キャンプ・アルファ ・No.A:July 2023 open air cages, but with plumbing ・No.B:open air cages, but with plumbing ・No.C:more pleasant surroundings for the most compliant detainees ・No.D:permanent facility modeled after a bureau of prison maximum security facility ・No.E:permanent facility modeled after a bureau of prison maximum security facility ・No.F:isolation cells, and cells where detainees are held prior to meeting their lawyers
一般的な囚人が収容されていると考えられている収容施設 キャンプ・ベータ ・No.G:open air cages, but with plumbing ・No.X:no data
児童など特別な人物に対して使用されていると考えられている収容施設 キャンプ・チャーリー ・No.zero:operated by SIS
SISにより運営
人物関連設定
国王>> 16
首相>> 17
副首相>> 19
外務大臣>> 29
宣伝大臣>> 45
中華王国首相>> 46
SIS副局長>> 48
SIS局長>> 50
NMBRC委員長>> 53
NSC委員長>> 54
国防長官>> 59
カミル陸軍元帥>> 60
性別:男性
年齢:47歳
誕生日:1月23日
職業:航空宇宙局長、自由民主党議員
思想:自由技術主義
呼び名:特に無し
身長:176cm
体重:72kg
出身地:ベルファスト
血液型:O型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
趣味:読書
色々:航空宇宙局長。
性別:男性
年齢:59歳
誕生日:2月10日
職業:陸軍大将
思想:軍事委任
呼び名:特になし
身長:186cm
体重:86kg
出身地:カーディフ
血液型:A型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
趣味:レコード
色々:数年前ブライアン・マッケンジーはガラパゴスへの悲惨な介入で賞賛され名声を得た。そして今トラストでの無政府状態に対する究極的な勝利の中で、彼は軽蔑と憤りだけを見出した。運常戦争からだちだら続く反乱へと状況が変わる中、マッケンジー将軍は反乱を鎮圧し、トラストの政治的未来を決定するという不快な立場に置かれている。
トラストにおけるWOLF続治の進産は、マッケンジー将軍の下では見られ、政権からの変化よりも継続性がそこにはあった。心をつかむためにリップサービスをしているにもかかわらず、マッケンジーはトラストで活動している企業と戦争で荒廃した国で生き延びようと奮闘している現地民の両方に慎重な対処をしていた。南昌での攻勢の際に自軍が行った虐殺の疑惑により、すでにロンドンからの非難を受けているが、マッケンジーはまたこの地域で企業に行動の自由を認めなければいけないという大きな経済的プレッシャーにもさらされている。
マッケンジーにとって南昌事件以来、状況は大きく変化した。この戦争に栄光はなくどんな勝利であっても、何千人もの命が失われたことへの慰めにはならない。本国のマスコミが兵士たちの帰運を叫ぶ中、マッケンジー将軍は、必然的に帰囲する前に、この地域に連合王国の痕跡を残すための最善の方法を決めなければならない。
ただし、それが成功するかどうかは彼以外にもかかっている。
性別:男性
年齢:43歳
誕生日:3月7日
職業:上院副議長、連合王国臨時首相
思想:キリスト教保守主義
呼び名:上院のローレンス卿、片目のチェスター
身長:183cm
体重:76kg
出身地:ロンドン
血液型:A型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
趣味:オペラ
色々:ほとんど首相にとって、就任式は長年にわたる政治的な野望と成功の集大成であり、彼らを国の最高職に就かせ、最終的に理想とする国家を形成する機会をもたらす。しかし元上院議長のチェスター・ローレンスは、そのような首相の一人ではない。
正義と汚職の日に議会からロンドンに急遽呼び出された彼は混乱に陥った国と向き合うことになった。エイムズ首相のトラスト侵攻に関する行動への怒りが議会内の政治的な礼儀のようなものを完全に無視し、絶え間ない怒号合戦が弾劾裁判の判決が出されるよりも多くの時間を費やしていた。また国民も声を上げ、毎週のように暴動や抗議行動が起こり、有権者は労働党の急進派を支持するために登録を変更した。
