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みんみ教徒の集い

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みんみとは、全て
みんみとは、虚無

あなたももう気づいているでしょう
みんみの素晴らしさに
気づかないふりをするのはもうおやめなさい

皆様に素敵なみんみがありますように
みんみぃ

名無しのフレンズ
作成: 2018/01/21 (日) 16:35:05
最終更新: 2018/01/21 (日) 20:48:48
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3514
流浪のみんみ教徒 2022/11/03 (木) 03:33:33 457e0@e46fd

本日はオゾンの日であります。
オゾンの化学記号O₃を「03日」に見立てた
「いい(11)オゾ(03)ン」の語呂合わせに因んで、
日本オゾン協会と日本医療・環境オゾン学会の合同で制定されました。
人間の生活や地球環境に大いに貢献している
オゾンに対する正しい理解を広める事を目的としております。
・特定非営利活動(NPO)法人日本オゾン協会は、既存の国際オゾン協会日本支部を
 母体として発足した団体で、オゾンの発生や利用に関心を持つ研究者、
 オゾン発生装置や反応装置を開発/製作する法人を会員として活動しております。
 1973年に国際オゾン研究所(IOI)設立。
 1979年に国際オゾン協会(IOA)に改称。
 1983年に国際オゾン協会日本支部を設立。
      この年より全国各地にて「オゾン技術に関する講習会」を毎年開催。
      (2020年の第38回はオンライン配信)
      (2021年は新型ウイルスによる影響のため中止)
 1985年に第7回国際オゾン会議を開催。(東京)
 1987年に国際オゾン協会アジア太平洋支部に改称。
 1991年に日本オゾン協会設立(設立総会・8月19日)
      国際部会で国際オゾン協会アジア太平洋支部を担当。
      この年より全国各地にて「年次研究講演会」を毎年開催。
      (2020年の第29回は中止、講演集のみ発行)
 1993年に国際オゾン協会アジア太平洋支部を
      国際オゾン協会アジアNIG(Nippon Islands Group)に改称。
      日本オゾン協会の正会員をもってIOA NIGの会員とする
 1995年に第12回国際オゾン会議を開催。(フランス・リール)
 1996年に新事務所を設立。(9月)
 1997年に第13回国際オゾン会議を開催。(京都)
 1999年 第14回国際オゾン会議を開催。(アメリカ・ディアボーン)
 2001年 第15回国際オゾン会議を開催。(イギリス・ロンドン)
 2002年にNPO法人として東京都から認証を取得。
・日本医療・環境オゾン学会は、1994年8月にオゾン療法の調査研究と
 普及を目的として設立された「日本医療オゾン研究会」を前身しており、
 その後、医療機器や設備の殺菌消毒や環境分野における
 オゾンの有効利用なども目的に加えた事により、
 1999年4月に団体名称を「日本医療・環境オゾン研究会」に改称しております。
 その後も医師会員によるオゾン療法の実施、「オゾン療法セミナー」の
 定期的な開催による医師会員の拡大とオゾン療法の普及、
 獣医医師会員によるウシやウマなどの大動物および
 イヌやネコなどの小動物に対するオゾン療法の実施、年4回の会報の発行など、
 本学会に設置した臨床研究部会、獣医部会、歯科部会、環境応用部会、
 基礎研究部会などを中心に取り組むなど着実な歩みを進め、
 2012年4月に現在の団体名称に改称しております。
ジャパリパークは天候の影響は受けつつも安定した環境が維持されており、
フレンズの皆様にとっては季節を問わず暮らし易く、
職員の方々にとっては様々な場所において働き易い場所であろうと考えられます。
その環境は広大なオゾン層によって守られており、
生き物が暮らし易い環境が維持されているおかげなのであります。
現在、人類の活動などによってオゾン層は大きなダメージを受けており、
地球温暖化が様々な影響を及ぼす深刻な段階を迎えております。
これ以上の悪化をどうにか食い止めるためにも、
私達の日々の取り組みの積み重ねが重要となるのであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3515
流浪のみんみ教徒 2022/11/04 (金) 03:33:33 修正 457e0@e46fd

本日は1946年に国際連合教育科学文化機関憲章が発効し、
国連教育科学文化機関(UNESCO)が発足した日であります。
・国際連合教育科学文化機関憲章はUNESCOの設立根拠となる条約で、
 「ユネスコ憲章」の略称でも呼ばれております。
 1945年11月16日にロンドンにてユネスコ憲章が採択され、
 1946年11月4日にユネスコ憲章の効力が発生しております。
 1951年7月2日には日本が加盟しております。
・国際連合教育科学文化機関(略称・UNESCO/ユネスコ)は、
 国際連合の経済社会理事会の下に置かれた、教育/科学/文化の発展と推進、
 世界遺産の登録などを目的とした国際協定であります。
 1945年11月に44カ国の代表が集い、イギリス・ロンドンで開催された
 国連会議にて11月16日に採択され、「国際連合教育科学文化機関憲章」
 (ユネスコ憲章)に基づいて1946年11月4日に設立されました。
 本部はフランスのパリに設置されております。
 2013年11月現在の加盟国数は195ヶ国で、準加盟は9地域であります。
 日本は1951年7月2日に加盟しております。
 「United Nations Educational,
  Scientific and Cultural Organization」の頭字語である
 「UNESCO」も公式に用いられ、日本語では「ユネスコ」と称しております。
 「教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さない」との理念により
 設立の意義を定めたユネスコ憲章の前文には、
 「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、
 人の心の中に平和の砦を築かなければならない」との文言があります。
 活動にあたっては、重点的に推進する目標として「万人のための基礎教育」
 「文化の多様性の保護および文明間対話の促進」などの指針に基づき、
 例えば前者に関しては識字率の向上や義務教育の普及のための活動、
 後者に関しては世界遺産の登録と保護、文化多様性条約の採択の他、
 歴史的記録遺産を保全する記憶遺産(世界の記憶)事業などを実施しております。
 その他、極度の貧困の半減、普遍的初等教育の達成、
 初等・中等教育における男女差別の解消、持続可能な開発のための教育、
 危機に瀕する言語の保護などを内容とするミレニアム開発目標など、
 国際開発目標の達成を目指しております。
 UNESCOの最高機関は全加盟国が参加する総会であり、総会において各国は
 それぞれ1票を持っており、UNESCOの政策や事業計画についての決定を行います。
 総会での議決はユネスコ憲章の改正などの重要事項については加盟国の3分の2の
 賛成が必要となりますが、通常の事項については過半数の賛成で決定されます。
 総会は2年に一度、通常はパリにおいて開催され、
 この総会の決定に基づく計画の監督や、事務局が作成した予算計画などを
 総会にかける前に審議するのが執行委員会で、1年に2回開催されます。
 この両機関の下に事務局やその他の実行機関が存在しており、
 事務局長はUNESCOの代表となっております。
 パリに置かれている本部の他、世界各地に通常複数国を管轄する地域事務所が
 設置されております。また、各国にはそれぞれUNESCO国内委員会が設置され、
 UNESCO本部と各国政府との間の連絡機関となっており、
 日本にも日本ユネスコ国内委員会が設置されております。
 また、UNESCOの活動の普及と理解促進のため、
 世界の著名人を「ユネスコ親善大使」に任命し、様々な活動を行っております。
・設立以来徐々に加盟国を増加させ、活動も多岐にわたるようになり、
 1951年には未だ国際連合本体に加盟していなかった日本が加盟するなど
 敵国条項が適用される旧枢軸国の加盟も比較的早期になされましたが、
 何よりも大きな影響を与えたのは1954年のソビエト連邦の加盟でありました。
 これにより共産圏諸国(冷戦下の東側諸国)にも活動の場を広げ、
 更に1950年代から1960年代にかけてアジアやアフリカの新しい独立国が
 次々と加盟を果たし、加盟国の大半が南側諸国によって占められました。
 これにより活動を更に大規模化させる事となりましたが、
 本来設立の中心となった欧米先進諸国が数の上では少数派となった事によって
 両派の間での対立が目立つ事にも繋がりました。
 1980年代から放漫財政等のマネージメントの問題に加え、
 活動が「政治化」している事に先進諸国の間で不満が高まり、
 その中でもアマドゥ・マハタール・ムボウ事務局長が提唱された
 「新世界情報秩序」は特に問題を深める事となりました。
 これは、世界の情報の流れが先進国から一方的に発信されている状況を
 是正しようとするものであり、発展途上国の間で強い支持を得たものの、
 この議論の中で東側諸国がジャーナリストの認可制の導入を提唱した事もあり、
 この計画は報道の自由を制限するものだとして、
 先進国からは強い反対の声が上がりました。これを一番の原因として
 1984年に最大の分担金拠出国であったアメリカが、次いで1985年にはイギリス
 およびシンガポールが脱退し、UNESCOは存続の危機に立たされました。
 なお、この間、日本は分担金の約4分の1近くを担う最大の拠出国となりました。
 結局、イギリスは1997年7月に、アメリカは2003年10月に、
 シンガポールは2007年10月にそれぞれ復帰しております。
ジャパリパークは動物園施設でありながら研究施設も設置されており、
様々な動物を基としたフレンズの皆様と共生する場所である事から、
「教育/科学/文化の発展と推進」といった観点においても
重要な場所であろうとも考えられます。
UNESCOのように多くの加盟国からなる組織は、
目標に向けた足並みが揃わなければ充分に機能する事ができません。
もちろん、それはあらゆる規模の集まりに該当する事であり、
私達が暮らす社会そして世界における生き方を問われているのであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3516
流浪のみんみ教徒 2022/11/05 (土) 03:33:33 457e0@e46fd

