? お前が園児だって話なんだけど? 俯瞰した意見出されて必死こいてひねり出したのがそれ?wショーガイシャーってただの罵倒じゃんw理屈で返せや理屈でwマジゴミw論外なのはお前だよガキw
追記 で、バカアホ云々掘り下げてる部分どこよ? バカアホの基準はそれぞれ、今から掘り下げるって言った後まーったく掘り下げられてない別の話になってる事ツッコむぞ俺は。
ごめんそういうイレギュラー枠としてお前がいる事を忘れてた。 でも対等に張り合った気でいる障害者(お前)や園児は言わずもがな論外だよ。
何言ってんだザコ。 俺は喧嘩と知力の結び付きは否定してねーぞ。 現時点での喧嘩の実力が高い人間が知力が高いとは限らないって事を知力のうちに成長速度も加味したらどうよってつつきながら言ってんの。 ペラッペラな長文書くなよ萎えるから。
、
彼は俺にある考えを話した。
『彼らは喧嘩サイトの使い方を知らない』 『だから喧嘩サイトでは“ユーザーの意識”を変えたい』と。
彼は言葉を使って喧嘩サイトをひとつにしようとした。
喧嘩サイトは自由の国。 移民の集まりだ。
住民は溶け合わず 人種ごとに分かれて暮らしている。
それぞれに異なる母語(ルーツ)がある。 喧嘩サイトは多種多様。 決してひとつではない。
だが彼はそれをひとつにしようとしていた。 それぞれの“意志”を。
ユーザーの一人一人が“自由意志”で “我々のめざす喧嘩と同じもの”を求める……。
そんな単独行動主義(ユニテラリズム)を 個人になど任せられるはずがない。
そこで彼が求めたのは “情報”で“言葉”で “無意識”を統制するシステムだった。
ユーザー、そして喧嘩サイトをひとつにする。 彼はそれが友人の意志だと。
だが彼はその友人の望みなど判ってない。
彼がそのことに気付くよりもずっと前から 彼の“母語”は“自由”だからだ。
言葉を亡くす幻肢痛をまだ知らないのだ。 彼にその友人の意志はわからない。
俺はもなちゃとで生まれた。 幼い頃、平成喧嘩塾の塾生達が俺の故郷を、襲った。
仲間から引き離され、彼らの言葉を植え込まれた。 界隈が変わるごとに支配者は変わり そのたびに違う言葉を書いてきた。
……言葉とは、奇妙だ。
言葉が変わると、俺も変わった。 性格、ものの考え、善と悪。
言葉は人を殺す。 俺は言葉に支配され、言葉は俺の内(なか)に寄生した。
ある思想家は言った。
『人は国に住むのではない、国語に住むのだ』
『国語』こそが我々の『祖国』だ。 俺の『祖国』(ことば)。
俺の真実は奪われたのだ。 俺に過去はなくなった。 あるのは未来だけだった。
『報復』という未来。 他人(ひと)の言葉に寄生する者たちへの報復だ。
その方法は彼に学んだ。
そして俺は解った。 彼こそが報復すべき相手だったのだ。 彼が人々を支配するために選んだ『配列』(コード)こそが。
言葉のコード、空間を行き交う情報のコード それらを制御して喧嘩サイトは 彼は世界をひとつにしようとしているのだ。
言葉(コード)は頭に入り込み、内側から吸い尽くし、次の宿主(ホスト)へ伝染する。
世界に寄生しているのは そう、彼の方なのだ。
彼は人々をさらに蝕んでいく。
俺がこの世界に生まれた自由を殺し 俺の歩んできた道を殺し 俺の進むべき道を殺す。
俺達はその時代に殺されたまま生かされる。 そして世界は“ゼロ”になる。
喧嘩サイトのコードが世界を支配しようとしている。 “支配できる”と。 それらコードの基となる“母語”こそが“自由”なのだ。
俺は喧嘩界に巣喰う害虫を駆除する。 全ての民族は息吹を取り戻し 現在、過去、未来を勝ち取るだろう。
これは『民族浄化』などではない。 民族を解き放つ、『民族解放』なのだ。
喧嘩サイトはありのままでいい。
自由という共通言語(リングワ・フランカ)を喪えば 喧嘩界は分裂するだろう。
そして喧嘩界は自由(freedom)になる。
だが人々は苦しむはずだ。
『幻肢痛』(ファントム・ペイン)に。
喧嘩界には新しい共通語(ことば)が必要となる。
それが『我々のめざす喧嘩』だ。 拡散した『我々のめざす喧嘩』がユーザーとユーザーを隔たりなく等号(イコール)で結ぶ。
平等に。 他には何も共通語(ことば)はいらない。
あらゆる勢力は互いを認め合うしかなくなる。 人々は自らの痛みを飲み込んで 失われた手を互いに繋ぐのだ。
『世界はひとつになる その為の戦争は平和である』
——神は死んだ。
そして超人が生まれた。 我々は神に成り代わり、「ニーチェマジ神!」と崇め奉ることで自分たちの手で価値を自発的に創造していくことに成功した。
しかしそれも言うなればひとつの宗教にすぎなかったが、しょせんこの世は幻想。 そのマリア的享楽によってふくちゃんが生まれた。
そんなトピックを管理人が消すはずがない。 これでまたひとつ、世界の統一に近付いたのだ。
わろたw
個人的にはやり取りをしていてすごく面白いのだが、 俺がこのトピックの良さを全て引き出すにはまだまだ力不足のようだな… この世の宗教を挙げよと言われても4つくらいしか思いつかない俺は今後ペース落として エスプリ持て余しまくったすげえ奴らに席を譲ります。
よぉ、久しぶりだなお前ら。身の回りのドタバタが落ち着いて、ちょっと復帰すっぺな〜と思ったら、パルスくんは相変わらず頭の悪いことほざいてんのな。
