は、ゴイシシジミの何を恐れている……?
私はあの時確か……彼女がこの場にいることが怖いと思ったはず。
彼女の存在そのものより、この状況に恐れを抱いた。
その恐れの形は、ここ数日ずっと彼女といても抱いたことのないものであった。
これまでと絶対的に違う何か。
これは考えるまでもない。
セルリアンだ。
今目の前にいるセルリアンこそが答えだ。
となると……ゴイシシジミとセルリアンが同時に存在していることで起こりうる可能性…私はそれを恐れている、ということになる。
そこまで考えたところで、私はあることを思い出した。
それは、ゴイシシジミがセルリアンとよく似た真っ暗な瞳を持っているということ。
……それは、セルリアンと彼女を見間違えてしまうほどに似ていた。
そして、あの時私は密かに思ってしまったのだ。
………彼女は実はセルリアンなんじゃないかと。
…………。
私は思考がズレ始めてしまったことに気づいた。
これではいけないと思い、本題に戻る。
すると…つまり私は……彼女がセルリアンと結託して襲いかかってくることを恐れている……?
……多分違う。
私はゴイシシジミに心を完全に許したわけじゃない。
だから、常に疑いの目は向けているつもりだ。
寝首をかかれないように、日々警戒の手をできるだけゆるめないように心掛けている。
だから彼女を疑うことなんて、今更怖くもなんともない。
彼女から実際に攻撃を受けたら、疑いかけていた本能を再び信じることが出来て、むしろ喜しいくらいだ。
今の私にはゴイシシジミを疑うことよりも、信じることの方がよっぽど怖い。
……信じることの方が……怖い。
彼女を完全に信用してしまうことによって生じる不利益……それが怖い。
もし私がゴイシシジミのことを信用していたなら、……きっと彼女は、私にとって友達と呼べる存在になっていただろう。
でも、私には彼女と友達になれない理由がある。
友達は作らないという私の信念に反するから、私は彼女とも仲良くできない。
……私が友達を作らない理由。
それは、私が強くないから。
私がセルリアンとの戦いで命を落とすのは、私の中で既に決められていることだ。
私は……自分の弱さのせいで、置き去りにしてしまった大切な友達の人生を、壊してしまうのが怖いのだ。
…………これが……答え?
私の感じている、恐怖の正体……?
でも、でもこれはもしもの話だ。
私はゴイシシジミのことを信用してはいないし、友達だとも思ってないはず……。
なのに……どうして?
私は、恐怖の原因が別にあるのではないかと思い、酷く脆弱な思考回路を再び繋げた。
すぐに頭の中をぐるぐると廻って致命的なエラーの原因を探し始める。
しかし、いくら思考を巡らせても他に答えが見つからない。
……………。
私は……彼女を信じかけている……?
そして、大切だとすら思いつつあるとしたら……。
……薄々は気付いていた。
でも、私は目を背けてしまった。
それを認めてしまったら、もう元には戻れない。
…………認めざるを得ないの……?
すっかり臆病者と成り果ててしまった私は、退路を残して中途半端に事実を認める。
私は彼女のことが……そこまで嫌いじゃないのかもしれない。
……それを認めたからといって、問題が解決される訳ではない。
呪縛から開放されるまでの過程のひとつ。
恐怖の原因を突き止めたに過ぎないのだ。
……私はこれから、どうやってこの恐怖を克服すればいい?
……………………。
私の頭はあまり良くはないのだろう。
秘策だなんて大層なことを言っていたが、一番肝心な恐怖の原因の解消方法がてんでわからない。
私は結局、策と呼ぶにはあまりにも稚拙な手段を選んでいた。
死ぬことなんて怖くない。
残された人の事なんて知るもんか。
そう自分に言い聞かせる。
声は出ないから頭の中で唱える。
ゴイシシジミがセルリアンに殺されることなんて、怖くない。
二度と会えなくなったって……全然構わない。
何度も、何度も言い聞かせる。
……しかし体は動かない。
それどころか、感情で偽ろうとすればするほど、体は心への信頼をなくし、言うことを聞かなくなる。
動け
このまま終わるなんてできない。
だから……
動け
たとえ相手が、自分に非常食の烙印を押すようなひとであろうと、私が兵士である以上守らなくてはならない。戦わなくてはならない。
動け動け動け動け動け動け動け……!
……どれだけ強く念じても、体は動かない。
私はセルリアンの攻撃範囲に入ったままだ。
そして、やつはもう観察を終えたのか既に触手を振り上げている。
身体中の感覚が遮断されたその代わりというように、その姿がより鮮明に映し出されて……。
セルリアンの触手がこちらへと迫ってきている。
それは真っ直ぐと私を捉え、命ごと貫こうとする。
尖ったものが目に飛び込み、私がもうダメかと思った瞬間……
ドンッ
私にかけられた呪縛は打ち破られた。
それも、予想外の形で。
不意に視界が傾く。
不測の衝撃を身に受けた私は宙を舞い、そして地面に叩きつけられた。
「いた……」
私はすぐに立ち上がると、セルリアンを見合った。
が、セルリアンはこちらを全く見ようとしない。
セルリアンの視線の先には……ゴイシシジミがいた。
彼女は地面にうずくまっている。
そして、その傍らには……腕、のようなものが落ちていて、…それを中心に、赤い色が広がっていた。
「そんなッ!!」
私は全ての思考を打ち切り、全力で駆ける。
私の中にはもう、生きるために必要な最低限の恐怖すらもなくなっていた。
今回はちょっと長いので分割して上げてます
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
気がつけば死地の真っ只中。
私はセルリアンとフレンズの間に割って入っていた。
「…………」
背後からは、あの無色透明な笑顔からは想像できないような濁った呻き声が聞こえる。
その声は、血の匂いを纏って痛みを訴える。
熱を持った血の匂いが、理不尽な痛みに身を縮める少女の悲痛な声が、……私を激しく興奮させる。
血が逆流してしまったような感覚。
頭が熱い。
荒くなった私の呼吸が、背後の少女のそれと重なる。
「……」
私はこれら全ての邪魔な感覚を無視する。
……身を滅ぼすような感情はいらない。
私は……この敵に本能だけで立ち向かう。
✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕
……それから先のことは、よく覚えてない。
無我夢中だった。
セルリアンは目の前から消え失せ、手に握っていたナイフには黒い液体がべっとりとついている。
「はぁ……はぁ………かった…?」
ふと、足にズキっとした痛みが走る。
私は痛みの方に目をやった。
いつの間にか怪我をしていたらしい。
傷口からは、脈々と血液が流れている。
その一筋の赤い流れが、私に何かを思い出させる。
"キミのためなら……こんな痛み、なんてことないよ。 "
……あるはずの無い記憶。
それは、私じゃない誰かの……痛み。
「……そうだ、ゴイシシジミさん…!」
私はまだ地面に伏せたままの彼女に駆け寄る。
「ゴイシシジミさん、大丈夫ですか……?」
私は、そんな模範的でなんの心もこもらないような、空っぽな言葉で彼女の心配をした。
大丈夫なわけがない。
片腕を失ったのだ。
「ごめんなさい……私が……」
私が次に続けようとした言葉は、目の前の異様な光景を前に霧散してしまった。
彼女は、……ゴイシシジミが…………セルリアンに切断された自らの腕を……食べていた。
一心不乱に、何かにとりつかれたように。
服が血で汚れることなんて気にせず、バリバリ、ガリガリと。
そんな恐ろしいはずの光景を見ても、私の心はなぜか落ち着いていた。
いつだったか、こんな光景をすぐ近くで見たことがあるような気がする。
詳しく思い出そうとしたところで、顔を上げたゴイシシジミと目が合った。
「あの、えっと……」
黙っているわけにもいかず、何か声をかけようとしたけど、なんて言えばいいのか分からない。
そんな私の顔を見るや否や、彼女は顔を伏せた。
「ご、ごめんね。……こわがらせ、ちゃった…わよね」
ゴイシシジミは私に謝罪の言葉を言ったが、そんなのはどうでもよかった。

彼女が顔を伏せる前に一瞬だけ見せたあの表情が、……頭に焼き付いて離れない。
今にも泣き出してしまいそうな…潤んだ瞳。
それは、私が恐れ、嫌ったあの少女のものとは思えないくらいに弱々しいものだった。
「ゴイシシジミさん……、」
「そ、そんなことより! ……あなた意外と強いのね。びっくりしちゃった」
私が言おうとした言葉は、彼女に遮られてしまった。
それは、彼女から私への初めての拒絶。
私は彼女に拒絶されて、……少し安心してしまった。
あのままでは、私はまた心無いことを言っていたかもしれなかったから。
「ぁ……、…………」
彼女の言葉から何も言われたくない、という意思が見えたので、それ以上は何も言えなかった。
……この時私は、なにか言葉をかけてあげるべきだった。
彼女は明らかに傷ついていたのに……。
後悔した私は、これ以上後悔しないようにと言葉を紡ぎ出そうとする。
「あの、腕……」
「…………私は……あなたと同じフレンズよ」
ゴイシシジミは、"両手"でスカートの裾をぎゅっと掴んで言った。
彼女は俯いていてその表情は伺えなかったけれど、見なくても分かる。
さっき一瞬だけ見せた表情。
あの……今にも泣き出してしまいそうな、弱々しい顔。
今の彼女はきっとそんな顔をしているのだろう。
何か言葉をかけなければ。
……でも、こんな時なんていえばいいのか分からない。
あれでもないこれでもないと考えあぐねているうちに時間が過ぎていく。
そうしてようやく思いついた言葉を口にしようと顔を上げた時には、もう…遅かった。
ゴイシシジミはもう顔を上げていて、彼女がいつもそうするように
柔らかく微笑んでいた。
…………ごめんなさい。
ーーーーーーーーーーーーーーー
あの後、ゴイシシジミは無毒な草を探すのを手伝ってくれた。
その間、彼女はいつにもまして口数が多かった。
綺麗な花を見つけた時や、私のお腹が鳴った時。
ことあるごとに話しかけてきた。
私はその度に相槌を打って、笑顔を作ったりしてみた。
そうして、二人で歩いているうちに水の流れる音が聞こえてきた。
音のほうへ行くと、そこは川。
川辺に生えていた草は毒のないものばかりで、私はようやく空腹を満たすことが出来た。
私が食事をしている間、ゴイシシジミは川で服に付いた血を洗い落としていた。
彼女は私が見ていることに気づくと、笑顔を作り、少しだけ手を上げてこちらに振った。
私は同じように手を振り返すと、あまり邪魔するのは悪いと思い、それ以上彼女を見ないようにした。
私が食事を終え、足に付いた血を川で洗い流していると、ゴイシシジミが来た。
どうやら服を洗い終えたらしい。
血で赤く染まってしまっていた部分も、今では元の白さを取り戻している。
それぞれの用事を済ませた私たちは、これからのことについて話し合った。
そして、暗くなる前に南森に戻ろうということになった。
南森とはその名の通り、島の南の方にある森だ。
ゴイシシジミ曰く、南森が一番セルリアンが少なくて安全なのだと言う。
・・・・・・・・・・・・・・・
南森への帰り道。
ゴイシシジミの口数は少しだけ減ったが、相変わらず私に話しかけてくれる。
何にもなくても私の名前を呼んだりする彼女だったが、彼女がいつもしてくる、急に抱きつく等の過度なスキンシップをしてくることはなかった。
それどころか、私が一歩近づくと彼女は一歩離れる。
私が怪訝な顔をしているのに気づいた彼女は、「ほら、これ…臭いから……ね」と言って申し訳なさそうに右の袖を摘んで見せてきた。
そこは、彼女が特に念入りに洗っていた部分。
血の汚れはほぼ完璧に落とされていて、今では見る影もない。
…だけど、うっすらと血の匂いが残っていた。
ゴイシシジミの言葉を聞いて、そんなことか、と思った私は彼女に一歩歩み寄る。

すると彼女がまた身を引こうとしたので、腕を掴んで阻止してやる。
すると、掴んだ右手は少しの抵抗を見せた後、やがて大人しくなった。
私の束縛を受けたゴイシシジミは、何が起こったのか分からず理解が追いつかない、というような顔をしていた。
これで彼女にも、こちらの気持ちが少しは分かるだろうか…?
…………。
何故こんなことをしたのかは自分でもよく分からない。
ただ、そうしたいと思った。
……私の頭はどうかしてしまったのかもしれない。
でもまあ、珍しく動揺するゴイシシジミが見れたから別にいいか……。
「……さ、ささ、ささこ…? これ……なに…?!」
彼女の問いかけに私は答えない。
「早く帰りましょう」
・・★・・*・・★*●・★・・★・*・・*★・・*
私がゴイシシジミの手を引き、南森に着いたのは日が沈んだあとのこと。
こんなに遅くなってしまったのは、ここへ向かう途中、急にゴイシシジミがウトウトとし始めたからだ。
彼女の足取りが急に不確かになったのに気づき、私が振り返るとそこには……立ったまま寝るゴイシシジミがいた。
信じられなかった。
私がこの手を離して一人で帰ったら、一体どうするつもりだったのだろうか…?
結局私は彼女のことを起こすに起こせずに、半ば引ずるようにしてここに戻ってきたのだ。
・・・
あたりはもうほとんど真っ暗だ。
私がゴイシシジミを"いつもの木"の下に寝かすと、彼女はすぐに寝息を立て始めた。
無防備に眠るゴイシシジミの背中が、星明かりに照らされている。
今日は色々あって、疲れたのだろう。
私はその背中をぼんやりと見ながら、今日のことを思い出していた。
…………。
彼女は言った。
同じフレンズだと。
今にも泣きそうな顔で、泣いているような声で言った。
私はその彼女の言葉を疑いはしない。
……だけど、私は一度、彼女のことをセルリアンではないかとまで思ってしまった。
あの言葉を聞いた時、私の心は彼女にとても酷いことをしてしまったという罪悪感でいっぱいだった。
故に、言葉の意味を深くは考えられなかった。
でも今ならなんとなく分かる。
……ゴイシシジミはあの時、私に拒絶されるのが怖かったんだと思う。
私はずっと、彼女の上辺を見て拒絶していた。
彼女のことを得体の知れないひとと称し、恐れていた。
そんな時に、いきなり彼女の本質を見てしまった。
多分あの時私に見せたのが、ゴイシシジミの本当の姿なんだと思う。
私が本当のゴイシシジミを拒絶してしまったら、……彼女はきっと一人ぼっちになってしまう。
……ずっと一緒にいた私だから分かる。
だって、…あんなにも怖いのだ。
彼女の誰よりもやさしい心が見えなくなってしまうほどに……怖いんだ。
……もしかして彼女は、今までずっと、みんなから怖がられて拒絶されてきたのではないか…?
現に、ゴイシシジミと他の誰かが一緒にいるのを見たことがない。
彼女の唯一の友達がいなくなってしまった今、残されたのは……私だけ。
「なんで私なんだろう……」
私はなんの変哲もないただのフレンズ。
特別やさしい訳でもないし、……むしろたくさん酷いことを言った。
でも、彼女は私と一緒にいる。
……。
私は……ただのフレンズ。
彼女の友達に似ていたからって、それは変わらない。
そしてゴイシシジミは……切られた腕が新しく生えてくるだけの、一人のフレンズ。
同じ……フレンズ。
フレンズ……か。
前に、フレンズというのはどこかの言葉で、友達と言う意味があると聞いたことがある。
「友達……」
友達を作るのが怖くて、逃げてしまった私と
決して一人になるまいと、懸命に努力する彼女
なんだ、ゴイシシジミは私なんかよりもよっぽどフレンズらしいじゃないか。
そこでようやく気づく。
ああ……そうか。
逆だったんだ。
普通じゃないのは私の方。
今までずっと、必要以上に他者と関わろうとしなかったから、気づけなかった。
……こんなフレンズらしからぬ私を受け入れてくれるのは、きっと彼女くらいなんだろうな……。
……私が彼女のことを拒絶しなければ、傷つけなければ、……ずっと一緒にいてくれるのかな…?
「ふわぁ……」
ふと、あくびが出て、直前に考えていたことも一緒に頭の外に出ていってしまう。
半分くらいは出ていった気がする。
私は随分と考え込んでしまったと思い、寝る準備を始めようとした。……準備と言っても横になるだけなんだけど。
しかし、まだ眠ることは出来そうにない。
ゴイシシジミの様子がおかしいことに気づいたのだ。
彼女は寝息に混じってうめき声を上げている。
何事かと思い、正面に回り込んで彼女の顔を見ると、どうやらうなされているようだった。
怖い夢でも見ているのだろうか……?
……。
起こした方がいいのかな…?
「…………いか…ないで………」
「!?」
どうしたものかと考えあぐねている時に、急に声が聞こえたものだからドキッとした。
……それはただの寝言だった。
ただの寝言なのに……。
ふいに彼女が晒した彼女の内側は、とても悲しい色をしていて……。
私は無意識に、ゴイシシジミの頭を撫でていた。
すると、一雫の涙が彼女の頬を伝った。
……。
彼女が決して見せようとしなかった涙を盗み見てしまったという罪悪感が胸を刺す。
……………………………………。
……起こすのを躊躇ってしまう。
彼女の寝息を聞いてしまったから。
……やめておこう。
今起こしたところで、どんな顔をすればいいのか分からない。
それに今無理に起こしてしまえば、彼女の見た夢を、彼女自身の記憶に留めてしまうことになりかねない。
夢なんて、目が覚めれば自然と忘れてしまうもの。
どんなに悲しいことも、嬉しい気持ちも、等しく、長くは留まらない。
時には、それが寂しいと感じることがあったりもするけれど、その寂しさもその時限りのものなんだ。
……だから、私は見て見ぬふりをするの……?
だって、私にできることは何もないから。
……本当に私にできることはないのかな?
そんなことを考えながらゴイシシジミをみていると、彼女が微かに震えていることに気づいた。
寝言と涙に気を取られていて、全然気が付かなかった。
「寒いのかな…?」
それなら、と思い私はゴイシシジミの背中側に回り、横になった。
そして、彼女の背中に自分のそれを重ねる。
…………。
背中を通じて、彼女の体温や震えが伝わってくる。
でもそれは、今だけのこと。
やがて、彼女の体の震えは収まり、やさしい体温だけが残る。
今なら、ゴイシシジミのことを少しは理解出来るかもしれない。
明日からはもっとちゃんと彼女の話を聞いて、仲良くなる努力をしよう。
そうすれば、いつか本当の友達にもなれるかもしれない。
私は、これからの彼女との接し方について、あれやこれやとかんがえようとしたけど、でも……だけどいまは、……ただ、……ねむい。
「おやすみなさい……」
・・・・・・・・・・・・・・☀︎・・
……朝日が眩しい。
私が人生で一番の深い眠りから覚めると、まだ背中が暖かい。
私よりも早く寝たはずのゴイシシジミはまだ寝ていた。
「くわぁ〜」
背中の方でモゾモゾ動く気配がする。
私が大きな欠伸をすると同時にゴイシシジミが目覚めたようだった。
「んぅ……何してるのぉ……?」
ゴイシシジミは目をこすりながら、寝起きの、へにゃへにゃな声で私に問いかけた。
「ゴイシシジミさんが寒そうだったので……」
私ががそう言うと、ゴイシシジミもまた、大きな欠伸をした後、少し口元を緩めて言った。
「……あなたがそれを言うの?」
ゴイシシジミはそう言うと、おもむろに自分のマフラーを脱いで私の首元に巻いてきた。
「あの、これ……」
「寒かったんでしょ?」
「いえ、私は全然……」
「遠慮しなくてもいいのよ。私も気になってたから。そんな格好で寒くないわけがないわよね」
私が否定しようとしまいと、彼女には関係ないらしい。
このままでは本当に、この暖かくてモフモフな夢のような物体を押し付けられてしまうかもしれない。
「あの、私ほんとうに…!」
「それに、……貴方が寒さで死んじゃったりしたら、私も困るもの」
言葉を遮られて、最後まで言わせてもらえない。
ちょっとムッとした私は、少し意地悪な返しをすることにした。
「非常食ですか?」
私は、かつて最も恐れた言葉を言った。
でもこの言葉には、もう恐れや敵意の意味は無い。
私はただ純粋に、彼女とのコミュニケーションを楽しんでいた。
「そうよ? それに今貴方が死んじゃったら私、退屈すぎて死んじゃうわ」
ゴイシシジミはそう言って、幸せそうに笑う。
そんな顔をされると、もう要らないだなんて言えない。
…………………………………………。
……私は仕方がないのでこのモフモフを甘んじて受け入れることにした。
「後で返して欲しいって言っても、返してあげませんからね」

尊さが溢れて、感想の語彙が蒸発しそうです
各挿絵からは文章にマッチしたイメージが伝わってきました
緊迫感のある戦闘シーンが二人で苦難を乗り越えての休息の時間を引き立てていて、SS書きとしてもこれ以上ない良い例として勉強になりました
あと、戦闘シーンもそうですが、ササコが自分自身の感情を冷静に分析したのもその後の心理に影響したのかな?と考察もできて、読んでいて非常に楽しめました!
完結まで楽しみです!
いつも感想ありがとうございます
少し時間がかかってしまうかもしれませんが、必ずや完走してみせますので、それまでどうかお付き合いくださいませ
このssがひと段落したら、ダァッたーさんの書かれているssを是非!読ませていただきたいと思うてます🐓
ものすごいテキストの量でびっくしりました セリフ少ないのに心理描写でうまく展開を進めていてすごい
手に汗握るセルリアンとの攻防、そしてササコちゃんの心の中に変化が芽生えつつありますね
今後の展開にも目が離せないぜ👀
あれからというもの、私は一度もセルリアンに遭遇していない。
…危険が無いのはいいことだ。
でも私は、平穏な日々がずっと続いていることに、焦燥を感じ始めていた。
このまま、ゴイシシジミとの安らかな日常に、かまけていていいのだろうか…?
これではいつか、…大変なことになってしまう気がする。
もし、……私が今以上に弱くなってしまったら…。
私は、いつしかゴイシシジミが見せた悲しい顔を思い出す。
私が弱かったから、彼女を深く傷つけた。
それに、……それだけではない。
彼女の、苦痛を纏った呻き声。
地面に散ってしまった、彼女の生きてきた時間。
赤く汚れてしまった、やさしい笑顔。
それら全ては、私の無力によってもたらされたものだ。
……次は、あれだけでは済まないかもしれない。
私は目を閉じ、最悪な未来を想像する。
……真っ赤に染まった視界。
私は、血と吐瀉物の混ざった、汚らわしい水溜まりの中心に立っている。
そして、もう決して元には戻らないであろう潰れた肉の塊を見下ろして、呼びかけるのだ。
何度も。何度も。
喉が潰れて、声が出なくなるまで。
ずっと、ずっと…呼びかける。
そうして、喉が裂けてようやく静かになった時に初めて、彼女のやさしい声を思い出す。
でもそれは、過ぎ去った記憶の断片に過ぎない。
私がいくら涙を流しても、誰もやさしく慰めてなどくれない。
泣いて、泣いて、時間だけが過ぎてゆく。
…それなら、私の涙はいずれ赤く染まるだろう。
そして、赤い涙に呼応するように、真っ赤な雨が降り出す。
その熱い雨粒が、私の大切だったものをどろどろに溶かしてしまうんだ。
そこには、一つを除いて何も残らない。
……そこに残ったのは一本の錆びたナイフ。
私はそのナイフを……。
……そんなのは、絶対に嫌だ。
おぞましい想像をしてしまい、吐きそうになるのをぐっと堪える。
ここで吐くわけにはいかない。
吐いて、スッキリなんてしてたまるか。
最悪の事態の想定は、常に頭の片隅に住まわせておかなくてはならないのだ。
私の吐き気が収まった頃、前を歩いていたゴイシシジミが足を止めた。
……そうだ、私は今彼女に連れられて、新しい寝床を探すために歩いていたんだった。
確か……気分転換がしたいとか言っていた気がする。
私が彼女に、別に今のままでいいと言っても聞き入れては貰えず、結局今こうして歩いていたのだった。
「あ、ちょっと待って」
立ち止まったゴイシシジミはそう言って、私を手で制する。
彼女の顔を見ると、少し強ばった表情で茂みの奥の方、一点を見つめていた。
「ゴイシシジミさん、あっちに何かあるんですか?」
私はゴイシシジミの制止の手をくぐり抜けて、彼女の視線の先を見た。
……茂みの奥の方に、フレンズよりも大きめの影がひとつある。
「……セルリアン、ですか」
「ええ、だから別の道を……」
ここで彼女の提案を受け入れてしまえば、私の想像が現実になる日がいつか訪れてしまうかもしれない。
だったら、ここは彼女の言葉を無視してでも戦うべきだろう。
「私が行って倒してきます」
「だめ!」
私がそう言うやいなや、ゴイシシジミが語気を強めてそれを否定した。
静かな森に、彼女の声が響く。
……そんな不用意な彼女の大声に反応して、セルリアンがこちらの存在に気づいてしまった。
「あなたは下がっていてください」
私は少しだけ言葉に不快感を込めて言った。
だが彼女はそんなの意に介さないという風に、またもや私の言葉を否定する。
「だめよ。あなたも一緒に逃げるの」
ゴイシシジミはそう言うと、セルリアンに背を向け走り出す。
私もその後に続く。
左腕を掴まれていたから、私も走らざるを得なかった。
私が立ち止まれば、彼女も立ち止まるだろう。
もしそうなれば、二人ともみちずれになってしまう。
…仕方がないので、私は走りながら彼女に抗議することにした。
「なんの…つもりですか…! 離してっ…ください!」
「嫌よ…!」
「私は兵士なんです! ……だからっ敵を前にして、逃げるなんて……出来ません…!」
私が言ったのは完全なでまかせだった。
兵士だから戦わなくてはならないと言ったような使命感なんて、本当はもうどこにも残ってはいない。
それはある日を境に、消えてしまったのだ。
「そんなの!…知らないわっ……無駄口叩く余裕があるなら……もっと速く走って!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「どうして、行かせてくれなかったんですか……?」
私は、両手を膝につき肩で息をするゴイシシジミに問いかけた。
その言葉には、少しだけトゲが含まれていたかもしれない。
「どうして、って……だってあなた、怪我してるじゃない」
ゴイシシジミはそう言うと、私の左足を指さす。
それを知っていたのなら、急に走らせないで欲しい。
そんな私の思いが伝わったのか、ゴイシシジミは少し困ったような顔をした。
「こんな怪我、生きていれば誰だって……」
私はそう言いかけて口を噤む。
私の言おうとしたことが必ずしも正解ではないことは、ゴイシシジミの全身を見ればわかる。
「いい? 逃げられる時は、逃げるの」
「…………」
「返事は?」
急に押し黙った私を見て、彼女は少しだけ口を尖らせてそう言った。
「納得できません」
「納得できないって……。…とにかく、私の言う通りにして」
「……できません」
「あなたが頷くまで、何度だって言うからね」
今日はゴイシシジミが妙に食い下がってくる。
でも、私も考えを改めるつもりはない。
互いに一歩も引くつもりがないせいで、会話はずっと平行線を辿っている。
…このままだと、このあまり楽しくない会話をいつまでも続けることになってしまう。
それは嫌だ。
せっかくなら、私は彼女ともっと楽しい話をしたい。
だから私は、うまく話題をそらせるような一言を考える。
ゴイシシジミは意外と押しに弱く、流されやすいところがある。
だから、そこをつく。
なんとか話題をすり替えて有耶無耶にして、早々に話を切り上げてしまおう。
……しかし、並大抵な話題の転換では、今の強情な彼女には通用しないだろう。
何か、ゴイシシジミが反応せざるを得ないような言葉は……。
私は少し考えて、その言葉を思いついた。
でもこれはちょっと……いや、かなり失礼な一言だ。
でも、これくらい言わないと話を聞いてくれない気がする。
うーん……………。
「…………仕方ないか」
「…? わかってくれた?」
ゴイシシジミの心底安心したような表情が痛い。
私は今から、この柔らかく微笑む無防備な彼女に、ひどいことを言おうというのか…。
……後でちゃんと謝ろう。
私は覚悟を決め、そのとんでもない一言を口にする。
「ゴイシシジミさん、なんか血なまぐさい…です」
「ぇ………………」
一瞬のうちに空気が凍りつく。
言った瞬間、私はしまったと思った。
だけど、もう手遅れ。
口から出た言葉は戻らない。
ゴイシシジミは口の端を不自然に吊り上げ、目を見開き瞬きひとつしない。
彼女はそのなんとも言えない表情のまま、完全に固まってしまっていた。
これは絶対に、私が悪い。
「ご、ごめんなさい! 今のはほんの冗談で……。というか! …そんなに嫌いな匂いじゃないって言うか、…むしろ好きなくらいで……」
私は何を言っているんだ……。
直前の無礼な発言を謝り、なんとか取り繕おうという私の試みは失敗に終わった。
……というか、今の彼女には私の声すら聞こえてすらいないようだった。
ああ、私はなんてことを…。
さっきまで固まったままだったゴイシシジミは、今は少しだけ違った様子。
彼女はわなわなと震え、しきりに瞬きをしている。
これは私の言葉を完全に理解し、怒りに打ち震えているということか。
そんなゴイシシジミの様子を呆然と眺める。
……私は、彼女がかつて私に言ったあの言葉を思い出していた。
"あなた、そんな事ばっかり言ってると、いつか殺されちゃうわよ?"
……これは殺されても文句は言えないな。
というか、もういっそひと思いに殺っちゃってください…!
