24裁判心理学

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F22071 2024/10/04 (金) 12:14:48 77282@1aeca

刑法第39条において否定的な意見も多いと思うが、実際に心神喪失者は無罪、心神耗弱者は減刑というのに良し悪しを明確にするのは容易なことではないと考えた。心神喪失ゆえに罪が裁かれないとなると、遺族や被害にあった本人が報われないが、逆にやむを得ない状況で罪を犯してしまった事例もゼロではない。最終的には人情で決まる部分もなくはないだろう。ただ公正じゃなきゃいけない法律で時と場合によってしまう点が否定てきな意見を生み出していると考えた。多くは過去の判例によって左右されることがあるため、どんな判決も揺るぎない確信があるものでないといけない。

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F220470 2024/10/04 (金) 11:53:45 54074@53087

今回の授業でも少し取り上げられていた「袴田事件」について。私はこの事件の名前を聞いたことはありました。さらに袴田さんが冤罪の可能性があるのに死刑宣告を告げられ長期に渡り収監されていたということも知っていました。しかし、事件の内容や、なぜ冤罪なのにも関わらず間違った判決が下ったのかという経緯を知りませんでした。そこで調べました。
警察は事件当初から袴田さんがプロボクサーであり、味噌工場の従業員であったことから犯人であると決めつけて捜査を行っていたと書かれてありました。さらに取り調べの環境も劣悪で証拠となる血のついた衣服の鑑定も疑わしい箇所がいくつもあったそうです。
警察や検察は犯人を逮捕したいという思いが第一にありますが、この事件では「袴田さんを犯人にする」といったムーブが第一にあったのではないかと考えます。
このように無実の人が、本来正しい判断をくださなければならない検察や警察によって不本意な状況下におかれることはあってはならないと私は考えます。なぜならば、袴田さんは今回の事件で、42年間も収監され自由を奪われてきました。さらに、精神が蝕まれ意思疎通が困難な状況が続いてます。これは人1人の人生を奪ったと言っても過言ではないと考えるからです。
今回の事件では初めから断定的な捜査ではなく、プロファイリングなどを用いて徐々に犯人像を絞っていく捜査を行っていれば、未来は変わったのかなと考えます。

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F22044 2024/10/04 (金) 11:25:10 da155@285ee

今回の講義を受けて精神鑑定の信頼性に疑問を感じた。なぜなら精神鑑定は必ずしも統一された基準や手法に基づいているわけではなく、複数の鑑定結果が異なる場合や、鑑定者の主観が結果に影響を与えることもあるため公平性がないように感じる。鑑定医によって結果も異なることから私は精神鑑定の信頼性に疑問を感じた。精神鑑定の信頼性が高ければ、私は刑法第39条を改正しなくてもいいと思う。理由としては、運転中に脳梗塞になって人を轢いてしまったり、重度の精神障害によって幻覚幻聴で錯乱状態になって周囲に暴力を振ってしまったり、事件が起こることを避けれない事例もある。避けようがないことに対して故意的に犯罪を起こした人たちと同じ罪を背負わせるのは公平的ではないし、誰もがその可能性を持っている。だが、公平性を重視すると事件の被害者側は、罰を受けさせることもできないので公平とは言えないだろう。この刑法第39条から法律は完ぺきに作ることはできないと実感した。

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F22029 2024/10/03 (木) 20:01:07 6824c@14539

臨床的プロファイリングは検察や警察の直感を使ってタイプを測定するというものであるが、いささか信頼性に欠けるものである。捜査によって犯人の目星をつけられない場合の仮定として定めることである程度の指標として捜査が進むだろう。しかし、犯人の特徴を仮定してしまった場合に過度にその特徴を意識してしまい、他の手掛かりに着目できなくなってしまったり、熱意のありすぎる捜査官が過度に誤認逮捕をしてしまう危険性もあるだろう。これにより冤罪となってしまった場合には、唐突に取り調べを行うことになり、精神的な負荷がかなり大きくなり存在しない自白を行ってしまう可能性も上がると考えられる。プロファイリングは一つの指標とすることはいいと思うが、それがすべてにならないように操作を進める意識が必要であると感じた。

