どうしたら、彼女ともっと上手く話せるのだろう?
私は頭を捻り、思考を巡らせる。
色々と考えてみてはいるのだけど……。
「んん……」
結構……苦戦している。
考えたところで、ずっと失敗続きだった私には正しい会話の仕方が分からない。
いくら誰かの口調を真似ようと、その口から発せられたであろう言葉までは簡単に真似出来ない。
………………。
もっとたくさん話せていればなにか違ったかもしれないけど、それは無理な話だ。
だって、あの子はもう居ない。
私が彼女の未来を奪ってしまったんだ。
「…………」
(あなたがここにいてくれれば、私が生きる必要はなくなる。
もしそうなったら、私が苦しまなくちゃいけない理由もなくなるのかな?)
……………。
いつの間にか思考が数日前まで逆回りしている事に気づく。
これではいけないと思い、何とか思考軌道の修正を試みる。
ここ数日のことについては思い出したくなんかなかったけど、今の私は既に記憶の水たまりに片足を突っ込んでいる状態なのだ。
"どうせ"なら全身を海に沈める位の気持ちで、色々と思い出してしまおう。
そしてその過程で役に立つ情報を見つけられたら、ついでにそれを利用する。
辛いこと、悲しいこと、何を思い出したっていい。
今後のためになるのならそれが何よりだ。
それに、何があったって、これ以上に気持ちが落ち込むことなんてないだろうから。
……やっぱり、"どうせ"というのは非常に私らしくてなんか嫌だ。
だから私は"せっかくなので"と思うことにした。
私は早速、冷たい水底に意識を沈める。
………………。
確か……何日か前に、たくさんお話ができた日があったはず。
その時のことを詳しく思い出してみよう。
……あの日も、今日と変わらずに雨が降っていた。
私の隣には名前も知らないフレンズがいた。
その子は無口なのか、私が何を話しても声を出さなかった。
何度話しかけても、ただ何かを悟ったような視線をこちらへ向けるだけ。
そんな彼女に向かって、私が言う。
『あなた、つまらないわね。……もういいわ。今…楽にしてあげる』
私はそう言って彼女の首に両手を添えた。
そして、ほんの少しだけ力をこめる。
そこまでしても彼女は声を出さなかった。
目を細め口角を少し吊り上げたその表情は、まるで死を受け入れようとしているように見えた。
それを見てどう思ったのか、私はさらに強く彼女の首を絞めつけた。
……数秒後、もうその子は何も反応してくれなくなった。
虚ろな目で私の心を見透かすような真似も止めたようだった。
私はより強く、手に力を込めた。
━━その時だった。
小さな呻き声が聞こえた。
私が手を離す。
それから…………。
気がつくと、右手に鋭い痛みを感じていた。
ぼんやりとそこを見た。
さっきまで首を絞められていた少女が、私の手に噛み付いていた。
私は彼女を引き剥がし、突き飛ばした。
『そんなに死にたいなら……今すぐ殺してあげる』
震える声で私が言った。
それを聞いた少女が、ようやく言葉を発した。
彼女がなんと言ったのか上手く思い出せない。
でも、なんのための言葉だったのかは分かる。
その懇願するような声を。
それらが形作る願いを聞いた私は首を横に振った。
それを見た少女がまた何か言った。
私はまたその願いをはねのける。
その後も、何度も同じ言葉が繰り返されている。
段々と二人の声にノイズがかかり始めてくる。
……そして最後にはノイズだけが残った。
耳障りな雨の音だけが。
「…………」
私はとんでもない思い違いをしていた。
そのことに今ようやく気づいた。
あんなのはお話なんかじゃない。
ただの脅しと、命乞いだ。
別の記憶を探しても、同じようなものばかり。
今の今まで脅しなしでは何ひとつとして上手くいかなかったと思っていたけど、それは違ったのかもしれない。
(私が上手くできたことなんて一度もなかったんだ。)
「……」
私は誰にも聞こえないくらい小さなため息をつくと、向かいの木にもたれかかっている少女に目を向けた。
俯いたまま、黙り込む彼女に。
(今はとても落ち着いているみたい……)
あの後、私が彼女の手を引いて海から離れここまで歩いてくる間中、彼女はずっと泣いていた。
きっとそれは「悲しい」とか「怖い」みたいな感情から出た涙じゃない。
彼女自身が与りしれぬところで起こったのだろうと私は思う。
無意識的なものなのだろうと。
ただ手を引かれて歩くだけだった彼女に、突然手を振り払われた。
でも次の瞬間には、私の背中に顔を埋めて泣いていた。
そんな彼女の頭を私が撫でて慰めた。
……泣かせたのは私なのに。
きっと彼女はパニックに陥って、どうすればいいのか分からなくなったんだと思う。
彼女は自分に命の危険が迫っていても、私に危害を加えなかった。
とても優しい心を持っているのか、突き抜けた怖がりなのかは分からない。
でも、至近距離に迫った死を受け入れることしか出来ないのは、きっととても恐ろしいことのはずだ。
そんなのは絶対に本能が拒絶するはず。
でも彼女はそれを許してしまった。