ローレンスはロンドンに閉じこもり、国家に影響を及ぼす問題について、倍頼のおける側近や友人たちにだけ話し、連合王国が直面している荒波を静めるのは副首相と内務大臣に任せることにした。危機に瀕した保守党、分断を招く人種隔離問題、そして急速に段階的拡大をするに直面し、消極的な首相の今後の数日間が、この国の今後数年の方向性を変えることになるだろう。
性別:男性
年齢:25歳
誕生日:9月2日
職業:バーミンガム公爵、連合王国女王王配、連合王国陸海空軍最高司令官
呼び名:チャールズ殿下
身長:182cm
出身地:バーミンガム
血液型:AB型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
スペイン語
色々:チャールズ王配 (本名:チャールズ・バッテンバーグ)はスコットランド系貴族の家系であるバッテンバーグ家の長男としてバーミンガムに生まれた。バッテンバーグ家が王家の側近であったこともあり、幼少期から交流が多く、さらに本人が勉強熱心であったことにより無事オックスフォード大学に進学する。そこから転機が訪れるのは大学を卒業した2021年ごろ、17歳のエリザベスと出会い彼女が女王に即位する2ヶ月ほど前に結婚。現在ではバーミンガムの爵位を受け、連合王国女王王配として即位している。
性別:男性
年齢:59歳
誕生日:11月25日
職業:陸軍退役少将、第11特務小隊長
呼び名:マスター
身長:181cm
体重:81kg
出身地:ダブリン
血液型:A型
宗教:カトリック
使用言語:英語
スペイン語
中国語
趣味:切削アート
色々:ダブリンの機械工の一人息子として生まれたリトルロックは仕事をする父を見て育ったからか機械に対する関心が人一倍強かった。順調に父親の技術を吸収していき、高校を卒業後、あとは父の仕事を受け継いだ後それを発揮するだけというところであったが彼の運命を大きく変える出来事が起こる。
性別:男性
年齢:61歳
誕生日:9月9日
職業:陸軍元帥、西方方面軍総司令官
思想:軍事政府
呼び名:特になし
身長:189cm
体重:89kg
出身地:リーズ
血液型:O型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
趣味:CD
色々:戦争で最も激しい戦いが繰り広げられたトラストはWOLFの統治以来、現在のブランチャード将軍までの指導者にとって常にとげのある存在であった。トラスト利軍委任統治領は、連合王国とチェコの攻勢をうけて現地のゲリラが崩壊したために急遽設立されたもので、ほとんど国家とは言えない状況であった。 不安定な皆定国家は今、政権の残忍な弾圧を生き延びた共産主義者による反乱と戦わなければならない。
ウィリアム・ブランチャード将軍は、当時最初の攻勢に勝利したことで連合王国のマスコミで広く称せされ、後に彼の物議を醸し出した損耗戦略という仕事ができる唯一の男である。爆撃機と火砲における連合王国の優位性を最大限に活用したブランチャードは、戦場で大成功を収めたが、本国からは強く非難されていた。トラストの秩序を維持するために必要と考えられる残忍な抑圧は一層本国からの非難を強めるだろう。優れた火力は、敵が優れた戦力に直面した場合、ジャングルの中に溶け込んでしまうだけで、ほとんど意味を持たない。
平和をもたらすことを使命とする戦争の男、ブランチャードは、反乱理を倒し、トラストを安定させるために、本国からわずかに残された好意が尽きる前に、時間との戦いに身を投している。
性別:男性
年齢:55歳
誕生日:1月29日
職業:LCP書記長
思想:マルクス・レーニン主義
呼び名:スターリンの申し子
身長:183cm
体重:77kg
出身地:ピーターヘッド
血液型:AB型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
趣味:談話
色々:ハーヴィー・ホワイトには多くの言葉が当てはまるが、その中に「首相」は含まれていない。 彼はアバディーンシャーの広大なピーターヘッドで、スイス移民の子供としてフリッツ・フォン・ヴィルトとして生まれ、9人の兄弟と共にドイツ語を話しながら、極寒の丸太小屋で育った。 ホールは15歳にして、家族を接うために学校を中退して伐採所で働き、すぐに共産青年同盟に加入した。その組織での活動のおかげで共産主義の聖地たるグ連に行くことができ、ホワイトは国際レーニン学校で数年間勉学に励んだ。1980年代には、様々な州で鉄工所や農家、チームスターズなどのストライキに参加し、警察や上司を相手にして戦った。
その後革命的祖国防衛主義に基づき海軍に入隊した後、ホールは2000年代の大半を、連合王国政府の転覆を提案したとして検察に追われていた、だが彼はリバティニア共産党のメンバーとして、大学のキャンパスで講演をしたり、テレビの生放送で保守党議員と討論をしたりして、その名を知られるようになった。しかしこのままでは、連合王国政界のマイナーな存在として終わるはずだった。しかしそれは、労働党とLCPの台頭によって覆された。今、ホワイト首相となった彼は、連合王国で虐げられた人々を高揚させ、労働者階級を団結させ、少数派の富裕層では なく多数派の労働者のための新たなリバティニアを創造しようとしている。
