あれからというもの、私は一度もセルリアンに遭遇していない。
…危険が無いのはいいことだ。
でも私は、平穏な日々がずっと続いていることに、焦燥を感じ始めていた。
このまま、ゴイシシジミとの安らかな日常に、かまけていていいのだろうか…?
これではいつか、…大変なことになってしまう気がする。
もし、……私が今以上に弱くなってしまったら…。
私は、いつしかゴイシシジミが見せた悲しい顔を思い出す。
私が弱かったから、彼女を深く傷つけた。
それに、……それだけではない。
彼女の、苦痛を纏った呻き声。
地面に散ってしまった、彼女の生きてきた時間。
赤く汚れてしまった、やさしい笑顔。
それら全ては、私の無力によってもたらされたものだ。
……次は、あれだけでは済まないかもしれない。
私は目を閉じ、最悪な未来を想像する。
……真っ赤に染まった視界。
私は、血と吐瀉物の混ざった、汚らわしい水溜まりの中心に立っている。
そして、もう決して元には戻らないであろう潰れた肉の塊を見下ろして、呼びかけるのだ。
何度も。何度も。
喉が潰れて、声が出なくなるまで。
ずっと、ずっと…呼びかける。
そうして、喉が裂けてようやく静かになった時に初めて、彼女のやさしい声を思い出す。
でもそれは、過ぎ去った記憶の断片に過ぎない。
私がいくら涙を流しても、誰もやさしく慰めてなどくれない。
泣いて、泣いて、時間だけが過ぎてゆく。
…それなら、私の涙はいずれ赤く染まるだろう。
そして、赤い涙に呼応するように、真っ赤な雨が降り出す。
その熱い雨粒が、私の大切だったものをどろどろに溶かしてしまうんだ。
そこには、一つを除いて何も残らない。
……そこに残ったのは一本の錆びたナイフ。
私はそのナイフを……。
……そんなのは、絶対に嫌だ。
おぞましい想像をしてしまい、吐きそうになるのをぐっと堪える。
ここで吐くわけにはいかない。
吐いて、スッキリなんてしてたまるか。
最悪の事態の想定は、常に頭の片隅に住まわせておかなくてはならないのだ。
私の吐き気が収まった頃、前を歩いていたゴイシシジミが足を止めた。
……そうだ、私は今彼女に連れられて、新しい寝床を探すために歩いていたんだった。
確か……気分転換がしたいとか言っていた気がする。
私が彼女に、別に今のままでいいと言っても聞き入れては貰えず、結局今こうして歩いていたのだった。
「あ、ちょっと待って」
立ち止まったゴイシシジミはそう言って、私を手で制する。
彼女の顔を見ると、少し強ばった表情で茂みの奥の方、一点を見つめていた。
「ゴイシシジミさん、あっちに何かあるんですか?」
私はゴイシシジミの制止の手をくぐり抜けて、彼女の視線の先を見た。
……茂みの奥の方に、フレンズよりも大きめの影がひとつある。
「……セルリアン、ですか」
「ええ、だから別の道を……」
ここで彼女の提案を受け入れてしまえば、私の想像が現実になる日がいつか訪れてしまうかもしれない。
だったら、ここは彼女の言葉を無視してでも戦うべきだろう。
「私が行って倒してきます」
「だめ!」
私がそう言うやいなや、ゴイシシジミが語気を強めてそれを否定した。
静かな森に、彼女の声が響く。
……そんな不用意な彼女の大声に反応して、セルリアンがこちらの存在に気づいてしまった。
「あなたは下がっていてください」
私は少しだけ言葉に不快感を込めて言った。
だが彼女はそんなの意に介さないという風に、またもや私の言葉を否定する。
「だめよ。あなたも一緒に逃げるの」
ゴイシシジミはそう言うと、セルリアンに背を向け走り出す。
私もその後に続く。
左腕を掴まれていたから、私も走らざるを得なかった。
私が立ち止まれば、彼女も立ち止まるだろう。
もしそうなれば、二人ともみちずれになってしまう。
…仕方がないので、私は走りながら彼女に抗議することにした。
「なんの…つもりですか…! 離してっ…ください!」
「嫌よ…!」
