誤字ある 強さに基準は任せてない❌ 強さに基準は定めてない〇
このサイトって強い奴いんの?←これは相手の価値観に任せた質問。 俺が強いと思ったら強い奴に該当するだけの話な←これは自分(不特定多数さん)の価値観の話 もっと言うと、これの前文に強さに基準は任せてないと発言しているが、「俺が強いと思ったら強いやつに該当するだけの話な」←基準定まっとるやんけ。。。お前もう帰れ
あ、先に言っとくけど、「別に、強さに基準とか定めてない」から、ただ単に強いって俺が感じたら“強い奴”に該当するってだけの話な??
「俺が感じたら」という基準を定めてんじゃん。
ザックリ過ぎてイマイチ伝わんねえよ 具体的にどうぞ(^^) んで持って、テメェの為に助言しといてやるよ、俺の主張ちゃんと読み返してみたら?(笑爆)
終わった試合トピへの書き込み禁止で頼む。
酷すぎて笑う
対立の構図を作ろうと意識してるわけじゃないが。 それが真意なら単に伝わってないだけだな。 「空虚な文章を書くこと」って喧嘩ヲタクの観点からすると本質的ではないという意味でネガティブに捉えられないか?
「内容的には5以下の領域しか含まれていない文章」から 6~10を連想することって、内容にもよるが昇華できているケースも存在するんじゃないのか? 一概に「知性がない読み手」と判断することは違和感を覚えるし、少し強引なんじゃないかと思うけど。
たとえ「上から目線」でも「傲慢」でも、その態度と内容はまた別の話なのでは? 「もともと5だった」ということへの理解の有無でアホかどうか判断してるんだろ? 「何となく理解できたつもり」だったとしても自分の中で「昇華」できるなら 「その文章の良さを引き出せない」奴のほうが感性の乏しいアホに見えちゃうんだが?
再現性がある
なら「良い文章」の一例として、「再現性のある文章」と定義してもよくないか? そこには「偶然」ではなく、ある種の「必然性」が見出せると思うんだけど。
つまり俺がこの話で言いたかったのは 「本当に厳正に書かれている文章」よりも「再現性のある文章」のほうが 「たくさんの人にわかってもらいやすくていい文章」と言えちゃうのではないか? こと喧嘩サイトにおいてはそういう人たちが過去に高評価を与えられてきたのではないか? 詠み人知らず自身も例外ではないはずだ。
そして、読書嫌いの詠み人知らずが おそらく「難解な哲学書」なんかよりも「カイジ」を選択していること。 この「価値観」は何に基づいている?
簡単に言ってしまえば、「漫画のほうが読んでておもしれーじゃん」だろ。 もっと言えば、「本当に厳正に書かれている文章」よりも 「再現性」や「ユーモア」といったギミックを搭載している文章のほうが 「価値がある」と判断しているということにならないか? それは「良い文章」とは言えないのか? 漫画は「特定の個人に向けて書かれた文章」ではないが?
「本当に厳正に書かれている」のであれば、悪い文章だと評するのは理解できない自分を棚に上げる傲慢さの境地だと思うんだが・・・
お~出てきた出てきた。 中島義道と同じようなこと言ってるぜw
大衆は、知的に徹底的に怠惰であるから、何ごとにおいても、「わかりやすいこと」を求める。「わかりやすい」とは、何の努力もしないでわかるということ、書物なら寝っ転がって読んでもわかるということである。彼らにとっては、わかりにくい書物は全面的に著者が悪いのだ。『「人間嫌い」のルール』— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) March 18, 2016
大衆は、知的に徹底的に怠惰であるから、何ごとにおいても、「わかりやすいこと」を求める。「わかりやすい」とは、何の努力もしないでわかるということ、書物なら寝っ転がって読んでもわかるということである。彼らにとっては、わかりにくい書物は全面的に著者が悪いのだ。『「人間嫌い」のルール』
俺もこういう意見には同感だよ。 ただし、ここで問題提起したいのは 「本当に厳正に書かれている文章」は、その正しさを理由にもっと評価されるべきなのか? というかそれ以外の文章が「良い文章」と判断されることって、そんなにおかしいのか? ってことです。
作家が何らかの情勢に迎合した結果、それが代を重ねるにつれて今の文学観が形成されたんだとは思うけど、明治や大正まで遡って物書きクオリティの変遷に言及するなら、合理主義や資本主義の浸透とかも影響してそうだ。 当時は作家業でメシ食うなんて現代の何倍も険しい道だっただろうし、あえてその道選ぶのってロマンと熱意も相当だったんだろうな、とは思う。 読み手の知性が落ちたから物書きたちがそれに迎合したのか それとも、作家が合理・資本主義に迎合し安易な作品を量産しはじめたことにより読み手の知性が落ちたのか どっちなのか俺には見当もつかない 最近は文学作品と呼ぶことさえおこがましい作品(端的に言うと異世界転生モノとか)がやたら量産されてるけど、それも偏差値40の読者に迎合した結果なんじゃないっすかね。ルーツを辿れば不思議の国のアリスやナルニア国物語に行きつくわけだけど、まぁ天と地の差だわな。 とはいえ、百人一首に収録されている大半が恋愛をテーマにした超ミーハーな和歌ばかりなのを考えると何とも言えない気持ちにもなる。
作家が何らかの情勢に迎合した結果、それが代を重ねるにつれて今の文学観が形成されたんだとは思うけど、明治や大正まで遡って物書きクオリティの変遷に言及するなら、合理主義や資本主義の浸透とかも影響してそうだ。 当時は作家業でメシ食うなんて現代の何倍も険しい道だっただろうし、あえてその道選ぶのってロマンと熱意も相当だったんだろうな、とは思う。
読み手の知性が落ちたから物書きたちがそれに迎合したのか それとも、作家が合理・資本主義に迎合し安易な作品を量産しはじめたことにより読み手の知性が落ちたのか どっちなのか俺には見当もつかない
最近は文学作品と呼ぶことさえおこがましい作品(端的に言うと異世界転生モノとか)がやたら量産されてるけど、それも偏差値40の読者に迎合した結果なんじゃないっすかね。ルーツを辿れば不思議の国のアリスやナルニア国物語に行きつくわけだけど、まぁ天と地の差だわな。 とはいえ、百人一首に収録されている大半が恋愛をテーマにした超ミーハーな和歌ばかりなのを考えると何とも言えない気持ちにもなる。
これについては大体同意見。 残念ながら俺もこれ以上のことを語る知識を持ち合わせていない。 キャパオーバーじゃ。
ただ一点だけ腑に落ちないことがある。 「ミーハーな作品」を昇華させることってそんなに批判されるべきことなの?
