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哲学的雑談 / 17

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野良 2019/12/07 (土) 20:20:54 037c3@be086

詠み人知らずさん

師走の候、巷では風邪やインフルエンザが流行っているようですが、
詠み人知らずさんはお元気でお過ごしでしょうか?僕は風邪です。

風邪を引くと、普段仲の良い人だけでなく、色んな人が声をかけて下さりますよね。

「大丈夫ですか?」
「お大事になさってください。」

季節とは裏腹に、とても温かい言葉だと感じます。

しかし一方で、ひねくれ者の僕はこうも感じます。

彼らは本当に心配してるのか・・・?
マスクをつけた知人が視界に入ることをトリガーに、上記の定型文を機械のごとく吐き出すルーチンが脳内に常駐してるだけじゃないのか・・・?

本当は心配してないけど、心配してるようにふるまうことで人間関係の円滑化を図る。
こういうのは何とも合理的で、人間的ですね。

しかし、心配以前にそもそも感情が存在しないのに、心配しているかのようにふるまう・・・
そんな人間がいるとしたら、詠み人知らずさんの想定する哲学的ゾンビに該当するのでしょうね。

哲学的ゾンビの一般的な定義(僕の前レスもこの定義に準拠)は、
「物理的に私(意識をもった存在なら何でもいい)と同一でありながら、まるっきり意識体験を欠いている誰か、あるいは何ものか」(提唱者、D.チャルマーズさん曰く)
ですね。

つまり一般的には、感情がない人間ではなく、意識体験がない人間が哲学的ゾンビだということですね。
僕の前レスでいうところの「意識(主観)」がない人間とイコールだとご認識下さい。

詠み人知らずさんの足ガクガクの例で言うと・・・

人間は高層ビルの屋上から地上を覗き込んだとき、地上との距離などの視覚情報を得ますね。
視覚情報は視神経を通過して脳に伝達されます。
このとき、脳内では恐怖を司る神経伝達物質(ノルアドレナリン等)が分泌され、
物理的に「恐怖を感じている状態」が形成されます。

しかしこの際、恐怖の意識体験(クオリアと読み替えても可)が生じる必然性があるとは言えません。

我々には実際に、恐怖の意識体験が生じ、ゾクっ🙀とする感覚がありますが、
哲学的ゾンビにはその感覚がないのですね。
この点が、我々と哲学的ゾンビとの違いですね。

ただし、哲学的ゾンビも物理的には“恐怖を感じている”。
だから、彼らにも足ガクガクさせるに至る物理的条件が揃っているのです。

まあ・・・「感情」というものを意識体験ありきで定義するなら、哲学的ゾンビには感情がないと言えるのでしょうが。

以上、哲学的ゾンビの定義の確認でした。


・・・これまでの雑談のなかで、僕は「意識(主観)はなぜ存在するのか?」という疑問を呈してきましたが、
僕が疑問視しているポイントとはまさに、

しかしこの際、恐怖の意識体験(クオリアと読み替えても可)が生じる必然性があるとは言えません。

この点です。

ビルの屋上から視覚情報を得ることで、神経系に電気信号が流れたり、情報伝達物質が分泌されたりします。
・・・で、それらの現象が起きたらなぜ意識体験が生じることになるのでしょう?

現代の科学者たちの一部はこの問いについて、「神経科学が進歩したらハッキリするっしょ!!😊
との見方を示しているそうです。
詠み人知らずさんはどのような見解をお持ちなのか、お伺いしたいです。
(あるいは、今聞いてこう感じた、とかでも良いので)


仮に哲学的ゾンビが存在するとしたら、中央監視室は機能してないことになるね

「中央監視室」=「意識(主観)」である場合は、その通りだと思います。
しかし、「中央監視室」=「(神経の興奮状態を認識すると反応する)脳の領域」である場合は、その通りではないと思います。