「私は兵士なんです! ……だからっ敵を前にして、逃げるなんて……出来ません…!」
私が言ったのは完全なでまかせだった。
兵士だから戦わなくてはならないと言ったような使命感なんて、本当はもうどこにも残ってはいない。
それはある日を境に、消えてしまったのだ。
「そんなの!…知らないわっ……無駄口叩く余裕があるなら……もっと速く走って!」
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「どうして、行かせてくれなかったんですか……?」
私は、両手を膝につき肩で息をするゴイシシジミに問いかけた。
その言葉には、少しだけトゲが含まれていたかもしれない。
「どうして、って……だってあなた、怪我してるじゃない」
ゴイシシジミはそう言うと、私の左足を指さす。
それを知っていたのなら、急に走らせないで欲しい。
そんな私の思いが伝わったのか、ゴイシシジミは少し困ったような顔をした。
「こんな怪我、生きていれば誰だって……」
私はそう言いかけて口を噤む。
私の言おうとしたことが必ずしも正解ではないことは、ゴイシシジミの全身を見ればわかる。
「いい? 逃げられる時は、逃げるの」
「…………」
「返事は?」
急に押し黙った私を見て、彼女は少しだけ口を尖らせてそう言った。
「納得できません」
「納得できないって……。…とにかく、私の言う通りにして」
「……できません」
「あなたが頷くまで、何度だって言うからね」
今日はゴイシシジミが妙に食い下がってくる。
でも、私も考えを改めるつもりはない。
互いに一歩も引くつもりがないせいで、会話はずっと平行線を辿っている。
…このままだと、このあまり楽しくない会話をいつまでも続けることになってしまう。
それは嫌だ。
せっかくなら、私は彼女ともっと楽しい話をしたい。
だから私は、うまく話題をそらせるような一言を考える。
ゴイシシジミは意外と押しに弱く、流されやすいところがある。
だから、そこをつく。
なんとか話題をすり替えて有耶無耶にして、早々に話を切り上げてしまおう。
……しかし、並大抵な話題の転換では、今の強情な彼女には通用しないだろう。
何か、ゴイシシジミが反応せざるを得ないような言葉は……。
私は少し考えて、その言葉を思いついた。
でもこれはちょっと……いや、かなり失礼な一言だ。
でも、これくらい言わないと話を聞いてくれない気がする。
うーん……………。
「…………仕方ないか」
「…? わかってくれた?」
ゴイシシジミの心底安心したような表情が痛い。
私は今から、この柔らかく微笑む無防備な彼女に、ひどいことを言おうというのか…。
……後でちゃんと謝ろう。
私は覚悟を決め、そのとんでもない一言を口にする。
「ゴイシシジミさん、なんか血なまぐさい…です」
「ぇ………………」
一瞬のうちに空気が凍りつく。
言った瞬間、私はしまったと思った。
だけど、もう手遅れ。
口から出た言葉は戻らない。
ゴイシシジミは口の端を不自然に吊り上げ、目を見開き瞬きひとつしない。
彼女はそのなんとも言えない表情のまま、完全に固まってしまっていた。
これは絶対に、私が悪い。
「ご、ごめんなさい! 今のはほんの冗談で……。というか! …そんなに嫌いな匂いじゃないって言うか、…むしろ好きなくらいで……」
私は何を言っているんだ……。
直前の無礼な発言を謝り、なんとか取り繕おうという私の試みは失敗に終わった。
……というか、今の彼女には私の声すら聞こえてすらいないようだった。
ああ、私はなんてことを…。
さっきまで固まったままだったゴイシシジミは、今は少しだけ違った様子。
彼女はわなわなと震え、しきりに瞬きをしている。
これは私の言葉を完全に理解し、怒りに打ち震えているということか。
そんなゴイシシジミの様子を呆然と眺める。
……私は、彼女がかつて私に言ったあの言葉を思い出していた。
"あなた、そんな事ばっかり言ってると、いつか殺されちゃうわよ?"