42
F22108 2024/10/03 (木) 18:37:14 75694@6e1dc

刑法第39条「心神喪失者の行為は、罰しない。心神耗弱者の行為は、その罪を軽減する。」日本はこの法律に沿って罪を捌いてきたが、心神喪失者や心神耗弱者であるからと加害者側に情けをかけるのは被害者やその遺族が報われないと感じていた。起こった事実を変えることはできず、傷ついた心や人は戻ってこない。私はこの法律を以前までは被害者側に有益ではないと思い、否定的であった。しかし、加害者側にとっても有益ではないことに気づいた。精神鑑定により不起訴になった場合、刑罰はつかないが、事件を起こした危険人物というレッテルは一生剥がれない。さらに真っ当に罪を償わなかったとして被害者側から一生恨まれる。これは障害者の人権を守るための法律が障害者の誇りを奪っている。このことを認識して初めて私はこの法律の問題点に向き合えたと感じた。

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F22121 2024/10/03 (木) 17:18:01 b771a@d2c37

刑事事件における捜査活動は人間が行っている以上、その人の先入観やイメージなどによってバイアスがかかり正しくない答えを出してしまう可能性は大いにありうる。だからこそ客観性を持った方法の一つであるポリグラフを用いた捜査が信頼されるべき手法であるのは当然だろう。しかし、そのポリグラフも100%正確な答えの出る方法では未だ無い。そうなると現場の人間の直感も一つの手がかりとして認め、その一切を排斥すべきでないように思う。当たり前だが本来経験論や主観に基づいた推測は公平性にかけたやり方のため推奨されたものではないかもしれない。それでも私は、この世に必ず正しい犯人を見つけられる方法がない以上は取れる限りのあらゆる方法に手を付けることは必要な姿勢なのではないかと考えた。

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F22087 2024/10/03 (木) 11:34:52 dc4e7@1aeca

ポリグラフ検査は高い正判定率が確認されているが、ある質問内容を知っている人を正しく知っていると推定できるのは86%、ある質問内容を知らない人を正しく知らないと推定できるのは95%と、高くはあるが確実ではないというところが重要だと思う。ポリグラフ検査で事件のことを知っている可能性が高いと推定できても、その結果は確実ではないため、より確実な証拠集め、被疑者の聴取など、検査結果だけに頼らない、被疑者が犯人である証拠を見つけ出すことが必要だ。
私は、障害者への差別を解消するためにも刑法39条を改正した方が良いと思う。主観的な話だが、私が障害者を怖いと思うのは何をするかわからない、何をされるかもわからないから怖いという理由だ。精神障害者で心神耗弱、心神喪失だから罪を軽くされるか無罪になり、私がされたことの罪を償わせることもできないとやるせない気持ちになる。罪を犯したという意識がなかったとしても、被害者の心のために罰を他の事例と同様に与えるべきだと思う。それによって、何かされても罪と認められるという安心感が与えられると思う。

39
F22055 2024/10/03 (木) 09:58:31 b9153@1aeca

犯人を特定するための作戦として、ポリグラフ検査が用いられていることを学んだ。しかし、装置を付け、事件についての内容を深堀することは、普段の状況と同じだと言えるだろうか。自分は今取り調べを受けているということ、犯人でなければ自分がさらに疑われないように発言を使用と意識しているだろうし、犯人だとしたらいかに自分が犯人だとバレないように振舞うか考えながら発言しているだろう。脈や呼吸を測定することで、目に見えない人の感情を仕入れられる一方、多少の緊張も含まれているとするならばポリグラフ検査を操作に利用することに疑問を持った。
警察の立場は犯人を捕まえることを目的としているため、取り逃がすことにリスクを感じる立場にあるように感じる。しかし弁護側や一般の人は、冤罪を嫌う立場にあるだろう。冤罪による人権的な面を守るための考え方をしていると考える(早く犯人を捕まえろという考えをする人もいるかもしれないが)。また、誰にでも起こる可能性があることも、一般の人が冤罪をリスクと考える立場にある理由にもなると考える。例えば目撃証言として出た特徴が自分に一致していたら? 自分は犯人じゃないのに冤罪になってしまうという不安が、取り逃がしより想像しやすいからかなと感じた。

