「ねえ、ちょっと! どうしたの?!」
ゴイシシジミは血相を変えて、ササコに駆け寄る。
「ササコ、大丈夫? ……私の声が聞こえる?」
大丈夫かと訊ねたゴイシシジミだったが、どこをどう見ても大丈夫でないことは、彼女にもよく分かっている。
だからこそ、彼女はよびかけ続ける。
……それは、認めたくなかったから。
「ササコ……ねえってば」
ゴイシシジミはササコの体を揺する。
しかし、ササコは息を荒くするばかりで、それ以上の反応を見せない。
ゴイシシジミは途方に暮れてしまった。
彼女が今、どういった状態なのか分からない以上、ゴイシシジミにはどうすることも出来ないのだ。
ゴイシシジミは全てを諦めたように、項垂れる。
──その時だった。
「……ぁ…………」
「ぇ……なに? なんて言ったの?」
不意に、小さく、熱っぽい声が発せられた。
それを聞いたゴイシシジミは、ササコが何かを伝えようとしていることに気づく。
「ごめんね、もういちど、いって?」
ゴイシシジミはササコにちゃんと届くように、ゆっくりと、それでいて簡潔に言葉を伝えた。
その言葉はササコに伝わったようで、彼女の荒い呼吸が少しだけ抑えられる。
ゴイシシジミは、絶対に聞き逃すまいと、ササコの口元に耳を近づけた。
「……ぁ…つぃ…………」
今度はちゃんと聞こえた。
ササコは、暑いと言った。
その言葉を聞いたゴイシシジミは、彼女の全身に目を向ける。
そうして、ゴイシシジミはようやくあることに気づいた。
ササコは身体中に汗をかいている。
見ればすぐに分かることのはずなのに、ササコの言葉を聞くまで気づかなかった。
早々に諦めてしまっていたから気づけなかったのだ。
…でも、それを悔いるのは今じゃない。
後悔するよりも先にすべきことがある。
「ササコ、大丈夫? 服、脱がすからね」
ゴイシシジミはそう言って、ササコの服を脱がし始めたが、直ぐにその手が止まる。
ササコの足に絡まる一枚の布切れが気になってしょうがない。
それはかつてゴイシシジミからササコへと贈られたものだ。
だから、それをどのように使おうが彼女の自由だ。
でも、だからといって、どうしてこれが足に巻かれているのだろう…?
…マフラーが巻かれているのは確か、彼女が怪我をしていた所だ。
だとすると、そこを覆っているのは傷を隠すためなのだろう。
それならそれで別におかしなことなんてない。
見られたくないから、隠した。
たったそれだけのはず。
…でも、どうしてだろう。
ササコのマフラーの下が気になって仕方がないのだ。
なんにせよ、このマフラーを取らないと服を脱がせられない。
ゴイシシジミはマフラーを掴むと、ゆっくりとササコの足からそれを解いた。
「……!」
ササコの隠そうとしていたものを見て、ゴイシシジミははっと息を呑む。
彼女の華奢な足には、小さな少女には不釣り合いな痛々しい裂傷があった。
……そして傷口の周りには、色鮮やかなアザがいくつも広がっている。
『 痛くない?』
そう声をかけようとした時だった。
「……なに……これ……?」
アザが、……動いた。
絶えず色を変え、蠢いている。
「ちょっとごめんね…」
ゴイシシジミは先に謝ると、アザのある部分をそっと触る。
ササコは無反応だ。
今度は軽く押し込んでみる。
アザは押しのけられ、手を離すと元の位置に戻った。
(アザじゃ……ないの?)
