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最新トピック
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31 分前
談話室 31 分前
1965
32 分前
NEWS コーナー 32 分前
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兵器紹介 9 時間前
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架空設定コーナー 11 時間前
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架空兵器スレ 12 時間前
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個人の設定スレ 15 時間前
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戦争史スレ 1 日前
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国の詳細設定 2 日前
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外交用 2 日前
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輸出物紹介・取引コーナー 2 日前
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人外関連設定スレ 2 日前
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質問部屋 2 日前
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領土拡大、新規建国コーナー 2 日前
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茶番スレ 3 日前
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入った人はココに個々に名前を入れてね 3 日前
526
4 日前
条約コーナー・機構コーナー 4 日前
59
4 日前
南米カルテル紛争スレ 4 日前
482
5 日前
茶番協議スレ 5 日前
14
12 日前
各国保有戦力スレ 12 日前
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20 日前
兵器資料スレ 20 日前
170
20 日前
模擬戦技術用コーナー 20 日前
19
1 ヶ月前
この鯖の決まりごと(法律のようなもの) 1 ヶ月前
4
2 ヶ月前
初心者さん案内スレ 2 ヶ月前
59
2 ヶ月前
(仮称)二つ名命名スレ 2 ヶ月前
111
3 ヶ月前
ファントム&リバティニア合同茶番 3 ヶ月前
318
7 ヶ月前
深海生物と争う末期な世界線(仮※)用コーナー 7 ヶ月前
リバティニア設定集
人物関連設定
国王>> 16
首相>> 17
副首相>> 19
外務大臣>> 29
宣伝大臣>> 45
中華王国首相>> 46
SIS副局長>> 48
SIS局長>> 50
NMBRC委員長>> 53
NSC委員長>> 54
国防長官>> 59
カミル陸軍元帥>> 60
性別:男性
年齢:59歳
誕生日:2月10日
職業:陸軍大将
思想:軍事委任
呼び名:特になし
身長:186cm
体重:86kg
出身地:カーディフ
血液型:A型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
趣味:レコード
色々:数年前ブライアン・マッケンジーはガラパゴスへの悲惨な介入で賞賛され名声を得た。そして今トラストでの無政府状態に対する究極的な勝利の中で、彼は軽蔑と憤りだけを見出した。運常戦争からだちだら続く反乱へと状況が変わる中、マッケンジー将軍は反乱を鎮圧し、トラストの政治的未来を決定するという不快な立場に置かれている。
トラストにおけるWOLF続治の進産は、マッケンジー将軍の下では見られ、政権からの変化よりも継続性がそこにはあった。心をつかむためにリップサービスをしているにもかかわらず、マッケンジーはトラストで活動している企業と戦争で荒廃した国で生き延びようと奮闘している現地民の両方に慎重な対処をしていた。南昌での攻勢の際に自軍が行った虐殺の疑惑により、すでにロンドンからの非難を受けているが、マッケンジーはまたこの地域で企業に行動の自由を認めなければいけないという大きな経済的プレッシャーにもさらされている。
マッケンジーにとって南昌事件以来、状況は大きく変化した。この戦争に栄光はなくどんな勝利であっても、何千人もの命が失われたことへの慰めにはならない。本国のマスコミが兵士たちの帰運を叫ぶ中、マッケンジー将軍は、必然的に帰囲する前に、この地域に連合王国の痕跡を残すための最善の方法を決めなければならない。
ただし、それが成功するかどうかは彼以外にもかかっている。
性別:男性
年齢:43歳
誕生日:3月7日
職業:上院副議長、連合王国臨時首相
思想:キリスト教保守主義
呼び名:上院のローレンス卿、片目のチェスター
身長:183cm
体重:76kg
出身地:ロンドン
血液型:A型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
趣味:オペラ
色々:ほとんど首相にとって、就任式は長年にわたる政治的な野望と成功の集大成であり、彼らを国の最高職に就かせ、最終的に理想とする国家を形成する機会をもたらす。しかし元上院議長のチェスター・ローレンスは、そのような首相の一人ではない。
正義と汚職の日に議会からロンドンに急遽呼び出された彼は混乱に陥った国と向き合うことになった。エイムズ首相のトラスト侵攻に関する行動への怒りが議会内の政治的な礼儀のようなものを完全に無視し、絶え間ない怒号合戦が弾劾裁判の判決が出されるよりも多くの時間を費やしていた。また国民も声を上げ、毎週のように暴動や抗議行動が起こり、有権者は労働党の急進派を支持するために登録を変更した。
ローレンスはロンドンに閉じこもり、国家に影響を及ぼす問題について、倍頼のおける側近や友人たちにだけ話し、連合王国が直面している荒波を静めるのは副首相と内務大臣に任せることにした。危機に瀕した保守党、分断を招く人種隔離問題、そして急速に段階的拡大をするに直面し、消極的な首相の今後の数日間が、この国の今後数年の方向性を変えることになるだろう。
性別:男性
年齢:64歳
誕生日:11月25日
職業:上院議長
思想:保守主義
呼び名:保守党の管理人、影の枢機卿
身長:186cm
体重:81kg
出身地:エディンバラ
血液型:A型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
趣味:読書
色々:ジェームズ・ハーバード・ストラウドは、エディンバラに住む農民の家に生まれたという謙虚な出自にもかかわらず連合王国で名を馳せた人物である。スコットランド国民党からスタートした彼は、その手腕と真面目さによりすぐに党の著名なメンバーとなり、数年後には名誉ある上院議員に選出された。
1999年に共和主義者率いるアイルランド共和国が独立を宣言し第二次アイルランド独立戦争が勃発すると、ストラウドは亀裂が入り今にも崩れ去りそうな連合王国議会を時の政治家であるマーガレット・テイラーとともにロンドンの街に身を置き声でそれをまとめ上げた。さらにストラウドは更なる前進の為保守党に入党し、かつてのスコットランドで活動する政治家達のリーダーとしての地位を利用して権力と影響力を獲得し、政治的にも連合王国に不可欠な存在となっていた。 長い間、操り人形のような男だったストラウドは、今や上院議長に就任し連合王国がエイムズの動乱に襲われたことになったことで、さらなるリーダーシップを発揮し、自分の政治生命を賭けて計画した政策を実行できるようになった。
モデルはスースロフ
性別:男性
年齢:25歳
誕生日:9月2日
職業:バーミンガム公爵、連合王国女王王配、連合王国陸海空軍最高司令官
呼び名:チャールズ殿下
身長:182cm
出身地:バーミンガム
血液型:AB型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
スペイン語
色々:チャールズ王配 (本名:チャールズ・バッテンバーグ)はスコットランド系貴族の家系であるバッテンバーグ家の長男としてバーミンガムに生まれた。バッテンバーグ家が王家の側近であったこともあり、幼少期から交流が多く、さらに本人が勉強熱心であったことにより無事オックスフォード大学に進学する。そこから転機が訪れるのは大学を卒業した2021年ごろ、17歳のエリザベスと出会い彼女が女王に即位する2ヶ月ほど前に結婚。現在ではバーミンガムの爵位を受け、連合王国女王王配として即位している。
性別:男性
年齢:59歳
誕生日:11月25日
職業:陸軍退役少将、第11特務小隊長
呼び名:マスター
身長:181cm
体重:81kg
出身地:ダブリン
血液型:A型
宗教:カトリック
使用言語:英語
スペイン語
中国語
趣味:切削アート
色々:ダブリンの機械工の一人息子として生まれたリトルロックは仕事をする父を見て育ったからか機械に対する関心が人一倍強かった。順調に父親の技術を吸収していき、高校を卒業後、あとは父の仕事を受け継いだ後それを発揮するだけというところであったが彼の運命を大きく変える出来事が起こる。
性別:男性
年齢:61歳
誕生日:9月9日
職業:陸軍元帥、西方方面軍総司令官
思想:軍事政府
呼び名:特になし
身長:189cm
体重:89kg
出身地:リーズ
血液型:O型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
趣味:CD
色々:戦争で最も激しい戦いが繰り広げられたトラストはWOLFの統治以来、現在のブランチャード将軍までの指導者にとって常にとげのある存在であった。トラスト利軍委任統治領は、連合王国とチェコの攻勢をうけて現地のゲリラが崩壊したために急遽設立されたもので、ほとんど国家とは言えない状況であった。 不安定な皆定国家は今、政権の残忍な弾圧を生き延びた共産主義者による反乱と戦わなければならない。
ウィリアム・ブランチャード将軍は、当時最初の攻勢に勝利したことで連合王国のマスコミで広く称せされ、後に彼の物議を醸し出した損耗戦略という仕事ができる唯一の男である。爆撃機と火砲における連合王国の優位性を最大限に活用したブランチャードは、戦場で大成功を収めたが、本国からは強く非難されていた。トラストの秩序を維持するために必要と考えられる残忍な抑圧は一層本国からの非難を強めるだろう。優れた火力は、敵が優れた戦力に直面した場合、ジャングルの中に溶け込んでしまうだけで、ほとんど意味を持たない。
平和をもたらすことを使命とする戦争の男、ブランチャードは、反乱理を倒し、トラストを安定させるために、本国からわずかに残された好意が尽きる前に、時間との戦いに身を投している。
性別:男性
年齢:55歳
誕生日:1月29日
職業:LCP書記長
思想:マルクス・レーニン主義
呼び名:スターリンの申し子
身長:183cm
体重:77kg
出身地:ピーターヘッド
血液型:AB型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
趣味:談話
色々:ハーヴィー・ホワイトには多くの言葉が当てはまるが、その中に「首相」は含まれていない。 彼はアバディーンシャーの広大なピーターヘッドで、スイス移民の子供としてフリッツ・フォン・ヴィルトとして生まれ、9人の兄弟と共にドイツ語を話しながら、極寒の丸太小屋で育った。 ホールは15歳にして、家族を接うために学校を中退して伐採所で働き、すぐに共産青年同盟に加入した。その組織での活動のおかげで共産主義の聖地たるグ連に行くことができ、ホワイトは国際レーニン学校で数年間勉学に励んだ。1980年代には、様々な州で鉄工所や農家、チームスターズなどのストライキに参加し、警察や上司を相手にして戦った。
その後革命的祖国防衛主義に基づき海軍に入隊した後、ホールは2000年代の大半を、連合王国政府の転覆を提案したとして検察に追われていた、だが彼はリバティニア共産党のメンバーとして、大学のキャンパスで講演をしたり、テレビの生放送で保守党議員と討論をしたりして、その名を知られるようになった。しかしこのままでは、連合王国政界のマイナーな存在として終わるはずだった。しかしそれは、労働党とLCPの台頭によって覆された。今、ホワイト首相となった彼は、連合王国で虐げられた人々を高揚させ、労働者階級を団結させ、少数派の富裕層では なく多数派の労働者のための新たなリバティニアを創造しようとしている。
ハーヴィー・ホワイトは首相として急進的な道を歩んでいる。彼は公約にて、富裕層への増税だけではなく、自身の社会主義的ビジョンを実現するために、連合王国経済を全面的に再構築することを立言している。この公約の一環として、 反動や保守派が主導してきた組織は一掃されることとなる だろう。そして、社会主義は世界中で推進され、古き帝国主義の連合王国の野望は、新しい、赤い鷲に取って代わら れるだろう。労働組合ーー一古き偉大な発明ーーーは、産業界 でのかっての地位を取り戻すだろう。平等主義と公平性を支持する判事が任命されるだろう。ハーヴィー首相は、何よりも民主主義の維特・促進を目指すことになるだろうーーーそれが連合王国の死を怠味することになろうとも。
彼は確かに「首相」ではないかもしれない。だが、ハーヴィー・ホワイトは確かに革命的なリバティニアを目指している。
注意:首相就任後の説明です
性別:男性
年齢:44歳
誕生日:12月10日
職業:ナショナル・アクション党首
思想:英国ファシズム
呼び名:道化師、若き総統
身長:184cm
体重:74kg
出身地:ニューキャッスル
血液型:O型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
趣味:執筆
