ゴイシシジミに鬼ごっこで負けたあの日から3日がすぎた今日まで、私は彼女と常に行動をともにすることを余儀なくされていた。
でも今は一人。彼女の姿はない。
まだ太陽が上り初めて間もない早朝。
眠ったままのゴイシシジミの元からこっそりと抜け出してきたのだ。
でもそれは逃げるためではない。
逃げても無駄なことは、この数日間で嫌という程思い知らされた。
だから私が今一人で森の中を歩いている理由は、束縛からの解放などではなく、もっと単純な理由。
私は空腹を満たすために、未だ眠りから覚めきらぬ森の中を彷徨っていた。
「この辺のはダメかぁ……」
辺り一面に青々とした草が生い茂っているが、これらは食べられない。
毒に汚染されているからだ。
毒の有無を見分けるのはそう難しくはない。
キラキラとした光を纏っている草は間違いなく有毒だ。
一見なんの変哲もない草も、毒草の周辺に生えているものは危険性が高いから、食べない方がいい。
毒が身体に及ぼす害が大したことなければ、わざわざこんな風に歩き回って余計にお腹を空かせたりはしない。
でもこの毒は、死に至るほどの強力なものだ。
それを食べてしまったら最後、高熱で三日三晩苦しんだ後に死んでしまうという。
本当に恐ろしい話だ。
……それほどまでに致命的な毒が故に、ゴイシシジミが毒のある草を当たり前のように食べ始めた時は驚愕した。
誰も食べようとしない死の塊を、顔色一つ変えずに食べる彼女が信じられなかった。
悪食なんて言葉で言い表すことの出来ない、常軌を逸した食性。
それは明らかに……異常だった。
「食性……」
ふと嫌なことを思い出しそうになったが、今は無理にでも忘れておくことにする。
今は自分の食料の調達が先決だ。
私はより、感覚を研ぎ澄まし、注意深く毒の及ばない清浄な草を探して歩く。
そうして無心で足を動かし続けた。
気づけばそこは知らない場所。
…光の届かない暗緑の森。
どうやら、いつの間にかだいぶ森の奥の方まで来ていたらしい。
私は足を止める。
「……」
辺りはしんと静まり返っている。
木々が風に吹かれて揺れる音すら聞こえない。
ここには一切の風が届かないのか。
「それに……」
夏といえど、朝は少しだけ肌寒い。
でも今感じている寒気は、そういったものとは別の寒気。
例えるならそれは、一人で雨の中歩いていて、ふと後ろに気配を感じた時のようだった。
「……!」
なんだか既知感のある例えをしてしまった私は、慌てて辺りを見回したが、ゴイシシジミの姿は見えない。
私は少し安心した。
…だがその安心はすぐに不安に包まれる。
…………。
あまりに不気味な雰囲気に多少の恐怖心を抱き、一瞬引き返そうかとも思ったが、その考えは無情にもお腹の音に却下される。
背に腹は変えられない、ということか。
「……いこう」
私は覚悟を決めて歩き出したが、足どりは重くとても進んでいるとはいえない。
そこで私は、今感じている厄介な感情を克服するために、一人の少女のことを思い出すことにした。
それはゴイシシジミのこと。
よくよく考えたら、彼女以上に恐ろしい存在なんて他にないのだ。
もちろんセルリアンも少しだけ怖いが、倒すべき敵である以上、恐怖心よりも戦意が上回る。
だけどゴイシシジミはフレンズで、一応私の守るべき対象だ。
……だから殺すことは出来ない。
その事実が彼女への恐怖心を増長させているのは確かだが、それを除いても、彼女にはセルリアンをはるかに凌ぐ恐ろしさがあった。
ゴイシシジミに比べたらこんなの全然怖くない。
だから、……大丈夫。
「……あ…れ?」
そこで、自分がおかしなことを考えているのに気づいた。
私はゴイシシジミのことを散々怖い怖いと言っているが、今は恐怖心を押しとどめ一歩を踏み出す為の、……心の拠り所にしようとしているのだ。
……なんだか、いろいろと矛盾しているような気がする。
でも、彼女のおかげでこうして恐怖心が薄らいだのは事実で……。