自分の本能に背いた結果、どうすることも出来なくなって、最後にはただ涙を流すことしか出来なくなった。
…………。
でももしかすると、…それが、外敵に捕まってしまった少女にできた精一杯の抵抗だったのかもしれない。
何の意味も無いようなその抵抗は、私には有効だったから。
彼女のほんの数滴の涙に、私は心を揺さぶられたのだ。
今さら自分のことを慈悲深いだなんて思わない。
今まで何人ものフレンズを自分の意思で傷つけたのだから。
そんな私に誰かの特別になる資格なんて無いのかもしれない。
でも、その時だけは……。
世界でたった一人、彼女を慰めてあげられる誰かでありたかった。
だから私は彼女のことを抱きしめて、頭を撫でたんだ。
自分の罪を改めて自覚した。
せめてもの償いをと優しく抱きしめた。
それなのに……。
彼女は私に感謝の言葉を言ったんだ。
涙混じりの声で、「ありがとう」って。
それは本能が無意識に喋らせた心無き音だったのかもしれない。
でもその声を聞いた時、私は罪悪感を感じると同時に、自分を泣かせた悪いやつにまでお礼を言ってしまうような女の子のことを、とても愛おしく思ったのだ。
(また昨日みたいに話してくれないかな……)
昨日あった崖際での攻防を思い出す。
私の言葉を聞いた少女は慌てふためき、何やらおかしなことを口走った。
私はそれを受け止めて、次の言葉を紡いだ。
……それは単なる時間稼ぎ。
大した意味を持たない空っぽな言葉だった。
でも、それは私の心からの言葉でもあった。
深く考えずに発した声。
屈折した思考も打算もない、思ったままの言葉。
それは、私が長らく忘れてしまっていた私の本当の声だった。
(彼女の声に応えた動機は、打算的と言えなくもないけどね……)
もし昨日みたいに思ったことをそのままの形で伝えたら、もう一度声を聞かせてくれるだろうか?
「……」
目を閉じて心を落ち着かせる。
次の言葉はもう思いついている。
でも、それを言おうとすると鼓動が早くなる。
本当にコレでいいのかな?
余計に嫌われないだろうか?
そんな不安が雨音となって降り注ぐ。
私はそれらを振り払う言葉を探した。
しかしそんなものは見つからない。
私の思いつく言葉はどこか危なっかしくて、どうしても不安が残ってしまう。
……上手く言い出せない。
こうしている間にもどんどん鼓動が早くなる。
早くなった鼓動が私を急かす。
私は背中を押されて足がもつれるように口を開いた。
そして、両手を広げて酷く歪な言葉を紡ぎ出す。
「また……抱きしめてあげよっか?」
「…………?」
私の言葉を聞いてしまったであろう少女が、ジトっとした視線をこちらに向ける。
心底『何を言っているんだこいつは』みたいな視線がつらい。
(まあ……反応してくれるだけマシ…なのかな?
あっ、目そらされた……)
……もう既に若干後悔している。
こんな頭に浮かんだことを何の審査にも通さず直接口に出すようなのは、今後は控えるべきだろう。
ちゃんと考えて言葉を選ばないと、また誰かを傷つけてしまうかもしれない。
今回は私一人の心がかすり傷を負った程度で済んだけど、こんなことを続けていたらいつか盛大にやらかしてしまうだろう。
もうこれ以上罪を重ねるわけにはいかない。
「今の…は、忘れて。…ね?」
変に思われると困るので、とりあえず直前の発言を取り消しておく。
彼女が本当に忘れてくれるかは分からないけど、これでこの会話はまた振り出しに戻ってしまったことになる。
まあこれといって何か進展があったわけではないけれど。
(どうしたもんかなぁ……)
今度は前もって会話の内容を頭の中でシミュレートしてみようか?
上手くいく気はしないけど、それでも何も考えないよりかはいいはず。
客観的に自分を見て何かに気づければそれでいい。
私は早速これを試してみることにした。
『ねぇあなた、お腹すいてないかしら?』
『……』
『あなたは私のこと嫌い?』
『………』
『あなたに私は見えてないみたいね』
『…………』
「……………」
だいたいの予想は出来ていたけど、想像の中でも無言のままでいられると……つらい。
視線を向けるだけとかでもいいから何か反応を示して欲しい。
……というか、想像上での私もどこかおかしい気がする。
一言一言に微妙な違和感があるのだ。
(あなた、あなたって……これじゃまるで……)
どこかおかしな想像が更に変な方向へと向かい始める。
わざわざ名前で呼ばなくても通じ合える程の距離。
とても近くて……近い。
お互いの息がかかってしまうほどのきょり。
それは友達以上の━━━
「━━━なまえ」
私の想像……もとい妄想は、私自身の声によってかき消された。
(そうだ……私はまだ彼女の名前も知らないんだ)
だからこんなにも私の彼女に対する呼び方が限定されてしまっているんだ。
もうずっと誰かと名前で呼び合うことがなかったから忘れてしまっていたけど、名前は本来とても大切なもののはず。
大切な友達の名前も知らないなんて話は聞いたことが無い。
お互いの名前を知ればもう友達……という訳では無いけど、心の距離は大きく縮まるはずだ。
(これはなんとしてでも聞き出さなければ…!)