ササコの足に蔓延るアザのようなそれは、決してアザなどではなかった。
「さ、ささこ……これ…! ご、ごめ……わた…わたし、どうしたらいいのか……」
ゴイシシジミは気が動転して上手く喋れない。
そんな彼女の頭を冷やし、果ては凍らせてしまうような言葉を……
「……きっ……て」
ササコが、言った。
それは、ササコが何度もうわ言のように言っていた言葉だ。
彼女のあの言葉にはまだ続きがあった。
熱い。足、切って。
「……あ…し………あつ…い。……きって」
ササコは、自らの足を切断してほしいと、そう言っているのだ。
「……そんなこと、出来るわけないじゃない」
ゴイシシジミがそう言うと、ササコはもう何も言わなくなった。
ゴイシシジミに願いが届いたのを悟ったのか。
……あるいは、声を出せないほどに弱ってしまったのかもしれない。
(もう、足を切り落とすしかないの…? …それはだめ。 そんなことしたらササコが死んじゃう。……でも、このままじゃ……)
「ササコ……」
目の前の少女を助ける手立てが何も思いつかない。
こんなこと、一度も経験したことが無かったから。
……もしかしたら、他のフレンズならこんな時どうすればいいかを知っていたかもしれない。
皆と仲良くしていれば…。
あの時、不実な態度をとったりしなければ……。
そうしたら、今頃誰かが助けてくれていたかもしれない。
ゴイシシジミは自らの傲慢さを呪った。
ササコを脅してそばに置いて、それで満足していた。
その罰を受ける時が来たのだ。
……でも、彼女に罪は無い。
ササコは脅されていただけだ。
(私はどうなってもいい。裁かれて当然のことをしたから。……でも、ササコは違う)
「──ああ、そうだ。 私はどうなってもいいんだった」
(行こう…!)
ゴイシシジミは他のフレンズを探しに行く決意をした。
善良なフレンズを助けるためなら、力を貸してくれるかもしれない。
ゴイシシジミはササコを慎重に背負うと、すぐに走り出した。
目的地はここから北の方、以前の寝床周辺だ。
そんなに遠い距離じゃない。
だから、今いる道を真っ直ぐ行けば、そんなに時間はかからないはずだった。
今は一刻も早くササコの足をなんとかしなければならないのだから、立ち止まっている時間なんてない。
しかし、ゴイシシジミは走る足を止めてしまっていた。
セルリアンが道を塞いでいたのだ。
(なんでこんな時に…)
ゴイシシジミはセルリアンに憎々しげな視線を向けた。
だが、セルリアンにとってそんなものは道を譲る理由になどならない。
セルリアンはそのでかい図体で、道の真ん中を陣取っている。
そして、不動のままゴイシシジミ達をただ、じっと見つめている。
相手に戦意がないのなら、面倒な戦いは避けたいところだが、何せ奴らは言葉を話さない。
「……」
いつまでもここで睨み合っている訳にはいかない。
だから、ゴイシシジミは素早く決断をした。
(セルリアンの脇を走り抜ける!)
ゴイシシジミの選択には大きなリスクがあったが、彼女にとってはそれが一番マシな選択だった。
ゴイシシジミはササコを落とさないように背負い直すと、強く地面を蹴った。
一歩、また一歩。
足を前に踏み出す程に、セルリアンとの距離が近づいてくる。
ゴイシシジミは、額に冷や汗を浮かべつつ、……セルリアンの脇をすり抜けることに成功した。
その間もセルリアンは、ゴイシシジミのことをずっと目で追ってはいたが、それ以上の興味を示すことはなかった。
しかし、彼女の背負っている少女を見た途端にその目の色が変わる。
ゴイシシジミがセルリアンとすれ違った次の瞬間、背後で大きな物体が動く気配がした。
(……これは、想定内)
ゴイシシジミは振り向くことなく、走り続ける。
その後を、彼女の何倍も大きいセルリアンが追いかける。
背後からは、ドシドシと重量感のある音が聞こえてくるが、セルリアンの足はそれほど速くはないらしい。
音は少しづつではあるが、遠ざかっている。
だから、そのまま走っていれば容易に振り切れるはずだった。
ガッ
(……え?)
