仏教のお話

無量義経:徳行品第一

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無量義経徳行品第一の解釈をします。

徳行品では、はじめに菩薩の徳と行が讃えられ、次に声聞が讃えられ、最後に大荘厳菩薩が仏陀の徳と行を讃嘆します。他者を供養・恭敬・尊重・讃歎することは、人間関係において重要なことです。

ダルマ太郎
作成: 2024/05/27 (月) 20:36:02
最終更新: 2024/06/02 (日) 17:11:05
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6
ダルマ太郎 2024/05/27 (月) 23:14:22

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用語の意味
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法身(ほっしん)
ダルマ・カーヤ dharma-kāya
真理そのものの身体のこと。

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法身の大士
仏の自性である真如を体とする大菩薩のこと。

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五分法身
戒・定・慧・解脱・解脱知見の成就のこと。
五分法身とは、法身の大士が具えている五種の功徳性のこと。解脱身のこと。

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(かい)
シーラ śīla
仏教徒にとっての自分を律する内面的な道徳規範を戒といい、戒を守ることを持戒という。

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禅定(ぜんじょう)
ディヤーナ dhyāna
特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること。

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智慧(ちえ)
プラジュニャー prajñā
諸法実相を観察することによって体得できる実践的精神作用を慧といい、煩悩を完全に断つ主因となる精神作用を智という。

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解脱(げだつ)
ヴィモークシャ vimokṣa
煩悩に縛られていることから解放され、迷いの苦を脱すること。

:
解脱知見(げだつちけん)
ヴィムクティ・ジュニャーナ・ダルシャナ vimukti-jñāna-darśana
解脱している事を自分自身で認識していること。

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用語の意味
:
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9
ダルマ太郎 2024/05/28 (火) 02:57:23 >> 6

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智慧(ちえ)とは
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智慧とは、プラジュニャー prajñā の中国語訳です。般若(はんにゃ)とも訳されます。意味は、一切の現象や、現象の背後にある道理を見きわめる心作用のことです。つまり、真理を観る能力のことをいいます。智慧という言葉を智と慧に分けた場合、智は、ジュニャーナ jñāna の訳語で、ものごとを分けてとらえることです。つまり、分別(ふんべつ)です。慧はプラジュニャーの訳語です。分けずにとらえることです。つまり、無分別(むふんべつ)です。釈尊の覚りは、慧だといわれます。

分別とは、認識するものと認識されるものを分けてみることです。主客が分かれているとみます。無分別は、認識するものと認識されるものを分けてみないことです。主客が分かれているとはみません。

仏教の目的は成仏です。仏陀に成ることです。仏陀とは、真理に目覚めた者のことですから、真理を観察する智慧が完成しています。つまり般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の境地に達しています。私たち凡夫は、智慧が煩悩に覆われているために真理を観ることができません。そこで、釈尊は、煩悩を滅し、智慧を得る道を示されました。たとえば、四諦の法門では、人生は苦であると言い、苦の原因は煩悩であり、煩悩を滅すれば安楽の境地に至り、そのために八正道を実践するようにと教えました。八正道は、智慧を得るための方法です。
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:
智慧とは
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8
ダルマ太郎 2024/05/28 (火) 00:17:59

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用語の意味
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禅寂(ぜんじゃく)
瞑想的な平寂。集中力と心の静けさを伴う瞑想。座禅。

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三昧(さんまい)
サマーディ samādhi
深い禅定の状態のこと。精神集中が深まりきった状態のことをいう。

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恬安憺怕(てんなんたんぱく)
環境の変化に惑わされず穏やかで安らかなこと。

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無為(むい)
アサンスクリタ asaṃskṛta
分別造作がないこと。因縁によって造られたものでなく、生滅変化を離れた常住絶対の法のこと。涅槃のこと。因縁によって造られたものを「有為」という。

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顛倒(てんどう)
ヴィパルヤーサ viparyāsa
転倒。道理にそむいて誤っていること。ひっくりかえること。本来とは逆になっていること。認知の歪み。仏教では、四顛倒を説く。

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常顛倒(じょうてんどう)・・事物は無常であるが、常だと考えること。
楽顛倒(らくてんどう)・・一切は苦であるが、一時的な状態だけで楽だと考えること。
浄顛倒(じょうてんどう)・・不浄なものを、表面だけを見て浄だと考えること。
我顛倒(がてんどう)・・すべては無我であるが、我だと考えること。

