16世紀にボジヴォイ・シュテフカがシサクの戦いにて功績を上げ、その功績から皇帝からホジヴォイへクロアチア伯の称号を与えられ、同地はクロアチア辺境伯領として成立した。クロアチア辺境伯は異教徒に対する防波堤としての役割を果たし更に略奪で荒廃した地区の再建を行っていった。その中で、各地に城塞都市が築かれプーラに公宮を置いた。バニャ・ルカの戦いにて異民族を撃退、ボスニアへと進出して領域を拡大しホジヴォイは教皇から戴冠を受けてシャホヴィニツィア王を名乗り、シャホヴィニツィア王国を建国した。依然としてイスラム勢力の脅威にさらされ続ける南方は軍政国境地帯としてキリスト教圏の防波堤としての役割を果たし続けた。
18世紀にはイスラム勢力のヨーロッパ進出はなくなり軍政国境地帯は王国へと編入され、城塞は次々と解体された。長らく王国の中心地にあったプーラはイグナーツ・ヴィクトラ(イグナーツ3世)の国策の下で大規模な都市改造が行われた結果、城壁が解体され環状道路が整備された。道路の整備などによりプーラ市街地は拡大し農村部からの人口流入により文化が発展していった。
世界大戦では歴史的な関係から中央同盟国側で参加し、セルビアを攻撃したものの1918年に敗戦。ザグレブ条約によりボスニアの一部を喪失したものの国体は維持された。戦争を主導したとしてイグナーツ4世が断頭台で公開処刑され、生後6か月のレオシュがイグナーツ5世として即位し成人するまでの間、ドイツ系のエアハルト・ヨアヒム・ローゼンシュティールが摂政となり政治を執り行うこととなった。しかしドイツ系を優遇する政策が多く、1924年に不満を募らせた王国軍第2師団が反乱を起こしプーラへと進軍する事態が発生し、鎮圧のため動いた軍がプーラを包囲すると混乱は全土へと拡大した(大反乱時代)。
混乱の収束のため軍を増強せざるを得ず、反乱は鎮圧されたものの軍の発言権が大きくなり政権は軍の意見を無視できなくなった。エアハルトは摂政を辞することを余儀なくされ近衛師団の推薦するヴァシリー・カリャーギンが1932年に摂政に就任した。元軍人のヴァリシーは大シャホヴィニツィア主義を提唱し軍備増強と工業化を推し進めた。体制に反対する人物に対しては治安維持法などを制定して逮捕するなど強権的な政策が目立つようになる。
1939年に世界大戦へと参加し大シャホヴィニツィア主義実現のためセルビアやバルカン半島南部へと侵攻した。初戦では優位に戦いを進め1940年にベオグラードを陥落させセルビア全土を、アルバニア北部まで領土を拡大させるもフリストフォル・セレズニョフ率いる共産ゲリラやセルビア人ゲリラとの散発的な戦闘により拡大は鈍化し徐々に劣勢となった。1943年にフリストフォルが中心となり正統な権利評議会(英:Legitimate Council of Rights)を結成し、セルビアやアルバニアを解放する連合国軍と協力してシャホヴィニツィア軍などと戦った。1945年にはプーラを解放し公宮を包囲し降伏を迫りイグナーツ5世は流血を避けるためにこれに同意し近衛師団と共に降伏した。イグナーツ5世降伏以降も各地で軍の抵抗が続いたが、6月末までには王国は無条件降伏した。
人物一覧
サビーネ>> 9
シュルヴィア>> 10
編集中
本名:シナノ・リン・ジュスティーヌ
年齢:44?
身長:181cm
出身地:クロアチア
誕生日:非公開
経歴:
連邦内戦期の経歴不明
エレクシア大学政治学部卒
カタルーニャ下院議員(1996~1999)
カタルーニャ上院議員(2002~2005)
帝国中央議会下院議員(2005~2014)
バルセロナ市長(2014~2017)
イベリア救済基金(1993~2005)
帝国外務宰相(2018~)
趣味:運動、読書など幅広く。
使用言語:スペイン語
日本語
英語
宗教:無宗教
家族構成:非公開
概要旧連邦内戦において「皇帝権」の一員の狙撃手として帝国の建国に貢献した彼女は終戦後、エレクシア大学政治学部に入学し官僚としての道へと進んだ。過去の栄誉にとらわれない実力主義・現実主義的な考え方、類まれな交渉力を生かし諸王国間の経済連携を急速に推し進めたり、基金の設立など旧連邦移民の地位向上への努力を惜しまなかった。民間の評価も高く、2014年からバルセロナ市長に就任し後に宰相府へ迎え入れられることとなる。
本名:モーティマー・アンダーソン
年齢:59
身長:176cm
出身地:アゾレス
誕生日:6月9日
経歴:
帝国太平洋戦略長官
趣味:お茶
使用言語:スペイン語
英語
宗教:無宗教
概要∶帝国の太平洋戦略担当長官として太平洋地域における諜報、工作の指揮をとる。英国人の血縁。
本名:ミトラスフェーア・ニィル・ヘッヅェルング
年齢:41
身長:168cm
出身地:バレアレス
誕生日:11月24日
経歴:
旧バレアレス王国国務官(2008)
アストゥリアス王国財務長官(2008~2010)
アステシア王国財務長官(2010~2016)
帝国国務省宰相(2016~)
帝国財務省宰相(2019~)
趣味:酒
使用言語:スペイン語
宗教:カトリック
家族構成:夫はクレタ紛争で殉職
概要∶帝国の財務の要。中央銀行で勤務し、若くして退職後は領邦での財政顧問などを務めた。アデレード政権時に宰相府入りを果たし国務宰相、2019年には財務宰相を兼任することとなった。
本名:イリュア・ラムシュタイン
年齢:38歳
身長:165cm
出身地:ボスニア自治区ヘルツェゴビナ・ネレトヴァ県
誕生日:1985年8月30日
趣味:読書
経歴∶
バルセロナ海軍大学(2004~2008)
国営帝国海軍士官学校(2008~2014)
カタルーニャ王国海軍(2014~2016)
帝国海軍地中海方面艦隊(2016~2021)
帝国海軍地中海方面艦隊司令官(2021~)
使用言語:
スペイン語、クロアチア語など
宗教:聖教会
備考∶旧地中海連邦内戦中に激戦地ボスニアで生まれたボシュニャク人。内戦の最中、イベリアへと避難する幼少期のイリュアが乗る移民船団は通りかかった軍閥の艦隊によって護衛され、無事にイベリアへとたどり着いた。その経験から、彼女は海軍へと強い憧れを持ち海軍大学へと進学した。帝国海軍地中海艦隊司令官。階級は少将。
本名:ルッツ・ブルクハルト・コルヴィッツ
年齢:71歳
身長:167cm
出身地:アステシア王国
経歴∶帝国軍総司令官
使用言語:スペイン語
宗教:カトリック
備考∶帝国軍総司令官。第二次連邦内戦においてカタルーニャの武装勢力の一員として鬼神のような活躍を見せ、終戦後に新帝国軍に迎え入れられた。現在はヴォイテクの後任として総司令官を務める。
本名:リュドミラ・ヴィツカヤ・シチェコチヒナ
年齢:32歳
身長:161cm
出身地:カタルーニャ王国フィゲラス
経歴∶
第6自動車化狙撃兵師団
ヴァルハラ小隊隊長
使用言語:スペイン語
宗教:カトリック
備考:帝国陸軍第6自動車化狙撃兵師団に属する狙撃手で帝国最多の214名を殺傷。軍学校を卒業後、故郷のカタルーニャ王国にて従軍し帝国軍第6自動車化狙撃兵師団へと編入された。狙撃兵として部隊で頭角を現しナバラ紛争において反政府勢力ミスリルの幹部であるナディームの確保のため極秘作戦に参加するが、作戦は失敗し皮肉を込めて軍内では「血濡れのリュドミラ」と呼ばれるようになる。戦犯法廷にかけられるがシナノ外務宰相が軍と交渉し、彼女の護衛部隊となるヴァルハラ小隊の創設に携わることとなった。シナノの護衛を遂行する中、情勢の変化に伴い帝国軍に予備役として復帰しクレタ紛争や第一次台湾危機に参加している。