ゴイシシジミの振り上げた足が、
着地するはずだった予定地から大きく外れる。
そしてそのまま、ドサーっという音と共に二人は地面に投げ出されてしまった。
「ぅ……」
地面に伏せったゴイシシジミが小さく呻き声を上げる。
自分が転けてしまったことを自覚した彼女はすぐさま立ち上がろうとしたが、足首が急に痛んだので地面に両手をついてしまった。
どうやら、転けた時に足首をひねったらしい。
「…ササコ…!?」
ゴイシシジミは、さっきまで背負っていた少女の姿が見当たらない事に気づき、咄嗟に周囲を見渡した。
幸い、彼女は直ぐに見つけることが出来た。
ササコはゴイシシジミの前方、数メートル先に横たわっていた。
ゴイシシジミはササコの姿を確認すると、すぐに彼女に駆け寄った。
そして、彼女の顔を覗き込む。
辛そうではあったが、まだ生きている。
「ごめんね。…こけちゃった」
ゴイシシジミはそう言うと少し自虐的に笑った。
…そして、ササコをそっと抱き起こすと、そのままぎゅっと抱きしめた。
すぐ後ろにはセルリアンが迫ってきていると言うのに、何故かゴイシシジミはもう逃げようとはしなかった。
愛おしむような目で、ただ、ササコを抱きしめる。
「大丈夫だからね」
彼女はそう小さく呟くと、固く目を瞑った。
……その次の瞬間、セルリアンが大木のような腕を振り上げた。
ずいっと伸びた大きな影が、二人の小さな影を呑み込んでしまう。
そして、その影よりも更に暗い色をした影の主は容赦なくそれを振り下ろした。
セルリアンの致命的な攻撃が、ゴイシシジミの背中に迫ったその時──。
ガッギィィィンッ!!
──空気を引き裂くような轟音が辺りに響き渡った。
いつまで経っても痛みが来ないことを不思議に思ったゴイシシジミが、恐る恐る目を開け後ろをゆっくりと振り返ると……。
そこには、一人のフレンズが立っていた。
彼女はこちらに背を向け、セルリアンの前に立ちはだかる。
その背中からは、鎖のように長く連なった鎧のようなものが生えていた。
そして、二本の腕と、その鎧のような部位を使って、巨大なセルリアンの腕をその身一つで受け止めていた。
「無事か…?」
少女はそのままの姿勢でそう言うと、ちらりとゴイシシジミ達の方へ視線を向ける。
ゴイシシジミは瞬間的に顔を伏せ、彼女と目を合わせないようにした。
彼女こそが、ゴイシシジミが探していたフレンズに間違いない。
そして、ゴイシシジミが最も会いたくない相手でもあった。
「?」
ゴイシシジミの反応に少女は怪訝な顔をしつつも、セルリアンの腕をしっかりと受け止めている。
突然現れたフレンズに攻撃を受け止められたセルリアンは、腕を引っ込めるでもなく、そのまま押しつぶそうと力を込めた。
その変化を全身で感じ取った鎧の少女は、ゴイシシジミから視線を外すと、再びセルリアンを睨みつける。
「失せろ」
少女は威圧的な声を発したが、威圧的なのはその声だけではない。
彼女の目はギラギラとした赤い光を放ち、全身からは黒い瘴気が滲み出している。
それだけの威圧を受けても、セルリアンは怯むことなく少女を見下ろしている。
「そうか」
少女は吐き捨てるように言うと、セルリアンの戦意に応えるように、彼女もまた両腕にぐっと力を込めた。
彼女の力は強大なセルリアンにも劣らないものだ。
だが、これだけの体格差があっては、彼女の方が明らかに不利に思われた。
……しかし、彼女は圧倒的な力で持ってしてセルリアンの腕を押し返してしまったのだ。
ドオォン!