「無の証明は不可能である」というのは、あくまで直接的な証明に限った話なのであって、間接的な証明は可能であり、その意味において「無の証明は可能」となるのは、もはや常識ですから(笑)
そもそも、「無の証明は不可能である」という言説自体、「無の証明は困難である」若しくは「無の証明は実質的に不可能である」に尾鰭が付いて流布されたものだろう。
そのような言説が流布された所以は、無の状態を立証するためには、それに関連する有の状態全てを列挙して論じなければならず、それはきわめて困難であるという考え方にある。
しかしながら、実のところは、有の状態を否定する明白な証拠、これが存在する事実を立証することにより、無の間接的な証明は可能となる。少し具体化するなら、有の状態が虚偽であることの証拠がそれにあたる。
一見すれば、お前は小難しく、またもっともなことを述べているように思えるかもしれないが、その実は至極当然な常識をトレースしているだけで、ハッキリ言えば中身がスカスカ。
ドヤ顔こいて高説垂れてるが、いやそれ当たり前じゃんw って感じ。
まぁこれからもサンドバッグにしてやるから涙拭けよ^^
>> 33
たしかに、かなめさんのやり方にも一理あります リスクをあらかじめ想定して規制していくのだって、管理の基本だとおもいます
でも、かなめさんの喩えた害虫だって、喧嘩をしているんです それを、規制していくのは、間違っているのでは?
だって、ここ、言いたいことなんでも言えちゃう喧嘩界ですよね?
それを、その喧嘩が面白くないからという理由で、規制かけていったら…
なんでも言えなくないですか?
違います?
だったら、ユーザーの意識を変えていく方向に持っていく方がいいとおもいますけど だって、益虫に変えられるかもしれないじゃないですか?
それができない奴がいたとして、それってなんでなん?
それは、自分のやり方が正しいと信じてるからだとおもうんですよ
それを直接全否定されれば、誰だって反感持つじゃないですか?
>> 9
宗派を変える? 他の教えなどすべて妄言!
あ、新たなステージっていうのは、えっと、 そうだ。天の声のことなのだ!それは他の宗派に移るなど、言語道断!天の声に背いている!
今までは天の声を行として唱えることで、積んだ徳があったおかげで、かろうじて 生きてこれたというのに! 生きてこれていたことに感謝して、行を唱え続けるのですよ!
とはいうものの、「他の宗派」というのをキーワードに負けを認めるつもりだったので 今日で解散だ。
まぁそのつもりはなかったのかもしれないが、この宗教は他の宗教をモデルにしている。 天の声と言っているが、他の宗教でよく聞く神の代弁者と同じ。 他の宗教の神の声が妄言で、自分の宗教だけ本物ということについては証明できない。まぁ実際は「本物だ」とごり押しになるのだろうが。
ネタ晴らし: https://ja.wikipedia.org/wiki/法の華三法行
>> 8 そのドロボウ、さっきニュースで見たわ…。せっかく助けたはずだったんだが、どうやら常習的にドロボウをしていたようで逮捕されちまったらしい。
いやあ、悲しいなあ。せっかく助けたドロボウが逮捕されるなんて。刑務所という新たなステージに立てたドロボウは感謝なのかなあ。まあそもそも、みんな金持ちならアルソックと契約できてドロボウに入られずに済んだし、そもそもドロボウももし金持ちだったらドロボウなんてしなくても済んだというのに…!
っていうかそろそろ餓死しそうなんだけど、冥界という新たなステージに立てることに感謝しないといけないのかなあ。っていうか宗派を変える、もしくは辞めるという新たなステージに立つことに関してはどうお考えでしょーかwww
>> 7
おぉ、ボンピャッキングベイベーよ!
それを不幸と思うなかれ。 なぜならば、「泥棒に入られたり、云々という出来事」から逃れるために、修行するのではないのだ。
そうならなければならなかった 真の原因 を取り除くために、修行するのだ。
それはなにか? あなたの目線 である。
あなたは気づいていない。
泥棒という身分に陥った貧しい人を助けたこと、収入が減ることで物欲が減っていること、会社を辞めて新たなステージに立てたということ、感謝なさい。幸福に近づいていることを
これからも、行を唱え続けることで、その恩を返すのですよ。
注:大体どこの宗派とも同じ止め方をします。幸福になることを目的に勧めますが、宗派は自責することはありません。幸福になれない信者に問題があると言い張ります。場合によっては信者の家族を巻き込んで、信じていない身近な人のせいにして、信者を孤立させます。
>> 6 お…俺はボンピャッキングベイベーだったというのか…っっ!認めぬ、認めぬぞ…!
てか昨日めっちゃ行を唱えまくってたんだよ。そりゃあもう、鬼の形相で。
そしたら、ドロボウが入ってきて財布スられた。ことに、気付かなかった。唱えてたせいで。
はあ、この宗派に入って3年経つけど不幸の連続だなあ…。悪いことばかり起きてるなあ…。行を唱えるのに全力傾けてたらドロボウに入られるわ、行を唱えるのに全力傾けるがために仕事にあんま身が入らないせいで収入減るわ、、てか会社クビになって今じゃアルバイト生活でアルソックと契約する金もないわ、アパート生活で近隣住民から「変な怨念を感じる」って苦情を入れられるわ踏んだり蹴ったりなので退会していいっすか?