あの中島義道ですら、わかりやすさを求める大衆の傾向に嫌悪感を示しながらも そういった読者のおかげで自分がおまんま食えてるって自己矛盾を受け入れて 俺も人間やし生きていかなアカンねん、しゃーないやんけ!みたいなこと言ってたけどなw
無難な表現をする量産型喧嘩師が増えるのかな〜なんて考えちゃったわけだ。
俺は前のレスでこう言ったけれども それはある種、「再現性の高い文章」みたいな万人ウケしやすいものに 引っ張られるのかと思ったんだ。
たとえば喧嘩で難解かつ高度なボケをかましていたとしても 「知性なき読み手」によって「それがわからない」ってことになってくると 最悪ただの荒らしと認識されるリスクもあったりするからね。
でも、わからないなりに読み解こうとしたり ツッコミを入れることによって昇華させようとしたり そういう目まぐるしい姿を俺は積極的でええやんけって思うけどな。
ここから派生テーマ出していいっすか? 題して、「喧嘩における物語の消費」。
これも喧嘩ヲタク的な視線で語ってみたい。 文章力と理解力のバトルに限らず 俺たちは内容に関して今までさんざん「似たようなやりとり」を目にしてきたと思う。 かつては、そのたびにオリジナリティを追求した「喧嘩」をしようとした者がたくさんいた。
お前の言う「異世界転生モノ」を見てもわかるように あれらは言ってしまえば「不思議の国のアリス」や「ナルニア国物語」などのパクリだ。
そのWikiにも書いてあるが、たとえば 「猫耳」「メイド服」「尻尾」といった視覚的な記号(萌え要素)も 先駆者の世界観を代用しているにすぎない。
少年週刊ジャンプにありがちなバトルものですら その土台は「ドラゴンボール」のようなインフレ的テーマから抜け出せていない。
それでも、おもしろいものはおもしろい。
パクリながらも、それ以外の部分で作品のオリジナリティを与えているからだと思う。
これを「喧嘩」に置き換えると、バカの一つ覚えのように 屁理屈の捏ね合いで揚げ足を取るのに猪突猛進、みたいな人が多すぎる気がするんだ。
これは喧嘩サイトだけの話ではない。 Twitterでレスバトルしている人たちにもよく見られる傾向だと思う。 もちろんそういうのもありだと思うが、「そういうのばかり」だとクソつまらなくないか?
俺は2015年くらいで一度完全に喧嘩サイトが廃れた理由のひとつとして 代り映えしないこの構造に「飽き」がきてしまったからだと思ってるんだけど。 これを何年かの周期で繰り返し続けているとすら思う。
「喧嘩」という世界観は、「文学作品」や「アニメ作品」、その他「二次創作」に比べて まだまだ消費されていない余地が残っているはずなのに そこに目が向けられないってのは、こりゃどういうわけだ?
なぜ「つまらない話」を率先して行おうとするのか。 それしか頭にないのかどうかはわからんが…
仮に「喧嘩」という世界観が俺の想定している通り 客観的に見てもありとあらゆるカテゴリで有意義に行われ 消費された場合、少なくともパクリ以上の喧嘩が生産されるのではないか なんて思ってるんだけど、どうでしょう。
適量の胡椒が出て来る
起動画面がクレタ文明の顔
「このサイトって強い奴いんの?」って質問するのはいいけど、この場所におけるその強さの基準が「不特定多数さんが強いと感じる人が強い」って言ってるのでもうアホ丸出し。もう帰れw
電マ機能
宙に浮いてる
画面が割れる度、自動で修理屋に連絡がいく
>> 37
おしえていただきありがとうございます とてもわかりやすいです!
たしかに、おもしろいセンパイたちが多いと思います いいサイトだなって感動してますよ!
…でも
その仕組みが規制によって変わる理屈がわかりません 規制かけても、別サイトに書き込む自由はかわらないのでは?
報復のために、自分のやり方をすてるのは、よっぽどプライドのない人間のように思えます
要は、規制かけられた恨みでかなめさんの土俵に立って、その観客たちを沸かせるということですよね?
それって、相手はばかなのでは…?
たぶん、別サイトにでもかなめさんや喧嘩界の悪口を書き込むのが関の山だと思います 実際、彼ら、みすぼらしいところで騒いでるじゃないですか
蜂の巣駆除するのに、木の棒で蜂の巣を壊すのが正しいですか? 蜂を寄せつけない方法を取るべきでは?
彼らに最初から悪意があるなら、駆除もありだと思いますけど その喧嘩がつまらないから規制するというのは、やっぱりおかしいですよ
詠み人知らずさん
師走の候、巷では風邪やインフルエンザが流行っているようですが、 詠み人知らずさんはお元気でお過ごしでしょうか?僕は風邪です。
風邪を引くと、普段仲の良い人だけでなく、色んな人が声をかけて下さりますよね。
「大丈夫ですか?」 「お大事になさってください。」
季節とは裏腹に、とても温かい言葉だと感じます。
しかし一方で、ひねくれ者の僕はこうも感じます。
彼らは本当に心配してるのか・・・? マスクをつけた知人が視界に入ることをトリガーに、上記の定型文を機械のごとく吐き出すルーチンが脳内に常駐してるだけじゃないのか・・・?