ハーヴィー・ホワイトは首相として急進的な道を歩んでいる。彼は公約にて、富裕層への増税だけではなく、自身の社会主義的ビジョンを実現するために、連合王国経済を全面的に再構築することを立言している。この公約の一環として、 反動や保守派が主導してきた組織は一掃されることとなる だろう。そして、社会主義は世界中で推進され、古き帝国主義の連合王国の野望は、新しい、赤い鷲に取って代わら れるだろう。労働組合ーー一古き偉大な発明ーーーは、産業界 でのかっての地位を取り戻すだろう。平等主義と公平性を支持する判事が任命されるだろう。ハーヴィー首相は、何よりも民主主義の維特・促進を目指すことになるだろうーーーそれが連合王国の死を怠味することになろうとも。
彼は確かに「首相」ではないかもしれない。だが、ハーヴィー・ホワイトは確かに革命的なリバティニアを目指している。
注意:首相就任後の説明です
性別:男性
年齢:44歳
誕生日:12月10日
職業:ナショナル・アクション党首
思想:英国ファシズム
呼び名:道化師、若き総統
身長:184cm
体重:74kg
出身地:ニューキャッスル
血液型:O型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
趣味:執筆
色々:レイフ・エドワード・ハリソンは、首相としての権力を身につけるとは、ほとんど予想だにしなかった人物である。しかし、今、連合王国史上最も論争的な選挙の後、率直なファシストがロンドンに座っている。 もともと作家、皆学者であったハリソンは、1930年代に世界各地で起こった権威主義、ファシズムの動きに魅了された。弁護士を目指しながらアドルフ・ヒトラーの著作に興味を持ち、反ユダヤ主義、超軍国主義といったナチスの思想を取り入れた。「帝国主義:あらゆる大国の鉄則」という自称の大作を出版した後、ハリソンは有権者達の新たなる投票先として極右政党を設立し、連合王国政治に新しい動きを起こした。 ハリソンたちは、当初「ナショナル・アクション」と名乗っていたが、すぐに連合王国の他の政治勢力から忌み嫌われ、単に「極右」と呼ばれるようになった。しかし、敵の失 態と天の恵みで、彼の派閥は今や連合王国の政治体制に勝利している。
ハリソンの首相就任は、少なからぬ木造所からネズミをかき集めることになった。連合王国では、多くの都市で、クー・クラックス・クランを真似たフード付き白衣を着た男達を見かけることが少なくない。同様に、過去数十年間にかけて制定された画期的な新公民権法の廃止も公然と語られている。黒人のリンチはますます多くなり、気づかれることなく、調査されることもない。要するに、惜しみが連合王国全土で普通になっており、政治体制内外の多くの人々がこの権威主義の波の行く先に怯えているのである。
ハリソンは、地球上で有数自由主義国家のリーダーであるにもかかわらず、自由についての意見は不明瞭で矛盾している。多くの人は、彼が連合王国の自由を維持するためにどんな外見的な見せ方をしようとも、彼は依然としてファシストであり、首相の地位を強化するためにできることは何でもやるだろうと思っている。ハリソン自身は 「文化の破壊者」と断じて、西洋文明を守ると主張してい るだけだ。ハリソンが何から守っているのかは不明だが、十字架と星条旗のマントを持って、レイフ・エドワード ・ハリソンは首相官邸に座り、連合王国に自分の意志を実行しようとしているのだ。
注意:首相就任後の説明です
性別:男性
年齢:50歳
誕生日:8月25日
職業:国民党右派議員
思想:ディキシークラット
呼び名:ジム=クロウの亡霊
身長:176cm
体重:68kg
出身地:ペンザンス
血液型:A型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
趣味:執筆
色々:国民の大切な権利と自由を擁談しつつ、ジャップの脅威から自身の誇らしい祖国を守ろうとする唯一の存在である高潔な南部紳士かのように、あるいは真の勇ましい連合王国人かのように、ジョージ・C・ウォリックは自らを見立てている。しかし実際のところは、彼は卓越した日和見主義者であり、自身の得票率を最大化するためには喜んで自分のイデオロギーを好きなように成形する。故郷ペンザンスの知事として良き白人有権者を取り込もうとした結果、彼は必然的に、地方分権を損なおうとする非連合王国的第五列をあらゆる面で防ぐ、頑強な隔離主義制度の擁護者となった。1999年の内乱によって議会が混乱に包まれし、「結束せる南部」の忠識が揺らぐと、ウォリックはジョージ・オーチャード・テムズが創設したばかりの国民党へ参加し、同党をの上位に導けるよう確固たる手腕で貢献した。