私が死を受け入れる風なことを口走りそうになった時、顔を赤くしたゴイシシジミが口を開いた。
「も、もう! ひどいこと言わないのっ…! 」
「ぁ、…はい。ごめんなさい」
……怒られた。
彼女は少し眉を吊り上げていたが、それは直ぐに水平になる。
なんだか神妙な面持ちだ。
「…あなたはどうして、そんなに死に急ぐの?」
ゴイシシジミは小さくため息をついて言った。
「私は…死に急いだりなんかしていません」
「そう、自覚がないのね」
「自覚がないも何も、…私は本当に……」
「あなたがそのつもりでも、私には死にたがっているようにしか見えないわ」
「………………」
「あなたが死んで悲しむ人もいるのが分からないの?」
ゴイシシジミが私のことを何もかも分かったかのように言ってくる。
でもそんなのは、ただの勘違いにすぎない。
だから私は断固とした口調で言ってやる。
「いませんよ」
「…何?」
「私が死んでも、悲しむ人なんていません」
「そ、そんなことないでしょ? …きっと誰か……」
「そんなことありますよ? …だって私、友達とか一人もいませんから」
「私は……ん…」
「初めて会った時、言いましたよね? 友達は作らないって」
「それは…聞いたけど……」
ゴイシシジミは少し俯き、言葉を続ける。
「でも、どうして? ……あなたはどうしてそんなにも、…一人になろうとするの?」
「…だって、私は兵士なんです。…兵士に友達なんて、必要ないから……」
自分でも分かっている。
こんなの友達を作らない理由になんかならない。
咄嗟に口から出たでまかせだ。
そのことは彼女にも見透かされているようで、「本当に…?」と言って私の目をじっと見つめてくる。
「兵士だとかそんなのは抜きにして、あなたの言葉を聞きたいわ」
「……………」
なんと言えばいいのか分からず、私が言葉に詰まっていると、ゴイシシジミが小さな声で呟いた。
「…怖いのね」
「……ぇ…?」
私は彼女の言葉を聞いて、ひどく動揺した。
なぜなら、それは本当のことだったから。
「私には、あなたが友達を作ることに怯えているように見えるの」
ゴイシシジミは「違ったらごめんね」と一言付け足して、更に続けた。
「教えて。…死ぬことよりもこわいことって何? 」
彼女は真っ直ぐな目で私を射抜く。
逃げることなんて許さないと言うような、そんな視線。
……いや、違う。
きっとこれは私自身によってもたらされた錯覚。
ここで私が返答を拒んでも、きっと彼女は許してくれる。
でも私の心が、それを望んでいないのだ。
私は、…彼女に本当の私を知ってほしい。
彼女が私の内面を見て、どう思うのかを知りたい。
だから、私は……。
私は、彼女に本心を打ち明けることにした。
「……私は、自分の失敗で誰かが傷ついたり、悲しんだりするのが…こわいんです」
私はぽつりぽつりと話し始めた。
「私は今までに何度もセルリアンと戦ってきました。…時には、誰かを守るために。私は、それが自分の使命だと思っていたし、何も疑問を抱くことはありませんでした。……でも、そんな私の…愚かしい思考停止の日々が、いつまでも続くことはありませんでした。ある日、私は気づいてしまったんです。………私が、知らず知らずのうちに、…みんなを傷つけていたことに。……本当はもっと早くに気づいていたのかもしれませんが……。きっと私は、ずっと見て見ぬふりを続けていたんでしょうね。……私が、目を背けたかったもの…。それは、命を賭して守ったその人の…顔でした。……戦い、傷ついた私を見て、みんな悲しい顔をします。…中には、責任を感じて自分を責める人もいました。…そんなやさしい人たちがもし、…もし私が死んだことを知ってしまったら…? ……想像するだけで、胸が…潰れそうなほど苦しくなりました。……それからです。私が、誰とも上手く話せなくなったのは。……喋り方だって、最初はこんなんじゃ…なかったんです。………次第によそよそしい態度になっていく私に、みんなは今まで通りに、優しく接してくれました。……でも、私はその優しさから逃げてしまったんです」
「……どうしてって、訊いてもいいかしら?」
それまで黙って私の話を聞いてくれていたゴイシシジミが、遠慮がちに質問をしてくる。
「簡単な話ですよ?…私にはその優しさが耐えられなかった。…それだけです。…あ、でも私は後悔なんてしてませんよ。だって、あのまま一緒にいれば……私はきっと、この命が尽きる日までずっと、後ろめたさを感じて生きていくことになっていたでしょうから」
「そんなの……」
ゴイシシジミはどうにも腑に落ちないという顔をしていた。
だから、私は最後にこう言った。
「心に一生消えない傷を負わせる。きっとそれは何よりも罪深いことなんです。だって、…悲しいのは、時にセルリアンよりも厄介なんですよ。悲しみはその人の人生そのものを、不幸なものにしますからね」
「…………」
ゴイシシジミは俯き、何かを考えているようだった。
やがて、何かを思いついたのだろう。
彼女はその言葉を、俯いたまま口にする。
「私には、あなたが自分の手を汚したくないだけの偽善者に見えるわ」
「そうですね。…その通りです」
私はてっきり、ゴイシシジミは私の考えを理解して受け入れてくれると思っていた。
自分でも随分とムシのいい話だとは思う。
でも、彼女ならと期待してしまっていた。
だからだろうか…。
彼女の意見を聞いた時、私は少しだけ落胆してしまったのだ。
「大体ねえ、…拒絶されれば誰だって悲しいの。傷つくの。あなたにはそれが分からないの?」
ゴイシシジミはさっきのように俯きがちにではなく、真っ直ぐとこちらを見て言った。
彼女の表情は誠実そのものだったけれど、言葉の端々には怒りの感情が込められていて、気圧されそうになる。
私もそれに負けじと、声を出す。
「そんなことは分かっています。でも、大切な友達を失った時に感じる悲しみに比べれば、幾分かマシなはずです」
「そんなの……誰かを傷つけていい理由にはならないし、悲しい気持ちに上下を付けるなんてもってのほかよ」
「それは……」
彼女の言い分は至って正しい。
だからこそ、言葉を重ねれば重ねるほどに、私が理屈だと思い込もうとしていたものは紛れもない屁理屈になってしまう。
「じゃあ、私はどうすればよかったんですか?」
ついにどうしようもなくなった私は、投げやりに言った。
それを聞いたゴイシシジミは、ゆっくりと立ち上がると、私の背後に回る。
そして、私を無理やりに立たせ、また正面に回ってきた。
「あなたに今必要なのはお説教じゃないみたいね…。ついてきて。教えてあげるから」
彼女はそう言うと私の前を歩き出した。
今回も分割して上げてます
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「あの子がいいわね。ほら、来て」
「何をするつもりですか…?」
ゴイシシジミの視線の先には、一人のフレンズがいた。
それは見覚えのある姿をしていて、この間私に友達になりたいと言ったあの子だった。
……なんだかすごく嫌な予感がする。
「ほら、行くわよ」
ゴイシシジミはそう言うと、私の腕を引っ掴んでグイグイと引っ張った。
「ち、ちょっと待ってください!」
私はその場に踏み留まろうと、足に力を入れた。
…しかし、その行為が身を結ぶことはなく、靴が地面にすれてザリザリと音を立てるだけだ。
「っとお…!どこが非力なんですかぁ……まって!本当に待ってください…!」
私の抵抗は空しく、とうとうゴイシシジミが立ち止まることはなかった。
…今、ゴイシシジミの背中の向こうにはあの時の少女が……。
「あなた、ちょっといいかしら?」
「わたし?」
「そう、あなたよ」
「わたしに何か…ひゃうっ!」
「どうしたの? 急に素っ頓狂な声なんか出して」
「あ…あのあの…あなたもしかして……ゴイシシジミさん、ですか…?」
「そうよ? 初めまして」
「…た」
「た?」
「たたたたべないでください!!」
「はあ…別にあなたを食べたりなんてしないわよ」
「ぅうわたしなんてつぁべてもおおいしくにゃいれすよぉおお!!!!………へ? たべない…ほんとうに…?」
「ええ、約束するわ」
「よ、よかったぁ〜」
私はゴイシシジミに腕を掴まれていたため逃げることも叶わない。
だから今の私にできるのは、二人の会話に耳を傾けるか、観念したように項垂れるかのどちらかしか無い。
そこで私が選んだのは、それら両方だった。
私は、項垂れつつ二人の会話に耳を傾ける。
「えっと……今日はあなたにお願いがあって来たの」
「お願い?もしかしてたべ…」
「食べないから。…実はこの子と友達になってあげてほしいの」
「ともだち!?もちろん!!いいよ!!」
……なんだか妙に興味深げな視線を感じる。
私が顔を上げると、ゴイシシジミの肩越しにあの少女と目が合った。
「あ、その子…」
少女の見せた残念そうな顔が、あの時の彼女のそれと重なる。
…私はまた、この子をがっかりさせてしまったのだ。
「どうしたの?」
「前に会った時に、友達にはなれないって…」
「あなたねぇ…もうちょっとマシな言い方はなかったの?」
「……」
ゴイシシジミはそう言うと、私を少女の前に立たせようとしたが、私は彼女の背中にしがみつき、抵抗をする。
恥ずかしいからとか、そんなんじゃない。
私の存在が彼女の表情を曇らせてしまっているのだから、このまま隠れていた方がいいと思った。
…本当に、ただそれだけのこと。
「しょうがない子ね…」
ゴイシシジミは、まるで聞き分けのない子供に呆れたというような声色で言った。
「ねえ、貴方に聞きたいことがあるの」
「なぁに〜?」
少女の声から、先程の嬉々とした様子とは打って変わってしゅんと落ち込んでしまっているのが分かる。
…そんな少女にゴイシシジミは、更に気分が落ち込んでしまいそうな質問をぶつける。
「あなたは、もしも仲良しの友達が突然いなくなっちゃったら…悲しい?」
「当たり前だよー」
「だったら、悲しい気持ちになるくらいなら最初から出会わなければいいとか思うかしら?」
「ううん、思わないよ? だって会えなきゃ一緒にお話できないし、一緒に遊んだり、ご飯食べたりも出来ないもん」
「ですって。あなたはこれを聞いてもまだ、自分の気持ちだけを尊重して、友達にならないなんて言えるの?」
「ぁっ……」
気づくと私の眼前には、あの少女が立っていた。
二人の会話に気を取られていた私は、ゴイシシジミの背中にしがみつくのを忘れてしまっていた。
…そのため、私はいとも容易く少女の前に引きずり出されてしまったのだ。
「…………」
私が俯き何も言わずにいると、ふいに誰かに背中を押された。
振り返ると、私の背中を押した犯人であろうフレンズが穏やかな笑みを浮かべている。
私はその顔を見て少し安心した。
……安心したはいいけど、私はこれからどうすればいいの…?
「……えっとね」
私が焦りと緊張でどうにかなってしまうかと思われたその時、声が聞こえてきた。
ゴイシシジミのものとは違う声。……あの少女の声だ。
それはゴイシシジミよりかは落ち着きのない声だったけれど、それでもやさしい声音だった。
…そして、その声は私に向けられたものらしい。
私がそれを認知したのを悟った少女は、更に声を発した。
「ずっと考えてたんだ。何かきみを怒らせるようなことをしちゃったんじゃないかって。…でも、わたしは馬鹿だから、どんなに考えても……何も分からなくて……。……だから知りたいんだ。知って、謝りたい。きみは何にもないって言うかもしれないけど、わたしは……」
「ちょっと待ってください。その、……あなたは本当に……何も悪くなくて………………」
私は慌てて少女の言葉を遮った。
悪いのは私なのに、彼女は私に謝ろうと言うのだ。
それを認めてしまったら、私は本当にどうしようもないやつになってしまう。
……だから、彼女の謝罪の邪魔をしたのに……。
……なのに、それに続く次の言葉が出てこない。
「……ゎ、…わた………は………………」
「わたし、きみとちゃんと話したい。ちゃんと話して、やっぱりきみと友達になりたいよ…」
少女は真剣な目をして言った。
私はその目を見て、彼女の言葉に嘘偽りが無いことを悟る。
……私は、…彼女の期待に応えたい。
あの時の私の選択は間違いだったと、ゴイシシジミが教えてくれた。
…だから私は、今度は間違えないようにと、ちゃんと聞いて考えた。
……それを今から、言うんだ。
私は目を閉じ、深く息を吸い込む。
「…わ、……たし、は、…………ほんと…うは、……たしも、…………あなた…と、と友達…に、…なりたい……」
一息で全部言うつもりだったのに、途中で酸素が足りなくなって、何度も言葉が途切れてしまう。
さらには、声は震えていて、自分でもなんて言ったか分からないほどだった。
……それなのに、彼女には私の言葉がちゃんと伝わったようだった。
「じゃあ、わたしたちはこれで友達だね。わたしはチャコウラナメクジ。チャコちゃんって呼んでくれると嬉しいな」
「…わ…た………ぅ…」
私も自己紹介をしようとしたけど、上手く声が出せない。
それどころか、声のかわりに涙が溢れてくる始末だ。
……私は、泣いてしまっていた。
「わ!…ご、ごめん!……わたし、何かしちゃった…?!……あ…きみ、怪我してる。…もしかして痛むの?」
「い……が…ぁ………」
違う。
あなたのせいじゃない。
傷だって、もう痛まない。
そう言いたいのに…言えない。
声を出そうと開けた口から、大量の涙が入ってくる。
……不味い、泣きたい。
そんな私のあまりの取り乱しっぷりを見かねたゴイシシジミが、助け舟を出してくれた。
「えっとね……多分、あなたのせいじゃないと思うの」
「…本当?」
「ええ。ササコは…あ、この子はササコっていうの。ササコはきっとね、嬉しくて泣いてるのよ」
「ササコちゃん、本当なの? …足も痛くないの?」
ゴイシシジミの言葉を聞いたチャコちゃんは、私に最終確認のための質問をした。
自分でもどうして泣いているのか分からない。
でも、せっかくゴイシシジミが助けてくれたのだから、私は黙って頷くことにした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私が泣き止んだのは、あれからしばらく時間がたった後の事だった。
私が気づくとそこは知らない場所。
隣にいたゴイシシジミに、今いる場所について尋ねると、新しい寝床とのことだった。
彼女に聞いた話によるとあの後、私たちがチャコちゃんと別れた後も、私はずっと泣いていたのだという。
そして、ゴイシシジミはいつまでも泣き止まない私の手を引いて、ここまで歩いてきた。
…でも私にはその間の記憶が全然なかった。
まるで眠っている間の事のように頭からすっぽりと抜け落ちてしまっている。
「それにしても……」
ゴイシシジミは少し口を尖らせる。
そして、不貞腐れたように言った。
「私の時はあんなに嫌がってたのに、今度はあっさりと受け入れるのね?」
「なんですか、それ。元はと言えば、ゴイシシジミさんが無理やり引っ張っていったんじゃないですか。それに……」
あっさり、なんて言われてしまうとなんだか釈然としない。
だから私も少し口を尖らせて言った。
「私たちが初めてあった日。…あの時自分が何を言ったか、よく思い出してください」
「あはは……やっぱりあれは微妙だったかしら。」
ゴイシシジミはそう言って目を細めた。
「本当はね? あの時、…私はあなたにこう言うつもりだったの……」
彼女は口元を少し緩める。
…そして、そのまま犬歯を見せるようにゆっくりと口を開く。
私は、生まれて初めて見るその妖しい表情に思わず息を飲んだ。
「今すぐお前を食い殺してやるぞーって!!」
次の瞬間、彼女はバッと両手を大きく広げて、私に襲いかかる動作をした!
…が、全く迫力がない。
「もうその手には乗りませんよ?」
私がそう言うと、ゴイシシジミは「なーんだ」と言って少し残念そうな顔をした。
なんだとはなんだ、なんなんだ?
…四六時中ずっと一緒にいるのに、彼女の考えていることがよく分からない。
たまに猟奇的なことを言ったと思えば、それを聞いた私の反応に何かを期待する。
……もしかして、これが彼女なりのコミュニケーションだったり?
もしそうだとしたら、たまには乗ってあげるべき…なのかな?
「心配?」
私が少し考え込んでいると、突然ゴイシシジミが何か声をかけてきた。
えっと、心配って……まあ、心配かな。
……それって、何が?
彼女は一体、どういう意味合いでその言葉を口にしたのだろう。
……『 本当に食べられちゃわないか、心配? 』
と、そんなところだろうか…?
大まかな予想を立ててみたけど、どうもしっくり来ない。
「大丈夫よ。もしもあなたが死んじゃっても、…あの子はきっと大丈夫。ここの子達はそんなにヤワじゃないからね。どんなに悲しくても、ちゃんと前を向いて歩いて行ける強さをみんなが持っているの」
私が質問に答えるよりも早く、彼女はその言葉を口にした。
そこでようやくあの質問の意味が分かる。
どうやら彼女は、私の絶命後に残されたチャコちゃんの心配を、私がしていると思ったようだった。
すると、つまり……。
彼女は私の話を理解した上であのような行動に及んだ。
そして今私の話を蒸し返して、お説教を完成させた?
…となると、これもまたゴイシシジミの思惑通りということになってしまう。
……やっぱり、納得いかない。
彼女の言葉に上手く言いくるまれない。
だから私は、こちらも彼女の言っていた言葉を蒸し返して反論をしてみることにした。
「それも…誰かを傷つけていい理由にはなりませんよね…?」
私は別に、彼女の意見を否定したいわけじゃない。
にもかかわらず、こんな揚げ足取りをしてしまったのは、どうしても納得しきれない自分への確実な答えが欲しかったからだ。
私は、彼女ならその答えを導いてくれるのではないかといった、漠然とした信頼のようなものを抱いていた。
……しかし、私が意見するとゴイシシジミは「それもそうね」と言ってこちらの反論をあっさりと認めてしまった。
…拍子抜けだ。
私は彼女に、無理な期待をしてしまっていたのかもしれない。
そう…思った時だった。
私は自分の視線が、ゴイシシジミの顔に釘付けになってしまっていたのに気づいた。
それは、またもや初めて見る表情。
彼女の白い顔には、…不敵な笑みが浮かべられていた。
…これは間違いなく勝利を確信した笑いだ。
ゴイシシジミはその表情を崩さずに、その鋭利な言葉を口にする。
「でも、これであなたは簡単には死ねなくなったわね?」
……完敗だった。
彼女は私の心をよく理解した上で、ここまで計算していたのかもしれない。
「それがあなたの狙いですか…?」
「さぁて、なんのことかしら?」
ゴイシシジミはそう言ってはぐらかす。
そんな彼女の涼やかな目を見ながら私は、彼女には敵わないなあと思ったのだった。
イシちゃんのマフラーの下はこうなってました

ササコを変えてしまった出来事がわかったところで即座に行動に出て効果を得たイシちゃんはやり手ですね…
ササコの地の性格がまだ出ていないとすると、兵士を辞めるくらいの変化が無いと変われる気がしないので、これからのイシちゃんの作戦に注目したいです
おまけの絵では、イシちゃんはか弱い女の子という印象ですが、それを護るたくましさがササコに備わるのは少し先になりそうですね………
これからも楽しみです!
コメントありがとうございます
実を言うと、ササコはセルリアンと戦うために「兵士」を持ち出しましたが、この時には既に兵士としての使命感などは消えてしまっています
これからも頑張ります!
目を開けるとそこは、真っ暗闇の中だった。
何も見えない。
地面も空も、…何も無い。
それに自分の姿だって、ぼんやりとしていてよく分からない。
もし今この状況でセルリアンにでも襲われようものなら、何が何だか分からないうちに、私は殺されてしまうのだろう。
そんな危機的状況にありながらも、私の心は落ち着いていた。
不思議と怖さを感じないのだ。
「?」
ここはどこなのだろう。
辺りを見回しても、やはり何も見えない。
私はとりあえず、自分が立っている?ここを地面とし、歩いて行くことにした。
ピチャン、ピチャン…
足を踏み出すと、何やら水音のようなものが聞こえた。
どうやらここら辺は水溜まりになっていて、私はその上に立っている、ということらしい。
ピチャン、ピチャン……
「……?」
歩き出してから数歩で、水たまりを踏む感触が無くなった。
それなのに、水音だけが未だに聞こえている。
私は一瞬だけ立ち止まり、水音の正体について考えようとしたが、やっぱりやめておくことにした。
今は考えるよりも足を動かすべきだと思ったから。
……でも本当は、立ち止まっても聞こえ続ける水音から、目を背けたかっただけなのかもしれない。
ピチャン、ピチャン……
私は歩く。
ただひたすらに。
わけも分からず。
足の痛みなど忘れて、歩く。
そうしてしばらく歩いていると、遠くの方から誰かの声が聞こえた気がした。
私はその声を探してよく耳を澄ませる。
すると、今度は少しはっきりと聞こえた。
声は確かに存在している。
そして、その声は泣いているみたいだった。
その事に気づいた私は、歩くのをやめて走り出した。
私は泣き声の聞こえる方へと走る。
地面を強く蹴る程に、水音もまた強く、ハッキリと聞こえるようになる。
粗くなった水音がベシャベシャと耳にうるさいが、そんなことはどうでもいい。
今はただ、一刻も早くあの子の所へと行かなくてはならないのだ。
私はより一層、足に力を込めた。
速く、もっと速く…!
この声が消えてしまう前に。
私の存在が消えてしまう前に。
私は必死になって走った。
呼吸は止まり、足がもげてしまいそうだった。
それでも走った。
そして、ついに私は声の主の元へたどり着いたのだ。
よかった、ちゃんといてくれた。
私は、暗闇に座り込み一人泣いている少女に歩み寄る。
そして彼女をそっと抱きしめた。
すると少女は驚いたのか、ビクッと体を震わせた。
「大丈夫ですよ」
私は、安心させようと彼女の頭をやさしく撫でた。
しかしこれだけでは、彼女を安心させるには足りないらしい。
暗闇に怯え続ける少女が見ていられなくて、私は嘘をついた。
「私はあなたを助けに来たんです。だから一緒に行きましょう。」
私がそう言うと、少女は手で涙を拭って、こちらの顔をまじまじと見つめた。
私が彼女の顔をよく見えないように、彼女にも私の顔はちゃんと見えてはいなかっただろう。
それでも私は彼女に微笑みかけた。
「…ほら、立って」
私は立ち上がり、いつまでも無言でこちらを見つめる少女に手を差し出した。
すると、彼女はおずおずと手を伸ばし、私の手に重ねる。
確かな感触を感じた私は、その手をぎゅっと握りそのまま一気に引っ張りあげた。
…少女は私が思ったよりもずっと軽かった。
必要以上の力で引っ張ってしまったため、彼女は立ち上がった後もまだ勢いを残していた。
そして勢いそのままにこちらに倒れ込んで来る。
ぽすっ
彼女は軽かったので、私でも易々と受け止めることが出来た。
……なんだか既知感を感じる。
こんなことが前にもあったような……。
私は過去の記憶を辿るべく、目を閉じ視覚情報を遮断した。
……でも、そんな行為に意味などなかった。
何も思い出せない。
こんな真っ暗闇の中で目を閉じたって、不安感を増長させるだけだ。
いくら探したって、過去なんて見つからない。
…それもそのはず。
だって、ここには暗闇しか無いのだから。
「……行くわよ」
私は、私の胸に顔をうずめたまま動かない少女の肩を掴んで、そっと引き離す。
そして彼女に背を向けて歩き出した。
すると少女は直ぐに追いついてきて、私の腕を取った。
「えっと、……これ、なんですか?」
「……」
彼女は無言のまま、私の腕にしがみついて離そうとしない。
こんな所にずっと一人でいたから、心細かったのだろうか。
何も見えない暗闇の中で、たった一人…。
そんな時に、偶然言葉の通じるフレンズが通りがかったのだから、さぞや安心したことだろう。
かくいう私も、彼女のおかげで平静を保っていられるのだが……。
ピチャン……ピチャン……
本来一人で歩くことになっていたはずの道を、二人で歩く。
ピチャン、ピチャン……
一人でいようと、二人でいようと、水音は変わらない。
常に一定の間隔で滴り落ちる。
ピチャン、ピチャン……
私がこの断続的なリズムに苛立ちを感じ始めた頃、ようやく視界に変化が現れた。
遠くの方に、微かに光が見えたのだ。
「ほら、見て」
私がそう言うと、今までうつむいたままだった少女が顔を上げた。
……そして、次の瞬間、私の腕が解放された。
彼女が私の手を離したのだ。
それまで私の少し後ろを歩いていた彼女だったが、いつの間にか私を追い越してずっと先を歩いていた。
「……あ、ちょっと待ってください」
私は彼女を呼び止めようと声をかけた。
しかし、こちらの声が聞こえていないのか、彼女が足を止める気配はない。
私は慌てて彼女に追いつこうと走り出した。
ベシャッ、バシャッ、グチャッ
私は走っていて、彼女は歩いている。
……なのに、彼女との距離がちっとも縮まらない。
「まって!!」
私がいくら叫ぼうが、彼女は後ろを振り返りすらしない。
…もしかしたら、最初から私の声など届いていなかったのかもしれない。
「待っテくらサい! イカナイデ……わたシヲ…ヒトリイヒハイエ……」
なんだか呂律が回らない。
彼女を呼び止める言葉を吐いたつもりだったが、私の声は形をなさない。
……でも、だからといって私は残念に思ったりはしない。
だって、私が呼び止めたかった彼女はもう、光の向こうに消えていってしまっていたから。
「……」
呆然と立ち尽くす。
彼女は私のことを、真に必要とはしていなかったみたいだ。
単に私が勘違いしていただけ…。
足の痛みが全身に広がってゆく。
「もう…いいか」
ピチャン……ピチャン……ズル…ベチャンッ!
ひときわ大きな水音。
音が聞こえた方を見て、ようやく水音の意味を理解した。
私が、水音になっていたのだ。
…そして、今度は腕が腐り落ちてしまったようだ。
……光に近づきすぎた。
身を焦がすほどの、毒々しい七色の光線。
その虹色の光に包まれて、私の体がドロドロに融けてしまう。
痛みはない。
なぜなら、痛みを理解するための頭は、…もうとっくに、失われていたのだから。
もう、私はだめだろう。
薄れゆく意識の中で、私は最期に、既に無い頭が覚えていたであろう名前を、とうに消えてしまった口で呟いた。
「ゴイシシジミさん……」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……ぅあ」
視界が……ぼんやりとしている。
意識も。
私は確か、……死んで…。
でも、いま……??
両手で顔をぺたぺたと触ってみる。
……ちゃんとある。
頭も、腕もなくなったりはしてない。
それらの確認が済んで、ようやくぼんやりとしていた意識がはっきりとしてきた。
今なら分かる。
さっきまでのは紛れもなく……
「……ゆ…め?」
そうだ、夢だ。
あんなのは全部、酷い悪夢だ。
「わらし、ねちゃってたんだぁ……」
ゴイシシジミの用事とやらが終わるのを待っているうちに、眠くなって……そのまま……うん。
私は木陰から這い出て空を見上げた。
現在の太陽の位置から推測するに、私が眠っていたのはほんの少しの間だけだと思う。
そんなちょっとした微睡み程度の時間であんな悪夢を見てしまうとは、なんて運が悪い。
あるいは、運なんて不確かなものではなく、他に明確な原因があるのかもしれない。
そして私は、その原因に心当たりがあった。
それはゴイシシジミのこと。
ここのところ、彼女の私への態度が素っ気ない。
前は鬱陶しいくらいだったのに、
最近では彼女の口数が極端に減り、代わりに思いつめたような顔を見せるようになった。
こちらから話しかけても、心ここに在らずといった様子で、以前にまして話す価値がない。
「やっぱり、あれのせい…?」
私には、ゴイシシジミの元気がないことの原因にも心当たりがある。
それは2日前のことだ。
ゴイシシジミが他のフレンズと何やら言い合いをしていた。
話の内容までは聞こえなかったが、二人の表情から察するに、決して楽しい話ではないことが分かった。
その後話を終えて戻ってきたゴイシシジミは、疲れたから寝るとかなんとか言ったっきり、一言も喋らずに、本当にそのまま寝てしまったのだ。
……それからだ。
彼女の表情に度々陰りが見えるようになったのは。
あの時何の話をしていたのかを彼女に訊こうと何度も思ったが、それは今日の今日まで果たせなかった。
それを聞いてしまったら、何かが変わってしまう気がしたから聞けなかった。
……でも、何も訊かなくたって、確実に何かは変わってしまっている。
もう、だめなのかな?
……夢で見たみたいに、…離れていっちゃうのかな。
「しょうがない……のかな」
こんなにも弱気になってしまうのは、きっとこの傷のせいだ。
私の弱さの証は、日に日に深く鋭くなってきている。
私は右足の傷に目を落とす。
「…………」
表面が深く抉れてしまっている。
それは、指が4本入ってしまうほどまでに広がってしまっていた。
こんなにも痛々しい傷なのに、血は一滴も流れない。
そして……。
私は、どうにかこの足を蔽うのに丁度いいものが何かないかと、辺りを見回したが、それらしきものは何もない。
私は膝を抱えて、俯きがちに小さくため息をついた。
…そんな時だった。
ゴイシシジミがくれたマフラーが目に入った。
「ああ、これ……」
私は少し思案してから、それを首から引き離し、足に巻いてみることにした。
……長さも幅もピッタリだった。
せっかくゴイシシジミがくれたものをこんな形で使うのは、なんだか気が引けるけど、仕方がない。
こんなものが露出していては、気になって会話もままならないだろうから。
もっとも、今の彼女には私のことなど見えてはいないかもしれないけれど……。
「…………これでよし」
ひと仕事終えた私は、また空を見上げた。
太陽の位置はさっき見た時とさほど変わってない。
「遅いな……」
体がなんだかだるい。
それに熱っぽい。
風邪でもひいたかな。
……このまま死んじゃうのかな。
さっきから、ろくな思考が出来ない。
一人でいることが、ここまで心細いものだとは思わなかった。
これも、……あの夢のせいだ。
「……いこう」
このままゴイシシジミの帰りを待っていても、思考がどんどん後ろ向きになってしまう。
だから探しに行こう。
私は、ぼやける目を両手で擦り、膝に手をつく。
「よっ!とと……」
ただ立ち上がるだけでも、寝起きの私には辛い。
上手く立てなかった私は、よろよろと木に寄りかかってしまった。
ふと、そんな私の一連の動きを客観的に見た景色を想像してしまう。
そのあまりにも滑稽な姿がなんだかおかしくて、私は苦笑した。
やがて体勢を立て直し、最初の一歩を踏み出そうとした時、私はその一歩の重さを知り、大きく落胆した。
もう、一歩も歩けそうにないのだ。
額にはたまのような汗が浮かび、息が荒くなる。
足はガクガクと震え、立っているだけでもやっとだった。
「…なん…で……?」
その気になればいつでも会いに行ける気でいた。
だからだろうか…?
今それが出来ないと分かった瞬間から、孤独が怖くてしょうがない。
怖くて、悔しくて、泣いてしまいそうになる。
……そんな時だった。
ゴイシシジミの声が聞こえた。
「……ササコ」
幻聴なんかじゃない。
私がずっと会いたかった人が、そこに……。
視界はぼやけきっていて、彼女の表情は分からないけど、きっとやさしく微笑みかけてくれているはず…。
今すぐ彼女の胸に飛び込みたい。
……でも、それは出来そうになかった。
「……私たち、もうお別れしましょうか」
「……………………へ?」
突然彼女から突きつけられた言葉は、あまりにも鋭いくて…。
私が何度も口にしてきたような拒絶で、私の心を深く抉る。
それはまるで、使い古してボロボロになって、切れ味の落ちたナイフのような言葉だった。
刃が欠けていても、ナイフはナイフ。
私みたいなやつを殺してしまうにはそれで十分だ。
「ぁ…あはは、そんな急に……どう…しちゃったんですか?」
私の世界が崩れていく。
視界が歪む。
…もう、立っていられない。
大きく視界がぐらついて、その次の瞬間には……世界が終わっていた。
本当はもうちょっと続くんですが、その続きに少し手こずってまして……
この続きは8話と言うことにしてあげることにしました
ササコの夢で、本当はイシちゃんを必要としているのに近くには居続けられない悲しさがその直後とリンクしてて巧いと思いました
突き放すような言動をとってきたササコが、逆に突き放されることで、これまでの不器用さを払拭するかそれに繋がるといいなとも思いました
次回も楽しみです!
コメントありがとうございます!
実を言うと、あなたの感想を読んで初めて「なるほど、これはそういう事だったのかー」と気付かされることがよくあります
自分で書いていても気づかなかったような彼女達の一面を、こうして知ることが出来て嬉しいです
次回も頑張ります!!
「ねえ、ちょっと! どうしたの?!」
ゴイシシジミは血相を変えて、ササコに駆け寄る。
「ササコ、大丈夫? ……私の声が聞こえる?」
大丈夫かと訊ねたゴイシシジミだったが、どこをどう見ても大丈夫でないことは、彼女にもよく分かっている。
だからこそ、彼女はよびかけ続ける。
……それは、認めたくなかったから。
「ササコ……ねえってば」
ゴイシシジミはササコの体を揺する。
しかし、ササコは息を荒くするばかりで、それ以上の反応を見せない。
ゴイシシジミは途方に暮れてしまった。
彼女が今、どういった状態なのか分からない以上、ゴイシシジミにはどうすることも出来ないのだ。
ゴイシシジミは全てを諦めたように、項垂れる。
──その時だった。
「……ぁ…………」
「ぇ……なに? なんて言ったの?」
不意に、小さく、熱っぽい声が発せられた。
それを聞いたゴイシシジミは、ササコが何かを伝えようとしていることに気づく。
「ごめんね、もういちど、いって?」
ゴイシシジミはササコにちゃんと届くように、ゆっくりと、それでいて簡潔に言葉を伝えた。
その言葉はササコに伝わったようで、彼女の荒い呼吸が少しだけ抑えられる。
ゴイシシジミは、絶対に聞き逃すまいと、ササコの口元に耳を近づけた。
「……ぁ…つぃ…………」
今度はちゃんと聞こえた。
ササコは、暑いと言った。
その言葉を聞いたゴイシシジミは、彼女の全身に目を向ける。
そうして、ゴイシシジミはようやくあることに気づいた。
ササコは身体中に汗をかいている。
見ればすぐに分かることのはずなのに、ササコの言葉を聞くまで気づかなかった。
早々に諦めてしまっていたから気づけなかったのだ。
…でも、それを悔いるのは今じゃない。
後悔するよりも先にすべきことがある。
「ササコ、大丈夫? 服、脱がすからね」
ゴイシシジミはそう言って、ササコの服を脱がし始めたが、直ぐにその手が止まる。
ササコの足に絡まる一枚の布切れが気になってしょうがない。
それはかつてゴイシシジミからササコへと贈られたものだ。
だから、それをどのように使おうが彼女の自由だ。
でも、だからといって、どうしてこれが足に巻かれているのだろう…?
…マフラーが巻かれているのは確か、彼女が怪我をしていた所だ。
だとすると、そこを覆っているのは傷を隠すためなのだろう。
それならそれで別におかしなことなんてない。
見られたくないから、隠した。
たったそれだけのはず。
…でも、どうしてだろう。
ササコのマフラーの下が気になって仕方がないのだ。
なんにせよ、このマフラーを取らないと服を脱がせられない。
ゴイシシジミはマフラーを掴むと、ゆっくりとササコの足からそれを解いた。
「……!」
ササコの隠そうとしていたものを見て、ゴイシシジミははっと息を呑む。
彼女の華奢な足には、小さな少女には不釣り合いな痛々しい裂傷があった。
……そして傷口の周りには、色鮮やかなアザがいくつも広がっている。
『 痛くない?』
そう声をかけようとした時だった。
「……なに……これ……?」
アザが、……動いた。
絶えず色を変え、蠢いている。
「ちょっとごめんね…」
ゴイシシジミは先に謝ると、アザのある部分をそっと触る。
ササコは無反応だ。
今度は軽く押し込んでみる。
アザは押しのけられ、手を離すと元の位置に戻った。
(アザじゃ……ないの?)