……。
私は、ゴイシシジミに感謝しても良いものかと頭をひねらせる。
彼女のせいで新たな悩みができてしまったが、足取りの方は軽くなっていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
あれからどれだけ歩いたのだろう。
さっきまでとあまり変わらない景色から、そんなに歩いてはいないのではないかと予測する。
私はいつの間にか再び足を止めていた。
一度は収まった恐怖の感情が再発したから、というわけではない。
誰かが私をミていた。
私はただ、その視線に釘付けにされていたのだ。
同意の目。…好奇の目。……殺意の目。
それらのどれにも当てはまらない……無感情な眼。
それは、私が心に抱いていたもやもやを全て消し去ってくれた。
「ぇ……ぇ…?」
バックリと大きく開かれた、目らしき部位は、信じられないくらい真っ暗で、吸い込まれそうになる。
私は、……こんな目をしたひとを知っている。
「……ゴイシシジミさん?」
私は、瞬きひとつしないそいつに呼びかけた。
違う。違うんだ。そんなのは分かっている。こいつが彼女ではないのはわかっている。
だってこいつは……。
「……せ…セルリアン……」
こちらを捉えて離さない、無機質な眼光。
それはフレンズの天敵、セルリアンのものだった。
それを完全に理解した私は、今自分が置かれている状況も理解して青ざめる。
私は何を呑気にセルリアンと見つめあってるんだ。
……こんなに接近するまでセルリアンの存在にも気づかないだなんて。
それは、死に至りうる程に危険な油断。
今までにこんなことは一度も無かった。
本能が警告をしてくれていたから。
にもかかわらずこんな状況に陥ってしまったのは、本能が警戒を怠ったからだ。
私はここのところ、常にゴイシシジミと行動を共にしていた。
本能が拒むキケンな少女と、四六時中一緒だったのだ。
ずっと警戒を続けるなんて、そんなことは出来っこない。
私の彼女への警戒心は、段々と薄れつつあった。
最初のうちはその事実を否定し続けていたが、今では認めざるを得ない程に手遅れなことになってしまっている。
……つまり、私の本能はゴイシシジミのせいでバカになってしまったのだ。
「ゴイシシジミさん……」
私はあなたを恨みます。
ここで死んだら、もっと怨みます。
そして、もし生きて戻ったのなら文句を言ってやります。絶対に。
私はそうかたく決意し、ナイフを強く握りしめた。
まず私がすべきことは、敵を観察すること。
相手の弱点や、攻撃方法、その範囲が分かれば、こちらの勝率はぐっと上がるはずだ。
しかし、私の観察眼はあまり優れてはいない。
その理由は、今までの私の戦闘スタイルにあった。
それは、相手を敵だと判断した次の瞬間に突撃、攻撃をするというもの。
以前はそれでもなんとかなっていたが、今はこの身を守る硬質がほとんど砕け落ちてしまっていて、脆い部分が露出してしまっている。
本来鎧に守られるべきであったであろうそこを狙われてはひとたまりもない。
だから私は慎重にならざるを得なかったのだ。
セルリアンの大きさは、ゴイシシジミの身長の2倍くらい。
形状は、地面から突き出した1本の柱の上に、眼を有した頭らしきものが付いている、というもの。
頭からは触手のようなものが2本垂れていて、その先端は鋭い刃物のようになっている。
それは、敵を攻撃する以外の用途が思いつかない程に凶悪な形状だった。
…あの触手を伸ばして攻撃をするのだろう。
だとすると、今私が立っている位置はセルリアンの攻撃範囲内ということになる。
ざり……
私は、セルリアンから視線を外さず、一歩後ずさる。
セルリアンもまた、こちらを観ているのか動かない。
一歩……もう一歩。
そのようにして、ジリジリと距離を開いていく。
あと二、三歩で敵の攻撃範囲から出れるだろうと言うところで、背後に気配を感じた。
しまった、挟み込まれた……?!
