サビーネは未成年だったこともあり、大宰相であるアデレードが摂政として政治を補佐した。真っ先に刈り取り政策を廃止し、不当に逮捕されていた人への謝罪と補償を行った。国内問題に対応するため現地に直接赴いて意見を聞き、政策の決定に反映するなど国民からの信頼回復に努めた。旧連邦移民を含む新公民権法の制定、軍事費の最適化、企業への支援などにより、紛争で疲弊した帝国経済は回復し成長を遂げた(青薔薇政策)。新興企業グループであるエレナ・ニーナは青薔薇政策の恩恵を受けて投資や買収を積極的におこない戦後の復興を牽引してきたGMCを追い抜くなど市場競争が活発化した。
サビーネの反戦思想に反して、帝国の戦争は対外へと拡大した。ナムルノ公国やグラトスとマドリード条約機構を結成し、軍事的結束を強めた。クレタ島からのミサイル攻撃に対する軍事制裁は、オーガスレリア王国やプルマー(現リバティニア)などとの紛争へと発展した(クレタ紛争)。帝国は占領した西部地域に傀儡政権であるクレタ共和国を成立させたものの、派遣された艦隊がクレタ沖海戦にて全滅し、両陣営の全面戦争化を危惧した両陣営によって、クレタ島分割を含めたアラスカ条約を締結した。西側にはクレタ共和国が存続したものの東部は西部諸国の占領地となり、以降の統一問題を残すこととなった。
グラトス内戦や台湾危機など対外情勢へ介入することも多くなり強国として国際社会での存在感を強めていった。それと共に帝国民は国外への関心を強め、「強い帝国」を求める運動が拡大した。
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