ササコの足に蔓延るアザのようなそれは、決してアザなどではなかった。
「さ、ささこ……これ…! ご、ごめ……わた…わたし、どうしたらいいのか……」
ゴイシシジミは気が動転して上手く喋れない。
そんな彼女の頭を冷やし、果ては凍らせてしまうような言葉を……
「……きっ……て」
ササコが、言った。
それは、ササコが何度もうわ言のように言っていた言葉だ。
彼女のあの言葉にはまだ続きがあった。
熱い。足、切って。
「……あ…し………あつ…い。……きって」
ササコは、自らの足を切断してほしいと、そう言っているのだ。
「……そんなこと、出来るわけないじゃない」
ゴイシシジミがそう言うと、ササコはもう何も言わなくなった。
ゴイシシジミに願いが届いたのを悟ったのか。
……あるいは、声を出せないほどに弱ってしまったのかもしれない。
(もう、足を切り落とすしかないの…? …それはだめ。 そんなことしたらササコが死んじゃう。……でも、このままじゃ……)
「ササコ……」
目の前の少女を助ける手立てが何も思いつかない。
こんなこと、一度も経験したことが無かったから。
……もしかしたら、他のフレンズならこんな時どうすればいいかを知っていたかもしれない。
皆と仲良くしていれば…。
あの時、不実な態度をとったりしなければ……。
そうしたら、今頃誰かが助けてくれていたかもしれない。
ゴイシシジミは自らの傲慢さを呪った。
ササコを脅してそばに置いて、それで満足していた。
その罰を受ける時が来たのだ。
……でも、彼女に罪は無い。
ササコは脅されていただけだ。
(私はどうなってもいい。裁かれて当然のことをしたから。……でも、ササコは違う)
「──ああ、そうだ。 私はどうなってもいいんだった」
(行こう…!)
ゴイシシジミは他のフレンズを探しに行く決意をした。
善良なフレンズを助けるためなら、力を貸してくれるかもしれない。
ゴイシシジミはササコを慎重に背負うと、すぐに走り出した。
目的地はここから北の方、以前の寝床周辺だ。
そんなに遠い距離じゃない。
だから、今いる道を真っ直ぐ行けば、そんなに時間はかからないはずだった。
今は一刻も早くササコの足をなんとかしなければならないのだから、立ち止まっている時間なんてない。
しかし、ゴイシシジミは走る足を止めてしまっていた。
セルリアンが道を塞いでいたのだ。
(なんでこんな時に…)
ゴイシシジミはセルリアンに憎々しげな視線を向けた。
だが、セルリアンにとってそんなものは道を譲る理由になどならない。
セルリアンはそのでかい図体で、道の真ん中を陣取っている。
そして、不動のままゴイシシジミ達をただ、じっと見つめている。
相手に戦意がないのなら、面倒な戦いは避けたいところだが、何せ奴らは言葉を話さない。
「……」
いつまでもここで睨み合っている訳にはいかない。
だから、ゴイシシジミは素早く決断をした。
(セルリアンの脇を走り抜ける!)
ゴイシシジミの選択には大きなリスクがあったが、彼女にとってはそれが一番マシな選択だった。
ゴイシシジミはササコを落とさないように背負い直すと、強く地面を蹴った。
一歩、また一歩。
足を前に踏み出す程に、セルリアンとの距離が近づいてくる。
ゴイシシジミは、額に冷や汗を浮かべつつ、……セルリアンの脇をすり抜けることに成功した。
その間もセルリアンは、ゴイシシジミのことをずっと目で追ってはいたが、それ以上の興味を示すことはなかった。
しかし、彼女の背負っている少女を見た途端にその目の色が変わる。
ゴイシシジミがセルリアンとすれ違った次の瞬間、背後で大きな物体が動く気配がした。
(……これは、想定内)
ゴイシシジミは振り向くことなく、走り続ける。
その後を、彼女の何倍も大きいセルリアンが追いかける。
背後からは、ドシドシと重量感のある音が聞こえてくるが、セルリアンの足はそれほど速くはないらしい。
音は少しづつではあるが、遠ざかっている。
だから、そのまま走っていれば容易に振り切れるはずだった。
ガッ
(……え?)
ゴイシシジミの振り上げた足が、
着地するはずだった予定地から大きく外れる。
そしてそのまま、ドサーっという音と共に二人は地面に投げ出されてしまった。
「ぅ……」
地面に伏せったゴイシシジミが小さく呻き声を上げる。
自分が転けてしまったことを自覚した彼女はすぐさま立ち上がろうとしたが、足首が急に痛んだので地面に両手をついてしまった。
どうやら、転けた時に足首をひねったらしい。
「…ササコ…!?」
ゴイシシジミは、さっきまで背負っていた少女の姿が見当たらない事に気づき、咄嗟に周囲を見渡した。
幸い、彼女は直ぐに見つけることが出来た。
ササコはゴイシシジミの前方、数メートル先に横たわっていた。
ゴイシシジミはササコの姿を確認すると、すぐに彼女に駆け寄った。
そして、彼女の顔を覗き込む。
辛そうではあったが、まだ生きている。
「ごめんね。…こけちゃった」
ゴイシシジミはそう言うと少し自虐的に笑った。
…そして、ササコをそっと抱き起こすと、そのままぎゅっと抱きしめた。
すぐ後ろにはセルリアンが迫ってきていると言うのに、何故かゴイシシジミはもう逃げようとはしなかった。
愛おしむような目で、ただ、ササコを抱きしめる。
「大丈夫だからね」
彼女はそう小さく呟くと、固く目を瞑った。
……その次の瞬間、セルリアンが大木のような腕を振り上げた。
ずいっと伸びた大きな影が、二人の小さな影を呑み込んでしまう。
そして、その影よりも更に暗い色をした影の主は容赦なくそれを振り下ろした。
セルリアンの致命的な攻撃が、ゴイシシジミの背中に迫ったその時──。
ガッギィィィンッ!!
──空気を引き裂くような轟音が辺りに響き渡った。
いつまで経っても痛みが来ないことを不思議に思ったゴイシシジミが、恐る恐る目を開け後ろをゆっくりと振り返ると……。
そこには、一人のフレンズが立っていた。
彼女はこちらに背を向け、セルリアンの前に立ちはだかる。
その背中からは、鎖のように長く連なった鎧のようなものが生えていた。
そして、二本の腕と、その鎧のような部位を使って、巨大なセルリアンの腕をその身一つで受け止めていた。
「無事か…?」
少女はそのままの姿勢でそう言うと、ちらりとゴイシシジミ達の方へ視線を向ける。
ゴイシシジミは瞬間的に顔を伏せ、彼女と目を合わせないようにした。
彼女こそが、ゴイシシジミが探していたフレンズに間違いない。
そして、ゴイシシジミが最も会いたくない相手でもあった。
「?」
ゴイシシジミの反応に少女は怪訝な顔をしつつも、セルリアンの腕をしっかりと受け止めている。
突然現れたフレンズに攻撃を受け止められたセルリアンは、腕を引っ込めるでもなく、そのまま押しつぶそうと力を込めた。
その変化を全身で感じ取った鎧の少女は、ゴイシシジミから視線を外すと、再びセルリアンを睨みつける。
「失せろ」
少女は威圧的な声を発したが、威圧的なのはその声だけではない。
彼女の目はギラギラとした赤い光を放ち、全身からは黒い瘴気が滲み出している。
それだけの威圧を受けても、セルリアンは怯むことなく少女を見下ろしている。
「そうか」
少女は吐き捨てるように言うと、セルリアンの戦意に応えるように、彼女もまた両腕にぐっと力を込めた。
彼女の力は強大なセルリアンにも劣らないものだ。
だが、これだけの体格差があっては、彼女の方が明らかに不利に思われた。
……しかし、彼女は圧倒的な力で持ってしてセルリアンの腕を押し返してしまったのだ。
ドオォン!
バランスを崩したセルリアンは地面に倒れ込む。
少女はその隙を見逃さず、すぐさま攻撃に転じた。
彼女は二、三歩助走をつけると、大きく飛び上がる。
そして、空中で身体を捻り、背中の鎧を思い切りセルリアンの胴体部に叩きつけた。
……次に彼女が地面に足をつけた時、既にセルリアンはバラバラに四散していた。
「危ないところだったな」
ゴイシシジミ達をセルリアンから助けた少女が、ゴイシシジミの元へ歩いてくる。
しかし、助けられたゴイシシジミの表情は明るくない。
「ムカデ……」
「……!」
ゴイシシジミがムカデと読んだ少女は、ゴイシシジミの顔を見るなり目を見開く。
それはまさしく、幽霊でも見たような顔だった。
「まさか…本当にお前が! 何故、お前が生きている…?!」
「…………」
ゴイシシジミは無言でムカデを見上げている。
その視線には僅かに敵意が含まれていた。
「おい」
「……」
いつまでも無言でいるゴイシシジミに、ムカデは苛立ちを覚え始めていた。
……やがてムカデの視線は、無言の少女から、彼女が抱いている瀕死の少女へと移る。
「お前、まさかその子に何かしたんじゃないだろうな」
「私は……」
ゴイシシジミは何かを言いかけて、俯きがちに頭を小さく横に振った。
「お前ッ……!」
なかなか言葉を紡ぎ出せないゴイシシジミを見て、ムカデの目は次第に殺気を帯びたものになる。
………………。
しばしの沈黙。
沈黙に耐えかねた少女と、ようやく口にすべき言葉を見つけた少女。
二人は同時に言った。
「今度は確実に仕留める」
「この子を助けてほしいのっ!」
たった今ゴイシシジミに向かって死刑宣告をした少女は、彼女の言葉を聞いて動揺した。
一方、宣告を受けたゴイシシジミの方は、驚きもしない。
ただ、真っ直ぐな目でムカデを見つめる。
「何を…今更そんな……!」
「お願い。…もう私にはどうにも出来ないの」
「だってお前はそんなやつじゃ……」
ムカデはゴイシシジミから視線を逸らす。
彼女の拳は固く握られていた。
「私なら殺してもいいから」
「…お前」
ゴイシシジミはいとも容易くその言葉を口にした。
彼女の放ったその一言がムカデの琴線に触れる。
ムカデはゴイシシジミのすぐ近くまでつかつかと歩み寄ると、片手で彼女の襟を鷲掴みにした。
振り上げられたもう片方の手は、未だ握りこぶしを作ったままだ。
「お前はッ……!」
ムカデはそのままの姿勢で、ゴイシシジミを威圧する。
彼女の眼光には、セルリアンに向けられたものと同じ殺気が含まれていた。
……それでもゴイシシジミは怯まない。
彼女の瞳は真っ黒ではあったが、揺るぎない決意の光が宿っていた。
「お願い」
「………………」
ムカデは複雑そうな顔で、彼女の襟を放すと、振り上げた拳を下ろした。
彼女の目からはもう殺気や敵意などは消え失せていた。
「あまり期待はするなよ。私は…医者じゃないからな」
ムカデはそう言うと、ササコの顔を覗き込んだ。
そして次に、ゴイシシジミの顔をじっと見た。
「えっと……なに…?」
「いや、それじゃあよく見えないだろ」
いつまでもササコを大事そうに抱いたままのゴイシシジミに、ムカデがため息混じりに言った。
「ご、ごめんなさい」
彼女ははっとして、ササコを地面に寝かせた。
ムカデは改めてササコの全身を見た。
彼女が真っ先に気になったのは、やはり足の傷がある部分だった。
そこには白黒のマフラーが巻かれている。
それは、ゴイシシジミによって再度巻かれたものだ。
ムカデはゴイシシジミをちらりと見ると、マフラーを取った。
「これは……毒だ」
ムカデは、ササコの傷周辺に蔓延るそれの正体をあっさりと言い当てた。
「毒?」
それまでササコの診察を黙して見守っていたゴイシシジミだったが、ムカデが聞き慣れない単語を発したため、聞き返した。
ゴイシシジミが聞き返すと、ムカデは信じられないといった顔で彼女の顔を見た。
「お前……まさか知らないのか?! 誰からも……聞いていないのか……?」
「えっと……」
知らないから聞き返したのに、とゴイシシジミは思った。
ムカデの鬼気迫る表情に気圧された彼女は口ごもってしまう。
その様子をみて、ムカデはそれこそがゴイシシジミの答えなのだと認識した。
「そうか……知らなかっのか」
ムカデは苦々しい顔で呟いた。
「お前も見たことはあるだろ。キラキラと輝く、虹のようなものを」
虹と聞いて、ゴイシシジミはぴくんと反応した。
彼女に心当たりがあるのを察したムカデは、更に言葉を続ける。
「あれが体内に入ったら、段々と身体中に広がっていき、最後には………」
彼女はそこで一度言葉を切った。
そして……
「死ぬ……と、言われている」
重々しい口調で言った。
「……」
ゴイシシジミはその言葉を聞く前から、ササコの顔を無言で見ていた。
そしてそれは、彼女の宣告を聞いた今でも変わらない。
そんなゴイシシジミの様子を見たムカデは、思ったことをそのまま口にした。
「妙に落ち着いているな」
彼女の発言は少し無神経だったかもしれない。
でもゴイシシジミはそれで腹を立てたりはしない。
彼女はただ、無感情な目でササコを見つめている。
「……そんな気はしていたの」
彼女は小さな声で呟いた。
そして、ムカデを見た。
「ササ……」
ゴイシシジミはササコの名前を言いかけて、口を噤んだ。
頭を小さく横に振ると、改めて言い直す。
「この子はもう助からないの?」
それは、ちょっとした質問をするかのようにあっさりとした口調だった。
……そしてその声は、どこか他人行儀な響きを持っていた。
誰にでも分かるほどにあからさまなゴイシシジミの態度の変化に、ムカデは眉をひそめる。
「お前は本当に、その子を助けたいんだな?」
なぜ今更そんなことを聞くのか。
ゴイシシジミは、そんな疑問を抱きはしなかった。
なぜなら、彼女の発言は核心に迫ったものだったから。
ゴイシシジミは、ムカデに内心を見透かされ、曖昧な態度を咎められたのだ。
「……ええ」
ゴイシシジミは消え入りそうな声で言った。
俯き前髪を垂らした彼女の表情は伺えない。
「…そうか」
ゴイシシジミの声を聴いたムカデは、少しだけ表情を緩める。
そして、一度は無視した彼女の問いに答えた。
「助ける方法は……ある」
「本当…?」
ゴイシシジミは少し顔を上げると、上目遣いにムカデを見た。
「……ああ、本当だ」
今度はムカデが俯く。
そして、ササコを助けるその方法を口にする。
「毒を取り除けばいい」
彼女は低い声でそう言うと、ササコの毒に汚染された足に目を落とした。
彼女の暗い表情を見て何かを察したゴイシシジミは、恐る恐る訊いた。
「足を……切るの?」
「そ……」
ムカデは一瞬、肯定の言葉を言いかけて口を噤んだ。
そして長い沈黙の末、改めて否定の声を発した。
「……いや、そんなことはしなくていい」
ムカデがそう言うと、先程セルリアンを粉砕したばかりの彼女の鎧が蠢いた。
「何をしているの……?」
ゴイシシジミが怪訝な顔で言った。
「……」
鎧は主であるムカデの手元まで来ると、そこで停止した。
彼女はその先端に両手をそっと添える。
バキンッ
「!?」
──突然、重い金属音が響いた。
ゴイシシジミは音のしたそれに目を落とす。
すると、音の主は真っ二つになってぐったりとしていた。
どうやら先程の金属音は、ムカデが鎧の先端を切り離した時に生じた音だったようだ。
「あ、あなた……何をしてるの?」
「……」
ムカデは心配そうに聞いてくるゴイシシジミのことを無視して、更なる奇行に走る。
彼女は鎧の断面から中に手を突っ込み、何かゴソゴソと弄る。
「……いた」
「?」
やがて何かを見つけたらしいムカデは、それを中から引っ張り出した。
鎧から引き抜かれた彼女の手には、拳ほどの大きさの石のようなものが握られている。
「それ、なに?」
「セルリアン……らしい」
ゴイシシジミの質問へのムカデの返答は衝撃的なものであった。
「せ、せる……?」
ゴイシシジミは、眼前の少女の言葉が上手く理解出来ないといった様子だった。
ムカデはそんな彼女をお構いなしに、奇行では済まされないようなことを平然と続けようとする。
ムカデは何を思ったのか、ササコの足に向かって、セルリアンを持った手を近づけた。
彼女の行動はゴイシシジミには到底理解出来ないものだったが、それでも止めずにはいられなかった。
「待って!」
セルリアンが彼女の傷に触れる寸前で、ゴイシシジミの両手がムカデを引き止めた。
「あ、あなた……本当に何をしてるの…?」
「何って、…チリョウだよ」
ムカデは不快感を露わにして言うと、彼女の手を振り払った。
そしてもう一度セルリアンをササコの足に近づけようとする。
その手を再びゴイシシジミが引き止める。
「ねぇ、あなたちょっと…怖いわよ。……こ、この子に……何をするつもり…?!」
ゴイシシジミはムカデを睨みつけて言った。
しかし、彼女の威嚇はムカデをイラつかせる以外の意味を持たない。
「助けてやるって言ってんだから、…ありがたく受け取れよ」
ムカデはゴイシシジミを睨み返すと、低い声で言った。
「ご、ごめんなさい……」
先程までは親身になってくれていたムカデだったが、今はどこか違う。
今の彼女は、有無を言わせないと言った様子だ。
そんな彼女の変わり様を。
怒りに満ちた鋭い目を。
それら全てをその目で見てしまったゴイシシジミは、すっかり怯えきってしまっていた。
彼女はただ、ムカデの後ろ姿を見ていることしか出来ない。
ムカデは治療と言った。
だが、彼女がやっていることはどう考えても救命処置などではない。
(救命処置じゃないなら……)
──グチャリ。
怪音が鳴った。
その音がゴイシシジミの耳に鮮明に刻まれる。
それは、彼女のよく知る音で……。
「ころすなら…わたしを殺してッ!」
次に彼女の耳に響いたのは、彼女自身の咆哮だった。
突然の大声にムカデはビクッと身体を震わせたが、それでも手を止めるには至らない。
「……」
ゴイシシジミは立ち上がり、ムカデの背後に駆け寄る。
そして、もつれるように彼女の背中に縋り付く。
「お願い……」
ゴイシシジミは懇願するように言った。
しかし、ムカデはその願い諸共彼女を払い除けてしまう。
バランスを崩してしりもちをついたゴイシシジミは再び立ち上がろうとしたが、それをムカデに邪魔される。
彼女は禍々しい鎧の先端をゴイシシジミの喉元に突きつけて言った。
「これ以上私の邪魔をすれば、本当に殺すからな」
「そんな脅し怖くないわ」
ゴイシシジミは凛とした声で言った。
すると、その声に反応してムカデの鎧が蠢いた。
それはゴイシシジミの首から少し横に逸れると、重い金属音を立てながらゆっくりと蠢く。
鎧はゴイシシジミの横をすり抜け……そのままぐるりと彼女の身体を囲んでしまった。
鎧と彼女の間隔が徐々に狭まって行く。
ゴイシシジミはこれから起こる事を悟ったように、ゆっくりと目を閉じた。
─────ぺたん。
「……?」
ゴイシシジミは妙な感触を頭に感じて目を開けた。
そうしてまず彼女の目に飛び込んできたのはムカデの後ろ姿だった。
しかし、その上半分は何かに遮られていて見えない。
彼女とムカデの間はあるもので隔てられていた。
「……な…に?」
それはムカデの鎧の先端だった。
ゴイシシジミの頭に乗せられたそれはゴソゴソと、右へ左へ振れている。
「?」
ゴイシシジミは自分が置かれている状況を理解出来ず、きょとんとしている。
その目には戸惑いの色が滲んでいた。
…それもそのはず。
ゴイシシジミの中では、全身に巻きついたそれは彼女をそのまま締め殺すことになっていたのだ。
それなのにいつまでも経ってもその気配がない。
ムカデの身体を守るための鎧が、ゴイシシジミを緩やかに包み込む。
それはまるで、腕を使わずに抱擁しているようにも見えた。
「あ、安心しろ……して。…大丈夫だ…よ?」
ムカデが言った。
言葉通り、怯える少女を安心させるために言った。
粗暴な口調が隠しきれていないが、それが彼女なりの精一杯の言葉だったのだろう。
彼女の言葉はゴイシシジミへ向けられたものであったが、当の本人はその言葉の意味を理解しかねていた。
言葉の意味自体は理解できるが、なぜムカデがそう言ったのかが全く分からない、そんな様子だった。
ゴイシシジミはムカデの言った言葉の意図について考える。
しかし、ゴイシシジミの思考は直ぐに打ち切られる事になる。
「わひゃあっ! なぁん…何をするッ!?」
突然ムカデが素っ頓狂な声を上げた。
後に続く非難の言葉から、ゴイシシジミにその原因があることが分かる。
考え事に集中していたゴイシシジミは、無意識にムカデの鎧の内側を撫でてしまっていたのだ。
「ご、ごめんなさい」
「まったく……。手元が狂ったらどうするんだ」
ムカデはそう言うとゴイシシジミを解放した。
束縛を解かれたゴイシシジミは、ムカデの傍まで這っていくと、彼女の隣にぺたんと座り込んだ。
「何をしてるの?」
ゴイシシジミはムカデの手元を覗き込み言った。
ムカデの手には、先程彼女がセルリアンだと言った石のような物体が握られていて、彼女はそれをササコの傷に押し当てている。
「こうやって、…毒を身体から取り除くんだ」
「毒を…?」
「ああ、こいつらは毒を食べるからな」
「そう……」
ゴイシシジミはつまらなさそうに相槌を打ったっきり、口を閉ざしてしまった。
「?」
ゴイシシジミの僅かな声色の変化に気づいたムカデは、彼女をちらりと横目に見た。
彼女は俯き、自分の両の手のひらを見つめている。
その姿は、ひどく弱々しく見えて……。
儚げでさえある彼女のことが放っておけなくて、ムカデは声をかけた。
「お前は…さ。…今のお前は……そんなに嫌なやつじゃないよ」
「ぇ…?」
ゴイシシジミは少しだけ顔を上げてムカデの方を見た。
「だから、その……悪かったな。…私はお前のこと、誤解してたと思う。だから…ごめん」
ムカデがそう言うと、ゴイシシジミはまた俯いた。
そして両手でスカートをぎゅっと掴むと、小さな声で言った。
「…私も、…ごめんなさい」
「……うん」
ムカデは複雑そうな表情で頷いた。
それからは、二人がお互いに声をかけることは無かった。
ムカデはササコの毒の治療を続け、ゴイシシジミはそれを見守った。
そうしてしばらくの時間がたった。
ササコの毒のアザはみるみるうちに消えてゆき、最後のひとつが無くなると同時に、ムカデがセルリアンを彼女の足から引き剥がした。
大量の毒を吸収したセルリアンは、ムカデの手の中でまもなく爆散した。
「終わったの…?」
ゴイシシジミが心配そうな声でムカデに聞いた。
「ああ、これで毒の侵蝕は止まった。この傷も直に治り始めるだろう」
ムカデはササコの足にマフラーを巻きながら言う。
それを聞いて、ゴイシシジミはようやく安堵の表情を見せた。
「よかった……」
心底安心する彼女を見て、ムカデが目の端を吊り上げる。
「これからはちゃんと毒に注意しろ。あんなセルリアンは滅多に見つからないからな。次は無いと思え」
「ええ、この子が起きたらちゃんと話すわ」
「……」
ムカデは少しの間黙り込んだ。
難しい顔でゴイシシジミの目を見つめる彼女は、慎重に言葉を選んでいるようだった。
「……お前が、その子のことを本当に大切に思ってるのなら、自分のことはもっと大事にするべきだ」
諭すような目でムカデが言った。
それは、ゴイシシジミのことを心から案ずるが故の忠告だった。
「ぇ…ええ、気をつけるわ」
ゴイシシジミの返事を聞いたムカデは目を細めた。
しかしそれは、望み通りの応えが得られたことに対しての、満足気な笑みなどではない。
かといって、彼女の言葉を疑っているという訳でもなかった。
それは、言い難いことを伝えるべきかを決めかねているような、そんな迷いの表れだった。
やがて……決心がついたのか、ムカデはゆっくりと口を開いた。
「だが、今後その子に何かあった時には……」
神妙な顔で話を始めるムカデ。
ゴイシシジミは彼女の表情から真剣な空気を感じ取り、表情を強ばらせる。
ムカデは少し言葉に詰まっていたようだったが、ゴイシシジミがこくんと喉を鳴らすと、続きを話し始めた。
「その時には、お前にもできることがあると教えておく」
━━━━━━━━━━━━━━━
「それは、本当のことなの…?」
「ああ」
「……そっか」
ゴイシシジミは俯きがちに呟く。
その視線の先には、彼女自身の両手が重ねて置かれていた。
彼女は次に、横たわる少女の顔に目を落とした。
それから自分の両手とササコの顔を見比べると、ゆっくりと目を閉じた。
……数秒後、彼女が再び目を開けた時、その表情は晴れやかなものになっていた。
今の彼女はもう、無力な少女などではない。
ゴイシシジミは顔を上げると、屈託のない笑みを浮かべて言った。
「ありがとう」
感謝の言葉を向けられたムカデは、困ったような笑みを浮かべて返した。
「まさか、お前にお礼を言われる日が来るとはな」
ムカデがそう言うと、ゴイシシジミもまた困ったような顔で笑う。
「いいか、これはあくまでも……」
「分かってるわ」
表情を改め、真剣な顔で何かを言おうとしたムカデを、ゴイシシジミが制した。
そして、曖昧な笑顔を浮かべつつ言う。
「ふふ、あなた本当は優しいのね」
突然好意的な言葉をかけられた彼女は面食らってしまう。
「わ、私は…お前を……」
何かを言いかけて言葉を飲み込むムカデ。
「?」
ムカデは無言で立ち上がると、不思議そうな顔をするゴイシシジミに背を向けた。
「もう行っちゃうの?」
ゴイシシジミが言った。
「ああ、やりたいことがあるんだ」
「…そっか」
ゴイシシジミが残念そうに呟く。
ムカデは、心細そうに眉を下げる彼女に振り返りもしない。
「ここら辺にいれば、多分安全だからさ」
ムカデはそれだけ言うと、真っ直ぐ歩き出した。
「待って」
ゴイシシジミの短い言葉がムカデを引き止める。
「なんだ?」
「……助けてくれて…ありがとう」
ゴイシシジミはムカデに改めてお礼を言った。
ムカデはその言葉をそれとなく受け止めると、また歩き出す。
「ああそうだ……」
ムカデが何かを思い出したように足を止めた。
「その子しばらくは歩けないだろうから、お前がおぶってやれ」
今回はかなり読みづらいかもしれません
三人称視点で書くのって難しい……
百足ッ!?これはとても強そうで頼りになるだろう…と思ったらなんか敵対関係だったみたい……
でも二人ともフレンズ助けをせずにはいられないので自然と馴染んで安心しました
今回はケガの描写に本当にゾッとさせられて、お見事だと思いました
イシちゃんとササコちゃんが数々の苦難を乗り越え、本当の友達に少しずつなろうとしている過程なんだと思ってこれからも応援しますッ!
人知れず改名しましたが、ダアッたーです。
コメントありがとうございます!!
ムカデちゃんは実は作中最強のフレンズですが、その戦闘力は正規のフレンズには若干ゃ劣ります
二人が敵対していた理由に当たる部分もそのうち描写できればと思っています
ケガに関しては、あえてササコ視点では詳細に描写しないようにとかちょっと工夫してみました
これからも頑張りますッ!
改名の件、了解しました👍
ネタばれ注意
鉛色の空の下、二人の少女が見つめ合う。
仰向けになった少女が見るのは、淡く輝く琥珀色の瞳。
その上に覆いかぶさる少女の目に映るのは、深く透き通る黒い瞳。
二人はお互いに目を合わせて、決して視線をそらそうとはしない。
「……ササコ…?」
黒い瞳の少女が恐る恐る呼びかけた。
「……」
琥珀色の少女は応えない。
彼女は無言のままゆっくりと目を細めると、口元を歪めて笑った。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「ここをこうして……」
「こう、ですか?」
「あっ、そこじゃないわ」
「えっと…じゃあ、こっち?」
「そうそう……ああ、そんなに強く引っ張っちゃダメよ」
「すみません…」
「いいのよ。だけど今度はもう少しやさしく、ね」
「やさしく……」
今私は、イシちゃんに教わりながら、何かを作っている。
材料は白い花。
長い茎の先端に小さな花がたくさん付いている、変わった形をした花だ。
イシちゃんは確か……シロツメクサとか言っていたと思う。
……あれ?
この花の名前を思い出して、ひとつの疑問が浮かんだ。
もしかするとこれは、花じゃなくて……草なのでは?。
「どうしたの?」
私の手が止まっていることに気づいたイシちゃんが、心配そうに聞いてきた。
この花が本当に花なのかを、彼女に訊いてみようか……?
……。
……やめておこう。
私は、さっきまで抱いていたちょっとした疑問を飲み込むことにした。
それを聞いたところで、きっと答えてはくれないから。
今のイシちゃんは、なんだか意地悪なのだ。
私が何を作っているのかを訊ねても、「内緒」と言って教えてくれない。
「いえ、なんでもないです」
私がキッパリと言うと、イシちゃんは「そう?」と訝しげに言った。
今振り返れば、彼女のいかにも訝しげといった顔が見れるのだろうけど、今はとりあえず我慢しておくことにする。
……それにしても、私は一体何を作らされているのだろう?
「こんな感じですか?」
「うん、いいわね。あとはそれを繰り返して……」
イシちゃんはそう言うと、私の手元の作りかけに、スっと手を伸ばしてきた。

その手には一本のシロツメクサが握られていて、それをぎこちない手つきで作りかけに巻き付けていく。
不意に、彼女の細い指が私の手の甲に触れた。
これ、なんだか…くすぐったい。
「あ、あの……」
「んー?」
私はイシちゃんに抗議をすべく、振り返ろうとした。
しかし、それは出来そうになかった。
というか不可能だった。
私が文句を言うべき相手は今、私の左肩に顎を置いてしまっていて、背中からは彼女の鼓動が伝わってくる。
……それらが意味するのは、私とイシちゃんの距離が物理的にとても近いということだ。
それは、お互いの吐息が聞こえる程に近い距離。
……。
……つまり、つまり、……比較的客観的倫理的合理的に見て…このまま振り返るのは、すごくすごくまずいことなのだ。
…………。
私が今ここで振り返ることによって起こりうるコト。
それは……。
……刺さる。
私のツノが!
イシちゃんの側頭部に!
それもかなりの確率で!!
……はぁ。
私のテンションがどこかおかしくなっている気がするのは、…多分気の所為では無いだろう。
そうだ、イシちゃんの所為だ。
……。
自分でも分かっている。
別に振り返らずとも、一言文句を言うことくらいはできることを。
なのに私はそれを実行していない。
だから、このなんとも言えない感情の原因は私にもあるのだ。
……というかむしろ私の感情なんだから、大体私が悪い。
結局私は、イシちゃんに文句を言うのを諦め、黙って耐えることにした。
私の中で渦巻いている、この正体不明の感情の説明をするよりも、このまま何もしない方がきっと早く終わる。
私は目を閉じ、この色んな意味でのくすぐったさに耐える姿勢に入った。
失われる視覚情報。
研ぎ澄まされるいくつかの感覚。
増幅される……くすぐったさ。
どうせすぐに終わる。
だから我慢……。
我慢……がまん……。
心の中でそう何度も唱える。
こんなものでも、気休めにはなるはず…。
こうして何かに集中していればぁ…………あ! ほら、終わっ……ん?