38
F22041 2024/10/03 (木) 01:34:43 c5bff@20425

病的犯罪者は不起訴、または無罪とするということに納得ができなかった。不起訴、無罪にするとまた同じことを繰り返して裁判にかけられても病的犯罪者だから無罪、不起訴になり、負の連鎖が生まれるのではないかと考えた。しかし、重大犯罪で無罪になった場合は、精神科に強制入院させられることが多い。このように無罪が決まった後のケアが徹底されているため病的犯罪者が無罪、不起訴になるのは妥当で、しっかりと病院で治療をする必要があると考えた。
犯人特定を目指すためにプロファイリングやポリフラフ検査を用いて犯人の範囲を狭めたり特性を絞っているということが分かった。ポリグラフ検査をするときは、汗や心拍数などを用いて結果を出す。緊張しがちな人は質問されたときに自分に関係ない質問でも汗をかいたりや心拍数が高くなったりして正確な結果を得られなかったり、サイコパスは感情が通常の人とは違うため汗や心拍数が上がらず誤った判断をしてしまうのではないかと考えた。嘘発見器の結果を信用しすぎず、様々な検査結果の参考にするのが良いのではないかと考えた。

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f22067 2024/10/02 (水) 09:58:16

以前、インターネットで嘘発見器のことを調べていたことがあったのだがその時から嘘発見器は本当に確かなものなのかなと感じた。その際には質問の仕方や方法を変えるにしても質問側の先入観によって犯人として認定することへ導くような聞き方をすれば信憑性はないからと感じていた。また、犯人である人がもし平然と応答することができる犯人ならばそれも信憑性はないと思っていた。その上で今回この講義を受けて、陰性反応では91%が一致したというのを見て犯人でない人が犯人としての疑いがかけられる要因の一つとして嘘発見器を今後も使用し続けていいのかと感じた。

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F22046 2024/10/01 (火) 17:51:44

今回の授業で出てきた、精神鑑定の例えの話を聞いて精神鑑定の正確性に疑問を抱いた。何故なら精神鑑定は事件当日の精神状態を明らかにするものであり、それは今入学当時の精神状態を明らかにしてくださいと言われているようなものだと聞いたため、そう言われるとかなり精神鑑定は怪しいものだと感じたからである。また、ポリグラフ検査という俗に言う嘘発見器の中核を成すのは質問であるということを初めて知った。しかし、ポリグラフも100%完璧とは言えない。「真犯人を陰性だと判定する」が8.1%(234人中19人)で、これは検察側からすれば取り逃すことになり、警察としても悔しい思いをする上、国民側からしても犯罪者が野放しになっていて夜も眠れない日々になる。また「無実のものを陽性と判定する」は0.4%(932人中4人)となっていて、これは検察側からすると冤罪にあたり、国民からの謝罪を求められることになる上、国民側からすれば警察への信頼が無くなることに繋がる。先生の話の中で足利事件の裁判官の1人が無罪だと考えていたのに他2人が有罪と考えていたために圧力により有罪にせざるを得ないという話があったが、このように組織の中では上下関係によってミスが発生することもある為、これをどの様に変えるかが課題だと思う。しかし、組織にはほぼ必ず上下関係があり、これを変えるには組織そのもののあり方を変える必要があるため、かなり難しく感じる。
最後に足利事件に関しての情報を共有しておきます
https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/retrial/shien/ashikaga.html

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コメント失礼します。
私も同様のことを考えました。客観性を持つためにAIを導入するのはどうなのか、と。AIが全知全能の神のような存在になることが出来れば導入を急いだ方が良いかもしれませんが、残念ながら現時点ではそうではない。しかも、誰がどの情報をインプットするかによってAIにも偏りが出てしまう。日本文化や日本語の情報を多く取り入れたAIは日本人に近く、アメリカの文化や英語の情報を多く取り入れたAIはアメリカ人に近くなる。そこには差別・偏見の歴史や死刑制度への意見なども含まれるかもしれない。(アメリカでは未だに黒人差別が話題にあがるように。)AIが中立的な判断を下せたとしても私たちが納得できない結果になったりもしかするとそれだけは許せない!という結果になることもあるかもしれない。人間社会においてAIの導入は難しいのかもしれないとも考えました。

