24裁判心理学

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satsugakushinri 2024/12/15 (日) 23:54:37 >> 416

 IRE連鎖がどういうものであるかに誤解があると思います。すでにそれは指摘してあるので、ここまでのコメントをご覧ください。弁護人は勝利を目指してはいましたが、正岡くんのコミュニケーション特性を見出して、それが露呈する発問をしていたのです。適切な面接法ではありませんが、取調べや主尋問の練習でも生じていたコミュニケーションパターンを再現したのですね。そのなかで正岡くんがどうなってしまうかも含めて。検察のやっていることは心理学的には理解が難しいですね。取調べも法廷尋問も含めて、体験の聴取以外のことをしてしまっている気がします。練習によって作り込まれた供述を信用してしまえる裁判官の感覚は、私にも理解することが難しいです。
 練習の目的は、望ましい証言をしてもらうためでしょう。二番目の質問は意味がよくつかめないのです。
5点差し上げます。

433
satsugakushinri 2024/12/15 (日) 23:54:22 >> 415

 授業内容の要約としては大体こういうことでした。しかし、「甲山事件では、供述者の背景や性格的特徴を考慮し、その供述が本人にとってどれほど自然なものであるかを評価するアプローチが取られた」という部分には、同意し兼ねます。「供述者の背景や性格的特徴」はどこでどう考慮されていましたか。後者はIRE連鎖等のことから導き出しているのでしょうか。これは彼の性格がどうこうではなく、彼が組み込まれたコミュニケーションがそういうものであったということしか言っていません。むしろそれ以上を言う必要はありません。能力論につながる可能性もあります。足利事件も同様ですが、供述者が供述の場で何をしているかが問われるのです。
6点差し上げます。

432
satsugakushinri 2024/12/15 (日) 23:54:07 >> 414

 反対尋問で発見されたコミュニケーションパターンを、正岡くんの「コミュニケーションの乏しさや知的能力の低さ」に帰属することは能力論ですよ。正岡くんの供述の原因(脅しかどうか)を議論することは、授業の主旨からは外れます。そういうことを言うのであれば、その前に正岡証言が信用できるかどうかを判断しないといけない。そして、それが判断できてしまえば、それ以上のことを言う必要はない。
 正岡くんの証言との連動の理由を「知的能力の低さ」に求めることも能力論であることはおわかりですね?
3点差し上げます。

431
satsugakushinri 2024/12/15 (日) 23:53:50 >> 413

 供述の内容ではなく供述のパターンを発見し、裁判所もそこに注目してくれたことがよかったのだと思います。「表情や手癖」は記録されないため事後的に分析対象とすることが難しいので、個別性の発見につながりにくいのは確かですが、そもそも「表情や手癖」に個別性が現れるものかどうか。少なくとも「体験者の身体が法廷でも持続している」ということとどうつながるかを考えないといけないですね。
4点差し上げます。

430
satsugakushinri 2024/12/15 (日) 23:53:31 >> 412

 動画を見てくださったのだと思いますが、今回の授業範囲でなく次回(12月17日)の範囲です。そのときに改めて投稿してください。

429
satsugakushinri 2024/12/15 (日) 23:53:10 >> 411

 テキストマイニングの活用可能性については授業でも述べましたが、どうやるかを説明できたわけではないので、それが有効であるとおっしゃるのであれば有効である根拠を述べるべきかと思います。AIでできないところは人力で、というのは重要なことというより、当たり前のこと(そうするしかないこと)かと。
4点差し上げます。

428
satsugakushinri 2024/12/15 (日) 23:52:53 >> 410

 能力論が危ういものと裁判所が理解していたのならよいのですが。たくさんの感想をありがとうございます。
3点差し上げます。

427
satsugakushinri 2024/12/15 (日) 23:52:35 >> 409

 冒頭の主張はどういう意味でしょうか。供述生成スキーマは作動していても多分わからないです。あなたの主張はむしろ、誘導尋問にならないように等、発問方法の留意をすべきと言えばよいことのように思います。
 文章がよくわからない(日本語の問題)と、スキーマという概念の理解が違っている(理解が難しいので仕方ないですが)せいか、主張全体がよくわからないです。
3点差し上げます。