一度は離れたくすぐられるような感覚が戻ってきた。
私は、嫌な予感がして目を恐る恐る開けた。
「ふんふんふーん♪」
「ぁ……」
私の目に飛び込んできたのはさっきと全く同じ光景。
瞼が上がりきる前に見えてしまった、非情な現実。
イシちゃんの手には一本のシロツメクサが握られていて、それをぎこちない手つきで作りかけに巻き付けている。
……同じ動作で、同じ不器用さで。
さっきと違う点をあげるとするならば、私の持つ作りかけが、シロツメクサ一本分だけ華やかになっていたこと(勘違いじゃないことを願わずにはいられない)くらいだ。
……いや、もう一つだけあった。
草が一本増えたとか減ったとかそんな不確かなものでは無い、明らかな違いが。
「ふふんふんふふーん♪」
「た、楽しそうですね……」
「ええ、とっても楽しいわよ?」
イシちゃんはそう言うと、心底楽しそうに笑った。
うぅ……私は今それどころじゃないのに…。
そんなふうに笑われては、全部許してしまいそうになる。
「ふふんふふふふーん♪」
イシちゃんは少しの間手を止めていたが、私の二の句が無いのを確認すると、また鼻歌交じりに作業を再開した。
こんなにも楽しそうな彼女の邪魔をするのはとても忍びない。
だが、そんなことを気にしている余裕が私に無いのは確かだ。
やはりここはなにか一言言ってやらねば。
「あの!」
「なぁに?」
返事はすぐに返ってきた。
それはもう、瞬間的に。
私から声をかけられるのを待っていたと言わんばかりの素早い応答。
それに驚いた私は、咄嗟に言うつもりだった言葉を飲み込んでしまった。
今から新しく言葉を紡ぎ出すことも出来ず……
「なんでもない、です」
私は渋々直前の発言を取り消したのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「なんですか、その輪っかは」
私はちょっとムスッとして言った。
するとイシちゃんは、ちょっとだけ不機嫌な私とは対照的に、ご機嫌な様子で笑った。
「これはねぇ……」
イシちゃんはゆっくりとした動作で、シロツメクサの輪っかを天高く掲げると、そのままそれをこちらに向けて振り下ろす。
スポッ
「……え?」
何も見えない。
私の視界が唐突に奪われた。
「クク……」
どこからともなく笑いを堪えるような声が聞こえる。
「これは、……目隠し?」
「クク…ふふふ……」
私が思ったことをそのまま口にすると、笑いを堪えるような声がただの笑い声になった。
これは間違いなくイシちゃんの声だ。
もしかして私はからかわれているのでは?
私が困惑している間も笑い声は止まらない。
止まる気配がない。
「なんですかこれはぁ!?」
「ふ、…ごめん…ね。ふふっ」
イシちゃんは笑い半分で謝ると、頭の輪っかを外してくれた。
ようやく戻った視界には、やはり楽しそうに笑う少女の姿があった。
そんな彼女を見ていると、なんだか怒る気も失せてしまう。
「それで、なんですかこれ?」
「これはね」
イシちゃんは輪っかから数本のシロツメクサを抜くと、先程よりも一回り小さな輪を作った。
そして、もう一度私の頭に被せようとしてくる。
一瞬、頭を動かして避けるという考えも浮かんだが、彼女の表情からは悪意が感じられなかったので、私はそのまま受け入れることにした。
……。
頭に再び被せられたそれは、先程のように私の視界を奪ったりはしなかった。
「花かんむりっていうのよ」
イシちゃんが言った。
花かんむり。
私はその名前に心当たりがある。
「それって、王様とかが頭に乗っけているアレですか?」
「うーん……コレはどっちかと言うと、お姫様っぽいわね」
「お姫様……」
「そう、お姫様。とっても似合ってるわよ?」
私は頭の花かんむりを取り、イシちゃんに差し出した。
「私よりあなたの方が似合うと思います。なので、これは……」
「ダメよ、それはあなたのものだからね。……でもどうしてもって言うなら、貰ってあげてもいいわよ」
イシちゃんはさらに言葉を続ける。
「ただし、それはあなたが別の花かんむりを用意出来たらの話よ」
イシちゃんはそう言うと、数本のシロツメクサを差し出してくる。
私がそれをおずおずと受け取ると、彼女は満足気に目を細めた。
そしてその表情のままその場にしゃがみ、手のひらで地面をポンポンと叩いた。
そこに座れと言うことだろうか?
少し考えて、今立っているこの場に座ることにした。
私が腰を下ろすのと入れ違いに、しゃがんでいたイシちゃんが立ち上がる。
そして、何事も無かったかのようにこちらまで歩いてくると、私の背後に座った。
「なんですか?」
「ふふん、教えてあげるわ」
「いや、でもさっき……」
「うん?」
教えるも何も、ついさっき間近で作るのを見ていたので、花かんむりの作り方は知っている。
「大体の要領はつかめたので、もう一人で出来ます」
私がそう言うと、イシちゃんは「そう?」と残念そうに言って、私の手元に視線を落とした。
「……じゃあ、見てるだけ」
「まあ、見てるだけなら……」
私は花かんむりを作り始めた。
たしか、…最初は二本だけ持って……。
「じー……」
そこに別の一本を巻き付ける。
「じぃぃー……」
「む……」
あとはこれを繰り返して……。
「じぃぃー……!」
「見すぎです」
「気のせいよ」
「そう…ですか?」
「じっ!」
「もう! あなたはそこの木陰でお昼寝でもしててください!」
「え〜? でも私、眠くなんてないわ」
「むー……」
私はイシちゃんの目をじっと見て、無言の圧力をかける。
「ま、まあそうね。ちょっとは眠いかもしれないわね」
イシちゃんが視線を逸らして言った。
もうひと押しだ。
「じぃー……」
「……分かったわ」
イシちゃんはそう言って私から離れると、木陰に向かってとぼとぼと歩き出した。
途中、名残惜しそうに何度も振り返る。
……ちょっと悪いことをしたかもしれない。
「分からなくなったら呼んでね」
少し遠くからイシちゃんが言う。
これが終わったら、存分に構われあげよう。
そして、彼女の好きな遊びに付き合うんだ。
私は来るはずの無い未来に思いを馳せる。
そうと決まれば、これを手早く完成させてしまおう。
ーーーーーーーーーーーーーーー
数分後
「とはいったものの……」
私は花かんむりを作る手を止めてしまっていた。
半分くらいを作り終えた所で、なんだか眠くなってきたのだ。
眠たい目をこすり、空を見上げる。
それで少しは目が覚めるだろうと思っての行動だったが、未だ私のまぶたは重い。
…………。
青く澄み渡る空は、どこまでも高くて。なんだか寂しい気持ちになる。
私は空に手を伸ばした。
決して届くことがないのは分かっている。
それでも私は……。
「静かだな……」
ふと思い立って振り返ってみると、イシちゃんは横になって目をつぶっている。
どうやら寝ているようだった。
眠たくないとか言ってたの。
仕方なく作業を再開したが、あまり捗らない。
「お姫様か……」
ふと、イシちゃんの言葉を思い出した。
花かんむりが、お姫様が身につけるようなものなら、それを被ったイシちゃんはさぞや綺麗なんだろうな。
そう思った私は、後の楽しみを損ねない程度にぼんやりと想像してみることにした。
白い肌に、緩くウェーブのかかった綺麗な髪。
瞳は深い黒色をしていて、イシちゃんの雪のように白い肌を際立てている。
そんな彼女が身に纏うひらひらも、調律の取れた白と黒で色づいている。
それだけでも十分すぎるほどに綺麗なのに、花の輪っかをかぶせたりしたら、かえって邪魔にならないだろうか…?
少し心配だが、物は試しという。
私は完成した花かんむりを、イシちゃんの頭にそっとかぶせる。
……。
すると……そこには、お姫様がいた。
一度も見たことはないが、イシちゃんは私の想像の中のお姫様そのものだった。
イシちゃんがお姫様なら私は……騎士?
うーん……私につとまるかな?
だってそんなに強くないし、かっこよくもないしな……。
騎士がダメなら……
……王子様…とか。
・・・
そんなのもっとダメだ。
私じゃイシちゃんと全然釣り合う気がしない。
でも……いいなあ、王子様。
…………。
ううん、別に王子様じゃなくたって、ただ一緒にいられればなんだっていいんだ。
たとえ一般兵だって構わない。
むしろ私らしいとも言えるし。
イシちゃんの唯一無二に慣れないのは残念だけど、彼女を守って死ねるのならそれで……。
「……あれ?」
素敵な想像していたつもりが、いつの間にか変な妄想をして、勝手に落ち込んで……。
挙句の果てに、これは……涙?
……。
「よしっ」
私はもう一度、眠たい目をこすった。
まぶたは重いままだ。
早く作らないと。
そんなに難しい事じゃないはず。
イシちゃんなんか、ほとんど片手だけで完成させたんだ。
だから、私にだってできるはずなんだ。
一本、もう一本とシロツメクサを絡めていく。
段々と動悸が激しくなる。
「もう少し……」
あとは、最後の仕上げ。
輪っかを作って……。
……ダメだ。
「…………」
白い花のかんむりモドキは赤く汚れてしまった。
せっかくここまで紡いできたのに、全部台無しだ。
せっかく、頑張って作ったのにな。
こんなの被せちゃったら、イシちゃんは怒るかな。
「ご…め……」
急に息苦しくなって、出かかっていた言葉が掠れて消えてしまった。
お腹に違和感。
違和感の正体を手を当てて確かめようとしたけど、それは途中で遮られた。
何かに触れたのだ。
本来そこに無いはずの何かに。
不思議に思い、私はぼんやりと視線を落とした。
……え?
鋭利な赤色が突き出していた。
まるで、土の上に花が咲くみたいに。
あ、そういえば私のお腹も土の色と似てるな……。
ふと、そんなことを思った。
でもこれは花じゃない。だったらなんだろう?
よく見てみようと屈もうとしたが、上手く屈めない。
違和感と痛みが強くなるばかりで、体はちっとも曲がらない。
痛み……?
私が当然の疑問を浮かべたところで、突然花のような何かがずいっと茎を伸ばした。
これならよく見える。うん。
私は、何だか焦点の定まらない目でそれをまじまじと見つめる。
赤くて、尖っている。
それを見て、私はなあんだと思った。
それは私がよく知る形だったから。
もっとも、私が知っているそれは赤くなんかなかったけど。
疑問がひとつ晴れて私がほっとしたのもつかの間、大きな疑問が残されていることに気づく。
どうして私のお腹にナイフが刺さっているの……?
考えたところで分かるはずがない。
なぜなら、いつの間にか、気づいたら刺さっていたのだ。
さっきまで*****を作っていたのに。
お腹に***が刺さって気づかない訳が無い。
こんなに痛いのだから絶対に気づく。
でも、これって…………え?
何が起きているのか分からなくて、イシちゃんの方を見る。
だが、答えは得られなかった。
彼女は口元を不気味に歪ませるだけだ。
いつか見たあの表情。
恐ろしい程に色の無い、あの顔。
だけどその顔もすぐに掠れて消えていく。
……。
今では、あの無色透明な色でさえも恋しい。
前半と後半で文体がかなり違うのは、書いた時期が違うからです
一応直そうとはしたのですが、直そうとするほど変な感じになってしまって……
結局そのままで上げています。
原っぱで花冠作り……ゆっくりと時間が流れている………
もう、イシちゃんのことを思うと涙が出るほど別れたくなくなってきちゃったんですね……
と、いう夢から覚めそうなほどの衝撃が………
これこそ夢だと思いたい………夢であってくれっ………
最後の文で一気に一話の雰囲気に近くなってるように感じました👍
この段階でもう既に、ササコはイシちゃんのことを本当に大切に思っているんですよね
いつの間にか呼び方も変わっていたりして、色々と違和感を覚えたかもしれません
でも、今はそれでいいのです。ちょっとくらいもやもやっとしてた方が、次回からの展開を受け入れやすくなる……はず……だといいな、です
ササコの身に起こったことについて
後半の脈絡のない不自然な展開を見るに、全てを現実ととらえるのは難しいかもしれませんね
最後の一分は一話を投稿した当時から考えていたものでして……
これはいつか絶対に入れよう、と思っていたので、そこに注目してもらったのは結構嬉しかったりします
あ!もちろん、コメントを頂けること自体がありがたき幸せです
感謝してます!
*致命的なネタバレは避けているつもりですが、あんさん喋りすぎやでという場合は遠慮なく「ネタバレやめれ!」とおっしゃってください。自嘲しますので
それは、とある夏の日の昼下がりのこと。
一人の少女が鮮血の海の中心に横たわり、狂ったように笑い声を上げる。
この世の全てを嘆くようなその響きは、時に自分自身の首を絞めあげるようにねじれ、掠れる。
その狂ったような笑い声が、どのような感情から湧き上がったものなのかは誰も知らない。
彼女自身さえも。
複雑化しすぎた彼女の心は、きっと誰にも理解しえないだろう。
───────────────
「ざまぁみろ」
私は憎々しげに小さく呟いた。
これは、私を殺そうとした彼女への悪態。
私はまだ生きている。ざまぁみろ。
思いっきり憎悪を込めて吐き出したはずなのに、心はちっとも晴れない。
「……」
……本当は分かっているはず。
彼女は、ムカデは何も悪くない。
彼女はあの子を守りたかっただけ。
だから、そんな彼女にこんな憎悪が向けられるのは間違っている。
それを理解した途端に、行き場を失った黒い感情が全て私に帰ってきた。
この醜い感情も、当然の痛みも、全部そのままの形で受け入れよう。
それだけが、今私に出来る唯一の償いのフリなんだ。
「……ざまぁみろ」
今度は間違えない。
これは、悪事がバレて懲らしめられた馬鹿な私自身への、嘲りの言葉だ。
「……ざ…まぁ……みろ」
涙が込み上げてくるのを感じる。
私はそれをぐっとこらえると、鼻をすすった。
泣くわけにはいかない。
もしここで泣いてしまったら、今以上に惨めな気持ちになってしまいかねないから。
立ち上がるために、地面に両手をつく。
身体のあちこちが痛むけど、いつまでもこんな所にはいたくはない。
「っ……」
私は立ち上がると、空を見上げた。
このままではまた泣いてしまいそうだったから。
悲しみを諦めに変えてくれる、灰色の空。
今日も、雲の切れ間からは憎々しげな視線が私を覗いていた。
「ん……」
ふいに、鼻につんとした痛みを感じた。
あんなに大嫌いだったこの痛みも、今ではなんだか可愛く思えて……。
「あはは……」
自然と笑みがこぼれた。
よし、その調子。
ポジティブなだけが私の取り柄だったはずだ。
それすらも無くなってしまったら、今度こそ本当に死んでしまうかもしれない。
それは、…ダメだ。
少しだけ元気になれたところで、ようやくまともな思考回路を取り戻せた。
そして私は、今までの自分の不用心さに気づき、青ざめる。
「血、洗わないと……」
今、私の服は自分の血で真っ赤に汚れてしまっている。
こんな、全身血まみれの姿で歩き回っているのを誰かに見られでもしたら、もう二度と自分の足で歩けなくなるかもしれない。
もしそうならなかったとしても、良くない噂が立つことは目に見えている。
これだけの血を流して、平然と生きているなんてありえない。
だから私を見たフレンズはこう思うだろう。
───私が、誰かを食い殺したんだって。
でもそれは仕方の無いことだ。
だって、これは誰が見たって返り血にしか見えないから……。
目を落とし、服の汚れ具合を再度確認する。
これだけ汚れてしまっては、雨水だけでは綺麗にならないだろう。
雨なんかよりも、もっと沢山の水が必要だ。
「そうだ、川……」
川、それは沢山の水が絶えず流れる場所。
そこへ行けば、この服もある程度は綺麗にできるはず。
「私にしてはいい考えだね」
自分を元気づけようとして言ったはずの言葉が、胸に突き刺さる。
痛い。苦しい。……悲しい。
これではまるで馬鹿みたいだ。
「……そんなの、分かってるよ」
諦めるように呟くと、心がたちまちに軽くなった。
「よし、行こう」
私は酷く軽いこの心が、再び重さを取り戻してしまう前に、川へ向かうことにした。
誰にも出会わないように、あえて危険な道を通って。
───────────────
草の根をかき分け、何とか無事に川にたどり着くことが出来た。
少し時間はかかったものの、想定していたよりもずっと早く着いた。
早速、川の前にしゃがみこんで手を水に浸してみた。
すると今度は嬉しくない想定外が……。
「うぅ……つめたい」
川の水は思っていたよりもずっと冷たかった。
そのあまりの冷たさに、さっき頑張って堪えた涙が、再び滲み出してくる。
「……」
川の水を少し手ですくって、何度かスカートにかけてみたけど、ちっとも綺麗にならない。
私は少し考えて、この冷たい水の流れに足を踏み入れることにした。
ちゃぷん
静かに、ゆっくりと片足を水に沈める。
この川はそれほど深くはなく、すぐに川底に足がついた。
「冷たいけど、我慢……」
次に、スカートを持ち上げてもう片方の足を踏み出す。
二度目ということもあってか、今度は冷たさがそんなに気にならなかった。
両手をスカートからぱっと離すと、重力に従って水面にふわりと乗り、やがて水を吸って重たくなった。
私は、水中でヒラヒラと泳ぐそれをぼんやりと眺める。
「…………」
…………違う。
私が本当に見ていたのはその向こう側だ。
川底に沈む自分の面影だ。
そいつは、とても凶悪な目付きでこちらを睨みつけていた。
ぱしゃん!
私は水面を蹴った。
でも、消えない。
踏みつけても、踏みつけても、そいつは一時的に形を歪めるだけだ。
「ハァ……ハァ…………ふっ」
やつが口元を不気味に歪め、目を細めた。
その次の瞬間───。
バッシャン!
私は、冷たい水に全身を沈めていた。
ゴポゴポ……
……冷たい。
ゴポ……ゴポ……
……痛い。
ゴポッ………………
苦しい。
………………
このまま、もう少し。
……………。
ざっばぁん!
「げほっ、げほっ!…………けほっ」
冷たい水を吐き出す。
……。
少し…体温が下がったのかもしれない。
雨水が温かく感じられるから。
絶え間なく落ちてくる熱い粒が、私の全身を包み込んでいた痛みを奪って行ってしまう。
「もうちょっとだったのにな……」
無意識にそんな言葉が零れた。
これは……違う。
「もう少しで楽になれたのに」とか、そう言うのでは決してない。
本当に違うから。
誰にともなく言い訳をする。
「……どう違うの?」
それは……。
…………。
私は嘆いたんだ。
ありとあらゆる可能性を失い、最後の最後に残されたたった一つの希望をかけた、その計画の失敗を。
もう少しで、上手くいったのに。
私がやったのは、見つかれば叱られるような悪いことだったかもしれない。
だけど私には、素直に叱られて全部終わらせるなんてことは出来なかった。
突然の計画の終わりを予感して、強い焦燥にかられた私は、叱られるだけでは済まないことを言ったんだ。
目を閉じ、失敗の記憶を思い出す。
私は名前も知らないあの子を両手で抱いていた。
あの子は震えていた。
怯えていたんだと思う。
その様子を間近で見て、私は微笑む。
とても満ち足りた気持ちだった。
……そんな時だった。
背後から声をかけられた。
私が振り返るよりも早く、腕の中の少女が震える声で言った。
「ムカデちゃん、…たすけ…て」
私は振り返り、ムカデと呼ばれた少女を見た。
目を吊り上げ私を睨む彼女は、とても怒っているようだった。
お前のことは知っているだとか、その子を解放しろだとか、そんなことを言っていた。
その時、私はムカデになんて言ったんだっけ?
確か……
「あなたには関係ないでしょ?
この子はもう私の物なんだから、何をしたって私の自由。
あなたはいらない。だから、何処かに行って」
こんな感じのことを言ったと思う。
……。
これは…まあ、誰がどう見ても私が悪いだろう。
何をされても文句は言えない。
実際、罪を認めずに変に開き直った私は、酷い(当然の)仕打ちを受けている。
「……」
でも、私は懲りない。
……懲りる訳にはいかない。
今の私には、もうこれしか無いから。
途中までは上手くいってたんだ。
だから、だから……
「だから…」
…………。
今度はもう少し優しくしよう。
優しくして、仲良くなろう。
そうすれば、みんなからも本当の友達みたいに見えるはず。
友達になったら、たくさん助けてあげるんだ。
……そうして、全ての役目を終えた時、きっと私はあなたと同じ所へ行ける。
「そうだよね、…アメちゃん」
あなたの代わりになると決めたあの日から、いつか来る最期の日まで。
それまで私は、立派にあなたの人生を生きていくよ。
服を洗い終えて川から上がると、さっきまでの寒さが嘘のように消えてしまった。
今は、近くにあった木の下で服を乾かしているところだ。
……………………。
これだけびしょ濡れでは、いつまで経っても服が乾くことは無いだろう。
……でも、そんなことはもうどうでもよかった。
「何がダメだったんだろう……」
意識的に口に出したのは、そんな言葉。
それはこの上なくわざとらしい響きを持っていた。
こういうことを言っていいのは、何の後ろめたさも持たない純粋な心の持ち主が、自らが考えうる最善の努力をした時だけだ。
残念ながら、私はそのどちらにも当てはまらない。
最悪な企みをダメなことと知っていながら実行した私に、その言葉を口にする資格はなかった。
だから、本当はこう言うべきなのだ。
「どうすれば、もっと上手くいったのかな」
好意的な言葉は無駄だと知った。
だから、わざと怖がらせるようなことを言ったのに。
「……」
最初は上手くいってたんだ。
恐怖は相手を束縛するのには最適だった。
逃げようとするのは、生きようとする意思があるからだ。
だから、それを奪ってしまえばいいと思った。
生きるのを諦めさせる程の恐怖を与えれば、と。
罪悪感はあった。
でも、それもいつかは無くなるものと信じこもうとして……。
最初の間違いで味をしめた私は、気の弱いあの子に、毎日のように恐ろしい言葉を浴びせかけた。
何度も、何度も、同じ罪を重ねていって……。
……そうして、今に至る。
恐怖はあの子を拘束する以外の意味を持たなかった。
過度な脅かしが、あの子と私を永遠に隔ててしまったんだ。
──ぴしゃん!
……落とした視線の先に、あまりに邪悪な顔が写っていたものだから、反射的に水たまりを蹴ってしまった。
「………………」
最初のうちは、本当に上手くいっていた……と思う。
しつこいようだけど、何度も失敗を経験してきた私が言うのだから、間違いは無いはず。
……。
私は、今回の失敗から学ばなければならない。
こんなことをまだ続けるのかと、誰もが思うだろう。
でも、どうか、安心して欲しい。
次で最後だから。
……何となく分かる。
こんなこと長くは続かないって。
もし次も失敗してしまったら、私はきっと、全部を諦めてしまえるから。
だから、最後にもう一度だけチャンスをください。
……そうは言っても、次の私の被害者には安心どころじゃないのかもしれない。
だったら、私が謝らなくてよくなるほどに、たくさん優しくしてあげるから……。
私に残された時間の全てを、あなたのために使うから……。
だからどうか、許してほしい。
「きっと、うまくいくよ」
後ろ向きになりそうな思考を、前向きな言葉で遮った。
これからどうすればいいのかは、もう分かっている。
私は、足元の水溜まりで素敵な笑顔の練習をしてから木陰を飛び出した。
短く、ストーリーがあまり進展しない
前回のかさましのような11話です
これからはイシちゃん視点で進むのかな?
突然姿を消したササコ…
自暴自棄になって溺れかけるなんて、独りじゃなければ助けてもらえるのに…
自分の不器用さを身にしみて嫌っているのがわかる…
ムカデでもだれかがいればいいのに、と思います
チェック頻度がさがってて10話とまとめての感想になってしまいましたが、楽しませてもらいました
ご明察の通り、ここからはイシちゃんの視点で書いていきます
ササコ視点の時よりも読みづらく、感情移入もしづらいかもしれませんが、どうにか形にするつもりです
ササコやムカデも不器用ですが、イシちゃんはそれ以上に不器用かもしれません。
いちいちチェックしないと更新されているかわからないのは面倒ですよね
投稿期限を決めるというのも考えましたが、期限を守れる気がしなくて……
見ての通り、あまり更新頻度は高くないので、ふと思い出したときにでも見に来てもらえればという感じになっておりますすみませぬこめんとありがとうございます
「……見つけた」
木々の隙間から確認できた姿は、間違いなくフレンズのものであった。
全身傷だらけで、見るに堪えないようなその少女の姿を見た私は、心の内で喜んでいた。
そして、「彼女しかいない」と思った。
私は彼女の姿を見た瞬間、本能的に見下して、選択をしたんだ。
自分より弱そうな彼女になら返り討ちにあう心配はないと、そう思ったのだろう。
それは最低な私の、最悪な打算だった。
「……」
自分がどれほど卑劣かなんて、今更もうどうでもいい。
今を逃してしまえば、もう二度とこんな機会はないのかもしれない。
こんなところを一人で、それも俯きながら歩くような不用心なフレンズは、彼女くらいのものだ。
この幸運を逃すまいと思った私は、彼女に近づくことにした。
……私にとっての幸運も、これから私と出会う彼女にとっては、間違いなく不運だと言えるだろう。
そう思うと、急に足が重くなって……。
「……ごめんね」
誰にも届かないくらいの声で謝罪の言葉を呟くと、少しだけ心が軽くなった気がした。
ーーーーー
雨粒を蹴飛ばしながら、名前も知らないフレンズのあとをつける。
最初はあまり近づき過ぎないように、一定の距離を保ちながら歩いていたのだが……。
「…………」
一人の時に背後から急に話しかけられたら、誰であろうと驚いてしまうだろう。
それならばと、私は相手から自然に存在を認知してもらえるように、少しずつ距離を詰めていった。
しかし、一向にこちらの存在に気づく気配がない。
そして私は、ついに、彼女の真後ろと呼べるであろう距離まで近づいてしまっていた。
……それでも彼女は気づかない。
もしかして、知らない子の後ろにぴったりとくっついて歩いている今の私は、とんでもなく怪しいやつなのでは……?
「うん、そうだよ」
「!?」
目の前の少女が唐突に言った。
その言葉の意味がうまく理解できない。
『うん』
これは、肯定の言葉。
『そうだよ』
これも……肯定を意味する言葉だ。
この二つがあわさっても、反対の意味になったりはしない。
それどころか、お互いの意味を強め合い、より確実な肯定の言葉となっている。
…………。
でも、それなら彼女は誰に向かってその肯定の言葉を言ったのだろうか?
この場には彼女と私の二人しかいない。
それなら、私に言ったというのが自然だろう。
だけど、それはない。
私は何も口にはしていない。……はず。
そうなると、やっぱり彼女が言ったのは独り言ということになるわけで……。
バシャバシャッ!
突然の大きな水音。
気づくと、傷だらけの少女は私から距離を大きくとっていた。
急に走り出したのだ。
私が慌てて後を追おうとした時、彼女がばっと振り向いた。
驚いたように目を見開く少女。
だが、その目はすぐに訝しげな表情の一部となる。
「あの、……どうしてついてくるんですか?」
丁寧な口調で、問いかけてくる。
「どうして」と聞かれると、どう答えていいか分からない。
「さて、…どうしてかしら?」
咄嗟に答えが思いつかず、質問をそのままの形で返してしまった。
これを聞いた少女は、一層疑わしげな視線をこちらへ向ける。
彼女はそのまま少しの間、私の目を、見張るように見つめていた。
そして、ようやく視線を外すと、「用がないならいいです」と言って、こちらに背を向けてしまった。
「せっかく出会ったんだもの。仲良くしましょう?」
彼女を引き止めるために放った咄嗟の一言は、調子はずれなものだったけど、そんなに悪くはなかったはずだ。
それでも、無視されたりしないかと少し不安だったので、私は言葉の最後に「ね?」と同意を求めるように付け足した。
「…それは、できません」
彼女は言った。
当然のことを口にするように、きっぱりと断られた。
「あら、どうして?」
平然とした態度で言ったつもりが、少し声が震えてしまった。
私の悪評を知らないみたいだったから好意的に接してみたけど、やっぱり、それは間違いだったのかもしれない。
「どうしてって……」
目を逸らして言いよどむ。
私は、彼女が見せたこの一瞬の隙に、空いていた距離を一気に詰めた。
これでもう、逃げられない。
「ねえ、どうして?」
改めて、もう一度質問をした。
これは、最終確認。
彼女の次の一言で、私のことを知っているかどうかを判断する。
別に知ってるなら知ってるで、構わない。
その時は、今まで通りにするだけだ。
……ああ、でも、……今まで通りじゃダメだったんだっけ。
「私、……友達は作らないって……決めてるんです」
「ふーん、そう……」
これは……難しい。
もしこれが、私の機嫌を損ねず逃げるために吐いた嘘なら、なかなかよくできた嘘だ。
でも、もし……本当のことだったら…?
私はもう一度、好意的な言葉で繰り返してみることにした。
「仲良くしましょう?」
言ったあとに気づいた。
彼女が本当のことを言っていたとしても、その先には同じ拒絶があるのだ。
「その、だから……」
少女は困ったような顔をした。
私のことを、理屈が通じない我儘なヤツだと思っているのだろうか。
……でも、その通りだから仕方ない。
「……はぁ」
もう、ダメだ。
これ以上問答を続けても無意味だ。
やっぱり私には、真っ当な方法で友達を作るなんてできなかった。
それだけの事。
私は少女の頬に両手を添えて、彼女の目を覗き込んだ。
綺麗な琥珀色の瞳に影が差す。
「あなたは私の言う通りにしておけばいいの。だってあなたは私の暇つぶし兼、非常食なの。
……あなたがどう思おうが、絶対に逃げることは許さない。…あなたに拒否権はないわよ」
私は、足りない頭で精一杯考えた脅し文句を言った。
今度は無闇に怖がらせ過ぎないようにと、できるだけの優しい口調と笑顔を心がけたのだけど……。
私のそんな配慮は、無駄なものだったのかもしれない。
少女は私が今までに見てきたどんな顔よりも、怯えた表情を見せた。
見開かれた目は、焦点が定まらないのかどろんとしている。
それでいて、私と目を合わせないようにと、必死に視線をそらそうとして蠢く。
瞳を直接覗き込んでいるのにも関わらず、全く目が合わないのは、彼女の無意識下の努力が報われた証拠なのかもしれない。
ぱちゃん
私が手を離すと、少女は地面にへたりこんでしまった。
余程怖かったのだろう。
そんな他人事みたいな言葉が浮かんだ。
ぜんぶ、私のせいなのに。
そこまで考えたところで、ようやく、心に小さな罪悪感が芽生えた。
これは、大事な感情だ。
今日まではずっと、邪魔だとしか思えなかった、とても大事な感情。
ずっと目を逸らして、邪険にして……。
そして、いつしかそれを抱くことはなくなっていって……。
……でもそれは大きな間違いだった。
誰かを傷つけたら、その罪に見合うだけの苦しみを味あわなければならない。
じゃないと、また傷つけてしまうから。
何度だって、際限なく繰り返してしまうから。
だから私は、二度と間違えないために、精一杯苦しまないといけない。
……やっと気づけたんだ。
もうこの芽を摘むようなことはしたくない。
この罪悪感は、絶対に忘れないようにしよう。
私は罪悪感が示す通りに、何とか怯える少女を安心させる術を探した。
…………。
……頭を撫でれば、少しは落ち着くだろうか…?
私は少女の頭に手を伸ばそうとした。
───その時。
「……っ!」
頭が……痛い。
突然ひどい頭痛に襲われて、差し出しかけていた手を引っ込めてしまった。
頭の中で、なにかよくないモノが這いずり回っている。
……ああ、そういえば今日はまだ、虹草を食べてないな。
今日は色々あったから……それで食べ損ねたんだ。
辺りを見回しても、あるのは真っ赤な草ばかり。
虹色に光る草はどこにもない。
探しに……行かないと。
虹草は、そんなに珍しいものではない。
少し歩けばすぐに見つかるはずだ。
私は、地面にへたりこんだままのソレに背を向け、元来た道を引き返す。
一歩、二歩。
遠い。まだつかない。
三歩、四歩。
胸が苦しい。
視界も既に、赤色に侵食し始めている。
……そうだ。
五歩目を踏み出したところで、ふと、背後の少女のことを思い出した。
ゆっくりと振り返る。
……横たわる彼女の顔を見て、私は息を呑んだ。
赤く染りゆくその顔は、私のよく知る人物にそっくりだった。
(黄金に輝く瞳は、瑞々しい、まるで禁断の果実のようね。
それに……彼女の真っ白な頬には、本物の赤がとってもよく似合うはずよ)
誰かの悪意が木霊する。
頭の内外から戯言を吐き続けて、私に思考を放棄させようとする。
だけど、私はそんなの認めない。
私は流れ込む衝動を喰い殺し、たった一言を絞り出した。
「またね」
ムカデの容姿
ササコやイシちゃんよりもさらにちっちゃい(身長)
友達をどうしても作りたくてササコに接近したけどどうしてもうまく接することができなくて警戒されていたと………
たまたま会って友達になろうとするのは険しい道だけどイシちゃんなりの苦悩が伝わってきました
イシちゃんは一度まっとうなやり方を諦めてしまているので、どうしても良くない方法を選ぶ傾向にあります
それは選択肢の一番上に「脅す」があるような状態で、
それでも、なんとかササコとちゃんと仲良くなろうとするのですが……
好意的な態度での成功経験のなさゆえか、脅すような言い方をしないと不安で仕方なくなってしまうようです
多分この子が一番人に近しい精神を持っていますが、その心の弱さゆえの苦悩も多いのかもしれません
物音に気がついてふと目を覚ました。
いつの間にか寝てしまったらしい。
「……?」
ここは…何処だっけ?寝起きで頭が上手く回らない。
辺りを見回すも、視界はまだぼんやりとしている。
「ん……」
そろそろだ、と思った。
視界が段々と鮮明になっていく。そこでようやく物音の正体を視認できた。
あれは…私だ。
私がいる。
こちらに背を向け、一心不乱に何かを貪っているみたいだ。
くちゃくちゃ、くちゃくちゃ。
ぴちゃぴちゃ、ぴちゃぴちゃ。
ぴちゃん、ぴちゃん。
何かが滴る音がする。
私の口の端から涎と混じった赤い汁のような物がたれている。
まったく、なんてはしたない。
ふとそんな事を思った。
ぴちゃん、ぴちゃん、ぴちゃん
水音の間隔が段々と小さくなっていく。
そして────
グシャッ!
