最近何だかおかしい。私は今現在、ひとつの悩みを抱えていた。
ここのところ、気づけばササコのことを目で追っている。
それは以前と変わらないようにも思うけど、今はどういう訳か彼女のことが愛おしくてたまらないのだ。
もちろんササコのことは前から好きだった。
でも今はこれまでの比にならないくらいに好きすぎてしまう。
……彼女のことを考えていると、どこか言語能力が怪しくなる。
どうして急にこんな感情を抱くようになったのかは分からない。
だけど、彼女のどこが好きかと聞かれて安直な返答をしてしまうくらいには、ササコが好きだ。
そんな具体性の無い答えではこの気持ちが伝わらないというのなら、私が思う彼女の好きな所をひとつずつ列挙してもいい。
私は目を閉じ、大好きな友人に思いを馳せる。
「…………」
……優しいところが好き。私みたいな子にも優しく接してしまうような迂闊さも含めて好ましく思う。見かけによらず力強いところも好き。まさかあんなに強そうなセルリアンを、たった一人で倒せてしまうなんて。急に彼女にかっこよさを感じるようになってしまった。強くてかっこいい。……好き。だけど彼女の強いところはそれだけじゃなくって。肉体を凌駕する心の強さ。恐怖を感じながらも恐ろしい存在に立ち向かうことは、きっと誰にでもできる訳じゃない。自分が持っていないものを持っていると言うだけでも、惹かれてしまうものなのだと思う、と一人で納得する。やっぱりササコはかっこいい。こんなにもかっこいいのに、かわいさも兼ね備えているなんて……。まるっこい目元は変につり上がってたりしないし、瞳の色は透き通った琥珀色で宝石みたい。それに、繊細そうな唇の奥には尖った牙も見えない。さらには、真っ白な髪はさらさらのもふもふふわふわで、世界に二つとない髪質に違いないと思えるくらい綺麗だ。ちゃんとした服さえ着せれば、きっとどこかのお姫様と間違えてしまうに違いない。
「好き……大好きぃ……」
「……あの、大丈夫ですか……?」
「わひゃぁっ! ……な、なに?」
突然声をかけられて、飛び上がってしまう。
顔を上げるとササコがいた。
今の私に声をかけるのは彼女くらいのものだけど。
だけど、今は、このタイミングで話しかけられるなんて考えもしなかった。
彼女の顔を見た瞬間、そして私に話しかけたのがササコだと認識した時、私の心臓が二度大きく跳ねた。
「す、すみません。なんだかぼーっとしていたみたいだったので。あと顔もいつもより少し赤いような……熱でもあるのではないですか?」
ササコが心配そうに言った。
私は何とか心を落ち着けて、思考を巡らせる。
出来ることなら、愛しい声が紡ぐ言の葉のひとつひとつを。そしてその裏にある彼女の心の全てを理解したい。
だけど私に出来るのは、彼女の思いを乗せた言葉を正面から受け止めることくらいだ。
叶わない願いは早々に諦め、改めてササコの言葉に向き合う。
"「なんだかぼーっとしていたみたいだったので」"
ぼーっとして見えたのは、きっとササコのことを考えていたから。
意識の一番深いところで、脇目も振らず、危機管理をも怠って。
彼女のことだけを考えてた。
"「あと顔もいつもより少し赤いような……熱でもあるのではないですか?」"
言われてみれば、なんだか顔が熱い気がする。
あるのかな、熱。熱……あるのかもしれない。
そう曖昧に考えていると、ふとあることに気づいた。
ササコは私の顔を見て、いつもより赤いと言った。
それを聞いた時、私は焦りながらも喜びを感じていたのだ。
ササコが見ていてくれるのが嬉しい。
些細な(?)変化に気づいてくれるのが幸せだと思った。
……というか、ササコの頭の中には
顔が赤くない平常時の私がいるのか。
こちらにも気がついてしまい、そんなに顔を見られていたのかと思うと、急に言い知れない気恥ずかしさのようなものが押し寄せてきた。
これまでササコが見てきた私は、どんな顔をしていただろう。
彼女の目にはどう映っていた?
変な顔をしてはいないだろうか……?