本日は津波防災の日であります。
嘉永7年11月5日(新暦・1854年12月24日)、
紀伊半島から四国沖を震源とした安政南海地震が発生しました。
南海トラフの一つに数えられる海域における、
マグニチュード8強とされる大地震の影響で
南海道や東海道に大津波が襲来する事となりました。
その際に、紀伊国広村の濱口梧陵(はまぐち ごりょう)氏が、
稲わらに火を点けられて暗闇の中で逃げ遅れていた方々を高台に避難させて
人命を救われるなど、村民のために尽力されたとの逸話が残っており、
この逸話を元に小泉八雲氏が著書「稲むらの火」を執筆されました。
これが後に小学校の教科書にも掲載された事に因んで、
警戒の念と共に記念日として制定されました。
また、このエピソードを知った国際連合が、同様の理由から
「世界津波の日」を制定した事によって、国際デーとしても展開されております。
・「津波対策の推進に関する法律」(略称「津波対策推進法」)は、
 国や自治体に対し、防波堤や避難施設の整備、迅速な避難の確保、
 観測体制の強化などを求める法律であります。
 津波の被害から「国民の生命、身体及び財産を保護するため、
 津波対策を総合的かつ効果的に推進し、もって社会の秩序の維持と
 公共の福祉の確保に資すること」を目的としております。
 また、安政南海地震と稲むらの火の故事に因んだ
 11月5日を「津波防災の日」と定めております。
 2010年4月13日に自民党の二階俊博氏と松本純氏らによって
 「津波対策議員連盟」が発足されました。同年6月に自民党の松本氏と
 小野寺五典氏ら野党議員が2010年2月に起きたチリ地震では
 避難指示で3.8%の住民しか避難しなかったために、
 犠牲者802人の大半である500人以上の津波犠牲者だった事への対応を元に
 「津波対策の推進に関する法律案」を6月11日に議員立法で提出されましたが、
 第174回国会衆議院本会議で民主党が消極的だったため
 本格審議されずに継続審議の「つるし」扱いとなっておりました。
 2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大地震/東日本大震災)が発生、
 犠牲者の90.64%となる14308人が大津波による溺死という
 甚大な被害が生じる結果となってしまいました。その後、与党民主党は
 法案への態度を転換して野党案をベースに共同提案に応じ、
 法案は震災後である2011年6月9日に再提出されて翌日可決と参議院受理、
 6月15日に参議院に委員会を通過し、6月17日に参議院本会議で可決され、
 6月24日に「津波対策の推進に関する法律」として法案は成立されました。
 法案成立後の6月20日の参院東日本大震災復興特別委員会にて
 自民党の赤沢亮正氏は次のように批判されました。
 「(法案が会期内に成立していた場合のように)
  東北地方太平洋沖地震の前年の11月5日が「津波の日」に指定されていたら、
  全国で(津波発生に備えた)避難訓練が行われるはずだった。
  民主党の不作為で津波の被害者が増大した。」
 当時の内閣総理大臣の菅直人氏は、早期に法案を通していれば
 もっと人命救えたと述べられて民主党政権の非を認められました。
 2012年に赤澤氏も参加された「自由民主党国土強靭化総合調査会」の
 第11回会合では民主党の法案への対応を次のように総括しております。
 「津波対策法案は一昨年、二階先生が中心に作られ国会に提出されたが、
  与党・民主党が乗らず、東日本大震災後にようやく成立した。
  震災前に法案が通っていれば、もっと色々と防げたものもあった。
  民主党はいつも後手後手の対応である。」
これまで幾度も書き込みをさせていただいている通り、ジャパリパークは
海底火山の噴火によって出現した島をそのまま利用した動物園施設であります。
その島々はそれぞれ広大な面積を有しており、それほどの島の出現に至るほどの
海底火山の噴火エネルギーがどれ程のものであるかは想像がつきません。
しかし、海底火山の噴火の規模によっては津波を発生させる可能性もあり、
島の出現に至るまでの過程において津波が発生していた可能性も考えられます。
環太平洋火山帯に入っている日本は数々の津波災害に見舞われ、
これからの時代も地震や津波災害の危険性と隣り合わせの状況は避けられません。
だからこそ、危機に対する備えはしっかりとしておきたいものであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3517
流浪のみんみ教徒 2022/11/06 (日) 00:03:03 457e0@e46fd

本日はイギリスの藻類学者でいらっしゃる、
キャスリーン・メアリー・ドリュー=ベーカー氏の誕生日であります。
海苔の養殖に必要な「人工採苗」技術の開発に大きく貢献され、
日本の海苔産地では「海苔養殖の母」などと呼ばれる人物でいらっしゃいます。
なお、海苔はウェールズでも伝統的な食材として使われております。
・1901年11月6日にランカシャーのリーにてお生まれになり、
 マンチェスター大学にて海藻の研究を行われ、
 1922年から1957年の間、同大学にて植物学の講師を務められました。
 また、ドリュー氏はイギリス藻類学会の創立者のお一人でもあり、
 同学会では初代会長を務められました。
 ドリュー氏は海苔の生活史研究において、海岸で海苔の糸状体を
 カキの貝殻の中に発見され、それまで知られていなかった
 海苔の夏の過ごし方を明らかにされました。これを親交のあった藻類学者の
 九州大学・瀬川宗吉氏に手紙で伝えられ、それをヒントに瀬川氏や
 熊本県水産試験場研究員の太田扶桑男氏らが研究を進められ、
 1953年頃までに海苔の人工養殖技術が完成される事となりました。
 なお、海苔はウェールズでも伝統的な食材として使われております。
 後に太田氏をはじめとする熊本県の海苔養殖業者の方々は
 「ドリューさんを日本に呼ぼう」と働きかけられましたが、
 ドリュー氏は第二次大戦時中の栄養失調と研究の激務が祟った事により、
 1957年9月14日に55年の生涯を閉じられました。
 その後、ドリュー氏の功績の顕彰のために海苔養殖業者は寄付を募り、
 漁民の方々の少額の寄付の積み重ねによって、
 1963年に有明海を望む宇土市の住吉神社に顕彰碑が建てられました。
 顕彰碑の除幕式には福岡県や佐賀県からの来訪者も含め45人が参集されました。
 以後、毎年4月14日に碑の前でドリュー祭(ドゥルー祭)が開催されております。
 この日取りは住吉神社大祭の期間中でもあり、
 ドリュー氏の月命日である14日を選んだものであります。
 2001年には、ドリュー氏の生誕100周年を記念する形で、
 ドリュー氏のご子息とご息女が式典に招待されました。
海苔はジャパリパークのある世界でも一般的な食材であると考えられ、
その栄養価からジャパリまんの材料としても使用されている可能性があります。
また、パークが独自に海苔の養殖を行っているとは考えづらいかもしれませんが、
パークの近海に天然の海苔が生育している可能性があります。
私達が普段、当たり前のように食している海苔でありますが、
そこに至るまでには多くの方々の研究や努力が詰め込まれており、
その基にはドリュー氏の数々の研究が随所に活かされております。
ドリュー氏をはじめ、現在に至るまで海苔の研究に
携わっておられる方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3518
小蜂涼平 2022/11/06 (日) 00:23:09 db88d@14240 >> 3517

海苔の養殖にイギリスの学者先生が大きくかかわっていてたとは知りませんでした
みんみー

3519
流浪のみんみ教徒 2022/11/07 (月) 00:03:03 457e0@e46fd

本日は紀州・山の日であります。
・紀州の山村では、旧暦の11月7日に山の神を祭り、山の恵みに感謝し、
 山仕事の無事と山の今後の繁栄を祈願するための
 山祭りが行われていた慣習がある事に因んで、
 和歌山県によって1994年に制定されました。
 山林に対する理解と関心を深め、人と山が共生する
 山村づくりを啓発する事を目的としております。
 また、この日を記念して「紀州・山の日」フォトコンテストや
 絵画コンクールが実施されております。
ジャパリパークは多くの山林を有する自然豊かな環境が大きな特徴であり、
大小様々な山がパークを彩り、フレンズの生活環境を支えております。
また、アニメ一期において、サンドスターが噴出する山は
理由こそ判然としておりませんが、神聖な場所として扱われておりました。
私達の生活は多くの山林によって支えられております。
日本の豊かな山林を今後も守り続けていくためにも、
私達の日々の取り組みの積み重ねが重要となるのであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3520
流浪のみんみ教徒 2022/11/08 (火) 03:33:33 457e0@e46fd

本日はいいパートナーシップの日であります。
「いい(11)パ(8)ートナー」の語呂合わせに因んで、
KAPOK JAPAN株式会社によって制定されました。
様々なパートナーシップの在り方を尊重し、祝うきっかけとする事が目的であり、
夫婦/恋人/家族/仕事仲間/友達、そして自分自身との向き合い方も含めた
「いいパートナー」について考え、より多くの方々に「こころよい暮らし」を
送ってもらいたいとの願いも込められております。
・KAPOK JAPAN株式会社は2020年1月に大阪府吹田市に設立された企業で、
 「こころよい暮らし」を提案するサステナブルファッションブランド
 「KAPOK KNOT(カポックノット)」を運営しております。
 インドネシアに自生する植物「カポック」の木の実由来の新素材は
 コットンの1/8という軽さや吸湿発熱といった機能を有していながら、
 強い農薬を必要とせず木を伐採する必要もないサステナブルな素材であります。
 カポックは加工の難しさからなかなか実用化されてきませんでしたが、
 特殊技術を用いた加工を通して、驚くほど薄くて軽い、
 そして暖かい全く新しいシートに生まれ変わる事となりました。
 その新素材を活用したファッションブランド「KAPOK KNOT」を通して、
 地球環境の保全に貢献するべく活動が続けられております。
けものフレンズはフレンズという存在、ジャパリパークという場所を通して、
様々なパートナーシップを描いた物語を展開しているコンテンツであります。
作品中において、登場人物同士の出逢いから様々な関係性の変化が描かれ、
やがてお互いにとって大切なパートナーとなっていく内容は、
多くのユーザーの方々に大きな感動をもたらしております。
地球上においては様々な地域や立場の違いなどによって、
考え方の食い違い/諍いや争い/分断などが日々繰り返されております。
しかし、どういう違いが存在しても、地球というフィールドは一つであり、
その地球の恩恵によって暮らしている事を忘れるべきではありません。
もちろん、多くの課題は解決に少なからず時間を要すると考えられますが、
だからこそ地球の未来に向けた努力を続ける必要があり、
パートナーシップの確立をそのきっかけとしても良いのではないか、
この記念日を通して、それを考えるのも良いかもしれません。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3521
流浪のみんみ教徒 2022/11/09 (水) 03:33:33 457e0@e46fd