……何かが落ちた。
それに目をやると、赤黒い…木の実のようだった。
ぼんやりとソレを見詰めていると、目が合った。
「え…?」
理解し難い出来事に、なんとも間抜けな声が出る。
目が合うなんて、そんなことはありえない。
だって、木の実に目なんてある訳が無いのだから。
でも、……目はあった。
だったらこれは…果物ではない。
それが何かを理解する前に、口が動いた。
「ひ、ひとごろし」
奥歯がガチガチと音をたてているのを感じる。
そう、これは恐怖だ。
心の底から怯えている。
目の前の狂人に次は自分が殺される。
それに怯えている。
殺人鬼に出会った者が抱く、ごく自然な感情だ。
だから私は狂ってなんかいない。正常だ。
頭の中で、私が恐怖を感じる理由をなんとも言い訳がましく積み上げていく。
『信じてたのに』
『どうしてこんなことをしたの?』
潰れた木の実が憎々しげに言う。
潰れた声で、潰れた眼差しで私を責め立てる。
違う、私じゃない。
だって、私はここで見ていただけだ。
そんな私に恨み言を吐くなんて、なんて身勝手なやつだ。
「違う」
木の実が言った。
何が違うものか。
これを身勝手と言わずしてなんと言う。
「違う」
まただ。
うるさいやつめ。
いっその事、もう二度とその口が利けないように、完全に潰してしまおうか?
「違う」
「……」
三度目でようやく、何が違うのかに気づいた。
やつは、私が感じている恐怖の理由を、見透かしていたのだ。
私はなんてことをしてしまったのだろう。
自分のした事がこわくてたまらない。
もう元には戻らない、取り返しがつかない。
"私は大切な友達を……この手で、殺してしまった"
私が殺した正義の味方が今こうして、裏切り者のとってもとっても悪い私を、殺しに来たんだ。
それならしょうがないよね。
死ぬのは恐いけど、これは当然の報い。
受け入れるしかない。
……でも待って、おかしいよ?
だって、あの子は死んじゃったんだよ?
なのに、どうして。
そこでようやく気づく。
ああ、そうか。
これは夢だ。
よくあるただの悪夢だ。
「ふっ……」
それに気づいたら、眼前の光景がなんだか馬鹿らしく思えた。
夢なら目を覚ませばいい。
そして二度と思い出せないように、永遠に記憶の奥底に沈めてしまおう。
いつもみたいに。
目を覚まそうと、意識を集中させる。
次第に目の前の悪夢が滲んで見えなくなる。
私はこれから目を覚ます。
そう思った時…
『ワスレルナンテユルサナイ』
────────────────────
「ッ!」
呪いの言葉で目を覚ました。
それは、私の記憶に鮮明に刻まれてしまったようで、目覚めの前に聞いたのか、それとも後なのか、それすらももう分からない。
「また……」
いつからだろうか。
私は毎晩、悪夢を繰り返し見るようになっていた。
だからこの目覚めはもう慣れっこだ。
だけど、あの悪夢だけはどうしても慣れない。
「でも…今日のはそんなに怖くなかったかな……」
今回の悪夢は、比較的マシな方だった。
今までで一番怖かったのは、赤黒い液体で満たされた空間の中で、赤や白のおぞましい何かが浮き沈みを繰り返すのをずっと見せられる、というものだった。
そんな、見方によっては幻想的に見えなくもないような悪夢は、手足を捥がれるよりも、殺されるよりも、ずっと恐ろしいものだった。
思い出すだけでも、頭がどうにかなりそうな血なまぐさい夢。
思い出したくなかったのに、思い出してしまった。
「はぁ……」
頬に伝う雫を指で掬い、目の前に持ってくると、それは赤かった。
私は次に、視線を少しずらした。
すると、目に映るものが何もかもが赤く見える。
……これでは、汗か血の判別もつかない。
「…………」
目は覚めたはずなのに、まだ赤い。
私は今もまだ、あの赤黒い箱の中にいるのかもしれない。
だから、この景色は悪夢の延長。
私はまだ眠ったまま……。
「それなら、早く起きないとね」
皮肉混じりに呟き、体を起こす。
そして、近くにあった硬い木のようなものにもたれかかった。
「まずは、ごはん……」
足元を見ると、たくさんの草っぽい何かが生えていた。
私はその中のひとつ、虹色に光るものをちぎり、目の前に持ってくる。
「食べないとだめだよね……」
何もかもが赤くなった世界で唯一赤くない色を持つそれは、私にとって、なくてはならないものだ。
これには、食べるとおかしくなった世界を元に戻す効果がある。
……正確には、おかしくなった私自身を治す効果と言うべきだろう。
これがなければいずれ、私は私でなくなってしまう気がする。
……ほかにも、少しの間意識がぼんやりとして上手く物事を考えられなくなる、という効果もある。
でもこれは、効果というより、副作用と言うべきかもしれない。
意識が朦朧としている時にセルリアンに襲われたりしたら、逃げることも難しくなる。
だけどそれも、食べすぎなければさほど問題はない。
再び意識が明瞭になった時には頭が少し軽くなり、気分もよくなるので、デメリットよりもメリットの方が遥かに多い。
……実を言うと、唯一のデメリットであるはずの効果も、私にとっては結構嬉しい。
安心して眠ることも出来なくなった今、何も考えずにいられる時間はとても貴重だ。
……となると、この草を私が食べることで得られる効果には、有益なものしかないということになるけれど……。
しばしの間、絶え間なく変色し続ける草を睨みつける。
それを見ていると、段々と動悸が激しくなり、さらには息苦しくなってくる。
私は目を閉じ、深く息を吸った。
そして、目を瞑ったまま草を口元まで持ってくる。
……ゆっくりと口を開け……僅かに開いた隙間から草を強引に押し込み、最後に両手で蓋をした。
まずいなんてもんじゃない。
もしゃもしゃ……もしゃ…………
ゆっくりと、吐き出さないように注意しつつ噛み潰していく。
もしゃ…………………………
…………………………………………ごくん。
「…………はぁー…………ぅッ」
少し安心したところで、強い嘔吐感に襲われる。
お腹の中で何か、熱いものが蠢いているような感覚。
「きもちわるぃ……」
いつも、今日は大丈夫なんじゃないかと期待をする。
今日は、気持ち悪くはならないんじゃないかと。
期待して、……そして、裏切られる。
……でも、日に日に感じる嘔吐感が薄れていっているから、このまま行けば、いつかは感じなくなるのかもしれない。
「………………」
しばらくの間、黙って吐き気が治まるのを待つ。
………………………………。
待っていると、次第に吐き気は弱くなっていき、……やがて治まった。
今日はいつもよりも早く終わった気がする。
そう感じた私は前回までを思い出そうとしたが、上手く記憶をだどれない。
それで、
思った。
もう、始まっていると。
────────────────────
虚無に身を任せること数分間。
私が再び目を開けた時には、世界はすっかり元の色を取り戻していた。
心は、いつもよりちょっぴりだけ晴れやかだ。
実際の空は、いつも通りの雨降りだけど、そんなことは気にしない!
今の私はとても機嫌がいいのだ。
木陰から這い出し、空を見上げる。
こんな良く雨が降る日には、誰かと鬼ごっこでもして遊びたい。
私に友達がいれば、すぐにでも追っかけ回していたところだ。
「友達……」
ふと、昨日あったフレンズのことを思い出した。
全身に傷を負った、琥珀色の目をした少女。
私は彼女に仲良くしようと言い、そして断られた。
何とかならないかと少し粘ってみたけど、答えは同じ。
しょうがないので実力行使に出ると、少女はひどく怯えた様子を見せた。
これは、私の脅しが最初の頃よりも洗練されつつある、ということだろうか。
あそこまで怖がらせるつもりはなかったんだけど……。
いくら「慣れ」ようが、不測の事態は起こるものだ。
だけど、今回のことに関しては、「慣れ」が事態を引き起こしたように思える。
相手が感じる恐怖の大きさを把握しきれていなかった私は、少しばかり対応を間違えてしまったのかもしれない。
「んーっと……あれ?」
ちょっとさじ加減を間違えただけで、私の作戦は何も失敗してないのでは…?
というか、あんなの間違いの内に入らないよ。
取り返しのつくうちは、何をしたって大丈夫。
いくら傷つけようが、最終的にその傷を癒してあげられればいい。
まだなんとかなる。
まだまだこれから。
なんかいろいろと難しく考えてた気がするけど、そんなのは全部余計なことだ。
考えた結果、後ろ向きな思考になってしまうのなら、考えない方がいいに決まってる。
前向きに生きれば、前向きに死ねるはずだから。
「よーし……」
今一度、気合いを入れ直す。
昨日、あの子は友達は作らないと言った。
どんな理由があるのかは知らないが、それでも独りは寂しいはず。
……それに、あんなに傷だらけになっても誰も助けてくれないのは、独りで生きてきたからだろう。
それなら、やっぱりこのまま彼女を一人にはしておけない。
私が傍にいて守ってあげないと。
「そうと決まれば!」
私は勢いよく立ち上がると、大きく伸びをした。
目を瞑り、深く息を吸う。
そしてそのまま、
「いつまでも孤独でいられると思うなよー!」
と、高らかに宣戦布告しようとしたが、恥ずかしいのでやっぱりやめた。
心の中で呟く程度に止めておくことにする。
「よし、行こう!」
私は雨の降り頻る森の中を、濡れることも気にせずに意気揚々と歩き出す。
────────────────────
今の私はあまり気分がいいとは言えない。
生温い雨粒が全身にまとわりつき、湿った空気が肺を満たしている。
それらの不快感が、体の内外から溶け込むように、私の質量を確かに増していく。
私の足取りは、段々と重くなっていった。
「はぁ……」
雨に濡れた髪が頬にぺったりと張り付いて鬱陶しい。
私は前髪を指でかき分けながら、今日何度目か分からないため息をついた。
何も考えずに飛び出してきたけど、そう簡単に会いたい人に会えるというわけではない。
そんなこと、分かりきっていたはずだ。
この無数の木々が隔てる森の中で、人探しをするのは困難だということも。
……だから、絶対に逃がさないようにと脅しをかけたのに。
うかつだった。
虹草なんていつでも食べられた。
それなのに、私は作戦を中断してまでそちらを優先した。
もう少し時間をかければ、全部上手くいっていたかもしれないのに、楽な方へと倒れてしまった。
あれは仕方のないこと、やむを得ない事だったと言い訳をしてみても、あの後再びあの子を探しに行かなかった事の言い訳にはならない。
とりあえず今は、昨日あの子と会った辺りに向かってはいるけど…。
あれから一晩たってるんだ、今はもう遠くに逃げてしまっているだろう。
だけど、それでも……私はわずかな期待を完全に消しされずにいた。
もしかしたら、まだあの辺にいるかもしれないとか。
なんなら、逆に私のことを探してたりするかもしれないとか。
そんな、自分に都合のいい夢を見る。
そうでもしないと、私はここに立っていることもままならなくなってしまうから。
……ダメで元々。
あの子が見つからなかったら、別の子を探せばいい。
まだ大きな失敗はしてないから、まだやり直せるはず。
怖がらせるだけ怖がらせといて、そのまま放置というのは酷い話だけど、またいつか会えた時に、あれは冗談だったとでも伝えられればいい。
そういった、ダメだった時のための慰め言を考えながら歩く。
そうして歩を進める内に、昨日あの子と会った辺りまで来た。
私は、諦めと慰め言の準備を始める。
もう既に、昨日私たちが立っていた場所は見えているけど、私は足を止められずにいた。
あと一歩進めば、あの子の頭のてっぺんが見えるのではないかと、期待する。
あの子は小さいからなあ…。
すぐ近くまで行かないと見えないかも。
まあ、私も大概だけどね。
そんな独り言を小さく呟く。
今歩いている道は勾配皆無の平坦な道で、身長なんて関係ない。
いたら見えるし、いなければ見えない。
私はそんなことにも気づけないほどに、心身ともに疲れきっていた。
諦める準備に疲れた。
今に期待を裏切られると身構えるのは、とても苦しいことだった。
だから私は期待し続けることにした。
馬鹿みたいに、何の根拠のない期待を続ける。
これは、いわゆる逃げ、なのだろう。
期待を裏切られる瞬間を先延ばしにして、徐々にこの感情が薄れていくのを待つ。
そして、淡い期待が透明になって見えなくなった頃、私は歩き疲れて、落ち込む気力さえ失っているだろう。
もしそうなったら、虹草でも食べて横になろう。
そして、健全な意識を取り戻す前に、眠りについてしまおう。
そうすればきっと、期待を抱いていたということ自体を、夢の中での痛みのように忘れてしまえる。
……そんな風なことを、頭のどこかで考える。
それは少しでも心を傷つけたくないがための、完全な逃避だった。
……期待を捨てないと思ったら、ダメだった時のその先のことを考えている。
さっきから、プラスとマイナスの感情変化が激しい。
私の情緒が安定しないのは安定のことで、自分でも何を考えているのかよく分からないのもよくあることだ。
でも、少なくとも今の私が前向きな思考ではないことは明白だった。
ずっと、後ろ向きな理由で期待し続けていたけど、そろそろそれにも疲れてきた。
心の確かな疲労を認めた時、自分がいつの間にか俯きながら歩いていたのに気づいた。
これでは、見つかるものも見つからない。
……いや、最初から見つかるはずがなかったのだろう。
私は顔を上げた。
眼前に広がる見慣れない景色。
もう既に、私が歩いているのは記憶に無い道となっていた。
私は足を止める。
すると、ようやく止まった孤独な足音とともに、悲しい雨音も止んだ気がした。
辺りに静寂が訪れる。
自分の呼吸音も、何も聞こえない。
音のない世界で残されたのは、……私一人だった。
ぴちゃん
「……?」
その時、私は音を聞いた気がした。
それは、水が跳ねる音。
音のなくなった孤独な世界でただ一つ、私の耳に届き得る響き。
…それは足音のように聞こえた。
自分以外の、小さくて……孤独な足音。
私は、音の聞こえた方へ向かった。
ぴちゃん、ぴちゃん
これは、私の足音じゃない。
自分の足音なんて聞こえない。
ぴちゃん、ぴちゃん
……これは、さっき聞いた音とおなじ。
何度も、何度も繰り返し聞こえる。
ぴちゃん、ぴちゃん
私の頭の中でだけ響くその音は、どうやら記憶の中に残る一音を繰り返し聞かせているだけみたいだった。
私はそれだけを頼りに歩く。
ぴちゃん、ぴちゃん。
音が止むのと私が足を止めたのは、同時だった。
目の前には一本の木が、何かを隠すように立っている。
私はゆっくりと、その裏に回り込んだ。
するとそこには、昨日会ったあの子が居た。
身体中の傷はもうほとんど消えていたけど、あの傷だらけだった少女に間違いないと思う。
彼女は地面にしゃがみこんで、顔を伏せている。
その姿を見つけた時、ようやく世界に音が戻った。
「何をしてるの?」
何の気なしに質問をする。
私は声をかけた後で、「しまった」と思った。
急に声をかけられたら、びっくりさせてしまうかもしれない。
それなのに私は、この子を見つけられたのが嬉しくてつい、挨拶もなしに話しかけてしまった。
私の声を聞いたであろう少女がゆっくりと顔を上げる。
見たところ、驚いたような様子は無かった。
先程の心配は無用なものだったのかもしれない。
「……」
少女は無言で私の顔をただ見上げている。
その琥珀色の眼差しは、昨日見たのと同じ色をしていた。
「…………」
……少し待ってみたけど、返事はない。
仕方ないので、こちらから何か話すことにする。
話す、と言ってもなんでもいいというわけではない。
無視されてしまっては元も子もないので、相手が反応しやすいような話題を見つけなくてはならない。
………………。
何かいい話題は無いかと考えているところでふと、疑問に思った。
そもそも、彼女はこの木陰で何をしていたのだろう?
何をしていたか。
普通なら、雨宿りをしていたと考えるのが自然だろう。
それなら、「隣いいかしら?」と何気なく聞いてみるのもいいかもしれない。
それが今の私の思いつく限りの最善の振る舞い。
でもそれは、この子が本当に雨宿りをしていたらの場合に限る。
……私は、彼女がただ雨宿りをしていたとは思わない。
さっきから感じているこの違和感が、違うと言っている。
この子が選んだ木は、どうやら雨避けには不向きらしく、彼女の足元には水溜まりができている。
それはつまり、溜まりになるほどの雨粒が、枝や葉に弾かれることなくその場に降り注いでいるということだ。
雨宿りをするならもっと適した木がある。
なのに何故、彼女はこの木の下にいるのだろう。
何か……やむを得ない事情があったとか?
仮にそうだとしたらそれは何だろうと、透き通る水溜まりをじっと見つめて、頭をひねらせる。
…………。
少しして、考えたところで何も分からないと気づき、視線を上に戻した。
少女の全身が目に入る。
……私は、水溜まりの上でしゃがむ彼女の姿に既知感を覚えた。
その既知感の正体に気づいた瞬間、一つの可能性が頭に浮かび、凍りつく。
人目を避けるように木陰に隠れてすることなんて決まってる。
これはつまりそういうこと。
さっきの水音も、……そういうこと?
……もし、これらの品性のかけらもない想像が全て当たっていたとしたら。
視線を再び下へと戻す。
この水溜まりはまさか……。
ふと、少し前に私がそれをじっと見つめていたことを思い出す。
彼女はそんな私を、どんな目で見ていたのだろう。
恐る恐る視線を上に……。
……少女の表情をうかがうと、やはりというかなんというか、怪しいやつを見る目をしている。
「…………」
なんだかとても恥ずかしい場面に直面してしまった気がする。
……そんな場で私がとった行動は、気を使ってこの場から離れるでもなく、留まって、……じっと彼女の足元を見て……。
状況を整理していくうちに、先程までの悠長な態度はどこへやら消え去り、急に焦りが出てきてしまう。
とりあえず、何か言わないと……!
このままでは、この子に間違いなく嫌われてしまう。
そんな何をいまさらという感じだけど、やっぱり嫌われる要素は少ない方がいいに決まっている。
こんな出来事は、この先仲良くなる上で邪魔にしかならない。
怖い言葉で脅かしても、頑張れば警戒を解くことはなんとか出来そう。
でもこれは…?
下手をすれば、他者を意図的に恥ずかしめて喜ぶ嫌なやつだと思われてしまうかもしれない。
どうしよう……!?
できることなら、今ここで私と会ったこと自体を忘れさせたい。
でも、記憶を消すことなんてできない。
悲しいことに私はその術を持たない。
出来もしない願望を形にするために、時間を浪費してしまう。
私は、すぐ横道に逸れてしまうどうしようもない頭を、可能な限り高速回転させて、思考をする。
早く何か言わないと!…早く…早く!
「だっ、…大丈夫?」
そうして、やっとこさ発したのはそんな言葉。
「私は何も見ていない!」という強い意思を込めて声に出した。
…いや、本当に何も見ていないんだけど、何かの間違いで自分が覗き魔か何かだと思われるのはすごく困る。
だから私は、なんとか相手の警戒をときつつ、状況が何も理解出来てない風を装うために、相手を気遣うような言葉をかけたのだ。
それらしい言葉を並べてはみたけど、私が考えに考えてようやく口にしたそれは……単なるとぼけだった。
雨音がうるさい。
声を持たない彼女は、私の決めつけからの態度や言動を否定も肯定もしない。
なのに、私の存在は否定する。
絶え間なく視界を横切るその一粒毎が、まるで意志を持ったかのように私の頭上に降り注ぐ。
私は、それらが頬を伝う度に、自分が泣いているような錯覚を覚える。
本来私が流すはずだった涙に取って代わられてしまったような気さえする。
『私が代わりに泣いてあげる。
あなたの悲しみを代わってあげるから、それ以外も全部、私にちょうだい』
そんな風に言われている気がする。
私はその声なき思いを聞く度に思うのだ。
雨粒にだってできることなんだな
、と。
なんなら、私よりも上手くできるのかもしれない。
泣いたり、笑ったり……
友達を作ったり。
それはとてもとても素敵なことだ。
彼女と代わった自分を想像すると、なんだか幸せな気持ちになる。
ずっとなりたかったものにようやくなれたような、そんな幸福感を感じられる。
……だけどそれと同時に、酷く虚しい気持ちにもなるんだ。
劣等感……なのかな。
私の涙は無数の雨粒、そのひとつにも及ばない。
私のことを鬱陶しく思う人がいても、誰かを助けてやることなんてできない。
そんな事実を突きつけるように重くのしかかる。
降って、降って、降られて。
そうして──
歪に育った私の心を、平坦になるまで解かしきってしまう。
…………。
偶然、花を見つけたとする。
草に見えなくもない、小さな花だ。
私はその花がとても気に入って、何度も何度も見に行った。
それはもう毎日のように通いつめた。
……でも、ある日突然、大雨が降るんだ。
私はその日雨宿りをする。
そうなると、当然花は見に行けない。
翌朝、私が目覚めて直ぐに花を見にいくと……それは死んでいた。
周りの草ごと枯れてしまっていた。
根腐れしたんだ。
どうしようもないことだった。
……悲しくはある。
でも、涙は流れない。
そこでようやく、私は足元のそれがただの花だと知る。
取るに足らない、数あるうちの一つなんだって。
放っておけばいつかまた生えてくる。
だから悲しむほどの事じゃない。
……私は、ただの花を忘れられずにいた。
それからも、毎日のように雨は降る。
大雨じゃない、普通の雨。
ある日、新しく花を見つけた。
やさしい色をした、これもまた小さな花。
私はもう一度この花を見守ろうと思った。
……だけどそれはもう既に枯れつつある。
まだ小さく未成熟なそれは、根腐れをしていた。
この雨続きだ、緩慢に枯れていったのだろう。
せめて、完全に枯れてしまうまでは見届けたい。
そう思った私は、今度は決して離れないようにとそこに居座った。
髪が、服が、雨に濡れる。
それでも私は見守った。
するとどうだろう。
それは急速に枯れていった。
…………。
これは自分のせいなんじゃないかと思う。
私がちゃんと雨宿りをしていたなら、枯れなかったのかもしれない。
私は雨雲を睨みつけた。
自分が悪い。
だけどもっと悪いのは、絶えず雨をふらせ続ける雨雲の方だ。
だって、
……………………。
せっかく芽生えたはずのやさしい気持ちも、これでは直ぐにダメになってしまう。
綺麗に整えられた頭の中では、
感情なんて育たないから。
……これで二回目だ。
また
枯れて、腐って、溶けてしまった。
それが確かにあったはずの場所をを見て落ち込む私に向かって、ようやく声らしきものが聞こえる。
その声は、そんなものは不必要と、私には相応しくないのだと。
だから、捨ててしまえという。
嫌だ。そんなのは認められない。
だって、これを捨ててしまったら本能しか残らない。
唯一残ったそれは、私の存在を肯定し、一番の間違いさえも否定しないだろう。
……ただ死ななければいいなら、それもいいのかもしれないが、それこそ私には相応しくない。
私にはどうしてもやりたいことがあって、それは私のしなきゃいけないことでもある。
それは違う、と雨粒が言う。
違わない。
私は彼女の否定を否定した。
そもそも、雨粒に耳を貸すこと自体が馬鹿らしい。
『……いいわ、もう少しだけ待ってあげる』
雨粒はさらに言葉を続ける。
『あなたが役目を終えるまでは、私は何もしないと約束してあげる。その代わり、その時が来たら……』
何を言っているの?
『何って、私なりの慈悲よ。私の人間らしい優しさでもってして、あなたに情けをかけてあげたの』
あなたは、人なの?
『…………』
まるで話が通じない。
『どこにいたって見ているからね。逃げても無駄よ』
あなたに何ができるって言うのよ。
『その口調、一体誰のマネかしら?』
…………。
意思の疎通なんてできるわけがない。
『まあいいわ。とにかく、その時が来たら、こっちからお迎えを向かわせるからね』
お迎え……。
『最後にひとつだけ教えておいてあげる。あなたの白々しい態度があまりに滑稽で、見るに耐えなかったからね。これも慈悲というやつかしら』
……。
『その子、あなたから隠れていたみたいよ? きっと、あなたのことが怖くて仕方がないのね』
その子…?
不意に視線を落とした。
すると、怯えた目がこちらを見ていた。
……ああ、そうだ。
私がこの子にこんな表情をさせているんだ。
きっと私が近くにいるだけでも怖いのだろう。
そんなことにも気づかずに、妄想を疑わず、挙句の果ては自分の潜在意識にそれを正されて。
一連の思考はとても正常なものとは思えない。
虹草の副作用がまだ抜けていないのだろうか?
……いや、それは違う。
むしろその逆だと思う。
酷く落ち込んでしまうこの気持ちは、長時間虹草を食べずにいた時の精神状態に近いように思える。
さっき食べたばかりなんだけどな。
もしかするとさっき食べたのは、周辺の草の中でも、特別輝きが弱いものだったのかもしれない。
もしそうなら直に視界が赤みがかってくるだろう。
それは数分後か、それとも1時間あとのことか。
何れにしても、緊急じゃないから無理に今食べることはない。
何より今は別に優先すべきすることがある。
「こんなとこで、何をしてたの?」
私は、こちらを見上げる少女に向かってもう一度問いかけた。
「……」
「もしかして、何かから隠れていたとか」
「………」
少女は答えない。
でも、言葉がなくてもわかることはある。
私が言った白々しさ全開の一言を聞いた瞬間、彼女のまぶたがぴくんと動いた。
この反応から、私の予想が見当外れなものではなかったことが分かる。
「そっか。……それで、……なんで隠れてたの?」
「…………」
この沈黙を勝手に自己解釈して話を進めると、ただ怯えていただけの目に、何か言いたげな色が混じる。
私は構わず質問を続ける。
「もしかして、私に会いたくなかったのかしら?」
そう言った後、別に怒っているわけじゃないということを伝えるために、からかうように笑って見せた。
「んー?」
「……………」
みるみるうちに青ざめていく。
別に追い詰めたいわけじゃない。
否定でも、肯定でもいい。
なんならそれ以外でも、何か言葉を話してほしい。
一方的に話しているだけじゃ、仲良くなんてなれないから。
このままだとあなたの沈黙は全部、私の粗末な頭で理不尽に解釈されることになるんだよ?
「…………」
………………。
少し待ったけど、返ってきたのは沈黙だけだった。
このままでは、この会話(…と呼んでいいのか分からないけど)はいつまでも平行線を辿ってしまう。
でもだからといって焦ることはない。
既に視界が赤みがかってきている気がするけど、何も慌てることなんてない。
眼前の少女は確実に追い込まれつつあるのだ。
それは私の本意ではないけど、言葉を交わせないのであれば何かしらの行動を起こしてもらう他ない。
命の危機に陥った時には、回避不可能な選択を誰もが迫られることになる。
逃げて命を続けようとするか、生きるのを諦めて死を受け入れるか。
一か八か、敵に襲い掛かるという場合も少なくはない。
もし逃げられたら追いかければいいし、受け入れてくれたなら、これからゆっくりと仲良くなれる。
万が一、この子が逆に襲いかかってくるようなことがあってもそれで構わない。
実際、追い詰めた相手から返り討ちに合うことも少なくはなかったし、その度に私はことごとく負けている。
昨日は彼女のことを自分よりも弱そうだと勝手に評価したけど、実際のところは分からない。
……とにかく、恐怖の対象を力でねじ伏せられることが分かればこの子も少しは安心できるだろうし、私にとっても悪い話じゃないはずだ。
出来ればこの子の手を汚させるようなことはしたくないけど、今の私は彼女にとってセルリアンと同じ外敵だから、やむを得ないことと思おう。
彼女が戦う意思を見せてくれれば、それが何よりなのだ。
戦いを通じて芽生える友情…みたいな?……そんな物語もあったかもしれない。
さっきから自分が負けることが前提なのは、こちらから攻撃してこの子が実際に怪我をするようなことがあれば、信頼を得るのは難しくなるからだ。
だから私は、彼女の私に対する印象の悪化を防ぐために手を出さない。
痛いのは嫌だけど、未来の友達のためだもん。
きっと私は耐えられる。
……ああ、でも…仮にそんな事態になったとして、私はこの子に何をされても平然としていなきゃダメなんだ。
腕を折られても、首を絞められても、平気な顔をしなくてはいけない。
精神的な弱さは決して見せてはいけないから。
私が口程にもない少女だと悟られれば、相手の心を繋ぎ止めておくための一番有効的な手段を失いかねない。
もしそうなってしまったら、お話がきっと得意じゃない私は何も出来ずに終わってしまう。
そんな最悪な事態を避けるための強がりを、私はあらかじめ用意していた。
瀕死の重傷を負った私は、あまりの痛みに泣いてしまいそうになるのを我慢する。
そして、包容力と不気味さを含んだ微笑みを浮かべて、「気は済んだかしら?」って言うんだ。
その後は何事も無かったかのように起き上がる。
……何があったって私はきっと無事だから。
そんな私を見て、この子は不気味に思うだろうけど、別にそれでも構わない。
それこそが狙いなのだから。
…………。
私にもできるだろうか…?
いくら強がったって、うめき声ひとつあげないのは難しいかもしれない。
………………。
でもまあ……これは万が一の場合だから、ね。
あらかたの事態を想定し終えたことを確認する。
あんまり悠長にしすぎて時間切れになったりしては困るので、こちらから仕掛けることにした。
「ねぇ」
少しだけ声を低くして圧力をかける。
すると、少しの時間がたった後、ようやく声が聞こえた。
「…………だ」
「……? いま、なんて……」
上手く聞き取れなかった。
せっかく何かを伝えようとしてくれたのに聞き逃してしまった。
これは全部、雨のせい。
雑音をならし続けて、意思の疎通さえ図らせない。
私は再三嫌い続けてきた自然現象を今一度呪った。
「…………」
彼女が声を発してから、この場の空気はかわりつつある。
私はその変化に気づいた。
最初はただ怯えるだけの少女だったが、自分が置かれている状況の理不尽さに気づいたのだろうか。
その目からは段々と怯えが薄れていって、明確な敵意が宿り始めている。
その視線は自らの生命を害する敵に向けられるものになっていた。
……それでいいんだよ。
その手で私を─────
瞬間、突然強い風が吹いた。
私の右手が無意識に動き、髪を抑える動作をした。
これは本来髪が乱れるのを防ぐための動きのはずだけど、頭からつま先までの全てが水浸しの私には不必要な動作だ。
不必要な、…無駄な行いのはずだった。
だけど、なんの意味も持たないかと思われたその行為は、本来の目的とは別の意味で作用した。
それは私が大きな隙を見せたこと。
髪を抑える私の視界は暗く閉ざされていて、それは私が目をつぶっているからだ。
私は気づく。
今の自分が如何に隙だらけかを。
目は見えていないから、今目の前にいるはずのこの子が攻撃をしてきたら避けられない。
彼女に殺意や害意があったとして、私はそれをこの身体で受けるしかないし、両手がふさがっているので反撃できない。
右手は髪を、左の手はスカートを押さえるのに忙しいのだ。
…………。
やるなら今しかないよ。
なにかするなら今のうち。
あなたの命懸けの奇襲はきっと成功する。
別に逃げてもいいけど、もし追いつかれてしまったら……。
ここで仕留めておかないと、あとが怖いよ?
……そんなことを頭の中でひっそりとつぶやく。
そそのかすように、寄り添うように、…声なき想いを滴らせる。
風はまだ止んではいない。
─────バシャッ
その時、一際大きな水音と共に小さな気配が動いた。
私は頬を弛めた。
次の瞬間───
ぽすっ
……ぎゅー。
……?
