鉛色の空の下、二人の少女が見つめ合う。
仰向けになった少女が見るのは、淡く輝く琥珀色の瞳。
その上に覆いかぶさる少女の目に映るのは、深く透き通る黒い瞳。
二人はお互いに目を合わせて、決して視線をそらそうとはしない。
「……ササコ…?」
黒い瞳の少女が恐る恐る呼びかけた。
「……」
琥珀色の少女は応えない。
彼女は無言のままゆっくりと目を細めると、口元を歪めて笑った。
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「ここをこうして……」
「こう、ですか?」
「あっ、そこじゃないわ」
「えっと…じゃあ、こっち?」
「そうそう……ああ、そんなに強く引っ張っちゃダメよ」
「すみません…」
「いいのよ。だけど今度はもう少しやさしく、ね」
「やさしく……」
今私は、イシちゃんに教わりながら、何かを作っている。
材料は白い花。
長い茎の先端に小さな花がたくさん付いている、変わった形をした花だ。
イシちゃんは確か……シロツメクサとか言っていたと思う。
……あれ?
この花の名前を思い出して、ひとつの疑問が浮かんだ。
もしかするとこれは、花じゃなくて……草なのでは?。
「どうしたの?」
私の手が止まっていることに気づいたイシちゃんが、心配そうに聞いてきた。
この花が本当に花なのかを、彼女に訊いてみようか……?
……。
……やめておこう。
私は、さっきまで抱いていたちょっとした疑問を飲み込むことにした。
それを聞いたところで、きっと答えてはくれないから。
今のイシちゃんは、なんだか意地悪なのだ。
私が何を作っているのかを訊ねても、「内緒」と言って教えてくれない。
「いえ、なんでもないです」
私がキッパリと言うと、イシちゃんは「そう?」と訝しげに言った。
今振り返れば、彼女のいかにも訝しげといった顔が見れるのだろうけど、今はとりあえず我慢しておくことにする。
……それにしても、私は一体何を作らされているのだろう?
「こんな感じですか?」
「うん、いいわね。あとはそれを繰り返して……」
イシちゃんはそう言うと、私の手元の作りかけに、スっと手を伸ばしてきた。
その手には一本のシロツメクサが握られていて、それをぎこちない手つきで作りかけに巻き付けていく。
不意に、彼女の細い指が私の手の甲に触れた。
これ、なんだか…くすぐったい。
「あ、あの……」
「んー?」
私はイシちゃんに抗議をすべく、振り返ろうとした。
しかし、それは出来そうになかった。
というか不可能だった。
私が文句を言うべき相手は今、私の左肩に顎を置いてしまっていて、背中からは彼女の鼓動が伝わってくる。
……それらが意味するのは、私とイシちゃんの距離が物理的にとても近いということだ。
それは、お互いの吐息が聞こえる程に近い距離。
……。
……つまり、つまり、……比較的客観的倫理的合理的に見て…このまま振り返るのは、すごくすごくまずいことなのだ。
…………。
私が今ここで振り返ることによって起こりうるコト。
それは……。
……刺さる。
私のツノが!
イシちゃんの側頭部に!
それもかなりの確率で!!
……はぁ。
私のテンションがどこかおかしくなっている気がするのは、…多分気の所為では無いだろう。
そうだ、イシちゃんの所為だ。
……。
自分でも分かっている。
別に振り返らずとも、一言文句を言うことくらいはできることを。
なのに私はそれを実行していない。
だから、このなんとも言えない感情の原因は私にもあるのだ。
……というかむしろ私の感情なんだから、大体私が悪い。
結局私は、イシちゃんに文句を言うのを諦め、黙って耐えることにした。
私の中で渦巻いている、この正体不明の感情の説明をするよりも、このまま何もしない方がきっと早く終わる。
私は目を閉じ、この色んな意味でのくすぐったさに耐える姿勢に入った。
失われる視覚情報。
研ぎ澄まされるいくつかの感覚。
増幅される……くすぐったさ。
どうせすぐに終わる。
だから我慢……。
我慢……がまん……。
心の中でそう何度も唱える。
こんなものでも、気休めにはなるはず…。
こうして何かに集中していればぁ…………あ! ほら、終わっ……ん?