選挙戦においては、フランケンシュタインのようにつぎはぎな国民党の支持層、ひいては国民の大多数の支持を十分勝ち取るために、ウォリックは自分の立ち位置をうまく穏健化させた。しかしの座を得た今、国民党の多くの保守派議員との便宜的な同盟関係は急速に薄れつつある。 自分が体制側なのに、体制側を憎むことだけに縛られた政党をどうまとめるというのだろうか?しかしウォリックは、この同盟が長く続ぐとは考えていないようだ。むしろ彼は隔離政策を法的に後押しすることに、可能な限り時間を使うつもりであるようだ。そして隔離制度が事実上除去不可能になったとき、彼は故郷に帰り、南部の救世主として永遠に不滅の存在となるのだろう。
性別:男性
年齢:54歳
誕生日:4月13日
職業:MI6長官
思想:国民保守主義
呼び名:ロー・ブランド
身長:183cm
体重:78kg
出身地:ダグラス
血液型:O型
宗教:プロテスタント
使用言語:英語
趣味:ドラマ
色々:マドリードの外務宰相とロンドンの首相が始めた新冷戦は多くの国々やそこに住まう国民たちに様々な影響を及ぼした。そしてそれは新冷戦が終結した今でも続いているように思える。その一例が新植民地主義と情報戦の到来だ。我々は新たな時代に備える必要があるのである。
古き良きダグラスにて上流階級の子として育ったジェームズ・ロー・ブランド卿はケンブリッジ大学を卒業後すぐ自身の夢を叶えるべくジャーナリストの道へ突き進んだ。それはお世辞にも楽な選択肢とは言えないものではあったが彼にとってその生活は充実しきったものであるとはっきり言えるものであった。しかし彼は向上心を忘れることは一度たりともなかったといえる。1999年にアイルランドの人民が自由を求めて戦うことを選択したとき、彼は自身の力を国益のために活かすためMI6の職員となり二重スパイとして活動することを選択した。
彼の才能と忠誠心はここでも活かされることとなる。ロンドンからの信頼を得た彼は徐々にその地位を獲得していった。そして新冷戦が終結した時、彼は首相による指名のもと長官の地位に就く。その先にある道は一体どこへ続いているのだろうか。ただ一つ確実なことは、連合王国は彼を必要としているということだけだ。
企業関連設定
コンテンツ
社長:ヘレナ・ペンバー
業種:造船
本社:オワフ
設立年:1997年
従業員数:37000人
最大顧客:利海軍
ーーーーーーーーーーーーーーー
1997年の創業以来、現在の海軍主力駆逐艦であるアーミィ級を始めとし、多数の軍用艦艇を造艦してきたリバティニアの造船企業。初代社長であるフリッツが海軍大臣就任後は娘であるヘレナが社長となっている。
社長:エドワード・スミス
業種:造船
本社:ポーツマス
設立年:1963年
従業員数:16000人
最大顧客:利海軍
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設立当初は主に商用艦艇の建艦を行っていたが、近年になり軍用艦艇の必要性が向上したことをきっかけにそれらの建艦を開始、レディオヘッド級などの小型艦を製造している。
社長:ニコラス・モーゼンランド
業種:造船
本社:プリマス
設立年:2003年
従業員数:41000人
最大顧客:利海軍
ーーーーーーーーーーーーーーー
ブレイズリープ級を始めとする大型艦の建艦を行ってきた造船企業。利海軍が最大顧客なこともあり、順調に規模を拡大しており国外への進出も示唆している。
PSCとの関係は良好。ブレイズリープ級やファプタ級などの造船を一部委託している。
社長:李海林
業種:造船
本社:台北
設立年:2012年
従業員数:23000人
最大顧客:民間
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主に商用船舶を建艦してきた台湾の造船公社。難陀級ミサイル巡洋艦などの鑑定を建艦してきており、中華連邦でも最大級の規模を誇る。
社長:ウィリアム・ウォレス
業種:航空宇宙
本社:エディンバラ
設立年:1964年
従業員数:32000人
最大顧客:利空軍
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空軍用小型機の製造を主に行なってきた企業。現在ではステルス機の開発にも取り組んでおり、利空軍機の半数以上がこの企業の出身である。
軍事関連設定
コンテンツ
ニルヴァーナ級対潜フリゲート
計18隻
デヴィッド・ボウイ級ミサイルフリゲート
計24隻
ハリー・スタイルズ級汎用フリゲート
計12隻
エルマ級コルベット
計12隻
ホンコン級ミサイルコルベット
計18隻
シナトラ級原子力潜水艦
計12隻
アッツ・ブロックII級原子力潜水艦
計24隻
アクセル・ローズ級原子力潜水艦
計18隻
ソリッド級原子力潜水艦
計3隻
モヴェーレ・クルース級戦略原子力潜水艦
計9隻
玄武級支援駆逐艦
計4隻
エド・ロス級ミサイル艇