426
satsugakushinri 2024/12/15 (日) 23:52:20 >> 408

 IRE連鎖は先生と生徒が協同してなしているコミュニケーションパターンですので、こういう聞き方はよくないと言えるものではありません。むしろそういう事態が尋問で生じていることを通して、正岡証言のおかしさを指摘できました。
 対話は重ねてはいけないですね。司法面接が教えるように、不要な質問は厳禁です。供述者の体験性を反映するような発言は採取したいですが、事件に関係ない話を法廷ですることは難しいです。周囲の人から情報を得るとか、生育歴に注目すると個別性がどうしてわかるのですか。パーソナリティのようなものと考えているとしたら、それは違います。特定の文脈内で発現するもの(他の状況で生じるかは問わない)が、我々の鑑定における個別性です。可視化が重要だとおっしゃる理由が知りたいです。重要な意見だったかもしれない。
 主尋問の練習は法で規制されていない以上、なくすことはできないと思います。
5点差し上げます。

425
satsugakushinri 2024/12/15 (日) 23:52:04 >> 407

 「個別性を導き出す」より「個別性を発見する」と言った方がいいと思います。結果として、コミュニケーションのパターンに、それは発見されたのです。「コミュニケーションの取り方」とはどういう意味か分かりかねるので誤解していたら申し訳ないのですが、「コミュニケーションパターンを見ていればよい」という意味であったとしたら、それは違います。一つの有効な視点ではありますが、一番とは限らない。現に足利の須賀さんの個別性はコミュニケーションパターンでなく、彼の発言の文体として発見されました。「普段のその人のコミュニケーションの取り方がよくわかるもの(日記など)と比べ、個別性をみることができる」の部分については、以前少しだけお話しした、広島港甲板長事件の被疑者供述の信用性をめぐって、被疑者の日記が参考にされました。しかしそれも、コミュニケーションパターンでなく文体でした。ここまで話してきたことで、あなたの質問に対する回答にもなったと思います。
5点差し上げます。

424
satsugakushinri 2024/12/15 (日) 23:50:56 修正 >> 406

 嘘でも言える供述ですが、本当でも言えます。だからその真偽を確かめる必要がありました。そこで山田さんと正岡くんが仲良く写っている写真や、二人の日常を記した学園日誌が参照しました。授業でお話しした通りです。「無知の暴露」が生じるのは二次災害(被害?)ではないですよ。
 「3年間の沈黙で情報は凍結してそのままだったのか、記憶の歪みが進んでいたのかに着目すべき」というのは、「正解」がどこかにある発想に基づいていませんか。そういうものが参照できないという前提で、足利も甲山も鑑定しました。
4点差し上げます。

423
satsugakushinri 2024/12/15 (日) 23:50:39 >> 405

 司法面接では再質問はしません。同一質問を繰り返すことの害は把握済みです。「いい子でいなきゃいけない」を含めて、迎合的になるのですね。もっとも回答者が迎合的になるのは、質問者の方が正解を知っているはずだという前提を回答者が持っているからですね。実体験を聞かれているのであれば、そもそもこういう事態が生じるのはおかしいです。IRE連鎖とは教師生徒間の学級コミュニケーションの一つを指す用語であって、誘導的な取調べ事態の特徴ではありません。むしろこういう事態が起こるのは、体験のない人が体験を持っているかもしれない人から聴取している場としてはおかしいことです。「IRE連鎖を起こさずに取り調べができる」ではなく「IRE連鎖が起きるような取調べや尋問はおかしい(体験聴取事態ではない)」のであります。そういう鑑定だったのです、甲山の鑑定は。
4点差し上げます。

