たった今ゴイシシジミに向かって死刑宣告をした少女は、彼女の言葉を聞いて動揺した。
一方、宣告を受けたゴイシシジミの方は、驚きもしない。
ただ、真っ直ぐな目でムカデを見つめる。
「何を…今更そんな……!」
「お願い。…もう私にはどうにも出来ないの」
「だってお前はそんなやつじゃ……」
ムカデはゴイシシジミから視線を逸らす。
彼女の拳は固く握られていた。
「私なら殺してもいいから」
「…お前」
ゴイシシジミはいとも容易くその言葉を口にした。
彼女の放ったその一言がムカデの琴線に触れる。
ムカデはゴイシシジミのすぐ近くまでつかつかと歩み寄ると、片手で彼女の襟を鷲掴みにした。
振り上げられたもう片方の手は、未だ握りこぶしを作ったままだ。
「お前はッ……!」
ムカデはそのままの姿勢で、ゴイシシジミを威圧する。
彼女の眼光には、セルリアンに向けられたものと同じ殺気が含まれていた。
……それでもゴイシシジミは怯まない。
彼女の瞳は真っ黒ではあったが、揺るぎない決意の光が宿っていた。
「お願い」
「………………」
ムカデは複雑そうな顔で、彼女の襟を放すと、振り上げた拳を下ろした。
彼女の目からはもう殺気や敵意などは消え失せていた。
「あまり期待はするなよ。私は…医者じゃないからな」
ムカデはそう言うと、ササコの顔を覗き込んだ。
そして次に、ゴイシシジミの顔をじっと見た。
「えっと……なに…?」
「いや、それじゃあよく見えないだろ」
いつまでもササコを大事そうに抱いたままのゴイシシジミに、ムカデがため息混じりに言った。
「ご、ごめんなさい」
彼女ははっとして、ササコを地面に寝かせた。
ムカデは改めてササコの全身を見た。
彼女が真っ先に気になったのは、やはり足の傷がある部分だった。
そこには白黒のマフラーが巻かれている。
それは、ゴイシシジミによって再度巻かれたものだ。
ムカデはゴイシシジミをちらりと見ると、マフラーを取った。
「これは……毒だ」
ムカデは、ササコの傷周辺に蔓延るそれの正体をあっさりと言い当てた。
「毒?」
それまでササコの診察を黙して見守っていたゴイシシジミだったが、ムカデが聞き慣れない単語を発したため、聞き返した。
ゴイシシジミが聞き返すと、ムカデは信じられないといった顔で彼女の顔を見た。
「お前……まさか知らないのか?! 誰からも……聞いていないのか……?」
「えっと……」
知らないから聞き返したのに、とゴイシシジミは思った。
ムカデの鬼気迫る表情に気圧された彼女は口ごもってしまう。
その様子をみて、ムカデはそれこそがゴイシシジミの答えなのだと認識した。
「そうか……知らなかっのか」
ムカデは苦々しい顔で呟いた。
「お前も見たことはあるだろ。キラキラと輝く、虹のようなものを」
虹と聞いて、ゴイシシジミはぴくんと反応した。
彼女に心当たりがあるのを察したムカデは、更に言葉を続ける。
「あれが体内に入ったら、段々と身体中に広がっていき、最後には………」
彼女はそこで一度言葉を切った。
そして……
「死ぬ……と、言われている」
重々しい口調で言った。
「……」
ゴイシシジミはその言葉を聞く前から、ササコの顔を無言で見ていた。
そしてそれは、彼女の宣告を聞いた今でも変わらない。
そんなゴイシシジミの様子を見たムカデは、思ったことをそのまま口にした。
「妙に落ち着いているな」
彼女の発言は少し無神経だったかもしれない。
でもゴイシシジミはそれで腹を立てたりはしない。
彼女はただ、無感情な目でササコを見つめている。
「……そんな気はしていたの」
彼女は小さな声で呟いた。
そして、ムカデを見た。
「ササ……」
ゴイシシジミはササコの名前を言いかけて、口を噤んだ。
頭を小さく横に振ると、改めて言い直す。
「この子はもう助からないの?」
それは、ちょっとした質問をするかのようにあっさりとした口調だった。
……そしてその声は、どこか他人行儀な響きを持っていた。
誰にでも分かるほどにあからさまなゴイシシジミの態度の変化に、ムカデは眉をひそめる。
「お前は本当に、その子を助けたいんだな?」
なぜ今更そんなことを聞くのか。