:
智慧(ちえ)
プラジュニャー prajñā
音写して般若という。真実を覚る無分別智のこと。物事を正しくとらえ、真理を見きわめる認識力。六波羅蜜の一。

:
諸法(しょほう)
サルヴァ・ダルマ sarva-dharma
一切法。世界のすべてのもの、すべての存在、すべての法の集合体をさす。さまざまな事物・現象のこと。

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性相(しょうそう)
スヴァバーヴァ・ラクシャナ svabhāva-lakṣaṇa
自性と特徴。真理と現象。

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暁了(ぎょうりょう)
あきらかに理解すること。

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分別(ふんべつ)
ヴィカルパ vikalpa
分けて考えること。分析。もろもろの事理を思量し、識別する心の働き。空の思想は、「無分別」による観察を行うため、分別をしないように勧める。まず、事理を分別し、次に無分別して真実を観て、さらに分別を無分別の智によって観る。

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用語の意味
:
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11
ダルマ太郎 2024/05/28 (火) 03:52:30 修正

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(b)利他
:
①転法輪
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経:また、善く諸の根性欲を知り、陀羅尼(だらに)・無礙弁才を以って、諸仏の転法輪、随順してよく転ず。
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訳:また、人々の教えを受ける能力、性格、欲望をよく知っており、善をすすめ悪を止める力と人々を説得する力を持っていましたので、諸仏の教えに従って、その教えを人々に伝えることができました。
:
:
②利他徳
:
経:微渧(みたい)先ず堕ちて以って欲塵をひたし、涅槃の門を開き 解脱の風を扇いで、世の悩熱を除き法の清涼を致す。次に甚深の十二因縁を降らして、(もっ)て 無明・老・病・死等の猛盛熾然(みょうじょうしねん)なる 苦聚(くじゅ)の日光にそそぎ、しこうして乃ち(おおい)に無上の大乗を注いで、衆生の諸有の善根を潤漬(にんし)し、善の種子(しゅじ)を布いて功徳の田に遍じ、普く一切をして菩提の萌を発さしむ。

智慧の日月・方便の時節・大乗の事業を扶蔬(ふそ)増長して、衆をして()阿耨多羅三貎三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成じ、常住の快楽(けらく)、微妙真実に、無量の大悲、苦の衆生を救わしむ。
:
訳:渇いてほこりの多いところに水のしずくをたらせば、そこだけが塵をおさえることが出来るように、まずは、小さな教えから入って欲望を抑え、涅槃への門を開き、解脱へと導く縁となりました。人々が、苦悩から離れられるように教えを説き、教えを実践することによる喜びを体験させました。それは、暑苦しいところに冷たい風を吹かせて、涼しくて清々しい状態に導くことに似ていました。

次には、非常に深い「十二因縁の法門」を説いて、真理を知らないために人生が苦悩であることを伝えました。そして、苦悩から離れる方法を説き明かしました。その教えを聴いた人々は、照りつける灼熱の太陽の光から救ってくれる夕立のような恵みを感じました。その後、この上もなく尊い大乗の教えを説き示し、誰もが持っている良心に潤いを与え、善の心を芽生えさせ、水田の一面に稲が実るように、心を功徳で満たし、ひろく人々に菩提心を起こさせました。

菩薩の智慧は、闇を消す太陽と月の光となり、方便として必要な時によく人々を照らします。そのことは、人々が大乗の道を進むことを援助し、人々がまっすぐに最上の悟りの境地へとたどりつき、常にある安らぎ、深い真理と限りない大きな慈悲の心で、苦悩する人々を救うようになります。
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利他
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18
ダルマ太郎 2024/05/30 (木) 10:18:23 >> 11

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菩薩による教化
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ここには、菩薩の教化の仕方が書かれています。まず、菩薩は人々の根性欲を知って、それに合わせて教えを説きます。根性欲とは、機根・性質・欲望の略で、機根とは、教えを理解し実践する能力のことです。対機説法の「機」とは、機根のことをいいます。しっかりと記憶している教えを何の妨げも作らず、巧みに話して聞かせます。諸仏に倣って、教えを説くのです。

まず、ほこりだらけの場所に水滴を垂らして、塵をおさえるように、小さな教えから入って、欲望を抑え、涅槃への門を開き、解脱へと導く縁となりました。そうして、苦悩を除き、教えを学ぶことの喜びを与えました。次に十二因縁の法門を説き、苦の原因が無明(無智)であり、無智による意志によって、苦悩することを伝え、照り付ける太陽の熱から救う夕立のような恵みを与えました。