422
satsugakushinri 2024/12/13 (金) 13:58:47

採点対象となる投稿を締め切りました。今回もありがとうございます。

421
F22036 2024/12/13 (金) 12:57:22 789bc@1aeca

 前回の記入内容で内面基準がSSTなどの個人支援に活用できると書いた。今回の講義や前回の講義を聞き、内面基準は活用ではなく、当事者研究に近いと考えなおした。その人の触れている環境とその人の行動が内面基準だと理解し、当事者研究でもその人の悩みに対してその時に起こっていること(感情や思考)とその時の環境、状況について考えるため、似ていると考えた。
 本講義では証言の信頼性について鑑定するためには、外部基準では一般的な話で個人についての話はできないので、内部基準で個人について考えるべきだと学んだ。今回の甲山事件の話を聞き、警察側の誘導についての認識が甘かったと知り、改めて、取調べの適正化が必要だと感じた。主に今回の取調べでは誘導についての教育が必要だ。誘導に対しての認識をしていない警察が行う取調べでは、事後情報を意識せずに容疑者や目撃者に与えてしまう可能性があり、虚偽自白や虚偽の目撃情報が生まれる危険性がある。CQが容疑者や目撃者の答えに制限を設けてしまうことやYESと言いやすい危険性についても知ってもらうべきだと考えた。上記の理由から、警察に対して誘導の定義、要因やCQの制限についての教育が必要だと考えた。
 今回の授業で、コミュニケーション分析をしたら、その人のコミュニケーションの違和感、不審な点について着目して、体験していないことについて話していることがわかると理解した。体験についての嘘発見もコミュニケーション分析でできるのではないだろうか。しかし、容疑者や目撃者が実際に体験をしたという妄想や作話をしている場合はコミュニケーション分析では判断しにくいという欠点もあると考えた。

420
F22063 2024/12/13 (金) 12:56:39 ae643@18c06

今回、私が注目したのは意図せざる誘導である。甲山事件では園児の証言が山田さんの冤罪に繋がったが、その証言には意図せざる誘導が存在していたからだ。この誘導は検察官が山田さんを犯人だという考えが露出しているを意識できていなかったことで生じたものである。今後裁判の場において、そのような誘導が生じていることを指摘できることは、裁判の場に立つ心理学者にとっては大きな一歩であると感じた。しかし、今回の事件では、弁護団側が意図的に正岡くんのIRE連鎖を引き出せた事で、意図せざる誘導が発生していた事を証明できた。講義内でも言っていたように、現在ではこのような手法は使えない。さらに、足利事件のように裁判官は心理学者の語る事を簡単には受理してくれないので、発見した個別性から誘導を発見することは難しくなるだろう。
また、個別性を発見するためには、心理学者だけではなく、法廷の場で本人に尋問を行える弁護士との連携が不可欠であり、お互いの領分や何をしてほしいのかをわかっておかなければ上手くいかないのだろうと思った。弁護士と連携するために、心理学者は被告人などの個別性をよく理解し、その個別性を引き出せるような尋問を頼む必要がある。

419
F22095 2024/12/13 (金) 12:49:26 674af@c7ed6

講義回数を重ねるごとに、私が知っていた心理学とは異なる部分が多く見えてくる。一般の心理学では一般性や外部基準を重要視する。他の講義で行っている心理検査も主にこれらを軸にし行なう。しかし裁判心理学は、個別性と内部基準を重要視し、個人内相関で考える必要がある。この後者で考えで正岡君らしさを見つけることができたのは、心理学としての新しい視点だったのではないかと考えた。また当時はお金という報酬がない状態で事件に協力をしていたというのが、かなり驚いた事柄であった。給料がないとなると、協力したがる心理士も少なかったのではないかと思った。そのため前回の事件も含めて、協力し続ける心理士は「真実のために協力したい」または「かなり興味深い」と思い続けていないと、困難な行動だと思った。

418
F22032 2024/12/13 (金) 11:00:03 06172@f1082

今回の事例は、コミュニケーション分析が役立つといういい事例だと思った。裁判の中で正岡君は質問者に操られている状態であった。これは、正岡君の特性が利用されているということである。コミュニケーション分析では、正岡君がIRE方法で答えていることが分かった。これにより、正岡君が質問者に操られているということが、明確になったと考える。また、指摘したことにより、正岡君の証言の信用性の低さを証明できた。
この事例では、正岡君の個別性についての分析を行ったが、見方によっては、質問者が適切に質問を行っているかという評価としても捉えられると思った。正岡君から正確な証言を引き出すためには、質問者が正しく引き出す必要がある。証言の正確さは、裁判にとっては重要な要素である。心理学者がその正確さを保つ役割としていることで、判断の役に立てるのではないだろうか。

417
f22067 2024/12/13 (金) 10:36:45 7e792@c68c3

障害を持っているからといって、その後に出てくる偽証に対し贔屓をせずその人らしさを見出しながら供述の真偽をたしかめることの重要性を感じた。ここで間違えればポッとでの偽証によって刑罰が下るかもしれないからだ。この事件を聞いて気になったことはなぜ園児が急に虚偽の証言をし出したのかだ。混乱しているとしても虚偽の証言をする必要性がどこにあったのか。真実は本人と亡くなった園児のみ知っているから少し文を読んだだけの私にはもっと真実はわからないけれど、さまざまな分析の結果だと思うので私はこの無罪を信じている。だからその証言によってさらにアリバイが明確になり無罪となったのだから長い時間がかかっていたとしても被告や園長が無罪とされてよかったと感じた。