計6隻
ラットファンク級哨戒艇
計16隻
大型艦:25隻
小型、中型艦:266隻
潜水艦:66隻
合計艦艇数:357隻
・海峡艦隊
司令官:ヘンリー・ウィリアムズ少将
旗艦:空母ブレイズリープ
拠点:ポーツマス
・北海艦隊
司令官:エドワード・オリンズ中将
旗艦:空母ヴィンテージ
拠点:エディンバラ
・大西洋艦隊
司令官:アラン・M・ストリンガー大将
旗艦:空母オーゼン
拠点:ゴールウェイ
・太平洋艦隊
司令官:ウィリアム・D・ポーター大将
旗艦:空母ミッドウェイ
拠点:ホノルル
・地中海艦隊
司令官:ロバート・マディソン中将
旗艦:強襲揚陸艦敖閏
拠点:リマソール
チャレンジャー1 主力戦車
センチュリオン 歩兵戦車
ケントゥリオ ATCV-L
クロムウェル 装甲兵員輸送車
オーキンレック 装備式自走砲
M6A1:ブランチャード 歩兵戦闘車
モントゴメリー 歩兵戦闘車
GPWV:ホース 汎用四輪駆動車
GPTS 八輪軍用輸送車
F-37A:マザー・グース 戦闘機
F-41A:ナーサリーライム 戦闘機
F-19C:クックロビン マルチロール機
F-17C:リープ マルチロール機
A-4D:サーペント 攻撃機
B-4B:ブラックバード 戦略爆撃機
E-4A:ヴァルチャー 早期警戒機
KC-121:エイフェツト 空中給油機
C-19J:スーパーケルピー 戦術輸送機
AC-19J:フォートレス ガンシップ
AR-26:ペンブローグ COIN機
MQ-10:スパーク 無人戦闘機
MQ-7:ヒュドラ 無人攻撃機
RQ-8:チャイニーズ・ドラゴン 無人偵察機
MR-10:アームストロング 高高度偵察機
MR-12:シューティング・スター 戦略偵察機
AH-24B:スクォンク 攻撃ヘリコプター
AH-38A:ヒューイ 攻撃ヘリコプター
UH-20:ハル 汎用ヘリコプター
CH-36:ストーク 輸送ヘリコプター
ACH-36:ハヴォック 攻撃ヘリコプター
F-23E:ソロモン・グラビティ 艦上戦闘機
F-25C:マフェット 艦上戦闘攻撃機
E-3B:ビーグル 艦上早期警戒機
MQ-11:チャコール 無人戦闘攻撃機
AH-20C:カーネイジ 攻撃ヘリコプター
SH-38B:シーガル 汎用ヘリコプター
SH-43D:シーライオン 輸送ヘリコプター
LA-18 自動小銃
M19A1 半自動式拳銃
パシフィック・リボルバー ダブルアクションアーミー
特殊部隊など
コンテンツ
創設:1944年8月28日
所属組織:王立陸軍
司令官:ヒューイ・アンダーソン少将
隊員数:約1000名
愛称:なし
標語:Loyal to orders.(命令に忠実で)
目的:特殊工作
その他:
リバティニア陸軍の特殊部隊。
創設:1951年1月1日
所属組織:リバティニア海軍
司令官:ドナルド・メンデンホール少将
隊員数:約2000名
愛称:なし
標語:With the sea(海と共に)
目的:特殊工作、上陸支援
その他:
利海軍の特殊部隊。隊員全員がフェイスベールを装備しているその独特な見た目から「妖怪」とも呼ばれている。
創設:1952年10月3日
所属組織:近衛局
司令官:エリザベス1世
ジョン・E・カニンガム
隊員数:約8000名
愛称:ロイヤルホームガード
標語: Her Majesty the Queen's Loyal Servant(女王陛下の忠実なる僕)
目的:衛兵任務
その他:王立陸軍近衛師団麾下の各部隊に所属する精鋭兵達からなる組織。君主の警護や衛兵任務だけでなく、一般部隊と同様に実戦部隊としての任務もこなしており、そのための訓練を受け、最新の装備も支給されている。また、正装である赤い上着に熊の毛皮の帽子という格好と、直立不動の姿勢で警衛する姿は観光資源としても、非常に有名であり連合王国を代表する部隊の一つである。
創設:2011年12月8日
所属組織:連合王国国防省
司令官:トーマス・D・リトルロック退役少将
隊員数:25名
愛称:リトルロック小隊
標語: Loyalty trumps all else(忠誠は何物にも勝る)
目的:異生物捕縛又は排除
その他:
国防省管轄下の対人外部隊。隊員全員が人間で構成されており、軽機関銃や火炎放射器を始めとする様々な重火器を装備。
国内関連設定
コンテンツ
組織関連設定
設立年月日:1909年10月1日
種類:諜報・諜報活動
管轄:連合王国外務省
人員:7465名
本部所在地:ロンドン
監督大臣:マティアス・クリス・トレント(外務大臣)
現行政官:ジェームズ・ロー・ブランド
支局一覧:
太平洋支局
北米支局
中米支局
南米支局
欧州支局
極東支局
連合王国の対外情報機関、MI6と呼ばれる。主に人的情報(HUMINT)を利用して世界中から国家安全保障に関する情報を収集分析することを任務としている。
設立年月日:1909年10月7日
種類:保安活動、治安維持
管轄:連合王国内務省
人員:5863名
本部所在地:ロンドン