何が起きたかわからなかった。
水音が合図をしてまもなく、胸の辺りに衝撃を受けた。
私は、これから友達になろうとしている少女のことを思い描いた。
すごく気が弱そうに見えたけど、本当はやればできる子なんだ。…そんな風なことを思った。
そして、直に襲ってくるであろう痛みに備えて、私は固く目を瞑った。
それなのに、いつまで経っても痛みを感じなくて。
死刑宣告を待っているような気分で、永遠にも感じられる時間の終わりを今か今かとびくつきながら、ただ待っていた。
…だけど、そんな心臓に悪い時間が永遠に続くことはなかった。
やがて私は気づく。
痛みの伝達遅れにしては長すぎる時間にようやく違和感を覚えたのだ。
私はゆっくりと目を開けた。
「…………?」
本当に、何がなんだかわからない。
私のことを心から恐れ、敵意の宿った眼差しを向けてきた少女が、私の胸に顔をうずめていた。
分からない。
彼女がどうしてそんなことをするのか、全然分からない。
髪とスカートを押さえていたはずの自分の両手が、いつの間にか少女の身体を捕まえるように抱きとめていた。
なんでそんなことをしたのか、自分のことも分からない。
……でも、なんだろう…。
不思議と心が満たされるような幸福感を感じる。
……もう、何も分からなくたっていい。
今はただ、このまま……。
私は少女の頭を撫でようとした。
今度は無意識じゃなくて、自分の意思で、そうしたいなって思った。
左手をそっと持ち上げる。
そして、彼女の真っ白な髪に触れようとした時、その手が止まった。
同時に、呼吸も止まる。
段々、と動悸が、激しくなる。
焦点の定まらない目が、真っ赤に濡れた私の左手を見ていた。
そんな……もう…ダメなの…?
せっかく、せっかく仲良くなれそうだったのに。
仲良く……そうだ、私たち、もう、打ち解けたんだ。
私は目を閉じ、見たくないもの全てを視界の外へ追い出した。
そしてもう一度、大好きな友達を抱きしめた。
今度は二度と離さないように、強く。
辛いのを全部忘れてしまえるくらいに強く。
このまま絞め殺してしまうくらいにもっと強く。
もっと、もっと……。
……?
……気づくと私は、誰も抱きしめてなんかなかった。
私はあの優しい体温を、また見失ってしまった。
どこに行ったの?
私は暗闇に手を伸ばした。
何にも当たらない。
……目なんて開けたくない。
でも、このまま会えなくなるのはもっと嫌。
私は目を開けた。
すると、そこにあの子はいた。
変わってしまった世界で、変わらずここにいてくれた。
ゆっくりと、彼女の頬へと手を伸ばす。
もう少し……もう少しで届く。
……もう少しだったのに。
少女は私の両手をすり抜け、背を向けてしまった。
「なん…で…?」
かすれる声で問いかけた。
でも、とどかない。
聞こえてすらいないみたい。
一瞬視界が揺らいだかと思ったら、あの子の背中が少しだけ遠くなった。
彼女が駆け出す。
段々と遠のく。
遠く、離れていってしまう。
其の後ろ姿を、脈打つ視界で、ぼんやりと、眺める。
………。
「待って!!」
咄嗟に私は叫んでいた。
少女が足を止める。
今度はちゃんと届いたみたい。
私は彼女の背中に歩み寄る。
一歩を踏み出すごとに粘っこい音が足に絡みつき、血なまぐさい匂いが全身を包み込んだ。
彼女の背後に立つ。
そして私はもう一度、彼女を抱き締め───
「私から逃げようとしたのね?」
え……?
そいつは言っていた。
意識的に、私の無意識を介して、世迷言を私の友達に吹き込む。
何を言っているの…?
そんなわけない。
私とこの子は友達なのに。
逃げるなんておかしい。
「そんな、こと……」
ほら、彼女も違うと言っている。
そんなことを言い出した私がどうかしてるんだ。
……あれ?
私はどうかして……?
………………………………
……そうだ。
私は頭がおかしくなっているんだ。
だから変な勘違いを起こすんだ。
私はこの子と友達なんかじゃなかった。
少なくとも、今は違う。
だったら……だから、今喋っているのが、本当の私なんだ。
じゃあ私は誰なの?……頭が痛い。
早く、虹草を食べないと…。
「いいわよ」
「……え?」
「逃げてもいいわよ」
私の意志とは無関係に、話が進んでいく。
でも、……これでいいんだ。
事実をちゃんと受け止めている、比較的まともな方の私がきっとうまくやってくれる。
だから、私は何もしなくていい。
「でもその前に、私の遊びに付き合ってもらうけどね」
私は少女の正面に回り込みながら言った。
「……遊び……?」
「鬼ごっこって知ってる? 誰かが鬼とかいうのになって、他のひとが逃げるの」
「……」
「あなたが私から逃げ切れたら、そのまま見逃してあげる」
「…に、……逃げきれなかったら……」
「そうね……じゃあ、こういうのはどうかしら? あなたが鬼に捕まったら……足を一本、もがれるの。あなたが二度と逃げられないように…ね」
「そんなのって……」
そんなのってない。
ここまで黙って聞いていた私だったけど、さすがにこれはやりすぎだと思う。
はっきり言って、彼女は異常だ。
この子が自分に怯えていることを知っていながら、こんな暴力的な言葉で脅すなんて……。
「嫌ならしなくてもいいのよ? 私はあなたとずーっと一緒にいられれば、それで満足なんだから」
彼女はそう言って楽しそうに笑う。
私には理解ができない。
目に見える事実すらねじ曲げてしまった私には、彼女の歪で不健全な、正常であるはずの心がまるで解らない。
「わかりました。……その条件で構いません」
「ぅ……じゃあ、私が…今から十秒数えるから、その間に逃げてね」
私は、この子がそんな遊びには付き合えないと言ってくれることを期待していた。
どうやらそれは頭のおかしな遊びを提案した私も同じだったらしく、彼女が動揺しているのが分かる。
だったら最初から言わなければいいと思ったが、彼女なりの考えがあったのだろう。
……異常な思考回路を持った正常な私と、少しだけ分かり合えた気がする。
でも、もう直ぐにお別れをしなくてはならない。
私は十秒を数えて遊び相手を逃がしたあと、虹草を食べて正常になる。
この先の不安はあるけど、いつまでもこのままではいられない。
私は少女が走り出すのをのを確認してから十秒を数え始めた。
「いーち、にーい、さーん……」
ゆっくりと数える。
「しー……」
もういいか。
あの子の後ろ姿はもう見えない。
私は足元に視線を向けた。
そこには辺り一面に生い茂る草があった。
その一本一本が絶え間なく変色し続けている。
まるで生きているみたい。
それはとてもおぞましく見えた。
気味が悪くて、目にも悪い光景。
それをぼんやりと眺める。
…………。
私が虹草に手を伸ばすのを躊躇っていると、周囲の草の輝きが段々と薄れ始めてくる。
そして、輝きが弱いものから順に、赤色に飲み込まれていく。
このままでは、虹草と普通の草の区別もつかなくなってしまう。
私は慌てて手を伸ばした。
「痛っ」
突然、指先に鋭い痛みを感じて手を引っ込めた。
引っ込めた手のひらに目を落とす。
真っ赤に濡れる手のひらには、一際赤い一本の跡が出来ていた。
それを辿り、指の先へと。
先ほど痛みを感じた部分には、小さな切り傷があった。
どうやら、手を伸ばした先でなにか鋭いものに触れたみたいだ。
私は草をかき分け、それを拾い上げた。
まじまじと見る。
ひらべったくて、先端が尖っている。
そして、尖っていない方、もう片方の端は手で持ちやすい形をしている。
私はこの形状に心当たりがある。
これは……ナイフ?
ナイフ。
それは私たちが生まれながらにして持っている武器。
フレンズがセルリアンに立ち向かうための、唯一の力。
ムカデなんかはナイフがなくても強いらしいけど、そんなのは彼女くらいのものだと思う。
特別な力を持たない私たちは、この武器に頼るしかない。
かくいう私も持っていたのだが、以前セルリアンから逃げる際にうっかり落としてしまっている。
それなら、今こうしてナイフを拾うことができたのは幸運と言えなくもない。
でも、今拾ったこれは酷く錆び付いていてあまり使い物になりそうにないし、そもそも私が落としたものでもない。
だから勝手に持っていくのは悪いように思う。
私はこの錆びついたナイフを元の場所に戻しておくことにした。
ちょっと名残惜しいけど、……でもまあ別に武器があってもなくても、あんな恐ろしい相手に立ち向かうなんてこと、臆病者の私にはできっこないし……。
………………。
さっきから、私は何をしているのだろう。
今はこんなことをしている場合じゃないのは、私だってわかっているはずだ。
……でもどうしてだろう。
私はこのナイフから、目が離せずにいる。
いつまでも、ナイフの先端の方をじっと見つめているのだ。
こうしているとなんだか頭がざわついて、…何かを思い出しそうになる。
「うみ……」
私が小さく呟いた。
知らない文字列。…聞きなれない響き。
それなのに、どこか懐かしさを感じてしまう。
愛おしくもおぞましい響き。
このたったの2文字が頭の中で反響し、何度も何度も繰り返される。
脳を貫き、頭蓋にぶつかる度に分裂し、2文字は4文字、4文字は8文字となり頭の中を駆け巡った。
やがて、増えすぎた文字がぐちゃぐちゃになってしまう。
私はこれらを頭の中から締め出そうと足掻いた。
そうして外に引きずり出されたのは、全く別のものだった。
無機質な声が頭の中で重く響く。
『 もしオマエが……其の、紛い物の手を汚すことを躊躇うのなら……ここに、海に連れて来るがいい 』
「そうすれば、…あとは、ワタシが……」
どこで誰から聞かされたかも分からない、他人事のような言葉。
感情のない声で、私じゃない誰かに向かって言っている。
…………。
私が聞き取れたのはここまで。
他にも、数多の言葉が色んな声音で話されたけど、何重にも重なって声と呼べないくらいに濁ってしまっていて理解ができない。
その音の集合体は今もなお増大を続けている。
頭がどうにかなりそう。
既にどうにかはなっているとか、そんな声すら今は聞きたくない。
「うぅ……」
あまりの爆音と頭痛に耐えきれず、私はその場に倒れ込んでしまった。
手に持っていた殺害のための道具が投げ出される。
『──から……もう─────』
────音が止んだ。
「……え…?」
突然、頭の中で鳴っていた音がピタッと止まった。
私はその音が止む直前に偶然聞こえた声を、言葉を認識して青ざめる。
『ここは危ないから、もう近づいちゃダメよ 』
言葉の意味を理解した瞬間、血の気が全て引いた。
こんなのは、なんてことのない、ただの雑音の内の一つに過ぎない。
でも、私には理解ができてしまった。
……彼女は忠告をした。
断崖に立って。
ここには海があるから、危ないと言った。
海は、とても危険な場所。
その危険な海へと向かう道には、私の知っている景色が含まれていて……。
「……」
起き上がり、前を見据える。
記憶の映像と自分の視界が重なる。
色は違えどとてもよく似ている。
森の中なんてどこも同じ景色だから、気にする事はないはず。
でも、私の直感がそうだと言っている。
この道こそがあの海沿いの崖へと続く道なのだと。
出処不明の記憶と、頭のおかしな私の直感、その両方を信じるというのなら……。
「この先には、……っ!」
私は今すぐにあの子を追わなくてはいけない。
何かの勘違いならそれでいい。
頭のおかしな私が見たただの妄想でもいい。
考えたって真偽なんて分からないのだから。
最悪な事態を想定している暇があるのなら、最善の努力を真っ先にするべきだ。
私が今できる最善は走ること。
誰よりも早く走って、あの子に追いつかなくちゃいけない。
足に力を入れて立ち上がる。
その時、視界が大きく脈打った。
立ちくらみとは違った感覚。
世界が逆さまになってしまったかのような違和感が全身を駆け巡る。
……急がなくちゃいけない。
真っ赤な恐怖が私たちを満たしてしまう前に、あの子を捕まえないと。
切り詰めたようなこの切迫感は、私と彼女の間で隔てられることはなかった。
共通の目的意識を持った二人の心が一致する。
一人は大切な友達を救うために。
もう一人は、未来の友達を守るために駆け出す。
赤白い空の下、乖離しかけていた意識が、今ひとつになった。
「絶対に追いつく…!」
救われるべきはゴイシシジミ、それを追いつめているのもゴイシシジミ……
そんな状況から抜け出さんがための覚悟が友達のもとへと駆ける!という回でした
あのナイフ…まさか…
コメントありがとうございます!
気になっているみたいなのでナイフについての情報を軽くまとめてみました
ゴイシシジミ達がフレンズとして生まれた時に所持している武器
その形状は様々だが、一人につき一本必ず持っている。
私は走った。
走って、追いついた。
随分と時間を無駄にしたけど、なんとか追いつくことができた。
もしかすると私は足が早いのかもしれない。
長いことセルリアンから逃げ続けていたからだろうか。
私の逃げ足は知らず知らずのうちに鍛えられて、洗練されている。
その洗練された逃げ足が本当の意味で役に立ったのは、これが初めてのことだった。
……追いかけていたのだから、逃げ足とはちょっと違うのかもしれない。
でも、やっぱり……私は今日も逃げていたんだ。
無数の気配から。
見えない、存在しないはずの誰かから。
どうせこれもただの幻覚。
それを頭で理解していても、怖いものは怖かった。
振り向くことさえゆるさない程の恐ろしい何か。
私はそれに決して追いつかれないように走った。
そうして気配がどんどん離れていって、ここに着いた頃には既にそれはいなくなっていた。
私は後ろを振り返らずに言う。
皮肉を込めて…。
「助かったわ。ありがとう」
声なんてかけるんじゃなかった。
私は直ぐに後悔した。
バシャンッ!!
「!?」
……背後に無数の気配を感じたかと思ったら、大きな水音と共にそれらが一斉に弾けた。
恐る恐る振り返る。
「…………」
地面に赤い液体がぶちまけられていた。
それを見て私は、もう時間があまりないことを自覚する。
私はあの子のいる方へと向き直った。
まだ少し遠くて分からないけど、
あの子はきっと私を見てる。
ゆっくりと歩を進める。
だったら、どんな顔で私のことを見ているんだろう。
急がなくちゃいけないはずなのに。
……というか、どうして立ち止まっているのだろう。
間に合わないかもしれない。
もしかして、私から逃げる時に転んで……怪我をして……。それで、走れなくなっちゃった、とか……?もし、間に合わなかったら……?それか……気が変わった、なんてことは……ないよね。きっともうまにあわない。
…………。
思考がめまぐるしく変わる。
川の流れのように緩やかな変化は、彼女に近づくほどに激しくなる。
それはきっと目を背けたかったから。
心の平静を保つためには決して見るべきではない。
でも、目が離せない。
だから私は、せめて理解ができないようにと自らの思考を妨害した。
……でもそんなのは虚しい抵抗だった。
私の眼前に広がるそれは、目を背けるにはあまりに大きすぎたから。
たたずむ少女の背後から、雲の向こうまで続く程の、大きな大きな赤い溜まり。
それはいつか夢で見た光景に似ていた。
これが……海…?
断崖に立つ彼女の姿が、いつかの夢の自分と重なる。
あそこから落ちた後私は、……身体がバラバラになって溶けてしまった。
……それはあくまで夢の出来事だ。
………。
もしあの子が海に落ちるようなことになったら、何もかもが終わるだろう。
でも、そんなことは絶対にあってはならない。
いざという時には、この身を犠牲にしてでも彼女を救ける。
絶対に。
決意と呼ぶにはあまりにも軽い自己犠牲の精神に、自分でも嫌悪感を抱いた。
「あなた……それ……」
私は立ち止まっていた。
海を背にして立つ少女の手にはナイフが握られている。
「ここで足を失うくらいなら、私は全生命をかけてでも抵抗します。…私が死ぬ気で戦ったら、あなたも無傷ではいられないはずです」
手に凶器を持つ彼女の目は怯えていた。
彼女の瞳に宿る決意の光よりも、怯えの方が強く出ている。
……それなのに、どうしたらそんな風に立ち向かえるの?
「あれは…ほんの冗談よ。……非力な私に、あなたの足…を、どうこうできるわけないわ」
「……非力…あなたが? それこそ冗談じゃないですか…?」
「……ねぇ、あなたのそれも…冗談、なんでしょ……? それ、あんまり面白くないわよ?」
「冗談なんかじゃありません」
「あ、あんまりしつこいと怒るよ…?」
「それはこわいですね。きっと私なんかは、すぐに殺されちゃいますね」
「そんなこと……」
私は確信する。
この子は強い。
今まで必死に生きてきたであろう彼女が私より弱いなんて、そんなことがあるわけなかった。
戦い方の一つも知らない私なんかより、ずっと強い。
それなのにまだ私が無傷でいられるのは、彼女が心に恐怖心を抱いているからなのだろう。
傷つけるのが怖い。
返り討ちにあうのが怖い。
数歩引き下がるだけで死んでしまえる、この場所が怖い。
……。
あなたが今抱いているであろう恐怖の数々。
私がその内の一つを、今から取り除いてあげる。
だから……
「そこから……動かないでね」
それだけ言って、彼女の立っている崖際に向かって歩き出す。
私は彼女をこれ以上追い詰めることがないように、伏し目がちに歩いた。
私は自分でも分かるくらい目つきが悪いので、こうでもしないと余計に怖がらせてしまう。
私に近づかれることに対する恐怖が海に落ちる恐怖に勝ってしまえば、彼女は崖から飛び降りてしまうかもしれない。
それだけは絶対に防がないといけない。
「こ、これ以上近づいたら、宣戦布告とみなします……!」
そう言って、ナイフをこちらへ向ける。
「私は……本気です。」
付け足すように彼女が言った。
それでいいよ。
それであなたが怖くなくなるなら、私を好きにすればいい。
そのかわり、一度私に触れたなら、絶対に私のことを好きになってもらう。
そして二度と私から離れられなくしてやる。
それがこの遊びの決まり。
実際に足を取ったりはしないけど、私から逃げる足はちゃんと奪わせてもらう。
「あ!!」
「…?」
ナイフを持つ少女が、素っ頓狂な声を上げた。
私は立ち止まることなく彼女の様子を伺う。
「私に近づけば……あ、あなたの友達も無事では済まないかもしれませんよ……!」
「……」
「うぅ…! …み、みなごろしです!! あなたのせいでこの世界中のみんなが悲しむんです。……あれ? みんな死んじゃったら、誰も悲しまない……」
「そうね」
「そう…ですよね。……あああ! そもそも……どうしてそんなに目つきが悪いんですか!? おかしいですよ……あなたは……」
「私のこと、ちゃんと見てくれてるのね。…嬉しい」
「もう、怖いんです! 来ないでください!!」
「そっか。……あなたの気持ち、もっと聞かせて」
「わたしこ、ここから飛んでやりますよ! それできっと、あなたは毎晩夢の中でその光景を見るんだ。……良かったですね? これで毎日一緒ですね?!」
少女はそう捲し立てると海に飛び込もうとする。
でも、今更そんなことをしてももう遅い。
既に手を伸ばせば届く距離まで近づいている。
迷わず私に刃を突き立てていれば、そんなことしなくて済んだのに。
そう心の中で呟き、両手を差し伸べる。
そこには僅かな迷いもなかった。
彼女の手元へ向かって真っ直ぐと手を伸ばす。
……両の手がナイフをすり抜けた。
私の身体には傷一つ付いてない。
ここまで追い詰められても、あなたはそれを使わないんだね。
私の指先が、……少女の手の甲に触れた。
何本かの指を伝って、彼女の心の怯えを確かに感じる。
私はその手を包み込むように捕まえた。
「つかまーえたっ。……いこ、ここは危ないわ。」
今回はちょっと短めです
長らく更新が滞っており、すみません
少し古い記録から読める形になっているものを2つばかし引っ張り出してきたので載せておきます
多分、エピソードゼロ的なやつです。
私は走っていた。
逃げていたのだ。
何故こんなことになっているのかを思い出そうとしたが、上手く思い出せない。
脳に酸素が十分に行き渡っていないからか、恐怖という名の液体が頭蓋を満たしてしまっているからか、あるいはその両方か。
私の僅か1メートル後ろにそいつはいる。
ドスドスと大袈裟な音を立てながら追いかけてくる。
走っても走っても距離が広がらない。
心臓が悲鳴をあげ、肺が潰れそうになりながらも、必死に足を動かす。
こんなことになるんだったら、もっと体力をつけておくんだったと今更ながら後悔する。
後悔先に立たず、だ。
だからたった今自分の身に起こった出来事も後悔したって仕方がない。
仕方がないのだが、私はまたも後悔してしまっていた。
いつの間にか視界が大きく傾いていた。
多方石にでもつまづいたのだろう。
ああ、余計な事を考えながら走っているからこんな事になるんだ。
しまったと思った。
無駄な後悔をしている暇があるなら、コケないように体勢をたてなおすべきだった。
あ、また後悔。
(もういいよ…)
コンマ1秒後には強い衝撃が私を襲うのだろう。
願わくば、その瞬間に強く頭をぶつけて気絶でもしてしまいたい。
今感じている以上の恐怖を感じながら死んで行くなんて真っ平御免だ。
ドシャァァ
「いったぁ……」
私はコケた。盛大に。
こんなに綺麗にコケたのは生まれて初めてかもしれない。
もしも今のコケ方に点数がつくのなら、100点満点中90点位はついたのだろうか…?
そんな馬鹿なことを考えているうちに追跡者は目と鼻の先まで迫ってきていた。
そいつの姿を一望する。
一望とはおかしな表現かもしれないが、それ程にやつは大きな体をしていた。
「は、はは…」
自然と乾いた笑いが出る。
きっと今の私は随分と青ざめた顔をしているのだろう。
自分では見れないのがちょっと悔しい。
今更立ち上がったってどうせ逃げきれないし、そもそも腰が抜けて立てない。
私は生きることを諦めざるを得ない状況になっていた。
・・・・・
あれからどれだけの時間が経ったのだろうか。もしかすると、1秒にも満たない間の事だったのかもしれない。
奇妙な事が起きていた。
目の前の化け物は一向に動こうとしない。
まるで時間が止まっているみたいだった。
今のうちに逃げられるんじゃないか?
そう思った次の瞬間、やつは大木のように太い腕を振り上げた。
咄嗟に目をぎゅっと瞑り、まもなく自分の身に降りかかるであろう痛みに備える。
しかし待てども待てども、痛みを感じない。
恐る恐る目を開けると…。
目の前の景色は目を瞑る前とは打って変わっていた。
世界は常に変化し続けているとは言うが、こんなにも早く変わるものなのか?
ふと足元を見ると地面がない。
かと言って、落ちることもない。私は宙に浮いていたのだ。
私は死んでしまったのか?なんて呆気ない。
痛みを感じなかったのが不幸中の幸いと言ったところか。
このまま雲の上まで昇っていくのかと思いきや、ある程度まで上昇すると一定の高さを保ち続けた。
「あれ?」
(どうしよう。こういう時ってどうすればいいの?死んだことなんてないから分かんないよ…。)
途方に暮れて上を見上げると、そこには私が今まで見た事のない程美しい、透き通った瞳をもつ少女がいた。
「天使様…?」
無意識のうちに口のはしから声が漏れた。
その言葉が彼女の耳に届いたのか、少女の可愛らしい顔がこちらへ向いた。
そして優しく微笑んで、肯定するでもなく否定するでもなくこう言った。
「大丈夫?」
私は今、絶対絶対の大ピンチに陥っている。だからといってピンチを脱するために今私にできることは何一つとして無いので、何故こうなってしまったのか、事の発端を思い出してみることにする。
陽射しの強い午後。一人の少女が地べたに這いつくばり、頭に疑問符を浮かべていた。
それはとある夕暮れ時のことだった。
いつものように、好物の葉っぱを食べていた時に事件は起きた。
なんと空から石のようなものが落ちてきて、私に直撃したのだ。
自分の体よりも一回り大きなそれに、私はいとも容易く押しつぶされた。
一瞬の出来事で、死を覚悟する暇もなかった。
すぐに意識が途絶え、次に気がついた時には世界を……見下ろしていた。
あまりにも唐突な出来事に私は愕然とした。
そこで私はとりあえず状況の確認をしようと思い、周囲を見渡してみることにした。
視界は先程よりも鮮明になっていて遠くまで見渡せた。
上を見上げると、空がとても近く感じる。周囲を一通り見終えると、視線を下に落とした。
「……へ?」
ふと、奇妙な音を聞いた気がした。
「なに?……これ……?」
今度ははっきりと聞こえた。
この音は、自分のすぐ近くから……というよりも、自身が発している音のようだった。
だが今はそんな事よりも先に、自分の身に起きた変異について深く考えるべきだろう。
視線を下に向けて初めて気がついた。
私の体は大変な変化を遂げていたのだ。
体からは棒状の謎の物体が4本伸びており、それらは全て5本に枝分かれしていた。
5本に分かれた物体は、それぞれが個別の生物のように動き、気味が悪かった。
どうやらこの物体は体の一部で、自分の意思で自由に動かせるらしい。
それからしばらくの間体を動かす練習をしていると、先程よりもさらに珍妙な音と共に強い空腹感に襲われた。
「お腹すいたぁ……」グゥ
このままではいけないと思い、私は食事を再開することにした。
「にがっ」
口に入れた葉っぱはにがかった。
「にがい」が何かは分からないが、ただそう感じたのだ。
刺激的な感覚ではあったが、だからといって悪いという気はしなかった。
私は食事を終えるとまた周囲を見渡した。
するとやはり、鮮明になった視界で見る世界は美しく、見ていると心が不思議な感情で満たされるのを感じた。
私はその感情の意味を探すべく、世界を見て回ることに決めた。
「よっ…と…ほっ…と」ズルズル
早速4本の棒状の物体を駆使して地面を這い始める。
するとどうだろう、これまでよりも早く動けるではないか。
多少の不安はあったが、これなら何とかなりそうだ。
「よーし、どんどん行くよー!」
ズルズル…ズルズル…ズルズル…ズルズル…
ズルズル……ズルズル……ズルズル…………
ズル……ズル……ズル…………ズル…………
ズル…………………ズル…………………………
しばらく這った所で、景色がまるで変わっていないことに気づいた。
遠くまで見えているのになかなか進まないというのはなんだか焦れったい。
それにこの体で移動するには、思っていたより体力を使うようだった。
このままのペースで行けば、次の餌場にたどり着けずに、待っているのは……
死
「あはは……今からでも引き返そうかな……」
だんだんと思考が後ろ向きになって来る。
「あの……大丈夫ですか?」
地面に伏せて悩んでいると、また奇妙な音を聞いた。
だが今までのものとは何かが違う。
なにか、こう……意味を持っているような……誰かに何かを伝えようとするような、そんな感じがした。
「え……?」
「立てますか? もしかしてどこか怪我とか……」
私は直感で、この音は自分に向けられたものだと解った。
そして、私を心配しているという事も。
だから私も音に応えようと、音のする方へ顔を上げた。
するとそこには、私と同じ姿をした生物がいた。
一つ、明らかに違う点があるとするなら、4本の棒の内の2本を器用に使って、移動しているらしい事だ。
私にも出来るのだろうか?
そんな事を考えてぼんやりと見ていると、ある事に気がついた。
目の前にいるこれとは別に、ひとまわりもふたまわりも大きな生物がこちらを見ているではないか。
ずっとこちらを見ているにも関わらず1度も音を発さないそれに、私は恐怖を覚えた。
本能、だったのかもしれない。
私の直感は叫んでいた。
「後ろ!」
「…っ!」
私が発した音を受け取ったのか、後ろを振り返り、そして次にこう発した。
「セルリアンです! 逃げてください!」
「せるりあ…?」
「いいから、早く逃げてください!」
「う、うん!」
私はその音を聞いて、セルリアンと呼ばれた生物から背を向け、這い出す。
ズルズル…ズルズル…ズルズル…ズルズル…
ふと、私に警告した者の事が気になり後ろを振り返った。
次の瞬間、私は目の前の光景に驚き、目を見開いた。
私にセルリアンからの逃避を促したあの子が、自分の体の何倍もある相手に勇敢に立ち向かっていたのだ。
傷だらけになりながらも戦う彼女はとても勇ましく、そして……
「……あれ?」
急に目が回り出したかと思った時にはもう、私の意識は途切れていた。
・・・・・
…………きて……………おきて…………
音が聞こえる。私を呼んでいる。そういえばあの子は……はやく、起きないと。
「あ、目が覚めましたか?!」
「……ぁ゙…う…ん」
「大丈夫ですか?私に何か出来ることはありますか?」
「……み……ず…………」
「水ですね?ちょっと待っててください」
そう言って、茂みの中に消えていく少女。
焦点が上手く定まらない。
それに、酷い頭痛と嘔吐感を感じる。
あの子が戻って来るまで意識を保っていられる自信がない。
そんなことを考えていると、先程彼女が向かった茂みの方から、こちらへ近づいて来る足音が聞こえた。
あの子が戻って来たのか…?
それにしては早すぎやしないか?
私は少し警戒した。
警戒した所で何かができる訳でもないけれど……。
「お待たせしてすみません」
私はその音を聞いて安堵した。
「これどうぞ」
少女は歩行に使っている棒とは別の2本で、大きめの葉っぱを器用に持ち上げている。
そしてその上には、私に今一番必要なものがあった。
私はぼやけた目で少女の顔をちらと見る。
そして、差し出された葉っぱに頭を近づけて水を飲んだ。
「んく…んく…んく………ぷはぁ」
その水はほんのり甘くて、今まで飲んだどの水よりも美味しく感じられた。
「もう大丈夫そうですね」
「あっ」
私はこの子に2度も助けられたんだ。
一度目はあの怪物に襲われた時、そして今。
この子に感謝の想いを伝えたい。いや、伝えなくてはいけない。
難しい事じゃないはず。
今まで通り、本能の赴くままに心を音に乗せれば、きっと伝わる。
「さっきは助けてくれて……ありがとう」
「あ、はい。どういたしまして」
「それと!水も、ありがとう」
「それも、どういたしまして」
よかった、ちゃんと伝えられた。
「あの、ちょっといいですか? あなたに話しておかなければいけない事があって……」
「はなし?」
「はい。セルリアンの事も知らないみたいだったので」
私の恩人である少女は、懇切丁寧に色んなことを教えてくれた。
私たちはフレンズと呼ばれる存在で、とある物質に触れることで体が変化し、このような姿になったのだということ。
それと、フレンズの天敵であるセルリアンの存在についても聞いた。
あのまま地面を這っていたら、飢餓状態に陥る前にセルリアンに食べられていたかもしれない。
私はこの子に出会えて本当によかったと思った。
そして最後に、私が音と呼んでいたものは声というらしい事も教えて貰った。
この子ともっと話したい。仲良くなりたい。
そう思った私は早速声を発した。
「あのね、お願いがあるの」
「なんですか?私に出来ることなら尽力します」
「わたし、きみともっとお話したい。……だからわたしと友達に…」
しかし、私の願いはいとも容易く拒否されてしまった。
「それは出来ません」
「……ぇ?」
「あなたと友達にはなれません」
「あの、えっと……」
突然のことで言葉に詰まってしまった。
そこで初めて断わられるなんて想定していなかったことに気がついた。
私は、目の前の少女の親切に甘えていたのだ。
「ごめんなさい」
私の顔を見るやいなや、少女は謝罪の言葉を口にした。
よっぽど顔に困惑の色が出ていたのだろう。
お願いしたのは私の方なのに、この子が謝るのはおかしい。
罪悪感を抱くべきは、彼女の優しさにつけこんで願いを叶えようとした私の方だ。
「えっとね、きみは悪くないよ。わたしも無理言ってごめんね」
次に上げるのは17話です
7割くらいは書き終えているので、次の投稿までそんなに期間が空くことはないと思います
しばしお待ちを……
どうしたら、彼女ともっと上手く話せるのだろう?
私は頭を捻り、思考を巡らせる。
色々と考えてみてはいるのだけど……。
「んん……」
結構……苦戦している。
考えたところで、ずっと失敗続きだった私には正しい会話の仕方が分からない。
いくら誰かの口調を真似ようと、その口から発せられたであろう言葉までは簡単に真似出来ない。
………………。
もっとたくさん話せていればなにか違ったかもしれないけど、それは無理な話だ。
だって、あの子はもう居ない。
私が彼女の未来を奪ってしまったんだ。
「…………」
(あなたがここにいてくれれば、私が生きる必要はなくなる。
もしそうなったら、私が苦しまなくちゃいけない理由もなくなるのかな?)
