F22063
2024/12/18 (水) 17:20:22
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外部基準による分析は、内容には触れず、その発話・会話形式だけに着目をする。
これによって供述者の話すことに信ぴょう性があるかないかを調べている。
今回は文字数に着目をして、質問に答える供述者よりも質問をする検察官のほうが文字数、つまり会話量が多いから供述は本人の語りではないという結果だった。
この件で特徴的だったのは、供述者が検察から答えを引き出しているということである。
しかし、事件からかなりの日数が経過していれば、多くの供述者がこの結果になってしまう可能性は高いのではないか?
検察は被告人を犯人にすることが仕事であるから、供述者に言いよどみや曖昧な表現があれば大なり小なり情報を提供するだろう。実際、どの事件であっても尋問者が供述者に情報を渡していた場面はあった。
ある程度話ができる成人であれば、話に一貫性を持たせられる。かつ、記憶があいまいになっている質問には「覚えていない・どうだったかな」などと答える可能性は高いだろう。その状態で、権威のある検察から「~だったのではないか?」と聞かれたとき、記憶が言われたと通りに補正されたり、そうだったかもしれないと思いこむ。そうなれば今回の供述者と似たような反応が出てしまうのではないかと感じた。
今回は本人が尋問をコントロールをする意図があった。しかし、意図しない間にコントロールが起きていた場合に、そのコミュニケーションを修正していく必要があると考えた。
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「外部基準による分析は、内容には触れず、その発話・会話形式だけに着目をする」とは言っていません。また内部基準か外部基準であるかと、内容を見るか形式を見るかも直接関係しません。文字数から信憑性を探ったというのも間違いです。資料をよく読んでみてください。
記憶がなくなっていれば、当然記憶に基づいた発言はできず、記憶に忠実であろうとするならば供述者は沈黙したり、曖昧なことを言わざるを得ないですね。それはあなたがおっしゃる通りです。通常の成人男性であれば、検察官の権威になびくことはむしろ少ないのではと思います。むしろ犯人を処罰したいという正義感の部分で検察と共鳴してしまい、共に被告人が犯人であるストーリーを作り上げる演者になってしまうのではと思います。
自分が主張したいことに同意してくれる限り、検察官も弁護人もコミュニケーションの修正はしないでしょうね。それは裁判官がやるべきではないかと思います。建前では裁判官は中立ですから。
6点差し上げます。