目を開けるとそこは、真っ暗闇の中だった。
何も見えない。
地面も空も、…何も無い。
それに自分の姿だって、ぼんやりとしていてよく分からない。
もし今この状況でセルリアンにでも襲われようものなら、何が何だか分からないうちに、私は殺されてしまうのだろう。
そんな危機的状況にありながらも、私の心は落ち着いていた。
不思議と怖さを感じないのだ。
「?」
ここはどこなのだろう。
辺りを見回しても、やはり何も見えない。
私はとりあえず、自分が立っている?ここを地面とし、歩いて行くことにした。
ピチャン、ピチャン…
足を踏み出すと、何やら水音のようなものが聞こえた。
どうやらここら辺は水溜まりになっていて、私はその上に立っている、ということらしい。
ピチャン、ピチャン……
「……?」
歩き出してから数歩で、水たまりを踏む感触が無くなった。
それなのに、水音だけが未だに聞こえている。
私は一瞬だけ立ち止まり、水音の正体について考えようとしたが、やっぱりやめておくことにした。
今は考えるよりも足を動かすべきだと思ったから。
……でも本当は、立ち止まっても聞こえ続ける水音から、目を背けたかっただけなのかもしれない。
ピチャン、ピチャン……
私は歩く。
ただひたすらに。
わけも分からず。
足の痛みなど忘れて、歩く。
そうしてしばらく歩いていると、遠くの方から誰かの声が聞こえた気がした。
私はその声を探してよく耳を澄ませる。
すると、今度は少しはっきりと聞こえた。
声は確かに存在している。
そして、その声は泣いているみたいだった。
その事に気づいた私は、歩くのをやめて走り出した。
私は泣き声の聞こえる方へと走る。
地面を強く蹴る程に、水音もまた強く、ハッキリと聞こえるようになる。
粗くなった水音がベシャベシャと耳にうるさいが、そんなことはどうでもいい。
今はただ、一刻も早くあの子の所へと行かなくてはならないのだ。
私はより一層、足に力を込めた。
速く、もっと速く…!
この声が消えてしまう前に。
私の存在が消えてしまう前に。
私は必死になって走った。
呼吸は止まり、足がもげてしまいそうだった。
それでも走った。
そして、ついに私は声の主の元へたどり着いたのだ。
よかった、ちゃんといてくれた。
私は、暗闇に座り込み一人泣いている少女に歩み寄る。
そして彼女をそっと抱きしめた。
すると少女は驚いたのか、ビクッと体を震わせた。
「大丈夫ですよ」
私は、安心させようと彼女の頭をやさしく撫でた。
しかしこれだけでは、彼女を安心させるには足りないらしい。
暗闇に怯え続ける少女が見ていられなくて、私は嘘をついた。
「私はあなたを助けに来たんです。だから一緒に行きましょう。」
私がそう言うと、少女は手で涙を拭って、こちらの顔をまじまじと見つめた。
私が彼女の顔をよく見えないように、彼女にも私の顔はちゃんと見えてはいなかっただろう。
それでも私は彼女に微笑みかけた。
「…ほら、立って」
私は立ち上がり、いつまでも無言でこちらを見つめる少女に手を差し出した。
すると、彼女はおずおずと手を伸ばし、私の手に重ねる。
確かな感触を感じた私は、その手をぎゅっと握りそのまま一気に引っ張りあげた。
…少女は私が思ったよりもずっと軽かった。
必要以上の力で引っ張ってしまったため、彼女は立ち上がった後もまだ勢いを残していた。
そして勢いそのままにこちらに倒れ込んで来る。
ぽすっ
彼女は軽かったので、私でも易々と受け止めることが出来た。
……なんだか既知感を感じる。
こんなことが前にもあったような……。
私は過去の記憶を辿るべく、目を閉じ視覚情報を遮断した。
……でも、そんな行為に意味などなかった。
何も思い出せない。
こんな真っ暗闇の中で目を閉じたって、不安感を増長させるだけだ。
いくら探したって、過去なんて見つからない。
…それもそのはず。
だって、ここには暗闇しか無いのだから。
「……行くわよ」
私は、私の胸に顔をうずめたまま動かない少女の肩を掴んで、そっと引き離す。
そして彼女に背を向けて歩き出した。
すると少女は直ぐに追いついてきて、私の腕を取った。
「えっと、……これ、なんですか?」
「……」
彼女は無言のまま、私の腕にしがみついて離そうとしない。
こんな所にずっと一人でいたから、心細かったのだろうか。
何も見えない暗闇の中で、たった一人…。
そんな時に、偶然言葉の通じるフレンズが通りがかったのだから、さぞや安心したことだろう。
かくいう私も、彼女のおかげで平静を保っていられるのだが……。
ピチャン……ピチャン……
本来一人で歩くことになっていたはずの道を、二人で歩く。