……………。
いつの間にか思考が数日前まで逆回りしている事に気づく。
これではいけないと思い、何とか思考軌道の修正を試みる。
ここ数日のことについては思い出したくなんかなかったけど、今の私は既に記憶の水たまりに片足を突っ込んでいる状態なのだ。
"どうせ"なら全身を海に沈める位の気持ちで、色々と思い出してしまおう。
そしてその過程で役に立つ情報を見つけられたら、ついでにそれを利用する。
辛いこと、悲しいこと、何を思い出したっていい。
今後のためになるのならそれが何よりだ。
それに、何があったって、これ以上に気持ちが落ち込むことなんてないだろうから。
……やっぱり、"どうせ"というのは非常に私らしくてなんか嫌だ。
だから私は"せっかくなので"と思うことにした。
私は早速、冷たい水底に意識を沈める。
………………。
確か……何日か前に、たくさんお話ができた日があったはず。
その時のことを詳しく思い出してみよう。
……あの日も、今日と変わらずに雨が降っていた。
私の隣には名前も知らないフレンズがいた。
その子は無口なのか、私が何を話しても声を出さなかった。
何度話しかけても、ただ何かを悟ったような視線をこちらへ向けるだけ。
そんな彼女に向かって、私が言う。
『あなた、つまらないわね。……もういいわ。今…楽にしてあげる』
私はそう言って彼女の首に両手を添えた。
そして、ほんの少しだけ力をこめる。
そこまでしても彼女は声を出さなかった。
目を細め口角を少し吊り上げたその表情は、まるで死を受け入れようとしているように見えた。
それを見てどう思ったのか、私はさらに強く彼女の首を絞めつけた。
……数秒後、もうその子は何も反応してくれなくなった。
虚ろな目で私の心を見透かすような真似も止めたようだった。
私はより強く、手に力を込めた。
━━その時だった。
小さな呻き声が聞こえた。
私が手を離す。
それから…………。
気がつくと、右手に鋭い痛みを感じていた。
ぼんやりとそこを見た。
さっきまで首を絞められていた少女が、私の手に噛み付いていた。
私は彼女を引き剥がし、突き飛ばした。
『そんなに死にたいなら……今すぐ殺してあげる』
震える声で私が言った。
それを聞いた少女が、ようやく言葉を発した。
彼女がなんと言ったのか上手く思い出せない。
でも、なんのための言葉だったのかは分かる。
その懇願するような声を。
それらが形作る願いを聞いた私は首を横に振った。
それを見た少女がまた何か言った。
私はまたその願いをはねのける。
その後も、何度も同じ言葉が繰り返されている。
段々と二人の声にノイズがかかり始めてくる。
……そして最後にはノイズだけが残った。
耳障りな雨の音だけが。
「…………」
私はとんでもない思い違いをしていた。
そのことに今ようやく気づいた。
あんなのはお話なんかじゃない。
ただの脅しと、命乞いだ。
別の記憶を探しても、同じようなものばかり。
今の今まで脅しなしでは何ひとつとして上手くいかなかったと思っていたけど、それは違ったのかもしれない。
(私が上手くできたことなんて一度もなかったんだ。)
「……」
私は誰にも聞こえないくらい小さなため息をつくと、向かいの木にもたれかかっている少女に目を向けた。
俯いたまま、黙り込む彼女に。
(今はとても落ち着いているみたい……)
あの後、私が彼女の手を引いて海から離れここまで歩いてくる間中、彼女はずっと泣いていた。
きっとそれは「悲しい」とか「怖い」みたいな感情から出た涙じゃない。
彼女自身が与りしれぬところで起こったのだろうと私は思う。
無意識的なものなのだろうと。
ただ手を引かれて歩くだけだった彼女に、突然手を振り払われた。
でも次の瞬間には、私の背中に顔を埋めて泣いていた。
そんな彼女の頭を私が撫でて慰めた。
……泣かせたのは私なのに。
きっと彼女はパニックに陥って、どうすればいいのか分からなくなったんだと思う。
彼女は自分に命の危険が迫っていても、私に危害を加えなかった。
とても優しい心を持っているのか、突き抜けた怖がりなのかは分からない。
でも、至近距離に迫った死を受け入れることしか出来ないのは、きっととても恐ろしいことのはずだ。
そんなのは絶対に本能が拒絶するはず。
でも彼女はそれを許してしまった。
自分の本能に背いた結果、どうすることも出来なくなって、最後にはただ涙を流すことしか出来なくなった。
…………。
でももしかすると、…それが、外敵に捕まってしまった少女にできた精一杯の抵抗だったのかもしれない。
何の意味も無いようなその抵抗は、私には有効だったから。
彼女のほんの数滴の涙に、私は心を揺さぶられたのだ。
今さら自分のことを慈悲深いだなんて思わない。
今まで何人ものフレンズを自分の意思で傷つけたのだから。
そんな私に誰かの特別になる資格なんて無いのかもしれない。
でも、その時だけは……。
世界でたった一人、彼女を慰めてあげられる誰かでありたかった。
だから私は彼女のことを抱きしめて、頭を撫でたんだ。
自分の罪を改めて自覚した。
せめてもの償いをと優しく抱きしめた。
それなのに……。
彼女は私に感謝の言葉を言ったんだ。
涙混じりの声で、「ありがとう」って。
それは本能が無意識に喋らせた心無き音だったのかもしれない。
でもその声を聞いた時、私は罪悪感を感じると同時に、自分を泣かせた悪いやつにまでお礼を言ってしまうような女の子のことを、とても愛おしく思ったのだ。
(また昨日みたいに話してくれないかな……)
昨日あった崖際での攻防を思い出す。
私の言葉を聞いた少女は慌てふためき、何やらおかしなことを口走った。
私はそれを受け止めて、次の言葉を紡いだ。
……それは単なる時間稼ぎ。
大した意味を持たない空っぽな言葉だった。
でも、それは私の心からの言葉でもあった。
深く考えずに発した声。
屈折した思考も打算もない、思ったままの言葉。
それは、私が長らく忘れてしまっていた私の本当の声だった。
(彼女の声に応えた動機は、打算的と言えなくもないけどね……)
もし昨日みたいに思ったことをそのままの形で伝えたら、もう一度声を聞かせてくれるだろうか?
「……」
目を閉じて心を落ち着かせる。
次の言葉はもう思いついている。
でも、それを言おうとすると鼓動が早くなる。
本当にコレでいいのかな?
余計に嫌われないだろうか?
そんな不安が雨音となって降り注ぐ。
私はそれらを振り払う言葉を探した。
しかしそんなものは見つからない。
私の思いつく言葉はどこか危なっかしくて、どうしても不安が残ってしまう。
……上手く言い出せない。
こうしている間にもどんどん鼓動が早くなる。
早くなった鼓動が私を急かす。
私は背中を押されて足がもつれるように口を開いた。
そして、両手を広げて酷く歪な言葉を紡ぎ出す。
「また……抱きしめてあげよっか?」
「…………?」
私の言葉を聞いてしまったであろう少女が、ジトっとした視線をこちらに向ける。
心底『何を言っているんだこいつは』みたいな視線がつらい。
(まあ……反応してくれるだけマシ…なのかな?
あっ、目そらされた……)
……もう既に若干後悔している。
こんな頭に浮かんだことを何の審査にも通さず直接口に出すようなのは、今後は控えるべきだろう。
ちゃんと考えて言葉を選ばないと、また誰かを傷つけてしまうかもしれない。
今回は私一人の心がかすり傷を負った程度で済んだけど、こんなことを続けていたらいつか盛大にやらかしてしまうだろう。
もうこれ以上罪を重ねるわけにはいかない。
「今の…は、忘れて。…ね?」
変に思われると困るので、とりあえず直前の発言を取り消しておく。
彼女が本当に忘れてくれるかは分からないけど、これでこの会話はまた振り出しに戻ってしまったことになる。
まあこれといって何か進展があったわけではないけれど。
(どうしたもんかなぁ……)
今度は前もって会話の内容を頭の中でシミュレートしてみようか?
上手くいく気はしないけど、それでも何も考えないよりかはいいはず。
客観的に自分を見て何かに気づければそれでいい。
私は早速これを試してみることにした。
『ねぇあなた、お腹すいてないかしら?』
『……』
『あなたは私のこと嫌い?』
『………』
『あなたに私は見えてないみたいね』
『…………』
「……………」
だいたいの予想は出来ていたけど、想像の中でも無言のままでいられると……つらい。
視線を向けるだけとかでもいいから何か反応を示して欲しい。
……というか、想像上での私もどこかおかしい気がする。
一言一言に微妙な違和感があるのだ。
(あなた、あなたって……これじゃまるで……)
どこかおかしな想像が更に変な方向へと向かい始める。
わざわざ名前で呼ばなくても通じ合える程の距離。
とても近くて……近い。
お互いの息がかかってしまうほどのきょり。
それは友達以上の━━━
「━━━なまえ」
私の想像……もとい妄想は、私自身の声によってかき消された。
(そうだ……私はまだ彼女の名前も知らないんだ)
だからこんなにも私の彼女に対する呼び方が限定されてしまっているんだ。
もうずっと誰かと名前で呼び合うことがなかったから忘れてしまっていたけど、名前は本来とても大切なもののはず。
大切な友達の名前も知らないなんて話は聞いたことが無い。
お互いの名前を知ればもう友達……という訳では無いけど、心の距離は大きく縮まるはずだ。
(これはなんとしてでも聞き出さなければ…!)
ようやく自然な話題を見つけることができた喜びを感じつつ私は口を開いた。
「私の名前はゴイシシジミ」
またやってしまった。
あまり深く考えずに実行に移った結果、やけに簡潔な自己紹介になってしまった。
自分の名前を言いきった直後に間違いに気づき、「イシちゃんって呼んでもいいのよ?」と付け足したのは我ながら機転が利いていた…と思う。
ちょっと馴れ馴れしすぎた気がしなくもないけど、今は気にしないことにする。
重要なのはこの後なのだ。
「あなたは?」
「…………」
つい自分の名前を答えてしまいそうな自然な流れを作ったつもりだったけど、帰ってきたのは沈黙だけだった。
……無理に喋らせる方法はある。
でもそれはあまりに強引かつ非人道的だ。
それ無しでは今のこの状況を作り出すことも叶わなかったことは分かっている。
でも、もうそんなものに頼るわけにはいかないんだ。
私にとって一番だった本法を封印した今、自分にできることがあまりに少ないのを実感する。
今の私は無力な子供同然だ。
自分でそれを認めてしまったら、私はもう子供らしいやり方でしか目的を達成できなくなってしまう。
(……別にそれでもいいか)
どんな方法を使ったって、目的を果たせるならそれでいい。
私はとある方法、ある種の強引さを持った稚拙極まりないやり方で彼女の名前を聞き出すことにした。
「あなたの、名前は?」
「……」
「教えてほしいなー?」
「……」
「お・な・ま・え、わかるかなぁ?」
「………」
━━仕方ない。
「教えてくれるまで何度も訊くよ? 四六時中あなたに話しかけるよ? あなたが私を刺して殺したくなるまでずぅっっっと言い続けるよ? 私はしつこいからね。
教えてくれたら少しは大人しくなるかもしれない」
「ぅ……」
私が一息に言い終えると、目の前の少女が小さくうめいた。
そして━━
「ぅわたし…は、……ササコナフキ*******、…です」
「ぇ……?」
(今のは……彼女の名前? ササコナフ……?)
彼女の口から零れた名前らしき文字列は以外にも長く、一度聞いただけでは理解ができない。
ようやく口を聞いてくれたという喜びと、名前を上手く聞き取れなかったというやってしまった感が頭の中で渦巻いている。
慣れない言葉詰めで軽い酸欠を起こしていたからちゃんと覚えられなかった?
……いや、もし万全の状態だったとしても、きっと覚えきれなかっただろう。
私はあまり物覚えがいい方ではないから。
(まずいなぁ……)
とても長い名前だったのは覚えてる。
それと、あとは最初の数音だけ。
私はせめてそれだけは忘れまいと口を開いた。
「ササコノフ……?」
とりあえず自信のあるところまでを声に出して、少女の方をちらりと見る。
すると……。
「・・・・・」
返事はなかったけど一応の反応はあった。
━━━蔑むような目。
その目を見た瞬間、背筋にゾクゾクとしたものが駆け抜けた。
咄嗟に顔を伏せる。
(もしかして私……間違えちゃった……? )
私が声に出したのはササコノフ。
そう聞こえたから声に出した。
でもよくよく考えたらササコネフだったような気がしなくもない。
「ササコネフ……?!」
私は恐る恐る顔を上げた。
「……」
諦めたような顔。
彼女の表情を見るに、私はまた間違えてしまったのだろう。
何度も名前を間違えた上に呼び捨てみたいになってしまった。
このままでは、いい加減なやつだと思われてしまう。
なんとか軌道修正をしなければいけない。
「これは、ほら……あれよ。……ぁ愛称! 親愛なるあなたへ私からのプレゼント!」
もうだめだ。
馴れ馴れしい上に恩着せがましい。
……どう足掻いても私は変な人になってしまう。
これでは、危ない人のレッテルを貼られるのは免れられないだろう。
(上手くいかないな……)
「━━━━……ササコって呼んでいい…?」
私は半ば諦めがちに訊いた。
「……どうぞ。……っ!」
「……ぇ?」
少女は一言返事をすると、しまったというような顔をした。
「いいの?」
「……」
「……ササコ」
「…………」
彼女がそれを了承した。
愛称で呼ぶことを許してくれた。
たとえそれが、反射的に口をついた不本意な言葉だったとしても、私は嬉しかった。
だから━━━
「よろしくね、……ササコ…!」
そう言って左手を差し出した。
ササコがその手を取ることはなかったけど、それでも……。
この時の私は、きっとだらしない顔をしていたと思う。
私は今日も夢を見る。
いつものように、また、悪夢を見ている。
それを自覚しているのに、目を覚ますことが出来ない。
起きようと意識を集中させても、舌を噛み切ってみても、目の前の景色が変わることはなかった。
「……」
私は途方に暮れて辺りを見回した。
…………。
……仄暗くてよく見えないけど、ここが閉鎖空間ということだけはなんとなく分かる。
「…………」
真っ暗ではないということは、どこかから光が入り込んでいるのかもしれない。
私は光の源を探して見ることにした。
ぽふ
「……?」
一歩足を踏み出してみると、足が地面に沈みこんだ。
妙な感覚だった。
靴越しにふわふわとした感触が伝わってくる。
なんだろう、と思った。
こんな寝心地の良さそうな地面には心当たりがない。
それなのに、ここがどこなのかは今の一歩で理解出来てしまった。
ここは……繭の中なんだ。
誰かがヒトリで眠りにつく為の、特別な空間。
とても私がいていい場所なんかじゃない。
それなら一刻も早くここから出なければいけない……はず…?、。
なんだかぼんやりとした焦燥感を胸に、私はさらに歩を進めていく。
もふ、もふ……
もふもふもふもふ、
もふ…………もふ……
…………もふ。
私の足取りは足元から伝わるこの感触ほど軽くはなかった。
ただでさえ眠くて体が重いのに、一歩進む度に耐え難いほどに眠気が増幅されていくのだ。
もふもふに足を数もふcm沈めるだけで、意識が融けてしまいそうになる。
この眠たくて仕方ないのを何とかするべく、頬をつねってみる……。
が、あんまり痛くない。
こんなので眠気をどうこうしようなんて言うのは夢のまた夢だ。
仕方ないので、私は自分の舌を噛み切ることにした。
口を開けてめいっぱい舌を伸ばす。
目を瞑り、喉を鳴らす。
そうしてようやく覚悟が決まったら、一気に歯を食いしばる。
一気に!
「──ッ!………………?」
……痛みを感じない。
頬を指で摘んだ程度の痛みすらないのだ。
私は舌を思い切り噛めば、重く鋭い痛みがすぐにやって来るだろうと予想していた。
でも実際には違った。
重たいどころか私の舌はとても軽かった。
それも少しの質量も感じさせないほどに。
これはどういうことかと不思議に思った私は、客観的に自分を見て確認することにした。
私は妙になれた手つきで左の目玉を取り出す。
そして、少しべたつくそれを親指といずれかの指とでころがし、自分の方へと視線を合わせた。
私の左目に上下逆さまの自分が映る。
恐る恐る口を開けて中を覗き込む……。
────ない。
咄嗟にしまった、と思った。
さっき一度舌を噛んだ時に、勢い余って噛みちぎってしまったのを忘れていた。
これでは目を覚ませない。
「……」
(……とりあえず、眼は元の位置に戻しておこうかな……)
私は手に持っていたそれを右の窪みに押し込み、ぱちぱちと瞬きをした。
「……?」
なんだか視点が微妙に…右にズレている気がする。
私はそのズレを修正するべく、左目へと手を伸ばした。
………………。
しかし、指先が触れたものは、さっきまで私の手の中にあったものとは違った感触をしていた。
眼よりもずっと柔らかい何か。
私はそれを引っ張り出してみた。
(これは……石?)
所々角張ったそれは、……石のようだった。
それを理解した瞬間、
「……っ!」
空を切りながら薄闇に溶けて行く石ころ。
私は、何食わぬ顔で自分の体に紛れ込んでいたそいつにひどく腹が立った。
だから思い切り遠くへと投げ捨ててやったのだ。
「…………」
なんとも言えない、喪失感のようなものが私の心を満たしている。
そうだ、そういえば舌を無くしたんだった。
とても残念……。
噛み切るための舌をどこかへやってしまった。
(……あれ?)
そもそも、舌はどうして必要なんだっけ。
なんで無くなったら『残念』なんだろう。
別になくてもそんなに困らない気がする。
むしろ、味覚を感じなくて済むなら、無い方がいいに決まってる。
それなのに私は、そんなものにいつまでも執着している……。
どうしてだろう?
噛み切るための舌。
噛み切って、……痛みに身を縮こませるための────。
そうだ、思い出した。
今の私に必要なのは不味い味を感じさせる舌でも、つらい現実を映し出す目玉でもない。
目を覚ますための痛みが必要なんだ。
ここは夢だから。
私が大嫌いな痛みを許容しているのも、自らのおぞましい行動に目を瞑っているのも、全部、ここが夢の中であるからこそだ。
(これだけ理解できてれば、……十分だよ。)
右腕を顔の前まで持ってくる。
そして、彼女が逃げられないように、残されたもう一本の手で拘束した。
これでもう逃げられない。
肘の内側辺りに歯を突き立てると、そのまま右腕を力任せに引きちぎった。
断面に耐え難い痛みを感じる。
……いや、実際には耐えられる程度の痛みしか感じてはいないのだろう。
まともに思考できているのがその証拠だ。
この程度、私があの子に与えたものには遠く及ばない……。
私はいつの間にか手段が目的に成り代わっているのに気づいた。
元々は眠気に耐えるための行いだったはずだ。
なら、本来の目的は達成出来ただろうか?
その答えは考えずとも分かる。
痛みによる意識の鮮明化はあまり効果が無かった。
でも、私は間違いなく目的を果たせたのだと実感している。
今は血の気が引いて、眠いどころではない。
取り返しのつかない事をしてしまったと青ざめているのだ。
断面から溢れ出す血なまぐさい液体は、繭の色を真っ赤に染め上げてしまった。
最初のうちは私の足元だけに留まっていた色は、今では全体に広がってしまっている。
もう取り返しがつかない。
「っ!?、っ?!っ──……………?」
半ばパニック状態になりながら、何とか流れる血を止めようとする中で、ふと、私は不思議なことに気づいた。
あんなに暗かったのに、血の赤色だけはやけにはっきりと目に映るのだ。
私は少し考えて、そして理解した。
この身体に流れる液体、私の血液は発光していたのだ。
なるほど、道理で気分が落ち込むはずだ。
私は悪態をつきたくなるのをぐっとこらえた。
血が光るからと言って、悪いことばかりではないはずだ。
目がチカチカして安眠出来ないかもしれない。
偶然誰かに見られて不気味がられるかもしれない。
でも、今はどうだろう。
ここには私しかいないし、ここでぐっすり眠るつもりもない。
それに、ほら─────。
俯いた視線を遠くへと向ける。
さっきまでは暗くてほとんど何も見えなかったのに、今では空間全体が赤く照らし出されていて、遠くまで見渡せた。
思いの外広かった繭の内側には、目印になるものが何も無く、ひどく殺風景だ。
何も見えなかったのはそういう事か、と納得する。
(えっと、出口は…………あそこかな?)
周囲を注意深く見渡していると、遠くの方に一際強い光を見つけた。
しかし、そこは私が向かっていたのとは逆方向だった。
…………。
数歩分の徒労で済んだだけ良かったのかもしれない。
もし、あと五、六歩くらい離れてしまっていたら、もう光は永遠に見えなくなっていたかもしれないのだから。
(よし────っ!)
私は気を取り直して、光ある方へと足を向けた。
もふ、もふ、もす、ぽふ
ぱふ、ばす、がす、ばち
めき、めき、ぼき、ぶち
がつ、ざく、ざく、ぴしゃん
地面に足を埋める度、不気味な音が辺りに木霊する。
そのどれもが不吉で、痛みや別れを想起させるものばかりだ。
でも、不思議と恐怖を感じることはなかった。
きっと、自分でもわかっていたんだと思う。
私にとっての痛みと別れは、これから始まるのだと……。
私は躊躇しつつも前へと進む。
背後には小さな気配がひとつ、いつの間にか着いてきていた。
振り返ってはいけない、歩みを止めてはいけない。
この身には不釣り合いなほど優秀すぎた本能が告げる。
それならと、私は前へ前へと進んだ。
つき動かされるように。
本能は決して裏切らないから。
彼女はいつだって、私がより苦しむ選択を導き出す。
だから盲目的にでも信じられるのだ。
…………………………。
そうして歩いていると、次第に、正体不明の不快音が聞こえなくなってくる。
その代わりなのだろうか。
今、ようやく静かになったはずの頭の中で、パチパチという音が鳴っている。
燻るように、小さな音で。
不安に思いつつも立ち止まることは出来ない。
なにかに取りつかれたように足を前へと、前へと。
近づけば近づくほど視界が鮮明になっていく。
……音の正体と光の正体。
その両方が、残された片方だけの目に痛く鮮明に焼き付いた時、私はようやく足を止めることが出来た。
さすがにこれだけ近づけばこれが何かはわかる。
周囲を照らしていたもの。
それは火だった。
直径十センチほどの、炎にも満たない小さな灯り。
私はその小さな灯りに誘い出されたのだ。
(なんだ、出口じゃなかったんだ。)
その場でしゃがみこんでぼんやりと火を眺める。
手をかざすとほんのりと熱を感じた。
(あったかいな……)
無駄足だったのかもしれない。
でもこうしていると、悪態のひとつをつきたくなる感情がみるみるうちに溶けていく。
とっても、心が安らぐ……。
バサバサっ。
ふと、火の中に何かが飛び込んだ。
なんだろう。
不思議に思いまじまじと見つめていると、何かは動いた。
もしかすると、火のゆらめきと見間違えたのかもしれない。
私は目を擦り、もう一度それを見た。
「────っ…………」
見間違いなんかじゃなかった。
小さな火の海にのまれて苦しんでいる。……私と同じような、小さな虫けらが。
きっともう助からない……。
とても小さな炎だった。
それでも、彼女が死んでしまうには十分なのだろう。
灰に成りゆく命を前に、私にできることは何も無かった。
火中のムシが脚やハネを必死に動かす姿をただ見つめる。
パチッ
小さな破裂音と共に、黒焦げのお腹が爆ぜた。
それでもまだ動いている。
六本の足が、ピクリ、ぴくりと。
そのさまをぼーっと見届けていると、先程の眠気がまた込み上げてくる。
ふわーっとあくびをして目を細める。
目をこすり、もう一度火の中を見た。
ぴくり……。
もう少しだけもがいたあと、やがてそれは動かなくなった。
私は何故か手に持っていたコップの水を、未だ燻っている亡骸にぶちまける。
(可哀想に……。自分から火に飛び込むなんて。
きっと本能には抗えなかったんだね。)
そんなことを思った。
『何をしているんですか』
「───ッ!」
だんだんと怪文書じみてきたので、一度ちゃんと文章の作り方を勉強するべきかもしれない
突然、後ろから誰かに声をかけられた。
私はビクッと飛び上がり、恐る恐る振り返る。
今度は本能も止めなかった。
「……」
後ろに立っていた少女と半分だけ目が合う。
彼女は私の欠落したもうひとつのことなんて気にもとめず、もう一度同じ質問を繰り返した。
今度はさっきよりも強い口調だったけど、全然怖くない。
私はもう既にこれが夢だと気づいているし、そもそもそんな優しい顔で怒られても迫力なんて全くといっていいほど無い。
(これで何回目だろう。)
赤く汚れてしまった借り物の繭の中で、本来の持ち主に出会った。
何度か繰り返された出会い。
これは数回目の再邂逅。
『答えてください』
(─────え?)
先程とは違う険しい表情で私を問い詰める少女に違和感を覚える。
彼女とは夢の中で何度も会ってきた。
でもこんな風に厳しい表情を見せたことはこれまでに一度たりともなかった。
彼女はあくまで写しなのだ。
だからこの責めるような目も、やけに丁寧な口調も、私には違和感でしかない。
ずっとあの子とは別人だと割り切ってきた。
夢子とかいう安直な名で呼び、差別化を図っていた。
でもこんなにもはっきりとした差を持っているのは絶対に変だ。
これはどういうことだろうかと考え込んでいると、ふと脳裏にあるものがよぎった。
思い出したのは真新しい記憶。
新しい友達(?)のササコが私に見せた敵意に満ちたあの目だった。
そういえば、ササコの口調もこんな風に丁寧な感じだった気がする。
(所詮は夢、かぁ……)
姿だけこれまで通りなのは、私がまだササコのことをちゃんと記憶できてないということだろうか。
もしそうでないとしたら、それは間違いなく未練なのだろう。
いつまでも現実を受け入れられない子供な私が、夢に希望を見出そうとしている。
もし本当にそうだとすれば、それはまあ馬鹿みたいな話。
……でも、こんなふうに考えていられるのもきっと今だけだ。
いつかはこの声や目の輝きも変わってしまうのだろう。
そう思うとなんだか急に寂しくなった。
だけど、どれだけ感傷的になろうとしても結局は夢。
だからわずかな悲しみも生まれない。
寂しいどまりだ。
『聞こえてますよね』
「……」
このまま全てが順調に進んであの子の写しと二度と会えなくなった時、私はようやく役目を終えることが出来る。
そんな気がする。
(もう十分……。早く目を覚まさなきゃ─────)
私は今度こそと、目覚めるために意識を集中させた。
薄れゆく赤色。
徐々に体の感覚が失われていく。
今度はちゃんと起きられる。
そう思った時。
『あなたが殺したんですよね』
「…………」
夢子が腕を掴んできた。
このまま逃してはくれないようだ。
さて、どうしたものか……。
試しに少し微笑んで首を傾げてみる。
すると、『しらばっくれないでください』と余計に気分を害したようだった。
しらばっくれるなと言われても、なんのことだか分からない。
そのまま彼女と見つめあっていると、だんだんと不機嫌そうな表情になってくる。
その目が不機嫌を通り越してゴミを見るような目になった時、ようやく腕を離してくれた。
もう触れていたくないということだろう。
『本当に分からないんですか…?』
「……?」
『さっきからあなたが頑なに見ようとしない、彼女のことですよ』
そう言うと視線が少し横に逸れる。
それは私の肩を抜け、その先を見ていた。
私は首だけ動かして後ろを見た。
そこには小さな火溜りが落ちていた。
パチパチと耳障りな音を立てて揺らいでいる。
(えっと……ああ、あれのことか)
火は消したと思ったんだけど、なんでまだ燃えているのだろう。
そんなことを考えるのは馬鹿げているかもしれない。
『なんですか……その表情は───っ!』
ササコモドキがまた何か言っている。
今度はなんだろう。
私の目つきが悪いとか言い出すのだろうか。
……もし本当にそう言われたらどうしよう。
(うーん……別にどうするもなにもないか。)
ここで再び目つきの悪さを指摘されたところで、私が意外と気にしいだったということが発覚するだけだ。
でもまあさすがの私も夢にまで見る程根に持ってはいないはず……。
『────ああ、そうですよね。"そんな目じゃ"、ちゃんと見えないですよね』
そう言って何か一人で納得すると、急に押し倒してくる。
私の心臓は高鳴ったりはしなかった。
その代わりかどうかは分からないけど、火が燃える音がとても近くに感じた。
(───……というか、本当に目の事だったんだ。しかもそんな目って……)
反抗的な目と見つめ合うこと二、三秒くらい。
先に動いたのは夢子の方だった。
片手で私の首を掴むと馬乗りになる。
私に触れたくないのではなかったのか。
彼女の目を見るとなんだか冷めた感じ。
首でも締められるのかと思ったけど、そうではないようだ。
私はまた見つめ合うのかとため息をついた。
その直後だった。
「……っ!?」
私の穴に何かが触れた。
ベタつく液体が縁の部分に垂れている。
(気持ち悪い……)
そこに視線を向けて何をしているのか確認しようとするも、ちょうど視界の外で起きている事態を把握することは不可能だった。
今は首を掴まれていて頭を傾けることすら出来ないのだ。
こうなってしまったらもう為す術がない。
私は右だか左だかの眼の空洞に押し当てられた物体を受け入れるしか無かった。
「……っ」
何かはゆっくりと押し込まれた。
それは音もなくはまると、ズキズキとした痛みを訴え出す。
目が、開けられない……。
痛い。……何も見たくない。
目の奥の方から溢れてくる血か涙かを必死に押し止める。
これが今の私に出来る精一杯の抵抗だった。
それなのに。
『目を開けてください』
それはお願いなんて生易しいものじゃなかった。
これは脅迫だ。
今すぐに目を開けないと恐ろしい目に遭わす。
彼女はそう言っているのだ。
このまま彼女の要求を無視し続ければ、残りの四肢を食いちぎられたりするかもしれない。
でも私は屈しない。
どうせこれは夢なんだ。
夢の中なら何があってもとりあえず死ぬことは無い。
それなら肉体よりも精神を健全に保つことの方が大切だと言える。
だから私は何をされようと絶対にこの目は開かない。
そう固く決意する。
それは勇ましさなんて欠片ほどもない、臆病者の決意だったけど……。
『そうですか……。もう、しょうがない人ですね』
目を固くつむっていると、呆れたような声で誰かが囁いた。
それは優しい声のようにも聞こえて……。
私はその声に不思議と安心感を覚えた。
首に添えられていた手にはもう少しの力も込められてはいない。
それはするりと離れると、そのままどこかへと消えてしまった。
「………………」
それから少しの時間が経って、火が燃える音がすっかり聞こえなくなった頃、私は再び目を開いた。
不自然に広く感じる視界。
目の痛みはとうに消えていた。
頭痛の種である彼女の姿も、…一緒にどこかへと消えてしまった。
……これはきっと私にとって好都合なはず。
それなのに今は、広くなった視界に誰も居ないことがどうしようもないくらい不安で……。
独りでいることは、こんなにも怖いものだっただろうか。
(……起きよう。)
もう目覚めを邪魔する者はいない。
今度こそここから出られる。
一刻も早く起きて忘れるんだ。
(心残りは……ないことも無いけど。)
私は名前も知らない虫だったものを一瞥し─────。
「────っ…………」
私はそれを見て動きを止めた。
これはなんだろう。
たった今鮮明に目に焼き付いたはずのものが、上手く認識できない。
それは燃えていた。
ごうごうと音を立てて真っ赤に揺れている。
下から上へ、川みたいに流れている。
その流れの中で、白かったはずのものが、赤く燃えている。
"あなたが殺したんですよね"
頭の中に響くのはそんな言葉。
責め立てるような声で、反響する。
……うるさい。
『あなたが』
やめて。
『あなたが』
わかってるから、もう黙ってよ……。
「…………」
浅く息を吸うと肺の中が熱い空気で満たされた。
熱に浮かされた本能が、もう認めるしかないのだと私に告げる。
「………………。」
……全部思い出した。
私は責任から逃げるために、彼女に背を向けたんだ。
燃え盛る炎を見て見ぬふりした。
助けられたかもしれないのに何もしなかった。
挙句罪の記憶ごと熱源へと放り込む。
それだけの事をした。
なのに、どうして……?
記憶回路の八割近くを焼き切ってやったのに、どうして今さら思い出したんだ。
これでは知らないフリもできない。
(う……ああ……わたしは……ッ!)
