どうして発話量に差がないと一貫して受動的と言えるのですか。尋問者と大野の発話量の比較に基づくのならまだわかります。大野のコントロールの意図がどうしてCQの多さからわかるのですか。それは彼が組み込まれていたコミュニケーションパターンからわかることだと、授業では言ったと思います。「曖昧な応答や記憶のなさは責任を逃れるためや尋問者が意図する方向への誘導を防いでいると考える」、その根拠もよくわからないです。「尋問者からの信用を得るため」かどうかはわかりませんが、大野の受動的な立場によって、わずかながらですが彼の供述に一貫した部分があると評価されたことはあり得るでしょう。この程度で「一貫した供述だ」と評価する裁判所の思考は理解しかねますが。
4点差し上げます。
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