……これは殺されても文句は言えないな。
というか、もういっそひと思いに殺っちゃってください…!
私が死を受け入れる風なことを口走りそうになった時、顔を赤くしたゴイシシジミが口を開いた。
「も、もう! ひどいこと言わないのっ…! 」
「ぁ、…はい。ごめんなさい」
……怒られた。
彼女は少し眉を吊り上げていたが、それは直ぐに水平になる。
なんだか神妙な面持ちだ。
「…あなたはどうして、そんなに死に急ぐの?」
ゴイシシジミは小さくため息をついて言った。
「私は…死に急いだりなんかしていません」
「そう、自覚がないのね」
「自覚がないも何も、…私は本当に……」
「あなたがそのつもりでも、私には死にたがっているようにしか見えないわ」
「………………」
「あなたが死んで悲しむ人もいるのが分からないの?」
ゴイシシジミが私のことを何もかも分かったかのように言ってくる。
でもそんなのは、ただの勘違いにすぎない。
だから私は断固とした口調で言ってやる。
「いませんよ」
「…何?」
「私が死んでも、悲しむ人なんていません」
「そ、そんなことないでしょ? …きっと誰か……」
「そんなことありますよ? …だって私、友達とか一人もいませんから」
「私は……ん…」
「初めて会った時、言いましたよね? 友達は作らないって」
「それは…聞いたけど……」
ゴイシシジミは少し俯き、言葉を続ける。
「でも、どうして? ……あなたはどうしてそんなにも、…一人になろうとするの?」
「…だって、私は兵士なんです。…兵士に友達なんて、必要ないから……」
自分でも分かっている。
こんなの友達を作らない理由になんかならない。
咄嗟に口から出たでまかせだ。
そのことは彼女にも見透かされているようで、「本当に…?」と言って私の目をじっと見つめてくる。
「兵士だとかそんなのは抜きにして、あなたの言葉を聞きたいわ」
「……………」
なんと言えばいいのか分からず、私が言葉に詰まっていると、ゴイシシジミが小さな声で呟いた。
「…怖いのね」
「……ぇ…?」
私は彼女の言葉を聞いて、ひどく動揺した。
なぜなら、それは本当のことだったから。
「私には、あなたが友達を作ることに怯えているように見えるの」
ゴイシシジミは「違ったらごめんね」と一言付け足して、更に続けた。
「教えて。…死ぬことよりもこわいことって何? 」
彼女は真っ直ぐな目で私を射抜く。
逃げることなんて許さないと言うような、そんな視線。
……いや、違う。
きっとこれは私自身によってもたらされた錯覚。
ここで私が返答を拒んでも、きっと彼女は許してくれる。
でも私の心が、それを望んでいないのだ。
私は、…彼女に本当の私を知ってほしい。
彼女が私の内面を見て、どう思うのかを知りたい。
だから、私は……。
私は、彼女に本心を打ち明けることにした。
「……私は、自分の失敗で誰かが傷ついたり、悲しんだりするのが…こわいんです」
私はぽつりぽつりと話し始めた。
「私は今までに何度もセルリアンと戦ってきました。…時には、誰かを守るために。私は、それが自分の使命だと思っていたし、何も疑問を抱くことはありませんでした。……でも、そんな私の…愚かしい思考停止の日々が、いつまでも続くことはありませんでした。ある日、私は気づいてしまったんです。………私が、知らず知らずのうちに、…みんなを傷つけていたことに。……本当はもっと早くに気づいていたのかもしれませんが……。きっと私は、ずっと見て見ぬふりを続けていたんでしょうね。……私が、目を背けたかったもの…。それは、命を賭して守ったその人の…顔でした。……戦い、傷ついた私を見て、みんな悲しい顔をします。…中には、責任を感じて自分を責める人もいました。…そんなやさしい人たちがもし、…もし私が死んだことを知ってしまったら…? ……想像するだけで、胸が…潰れそうなほど苦しくなりました。……それからです。私が、誰とも上手く話せなくなったのは。……喋り方だって、最初はこんなんじゃ…なかったんです。………次第によそよそしい態度になっていく私に、みんなは今まで通りに、優しく接してくれました。……でも、私はその優しさから逃げてしまったんです」