ちなみに結婚はしており、二児の母。何もない休日はブドウ農家である夫の手伝いをしている。
本名:フレデリック・ユッテ・アングスティアス・アステシア=アルヴィース
年齢:28歳
身長:170cm
出身地:ポルトフィーノ王国
経歴∶
使用言語:スペイン語
宗教:カトリック
備考∶アステシア家の分家、アステシア=アルヴィース家の出身でありミヒャエルの長女としてポルトフィーノ王国で生まれる。帝国の多様な言語文化に興味を持ち、地元のポルト国民語学文化大学へ進学し主にカタルーニャ語など地方公用語に指定される言語の研究を行った。現在はオーガスレリア王家のアーデルヘルム・ウイリアムズ王子と結婚し現在はオーガスレリア連合王国にて生活している。政略結婚と噂されたものの、本人たちは裏表なく幸せに生活している。
本名:アデレード・リシュトヴァーン
年齢:65歳
身長:181cm
出身地:クロアチア、シベニク=クニン郡
経歴∶帝国大宰相
使用言語:西、克、英
宗教:東方正教会
備考∶旧シャホヴィニツィア社会主義共和国で生まれた彼は貧しい農民の家系であった。スプリト大学を卒業後、生計を立てるべく新連邦軍へ入隊し二回の連邦内戦に従軍したが、分隊壊滅を期に各地で民族主義勢力へと身を寄せることになった。やがて君主主義勢力の皇帝権へと参加し、帝国の建国へと多大な貢献をした。初代宰相のアルフォンソが退陣した後大宰相となり、現在まで7回も再選を果たしている。
本名:ベアトリス・アリーヌ・マルロー
年齢:44歳
身長:165cm
出身地:南仏
経歴∶
使用言語:英、仏、西
宗教:カトリック
備考∶ヴァーツラフ・ポコルニー校を卒業後、帝国軍へと入隊した彼女はガリシア継承戦争やエーギル危機などで将校として着実に実績を積んできた。その後、特殊作戦群へ転属となり、暴走した異性体の捕獲作戦に参加するも重症を負ってしまう。3年ほどで職務に復帰した際に、軍の対異性体能力不足を指摘し軍上層部へと請願書を提出。同時期に部隊の反乱によって壊滅状態となった第14特務連隊を、外務宰相のヴァルハラ小隊を参考にして再編を行い自身は指揮官として就任した。
本名:アルトゥル・チスチャコフ
年齢:56歳
身長:177cm
出身地:旧連邦
役職:HEGO長官
使用言語:英、西、露
宗教:カトリック
備考:彼のことを呼ぶのに「愛国者」ほど似合う言葉はないだろう。…
軍備関連設定一覧
編集中
ハンザ級駆逐艦×23
ホーエンツォレルン級(フライトⅡ)×21
ホーエンツォレルン級(フライトⅢ)×20
ヴァルキュリアⅡ級ミサイル駆逐艦×23
ロンディニウム級駆逐艦×17
エスターライヒ級駆逐艦×17
上海Ⅰ型駆逐艦×15
デュスノミア級フリゲート×5
MCS715級フリゲート×9
MCS1219級フリゲート×4
デュスノミア(II)級重フリゲート×11
LCS400級フリゲート×11
アドミラル級コルベット×14
アウグスト・フォン・パーセヴァル級可潜航空巡洋艦×3
フリーレン級可潜航空巡洋艦×3
U404型原子力潜水艦×13
U1503型戦略原子力潜水艦×7
U923型原子力潜水艦×15
U1048型攻撃原子力潜水艦×9
U211型攻撃原子力潜水艦×15
ソリテール級車両貨物輸送艦×6
レパルス級貨物揚搭能力強化型輸送艦×3
916型補給艦×4
鏡流Ⅰ級情報収集艦×2
フィヨルズヴァルトニル級×22
サンクタ級作業支援船×9
べリウス級機雷敷設艦×4
ヌル級エアクッション揚陸艇
ポポフ級掃海艇×21
DEX-1211 無人戦闘艇×22
mak-5k 艦上戦闘機
mg-1129 艦上戦闘機
V-19 輸送機
z-41 汎用ヘリ
UV-14 ナハツェーラ 無人戦闘攻撃機
Slu-215 SLUAV
E-1M 早期警戒機
B-15 艦上爆撃機
LW-524 マルチロール戦闘機
som-525 マルチロール戦闘機
Jh-13 戦闘攻撃機
som-723 制空戦闘機
som-928 戦闘爆撃機
Thu-118 早期警戒機
il-820 輸送機
thu-99M2 戦略爆撃機
thu-169 戦略爆撃機
P205M2 対潜哨戒機
F-8 格闘戦闘機
il-28 戦略輸送機
EC505 戦闘ヘリ
Rán 無人要撃戦闘機
alc-44 強襲ヘリ
yk-23 高等練習機
MQS-04 多目的ドローン
Mq-10 無人攻撃機
Uf-24 無人攻撃機
T-21d 主力戦車
T-23 主力戦車
DANA924m1 自走榴弾砲
T-22at 自走対空砲
T-22SPA 自走砲
FT-207 軽戦車
UAZ-1053 汎用車両
AFV10 歩兵戦闘車
M430 5tトラック
T-21esv 工作戦車
M1 105mm野戦榴弾砲
9k09 防空ミサイルシステム
dana924-maz 移動式発射台
自走対艦ミサイル発射機「S1000」
Rad02 汎用AC
BTR205icv 装甲兵員輸送車
BTR205SAM 近接防空機動車
BTR205MEV 野戦病院車
BTR205RC 機動砲車両
BTR205N NBC偵察車
plz-18 自動小銃
IFA-14 自動小銃
Rdf-16 狙撃銃
HeC-II 対物ライフル
plz-19ur 狙撃銃
P313 拳銃
Mp14 短機関銃
MG46 汎用機関銃
IFA-14mg 軽機関銃
企業関連設定一覧
ANH>> 21
IFA>> 22
エレナ·ニーナ>> 23
編集中
英語表記:Idzun National Design Bureau
創設∶2001年
従業員数∶6,000人
主要拠点∶帝国
主要株主∶帝国政府
本社所在地∶ムルシア
国営設計局として2001年に創設された造船企業。造船主体ではなく顧客からの要望を基に、業務提携を行うバルセロナ・ザリツィア造船公社やノース・エスパニョール・マリナー社へ設計案を提供する。
イズン・シスターズに代表される空母設計案が知られる。
英語表記:Pacific Ships Corporation
創設:2003年
業種:船舶建造
従業員数:12,500人
主要拠点:リバティニア
取締役:ダリル・モーリス・コクソン
親会社:
CNBZ>> 161
本社所在地:ホノルル
パシフィック・シップス・コーポレーションは、バルセロナ=ザリツィア造船公社のグループ企業の一つである。主にリバティニアにおける造船事業を手掛けており、民間船舶の他、オーシャニック・パーソナル・グループの委託を受けてリバティニア軍向けにブレイズリーブ級やファプタ級の建造にも携わっている。
冷戦下においても、建造途中だったブレイズリーブ級を帝国軍へ、逆に退役したノイヴィスマル級をリバティニア軍へ横流ししたりと、黒い側面が目立つ()英語表記:Castilla y Leon Advanced Electronic Components Manufactory
創設∶1998年
業種∶電子機器
従業員数∶21,000人
主要拠点∶帝国
本社所在地∶レオン王国
カスティーリャ・イ・レオン先端電子部品製造所は、AI半導体などを製造する半導体受託製造企業。
英語表記:Shiki Industries Co., Ltd.