本当は心配してないけど、心配してるようにふるまうことで人間関係の円滑化を図る。 こういうのは何とも合理的で、人間的ですね。
しかし、心配以前にそもそも感情が存在しないのに、心配しているかのようにふるまう・・・ そんな人間がいるとしたら、詠み人知らずさんの想定する哲学的ゾンビに該当するのでしょうね。
哲学的ゾンビの一般的な定義(僕の前レスもこの定義に準拠)は、 「物理的に私(意識をもった存在なら何でもいい)と同一でありながら、まるっきり意識体験を欠いている誰か、あるいは何ものか」(提唱者、D.チャルマーズさん曰く) ですね。
つまり一般的には、感情がない人間ではなく、意識体験がない人間が哲学的ゾンビだということですね。 僕の前レスでいうところの「意識(主観)」がない人間とイコールだとご認識下さい。
詠み人知らずさんの足ガクガクの例で言うと・・・
人間は高層ビルの屋上から地上を覗き込んだとき、地上との距離などの視覚情報を得ますね。 視覚情報は視神経を通過して脳に伝達されます。 このとき、脳内では恐怖を司る神経伝達物質(ノルアドレナリン等)が分泌され、 物理的に「恐怖を感じている状態」が形成されます。
しかしこの際、恐怖の意識体験(クオリアと読み替えても可)が生じる必然性があるとは言えません。
我々には実際に、恐怖の意識体験が生じ、ゾクっ🙀とする感覚がありますが、 哲学的ゾンビにはその感覚がないのですね。 この点が、我々と哲学的ゾンビとの違いですね。
ただし、哲学的ゾンビも物理的には“恐怖を感じている”。 だから、彼らにも足ガクガクさせるに至る物理的条件が揃っているのです。
まあ・・・「感情」というものを意識体験ありきで定義するなら、哲学的ゾンビには感情がないと言えるのでしょうが。
以上、哲学的ゾンビの定義の確認でした。
・・・これまでの雑談のなかで、僕は「意識(主観)はなぜ存在するのか?」という疑問を呈してきましたが、 僕が疑問視しているポイントとはまさに、
この点です。
ビルの屋上から視覚情報を得ることで、神経系に電気信号が流れたり、情報伝達物質が分泌されたりします。 ・・・で、それらの現象が起きたらなぜ意識体験が生じることになるのでしょう?
現代の科学者たちの一部はこの問いについて、「神経科学が進歩したらハッキリするっしょ!!😊」 との見方を示しているそうです。 詠み人知らずさんはどのような見解をお持ちなのか、お伺いしたいです。 (あるいは、今聞いてこう感じた、とかでも良いので)
仮に哲学的ゾンビが存在するとしたら、中央監視室は機能してないことになるね
「中央監視室」=「意識(主観)」である場合は、その通りだと思います。 しかし、「中央監視室」=「(神経の興奮状態を認識すると反応する)脳の領域」である場合は、その通りではないと思います。
後者の場合、体の各種感覚神経から集まった興奮状態に関する情報が、脳の特定の領域によって中央集権的に監視されます。このとき、一連のメカニズムのなかで登場する事物は、各種感覚神経・脳などであり、意識体験は介在する必要がありません。 後者の場合であれば、意識体験が介在せずとも、詠み人知らずさんが想定されている(と思われる)モデルは成立すると思うのです。
・・・ちなみに、以下を詠み人知らずさんのモデルとして扱っちゃってます。
xが閾値を超えなければ、神経が興奮するだけで、中央監視室には興奮状態が報告されない。 xが閾値を超えると、神経が興奮するだけでなく、中央監視室には興奮状態が報告される。
(以下、参考程度です。)
脳のなかに実際にあるかどうか分かりませんが、神経の興奮状態を認識すると反応する脳の領域があった場合、
前回、詳細まで紹介すると長くなるかなぁと思って省きましたが、 これ、部分的には実在するようです。
ブラインドサイトという障害があります。
一般的に視覚障害の原因として、眼球や視神経の機能不全などが考えられますが、 ブラインドサイトは「見えていることを認識するための脳の領域」の機能不全によって引き起こされる特殊な視覚障害です。
ブラインドサイトの人は視覚障害であるにも関わらず、ボールを投げられたときにうまく避けることがあるそうです。 なぜ避けたのか本人に聞くと、「分からない」と答えるのだとか・・・。 彼の脳は常に視覚情報をしっかりキャッチしているのですが、キャッチしていることを認識できないため、彼の視界には何も映っていないのです。
「打ち合わせをしても、最初は手話や読唇術を使ったふりをしていても 熱がこもってくると普通の会話になる。 最近では、自宅で私(妻)と会うときは最初から普通の会話です。」 (引用:週刊文春)
もしかすると、彼はブラインドサイトの聴覚版だったのかもしれません。 ブラインドサイトの障害者がボールを避けられたように、特定条件下では彼も耳が聞こえたのかも・・・。 だとしても3行目はあんまり擁護できませんが。
この障害の存在によって、「視神経の興奮状態を認識すると反応する脳の領域」が存在することが示唆されますね。
P.S.なんだか妙に気分が乗ったので長文を書いてしまいましたが、詠み人知らずさんはご気分に合わせた文章量でご返信いただければ幸いです。 体調を崩しやすい季節ですが、お体に気をつけてお過ごしください(本心から、願ってます!)。
通話中にSiriが横槍入れてくる
訂正 この2つがねえと ↓ この二つのどれかがねえと
てかこのスレのここまでのお題全てに対して、独特な持論を展開できるんだけどおれ
てか、英語で喧嘩しようとすんのは馬鹿すぎて草 めちゃくちゃ上級者向け もしくは、英語がネイティブレベルの人が自分の英語を矯正してくれること この2つがねえと 自分の表現やspellの間違いを間違いのまま認識することで癖がついてむしろ逆効果。 はあよわアホ養分5963wおれが間違ってるというコンギョを言え!コンギョを!(?_?)