私は最初、背後から感じる禍々しい気配の正体をセルリアンかと思ったが、彼女の第一声ですぐにそうではないと分かる。
「こんなところにいたのね」
それは、私のよく知る声。
その声を聞いた私は安心したと同時に、恐れを抱いてしまった。
セルリアンのほうがまだマシだと思える程に、彼女が怖い。
それは、ゴイシシジミに初めて会った時に感じた恐怖とはどこか違う。
……とにかく、私は彼女がこの場にいるということが、どういうわけか怖くてたまらないのだ。
怖いと思った時にはもう遅い。
一度恐怖に屈してしまった私は、恐怖に対して負の耐性が付いてしまっていた。
ゴイシシジミによって再びもたらされた恐怖は、あの日と同じように私の身体を縛り付ける。
体が動かない。
手足を動かそうと試みたが、やはりびくともしない。
私は、恐怖と焦りでどうにかなってしまいそうな心を無理やりに落ち着ける。
こんな時こそ冷静にならなければならない。
セルリアンは……まだ動く様子はない。
それなら、セルリアンが動き出すよりも早くこの呪縛を解けばいいだけのことだ。
私は目を閉じ、考えをめぐらせる。
私は前に一度、ゴイシシジミの縛りを自力で打ち破ったことがあったはず。
あの時はどうやって動けるようになった……?
……………………うまく思い出せない。
そもそも、何も特別なことはしなかったはずだ。
ただ動けるような気がして、そうしたら本当に動けた。それだけ。
……でも今は、それがない。
動ける気がしないどころか、絶対に動けないとさえ思ってしまいそうになる。
どうやらこの方法は望み薄のようだった。
……でも、万策が尽きたわけではない。
もうひとつだけ策が残されている。
本命はこっちの方だ。
私が常日頃から考えていた、対ゴイシシジミ用の秘策。
……それは、恐怖の原因を突き止めて、それを解消するというもの。
怖くなくなれば、自然と体の硬直も解けるはず。
実に単純な考えではあるが、その効果は絶大…のはず。
…確実性の有無について考えているほど時間に余裕はない。
私はセルリアンが活動を開始するまでに、この呪いを解かなくてはならないのだ。
私は考える。
まず、私がさっき感じたのは間違いなく恐怖だった。
次に、ゴイシシジミの声が聞こえるまで普通に動けていたことから、セルリアンに対する恐怖ではないということがわかる。
私は、ゴイシシジミの何を恐れている……?
私はあの時確か……彼女がこの場にいることが怖いと思ったはず。
彼女の存在そのものより、この状況に恐れを抱いた。
その恐れの形は、ここ数日ずっと彼女といても抱いたことのないものであった。
これまでと絶対的に違う何か。
これは考えるまでもない。
セルリアンだ。
今目の前にいるセルリアンこそが答えだ。
となると……ゴイシシジミとセルリアンが同時に存在していることで起こりうる可能性…私はそれを恐れている、ということになる。
そこまで考えたところで、私はあることを思い出した。
それは、ゴイシシジミがセルリアンとよく似た真っ暗な瞳を持っているということ。
……それは、セルリアンと彼女を見間違えてしまうほどに似ていた。
そして、あの時私は密かに思ってしまったのだ。
………彼女は実はセルリアンなんじゃないかと。
…………。
私は思考がズレ始めてしまったことに気づいた。
これではいけないと思い、本題に戻る。
すると…つまり私は……彼女がセルリアンと結託して襲いかかってくることを恐れている……?
……多分違う。
私はゴイシシジミに心を完全に許したわけじゃない。
だから、常に疑いの目は向けているつもりだ。
寝首をかかれないように、日々警戒の手をできるだけゆるめないように心掛けている。
だから彼女を疑うことなんて、今更怖くもなんともない。
彼女から実際に攻撃を受けたら、疑いかけていた本能を再び信じることが出来て、むしろ喜しいくらいだ。
今の私にはゴイシシジミを疑うことよりも、信じることの方がよっぽど怖い。
……信じることの方が……怖い。
彼女を完全に信用してしまうことによって生じる不利益……それが怖い。
もし私がゴイシシジミのことを信用していたなら、……きっと彼女は、私にとって友達と呼べる存在になっていただろう。
でも、私には彼女と友達になれない理由がある。
友達は作らないという私の信念に反するから、私は彼女とも仲良くできない。
……私が友達を作らない理由。
それは、私が強くないから。
私がセルリアンとの戦いで命を落とすのは、私の中で既に決められていることだ。
私は……自分の弱さのせいで、置き去りにしてしまった大切な友達の人生を、壊してしまうのが怖いのだ。
…………これが……答え?