創設∶1981年
業種∶銃器生産
従業員数∶850人
取締役∶式部文幸
主要拠点∶帝国
本社所在地∶マドリード王国
シキ工業株式会社は、拳銃などを生産する企業。連邦移民系の流れを組む中小企業であり、帝国以外でも顧客を選ばないスタンスが特徴。主力製品である拳銃も顧客の要望に応じたオーダーメイドによる少数生産が主であり、軍への大量生産の際はエレナ・ニーナなどへ委託して行っている。少数生産故に高品質で、政府要人や民間人問わず人気があるそう。式部 文幸 で、旧連邦移民二世にあたる。
現社長は
英語表記:Armada Konzern
創設∶1966年
業種∶天然ガス・原油生産と供給
従業員数∶111,350人
主要拠点∶帝国
本社所在地∶アストゥリアス王国
アストゥリアス王国の石炭事業から発展した石油企業群。天然ガス事業を展開する天然ガス開発公司(INGDC)、主にハンス・ルーデリア製鋼への石炭事業を展開していたカンブリア・カーボンズの2社の合併によって設立された半独占企業。石炭液化技術の実用化によりアストゥリアス王国の低迷していた石炭業へ活況をもたらし、帝国内における天然ガスの独占販売権を獲得した。フェーベと共にアフリカにおけるパイプラインなどインフラ建設を手掛けている。
英語表記:Avance Entreprise
創設∶2023年
業種∶電子機器
従業員数∶21,600人
主要拠点∶帝国
本社所在地∶ボルドー
実業家のエドガルド・セペダ・ドラード、アンナ・エマニュエル・ジョゼット・ラブレー主導の下でGMCから独立した新興軍需企業。複合企業GMCの旧電子機器製造部門であり、レーダー及びその関連機器等の製造を行っていた。
エレナ・ニーナグループに対抗するため、セントリオル・ユニオンへ加盟することを決めた。
アヴァンセは、仏語で"前進する"という意味。
英語表記:Longwei Aviation Industry Group
創設:1988年
業種:航空機製造
従業員数:78,200人
主要拠点:帝国
子会社:
龍門北方工業公司
西班牙航空発動機工業公司
西欧洲航空工業公司
本社所在地:サラゴサ
阮欣怡によって極東で設立された企業だが、民営化に伴い阮がカリーナ・ソフィーア・イルヴァ・クロンクヴィストへと営業権を売却した際に龍威航空工業公司と名称を改められ、本社を国外であるスペインのサラゴサへと移転した。また、同地にて設立したいくつかの子会社と共に龍威航空工業集団という企業グループを形成している。主力戦闘機であるLWシリーズの開発、製造を行っており民間航空機でもそれなりのシェア率を持つ。主力戦闘機Somシリーズを生産するエレナ・ニーナとは競合関係にあり、無人化技術では遅れをとっているため他企業との技術協力の下で差を埋めようとしている。
移転の際に「脱東亜」を掲げ、現在は名前のみに面影を残すのみである。
西班牙航空発動機工業公司(英:Spanish Aviation Motive Industries)
航空機エンジンの製造を行う企業。業界最王手であるアンナエウス・リューリンには及ばないものの、共同開発などでノウハウを蓄積している。
龍門北方工業公司(英:Longmen North Industries Company)
龍威航空工業集団の製品などを輸出する商社。輸出の他、龍威航空工業集団の生産財の輸入も担当している。
西欧洲航空工業公司(英:Western European Aviation Industries)
ミサイルなど航空機向けの武装を開発している企業。
英語表記:North espanola mariner
創設∶1964年
業種∶造船
従業員数∶12,700人
主要拠点∶帝国
本社所在地∶ア・コルーニャ
軍向けの潜水艦やコルベット、民間向けの中型船を建造している造船企業。旧連邦時代まで多数の主力艦を建造してきたが、内戦による造船所の破損や帝国政府の提示した新規格への適応を渋ったことによる技術的遅れによりシェアの多くをバルセロナ・ザリツィア造船公社へと奪われることとなる。長い間業績が低迷し買収すら噂されたものの、帝国の発展に伴う輸送船需要の拡大に乗り、客船や貨物船など民間船舶の建造と修理事業である程度の利益を維持し買収を回避。さらに軍の潜水艦隊構想に参加し、これまで建造してきた技術を生かし多数の潜水艦を軍へと納入し、業績とコネクションの回復を果たした。現在は海外進出を計画し、チェコクリパニア連邦に支社を設置している。
英語表記:Palatinate Aircraft Manufacturing Joint
創設:1952年
業種:航空
従業員数:14,000人
主要拠点:帝国
本社所在地:アリカンテ
独裁政権時に設立された航空機修理工場を前身とする航空機メーカー。株式上場後、航空機の完全自社生産を掲げており機体に関しては自社生産だがコストやノウハウなどの関係からアビオニクス類はGMCの電子機器部門(現アヴァンセ・アントルプリーズ>> 268)へ、エンジン類はアンナエウス・リューリン>> 128へ委託している。
旅客機など民間機の製造が主だが、帝国軍や諸王国軍向けに輸送機や単発小型かつ格闘性能に重きを置いた戦闘機を開発している。
英語表記:
創設:1944年
業種:造船
従業員数:9,500人
本社所在地:ポルト
正式名称は「ポルト船舶機械工学・修理工廠」。旧ポルトガルで創業した造船企業であり、ポルトガルがモルトラヴィス帝国の領邦となった後に競合他社との競争を避けて船舶修理事業へ転換した。帝国海軍と艦艇修理を契約しており、中でもCNBZを除くと原子力艦艇の修繕や燃料交換を行える唯一の企業となっている。
国内関連設定一覧(仮称)
編集中
主家:スヴァルケル家
創設:14世紀
家祖:スヴェン=エーリク
現当主:エーレス
民族:スウェーデン人
分家:なし
ハプスブルク家のスペイン統治時、スヴァルケル家のスヴェン=エーリクの子ヨーン=エーリクがスペインへ渡りエリューデヴァルト家のエルヴィーラと結婚した。パトリックは生涯を外洋航海に注ぎ、ゴットフリッドが香辛料などの貿易に着手して多くの利益をイサベラ家へともたらした。以降、商人として富を蓄えつつスペイン領にて勅許会社の特権や貴族位を獲得しイサベラ家の地位を強固なものとした。近代となると、勅許会社はニーアライツ財団(現在のニーアライツ・グローバル・コーポレーション)として民営化し、現在までその形を保ち続けている。
血統を重視しており歴史ある家系のみとしか子を残さなかったが、現当主のエーレス・フォン・イサベルティアの配偶者シグルドゥル・ヴィルヘルミーナ・エルフフォーシュが一般人との不倫で2人の子をなした。結果的にエーレスが離婚、シグルドゥルとその子供共々追放した(血縁闘争)。
<エーレス本家>
エーレス・フォン・イサベルティア
ロッフェ・カッレ・アルヴァー・フォン・イサベルティア
マルグレーテ・ギュードゥルン・アクセリナ・フォン・イサベルティア
<シグルドゥル分派>
シグルドゥル・ヴィルヘルミーナ・エルフフォーシュ・フォン・エリューデヴァルト
アストリッド・ロヴィーサ・エレオノーラ・グン=ブリット・エイデシュテット
シュルヴィア・ニナ・エレオノーラ・アンナ=リーサ・ベールヴァルド
デゲンハルト・ルードヴィグ・アシェル
グスタフ・テーム・ベールヴァルド
アナスタシオ・ターヴェッティ・ベールヴァルド
主家:スペイン・ハプスブルク家
創設:16世紀
家祖:
トラウゴット・フォン・ペータルブルク
現当主:サビーネ・フォン・アステシア(11代目)
民族:ドイツ系スペイン人
分家:
アステシア=アルヴィース家
アステシア=ノルド家(断絶)
アステシア=スピーナ家(断絶)
エリューデ=ヴァルト家
アステシア=フルヴァツカ家(断然)
現モルトラヴィス帝国の帝室。正式名称は「アステシア=アブスブルゴ家」または「ハプスブルク=アステシア家」である。家祖であるトラウゴットがアンダルシア(現アステシア)を領地として、アステシア伯爵と名乗り始めた。