バランスを崩したセルリアンは地面に倒れ込む。
少女はその隙を見逃さず、すぐさま攻撃に転じた。
彼女は二、三歩助走をつけると、大きく飛び上がる。
そして、空中で身体を捻り、背中の鎧を思い切りセルリアンの胴体部に叩きつけた。
……次に彼女が地面に足をつけた時、既にセルリアンはバラバラに四散していた。
「危ないところだったな」
ゴイシシジミ達をセルリアンから助けた少女が、ゴイシシジミの元へ歩いてくる。
しかし、助けられたゴイシシジミの表情は明るくない。
「ムカデ……」
「……!」
ゴイシシジミがムカデと読んだ少女は、ゴイシシジミの顔を見るなり目を見開く。
それはまさしく、幽霊でも見たような顔だった。
「まさか…本当にお前が! 何故、お前が生きている…?!」
「…………」
ゴイシシジミは無言でムカデを見上げている。
その視線には僅かに敵意が含まれていた。
「おい」
「……」
いつまでも無言でいるゴイシシジミに、ムカデは苛立ちを覚え始めていた。
……やがてムカデの視線は、無言の少女から、彼女が抱いている瀕死の少女へと移る。
「お前、まさかその子に何かしたんじゃないだろうな」
「私は……」
ゴイシシジミは何かを言いかけて、俯きがちに頭を小さく横に振った。
「お前ッ……!」
なかなか言葉を紡ぎ出せないゴイシシジミを見て、ムカデの目は次第に殺気を帯びたものになる。
………………。
しばしの沈黙。
沈黙に耐えかねた少女と、ようやく口にすべき言葉を見つけた少女。
二人は同時に言った。
「今度は確実に仕留める」
「この子を助けてほしいのっ!」
たった今ゴイシシジミに向かって死刑宣告をした少女は、彼女の言葉を聞いて動揺した。
一方、宣告を受けたゴイシシジミの方は、驚きもしない。
ただ、真っ直ぐな目でムカデを見つめる。
「何を…今更そんな……!」
「お願い。…もう私にはどうにも出来ないの」
「だってお前はそんなやつじゃ……」
ムカデはゴイシシジミから視線を逸らす。
彼女の拳は固く握られていた。
「私なら殺してもいいから」
「…お前」
ゴイシシジミはいとも容易くその言葉を口にした。
彼女の放ったその一言がムカデの琴線に触れる。
ムカデはゴイシシジミのすぐ近くまでつかつかと歩み寄ると、片手で彼女の襟を鷲掴みにした。
振り上げられたもう片方の手は、未だ握りこぶしを作ったままだ。
「お前はッ……!」
ムカデはそのままの姿勢で、ゴイシシジミを威圧する。
彼女の眼光には、セルリアンに向けられたものと同じ殺気が含まれていた。
……それでもゴイシシジミは怯まない。
彼女の瞳は真っ黒ではあったが、揺るぎない決意の光が宿っていた。
「お願い」
「………………」
ムカデは複雑そうな顔で、彼女の襟を放すと、振り上げた拳を下ろした。
彼女の目からはもう殺気や敵意などは消え失せていた。
「あまり期待はするなよ。私は…医者じゃないからな」
ムカデはそう言うと、ササコの顔を覗き込んだ。
そして次に、ゴイシシジミの顔をじっと見た。
「えっと……なに…?」
「いや、それじゃあよく見えないだろ」
いつまでもササコを大事そうに抱いたままのゴイシシジミに、ムカデがため息混じりに言った。
「ご、ごめんなさい」
彼女ははっとして、ササコを地面に寝かせた。
ムカデは改めてササコの全身を見た。
彼女が真っ先に気になったのは、やはり足の傷がある部分だった。
そこには白黒のマフラーが巻かれている。
それは、ゴイシシジミによって再度巻かれたものだ。
ムカデはゴイシシジミをちらりと見ると、マフラーを取った。
「これは……毒だ」
ムカデは、ササコの傷周辺に蔓延るそれの正体をあっさりと言い当てた。
「毒?」
それまでササコの診察を黙して見守っていたゴイシシジミだったが、ムカデが聞き慣れない単語を発したため、聞き返した。