色々:レイフ・エドワード・ハリソンは、首相としての権力を身につけるとは、ほとんど予想だにしなかった人物である。しかし、今、連合王国史上最も論争的な選挙の後、率直なファシストがロンドンに座っている。 もともと作家、皆学者であったハリソンは、1930年代に世界各地で起こった権威主義、ファシズムの動きに魅了された。弁護士を目指しながらアドルフ・ヒトラーの著作に興味を持ち、反ユダヤ主義、超軍国主義といったナチスの思想を取り入れた。「帝国主義:あらゆる大国の鉄則」という自称の大作を出版した後、ハリソンは有権者達の新たなる投票先として極右政党を設立し、連合王国政治に新しい動きを起こした。 ハリソンたちは、当初「ナショナル・アクション」と名乗っていたが、すぐに連合王国の他の政治勢力から忌み嫌われ、単に「極右」と呼ばれるようになった。しかし、敵の失 態と天の恵みで、彼の派閥は今や連合王国の政治体制に勝利している。
ハリソンの首相就任は、少なからぬ木造所からネズミをかき集めることになった。連合王国では、多くの都市で、クー・クラックス・クランを真似たフード付き白衣を着た男達を見かけることが少なくない。同様に、過去数十年間にかけて制定された画期的な新公民権法の廃止も公然と語られている。黒人のリンチはますます多くなり、気づかれることなく、調査されることもない。要するに、惜しみが連合王国全土で普通になっており、政治体制内外の多くの人々がこの権威主義の波の行く先に怯えているのである。
ハリソンは、地球上で有数自由主義国家のリーダーであるにもかかわらず、自由についての意見は不明瞭で矛盾している。多くの人は、彼が連合王国の自由を維持するためにどんな外見的な見せ方をしようとも、彼は依然としてファシストであり、首相の地位を強化するためにできることは何でもやるだろうと思っている。ハリソン自身は 「文化の破壊者」と断じて、西洋文明を守ると主張してい るだけだ。ハリソンが何から守っているのかは不明だが、十字架と星条旗のマントを持って、レイフ・エドワード ・ハリソンは首相官邸に座り、連合王国に自分の意志を実行しようとしているのだ。
注意:首相就任後の説明です
性別:男性
年齢:50歳
誕生日:8月25日
職業:国民党右派議員
思想:ディキシークラット
呼び名:ジム=クロウの亡霊
身長:176cm
体重:68kg
出身地:ペンザンス
血液型:A型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
趣味:執筆
色々:国民の大切な権利と自由を擁談しつつ、ジャップの脅威から自身の誇らしい祖国を守ろうとする唯一の存在である高潔な南部紳士かのように、あるいは真の勇ましい連合王国人かのように、ジョージ・C・ウォリックは自らを見立てている。しかし実際のところは、彼は卓越した日和見主義者であり、自身の得票率を最大化するためには喜んで自分のイデオロギーを好きなように成形する。故郷ペンザンスの知事として良き白人有権者を取り込もうとした結果、彼は必然的に、地方分権を損なおうとする非連合王国的第五列をあらゆる面で防ぐ、頑強な隔離主義制度の擁護者となった。1999年の内乱によって議会が混乱に包まれし、「結束せる南部」の忠識が揺らぐと、ウォリックはジョージ・オーチャード・テムズが創設したばかりの国民党へ参加し、同党をの上位に導けるよう確固たる手腕で貢献した。
選挙戦においては、フランケンシュタインのようにつぎはぎな国民党の支持層、ひいては国民の大多数の支持を十分勝ち取るために、ウォリックは自分の立ち位置をうまく穏健化させた。しかしの座を得た今、国民党の多くの保守派議員との便宜的な同盟関係は急速に薄れつつある。 自分が体制側なのに、体制側を憎むことだけに縛られた政党をどうまとめるというのだろうか?しかしウォリックは、この同盟が長く続ぐとは考えていないようだ。むしろ彼は隔離政策を法的に後押しすることに、可能な限り時間を使うつもりであるようだ。そして隔離制度が事実上除去不可能になったとき、彼は故郷に帰り、南部の救世主として永遠に不滅の存在となるのだろう。
性別:男性
年齢:54歳
誕生日:4月13日
職業:MI6長官
思想:国民保守主義
呼び名:ロー・ブランド
身長:183cm
体重:78kg
出身地:ダグラス
血液型:O型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
趣味:ドラマ
色々:マドリードの外務宰相とロンドンの首相が始めた新冷戦は多くの国々やそこに住まう国民たちに様々な影響を及ぼした。そしてそれは新冷戦が終結した今でも続いているように思える。その一例が新植民地主義と情報戦の到来だ。我々は新たな時代に備える必要があるのである。
古き良きダグラスにて上流階級の子として育ったジェームズ・ロー・ブランド卿はケンブリッジ大学を卒業後すぐ自身の夢を叶えるべくジャーナリストの道へ突き進んだ。それはお世辞にも楽な選択肢とは言えないものではあったが彼にとってその生活は充実しきったものであるとはっきり言えるものであった。しかし彼は向上心を忘れることは一度たりともなかったといえる。1999年にアイルランドの人民が自由を求めて戦うことを選択したとき、彼は自身の力を国益のために活かすためMI6の職員となり二重スパイとして活動することを選択した。
彼の才能と忠誠心はここでも活かされることとなる。ロンドンからの信頼を得た彼は徐々にその地位を獲得していった。そして新冷戦が終結した時、彼は首相による指名のもと長官の地位に就く。その先にある道は一体どこへ続いているのだろうか。ただ一つ確実なことは、連合王国は彼を必要としているということだけだ。
企業関連設定
コンテンツ
社長:ヘレナ・ペンバー
業種:造船
本社:オワフ
設立年:1997年
従業員数:37000人
最大顧客:利海軍
ーーーーーーーーーーーーーーー
1997年の創業以来、現在の海軍主力駆逐艦であるアーミィ級を始めとし、多数の軍用艦艇を造艦してきたリバティニアの造船企業。初代社長であるフリッツが海軍大臣就任後は娘であるヘレナが社長となっている。
社長:エドワード・スミス
業種:造船
本社:ポーツマス
設立年:1963年
従業員数:16000人
最大顧客:利海軍
ーーーーーーーーーーーーーーー
設立当初は主に商用艦艇の建艦を行っていたが、近年になり軍用艦艇の必要性が向上したことをきっかけにそれらの建艦を開始、レディオヘッド級などの小型艦を製造している。
社長:ニコラス・モーゼンランド
業種:造船
本社:プリマス
設立年:2003年
従業員数:41000人
最大顧客:利海軍
ーーーーーーーーーーーーーーー
ブレイズリープ級を始めとする大型艦の建艦を行ってきた造船企業。利海軍が最大顧客なこともあり、順調に規模を拡大しており国外への進出も示唆している。
PSCとの関係は良好。ブレイズリープ級やファプタ級などの造船を一部委託している。
社長:李海林
業種:造船
本社:台北
設立年:2012年
従業員数:23000人
最大顧客:民間
ーーーーーーーーーーーーーーー
主に商用船舶を建艦してきた台湾の造船公社。難陀級ミサイル巡洋艦などの鑑定を建艦してきており、中華連邦でも最大級の規模を誇る。
社長:ウィリアム・ウォレス
業種:航空宇宙
本社:エディンバラ
設立年:1964年
従業員数:32000人
最大顧客:利空軍
ーーーーーーーーーーーーーーー
空軍用小型機の製造を主に行なってきた企業。現在ではステルス機の開発にも取り組んでおり、利空軍機の半数以上がこの企業の出身である。
軍事関連設定
コンテンツ
ニルヴァーナ級対潜フリゲート
計18隻
デヴィッド・ボウイ級ミサイルフリゲート
計24隻
ハリー・スタイルズ級汎用フリゲート
計12隻
エルマ級コルベット
計12隻
ホンコン級ミサイルコルベット
計18隻
シナトラ級原子力潜水艦
計12隻
アッツ・ブロックII級原子力潜水艦
計24隻
アクセル・ローズ級原子力潜水艦
計18隻
ソリッド級原子力潜水艦
計3隻
モヴェーレ・クルース級戦略原子力潜水艦
計9隻
玄武級支援駆逐艦
計4隻
エド・ロス級ミサイル艇
計6隻
ラットファンク級哨戒艇
計16隻
大型艦:25隻
小型、中型艦:266隻
潜水艦:66隻
合計艦艇数:357隻
・海峡艦隊
司令官:ヘンリー・ウィリアムズ少将
旗艦:空母ブレイズリープ
拠点:ポーツマス
・北海艦隊
司令官:エドワード・オリンズ中将
旗艦:空母ヴィンテージ
拠点:エディンバラ
・大西洋艦隊
司令官:アラン・M・ストリンガー大将
旗艦:空母オーゼン
拠点:ゴールウェイ
・太平洋艦隊
司令官:ウィリアム・D・ポーター大将
旗艦:空母ミッドウェイ
拠点:ホノルル
・地中海艦隊
司令官:ロバート・マディソン中将
旗艦:強襲揚陸艦敖閏
拠点:リマソール
チャレンジャー1 主力戦車
センチュリオン 歩兵戦車
ケントゥリオ ATCV-L
クロムウェル 装甲兵員輸送車
オーキンレック 装備式自走砲
M6A1:ブランチャード 歩兵戦闘車
モントゴメリー 歩兵戦闘車
GPWV:ホース 汎用四輪駆動車
GPTS 八輪軍用輸送車
F-37A:マザー・グース 戦闘機
F-41A:ナーサリーライム 戦闘機
F-19C:クックロビン マルチロール機
F-17C:リープ マルチロール機
A-4D:サーペント 攻撃機
B-4B:ブラックバード 戦略爆撃機
E-4A:ヴァルチャー 早期警戒機
KC-121:エイフェツト 空中給油機
C-19J:スーパーケルピー 戦術輸送機
AC-19J:フォートレス ガンシップ
AR-26:ペンブローグ COIN機
MQ-10:スパーク 無人戦闘機
MQ-7:ヒュドラ 無人攻撃機
RQ-8:チャイニーズ・ドラゴン 無人偵察機
MR-10:アームストロング 高高度偵察機
MR-12:シューティング・スター 戦略偵察機
AH-24B:スクォンク 攻撃ヘリコプター
AH-38A:ヒューイ 攻撃ヘリコプター
UH-20:ハル 汎用ヘリコプター
CH-36:ストーク 輸送ヘリコプター
ACH-36:ハヴォック 攻撃ヘリコプター
F-23E:ソロモン・グラビティ 艦上戦闘機
F-25C:マフェット 艦上戦闘攻撃機
E-3B:ビーグル 艦上早期警戒機
MQ-11:チャコール 無人戦闘攻撃機
AH-20C:カーネイジ 攻撃ヘリコプター
SH-38B:シーガル 汎用ヘリコプター
SH-43D:シーライオン 輸送ヘリコプター
LA-18 自動小銃
M19A1 半自動式拳銃
パシフィック・リボルバー ダブルアクションアーミー
特殊部隊など
コンテンツ
創設:1944年8月28日
所属組織:王立陸軍
司令官:ヒューイ・アンダーソン少将
隊員数:約1000名
愛称:なし
標語:Loyal to orders.(命令に忠実で)
目的:特殊工作
その他:
リバティニア陸軍の特殊部隊。
創設:1951年1月1日
所属組織:リバティニア海軍
司令官:ドナルド・メンデンホール少将
隊員数:約2000名
愛称:なし
標語:With the sea(海と共に)
目的:特殊工作、上陸支援
その他:
利海軍の特殊部隊。隊員全員がフェイスベールを装備しているその独特な見た目から「妖怪」とも呼ばれている。
創設:1952年10月3日
所属組織:近衛局
司令官:エリザベス1世
ジョン・E・カニンガム
隊員数:約8000名
愛称:ロイヤルホームガード
標語: Her Majesty the Queen's Loyal Servant(女王陛下の忠実なる僕)
目的:衛兵任務
その他:王立陸軍近衛師団麾下の各部隊に所属する精鋭兵達からなる組織。君主の警護や衛兵任務だけでなく、一般部隊と同様に実戦部隊としての任務もこなしており、そのための訓練を受け、最新の装備も支給されている。また、正装である赤い上着に熊の毛皮の帽子という格好と、直立不動の姿勢で警衛する姿は観光資源としても、非常に有名であり連合王国を代表する部隊の一つである。
創設:2011年12月8日
所属組織:連合王国国防省
司令官:トーマス・D・リトルロック退役少将
隊員数:25名
愛称:リトルロック小隊
標語: Loyalty trumps all else(忠誠は何物にも勝る)
目的:異生物捕縛又は排除
その他:
国防省管轄下の対人外部隊。隊員全員が人間で構成されており、軽機関銃や火炎放射器を始めとする様々な重火器を装備。
国内関連設定
コンテンツ
組織関連設定
設立年月日:1909年10月1日
種類:諜報・諜報活動
管轄:連合王国外務省
人員:7465名
本部所在地:ロンドン
監督大臣:マティアス・クリス・トレント(外務大臣)
現行政官:ジェームズ・ロー・ブランド
支局一覧:
太平洋支局
北米支局
中米支局
南米支局
欧州支局
極東支局
連合王国の対外情報機関、MI6と呼ばれる。主に人的情報(HUMINT)を利用して世界中から国家安全保障に関する情報を収集分析することを任務としている。
設立年月日:1909年10月7日
種類:保安活動、治安維持
管轄:連合王国内務省
人員:5863名
本部所在地:ロンドン
監督大臣:サイモン・ディーン・ロバーツ
現行政官:メアリー・スチュアート・フレデリック・ヴィクター
一般的な名称はMI5。主に国内における治安活動を中心に活動する連合王国の秘密警察。2020年のガラパゴス紛争後には同地域の反乱者を鎮圧しており、現在でも政府直属の組織として展開している。
リバティニア専門用語
コンテンツ
北台湾収容キャンプ
北台湾収容キャンプ(North Taiwan Detention Camp)は中華王国の新北市金山區の北台湾利軍基地に設置されているリバティニア西太平洋方面軍北台湾共同機動部隊運営の収容キャンプ。 2023年にエイムズ・ウォーカー政権時に設立され第二次台湾事変の過程でリバティニア軍によってテロに関与しているか、何らかの情報を持っていると疑われて強制連行ないし逮捕された数多くの人物が収容、監禁、拘束されているが、法の適正プロセスに反した国際法に違反する違法な拘束であると国内外から批判を受けており、中華王国政府は同基地の返還を求めている。
・連行される収容者
・監視塔
・基地の衛星写真
キャンプ・アルファ
・No.A:July 2023 open air cages, but with plumbing
・No.B:open air cages, but with plumbing
・No.C:more pleasant surroundings for the most compliant detainees
・No.D:permanent facility modeled after a bureau of prison maximum security facility
・No.E:permanent facility modeled after a bureau of prison maximum security facility