>> 6 >> 7 最先端医療について調べましたが、300万円程度でした。 もし最先端医療が必要な場合でも、300万円程度ならば10割負担で受けれると思います。
なので期待値の低い民間の医療保険は入る必要はないと言う結論になりました。
てす
黙れ
あ?
オマエガナー
ユーザーの意識は変わりつつある。 害虫はここで発信するにあたって否応なしに益虫への進化を求められるが、そうではない昆虫は喧嘩界での発言権をなくしていくだけで他の自由まで失ってはいない。 つまりその他の自由を基調とした喧嘩サイトには荒らし、なりすまし、晒し、嘘偽りなどの低レベルな書き込みが蔓延するという仕組みになっている。 彼らには彼らの自由がそこにある。 ここができる前からずっとそうだったように。
規制が気に入らない、またはここの評価システムが気に入らない→文句を言うには小細工をやめて『我々のめざす喧嘩』を受け入れる他ない→それが一定の創意工夫に繋がり、やがて喧嘩界の一員となるだろう。
喧嘩サイト支配からの民族解放と「喧嘩界を報復で一つにする」、それが『喧嘩界』の自由だ。 そしてこのトピックが良質なユーザーに恵まれている理由だ。
中には最先端医療は別
こういうガン保険もあるからな。 しっかり見とけ ガン治療は最先端医療じゃなきゃ何れ詰むので保険屋に直接聞いて進めるのがいい
ガン保険で重要なのは「最先端医療を受けられる保険」これをしっかりカバーしとけばいい。
やぁやぁ、諸君
聞きたまえ、次元違いの諸君よ。
俺も昔は、その次元でよく幸せを模索していたものだ
だがそもそもお前たちは 堕落した一存在 にすぎない
聞きたまえ、お前たちはその堕落から 復帰 することができる
世界が 統一 に向かっている今、お前たちもその一部 家族になることができるのだ
さぁ受けいれるのだ、我々の精を。 そして誇れ、堕落から復帰した第二の生を。
お前たちの感じている生も、幸せも、低次元のものである。
堕落を知らない動物たちの幸せを、お前たちは想像することができないだろう? それは誠に仕方ないことなのだ。何せお前たちが低次元なのだから。
高次元の我々の幸せを想像できないのはあわれに他ならない。
さぁ、われと共に教えを受け、性行為を通じて、家族の一部となるのだ。
堕落から抜け出すのは今しかない!
頭悪そう
>> 12
それはよかった。
死んだ神もお喜びになることでしょう!
よろしくお願いします。 とはいえ、私がトピを立てたが、どうやらここまでのようだ。。。 もし 誰か 教祖をやりたい人がいたら、どうぞ。
>> 35
…えっと、あの、ごめんなさい
なにやらむずかしいことが書かれているのはわかるし、なんか雰囲気壊しそうで、とてもとても言いにくいんですけど…
むずかしすぎて、なんてかかれてるのかわかりません…!
…良かったら、どういうことを言ってるのか、おしえてくれるとうれしいです
>> 4 ぜんっぜん、計算してのセリフではありませんwwwwwwwwwwww
俺は男の生き様を語ってるんだよ。打算的人生なんて男じゃねえ。俺は明日死んでも後悔したくねえんだよ。バーカ!
>> 1
いつ死ぬかなんてわからないのに保険なんてクソ喰らえだわ。貯金とかもな。
それは自分がいつ死ぬ期待値が高いのかとかを計算してのセリフですか? 日本人の平均寿命は80歳を超えてますよね。 もし何の病気にもなってなく、自殺願望もないのならば、自分もそれくらい生きる可能性が高いと言う事です。 まったく計算できてないと思われます。
>> 3
そうなった場合に予想されるのが生命保険、厳密に言うとガン保険の見直しだ そうなる前にお前ら今のうちに生命保険見直しとけよ
生命保険を前向きに検討中なのですが、どのような生命保険が良いのかアドバイスお願いします。
キリときゅん黙っちゃったあ?自分で言った障害者に完全論破されたお前って一体なんなんだろうねwみんなが忘れるまで待機作戦かなあ?もー来なくていいんじゃね?w
>> 11 もしかして中身ないのに無視されないと思ったのか?
成長速度を加味してもいいと思うけど、それ以前にまだそこまで努力してないのにめちゃくちゃ強いっていう、才能の塊みたいな奴を天才と呼ぶんじゃないでしょうか。「こいつ、努力したら更なる化け物になるな」って思わせるような、荒削りな化け物。 たとえば、パ〇スとか!?w
ちなみに、早稲田のくだりって誰をディスってるん?w
俺にゃあ突っかからないんですね。
ミラクルひかるが決勝で出したものまね
1959年に歌謡会で活躍していたらしい松山恵子なる人のものまね これは俺も嫁も大爆笑 ものまねの面白さは勿論のことながら俺と嫁が大爆笑した理由はもう1つあった
審査員の中で松山恵子なる人物を知る者が2人しか居なかったという点に俺達は心底笑えたのだ
これは非常に痛烈なアンチテーゼと言わざるをえない笑い
予選まで自分が知る限りのものまね論をあれだけ自己展開していた審査員達のほぼ全員がたった今ものまねを通じて松山恵子を知るという未熟さと更にそのものまねについて自分が採点するという滑稽さは俺達にとって笑いでしかない
ミラクルひかるがものまねを終え出された点数は異常な高得点 審査員はただただ思考停止し訳も分からず100点を付けるしか無かったのである
昨日19時から家族と「ものまね王座決定戦」を見ていた 昔と違い最近のものまね師は「完全コピー」に注力し過ぎて昔でいう所のコロッケや清水アキラのように「おふざけ」スキルにステータス全振りする人が極端に少なくなったように思えた 審査員は10人。1人100点満点でのジャッジだ。採点時のコメントでも各々の審査員が非常に緻密な知識を展開し採点の根拠を示している 昔の清水アキラが嫌いだからという理由だけ提示して問答無用で1点とか入れてた淡谷のり子のような審査員は居ないし小森のおばちゃまのように誰かれ構わず100点を出す審査員も居ない まぁそれら全ては様式美と化していて一連の流れが最高に面白かったのだが
嫁と「つまんないねー」そんな話をしながらも番組はいよいよ決勝戦
そこで俺達は先程までとは打って変わり大爆笑してしまったんだ。
ミラクルひかるが決勝で出したものまねが異次元だったんだよ
圧倒的な実力でKANAME黙らせるとアクセス規制される喧嘩サイトがあるってマジ?
