気がつくと目が覚めていた。
重たく閉じられた瞼を持ち上げるためにだいぶ苦労したはずなのに、目覚めの瞬間は随分と呆気ない。
もしかしたらまだ夢の中なのかもしれないと疑うも、この開放的かつ閉塞的な空は間違いなく現実のものだった。
灰色の空。
それは僅かな赤みも帯びない、私の見慣れた不純な色だった。
(視界は正常、か。)
それに、目覚めの気分も存外悪くない。
あんな夢を見た後だというのに、心もなんだか冷めていて。
もしかすると、昨夜寝る前に虹草を多めに食べたのが効いたのかもしれない。
(……それなら、これからは眠る前に少し多めに草を食べることにしようかな。)
「…………」
今の私はきっと苦い顔をしているんだろうなと思う。
少し余計に不味い思いをするだけで今後の目覚めが爽やかなものになるのなら、絶対にその方がいいに決まってるのに、私はそれがなんだか良くないことのように思えてならない。
これは別にあるかも分からない防衛本能を理由にして不味いのを回避しようとしているとかそういうわけじゃない。
さすがの私もそこまで子供ではないはず……。
そもそもだ、冷静に考えると虹色に光る草とか絶対に食べちゃダメなやつなんじゃないか。
草じゃなくてもそう。
あんなにおどろおどろしく発光するなんて、明らかに有害な何かを含んでいるとしか思えない。
そんなものを最初に食べようと思った時の私は一体何を考えていたのだろう。
少しの間追想にふけるも、結局何かを思い出すことは出来なかった。
「ふわぁ……」
短いあくびがこのまま起きるか、それともまだ寝るのかと、選択を迫ってくる。
せっかく目を覚ませたのに、このままではまた夢の世界に引き戻されてしまうだろう。
「あふ……」
もうこれ以上無駄なことを考えるのはよそう。
虹草の正体が何であろうと、今更食べるのをやめたりは出来ない。
食べなきゃ健全な心を保つことも出来なくなってしまうから。
私はこれからも、おそらく有害であろう物質を体内に取り込み続けるしかないのだ。
(あれ……? そういえば……)
これから先のあまり健康的とは言えない食生活についての算段を立てていると、ふと、起床直後に誰かの声を聞いていたことを思い出した。
えっと、たしか……晴れがどうとか言っていた気がする。
まあどうせこれも夢か幻聴の類だろう。
早々に考えを切りあげた。
私は目をこすり、大きく伸びをする。
これは朝の日課というやつだ。
目の前の彼女も同じ様に手を組み腕を伸ばしている。
(……え……?!)
目が合った。
それを見た途端、身体が硬直してしまう。
真っ赤な少女がこちらを見ていた。
それもすぐ目の前に座って。
どうして? いつから? あなたは……誰?
当然のような顔でそこにいる少女に対する疑問達が、私の脳を一瞬で支配する。
支配していた……はずなのに。
彼女の左目に宿る異質な光に気づいた瞬間、それらの疑問は全て融けて消えてしまった。
その虹色の輝きは私のよく知るものとよく似ていて、不気味さを感じずにはいられない。
「ぅ……はっ…!……はあ…………はっ……」
毒々しい視線にまっすぐ射抜かれていると、だんだんと呼吸が苦しくなってくる。
息を吸っても、吸っても、変わらず苦しいまま。
きっとこの少女の目から放たれた光線が、私の胸の奥に穴を開けてしまったんだ。
……逃げないと。
私はここにいてはいけない。
いや、もしかするとそれは私の方じゃなくて……。
どちらにせよ、いつまでもこのまま寝起きの顔を知らない子に晒しているつもりは無い。
「お姉さまはあめがきらいです。お姉さまがだい好きなはれも、あめがすきじゃないようです」
私が声を絞り出すよりも早く、少女が言った。
その幼げな声質は起床直後に聞いたものと同じだったけど、声の調子はだいぶ違うような気がする
。
今の彼女からは落ち着いた雰囲気を感じる。
その話し方は落ち着いていて、口調も理性的。
それなのに、何を言っているのか全く分からない。
こちらが言葉の意味を理解しかねているのを察したのか、少女はさらに続けた。
「はれはけっしてあめちゃんなどというおなまえではありません。しんがいのきわみです」
なるほど、少しわかってきた気がする。
どうやらこの子は私に名前を呼ばれたと思ったらしい。
そしてその名前が間違いだったので、こうして文句を言っていると……。
「はれははれです。お姉さまがくれたたいせつなおなまえです」
頬を膨らませて怒るハレ(?)に「しゃざいをよーきゅうします」と謝罪を要求された。
それで彼女がどこかへ行ってくれるなら土下座でもなんでもするけど、ちょっと納得いかない。
「……ごめんなさ───」
「おはよーございます」
私が仕方なくハレの要求に応じようすると、それに被せるように彼女が言った。
「……何?」
「おー、はー、よー、おー! ございます」
「え? …あ、おおはよう?」
どうして急に挨拶をするのか、彼女の意図がわからない。
欲しかった謝罪の言葉を遮ってまでしなきゃいけないことだったのだろうか……?