ゴイシシジミは、そんな疑問を抱きはしなかった。
なぜなら、彼女の発言は核心に迫ったものだったから。
ゴイシシジミは、ムカデに内心を見透かされ、曖昧な態度を咎められたのだ。
「……ええ」
ゴイシシジミは消え入りそうな声で言った。
俯き前髪を垂らした彼女の表情は伺えない。
「…そうか」
ゴイシシジミの声を聴いたムカデは、少しだけ表情を緩める。
そして、一度は無視した彼女の問いに答えた。
「助ける方法は……ある」
「本当…?」
ゴイシシジミは少し顔を上げると、上目遣いにムカデを見た。
「……ああ、本当だ」
今度はムカデが俯く。
そして、ササコを助けるその方法を口にする。
「毒を取り除けばいい」
彼女は低い声でそう言うと、ササコの毒に汚染された足に目を落とした。
彼女の暗い表情を見て何かを察したゴイシシジミは、恐る恐る訊いた。
「足を……切るの?」
「そ……」
ムカデは一瞬、肯定の言葉を言いかけて口を噤んだ。
そして長い沈黙の末、改めて否定の声を発した。
「……いや、そんなことはしなくていい」
ムカデがそう言うと、先程セルリアンを粉砕したばかりの彼女の鎧が蠢いた。
「何をしているの……?」
ゴイシシジミが怪訝な顔で言った。
「……」
鎧は主であるムカデの手元まで来ると、そこで停止した。
彼女はその先端に両手をそっと添える。
バキンッ
「!?」
──突然、重い金属音が響いた。
ゴイシシジミは音のしたそれに目を落とす。
すると、音の主は真っ二つになってぐったりとしていた。
どうやら先程の金属音は、ムカデが鎧の先端を切り離した時に生じた音だったようだ。
「あ、あなた……何をしてるの?」
「……」
ムカデは心配そうに聞いてくるゴイシシジミのことを無視して、更なる奇行に走る。
彼女は鎧の断面から中に手を突っ込み、何かゴソゴソと弄る。
「……いた」
「?」
やがて何かを見つけたらしいムカデは、それを中から引っ張り出した。
鎧から引き抜かれた彼女の手には、拳ほどの大きさの石のようなものが握られている。
「それ、なに?」
「セルリアン……らしい」
ゴイシシジミの質問へのムカデの返答は衝撃的なものであった。
「せ、せる……?」
ゴイシシジミは、眼前の少女の言葉が上手く理解出来ないといった様子だった。
ムカデはそんな彼女をお構いなしに、奇行では済まされないようなことを平然と続けようとする。
ムカデは何を思ったのか、ササコの足に向かって、セルリアンを持った手を近づけた。
彼女の行動はゴイシシジミには到底理解出来ないものだったが、それでも止めずにはいられなかった。
「待って!」
セルリアンが彼女の傷に触れる寸前で、ゴイシシジミの両手がムカデを引き止めた。
「あ、あなた……本当に何をしてるの…?」
「何って、…チリョウだよ」
ムカデは不快感を露わにして言うと、彼女の手を振り払った。
そしてもう一度セルリアンをササコの足に近づけようとする。
その手を再びゴイシシジミが引き止める。
「ねぇ、あなたちょっと…怖いわよ。……こ、この子に……何をするつもり…?!」
ゴイシシジミはムカデを睨みつけて言った。
しかし、彼女の威嚇はムカデをイラつかせる以外の意味を持たない。
「助けてやるって言ってんだから、…ありがたく受け取れよ」
ムカデはゴイシシジミを睨み返すと、低い声で言った。
「ご、ごめんなさい……」
先程までは親身になってくれていたムカデだったが、今はどこか違う。
今の彼女は、有無を言わせないと言った様子だ。
そんな彼女の変わり様を。
怒りに満ちた鋭い目を。
それら全てをその目で見てしまったゴイシシジミは、すっかり怯えきってしまっていた。
彼女はただ、ムカデの後ろ姿を見ていることしか出来ない。
ムカデは治療と言った。
だが、彼女がやっていることはどう考えても救命処置などではない。
(救命処置じゃないなら……)
──グチャリ。
怪音が鳴った。
その音がゴイシシジミの耳に鮮明に刻まれる。
それは、彼女のよく知る音で……。
「ころすなら…わたしを殺してッ!」
次に彼女の耳に響いたのは、彼女自身の咆哮だった。
突然の大声にムカデはビクッと身体を震わせたが、それでも手を止めるには至らない。