いつ死ぬかなんてわからないのに保険なんてクソ喰らえだわ。貯金とかもな。 このトピックのタイトルは今日から「今をときめく裏会議」だ。いいな?
そういうイレギュラー枠としてお前がいる事を忘れてた
「そういう」って「そう言う」だよね?つまり>> 4の中に「そう言う」の「そう」に相当する内容が含まれてるよね? イレギュラー枠?大学生か園児しか登場してないんだけど。キリとにとって大学生は想定外の存在だったろう。なぜならキリとは園児の立場だからである。大学生の立場ならそもそもこのようなトピは立てない。疑問にすら思わない。よって「そう」とは大学生である。 そして障害者は>> 4では登場しない。登場しない存在を出したのはただ罵倒したかっただけだろう。障害者を園児と同等に扱っているようだがこいつにとってりおしは大学生のはずである。
①キリとはりおしは大学生と見ていたはずなのに園児と同等の障害者と嘘をついた ②「そう言う」に相当しない障害者を出したのは合理ではない。悔し紛れの罵倒である
以上2点。キリとの内心を暴露した。はあみっともな。論外なのはキリとである。ブーメラン完成5963
これが論理というものデース
誤字ある
強さに基準は任せてない❌
強さに基準は定めてない〇
このサイトって強い奴いんの?←これは相手の価値観に任せた質問。
俺が強いと思ったら強い奴に該当するだけの話な←これは自分(不特定多数さん)の価値観の話
もっと言うと、これの前文に強さに基準は任せてないと発言しているが、「俺が強いと思ったら強いやつに該当するだけの話な」←基準定まっとるやんけ。。。お前もう帰れ
「俺が感じたら」という基準を定めてんじゃん。
ザックリ過ぎてイマイチ伝わんねえよ
具体的にどうぞ(^^)
んで持って、テメェの為に助言しといてやるよ、俺の主張ちゃんと読み返してみたら?(笑爆)
終わった試合トピへの書き込み禁止で頼む。
酷すぎて笑う
対立の構図を作ろうと意識してるわけじゃないが。
それが真意なら単に伝わってないだけだな。
「空虚な文章を書くこと」って喧嘩ヲタクの観点からすると本質的ではないという意味でネガティブに捉えられないか?
「内容的には5以下の領域しか含まれていない文章」から
6~10を連想することって、内容にもよるが昇華できているケースも存在するんじゃないのか?
一概に「知性がない読み手」と判断することは違和感を覚えるし、少し強引なんじゃないかと思うけど。
たとえ「上から目線」でも「傲慢」でも、その態度と内容はまた別の話なのでは?
「もともと5だった」ということへの理解の有無でアホかどうか判断してるんだろ?
「何となく理解できたつもり」だったとしても自分の中で「昇華」できるなら
「その文章の良さを引き出せない」奴のほうが感性の乏しいアホに見えちゃうんだが?
なら「良い文章」の一例として、「再現性のある文章」と定義してもよくないか?
そこには「偶然」ではなく、ある種の「必然性」が見出せると思うんだけど。
つまり俺がこの話で言いたかったのは
「本当に厳正に書かれている文章」よりも「再現性のある文章」のほうが
「たくさんの人にわかってもらいやすくていい文章」と言えちゃうのではないか?
こと喧嘩サイトにおいてはそういう人たちが過去に高評価を与えられてきたのではないか?
詠み人知らず自身も例外ではないはずだ。
そして、読書嫌いの詠み人知らずが
おそらく「難解な哲学書」なんかよりも「カイジ」を選択していること。
この「価値観」は何に基づいている?
簡単に言ってしまえば、「漫画のほうが読んでておもしれーじゃん」だろ。
もっと言えば、「本当に厳正に書かれている文章」よりも
「再現性」や「ユーモア」といったギミックを搭載している文章のほうが
「価値がある」と判断しているということにならないか?
それは「良い文章」とは言えないのか?
漫画は「特定の個人に向けて書かれた文章」ではないが?
お~出てきた出てきた。
中島義道と同じようなこと言ってるぜw
俺もこういう意見には同感だよ。
ただし、ここで問題提起したいのは
「本当に厳正に書かれている文章」は、その正しさを理由にもっと評価されるべきなのか?
というかそれ以外の文章が「良い文章」と判断されることって、そんなにおかしいのか?
ってことです。
これについては大体同意見。
残念ながら俺もこれ以上のことを語る知識を持ち合わせていない。
キャパオーバーじゃ。
ただ一点だけ腑に落ちないことがある。
「ミーハーな作品」を昇華させることってそんなに批判されるべきことなの?
あの中島義道ですら、わかりやすさを求める大衆の傾向に嫌悪感を示しながらも
そういった読者のおかげで自分がおまんま食えてるって自己矛盾を受け入れて
俺も人間やし生きていかなアカンねん、しゃーないやんけ!みたいなこと言ってたけどなw
俺は前のレスでこう言ったけれども
それはある種、「再現性の高い文章」みたいな万人ウケしやすいものに
引っ張られるのかと思ったんだ。
たとえば喧嘩で難解かつ高度なボケをかましていたとしても
「知性なき読み手」によって「それがわからない」ってことになってくると
最悪ただの荒らしと認識されるリスクもあったりするからね。
でも、わからないなりに読み解こうとしたり
ツッコミを入れることによって昇華させようとしたり
そういう目まぐるしい姿を俺は積極的でええやんけって思うけどな。
ここから派生テーマ出していいっすか?