本日は儒学者/蘭学者でいらっしゃる、青木昆陽氏の命日であります。
・1698年6月19日に江戸日本橋小田原町(現在の東京都中央区)の魚屋の
 佃屋半右衛門氏のご子息としてお生まれになりました。
 その後、浪人として京都の儒学者である伊藤東涯氏が教鞭をとられた
 古義堂(別名「堀川塾」「堀川学校」)に入門されて儒学を学ばれました。
 また、江戸町奉行所与力の加藤枝直(又左衛門)氏と懇意にされており、
 1733年に加藤の推挙により南町奉行の大岡忠相氏に取り立てられ、
 幕府書物の閲覧を許される立場に抜擢されました。
 1732年、「享保の大飢饉」が発生し、日本全土に被害をもたらしました。
 しかし、享保期に薩摩国では既にサツマイモが伝来し、
 農耕作物として普及定着していたと推測されており、
 サツマイモの栽培は人々を飢えから救っておりました。
 青木氏は京都にて学ばれていた頃に書物によって甘藷(サツマイモ)が
 救荒作物として重要である事を発見されたといわれております。
 青木氏は甘藷を栽培して救荒食とすべき事を将軍の徳川吉宗公に上書され、
 この書状が将軍に認められて甘藷の試作地として
 下総国千葉郡馬加村(現在の千葉市花見川区幕張)、小石川薬園(小石川植物園)、
 上総国山辺郡不動堂村(現在の千葉県山武郡九十九里町)が選定されました。
 青木氏が江戸へサツマイモを伝えられたのは1734年の事とされており、
 1735年には著書「蕃薯考」(ばんしょこう)を発表され、
 1736年には薩摩芋御用掛を拝命された事により幕臣の身分となられました。
 1743年には幕府から甘薯栽培の奨励が行われた一方、
 青木氏は1739年には御書物御用達を拝命されております、
 サツマイモ栽培から離れられる事となりました。
 その後、寺社奉行に就任されていた大岡忠相の配下に加わられ、
 甲斐(山梨県)/信濃(長野県)/三河(愛知県)など徳川家の旧領の
 古文書を調査され、在野の家蔵文書を収集して由緒書を研究されました。
 また、収集された文書を分類/書写され、「諸州古文書」として纏められました。
 青木氏の研究に使われた原本は所有者に正しく返却され、
 返却の際には家蔵文書の重要性を説かれ、保存を諭されております。
 後に紅葉山火番を経られて1747年には評定所儒者となられた青木氏は、
 1740年に将軍から本草学者の野呂元丈氏と共に蘭語学習を命じられ、
 オランダ語の習得に努められ、短期間ではあるがオランダ人や
 蘭語通詞のおられる長崎に修学のために赴かれております。
 青木氏は「和蘭(オランダ)文訳」「和蘭文字略考」などの入門書や辞書を残され、
 野呂氏と共に日本の蘭学の先駆者となられました。
 最晩年の弟子には「解体新書」で知られる前野良沢氏がおられます。
 1767年には書物奉行に就任されましたが、後の1769年11月9日、
 流行性感冒(インフルエンザ)により72年の生涯を閉じられました。
 主な著書に「蕃薯考」「和蘭文訳」「和蘭文字略考」「経済纂要」「昆陽漫録」
 「草盧雑談」などがあり、「国家金銀銭譜」は本邦初の金銀古銭の目録であります。
 後に青木氏はサツマイモの普及の実績から“甘藷先生”と称され、
 墓所の瀧泉寺(目黒不動)には「甘藷先生之墓」が鎮座しております。
 また、甘藷の試作が行われた幕張では「昆陽神社」が建てられ、
 青木氏は「芋神さま」として祀られており、
 九十九里町には「関東地方甘藷栽培発祥の地」の碑が建てられております。
10月23日の「おいもほりの日」でも書き込みをさせていただいた通り、
ジャパリパークではジャパリまんの材料も含めた農作物が栽培されており、
その中には様々な芋類も栽培されているものと考えられ、
サツマイモは豊富な食物繊維やビタミンCなどの栄養価の高さから、
ジャパリまんの材料としても栽培されているものと考えられます。
もし必要な収穫量が確保できれば、上記のような利用のみならず
お客様に向けての商品として販売できる事も考えられ、
例えば石焼き芋の売店からの提供も充分に考えられます。
これからの寒い時期、温かいサツマイモ料理を供される機会が増えますが、
その背景にある青木氏など多くの方々の努力を覚えておきたいものであり、
先人の方々の探究や努力に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3522
流浪のみんみ教徒 2022/11/10 (木) 03:33:33 457e0@e46fd

本日は和紅茶の日であります。
11月は寒くなり紅茶がより美味しく感じる事と、
「10」をスプーンとティーカップに見立てて、
和紅茶の専門販売店を運営しているkigg(キッグ)によって制定されました。
全国各地にある茶園で主に日本茶として栽培されている品種を使い、
酸化/発酵させて紅茶の茶葉としている日本生まれの紅茶「和紅茶」を、
より多くの方々に味わっていただく事を目的としております。
・「kigg」は代表の岸頌二郎氏によって、兵庫県神戸市にて
 2017年7月1日に設立された企業であります。
 家具・インテリアのネット通販会社勤務時代から
 webデザインを手掛けてこられた岸氏が独立されて、グラフィックデザインや
 webデザインの受託制作や自身のECサイトを運営するkiggを起業されました。
 現在はアパレルECの運営担当として運営・WEB開発だけでなく
 DX戦略を推進される傍ら、和紅茶の専門販売店「koccha-waccha」を
 副業の一環として運営されております。
・「koccha-waccha」はkiggによって運営される和紅茶の専門販売店であります。
 奈良県産のオリジナル和紅茶ブランドuturina(ウツリナ)をはじめとし、
 厳選された優しい味わいの無農薬栽培の和紅茶のみを取り扱う
 インターネット通販専門ショップでありますが、
 一部の店舗において委託販売を行っております。
 また、喫茶店/カフェ/雑貨店などとコラボして、
 和紅茶を飲みながらのランチ会や、和紅茶飲み比べ会、
 和紅茶に関する講習などといったイベントの共同開催を行なっております。
ジャパリパークは多くのお客様が訪れる商業施設でもありますので、
パーク内には大小様々な店舗が設置されているものと考えられます。
カフェやレストランが設置されているならば、
紅茶を含めた様々な飲み物が提供されているはずであり、
その店舗の一つがジャパリカフェでありましょう。
これから寒さが増す時期に向けて、昨日取り上げた石焼き芋や
本日取り上げた紅茶など温かい食べ物や飲み物がますます重宝する事でしょう。
忙しい世の中でありますが、たまには紅茶などを嗜みながら
ゆっくりと休んで、明日への英気を養いたいものであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3523
流浪のみんみ教徒 2022/11/11 (金) 04:03:03 457e0@e46fd

本日はシマリスの日であります。
シマリスの背中にある5本の縦線模様を「11/11」との見立てから、
シマリス写真家/愛好家のBikke the Chip氏によって制定されました。
シマリスの愛らしさや名前の由来でもある「縞」の魅力などを
多くの方々に知っていただく事を目的としております。
Bikke the Chip氏は例年11月11日に自身のSNSでシマリスの写真を投稿され、
シマリスの日を提唱されて以降は例年11月11日にシマリス愛好家から
「#シマリスの日」のタグと共に数多くのシマリスの写真が投稿されるなど、
シマリスの記念日としての認知が広まっております。
Bikke the Chip氏のホームページではシマリスに関する知識や
飼い方/接し方など様々な情報が発信されております。
・シマリスは、哺乳綱ネズミ目リス科シマリス属に分類されるリスの総称で、
 その中でも特にアジアに分布し、亜種が日本国内にも生息する
 シベリアシマリスが日本でシマリスと呼ばれております。
 その名の通り体に縞があり、頬袋を持つ小型のリスであります。
 シマリス属には24~25種が属しており、アジアのシベリアシマリスを除く
 全ての種が北アメリカに分布しております。
 通常シマリス属1属に分類されますが、Tamias(トウブシマリス)、
 Eutamias(シベリアシマリス)、Neotamias(残りのシマリス23種)の3属、
 または3亜属に分類される事もあります。これらの分類は任意のもので、
 20世紀の殆どの分類学はシマリスを1属と位置付けられてきましたが、
 ミトコンドリアDNAの研究によって、3つのシマリスのグループ間の分岐が
 マーモットとジリスの遺伝的不同性に匹敵する事が示されております。
 属名のTamiasは、ギリシャ語の会計係/執事/家政婦を意味しており、
 これは冬に使用するために食糧を集めて貯蔵しておく習性による、
 植物の分散におけるリスの役割を指しております。
 シマリスの特徴は様々な資料にて示されておりますが、
 その中でも際立ったものを幾つか挙げてみますと、
 ・頭胴長12~19cm/尾長8~11.5cm/体重70~120gで、
  背中と顔に縞がある。頬の内側には頬袋があり、
  木の実など多くの食糧を詰めて巣穴に運ぶ事ができる。
 ・昼行性で単独生活を営んでおり、生活領域は樹上性リスと
  地上性リス(ジリス)の中間にあたり、樹上と地上の両方で生活する。
  樹洞や地下に巣を作り、巣穴の中では周囲に警戒する必要がないため、
  睡眠時間は1日平均15時間になると言われている。
 ・威嚇/警戒/緊張の際に尻尾を振る動作(モビング)を行う場合があり、
  これには体を大きく見せて威嚇する意味もある。
 ・秋になると多くの種が冬のための蓄えとして食料を巣穴に集め始める。
  巣穴の中の1か所の食糧置き場に食料を集める種は、
  大抵の場合、春になるまで巣の中で過ごす。
  その他の種は多数の小さな食料貯蔵庫を造る。
  冬になるとトウブシマリスは冬眠するが、
  北アメリカ西部のシマリスは冬眠せず、巣穴の中の蓄えに頼る。
  エゾシマリスは1年の半分近くを地下の巣穴で冬眠して過ごす。
 ・雑食性で木の実や植物の他に、キノコや昆虫なども食べる。
 以上の事だけでも、シマリスの様々な特徴が際立っております。
 日本では1960年代から広く飼育されるようになっており、
 ペットとして飼育されているのは輸入されたチョウセンシマリスであります。
 北海道には本州と同じチョウセンシマリスの他に、
 シベリアシマリスの亜種であるエゾシマリスも生息しておりますが、
 こちらはチョウセンシマリスと交雑する恐れがある事から、
 外来生物法で生態系被害防止外来種に指定されております。
 なお、エゾシマリスは鳥獣保護管理法により、
 1994年から一切の捕獲および飼育が禁止されております。
 2005年には感染症予防法第56条の2として「動物の輸入届出制度」が規定され、
 齧歯類の輸入規制が行われております。
けものフレンズにはシマリスのフレンズがいらっしゃいます。
旧アプリ版に出演され、小さい身体ながら元気に溢れている様子が印象的であり、
また、元の動物と同様に頬に様々な物を詰め込む事を得意とされております。
2022年9月1日には「けものフレンズVぷろじぇくと」への参加が正式発表され、
他のフレンズの方々と結成されたチームでVTuber主催のeスポーツ大会を中心に、
ストリーマーが参加される大会などにも出場される事が公表されております。
ペットとして飼育されるなど非常に愛らしいシマリスでありますが、
秋から冬にかけては繁殖期や冬眠期の縄張り意識のために気性が荒くなり、
噛みつくなど攻撃的になる場合もある事から、気を付けるべき部分もあります。
そして何より、共に過ごされる場合においては大切な家族であり、
また、森林の生態系に重要な役割を果たしている動物でもあります。
リス達がこれから先も元気に暮らしていくためにも、
私達の日々の取り組みの積み重ねが重要となるのであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3524
流浪のみんみ教徒 2022/11/12 (土) 03:33:35 修正 457e0@e46fd