5代目伯爵だったフォルラート・シュテファン・フォン・アステシアが「アステシア伯爵聖冠」と称して作らせた冠、6代目伯爵のコルネリウス・フォン・アステシアの「聖剣」は現在の帝国にも引き継がれ、サビーネ帝の即位式典等で一般にお披露目された。
8代目伯爵のホルスト・フィリップ・フォン・アステシアの崩御後から度重なる戦争など時代の流れでアステシア家による支配体制も薄れ、時の伯爵ウルリッヒは伯爵位を教皇庁へ返上し商工業者として趣味のガラス細工を生業とするようになり歴史からその名前は消えていった。
地中海連邦が崩壊し内戦が始まると、君主主義組織「皇帝権」によって血筋からヴァイオレット・フォン・アステシア、ディートリヒ・フォン・アステシアが見つけだされ9代目伯爵を名乗りアステシアの地の奪還を宣言した。(プーラの誓い)
1990年にアステシア家が南部スペインに帰還し、モルトラヴィス帝国ヴァイオレット朝を創始するが、皇帝権との食い違いにより自主退位。1991年3月12日にディートリヒが皇帝権と共にエレクシア(ジブラルタル)を陥落させ、10代目伯爵を名乗るとともに内戦終結宣言、アステシア朝の創始を宣言した。(エレクシア宣言)
2021年にディートリヒが崩御しノルド家が断絶すると本家のザビーネが11代目伯爵となり戴冠を受け現在に至る。
〈ヴァイオレット系〉
ヴァイオレット・フォン・アステシア(死亡)
サビーネ・パトリツィア・ルートヴィッヒ・フォン・アステシア
エリザベート・ローザリンデ・ペトロネラ・フォン・アステシア
〈ボニファティウス系〉
ボニファティウス・コルネリウ・フォン・アステシア
ランプレヒト・ウルリッヒ・フォン・アステシア
オーギュスト・ヨゼフィーネ・フォン・アステシア
イゾルデ・フォン・アステシア
〈ディートリヒ系(断絶)〉
ディートリヒ・フォン・アステシア=ノルド(死亡)
エルベスティア・リューリ・シャホヴィニツィア(死亡)
ジークヴァルト・フォン・アステシア=ノルド(死亡)
■…皇帝/皇帝経験有
帝国の国家行政機関。1991年に行政監督府、国務省、復興省、貿易省、移民省、軍務省、情報省、宣伝省、外務省、法務省、産業省の1府10省で設立された。1995年に移民省が、2005年に復興省が業務を終えて解体され、2022年に国務省から財務省が独立したことで現在は1府9省となっている。
帝国議会より選出された大宰相が党内ないし専門家を招集し組織するものとしている。
大宰相:ルミナス・エルネスティーネ
大宰相補佐官:パトリック・デュンヴァルト
外務宰相:シナノ・リン・ジュスティーヌ
国務宰相・財務宰相:ミトラスフェーア・ニィル・ヘッヅェルング
宣伝宰相・情報宰相:シュルヴィア・ニナ・エレオノーラ・アンナ=リーサ
法務宰相:ノイ・ヴァルデマル・ディードリク
産業宰相:バレリオ・デ・ロス・リオス
軍務宰相:ルシアノ・エチェバルリア
貿易宰相:ドミトリー・ザハーロヴィチ・リトヴィンツェフ
〈アステシア家〉
〈アステシア=アルヴィース家〉
〈イサベラ家〉
帝国専門用語一覧
セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、ボシュニャク人など旧連邦においてバルカン半島領に住み、内戦中にスペイン領へ移民してきた人々の総称。
一般には旧エーギル自治領を指す。
帝国の構成領の一つであり現在はバレアレス王国と統合されたが、依然として立ち入りは禁止されている。正確には深海教なる宗教を信仰する人々の居住地域を「エーギル自治領」としている。
アステシア家、アステシア=アルヴィース家、イサベラ家のこと。帝国内において、大きな権威を誇る。エリューデ・ヴァルト家、ヴァルナ家も含め五大君、アステシア=ノルド家、シャホヴィニツィア家を含め七大君と呼ばれることもあるが、一部の家系は断絶ないし不祥事などで権威が失墜したために三大君と呼ばれるのが一般。三大公、三王庭など呼び名は様々。
権威の失墜した王族などに対する非公式の制裁行為。帝国親衛隊や帝国特殊作戦軍などによって実施され、ヴァルナ家やエリューデ・ヴァルト家などに執行され、その惨状は悲惨なものとなっている。
継承権については1994年制定の帝位継承法(王位継承を性別によらないものとし、王族の婚姻に関する規定を設ける等の法律)にて皇帝の継承は、世襲王制かつ絶対的長子相続制をとるものとしている。
ディートリヒ帝の死後、その妻と息子は既に死亡していたため本家であるヴァイオレットへと継承権が移った。しかし、すでに病気で衰弱しつつあったヴァイオレットは継承しても長くはもたないとみられており、ボニファティウス系は継承権の放棄を突如として表明したことで、ボニファティウス系とヴァイオレットを除くアステシア家の長子であるサビーネ(当時17)が皇帝として即位することとなった。
2023年にアステシア家で継承権を保有する人物が少なくなったことを受けて、分家にあたり距離の近いアステシア・アルヴィース家が継承権順上位に躍り出ることになった。
第一位:サビーネ・パトリツィア・ルートヴィッヒ・アステシア
第二位:エリザベート・ローザリンデ・ペトロネラ・フォン・アステシア
第三位:クヌート・ゼバスティアン・フォン・アステシア=アルヴィース
第四位:ミヒャエル・クサーヴァー・エトガル・アウグスティーン・フォン・アステシア=アルヴィース
第五位:フレデリック・ユッテ・アングスティアス・アステシア=アルヴィース
第六位:ユリアン・バルナバス・オイゲン・トラウゴット・アステシア=アルヴィース
第七位:リーゼロッテ・クリスティーナ・ヴァーレリー・フォン・アステシア=アルヴィース
ホームガードとも言われる、帝国の宰相が個々人で資産を投じて組織している私設部隊。旧連邦等で、政府高官の暗殺が相次いだことで抑止力として初代大宰相アルフォンソが組織したことが始まり。
現役軍人の雇用禁止、20人以上の保有禁止、航空機や軍艦、戦車等の保有禁止など制限がある。なお、シナノ外務宰相の組織するヴァルハラ小隊についてはグレーゾーンなのだとか。
・ヴァルハラ小隊
帝国外務省特別保安任務部隊。外務宰相であるシナノが組織する護衛部隊。
・宣伝省行動課
前宣伝宰相のアシュトン・ジャスパー・クロフが宣伝省内で設立した護衛組織。現宣伝宰相であるシュルヴィアもこれを引き継いで運用している。
旧連邦軍で愛されていた果汁飲料。
オレンジや洋ナシ、ブドウなどを混ぜたミックスジュースのようなもので、柑橘類特有の甘みとすっぱさ、喉越しが特徴。
第二次連邦内戦では、数少ない嗜好品として主な生産を担っていたスペイン領にて重宝され、帝国に統治が変わったあとも連邦軍に属していた退役軍人などによって広められた。
現在では軍施設の売店や空母の食堂でも買うことができる。「ナランタスは0.9テラで買えるんだ!」というキャッチコピーを知らない帝国軍人はいないほど。
名前の由来はオレンジのスペイン語「ナランハ」とフルーツの複数形「フルータス」を混ぜた造語。
〈ミトラ・ナランタス〉
北方艦隊旗艦ミトラで販売されているナランタス。軍標準品のナランタスを炭酸で割ったシンプルなもの。通称ミトンタス、販売価格は0.9テラとお手頃。
〈ナランタス(ノーマル)〉
カトンリネフーズが製造するナランタスで、軍人以外で手に入れられるナランタスの一つ。旧連邦製や軍向けよりも酸味が強く、ほんの少し甘みが抑えめなのが特徴。
軍事設定一覧
〈本土艦隊〉
司令官∶アストリッド・ロヴィーサ・エレオノーラ・グン=ブリット大将
総旗艦∶戦艦ブリュンヒルデ
司令部∶エレクシア
〈大西洋艦隊〉
司令官∶ベニート・サラサール中将
総旗艦∶空母ルシフェロ
司令部∶リスボン
〈地中海艦隊〉
司令官∶イリュリア・ラムシュタイン少将
総旗艦∶空母ホルハイヤ
司令部∶バルセロナ
〈北方艦隊〉
司令官∶ジャン=バティスト・ド・リール中将