「……どうしてって、訊いてもいいかしら?」
それまで黙って私の話を聞いてくれていたゴイシシジミが、遠慮がちに質問をしてくる。
「簡単な話ですよ?…私にはその優しさが耐えられなかった。…それだけです。…あ、でも私は後悔なんてしてませんよ。だって、あのまま一緒にいれば……私はきっと、この命が尽きる日までずっと、後ろめたさを感じて生きていくことになっていたでしょうから」
「そんなの……」
ゴイシシジミはどうにも腑に落ちないという顔をしていた。
だから、私は最後にこう言った。
「心に一生消えない傷を負わせる。きっとそれは何よりも罪深いことなんです。だって、…悲しいのは、時にセルリアンよりも厄介なんですよ。悲しみはその人の人生そのものを、不幸なものにしますからね」
「…………」
ゴイシシジミは俯き、何かを考えているようだった。
やがて、何かを思いついたのだろう。
彼女はその言葉を、俯いたまま口にする。
「私には、あなたが自分の手を汚したくないだけの偽善者に見えるわ」
「そうですね。…その通りです」
私はてっきり、ゴイシシジミは私の考えを理解して受け入れてくれると思っていた。
自分でも随分とムシのいい話だとは思う。
でも、彼女ならと期待してしまっていた。
だからだろうか…。
彼女の意見を聞いた時、私は少しだけ落胆してしまったのだ。
「大体ねえ、…拒絶されれば誰だって悲しいの。傷つくの。あなたにはそれが分からないの?」
ゴイシシジミはさっきのように俯きがちにではなく、真っ直ぐとこちらを見て言った。
彼女の表情は誠実そのものだったけれど、言葉の端々には怒りの感情が込められていて、気圧されそうになる。
私もそれに負けじと、声を出す。
「そんなことは分かっています。でも、大切な友達を失った時に感じる悲しみに比べれば、幾分かマシなはずです」
「そんなの……誰かを傷つけていい理由にはならないし、悲しい気持ちに上下を付けるなんてもってのほかよ」
「それは……」
彼女の言い分は至って正しい。
だからこそ、言葉を重ねれば重ねるほどに、私が理屈だと思い込もうとしていたものは紛れもない屁理屈になってしまう。
「じゃあ、私はどうすればよかったんですか?」
ついにどうしようもなくなった私は、投げやりに言った。
それを聞いたゴイシシジミは、ゆっくりと立ち上がると、私の背後に回る。
そして、私を無理やりに立たせ、また正面に回ってきた。
「あなたに今必要なのはお説教じゃないみたいね…。ついてきて。教えてあげるから」
彼女はそう言うと私の前を歩き出した。
今回も分割して上げてます
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「あの子がいいわね。ほら、来て」
「何をするつもりですか…?」
ゴイシシジミの視線の先には、一人のフレンズがいた。
それは見覚えのある姿をしていて、この間私に友達になりたいと言ったあの子だった。
……なんだかすごく嫌な予感がする。
「ほら、行くわよ」
ゴイシシジミはそう言うと、私の腕を引っ掴んでグイグイと引っ張った。
「ち、ちょっと待ってください!」