・No.F:isolation cells, and cells where detainees are held prior to meeting their lawyers
一般的な囚人が収容されていると考えられている収容施設
キャンプ・ベータ
・No.G:open air cages, but with plumbing
・No.X:no data
児童など特別な人物に対して使用されていると考えられている収容施設
キャンプ・チャーリー
・No.zero:operated by SIS
SISにより運営
現地のジャーナリストや解放された収容者のインタビューなどでは、収容所内の収容者への対応は水責めや性的な嫌がらせ、殴る蹴るといった暴行など、現地兵士による非人道的な処置が取られていることが明らかになっており、一部の人権団体はこのことについて強く非難を示している。またリバティニア政府や国防省はこのような処置を受けている元収容者らに対する謝罪は一切行っておらず、また詳細な情報の開示も行っていない。
・No.D内と思われる写真
連合王国史
統べよブリタニア
イングランド及びウェールズ王国として長年ブリテン諸島に君臨してきたこの国の最も大きなの転換点は名誉革命の有無にこそあろう。イングランド国王及びスコットランド国王でありプロテスタント信仰に改宗したジェームス2世が議会とカンタベリー大司教を説得し、名誉革命を未然に防いで絶対君主制を存続させたのである。当然それでも国民からの支持はあまりなかったが、娘のメアリー2世と娘婿のウィリアム3世の力を借りクーデターが起きないよう自らの地盤を強化したジェームズ2世は1701年に崩御するまでグレートブリテン王国を建国するべく活動した。その後に登場したのはステュアート朝最後の君主であり、後にブランデー・アンと呼ばれるようになるアン女王である。1707年にイングランドとスコットランドの合同法を成立させた彼女は、両王国のそれまでの同君連合という関係からさらに統合を進め、グレートブリテン王国として一体化させるという偉業を成し遂げた。さらに国力をつけた王国はスペイン継承戦争に呼応しアン女王戦争を開始、これでもまた勝利を収め、先代と異なり大衆の支持を獲得したアン女王であったが唯一の欠点として17回も子を授かったにも関わらず20歳まで生きた子供が1人もなく後継が誰もいなかったことが挙げられる。結局状況が改善されることはなくアン女王は1714年に49歳の若さ崩御し、王国は議会による審議の下ステュアート朝と血の繋がりがあるドイツのハノーヴァー朝を向かい入れた。連合王国は議会による審議の末王位継承権を制定し同家のゲオルク・ルートヴィヒをジョージ1世として向かい入れた。しかしジョージ1世はすでに50歳を過ぎていた上、当時の国際語はフランス語であることから英語の理解に限界があると判断され、その後プリンス・オブ・ウェールズに即位した次代のジョージ2世も既に30歳をすぎていたことにより、連合王国の政治参加にあまり興味がなく既にハノーファーの軍事や政務を担っていたので徐々に国王の権限は弱まっていった。それに加えて彼らは即位後もしばしばドイツに滞在し、連合王国を留守にすることが多く、これを見た連合王国議会はホイッグ党リーダー、後の連合王国初代首相となるロバート・ウォルポールを中心に無血クーデター(自由革命)を決行。これは成功しジョージ2世を廃位に追い込んだ。その後1738年にジョージ2世の孫でありハノーファー朝で最初の連合王国出身の国王であるジョージ3世が即位するまでの間ウォルポール首相と後に2代目首相となるスペンサー・コンプトンは臨時的に議会による共和政を行い、議院内閣制民主主義の基礎を完成させ、現在の連合王国の基礎を築いた。またリバティニアという国号は改革に対する演説の際にコンプトンが発言した「自由の民の王国」という言葉に由来している。
パクス・ブリタニカと独立戦争
連合王国は権利の章典を発布後すぐ、ポルトガル、スペインに遅れること1世紀、17世紀初頭にオランダ共和国とともに大航海時代に乗り出した。東インド会社はインドを中心とするアジアに進出し、約1世後の1858年には英領インド帝国を設置。また北米大陸にも13植民地を設置しフレンチ・インディアン戦争の勝利により広大なルイジアナ地域を獲得するなど領土拡大を推し進め、多数の植民者を送り出していった。しかしこの戦争の影響は経済にも及び、議会は戦費によって膨らんだ国家債務の償還および植民地維持のために送られた軍隊の費用を13植民地への増税で賄う方針を採択。だがこれは植民地からの反感を買い、間もなくこの2つの税法は廃止に追い込まれることとなる。連合王国はなおも植民地に対しての課税を諦めず、1773年には茶法を制定し、植民地での東インド会社による茶の独占と課税を実施。案の定上手くは行かず、これに対し更なる不満を持った植民地人は同年にボストン茶会事件を起こし2年後の1775年にはレキシントンにて王立軍と植民地軍との間の武力衝突が起こった。ジョージ・ワシントンを指揮官とする植民地軍は植民地全域にまで蜂起を拡大し翌年に独立宣言を発表(アメリカ独立戦争)。さらにベンジャミン・フランクリンが妨害工作の実施を諸列挙に呼びかけたことにより連合王国は欧州にて孤立し厳しい戦いを迫られ1783年、パリ条約により独立戦争は13植民地の勝利で幕を閉じた。また、これを機に勃発したフランス革命は、連合王国史史においても次のエポックを作り出すことになる。ウォルポール以来のホイッグ党の優位がアメリカ独立運動の対応に躓いたことによって縮小し、代わりに一連の対応で国民の支持を得たトーリー党が徐々に力を伸ばす結果となった。
ユニオンジャックとナポレオンの台頭
アメリカ独立戦争の影響は連合王国の従属国であったアイルランドにも波及し、アイルランドにおける連合王国の影響力が弱体化。アイルランド議会が徐々に力を伸ばし、続くフランス革命では、これに呼応することによってアイルランドの地位を向上させようとする政治運動が活発になった。これに危機感を覚えた連合王国議会はカトリック解放とバーターで1800年に合同法を成立させ、アイルランド議会をウェストミンスター議会に統合しアイルランド王国を併合した。これによりブリテン諸島は連合王国により統一されグレートブリテン及びアイルランド連合王国が成立する。そんな中、ドーバー海峡の向こう側に位置するフランスは転換点を迎えることとなる、フランス革命とナポレオン・ボナパルトの登場である。後に欧州におけるフランスの時代を築く立役者となるナポレオンはイタリアやオーストリアなどの近隣諸国を瞬く間に蹂躙、さらに連合王国と植民地インドとの連絡を断つ為エジプト遠征を行った。しかしフランスの目論み通りにはいかずアッカの戦いで連合王国とオスマン帝国の連合軍に敗北、さらにナイルの海戦でフランス艦隊がホレーショ・ネルソン提督率いる艦隊に大敗し、さらに欧州における劣勢に立たされたフランスはエジプト遠征を中止した。これを機に連合王国とフランス間で講和が進みアミアンの和約が締結されたが、双方の対立が理由ですぐさま破棄され、さらに翌1804年にナポレオンが皇帝宣言したことにより連合王国は欧州諸国と対仏大同盟を結成した。その後再びオーストリアとロシアに侵略を開始したナポレオンは次に連合王国を下す為海軍を出したがネルソン提督率いる艦隊に再度敗北。本土への攻撃は不可能と判断し大陸封鎖令を出して連合王国を経済的に攻撃しようとした。しかし、これは全くの逆効果で、かえって連合王国との経済交流の場を喪失した大陸諸国の方が疲弊する結果となった。一方連合王国は反ナポレオン闘争に積極的に加担するようになり、ポルトガルとスペインの対仏ゲリラを支援する結果となった。こうした中で1812年にロシア遠征が失敗に終わると欧州諸国はフランスに対する反抗作戦を実施しイベリア半島戦争においても王立陸軍がヴィットーリアの戦いにて勝利を収め、1814年、連合軍はパリに入城した。
産業革命と連合王国の近代化
ナポレオン戦争後、今後の欧州秩序について話し合うべくウィーン会議が開催されたが、この会議は「会議は踊る、されど進まず。」と言われる状況であり、各国の利害が対立して会談が終結する見通しすら立たなかった。こうしたヨーロッパ各国の対立の空白を狙って、ナポレオンがエルバ島から脱出。瞬く間にパリに駆け上がり、帝位に返り咲いた。これを受け欧州諸国は一旦対立の矛先を収め、ナポレオンを再びヨーロッパから追放することで結束し、各国はフランスを包囲するように軍を展開。ワーテルローの戦いにてウェリントン公爵が勝利を収め、再び進撃を開始し、再びナポレオンは退位させられセントヘレナ島へ幽閉された。一方このような欧州の混乱を好機と見た国家もある。それは独立からまもなく大国へと成長を遂げた新大陸の王者、アメリカだ。アメリカはナポレオン戦争中、英領カナダに宣戦布告し米英戦争を開始、これを受け連合王国軍、カナダ軍、インディアン部族が連合して戦いを実施した。しかし欧州における戦いが進行中であったこともありアッパーカナダでのジョージ砦の戦いにて連合軍は敗退、ガン条約によって講和することとなる。旧大陸における勝利と新大陸における敗北をきした連合王国は、欧州における旧秩序の維持を目的としたウィーン体制のもと外交政策を進め、セイロン島やケープ植民地のほかマルタ島の支配も開始した。しかし一方で欧州での影響力維持のため外相ジョージ・カニングのもとも自由主義的、民族主義的運動を支持し、ウィーン体制とは一線を画そうとした動きも見られた。その中でも有名なものがギリシャ独立の支持である。連合王国は外交的な自由主義政策ばかりではなく、内政でも穀物法の緩和やカトリック解放令、奴隷制度廃止運動にともなう奴隷貿易法の制定など自由主義的な政策を実施した。さらに連合王国は世界に先駆けて18世紀ごろより蒸気機関の開発、改良を進め、工場制機械工業が発達し民族資本による産業革命が発生した。軽工業や綿織物の分野における工業化が進み工場での大量生産が可能となった。またこれにより石炭の需要が高まり構成国の一つであるウェールズの経済成長が発生、各国からの石炭輸入を行う積出港、綿布の原料となる綿花を引き受ける貿易港でも、労働力を集中させるだけの需要が生まれた。一方でこのような社会的変動は同時に社会制度にも変化の嵐を呼び都市部で新たに労働者や資本家が誕生、資本主義と呼ばれる新時代の経済体制が確立され、カール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルスなどの思想家が1848年にロンドンで生産手段の国有化を謳う共産党宣言を行うなど共産主義の台頭も目立つようになった。
帝国主義と民主主義の近代化
産業革命の到来は政界にも影響を及ぼした。その中でもチャーティズム運動と保守党、自由党や労働党などの近代的な政党の誕生は代表格と言えるだろう。ナポレオン戦争での勝利は、国内のフランス革命に共感していた知識人と産業革命で勃興しつつあった資本家と労働者たちへの反動政権の勝利でもあった。それにより腐敗選挙区などの前近代的な制度が存続し続け、これに対し労働者らが立ち上がったことにより始まったのがチャーティズム運動だ。彼等の運動は男子普選や腐敗選挙区の解消などを目的にはじまり、近代的な民主化運動の一つであったが、トーリー党とホイッグ党は1832年の改正でほぼ満足した資産家、中産階級を味方にしてチャーティズムを押さえようと試み、遂に1848年革命に呼応した最後の大規模なデモンストレーションの後に沈静化した。この騒動の後トーリーの有力議員であったロバート・ピールは自身の選挙区の有権者に対して最初の政権公約であるタムワース・マニフェストを示した。これは同年にトーリーの綱領として採択され、トーリーはそれまでの議員グループから脱却して近代的な政党である保守党へ進化した。ピールはその後首相に就任し、穀物法を廃止。その後就いたジョン・ラッセルのもとで航海法もが廃止され産業資本家が求める自由貿易が実現した。このようにピールは保守党議員でありながら自由貿易に積極的な姿勢を示した。ピールに同調する議員をピール派と呼ぶ。ピールが議員を辞すると、ピール派は次第に保守党から離れホイッグに合流した。このときまでにホイッグには同じくトーリー出身で自由主義外交を志向したカニング派も合流していてこれらの連合体として自由党が発足した。この後、自由党と保守党、自由貿易派と保護貿易派の政治闘争を中心にして連合王国議会政治が発展した。有力な政党政治家たちが自由・保守両党をリードして定期的な政権交代を繰り返しながら国政を指導し、民主主義の理念と男子普選を充実させた。しかしこの陰で自由党や保守党以外でこれら労働者の支持の受け皿として労働者政党を結成しようとする運動が19世紀末に起こった。これにより1884年に誕生したフェビアン協会から発足する形で1906年に労働党が誕生。彼らは同年緒総選挙で26議席を獲得し議会勢力に足場を築いた。続く1910年の総選挙では自由党と連立し政権入りを果たすこととなる。
アレクサンドロス・シュガート
ISAF 外事交渉委員会 委員長 シュガート博士/シュガート委員長/アレクサンドロス委員長
年齢:42歳
容姿:白髪交じりの整った黒髪に眼鏡をかけた一般白人イケオジ男性()目の色は灰色。
身長:181cm
体重:63kg
使用言語:英語、ロシア語、中国語、スペイン語(すっげすっげ)
宗教:本人が言うに無宗教だそう。
交友関係:一部の監査評議員、外交委員会の部下、武器ディーラーなど
((アイリス航空開発担当との関係性は…) 交友関係はかなり広い。
性格:ごく普通のおじさまです。茶番の通り、で少し性格が悪いですが()
能力:口がうまい、それだけです()
過去:過去、イラクが内戦状態だった際、政府軍の傭兵として反政府軍と戦った経験がある。とくに負傷はしていない。
ジョシュア・キッドマン
年齢:42歳
性別:男
身長:184cm
体重:59㎏
容姿:黒髪に黒い瞳のイケオジ(二人目) 救済おじさんのような容姿です。
性格:人に対しては丁寧に、温厚に接している。家族思いの良きパッパ()
宗教:カトリック
使用言語:英語、ロシア語、スペイン語
能力:一般人
経歴:旧USMI社第1歩兵師団出身の元武装社員。35歳の時にIEDによって足を負傷し、左足が義足である。
現在:武器、兵器ディーラーとして財団製のものを販売して世界中を転々としている。
俗にいう死の商人である。
モルトラヴィス設定集
https://seesaawiki.jp/minecraft-army-tentative/
人物一覧
サビーネ>> 9
シュルヴィア>> 10
編集中
本名:シナノ・リン・ジュスティーヌ
年齢:44?