水底のように冷たい心が燃え上がる。
細胞の一つ一つを焦がしながら叫ぶ。
どれだけ本能を欺いたとしても、私はきっとこの中に飛び込むことなんてできない。
だから叫ぶ。
千切れた舌のひどく歪な音で叫ぶ。
これが夢で、全部自分の頭の中での出来事だから大丈夫だってことは知ってる。
でも私は、刻一刻と面影を失って行く彼女を前にして冷静さを保つことなんてできなかった。
一瞬誰の名を呼ぶか迷った後。
「アメちゃん────ッ!」
「ちーがい!ますー! わたしは、はれですっ!」
夢の中での記憶や認識の多くは出鱈目なものなので、あまり気にしても仕方ないです
サブタイトルが付いてなかった話にちゃんとつけ直しました
その過程で話数が1話分ズレてます
気がつくと目が覚めていた。
重たく閉じられた瞼を持ち上げるためにだいぶ苦労したはずなのに、目覚めの瞬間は随分と呆気ない。
もしかしたらまだ夢の中なのかもしれないと疑うも、この開放的かつ閉塞的な空は間違いなく現実のものだった。
灰色の空。
それは僅かな赤みも帯びない、私の見慣れた不純な色だった。
(視界は正常、か。)
それに、目覚めの気分も存外悪くない。
あんな夢を見た後だというのに、心もなんだか冷めていて。
もしかすると、昨夜寝る前に虹草を多めに食べたのが効いたのかもしれない。
(……それなら、これからは眠る前に少し多めに草を食べることにしようかな。)
「…………」
今の私はきっと苦い顔をしているんだろうなと思う。
少し余計に不味い思いをするだけで今後の目覚めが爽やかなものになるのなら、絶対にその方がいいに決まってるのに、私はそれがなんだか良くないことのように思えてならない。
これは別にあるかも分からない防衛本能を理由にして不味いのを回避しようとしているとかそういうわけじゃない。
さすがの私もそこまで子供ではないはず……。
そもそもだ、冷静に考えると虹色に光る草とか絶対に食べちゃダメなやつなんじゃないか。
草じゃなくてもそう。
あんなにおどろおどろしく発光するなんて、明らかに有害な何かを含んでいるとしか思えない。
そんなものを最初に食べようと思った時の私は一体何を考えていたのだろう。
少しの間追想にふけるも、結局何かを思い出すことは出来なかった。
「ふわぁ……」
短いあくびがこのまま起きるか、それともまだ寝るのかと、選択を迫ってくる。
せっかく目を覚ませたのに、このままではまた夢の世界に引き戻されてしまうだろう。
「あふ……」
もうこれ以上無駄なことを考えるのはよそう。
虹草の正体が何であろうと、今更食べるのをやめたりは出来ない。
食べなきゃ健全な心を保つことも出来なくなってしまうから。
私はこれからも、おそらく有害であろう物質を体内に取り込み続けるしかないのだ。
(あれ……? そういえば……)
これから先のあまり健康的とは言えない食生活についての算段を立てていると、ふと、起床直後に誰かの声を聞いていたことを思い出した。
えっと、たしか……晴れがどうとか言っていた気がする。
まあどうせこれも夢か幻聴の類だろう。
早々に考えを切りあげた。
私は目をこすり、大きく伸びをする。
これは朝の日課というやつだ。
目の前の彼女も同じ様に手を組み腕を伸ばしている。
(……え……?!)
目が合った。
それを見た途端、身体が硬直してしまう。
真っ赤な少女がこちらを見ていた。
それもすぐ目の前に座って。
どうして? いつから? あなたは……誰?
当然のような顔でそこにいる少女に対する疑問達が、私の脳を一瞬で支配する。
支配していた……はずなのに。
彼女の左目に宿る異質な光に気づいた瞬間、それらの疑問は全て融けて消えてしまった。
その虹色の輝きは私のよく知るものとよく似ていて、不気味さを感じずにはいられない。
「ぅ……はっ…!……はあ…………はっ……」
毒々しい視線にまっすぐ射抜かれていると、だんだんと呼吸が苦しくなってくる。
息を吸っても、吸っても、変わらず苦しいまま。
きっとこの少女の目から放たれた光線が、私の胸の奥に穴を開けてしまったんだ。
……逃げないと。
私はここにいてはいけない。
いや、もしかするとそれは私の方じゃなくて……。
どちらにせよ、いつまでもこのまま寝起きの顔を知らない子に晒しているつもりは無い。
「お姉さまはあめがきらいです。お姉さまがだい好きなはれも、あめがすきじゃないようです」
私が声を絞り出すよりも早く、少女が言った。
その幼げな声質は起床直後に聞いたものと同じだったけど、声の調子はだいぶ違うような気がする
。
今の彼女からは落ち着いた雰囲気を感じる。
その話し方は落ち着いていて、口調も理性的。
それなのに、何を言っているのか全く分からない。
こちらが言葉の意味を理解しかねているのを察したのか、少女はさらに続けた。
「はれはけっしてあめちゃんなどというおなまえではありません。しんがいのきわみです」
なるほど、少しわかってきた気がする。
どうやらこの子は私に名前を呼ばれたと思ったらしい。
そしてその名前が間違いだったので、こうして文句を言っていると……。
「はれははれです。お姉さまがくれたたいせつなおなまえです」
頬を膨らませて怒るハレ(?)に「しゃざいをよーきゅうします」と謝罪を要求された。
それで彼女がどこかへ行ってくれるなら土下座でもなんでもするけど、ちょっと納得いかない。
「……ごめんなさ───」
「おはよーございます」
私が仕方なくハレの要求に応じようすると、それに被せるように彼女が言った。
「……何?」
「おー、はー、よー、おー! ございます」
「え? …あ、おおはよう?」
どうして急に挨拶をするのか、彼女の意図がわからない。
欲しかった謝罪の言葉を遮ってまでしなきゃいけないことだったのだろうか……?
「うおー……」
とりあえず同じように返したけど、その行いに意味なんてなかったのだろう。
私に朝のあいさつを強要した少女はそっぽを向いていて、その視線の先には一輪の花が咲いている。
ハレはそのありふれた花を興味深そうに見つめていた。
どうやら、彼女はこちらの言動にはとことん無関心なようだった。
「なんですか?! これっ」
「…………」
「わー! なーんなーんでーすかー!? これぇっ!」
他人の言葉には無関心。
そのくせ無視されたらこうしてしつこく粘る。
(まるでここ最近の私みたい……。)
そんな風なことを思ってしまった。
私は周りからはこんな、わがままな子供みたいに見えていたのだろうか?
それは違うと思いたい……。
私は他人の言葉に関心が無い訳ではないし、聞くだけ聞いてはいる。
ただ、都合が悪かったから無視していただけで……。
なおさらタチが悪いと思った。
「タンポポよ」
私が極めて大人的な態度で質問に答えると、ハレは目を丸くした。
何故か無言で詰め寄ってくる。
そんな目で、見ないでほしい……。
「じぃー……」
「な、何……? 私に、なにか用なの……?」
「お姉さま」
「……?」
「おおおーお姉さまっ! お姉さまですよね?! やっとみつかりましたぁ」
「何を言ってるの? …私はあなたの……んむっ?!」
私のことを突然お姉さまと呼び、有無を言わさないといった様子のハレ。
彼女の決めつけるような言葉を否定しようとしたけど、今度は物理的に言葉を遮られた。
片手を頬に添え、そのまま親指を口の中に滑り込ませてくる。
一瞬で果物を何百倍にも甘くしたような味が口の中に広がった。
「うう……うぇっ……」
あまりの甘さに吐きそうになる。
嘔吐いても止めてくれない。
舌で押し出そうにも、指に触れること自体を拒絶するかのように、奥の方へと後ずさってしまう。
そのせいで、甘くなった唾液が奥まで運ばれてまた吐きそうになる。
このままでは間違いなく嘔吐してしまうだろう。
今この体勢で吐いたら悲惨なことになるのは目に見えている。
犠牲者は二人。私と、たった今加害者になろうとしている彼女とだ。
きっとそんなことを理解していないであろう少女が目を輝かせる。
「ふふふー、お姉さま〜っ♪」
(かくなる上は……!)
吐き気の原因を取り除くべく、両手でハレの手首を掴んだ。
そしてそのまま彼女の指を引っ張りだそうと力を込める。
力を込める……!
全力で引っ張る……!!
……しかしビクともしない。
彼女は恐ろしい怪力の持ち主だった。
あるいは、私があまりにも非力なのか……。
どちらにしても、もう為す術なんか無い。
私にはもうハレが満足するまで必死で嘔吐感を抑えるしかないのだ。
(甘くない、甘くない、甘くない……)
おそらく気休め程度にもならないであろう自己暗示をかけてみる。
甘くない、甘くない。
ハレの親指が、形を確認するかのように一本一本の歯をなぞる。
甘くない……甘いくない。
その途中、一際尖った歯を見つけると、より一層目を輝かせる。
甘いくないいや甘い。
楽しげに八重歯の先をちょんちょんやっている。
甘い甘い甘いあまい……。
ちょんちょん、ちょんちょん……。
鼻歌交じりにずっとちょんちょん。
どんどん唾液が滲み出してくる。
そうして嘔吐感がもう限界を迎えようとした時────。
私はようやく解放された。
甘々しい水音と共に指が引き抜かれると、私は口内に残った甘ったるい唾液をすぐさま吐き出した。
「うぇぇ……ぺっ、ぺっ」
「だいじょーぶですか?」
「……」
口を押えて首を横に振る。
と、今度は右の頬に生暖かい感触が……。
それが何なのか理解した瞬間、私は飛び退いていた。
「いいきなり……な、なにをするの……?!」
次から次へと、何なんだこの子は。
突然人の顔を舐めるなんて絶対におかしい。
咄嗟に距離を取ったからよかったけど、もう少し反応が遅かったら噛みつかれていたかもしれない。
奇抜な行動原理のもと動いていそうな彼女のことだ、そういうことを平然とやってのけるだろう。
「う? ちょっと違う……? んー??」
閉じた口からだらんと舌を垂らして首を傾げるハレはなんだか訝しげな表情をしていた。
この場合、私と彼女のどちらが不審者なのだろうか……。
お互いに過去の行いには目を瞑って、とりあえずこの状況だけを見た場合、変なのは向こうのはず…?
なんかだんだんと自信がなくなってくる。
私の方がずっと不審に思っていたはずなのに、「はっ! もしやあなたはお姉さまじゃありませんね!?」なんて指さして突きつけられると、もうこちらが全部悪いような気さえしてくる。
「私はあなたのお姉さんじゃないわ」
「そうでしたかぁ……」
私がきっぱりと言うと、ハレはがっくりと両肩を落とした。
今度はちゃんと分かってくれたみたい。
誤解が解けてよかったけど、この子にはなんだか悪いことをしたような気がする。
「ときにおねーさん、はれはお姉さまをさがしてます。みましたか?」
「だから私は……いえ、誰を探してるの?」
私への呼称がお姉さまからお姉さんに変わっていた。
一瞬その微妙な変化に気づけなくて、間違いでもないのに訂正してしまいそうになった。
「お姉さまです。せなかにはからーふるなはねてきなものがつきでています。なまえはー……ご、ごー……ごくどう…?」
「えっと、……カラフルな翅…が、生えてるのね?」
「なるほど、たぶんそげなかんじです?」
「……? ごめんなさい。見てないわ」
「そうですかぁーあっ!そうですっ」
「……?」
「ふっふっふー。おねーさんも、だれかをさがしてるとみうけたですっ!」
「別に私は誰も……っ!」
言いかけて気付いた。
私の傍にいるはずの少女がどこにも見当たらないことに。
今の今まで忘れていたなんて、私はなんて薄情なやつなんだろう。
ずっと一緒とまで言ったのに……。
自分の無責任さに呆れるばかりだ。
ササコがいない。
昨日寝る前まではちゃんといたはずなのに、どこかへ行ってしまった。
それならいつまでもこうしてはいられない。
すぐに探しに行かないと……!
「ごめんなさい、私用事を思い出したから!」
そう言ってハレに背を向けその場から立ち去ろうとしたが、袖を摘まれて引き止められる。
振り返って見ると、ハレは神妙な面持ちで静かにこちらを見据えていた。
「おねーさんの……さがしびとはだれですか」
「探し人……」
「ハレはきっと、あなたのおちからになれるはずですよ?」
「…………………。白い髪の子をどこかで見かけなかったかしら?」
「ああ、それなら……」
「あっ、えっとね……その子髪は白いのだけど、全体的に土っぽい色なの。土って分かるかしら?土はね、今あなたが……」
「お姉さん」
「な、何…?」
「むこうにいます」
彼女はあっさりとした口調で告げると、私が向かおうとしていた方とは逆を指さした。
「向こう…に、いるの……?」
「はい! そのおひとなら、みちすがらあっちでめぐりあいましたよ!? おねーさん!」
「そ、そう。……教えてくれてありが──」
「れーにはおよびおませんよっ!」
食い気味に言うと、こちらに背を向ける。
「それではまいりましょー!」
ハレは彼女自身が指さした方へと歩き出した。
わざわざ案内をしてくれる気なのだろうか。
それは助かるといえば助かるのだけど……。
「あなたはお姉さんを探しに行かなくていいの?」
「おぅあ! そーでした」
ハレは歩行速度の割に大袈裟なブレーキをかけて止まると、こちらに振り返った。
「おねーさん、ひじょーにもうしわけにくいのですが……!」
両目を細め眉を下げて、いかにも申し訳ないといった表情を見せる。
私はハレが全てを言い切る前に、言ってやることにした。
彼女が何度も私にそうしたように。
「私はひとりでも平気よ」
「お? ぉぉおお……! さすがはおねーさんですっ!」
何がさすがなのかは分からないけど、こちらの言葉がちゃんと伝わったのならそれでいい。
ハレは少しの間、ぴょんぴょんと地面を跳ねてはしゃいでいたが、やがてそれも収まり……。
「それではおねーさん、はれはそろそろおいとまするとします」
「……そう。お姉さん、見つかるといいわね」
「うぉはい!おねーさんもっ!」
そんなお互いちょっと足りないような言葉を交わして、私達はお別れした。
ハレがたたっと駆け出し、途中で何かを思い出したように足を止める。
そして少しだけ振り返ると、目を細めて笑った。
「またねーっ! おねーさん」
ハレちゃん不思議可愛いけどたしかに虹色の目は不気味…
甘ったるい果実を押し込んできたってことはそういう物が主食の子なんでしょうか?
ヘキサノイックさん、おひささです!
ハレちゃんは見ての通りの元気っ子ですが、ミステリアスな一面もあります(主に容姿)
ちなみに、指が甘いのは食生活のせいというのは大体あってたりします
実はこの子はSSに登場する予定が無かったのですが、色々と考えた結果、ちょい役として出すことになりました
なのでこれ以降出番はありません
でも物語に関わってくる重要人物ではあるので、いつか彼女にスポットを当てたお話を番外編として出すかもしれません
(いくら寝起きだからといっても、イシちゃん色々とスルーし過ぎでは……?)
こちらにもぺたり

雨宿りをする二人です
我儘でいいんだ。
ハレが教えてくれた通りの方向へ向かうと、そこに私の探し人がいた。
「ねぇ……?」
「……ぁ」
ササコが振り返り、目が合うと同時に固まる。
彼女は一瞬だけ引きつった不自然な笑顔を作ると、俯いて黙り込んでしまった。
なぜ目をそらすのかも、一度黙ると声が二度と聞けなくなってしまうのも、理由は全部分かっている。
でもだからこそ、こんな時になんて声をかけていいか分からない。
私がササコと同じ目線だったならいくらでも慰めの言葉が浮かぶのに。
現実は違う。
「心配したのよ?」
「…………」
私はまた何も知らないふりをする。
彼女の本音を引き出してしまうと一緒にいるのが少しだけ辛くなるから。
「おはよう」
「…………おはようございます」
ササコは俯いたままだけど、一応返事をしてくれた。
とりあえず、「あなたとは二度と口をききません」は免れたみたいだ。
「うんうん、おはよう」
しばらくぶりの朝の挨拶なのにこれといった感動を抱くことはなかった。
そのことに一瞬違和感を感じたけど、すぐにそれが当然の事だったと気がつく。
(ああ、そういえば……)
今日初めての「おはよう」はもう済ませてしまってたんだった。
……後ろめたさを感じた。
寝起きの数分間を知らない子と過ごしていて、その間一度もササコのことを思い出さなかった。
その数分間が私に罪悪感を抱かせ、先程のササコ同様に口を閉ざしてしまいそうになる。
「……帰るわよ」
私は未だ俯いたままの少女の手を取った。
────────────────────
翌日、ササコはまた逃げ出した。
その次も、さらにその次の日も。
彼女は決まって私が眠っている時にいなくなる。
その度に私が、どこかへ行ってしまったササコを探して寝床まで連れ戻す。
そんな日が何日か続いたある日のこと。
目を覚ますとまたササコが逃げていた。
私はいつものように彼女を探して、そして見つけだした。
いつも通りの展開だった。
「……まだ…ちょっと眠そうね?」
「ええ、まあ……」
「何でまたこんなとこにいるのかは気になるけど……まあいいわ。早く戻りましょう? 今日は特別に二度寝を許してあげる」
そうまくし立てると、私は一方的にササコの手を取り引っ張った。
今日が昨日までと同じなら、これで大人しく着いてきてくれるはず。
しかしササコはその場から動こうとしない。
「……? どうしたの……? …もしかして歩けないの?」
「…………」
「もう、しょうがない子ね……おんぶとだっこどっちがいい? 私としてはおんぶを選んでくれた方が助かるのだけど……」
「……っ!」
「………………」
ササコを捕まえていた手が突然振り払われた。
彼女の体温を見失った私の手の中にあからさまな拒絶の意思だけが残る。
「……私から逃げたいの……?」
「…………」
「それとも、また鬼ごっこがしたい?」
「……そんなの、────」
「じゃあ今度はあなたが鬼をする? 私が逃げて、あなたが捕まえる」
自分でも何を言っているのかよく分からなかった。
強く拒絶された私は、あくまで平静を装うために僅かに残されたコミュニケーション能力すら投げ棄ててしまったのだろうか。
今ササコに喋らせてはいけない。
そんな身勝手な危機感から、私は自分も含めて誰も望まないような提案をした。
「するの? しないの?」
一言嫌だと言ってくれればいい。
そうすれば、今朝のことは全部忘れて、何事もなく今日を始められる。
「……」
(ほら、早く答えないとまた私の自分勝手な決め付けであなたの気持ちをねじ曲げちゃうよ……?)
……私はどこまでも卑劣だ。
ここ数日で何度目かの自己嫌悪をする。
でもそれで、…私が私を嫌いになるだけで望む結果を得られるのなら、もうなんだっていい。
なんだって…よかったのに……。
「そ、そうですね……。それいいですね。やりましょう……」
「ふーん……じゃあ、やっぱりダメ」
「……どうしてですか…?」
「だって私が逃げた後、あなたそのまま逃げるつもりでしょ? 臆病者の鬼さん。その二本の角は飾りかしら?」
私は挑発的に言い放っていた。
ササコはこちらを見ようともしない。
俯き口を固く閉ざした彼女は、もう二度と私と話してくれないかもしれない。
こんな風に言うつもりじゃなかったのに……。
それこそ、一言だけ「嫌だ」って言えばよかったのに。
提案しておいてやっぱり嫌だって言うのはおかしい? そんなことを気にして、あんな追い込むような言い方をしたの? どちらにせよ私がササコの言葉を無下にすることには変わりないのに? そもそもそれらしい理由さえあれば、傷つけてもいいの?
そんなわけがない。
「ササコ……ごめんね……」
「……」
ササコがゆっくりと顔を上げる。
私の目をじっと、見張るように見つめる。
と、すぐに目を伏せて顔を逸らしてしまった。
逸らす直前に数瞬だけ細められた目は問い詰めているようで、「本当に悪いと思っているんですか」と私に言っているようにも見えた。
「あのね、私は本当に……」
「やりましょう」
「……?」
「鬼ごっこ。今度は私が鬼をやります」
「何を言ってるの……?」
「たしか、十秒数えればいいんでしたよね?」
「……待って」
「では今から数え始めるので、逃げてください」
ササコは私の言葉に耳を傾けない。
こちらの返答を無視して話を続ける彼女は、なんだか怒っているみたいでちょっと怖かった。
……でもそれだけじゃない。
こんな話し方をされると、まるで私の人格そのものを否定されているみたいで悲しい気持ちになってくる。
無視と決めつけがこんなにも相手の心を傷つけてしまう行為だったということを。
そして自分のこれまでのササコに対する無神経な振る舞いの数々を、今ようやく思い知った。
(私は彼女に、ずっと……こんなひどいことをしていたんだ)
同じことをされないと気づけないなんて、なんて馬鹿なんだろう。
自らの愚かさを恨むばかりだ。
「あなたが負けたら……」
ササコはかつて私がしたのと同じように、鬼ごっこの敗者がのまなければならない条件を提示しようとする。
たとえ彼女の言葉のその先がどのようなものであったとしても、私はそれに応じよう。
今はそうすることでしかこの罪を償えないから……。
「もう二度と、私に関わらないって約束してください」
「……」
(そうだよね。……これがあなたの本心なんだよね……)
ササコの望みは分かってた。
多分こうなるだろうって、大体の予想は着いていたのに……。
どうして期待しちゃうかな。
私が奪った彼女の自由は、この足一本程度じゃ償えないらしい。
「…………ええ、わかったわ……」
長い沈黙が終わった時、私はもうササコの顔を見れなくなっていた。
せめて最後くらいはちゃんと見たいのに。
夢でこっそり会えてしまうくらい、彼女のことを記憶に焼き付けたいのに……。
体が言うことを聞いてくれない。
一緒にいられるのはこれで最後なんだ。
だから、だから……。
(やっぱり見れないよ……)
私はササコに背を向けてしまった。
その瞬間から二人の時間は動き出し、十秒のカウントが始まる。
二人が独りに戻ってしまうまであと十秒ちょっと。
私はふらふらと近くの木陰まで歩いていくと、寄りかかるように腰を下ろした。
膝を抱えて、ササコの足元をぼんやりと見つめる。
「……」
ぽつりぽつりと雨の雫が地面に落ちては消えていく。
その様子を見ていると不意に視界が歪んだ。
私は目の中にピンポイントで落ちてきた水滴を拭おうとしたけど、やっぱりやめた。
これなら……このままだったら、ササコの顔をちゃんと見れる。
そう思ったから。
でもやっぱり、ぼやけてよく見えなかった。
鼻がつんとする。
(馬鹿だなあ、私)
自分自身への何気ない罵倒がトドメになって水滴が零れた。
頬に冷たいものが伝い、私は慌てて顔を伏せる。
こんな顔ササコに見せられるはずがない。
見せたら彼女の決意が揺らいでしまう。
だから隠さないとだめ。
もうササコに自分を追い込む選択はさせたくないから……。
(─────ああ、もう終わりなんだ)
気づけばもう誰の声も聞こえなかった。
十秒って、こんなにも短いものだったのか。
逃げる余裕なんて全然ない。
「…………」
もう会えないのなら最後くらい笑顔でお別れをしたい。
そうすればきっと、全部いい思い出だったって思えるようになるから。
だから無理にでも笑うんだ。
負けちゃったかって言って、邪気のない笑みを浮かべて……。
前に練習した時と同じように、……楽しくもないのに笑って……。
そして私は………………また、。
(そんなの嫌だよ……)
臆病者は私の方だ。
「ねえササコ、やっぱり……」
やっぱりやめよう。
そう言おうとした。
顔を上げて、ササコの目をちゃんと見て。
でも、私の見ていたい琥珀色の瞳はどこにも見当たらない。
「ササコ……?」
再び顔を上げた時、私は本当に独りになっていた。
────────────────────
ここは一本の木の下。
広い森に無数に存在する木陰の内の一つ。
「やっと、見つけた……。こんな所で、…何をしてるの……?」
私は雨の中を探し回ってようやく見つけ出した鬼役の少女に向かって聞いた。
「えっと、…あ…雨が降ってきたので……雨宿りを……」
「雨……。そうね……もし私が風邪でもひいたら、あなたのせいよ……?」
「……すみません……あ、隣どうですか」
「え? ……うん…ええ、お邪魔するわ」
ササコが自分の真横に目を落とす。
私は不思議に思いつつも彼女の誘いに乗ることにした。
腰を下ろし、隣り合う少女の横顔をちらりと見る。
すると、視線に気がついたのかササコがこちらを見返してきた。
目が合いそうになって咄嗟に視線を逸らす。
「…………」
なんだか気まずい。
さっきまで私たちは、多分ケンカのようなことをしていたのだと思う。
そしてそれは今も変わらない。
仲直りが出来ていないから。
しかしササコとの仲を修復しようとする行為は、これからも一緒にいたいと彼女に暗に言っているのと同じことなのではないだろうか?
もしそんなこちらの意図を悟られればまた嫌われてしまうかもしれない。
二人で交わした約束を平気で破るようなこと、きっと許してくれないだろう。
「どうすれば勝ちなんでしたっけ」
私が悶々としていると横からササコが言った。
何のことを言っているのか分からなくて聞き返す。
「鬼ごっこです。捕まえるって、具体的にはどうすればいいんですか?」
「ああ、そういうことね。……相手の体のどこかに触れば、それで……捕まえたことになるのよ」
「そうですか……」
言うなら今しかない。
まだ勝負が着いていない今しか……。
「あの約束、やっぱりナシに……!」
「ゴイシシジミさん、逃げてもいいですよ」
「……え?」
「この状態から逃げ切れる自信があるのなら、どうぞ逃げてください」
ササコが目を細めて挑発的に言った。
手を伸ばせば届く距離。
こんな距離感では逃げようにも逃げられない。
もしかして彼女は最初からこうなるのを狙っていたのだろうか。
私が鬼を探し回って疲労状態なのも、その足でのこのこと彼女の前に現れたのも、全部ササコの思惑通りだったとしたら……。
「私の負けね……」
「いいんですか?」
「っ……よくない……」
あっさりと負けを認めてしまいそうになった。
あの約束を何とか取り消してもらうまでは、この遊びを終わらせる訳にはいかない。
ササコが納得してくれるような言い訳がないかと考えていると、不意に音が鳴った。
それは、布が擦れるような音。
音のした方へ目を落とすと……。
「あっ……」
ササコが私のスカートの裾を摘んでいた。
「これで私の勝ちですね」
「……そうね」
こうなってしまってはもう、負けを認めるしかない……。
私たちの仲はこれまで。
……一度は覚悟した事なんだ。
だったら当初の予定通り、笑顔でお別れをしよう。
しないと………………。
「ま、負けちゃったかぁ……」
口角を少し上げて、目を細める。
こんな感じでどうだろう。上手く笑えているかな?
ササコといた数日間の思い出が甦る。
そういえば、ササコが笑っている顔は一度も見たことがなかったな。
その事実が、二人で共に過ごした時間が彼女にとっては苦でしかなかったということを証明していて……。
悲しい気持ちになった。
本当ならここは罪悪感を覚えるべきところなのかもしれない。
でも、悲しい。
笑わなきゃいけないのに、できない。
鼻がつんとしてきた……。
このままではまた泣いてしまいそうだったから、さっきと同様に顔を伏せて凌ぐことにした。
目を瞑りじっと待つ。
こうしていればきっといつかは悲しくなくなる。
それまでずっと俯いたまま生活するのはどうだろう。
辛い現実を見なくて済む。
これはもしかすると、とてもいいアイデアなのでは……?
知らないうちにササコは離れていって、引き止めることもできず、私は独りになったことにすら気づかない。
それはとっても、……幸せなことのはず。
……でも、それでもいつかは顔を上げて、この目で全部見なければならない時が来るだろう。
だっていつまでも俯いてたら首が痛くなっちゃうから。
……………………。
(その頃には雨が止んでるといいな。ああ……でも、一人で見上げる青空は、きっとどんな現実よりも辛いんだろうな……。私にちゃんと受け入れられるかな……?)
────馬鹿みたい。
出来もしないことをつらつらと並べて、勝手に納得して……本当に馬鹿みたいだ。
「────これで、********……」
「……?」
不意に声が聞こえた。
隣でササコが何かを呟いたのだ。
それは誰に向けたというわけではない、独り言のようだった。
どうせこれでようやく自由になれるとか、そんなところだろう。
何もわざわざ口に出すことないのに。
「あーあ、これで*********……」
ササコがもう一度、今度はさっきよりも大きめな声で同じ言葉を繰り返す。
まるで私に聞かせようとしているみたいに、わざとらしく呟く。
もうやめて。何も聞きたくない。
それはこれまでの仕返しのつもり?
謝ったら、赦してくれるの?
「ゴイシシジミさん」
「そんなに私のことが嫌いならもう一緒にいなくていいのよ。さっき、約束したでしょ……? 私はこのままここにいるから……」
抗えない別れを告げられるのが怖かった。
だから私は自分からササコを遠ざけるように言ったんだ。
それなのに……。
「じゃあ私もここにいます」
それなのに……
「……どうして」
どうしてあなたは……
「……だって、ほら……雨降ってますし……それに……」
「……」
「私はあなたに……まだ勝ってません。……負け越してるんです」
「何を言ってるの。……あなたは私に…勝ったでしょ」
「だから! ……これで、一勝六敗……なんです……」
「……どういうこと……?」
「私はあなたに、ゴイシシジミさんに5回も負け越してるんです。だからこのままでは終われません。……再戦を申し込みます」
ササコが言っていることは負けず嫌いな子供みたいだ。
でも彼女がやろうとしていることは、きっとその逆で。
気を使って言ってくれているんだと思った。
自意識過剰かもしれない。
でも、私は彼女の優しさを知っている。
それはいつか彼女自身を滅ぼしかねない、危うさを持った優しさだ。
私は本当にまだササコと一緒にいていいのだろうか。
「でも、あなたは私のこと嫌いでしょ?」
私は唐突で直前の会話の流れからは想像もできないような返しをした。
息を呑む音。言葉を飲み込む音。
なんとも形容しがたい無音だけを残して、ササコが口を閉ざしてしまう。
相手の本心を暴き出そうとするような言動を後悔した。
せっかく気を使ってくれているのに、私は彼女の優しさを無下にしてしまった。
これで彼女はどう思っただろう。
めんどくさいやつだと、愛想を尽かしてしまっただろうか。
「ごめんなさい……」
「…………私は、私のしたいようにします……。だから……あなたはあなたのしたいようにすればいいじゃないですか。ちなみに私のしたいことというのは、鬼ごっこの再戦です」
ササコがあくまで鬼ごっこの再戦がしたいと突き通す。
そんなことしたいはずがないのに、負けず嫌いな自分を決して崩さない。
それはどうして?
それは、……きっと私のため。
こちらの我儘を肯定するためだけに、自らも我儘なフリをしているんだ。
大切な我が身を危険に晒してまで……。
どうしてあなたはそんなにも気にしてくれるの。
私には優しくされる資格なんてないのに。
おさまりかけていた涙がまた滲んでくる。
またササコの心を殺しつつある罪悪感と、この優しさにいつまでも浸かっていたいという我儘とが頭の中で交錯し、色んな感情を巻き込んで混濁していく。
もうどれが自分の本心なのか判別がつかなくて、泣きたくなくて……。
漏れそうになる嗚咽がバレてしまわないよう、私は声を殺した。
「再戦、もちろん受けて立ちますよね……?」
なおも言い続ける。
返事を促すようにやさしいトーンで。
……本当にいいの?
そんなことされたら本当に、私はあなたから離れられなくなっちゃうんだよ?
それでも……いいの……?
………………。
もし、私の我儘が許されるのなら……
「鬼ごっこはもうしないわ……」
「あなたが嫌でも、私が勝手に逃げればやらざるを得ませんよね……。なんだったら今からやりますか?」
ああ、あなたは本当に……
「ぁ……」
私はササコを抱きしめた。
彼女の所在をちゃんと確認せずに伸ばした両手は、確かな体温を見失わなかった。
夢なんかじゃない。
彼女は今もずっと隣にいてくれた。
暖かくて、涙が溢れてくる。
「……気を……使わせ…ちゃった、ね」
「なんですかいきなり……私は別に……」
「ありがとう……ごめん…ね…?」
「だから私は……もう、暑いですよ……離れてください」
「逃げ…ない……?」
「逃げませんから……だから、離してください……」
困ったような声でやさしく拒まれた。
本当はあなたのお願いならなんでも聞いてあげたい。
だけどごめんね、ササコ。
私は我儘だから。
あなたにこんな顔を見せたくないんだ。
だからもう少しだけ待って。
止むまで─────。
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十数分後
「もう逃げないでね……」
「それは、……約束はできませんけど」
「次また黙って逃げたりしたら……こ、怖いわよ……?」
「……どうするつもりですか?」
「今度逃げたら、……一生私の腕の中で生活してもらいます」
「それは…怖いですね……」
第5話序文の「鬼ごっこで負けた日」とは、ササコの5回の負け越しが確定して揺るがなくなったこの日のことです。
もうこういうつかず離れず(ついたり離れたり?)がお似合いの二人ですね
互いに全てを明かさなくていい、でもそこまで遠くないような関係がいい………
ありがとうございますー
私は見ててもどかしさを感じるくらいの距離感が好きでして……
でもこの二人の関係はちょっと拗らせすぎかなとも思っていたので、気に入って貰えたのならとても嬉しいです