416
F22055 2024/12/13 (金) 07:54:25 b7632@650ff

この事件は、記憶のなさによる供述の信頼性をどう判断するのかを考える事件だった。
今までも取り調べについて学んできたが、IRE方式の面接方法に信ぴょう性は低いのだと感じた。遠回しに否定されてるような感覚になり、相手の求める発言をしようと感じさせるような人の心理を利用した質問方法だと思った。私は、意見がフラフラと変わっていく人の信用は難しいと感じる。検察も弁護人も、真実を見極めるというより自分たちの勝利に目が向いていたのでは無いかと考えた。こういう質問の仕方をしたら供述の答え方が変わってくるというのは、第三者の心理学的な目線から指摘されなければ治りにくいと思う。こういった司法関係の人が心理学的視点を活用しないことは、既にこう答えてほしいという内容が決まっていて、それを話してもらえるような質問方法をしているからだと考えた。
また、検察との主尋問は練習ができると聞いてスムーズな回答ができるのは容易に想像できるはずなのに、それを裁判官が疑いの目を持たずに判断していることが不思議だった。
質問
・事前に質問内容を証言者に伝えて練習する目的はなにか。
・不服申立てからもう一度捜査をする時、1回有罪が出てるからもういいだろうどうせ変わらないだろうと思うのか。それとも再捜査には意欲的になることが多いのか気になった。

415
F22044 2024/12/13 (金) 00:59:07 da155@285ee

この事件は、証拠の乏しさや供述の矛盾が中心的な問題となり、それらをどのように評価すべきかが司法の在り方を問い直す事件となった。特に正岡少年の供述が、他の園児の証言と連動しており、事件の根幹を成していた点が特徴的であった。しかし、正岡少年の「沈黙していた理由」や、供述内容が尋問過程でどのように形成され、変化したかを精査すると、証言の信頼性には疑問が生じていった。主尋問と反対尋問での内容の落差は、供述が尋問の影響を強く受けやすいことを示しており、これは供述をそのまま事実として受け入れることの危険性を浮き彫りにしていった。また、裁判の過程で能力論の危険性が明らかになった点が注目される。能力論に依存した分析は、供述者の知的能力や精神的特性を証拠評価の基準とするものであるが、これには偏見や不適切な一般化のリスクが伴う。そのため、甲山事件では外的基準を適用するのではなく、供述者の「らしさ」や個別性に注目する新たなアプローチが取られた。このアプローチにより、供述の背景にあるコミュニケーションの文脈や関係性を重視する姿勢が裁判に導入され、この事件は、外的基準や能力論に依存せず、供述者の個別性やコミュニケーションの文脈を考慮する重要性を明確に示していると考えられる。また、冤罪を防止するためには、供述の信憑性だけでなく、その形成過程を適切に分析することが不可欠であるといえる事件であった。甲山事件では、供述者の背景や性格的特徴を考慮し、その供述が本人にとってどれほど自然なものであるかを評価するアプローチが取られた。これは、外的基準を一律に当てはめるのではなく、供述者の個別性を軸にした分析が冤罪防止につながると思う。

414
F22027 2024/12/12 (木) 21:37:59 99f72@8140a

正岡くんのコミュニケーションに着目しているが、他の園児も正岡くんの証言に連動しているということから、他の園児の知的能力の低さがみられると思った。脅されていたために証言ができなかったと話すものの、反対尋問では、はいと話すことに対して、正岡くん自身のコミュニケーションの乏しさや知的能力の低さがあったためにあえてしたのだと思った。脅されていたと答えることに対してこの反対尋問もある意味脅しに感じられるために、当時のように全てを受け入れてしまったのではないかとも捉えられると考えた。正岡くんは内面的な部分で証言し、出来事にどう思ったのかをはなしているために反対尋問のように限定的な質問をすることで動揺し、作られた話をしていたと証明できるやり方だと思った。