ゴイシシジミが聞き返すと、ムカデは信じられないといった顔で彼女の顔を見た。
「お前……まさか知らないのか?! 誰からも……聞いていないのか……?」
「えっと……」
知らないから聞き返したのに、とゴイシシジミは思った。
ムカデの鬼気迫る表情に気圧された彼女は口ごもってしまう。
その様子をみて、ムカデはそれこそがゴイシシジミの答えなのだと認識した。
「そうか……知らなかっのか」
ムカデは苦々しい顔で呟いた。
「お前も見たことはあるだろ。キラキラと輝く、虹のようなものを」
虹と聞いて、ゴイシシジミはぴくんと反応した。
彼女に心当たりがあるのを察したムカデは、更に言葉を続ける。
「あれが体内に入ったら、段々と身体中に広がっていき、最後には………」
彼女はそこで一度言葉を切った。
そして……
「死ぬ……と、言われている」
重々しい口調で言った。
「……」
ゴイシシジミはその言葉を聞く前から、ササコの顔を無言で見ていた。
そしてそれは、彼女の宣告を聞いた今でも変わらない。
そんなゴイシシジミの様子を見たムカデは、思ったことをそのまま口にした。
「妙に落ち着いているな」
彼女の発言は少し無神経だったかもしれない。
でもゴイシシジミはそれで腹を立てたりはしない。
彼女はただ、無感情な目でササコを見つめている。
「……そんな気はしていたの」
彼女は小さな声で呟いた。
そして、ムカデを見た。
「ササ……」
ゴイシシジミはササコの名前を言いかけて、口を噤んだ。
頭を小さく横に振ると、改めて言い直す。
「この子はもう助からないの?」
それは、ちょっとした質問をするかのようにあっさりとした口調だった。
……そしてその声は、どこか他人行儀な響きを持っていた。
誰にでも分かるほどにあからさまなゴイシシジミの態度の変化に、ムカデは眉をひそめる。
「お前は本当に、その子を助けたいんだな?」
なぜ今更そんなことを聞くのか。
ゴイシシジミは、そんな疑問を抱きはしなかった。
なぜなら、彼女の発言は核心に迫ったものだったから。
ゴイシシジミは、ムカデに内心を見透かされ、曖昧な態度を咎められたのだ。
「……ええ」
ゴイシシジミは消え入りそうな声で言った。
俯き前髪を垂らした彼女の表情は伺えない。
「…そうか」
ゴイシシジミの声を聴いたムカデは、少しだけ表情を緩める。
そして、一度は無視した彼女の問いに答えた。
「助ける方法は……ある」
「本当…?」
ゴイシシジミは少し顔を上げると、上目遣いにムカデを見た。
「……ああ、本当だ」
今度はムカデが俯く。
そして、ササコを助けるその方法を口にする。
「毒を取り除けばいい」
彼女は低い声でそう言うと、ササコの毒に汚染された足に目を落とした。
彼女の暗い表情を見て何かを察したゴイシシジミは、恐る恐る訊いた。
「足を……切るの?」
「そ……」
ムカデは一瞬、肯定の言葉を言いかけて口を噤んだ。
そして長い沈黙の末、改めて否定の声を発した。
「……いや、そんなことはしなくていい」
ムカデがそう言うと、先程セルリアンを粉砕したばかりの彼女の鎧が蠢いた。
「何をしているの……?」
ゴイシシジミが怪訝な顔で言った。
「……」
鎧は主であるムカデの手元まで来ると、そこで停止した。
彼女はその先端に両手をそっと添える。
バキンッ
「!?」
──突然、重い金属音が響いた。
ゴイシシジミは音のしたそれに目を落とす。
すると、音の主は真っ二つになってぐったりとしていた。
どうやら先程の金属音は、ムカデが鎧の先端を切り離した時に生じた音だったようだ。
「あ、あなた……何をしてるの?」
「……」
ムカデは心配そうに聞いてくるゴイシシジミのことを無視して、更なる奇行に走る。
彼女は鎧の断面から中に手を突っ込み、何かゴソゴソと弄る。
「……いた」
「?」
やがて何かを見つけたらしいムカデは、それを中から引っ張り出した。