つまり、なかには、それが「おもしろい」という人がいれば、「最低限の会話ができない」人の存在も認めるべきと?
それで「我々のめざす喧嘩」が達成できるのか? 根本的な志が同じにならないことには実現不可能だと思うけど。
「おもしろさ」の問題がすっぽり抜け落ちてる。
ようこそ。 「価値観の森」へ。
>> 26でなごみんはこう言ってる。
おもしろくない、わたしも同感です
せっかく畑を耕して、「喧嘩の良さ」を引き出せる環境を育てているのに、害虫によって蝕まれたら本末転倒では。
俺以外の奴はこう言うかもしれない。
自然栽培こそ至高!
それは「至高」ではなく「理想」というのが俺の持論だ。 「我々のめざす喧嘩」を何不自由なく可能にするにあたって必要なのは、人為的な手段であり、ただでさえ荒れやすく、最低限の会話もできておらず、おもしろくない喧嘩が量産されるリスクを規制することだ。
もちろん、今の喧嘩界は運営の裁量で行われている。 だから俺は、利用者の一人であるなごみんにヒアリングしているわけだ。
「俺となごみんが同感した『おもしろくない』という感情を与える存在は、我々のめざす喧嘩をするにあたって必要なのか否か」
勝ち負けにこだわるから、ひどいものになるし その勝ち負けにこだわるから、ひとつのやり方にこだわって、独創性がなくなっていくとおもうんですよ だから、いっそ、勝敗をなくせばいいんです
勝ち負けにこだわるから、ひどいものになるし その勝ち負けにこだわるから、ひとつのやり方にこだわって、独創性がなくなっていくとおもうんですよ
だから、いっそ、勝敗をなくせばいいんです
ちょ、待て待て待て待てえい! 結論を先急ぐなよ!! それはいくらなんでも極論すぎるだろ…!
勝ち負けにこだわりつつも、おもしろいものをしたためたり 勝ち負けにこだわりつつも、さまざまなやり方で独創性を希求すること
共存することは可能とちゃうんか? それができない奴がいたとして、それってなんでなん? ランキングの話は脱線するので置いときます。
TwitterとかSkypeでよく盲目陰キャ引っ掛けてる地雷女とか萌え声厨を最近になって言い負かせるようになってきた勘違いイキリチンカス論争厨(笑)の臭いがプンプンする。
>> 5
みなさん、最初は同じことを言うのですよ
信じるのです。 運命を切り開く のも 幸福になる のも、あなた自身にすでに備わっているのです。
ただしそれが発揮できていないから、そのような悲しいことを言う。。。
発揮するための修行、それが行を唱えることです。
そして行とは天の声である、それを聞くにはやはり他の信者たちと同様、私から代弁してもらうしかないのだ。
注:霧雨さん、いきなりこの宗派の核心を突いています。神と言う存在を万能としていないところが、この宗派が民間で大流行りした理由です。
>> 3 それなwwwwwwwwwwww
てかさ、神って自分の力で運命を切り拓くことができない雑魚が縋るために生まれたものって聞いたんだが実際どうなん?
あぁ言えばこう言う、部分もあるが、 公開されている情報以外のことで「負け」を認めたくないから、反論することはない。 また負けた後はネタばらしがあるので、一貫性はそこで担保するものとする。
>> 2
あぁ、それが最初の一歩ですよ。
あなたはまさに今、天の代弁者を受け入れようとしている!!!
しかし残念ながら、あなたが天の声を聞くことはできないのだ。 あわれな子羊よ。。。 プロフェーテース、つまり代弁者を通じてしか、聞くことができないのです。
特別に聞いてあげましょう・・・ふむふむ 「あなたは幸福をすでに手にしている、ただそれに気づていない」とおっしゃっておられる。
これはあなたも行を唱える必要がありそうです。
? 要するに知識は喧嘩と関係ないって言いたいの?
一つ例を出すね。大学生と園児がレスバをしました。大学生は園児に分かりやすい表現を使いました。知識全開では園児に酷だからです。お陰で園児は大学生の言い分を容易に理解出来ました。 大学生の配慮で理解し易かった園児はきっとこう思う事でしょう。
「俺氏大学生と対等にレスバしてる!知識は関係ない!」
>> 1 ははあ!
うおおおお!天野郎!俺に声を届けろッッッ!!!
…………。
ああ、聞き取れました! 「うんこ!」だそうです! 一体これはどうなってるですか!?!?
哀れな羊たちよ!
あぁ、ここは哀れな妄言にあふれている。
人々が筆舌を尽くして争いあっている。
あわれ、あわれ、あわれ。
天の声 を聞かぬからだ。
天の声を聞き、 行 を唱えずして、人間完成には至らないというのに。。。
行どころか嬉々として、馬鹿にし合っている。
天を知らぬ、子羊たちよ。 天の声 に耳をすましなさい。
天才と
…ぜんぜん関係ないけど、リンクだと勘違いして、ここ1000回くらいクリックしてた
わたしあほだ…
´>口<)踏み抜かないでください!
>> 29
えーと…つまり、なにがいいたいんです?
会話になってなくても、喧嘩のひとつとして許されるべきでは? なかには、それが「おもしろい」という人もいるとおもいますけど…
それは、わたしより、かなめさんの方がわかってるはずですよ
「我々のめざす喧嘩」をコミュニケーションの妨げにならない最低限会話できるもの、かつ面白く、酷くないものだと定義したとき、それには何が必要だと思う?