413
F22029 2024/12/12 (木) 11:37:02 6824c@1aeca

甲山事件では、正岡君が「精神障害であるから」というような一般論ではなく、正岡君のコミュニケーションの特徴に着目し、個人を見ることで、供述の不自然さを分析することができた。正岡君や検察、弁護士のコミュニケーションから不自然な点を分析することで、この回の裁判や取調べの不適切な点を見ることができ、裁判官もその点に注目して判決を行うことができると感じた。
その人個人の「らしさ」を特定するためのものとして、表情や手癖なども特定できるものとしてあるのではないかと思ったが、これらは直接裁判を見なければわからないことであるため、コミュニケーションや文の書き方などの調書からわかることから「らしさ」を特定するしかないのかと感じた。

412
F22046 2024/12/11 (水) 23:57:08

この事件における供述分析は、刑事司法における供述の信頼性や、尋問のコミュニケーション構造がどのように事実認定に影響を与えるかを考察する上で、非常に興味深い事例である。
大野耕一の供述は「一貫性がある」と評価されているが、その「一貫性」が供述内容自体の信頼性を保証するものではない。この点で、「記憶のなさ」から「調書の確認」への移行が指摘されていることは重要である。供述の一貫性が調書の一貫性に依存している場合、それは取調官の誘導や偏りを含む可能性がある。このような場合、供述の一貫性を評価基準とするだけでは、事実の適切な認定が難しいと言える。
「記憶のなさ」や「曖昧な応答」は、供述者が尋問のコントロールを握るための戦略として機能することがある。特に、大野の供述が「Q-A」ではなく「A-Q」という連鎖を形成している点は注目に値する。これは、供述者が積極的に情報を提示するのではなく、尋問者からの情報を引き出して自らの供述に取り込むことによるコントロールを示唆する。このような供述者の行動は、事実認定において供述の客観性を曖昧にし、尋問者側の意図や解釈が結果に強く影響する危険性をはらんでいる。
「記憶のなさ」や「曖昧な応答」は、事実確定における障害となる。特に、大野供述が矛盾や曖昧さを残したまま事実認定を困難にしている点は、供述分析の重要な課題を浮き彫りにしている。尋問者が事実認定の役割を担うことを余儀なくされた場合、供述者の責任ではなく、尋問者の解釈に基づいて判断が行われる可能性がある。このような構造は、司法の公平性に疑問を投げかけるものである。
元妻の証言が「ためにする証言」と評価され、排除されている点は、証人の属性や背景に基づく偏見が影響している可能性がある。一方で、暴力団関係者である大野供述の一貫性が信頼性の根拠とされているのは矛盾を感じる。証言や供述の信用性を評価する際には、供述者の属性や背景だけでなく、供述内容の整合性や外部的な検証可能性に重点を置くべきである。
供述分析における「発問-応答」の基本単位を再検討し、「コミュニケーション」そのものを単位として捉える視点は非常に有効だと考える。本事件の供述分析が、尋問構造や供述者と尋問者の相互作用に焦点を当てた点は、新たな証言評価の可能性を示唆している。
この事件を通じて得られた供述分析の知見は、供述の信頼性評価や尋問構造の影響を検討する上で、刑事司法における重要な教訓を提供している。「記憶のなさ」や「曖昧な応答」といった供述者の戦略、そして尋問者との相互作用が事実認定に及ぼす影響を正確に分析することは、公平で適正な司法を実現するために不可欠である。本事件のような事例は、供述の評価方法や司法手続きの改善に向けたさらなる研究の必要性を示している。

411
F22015 2024/12/11 (水) 19:50:54 f1233@5f21c

甲山事件における、正岡くんの内部基準として分析されたIRE連鎖や、足利事件の動作主交代はテキストマイニングを活用して分析することも可能であると考えた。
 しかし、現段階でのテキストマイニングでは非言語的要素の分析が難しい。そのため、分析可能な言語的要素はテキストマイニングに頼り、非言語的要素で内部基準となり得る「その人らしさ」があると判断できた場合には、人間の力で分析するなど、AIの力を活用しつつ人間の力でも分析していくということが重要であると考えた。
 例えば、自身が分からないことや体験がないことに関しては、一定の沈黙後に発言をする傾向のあるAさんや自身が体験のあることは発言スピードが有意に早くなるBさんが居たとする。彼らにはそれぞれ分析可能な「らしさ」があるかもしれないが、それをテキストマイニングに頼りきってしまうと発掘不可能である。
 人によって、「らしさ」が異なるからこそ、同じく人による分析や多角的視点が求められ、AIに頼る部分と、人間が行う部分を分けて分析を行っていく必要があるのだと考えた。