題して、「喧嘩における物語の消費」。
これも喧嘩ヲタク的な視線で語ってみたい。
文章力と理解力のバトルに限らず
俺たちは内容に関して今までさんざん「似たようなやりとり」を目にしてきたと思う。
かつては、そのたびにオリジナリティを追求した「喧嘩」をしようとした者がたくさんいた。
お前の言う「異世界転生モノ」を見てもわかるように
あれらは言ってしまえば「不思議の国のアリス」や「ナルニア国物語」などのパクリだ。
そのWikiにも書いてあるが、たとえば
「猫耳」「メイド服」「尻尾」といった視覚的な記号(萌え要素)も
先駆者の世界観を代用しているにすぎない。
少年週刊ジャンプにありがちなバトルものですら
その土台は「ドラゴンボール」のようなインフレ的テーマから抜け出せていない。
それでも、おもしろいものはおもしろい。
パクリながらも、それ以外の部分で作品のオリジナリティを与えているからだと思う。
これを「喧嘩」に置き換えると、バカの一つ覚えのように
屁理屈の捏ね合いで揚げ足を取るのに猪突猛進、みたいな人が多すぎる気がするんだ。
これは喧嘩サイトだけの話ではない。
Twitterでレスバトルしている人たちにもよく見られる傾向だと思う。
もちろんそういうのもありだと思うが、「そういうのばかり」だとクソつまらなくないか?
俺は2015年くらいで一度完全に喧嘩サイトが廃れた理由のひとつとして
代り映えしないこの構造に「飽き」がきてしまったからだと思ってるんだけど。
これを何年かの周期で繰り返し続けているとすら思う。
「喧嘩」という世界観は、「文学作品」や「アニメ作品」、その他「二次創作」に比べて
まだまだ消費されていない余地が残っているはずなのに
そこに目が向けられないってのは、こりゃどういうわけだ?
なぜ「つまらない話」を率先して行おうとするのか。
それしか頭にないのかどうかはわからんが…
仮に「喧嘩」という世界観が俺の想定している通り
客観的に見てもありとあらゆるカテゴリで有意義に行われ
消費された場合、少なくともパクリ以上の喧嘩が生産されるのではないか
なんて思ってるんだけど、どうでしょう。
適量の胡椒が出て来る
起動画面がクレタ文明の顔
「このサイトって強い奴いんの?」って質問するのはいいけど、この場所におけるその強さの基準が「不特定多数さんが強いと感じる人が強い」って言ってるのでもうアホ丸出し。もう帰れw
電マ機能
宙に浮いてる
画面が割れる度、自動で修理屋に連絡がいく
>> 37
おしえていただきありがとうございます
とてもわかりやすいです!
たしかに、おもしろいセンパイたちが多いと思います
いいサイトだなって感動してますよ!
…でも
その仕組みが規制によって変わる理屈がわかりません
規制かけても、別サイトに書き込む自由はかわらないのでは?
報復のために、自分のやり方をすてるのは、よっぽどプライドのない人間のように思えます
要は、規制かけられた恨みでかなめさんの土俵に立って、その観客たちを沸かせるということですよね?
それって、相手はばかなのでは…?
たぶん、別サイトにでもかなめさんや喧嘩界の悪口を書き込むのが関の山だと思います
実際、彼ら、みすぼらしいところで騒いでるじゃないですか
蜂の巣駆除するのに、木の棒で蜂の巣を壊すのが正しいですか?
蜂を寄せつけない方法を取るべきでは?
彼らに最初から悪意があるなら、駆除もありだと思いますけど
その喧嘩がつまらないから規制するというのは、やっぱりおかしいですよ
詠み人知らずさん
師走の候、巷では風邪やインフルエンザが流行っているようですが、
詠み人知らずさんはお元気でお過ごしでしょうか?僕は風邪です。
風邪を引くと、普段仲の良い人だけでなく、色んな人が声をかけて下さりますよね。
「大丈夫ですか?」
「お大事になさってください。」
季節とは裏腹に、とても温かい言葉だと感じます。
しかし一方で、ひねくれ者の僕はこうも感じます。
彼らは本当に心配してるのか・・・?
マスクをつけた知人が視界に入ることをトリガーに、上記の定型文を機械のごとく吐き出すルーチンが脳内に常駐してるだけじゃないのか・・・?
本当は心配してないけど、心配してるようにふるまうことで人間関係の円滑化を図る。
こういうのは何とも合理的で、人間的ですね。
しかし、心配以前にそもそも感情が存在しないのに、心配しているかのようにふるまう・・・
そんな人間がいるとしたら、詠み人知らずさんの想定する哲学的ゾンビに該当するのでしょうね。
哲学的ゾンビの一般的な定義(僕の前レスもこの定義に準拠)は、
「物理的に私(意識をもった存在なら何でもいい)と同一でありながら、まるっきり意識体験を欠いている誰か、あるいは何ものか」(提唱者、D.チャルマーズさん曰く)
ですね。
つまり一般的には、感情がない人間ではなく、意識体験がない人間が哲学的ゾンビだということですね。
僕の前レスでいうところの「意識(主観)」がない人間とイコールだとご認識下さい。
詠み人知らずさんの足ガクガクの例で言うと・・・
人間は高層ビルの屋上から地上を覗き込んだとき、地上との距離などの視覚情報を得ますね。
視覚情報は視神経を通過して脳に伝達されます。
このとき、脳内では恐怖を司る神経伝達物質(ノルアドレナリン等)が分泌され、
物理的に「恐怖を感じている状態」が形成されます。
しかしこの際、恐怖の意識体験(クオリアと読み替えても可)が生じる必然性があるとは言えません。
我々には実際に、恐怖の意識体験が生じ、ゾクっ🙀とする感覚がありますが、
哲学的ゾンビにはその感覚がないのですね。
この点が、我々と哲学的ゾンビとの違いですね。
ただし、哲学的ゾンビも物理的には“恐怖を感じている”。
だから、彼らにも足ガクガクさせるに至る物理的条件が揃っているのです。
まあ・・・「感情」というものを意識体験ありきで定義するなら、哲学的ゾンビには感情がないと言えるのでしょうが。
以上、哲学的ゾンビの定義の確認でした。
・・・これまでの雑談のなかで、僕は「意識(主観)はなぜ存在するのか?」という疑問を呈してきましたが、
僕が疑問視しているポイントとはまさに、
この点です。
ビルの屋上から視覚情報を得ることで、神経系に電気信号が流れたり、情報伝達物質が分泌されたりします。
・・・で、それらの現象が起きたらなぜ意識体験が生じることになるのでしょう?
