時間置いちゃうとすぐに文章の作り方が分からなくなるます……
ぼんやりとする。
ずっと、ぼんやりとしていた。
押しては引いていく波打ち際。
私はそこにいて、彼女がそれを見ていた。
「あなたは、夢子……?」
「なぁに、それ」
全体的に白っぽい服を着た少女は、その髪の毛の一本一本も白い。
私やササコと同じ、そしてあの子とも。
眉を下げてどうやら悲しんでいる様子の彼女に、私は何をしてあげられたのだろう。
少女は顔を伏せて、やがて覚悟が決まったのかその名前を口にした。
「わたしは、──────よ」
きっと彼女は否定したかったのだと思う。
目が覚めれば消えてしまう、自分はそんな不確かな存在ではないと、必死になって抗っている。
そんな彼女の声を、私は聞いてあげなきゃいけない。
それなのに、なんだか声が遠いような気がして、上手く聞き取れなかった。
彼女の震えるような寂しい気持ちは、波にさらわれて見えなくなってしまったのだと、そんな風なことを思った。
「わたしの名前、忘れちゃったみたいね……」
「ごめんなさい」
きっと、謝ったって赦されることじゃない。
だけど、それでも……
「ごめんなさい……」
この言葉は彼女に届いているだろうか。
波にさらわれてはいないだろうか。
不安だった。
「ごめんなさ──」
「しょうがないから、赦してあげる」
「……」
「そんなに謝られたら、あなたにこんなに想われたなら、きっとなんだって赦しちゃうわ」
「…………そんなの、」
「それに、別にあなたは何も悪くないもの」
「……違う、私は……」
「──違う」
「…………」
「違う」
「……私が全部、悪かったの」
「違う」
「私があなたを……私さえいなければ……!」
「違うの。わたしの言葉、ちゃんと聴いて」
顔を上げた少女と目が合う。
淡く輝く金色の瞳は、決して逸らさせない。
強い意志を宿して、私を真っ直ぐと射抜く。
それは内に眠る悪夢を取り払うように。
「悪い夢にどんなにひどく言われたって、あなたは決して悪くない」
ずっと欲しかったはずの言葉。
なのに、私は。
「……もうあなたの言葉なんて、信じられないわ」
止められない。これ以上傷つけたくないのに、止まってくれない。
「痛かったじゃない! あんなに痛かったのに、どうして……」
「その話し方」
「……誤魔化さないで」
「………………」
彼女は私から目を逸らして、何かを考え込む。
やがて何かを思いついたのだろう。ゆっくりと口を開いた。
「嘘をついちゃったのは……きっと、幸せだったから。わたしはあなたとの時間を、できるだけ沢山の笑顔で埋めておきたかったの。あなたは知らないこと……あなたの笑った顔はね、実はすっごく素敵なのよ。真っ暗に曇ってしまった心も、一気に晴らしてくれるくらいに……」
「………………」
「だからね、わたしはあなたに笑っていてほしい」
「そんなことで……」
「そんなことじゃないわ。わたしはあなたを恨んだりしない。でも、あなたの笑顔を曇らせてしまうようなやつは許せないの。……たとえそれが、わたし自身であっても」
「……」
「ずっと、聴こえてたよ。わたしみたいになりたい、ならなきゃって。
あなたの気持ち、嬉しかったけど、すごく悲しかった」
「ごめんなさい」
謝ることしか出来なかった。
今は亡き彼女のために泣くことも、もう私には出来そうにない。
そんな資格はとうにないのだ。
自分のしたことを認めておきながら、せめて夢の中でなんて。
彼女の口から赦しを得ようとするだなんて。
本当に救えない。
救われるべきじゃ……ない。
「……ごめんなさい」
「やっぱり、あなたは未だ……夢を見てるのね」
金色の光が揺らぎ、瞬く。
そして再び私の視線をとらえると、網膜を強く焼け焦がす。
鋭くなって、一番深くに刻み込むように。
彼女はその目で言った。
「もう雨には濡れちゃだめよ。また怖い夢を見ちゃうからね。」
「夢……」
「そう、夢。起きても覚めない恐ろしい幻夢。こんなふうに」
彼女はそう言うと、波音の聞こえる方へと視線を流す。
私はその後を追った。
まだ眩しくて、目に光が張り付いているようだった。
金色じゃない、赤い光が視界を覆い尽くすほどに広がっている。
「赤いわね。あれ、なんだと思う?」
それを見るように促した少女が、軽い声色で聞いてくる。
彼女の口元は柔らかく微笑んでいたけど、目は全然笑ってなかった。
「……海」
私が言うと、彼女は曖昧な顔をした。
そして。
「わたしのことは忘れて」
「……え?」
突き放すような言葉。
突然の事で、一瞬その意味を理解できなかった。
じゃあ、一瞬後の今ならどうだろう。
……そんなの、分かるはずがない。
「なん…で、そんなこと、言うの…?」
「言ったでしょ、……許せないって。わたしは太陽なんかじゃないし、あなたの行く先を明るく照らすかがり火でもないの」
彼女はそう言って、こちらへと両手を伸ばしてくる。
ひんやりとした手が頬に触れる。
「ほら、やっぱりわたしはいない方がいい」
「ぇ……?」
頬を伝う水滴の感触。ぼやける視界。気づくと私は泣いていた。
「なんで……」
彼女の言葉が悲しかった。
私が忘れてしまったせいで、彼女のことを、「彼女」としか呼べなくなってしまった。
そのことが悲しくて、申し訳がなくて。でも赦されるはずがなくて。
また涙が流れた。
泣く資格がないとか言っていたのは、誰だっただろう。
何とか押しとどめようと目を瞑ったけど、さっき彼女が言ったばかりの言葉を思い出してしまって、できそうにない。
彼女の悲しい考えを覆せるだけの言葉も、私は持ち合わせていなかった。
それが堪らなく悔しい。
悲しい涙に、悔しい涙。
涙はとめどなく溢れてくるけど、私の顔が水浸しになることは無かった。
こぼれた滴が頬を伝い、途中で途切れる。
その繰り返し。
冷たいものが、添えられた両手に落ちては熱を失っていく。
今まで冷たいと思っていたそれは、彼女の手の冷たさに比べればまだ温かかった。
その対比にまで泣かされそうになる。
ふいに、ぼやけ切った視界の中で彼女が柔らかく微笑んだ気がした。
こんな安心させるような顔を私は知っている。懐かしささえ覚えた。
彼女は一度私のことを泣き虫だと罵ると、指で涙を拭おうとする。
……だけど私はその手を拒んだ。
涙と一緒に、大切なものを取られてしまう気がしたからだ。
「忘れたくない」
「…………」
「忘れたりなんか、できないわ……」
彼女は今、どんな顔をしているのだろう。
目を開けても、瞑っても、映るのは歪んだ悪夢だけだ。
とうにぼやけ切っているのに、視界はまだまだぼやけていく。
とめどなく涙が溢れてくる。
もういっそ、この涙で
溺れてしまいたかった。