身長:175cm
出身地:クロアチア
誕生日:非公開
経歴:
連邦内戦期の経歴不明
エレクシア大学政治学部卒
カタルーニャ下院議員(1996~1999)
カタルーニャ上院議員(2002~2005)
帝国中央議会下院議員(2005~2014)
バルセロナ市長(2014~2017)
イベリア救済基金(1993~2005)
帝国外務宰相(2018~)
臨時政府大宰相(2024〜)
趣味:運動、読書など幅広く。
使用言語:スペイン語
日本語
英語
宗教:無宗教
家族構成:非公開
概要旧連邦内戦において「皇帝権」の一員の狙撃手として帝国の建国に貢献した彼女は終戦後、エレクシア大学政治学部に入学し官僚としての道へと進んだ。過去の栄誉にとらわれない実力主義・現実主義的な考え方、類まれな交渉力を生かし諸王国間の経済連携を急速に推し進めたり、基金の設立など旧連邦移民の地位向上への努力を惜しまなかった。民間の評価も高く、2014年からバルセロナ市長に就任し後に宰相府へ迎え入れられることとなる。
2024年12月クーデターからは、臨時政府側で臨時大宰相に就任した。
本名:モーティマー・アンダーソン
年齢:59
身長:176cm
出身地:アゾレス
誕生日:6月9日
経歴:
帝国太平洋戦略長官
趣味:お茶
使用言語:スペイン語
英語
宗教:無宗教
概要∶帝国の太平洋戦略担当長官として太平洋地域における諜報、工作の指揮をとる。英国人の血縁。
本名:ミトラスフェーア・ニィル・ヘッヅェルング
年齢:41
身長:168cm
出身地:バレアレス
誕生日:11月24日
経歴:
旧バレアレス王国国務官(2008)
アストゥリアス王国財務長官(2008~2010)
アステシア王国財務長官(2010~2016)
帝国国務省宰相(2016~)
帝国財務省宰相(2019~)
趣味:酒
使用言語:スペイン語
宗教:カトリック
家族構成:夫はクレタ紛争で殉職
概要∶帝国の財務の要。中央銀行で勤務し、若くして退職後は領邦での財政顧問などを務めた。アデレード政権時に宰相府入りを果たし国務宰相、2019年には財務宰相を兼任することとなった。
本名:イリュア・ラムシュタイン
年齢:38歳
身長:165cm
出身地:ボスニア自治区ヘルツェゴビナ・ネレトヴァ県
誕生日:1985年8月30日
趣味:読書
経歴∶
バルセロナ海軍大学(2004~2008)
国営帝国海軍士官学校(2008~2014)
カタルーニャ王国海軍(2014~2016)
帝国海軍地中海方面艦隊(2016~2021)
帝国海軍地中海方面艦隊司令官(2021~)
使用言語:
スペイン語、クロアチア語など
宗教:聖教会
備考∶旧地中海連邦内戦中に激戦地ボスニアで生まれたボシュニャク人。内戦の最中、イベリアへと避難する幼少期のイリュアが乗る移民船団は通りかかった軍閥の艦隊によって護衛され、無事にイベリアへとたどり着いた。その経験から、彼女は海軍へと強い憧れを持ち海軍大学へと進学した。帝国海軍地中海艦隊司令官。階級は少将。
本名:ルッツ・ブルクハルト・コルヴィッツ
年齢:71歳
身長:167cm
出身地:アステシア王国
経歴∶帝国軍総司令官
使用言語:スペイン語
宗教:カトリック
備考∶帝国軍総司令官。第二次連邦内戦においてカタルーニャの武装勢力の一員として鬼神のような活躍を見せ、終戦後に新帝国軍に迎え入れられた。現在はヴォイテクの後任として総司令官を務める。
本名:リュドミラ・ヴィツカヤ・シチェコチヒナ
年齢:32歳
身長:161cm
出身地:カタルーニャ王国フィゲラス
経歴∶
第6自動車化狙撃兵師団
ヴァルハラ小隊隊長
使用言語:スペイン語
宗教:カトリック
備考:帝国陸軍第6自動車化狙撃兵師団に属する狙撃手で帝国最多の214名を殺傷。軍学校を卒業後、故郷のカタルーニャ王国にて従軍し帝国軍第6自動車化狙撃兵師団へと編入された。狙撃兵として部隊で頭角を現しナバラ紛争において反政府勢力ミスリルの幹部であるナディームの確保のため極秘作戦に参加するが、作戦は失敗し皮肉を込めて軍内では「血濡れのリュドミラ」と呼ばれるようになる。戦犯法廷にかけられるがシナノ外務宰相が軍と交渉し、彼女の護衛部隊となるヴァルハラ小隊の創設に携わることとなった。シナノの護衛を遂行する中、情勢の変化に伴い帝国軍に予備役として復帰しクレタ紛争や第一次台湾危機に参加している。
ちなみに結婚はしており、二児の母。何もない休日はブドウ農家である夫の手伝いをしている。
本名:フレデリック・ユッテ・アングスティアス・アステシア=アルヴィース
年齢:28歳
身長:170cm
出身地:ポルトフィーノ王国
経歴∶
使用言語:スペイン語
宗教:カトリック
備考∶アステシア家の分家、アステシア=アルヴィース家の出身でありミヒャエルの長女としてポルトフィーノ王国で生まれる。帝国の多様な言語文化に興味を持ち、地元のポルト国民語学文化大学へ進学し主にカタルーニャ語など地方公用語に指定される言語の研究を行った。現在はオーガスレリア王家のアーデルヘルム・ウイリアムズ王子と結婚し現在はオーガスレリア連合王国にて生活している。政略結婚と噂されたものの、本人たちは裏表なく幸せに生活している。
本名:アデレード・リシュトヴァーン
年齢:65歳
身長:181cm
出身地:クロアチア、シベニク=クニン郡
経歴∶帝国大宰相
使用言語:西、克、英
宗教:東方正教会
備考∶旧シャホヴィニツィア社会主義共和国で生まれた彼は貧しい農民の家系であった。スプリト大学を卒業後、生計を立てるべく新連邦軍へ入隊し二回の連邦内戦に従軍したが、分隊壊滅を期に各地で民族主義勢力へと身を寄せることになった。やがて君主主義勢力の皇帝権へと参加し、帝国の建国へと多大な貢献をした。初代宰相のアルフォンソが退陣した後大宰相となり、現在まで7回も再選を果たしている。
本名:ベアトリス・アリーヌ・マルロー
年齢:44歳
身長:165cm
出身地:南仏
経歴∶
使用言語:英、仏、西
宗教:カトリック
備考∶ヴァーツラフ・ポコルニー校を卒業後、帝国軍へと入隊した彼女はガリシア継承戦争やエーギル危機などで将校として着実に実績を積んできた。その後、特殊作戦群へ転属となり、暴走した異性体の捕獲作戦に参加するも重症を負ってしまう。3年ほどで職務に復帰した際に、軍の対異性体能力不足を指摘し軍上層部へと請願書を提出。同時期に部隊の反乱によって壊滅状態となった第14特務連隊を、外務宰相のヴァルハラ小隊を参考にして再編を行い自身は指揮官として就任した。
本名:ルミナス・エルネスティーネ
年齢:47歳
身長:169cm
出身地:バスク王国
経歴∶帝国大宰相(2024)
使用言語:英、独、西
宗教:カトリック
備考∶旧フランス国境付近の町で生まれた彼女は、ナバラ紛争やガリシア継承戦争など内紛が相次ぐ中で「強い帝国」を求めるようになった。若くしてアステシア王国議会選に当選し、徐々に頭角を現し副宰相(大宰相補佐)にまで上り詰めた。「強い統一国家」をスローガンに軍拡と対外軍事行動を肯定し、若い世代を中心に支持を集めている。
軍備関連設定一覧
編集中
デュスノミア級フリゲート×5
MCS715級フリゲート×9
MCS1219級フリゲート×4
デュスノミア(II)級重フリゲート×11
LCS400級フリゲート×11
アドミラル級コルベット×14
アウグスト・フォン・パーセヴァル級可潜航空巡洋艦×3
フリーレン級可潜航空巡洋艦×3
U404型原子力潜水艦×13
U1503型戦略原子力潜水艦×7
U923型原子力潜水艦×15
U1048型攻撃原子力潜水艦×9
U211型攻撃原子力潜水艦×15
U-1228攻撃原子力潜水艦×12
U-1625特殊原子力潜水艦×2
ソリテール級車両貨物輸送艦×6
レパルス級貨物揚搭能力強化型輸送艦×3
916型補給艦×4
ブラッドブルード級補給艦×8
鏡流Ⅰ級情報収集艦×2
フィヨルズヴァルトニル級×22
サンクタ級作業支援船×9
べリウス級機雷敷設艦×4
ポポフ級掃海艇×21
mak-5k 艦上戦闘機
mg-1129 艦上戦闘機
V-19 輸送機
z-41 汎用ヘリ
UV-14 ナハツェーラ 無人戦闘攻撃機
Slu-215 SLUAV
E-1M 早期警戒機
B-15 艦上爆撃機
LW-56 マルチロール戦闘機
som-525 マルチロール戦闘機
Jh-13 戦闘攻撃機
som-723 制空戦闘機
som-928 戦闘爆撃機
Thu-118 早期警戒機
il-28 輸送機
thu-99M2 戦略爆撃機
thu-169 戦略爆撃機
P205M2 対潜哨戒機
F-8 格闘戦闘機
F/A-25A ハスキー(リバティニア製) 軽攻撃機/練習機
MQ-10 無人攻撃機
EC-505 攻撃ヘリ
UF-24 無人戦闘攻撃機
Alc-44 強襲ヘリ
MQS-04 ドローン
T-17L2 主力戦車
T-23 主力戦車
DANA924m1 自走榴弾砲
T-22at 自走対空砲
T-22SPA 自走砲
FT-207 軽戦車
UAZ-1053 汎用車両
AFV10 歩兵戦闘車
M430 5tトラック
T-21esv 工作戦車
M1 105mm野戦榴弾砲
9k09 防空ミサイルシステム
dana924-maz 移動式発射台
自走対艦ミサイル発射機「S1000」
Rad02 汎用AC
BTR205icv 装甲兵員輸送車
BTR205SAM 近接防空機動車
BTR205MEV 野戦病院車
BTR205RC 機動砲車両
BTR205N NBC偵察車
諸邦自治連合軍
T-21F
T-16L4
object119 MK.MT(ナムルノ製)
plz-18 自動小銃
IFA-14 自動小銃
Rdf-16 狙撃銃
HeC-II 対物ライフル
plz-19ur 狙撃銃
P313 拳銃
Mp14 短機関銃
MG46 汎用機関銃
IFA-14mg 軽機関銃
企業関連設定一覧
ANH>> 21
IFA>> 22
エレナ·ニーナ>> 23
編集中
英語表記:Pacific Ships Corporation
創設:2003年
業種:船舶建造
従業員数:12,500人
主要拠点:リバティニア
取締役:ダリル・モーリス・コクソン
親会社:
CNBZ>> 161
本社所在地:ホノルル
パシフィック・シップス・コーポレーションは、バルセロナ=ザリツィア造船公社のグループ企業の一つである。主にリバティニアにおける造船事業を手掛けており、民間船舶の他、オーシャニック・パーソナル・グループの委託を受けてリバティニア軍向けにブレイズリーブ級やファプタ級の建造にも携わっている。
冷戦下においても、建造途中だったブレイズリーブ級を帝国軍へ、逆に退役したノイヴィスマル級をリバティニア軍へ横流ししたりと、黒い側面が目立つ()英語表記:Castilla y Leon Advanced Electronic Components Manufactory
創設∶1998年
業種∶電子機器
従業員数∶21,000人
主要拠点∶帝国
本社所在地∶レオン王国
カスティーリャ・イ・レオン先端電子部品製造所は、AI半導体などを製造する半導体受託製造企業。
英語表記:Shiki Industries Co., Ltd.