総旗艦∶空母ミトラ
司令部∶ア・コルーニャ
〈中東方面艦隊〉
司令官∶ターラ・ジョハンナ・コレット少将
総旗艦∶空母大豊
司令部∶ウンム・カスル
総艦艇保有数:448隻
戦艦:20隻
空母:20隻
軽空母:6隻
強襲揚陸艦:8隻
可潜航空巡洋艦:6隻
巡洋艦:45隻
駆逐艦:109隻
潜水艦:56隻
フリゲート:39隻
コルベット:14隻
補給艦:4隻
輸送艦:22隻
作業支援船:9隻
情報収集艦:2隻
機雷敷設艦:4隻
エアクッション揚陸艇∶41隻
掃海艇∶21隻
無人戦闘艇∶22隻
創設∶1991年
旗艦∶ルシフェロ級
司令官∶
ヒルデベルト・フュルヒテゴット中将
船体接頭辞∶ESBMA
総艦艇数∶76隻
大西洋艦隊司令部(在リスボン)
∟第5艦隊
∟第50空母打撃群
∟第51空母打撃群
∟第52水上戦闘打撃群
∟大西洋艦隊兵站群
∟第6艦隊(在リスボン)
∟第60空母打撃群
∟第61水上戦闘打撃群
∟第62水上戦闘打撃群
∟第63遠征打撃群
∟第10艦隊(在マデイラ)
∟第103戦略潜水打撃群
∟第13艦隊
∟第130空母打撃群
∟第131水上戦闘打撃群
∟第132遠征打撃群
〈詳細〉
戦艦×7
戦航支艦×1
空母×4
強襲揚陸艦×2
巡洋艦×9
駆逐艦×30
可潜航空巡洋艦×2
潜水艦×8
補給艦×1
輸送艦×7
設立∶1997年
旗艦∶ミトラ(ヘルタ級)
司令官∶
クィト・ラ・ヴェンセスラス中将
船体接頭辞∶ESBMN
モットー∶大海を割れ
総艦艇数∶35隻
北方艦隊司令部(在ア・コルーニャ)
∟第7艦隊
∟第70空母打撃群
∟第71水上戦闘艦隊
∟第72水上戦闘艦隊
∟北方方面艦隊兵站群
∟第8艦隊
∟第80水上戦闘艦隊
∟第81遠征打撃群
∟第11艦隊
∟第110予備艦隊(モスボール)
<詳細>
戦艦×7
空母×3
強襲揚陸艦×1
巡洋艦×5
駆逐艦×10
潜水艦×2
補給艦×2
輸送艦×6
設立∶1992年
旗艦∶ブリュンヒルデ
司令官∶
アストリッド・ロヴィーサ・エレオノーラ・グン=ブリット大将
船体接頭辞∶ESBMI
モットー∶沃土よ巌よ、立ち上がれ
総艦艇数∶60隻
本土艦隊司令部(在エレクシア)
∟第1艦隊
∟第10空母打撃群
∟第11空母打撃群
∟第12水上戦闘艦隊
∟本土艦隊兵站群
∟第2艦隊
∟第20空母打撃群
∟第21水上戦闘艦隊
∟第22遠征打撃群
∟第9艦隊
∟第91戦略潜水艦隊
〈詳細〉
戦艦×4
空母×3
強襲揚陸艦×1
巡洋艦×6
駆逐艦×23
可潜航空巡洋艦×2
潜水艦×12
補給艦×1
輸送艦×3
設立∶1991年
旗艦∶フェシリー
司令官∶
イリュリア・ラムシュタイン少将
船体接頭辞∶EBSMM
モットー∶友の手をとれ
総艦艇数∶62隻
地中海艦隊司令部(在バルセロナ)
∟第3艦隊
∟第30空母打撃群
∟第31空母打撃群
∟第32水上戦闘打撃群
∟地中海方面艦隊兵站群
∟第4艦隊
∟第40空母打撃群
∟第41水上戦闘打撃群
∟第42戦略潜水打撃群
∟第12艦隊
∟第120空母打撃群
∟第121水上戦闘打撃群
∟第122遠征打撃群
<詳細>
戦艦×6
戦略航空支援艦×1
空母×5
強襲揚陸艦×1
巡洋艦×8
駆逐艦×30
可潜航空巡洋艦×2
潜水艦×13
輸送艦×3
設立∶2024年
旗艦∶大豊
司令官∶ターラ・ジョハンナ・コレット少将
船体接頭辞∶MESD
モットー∶情けは人の為にならず
総艦艇数∶18隻
地中海艦隊司令部(在バルセロナ)
┗中東艦隊司令部(在ウンム・カスル)
┗第14艦隊
┗第1401空母打撃群
┗第1402遠征打撃群
┗地中海方面艦隊兵站群分隊
<詳細>
空母×2
強襲揚陸艦×1
巡洋艦×2
駆逐艦×7
潜水艦×2
補給艦×1
輸送艦×3
帝国軍の対外軍事行動が増えるにつれて、遠方における作戦が増加したことで補給や輸送能力の不足が顕著になった。帝国海軍はこれまで主力艦隊が個別で保有していた兵站群とは別に補助艦艇をまとめた艦隊を編成し、それが「支援艦隊」にあたる。
後方支援群
創設∶2024年
旗艦∶ソリテール
司令官∶
船体接頭辞∶
総艦艇数∶44+9隻
支援艦隊を構成する一部隊。補給や海上輸送、後方支援(救難、ケーブル敷設など)、特殊任務(測量、ミサイル追跡、情報収集など)を担当するため、輸送艦や補給艦、その他特務艦を運用する他、護衛艦をいくつか抱えている。
軍事後方支援司令部(在バルセロナ)
∟第1情報収集戦隊
∟第2海上事前集積船隊
∟第3海上事前集積船隊
∟第4海上事前集積船隊
∟第5支援群護衛艦隊
<詳細>
巡洋艦×6
駆逐艦×8
フリゲート×5
潜水艦×1
情報収集艦×2
輸送艦×9
大型輸送艦×9
揚陸支援群
創設∶2024年
旗艦∶イズン
司令官∶
船体接頭辞∶
総艦艇数∶37+20隻
支援艦隊を構成する一部隊。大規模な上陸作戦を展開するため多数の揚陸艦を抱える他、上陸部隊として独自に海兵隊を有するため揚陸支援群のみでも揚陸作戦を展開できる。
<詳細>
戦艦×2
空母×1
軽空母×2
強襲揚陸艦×9
巡洋艦×9
駆逐艦×16
部隊設定一覧
創設∶2019年
人員数∶6人?
軍種∶私設護衛部隊
隊長∶リュドミラ・ヴィツカヤ(33)
所属∶帝国外務省
参加戦役∶クレタ紛争、エーギル危機
外務宰相であるシナノが組織する護衛部隊。
本人の護衛任務よりも、彼女のパシリや汚れ仕事の痕跡抹消などのほうが多い。正式名称は「帝国外務省特別保安任務部隊(英:Imperial Foreign Ministry Special Security Task Force)」であるが、ヴァルハラ小隊の方が知名度が高い。
部隊は狙撃戦に重きをおいており、護衛任務においても姿を現すことがないため一部では都市伝説のように語られる(なお、帝国政府は小隊の実在について認めていない)。
非公式とはいえ、戦犯法廷で裁かれかけた軍人や反政府ゲリラ、外人部隊の隊員など構成員の経歴はどれも異色である。
リュドミラ・ヴィツカヤ(隊長)
帝国陸軍第6自動車化狙撃兵師団所属。上等兵。
フイ・グスタヴォ
帝国陸軍第3戦車師団所属。一等兵。
ヨハンネス・ローデヴェイク
元SULF(反政府組織)メンバー。
イェルド・ディヴェケ
ヴァーツラフ・ポコルニー校卒の学生。
アガーフィヤ・イリイーニシュナ・ミロスラーヴァ
元帝国特殊作戦軍第124独立特務連隊所属。二等兵
ルェン(非公式)
無職()
・G1043
エレナ・ニーナが自社グループ企業向けに開発したアサルトライフル。
・HeC-II
対物ライフル。
・P313
シキ工業製の拳銃。自衛用。
・Rdf-16
クラップ・スラーウ社製の狙撃銃。古き良きオールドモデル。
創設:1998年
人員数:28人→24人
軍種:特殊部隊
隊長:ベアトリス・アリーヌ・マルロー
愛称:ベアトリス連隊
所属:帝国特殊作戦軍
1989年に皇帝権によって組織された民兵部隊「Erbsünde(エルブズュンデ)」の名前を引き継いだ部隊。ナバラ紛争において脅威となった反政府勢力の重要人物の暗殺などを目的に、Erbsündeの旧構成員を中心に旧連邦移民系によって再編された経緯を持つ。その経緯から、ナバラ紛争後も各地で暗殺任務を主体に受け持つようになった。
正式名称は「第14特務連隊」。
2024年1月に二コラ指揮の下で旧中華連邦(現在の中華王国)台北市の連邦ビルを襲撃したが部隊は壊滅。帝国軍では反乱として処理されカバーストーリーを実行、ベアトリス・アリーヌ・マルロー少尉の下で、4月に対異性体戦闘に特化した部隊へと秘密裏に再編が行われた。
〈M223〉
創設∶1993年
人員数∶1人
軍種∶独立特設部隊
隊長∶削除済み
所属∶帝国特殊作戦軍
第223臨時特務予備連隊。連邦内戦後、旧連邦軍とイベリア半島勢力軍の再編のために創設された部隊。
〈M168〉
創設∶2019年
人員数∶2人
軍種∶独立特設部隊
隊長∶削除済み
所属∶帝国特殊作戦軍