それは、必要なことというよりは、勝ち負けにこだわらないことだとおもいます あるいは、評価するところを変えていくことが大切だとかんがえます
その勝ち負けにこだわるから、ひどいものになるし その勝ち負けにこだわるから、ひとつのやり方にこだわって、独創性がなくなっていくとおもうんですよ
ランキングだって、わたしみたいな凡人よりも、もっと個性的な人が載るべきだとおもいません?
ちなみに、ここでの、「面白い」「ひどい」は感情だとおもいます
これが12位か、、低レベル 相手の理屈がガバガバだと認識してから、相手のことを頭悪い、馬鹿と罵ること。ここについてお前は突いている。 しかし、 何を以って馬鹿だと罵ってるのかは不明ですよね。 お前の展開する問題提起の根本として、他の分野においてもその知力は使えるのか?喧嘩という分野だけで活躍する能力をイコールとして知力に結びつけるのは間違いだ。 ↑↑↑まあこれは、たしかにそれは正解。正論 まあ誰でも思いつくよね。
さて、次は本論 なにも何に関して馬鹿、アホかは言われてない。 まあそこの立脚は、個々に準ずるところであるな? でも、お前は、馬鹿、アホと言ってるからと言われてるから、全体的な知力のこと言われてる!ということは、他の知能分野もアホだと言われてる!って言ってる訳よ ここまででわかるかな? お前は、相手が馬鹿と言う行為に至るまでに意図には様々なものがあることが分かってなくて、馬鹿と言う=全体的な知力も馬鹿だと勝手に勘違いして、さらに言えば論理が飛躍しちまってる。 以下、話題を多角的に捉え、掘り下げる。 個人的な分析による見解。 少なくとも喧嘩が強くなることで、潜在的な知力は培われる。しかも、喧嘩はかなり脳がフル稼働する遊びでもあり、応用生のある知力を底上げする遊びでもあるとおれは考える。ここに違和感あるなら突っ込んでおくれ。 そこからどれくらい他の分野に換算できるか、どれくらい順応できるか 他の分野にどれくらい喧嘩で培った基礎力が引き出されるのか
そこは、才能の領域でしかない でも、潜在的な知力が培われるということは、喧嘩が強くなる=潜在的な知力が大きくなるということだ。 つまり、喧嘩が強いほど、潜在的な知力が大きいということ。 であるからして、繰り返すが、喧嘩が強くなることで潜在的な知力が上がるということは、喧嘩用の思考力以外の 他の知能分野にも繋がる。 だから、喧嘩をやっていれば、芸術や数学、音楽(楽譜作りなど)、演技、表現などにその能力が順応して、喧嘩しない場合よりも発達が早くなったり、到達点が高くなることはある。 しかも、他の視点からの刺激により到達点が上がることはよくあることだしな。 早稲田の過去問でも、早稲田の過去問ばかりやっていては、8割は超えないから東大の過去問やって9割超えたとか普通にある。 結論 みんなどんどん喧嘩をして、他の知能分野の能力レベルを上げよう。
英語で喧嘩 目的:個々のライティング能力の向上(discordで行えばスピーキングとリスニング能力の向上)
プログラミング言語っぽく喧嘩 目的:プログラミングの概念を喧嘩を通じて学べる
記号論理学で喧嘩 目的:論理的思考の強化
ド的外れの比較例5963w
既出だったかもしれん…。
「論破したら勝ちなの?」
暗黙の了解とされているコレ。 一考の価値あり?
これは興味ある
「喧嘩を全否定するスレ」
昔喧嘩サイトで喧嘩そのものを否定するってのを試みたことがあるんだけど(当然ボロカスに言われたけど)、かなりおもしろかった記憶があるのでオススメ。
「負けた奴が勝ち」
いかに自分の負けか、説得できたほうの勝ち。
してないけど強いから載せてる。 指名制のランカーみたいな感じ。
天音って11月なんか活動してたっけ
ダサいっつってるボクシングごっこを率先してやるなよってツッコミは地雷原なんだろうけど敢えて踏み抜くわ。
3年4組カネダトモヒコうぜぇ!!
ふーん。
じゃあ
(ケース3)
A「俺の基準によるとお前は馬鹿だ」
B「俺の基準によるとお前が馬鹿だ」
(ケース4)
A「よって俺の勝ちだ」
B「よってお前の負けだ」
これは話し合いになっとるか? ケース3もケース4も 罵倒以外に理由があるが?
水掛け論を「喧嘩」と見なすことはできるが… 「なんとなく勝ってる雰囲気」を出したいがために、ずっと同じ主張をお互いに繰り返し続ける状況は、「表現の自由」という名のもとに許されるべきか? あるいは、意図的にそういった流れを誘発する行為は、「最低限の会話」と呼べるのか?
昔、論コミュではYouTubeのようなgoodボタンとbadボタンというシステムがあって、そこの会員にコメントがbadを押されまくった人は強制排除されることで自家浄化させるという仕組みがあった。 「荒れない議論サイト」を作るためのものだった。
当時を振り返ると、なかなかちゃんと機能していたように思う。 しかしそれは「既存の会員の価値観が一定のレベルを超えていた」からこそなせる技で、仮に喧嘩界で同様の仕組みを取り入れても失敗する可能性が高いだろう。 一部の賢者を除いて、「勝ち」に固執するあまり、まともな判断ができるとは到底思えないからだ。 しかも半会員制かつ村社会なので、隣町から数を集めて不正な判断を後押しする者が現れることが容易に想像できる。
わたしが「我々のめざす喧嘩」として疑問視しているのは、雰囲気のことです なので、その質問は、お門違いです
わたしが「我々のめざす喧嘩」として疑問視しているのは、雰囲気のことです
なので、その質問は、お門違いです
珍妙なことを言うね。 「面白さ」も「酷さ」も雰囲気のひとつとは数えられないのかな。
>> 156 >> 158
あざす。日が近づいたら募集かけるのでよろしくお願いします。
?