創設∶1981年
業種∶銃器生産
従業員数∶850人
取締役∶式部文幸
主要拠点∶帝国
本社所在地∶マドリード王国
シキ工業株式会社は、拳銃などを生産する企業。連邦移民系の流れを組む中小企業であり、帝国以外でも顧客を選ばないスタンスが特徴。主力製品である拳銃も顧客の要望に応じたオーダーメイドによる少数生産が主であり、軍への大量生産の際はエレナ・ニーナなどへ委託して行っている。少数生産故に高品質で、政府要人や民間人問わず人気があるそう。式部 文幸 で、旧連邦移民二世にあたる。
現社長は
英語表記:Armada Konzern
創設∶1966年
業種∶天然ガス・原油生産と供給
従業員数∶111,350人
主要拠点∶帝国
本社所在地∶アストゥリアス王国
アストゥリアス王国の石炭事業から発展した石油企業群。天然ガス事業を展開する天然ガス開発公司(INGDC)、主にハンス・ルーデリア製鋼への石炭事業を展開していたカンブリア・カーボンズの2社の合併によって設立された半独占企業。石炭液化技術の実用化によりアストゥリアス王国の低迷していた石炭業へ活況をもたらし、帝国内における天然ガスの独占販売権を獲得した。フェーベと共にアフリカにおけるパイプラインなどインフラ建設を手掛けている。
英語表記:Avance Entreprise
創設∶2023年
業種∶電子機器
従業員数∶21,600人
主要拠点∶帝国
本社所在地∶ボルドー
実業家のエドガルド・セペダ・ドラード、アンナ・エマニュエル・ジョゼット・ラブレー主導の下でGMCから独立した新興軍需企業。複合企業GMCの旧電子機器製造部門であり、レーダー及びその関連機器等の製造を行っていた。
エレナ・ニーナグループに対抗するため、セントリオル・ユニオンへ加盟することを決めた。
アヴァンセは、仏語で"前進する"という意味。
英語表記:Longwei Aviation Industry Group
創設:1988年
業種:航空機製造
従業員数:78,200人
主要拠点:帝国
子会社:
龍門北方工業公司
西班牙航空発動機工業公司
西欧洲航空工業公司
本社所在地:サラゴサ
阮欣怡によって極東で設立された企業だが、民営化に伴い阮がカリーナ・ソフィーア・イルヴァ・クロンクヴィストへと営業権を売却した際に龍威航空工業公司と名称を改められ、本社を国外であるスペインのサラゴサへと移転した。また、同地にて設立したいくつかの子会社と共に龍威航空工業集団という企業グループを形成している。主力戦闘機であるLWシリーズの開発、製造を行っており民間航空機でもそれなりのシェア率を持つ。主力戦闘機Somシリーズを生産するエレナ・ニーナとは競合関係にあり、無人化技術では遅れをとっているため他企業との技術協力の下で差を埋めようとしている。
移転の際に「脱東亜」を掲げ、現在は名前のみに面影を残すのみである。
西班牙航空発動機工業公司(英:Spanish Aviation Motive Industries)
航空機エンジンの製造を行う企業。業界最王手であるアンナエウス・リューリンには及ばないものの、共同開発などでノウハウを蓄積している。
龍門北方工業公司(英:Longmen North Industries Company)
龍威航空工業集団の製品などを輸出する商社。輸出の他、龍威航空工業集団の生産財の輸入も担当している。
西欧洲航空工業公司(英:Western European Aviation Industries)
ミサイルなど航空機向けの武装を開発している企業。
英語表記:North espanola mariner
創設∶1964年
業種∶造船
従業員数∶12,700人
主要拠点∶帝国
本社所在地∶ア・コルーニャ
軍向けの潜水艦やコルベット、民間向けの中型船を建造している造船企業。旧連邦時代まで多数の主力艦を建造してきたが、内戦による造船所の破損や帝国政府の提示した新規格への適応を渋ったことによる技術的遅れによりシェアの多くをバルセロナ・ザリツィア造船公社へと奪われることとなる。長い間業績が低迷し買収すら噂されたものの、帝国の発展に伴う輸送船需要の拡大に乗り、客船や貨物船など民間船舶の建造と修理事業である程度の利益を維持し買収を回避。さらに軍の潜水艦隊構想に参加し、これまで建造してきた技術を生かし多数の潜水艦を軍へと納入し、業績とコネクションの回復を果たした。現在は海外進出を計画し、チェコクリパニア連邦に支社を設置している。
英語表記:Palatinate Aircraft Manufacturing Joint
創設:1952年
業種:航空
従業員数:14,000人
主要拠点:帝国
本社所在地:アリカンテ
独裁政権時に設立された航空機修理工場を前身とする航空機メーカー。株式上場後、航空機の完全自社生産を掲げており機体に関しては自社生産だがコストやノウハウなどの関係からアビオニクス類はGMCの電子機器部門(現アヴァンセ・アントルプリーズ>> 268)へ、エンジン類はアンナエウス・リューリン>> 128へ委託している。
旅客機など民間機の製造が主だが、帝国軍や諸王国軍向けに輸送機や単発小型かつ格闘性能に重きを置いた戦闘機を開発している。
英語表記:Porto Ship Mechanical Engineering Repair Arsenal
創設:1944年
業種:造船
従業員数:9,500人
本社所在地:ポルト
正式名称は「ポルト船舶機械工学・修理工廠」。旧ポルトガルで創業した造船企業であり、ポルトガルがモルトラヴィス帝国の領邦となった後に競合他社との競争を避けて船舶修理事業へ転換した。帝国海軍と艦艇修理を契約しており、中でもCNBZを除くと原子力艦艇の修繕や燃料交換を行える唯一の企業となっている。
英語表記:Almería Maritime Rights and Interests Guarantee Fund
創設:1799年
業種:?
従業員数:4,000人
主要拠点:帝国
本社所在地:アルメリア
現アステシア王国にて設立された公共団体。海洋権益の保全を掲げ、研究者の保護と海洋生物や海洋植物の管理、研究を支援している。複数の大学や研究機関と提携しており、帝国の重要政策に位置づけられる海洋研究政策ではオブザーバーとして、協賛するエレナ・ニーナやANHへの支援を行う形で参加している。
国内関連設定一覧(仮称)
編集中
主家:スヴァルケル家
創設:14世紀
家祖:スヴェン=エーリク
現当主:エーレス
民族:スウェーデン人
分家:なし
ハプスブルク家のスペイン統治時、スヴァルケル家のスヴェン=エーリクの子ヨーン=エーリクがスペインへ渡りエリューデヴァルト家のエルヴィーラと結婚した。パトリックは生涯を外洋航海に注ぎ、ゴットフリッドが香辛料などの貿易に着手して多くの利益をイサベラ家へともたらした。以降、商人として富を蓄えつつスペイン領にて勅許会社の特権や貴族位を獲得しイサベラ家の地位を強固なものとした。近代となると、勅許会社はニーアライツ財団(現在のニーアライツ・グローバル・コーポレーション)として民営化し、現在までその形を保ち続けている。
血統を重視しており歴史ある家系のみとしか子を残さなかったが、現当主のエーレス・フォン・イサベルティアの配偶者シグルドゥル・ヴィルヘルミーナ・エルフフォーシュが一般人との不倫で2人の子をなした。結果的にエーレスが離婚、シグルドゥルとその子供共々追放した(血縁闘争)。
<エーレス本家>
エーレス・フォン・イサベルティア
ロッフェ・カッレ・アルヴァー・フォン・イサベルティア
マルグレーテ・ギュードゥルン・アクセリナ・フォン・イサベルティア
<シグルドゥル分派>
シグルドゥル・ヴィルヘルミーナ・エルフフォーシュ・フォン・エリューデヴァルト
アストリッド・ロヴィーサ・エレオノーラ・グン=ブリット・エイデシュテット
シュルヴィア・ニナ・エレオノーラ・アンナ=リーサ・ベールヴァルド
デゲンハルト・ルードヴィグ・アシェル
グスタフ・テーム・ベールヴァルド
アナスタシオ・ターヴェッティ・ベールヴァルド
主家:スペイン・ハプスブルク家
創設:16世紀
家祖:
トラウゴット・フォン・ペータルブルク
現当主:サビーネ・フォン・アステシア(11代目)
民族:ドイツ系スペイン人
分家:
アステシア=アルヴィース家
アステシア=ノルド家(断絶)
アステシア=スピーナ家(断絶)
エリューデ=ヴァルト家
アステシア=フルヴァツカ家(断然)
現モルトラヴィス帝国の帝室。正式名称は「アステシア=アブスブルゴ家」または「ハプスブルク=アステシア家」である。家祖であるトラウゴットがアンダルシア(現アステシア)を領地として、アステシア伯爵と名乗り始めた。
5代目伯爵だったフォルラート・シュテファン・フォン・アステシアが「アステシア伯爵聖冠」と称して作らせた冠、6代目伯爵のコルネリウス・フォン・アステシアの「聖剣」は現在の帝国にも引き継がれ、サビーネ帝の即位式典等で一般にお披露目された。
8代目伯爵のホルスト・フィリップ・フォン・アステシアの崩御後から度重なる戦争など時代の流れでアステシア家による支配体制も薄れ、時の伯爵ウルリッヒは伯爵位を教皇庁へ返上し商工業者として趣味のガラス細工を生業とするようになり歴史からその名前は消えていった。
地中海連邦が崩壊し内戦が始まると、君主主義組織「皇帝権」によって血筋からヴァイオレット・フォン・アステシア、ディートリヒ・フォン・アステシアが見つけだされ9代目伯爵を名乗りアステシアの地の奪還を宣言した。(プーラの誓い)
1990年にアステシア家が南部スペインに帰還し、モルトラヴィス帝国ヴァイオレット朝を創始するが、皇帝権との食い違いにより自主退位。1991年3月12日にディートリヒが皇帝権と共にエレクシア(ジブラルタル)を陥落させ、10代目伯爵を名乗るとともに内戦終結宣言、アステシア朝の創始を宣言した。(エレクシア宣言)
2021年にディートリヒが崩御しノルド家が断絶すると本家のザビーネが11代目伯爵となり戴冠を受け現在に至る。
〈ヴァイオレット系〉
ヴァイオレット・フォン・アステシア(死亡)
サビーネ・パトリツィア・ルートヴィッヒ・フォン・アステシア
エリザベート・ローザリンデ・ペトロネラ・フォン・アステシア
〈ボニファティウス系〉
ボニファティウス・コルネリウ・フォン・アステシア
ランプレヒト・ウルリッヒ・フォン・アステシア
オーギュスト・ヨゼフィーネ・フォン・アステシア
イゾルデ・フォン・アステシア
〈ディートリヒ系(断絶)〉
ディートリヒ・フォン・アステシア=ノルド(死亡)
エルベスティア・リューリ・シャホヴィニツィア(死亡)
ジークヴァルト・フォン・アステシア=ノルド(死亡)
■…皇帝/皇帝経験有
帝国の国家行政機関。1991年に行政監督府、国務省、復興省、貿易省、移民省、軍務省、情報省、宣伝省、外務省、法務省、産業省の1府10省で設立された。1995年に移民省が、2005年に復興省が業務を終えて解体され、2022年に国務省から財務省が独立したことで現在は1府9省となっている。
帝国議会より選出された大宰相が党内ないし専門家を招集し組織するものとしている。
大宰相:ルミナス・エルネスティーネ
大宰相補佐官:パトリック・デュンヴァルト
外務宰相:シナノ・リン・ジュスティーヌ
国務宰相・財務宰相:ミトラスフェーア・ニィル・ヘッヅェルング
宣伝宰相・情報宰相:シュルヴィア・ニナ・エレオノーラ・アンナ=リーサ
法務宰相:ノイ・ヴァルデマル・ディードリク
産業宰相:バレリオ・デ・ロス・リオス
軍務宰相:ルシアノ・エチェバルリア
貿易宰相:ドミトリー・ザハーロヴィチ・リトヴィンツェフ
〈アステシア家〉
〈アステシア=アルヴィース家〉
〈イサベラ家〉
帝国専門用語一覧
セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、ボシュニャク人など旧連邦においてバルカン半島領に住み、内戦中にスペイン領へ移民してきた人々の総称。