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F22015 2024/10/01 (火) 16:18:51 f1233@63c3d

犯人であるのに犯人でないという判断を下し、世に犯罪者を放ってしまうことは、国民の期待を背負う警察にとっては大問題かもしれないが、もしその犯人の再犯率が低かった場合問題ないのか。また逆のパターンである、犯人でないのに犯人であるという判断を下された人は「逮捕歴」というスティグマに苦しみ、もしかすると落ちぶれて本当に犯罪に手を染めてしまうかもしれない。そのような場合、それは問題にならないのか。
例えば再犯率が見える神の目のようなものを持つ人が居たとして、警察に逮捕された段階でそれを材料に判断を下せたとしてもその人のその後の環境や人間関係、受けた影響によって再犯率は変動するだろう。
人間がそれだけ流動的である分、臨床的プロファイリングのような勘頼りな一面を持つ捜査方法は向いていないのかもしれない。
一方で、犯人自身の問題・性格(例えばサイコパス。罪の意識が少ない、犯罪への興味関心が勝るなど。)が原因である可能性が高い場合は、エラーにより世に放つ方が危険だ。そのような犯人自身のタイプを分類するのには捜査に関わる人の勘というのは頼りになるだろう。
確かに、科学的根拠や客観性に基づく捜査方法は人間の勘よりも精度が高く思えるが、対人間であるからこそ感じられる違和感があったりするのではないかと思う。どのような捜査方法を用いたとしてもその結果を100%信頼する、または人間の勘を100%信頼するというのは寧ろエラーを引き起こしやすいのではないかと感じた。どちらも掛け合わせることで、対人間に対する情報を整理できるのではないかと考えた。

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最後の句点を忘れていました。修正の仕方がわからないため、ここで報告します。

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F22099 2024/10/01 (火) 15:45:32 13e98@70cf7

人間の様々な心理を学習したからと言って、取り逃しや冤罪を防ぐことはこの先も難しいと考える。プロファイリングやポリグラフ検査も犯人探しの手がかりに過ぎず、必ず犯人を突き止めるということはできないからだ。犯人は様々な計画を立てる。裏の裏まで考えて犯行しているとなると、2つの方法では突き止めることが難しい。
事件の犯人を取り逃すことなく突き止める方法は、全国中に防犯カメラを設置することあるいは人間にGPSを埋め込み常に位置情報を特定することができる機関を設けることだと考える。しかし、これらの方法ではプライバシーの侵害や個人情報保護の観点から良くないだろう。
今の日本では、性犯罪者の再犯率が特に高いと感じる。監視のようなシステムを実行しないと再犯・取り逃し・冤罪はなくならないのかもしれない

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F22062 2024/10/01 (火) 15:32:09 562ee@ca530

今回の講義で人間が人間を調べることの難しさを再認識した。ポリグラフ検査(嘘発見器)で余剰変数の作用によって嘘だと出た場合(神の視点によって)、人間側は質問への回答が嘘と判断されたのか、余剰変数によって嘘と判断されたのか見分けはつくのだろうか。また、精神鑑定の話でもあったが鑑定に客観性を持つために学生にやらせるなど、対人間にすることで無意識での行動に判断が左右される、されないということに振り回されているのではないかと思った。剰余変数の統制をしても確実に剰余変数に左右されないとは言い切れない。このような問題に現在の捜査や精神鑑定はどのように対応しているのだろうかと気になった。これからAIがもっと普及してくると思うが、ポリグラフ検査や精神鑑定で客観性を持つという考えから質問者をAIにしてみるという考えはないのだろうかと思った。

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satsugakushinri 2024/09/27 (金) 19:01:47 >> 15

 「尊属は尊敬すべき、敬愛すべきという倫理観」は悪いものではないと個人的には思います。あなたが挙げている事例は尊属殺人というカテゴリーの不合理さというより、情状酌量をどのように行なうべきかの議論になるように思えます。むしろ、人の命に差があるのかという議論が、尊属殺人というカテゴリーの適合性を問うことになるのではないでしょうか。
 みずから問いを立て、解答を与えようとした姿勢は素晴らしいです。