本日は2006年に長崎県の女島灯台の業務が自動化された日であります。
・女島(めしま)灯台は、長崎県・五島列島の福江島から南西に80kmの沖にある
 男女群島の中の一つ、女島に設置されている灯台であります。
 女島は遣唐使(南路)を派遣した時代において、大陸と日本列島との間にある
 一つの島として目標とされていた事から航海の要所でありましたが、
 見上げるような断崖が続く上に、海面も一年を通して
 平穏でない場合が多いため接近や上陸がしづらい島でもあり、
 灯台を建設するのは困難であったといわれております。
 設置場所は女島の南端、屏風ヶ浦の100mあまりの断崖の上であり、
 1925年6月2日に着工した工事は船着場や道路の整備から始まり、
 資材の運搬など全ての作業が人力によって進められました。
 工費も当時の額で約15万円と大瀬埼灯台の工事と比べても多額で、
 この工事がどれほど大変なものであったかが窺えます。
 1927年7月8日にようやく竣工し、同年12月1日に初点灯されました。
 その月に日本の灯台で初の公衆電報取扱の電信局が、
 1941年10月1日には無線方位信号所が設置され、
 1956年6月1日には船舶気象通報業務も加えられた事で、
 この灯台の重要度が大いに増す事となりました。
 電信局と無線方位信号所の業務は後に廃止されましたが、
 この灯台で観測される気象データは気象庁に送られて活用されております。
 また、女島灯台は灯台守と呼ばれる職員が勤務されていた
 日本で最後の灯台でありましたが、2006年11月12日より業務が自動化され、
 同年12月5日に残務処理も終了したため、現在は無人灯台となっております。
 また女島灯台は、1998年11月1日の第50回灯台記念日の行事として
 海上保安庁が募集して一般の方々の投票によって選ばれた
 「あなたが選ぶ日本の灯台50選」の一つに選ばれております。
ジャパリパークへのアクセスは、けものフレンズのコンセプトデザインにおける
空港のイラストやアニメ一期・第十話における描写からも想像できる通り、
空路によるアクセスも主要な方法の一つであると考えられますが、
島をそのまま利用した動物園施設である事からも想像できる通り、
海路によるアクセスも一般的な方法であろうと考えられます。
もちろん、場合によっては夜間の航行も充分に考えられるため、
パークの各所に灯台が設置されているものと思われます。
日本は世界有数の経済規模を持つ海洋国家であるため、
海上航行の安全のために灯台が担う役割は殊更重要なものとなっております。
現在の灯台は無人化されているとはいえ、その業務から得られるデータなどを
取り扱っておられる方々によって海路の安全が守られている事は確かであり、
灯台の建設を含めて、携わっておられる方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3525
流浪のみんみ教徒 2022/11/13 (日) 00:30:30 457e0@e46fd

本日はイギリスの家具師/デザイナーでいらっしゃる、
トーマス・チッペンデール氏の命日であります。
・1718年6月5日にウェスト・ヨークシャーの市場町オトリーにてお生まれになり、
 徒弟修業を終えられた後の1748年にロンドンに出られて独立されました。
 1954年頃に家具産業の中心地セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ教会の
 隣に移られて商館/事務所/工場倉庫の建設に携わられ、多数の専門職人による
 本格的な家具製作と、上流階級の室内設備や装飾の施工も行われました。
 一方、1754年に家具の専門書として最初となる
 「紳士と家具師のための指針」を出版された事により、
 この時代の最も有名なデザイナーとなられました。
 この本には人気の高い家具の寸法図が含まれており、
 顧客はこの本から選ばれて他の家具師が複製されました。
 ロココ様式はこの本に対して支配的な影響力を持っておりましたが、
 中国風やゴシック風も影響しております。
 1770年代からは新古典主義の建築家ロバート・アダム氏が設計された
 リーズ近郊のハーウッド・ハウスやロンドン郊外のオスタレー・パークなどに、
 マホガニーを用いた新古典様式による精巧な家具を製作されました。
 1779年11月13日、チッペンデール氏は61年の生涯を閉じられ、
 亡骸はセント・マーティン・イン・ザ・フィールズに埋葬されました。
・チッペンデール様式はクイーン・アン様式の変形であり、
 それにフランス・ロココの影響を受け、脚は猫足が多く、
 鷹の爪が球をつかんだ形のものが多く使われております。
 また、テーブルの上部の板も丸形や長方形が少ないのも特徴であります。
 また、サパーテーブルといって、使用しないとき上部の板を垂直に立てて
 壁際に置き、室内のアクセントになるようなテーブルが使われておりました。
 飾り棚や書棚の頭部にスワンネックの飾りが付き、
 扉の格子組みはゴシックのトレサリーの形を真似たものが付けられました。
 この時期に中国の影響を強く受け、椅子の背や脚、
 ベッド類まで中国建築を模した形がとり入れられ、
 それらの家具は「チャイニーズチッペンデール」と呼ばれております。
 西インド諸島から輸入された高級なマホガニー材は軽くて丈夫で長持ちし、
 彫刻も入れやすい事から、繊細で華奢なデザインの家具が作られました。
ジャパリパーク内の主要な施設の内装は商業施設/研究施設/事務所において
よく見られる、一般的なものが採用されているものと思われます。
ただし、ジャパリパークにはジャパリカフェ、ゆきやまちほーの温泉宿、
ロッジ「アリツカ」など憩いの場や宿泊施設も設けられており、
それぞれの場所を演出するに相応しい内装が採用されております。
家具などの内装はその場所の雰囲気を変えるだけでなく、
そこを利用される方々が過ごしやすくなるための工夫が施されております。
過ごされる方々の幸せを演出されるために、日々アイディアを考え出され、
それを形にされる方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3526
流浪のみんみ教徒 2022/11/14 (月) 00:03:03 修正 457e0@e46fd

本日は1901年に、オーストリアの病理学者/血清学者でいらっしゃる、
カール・ラントシュタイナー氏がABO式血液型を発表された日であります。
なお、この時点で血液型はA型/B型/C型(後のO型)の3つに分類されておりました。
・カール・ラントシュタイナー氏はオーストリア出身の病理学者/血清学者で、
 ABO式やRh式など複数の血液型を発見された人物でいらっしゃいます。
 1868年6月14日にオーストリア北東部のバーデン・バイ・ウィーンにて、
 父親で記者/新聞編集者/法学博士のレオポルト・ラントシュタイナー氏と
 母親のファニー・ヘス氏との間にユダヤ人としてお生まれになりました。
 父親と6歳の時に死別された後は母親によって育てられ、
 1891年にウィーン大学で医学の学位を取得され、ドイツの化学者
 エミール・フィッシャー氏らの下で学ばれた事により化学にも精通されました。
 1900年にABO式血液型を発見され、翌年11月14日に論文を発表されました。
 なお、ラントシュタイナー氏が発見されたのはAB型以外の3つであり、
 発表時点ではA型/B型/C型とされておりました。
 この功績により1930年にノーベル生理学・医学賞を受賞されました。
 1908年にウィーン大学の病理学の教授に就任され、
 同年のうちにポリオの病原体、ポリオウイルスを発見されました。
 その後、第一次大戦から逃れるためにオランダへと移られて、
 1922年にはニューヨークのロックフェラー研究所に所属され、
 1937年には弟子アレクサンダー・ウィーナー氏と共にRh因子を発見されました。
 この間にアメリカ国籍を取得され、1939年に研究所を退職された後も
 終生にわたってニューヨークで過ごされました。
 後の1943年6月26日、実験室にて心臓発作で75年の生涯を閉じられました。
 その後、1997年から2002年にユーロの流通が開始されるまでの間、
 当時発行されていた1000オーストリア・シリング紙幣に
 ラントシュタイナー氏の肖像が使用されておりました。
・ABO式血液型は血液型の分類法の一種であります。
 血液型は初め血液の型として出発したのでこの名前でありますが、
 その後に進められた研究において血液のみに関わらず
 一個人の細胞/臓器/体液はもちろん、毛髪などの硬組織にも分布する
 個人を血清学的に識別できる方法である事が判明しております。
 赤血球の表面には250種以上の表面抗原がありますが、
 A/B型抗原はその代表的な抗原であります。赤血球の表面にA抗原があるとA型、
 B抗原があるとB型、ABの両抗原があるとAB型、両抗原が無いとO型であります。
 先の遺伝子型ではAA・AOがA型、BB・BOがB型、ABがAB型、OOがO型となります。
 逆に血漿中には各抗原に反応する抗体があり、
 通常A型の血漿中には抗B抗体があり、B型の血漿中には抗A抗体があり、
 AB型の血漿中には抗A抗体も抗B抗体のどちらも無し、
 O型の血漿には抗A抗体と抗B抗体両方が存在します。
 血漿中の抗体を調べる事で血液型を判定する方法は裏試験とも呼ばれ、
 表面抗原に、それぞれ対応する抗体が反応すると赤血球は凝集してしまいます。
 研究はイギリスの病理学者でいらっしゃるシャタック氏の
 「肺炎患者の血球と血清(それぞれ別人)を混ぜていた際に凝集があった」
 との報告を受けられたカール・ラントシュタイナー氏による試験から始まり、
 1930年代には現在の分類がほぼ確立されております。
動物にも血液型は存在し、フレンズの皆様も例外ではないと考えられます。
この場合、血液成分が元の動物と同様の場合はそれに応じた扱いが必要であり、
そこには獣医師の知見が活かされるであろうと考えられます。
なお、いわゆるUMAや伝承系と呼ばれるフレンズの皆様に関しては、
既存のデータが充分にあるいは全く活かせない場合が考えられるため、
機会を見計らって調べる必要があると思われます。
血液型は身体の健康状態を知るための基本情報の一つであり、
医療の現場にとっても重要な情報の一つであります。その血液型に関して
様々な研究に携わっておられる方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3527
流浪のみんみ教徒 2022/11/15 (火) 03:33:33 457e0@e46fd