一般には旧エーギル自治領を指す。
帝国の構成領の一つであり現在はバレアレス王国と統合されたが、依然として立ち入りは禁止されている。正確には深海教なる宗教を信仰する人々の居住地域を「エーギル自治領」としている。
アステシア家、アステシア=アルヴィース家、イサベラ家のこと。帝国内において、大きな権威を誇る。エリューデ・ヴァルト家、ヴァルナ家も含め五大君、アステシア=ノルド家、シャホヴィニツィア家を含め七大君と呼ばれることもあるが、一部の家系は断絶ないし不祥事などで権威が失墜したために三大君と呼ばれるのが一般。三大公、三王庭など呼び名は様々。
権威の失墜した王族などに対する非公式の制裁行為。帝国親衛隊や帝国特殊作戦軍などによって実施され、ヴァルナ家やエリューデ・ヴァルト家などに執行され、その惨状は悲惨なものとなっている。
継承権については1994年制定の帝位継承法(王位継承を性別によらないものとし、王族の婚姻に関する規定を設ける等の法律)にて皇帝の継承は、世襲王制かつ絶対的長子相続制をとるものとしている。
ディートリヒ帝の死後、その妻と息子は既に死亡していたため本家であるヴァイオレットへと継承権が移った。しかし、すでに病気で衰弱しつつあったヴァイオレットは継承しても長くはもたないとみられており、ボニファティウス系は継承権の放棄を突如として表明したことで、ボニファティウス系とヴァイオレットを除くアステシア家の長子であるサビーネ(当時17)が皇帝として即位することとなった。
2023年にアステシア家で継承権を保有する人物が少なくなったことを受けて、分家にあたり距離の近いアステシア・アルヴィース家が継承権順上位に躍り出ることになった。
第一位:サビーネ・パトリツィア・ルートヴィッヒ・アステシア
第二位:エリザベート・ローザリンデ・ペトロネラ・フォン・アステシア
第三位:クヌート・ゼバスティアン・フォン・アステシア=アルヴィース
第四位:ミヒャエル・クサーヴァー・エトガル・アウグスティーン・フォン・アステシア=アルヴィース
第五位:フレデリック・ユッテ・アングスティアス・アステシア=アルヴィース
第六位:ユリアン・バルナバス・オイゲン・トラウゴット・アステシア=アルヴィース
第七位:リーゼロッテ・クリスティーナ・ヴァーレリー・フォン・アステシア=アルヴィース
ホームガードとも言われる、帝国の宰相が個々人で資産を投じて組織している私設部隊。旧連邦等で、政府高官の暗殺が相次いだことで抑止力として初代大宰相アルフォンソが組織したことが始まり。
現役軍人の雇用禁止、20人以上の保有禁止、航空機や軍艦、戦車等の保有禁止など制限がある。なお、シナノ外務宰相の組織するヴァルハラ小隊についてはグレーゾーンなのだとか。
・ヴァルハラ小隊
帝国外務省特別保安任務部隊。外務宰相であるシナノが組織する護衛部隊。
・宣伝省行動課
前宣伝宰相のアシュトン・ジャスパー・クロフが宣伝省内で設立した護衛組織。現宣伝宰相であるシュルヴィアもこれを引き継いで運用している。
旧連邦軍で愛されていた果汁飲料。
オレンジや洋ナシ、ブドウなどを混ぜたミックスジュースのようなもので、柑橘類特有の甘みとすっぱさ、喉越しが特徴。
第二次連邦内戦では、数少ない嗜好品として主な生産を担っていたスペイン領にて重宝され、帝国に統治が変わったあとも連邦軍に属していた退役軍人などによって広められた。
現在では軍施設の売店や空母の食堂でも買うことができる。「ナランタスは0.9テラで買えるんだ!」というキャッチコピーを知らない帝国軍人はいないほど。
名前の由来はオレンジのスペイン語「ナランハ」とフルーツの複数形「フルータス」を混ぜた造語。
〈ミトラ・ナランタス〉
北方艦隊旗艦ミトラで販売されているナランタス。軍標準品のナランタスを炭酸で割ったシンプルなもの。通称ミトンタス、販売価格は0.9テラとお手頃。
〈ナランタス(ノーマル)〉
カトンリネフーズが製造するナランタスで、軍人以外で手に入れられるナランタスの一つ。旧連邦製や軍向けよりも酸味が強く、ほんの少し甘みが抑えめなのが特徴。
「LCWSSは、紛争当事国や発展途上国に対する治安・福祉など様々な場面において最適かつ効率的なソリューションを提供する」
帝国国務省とエレナ・ニーナが共同開発した包括的生涯福祉支援システム(英:Lifelong Comprehensive Welfare Support System)。帝国における民族紛争の激化を危惧した国務省とHEGOにより、武力に頼らない効率的な統治を目的に1999年に構想が立ち上げられた。2003年に構想が承認され、2005年からGMC主導で開発が始まった。開発は技術的問題から遅延を繰り返し、他分野におけるGMCの経営難もありエレナ・ニーナが主導権を奪取し、これまでの技術的問題を一気に解決して開発を急速に推し進めた。
膨大なデータを扱うことで犯罪を未然に防ぎ、最適な生き方を提供する「福祉システム」として2020年に一応完成してア・コルーニャにおいて試験運用を開始、2年足らずで犯罪発生率の低下や出生率の向上、生産性の向上などの成果を出した。
2024年にヌエバ・アステシア王国の首都の大規模再開発に際して「政府の省人化」を目指し帝国政府からLCWSSが提供され7月より全国での本格的運用が始まった。
無数のカメラやドローンなどの監視機器から送られる膨大な情報や事前に提供・登録された個人情報データなどを多数のスーパーコンピューターで処理し、高度な演算能力を有する汎用AI群が判定を下す仕組み。またHEGOのシステムと連携し、警備部隊や有事の際には執行部隊の展開を総合的に管理できる。
犯罪を犯していない人々を「犯罪未遂」として捕らえるケースが相次いだことで一部の人々から監視社会化、政府の言論統制の激化を危惧する声がある一方で犯罪率は大きく低下したことを挙げてLCWSSを称える声もある。
通称"IBALLI"。イーヴァリ、IBAとも。1992年にGMC、ニーアライツ・グローバル・コーポレーション、ANHの三社を盟主として帝国企業の大多数が加盟する企業連合。「企業の価値創造力強化、帝国と世界の経済の発展の促進」を設立目的として掲げる。現在は、エレナ・ニーナ、ANH、バルセロナ・ザリツィア造船公社の三社が盟主を務める。
軍事設定一覧
〈本土艦隊〉
司令官∶アストリッド・ロヴィーサ・エレオノーラ・グン=ブリット大将
総旗艦∶戦艦ブリュンヒルデ
司令部∶エレクシア
〈大西洋艦隊〉
司令官∶ベニート・サラサール中将
総旗艦∶空母ルシフェロ
司令部∶リスボン
〈地中海艦隊〉
司令官∶イリュリア・ラムシュタイン少将
総旗艦∶空母ホルハイヤ
司令部∶バルセロナ
〈北方艦隊〉
司令官∶ジャン=バティスト・ド・リール中将
総旗艦∶空母ミトラ
司令部∶ア・コルーニャ
〈中東方面艦隊〉
司令官∶ターラ・ジョハンナ・コレット少将
総旗艦∶空母大豊
司令部∶ウンム・カスル
総艦艇保有数:509隻
戦艦:26隻
空母:20隻
軽空母:6隻
強襲揚陸艦:15隻
可潜航空巡洋艦:6隻
巡洋艦:45隻
駆逐艦:136隻
潜水艦:59隻
フリゲート:40隻
コルベット:14隻
補給艦:12隻
輸送艦:31隻
作業支援船:9隻
情報収集艦:2隻
機雷敷設艦:4隻
エアクッション揚陸艇∶41隻
掃海艇∶21隻
無人戦闘艇∶22隻
創設∶1991年
旗艦∶ルシフェロ級
司令官∶
ヒルデベルト・フュルヒテゴット中将
船体接頭辞∶ESBMA
総艦艇数∶76隻
大西洋艦隊司令部(在リスボン)
∟第5艦隊
∟第50空母打撃群
∟第51空母打撃群
∟第52水上戦闘打撃群
∟大西洋艦隊兵站群
∟第6艦隊(在リスボン)
∟第60空母打撃群
∟第61水上戦闘打撃群
∟第62水上戦闘打撃群
∟第63遠征打撃群
∟第10艦隊(在マデイラ)
∟第103戦略潜水打撃群
∟第13艦隊
∟第130空母打撃群
∟第131水上戦闘打撃群
∟第132遠征打撃群
〈詳細〉
戦艦×7
戦航支艦×1
空母×4
強襲揚陸艦×2
巡洋艦×9
駆逐艦×30
可潜航空巡洋艦×2
潜水艦×8
補給艦×1
輸送艦×7
設立∶1997年
旗艦∶ミトラ(ヘルタ級)
司令官∶
クィト・ラ・ヴェンセスラス中将
船体接頭辞∶ESBMN
モットー∶大海を割れ
総艦艇数∶35隻
北方艦隊司令部(在ア・コルーニャ)
∟第7艦隊
∟第70空母打撃群
∟第71水上戦闘艦隊
∟第72水上戦闘艦隊
∟北方方面艦隊兵站群
∟第8艦隊
∟第80水上戦闘艦隊
∟第81遠征打撃群
∟第11艦隊
∟第110予備艦隊(モスボール)
<詳細>
戦艦×7
空母×3
強襲揚陸艦×1
巡洋艦×5
駆逐艦×10
潜水艦×2
補給艦×2
輸送艦×6
設立∶1992年
旗艦∶ブリュンヒルデ
司令官∶
アストリッド・ロヴィーサ・エレオノーラ・グン=ブリット大将
船体接頭辞∶ESBMI
モットー∶沃土よ巌よ、立ち上がれ
総艦艇数∶60隻
本土艦隊司令部(在エレクシア)
∟第1艦隊
∟第10空母打撃群
∟第11空母打撃群
∟第12水上戦闘艦隊
∟本土艦隊兵站群
∟第2艦隊
∟第20空母打撃群
∟第21水上戦闘艦隊
∟第22遠征打撃群
∟第9艦隊
∟第91戦略潜水艦隊
〈詳細〉
戦艦×4
空母×3
強襲揚陸艦×1
巡洋艦×6
駆逐艦×23
可潜航空巡洋艦×2
潜水艦×12
補給艦×1
輸送艦×3
設立∶1991年
旗艦∶フェシリー
司令官∶
イリュリア・ラムシュタイン少将
船体接頭辞∶EBSMM
モットー∶友の手をとれ
総艦艇数∶62隻
地中海艦隊司令部(在バルセロナ)
∟第3艦隊
∟第30空母打撃群
∟第31空母打撃群
∟第32水上戦闘打撃群
∟地中海方面艦隊兵站群
∟第4艦隊
∟第40空母打撃群
∟第41水上戦闘打撃群
∟第42戦略潜水打撃群
∟第12艦隊
∟第120空母打撃群
∟第121水上戦闘打撃群
∟第122遠征打撃群
<詳細>
戦艦×6
戦略航空支援艦×1
空母×5
強襲揚陸艦×1
巡洋艦×8
駆逐艦×30
可潜航空巡洋艦×2
潜水艦×13
輸送艦×3
設立∶2024年
旗艦∶大豊
司令官∶ターラ・ジョハンナ・コレット少将
船体接頭辞∶MESD
モットー∶情けは人の為にならず
総艦艇数∶18隻
地中海艦隊司令部(在バルセロナ)
┗中東艦隊司令部(在ウンム・カスル)
┗第14艦隊
┗第1401空母打撃群
┗第1402遠征打撃群
┗地中海方面艦隊兵站群分隊
<詳細>
空母×2
強襲揚陸艦×1
巡洋艦×2
駆逐艦×7
潜水艦×2
補給艦×1
輸送艦×3
帝国軍の対外軍事行動が増えるにつれて、遠方における作戦が増加したことで補給や輸送能力の不足が顕著になった。帝国海軍はこれまで主力艦隊が個別で保有していた兵站群とは別に補助艦艇をまとめた艦隊を編成し、それが「支援艦隊」にあたる。
後方支援群
創設∶2024年
旗艦∶ソリテール
司令官∶
船体接頭辞∶
総艦艇数∶44+9隻
支援艦隊を構成する一部隊。補給や海上輸送、後方支援(救難、ケーブル敷設など)、特殊任務(測量、ミサイル追跡、情報収集など)を担当するため、輸送艦や補給艦、その他特務艦を運用する他、護衛艦をいくつか抱えている。
軍事後方支援司令部(在バルセロナ)
∟第1情報収集戦隊
∟第2海上事前集積船隊
∟第3海上事前集積船隊
∟第4海上事前集積船隊
∟第5支援群護衛艦隊
<詳細>
巡洋艦×6
駆逐艦×8
フリゲート×5
潜水艦×1
情報収集艦×2
輸送艦×9
大型輸送艦×9
揚陸支援群
創設∶2024年
旗艦∶イズン
司令官∶
船体接頭辞∶
総艦艇数∶37+20隻
支援艦隊を構成する一部隊。大規模な上陸作戦を展開するため多数の揚陸艦を抱える他、上陸部隊として独自に海兵隊を有するため揚陸支援群のみでも揚陸作戦を展開できる。
<詳細>
戦艦×2
空母×1
軽空母×2
強襲揚陸艦×9
巡洋艦×9
駆逐艦×16
部隊設定一覧
創設∶2019年
人員数∶6人?