8点差し上げます。

29
satsugakushinri 2024/09/27 (金) 18:56:23 >> 14

 取調べの授業回でまた考えてみてくださいね。

3点差し上げます。

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satsugakushinri 2024/09/27 (金) 18:55:40 >> 13

 前の方と同様、罪は罪として、無実は無実として正義の行使をしないといけないのですね。心理学がそれに貢献することができれば素晴らしいです。

5点差し上げます。

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satsugakushinri 2024/09/27 (金) 18:53:47 >> 12

 一方で、犯罪者に適切な刑罰を与えるという正義権の行使もまた、我々国民が望むことです。だから証言は聞き取らないといけない。相反する利益をバランスをとってうまくやることこそ理想ですね。

5点差し上げます。

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satsugakushinri 2024/09/27 (金) 18:29:23 >> 11

 法改正がなされた一例が、刑法41条(だったかな?)です。聾唖者の扱いではなかったかな。心理学によって現実の人間を明瞭にし、適切な法制度を整備することは大切ですね。

5点差し上げます。

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satsugakushinri 2024/09/27 (金) 18:26:50 >> 10

 冤罪であるという前提で議論を進めると、解答は割と簡単です。冤罪がいけないことは当たり前だから。難しいのは、推定無罪の原則を貫けるかです。完全に自分が被害者だと思っていたら、犯人をすぐにでも罰したいと思いますよね。しかし裁判を待つ必要があります。それまでは犯人と思われている人でも、犯人として扱ってはいけません。法を遵守するから治安は保たれますが、人の感情をある程度抑制する必要があることが事態を難しくしているのではないでしょうか。

6点差し上げます。

24
satsugakushinri 2024/09/27 (金) 18:23:45 >> 9

 法や制度が心理学的な妥当でない場合、治安は保たれないですよね。たとえば「人相が悪い」ということで有罪にされてはたまりません。
 自分に不利な証言を人はしたがりませんので、ある程度圧をかけないといけません。その圧のかけ方が問題なのです。どういう圧をかけたらいいでしょうか。取調べの時にまた考えたいと思います。

6点差し上げます。

23
satsugakushinri 2024/09/27 (金) 18:20:57 >> 8

 この話は取調べや面接法を扱う授業回の時に、また思い出してみてください。そしてあらためて論じてみてほしいですね。

6点差し上げます。

22
satsugakushinri 2024/09/27 (金) 18:19:44 >> 7

検察、警察が心理学の知識を持っていたら、葛藤を起こすかもしれないですね。自白が必要だけど誘導質問はダメだよなぁとか。組織として取り組むようにしないといけないので、司法修習やその前の法学部、法科大学院なんかで心理学を必修にしないと。

6点差し上げます。

21
satsugakushinri 2024/09/27 (金) 18:16:26 >> 6

 同じ陣営の証人として証言する場合、法廷証言には「打ち合わせ」があるので、緊張しても質問する検察官や弁護人が誘導してくれます。
 法廷証言は本来、記憶に基づいて話されるべきなので、記憶を歪めない、捏造しない発問方法が望ましいといえばそうです。しかし事件発生から何か月も経過した時点で記憶を確認するという事態がそもそも望ましくありません。

5点差し上げます。

20
satsugakushinri 2024/09/27 (金) 18:12:57 >> 5

 制約がなく自由だと、逆に何してよいかわからないです。制約と自由の関係はそう単純ではありません。たとえば言語に私たちは縛られますが、言語があるから思考もできるという見方もあります。
 知覚と記憶の研究は、自白や証言という裁判の中で最重要の情報に関係するので、とても大切ですね。

4点差し上げます。

19
satsugakushinri 2024/09/27 (金) 18:10:50 >> 4

責任能力について。運転中にブラックアウトして人を跳ねたのも有罪でいいですか? 刑事で責任を問えなかった場合でも、民事で損害賠償の形で罪を償ってもらうという主張をした人がいました。

4点差し上げます。

18
satsugakushinri 2024/09/27 (金) 18:08:23 >> 3

この話題は司法面接のところでやりますので、またそのときよく考えてみてください。また、責任問題については、情状鑑定のところで触れると思います。この論文もそのときの話題と関連づけて紹介してくれてもいいと思います。よく調べてくれました。