一度は離れたくすぐられるような感覚が戻ってきた。
私は、嫌な予感がして目を恐る恐る開けた。
「ふんふんふーん♪」
「ぁ……」
私の目に飛び込んできたのはさっきと全く同じ光景。
瞼が上がりきる前に見えてしまった、非情な現実。
イシちゃんの手には一本のシロツメクサが握られていて、それをぎこちない手つきで作りかけに巻き付けている。
……同じ動作で、同じ不器用さで。
さっきと違う点をあげるとするならば、私の持つ作りかけが、シロツメクサ一本分だけ華やかになっていたこと(勘違いじゃないことを願わずにはいられない)くらいだ。
……いや、もう一つだけあった。
草が一本増えたとか減ったとかそんな不確かなものでは無い、明らかな違いが。
「ふふんふんふふーん♪」
「た、楽しそうですね……」
「ええ、とっても楽しいわよ?」
イシちゃんはそう言うと、心底楽しそうに笑った。
うぅ……私は今それどころじゃないのに…。
そんなふうに笑われては、全部許してしまいそうになる。
「ふふんふふふふーん♪」
イシちゃんは少しの間手を止めていたが、私の二の句が無いのを確認すると、また鼻歌交じりに作業を再開した。
こんなにも楽しそうな彼女の邪魔をするのはとても忍びない。
だが、そんなことを気にしている余裕が私に無いのは確かだ。
やはりここはなにか一言言ってやらねば。
「あの!」
「なぁに?」
返事はすぐに返ってきた。
それはもう、瞬間的に。
私から声をかけられるのを待っていたと言わんばかりの素早い応答。
それに驚いた私は、咄嗟に言うつもりだった言葉を飲み込んでしまった。
今から新しく言葉を紡ぎ出すことも出来ず……
「なんでもない、です」
私は渋々直前の発言を取り消したのだった。
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「なんですか、その輪っかは」
私はちょっとムスッとして言った。
するとイシちゃんは、ちょっとだけ不機嫌な私とは対照的に、ご機嫌な様子で笑った。
「これはねぇ……」
イシちゃんはゆっくりとした動作で、シロツメクサの輪っかを天高く掲げると、そのままそれをこちらに向けて振り下ろす。
スポッ
「……え?」
何も見えない。
私の視界が唐突に奪われた。
「クク……」
どこからともなく笑いを堪えるような声が聞こえる。
「これは、……目隠し?」
「クク…ふふふ……」
私が思ったことをそのまま口にすると、笑いを堪えるような声がただの笑い声になった。
これは間違いなくイシちゃんの声だ。
もしかして私はからかわれているのでは?
私が困惑している間も笑い声は止まらない。
止まる気配がない。
「なんですかこれはぁ!?」
「ふ、…ごめん…ね。ふふっ」
イシちゃんは笑い半分で謝ると、頭の輪っかを外してくれた。
ようやく戻った視界には、やはり楽しそうに笑う少女の姿があった。
そんな彼女を見ていると、なんだか怒る気も失せてしまう。
「それで、なんですかこれ?」
「これはね」
イシちゃんは輪っかから数本のシロツメクサを抜くと、先程よりも一回り小さな輪を作った。
そして、もう一度私の頭に被せようとしてくる。
一瞬、頭を動かして避けるという考えも浮かんだが、彼女の表情からは悪意が感じられなかったので、私はそのまま受け入れることにした。
……。
頭に再び被せられたそれは、先程のように私の視界を奪ったりはしなかった。
「花かんむりっていうのよ」
イシちゃんが言った。
花かんむり。
私はその名前に心当たりがある。
「それって、王様とかが頭に乗っけているアレですか?」
「うーん……コレはどっちかと言うと、お姫様っぽいわね」
「お姫様……」
「そう、お姫様。とっても似合ってるわよ?」
私は頭の花かんむりを取り、イシちゃんに差し出した。
「私よりあなたの方が似合うと思います。なので、これは……」
「ダメよ、それはあなたのものだからね。……でもどうしてもって言うなら、貰ってあげてもいいわよ」
イシちゃんはさらに言葉を続ける。
「ただし、それはあなたが別の花かんむりを用意出来たらの話よ」
イシちゃんはそう言うと、数本のシロツメクサを差し出してくる。
私がそれをおずおずと受け取ると、彼女は満足気に目を細めた。
そしてその表情のままその場にしゃがみ、手のひらで地面をポンポンと叩いた。
そこに座れと言うことだろうか?
