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「あの子がいいわね。ほら、来て」
「何をするつもりですか…?」
ゴイシシジミの視線の先には、一人のフレンズがいた。
それは見覚えのある姿をしていて、この間私に友達になりたいと言ったあの子だった。
……なんだかすごく嫌な予感がする。
「ほら、行くわよ」
ゴイシシジミはそう言うと、私の腕を引っ掴んでグイグイと引っ張った。
「ち、ちょっと待ってください!」
私はその場に踏み留まろうと、足に力を入れた。
…しかし、その行為が身を結ぶことはなく、靴が地面にすれてザリザリと音を立てるだけだ。
「っとお…!どこが非力なんですかぁ……まって!本当に待ってください…!」
私の抵抗は空しく、とうとうゴイシシジミが立ち止まることはなかった。
…今、ゴイシシジミの背中の向こうにはあの時の少女が……。
「あなた、ちょっといいかしら?」
「わたし?」
「そう、あなたよ」
「わたしに何か…ひゃうっ!」
「どうしたの? 急に素っ頓狂な声なんか出して」
「あ…あのあの…あなたもしかして……ゴイシシジミさん、ですか…?」
「そうよ? 初めまして」
「…た」
「た?」
「たたたたべないでください!!」
「はあ…別にあなたを食べたりなんてしないわよ」
「ぅうわたしなんてつぁべてもおおいしくにゃいれすよぉおお!!!!………へ? たべない…ほんとうに…?」
「ええ、約束するわ」
「よ、よかったぁ〜」
私はゴイシシジミに腕を掴まれていたため逃げることも叶わない。
だから今の私にできるのは、二人の会話に耳を傾けるか、観念したように項垂れるかのどちらかしか無い。
そこで私が選んだのは、それら両方だった。
私は、項垂れつつ二人の会話に耳を傾ける。
「えっと……今日はあなたにお願いがあって来たの」
「お願い?もしかしてたべ…」
「食べないから。…実はこの子と友達になってあげてほしいの」
「ともだち!?もちろん!!いいよ!!」
……なんだか妙に興味深げな視線を感じる。
私が顔を上げると、ゴイシシジミの肩越しにあの少女と目が合った。
「あ、その子…」
少女の見せた残念そうな顔が、あの時の彼女のそれと重なる。
…私はまた、この子をがっかりさせてしまったのだ。
「どうしたの?」
「前に会った時に、友達にはなれないって…」
「あなたねぇ…もうちょっとマシな言い方はなかったの?」
「……」
ゴイシシジミはそう言うと、私を少女の前に立たせようとしたが、私は彼女の背中にしがみつき、抵抗をする。
恥ずかしいからとか、そんなんじゃない。
私の存在が彼女の表情を曇らせてしまっているのだから、このまま隠れていた方がいいと思った。
…本当に、ただそれだけのこと。
「しょうがない子ね…」
ゴイシシジミは、まるで聞き分けのない子供に呆れたというような声色で言った。
「ねえ、貴方に聞きたいことがあるの」
「なぁに〜?」
少女の声から、先程の嬉々とした様子とは打って変わってしゅんと落ち込んでしまっているのが分かる。
…そんな少女にゴイシシジミは、更に気分が落ち込んでしまいそうな質問をぶつける。
「あなたは、もしも仲良しの友達が突然いなくなっちゃったら…悲しい?」
「当たり前だよー」
「だったら、悲しい気持ちになるくらいなら最初から出会わなければいいとか思うかしら?」
「ううん、思わないよ? だって会えなきゃ一緒にお話できないし、一緒に遊んだり、ご飯食べたりも出来ないもん」
「ですって。あなたはこれを聞いてもまだ、自分の気持ちだけを尊重して、友達にならないなんて言えるの?」
「ぁっ……」
気づくと私の眼前には、あの少女が立っていた。
二人の会話に気を取られていた私は、ゴイシシジミの背中にしがみつくのを忘れてしまっていた。
…そのため、私はいとも容易く少女の前に引きずり出されてしまったのだ。
「…………」
私が俯き何も言わずにいると、ふいに誰かに背中を押された。
振り返ると、私の背中を押した犯人であろうフレンズが穏やかな笑みを浮かべている。
私はその顔を見て少し安心した。
……安心したはいいけど、私はこれからどうすればいいの…?