6点差し上げます。

17
satsugakushinri 2024/09/27 (金) 18:05:55 >> 2

罪を法だけで判断するから法治国家なのだと思います。それ以外を入れると人治国家になってしまう。被害者感情とか、情状のことを言われているのかと思いましたが、具体的に書いてくれると助かります。

4点差し上げます。

16
satsugakushinri 2024/09/27 (金) 13:43:19

今回の投稿は締め切りました。まだ次回、よろしくお願いします。

15
F22095 2024/09/27 (金) 12:41:04 674af@c7ed6

「法が想定している人間と現実の人間がずれていることがある」という文が、朝ドラ「虎に翼」を視聴していた際に題材となった尊属殺人罪と合致し、深く納得することができた。昭和48年以前は、尊属殺人罪は通常の殺人罪より罪が重く、死刑または無期懲役であった。理由として、尊属は尊敬すべき、敬愛すべきという倫理観は社会生活を営む上で基本的なこととされていたためである。しかしその後、尊属殺人罪の存在そのものを議論する事件が起こった。女性が実父から性的暴行を受け、10年以上夫婦同然の生活を強いられたあげく、実父との子どもを5人も出産し、正常な結婚も許されない環境に耐えかねた女性は、実父を殺害したという内容だった。従来にならうのであれば、尊属殺人罪にあたるのであろう。しかし、このような事件を起こした女性の環境を含めて尊属殺人罪と、法が想定していたとは到底考えられない。結果的に、尊属殺人は憲法14条違反となり、無効になった。これはまさに「法が想定している人間と現実の人間がずれていた」と考えられる。今後の社会的環境を見守る中、法の制約が人間にとっていい制約なのかを疑い続け、ずれを正すことが必須である。

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F22006 2024/09/27 (金) 12:22:35 f3087@d0c11

冤罪事件で誘導、暗示する質問の仕方で証言が得られていたならば、精神的に追い詰められて無実なのに罪を認めてしまうという人もいるだろうと感じた。
公正な判断をするために、慎重な質問をすることで正確な証言を得る必要がある。

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F22036 2024/09/27 (金) 12:08:42 789bc@2aedc

 被疑者の拘束が最大23日間であることに驚いた。冤罪だった場合、23日間も拘束され、取り調べを受けなくてはいけないと考えると人権は保障されているといえるか疑問を感じた。また、冤罪の場合の賠償は被疑者補償規定と刑事補償法では拘束された日数×1,000~12500円と定められている。冤罪を受けた人の暮らしや、名誉を考えるとこの賠償の安さには疑問を覚えた。さらに、取り調べ室での出来事が不透明なことは、質問の仕方によって誤った証言が出てしまったり、圧迫感などの恐怖から誤った自白をしていしまう可能性を上げてしまうのではないかと思った。
 法が想定してる人間と現実の人間にはずれがあることを知った。記憶の保持に関することや人間を識別できる距離などを明らかにすることで冤罪を減らすことができると感じた。また、記憶や人間を識別する距離などの環境を整えた実験と突然起きた現場を似せるようにすることが重要であると知った。心理研究が現場を知り、現場に近づけ、現場で使える結果を出すことが求められると知り、心理研究は今後も現場や人間によって変化し続けなければいけないと考えた。

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F22087 2024/09/27 (金) 09:34:03 a7b12@df3be

他の講義でも質問の仕方の重要性を扱ったが、今回の講義でそれを再確認した。
刑事ドラマでは「その日どこにいて、その時間は何をしていたか」とよく質問しているが、人間の記憶は不確かなもので、もし私が聞かれても上手く答えられるとは思えない。講義でも扱ったように、何日も前に見た人の顔など更に曖昧で、覚えていることは困難に近いと思う。ただ、それを見たことにしてしまうのが人間の記憶と不適切な質問の仕方であり、人間の記憶を歪めないために、そして冤罪を発生させないために、質問をする際には慎重になる必要があると思った。

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F22063 2024/09/27 (金) 02:06:01 ae643@0797e