監督大臣:サイモン・ディーン・ロバーツ
現行政官:メアリー・スチュアート・フレデリック・ヴィクター
一般的な名称はMI5。主に国内における治安活動を中心に活動する連合王国の秘密警察。2020年のガラパゴス紛争後には同地域の反乱者を鎮圧しており、現在でも政府直属の組織として展開している。
リバティニア専門用語
コンテンツ
北台湾収容キャンプ
北台湾収容キャンプ(North Taiwan Detention Camp)は中華王国の新北市金山區の北台湾利軍基地に設置されているリバティニア西太平洋方面軍北台湾共同機動部隊運営の収容キャンプ。 2023年にエイムズ・ウォーカー政権時に設立され第二次台湾事変の過程でリバティニア軍によってテロに関与しているか、何らかの情報を持っていると疑われて強制連行ないし逮捕された数多くの人物が収容、監禁、拘束されているが、法の適正プロセスに反した国際法に違反する違法な拘束であると国内外から批判を受けており、中華王国政府は同基地の返還を求めている。
・連行される収容者
・監視塔
・基地の衛星写真
キャンプ・アルファ
・No.A:July 2023 open air cages, but with plumbing
・No.B:open air cages, but with plumbing
・No.C:more pleasant surroundings for the most compliant detainees
・No.D:permanent facility modeled after a bureau of prison maximum security facility
・No.E:permanent facility modeled after a bureau of prison maximum security facility
・No.F:isolation cells, and cells where detainees are held prior to meeting their lawyers
一般的な囚人が収容されていると考えられている収容施設
キャンプ・ベータ
・No.G:open air cages, but with plumbing
・No.X:no data
児童など特別な人物に対して使用されていると考えられている収容施設
キャンプ・チャーリー
・No.zero:operated by SIS
SISにより運営
現地のジャーナリストや解放された収容者のインタビューなどでは、収容所内の収容者への対応は水責めや性的な嫌がらせ、殴る蹴るといった暴行など、現地兵士による非人道的な処置が取られていることが明らかになっており、一部の人権団体はこのことについて強く非難を示している。またリバティニア政府や国防省はこのような処置を受けている元収容者らに対する謝罪は一切行っておらず、また詳細な情報の開示も行っていない。
・No.D内と思われる写真
連合王国史
統べよブリタニア
イングランド及びウェールズ王国として長年ブリテン諸島に君臨してきたこの国の最も大きなの転換点は名誉革命の有無にこそあろう。イングランド国王及びスコットランド国王でありプロテスタント信仰に改宗したジェームス2世が議会とカンタベリー大司教を説得し、名誉革命を未然に防いで絶対君主制を存続させたのである。当然それでも国民からの支持はあまりなかったが、娘のメアリー2世と娘婿のウィリアム3世の力を借りクーデターが起きないよう自らの地盤を強化したジェームズ2世は1701年に崩御するまでグレートブリテン王国を建国するべく活動した。その後に登場したのはステュアート朝最後の君主であり、後にブランデー・アンと呼ばれるようになるアン女王である。1707年にイングランドとスコットランドの合同法を成立させた彼女は、両王国のそれまでの同君連合という関係からさらに統合を進め、グレートブリテン王国として一体化させるという偉業を成し遂げた。さらに国力をつけた王国はスペイン継承戦争に呼応しアン女王戦争を開始、これでもまた勝利を収め、先代と異なり大衆の支持を獲得したアン女王であったが唯一の欠点として17回も子を授かったにも関わらず20歳まで生きた子供が1人もなく後継が誰もいなかったことが挙げられる。結局状況が改善されることはなくアン女王は1714年に49歳の若さ崩御し、王国は議会による審議の下ステュアート朝と血の繋がりがあるドイツのハノーヴァー朝を向かい入れた。連合王国は議会による審議の末王位継承権を制定し同家のゲオルク・ルートヴィヒをジョージ1世として向かい入れた。しかしジョージ1世はすでに50歳を過ぎていた上、当時の国際語はフランス語であることから英語の理解に限界があると判断され、その後プリンス・オブ・ウェールズに即位した次代のジョージ2世も既に30歳をすぎていたことにより、連合王国の政治参加にあまり興味がなく既にハノーファーの軍事や政務を担っていたので徐々に国王の権限は弱まっていった。