「……」
ゴイシシジミは立ち上がり、ムカデの背後に駆け寄る。
そして、もつれるように彼女の背中に縋り付く。
「お願い……」
ゴイシシジミは懇願するように言った。
しかし、ムカデはその願い諸共彼女を払い除けてしまう。
バランスを崩してしりもちをついたゴイシシジミは再び立ち上がろうとしたが、それをムカデに邪魔される。
彼女は禍々しい鎧の先端をゴイシシジミの喉元に突きつけて言った。
「これ以上私の邪魔をすれば、本当に殺すからな」
「そんな脅し怖くないわ」
ゴイシシジミは凛とした声で言った。
すると、その声に反応してムカデの鎧が蠢いた。
それはゴイシシジミの首から少し横に逸れると、重い金属音を立てながらゆっくりと蠢く。
鎧はゴイシシジミの横をすり抜け……そのままぐるりと彼女の身体を囲んでしまった。
鎧と彼女の間隔が徐々に狭まって行く。
ゴイシシジミはこれから起こる事を悟ったように、ゆっくりと目を閉じた。
─────ぺたん。
「……?」
ゴイシシジミは妙な感触を頭に感じて目を開けた。
そうしてまず彼女の目に飛び込んできたのはムカデの後ろ姿だった。
しかし、その上半分は何かに遮られていて見えない。
彼女とムカデの間はあるもので隔てられていた。
「……な…に?」
それはムカデの鎧の先端だった。
ゴイシシジミの頭に乗せられたそれはゴソゴソと、右へ左へ振れている。
「?」
ゴイシシジミは自分が置かれている状況を理解出来ず、きょとんとしている。
その目には戸惑いの色が滲んでいた。
…それもそのはず。
ゴイシシジミの中では、全身に巻きついたそれは彼女をそのまま締め殺すことになっていたのだ。
それなのにいつまでも経ってもその気配がない。
ムカデの身体を守るための鎧が、ゴイシシジミを緩やかに包み込む。
それはまるで、腕を使わずに抱擁しているようにも見えた。
「あ、安心しろ……して。…大丈夫だ…よ?」
ムカデが言った。
言葉通り、怯える少女を安心させるために言った。
粗暴な口調が隠しきれていないが、それが彼女なりの精一杯の言葉だったのだろう。
彼女の言葉はゴイシシジミへ向けられたものであったが、当の本人はその言葉の意味を理解しかねていた。
言葉の意味自体は理解できるが、なぜムカデがそう言ったのかが全く分からない、そんな様子だった。
ゴイシシジミはムカデの言った言葉の意図について考える。
しかし、ゴイシシジミの思考は直ぐに打ち切られる事になる。
「わひゃあっ! なぁん…何をするッ!?」
突然ムカデが素っ頓狂な声を上げた。
後に続く非難の言葉から、ゴイシシジミにその原因があることが分かる。
考え事に集中していたゴイシシジミは、無意識にムカデの鎧の内側を撫でてしまっていたのだ。
「ご、ごめんなさい」
「まったく……。手元が狂ったらどうするんだ」
ムカデはそう言うとゴイシシジミを解放した。
束縛を解かれたゴイシシジミは、ムカデの傍まで這っていくと、彼女の隣にぺたんと座り込んだ。
「何をしてるの?」
ゴイシシジミはムカデの手元を覗き込み言った。
ムカデの手には、先程彼女がセルリアンだと言った石のような物体が握られていて、彼女はそれをササコの傷に押し当てている。
「こうやって、…毒を身体から取り除くんだ」
「毒を…?」
「ああ、こいつらは毒を食べるからな」
「そう……」
ゴイシシジミはつまらなさそうに相槌を打ったっきり、口を閉ざしてしまった。
「?」
ゴイシシジミの僅かな声色の変化に気づいたムカデは、彼女をちらりと横目に見た。
彼女は俯き、自分の両の手のひらを見つめている。
その姿は、ひどく弱々しく見えて……。
儚げでさえある彼女のことが放っておけなくて、ムカデは声をかけた。
「お前は…さ。…今のお前は……そんなに嫌なやつじゃないよ」
「ぇ…?」
ゴイシシジミは少しだけ顔を上げてムカデの方を見た。
「だから、その……悪かったな。…私はお前のこと、誤解してたと思う。だから…ごめん」
ムカデがそう言うと、ゴイシシジミはまた俯いた。
そして両手でスカートをぎゅっと掴むと、小さな声で言った。
「…私も、…ごめんなさい」