後者の場合、体の各種感覚神経から集まった興奮状態に関する情報が、脳の特定の領域によって中央集権的に監視されます。このとき、一連のメカニズムのなかで登場する事物は、各種感覚神経・脳などであり、意識体験は介在する必要がありません。
後者の場合であれば、意識体験が介在せずとも、詠み人知らずさんが想定されている(と思われる)モデルは成立すると思うのです。

・・・ちなみに、以下を詠み人知らずさんのモデルとして扱っちゃってます。

xが閾値を超えなければ、神経が興奮するだけで、中央監視室には興奮状態が報告されない。
xが閾値を超えると、神経が興奮するだけでなく、中央監視室には興奮状態が報告される。


(以下、参考程度です。)

脳のなかに実際にあるかどうか分かりませんが、神経の興奮状態を認識すると反応する脳の領域があった場合、

前回、詳細まで紹介すると長くなるかなぁと思って省きましたが、
これ、部分的には実在するようです。

ブラインドサイトという障害があります。

一般的に視覚障害の原因として、眼球や視神経の機能不全などが考えられますが、
ブラインドサイトは「見えていることを認識するための脳の領域」の機能不全によって引き起こされる特殊な視覚障害です。

ブラインドサイトの人は視覚障害であるにも関わらず、ボールを投げられたときにうまく避けることがあるそうです。
なぜ避けたのか本人に聞くと、「分からない」と答えるのだとか・・・。
彼の脳は常に視覚情報をしっかりキャッチしているのですが、キャッチしていることを認識できないため、彼の視界には何も映っていないのです。

この障害の存在によって、「視神経の興奮状態を認識すると反応する脳の領域」が存在することが示唆されますね。


P.S.なんだか妙に気分が乗ったので長文を書いてしまいましたが、詠み人知らずさんはご気分に合わせた文章量でご返信いただければ幸いです。
体調を崩しやすい季節ですが、お体に気をつけてお過ごしください(本心から、願ってます!)。

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  • 18
    詠み人知らず 2019/12/08 (日) 16:32:07 >> 17

    これはこれはご親切にどうもありがとう。
    心配してもらった直後に言いづらいんだけど、実は先月の下旬ごろ、約2年ぶりに風邪こじらせてしまって点滴チューチューしてた感じです。
    子供の頃さんざん泥だらけになって野生児のように遊んでた貯金が辛うじてまだ残っているのか、普段の免疫力は人一倍って感じなんだけど、いちどダウンすると信じられないほど悪化しちゃうタイプなんだよな。
    感情や合理的判断のこもった人間的な気遣いとして受け止めさせてもらいます😏

    というわけで哲学的ゾンビに関してですが
    「感情がない人間」と「意識体験がない人間」の差異がいまいち把握できてない感じです。
    もし可能ならズバッと言っちゃってください。
    責めるような批判的な文章になっちゃう・・・みたいな遠慮はしなくてOK。
    浅学を暴かれる覚悟はできてます。

    簡単に言ってしまうと『物理的に同一であるならば、同じ刺激に対し同じメカニズムで反応し、同じリアクションを出力するはずでは?』というのが俺の考えの根幹にありまして。
    >> 13から引き続き、原因論&唯物論に寄った考え方です。

    つまり、同じ分量の同じ素材を同じ工程で調理したら同じ味の料理ができあがるはずで
    「食塩を使ってません、でも食べてみると同じ味がします」みたいな場合は、食塩の代わりとなるカリウムなり何なりが投入されているはずでは?ということです。

    意識体験がない(クオリア未搭載)にもかかわらず一緒に泣いたり笑ったり怒ったりできる何者かがもし仮にいたとすると、そいつには『意識に替わる何らかの特殊な機能』が備わってるとしか思えないんだ。
    ブラインドサイトになぞった言い方をするなら、ブラインドフィーリングって感じかな?