「うおー……」
とりあえず同じように返したけど、その行いに意味なんてなかったのだろう。
私に朝のあいさつを強要した少女はそっぽを向いていて、その視線の先には一輪の花が咲いている。
ハレはそのありふれた花を興味深そうに見つめていた。
どうやら、彼女はこちらの言動にはとことん無関心なようだった。
「なんですか?! これっ」
「…………」
「わー! なーんなーんでーすかー!? これぇっ!」
他人の言葉には無関心。
そのくせ無視されたらこうしてしつこく粘る。
(まるでここ最近の私みたい……。)
そんな風なことを思ってしまった。
私は周りからはこんな、わがままな子供みたいに見えていたのだろうか?
それは違うと思いたい……。
私は他人の言葉に関心が無い訳ではないし、聞くだけ聞いてはいる。
ただ、都合が悪かったから無視していただけで……。
なおさらタチが悪いと思った。
「タンポポよ」
私が極めて大人的な態度で質問に答えると、ハレは目を丸くした。
何故か無言で詰め寄ってくる。
そんな目で、見ないでほしい……。
「じぃー……」
「な、何……? 私に、なにか用なの……?」
「お姉さま」
「……?」
「おおおーお姉さまっ! お姉さまですよね?! やっとみつかりましたぁ」
「何を言ってるの? …私はあなたの……んむっ?!」
私のことを突然お姉さまと呼び、有無を言わさないといった様子のハレ。
彼女の決めつけるような言葉を否定しようとしたけど、今度は物理的に言葉を遮られた。
片手を頬に添え、そのまま親指を口の中に滑り込ませてくる。
一瞬で果物を何百倍にも甘くしたような味が口の中に広がった。
「うう……うぇっ……」
あまりの甘さに吐きそうになる。
嘔吐いても止めてくれない。
舌で押し出そうにも、指に触れること自体を拒絶するかのように、奥の方へと後ずさってしまう。
そのせいで、甘くなった唾液が奥まで運ばれてまた吐きそうになる。
このままでは間違いなく嘔吐してしまうだろう。
今この体勢で吐いたら悲惨なことになるのは目に見えている。
犠牲者は二人。私と、たった今加害者になろうとしている彼女とだ。
きっとそんなことを理解していないであろう少女が目を輝かせる。
「ふふふー、お姉さま〜っ♪」
(かくなる上は……!)
吐き気の原因を取り除くべく、両手でハレの手首を掴んだ。
そしてそのまま彼女の指を引っ張りだそうと力を込める。
力を込める……!
全力で引っ張る……!!
……しかしビクともしない。
彼女は恐ろしい怪力の持ち主だった。
あるいは、私があまりにも非力なのか……。
どちらにしても、もう為す術なんか無い。
私にはもうハレが満足するまで必死で嘔吐感を抑えるしかないのだ。
(甘くない、甘くない、甘くない……)
おそらく気休め程度にもならないであろう自己暗示をかけてみる。
甘くない、甘くない。
ハレの親指が、形を確認するかのように一本一本の歯をなぞる。
甘くない……甘いくない。
その途中、一際尖った歯を見つけると、より一層目を輝かせる。
甘いくないいや甘い。
楽しげに八重歯の先をちょんちょんやっている。
甘い甘い甘いあまい……。
ちょんちょん、ちょんちょん……。
鼻歌交じりにずっとちょんちょん。
どんどん唾液が滲み出してくる。
そうして嘔吐感がもう限界を迎えようとした時────。
私はようやく解放された。
甘々しい水音と共に指が引き抜かれると、私は口内に残った甘ったるい唾液をすぐさま吐き出した。
「うぇぇ……ぺっ、ぺっ」
「だいじょーぶですか?」
「……」
口を押えて首を横に振る。
と、今度は右の頬に生暖かい感触が……。
それが何なのか理解した瞬間、私は飛び退いていた。
「いいきなり……な、なにをするの……?!」
次から次へと、何なんだこの子は。
突然人の顔を舐めるなんて絶対におかしい。
咄嗟に距離を取ったからよかったけど、もう少し反応が遅かったら噛みつかれていたかもしれない。
奇抜な行動原理のもと動いていそうな彼女のことだ、そういうことを平然とやってのけるだろう。
「う? ちょっと違う……? んー??」
閉じた口からだらんと舌を垂らして首を傾げるハレはなんだか訝しげな表情をしていた。
この場合、私と彼女のどちらが不審者なのだろうか……。
お互いに過去の行いには目を瞑って、とりあえずこの状況だけを見た場合、変なのは向こうのはず…?