私はその場に踏み留まろうと、足に力を入れた。
…しかし、その行為が身を結ぶことはなく、靴が地面にすれてザリザリと音を立てるだけだ。
「っとお…!どこが非力なんですかぁ……まって!本当に待ってください…!」
私の抵抗は空しく、とうとうゴイシシジミが立ち止まることはなかった。
…今、ゴイシシジミの背中の向こうにはあの時の少女が……。
「あなた、ちょっといいかしら?」
「わたし?」
「そう、あなたよ」
「わたしに何か…ひゃうっ!」
「どうしたの? 急に素っ頓狂な声なんか出して」
「あ…あのあの…あなたもしかして……ゴイシシジミさん、ですか…?」
「そうよ? 初めまして」
「…た」
「た?」
「たたたたべないでください!!」
「はあ…別にあなたを食べたりなんてしないわよ」
「ぅうわたしなんてつぁべてもおおいしくにゃいれすよぉおお!!!!………へ? たべない…ほんとうに…?」
「ええ、約束するわ」
「よ、よかったぁ〜」
私はゴイシシジミに腕を掴まれていたため逃げることも叶わない。
だから今の私にできるのは、二人の会話に耳を傾けるか、観念したように項垂れるかのどちらかしか無い。
そこで私が選んだのは、それら両方だった。
私は、項垂れつつ二人の会話に耳を傾ける。
「えっと……今日はあなたにお願いがあって来たの」
「お願い?もしかしてたべ…」
「食べないから。…実はこの子と友達になってあげてほしいの」
「ともだち!?もちろん!!いいよ!!」
……なんだか妙に興味深げな視線を感じる。
私が顔を上げると、ゴイシシジミの肩越しにあの少女と目が合った。
「あ、その子…」
少女の見せた残念そうな顔が、あの時の彼女のそれと重なる。
…私はまた、この子をがっかりさせてしまったのだ。
「どうしたの?」
「前に会った時に、友達にはなれないって…」
「あなたねぇ…もうちょっとマシな言い方はなかったの?」
「……」
ゴイシシジミはそう言うと、私を少女の前に立たせようとしたが、私は彼女の背中にしがみつき、抵抗をする。
恥ずかしいからとか、そんなんじゃない。
私の存在が彼女の表情を曇らせてしまっているのだから、このまま隠れていた方がいいと思った。
…本当に、ただそれだけのこと。
「しょうがない子ね…」
ゴイシシジミは、まるで聞き分けのない子供に呆れたというような声色で言った。
「ねえ、貴方に聞きたいことがあるの」
「なぁに〜?」
少女の声から、先程の嬉々とした様子とは打って変わってしゅんと落ち込んでしまっているのが分かる。
…そんな少女にゴイシシジミは、更に気分が落ち込んでしまいそうな質問をぶつける。
「あなたは、もしも仲良しの友達が突然いなくなっちゃったら…悲しい?」
「当たり前だよー」
「だったら、悲しい気持ちになるくらいなら最初から出会わなければいいとか思うかしら?」
「ううん、思わないよ? だって会えなきゃ一緒にお話できないし、一緒に遊んだり、ご飯食べたりも出来ないもん」
「ですって。あなたはこれを聞いてもまだ、自分の気持ちだけを尊重して、友達にならないなんて言えるの?」
「ぁっ……」
気づくと私の眼前には、あの少女が立っていた。
二人の会話に気を取られていた私は、ゴイシシジミの背中にしがみつくのを忘れてしまっていた。
…そのため、私はいとも容易く少女の前に引きずり出されてしまったのだ。
「…………」
私が俯き何も言わずにいると、ふいに誰かに背中を押された。
振り返ると、私の背中を押した犯人であろうフレンズが穏やかな笑みを浮かべている。
私はその顔を見て少し安心した。
……安心したはいいけど、私はこれからどうすればいいの…?