本日は生コンクリート記念日であります。
1949年のこの日に生コンクリートが初めて市場に出荷された事に因んで、
全国生コンクリート工業組合連合会によって1988年に制定されました。
生コンクリートが出荷される以前はセメント等の材料を
工事が行われるその場で混ぜて作る方法が主流でしたが、
工場で混ぜた生コンクリートを現場へ運ぶ技術が確立された事で、
工事現場での作業負担や運搬設備が大幅に軽減される効果をもたらすなど、
生コンクリートを使用する建設が画期的な進歩を遂げる事となりました。
・コンクリートは骨材を結合剤によって固めた複合材料の総称で、
 骨材には砂利/砂/砕石/砕砂などが、結合剤にはセメント/石灰/石膏/
 アスファルト/硫黄/プラスチックなどが使用されております。
 狭義には結合剤にセメントを用いて、骨材をセメントペースト
 (セメントに水を加えたペースト)で固めたセメントコンクリートを指します。
 大小様々な規模の建築土木工事の材料として多く利用される事から、
 鋼材と共に現代の建築・土木工事には不可欠な構造材料であり、
 強度と価格の面や施工の容易さから最も一般的に使用される建築資材の一つで、
 建築物/道路/ダム/高架橋/トンネル/港湾設備など幅広い用途が特徴であります。
 コンクリートは圧縮力には強い一方で引張力には弱いため、
 一般的な方法としてはコンクリート単体で使用するより、
 コンクリートの中に鉄筋などの材料を封入させる形で製造/使用されます。
 凝固する前の状態はフレッシュコンクリート(生コンクリート/生コン)と呼ばれ、
 日本では1949年11月15日に生コンクリートが初めて市場に出荷されました。
 コンクリートの歴史は古く、類似したものは古代エジプト時代にも存在した他、
 コンクリートと確認できる最も古代のものは古代ローマ帝国の時代にまで遡り、
 ヴェスビオ火山の山麓にあった火山灰/石灰/砕石を混合したものが
 水中で硬化した事を発見したのが歴史の始まりとされております。
 また、その時代から様々な添加物が試されてきた事も判明しております。
・全国生コンクリート工業組合連合会は東京都中央区に本部を構える団体で、
 同じ拠点に本部を構える全国生コンクリート協同組合連合会と共に、
 生コンクリートに関わる多くの企業や工場が加入しております。
 全国生コンクリート工業組合連合会には、その傘下に全国地域をカバーする
 45工業組合によって組織されており、2249社/2556工場が組合員として加入し、
 全国生コンクリート協同組合連合会には249協組3県協組連/
 1875社/2105工場が加入し、両連合会は有機的に連携/運用されております。
 社会インフラの維持/更新、また激甚化する自然災害に対する
 防災/減災/復旧工事において生コン産業が果たす役割の重要性を鑑み、
 従来からの「生コンの更なる品質向上」「需要開拓」「業界のイメージアップ」の他に
 「カーボンニュートラルへの対応」と昨今の急激な物価高騰に伴う
 「コスト上昇分の生コン価格への転嫁」を加えた5つの重点課題に対して、
 地区本部ならびに会員工業組合や協同組合と連携して取り組んでおり、
 安心で安全な社会の実現のために生コンの安定供給維持と技術力向上を図り、
 自助努力と相互扶助の精神のもとで業界の一層の発展を目指しております。
ジャパリパークもその他の多くの施設と同様に、
主要な施設の資材にはコンクリートが使用されているものと思われます。
フレンズの皆様が過ごされるエリアに関しては自然環境を最大限活用する一方で、
商業/研究/娯楽などの施設に関しては長期間の様々な利用に対応するために、
コンクリートや鋼材など強度の高い資材が多用されている事が考えられます。
現在の日本のインフラは高度成長期に建設されたものが多いため、
それらの維持や管理が21世紀の大きな課題となっており、
カーボンニュートラルの時代に向けての取り組みも欠かす事はできません。
これからの時代に向けたコンクリートの研究は現在も進められており、
研究/開発/建設に携わっておられる方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3528
流浪のみんみ教徒 2022/11/16 (水) 03:33:33 457e0@e46fd

本日はいいいろ塗装の日であります。
色彩などについての関心を高めてもらう意味から、
「いい(11)い(1)ろ(6)とそう」の語呂合わせに因んで、
一般社団法人 日本塗装工業会によって1998年に制定されました。
社会に対してペインティングの正しい理解を
より深めていただく事を目的としております。
近年は特に塗装の技術革新が進んでおり、塗装を施す事で見栄えの良さの他に
断熱効果/防カビ効果/耐材効果など多くの効果が発揮されております。
・一般社団法人 日本塗装工業会は建設塗装事業者における唯一の全国団体で、
 47都道府県に支部を持ち、建設塗装工事業者約2300社で構成されております。
 全国組織としての自覚の下、社会のニーズを的確に捉えた諸施策を推進し、
 業界の発展と豊かな国づくりに貢献する事業を展開しており、
 建設塗装技能の継承・人づくりのための事業、
 技術と経営に優れた専門工事業を目指す事業、
 安心・安全な環境づくりなど様々な事業を実施しております。
 より具体的には、登録建設塗装基幹技能者の育成、
 住宅リフォーム事業者団体登録制度の実施、技術委員会研究の発表、
 いいいろ塗装の日デザイン画コンテスト、耐火塗料塗装施工技術協会の活動、
 全国建築塗装技能競技大会の開催、社会活動トップリーダー育成研修、
 リフォームアワードの開催、ペインテナンスの実施などであります。
 1948年に「任意団体 日本塗装工業会」として発足。
 1959年に当時の建設大臣により社団法人として認可。
 1964年に建設業法第27条の33により建設大臣に届出。
 1978年に全国塗装業者合同慰霊碑を建立、開眼供養式を開催。
 1987年に住宅・都市整備公団と新材料・工法の共同開発。
 1991年に海外研修をスタート。
 1998年にペイントショー'98を共催。
      「いいいろ塗装の日」(11月16日)を制定。
 1999年に「日本近代建築塗装史」を刊行。
      ペインテナンスキャンペーンを開始。
 2003年に湿式外断熱工法施工基幹技能者の養成を開始。
 2005年に施工管理者の研修を開催。
 2006年に建設塗装基幹技能者の養成を開始。
 2008年に創立60周年記念式典等を開催、記念DVDを制作。
      登録建設塗装基幹技能者を実施する団体として登録。
 2009年に第10回塗装技術研究発表会を開催。
 2010年に「耐火塗料塗装施工技術協会」を設立。
 2012年に一般社団・財団法人法制定により一般社団法人に移行。
 2013年に第23回全国建築塗装技能競技大会を開催。(内閣総理大臣賞を創設)
 2015年に国土交通省による「住宅リフォーム事業者団体登録制度」に登録。
 2017年に日塗装監修アプリ・ピクトルーラー(PictRuler)を販売。
 2018年に創立70周年記念式典を開催。
      第1回リフォームアワード表彰を開催。
 2019年に第26回全国建築塗装技能競技大会を開催。
ジャパリパークも他の様々な施設と同様に塗装は重要な役割を持っております。
それは長期間の様々な利用や環境による負荷に対応するためだけでなく、
色彩の面においても動物園施設らしさを演出しているなど、
お客様に楽しんでいただくための施設としての配慮がなされております。
前述のように塗装は見栄えや色彩による演出だけでなく、
対象物の耐久保護など数多くの役割を兼ね備えている重要な要素であります。
時代と共に増大する需要に応じて進化する塗装技術に関して、
様々な研究に携わっておられる方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3529
流浪のみんみ教徒 2022/11/17 (木) 03:33:37 修正 457e0@e46fd

本日は薬剤師/薬学者(薬化学)でいらっしゃる、近藤平三郎氏の命日であります。
・1877年12月11日に現在の静岡県賀茂郡松崎町にてお生まれになり、
 本郷のドイツ語学校から東京帝国大学医科薬学科に進まれて、
 薬学者の長井長義氏に師事されました。帝大卒業後は大学に籍を置かれながらも
 陸軍薬剤官として入隊され、薬剤師として日露戦争に従軍されました。
 終戦後に陸軍医学校にて教官を務められ、その後はベルリン工科大学に
 留学されて有機化学を専攻されました。
 1911年に帰国されると塩野義商店(現在の塩野義製薬株式会社)の
 塩野長次郎氏の懇請を受けられる形で塩野義商店顧問に就任され、
 この関係が発展して1915年には塩野氏の援助によって
 乙卯研究所を東京市に設立されて所長に就任されると共に、
 東京帝国大学の教授にも就任されました。
 以降はアルカロイド関係の薬剤開発に専心され、
 1928年には学士院賞を受賞されました。その後は日本薬学会会頭や
 日本薬剤師会会長を歴任され、1953年には日本学士院の会員となられ、
 1958年には文化勲章を受章されました。
 その後の1963年11月17日、85年の生涯を閉じられました。
ジャパリパークはその立地の関係上、医療施設も併設されていると考えられ、
そこでは医師/看護師/薬剤師などの方々による医療体制が敷かれており、
職員やフレンズの皆様、場合によってはお客様も利用されていると思われます。
いつの時代であっても、どこの地域であっても医療は必須の存在であります。
患者の方々を目の前にされる医師や看護師の方々はもちろん、
最適な薬を提供される薬剤師の方々も欠かせない人材であり、
日々の業務に携わっておられる方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3530
流浪のみんみ教徒 2022/11/18 (金) 03:33:33 457e0@e46fd