なんかだんだんと自信がなくなってくる。
私の方がずっと不審に思っていたはずなのに、「はっ! もしやあなたはお姉さまじゃありませんね!?」なんて指さして突きつけられると、もうこちらが全部悪いような気さえしてくる。
「私はあなたのお姉さんじゃないわ」
「そうでしたかぁ……」
私がきっぱりと言うと、ハレはがっくりと両肩を落とした。
今度はちゃんと分かってくれたみたい。
誤解が解けてよかったけど、この子にはなんだか悪いことをしたような気がする。
「ときにおねーさん、はれはお姉さまをさがしてます。みましたか?」
「だから私は……いえ、誰を探してるの?」
私への呼称がお姉さまからお姉さんに変わっていた。
一瞬その微妙な変化に気づけなくて、間違いでもないのに訂正してしまいそうになった。
「お姉さまです。せなかにはからーふるなはねてきなものがつきでています。なまえはー……ご、ごー……ごくどう…?」
「えっと、……カラフルな翅…が、生えてるのね?」
「なるほど、たぶんそげなかんじです?」
「……? ごめんなさい。見てないわ」
「そうですかぁーあっ!そうですっ」
「……?」
「ふっふっふー。おねーさんも、だれかをさがしてるとみうけたですっ!」
「別に私は誰も……っ!」
言いかけて気付いた。
私の傍にいるはずの少女がどこにも見当たらないことに。
今の今まで忘れていたなんて、私はなんて薄情なやつなんだろう。
ずっと一緒とまで言ったのに……。
自分の無責任さに呆れるばかりだ。
ササコがいない。
昨日寝る前まではちゃんといたはずなのに、どこかへ行ってしまった。
それならいつまでもこうしてはいられない。
すぐに探しに行かないと……!
「ごめんなさい、私用事を思い出したから!」
そう言ってハレに背を向けその場から立ち去ろうとしたが、袖を摘まれて引き止められる。
振り返って見ると、ハレは神妙な面持ちで静かにこちらを見据えていた。
「おねーさんの……さがしびとはだれですか」
「探し人……」
「ハレはきっと、あなたのおちからになれるはずですよ?」
「…………………。白い髪の子をどこかで見かけなかったかしら?」
「ああ、それなら……」
「あっ、えっとね……その子髪は白いのだけど、全体的に土っぽい色なの。土って分かるかしら?土はね、今あなたが……」
「お姉さん」
「な、何…?」
「むこうにいます」
彼女はあっさりとした口調で告げると、私が向かおうとしていた方とは逆を指さした。
「向こう…に、いるの……?」
「はい! そのおひとなら、みちすがらあっちでめぐりあいましたよ!? おねーさん!」
「そ、そう。……教えてくれてありが──」
「れーにはおよびおませんよっ!」
食い気味に言うと、こちらに背を向ける。
「それではまいりましょー!」
ハレは彼女自身が指さした方へと歩き出した。
わざわざ案内をしてくれる気なのだろうか。
それは助かるといえば助かるのだけど……。
「あなたはお姉さんを探しに行かなくていいの?」
「おぅあ! そーでした」
ハレは歩行速度の割に大袈裟なブレーキをかけて止まると、こちらに振り返った。
「おねーさん、ひじょーにもうしわけにくいのですが……!」
両目を細め眉を下げて、いかにも申し訳ないといった表情を見せる。
私はハレが全てを言い切る前に、言ってやることにした。
彼女が何度も私にそうしたように。
「私はひとりでも平気よ」
「お? ぉぉおお……! さすがはおねーさんですっ!」
何がさすがなのかは分からないけど、こちらの言葉がちゃんと伝わったのならそれでいい。
ハレは少しの間、ぴょんぴょんと地面を跳ねてはしゃいでいたが、やがてそれも収まり……。
「それではおねーさん、はれはそろそろおいとまするとします」
「……そう。お姉さん、見つかるといいわね」
「うぉはい!おねーさんもっ!」
そんなお互いちょっと足りないような言葉を交わして、私達はお別れした。
ハレがたたっと駆け出し、途中で何かを思い出したように足を止める。
そして少しだけ振り返ると、目を細めて笑った。
「またねーっ! おねーさん」
ハレちゃん不思議可愛いけどたしかに虹色の目は不気味…
甘ったるい果実を押し込んできたってことはそういう物が主食の子なんでしょうか?
ヘキサノイックさん、おひささです!
ハレちゃんは見ての通りの元気っ子ですが、ミステリアスな一面もあります(主に容姿)
ちなみに、指が甘いのは食生活のせいというのは大体あってたりします
実はこの子はSSに登場する予定が無かったのですが、色々と考えた結果、ちょい役として出すことになりました
なのでこれ以降出番はありません
でも物語に関わってくる重要人物ではあるので、いつか彼女にスポットを当てたお話を番外編として出すかもしれません
(いくら寝起きだからといっても、イシちゃん色々とスルーし過ぎでは……?)