私の感じている、恐怖の正体……?
でも、でもこれはもしもの話だ。
私はゴイシシジミのことを信用してはいないし、友達だとも思ってないはず……。
なのに……どうして?
私は、恐怖の原因が別にあるのではないかと思い、酷く脆弱な思考回路を再び繋げた。
すぐに頭の中をぐるぐると廻って致命的なエラーの原因を探し始める。
しかし、いくら思考を巡らせても他に答えが見つからない。
……………。
私は……彼女を信じかけている……?
そして、大切だとすら思いつつあるとしたら……。
……薄々は気付いていた。
でも、私は目を背けてしまった。
それを認めてしまったら、もう元には戻れない。
…………認めざるを得ないの……?
すっかり臆病者と成り果ててしまった私は、退路を残して中途半端に事実を認める。
私は彼女のことが……そこまで嫌いじゃないのかもしれない。
……それを認めたからといって、問題が解決される訳ではない。
呪縛から開放されるまでの過程のひとつ。
恐怖の原因を突き止めたに過ぎないのだ。
……私はこれから、どうやってこの恐怖を克服すればいい?
……………………。
私の頭はあまり良くはないのだろう。
秘策だなんて大層なことを言っていたが、一番肝心な恐怖の原因の解消方法がてんでわからない。
私は結局、策と呼ぶにはあまりにも稚拙な手段を選んでいた。
死ぬことなんて怖くない。
残された人の事なんて知るもんか。
そう自分に言い聞かせる。
声は出ないから頭の中で唱える。
ゴイシシジミがセルリアンに殺されることなんて、怖くない。
二度と会えなくなったって……全然構わない。
何度も、何度も言い聞かせる。
……しかし体は動かない。
それどころか、感情で偽ろうとすればするほど、体は心への信頼をなくし、言うことを聞かなくなる。
動け
このまま終わるなんてできない。
だから……
動け
たとえ相手が、自分に非常食の烙印を押すようなひとであろうと、私が兵士である以上守らなくてはならない。戦わなくてはならない。
動け動け動け動け動け動け動け……!
……どれだけ強く念じても、体は動かない。
私はセルリアンの攻撃範囲に入ったままだ。
そして、やつはもう観察を終えたのか既に触手を振り上げている。
身体中の感覚が遮断されたその代わりというように、その姿がより鮮明に映し出されて……。
セルリアンの触手がこちらへと迫ってきている。
それは真っ直ぐと私を捉え、命ごと貫こうとする。
尖ったものが目に飛び込み、私がもうダメかと思った瞬間……
ドンッ
私にかけられた呪縛は打ち破られた。
それも、予想外の形で。
不意に視界が傾く。
不測の衝撃を身に受けた私は宙を舞い、そして地面に叩きつけられた。
「いた……」
私はすぐに立ち上がると、セルリアンを見合った。
が、セルリアンはこちらを全く見ようとしない。
セルリアンの視線の先には……ゴイシシジミがいた。
彼女は地面にうずくまっている。
そして、その傍らには……腕、のようなものが落ちていて、…それを中心に、赤い色が広がっていた。
「そんなッ!!」
私は全ての思考を打ち切り、全力で駆ける。
私の中にはもう、生きるために必要な最低限の恐怖すらもなくなっていた。
今回はちょっと長いので分割して上げてます
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
気がつけば死地の真っ只中。
私はセルリアンとフレンズの間に割って入っていた。
「…………」
背後からは、あの無色透明な笑顔からは想像できないような濁った呻き声が聞こえる。
その声は、血の匂いを纏って痛みを訴える。
熱を持った血の匂いが、理不尽な痛みに身を縮める少女の悲痛な声が、……私を激しく興奮させる。
血が逆流してしまったような感覚。
頭が熱い。
荒くなった私の呼吸が、背後の少女のそれと重なる。
「……」
私はこれら全ての邪魔な感覚を無視する。
……身を滅ぼすような感情はいらない。
私は……この敵に本能だけで立ち向かう。
✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕
……それから先のことは、よく覚えてない。