本日はフランスの画家/写真家でいらっしゃる、
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール氏の誕生日であります。
史上初めて実用的な写真技術を完成させた人物として知られております。
・1787年11月18日、当時のフランス王国のヴァル=ドワーズ県
 コルメイユ=ザン=パリジにてお生まれになり、
 フランス初のパノラマ画家でいらっしゃるピエール・プレボ氏に弟子入りされ、
 建築、劇場の設計、およびパノラマ絵画を学ばれました。
 ダゲール氏は劇場にイリュージョンを作り出す技術に長けておられた事から
 演劇の有名デザイナーとして活躍された後、自身が技術を活かして考案された
 ジオラマ劇場を1822年7月にパリに開設されました。
 1829年、先に写真術の研究を開始されていた発明家の
 ニセフォール・ニエプス氏と共同でその改良方法の研究を始められました。
 ニエプス氏は1826年に最初の写真術である「ヘリオグラフィー」を発明されて
 世界最初の写真を残しておられますが、露光時間は8時間程度を要するもので、
 一般的な実用に耐えられる技術ではありませんでした。
 ダゲール氏はニエプス氏が亡くなられた後も研究を続けられ、
 1839年に銀板写真法を発表されました。このカメラは発明者の名前をとって
 「ダゲレオタイプ」と呼ばれ、露光時間は10~20分に短縮され、最終的には
 1~2分にまで短縮する事に成功し、肖像写真の撮影も容易なものとなりました。
 ダゲレオタイプは一般の方々でも制作可能な設備や装置、現実的範囲での
 撮影所要時間と、撮影した映像の定着保存技術を全て実現させた事で、
 実用的な写真法の端緒となる画期的なものでありました。
 ダゲール氏は当時のフランスを代表する科学者のフランソワ・アラゴ氏に
 新たな写真技術への推薦を求められたところ、
 アラゴ氏はその有益性を認められてこれをフランス政府に推挙されました。
 フランス政府は公益のため、ダゲール氏へ補償として終身年金を支給する事で
 写真技術を一般に公開した結果、ダゲレオタイプは19世紀中期において
 世界中で急速に普及する事となりました。
 その後の1851年7月10日、ダゲール氏はパリから12km離れた
 シュールマルヌにて63年の生涯を閉じられ、墓もその地に建てられました。
 ダゲール氏の名前は72名の中のお一人としてエッフェル塔に刻まれております。
ジャパリパークにおいても記録に際して写真は重要な役割を持っております。
それはパークの環境/サンドスター/フレンズなど記録すべき対象は多岐にわたり、
映像や音声と共にパークの大切な財産と呼べる存在でもあると考えられます。
また、けものフレンズの作品内にも写真が登場しております。
今や、何時でも何処でもどなたにでも高精度の写真が撮影できる時代でありますが、
そこに至るまでには数多くの試行錯誤があった事は想像に難くありません。
ダゲール氏など写真技術の向上のために携わってこられた
多くの先人の方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3531
流浪のみんみ教徒 2022/11/19 (土) 03:33:33 457e0@e46fd

本日は世界トイレの日であります。
・2001年のこの日に、世界のトイレを研究されている
 シンガポールのJack Sim氏らによって設立された
 「世界トイレ機関」によって制定したのが始まりで、
 「世界トイレサミット」が創設された事に由来しております。
 2013年に国際連合総会にて承認され、毎年11月19日に定められております。
 国際連合が世界中の衛生状況の改善に取り組むべく
 世界全体では約45億人の人々が不衛生な設備を利用しており、
 約8.9億人の人々が屋外排泄をしていると言われております。
 国連が定める開発目標SDGsの17目標での6つ目にあたり、
 ターゲットでは6.2において以下のように記されております。
 「2030年までに、すべての人々の、適切かつ平等な下水施設・衛生施設への
  アクセスを達成し、野外での排泄をなくす。女性および女子、
  ならびに脆弱な立場にある人々のニーズに特に注意を向ける。」
 世界では現在もなおトイレの不足をはじめ、手洗いなどの適切な衛生観念や
 習慣が普及していないために、毎日800人以上の子供達が
 下痢などの予防可能な病気で命を落としている状況が続いている事から、
 国際連合児童基金(UNICEF)は、国連機関の中でも特に
 「水と衛生」の分野において様々な活動を行っております。
 1946年に活動を開始して以来、これまで世界中でトイレの作り方を伝え、
 トイレ作りに必要な資材を届けると共に、トイレの後の手洗いの普及など、
 衛生的な生活についての知識を広める活動も展開しております。
 なお、Jack Sim氏らは、世界でも高水準にある日本のトイレの
 洗浄技術の高さ/衛生環境面の良さなどを広く世界に発信されております。
 また、日本では「いい(11)ト(10)イレ」の語呂合わせに因んで、
 「トイレの日」が独自に制定されております。
ジャパリパークにおいてトイレについては明記されておりませんが、
他の動物園と同様に設置されているものと考えられます。
ここで気になるのはフレンズの皆様についてであります。
元の動物と身体構造や行動形態が大きく異なってヒトに近いものとなった事は、
トイレを含めた日々の様々な行動にも大きな影響を及ぼす事が考えられます。
フレンズとなられたばかりの方はトイレを含めて不慣れな事が多いと思われ、
その際にパークガイド/所在エリアの担当者/フレンズとなられて久しい方々など、
様々な方からの教育またはアドバイスが欠かせないものと考えられます。
前述の通り、世界ではトイレの利用そのものが不可能な方々がおられます。
世界中にてトイレの普及に努めておられる方々はもちろん、
設備の保守点検に携わっておられる方々に対して頭が下がる思いであります。
清潔な住環境が世界中に普及する事を強く願っております。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3532
流浪のみんみ教徒 2022/11/20 (日) 00:03:03 修正 457e0@e46fd

本日はホテルの日であります。
1890年のこの日に、東京都初のホテルとなる「帝国ホテル」が
東京都千代田区内幸町にて開業した事を記念して制定されました。
・帝国ホテルは東京都千代田区内幸町にて営業しているホテルであります。
 日本を代表する高級ホテルであり、ホテルオークラやニューオータニと共に
 「御三家」(ホテル御三家)として知られております。
 運営者の株式会社帝国ホテルは帝国ホテル東京の他、
 帝国ホテル大阪や上高地帝国ホテルを経営しております。
 1886年、東京に官庁を集中させる計画が練られた際に、
 外国人の接遇所を兼ねた国を代表する大型ホテルの設計が組み込まれました。
 隣接する鹿鳴館(1883年建設)と密接な関連を持つホテルとして、
 井上馨氏の説得によって1888年に渋沢栄一氏と大倉喜八郎氏が
 有限責任東京ホテル会社(後に有限責任帝国ホテル会社に改称)を設立され、
 備中松山藩江戸藩邸の跡地に建設する事が決定されました。
 初代の帝国ホテルは1890年11月3日に落成し、同月7日に開業しました。
 帝国ホテルは業績伸長に伴って1906年に本館裏手に別館を増築し、
 1909年には本館の大改修が行われました。その後も増改築を繰り返しましたが、
 木造建築の劣化を修繕で補う事はもはや困難な状態となっておりました。
 1916年11月に臨時株主総会で新館建築が議決され、同年12月には
 新館設計者として建築家のフランク・ロイド・ライト氏が来日されました。
 設計は翌年にほぼ完了したものの、建設用地調達が滞った事によって
 起工は1919年9月まで待たねばなりませんでした。
 新館工事が開始されたばかりの1919年12月に別館が火災に見舞われ全焼し、
 急ごしらえの別館が1920年6月に建設されましたが、
 2年後の1922年4月16日に本館が火災に見舞われ全焼してしまいました。
 度重なる火災と新館工事の遅れも重なって経営資金は逼迫し、
 取締役は総辞職して相談役に退くこととなりました。
 本館火災の翌年には新館が竣工しましたが、披露式当日の9月1日に
 関東大震災が発生して東京は大火災に見舞われました。
 しかし、帝国ホテル新館は大きな地震に対しても崩れる事なく、
 職員の方々の尽力によって火災も免れました。
 その間、経営権は渋沢氏から大倉氏に、大倉氏が亡くなられた後は
 長男の大倉喜七郎氏へと引き継がれましたが、第二次大戦後に喜七郎氏が
 公職追放に遭われた上に財閥解体によって大倉家の持ち株が放出されました。
 代わって東京殖産(後の株式会社東京相和銀行)の長田庄一氏から
 巨額の資金援助を受けられた「北支の煙草王」こと金井寛人氏が
 1953年に株式の多くを獲得されて会長に就任されました。
 1977年に金井氏が亡くなられた後、その全持ち株が小佐野賢治氏の
 国際興業株式会社に譲渡され、2004年にはその国際興業が
 サーベラス・キャピタル・マネジメントに買収されましたが、
 2007年10月に国際興業が保有する帝国ホテル株式の大半が
 三井不動産株式会社に売却され、現在は三井不動産が全持ち株の
 約33%を保有する筆頭株主となりました。
 2019年7月、東京電力ホールディングス本店ビルや
 NTT日比谷ビルなどと一体で、内幸町一丁目街区の一部として
 複数の高層ビルが建てられるという方針が報道されました。
 主体となる事業者は三井不動産とエヌ・ティ・ティ都市開発株式会社で、
 帝国ホテルについてはタワー館を2030年度に完成させ、
 本館も2036年度に完成させる予定となっております。
けものフレンズにおいてホテルで思い浮かぶのは、
アニメ二期において登場したジャパリホテルでありましょうか。
屋上にはイルカを模した大きな構造物が覆い被さるように存在し、
その中にはヘリポートが設置されているのが特徴的であり、
室内には多くの部屋や売店の他にプールも設置されており、
私達の世界におけるホテルと変わらない機能が揃えられているものと思われます。
宿泊施設はホテルだけでも様々な規模の施設が存在しますが、
そこに息づく「おもてなし」の精神は何ら変わるものではありません。
お客様が心地よい時間を過ごされるために尽力しておられる
職員の方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3533
流浪のみんみ教徒 2022/11/21 (月) 00:03:03 457e0@571b4

本日は1969年にARPANETの公開実験で、カルフォルニア大学ロサンゼルス校と
スタンフォード研究所の2カ所が恒久接続され、実験が成功した日であります。
また、この出来事に因んで「インターネット記念日」として制定されております。
・ARPANET(Advanced Research Projects Agency NETwork、
 アーパネット・高等研究計画局ネットワーク)は、
 世界で初めて運用されたパケット通信コンピュータネットワークであり、
 インターネットの起源となるシステムであります。
 ARPANETに直接影響を及ぼしたコンピュータネットワークの
 概念の提唱を行われたのはBBNテクノロジーズに所属されていた
 ジョゼフ・カール・ロブネット・リックライダー氏による
 タイムシェアリングシステムによるネットワークであり、
 その構想はアイバン・サザランド氏やロバート・テイラー氏といった
 リックライダー氏の後継者の方々によって受け継がれる事となりました。
 その後、1965年に行われた実験は失敗となりました。
 1966年にはアメリカ国防総省の高等研究計画局
 (略称ARPA、後のDARPA)から予算を取り付け、
 1968年頃までにコンピュータネットワークの計画を完成させ、
 ARPAの承認を得る事となりました。その後、契約者となる可能性のある
 140の組織などに見積依頼を送り、最終的に1969年4月7日に
 BBNテクノロジーズとネットワーク構築の請負契約が結ばれ、
 大規模な実験に用いるためのシステムのハードウェアと
 パケット交換ソフトウェアは9カ月で設計/構築されました。
 ARPANETの公開実験はカルフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)/
 スタンフォード研究所/カルフォルニア大学サンタバーバラ校/ユタ大学の
 4カ所のIMP(Interface Message Processor・ルーターの前身)を
 相互接続する形で始まり、1969年10月29日午後10時30分に
 UCLAの学生プログラマのチャーリー・クライン氏がスタンフォード研究所へ
 最初のメッセージ"login:"を送られましたが"lo"まで送信したところで
 システムがクラッシュし、これがARPANET初のメッセージとなりました。
 これは1文字ずつ送信元から送信先に対して電話確認を行いながらの送信で、
 約1時間後にシステムクラッシュから復旧させ、
 当初のテキストメッセージ全体の送信を成功させました。
 ARPANETの恒久的リンクが確立したのは1969年11月21日の事で、
 UCLAとスタンフォード研究所のIMP間の接続においてでありました。
 同年12月5日には4カ所相互のネットワークが完成しております。
 1971年には接続箇所が19ヶ所に増え、その後、国を超えて
 同盟国のイギリスやノルウェーとも接続が成功しております。
 同時に、利用内容も当初の軍事利用から科学技術の研究や
 一般の商用利用へと発展し、利用地域やその用途が増えております。
けものフレンズはインターネットと共にあるコンテンツであります。
最初の旧アプリ版から現在のけものフレンズ3に至るまで、
コンテンツ内の多くの作品はインターネットとの連携が前提であり、
コンテンツの人気が広まったのもインターネットからでありました。
今や、インターネットは生活に欠かせない存在であり、
コンピュータシステムが構築する世界は人智を超えた領域となっております。
この先、電脳世界はどのような広がりを見せるのでしょうか?
本日もお祈りいたします、みんみー。