「……えっとね」
私が焦りと緊張でどうにかなってしまうかと思われたその時、声が聞こえてきた。
ゴイシシジミのものとは違う声。……あの少女の声だ。
それはゴイシシジミよりかは落ち着きのない声だったけれど、それでもやさしい声音だった。
…そして、その声は私に向けられたものらしい。
私がそれを認知したのを悟った少女は、更に声を発した。
「ずっと考えてたんだ。何かきみを怒らせるようなことをしちゃったんじゃないかって。…でも、わたしは馬鹿だから、どんなに考えても……何も分からなくて……。……だから知りたいんだ。知って、謝りたい。きみは何にもないって言うかもしれないけど、わたしは……」
「ちょっと待ってください。その、……あなたは本当に……何も悪くなくて………………」
私は慌てて少女の言葉を遮った。
悪いのは私なのに、彼女は私に謝ろうと言うのだ。
それを認めてしまったら、私は本当にどうしようもないやつになってしまう。
……だから、彼女の謝罪の邪魔をしたのに……。
……なのに、それに続く次の言葉が出てこない。
「……ゎ、…わた………は………………」
「わたし、きみとちゃんと話したい。ちゃんと話して、やっぱりきみと友達になりたいよ…」
少女は真剣な目をして言った。
私はその目を見て、彼女の言葉に嘘偽りが無いことを悟る。
……私は、…彼女の期待に応えたい。
あの時の私の選択は間違いだったと、ゴイシシジミが教えてくれた。
…だから私は、今度は間違えないようにと、ちゃんと聞いて考えた。
……それを今から、言うんだ。
私は目を閉じ、深く息を吸い込む。
「…わ、……たし、は、…………ほんと…うは、……たしも、…………あなた…と、と友達…に、…なりたい……」
一息で全部言うつもりだったのに、途中で酸素が足りなくなって、何度も言葉が途切れてしまう。
さらには、声は震えていて、自分でもなんて言ったか分からないほどだった。
……それなのに、彼女には私の言葉がちゃんと伝わったようだった。
「じゃあ、わたしたちはこれで友達だね。わたしはチャコウラナメクジ。チャコちゃんって呼んでくれると嬉しいな」
「…わ…た………ぅ…」
私も自己紹介をしようとしたけど、上手く声が出せない。
それどころか、声のかわりに涙が溢れてくる始末だ。
……私は、泣いてしまっていた。
「わ!…ご、ごめん!……わたし、何かしちゃった…?!……あ…きみ、怪我してる。…もしかして痛むの?」
「い……が…ぁ………」
違う。
あなたのせいじゃない。
傷だって、もう痛まない。
そう言いたいのに…言えない。
声を出そうと開けた口から、大量の涙が入ってくる。
……不味い、泣きたい。
そんな私のあまりの取り乱しっぷりを見かねたゴイシシジミが、助け舟を出してくれた。
「えっとね……多分、あなたのせいじゃないと思うの」
「…本当?」
「ええ。ササコは…あ、この子はササコっていうの。ササコはきっとね、嬉しくて泣いてるのよ」
「ササコちゃん、本当なの? …足も痛くないの?」
ゴイシシジミの言葉を聞いたチャコちゃんは、私に最終確認のための質問をした。
自分でもどうして泣いているのか分からない。
でも、せっかくゴイシシジミが助けてくれたのだから、私は黙って頷くことにした。
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私が泣き止んだのは、あれからしばらく時間がたった後の事だった。
私が気づくとそこは知らない場所。
隣にいたゴイシシジミに、今いる場所について尋ねると、新しい寝床とのことだった。
彼女に聞いた話によるとあの後、私たちがチャコちゃんと別れた後も、私はずっと泣いていたのだという。
そして、ゴイシシジミはいつまでも泣き止まない私の手を引いて、ここまで歩いてきた。
…でも私にはその間の記憶が全然なかった。
まるで眠っている間の事のように頭からすっぽりと抜け落ちてしまっている。
「それにしても……」
ゴイシシジミは少し口を尖らせる。
そして、不貞腐れたように言った。
「私の時はあんなに嫌がってたのに、今度はあっさりと受け入れるのね?」
「なんですか、それ。元はと言えば、ゴイシシジミさんが無理やり引っ張っていったんじゃないですか。それに……」
あっさり、なんて言われてしまうとなんだか釈然としない。
だから私も少し口を尖らせて言った。
「私たちが初めてあった日。…あの時自分が何を言ったか、よく思い出してください」
「あはは……やっぱりあれは微妙だったかしら。」
ゴイシシジミはそう言って目を細めた。
「本当はね? あの時、…私はあなたにこう言うつもりだったの……」
彼女は口元を少し緩める。
…そして、そのまま犬歯を見せるようにゆっくりと口を開く。
私は、生まれて初めて見るその妖しい表情に思わず息を飲んだ。
「今すぐお前を食い殺してやるぞーって!!」
次の瞬間、彼女はバッと両手を大きく広げて、私に襲いかかる動作をした!