お前が園児だって話なんだけど?
俯瞰した意見出されて必死こいてひねり出したのがそれ?wショーガイシャーってただの罵倒じゃんw理屈で返せや理屈でwマジゴミw論外なのはお前だよガキw
追記
で、バカアホ云々掘り下げてる部分どこよ?
バカアホの基準はそれぞれ、今から掘り下げるって言った後まーったく掘り下げられてない別の話になってる事ツッコむぞ俺は。
ごめんそういうイレギュラー枠としてお前がいる事を忘れてた。
でも対等に張り合った気でいる障害者(お前)や園児は言わずもがな論外だよ。
何言ってんだザコ。
俺は喧嘩と知力の結び付きは否定してねーぞ。
現時点での喧嘩の実力が高い人間が知力が高いとは限らないって事を知力のうちに成長速度も加味したらどうよってつつきながら言ってんの。
ペラッペラな長文書くなよ萎えるから。
、
彼は俺にある考えを話した。
『彼らは喧嘩サイトの使い方を知らない』
『だから喧嘩サイトでは“ユーザーの意識”を変えたい』と。
彼は言葉を使って喧嘩サイトをひとつにしようとした。
喧嘩サイトは自由の国。
移民の集まりだ。
住民は溶け合わず
人種ごとに分かれて暮らしている。
それぞれに異なる母語 がある。
喧嘩サイトは多種多様。
決してひとつではない。
だが彼はそれをひとつにしようとしていた。
それぞれの“意志”を。
ユーザーの一人一人が“自由意志”で
“我々のめざす喧嘩と同じもの”を求める……。
そんな単独行動主義 を
個人になど任せられるはずがない。
そこで彼が求めたのは
“情報”で“言葉”で
“無意識”を統制するシステムだった。
ユーザー、そして喧嘩サイトをひとつにする。
彼はそれが友人の意志だと。
だが彼はその友人の望みなど判ってない。
彼がそのことに気付くよりもずっと前から
彼の“母語”は“自由”だからだ。
言葉を亡くす幻肢痛をまだ知らないのだ。
彼にその友人の意志はわからない。
俺はもなちゃとで生まれた。
幼い頃、平成喧嘩塾の塾生達が俺の故郷を、襲った。
仲間から引き離され、彼らの言葉を植え込まれた。
界隈が変わるごとに支配者は変わり
そのたびに違う言葉を書いてきた。
……言葉とは、奇妙だ。
言葉が変わると、俺も変わった。
性格、ものの考え、善と悪。
言葉は人を殺す。内 に寄生した。
俺は言葉に支配され、言葉は俺の
ある思想家は言った。
『人は国に住むのではない、国語に住むのだ』
『国語』こそが我々の『祖国』だ。『祖国』 。
俺の
俺の真実は奪われたのだ。
俺に過去はなくなった。
あるのは未来だけだった。
『報復』という未来。
他人 の言葉に寄生する者たちへの報復だ。
その方法は彼に学んだ。
そして俺は解った。『配列』 こそが。
彼こそが報復すべき相手だったのだ。
彼が人々を支配するために選んだ
言葉のコード、空間を行き交う情報のコード
それらを制御して喧嘩サイトは
彼は世界をひとつにしようとしているのだ。
世界に寄生しているのは
そう、彼の方なのだ。
彼は人々をさらに蝕んでいく。
俺がこの世界に生まれた自由を殺し
俺の歩んできた道を殺し
俺の進むべき道を殺す。
俺達はその時代に殺されたまま生かされる。
そして世界は“ゼロ”になる。
喧嘩サイトのコードが世界を支配しようとしている。
“支配できる”と。
それらコードの基となる“母語”こそが“自由”なのだ。
俺は喧嘩界に巣喰う害虫を駆除する。
全ての民族は息吹を取り戻し
現在、過去、未来を勝ち取るだろう。
これは『民族浄化』などではない。
民族を解き放つ、『民族解放』なのだ。
喧嘩サイトはありのままでいい。
自由という共通言語 を喪えば
喧嘩界は分裂するだろう。
そして喧嘩界は自由 になる。
だが人々は苦しむはずだ。
喧嘩界には新しい共通語 が必要となる。
それが『我々のめざす喧嘩』だ。等号 で結ぶ。
拡散した『我々のめざす喧嘩』がユーザーとユーザーを隔たりなく
平等に。共通語 はいらない。
他には何も
あらゆる勢力は互いを認め合うしかなくなる。
人々は自らの痛みを飲み込んで
失われた手を互いに繋ぐのだ。
『世界はひとつになる その為の戦争は平和である』
——神は死んだ。
そして超人が生まれた。
我々は神に成り代わり、「ニーチェマジ神!」と崇め奉ることで自分たちの手で価値を自発的に創造していくことに成功した。
しかしそれも言うなればひとつの宗教にすぎなかったが、しょせんこの世は幻想。
そのマリア的享楽によってふくちゃんが生まれた。
そんなトピックを管理人が消すはずがない。
これでまたひとつ、世界の統一に近付いたのだ。
わろたw
個人的にはやり取りをしていてすごく面白いのだが、
俺がこのトピックの良さを全て引き出すにはまだまだ力不足のようだな…
この世の宗教を挙げよと言われても4つくらいしか思いつかない俺は今後ペース落として
エスプリ持て余しまくったすげえ奴らに席を譲ります。
よぉ、久しぶりだなお前ら。身の回りのドタバタが落ち着いて、ちょっと復帰すっぺな〜と思ったら、パルスくんは相変わらず頭の悪いことほざいてんのな。
「無の証明は不可能である」というのは、あくまで直接的な証明に限った話なのであって、間接的な証明は可能であり、その意味において「無の証明は可能」となるのは、もはや常識ですから(笑)