法は社会的環境の中で、人を制限する役割を持つ。人が形にした法律は成文法と呼ばれ、裁判等で用いられる。しかし、この成文法の想定する人間は、しばしば現実の人間と乖離する場合がある。このようなことが起きるのは、社会的環境が流動的であることに関係している。
人の考え方や無意識下での行動には、成文法だけでなくモラルや倫理などが影響している。規範は時代によって移り変わるものであり、その時代に生きる人達の認知が変わっていけば成文法との歪みが生じることは自然である。そのため、この法の下で、この時代の人々はどのような考え方・認知をするのかを研究することで、どこが歪んでいるのか、歪みを解消するためにはどのような工夫が必要であるかの実験を積み重ねていくことが重要である。
成文法は簡単には変えられない一方で、人々の考え方、それに基づく規範は流動性が高い。法が人にとって良い制約であるために、心理学研究は常に進化していくことが求められると感じた。

10
F22029 2024/09/26 (木) 22:42:36 6824c@14539

冤罪でよく言われる話として痴漢冤罪がSNSなどで話題にあがる。この時に警察や駅員は「早くはいたほうが楽になる」などと一方的に悪者と決めつけ精神的追い詰めたり、「会社に迷惑がかかる」などの社会的に追い詰められたりしてしまい、公平性という観点で考えられていない。また、さらに「痴漢をした悪者を成敗する」という正義的な行為を行っているという感情が強くなってしまい、冤罪を被ってしまった人の話を聞けない状況である可能性もある。このようなそれぞれの心理状況によって、正常な判断ができない状況が問題点としてあるだろう。しかし、痴漢冤罪においては指紋検査をすることを言えば、冤罪を証明することができることがあるという話を聞く。このように、一歩引いた立場からの情報や分析といったものが公平性を欠いてしまう心理的な問題を解決する手段であると感じた。

9
f22049 2024/09/26 (木) 11:05:05 修正 417eb@0fcad

人間は法のもとに生きていてそれに逆らえない からこそ治安が保たれたりそれが根付き定着しているのだと感じると共に心理学視点で見ると矛盾を感じる点や強引さが目立つと感じた。事情聴取の惨さや裁判までのプロセス、そもそも 証言が正しい!のではなく正しくするために様々な手数をある程度の期間を儲けて準備するため(ここに事情聴取なども加わる)に、圧のかかるやり方で罪をあぶりだそうとしているのでは、とも受け取ることが出来るのではないかと思う。そのため精神的に耐えられなかった者が損をし、冤罪などが生まれるのではないかと感じた。よく冤罪のニュースなどに対して殆どが可哀想、警察が悪い、などのコメントが目立つが一部 疑われる方が悪い、してないなら貫け、というコメントも多いように感じる。少しでも心理的視点がここに組み込まれたら、精神的に辛い状況を強いられるというそもそもの根源が絶たれ、より正確な結果が出せるのではないかと思う。

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F22055 2024/09/25 (水) 14:55:39 eb974@d2c37

過去に冤罪事件を取り扱ったテレビを見たことがあったが、取り調べの圧に負けてしまいやっていない犯罪を認めてしまったという内容であった。この時、正しい証言の取り調べを行うには、質問の仕方を誘導しないような聞き方に工夫する必要があると知った。誘導的な質問をすることは、実はそうだったのではないかという架空の記憶を作り出せるのだと感じた。検察側はその人が有罪であることを認めさせるような質問をするとするならば、質問の仕方によって証言が変わる可能性があることを事件にかかわる人は認知しなければならないと思う。判決を人間が行う以上、法的な処置だけでなく心理学の観点からも見なければならないと感じた。

7
F22062 2024/09/24 (火) 20:18:04 deb00@278cf

最近では防犯カメラや色々なものの履歴などから証拠を出すことができるが、それでも基本は人間からの事情聴取である。人間は「忘れる」という機能を有している。それを乗り越えてどのように思い出させるか。なんとしても犯人を捕まえたい検察(警察)側は良かれと思って人の記憶を歪めてしまうような質問をする。検察(警察)側がもし心理学の知識を少し待っていたら、記憶を歪めないような質問の技術をもっていたら冤罪はもっと少なくなっていただろうか。それぞれの職業に役割があるからこそ、その専門の知識を入れることに集中してしまうが人間と関わる以上、人間の心理的な動きに注目するような心理学には逆らえないと思った。