ようやく自然な話題を見つけることができた喜びを感じつつ私は口を開いた。
「私の名前はゴイシシジミ」
またやってしまった。
あまり深く考えずに実行に移った結果、やけに簡潔な自己紹介になってしまった。
自分の名前を言いきった直後に間違いに気づき、「イシちゃんって呼んでもいいのよ?」と付け足したのは我ながら機転が利いていた…と思う。
ちょっと馴れ馴れしすぎた気がしなくもないけど、今は気にしないことにする。
重要なのはこの後なのだ。
「あなたは?」
「…………」
つい自分の名前を答えてしまいそうな自然な流れを作ったつもりだったけど、帰ってきたのは沈黙だけだった。
……無理に喋らせる方法はある。
でもそれはあまりに強引かつ非人道的だ。
それ無しでは今のこの状況を作り出すことも叶わなかったことは分かっている。
でも、もうそんなものに頼るわけにはいかないんだ。
私にとって一番だった本法を封印した今、自分にできることがあまりに少ないのを実感する。
今の私は無力な子供同然だ。
自分でそれを認めてしまったら、私はもう子供らしいやり方でしか目的を達成できなくなってしまう。
(……別にそれでもいいか)
どんな方法を使ったって、目的を果たせるならそれでいい。
私はとある方法、ある種の強引さを持った稚拙極まりないやり方で彼女の名前を聞き出すことにした。
「あなたの、名前は?」
「……」
「教えてほしいなー?」
「……」
「お・な・ま・え、わかるかなぁ?」
「………」
━━仕方ない。
「教えてくれるまで何度も訊くよ? 四六時中あなたに話しかけるよ? あなたが私を刺して殺したくなるまでずぅっっっと言い続けるよ? 私はしつこいからね。
教えてくれたら少しは大人しくなるかもしれない」
「ぅ……」
私が一息に言い終えると、目の前の少女が小さくうめいた。
そして━━
「ぅわたし…は、……ササコナフキ*******、…です」
「ぇ……?」
(今のは……彼女の名前? ササコナフ……?)
彼女の口から零れた名前らしき文字列は以外にも長く、一度聞いただけでは理解ができない。
ようやく口を聞いてくれたという喜びと、名前を上手く聞き取れなかったというやってしまった感が頭の中で渦巻いている。
慣れない言葉詰めで軽い酸欠を起こしていたからちゃんと覚えられなかった?
……いや、もし万全の状態だったとしても、きっと覚えきれなかっただろう。
私はあまり物覚えがいい方ではないから。
(まずいなぁ……)
とても長い名前だったのは覚えてる。
それと、あとは最初の数音だけ。
私はせめてそれだけは忘れまいと口を開いた。
「ササコノフ……?」
とりあえず自信のあるところまでを声に出して、少女の方をちらりと見る。
すると……。
「・・・・・」
返事はなかったけど一応の反応はあった。
━━━蔑むような目。
その目を見た瞬間、背筋にゾクゾクとしたものが駆け抜けた。
咄嗟に顔を伏せる。
(もしかして私……間違えちゃった……? )
私が声に出したのはササコノフ。
そう聞こえたから声に出した。
でもよくよく考えたらササコネフだったような気がしなくもない。
「ササコネフ……?!」
私は恐る恐る顔を上げた。
「……」
諦めたような顔。
彼女の表情を見るに、私はまた間違えてしまったのだろう。
何度も名前を間違えた上に呼び捨てみたいになってしまった。
このままでは、いい加減なやつだと思われてしまう。
なんとか軌道修正をしなければいけない。
「これは、ほら……あれよ。……ぁ愛称! 親愛なるあなたへ私からのプレゼント!」
もうだめだ。
馴れ馴れしい上に恩着せがましい。
……どう足掻いても私は変な人になってしまう。
これでは、危ない人のレッテルを貼られるのは免れられないだろう。
(上手くいかないな……)
「━━━━……ササコって呼んでいい…?」
私は半ば諦めがちに訊いた。
「……どうぞ。……っ!」
「……ぇ?」
少女は一言返事をすると、しまったというような顔をした。
「いいの?」
「……」
「……ササコ」
「…………」
彼女がそれを了承した。
愛称で呼ぶことを許してくれた。
たとえそれが、反射的に口をついた不本意な言葉だったとしても、私は嬉しかった。
だから━━━
「よろしくね、……ササコ…!」
そう言って左手を差し出した。
ササコがその手を取ることはなかったけど、それでも……。
この時の私は、きっとだらしない顔をしていたと思う。