少し考えて、今立っているこの場に座ることにした。
私が腰を下ろすのと入れ違いに、しゃがんでいたイシちゃんが立ち上がる。
そして、何事も無かったかのようにこちらまで歩いてくると、私の背後に座った。
「なんですか?」
「ふふん、教えてあげるわ」
「いや、でもさっき……」
「うん?」
教えるも何も、ついさっき間近で作るのを見ていたので、花かんむりの作り方は知っている。
「大体の要領はつかめたので、もう一人で出来ます」
私がそう言うと、イシちゃんは「そう?」と残念そうに言って、私の手元に視線を落とした。
「……じゃあ、見てるだけ」
「まあ、見てるだけなら……」
私は花かんむりを作り始めた。
たしか、…最初は二本だけ持って……。
「じー……」
そこに別の一本を巻き付ける。
「じぃぃー……」
「む……」
あとはこれを繰り返して……。
「じぃぃー……!」
「見すぎです」
「気のせいよ」
「そう…ですか?」
「じっ!」
「もう! あなたはそこの木陰でお昼寝でもしててください!」
「え〜? でも私、眠くなんてないわ」
「むー……」
私はイシちゃんの目をじっと見て、無言の圧力をかける。
「ま、まあそうね。ちょっとは眠いかもしれないわね」
イシちゃんが視線を逸らして言った。
もうひと押しだ。
「じぃー……」
「……分かったわ」
イシちゃんはそう言って私から離れると、木陰に向かってとぼとぼと歩き出した。
途中、名残惜しそうに何度も振り返る。
……ちょっと悪いことをしたかもしれない。
「分からなくなったら呼んでね」
少し遠くからイシちゃんが言う。
これが終わったら、存分に構われあげよう。
そして、彼女の好きな遊びに付き合うんだ。
私は来るはずの無い未来に思いを馳せる。
そうと決まれば、これを手早く完成させてしまおう。
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数分後
「とはいったものの……」
私は花かんむりを作る手を止めてしまっていた。
半分くらいを作り終えた所で、なんだか眠くなってきたのだ。
眠たい目をこすり、空を見上げる。
それで少しは目が覚めるだろうと思っての行動だったが、未だ私のまぶたは重い。
…………。
青く澄み渡る空は、どこまでも高くて。なんだか寂しい気持ちになる。
私は空に手を伸ばした。
決して届くことがないのは分かっている。
それでも私は……。
「静かだな……」
ふと思い立って振り返ってみると、イシちゃんは横になって目をつぶっている。
どうやら寝ているようだった。
眠たくないとか言ってたの。
仕方なく作業を再開したが、あまり捗らない。
「お姫様か……」
ふと、イシちゃんの言葉を思い出した。
花かんむりが、お姫様が身につけるようなものなら、それを被ったイシちゃんはさぞや綺麗なんだろうな。
そう思った私は、後の楽しみを損ねない程度にぼんやりと想像してみることにした。
白い肌に、緩くウェーブのかかった綺麗な髪。
瞳は深い黒色をしていて、イシちゃんの雪のように白い肌を際立てている。
そんな彼女が身に纏うひらひらも、調律の取れた白と黒で色づいている。
それだけでも十分すぎるほどに綺麗なのに、花の輪っかをかぶせたりしたら、かえって邪魔にならないだろうか…?
少し心配だが、物は試しという。
私は完成した花かんむりを、イシちゃんの頭にそっとかぶせる。
……。
すると……そこには、お姫様がいた。
一度も見たことはないが、イシちゃんは私の想像の中のお姫様そのものだった。
イシちゃんがお姫様なら私は……騎士?
うーん……私につとまるかな?
だってそんなに強くないし、かっこよくもないしな……。
騎士がダメなら……
……王子様…とか。
・・・
そんなのもっとダメだ。
私じゃイシちゃんと全然釣り合う気がしない。
でも……いいなあ、王子様。
…………。
ううん、別に王子様じゃなくたって、ただ一緒にいられればなんだっていいんだ。
たとえ一般兵だって構わない。
むしろ私らしいとも言えるし。
イシちゃんの唯一無二に慣れないのは残念だけど、彼女を守って死ねるのならそれで……。
「……あれ?」
素敵な想像していたつもりが、いつの間にか変な妄想をして、勝手に落ち込んで……。
挙句の果てに、これは……涙?