鎧から引き抜かれた彼女の手には、拳ほどの大きさの石のようなものが握られている。
「それ、なに?」
「セルリアン……らしい」
ゴイシシジミの質問へのムカデの返答は衝撃的なものであった。
「せ、せる……?」
ゴイシシジミは、眼前の少女の言葉が上手く理解出来ないといった様子だった。
ムカデはそんな彼女をお構いなしに、奇行では済まされないようなことを平然と続けようとする。
ムカデは何を思ったのか、ササコの足に向かって、セルリアンを持った手を近づけた。
彼女の行動はゴイシシジミには到底理解出来ないものだったが、それでも止めずにはいられなかった。
「待って!」
セルリアンが彼女の傷に触れる寸前で、ゴイシシジミの両手がムカデを引き止めた。
「あ、あなた……本当に何をしてるの…?」
「何って、…チリョウだよ」
ムカデは不快感を露わにして言うと、彼女の手を振り払った。
そしてもう一度セルリアンをササコの足に近づけようとする。
その手を再びゴイシシジミが引き止める。
「ねぇ、あなたちょっと…怖いわよ。……こ、この子に……何をするつもり…?!」
ゴイシシジミはムカデを睨みつけて言った。
しかし、彼女の威嚇はムカデをイラつかせる以外の意味を持たない。
「助けてやるって言ってんだから、…ありがたく受け取れよ」
ムカデはゴイシシジミを睨み返すと、低い声で言った。
「ご、ごめんなさい……」
先程までは親身になってくれていたムカデだったが、今はどこか違う。
今の彼女は、有無を言わせないと言った様子だ。
そんな彼女の変わり様を。
怒りに満ちた鋭い目を。
それら全てをその目で見てしまったゴイシシジミは、すっかり怯えきってしまっていた。
彼女はただ、ムカデの後ろ姿を見ていることしか出来ない。
ムカデは治療と言った。
だが、彼女がやっていることはどう考えても救命処置などではない。
(救命処置じゃないなら……)
──グチャリ。
怪音が鳴った。
その音がゴイシシジミの耳に鮮明に刻まれる。
それは、彼女のよく知る音で……。
「ころすなら…わたしを殺してッ!」
次に彼女の耳に響いたのは、彼女自身の咆哮だった。
突然の大声にムカデはビクッと身体を震わせたが、それでも手を止めるには至らない。
「……」
ゴイシシジミは立ち上がり、ムカデの背後に駆け寄る。
そして、もつれるように彼女の背中に縋り付く。
「お願い……」
ゴイシシジミは懇願するように言った。
しかし、ムカデはその願い諸共彼女を払い除けてしまう。
バランスを崩してしりもちをついたゴイシシジミは再び立ち上がろうとしたが、それをムカデに邪魔される。
彼女は禍々しい鎧の先端をゴイシシジミの喉元に突きつけて言った。
「これ以上私の邪魔をすれば、本当に殺すからな」
「そんな脅し怖くないわ」
ゴイシシジミは凛とした声で言った。
すると、その声に反応してムカデの鎧が蠢いた。
それはゴイシシジミの首から少し横に逸れると、重い金属音を立てながらゆっくりと蠢く。
鎧はゴイシシジミの横をすり抜け……そのままぐるりと彼女の身体を囲んでしまった。
鎧と彼女の間隔が徐々に狭まって行く。
ゴイシシジミはこれから起こる事を悟ったように、ゆっくりと目を閉じた。
─────ぺたん。
「……?」
ゴイシシジミは妙な感触を頭に感じて目を開けた。
そうしてまず彼女の目に飛び込んできたのはムカデの後ろ姿だった。
しかし、その上半分は何かに遮られていて見えない。
彼女とムカデの間はあるもので隔てられていた。
「……な…に?」
それはムカデの鎧の先端だった。
ゴイシシジミの頭に乗せられたそれはゴソゴソと、右へ左へ振れている。
「?」
ゴイシシジミは自分が置かれている状況を理解出来ず、きょとんとしている。
その目には戸惑いの色が滲んでいた。
…それもそのはず。