無我夢中だった。
セルリアンは目の前から消え失せ、手に握っていたナイフには黒い液体がべっとりとついている。
「はぁ……はぁ………かった…?」
ふと、足にズキっとした痛みが走る。
私は痛みの方に目をやった。
いつの間にか怪我をしていたらしい。
傷口からは、脈々と血液が流れている。
その一筋の赤い流れが、私に何かを思い出させる。
"キミのためなら……こんな痛み、なんてことないよ。 "
……あるはずの無い記憶。
それは、私じゃない誰かの……痛み。
「……そうだ、ゴイシシジミさん…!」
私はまだ地面に伏せたままの彼女に駆け寄る。
「ゴイシシジミさん、大丈夫ですか……?」
私は、そんな模範的でなんの心もこもらないような、空っぽな言葉で彼女の心配をした。
大丈夫なわけがない。
片腕を失ったのだ。
「ごめんなさい……私が……」
私が次に続けようとした言葉は、目の前の異様な光景を前に霧散してしまった。
彼女は、……ゴイシシジミが…………セルリアンに切断された自らの腕を……食べていた。
一心不乱に、何かにとりつかれたように。
服が血で汚れることなんて気にせず、バリバリ、ガリガリと。
そんな恐ろしいはずの光景を見ても、私の心はなぜか落ち着いていた。
いつだったか、こんな光景をすぐ近くで見たことがあるような気がする。
詳しく思い出そうとしたところで、顔を上げたゴイシシジミと目が合った。
「あの、えっと……」
黙っているわけにもいかず、何か声をかけようとしたけど、なんて言えばいいのか分からない。
そんな私の顔を見るや否や、彼女は顔を伏せた。
「ご、ごめんね。……こわがらせ、ちゃった…わよね」
ゴイシシジミは私に謝罪の言葉を言ったが、そんなのはどうでもよかった。
彼女が顔を伏せる前に一瞬だけ見せたあの表情が、……頭に焼き付いて離れない。
今にも泣き出してしまいそうな…潤んだ瞳。
それは、私が恐れ、嫌ったあの少女のものとは思えないくらいに弱々しいものだった。
「ゴイシシジミさん……、」
「そ、そんなことより! ……あなた意外と強いのね。びっくりしちゃった」
私が言おうとした言葉は、彼女に遮られてしまった。
それは、彼女から私への初めての拒絶。
私は彼女に拒絶されて、……少し安心してしまった。
あのままでは、私はまた心無いことを言っていたかもしれなかったから。
「ぁ……、…………」
彼女の言葉から何も言われたくない、という意思が見えたので、それ以上は何も言えなかった。
……この時私は、なにか言葉をかけてあげるべきだった。
彼女は明らかに傷ついていたのに……。
後悔した私は、これ以上後悔しないようにと言葉を紡ぎ出そうとする。
「あの、腕……」
「…………私は……あなたと同じフレンズよ」
ゴイシシジミは、"両手"でスカートの裾をぎゅっと掴んで言った。
彼女は俯いていてその表情は伺えなかったけれど、見なくても分かる。
さっき一瞬だけ見せた表情。
あの……今にも泣き出してしまいそうな、弱々しい顔。
今の彼女はきっとそんな顔をしているのだろう。
何か言葉をかけなければ。
……でも、こんな時なんていえばいいのか分からない。
あれでもないこれでもないと考えあぐねているうちに時間が過ぎていく。
そうしてようやく思いついた言葉を口にしようと顔を上げた時には、もう…遅かった。
ゴイシシジミはもう顔を上げていて、彼女がいつもそうするように
柔らかく微笑んでいた。
…………ごめんなさい。
ーーーーーーーーーーーーーーー
あの後、ゴイシシジミは無毒な草を探すのを手伝ってくれた。
その間、彼女はいつにもまして口数が多かった。
綺麗な花を見つけた時や、私のお腹が鳴った時。
ことあるごとに話しかけてきた。
私はその度に相槌を打って、笑顔を作ったりしてみた。
そうして、二人で歩いているうちに水の流れる音が聞こえてきた。
音のほうへ行くと、そこは川。
川辺に生えていた草は毒のないものばかりで、私はようやく空腹を満たすことが出来た。
私が食事をしている間、ゴイシシジミは川で服に付いた血を洗い落としていた。
彼女は私が見ていることに気づくと、笑顔を作り、少しだけ手を上げてこちらに振った。