そもそも、「無の証明は不可能である」という言説自体、「無の証明は困難である」若しくは「無の証明は実質的に不可能である」に尾鰭が付いて流布されたものだろう。
そのような言説が流布された所以は、無の状態を立証するためには、それに関連する有の状態全てを列挙して論じなければならず、それはきわめて困難であるという考え方にある。
しかしながら、実のところは、有の状態を否定する明白な証拠、これが存在する事実を立証することにより、無の間接的な証明は可能となる。少し具体化するなら、有の状態が虚偽であることの証拠がそれにあたる。
一見すれば、お前は小難しく、またもっともなことを述べているように思えるかもしれないが、その実は至極当然な常識をトレースしているだけで、ハッキリ言えば中身がスカスカ。
ドヤ顔こいて高説垂れてるが、いやそれ当たり前じゃんw
って感じ。
まぁこれからもサンドバッグにしてやるから涙拭けよ^^
>> 33
たしかに、かなめさんのやり方にも一理あります
リスクをあらかじめ想定して規制していくのだって、管理の基本だとおもいます
でも、かなめさんの喩えた害虫だって、喧嘩をしているんです
それを、規制していくのは、間違っているのでは?
だって、ここ、言いたいことなんでも言えちゃう喧嘩界ですよね?
それを、その喧嘩が面白くないからという理由で、規制かけていったら…
なんでも言えなくないですか?
違います?
だったら、ユーザーの意識を変えていく方向に持っていく方がいいとおもいますけど
だって、益虫に変えられるかもしれないじゃないですか?
それは、自分のやり方が正しいと信じてるからだとおもうんですよ
それを直接全否定されれば、誰だって反感持つじゃないですか?
>> 9
宗派を変える?
他の教えなどすべて妄言!
あ、新たなステージっていうのは、えっと、
そうだ。天の声のことなのだ!それは他の宗派に移るなど、言語道断!天の声に背いている!
今までは天の声を行として唱えることで、積んだ徳があったおかげで、かろうじて
生きてこれたというのに!
生きてこれていたことに感謝して、行を唱え続けるのですよ!
とはいうものの、「他の宗派」というのをキーワードに負けを認めるつもりだったので
今日で解散だ。
まぁそのつもりはなかったのかもしれないが、この宗教は他の宗教をモデルにしている。
天の声と言っているが、他の宗教でよく聞く神の代弁者と同じ。
他の宗教の神の声が妄言で、自分の宗教だけ本物ということについては証明できない。まぁ実際は「本物だ」とごり押しになるのだろうが。
ネタ晴らし:
https://ja.wikipedia.org/wiki/法の華三法行
>> 8
そのドロボウ、さっきニュースで見たわ…。せっかく助けたはずだったんだが、どうやら常習的にドロボウをしていたようで逮捕されちまったらしい。
いやあ、悲しいなあ。せっかく助けたドロボウが逮捕されるなんて。刑務所という新たなステージに立てたドロボウは感謝なのかなあ。まあそもそも、みんな金持ちならアルソックと契約できてドロボウに入られずに済んだし、そもそもドロボウももし金持ちだったらドロボウなんてしなくても済んだというのに…!
っていうかそろそろ餓死しそうなんだけど、冥界という新たなステージに立てることに感謝しないといけないのかなあ。っていうか宗派を変える、もしくは辞めるという新たなステージに立つことに関してはどうお考えでしょーかwww
>> 7
おぉ、ボンピャッキングベイベーよ!
それを不幸と思うなかれ。
なぜならば、「泥棒に入られたり、云々という出来事」から逃れるために、修行するのではないのだ。
そうならなければならなかった 真の原因 を取り除くために、修行するのだ。
それはなにか? あなたの目線 である。
あなたは気づいていない。
泥棒という身分に陥った貧しい人を助けたこと、収入が減ることで物欲が減っていること、会社を辞めて新たなステージに立てたということ、感謝なさい。幸福に近づいていることを
これからも、行を唱え続けることで、その恩を返すのですよ。
注:大体どこの宗派とも同じ止め方をします。幸福になることを目的に勧めますが、宗派は自責することはありません。幸福になれない信者に問題があると言い張ります。場合によっては信者の家族を巻き込んで、信じていない身近な人のせいにして、信者を孤立させます。
>> 6
お…俺はボンピャッキングベイベーだったというのか…っっ!認めぬ、認めぬぞ…!
てか昨日めっちゃ行を唱えまくってたんだよ。そりゃあもう、鬼の形相で。
そしたら、ドロボウが入ってきて財布スられた。ことに、気付かなかった。唱えてたせいで。
はあ、この宗派に入って3年経つけど不幸の連続だなあ…。悪いことばかり起きてるなあ…。行を唱えるのに全力傾けてたらドロボウに入られるわ、行を唱えるのに全力傾けるがために仕事にあんま身が入らないせいで収入減るわ、、てか会社クビになって今じゃアルバイト生活でアルソックと契約する金もないわ、アパート生活で近隣住民から「変な怨念を感じる」って苦情を入れられるわ踏んだり蹴ったりなので退会していいっすか?
