この事件における供述分析は、刑事司法における供述の信頼性や、尋問のコミュニケーション構造がどのように事実認定に影響を与えるかを考察する上で、非常に興味深い事例である。
大野耕一の供述は「一貫性がある」と評価されているが、その「一貫性」が供述内容自体の信頼性を保証するものではない。この点で、「記憶のなさ」から「調書の確認」への移行が指摘されていることは重要である。供述の一貫性が調書の一貫性に依存している場合、それは取調官の誘導や偏りを含む可能性がある。このような場合、供述の一貫性を評価基準とするだけでは、事実の適切な認定が難しいと言える。
「記憶のなさ」や「曖昧な応答」は、供述者が尋問のコントロールを握るための戦略として機能することがある。特に、大野の供述が「Q-A」ではなく「A-Q」という連鎖を形成している点は注目に値する。これは、供述者が積極的に情報を提示するのではなく、尋問者からの情報を引き出して自らの供述に取り込むことによるコントロールを示唆する。このような供述者の行動は、事実認定において供述の客観性を曖昧にし、尋問者側の意図や解釈が結果に強く影響する危険性をはらんでいる。
「記憶のなさ」や「曖昧な応答」は、事実確定における障害となる。特に、大野供述が矛盾や曖昧さを残したまま事実認定を困難にしている点は、供述分析の重要な課題を浮き彫りにしている。尋問者が事実認定の役割を担うことを余儀なくされた場合、供述者の責任ではなく、尋問者の解釈に基づいて判断が行われる可能性がある。このような構造は、司法の公平性に疑問を投げかけるものである。
元妻の証言が「ためにする証言」と評価され、排除されている点は、証人の属性や背景に基づく偏見が影響している可能性がある。一方で、暴力団関係者である大野供述の一貫性が信頼性の根拠とされているのは矛盾を感じる。証言や供述の信用性を評価する際には、供述者の属性や背景だけでなく、供述内容の整合性や外部的な検証可能性に重点を置くべきである。
供述分析における「発問-応答」の基本単位を再検討し、「コミュニケーション」そのものを単位として捉える視点は非常に有効だと考える。本事件の供述分析が、尋問構造や供述者と尋問者の相互作用に焦点を当てた点は、新たな証言評価の可能性を示唆している。
この事件を通じて得られた供述分析の知見は、供述の信頼性評価や尋問構造の影響を検討する上で、刑事司法における重要な教訓を提供している。「記憶のなさ」や「曖昧な応答」といった供述者の戦略、そして尋問者との相互作用が事実認定に及ぼす影響を正確に分析することは、公平で適正な司法を実現するために不可欠である。本事件のような事例は、供述の評価方法や司法手続きの改善に向けたさらなる研究の必要性を示している。
動画を見てくださったのだと思いますが、今回の授業範囲でなく次回(12月17日)の範囲です。そのときに改めて投稿してください。