「……えっとね」
私が焦りと緊張でどうにかなってしまうかと思われたその時、声が聞こえてきた。
ゴイシシジミのものとは違う声。……あの少女の声だ。
それはゴイシシジミよりかは落ち着きのない声だったけれど、それでもやさしい声音だった。
…そして、その声は私に向けられたものらしい。
私がそれを認知したのを悟った少女は、更に声を発した。
「ずっと考えてたんだ。何かきみを怒らせるようなことをしちゃったんじゃないかって。…でも、わたしは馬鹿だから、どんなに考えても……何も分からなくて……。……だから知りたいんだ。知って、謝りたい。きみは何にもないって言うかもしれないけど、わたしは……」
「ちょっと待ってください。その、……あなたは本当に……何も悪くなくて………………」
私は慌てて少女の言葉を遮った。
悪いのは私なのに、彼女は私に謝ろうと言うのだ。
それを認めてしまったら、私は本当にどうしようもないやつになってしまう。
……だから、彼女の謝罪の邪魔をしたのに……。
……なのに、それに続く次の言葉が出てこない。
「……ゎ、…わた………は………………」
「わたし、きみとちゃんと話したい。ちゃんと話して、やっぱりきみと友達になりたいよ…」
少女は真剣な目をして言った。
私はその目を見て、彼女の言葉に嘘偽りが無いことを悟る。
……私は、…彼女の期待に応えたい。
あの時の私の選択は間違いだったと、ゴイシシジミが教えてくれた。
…だから私は、今度は間違えないようにと、ちゃんと聞いて考えた。
……それを今から、言うんだ。
私は目を閉じ、深く息を吸い込む。
「…わ、……たし、は、…………ほんと…うは、……たしも、…………あなた…と、と友達…に、…なりたい……」
一息で全部言うつもりだったのに、途中で酸素が足りなくなって、何度も言葉が途切れてしまう。
さらには、声は震えていて、自分でもなんて言ったか分からないほどだった。
……それなのに、彼女には私の言葉がちゃんと伝わったようだった。
「じゃあ、わたしたちはこれで友達だね。わたしはチャコウラナメクジ。チャコちゃんって呼んでくれると嬉しいな」
「…わ…た………ぅ…」
私も自己紹介をしようとしたけど、上手く声が出せない。
それどころか、声のかわりに涙が溢れてくる始末だ。
……私は、泣いてしまっていた。
「わ!…ご、ごめん!……わたし、何かしちゃった…?!……あ…きみ、怪我してる。…もしかして痛むの?」
「い……が…ぁ………」
違う。
あなたのせいじゃない。
傷だって、もう痛まない。
そう言いたいのに…言えない。
声を出そうと開けた口から、大量の涙が入ってくる。
……不味い、泣きたい。
そんな私のあまりの取り乱しっぷりを見かねたゴイシシジミが、助け舟を出してくれた。
「えっとね……多分、あなたのせいじゃないと思うの」
「…本当?」
「ええ。ササコは…あ、この子はササコっていうの。ササコはきっとね、嬉しくて泣いてるのよ」
「ササコちゃん、本当なの? …足も痛くないの?」
ゴイシシジミの言葉を聞いたチャコちゃんは、私に最終確認のための質問をした。
自分でもどうして泣いているのか分からない。
でも、せっかくゴイシシジミが助けてくれたのだから、私は黙って頷くことにした。
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私が泣き止んだのは、あれからしばらく時間がたった後の事だった。
私が気づくとそこは知らない場所。
隣にいたゴイシシジミに、今いる場所について尋ねると、新しい寝床とのことだった。
彼女に聞いた話によるとあの後、私たちがチャコちゃんと別れた後も、私はずっと泣いていたのだという。
そして、ゴイシシジミはいつまでも泣き止まない私の手を引いて、ここまで歩いてきた。
…でも私にはその間の記憶が全然なかった。
まるで眠っている間の事のように頭からすっぽりと抜け落ちてしまっている。
「それにしても……」
ゴイシシジミは少し口を尖らせる。
そして、不貞腐れたように言った。
「私の時はあんなに嫌がってたのに、今度はあっさりと受け入れるのね?」
「なんですか、それ。元はと言えば、ゴイシシジミさんが無理やり引っ張っていったんじゃないですか。それに……」
あっさり、なんて言われてしまうとなんだか釈然としない。
だから私も少し口を尖らせて言った。
「私たちが初めてあった日。…あの時自分が何を言ったか、よく思い出してください」
「あはは……やっぱりあれは微妙だったかしら。」
ゴイシシジミはそう言って目を細めた。
「本当はね? あの時、…私はあなたにこう言うつもりだったの……」
彼女は口元を少し緩める。
…そして、そのまま犬歯を見せるようにゆっくりと口を開く。
私は、生まれて初めて見るその妖しい表情に思わず息を飲んだ。
「今すぐお前を食い殺してやるぞーって!!」
次の瞬間、彼女はバッと両手を大きく広げて、私に襲いかかる動作をした!