第168臨時特務予備連隊。ナバラ紛争後に反政府軍の内、帝国軍に投降した戦闘員を再編するために臨時で編成された部隊。
帝国史
16世紀にボジヴォイ・シュテフカがシサクの戦いにて功績を上げ、その功績から皇帝からホジヴォイへクロアチア伯の称号を与えられ、同地はクロアチア辺境伯領として成立した。クロアチア辺境伯は異教徒に対する防波堤としての役割を果たし更に略奪で荒廃した地区の再建を行っていった。その中で、各地に城塞都市が築かれプーラに公宮を置いた。バニャ・ルカの戦いにて異民族を撃退、ボスニアへと進出して領域を拡大しホジヴォイは教皇から戴冠を受けてシャホヴィニツィア王を名乗り、シャホヴィニツィア王国を建国した。依然としてイスラム勢力の脅威にさらされ続ける南方は軍政国境地帯としてキリスト教圏の防波堤としての役割を果たし続けた。
18世紀にはイスラム勢力のヨーロッパ進出はなくなり軍政国境地帯は王国へと編入され、城塞は次々と解体された。長らく王国の中心地にあったプーラはイグナーツ・ヴィクトラ(イグナーツ3世)の国策の下で大規模な都市改造が行われた結果、城壁が解体され環状道路が整備された。道路の整備などによりプーラ市街地は拡大し農村部からの人口流入により文化が発展していった。
世界大戦では歴史的な関係から中央同盟国側で参加し、セルビアを攻撃したものの1918年に敗戦。ザグレブ条約によりボスニアの一部を喪失したものの国体は維持された。戦争を主導したとしてイグナーツ4世が断頭台で公開処刑され、生後6か月のレオシュがイグナーツ5世として即位し成人するまでの間、ドイツ系のエアハルト・ヨアヒム・ローゼンシュティールが摂政となり政治を執り行うこととなった。しかしドイツ系を優遇する政策が多く、1924年に不満を募らせた王国軍第2師団が反乱を起こしプーラへと進軍する事態が発生し、鎮圧のため動いた軍がプーラを包囲すると混乱は全土へと拡大した(大反乱時代)。
混乱の収束のため軍を増強せざるを得ず、反乱は鎮圧されたものの軍の発言権が大きくなり政権は軍の意見を無視できなくなった。エアハルトは摂政を辞することを余儀なくされ近衛師団の推薦するヴァシリー・カリャーギンが1932年に摂政に就任した。元軍人のヴァリシーは大シャホヴィニツィア主義を提唱し軍備増強と工業化を推し進めた。体制に反対する人物に対しては治安維持法などを制定して逮捕するなど強権的な政策が目立つようになる。
1939年に世界大戦へと参加し大シャホヴィニツィア主義実現のためセルビアやバルカン半島南部へと侵攻した。初戦では優位に戦いを進め1940年にベオグラードを陥落させセルビア全土を、アルバニア北部まで領土を拡大させるもフリストフォル・セレズニョフ率いる共産ゲリラやセルビア人ゲリラとの散発的な戦闘により拡大は鈍化し徐々に劣勢となった。1943年にフリストフォルが中心となり正統な権利評議会(英:Legitimate Council of Rights)を結成し、セルビアやアルバニアを解放する連合国軍と協力してシャホヴィニツィア軍などと戦った。1945年にはプーラを解放し公宮を包囲し降伏を迫りイグナーツ5世は流血を避けるためにこれに同意し近衛師団と共に降伏した。イグナーツ5世降伏以降も各地で軍の抵抗が続いたが、6月末までには王国は無条件降伏した。
1945年にLCRがプーラを解放し、フリストフォルがシャホヴィニツィア立憲王国の建国を宣言し連合国側に鞍替えした。世界大戦が終わるとフリストフォルは東側諸国の支援の下で社会主義国の建国を目指し、反対するヴァリシー政権とその支持者の粛清を強行した。さらにイグナーツ5世に退位を迫ったが、これを拒否するイグナーツ5世は近衛師団と共に反乱を起こしたが公宮での籠城戦の最中でイグナーツ5世は崩御し反乱は失敗した(イグナーツの反乱)。シャホヴィニツィア最後の君主の崩御により、王家は滅亡しフリストフォルは立憲王国を解体しシャホヴィニツィア社会主義共和国の建国を宣言した。企業の国有化、集団農業など社会主義的な政策を推し進めて国力増強を図った。またいくつもの国家共同事業が進められ発電所や工場、ダムなどが建設された。一次大戦後に失った領土の回復のため、1951年にボスニアへと侵攻するも全土を掌握するには至らず年内にボスニアから撤退した。
LCRの一部はフリストフォルの強権的な姿勢を非難し、プーラから離れカルロヴァツに抵抗の拠点を置いた。カルロヴァツは反逆者の収容区があり、離脱した勢力はひそかに接触を図りつつ支持者を集めた。1955年に自由連合軍(英:Free Coalition Forces)を結成しフリストフォル政権に対抗した(反共抗争)。
1963年に賃金引上げに対するデモ運動がヴェリカ・ゴリツァを行進した。デモ行進に学生や労働者達が参加し規模を徐々に拡大、更に賃金引上げに収まらず民主化を求める運動へと変容した。政権は警察や軍を動員してデモ行進を妨害、一部が暴徒化し紛争が発生(ヴェリカ・ゴリツァの惨劇)。政府はヴェリカ・ゴリツァに非常事態宣言を発布したが混乱は収まらず、地方報道局がヴェリカ・ゴリツァの惨劇を報道し政府への不信感はより深まることとなりこの情勢に乗じて自由連合軍は支持を集めてプーラを占拠、政府機能を掌握した。自由連合軍は民主党や共産党、軍上層部と交渉してフリストフォルらを逮捕して、共産党と民主党の連立政権のイリュリクム臨時政府を樹立、自由連合軍と軍は各地の混乱収束に努めた。
フリストフォルの後任には穏健派のチムール・レオーノフが共産党書記長として任命され、評議会に承認された。チムールと評議会の決定に基づきフリストフォルと軍指導者ら8人は裁判にかけられた。イグナーツ5世の殺害やヴェリカ・ゴリツァの惨劇などの犯罪により死刑判決を言い渡され、死刑はその日のうちに執行された。チムール政権は1963年中に国民総選挙を実施し、民主党と自由連合軍の合併により誕生し国民の支持を受けた民主・自由党が単独政権を成立させた。民主・自由党党首であるヴコール・ムズィカンツキーが書記長へと就任し、社会主義の終焉と共にシャホヴィニツィア連邦の成立を宣言した。
ヴコール政権は、資本主義に準ずる経済政策を共産党時代の経済システムを少しずつ置き換えていく形で進めていった。1964年に連邦民憲章が施行され、イストリア、スラヴォニア、ダルマチア、パンノニア、北ボスニア、スロヴェニア、東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム地区の7つの地域からなる連邦国家となり、連邦としての首都はザグレブに置かれプーラにはダルマチア共和国の首都がおかれた。労働者不足を補うべく各国からの移民の受け入れ、外国資本の積極的な誘致、インフラ整備などにより1966年から1973年にかけての急速な経済成長が齎された。北ボスニアの領有権を巡る第二次西波戦争では、戦局を優位に進めサラエボを攻略。親シャホヴィニツィア政権を樹立し、1972年に連邦へと加盟した。
連邦にもたらされた経済成長と特需の影響からヴコール政権は支持率を伸ばし、1973年まで3期にわたって政権を維持した。しかし1973年の石油危機によって主要産業である機械製造業、食品加工業が大打撃を受けたことで経済成長は失速。政権は補助金などで対策を打ち出したものの後手に回り急速に支持率を失った。ヴコールの退陣後に大統領となったユーリー・ブリノフの経済対策も失敗に終わり財政難が加速、軍事費の削減を行ったことで軍部の不満を煽った。1974年にアドリア海艦隊旗艦ジェリコの乗組員が賃金未払いを理由に反乱を起こし、艦隊の水兵などを率いてプーラを占拠し救国軍事評議会を設立してダルマチアとイストリアを掌握した(8月クーデター)。救国軍事評議会はイリュリア国民政府を名乗りユーリー政権が維持する領土へ侵攻し内戦へと発展した(第一次連邦内戦)。ユーリー政権軍は諸国からの支援を募りつつ抵抗し、欧州諸国などの仲介を受けてカシュテラ合意を締結して停戦。国民政府とユーリー政府の連立政権設立で合意したものの、翌年に合意を破棄してユーリー政権がプーラやスプリトを奪還し、1978年のドゥブロヴニクの戦いを経てアドリア海艦隊は一部を除いて自沈し国民政府は降伏した。ユーリー政権は救国軍事評議会を追放し、野党第一党であった社会民主同盟との連立政権を成立させ国民の不満の払拭を図った。さらに不満を反らすべく、諸外国へ「地中海連邦構想」を発表し地中海沿岸諸国による国家連合設立を目指した。