それに加えて彼らは即位後もしばしばドイツに滞在し、連合王国を留守にすることが多く、これを見た連合王国議会はホイッグ党リーダー、後の連合王国初代首相となるロバート・ウォルポールを中心に無血クーデター(自由革命)を決行。これは成功しジョージ2世を廃位に追い込んだ。その後1738年にジョージ2世の孫でありハノーファー朝で最初の連合王国出身の国王であるジョージ3世が即位するまでの間ウォルポール首相と後に2代目首相となるスペンサー・コンプトンは臨時的に議会による共和政を行い、議院内閣制民主主義の基礎を完成させ、現在の連合王国の基礎を築いた。またリバティニアという国号は改革に対する演説の際にコンプトンが発言した「自由の民の王国」という言葉に由来している。
パクス・ブリタニカと独立戦争
連合王国は権利の章典を発布後すぐ、ポルトガル、スペインに遅れること1世紀、17世紀初頭にオランダ共和国とともに大航海時代に乗り出した。東インド会社はインドを中心とするアジアに進出し、約1世後の1858年には英領インド帝国を設置。また北米大陸にも13植民地を設置しフレンチ・インディアン戦争の勝利により広大なルイジアナ地域を獲得するなど領土拡大を推し進め、多数の植民者を送り出していった。しかしこの戦争の影響は経済にも及び、議会は戦費によって膨らんだ国家債務の償還および植民地維持のために送られた軍隊の費用を13植民地への増税で賄う方針を採択。だがこれは植民地からの反感を買い、間もなくこの2つの税法は廃止に追い込まれることとなる。連合王国はなおも植民地に対しての課税を諦めず、1773年には茶法を制定し、植民地での東インド会社による茶の独占と課税を実施。案の定上手くは行かず、これに対し更なる不満を持った植民地人は同年にボストン茶会事件を起こし2年後の1775年にはレキシントンにて王立軍と植民地軍との間の武力衝突が起こった。ジョージ・ワシントンを指揮官とする植民地軍は植民地全域にまで蜂起を拡大し翌年に独立宣言を発表(アメリカ独立戦争)。さらにベンジャミン・フランクリンが妨害工作の実施を諸列挙に呼びかけたことにより連合王国は欧州にて孤立し厳しい戦いを迫られ1783年、パリ条約により独立戦争は13植民地の勝利で幕を閉じた。また、これを機に勃発したフランス革命は、連合王国史史においても次のエポックを作り出すことになる。ウォルポール以来のホイッグ党の優位がアメリカ独立運動の対応に躓いたことによって縮小し、代わりに一連の対応で国民の支持を得たトーリー党が徐々に力を伸ばす結果となった。
ユニオンジャックとナポレオンの台頭
アメリカ独立戦争の影響は連合王国の従属国であったアイルランドにも波及し、アイルランドにおける連合王国の影響力が弱体化。アイルランド議会が徐々に力を伸ばし、続くフランス革命では、これに呼応することによってアイルランドの地位を向上させようとする政治運動が活発になった。これに危機感を覚えた連合王国議会はカトリック解放とバーターで1800年に合同法を成立させ、アイルランド議会をウェストミンスター議会に統合しアイルランド王国を併合した。これによりブリテン諸島は連合王国により統一されグレートブリテン及びアイルランド連合王国が成立する。そんな中、ドーバー海峡の向こう側に位置するフランスは転換点を迎えることとなる、フランス革命とナポレオン・ボナパルトの登場である。後に欧州におけるフランスの時代を築く立役者となるナポレオンはイタリアやオーストリアなどの近隣諸国を瞬く間に蹂躙、さらに連合王国と植民地インドとの連絡を断つ為エジプト遠征を行った。しかしフランスの目論み通りにはいかずアッカの戦いで連合王国とオスマン帝国の連合軍に敗北、さらにナイルの海戦でフランス艦隊がホレーショ・ネルソン提督率いる艦隊に大敗し、さらに欧州における劣勢に立たされたフランスはエジプト遠征を中止した。これを機に連合王国とフランス間で講和が進みアミアンの和約が締結されたが、双方の対立が理由ですぐさま破棄され、さらに翌1804年にナポレオンが皇帝宣言したことにより連合王国は欧州諸国と対仏大同盟を結成した。その後再びオーストリアとロシアに侵略を開始したナポレオンは次に連合王国を下す為海軍を出したがネルソン提督率いる艦隊に再度敗北。本土への攻撃は不可能と判断し大陸封鎖令を出して連合王国を経済的に攻撃しようとした。しかし、これは全くの逆効果で、かえって連合王国との経済交流の場を喪失した大陸諸国の方が疲弊する結果となった。一方連合王国は反ナポレオン闘争に積極的に加担するようになり、ポルトガルとスペインの対仏ゲリラを支援する結果となった。こうした中で1812年にロシア遠征が失敗に終わると欧州諸国はフランスに対する反抗作戦を実施しイベリア半島戦争においても王立陸軍がヴィットーリアの戦いにて勝利を収め、1814年、連合軍はパリに入城した。
産業革命と連合王国の近代化