    それがどんな機能で、どのようなメカニズムが代替的に機能することで『見分けがつかないほどの人間性を再現』できているのか・・・については、確かに「科学が進歩したらハッキリするっしょ!!😊」としか言えないけど
    裏を返せば、科学が進歩さえすれば「意識体験の有無」の識別も可能になると思うし、そのとき判明するのは「物理的な非同一性」だと思う。


    zawazawaアカウントを使ってる場合、レスアンカーを向けられたらヘッダー部分に未読件数の通知が表示されるので気付きやすくていい感じです。
    もしよろしければ次回からはアンカー付けてもらえると助かります。オナシャス

    19

    心配してもらった直後に言いづらいんだけど、実は先月の下旬ごろ、約2年ぶりに風邪こじらせてしまって点滴チューチューしてた感じです。

    えぇ!?ヤバ!!
    風邪でそんな状態になることあるんですね・・・(心配より驚きの感情が先行)
    ご無事で何よりです。たまの休日には泥遊びをして貯金残高を増やしてくださいね。

    「感情がない人間」と「意識体験がない人間」の差異がいまいち把握できてない感じです。

    ビルの屋上から地上を覗き込んだとき、ゾクっ🙀とする感覚、ありますよね。
    詠み人知らずさんはその感覚を「(恐怖の)感情」と呼んでいるのかもしれません。

    では、

    🔴

    この丸、赤いですよね。詠み人知らずさんは今、「赤いという感じ」がしていますか?
    その感じを「感情」と呼びますでしょうか?

    一般的には感情とは呼ばないかと思います。
    感情とは一般的に、外界刺激に対して起こる、快・不快 好き・嫌い 恐怖 怒りなどのレベルの気持ちを指すものであり、
    赤色を見たときに生じるような「意識体験」はレベルが異なる概念かと。

    「感情」という言葉は「意識体験」という言葉に比べて定義が非常に曖昧で、
    その点が哲学的ゾンビを定義するうえで誤解を招きかねないと思います。

    例えば、

    恐怖を感じてないのに足ガクガクさせるって、それもう人間には本来備わってない新機能だよ

    この一文。
    哲学的ゾンビには確かに恐怖の「意識体験」はありませんが、物理的には「恐怖を感じている状態」が形成されます。
    したがって、物理的現象の連鎖によって足ガクガクという物理的現象につながる可能性が考えられます。

    哲学的ゾンビには恐怖の「感情」がない、と曖昧に解釈してしまうと、
     恐怖の「意識体験」もないだろうし~😑
     物理的に「恐怖を感じている状態」も形成されないんだろうな~😟
     だから足ガクガクさせることもないんだろうな~😖
    といった具合に誤解を招くことが想像できます。

    以下のように整理できるかもしれません。

     「(詠み人知らずさんの考える)感情がない」
      =「心的世界の感情(意識体験)がない」+「物理的世界の感情(神経伝達物質等)がない」

    哲学的ゾンビは、上の式でいうところの「心的世界の感情(意識体験)がない」人間です。


    「食塩を使ってません、でも食べてみると同じ味がします」みたいな場合は、食塩の代わりとなるカリウムなり何なりが投入されているはずでは?ということです。

    クオリアを食塩で例えているのですね。実に面白い・・・(CV:福山雅治)
    詠み人知らずさんが唯物論者的であることがよく感じられます。

    上記の例と人間の話、決定的に異なる点があるかもしれません。
    それは、上記の例は「物理的世界だけで完結している」という点です。(味だって心的世界の意識体験だ!💢みたいなギャグは勘弁してくださいw)

    物理的世界と心的世界(意識体験)、二つの世界があると考えることができます。
    哲学的ゾンビの思考実験で、人間から取り除かれるのは「心的世界」のみです。
    つまり、料理から食塩を取り除いた場合と異なり、物理的世界からは何も取り除かれないのです。

    すべての因果が物理的世界だけで完結しているなら、心的世界なんて無くていんじゃね?

    というのがこの思考実験の肝なのですよ。


    詠み人知らずさんは、意識体験は物理的世界の一部で、物理的世界に何らかの影響を与えている、
    と考えておられるようですね。

    確認したいのですが、意識体験は物理的現象だと思いますか?
    また、どのような物理的現象によって意識体験が生じるのか、という点は今後の科学に任せるっちゃ!!😡というスタンスでしょうか?


    レスアンカーの件、教えていただきありがとうございます!