そんな不安が浮かんでくる。
不安の種を吐き出すためにと、これまでを振り返ったのは間違いだったかもしれない。
今までの私のササコに対するあらゆる言動はどう考えてもまともじゃなかった。
だからきっとそれに伴う表情の方も、普通じゃなかったに違いないのだ。
既に芽吹いてしまった不安事の種は、根を張り茎を伸ばし続ける。
私はその根茎がこの熱を吸い上げてくれることを願わずにはいられない。
もうこれ以上、ササコに変な顔を見せたくはないから。
「ゴイシシジミさん……?」
「…………」
ふいに、意識の外から声が聴こえた。
今度もササコだった。
私はそれっきり思考を打ち切って、無難な返事をすることにした。
「大丈夫よ。…ありがとう」
ササコに不要な心配をかけたくなかった。
極めて平静を装ったつもりだったけど、たった一言を導き出すまでに一体どれだけの時間が流れたのだろう。そしてその無言だった時間で、ササコとどれだけの言葉が交わせたのだろう。
深く考え出したらまた同じことが繰り返される気がしたので、やめておくことにした。
じー……
視線を感じた。疑うような視線を。
「本当に……?」
それは疑わしげな声で、やっぱり疑っているみたいだ。
正直に言うと、私は全然大丈夫じゃない。
こうしてササコに見られているだけで、身体がどんどん熱くなって、溶けてしまいそうになる。
何度も思考に靄がかかりそうになるし、眠くもないのに目が潤んでくる。
熱に浮かされたような気分だった。
これは重症かもしれない……。
「ん……?」
「…………」
今の私は、よっぽど嘘つきの顔をしていたのだろう。
ササコが目を細めて、じっと瞳を覗き込んでくる。
彼女の瞳に写った自分の顔がよく見えて、なるほどこれは熱っぽいなと納得できるくらいに、顔を近づけてきて……。
熱があるかもと疑っておいて、その急接近はどうかと思う。
もし本当に風邪でも引いていたら、これで移ってしまうかもしれないではないか。
それに、こんなにまじまじと顔を凝視されるのは落ち着かない。
見てもらえる事が嬉しいとは言っても、さすがに限度があった。
私は顔を逸らして、ササコの肩に手を置く。
そしてゆっくりと遠ざけた。
「ほんとうに大丈夫だから……ね」
念を押すように言う。
目だけを動かして表情を確認すると……ササコはまだ疑わしげな顔をしていた。
…………………………。
少しの間、刺すような視線を無言でかわし続けていると、向こうの方が根負けしたようだった。
「あなたがそう言うなら……」と、渋々ながら見逃して貰えた。
ほっと息をつく。
「それで、…何が好きなんです?」
「……ぇん?!」
安心したところで不意打ちを食らい、変な声が出てしまった。
みるみるうちに顔が熱くなる。
さっきの"アレ"を聴かれていたのだ。
まさか声に出ていたなんて、と今更になって思う。
それも言葉として認識できて、しっかりと意味が伝わるくらいに、大きい声だったとは……。
愛の囁き(?)が本人に聞かれて、その詳細を問いただされるなんて、……なん…て……。
顔の温度はもうこれ以上上がらないらしい。
今度は頭が熱くなってきた。
今私の額辺りからは湯気が出ている。絶対出てる。自分では見えないけど……。
聞かれてしまった。
……聞かれてしまった……。
熱暴走を起こして止まりかけた思考回路を無理やりに動かすと、事実の確認をするみたいに同じ言葉が何度も繰り返された。
聞かれてしまった。
……声に出してしまった。
次に浮かんできたものは、さっきと微妙に形が違ったけど、結局のところは同じ事実に基づいていて、その二つには大きな意味の違いはなかったはず。
だけど私は"声に"の部分を認識した瞬間、ハッとした。
私は声に出していたのだ。そしてそれをササコに聞かれてしまった。
そんなことは確認するまでも無く、分かりきったことだ。
でも、それは一体どこから……どこまでだっただろう……?
もし最初から最後まで全部声に出ていて、その一言一句を逃すことなく聞かれていたとしたら……。
……ササコは、"何が好きなのか"と訊ねてきた。
わざわざ訊いてくるということは、私の思うような恥ずかしすぎる出来事は起こらなかったと考えるべきだ。
でももし、ササコが全てを知っていてとぼけているとしたら……。
彼女ならそういうこともするような気がする。
少し前までは、彼女に対してそんな風な考えを持つことは無かった。
ササコはどこまでも素直で、言葉をそのままの意味で受け取ってしまう。
出会ってすぐはそんな風に思っていた。
でもそれは違った。
彼女は意外と強かなのだ。
人の言葉を疑いもするし、時には嘘もつく。たまに意地悪を言うことだってある。
それに……。
つい先日のことを思い出す。
前をササコが歩いていて。私はその後ろを歩く。
私の右手を問答無用でひったくったササコが言う。
"「でも良かったです。……こうして捕まえることが出来て。
……また、あなたの手を握ることが出来る」"
あの時は気を使ってくれたんだと、今になって思う。
ササコは気を使うのも上手だった。
だから今回も、わざと聞いていないふりをしてくれているのかもしれない。
もし本当にそうだとしたら、改めて訊かないでほしいけど。
滅多に出ない彼女の意地悪な部分が、ここぞとばかりに出てきてしまったのだろうか……。
「ゴイシシジミさん」
返答はまだかとばかりに、ササコが私の名前を呼ぶ。
やっぱり、ほんの少しだけ意地悪かもしれない。
「えっと……」
言い淀んでしまう。
このまま淀み切ってしまえば、次に口を開く頃には、好きの気持ちごと見失ってしまう気がした。
「あの、ね」
勇気なんか出さなくたっていい。
訊かれたことに答えるだけだ。
ササコが望んだから、それを今から言うんだ。
それだけなのに、鼓動が早くなる。喉が渇いてきて、頭が真っ白になってしまう。
だけど、それでも。
どんなに緊張したって、何も考えられなくなったって、いまさら言うのを止めることは出来なかった。
どんな風に声に出すかは、既に決まっていたから。
「私、は──────」