……。
「よしっ」
私はもう一度、眠たい目をこすった。
まぶたは重いままだ。
早く作らないと。
そんなに難しい事じゃないはず。
イシちゃんなんか、ほとんど片手だけで完成させたんだ。
だから、私にだってできるはずなんだ。
一本、もう一本とシロツメクサを絡めていく。
段々と動悸が激しくなる。
「もう少し……」
あとは、最後の仕上げ。
輪っかを作って……。
……ダメだ。
「…………」
白い花のかんむりモドキは赤く汚れてしまった。
せっかくここまで紡いできたのに、全部台無しだ。
せっかく、頑張って作ったのにな。
こんなの被せちゃったら、イシちゃんは怒るかな。
「ご…め……」
急に息苦しくなって、出かかっていた言葉が掠れて消えてしまった。
お腹に違和感。
違和感の正体を手を当てて確かめようとしたけど、それは途中で遮られた。
何かに触れたのだ。
本来そこに無いはずの何かに。
不思議に思い、私はぼんやりと視線を落とした。
……え?
鋭利な赤色が突き出していた。
まるで、土の上に花が咲くみたいに。
あ、そういえば私のお腹も土の色と似てるな……。
ふと、そんなことを思った。
でもこれは花じゃない。だったらなんだろう?
よく見てみようと屈もうとしたが、上手く屈めない。
違和感と痛みが強くなるばかりで、体はちっとも曲がらない。
痛み……?
私が当然の疑問を浮かべたところで、突然花のような何かがずいっと茎を伸ばした。
これならよく見える。うん。
私は、何だか焦点の定まらない目でそれをまじまじと見つめる。
赤くて、尖っている。
それを見て、私はなあんだと思った。
それは私がよく知る形だったから。
もっとも、私が知っているそれは赤くなんかなかったけど。
疑問がひとつ晴れて私がほっとしたのもつかの間、大きな疑問が残されていることに気づく。
どうして私のお腹にナイフが刺さっているの……?
考えたところで分かるはずがない。
なぜなら、いつの間にか、気づいたら刺さっていたのだ。
さっきまで*****を作っていたのに。
お腹に***が刺さって気づかない訳が無い。
こんなに痛いのだから絶対に気づく。
でも、これって…………え?
何が起きているのか分からなくて、イシちゃんの方を見る。
だが、答えは得られなかった。
彼女は口元を不気味に歪ませるだけだ。
いつか見たあの表情。
恐ろしい程に色の無い、あの顔。
だけどその顔もすぐに掠れて消えていく。
……。
今では、あの無色透明な色でさえも恋しい。
前半と後半で文体がかなり違うのは、書いた時期が違うからです
一応直そうとはしたのですが、直そうとするほど変な感じになってしまって……
結局そのままで上げています。
原っぱで花冠作り……ゆっくりと時間が流れている………
もう、イシちゃんのことを思うと涙が出るほど別れたくなくなってきちゃったんですね……
と、いう夢から覚めそうなほどの衝撃が………
これこそ夢だと思いたい………夢であってくれっ………
最後の文で一気に一話の雰囲気に近くなってるように感じました👍
この段階でもう既に、ササコはイシちゃんのことを本当に大切に思っているんですよね
いつの間にか呼び方も変わっていたりして、色々と違和感を覚えたかもしれません
でも、今はそれでいいのです。ちょっとくらいもやもやっとしてた方が、次回からの展開を受け入れやすくなる……はず……だといいな、です
ササコの身に起こったことについて
後半の脈絡のない不自然な展開を見るに、全てを現実ととらえるのは難しいかもしれませんね
最後の一分は一話を投稿した当時から考えていたものでして……
これはいつか絶対に入れよう、と思っていたので、そこに注目してもらったのは結構嬉しかったりします
あ!もちろん、コメントを頂けること自体がありがたき幸せです
感謝してます!
*致命的なネタバレは避けているつもりですが、あんさん喋りすぎやでという場合は遠慮なく「ネタバレやめれ!」とおっしゃってください。自嘲しますので