410
F22047 2024/12/11 (水) 15:16:07 113f3@1aeca

 足利事件のように能力論をできるだけ回避するといった選択が勝訴につながったのかなと考えた。正岡君のIQが50だから作話は不可能であるなどと一般論を用いての議論をしてしまうと弁護側はどうしても不利な立場に陥ってしまうのだなと感じた。さらに、検察側は入念に準備された主尋問を正当化し、反対尋問を批判したくなるのは自分たちの利益を考えると当然のことのなのかなと思った。しかし、それは公平ではないと感じる。そこで、あらかじめ練習をたくさんされている主尋問ではなく、自分たちの反対尋問での正岡くんのコミュニケーションの特性について調べたところがなるほどなと感嘆した。合っていてもいなくても、「はい」と答えてしまう正岡君は検察が誘導するにはもってこいであったのだと感じた。当時の検察側も誘導しようと思ってやっているわけではないのが怖いと感じた。

409
F22108 2024/12/11 (水) 14:55:42 2caa4@b2e94

供述生成スキーマが作動する可能性があることを捜査官だけでなく、被疑者や証人も理解するべきと考えた。正岡くんにとって保母である山田さんの存在は閉鎖的な人間関係の中で大きい存在であったと考える。しかし、捜査官による誘導尋問や供述の強要、認知バイアスによって、経験に基づいて形成されていた特定の状況や人間関係は変化していった。本来、安全で信頼できる人という安定したスキーマは外的圧力との間で認知的不協和を抱えることになった。山田さんに関する新たなスキーマを植え付けられたことで揺らぎ、供述内容の一貫性の欠如や変遷に現れたのである。このようなことを未然に防ぐために広く正しく知識を伝染させていくべきと考えた。

408
F22087 2024/12/11 (水) 14:17:46 a7b12@df3be

先生が生徒から答えを引き出すIRE方式で尋問することは、新しい情報を与えることや、証言の正確性を下げる要因になるため、このような方式での聞き取りは良くないと思った。また、新しい情報を与えることで、記憶の変容も招いてしまうだろう。
甲山事件の正岡君の個別性はコミュニケーションの中でわかったが、他の人の個別性は別の形で現れることもあるだろう。その人の個別性を探るために、対話を重ねること、周囲の人から情報を得ること、生育歴に注目し特性を考えることが、その人の個別性に繋がるだろう。
今回のようなケースの場合特に、証言を聴取しているときの録音録画は重要になるのではないか。
質問なのですが、主尋問の練習をなくすことは不可能ですか?

407
F22062 2024/12/11 (水) 11:34:56 88087@fbf40

足利事件でも今回の甲山事件でも、一般性ではなく個別性を導き出すために、コミュニケーションの取り方に注目されていた。調書の発言の内容以外のことから個別性を導き出すためには、コミュニケーションの取り方に注目することが1番の近道になるのではないかと感じた。たしかに、コミュニケーションの取り方というのは、個人差があり個別性を見つけるには、コミュニケーションの取り方に注目するのは有効だと思う。また、調書でその人特有のコミュニケーションの取り方が書き記されなくても、普段のその人のコミュニケーションの取り方がよくわかるもの(日記など)と比べ、個別性をみることができることが、コミュニケーションの取り方に注目することの良さだと思った。

質問
コミュニケーションの取り方以外に注目して、個別性を導き出すことができた事例はあるのでしょうか。

406
F22099 2024/12/10 (火) 22:38:18 e0ab4@70cf7

脅されたから3年間沈黙を貫いたということの真偽は不明であるが、後付けでも嘘でもいえる供述なので信用性はないといえる。しかし、このことか真実であるなら山田さんに脅した経緯を聞き、正岡君との相違を確かめる必要がある。目撃者である正岡君を信用し、守るため、容疑者である山田さんに対して誘導尋問をしてしまうと無知の暴露が生じてしまうなど、二次災害が起こりうる。
主尋問や逆行的構成分析、心理の流れ分析を行うことで情報の矛盾点が明らかとなり正岡君の脅されたという供述の信用性を測ることができると考える。しかし、これらの技法でも作話を行える可能性があり、3年間という長い間の記憶の歪みが呼び起こされるといえる。3年間の沈黙で情報は凍結してそのままだったのか、記憶の歪みが進んでいたのかに着目すべきである。それは脅された事実に対して発言する供述か、関連のない供述が見られたのかなど、正岡君の全ての発言を関連付けて情報採取することが大切だといえる。