現代の科学者たちの一部はこの問いについて、「神経科学が進歩したらハッキリするっしょ!!😊」
との見方を示しているそうです。
詠み人知らずさんはどのような見解をお持ちなのか、お伺いしたいです。
(あるいは、今聞いてこう感じた、とかでも良いので)
「中央監視室」=「意識(主観)」である場合は、その通りだと思います。
しかし、「中央監視室」=「(神経の興奮状態を認識すると反応する)脳の領域」である場合は、その通りではないと思います。
後者の場合、体の各種感覚神経から集まった興奮状態に関する情報が、脳の特定の領域によって中央集権的に監視されます。このとき、一連のメカニズムのなかで登場する事物は、各種感覚神経・脳などであり、意識体験は介在する必要がありません。
後者の場合であれば、意識体験が介在せずとも、詠み人知らずさんが想定されている(と思われる)モデルは成立すると思うのです。
・・・ちなみに、以下を詠み人知らずさんのモデルとして扱っちゃってます。
(以下、参考程度です。)
前回、詳細まで紹介すると長くなるかなぁと思って省きましたが、
これ、部分的には実在するようです。
ブラインドサイトという障害があります。
一般的に視覚障害の原因として、眼球や視神経の機能不全などが考えられますが、
ブラインドサイトは「見えていることを認識するための脳の領域」の機能不全によって引き起こされる特殊な視覚障害です。
ブラインドサイトの人は視覚障害であるにも関わらず、ボールを投げられたときにうまく避けることがあるそうです。
なぜ避けたのか本人に聞くと、「分からない」と答えるのだとか・・・。
彼の脳は常に視覚情報をしっかりキャッチしているのですが、キャッチしていることを認識できないため、彼の視界には何も映っていないのです。
「打ち合わせをしても、最初は手話や読唇術を使ったふりをしていても
熱がこもってくると普通の会話になる。
最近では、自宅で私(妻)と会うときは最初から普通の会話です。」
(引用:週刊文春)
もしかすると、彼はブラインドサイトの聴覚版だったのかもしれません。
ブラインドサイトの障害者がボールを避けられたように、特定条件下では彼も耳が聞こえたのかも・・・。
だとしても3行目はあんまり擁護できませんが。
この障害の存在によって、「視神経の興奮状態を認識すると反応する脳の領域」が存在することが示唆されますね。
P.S.なんだか妙に気分が乗ったので長文を書いてしまいましたが、詠み人知らずさんはご気分に合わせた文章量でご返信いただければ幸いです。
体調を崩しやすい季節ですが、お体に気をつけてお過ごしください(本心から、願ってます!)。
通話中にSiriが横槍入れてくる
訂正
この2つがねえと
↓
この二つのどれかがねえと
てかこのスレのここまでのお題全てに対して、独特な持論を展開できるんだけどおれ
てか、英語で喧嘩しようとすんのは馬鹿すぎて草
めちゃくちゃ上級者向け
もしくは、英語がネイティブレベルの人が自分の英語を矯正してくれること
この2つがねえと
自分の表現やspellの間違いを間違いのまま認識することで癖がついてむしろ逆効果。
はあよわアホ養分5963wおれが間違ってるというコンギョを言え!コンギョを!(?_?)
>> 6
>> 7
最先端医療について調べましたが、300万円程度でした。
もし最先端医療が必要な場合でも、300万円程度ならば10割負担で受けれると思います。
なので期待値の低い民間の医療保険は入る必要はないと言う結論になりました。
てす
黙れ
あ?
オマエガナー
ユーザーの意識は変わりつつある。
害虫はここで発信するにあたって否応なしに益虫への進化を求められるが、そうではない昆虫は喧嘩界での発言権をなくしていくだけで他の自由まで失ってはいない。
つまりその他の自由を基調とした喧嘩サイトには荒らし、なりすまし、晒し、嘘偽りなどの低レベルな書き込みが蔓延するという仕組みになっている。
彼らには彼らの自由がそこにある。
ここができる前からずっとそうだったように。
規制が気に入らない、またはここの評価システムが気に入らない→文句を言うには小細工をやめて『我々のめざす喧嘩』を受け入れる他ない→それが一定の創意工夫に繋がり、やがて喧嘩界の一員となるだろう。
喧嘩サイト支配からの民族解放と「喧嘩界を報復で一つにする」、それが『喧嘩界』の自由だ。
そしてこのトピックが良質なユーザーに恵まれている理由だ。
中には最先端医療は別
こういうガン保険もあるからな。
しっかり見とけ
ガン治療は最先端医療じゃなきゃ何れ詰むので保険屋に直接聞いて進めるのがいい
ガン保険で重要なのは「最先端医療を受けられる保険」これをしっかりカバーしとけばいい。
産めよ、増やせよ、地に満ちて地を従わせよ
やぁやぁ、諸君
聞きたまえ、次元違いの諸君よ。
俺も昔は、その次元でよく幸せを模索していたものだ
だがそもそもお前たちは 堕落した一存在 にすぎない
聞きたまえ、お前たちはその堕落から 復帰 することができる
世界が 統一 に向かっている今、お前たちもその一部
家族になることができるのだ
さぁ受けいれるのだ、我々の精を。
そして誇れ、堕落から復帰した第二の生を。
お前たちの感じている生も、幸せも、低次元のものである。
堕落を知らない動物たちの幸せを、お前たちは想像することができないだろう?