つまり、なかには、それが「おもしろい」という人がいれば、「最低限の会話ができない」人の存在も認めるべきと?
それで「我々のめざす喧嘩」が達成できるのか?
根本的な志が同じにならないことには実現不可能だと思うけど。
「おもしろさ」の問題がすっぽり抜け落ちてる。
ようこそ。
「価値観の森」へ。
>> 26でなごみんはこう言ってる。
せっかく畑を耕して、「喧嘩の良さ」を引き出せる環境を育てているのに、害虫によって蝕まれたら本末転倒では。
俺以外の奴はこう言うかもしれない。
それは「至高」ではなく「理想」というのが俺の持論だ。
「我々のめざす喧嘩」を何不自由なく可能にするにあたって必要なのは、人為的な手段であり、ただでさえ荒れやすく、最低限の会話もできておらず、おもしろくない喧嘩が量産されるリスクを規制することだ。
もちろん、今の喧嘩界は運営の裁量で行われている。
だから俺は、利用者の一人であるなごみんにヒアリングしているわけだ。
「俺となごみんが同感した『おもしろくない』という感情を与える存在は、我々のめざす喧嘩をするにあたって必要なのか否か」
ちょ、待て待て待て待てえい!
結論を先急ぐなよ!!
それはいくらなんでも極論すぎるだろ…!
勝ち負けにこだわりつつも、おもしろいものをしたためたり
勝ち負けにこだわりつつも、さまざまなやり方で独創性を希求すること
共存することは可能とちゃうんか?
それができない奴がいたとして、それってなんでなん?
ランキングの話は脱線するので置いときます。
TwitterとかSkypeでよく盲目陰キャ引っ掛けてる地雷女とか萌え声厨を最近になって言い負かせるようになってきた勘違いイキリチンカス論争厨(笑)の臭いがプンプンする。
>> 5
みなさん、最初は同じことを言うのですよ
信じるのです。
運命を切り開く のも 幸福になる のも、あなた自身にすでに備わっているのです。
ただしそれが発揮できていないから、そのような悲しいことを言う。。。
発揮するための修行、それが行を唱えることです。
そして行とは天の声である、それを聞くにはやはり他の信者たちと同様、私から代弁してもらうしかないのだ。
注:霧雨さん、いきなりこの宗派の核心を突いています。神と言う存在を万能としていないところが、この宗派が民間で大流行りした理由です。
>> 3
それなwwwwwwwwwwww
てかさ、神って自分の力で運命を切り拓くことができない雑魚が縋るために生まれたものって聞いたんだが実際どうなん?
あぁ言えばこう言う、部分もあるが、
公開されている情報以外のことで「負け」を認めたくないから、反論することはない。
また負けた後はネタばらしがあるので、一貫性はそこで担保するものとする。
>> 2
あぁ、それが最初の一歩ですよ。
あなたはまさに今、天の代弁者を受け入れようとしている!!!
しかし残念ながら、あなたが天の声を聞くことはできないのだ。
あわれな子羊よ。。。
プロフェーテース、つまり代弁者を通じてしか、聞くことができないのです。
特別に聞いてあげましょう・・・ふむふむ
「あなたは幸福をすでに手にしている、ただそれに気づていない」とおっしゃっておられる。
これはあなたも行を唱える必要がありそうです。
?
要するに知識は喧嘩と関係ないって言いたいの?
一つ例を出すね。大学生と園児がレスバをしました。大学生は園児に分かりやすい表現を使いました。知識全開では園児に酷だからです。お陰で園児は大学生の言い分を容易に理解出来ました。
大学生の配慮で理解し易かった園児はきっとこう思う事でしょう。
「俺氏大学生と対等にレスバしてる!知識は関係ない!」
>> 1
ははあ!
うおおおお!天野郎!俺に声を届けろッッッ!!!
…………。
ああ、聞き取れました!
「うんこ!」だそうです!
一体これはどうなってるですか!?!?
哀れな羊たちよ!
あぁ、ここは哀れな妄言にあふれている。
人々が筆舌を尽くして争いあっている。
あわれ、あわれ、あわれ。
天の声 を聞かぬからだ。
天の声を聞き、 行 を唱えずして、人間完成には至らないというのに。。。
行どころか嬉々として、馬鹿にし合っている。
天を知らぬ、子羊たちよ。 天の声 に耳をすましなさい。
…ぜんぜん関係ないけど、リンクだと勘違いして、ここ1000回くらいクリックしてた
わたしあほだ…
´>口<)踏み抜かないでください!
>> 29
えーと…つまり、なにがいいたいんです?
会話になってなくても、喧嘩のひとつとして許されるべきでは?
なかには、それが「おもしろい」という人もいるとおもいますけど…
それは、わたしより、かなめさんの方がわかってるはずですよ
それは、必要なことというよりは、勝ち負けにこだわらないことだとおもいます
あるいは、評価するところを変えていくことが大切だとかんがえます
その勝ち負けにこだわるから、ひどいものになるし
その勝ち負けにこだわるから、ひとつのやり方にこだわって、独創性がなくなっていくとおもうんですよ
だから、いっそ、勝敗をなくせばいいんです
ランキングだって、わたしみたいな凡人よりも、もっと個性的な人が載るべきだとおもいません?