…が、全く迫力がない。
「もうその手には乗りませんよ?」
私がそう言うと、ゴイシシジミは「なーんだ」と言って少し残念そうな顔をした。
なんだとはなんだ、なんなんだ?
…四六時中ずっと一緒にいるのに、彼女の考えていることがよく分からない。
たまに猟奇的なことを言ったと思えば、それを聞いた私の反応に何かを期待する。
……もしかして、これが彼女なりのコミュニケーションだったり?
もしそうだとしたら、たまには乗ってあげるべき…なのかな?
「心配?」
私が少し考え込んでいると、突然ゴイシシジミが何か声をかけてきた。
えっと、心配って……まあ、心配かな。
……それって、何が?
彼女は一体、どういう意味合いでその言葉を口にしたのだろう。
……『 本当に食べられちゃわないか、心配? 』
と、そんなところだろうか…?
大まかな予想を立ててみたけど、どうもしっくり来ない。
「大丈夫よ。もしもあなたが死んじゃっても、…あの子はきっと大丈夫。ここの子達はそんなにヤワじゃないからね。どんなに悲しくても、ちゃんと前を向いて歩いて行ける強さをみんなが持っているの」
私が質問に答えるよりも早く、彼女はその言葉を口にした。
そこでようやくあの質問の意味が分かる。
どうやら彼女は、私の絶命後に残されたチャコちゃんの心配を、私がしていると思ったようだった。
すると、つまり……。
彼女は私の話を理解した上であのような行動に及んだ。
そして今私の話を蒸し返して、お説教を完成させた?
…となると、これもまたゴイシシジミの思惑通りということになってしまう。
……やっぱり、納得いかない。
彼女の言葉に上手く言いくるまれない。
だから私は、こちらも彼女の言っていた言葉を蒸し返して反論をしてみることにした。
「それも…誰かを傷つけていい理由にはなりませんよね…?」
私は別に、彼女の意見を否定したいわけじゃない。
にもかかわらず、こんな揚げ足取りをしてしまったのは、どうしても納得しきれない自分への確実な答えが欲しかったからだ。
私は、彼女ならその答えを導いてくれるのではないかといった、漠然とした信頼のようなものを抱いていた。
……しかし、私が意見するとゴイシシジミは「それもそうね」と言ってこちらの反論をあっさりと認めてしまった。
…拍子抜けだ。
私は彼女に、無理な期待をしてしまっていたのかもしれない。
そう…思った時だった。
私は自分の視線が、ゴイシシジミの顔に釘付けになってしまっていたのに気づいた。
それは、またもや初めて見る表情。
彼女の白い顔には、…不敵な笑みが浮かべられていた。
…これは間違いなく勝利を確信した笑いだ。
ゴイシシジミはその表情を崩さずに、その鋭利な言葉を口にする。
「でも、これであなたは簡単には死ねなくなったわね?」
……完敗だった。
彼女は私の心をよく理解した上で、ここまで計算していたのかもしれない。
「それがあなたの狙いですか…?」
「さぁて、なんのことかしら?」
ゴイシシジミはそう言ってはぐらかす。
そんな彼女の涼やかな目を見ながら私は、彼女には敵わないなあと思ったのだった。
イシちゃんのマフラーの下はこうなってました
ササコを変えてしまった出来事がわかったところで即座に行動に出て効果を得たイシちゃんはやり手ですね…
ササコの地の性格がまだ出ていないとすると、兵士を辞めるくらいの変化が無いと変われる気がしないので、これからのイシちゃんの作戦に注目したいです
おまけの絵では、イシちゃんはか弱い女の子という印象ですが、それを護るたくましさがササコに備わるのは少し先になりそうですね………
これからも楽しみです!
コメントありがとうございます
実を言うと、ササコはセルリアンと戦うために「兵士」を持ち出しましたが、この時には既に兵士としての使命感などは消えてしまっています
これからも頑張ります!