ピチャン、ピチャン……
一人でいようと、二人でいようと、水音は変わらない。
常に一定の間隔で滴り落ちる。
ピチャン、ピチャン……
私がこの断続的なリズムに苛立ちを感じ始めた頃、ようやく視界に変化が現れた。
遠くの方に、微かに光が見えたのだ。
「ほら、見て」
私がそう言うと、今までうつむいたままだった少女が顔を上げた。
……そして、次の瞬間、私の腕が解放された。
彼女が私の手を離したのだ。
それまで私の少し後ろを歩いていた彼女だったが、いつの間にか私を追い越してずっと先を歩いていた。
「……あ、ちょっと待ってください」
私は彼女を呼び止めようと声をかけた。
しかし、こちらの声が聞こえていないのか、彼女が足を止める気配はない。
私は慌てて彼女に追いつこうと走り出した。
ベシャッ、バシャッ、グチャッ
私は走っていて、彼女は歩いている。
……なのに、彼女との距離がちっとも縮まらない。
「まって!!」
私がいくら叫ぼうが、彼女は後ろを振り返りすらしない。
…もしかしたら、最初から私の声など届いていなかったのかもしれない。
「待っテくらサい! イカナイデ……わたシヲ…ヒトリイヒハイエ……」
なんだか呂律が回らない。
彼女を呼び止める言葉を吐いたつもりだったが、私の声は形をなさない。
……でも、だからといって私は残念に思ったりはしない。
だって、私が呼び止めたかった彼女はもう、光の向こうに消えていってしまっていたから。
「……」
呆然と立ち尽くす。
彼女は私のことを、真に必要とはしていなかったみたいだ。
単に私が勘違いしていただけ…。
足の痛みが全身に広がってゆく。
「もう…いいか」
ピチャン……ピチャン……ズル…ベチャンッ!
ひときわ大きな水音。
音が聞こえた方を見て、ようやく水音の意味を理解した。
私が、水音になっていたのだ。
…そして、今度は腕が腐り落ちてしまったようだ。
……光に近づきすぎた。
身を焦がすほどの、毒々しい七色の光線。
その虹色の光に包まれて、私の体がドロドロに融けてしまう。
痛みはない。
なぜなら、痛みを理解するための頭は、…もうとっくに、失われていたのだから。
もう、私はだめだろう。
薄れゆく意識の中で、私は最期に、既に無い頭が覚えていたであろう名前を、とうに消えてしまった口で呟いた。
「ゴイシシジミさん……」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……ぅあ」
視界が……ぼんやりとしている。
意識も。
私は確か、……死んで…。
でも、いま……??
両手で顔をぺたぺたと触ってみる。
……ちゃんとある。
頭も、腕もなくなったりはしてない。
それらの確認が済んで、ようやくぼんやりとしていた意識がはっきりとしてきた。
今なら分かる。
さっきまでのは紛れもなく……
「……ゆ…め?」
そうだ、夢だ。
あんなのは全部、酷い悪夢だ。
「わらし、ねちゃってたんだぁ……」
ゴイシシジミの用事とやらが終わるのを待っているうちに、眠くなって……そのまま……うん。
私は木陰から這い出て空を見上げた。
現在の太陽の位置から推測するに、私が眠っていたのはほんの少しの間だけだと思う。
そんなちょっとした微睡み程度の時間であんな悪夢を見てしまうとは、なんて運が悪い。
あるいは、運なんて不確かなものではなく、他に明確な原因があるのかもしれない。
そして私は、その原因に心当たりがあった。
それはゴイシシジミのこと。
ここのところ、彼女の私への態度が素っ気ない。
前は鬱陶しいくらいだったのに、
最近では彼女の口数が極端に減り、代わりに思いつめたような顔を見せるようになった。
こちらから話しかけても、心ここに在らずといった様子で、以前にまして話す価値がない。
「やっぱり、あれのせい…?」
私には、ゴイシシジミの元気がないことの原因にも心当たりがある。
それは2日前のことだ。
ゴイシシジミが他のフレンズと何やら言い合いをしていた。
話の内容までは聞こえなかったが、二人の表情から察するに、決して楽しい話ではないことが分かった。
その後話を終えて戻ってきたゴイシシジミは、疲れたから寝るとかなんとか言ったっきり、一言も喋らずに、本当にそのまま寝てしまったのだ。
……それからだ。
彼女の表情に度々陰りが見えるようになったのは。
あの時何の話をしていたのかを彼女に訊こうと何度も思ったが、それは今日の今日まで果たせなかった。
それを聞いてしまったら、何かが変わってしまう気がしたから聞けなかった。
……でも、何も訊かなくたって、確実に何かは変わってしまっている。
もう、だめなのかな?