…が、全く迫力がない。
「もうその手には乗りませんよ?」
私がそう言うと、ゴイシシジミは「なーんだ」と言って少し残念そうな顔をした。
なんだとはなんだ、なんなんだ?
…四六時中ずっと一緒にいるのに、彼女の考えていることがよく分からない。
たまに猟奇的なことを言ったと思えば、それを聞いた私の反応に何かを期待する。
……もしかして、これが彼女なりのコミュニケーションだったり?
もしそうだとしたら、たまには乗ってあげるべき…なのかな?
「心配?」
私が少し考え込んでいると、突然ゴイシシジミが何か声をかけてきた。
えっと、心配って……まあ、心配かな。
……それって、何が?
彼女は一体、どういう意味合いでその言葉を口にしたのだろう。
……『 本当に食べられちゃわないか、心配? 』
と、そんなところだろうか…?
大まかな予想を立ててみたけど、どうもしっくり来ない。
「大丈夫よ。もしもあなたが死んじゃっても、…あの子はきっと大丈夫。ここの子達はそんなにヤワじゃないからね。どんなに悲しくても、ちゃんと前を向いて歩いて行ける強さをみんなが持っているの」
私が質問に答えるよりも早く、彼女はその言葉を口にした。
そこでようやくあの質問の意味が分かる。
どうやら彼女は、私の絶命後に残されたチャコちゃんの心配を、私がしていると思ったようだった。
すると、つまり……。
彼女は私の話を理解した上であのような行動に及んだ。
そして今私の話を蒸し返して、お説教を完成させた?
…となると、これもまたゴイシシジミの思惑通りということになってしまう。
……やっぱり、納得いかない。
彼女の言葉に上手く言いくるまれない。
だから私は、こちらも彼女の言っていた言葉を蒸し返して反論をしてみることにした。
「それも…誰かを傷つけていい理由にはなりませんよね…?」
私は別に、彼女の意見を否定したいわけじゃない。
にもかかわらず、こんな揚げ足取りをしてしまったのは、どうしても納得しきれない自分への確実な答えが欲しかったからだ。
私は、彼女ならその答えを導いてくれるのではないかといった、漠然とした信頼のようなものを抱いていた。
……しかし、私が意見するとゴイシシジミは「それもそうね」と言ってこちらの反論をあっさりと認めてしまった。
…拍子抜けだ。
私は彼女に、無理な期待をしてしまっていたのかもしれない。
そう…思った時だった。
私は自分の視線が、ゴイシシジミの顔に釘付けになってしまっていたのに気づいた。
それは、またもや初めて見る表情。
彼女の白い顔には、…不敵な笑みが浮かべられていた。
…これは間違いなく勝利を確信した笑いだ。
ゴイシシジミはその表情を崩さずに、その鋭利な言葉を口にする。
「でも、これであなたは簡単には死ねなくなったわね?」
……完敗だった。
彼女は私の心をよく理解した上で、ここまで計算していたのかもしれない。
「それがあなたの狙いですか…?」
「さぁて、なんのことかしら?」
ゴイシシジミはそう言ってはぐらかす。
そんな彼女の涼やかな目を見ながら私は、彼女には敵わないなあと思ったのだった。