私は同じように手を振り返すと、あまり邪魔するのは悪いと思い、それ以上彼女を見ないようにした。
私が食事を終え、足に付いた血を川で洗い流していると、ゴイシシジミが来た。
どうやら服を洗い終えたらしい。
血で赤く染まってしまっていた部分も、今では元の白さを取り戻している。
それぞれの用事を済ませた私たちは、これからのことについて話し合った。
そして、暗くなる前に南森に戻ろうということになった。
南森とはその名の通り、島の南の方にある森だ。
ゴイシシジミ曰く、南森が一番セルリアンが少なくて安全なのだと言う。
・・・・・・・・・・・・・・・
南森への帰り道。
ゴイシシジミの口数は少しだけ減ったが、相変わらず私に話しかけてくれる。
何にもなくても私の名前を呼んだりする彼女だったが、彼女がいつもしてくる、急に抱きつく等の過度なスキンシップをしてくることはなかった。
それどころか、私が一歩近づくと彼女は一歩離れる。
私が怪訝な顔をしているのに気づいた彼女は、「ほら、これ…臭いから……ね」と言って申し訳なさそうに右の袖を摘んで見せてきた。
そこは、彼女が特に念入りに洗っていた部分。
血の汚れはほぼ完璧に落とされていて、今では見る影もない。
…だけど、うっすらと血の匂いが残っていた。
ゴイシシジミの言葉を聞いて、そんなことか、と思った私は彼女に一歩歩み寄る。
すると彼女がまた身を引こうとしたので、腕を掴んで阻止してやる。
すると、掴んだ右手は少しの抵抗を見せた後、やがて大人しくなった。
私の束縛を受けたゴイシシジミは、何が起こったのか分からず理解が追いつかない、というような顔をしていた。
これで彼女にも、こちらの気持ちが少しは分かるだろうか…?
…………。
何故こんなことをしたのかは自分でもよく分からない。
ただ、そうしたいと思った。
……私の頭はどうかしてしまったのかもしれない。
でもまあ、珍しく動揺するゴイシシジミが見れたから別にいいか……。
「……さ、ささ、ささこ…? これ……なに…?!」
彼女の問いかけに私は答えない。
「早く帰りましょう」
・・★・・*・・★*●・★・・★・*・・*★・・*
私がゴイシシジミの手を引き、南森に着いたのは日が沈んだあとのこと。
こんなに遅くなってしまったのは、ここへ向かう途中、急にゴイシシジミがウトウトとし始めたからだ。
彼女の足取りが急に不確かになったのに気づき、私が振り返るとそこには……立ったまま寝るゴイシシジミがいた。
信じられなかった。
私がこの手を離して一人で帰ったら、一体どうするつもりだったのだろうか…?
結局私は彼女のことを起こすに起こせずに、半ば引ずるようにしてここに戻ってきたのだ。
・・・
あたりはもうほとんど真っ暗だ。
私がゴイシシジミを"いつもの木"の下に寝かすと、彼女はすぐに寝息を立て始めた。
無防備に眠るゴイシシジミの背中が、星明かりに照らされている。
今日は色々あって、疲れたのだろう。
私はその背中をぼんやりと見ながら、今日のことを思い出していた。
…………。
彼女は言った。
同じフレンズだと。
今にも泣きそうな顔で、泣いているような声で言った。
私はその彼女の言葉を疑いはしない。
……だけど、私は一度、彼女のことをセルリアンではないかとまで思ってしまった。
あの言葉を聞いた時、私の心は彼女にとても酷いことをしてしまったという罪悪感でいっぱいだった。
故に、言葉の意味を深くは考えられなかった。
でも今ならなんとなく分かる。
……ゴイシシジミはあの時、私に拒絶されるのが怖かったんだと思う。
私はずっと、彼女の上辺を見て拒絶していた。
彼女のことを得体の知れないひとと称し、恐れていた。
そんな時に、いきなり彼女の本質を見てしまった。
多分あの時私に見せたのが、ゴイシシジミの本当の姿なんだと思う。
私が本当のゴイシシジミを拒絶してしまったら、……彼女はきっと一人ぼっちになってしまう。
……ずっと一緒にいた私だから分かる。
だって、…あんなにも怖いのだ。
彼女の誰よりもやさしい心が見えなくなってしまうほどに……怖いんだ。
……もしかして彼女は、今までずっと、みんなから怖がられて拒絶されてきたのではないか…?