3534
流浪のみんみ教徒 2022/11/22 (火) 03:33:33 457e0@571b4

本日は大工さんの日であります。
11月が技能尊重月間(職業能力開発促進月間)となっている事、
「十一」の字を組み合わせると「士」と見立てる事から建築士に相応しい事、
11月22日を「11二二」として「11」はニ本の柱を、
「ニ」は土台と梁などの構造体と見立てる事、
22日が大工の神様とされる聖徳太子氏の月命日(旧暦2月22日)である事などから、
一般社団法人 日本建築大工技能士会によって制定されました。
建築大工業界の発展と、木造住宅の振興などを目的としております。
・一般社団法人 日本建築大工技能士会は1964年に設立された団体で、
 建築大工技能士及び建築大工技能者の住宅建築に係る
 技能の練磨と資質の向上や、技能者の社会的地位の向上と共に、
 住宅建築産業の健全な発展に寄与する事を目的に様々な活動を行っております。
 1964年11月25日に東京の九段下にて日本建築大工技能士会を創立し、
 1976年11月26日に建設業法第27条の33により建設大臣(当時)に届出団体認可、
 1982年9月11日に労働大臣(当時)の許可を得て社団法人を設立し、
 2013年4月1日に内閣府の移行認可により一般社団法人に移行しております。
 主に住宅建築に従事する支部など全国15団体によって組織されており、
 主な活動は以下の通りとなっております。
  ①技能検定の実施協力(受検PR、検定委員の協力等)
  ②技能士の社会的・経済的地位の向上
   (マイスター制度の普及促進、大工さんの日=毎年11月22日の周知啓発)
  ③技能・技術向上のための事業
   (全国研修会、技能五輪競技大会、技能グランプリ、
    ものづくり教育・学習事業の開催協力等)
  ④大阪・四天王寺に聖徳太子氏をお祀りする「番匠堂」の奉賛法要への協力
  ⑤熟練技能者ネットワーク、大工さんセンターの運営
ジャパリパークの建設には大小様々な建設機械などの導入はもちろん、
数多くの建設従事者の方々が関わっておられる事は間違いありません。
しかも、動物園施設でありながら研究/医療/宿泊/娯楽など建物は多岐にわたり、
各方面の人材や建築ノウハウがパークのために結集している事が考えられます。
一方、自然環境を活かしながらの建設には環境アセスメントが欠かせず、
様々な専門家の方々の意見も反映されているはずであります。
人々が安心して利用する事のできる建物の建設は容易な事ではなく、
様々な環境変化に耐えうるためのノウハウは、これまでの長い年月を費やして
様々な試行錯誤を重ねながら蓄積されてきた財産と呼べるものであります。
住環境のために尽力しておられる職員の方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3535
流浪のみんみ教徒 2022/11/23 (水) 03:33:33 457e0@571b4

本日はワーク・ライフ・バランスの日であります。
仕事と生活のバランスをケアしていただく事を目的に、
ワーク・ライフ・バランス推進会議によって制定され、
2013年3月29日に日本記念日協会によって認定/登録されました。
日付を11月23日の「勤労感謝の日」としたのは、勤労に感謝するだけでなく、
仕事以外の生活の大切さも改めて認識していただく事によって、
全体にバランスのとれた生活を送っていただきたい、との思いからであります。
更に、この「ワーク・ライフ・バランスの日」を中核とする一週間を
「ワーク・ライフ・バランス週間」として提唱しております。
ワークライフバランスは人生における仕事のバランスという意味のみならず、
本来、個人の心のバランスを保てるようにするという意味合いもあります。
 ワーク・ライフ・バランス推進会議は2006年に発足された団体で、
 公益財団法人 日本生産性本部内に事務局が設置されております。
 発足以来、ワーク・ライフ・バランスへの取り組みを活動の先駆けとして
 運動展開して以降、ワーク・ライフ・バランスという言葉の認知度アップと共に、
 政府/企業/労働組合などで組織における働き方改革を中心に
 積極的で具体的な推進が図られております。
 しかし、大企業と中小企業での進捗度のギャップ、組織と従業員間の
 認識や意識のギャップから、組織依存から抜け出せていない実態がある事から、
 組織を中心としたワーク・ライフ・バランスの推進から一歩運動を前進させ、
 個人起点でのワーク・ライフ・バランス実現を目指す運動を展開しております。
 主な活動としては以下の通りとなっております。
  「ワーク・ライフ・バランスの日」「ワーク・ライフ・バランス週間」の呼びかけ
  ワーク・ライフ・バランス大賞の実施
  ワーク・ライフ・バランス・コンファレンスの開催
  ワーク・ライフ・バランス推進に関するアピールの発表
  ワーク・ライフ・バランス実践ハンドブック/書籍の作成
  ワーク・ライフ・バランスに関する委員会の設置
  自治体や関係団体などとの実践展開
  ワーク・ライフ・バランスに関する次世代ネットの構築
広大なジャパリパークでは多くの職員が所属されていると思われ、
エリアによっては昼夜を問わない労働も充分に考えられます。
パークではそういった状況も踏まえて、なるべく過重な労働とならないように
ワーク・ライフ・バランスを考慮したものとなっていると考えられます。
そのために様々な場面においてシステムの自動化が図られており、
人的負担の軽減/ヒューマンエラーの減少を実現しております。
日本は未だに世界的に見ても「働き過ぎ」とされる傾向にあり、
効率や生産性の悪さもワーク・ライフ・バランスの悪化に繋がっております。
日本の強みであるテクノロジーはこういった場面でこそ活かされるべきであり、
これからの日本の方向性を左右する大きな課題でもあると言えます。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3536
流浪のみんみ教徒 2022/11/24 (木) 03:33:33 457e0@571b4

本日は1859年にチャールズ・ダーウィン氏が
イギリスにて著書「種の起源」の初版を刊行された日であります。
また、この事を記念して、この日は「進化の日」に制定されております。
・「種の起源」は、イギリスの地質学者/生物学者でいらっしゃる
 チャールズ・ロバート・ダーウィン氏によって、
 1859年11月24日に出版された進化論についての書籍であり、
 完全な題名は『自然選択の方途による、すなわち生存競争において
        有利なレースの存続することによる、種の起原』であります。
 この著書の中で特徴的なのは、「evolution」(進化)ではなく、
 「descent with modification」(変化を伴った由来)という用語が
 用いられている事であります。進化という意味でevolutionを用いられたのは
 イギリスの哲学者のハーバート・スペンサー氏であり、
 ダーウィン氏も本書の第6版にて用いられております。
 ダーウィン氏は自然選択によって、生物は常に環境に適応するように変化し、
 種が分岐して多様な種が生じると主張され、そしてこの過程を生存競争や
 適者生存(第5版以降)などのフレーズを用いられて説明されました。
 自然選択とは、「(1)生物がもつ性質は個体間に違いがあり、
         (2)その一部は親から子に伝えられ、
         (3)環境収容力が繁殖力よりも小さいため
           生まれた子の一部しか生存・繁殖できない。
           性質の違いに応じて次世代に子を残す平均的能力に
           差が生じるので、有利な個体が持つ性質が
           維持・拡散するというメカニズム」の事であります。
 ダーウィン氏は全ての生物は一種、あるいはほんの数種の祖先的な生物から
 分岐して誕生したのだと述べられましたが、実際にはタイトルに反して、
 どのように個々の種が誕生するか(種分化)は殆ど説明されませんでした。
 一方、生物の地理的分布や性淘汰についても僅かに言及しております。
 これは当時、DNAや遺伝の仕組みについて解明されていなかった事から、
 変異や遺伝の仕組みについて説明する事が難しかったためでありました。
 また、進化を進歩とは違うものだと認識され、
 特定の方向性がない偶然の変異による機械論的なものだとされました。
 ダーウィン氏は進化の概念を多くの観察例や実験による傍証などの
 実証的成果によって、進化論を仮説の段階から理論にまで高められました。
・本書は非専門家向けに読みやすく書かれており、幅広い関心を集めた一方、
 当時の生物学の根本をなす宗教的信念を否定したために、
 科学的だけでなく、宗教的/哲学的論争も引き起こしました。
 ダーウィン氏の貢献以来、中立進化説の確立など進化理論は急速に発展し、
 自然選択説は適応進化の要因として現在も科学的に認められている一方、
 現在でも進化論を否定する創造科学や、インテリジェント・デザインなどの説が
 反進化論団体によって主張されております。
 なお、現在でもダーウィン氏の有名な発言として
 「最も強い者が⽣き残るのではなく最も賢い者が⽣き延びるのでもない。
  唯⼀⽣き残ることが出来るのは変化できる者である。」
 という言葉が紹介される事がありますが、ダーウィン氏自身の発言や
 「種の起源」にも該当する言葉はなく、経営学者のメギンソン氏による
 解釈が流布したものであるとされております。
・前述の通り、初版は1859年11月24日に刊行され、改版は1860年1月7日刊行の
 第2版以降13年間に渡り加筆修正を加えて、1872年の第6版まで継続されました。
 特に、第6版では「自然選択説にむけられた種々の異論」の章が新たに追加され、
 それまでに寄せられた異論について回答が述べられております。
 なお、第6版についても修正が続けられ、ダーウィン氏による
 最終的な編集は1876年であったとされ、版を重ねるにつれて批判に応じて
 自然選択以外の要因も認められるようになりました。
 日本での翻訳刊行は1896年に立花銑三郎氏により「生物始源」の題名で翻訳され、
 1905年に東京開成館から「種之起原」の題名で出版されました。
 1915年に思想家の大杉栄氏による翻訳本「種の起原」も出版されました。
 現在最も入手が容易な翻訳書は岩波文庫版の「種の起原」であり、
 これは原書初版を基本とし、後の改訂が脚注として補完されております。
 2009年には光文社古典新訳文庫より原書初版の翻訳となる
 「種の起源」が上梓されております。
けものフレンズに登場されるフレンズの皆様は、環境の変化に適応して
進化を遂げてきた動物がサンドスターによってヒト型に変化された方々であります。
ヒト型に変化されても元の動物の特徴は幾つか残されているようであり、
特に元の動物の長所はフレンズとなられた後も有効に活かされる場合もあり、
ヒトの長所と元の動物の長所を併せ持った画期的な姿と呼べるかもしれません。
進化は生き物だけに該当するものではないと考えられ、
環境の変化はあらゆる事象に適応を促し、結果として優れた能力が得られます。
時代と共に生き物が、環境が、世界が変わっていく中において、
私達はこれからどのような方向へと向かうのでしょうか?
本日もお祈りいたします、みんみー。

