1987年にマンフレード率いる君主守護騎士団は、クロアチアのプーラにてアデレードと、ヴァイオレットの兄弟であるディートリヒらと合流して規模を拡大させ皇帝権へと名称を変更した。スプリトにて旧海軍勢力の協力を取り付けて移民船団と共にイベリアへたどり着き、現地戦力との戦闘を行いつつジブラルタルを目指した。1989年に皇帝権といくつかの武装勢力が共にグラナダへと突入し、駐留する旧連邦軍との戦闘が起こり大きな被害を被ったもののグラナダの占領は達成された。マンフレードはヴァイオレットを君主としてグラナダにて戴冠式を行いモルトラヴィス帝国ヴァイオレット朝の成立を宣言し、連邦の後継者として発表した。マンフレードは大宰相に就任しスペイン地域の統一を掲げて皇帝権の部隊と帝国に加わった武装勢力を統合して帝国軍を組織しガリシア、ナバラなど北方やバルカン半島への派兵を開始した。その過程で、反政府運動を未然に防ぐべく各地で帝国に従わない勢力を徹底的に攻撃し粛清を行ったためアデレードやヴァイオレットとの対立を深めた。無謀な派兵の下、第10次ヴィス島攻防戦、ドゥブロヴニクの戦いなどにて敗北しバルカン領から撤退を余儀なくされると帝国の求心力の低下は顕著となり、帝国から離脱する勢力も発生した。状況に危機感を覚えたアデレードとディートリヒは結託してマンフレードを政府から排除して政権を握った(薔薇革命)。ヴァイオレットはマンフレードを止められなかったと、皇帝位をディートリヒへと譲ることを議会へと公表し議会はこれを承認したことで、ヴァイオレット朝は2ヵ月で倒れた。ディートリヒはヴァイオレットの帝位を継承しモルトラヴィス1世として即位。帝都をグラナダからジブラルタルへと遷都し、エレクシアへと名称を変更した(ディートリヒ体制)。ディートリヒ体制下の帝国とバルカン領の武装勢力群は停戦交渉を開始し、1991年3月12日にシャホヴィニツィア暫定新政府と帝国などはマドリード合意を締結して正式に第二次連邦内戦の終結を宣言した。終結宣言後、ディートリヒは国名をヴァイオレット朝からモルトラヴィス帝国アステシア朝へと変更しスペインの統一を宣言した。