「……うん」
ムカデは複雑そうな表情で頷いた。
それからは、二人がお互いに声をかけることは無かった。
ムカデはササコの毒の治療を続け、ゴイシシジミはそれを見守った。
そうしてしばらくの時間がたった。
ササコの毒のアザはみるみるうちに消えてゆき、最後のひとつが無くなると同時に、ムカデがセルリアンを彼女の足から引き剥がした。
大量の毒を吸収したセルリアンは、ムカデの手の中でまもなく爆散した。
「終わったの…?」
ゴイシシジミが心配そうな声でムカデに聞いた。
「ああ、これで毒の侵蝕は止まった。この傷も直に治り始めるだろう」
ムカデはササコの足にマフラーを巻きながら言う。
それを聞いて、ゴイシシジミはようやく安堵の表情を見せた。
「よかった……」
心底安心する彼女を見て、ムカデが目の端を吊り上げる。
「これからはちゃんと毒に注意しろ。あんなセルリアンは滅多に見つからないからな。次は無いと思え」
「ええ、この子が起きたらちゃんと話すわ」
「……」
ムカデは少しの間黙り込んだ。
難しい顔でゴイシシジミの目を見つめる彼女は、慎重に言葉を選んでいるようだった。
「……お前が、その子のことを本当に大切に思ってるのなら、自分のことはもっと大事にするべきだ」
諭すような目でムカデが言った。
それは、ゴイシシジミのことを心から案ずるが故の忠告だった。
「ぇ…ええ、気をつけるわ」
ゴイシシジミの返事を聞いたムカデは目を細めた。
しかしそれは、望み通りの応えが得られたことに対しての、満足気な笑みなどではない。
かといって、彼女の言葉を疑っているという訳でもなかった。
それは、言い難いことを伝えるべきかを決めかねているような、そんな迷いの表れだった。
やがて……決心がついたのか、ムカデはゆっくりと口を開いた。
「だが、今後その子に何かあった時には……」
神妙な顔で話を始めるムカデ。
ゴイシシジミは彼女の表情から真剣な空気を感じ取り、表情を強ばらせる。
ムカデは少し言葉に詰まっていたようだったが、ゴイシシジミがこくんと喉を鳴らすと、続きを話し始めた。
「その時には、お前にもできることがあると教えておく」
━━━━━━━━━━━━━━━
「それは、本当のことなの…?」
「ああ」
「……そっか」
ゴイシシジミは俯きがちに呟く。
その視線の先には、彼女自身の両手が重ねて置かれていた。
彼女は次に、横たわる少女の顔に目を落とした。
それから自分の両手とササコの顔を見比べると、ゆっくりと目を閉じた。
……数秒後、彼女が再び目を開けた時、その表情は晴れやかなものになっていた。
今の彼女はもう、無力な少女などではない。
ゴイシシジミは顔を上げると、屈託のない笑みを浮かべて言った。
「ありがとう」
感謝の言葉を向けられたムカデは、困ったような笑みを浮かべて返した。
「まさか、お前にお礼を言われる日が来るとはな」
ムカデがそう言うと、ゴイシシジミもまた困ったような顔で笑う。
「いいか、これはあくまでも……」
「分かってるわ」
表情を改め、真剣な顔で何かを言おうとしたムカデを、ゴイシシジミが制した。
そして、曖昧な笑顔を浮かべつつ言う。
「ふふ、あなた本当は優しいのね」
突然好意的な言葉をかけられた彼女は面食らってしまう。
「わ、私は…お前を……」
何かを言いかけて言葉を飲み込むムカデ。
「?」
ムカデは無言で立ち上がると、不思議そうな顔をするゴイシシジミに背を向けた。
「もう行っちゃうの?」
ゴイシシジミが言った。
「ああ、やりたいことがあるんだ」
「…そっか」
ゴイシシジミが残念そうに呟く。
ムカデは、心細そうに眉を下げる彼女に振り返りもしない。
「ここら辺にいれば、多分安全だからさ」
ムカデはそれだけ言うと、真っ直ぐ歩き出した。
「待って」
ゴイシシジミの短い言葉がムカデを引き止める。
「なんだ?」
「……助けてくれて…ありがとう」
ゴイシシジミはムカデに改めてお礼を言った。
ムカデはその言葉をそれとなく受け止めると、また歩き出す。
「ああそうだ……」
ムカデが何かを思い出したように足を止めた。
「その子しばらくは歩けないだろうから、お前がおぶってやれ」