ゴイシシジミの中では、全身に巻きついたそれは彼女をそのまま締め殺すことになっていたのだ。
それなのにいつまでも経ってもその気配がない。
ムカデの身体を守るための鎧が、ゴイシシジミを緩やかに包み込む。
それはまるで、腕を使わずに抱擁しているようにも見えた。
「あ、安心しろ……して。…大丈夫だ…よ?」
ムカデが言った。
言葉通り、怯える少女を安心させるために言った。
粗暴な口調が隠しきれていないが、それが彼女なりの精一杯の言葉だったのだろう。
彼女の言葉はゴイシシジミへ向けられたものであったが、当の本人はその言葉の意味を理解しかねていた。
言葉の意味自体は理解できるが、なぜムカデがそう言ったのかが全く分からない、そんな様子だった。
ゴイシシジミはムカデの言った言葉の意図について考える。
しかし、ゴイシシジミの思考は直ぐに打ち切られる事になる。
「わひゃあっ! なぁん…何をするッ!?」
突然ムカデが素っ頓狂な声を上げた。
後に続く非難の言葉から、ゴイシシジミにその原因があることが分かる。
考え事に集中していたゴイシシジミは、無意識にムカデの鎧の内側を撫でてしまっていたのだ。
「ご、ごめんなさい」
「まったく……。手元が狂ったらどうするんだ」
ムカデはそう言うとゴイシシジミを解放した。
束縛を解かれたゴイシシジミは、ムカデの傍まで這っていくと、彼女の隣にぺたんと座り込んだ。
「何をしてるの?」
ゴイシシジミはムカデの手元を覗き込み言った。
ムカデの手には、先程彼女がセルリアンだと言った石のような物体が握られていて、彼女はそれをササコの傷に押し当てている。
「こうやって、…毒を身体から取り除くんだ」
「毒を…?」
「ああ、こいつらは毒を食べるからな」
「そう……」
ゴイシシジミはつまらなさそうに相槌を打ったっきり、口を閉ざしてしまった。
「?」
ゴイシシジミの僅かな声色の変化に気づいたムカデは、彼女をちらりと横目に見た。
彼女は俯き、自分の両の手のひらを見つめている。
その姿は、ひどく弱々しく見えて……。
儚げでさえある彼女のことが放っておけなくて、ムカデは声をかけた。
「お前は…さ。…今のお前は……そんなに嫌なやつじゃないよ」
「ぇ…?」
ゴイシシジミは少しだけ顔を上げてムカデの方を見た。
「だから、その……悪かったな。…私はお前のこと、誤解してたと思う。だから…ごめん」
ムカデがそう言うと、ゴイシシジミはまた俯いた。
そして両手でスカートをぎゅっと掴むと、小さな声で言った。
「…私も、…ごめんなさい」
「……うん」
ムカデは複雑そうな表情で頷いた。
それからは、二人がお互いに声をかけることは無かった。
ムカデはササコの毒の治療を続け、ゴイシシジミはそれを見守った。
そうしてしばらくの時間がたった。
ササコの毒のアザはみるみるうちに消えてゆき、最後のひとつが無くなると同時に、ムカデがセルリアンを彼女の足から引き剥がした。
大量の毒を吸収したセルリアンは、ムカデの手の中でまもなく爆散した。
「終わったの…?」
ゴイシシジミが心配そうな声でムカデに聞いた。
「ああ、これで毒の侵蝕は止まった。この傷も直に治り始めるだろう」
ムカデはササコの足にマフラーを巻きながら言う。
それを聞いて、ゴイシシジミはようやく安堵の表情を見せた。
「よかった……」
心底安心する彼女を見て、ムカデが目の端を吊り上げる。
「これからはちゃんと毒に注意しろ。あんなセルリアンは滅多に見つからないからな。次は無いと思え」
「ええ、この子が起きたらちゃんと話すわ」
「……」
ムカデは少しの間黙り込んだ。
難しい顔でゴイシシジミの目を見つめる彼女は、慎重に言葉を選んでいるようだった。
「……お前が、その子のことを本当に大切に思ってるのなら、自分のことはもっと大事にするべきだ」
諭すような目でムカデが言った。