405
F22041 2024/12/10 (火) 16:24:40 c5bff@1aeca

今回の授業でIRE連鎖の影響は大きなものだと感じた。実際に自分が質問をされたて答えた際に、「~じゃないの?」というように聞き返されたり間があると自分の回答に不安を抱き回答を変えるということをしてしまうと思った。いい子でいなきゃいけないという思いがあるためこのようなことが起きると考え、司法面接でも同じことが起こると、本当のことを言っているのかわからなくなる。知的障碍者は暗示や誘導の影響を受けたり迎合性が高い。そのためクローズクエスチョンではなくオープンクエスチョンの方がよいと感じた。オープンクエスチョンで聞いたことに対してリアクションをしたりせずに聞いた方がIRE連鎖を起こさずに取り調べができると考えた。しかし、クローズクエスチョンをすることで正岡君が質問の意味を分かっていないということが分かったし、供述を読み込むことでその人の特性もつかめる。今まではオープンクエスチョンをするべきだと思っていたが供述分析をすることでクローズクエスチョンでもその人の特性を知ることが出来るのは供述分析の強みだと感じた。

404
satsugakushinri 2024/12/09 (月) 17:57:24 >> 384

 「心理検査はアートだ」という物言いでなくても、類似の主張があり得ることに注意して(「総合的判断」とか「長年の臨床経験」とか)、それに引っかからないようにしてくださいね。臨床心理学にはそういう危険が多いのではと危惧しています。精神科医が学部生に心理検査をさせたことについては、現在の心理学者であれば同様のことはまずやらないと思います。その程度の教育は整備されています。面接も心理検査も問題ですが、一番の問題は、裁判で真偽が検討されるべき自白を「事実」として鑑定の根拠にしたことではないかと思います。
 裁判所の解釈が最強であって、心理学者が解釈を持ち出す限り有効性は低いですね。だから解釈論争に乗らないような鑑定を志向したのでありました。「心理士は裁判自体に参加せずに、結果を提供するのがよい」というのは、このことを言っているのではなく、法曹三者の領域に心理学者は踏み込まない方がよいという意味です。すなわち、資料をどう判断するかという領域に、です。
 プロが仕事をするということは、本気を出すということです。本気でやっていると、相手への気遣いとか口の聞き方とかより、課題解決にどうしたら至れるかが優先されます。足利弁護団の人々、特に佐藤弁護士はプロだったということでしょう。プロと出会うことで、我々も成長できたのですね。感謝しています。他職種連携はこれでいいのだと思います。「チーム学校」だって、何が大切かを共有しそこに至る最善を尽くすのが優先されるべきで、各人(職)のプライドなど掃いて捨てるべきです。まぁ、これも正論に過ぎず、実際には相手の人間としての許容量を判断して、わかるように主張しないと連携は瓦解するでしょう。人としての度量判断を自他共に正確にでき、相手に合った物言いができることが、他職種連携ではより望ましいかもしれないですね。
8点差し上げます。

403
satsugakushinri 2024/12/09 (月) 17:57:00 >> 383

 複数人による精神鑑定については、先の投稿で述べましたので参考にしてください。
 この授業の主張を好意的に取ってくれたようで嬉しいですが、丸呑みしてはいけないですよ。また他の領域にどのように活用できるのかを、その理由とあわせて、具体的に知りたいと思いました。
4点差し上げます。

402
satsugakushinri 2024/12/09 (月) 17:56:44 >> 382

 いわゆる「科学」鑑定は、科学(特に自然科学)という名称に幻惑されて、内容を詳しく吟味しないままに「いいとこどり」をされがちです。検察官も裁判所も、そしてマスコミも同じだったのですね。このような流されないために、学問を修めることが必要なのです。学問するにしても、大先生がのたまう「正解」を丸呑みするのでなく、批判的に(建設的という意味ですよ)吟味し納得した上で、摂取することが必要です。心理学の大部分は間違っているると個人的には思いますが、正しいと思っていません? どうして正しいと言える?
 直前の方と同様、「正論」のように読めます。この授業で伝えたかったことを理解してくれた点は嬉しいのですが、丸呑みしているのなら心理学徒として正しい姿勢ではありません。正論がどうして通用しないのか、どうしたら通用するようになるのかを考えることが必要なのではと感じました。
4点差し上げます。