ナポレオン戦争後、今後の欧州秩序について話し合うべくウィーン会議が開催されたが、この会議は「会議は踊る、されど進まず。」と言われる状況であり、各国の利害が対立して会談が終結する見通しすら立たなかった。こうしたヨーロッパ各国の対立の空白を狙って、ナポレオンがエルバ島から脱出。瞬く間にパリに駆け上がり、帝位に返り咲いた。これを受け欧州諸国は一旦対立の矛先を収め、ナポレオンを再びヨーロッパから追放することで結束し、各国はフランスを包囲するように軍を展開。ワーテルローの戦いにてウェリントン公爵が勝利を収め、再び進撃を開始し、再びナポレオンは退位させられセントヘレナ島へ幽閉された。一方このような欧州の混乱を好機と見た国家もある。それは独立からまもなく大国へと成長を遂げた新大陸の王者、アメリカだ。アメリカはナポレオン戦争中、英領カナダに宣戦布告し米英戦争を開始、これを受け連合王国軍、カナダ軍、インディアン部族が連合して戦いを実施した。しかし欧州における戦いが進行中であったこともありアッパーカナダでのジョージ砦の戦いにて連合軍は敗退、ガン条約によって講和することとなる。旧大陸における勝利と新大陸における敗北をきした連合王国は、欧州における旧秩序の維持を目的としたウィーン体制のもと外交政策を進め、セイロン島やケープ植民地のほかマルタ島の支配も開始した。しかし一方で欧州での影響力維持のため外相ジョージ・カニングのもとも自由主義的、民族主義的運動を支持し、ウィーン体制とは一線を画そうとした動きも見られた。その中でも有名なものがギリシャ独立の支持である。連合王国は外交的な自由主義政策ばかりではなく、内政でも穀物法の緩和やカトリック解放令、奴隷制度廃止運動にともなう奴隷貿易法の制定など自由主義的な政策を実施した。さらに連合王国は世界に先駆けて18世紀ごろより蒸気機関の開発、改良を進め、工場制機械工業が発達し民族資本による産業革命が発生した。軽工業や綿織物の分野における工業化が進み工場での大量生産が可能となった。またこれにより石炭の需要が高まり構成国の一つであるウェールズの経済成長が発生、各国からの石炭輸入を行う積出港、綿布の原料となる綿花を引き受ける貿易港でも、労働力を集中させるだけの需要が生まれた。一方でこのような社会的変動は同時に社会制度にも変化の嵐を呼び都市部で新たに労働者や資本家が誕生、資本主義と呼ばれる新時代の経済体制が確立され、カール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルスなどの思想家が1848年にロンドンで生産手段の国有化を謳う共産党宣言を行うなど共産主義の台頭も目立つようになった。
帝国主義と民主主義の近代化
産業革命の到来は政界にも影響を及ぼした。その中でもチャーティズム運動と保守党、自由党や労働党などの近代的な政党の誕生は代表格と言えるだろう。ナポレオン戦争での勝利は、国内のフランス革命に共感していた知識人と産業革命で勃興しつつあった資本家と労働者たちへの反動政権の勝利でもあった。それにより腐敗選挙区などの前近代的な制度が存続し続け、これに対し労働者らが立ち上がったことにより始まったのがチャーティズム運動だ。彼等の運動は男子普選や腐敗選挙区の解消などを目的にはじまり、近代的な民主化運動の一つであったが、トーリー党とホイッグ党は1832年の改正でほぼ満足した資産家、中産階級を味方にしてチャーティズムを押さえようと試み、遂に1848年革命に呼応した最後の大規模なデモンストレーションの後に沈静化した。この騒動の後トーリーの有力議員であったロバート・ピールは自身の選挙区の有権者に対して最初の政権公約であるタムワース・マニフェストを示した。これは同年にトーリーの綱領として採択され、トーリーはそれまでの議員グループから脱却して近代的な政党である保守党へ進化した。ピールはその後首相に就任し、穀物法を廃止。その後就いたジョン・ラッセルのもとで航海法もが廃止され産業資本家が求める自由貿易が実現した。このようにピールは保守党議員でありながら自由貿易に積極的な姿勢を示した。ピールに同調する議員をピール派と呼ぶ。ピールが議員を辞すると、ピール派は次第に保守党から離れホイッグに合流した。このときまでにホイッグには同じくトーリー出身で自由主義外交を志向したカニング派も合流していてこれらの連合体として自由党が発足した。この後、自由党と保守党、自由貿易派と保護貿易派の政治闘争を中心にして連合王国議会政治が発展した。有力な政党政治家たちが自由・保守両党をリードして定期的な政権交代を繰り返しながら国政を指導し、民主主義の理念と男子普選を充実させた。しかしこの陰で自由党や保守党以外でこれら労働者の支持の受け皿として労働者政党を結成しようとする運動が19世紀末に起こった。これにより1884年に誕生したフェビアン協会から発足する形で1906年に労働党が誕生。彼らは同年緒総選挙で26議席を獲得し議会勢力に足場を築いた。続く1910年の総選挙では自由党と連立し政権入りを果たすこととなる。