それは、ゴイシシジミのことを心から案ずるが故の忠告だった。
「ぇ…ええ、気をつけるわ」
ゴイシシジミの返事を聞いたムカデは目を細めた。
しかしそれは、望み通りの応えが得られたことに対しての、満足気な笑みなどではない。
かといって、彼女の言葉を疑っているという訳でもなかった。
それは、言い難いことを伝えるべきかを決めかねているような、そんな迷いの表れだった。
やがて……決心がついたのか、ムカデはゆっくりと口を開いた。
「だが、今後その子に何かあった時には……」
神妙な顔で話を始めるムカデ。
ゴイシシジミは彼女の表情から真剣な空気を感じ取り、表情を強ばらせる。
ムカデは少し言葉に詰まっていたようだったが、ゴイシシジミがこくんと喉を鳴らすと、続きを話し始めた。
「その時には、お前にもできることがあると教えておく」
━━━━━━━━━━━━━━━
「それは、本当のことなの…?」
「ああ」
「……そっか」
ゴイシシジミは俯きがちに呟く。
その視線の先には、彼女自身の両手が重ねて置かれていた。
彼女は次に、横たわる少女の顔に目を落とした。
それから自分の両手とササコの顔を見比べると、ゆっくりと目を閉じた。
……数秒後、彼女が再び目を開けた時、その表情は晴れやかなものになっていた。
今の彼女はもう、無力な少女などではない。
ゴイシシジミは顔を上げると、屈託のない笑みを浮かべて言った。
「ありがとう」
感謝の言葉を向けられたムカデは、困ったような笑みを浮かべて返した。
「まさか、お前にお礼を言われる日が来るとはな」
ムカデがそう言うと、ゴイシシジミもまた困ったような顔で笑う。
「いいか、これはあくまでも……」
「分かってるわ」
表情を改め、真剣な顔で何かを言おうとしたムカデを、ゴイシシジミが制した。
そして、曖昧な笑顔を浮かべつつ言う。
「ふふ、あなた本当は優しいのね」
突然好意的な言葉をかけられた彼女は面食らってしまう。
「わ、私は…お前を……」
何かを言いかけて言葉を飲み込むムカデ。
「?」
ムカデは無言で立ち上がると、不思議そうな顔をするゴイシシジミに背を向けた。
「もう行っちゃうの?」
ゴイシシジミが言った。
「ああ、やりたいことがあるんだ」
「…そっか」
ゴイシシジミが残念そうに呟く。
ムカデは、心細そうに眉を下げる彼女に振り返りもしない。
「ここら辺にいれば、多分安全だからさ」
ムカデはそれだけ言うと、真っ直ぐ歩き出した。
「待って」
ゴイシシジミの短い言葉がムカデを引き止める。
「なんだ?」
「……助けてくれて…ありがとう」
ゴイシシジミはムカデに改めてお礼を言った。
ムカデはその言葉をそれとなく受け止めると、また歩き出す。
「ああそうだ……」
ムカデが何かを思い出したように足を止めた。
「その子しばらくは歩けないだろうから、お前がおぶってやれ」
今回はかなり読みづらいかもしれません
三人称視点で書くのって難しい……
百足ッ!?これはとても強そうで頼りになるだろう…と思ったらなんか敵対関係だったみたい……
でも二人ともフレンズ助けをせずにはいられないので自然と馴染んで安心しました
今回はケガの描写に本当にゾッとさせられて、お見事だと思いました
イシちゃんとササコちゃんが数々の苦難を乗り越え、本当の友達に少しずつなろうとしている過程なんだと思ってこれからも応援しますッ!
人知れず改名しましたが、ダアッたーです。
コメントありがとうございます!!
ムカデちゃんは実は作中最強のフレンズですが、その戦闘力は正規のフレンズには若干ゃ劣ります
二人が敵対していた理由に当たる部分もそのうち描写できればと思っています
ケガに関しては、あえてササコ視点では詳細に描写しないようにとかちょっと工夫してみました
これからも頑張りますッ!
改名の件、了解しました👍