軍種∶私設護衛部隊
隊長∶リュドミラ・ヴィツカヤ(33)
所属∶帝国外務省
参加戦役∶クレタ紛争、エーギル危機
外務宰相であるシナノが組織する護衛部隊。
本人の護衛任務よりも、彼女のパシリや汚れ仕事の痕跡抹消などのほうが多い。正式名称は「帝国外務省特別保安任務部隊(英:Imperial Foreign Ministry Special Security Task Force)」であるが、ヴァルハラ小隊の方が知名度が高い。
部隊は狙撃戦に重きをおいており、護衛任務においても姿を現すことがないため一部では都市伝説のように語られる(なお、帝国政府は小隊の実在について認めていない)。
非公式とはいえ、戦犯法廷で裁かれかけた軍人や反政府ゲリラ、外人部隊の隊員など構成員の経歴はどれも異色である。
リュドミラ・ヴィツカヤ(隊長)
帝国陸軍第6自動車化狙撃兵師団所属。上等兵。
フイ・グスタヴォ
帝国陸軍第3戦車師団所属。一等兵。
ヨハンネス・ローデヴェイク
元SULF(反政府組織)メンバー。
イェルド・ディヴェケ
ヴァーツラフ・ポコルニー校卒の学生。
アガーフィヤ・イリイーニシュナ・ミロスラーヴァ
元帝国特殊作戦軍第124独立特務連隊所属。二等兵
ルェン(非公式)
無職()
・G1043
エレナ・ニーナが自社グループ企業向けに開発したアサルトライフル。
・HeC-II
対物ライフル。
・P313
シキ工業製の拳銃。自衛用。
・Rdf-16
クラップ・スラーウ社製の狙撃銃。古き良きオールドモデル。
創設:1998年
人員数:28人→24人
軍種:特殊部隊
隊長:ベアトリス・アリーヌ・マルロー
愛称:ベアトリス連隊
所属:帝国特殊作戦軍
1989年に皇帝権によって組織された民兵部隊「Erbsünde(エルブズュンデ)」の名前を引き継いだ部隊。ナバラ紛争において脅威となった反政府勢力の重要人物の暗殺などを目的に、Erbsündeの旧構成員を中心に旧連邦移民系によって再編された経緯を持つ。その経緯から、ナバラ紛争後も各地で暗殺任務を主体に受け持つようになった。
正式名称は「第14特務連隊」。
2024年1月に二コラ指揮の下で旧中華連邦(現在の中華王国)台北市の連邦ビルを襲撃したが部隊は壊滅。帝国軍では反乱として処理されカバーストーリーを実行、ベアトリス・アリーヌ・マルロー少尉の下で、4月に対異性体戦闘に特化した部隊へと秘密裏に再編が行われた。
〈M223〉
創設∶1993年
人員数∶1人
軍種∶独立特設部隊
隊長∶削除済み
所属∶帝国特殊作戦軍
第223臨時特務予備連隊。連邦内戦後、旧連邦軍とイベリア半島勢力軍の再編のために創設された部隊。
〈M168〉
創設∶2019年
人員数∶2人
軍種∶独立特設部隊
隊長∶削除済み
所属∶帝国特殊作戦軍
第168臨時特務予備連隊。ナバラ紛争後に反政府軍の内、帝国軍に投降した戦闘員を再編するために臨時で編成された部隊。
帝国史(連邦史)
16世紀にボジヴォイ・シュテフカがシサクの戦いにて功績を上げ、その功績から皇帝からホジヴォイへクロアチア伯の称号を与えられ、同地はクロアチア辺境伯領として成立した。クロアチア辺境伯は異教徒に対する防波堤としての役割を果たし更に略奪で荒廃した地区の再建を行っていった。その中で、各地に城塞都市が築かれプーラに公宮を置いた。バニャ・ルカの戦いにて異民族を撃退、ボスニアへと進出して領域を拡大しホジヴォイは教皇から戴冠を受けてシャホヴィニツィア王を名乗り、シャホヴィニツィア王国を建国した。依然としてイスラム勢力の脅威にさらされ続ける南方は軍政国境地帯としてキリスト教圏の防波堤としての役割を果たし続けた。
18世紀にはイスラム勢力のヨーロッパ進出はなくなり軍政国境地帯は王国へと編入され、城塞は次々と解体された。長らく王国の中心地にあったプーラはイグナーツ・ヴィクトラ(イグナーツ3世)の国策の下で大規模な都市改造が行われた結果、城壁が解体され環状道路が整備された。道路の整備などによりプーラ市街地は拡大し農村部からの人口流入により文化が発展していった。
世界大戦では歴史的な関係から中央同盟国側で参加し、セルビアを攻撃したものの1918年に敗戦。ザグレブ条約によりボスニアの一部を喪失したものの国体は維持された。戦争を主導したとしてイグナーツ4世が断頭台で公開処刑され、生後6か月のレオシュがイグナーツ5世として即位し成人するまでの間、ドイツ系のエアハルト・ヨアヒム・ローゼンシュティールが摂政となり政治を執り行うこととなった。しかしドイツ系を優遇する政策が多く、1924年に不満を募らせた王国軍第2師団が反乱を起こしプーラへと進軍する事態が発生し、鎮圧のため動いた軍がプーラを包囲すると混乱は全土へと拡大した(大反乱時代)。
混乱の収束のため軍を増強せざるを得ず、反乱は鎮圧されたものの軍の発言権が大きくなり政権は軍の意見を無視できなくなった。エアハルトは摂政を辞することを余儀なくされ近衛師団の推薦するヴァシリー・カリャーギンが1932年に摂政に就任した。元軍人のヴァリシーは大シャホヴィニツィア主義を提唱し軍備増強と工業化を推し進めた。体制に反対する人物に対しては治安維持法などを制定して逮捕するなど強権的な政策が目立つようになる。
1939年に世界大戦へと参加し大シャホヴィニツィア主義実現のためセルビアやバルカン半島南部へと侵攻した。初戦では優位に戦いを進め1940年にベオグラードを陥落させセルビア全土を、アルバニア北部まで領土を拡大させるもフリストフォル・セレズニョフ率いる共産ゲリラやセルビア人ゲリラとの散発的な戦闘により拡大は鈍化し徐々に劣勢となった。1943年にフリストフォルが中心となり正統な権利評議会(英:Legitimate Council of Rights)を結成し、セルビアやアルバニアを解放する連合国軍と協力してシャホヴィニツィア軍などと戦った。1945年にはプーラを解放し公宮を包囲し降伏を迫りイグナーツ5世は流血を避けるためにこれに同意し近衛師団と共に降伏した。イグナーツ5世降伏以降も各地で軍の抵抗が続いたが、6月末までには王国は無条件降伏した。
1945年にLCRがプーラを解放し、フリストフォルがシャホヴィニツィア立憲王国の建国を宣言し連合国側に鞍替えした。世界大戦が終わるとフリストフォルは東側諸国の支援の下で社会主義国の建国を目指し、反対するヴァリシー政権とその支持者の粛清を強行した。さらにイグナーツ5世に退位を迫ったが、これを拒否するイグナーツ5世は近衛師団と共に反乱を起こしたが公宮での籠城戦の最中でイグナーツ5世は崩御し反乱は失敗した(イグナーツの反乱)。シャホヴィニツィア最後の君主の崩御により、王家は滅亡しフリストフォルは立憲王国を解体しシャホヴィニツィア社会主義共和国の建国を宣言した。企業の国有化、集団農業など社会主義的な政策を推し進めて国力増強を図った。またいくつもの国家共同事業が進められ発電所や工場、ダムなどが建設された。一次大戦後に失った領土の回復のため、1951年にボスニアへと侵攻するも全土を掌握するには至らず年内にボスニアから撤退した。
LCRの一部はフリストフォルの強権的な姿勢を非難し、プーラから離れカルロヴァツに抵抗の拠点を置いた。カルロヴァツは反逆者の収容区があり、離脱した勢力はひそかに接触を図りつつ支持者を集めた。1955年に自由連合軍(英:Free Coalition Forces)を結成しフリストフォル政権に対抗した(反共抗争)。
1963年に賃金引上げに対するデモ運動がヴェリカ・ゴリツァを行進した。デモ行進に学生や労働者達が参加し規模を徐々に拡大、更に賃金引上げに収まらず民主化を求める運動へと変容した。政権は警察や軍を動員してデモ行進を妨害、一部が暴徒化し紛争が発生(ヴェリカ・ゴリツァの惨劇)。政府はヴェリカ・ゴリツァに非常事態宣言を発布したが混乱は収まらず、地方報道局がヴェリカ・ゴリツァの惨劇を報道し政府への不信感はより深まることとなりこの情勢に乗じて自由連合軍は支持を集めてプーラを占拠、政府機能を掌握した。自由連合軍は民主党や共産党、軍上層部と交渉してフリストフォルらを逮捕して、共産党と民主党の連立政権のイリュリクム臨時政府を樹立、自由連合軍と軍は各地の混乱収束に努めた。
フリストフォルの後任には穏健派のチムール・レオーノフが共産党書記長として任命され、評議会に承認された。チムールと評議会の決定に基づきフリストフォルと軍指導者ら8人は裁判にかけられた。イグナーツ5世の殺害やヴェリカ・ゴリツァの惨劇などの犯罪により死刑判決を言い渡され、死刑はその日のうちに執行された。チムール政権は1963年中に国民総選挙を実施し、民主党と自由連合軍の合併により誕生し国民の支持を受けた民主・自由党が単独政権を成立させた。民主・自由党党首であるヴコール・ムズィカンツキーが書記長へと就任し、社会主義の終焉と共にシャホヴィニツィア連邦の成立を宣言した。
ヴコール政権は、資本主義に準ずる経済政策を共産党時代の経済システムを少しずつ置き換えていく形で進めていった。1964年に連邦民憲章が施行され、イストリア、スラヴォニア、ダルマチア、パンノニア、北ボスニア、スロヴェニア、東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム地区の7つの地域からなる連邦国家となり、連邦としての首都はザグレブに置かれプーラにはダルマチア共和国の首都がおかれた。労働者不足を補うべく各国からの移民の受け入れ、外国資本の積極的な誘致、インフラ整備などにより1966年から1973年にかけての急速な経済成長が齎された。北ボスニアの領有権を巡る第二次西波戦争では、戦局を優位に進めサラエボを攻略。親シャホヴィニツィア政権を樹立し、1972年に連邦へと加盟した。
連邦にもたらされた経済成長と特需の影響からヴコール政権は支持率を伸ばし、1973年まで3期にわたって政権を維持した。しかし1973年の石油危機によって主要産業である機械製造業、食品加工業が大打撃を受けたことで経済成長は失速。政権は補助金などで対策を打ち出したものの後手に回り急速に支持率を失った。ヴコールの退陣後に大統領となったユーリー・ブリノフの経済対策も失敗に終わり財政難が加速、軍事費の削減を行ったことで軍部の不満を煽った。1974年にアドリア海艦隊旗艦ジェリコの乗組員が賃金未払いを理由に反乱を起こし、艦隊の水兵などを率いてプーラを占拠し救国軍事評議会を設立してダルマチアとイストリアを掌握した(8月クーデター)。救国軍事評議会はイリュリア国民政府を名乗りユーリー政権が維持する領土へ侵攻し内戦へと発展した(第一次連邦内戦)。ユーリー政権軍は諸国からの支援を募りつつ抵抗し、欧州諸国などの仲介を受けてカシュテラ合意を締結して停戦。国民政府とユーリー政府の連立政権設立で合意したものの、翌年に合意を破棄してユーリー政権がプーラやスプリトを奪還し、1978年のドゥブロヴニクの戦いを経てアドリア海艦隊は一部を除いて自沈し国民政府は降伏した。ユーリー政権は救国軍事評議会を追放し、野党第一党であった社会民主同盟との連立政権を成立させ国民の不満の払拭を図った。さらに不満を反らすべく、諸外国へ「地中海連邦構想」を発表し地中海沿岸諸国による国家連合設立を目指した。
1979年にユーリー連立政権は、スペインのロドリゴ・パルティダ政権と交渉し経済連携協定、共同事業計画、技術提供などを立て続けに締結し準備作業を進めた。1981年に10年後の国家統合を見据えてアリカンテ条約を結び、地中海連邦を成立させた。各国の政権はそのままに、上位組織として統一政権を設立し統一大統領が地中海連邦の元首となり、初代統一大統領にはベネディクト・ララサバルが就任した。ただ、多民族を抱えていることに配慮して統一大統領府への全面的な政治権限意向は見送られ、ユーリーとロドリゴによる連立政権が両国間の調整役となり政治を執り行うこととなった。翌年のモナコ協定による越境規制の廃止、ザグレブ議定書による統治機構の再編などを締結し、一国二制度体制から一国化を推し進めていった。1984年にスペインの構成領(二等国)であったガリシアとカタルーニャをシャホヴィニツィアやスペインと同じような連邦構成国(一等国)へと昇格させるよう連邦評議会へ議題として提出され、ガリシアとカタルーニャは共和国として一等国への昇格を果たした。翌年にはシャホヴィニツィアの二等国であるボスニアも連邦評議会へ議題を提出したものの、賛成するスペイン首相や統一大統領などの勢力を押し切ってシャホヴィニツィア首相のボフスラフ・シマーチェクと与党勢力が反対し否決させた。これに対してボスニア世論は反シャホヴィニツィアの様相を強めるようになり、1985年にサラエボで開かれた統一憲法改正記念式典中に反シャホヴィニツィアを掲げる武装勢力による銃乱射事件が発生し、ボフスラフや統一大統領など重鎮、民間人などが多数犠牲となった(サラエボ銃乱射事件)。警備部隊は武装勢力を逮捕し、ボスニアにて裁判を開いた。裁判はシャホヴィニツィア側の圧力もあり全員死刑を決定し、死刑のためシャホヴィニツィア政府へ引き渡すようにボスニア自治政府へと要求し、ボスニアは引き渡しに応じざるを得なかった。ボスニアの弱腰に対して各地で暴動が発生し、暴動鎮圧を名目にシャホヴィニツィア政府は軍を独断で派遣した。統一政府はシャホヴィニツィアに対して軍の撤退を再三要請したがシャホヴィニツィア首相ザハリアーシュは強硬姿勢を崩さなかった。独断での軍派遣に反発する形でボスニアの暴動はさらに拡大し、民族問題へと発展した(ボスニア暴動)。
ボスニア暴動に始り、セルビア人が蜂起し派遣された部隊の一部が離反するなど軍の士気は崩壊しシャホヴィニツィア方面軍は再起不能に陥った。