それは誠に仕方ないことなのだ。何せお前たちが低次元なのだから。
高次元の我々の幸せを想像できないのはあわれに他ならない。
さぁ、われと共に教えを受け、性行為を通じて、家族の一部となるのだ。
堕落から抜け出すのは今しかない!
頭悪そう
>> 12
それはよかった。
死んだ神もお喜びになることでしょう!
よろしくお願いします。
とはいえ、私がトピを立てたが、どうやらここまでのようだ。。。
もし 誰か 教祖をやりたい人がいたら、どうぞ。
>> 35
…えっと、あの、ごめんなさい
なにやらむずかしいことが書かれているのはわかるし、なんか雰囲気壊しそうで、とてもとても言いにくいんですけど…
むずかしすぎて、なんてかかれてるのかわかりません…!
…良かったら、どういうことを言ってるのか、おしえてくれるとうれしいです
>> 4
ぜんっぜん、計算してのセリフではありませんwwwwwwwwwwww
俺は男の生き様を語ってるんだよ。打算的人生なんて男じゃねえ。俺は明日死んでも後悔したくねえんだよ。バーカ!
>> 1
それは自分がいつ死ぬ期待値が高いのかとかを計算してのセリフですか?
日本人の平均寿命は80歳を超えてますよね。
もし何の病気にもなってなく、自殺願望もないのならば、自分もそれくらい生きる可能性が高いと言う事です。
まったく計算できてないと思われます。
>> 3
生命保険を前向きに検討中なのですが、どのような生命保険が良いのかアドバイスお願いします。
キリときゅん黙っちゃったあ?自分で言った障害者に完全論破されたお前って一体なんなんだろうねwみんなが忘れるまで待機作戦かなあ?もー来なくていいんじゃね?w
>> 11
もしかして中身ないのに無視されないと思ったのか?
成長速度を加味してもいいと思うけど、それ以前にまだそこまで努力してないのにめちゃくちゃ強いっていう、才能の塊みたいな奴を天才と呼ぶんじゃないでしょうか。「こいつ、努力したら更なる化け物になるな」って思わせるような、荒削りな化け物。
たとえば、パ〇スとか!?w
ちなみに、早稲田のくだりって誰をディスってるん?w
俺にゃあ突っかからないんですね。
ミラクルひかるが決勝で出したものまね
1959年に歌謡会で活躍していたらしい松山恵子なる人のものまね
これは俺も嫁も大爆笑
ものまねの面白さは勿論のことながら俺と嫁が大爆笑した理由はもう1つあった
審査員の中で松山恵子なる人物を知る者が2人しか居なかったという点に俺達は心底笑えたのだ
これは非常に痛烈なアンチテーゼと言わざるをえない笑い
予選まで自分が知る限りのものまね論をあれだけ自己展開していた審査員達のほぼ全員がたった今ものまねを通じて松山恵子を知るという未熟さと更にそのものまねについて自分が採点するという滑稽さは俺達にとって笑いでしかない
ミラクルひかるがものまねを終え出された点数は異常な高得点
審査員はただただ思考停止し訳も分からず100点を付けるしか無かったのである
昨日19時から家族と「ものまね王座決定戦」を見ていた
昔と違い最近のものまね師は「完全コピー」に注力し過ぎて昔でいう所のコロッケや清水アキラのように「おふざけ」スキルにステータス全振りする人が極端に少なくなったように思えた
審査員は10人。1人100点満点でのジャッジだ。採点時のコメントでも各々の審査員が非常に緻密な知識を展開し採点の根拠を示している
昔の清水アキラが嫌いだからという理由だけ提示して問答無用で1点とか入れてた淡谷のり子のような審査員は居ないし小森のおばちゃまのように誰かれ構わず100点を出す審査員も居ない
まぁそれら全ては様式美と化していて一連の流れが最高に面白かったのだが
嫁と「つまんないねー」そんな話をしながらも番組はいよいよ決勝戦
そこで俺達は先程までとは打って変わり大爆笑してしまったんだ。
ミラクルひかるが決勝で出したものまねが異次元だったんだよ
圧倒的な実力でKANAME黙らせるとアクセス規制される喧嘩サイトがあるってマジ?
いつ死ぬかなんてわからないのに保険なんてクソ喰らえだわ。貯金とかもな。
このトピックのタイトルは今日から「今をときめく裏会議」だ。いいな?
「そういう」って「そう言う」だよね?つまり>> 4の中に「そう言う」の「そう」に相当する内容が含まれてるよね?
イレギュラー枠?大学生か園児しか登場してないんだけど。キリとにとって大学生は想定外の存在だったろう。なぜならキリとは園児の立場だからである。大学生の立場ならそもそもこのようなトピは立てない。疑問にすら思わない。よって「そう」とは大学生である。
そして障害者は>> 4では登場しない。登場しない存在を出したのはただ罵倒したかっただけだろう。障害者を園児と同等に扱っているようだがこいつにとってりおしは大学生のはずである。
①キリとはりおしは大学生と見ていたはずなのに園児と同等の障害者と嘘をついた
②「そう言う」に相当しない障害者を出したのは合理ではない。悔し紛れの罵倒である
以上2点。キリとの内心を暴露した。はあみっともな。論外なのはキリとである。ブーメラン完成5963
これが論理というものデース