現に、ゴイシシジミと他の誰かが一緒にいるのを見たことがない。
彼女の唯一の友達がいなくなってしまった今、残されたのは……私だけ。
「なんで私なんだろう……」
私はなんの変哲もないただのフレンズ。
特別やさしい訳でもないし、……むしろたくさん酷いことを言った。
でも、彼女は私と一緒にいる。
……。
私は……ただのフレンズ。
彼女の友達に似ていたからって、それは変わらない。
そしてゴイシシジミは……切られた腕が新しく生えてくるだけの、一人のフレンズ。
同じ……フレンズ。
フレンズ……か。
前に、フレンズというのはどこかの言葉で、友達と言う意味があると聞いたことがある。
「友達……」
友達を作るのが怖くて、逃げてしまった私と
決して一人になるまいと、懸命に努力する彼女
なんだ、ゴイシシジミは私なんかよりもよっぽどフレンズらしいじゃないか。
そこでようやく気づく。
ああ……そうか。
逆だったんだ。
普通じゃないのは私の方。
今までずっと、必要以上に他者と関わろうとしなかったから、気づけなかった。
……こんなフレンズらしからぬ私を受け入れてくれるのは、きっと彼女くらいなんだろうな……。
……私が彼女のことを拒絶しなければ、傷つけなければ、……ずっと一緒にいてくれるのかな…?
「ふわぁ……」
ふと、あくびが出て、直前に考えていたことも一緒に頭の外に出ていってしまう。
半分くらいは出ていった気がする。
私は随分と考え込んでしまったと思い、寝る準備を始めようとした。……準備と言っても横になるだけなんだけど。
しかし、まだ眠ることは出来そうにない。
ゴイシシジミの様子がおかしいことに気づいたのだ。
彼女は寝息に混じってうめき声を上げている。
何事かと思い、正面に回り込んで彼女の顔を見ると、どうやらうなされているようだった。
怖い夢でも見ているのだろうか……?
……。
起こした方がいいのかな…?
「…………いか…ないで………」
「!?」
どうしたものかと考えあぐねている時に、急に声が聞こえたものだからドキッとした。
……それはただの寝言だった。
ただの寝言なのに……。
ふいに彼女が晒した彼女の内側は、とても悲しい色をしていて……。
私は無意識に、ゴイシシジミの頭を撫でていた。
すると、一雫の涙が彼女の頬を伝った。
……。
彼女が決して見せようとしなかった涙を盗み見てしまったという罪悪感が胸を刺す。
……………………………………。
……起こすのを躊躇ってしまう。
彼女の寝息を聞いてしまったから。
……やめておこう。
今起こしたところで、どんな顔をすればいいのか分からない。
それに今無理に起こしてしまえば、彼女の見た夢を、彼女自身の記憶に留めてしまうことになりかねない。
夢なんて、目が覚めれば自然と忘れてしまうもの。
どんなに悲しいことも、嬉しい気持ちも、等しく、長くは留まらない。
時には、それが寂しいと感じることがあったりもするけれど、その寂しさもその時限りのものなんだ。
……だから、私は見て見ぬふりをするの……?
だって、私にできることは何もないから。
……本当に私にできることはないのかな?