シャホヴィニツィア方面軍が再起不能となり部隊が散り散りになると略奪行為や反乱が相次ぎ、バルカン情勢は更に悪化した。ザハリアーシュはザグレブにいたところを統一政府側に残留した第5師団に捕らえられその場で処刑された。ボスニア地域を完全に失陥し無政状態化すると、第5師団はザトゥーリン臨時政権を組織して敗走する部隊や親政権の武装勢力を吸収しクロアチア地域の治安維持に努めた。スペイン政府は旧シャホヴィニツィア領に在留するスペイン人などの避難を優先し軍民問わず徴用して避難船団(移民船団とも呼ばれた)を組織したが、海賊化した海軍や武装勢力の襲撃に会うこともあり損害は無視できなかった。対象にならなかった人々も紛争地域から逃れるべく船団の寄港するドゥブロヴニクやスプリト、プーラへと殺到した。
ザトゥーリン臨時政権は1985年末までクロアチア地域で優勢を守り続けたものの、部隊の消耗と頻発するゲリラの襲撃に耐えられず戦線を後退させクロアチア圏での影響力を保てなくなり1986年に崩壊した。以降旧シャホヴィニツィアにて強い影響力を持つ勢力はいなくなり多数の軍閥などが「連邦の正統な後継者」を自称して群雄割拠する状態となった。スペイン領でも民族運動が本格化しカタルーニャ共和国が連邦からの離脱を問う国民投票を統一評議会を通さずに行い87%が賛成した。独立を阻止すべく軍を派兵したがバルカン領や各地の民族運動への対応のため十分な部隊を動員できず、阻止したがカタルーニャ軍との散発的な戦闘は続いた。ガリシア、ナバラなどはカタルーニャに続く形で独立宣言を行うが、いずれも連邦軍の介入を招き戦争を拡大させた。
1982年にスロベニアのトールミンにてマンフレード・メアッツァが君主守護騎士団を設立し、シャホヴィニツィアに王権を再興すべく活動を開始した。ただ行動が過激すぎた故にスロベニア当局に暗殺者を差し向けられ殺されかけると、態度を改めてトールミンから辺境のイェセニツェへ本部を移動した。内戦勃発以降、民族浄化などに心を痛めた彼はいち早く正統かつ強力な政府を立ち上げ、内戦を終わらせるべく血縁者の捜索を行ったものの、イグナーツ5世以降血筋は途絶えており王政復古を断念した。諦めかけていたマンフレードはたまたま立ち寄った酒場にて、スペインで領主を輩出していたアステシア家のヴァイオレットと出会った。シャホヴィニツィア家が仕えていたハプスブルク家の分家たるスペイン=ハプスブルク家の血筋であるアステシア家に生涯をささげることを誓ったマンフレードは、ヴァイオレットのスペインへの帰還を支援することとなった。
1987年にマンフレード率いる君主守護騎士団は、クロアチアのプーラにてアデレードと、ヴァイオレットの兄弟であるディートリヒらと合流して規模を拡大させ皇帝権へと名称を変更した。スプリトにて旧海軍勢力の協力を取り付けて移民船団と共にイベリアへたどり着き、現地戦力との戦闘を行いつつジブラルタルを目指した。1989年に皇帝権といくつかの武装勢力が共にグラナダへと突入し、駐留する旧連邦軍との戦闘が起こり大きな被害を被ったもののグラナダの占領は達成された。マンフレードはヴァイオレットを君主としてグラナダにて戴冠式を行いモルトラヴィス帝国ヴァイオレット朝の成立を宣言し、連邦の後継者として発表した。マンフレードは大宰相に就任しスペイン地域の統一を掲げて皇帝権の部隊と帝国に加わった武装勢力を統合して帝国軍を組織しガリシア、ナバラなど北方やバルカン半島への派兵を開始した。その過程で、反政府運動を未然に防ぐべく各地で帝国に従わない勢力を徹底的に攻撃し粛清を行ったためアデレードやヴァイオレットとの対立を深めた。無謀な派兵の下、第10次ヴィス島攻防戦、ドゥブロヴニクの戦いなどにて敗北しバルカン領から撤退を余儀なくされると帝国の求心力の低下は顕著となり、帝国から離脱する勢力も発生した。状況に危機感を覚えたアデレードとディートリヒは結託してマンフレードを政府から排除して政権を握った(薔薇革命)。ヴァイオレットはマンフレードを止められなかったと、皇帝位をディートリヒへと譲ることを議会へと公表し議会はこれを承認したことで、ヴァイオレット朝は2ヵ月で倒れた。ディートリヒはヴァイオレットの帝位を継承しモルトラヴィス1世として即位。帝都をグラナダからジブラルタルへと遷都し、エレクシアへと名称を変更した(ディートリヒ体制)。ディートリヒ体制下の帝国とバルカン領の武装勢力群は停戦交渉を開始し、1991年3月12日にシャホヴィニツィア暫定新政府と帝国などはマドリード合意を締結して正式に第二次連邦内戦の終結を宣言した。終結宣言後、ディートリヒは国名をヴァイオレット朝からモルトラヴィス帝国アステシア朝へと変更しスペインの統一を宣言した。
1991年に内戦終結宣言後、内戦中に独立したカタルーニャやガリシアなど小国群との交渉を行い、同君連合下である程度の自治を認める形で帝国へと統合しスペイン統一を実現した。帝国はアンダルシアやエレクシアなどの皇帝直轄領、カタルーニャやガリシアなどの王国、多数の自治領から構成される、さながら連邦のような体制を取った(1991年体制)。統一政府である帝国宰相府大宰相にはアグスティン・パドロンが任命され、帝国憲法の草案作成や法整備を進めた。諸国は軍を持つことが許可されているものの、あくまで小規模に収め自国領内の防衛に留めるものとし帝国全体の防衛は新たに設置された帝国軍に一任された。連邦内戦時の問題の解決を進めるべく宰相府に復興省と移民省を設置し、内戦期に帝国領に住み着いた移民(旧連邦移民)への補償や公民権の付与を行った。旧連邦移民の数は約200万に及ぶとされ、連邦内戦を引き起こした当事者として迫害の対象になることも少なくなく待遇や境遇に不満を持った人々が過激化しテロを起こすなど帝国の悩みの種となる。
翌年に隣国のポルトガルを協定の下で帝国との同君連合を結成しポルトフィーノ王国となりイベリア統一を達成した。
故郷を持たない旧連邦移民は、迫害や嫌悪の対象となることが多く規制の緩く比較的文化の受容に寛容なポルトフィーノやナバラ連合自治領(ナバラ、バスク地域の連合体)へと流れた。特に連合自治領で盛んな自動車産業や漁業では安い労働力として雇用されていった。連合自治領では経済格差が広がり、比較的豊かであるナバラ系へバスク系と旧連邦移民などが不満を持つようになった。1995年にGMCの自動車部品工場にて旧連邦移民の従業員が賃金の引き上げを求めてストライキを起こすと、ストライキ運動は連合自治領へと広がった。企業側は保障拡充などで対応を図るも労働者側は認めずこれまでの不満を暴発させ主張が過激化した。やがて連合自治領解消を求める運動と旧連邦移民の権利向上、独立運動が並行して起こるようになり各地で暴動が発生した。この混乱に乗じる形で反政府勢力FLLEがゲルニカの地下鉄を占拠し、ナバラ系の乗客を虐殺した(1996ゲルニカ地下鉄テロ)。一部の移民やバスク系がFLLEのテロを支持し各地で蜂起、非常事態宣言を発布した連合自治政府の軍や警察の動きを撹乱して対応を遅らせた。結果的に戦火は連合自治政府全土へと広がり紛争へと発展した(ナバラ紛争)。
アグスティン政権は、ナバラ紛争を勃発させるなど民族問題対応に失敗して支持率を失い、1998年に行われた大宰相選挙の対抗馬のアデレードに大敗した。
アデレード政権は、ナバラ連合自治政府の要請を受けて軍を派遣したものの限定的であった。1999年モルトラヴィス航空223便がラトビア軍により撃墜されると、国内世論に同調する形で帝国はアーリュン紛争へ本腰を入れて介入することを決定し部隊や武器を送った(モルトラヴィス航空223便撃墜事件)。
アーリュン紛争へ介入していた最中、アステシア家に代わりガリシア王国を統治していたヴァルナ家の代替わりが起きた。内戦期に独立し王家となったヴァルナ家は、帝国成立後も帝国の構成国となる変わりとして王国の統治を継続しており当主カルロス・エドゥアルド・ファン・ヴァルナの死後、後を継いだカルロスが民族問題で揺れる帝国からの離脱を一方的に宣言した。離脱を阻止するべくアストゥリアス王国、ポルトフィーノ王国、レオン王国の連合軍、更にアーリュン紛争から手を引いた帝国軍がガリシアへと侵攻した(ガリシア継承戦争)。ガリシアの首都ア・コルーニャは1年足らずで陥落しヴァルナ家は降伏し、王位はモルトラヴィス1世が継承した。
民族問題を抑えるべく、モルトラヴィス1世は1991年体制の解体を目論んだ。独自の王権の続いていたアラゴンやカタルーニャなどの王位はすべて皇帝が継承し、完全な同君連合(物的同君連合)となった。帝国政府は各国、各自治領政府をまとめる中央政府となり、同君連合全体の外交、軍事および財政の権限が付与された。各国政府は自国の軍事、財政に関する権限が限定的ながら付与された(2005年体制)。
2002年にナバラ最大規模の抵抗勢力であったFLLEが各国軍の攻勢や内部抗争により、ミスリルとイベリア民族統一解放戦線(INUL)、ナバラ軍事評議会政府の3つに分裂した。軍事評議会政府は連合自治政府との停戦合意を締結し連合自治政府軍へと加わったが、他2勢力は抵抗をつづけた。中でもミスリルは2011年から本格的に戦闘に参加し始めビトリアやビアナ、更には連合自治政府の首都パンプローナを攻略し2014年にナバラ地域の大半を占領するまでに勢力を拡大させた。ミスリルの拡大に対して帝国も本腰を入れて介入をせざる負えなくなり、戦線は徐々に後退し2017年のビルバオの戦いを機に劣勢は決定的となった。2019年にエステーラ近郊で指導者のナディームを殺害すると求心力を失ったミスリルは敗北宣言をした。
ナバラ紛争末期、各国の警察機関を纏めて平時の任務に加えて占領地などの治安維持任務を遂行する組織である神聖皇帝領統治機構(HEGO)が設立された。HEGOには装甲車など軍と変わらない武器類が導入され、ナバラ紛争における反抗勢力への対応、南フランスの北バスクから越境してくるゲリラとの戦闘などのために規模を拡大した。旧連邦移民が待遇などから反乱軍に加わることも少なくなく、内戦においてゲリラ戦の経験を積んだ彼らに実戦経験が浅い帝国軍や諸王国軍は苦しめられており各戦争においても少なくない損害が出ていた。これに業を煮やしたモルトラヴィス1世は2019年に旧連邦移民の「刈り取り政策」を開始。反乱軍へと参加していた旧連邦移民とその家族を帝国の敵と見なして逮捕した。刈り取り政策には、中央政府であるアデレード政権や中央評議会、諸王国政府が激しく非難し皇帝との対立を深めた。結果的に刈り取り政策は当初の規模から縮小されたものの、皇帝が廃止を明言することはなく崩御まで約5万人の旧連邦移民が逮捕された。
2022年1月にモルトラヴィス1世は崩御し、モルトラヴィス1世が後継者として指名していた息子のジークヴァルトは交通事故により死亡したため皇帝位は先帝ヴァイオレットへ引き継がれた。しかしヴァイオレットは病により先は長くないと推測されており自らも即位を拒否した。残るボニファティウス系も即位を拒否した。ヴァイオレットの息子であるウルリッヒと妻のペルタは既に死亡していたため、ウルリッヒの長女であり当時17歳だったサビーネ・パトリツィア・ルートヴィッヒ・フォン・アステシアへと継承権が引き継がれた。アデレード政権と中央評議会、諸王国政府は緊急会議を開いて即位を承認し、12日にサビーネがモルトラヴィス2世として即位した。
サビーネは未成年だったこともあり、大宰相であるアデレードが摂政として政治を補佐した。真っ先に刈り取り政策を廃止し、不当に逮捕されていた人への謝罪と補償を行った。国内問題に対応するため現地に直接赴いて意見を聞き、政策の決定に反映するなど国民からの信頼回復に努めた。旧連邦移民を含む新公民権法の制定、軍事費の最適化、企業への支援などにより、紛争で疲弊した帝国経済は回復し成長を遂げた(青薔薇政策)。新興企業グループであるエレナ・ニーナは青薔薇政策の恩恵を受けて投資や買収を積極的におこない戦後の復興を牽引してきたGMCを追い抜くなど市場競争が活発化した。
サビーネの反戦思想に反して、帝国の戦争は対外へと拡大した。ナムルノ公国やグラトスとマドリード条約機構を結成し、軍事的結束を強めた。クレタ島からのミサイル攻撃に対する軍事制裁は、オーガスレリア王国やプルマー(現リバティニア)などとの紛争へと発展した(クレタ紛争)。帝国は占領した西部地域に傀儡政権であるクレタ共和国を成立させたものの、クレタ沖海戦での大敗、両陣営の全面戦争化を危惧した両陣営によって、クレタ島分割を含めたアラスカ条約を締結した。西側にはクレタ共和国が存続したものの東部は西部諸国の占領地となり、以降の統一問題を残すこととなった。
グラトス内戦や台湾危機など対外情勢へ介入することも多くなり強国として国際社会での存在感を強めていった。それと共に帝国民は国外への関心を強め、「強い帝国」を求める運動が拡大した。
帝国史(スペイン史)
1492年にイベリア半島最後のイスラム王朝であるナスル朝グラナダ王国が滅亡しレコンキスタが達成されると、同地のキリスト教化・スペイン化を目的にトラウゴット・フォン・ペータルブルクがスペイン王国から統治を命じられた。トラウゴットはイスラム教勢力との文化交流を進めつつカトリックの布教に努め、12世紀ルネサンスと呼ばれる文化の高揚を牽引した。
1516年にスペイン王位にカール5世が即位するとハプスブルク家によるスペイン統治の時代が始まった。ナスル朝滅亡と時を同じくしてスペイン女王イザベル1世は「大洋の向こう側」の探索を積極的に支援し新大陸の発見・征服を開始した。またナポリやネーデルラントなど各地に領地を獲得しスペインの黄金時代を築いた。
1588年のアルマダ海戦、1618年からの30年戦争などで黄金時代は終焉を迎え、カルロス2世を最後にスペイン・ハプスブルク朝は滅亡した。1700年にフランス王ルイ14世の孫であるアンジュー公フィリップがフェリペ5世として即位しスペイン・ブルボン朝を創始したが、それに端を発してスペイン継承戦争が勃発する。1713年に即位は正式に諸国から承認されたものの新大陸の利権のほとんどを失った。(史実と違いジブラルタルは維持している)
1808年から1813年にかけてスペインはボナパルト朝の支配下に入るがその後に半島戦争を通してフェルディナンド7世が復位しブルボン朝を復活させた。