401
satsugakushinri 2024/12/09 (月) 17:56:24 >> 381

 「鑑定内容を丁寧に解説し、共通の基盤を築く必要がある」のですが、これがどれだけ困難なことかはわかってもらえたでしょうか。心理学者がその前にわからないといけない。あなたの理解は正しく、おっしゃることはその通りですが、我々の立場に立った正論が語られているだけにも見えます。正論が通じない状況の分析や、それをどう打開できるかを考察してあるとよかったと思いました。
6点差し上げます。

400
satsugakushinri 2024/12/09 (月) 17:56:03 >> 380

 須賀さんの虚偽自白の発端が、高圧的な取調べにあったことはおっしゃる通りですね。そのことへの批判と是正の方法は、面接法に関するこれまでの授業で知ってもらった通りです。
 小児性愛との診断の問題はその通りですが、小児性愛者であるかどうかと犯人であるかどうかは独立に判断しないといけないことです。
 特定個人について確かなことを主張する際の根拠は、供述の形式的な特徴かどうかにあるのではありません。形式的特徴に関する確率的言明もあり得ます。
 須賀さんが示した動作主交代ですが、彼が体験を語るという限られた状況での内部基準です。内部基準とは時と場所に限らないという一般性を目指すものではなく、特定状況での振る舞いに限定されたものです。たとえば、水中でのあなたの動きにはあなたらしさが現れるでしょうが、それは地上でも現れるのかという疑問は持たないですよね。
6点差し上げます。

399
satsugakushinri 2024/12/09 (月) 17:55:38 >> 379

 外部基準と内部基準の対比は、どちらに重きを置くかという考察ではなく、前者には限界があること、その限界から後者は脱していることを理解してもらうことにありました。須賀さんの内部基準とされたものがどういうものであったのかについても、今一度確認していただきたいです。
3点差し上げます。

398
satsugakushinri 2024/12/09 (月) 17:55:23 >> 378

 語りの特徴と小児性愛とを関連させて語ることには無理がなくないですか。「犯行語りより体験語りをしている点において」という部分の意味がよく取れないです。内部基準には「その人自身の価値観やどのような人なのか」を反映するような内部基準があるかもしれませんが、授業で扱ったのは環境との接触の有無という点のみです。また、記憶に深く刻まれるかどうかとか、感情がどうこうとかの話はしていません。発展的に考察することは望ましいことですが、その前に授業内容をどう発展させるとそういう話になるのかがわかるようになっていないといけないです。
4点差し上げます。

397
satsugakushinri 2024/12/09 (月) 17:54:55 >> 377

 「決定的なものに欠ける」とおっしゃいますが、何が足りていればよいですか。そこを明示しないと説得的にならないと思います。悪くとられると、根拠もないのに批判しているのかとなりかねません。「事件の鮮度」ですか? それはまたどうしてでしょう。
4点差し上げます。

396
satsugakushinri 2024/12/09 (月) 17:50:48 >> 376

 先の投稿のコメントにほぼ含まれていますので、そちらを参照してください。おっしゃっていることはほぼ間違いありません。なお「「外部基準」では悪く言うと裁判官の解釈によってどうとでも捉えられてしまう」という文の「裁判官」を「心理学者」と置き換えても、正しい文となります。要するに、解釈のレベルで争うことになってしまうのです。外部基準に従っている限り、裁判官も心理学者の同等です。
6点差し上げます。

395
satsugakushinri 2024/12/09 (月) 17:50:23 >> 375

 法学はそもそも事実についての学問ではなく、規範についての学問なので、法学を批判することは適切ではありません。批判すべきは、能力とか性格とかを含む外部基準に基づいてしか考えられない人々です(心理学者も入る可能性があります)。
 須賀さんが小児性愛であるかどうかに関わる問題についてはすでに述べましたので、そちらのコメントを読んでください。あなたが主張している方向での追求は、あまり意味がないと思います。むしろ有害かも。
 心理学者に問題があるとすれば、外部基準の難点を知った上でそれを適切に採用しているかどうかにあると思います。外部基準は確率的言明しかできないので、あくまで「可能性が高い(低い)」としか言えません。そこから先は、法曹三者の評価に任せるべきだと私は思いますが、言い過ぎている心理学者はいると思います。正義感はあってもいいですが、より大切なのは「クールな頭脳」です。出世には関係しないですね。プライドは関係するかも。しかし最大の問題は、外部基準の限界を知らずに活動していること、かな。
5点差し上げます。