F22055
2024/12/06 (金) 12:27:37
b9153@1aeca
足利事件はDNA鑑定が犯人逮捕に繋がった初の事件とあるが、この時この判決が間違っているのではないかとどれだけの人が訴えることができたのか気になった。当時はDNA鑑定は犯人逮捕に繋がる技術であると誰もが思っていただろうし、須賀氏の不自然な供述よりもDNAを鑑定した結果の方が信用されていたのかなと思い気になった。
また、供述の不自然さを指摘することも、捜査機関や弁護団の仕事だと思われていたのだろうか。不自然な供述を見つけ指摘することが心理師の仕事であると思っていた。その供述の指摘受けて判断することが、捜査機関と弁護団の仕事なのではないかと思った。前回の講義からも聞いているが、できることをやる、できないことは任せるという他職種連携が行われていないことが表に出ている事件でもあるように感じた。
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いわゆる「科学」鑑定は、科学(特に自然科学)という名称に幻惑されて、内容を詳しく吟味しないままに「いいとこどり」をされがちです。検察官も裁判所も、そしてマスコミも同じだったのですね。このような流されないために、学問を修めることが必要なのです。学問するにしても、大先生がのたまう「正解」を丸呑みするのでなく、批判的に(建設的という意味ですよ)吟味し納得した上で、摂取することが必要です。心理学の大部分は間違っているると個人的には思いますが、正しいと思っていません? どうして正しいと言える?
直前の方と同様、「正論」のように読めます。この授業で伝えたかったことを理解してくれた点は嬉しいのですが、丸呑みしているのなら心理学徒として正しい姿勢ではありません。正論がどうして通用しないのか、どうしたら通用するようになるのかを考えることが必要なのではと感じました。
4点差し上げます。