3537
流浪のみんみ教徒 2022/11/25 (金) 03:33:33 457e0@571b4

本日はロシア帝国・ソビエト連邦の植物学者/遺伝学者でいらっしゃる、
ニコライ・イヴァノヴィッチ・ヴァヴィロフ氏の誕生日であります。
・1887年11月25日にモスクワの商家にお生まれになり、
 1911年にモスクワ農業大学を卒業されました。
 1912年まで応用植物学研究所や植物病理学研究所に勤務され、
 1913年から翌年にかけてウィリアム・ベイトソン氏(「遺伝学」の命名者)
 のもとへ留学されて植物の病害抵抗性の研究を行われました。
 1917年にサラトフ大学農学部教授に就任され、
 1919年にはコムギのさび病に対する抵抗性の研究に携わられ、
 1920年には栽培植物の「平行変異説」で注目されました。
 1921年、ペトログラード(現在のサンクトペテルブルク)の
 応用植物学研究所(後の連邦植物栽培研究所)の所長に就任され、
 1926年にはレーニン賞を受賞されました。1930年代にはモスクワの
 ソビエト科学アカデミー遺伝学研究所所長や連邦地理学会会長などの
 要職を兼任され、ソビエトの作物改良研究の責任者となられました。
 ヴァヴィロフ氏は食糧の安定確保のためにも多様な遺伝資源を確保する事が
 肝要と考えられ、世界各地への大規模な農学・植物学調査旅行を行われました。
 この成果に基づき、遺伝的多様性が高い地域(遺伝子中心)がその作物の
 発祥地であると考えられ、栽培植物の起原についての理論を発展させました。
 更に当時では世界最大の植物種子コレクションを創設されました。
 研究の結果は著作「栽培植物発祥地の研究」に纏められております。
 しかし同じ1930年代に、メンデル遺伝を否定される
 トロフィム・ルイセンコ氏が政治的に勢力を拡大され、
 真っ向から反する形のヴァヴィロフ氏の学説を否定されました。
 1940年に解任/逮捕される憂き目に遭われ、1943年1月26日に
 サラトフ監獄にて栄養失調のため55年の生涯を閉じられました。
 1955年にヴァヴィロフ氏の名誉は回復され、ソビエト科学アカデミーは
 ヴァヴィロフ賞(1965年)とヴァヴィロフメダル(1968年)を創設しております。
・ヴァヴィロフ氏は1929年に日本を訪れており、北は北海道から、
 南は当時日本の植民地であった台湾や朝鮮まで赴かれ、
 日本の学者の方々との交流を行なわれました。
 札幌では北海道帝国大学の明峯正夫教授に会われ、
 寒冷地の北海道で栽培されている稲品種の種子を求められましたが、
 明峯教授はこれを拒否されました。京都では京都帝国大学の小麦の遺伝学者で
 お互いに親しい仲でいらっしゃった木原均教授に会われ、
 「栽培植物の起源」と題する講演を英語で行なわれました。
 九州では九州帝国大学の盛永俊太郎教授(稲の遺伝・品種学)に会われ、
 「稲の研究はあなたに任せる。」といった事を述べられたとされております。
ジャパリパークでは独自に農作物が生産されており、
ジャパリまんの原料確保などのために活用されておりますが、
その開始当初は敷地の土壌や農作物に対する様々な影響など様々な苦労があり、
専門家の意見など多くの助言が参考となった事が想像できます。
現在様々な地域で栽培されている農作物は多くの改良の末に生まれたものであり、
そこに至るまでには数えきれないほどの試行錯誤があったはずであります。
農業の発展のために尽力しておられる方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3538
流浪のみんみ教徒 2022/11/26 (土) 03:33:33 457e0@571b4

本日はポリフェノールの日であります。
「いい(11)ポリフェ(2)ノール(6)」の語呂合わせに因んで
日本ポリフェノール学会によって制定され、
2020年9月29日に日本記念日協会によって認定/登録されました。
国内外の研究でポリフェノールには様々な健康機能がある事が
明らかになってきた事から、それらの研究成果を社会に還元し、
国民の健康維持増進に貢献する事を目的としております。
・ポリフェノールは複数のフェノール性ヒドロキシ基
 (ベンゼン環、ナフタレン環などの芳香環に結合したヒドロキシ基)を
 分子内に持つ植物成分の総称であり、解りやすいところでは
 光合成によって生成される植物の色素や苦味の成分であり、
 殆どの植物に含有され、5000種類以上の成分が存在しております。
 ポリフェノールの主な種類はオレウロペイン/フラボノイド/
 フェノール酸/エラグ酸/リグナン/クルクミン/クマリンであります。
 ポリフェノールという名称は厳密に考えれば俗称に近く、
 本来、ポリフェノールという言葉が化学的な用語として指すべきなのは、
 フェノール性水酸基を多数持つ物質ではなく、ポリマーとしてフェノールが
 多数連結したフェノール樹脂のような物質の事であります。
 しかし、現在は俗称として前者としての用法が俗に広まっております。
 香料や色素として古くから食品や化粧品に使われておりましたが、
 1992年、フランスのボルドー大学の科学者セルジュ・ルノー氏が、
 フランス/ベルギー/スイスにお住まいの方々の心臓病の死亡率の低さから
 日常的に飲まれている赤ワインに着目され、人間を始めとする動物が
 赤ワインに豊富に含まれるポリフェノールを摂取すると、動脈硬化や
 脳梗塞を防ぐ抗酸化作用、ホルモン促進作用が向上すると発表されました。
 しかし、この説に対しては異論も唱えられており、
 赤ワインに含有する抗酸化物質「レスベラトロール」は
 ヒトに対する健康効果は無いとの研究報告もされております。
・日本ポリフェノール学会はNPO法人お茶の水学術事業会内に事務局を置く団体で、
 日本健康食品協会の元理事長の細谷憲政氏を中心に2007年に設立されました。
 医学/運動生理学/栄養学/工学/農学/薬学など、
 ポリフェノールに関する幅広い分野の研究が行われており、
 信頼できるデータづくりに併せて、正しい情報の交換および発信を行い、
 ポリフェノールの価値やそれに関連している企業のイメージアップや、
 消費者保護という立場での研究の有効に活用する事で、
 国民のQOLの向上に貢献していきたいという事を目的としております。
 主な活動はポリフェノールに関する様々な研究発表の他に、
 定期的に行われる学術集会や講演会、学会誌「PRO·PO」などの刊行物の発行、
 一般消費者の方々への普及啓蒙などとなっております。
 また、ネスレ日本株式会社/花王株式会社/株式会社ロッテ/
 日清食品ホールディングス株式会社/株式会社伊藤園/オリザ油化株式会社/
 株式会社明治といった大手企業が賛助会員として参加しております。
ジャパリパークにおいて栽培される農作物にもポリフェノールが含まれており、
ジャパリまんの栄養素において重要な役割を果たしているものと考えられます。
これは元の動物に必要な栄養素のデータとして活用されるものであり、
この点においても研究施設では日夜研究が進められているものと想像できます。
昨今の健康意識の高まりからポリフェノールは更に注目される成分であり、
その研究に日々携わっておられる方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

3539
流浪のみんみ教徒 2022/11/27 (日) 00:03:03 457e0@571b4

本日はフランスの地質学者/古生物学者/地球科学者でいらっしゃる、
アルベール・ゴードリー氏の命日であります。
・1827年9月16日にサン=ジェルマン=アン=レーにてお生まれになり、
 古典学を学ばれた後にパリ自然史博物館の地質学部門にて勤務されました。
 その後、キプロス島の学術研究調査に参加され、島の地質図を製作されました。
 そのキプロスからの帰路の途上、ギリシャのアッティカ半島で出土した
 化石を調べる機会を得られ、その後、アッティカ半島のPikermiで出土した
 豊富な哺乳動物の化石群の研究を開始され、
 動物の進化に対する多くの研究成果を得られました。
 1872年にパリ自然史博物館の地質学部門のリーダーの職を
 博物学者のアルシド・ドルビニ氏から引き継がれました。
 1884年にはロンドン地質学会からウォラストン・メダルを受賞され、
 その年にパリ植物園内に「比較解剖・古生物学陳列館」を設立され、
 1900年にはパリで開催された国際的な地質学会議を主導されました。
 ゴードリー氏は1908年11月27日に81年の生涯を閉じられましたが、
 1910年にゴードリー氏の遺志により、フランス地質学会から
 地質学者や古生物学者に贈られる「ゴードリー賞」が創設されました。
海底火山の噴火によって出現した島を利用したジャパリパークは非常に広大で、
調査が詳細に進んでいない、または未知のエリアが存在する可能性があります。
パークの通常営業の一方、そのエリアに対する調査も進められていると考えられ、
営業エリアの拡張または環境保全の観点からのエリア保護も視野に入れて、
商売と環境保全のバランスを含めた経営戦略が考えられているものと思われます。
現在の科学力をもってしても地球の全てが解明できているわけではなく、
地球は未だに多くの謎に包まれた惑星でもあると言えます。
現在よりも情報やツールがはるかに少ない状況の中で、
地球に関する調査に携わっておられる方々に対して頭が下がる思いであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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