1979年にユーリー連立政権は、スペインのロドリゴ・パルティダ政権と交渉し経済連携協定、共同事業計画、技術提供などを立て続けに締結し準備作業を進めた。1981年に10年後の国家統合を見据えてアリカンテ条約を結び、地中海連邦を成立させた。各国の政権はそのままに、上位組織として統一政権を設立し統一大統領が地中海連邦の元首となり、初代統一大統領にはベネディクト・ララサバルが就任した。ただ、多民族を抱えていることに配慮して統一大統領府への全面的な政治権限意向は見送られ、ユーリーとロドリゴによる連立政権が両国間の調整役となり政治を執り行うこととなった。翌年のモナコ協定による越境規制の廃止、ザグレブ議定書による統治機構の再編などを締結し、一国二制度体制から一国化を推し進めていった。1984年にスペインの構成領(二等国)であったガリシアとカタルーニャをシャホヴィニツィアやスペインと同じような連邦構成国(一等国)へと昇格させるよう連邦評議会へ議題として提出され、ガリシアとカタルーニャは共和国として一等国への昇格を果たした。翌年にはシャホヴィニツィアの二等国であるボスニアも連邦評議会へ議題を提出したものの、賛成するスペイン首相や統一大統領などの勢力を押し切ってシャホヴィニツィア首相のボフスラフ・シマーチェクと与党勢力が反対し否決させた。これに対してボスニア世論は反シャホヴィニツィアの様相を強めるようになり、1985年にサラエボで開かれた統一憲法改正記念式典中に反シャホヴィニツィアを掲げる武装勢力による銃乱射事件が発生し、ボフスラフや統一大統領など重鎮、民間人などが多数犠牲となった(サラエボ銃乱射事件)。警備部隊は武装勢力を逮捕し、ボスニアにて裁判を開いた。裁判はシャホヴィニツィア側の圧力もあり全員死刑を決定し、死刑のためシャホヴィニツィア政府へ引き渡すようにボスニア自治政府へと要求し、ボスニアは引き渡しに応じざるを得なかった。ボスニアの弱腰に対して各地で暴動が発生し、暴動鎮圧を名目にシャホヴィニツィア政府は軍を独断で派遣した。統一政府はシャホヴィニツィアに対して軍の撤退を再三要請したがシャホヴィニツィア首相ザハリアーシュは強硬姿勢を崩さなかった。独断での軍派遣に反発する形でボスニアの暴動はさらに拡大し、民族問題へと発展した(ボスニア暴動)。
ボスニア暴動に始り、セルビア人が蜂起し派遣された部隊の一部が離反するなど軍の士気は崩壊しシャホヴィニツィア方面軍は再起不能に陥った。
シャホヴィニツィア方面軍が再起不能となり部隊が散り散りになると略奪行為や反乱が相次ぎ、バルカン情勢は更に悪化した。ザハリアーシュはザグレブにいたところを統一政府側に残留した第5師団に捕らえられその場で処刑された。ボスニア地域を完全に失陥し無政状態化すると、第5師団はザトゥーリン臨時政権を組織して敗走する部隊や親政権の武装勢力を吸収しクロアチア地域の治安維持に努めた。スペイン政府は旧シャホヴィニツィア領に在留するスペイン人などの避難を優先し軍民問わず徴用して避難船団(移民船団とも呼ばれた)を組織したが、海賊化した海軍や武装勢力の襲撃に会うこともあり損害は無視できなかった。対象にならなかった人々も紛争地域から逃れるべく船団の寄港するドゥブロヴニクやスプリト、プーラへと殺到した。
ザトゥーリン臨時政権は1985年末までクロアチア地域で優勢を守り続けたものの、部隊の消耗と頻発するゲリラの襲撃に耐えられず戦線を後退させクロアチア圏での影響力を保てなくなり1986年に崩壊した。以降旧シャホヴィニツィアにて強い影響力を持つ勢力はいなくなり多数の軍閥などが「連邦の正統な後継者」を自称して群雄割拠する状態となった。スペイン領でも民族運動が本格化しカタルーニャ共和国が連邦からの離脱を問う国民投票を統一評議会を通さずに行い87%が賛成した。独立を阻止すべく軍を派兵したがバルカン領や各地の民族運動への対応のため十分な部隊を動員できず、阻止したがカタルーニャ軍との散発的な戦闘は続いた。ガリシア、ナバラなどはカタルーニャに続く形で独立宣言を行うが、いずれも連邦軍の介入を招き戦争を拡大させた。
1982年にスロベニアのトールミンにてマンフレード・メアッツァが君主守護騎士団を設立し、シャホヴィニツィアに王権を再興すべく活動を開始した。ただ行動が過激すぎた故にスロベニア当局に暗殺者を差し向けられ殺されかけると、態度を改めてトールミンから辺境のイェセニツェへ本部を移動した。内戦勃発以降、民族浄化などに心を痛めた彼はいち早く正統かつ強力な政府を立ち上げ、内戦を終わらせるべく血縁者の捜索を行ったものの、イグナーツ5世以降血筋は途絶えており王政復古を断念した。諦めかけていたマンフレードはたまたま立ち寄った酒場にて、スペインで領主を輩出していたアステシア家のヴァイオレットと出会った。シャホヴィニツィア家が仕えていたハプスブルク家の分家たるスペイン=ハプスブルク家の血筋であるアステシア家に生涯をささげることを誓ったマンフレードは、ヴァイオレットのスペインへの帰還を支援することとなった。
1987年にマンフレード率いる君主守護騎士団は、クロアチアのプーラにてアデレードと、ヴァイオレットの兄弟であるディートリヒらと合流して規模を拡大させ皇帝権へと名称を変更した。スプリトにて旧海軍勢力の協力を取り付けて移民船団と共にイベリアへたどり着き、現地戦力との戦闘を行いつつジブラルタルを目指した。1989年に皇帝権といくつかの武装勢力が共にグラナダへと突入し、駐留する旧連邦軍との戦闘が起こり大きな被害を被ったもののグラナダの占領は達成された。マンフレードはヴァイオレットを君主としてグラナダにて戴冠式を行いモルトラヴィス帝国ヴァイオレット朝の成立を宣言し、連邦の後継者として発表した。マンフレードは大宰相に就任しスペイン地域の統一を掲げて皇帝権の部隊と帝国に加わった武装勢力を統合して帝国軍を組織しガリシア、ナバラなど北方やバルカン半島への派兵を開始した。その過程で、反政府運動を未然に防ぐべく各地で帝国に従わない勢力を徹底的に攻撃し粛清を行ったためアデレードやヴァイオレットとの対立を深めた。無謀な派兵の下、第10次ヴィス島攻防戦、ドゥブロヴニクの戦いなどにて敗北しバルカン領から撤退を余儀なくされると帝国の求心力の低下は顕著となり、帝国から離脱する勢力も発生した。状況に危機感を覚えたアデレードとディートリヒは結託してマンフレードを政府から排除して政権を握った(薔薇革命)。ヴァイオレットはマンフレードを止められなかったと、皇帝位をディートリヒへと譲ることを議会へと公表し議会はこれを承認したことで、ヴァイオレット朝は2ヵ月で倒れた。ディートリヒはヴァイオレットの帝位を継承しモルトラヴィス1世として即位。帝都をグラナダからジブラルタルへと遷都し、エレクシアへと名称を変更した(ディートリヒ体制)。ディートリヒ体制下の帝国とバルカン領の武装勢力群は停戦交渉を開始し、1991年3月12日にシャホヴィニツィア暫定新政府と帝国などはマドリード合意を締結して正式に第二次連邦内戦の終結を宣言した。終結宣言後、ディートリヒは国名をヴァイオレット朝からモルトラヴィス帝国アステシア朝へと変更しスペインの統一を宣言した。