……夢で見たみたいに、…離れていっちゃうのかな。
「しょうがない……のかな」
こんなにも弱気になってしまうのは、きっとこの傷のせいだ。
私の弱さの証は、日に日に深く鋭くなってきている。
私は右足の傷に目を落とす。
「…………」
表面が深く抉れてしまっている。
それは、指が4本入ってしまうほどまでに広がってしまっていた。
こんなにも痛々しい傷なのに、血は一滴も流れない。
そして……。
私は、どうにかこの足を蔽うのに丁度いいものが何かないかと、辺りを見回したが、それらしきものは何もない。
私は膝を抱えて、俯きがちに小さくため息をついた。
…そんな時だった。
ゴイシシジミがくれたマフラーが目に入った。
「ああ、これ……」
私は少し思案してから、それを首から引き離し、足に巻いてみることにした。
……長さも幅もピッタリだった。
せっかくゴイシシジミがくれたものをこんな形で使うのは、なんだか気が引けるけど、仕方がない。
こんなものが露出していては、気になって会話もままならないだろうから。
もっとも、今の彼女には私のことなど見えてはいないかもしれないけれど……。
「…………これでよし」
ひと仕事終えた私は、また空を見上げた。
太陽の位置はさっき見た時とさほど変わってない。
「遅いな……」
体がなんだかだるい。
それに熱っぽい。
風邪でもひいたかな。
……このまま死んじゃうのかな。
さっきから、ろくな思考が出来ない。
一人でいることが、ここまで心細いものだとは思わなかった。
これも、……あの夢のせいだ。
「……いこう」
このままゴイシシジミの帰りを待っていても、思考がどんどん後ろ向きになってしまう。
だから探しに行こう。
私は、ぼやける目を両手で擦り、膝に手をつく。
「よっ!とと……」
ただ立ち上がるだけでも、寝起きの私には辛い。
上手く立てなかった私は、よろよろと木に寄りかかってしまった。
ふと、そんな私の一連の動きを客観的に見た景色を想像してしまう。
そのあまりにも滑稽な姿がなんだかおかしくて、私は苦笑した。
やがて体勢を立て直し、最初の一歩を踏み出そうとした時、私はその一歩の重さを知り、大きく落胆した。
もう、一歩も歩けそうにないのだ。
額にはたまのような汗が浮かび、息が荒くなる。
足はガクガクと震え、立っているだけでもやっとだった。
「…なん…で……?」
その気になればいつでも会いに行ける気でいた。
だからだろうか…?
今それが出来ないと分かった瞬間から、孤独が怖くてしょうがない。
怖くて、悔しくて、泣いてしまいそうになる。
……そんな時だった。
ゴイシシジミの声が聞こえた。
「……ササコ」
幻聴なんかじゃない。
私がずっと会いたかった人が、そこに……。
視界はぼやけきっていて、彼女の表情は分からないけど、きっとやさしく微笑みかけてくれているはず…。
今すぐ彼女の胸に飛び込みたい。
……でも、それは出来そうになかった。
「……私たち、もうお別れしましょうか」
「……………………へ?」
突然彼女から突きつけられた言葉は、あまりにも鋭いくて…。
私が何度も口にしてきたような拒絶で、私の心を深く抉る。
それはまるで、使い古してボロボロになって、切れ味の落ちたナイフのような言葉だった。
刃が欠けていても、ナイフはナイフ。
私みたいなやつを殺してしまうにはそれで十分だ。
「ぁ…あはは、そんな急に……どう…しちゃったんですか?」
私の世界が崩れていく。
視界が歪む。
…もう、立っていられない。
大きく視界がぐらついて、その次の瞬間には……世界が終わっていた。
本当はもうちょっと続くんですが、その続きに少し手こずってまして……
この続きは8話と言うことにしてあげることにしました
ササコの夢で、本当はイシちゃんを必要としているのに近くには居続けられない悲しさがその直後とリンクしてて巧いと思いました
突き放すような言動をとってきたササコが、逆に突き放されることで、これまでの不器用さを払拭するかそれに繋がるといいなとも思いました
次回も楽しみです!
コメントありがとうございます!
実を言うと、あなたの感想を読んで初めて「なるほど、これはそういう事だったのかー」と気付かされることがよくあります
自分で書いていても気づかなかったような彼女達の一面を、こうして知ることが出来て嬉しいです
次回も頑張ります!!