ちなみに、ここでの、「面白い」「ひどい」は感情だとおもいます
これが12位か、、低レベル
相手の理屈がガバガバだと認識してから、相手のことを頭悪い、馬鹿と罵ること。ここについてお前は突いている。
しかし、
何を以って馬鹿だと罵ってるのかは不明ですよね。
お前の展開する問題提起の根本として、他の分野においてもその知力は使えるのか?喧嘩という分野だけで活躍する能力をイコールとして知力に結びつけるのは間違いだ。
↑↑↑まあこれは、たしかにそれは正解。正論 まあ誰でも思いつくよね。
さて、次は本論
なにも何に関して馬鹿、アホかは言われてない。
まあそこの立脚は、個々に準ずるところであるな?
でも、お前は、馬鹿、アホと言ってるからと言われてるから、全体的な知力のこと言われてる!ということは、他の知能分野もアホだと言われてる!って言ってる訳よ
ここまででわかるかな?
お前は、相手が馬鹿と言う行為に至るまでに意図には様々なものがあることが分かってなくて、馬鹿と言う=全体的な知力も馬鹿だと勝手に勘違いして、さらに言えば論理が飛躍しちまってる。
以下、話題を多角的に捉え、掘り下げる。
個人的な分析による見解。
少なくとも喧嘩が強くなることで、潜在的な知力は培われる。しかも、喧嘩はかなり脳がフル稼働する遊びでもあり、応用生のある知力を底上げする遊びでもあるとおれは考える。ここに違和感あるなら突っ込んでおくれ。
そこからどれくらい他の分野に換算できるか、どれくらい順応できるか
他の分野にどれくらい喧嘩で培った基礎力が引き出されるのか
そこは、才能の領域でしかない
でも、潜在的な知力が培われるということは、喧嘩が強くなる=潜在的な知力が大きくなるということだ。
つまり、喧嘩が強いほど、潜在的な知力が大きいということ。
であるからして、繰り返すが、喧嘩が強くなることで潜在的な知力が上がるということは、喧嘩用の思考力以外の
他の知能分野にも繋がる。
だから、喧嘩をやっていれば、芸術や数学、音楽(楽譜作りなど)、演技、表現などにその能力が順応して、喧嘩しない場合よりも発達が早くなったり、到達点が高くなることはある。
しかも、他の視点からの刺激により到達点が上がることはよくあることだしな。
早稲田の過去問でも、早稲田の過去問ばかりやっていては、8割は超えないから東大の過去問やって9割超えたとか普通にある。
結論 みんなどんどん喧嘩をして、他の知能分野の能力レベルを上げよう。
英語で喧嘩
目的:個々のライティング能力の向上(discordで行えばスピーキングとリスニング能力の向上)
プログラミング言語っぽく喧嘩
目的:プログラミングの概念を喧嘩を通じて学べる
記号論理学で喧嘩
目的:論理的思考の強化
ド的外れの比較例5963w
既出だったかもしれん…。
「論破したら勝ちなの?」
暗黙の了解とされているコレ。
一考の価値あり?
これは興味ある
「喧嘩を全否定するスレ」
昔喧嘩サイトで喧嘩そのものを否定するってのを試みたことがあるんだけど(当然ボロカスに言われたけど)、かなりおもしろかった記憶があるのでオススメ。
「負けた奴が勝ち」
いかに自分の負けか、説得できたほうの勝ち。
してないけど強いから載せてる。
指名制のランカーみたいな感じ。
天音って11月なんか活動してたっけ
ダサいっつってるボクシングごっこを率先してやるなよってツッコミは地雷原なんだろうけど敢えて踏み抜くわ。
3年4組カネダトモヒコうぜぇ!!
ふーん。
じゃあ
(ケース3)
A「俺の基準によるとお前は馬鹿だ」
B「俺の基準によるとお前が馬鹿だ」
(ケース4)
A「よって俺の勝ちだ」
B「よってお前の負けだ」
これは話し合いになっとるか?
ケース3もケース4も
罵倒以外に理由があるが?
水掛け論を「喧嘩」と見なすことはできるが…
「なんとなく勝ってる雰囲気」を出したいがために、ずっと同じ主張をお互いに繰り返し続ける状況は、「表現の自由」という名のもとに許されるべきか?
あるいは、意図的にそういった流れを誘発する行為は、「最低限の会話」と呼べるのか?
昔、論コミュではYouTubeのようなgoodボタンとbadボタンというシステムがあって、そこの会員にコメントがbadを押されまくった人は強制排除されることで自家浄化させるという仕組みがあった。
「荒れない議論サイト」を作るためのものだった。
当時を振り返ると、なかなかちゃんと機能していたように思う。
しかしそれは「既存の会員の価値観が一定のレベルを超えていた」からこそなせる技で、仮に喧嘩界で同様の仕組みを取り入れても失敗する可能性が高いだろう。
一部の賢者を除いて、「勝ち」に固執するあまり、まともな判断ができるとは到底思えないからだ。
しかも半会員制かつ村社会なので、隣町から数を集めて不正な判断を後押しする者が現れることが容易に想像できる。
「我々のめざす喧嘩」をコミュニケーションの妨げにならない最低限会話できるもの、かつ面白く、酷くないものだと定義したとき、それには何が必要だと思う?
珍妙なことを言うね。
「面白さ」も「酷さ」も雰囲気のひとつとは数えられないのかな。
>> 156
>> 158
あざす。日が近づいたら募集かけるのでよろしくお願いします。