1991年に内戦終結宣言後、内戦中に独立したカタルーニャやガリシアなど小国群との交渉を行い、同君連合下である程度の自治を認める形で帝国へと統合しスペイン統一を実現した。帝国はアンダルシアやエレクシアなどの皇帝直轄領、カタルーニャやガリシアなどの王国、多数の自治領から構成される、さながら連邦のような体制を取った(1991年体制)。統一政府である帝国宰相府大宰相にはアグスティン・パドロンが任命され、帝国憲法の草案作成や法整備を進めた。諸国は軍を持つことが許可されているものの、あくまで小規模に収め自国領内の防衛に留めるものとし帝国全体の防衛は新たに設置された帝国軍に一任された。連邦内戦時の問題の解決を進めるべく宰相府に復興省と移民省を設置し、内戦期に帝国領に住み着いた移民(旧連邦移民)への補償や公民権の付与を行った。旧連邦移民の数は約200万に及ぶとされ、連邦内戦を引き起こした当事者として迫害の対象になることも少なくなく待遇や境遇に不満を持った人々が過激化しテロを起こすなど帝国の悩みの種となる。
翌年に隣国のポルトガルを協定の下で帝国との同君連合を結成しポルトフィーノ王国となりイベリア統一を達成した。
故郷を持たない旧連邦移民は、迫害や嫌悪の対象となることが多く規制の緩く比較的文化の受容に寛容なポルトフィーノやナバラ連合自治領(ナバラ、バスク地域の連合体)へと流れた。特に連合自治領で盛んな自動車産業や漁業では安い労働力として雇用されていった。連合自治領では経済格差が広がり、比較的豊かであるナバラ系へバスク系と旧連邦移民などが不満を持つようになった。1995年にGMCの自動車部品工場にて旧連邦移民の従業員が賃金の引き上げを求めてストライキを起こすと、ストライキ運動は連合自治領へと広がった。企業側は保障拡充などで対応を図るも労働者側は認めずこれまでの不満を暴発させ主張が過激化した。やがて連合自治領解消を求める運動と旧連邦移民の権利向上、独立運動が並行して起こるようになり各地で暴動が発生した。この混乱に乗じる形で反政府勢力FLLEがゲルニカの地下鉄を占拠し、ナバラ系の乗客を虐殺した(1996ゲルニカ地下鉄テロ)。一部の移民やバスク系がFLLEのテロを支持し各地で蜂起、非常事態宣言を発布した連合自治政府の軍や警察の動きを撹乱して対応を遅らせた。結果的に戦火は連合自治政府全土へと広がり紛争へと発展した(ナバラ紛争)。
アグスティン政権は、ナバラ紛争を勃発させるなど民族問題対応に失敗して支持率を失い、1998年に行われた大宰相選挙の対抗馬のアデレードに大敗した。
アデレード政権は、ナバラ連合自治政府の要請を受けて軍を派遣したものの限定的であった。1999年モルトラヴィス航空223便がラトビア軍により撃墜されると、国内世論に同調する形で帝国はアーリュン紛争へ本腰を入れて介入することを決定し部隊や武器を送った(モルトラヴィス航空223便撃墜事件)。
アーリュン紛争へ介入していた最中、アステシア家に代わりガリシア王国を統治していたヴァルナ家の代替わりが起きた。内戦期に独立し王家となったヴァルナ家は、帝国成立後も帝国の構成国となる変わりとして王国の統治を継続しており当主カルロス・エドゥアルド・ファン・ヴァルナの死後、後を継いだカルロスが民族問題で揺れる帝国からの離脱を一方的に宣言した。離脱を阻止するべくアストゥリアス王国、ポルトフィーノ王国、レオン王国の連合軍、更にアーリュン紛争から手を引いた帝国軍がガリシアへと侵攻した(ガリシア継承戦争)。ガリシアの首都ア・コルーニャは1年足らずで陥落しヴァルナ家は降伏し、王位はモルトラヴィス1世が継承した。
民族問題を抑えるべく、モルトラヴィス1世は1991年体制の解体を目論んだ。独自の王権の続いていたアラゴンやカタルーニャなどの王位はすべて皇帝が継承し、完全な同君連合(物的同君連合)となった。帝国政府は各国、各自治領政府をまとめる中央政府となり、同君連合全体の外交、軍事および財政の権限が付与された。各国政府は自国の軍事、財政に関する権限が限定的ながら付与された(2005年体制)。
2002年にナバラ最大規模の抵抗勢力であったFLLEが各国軍の攻勢や内部抗争により、ミスリルとイベリア民族統一解放戦線(INUL)、ナバラ軍事評議会政府の3つに分裂した。軍事評議会政府は連合自治政府との停戦合意を締結し連合自治政府軍へと加わったが、他2勢力は抵抗をつづけた。中でもミスリルは2011年から本格的に戦闘に参加し始めビトリアやビアナ、更には連合自治政府の首都パンプローナを攻略し2014年にナバラ地域の大半を占領するまでに勢力を拡大させた。ミスリルの拡大に対して帝国も本腰を入れて介入をせざる負えなくなり、戦線は徐々に後退し2017年のビルバオの戦いを機に劣勢は決定的となった。2019年にエステーラ近郊で指導者のナディームを殺害すると求心力を失ったミスリルは敗北宣言をした。
ナバラ紛争末期、各国の警察機関を纏めて平時の任務に加えて占領地などの治安維持任務を遂行する組織である神聖皇帝領統治機構(HEGO)が設立された。HEGOには装甲車など軍と変わらない武器類が導入され、ナバラ紛争における反抗勢力への対応、南フランスの北バスクから越境してくるゲリラとの戦闘などのために規模を拡大した。旧連邦移民が待遇などから反乱軍に加わることも少なくなく、内戦においてゲリラ戦の経験を積んだ彼らに実戦経験が浅い帝国軍や諸王国軍は苦しめられており各戦争においても少なくない損害が出ていた。これに業を煮やしたモルトラヴィス1世は2019年に旧連邦移民の「刈り取り政策」を開始。反乱軍へと参加していた旧連邦移民とその家族を帝国の敵と見なして逮捕した。刈り取り政策には、中央政府であるアデレード政権や中央評議会、諸王国政府が激しく非難し皇帝との対立を深めた。結果的に刈り取り政策は当初の規模から縮小されたものの、皇帝が廃止を明言することはなく崩御まで約5万人の旧連邦移民が逮捕された。
2022年1月にモルトラヴィス1世は崩御し、モルトラヴィス1世が後継者として指名していた息子のジークヴァルトは交通事故により死亡したため皇帝位は先帝ヴァイオレットへ引き継がれた。しかしヴァイオレットは病により先は長くないと推測されており自らも即位を拒否した。残るボニファティウス系も即位を拒否した。ヴァイオレットの息子であるウルリッヒと妻のペルタは既に死亡していたため、ウルリッヒの長女であり当時17歳だったサビーネ・パトリツィア・ルートヴィッヒ・フォン・アステシアへと継承権が引き継がれた。アデレード政権と中央評議会、諸王国政府は緊急会議を開いて即位を承認し、12日にサビーネがモルトラヴィス2世として即位した。
サビーネは未成年だったこともあり、大宰相であるアデレードが摂政として政治を補佐した。真っ先に刈り取り政策を廃止し、不当に逮捕されていた人への謝罪と補償を行った。国内問題に対応するため現地に直接赴いて意見を聞き、政策の決定に反映するなど国民からの信頼回復に努めた。旧連邦移民を含む新公民権法の制定、軍事費の最適化、企業への支援などにより、紛争で疲弊した帝国経済は回復し成長を遂げた(青薔薇政策)。新興企業グループであるエレナ・ニーナは青薔薇政策の恩恵を受けて投資や買収を積極的におこない戦後の復興を牽引してきたGMCを追い抜くなど市場競争が活発化した。
サビーネの反戦思想に反して、帝国の戦争は対外へと拡大した。ナムルノ公国やグラトスとマドリード条約機構を結成し、軍事的結束を強めた。クレタ島からのミサイル攻撃に対する軍事制裁は、オーガスレリア王国やプルマー(現リバティニア)などとの紛争へと発展した(クレタ紛争)。帝国は占領した西部地域に傀儡政権であるクレタ共和国を成立させたものの、派遣された艦隊がクレタ沖海戦にて全滅し、両陣営の全面戦争化を危惧した両陣営によって、クレタ島分割を含めたアラスカ条約を締結した。西側にはクレタ共和国が存続したものの東部は西部諸国の占領地となり、以降の統一問題を残すこととなった。
グラトス内戦や台湾危機など対外情勢へ介入することも多くなり強国として国際社会での存在感を強めていった。それと共に帝国民は国外への関心を強め、「強い帝国」を求める運動が拡大した。