そんなことを考えながらゴイシシジミをみていると、彼女が微かに震えていることに気づいた。
寝言と涙に気を取られていて、全然気が付かなかった。
「寒いのかな…?」
それなら、と思い私はゴイシシジミの背中側に回り、横になった。
そして、彼女の背中に自分のそれを重ねる。
…………。
背中を通じて、彼女の体温や震えが伝わってくる。
でもそれは、今だけのこと。
やがて、彼女の体の震えは収まり、やさしい体温だけが残る。
今なら、ゴイシシジミのことを少しは理解出来るかもしれない。
明日からはもっとちゃんと彼女の話を聞いて、仲良くなる努力をしよう。
そうすれば、いつか本当の友達にもなれるかもしれない。
私は、これからの彼女との接し方について、あれやこれやとかんがえようとしたけど、でも……だけどいまは、……ただ、……ねむい。
「おやすみなさい……」
・・・・・・・・・・・・・・☀︎・・
……朝日が眩しい。
私が人生で一番の深い眠りから覚めると、まだ背中が暖かい。
私よりも早く寝たはずのゴイシシジミはまだ寝ていた。
「くわぁ〜」
背中の方でモゾモゾ動く気配がする。
私が大きな欠伸をすると同時にゴイシシジミが目覚めたようだった。
「んぅ……何してるのぉ……?」
ゴイシシジミは目をこすりながら、寝起きの、へにゃへにゃな声で私に問いかけた。
「ゴイシシジミさんが寒そうだったので……」
私ががそう言うと、ゴイシシジミもまた、大きな欠伸をした後、少し口元を緩めて言った。
「……あなたがそれを言うの?」
ゴイシシジミはそう言うと、おもむろに自分のマフラーを脱いで私の首元に巻いてきた。
「あの、これ……」
「寒かったんでしょ?」
「いえ、私は全然……」
「遠慮しなくてもいいのよ。私も気になってたから。そんな格好で寒くないわけがないわよね」
私が否定しようとしまいと、彼女には関係ないらしい。
このままでは本当に、この暖かくてモフモフな夢のような物体を押し付けられてしまうかもしれない。
「あの、私ほんとうに…!」
「それに、……貴方が寒さで死んじゃったりしたら、私も困るもの」
言葉を遮られて、最後まで言わせてもらえない。
ちょっとムッとした私は、少し意地悪な返しをすることにした。
「非常食ですか?」
私は、かつて最も恐れた言葉を言った。
でもこの言葉には、もう恐れや敵意の意味は無い。
私はただ純粋に、彼女とのコミュニケーションを楽しんでいた。
「そうよ? それに今貴方が死んじゃったら私、退屈すぎて死んじゃうわ」
ゴイシシジミはそう言って、幸せそうに笑う。
そんな顔をされると、もう要らないだなんて言えない。
…………………………………………。
……私は仕方がないのでこのモフモフを甘んじて受け入れることにした。
「後で返して欲しいって言っても、返してあげませんからね」
尊さが溢れて、感想の語彙が蒸発しそうです
各挿絵からは文章にマッチしたイメージが伝わってきました
緊迫感のある戦闘シーンが二人で苦難を乗り越えての休息の時間を引き立てていて、SS書きとしてもこれ以上ない良い例として勉強になりました
あと、戦闘シーンもそうですが、ササコが自分自身の感情を冷静に分析したのもその後の心理に影響したのかな?と考察もできて、読んでいて非常に楽しめました!
完結まで楽しみです!
いつも感想ありがとうございます
少し時間がかかってしまうかもしれませんが、必ずや完走してみせますので、それまでどうかお付き合いくださいませ
このssがひと段落したら、ダァッたーさんの書かれているssを是非!読ませていただきたいと思うてます🐓
ものすごいテキストの量でびっくしりました セリフ少ないのに心理描写でうまく展開を進めていてすごい
手に汗握るセルリアンとの攻防、そしてササコちゃんの心の中に変化が芽生えつつありますね
今後の展開にも目が離せないぜ👀
お褒めに預かり光栄です
実を言うと、キャラクターのセリフを考えるの結構苦手でして……
なので心理描写をできるだけ詰めて何とか補っているといった感じですね
そして、セルリアンとの戦闘は完全カットです(戦闘描写も苦手科目)
ササコちゃんがこの先どう変わっていくのか、その辺も注目していただければなと思います