このように初期仏教の教えを説いた後は、大乗の教えを説いて善の心を芽生えさせ、実践させ、功徳を感じさせました。そうして人々に菩提心を起さしめました。菩提心は、成仏を求める心のことで、菩薩にとっては必要不可欠です。

菩薩の智慧は、人々の煩悩を滅す縁となり、方便として、よく人々を導きます。そのことで、人々の仏道修行を援助し、人々が素早く無上の覚りを得られるようにし、慈悲の心で苦悩する民衆を救済できるように関わりました。

このように、人々を成仏へと導くためには、低い教えから徐々に高い教えを説くようにします。教団の中には、法華経以前の教えは必要ない、と言うところもありますが、学校教育がそうであるように、相手のことを思えば順々に高い教えを説くようにしたほうがいいでしょう。
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菩薩による教化
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12
ダルマ太郎 2024/05/28 (火) 22:49:16

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用語の意味-1
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根性欲(こんじょうよく)
機根・性質(習性)・欲望の略。機根とは、教えを理解し実践する能力のこと。対機説法の「機」とは、機根のこと。

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陀羅尼(だらに)
ダーラニー dhāraṇī
「記憶して忘れない」ということ。本来は、仏教修行者が覚えるべき教えや作法などをしっかりと記憶することを言った。後に変じて、「記憶する呪文」のことをいうようになった。意訳して総持、能持、能遮等ともいう。意味よりも音に効力があるとされるため、サンスクリットの音写である。

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無礙弁才(むげべんざい)
無礙は、障害、妨げのないこと。弁才は、巧みに話す能力のこと。

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法輪(ほうりん)
ダルマ・チャクラ dharma-cakra
仏教の教義、特に釈尊が説いた四諦・八正道の別称。輪は、インドの円盤型の武器のこと。チャクラムという。教えを聞いた人が、煩悩を砕く様をチャクラムに喩えている。法輪(教え)を他者に伝えることを転法輪といい、釈尊が鹿野園で五比丘に対して初めて教えを説いたことを初転法輪という。

:
涅槃(ねはん)
ニルヴァーナ nirvāṇa
直訳すれば、「吹き消す」こと。燃える火を消すこと。煩悩を火に譬え、それを消すことをいう。繰り返す再生の輪廻から解放された状態のこと。解脱の別名。滅、寂滅、滅度、寂、寂静、不生不滅などとも訳される。因縁の無い境地。因縁が無いので、何も生じないし、滅しない。無為。

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解脱(げだつ)
ヴィモクシャ vimokṣa
解放、悟り、自由、放免を手に入れた状態。ヴェーダのウパニシャッドで、前七世紀頃に説かれ始めた。バラモン教では、アートマン・業・輪廻・解脱が中心思想である。仏教でもそれを引き継いでおり、輪廻からの解脱が修行の目的だといわれた。解脱した境地を涅槃という。

:
甚深(じんじん)
非常に奥が深いこと

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十二因縁(じゅうにいんねん)
dvādaśāṅgika-pratītyasamutpāda
苦の原因の究明と苦を滅尽について説く法門。無明(むみょう)(ぎょう)(しき)名色(みょうしき)六処(ろくしょ)(そく)(じゅ)(あい)(しゅ)()(しょう)老死(ろうし)という連鎖縁起。

:
:
用語の意味-1
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:

13
ダルマ太郎 2024/05/28 (火) 22:54:41

:
用語の意味-2
:
大乗(だいじょう)
マハーヤーナ mahāyāna
「大きな乗り物」。大勢の人と共に成仏を目指すので、大勢を乗せることが出来る乗り物に喩えている。大乗仏教徒は、部派仏教の説一切有部を小乗と呼んだ。一人乗りの小さな乗り物のこと。これは蔑称なので、現在ではあまり使われていない。

:
功徳(くどく)
グナ guṇa=徳、美徳、才能、性質。
プニャ puṇya=清い、清浄な、善行。
徳のあることを功徳といい、善行も功徳という。

:
菩提(ぼだい)
ボーディ bodhi
目覚めること。仏教では、真実に目覚めることを菩提という。覚・道・智とも訳される。

:
阿耨多羅三貎三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)
アヌッタラ・サミヤク・サンボーディ
anuttara-samyak-saṃbodhi
無上の正しい覚り。

:
微妙(みみょう)
趣深くすぐれていること。

:
真実(しんじつ)
タタター tathatā
仮ではない、絶対の真理。真如。

:
:
用語の意味-2
:
:

14
ダルマ太郎 2024/05/29 (水) 00:56:07 修正

:
(c)自利
:
経:これ諸の衆生の真善知識、これ諸の衆生の大良福田、これ諸の衆生の請せざるの師、これ諸の衆生の安穏の楽処・救処・護処・大依止処なり。処処に衆生の為に、大良導師・大導師と作る。よく衆生の盲いたるが為には、しかも眼目を作し、(りょう)()()の者には、耳・鼻・舌を作し、諸根毀欠(きけつ)せるをば、よく具足せしめ、顛狂荒乱(てんのうこうらん)なるには大正念を作さしむ。船師・大船師なり、群生を運載し、生死の河を度して涅槃の岸に置く。医王・大医王なり、病相を分別し薬性を暁了(ぎょうりょう)して、病に随って薬を授け、衆をして薬を服せしむ。調御・大調御なり、諸の放逸(ほういつ)の行なし。なお、象馬師のよく調うるに調わざることなく、師子の勇猛なる威、衆獣を伏して沮壊(そえ)すべきこと難きがごとし。
:
訳:この菩薩は、人々の真の善き友です。善の心を育てる素晴らしい田畑であり、困った時に招いていなくても現れる師であり、人々に安らぎを与える人、救う人、護る人、心のよりどころとなる人です。どこにあっても、人々のために、立派なリーダーとなります。もし、人が真理を見る眼を塞いでいたならば、眼を開かせる縁となり、真理を聞かない者、嗅がない者、味わわない者には、真理を体験できるように縁となって、ありのままを感じられるように関わり、心が狂って荒れ乱れている者には、心を落ち着かせ正気に戻るように関わります。この菩薩たちは、まるで船長のようです。人々を船に乗せ、迷いの岸から、安らぎの岸へと送ります。また、優れた医者のようです。あらゆる病状を知っており、多くの薬の効果にも通じており、患者に適した薬が何かを見極め、病気に応じた薬を授け、人々はその薬を服します。また、腕のいい調教師のようです。行いに乱れがありません。どのように荒れた象であっても、馬であっても、調教する術を持っています。それは、勇ましい獅子が威厳をもって、どのような獣であっても従わせるようなものです。
:
:
自利
:
:

15
ダルマ太郎 2024/05/29 (水) 01:39:00 修正

:
(c)自利-2
:
経:菩薩の諸波羅蜜に遊戯(ゆけ)し、如来の地に於いて堅固にして動ぜず。願力に安住して、広く仏国を浄め、久しからずして 阿耨多羅三貎三菩提を成ずることを得べし。この諸の菩薩摩訶薩皆、皆かくの如き不思議の徳あり。
:
訳:この菩薩たちは、覚りへの道を自由自在に行い、菩提心は定まっていて、動じることがありません。菩薩は、誓願の力にとどまって、広くこの世界を浄めます。間もなく、無上の覚りを得るでしょう。この菩薩摩訶薩たちは、皆、このような人知の及ばないほどの徳を持っているのです。
:
:
用語の意味
:
菩薩(ぼさつ)
ボーディ・サットヴァ bodhi-sattva
大乗仏教の修行者のことで、自他の覚り(菩提)を求める。

:
波羅蜜(はらみつ)
パーラミター pāramitā
仏になるために菩薩が行う修行のこと。六波羅蜜と十波羅蜜がある。六波羅蜜とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧のこと。十波羅蜜は、六波羅蜜に方便・願・力・智を加えたもの。

:
遊戯(ゆけ)
ヴィクリーディタ vikrīḍita
菩薩の束縛されない自由な活動に対する肯定的な言及。仏陀の境地に到達し、それを楽しむこと。

:
(がん)
プラニダーナ praṇidāna
願望・誓い・修行の目的を定めること。

:
阿耨多羅三貎三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)
アヌッタラ・サミヤク・サンボーディ
anuttara-samyak-saṃbodhi
無上の正しい覚り。

:
不思議(ふしぎ)
アチンチヤ acintya
非概念的。不可解。熟考や概念化を超えたもの。言語表現を超えたもの。思考や言葉を超えたもの。

:
:
自利
:
:

16
ダルマ太郎 2024/05/29 (水) 10:04:37 修正

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2)声聞衆の名を列ね数を唱え徳を歎ず
:
経:其の比丘の名を、大智舎利弗(だいちしゃりほつ)神通目揵連(じんつうもくけんれん)慧命須菩提(えみょうしゅぼだい)摩訶迦旃延(まかかせんねん)弥多羅尼子富楼那(みたらにしふるな)阿若憍陳如(あにゃきょうぢんにょ)等・天眼阿那律(てんげんあなりつ)持律優婆離(じりつうばり)侍者阿難(じしゃあなん)仏子羅雲(ぶっしらうん)優波難佗(うばなんだ)離波多(りはた)劫賓那(こうひんな)薄拘羅(はくら)阿周陀(あしゅうだ)莎伽陀(しゃかだ)頭陀大迦葉(ずだだいかしょう)優楼頻螺迦葉(うるびんらかしょう)伽耶迦葉(がやかしょう)那提迦葉(なだいかしょう)という。是の如き等の比丘万二千人あり。皆阿羅漢にして、諸の結漏(けつろ)を尽くして復縛著(ばくぢゃく)なく、真正解脱なり。
:
訳:この出家者の名を、大智舎利弗(だいちしゃりほつ)神通目揵連(じんつうもくけんれん)慧命須菩提(えみょうしゅぼだい)摩訶迦旃延(まかかせんねん)弥多羅尼子富楼那(みたらにしふるな)阿若憍陳如(あにゃきょうぢんにょ)等・天眼阿那律(てんげんあなりつ)持律優婆離(じりつうばり)侍者阿難(じしゃあなん)仏子羅雲(ぶっしらうん)優波難佗(うばなんだ)離波多(りはた)劫賓那(こうひんな)薄拘羅(はくら)阿周陀(あしゅうだ)莎伽陀(しゃかだ)頭陀大迦葉(ずだだいかしょう)優楼頻螺迦葉(うるびんらかしょう)伽耶迦葉(がやかしょう)那提迦葉(なだいかしょう)といいます。このような人たちが一万二千人いました。皆、聖者の位であり、様々な心の結びや煩悩を滅し、また執着がなく、真に迷いから脱した者たちです。
:
:
用語の意味
:
比丘(びく)
ビクシュ bhikṣu
出家して具足戒を受けた男性修行者のこと。

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阿羅漢(あらかん)
アルハット arhat
仏教において最高の悟りを得た、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のこと。この境地に達すると迷いの輪廻から脱して涅槃に至ることができるという。もともとは、如来の別称だったが、部派仏教時代に声聞の聖者のことを指すようになった。

:
結漏(けつろ)
煩悩による束縛と輪廻。

:
縛著(ばくぢゃく)
ヤントリタ yantrita
束縛。

:
解脱(げだつ)
ヴィモークシャ vimokṣa
煩悩に縛られていることから解放され、迷いの苦を脱すること。

:
:
声聞衆の名を列ね数を唱え徳を歎ず
:
:

17
ダルマ太郎 2024/05/29 (水) 17:08:48 修正

:
第二 別序
:
1.三業供養
:
経:その時に大荘厳(だいしょうごん)菩薩摩訶薩、遍く衆の坐して各定意なるを観じおわって、衆中の八万の菩薩摩訶薩と倶に、座よりしかも起って仏所に来詣(らいけい)し、頭面に足を礼しめぐること百千匝して、天華、天香を焼散し、天衣(てんね)天瓔珞(てんようらく)、天無価宝珠、上空の中より旋転して来下し、四面に雲のごとく集って、しかも仏にたてまつる。天厨、天鉢器に天百味充満盈溢(よういつ)せる。色を見、香を()ぐに自然に飽足す。天幢(てんどう)天旛(てんばん)天軒蓋(てんこんがい)、天妙楽具処処に安置し、天の伎楽を作して 仏を娯楽せしめたてまつり、即ちすすんで 胡跪(こき)し合掌し、一心に共に声を同じうして、()を説いて讃めて言さく。
:
訳:その時に、大荘厳菩薩は、会に参加しているすべての人々を見渡して、誰もが静かに坐り、心を定めているのを知ると、参列している八万の菩薩と共に立ち上がり、仏の近くへと進み、仏のみ足に額をつけて深く礼を捧げ、仏のまわりを何度も巡りながら、美しい花を散らし、芳しいお香をたきました。天上界からは、天の衣、首飾り、貴重な宝石が、ゆっくりと回転しながら、あたり一面に降りてきました。それらの天上界の宝物が、次第に雲のように集まってきたのを、まとめると、仏へと奉りました。また、天の調理場では、天の鉢や器に様々なご馳走を盛り付けました。その色彩を見、芳しき香りを嗅ぐだけで、満足できるような御膳も仏へと奉りました。また、天の幟や旗、天蓋、天の家具を仏のまわりに飾り、天の伎楽を演奏して奉りました。そうした後に、仏の前へと進み、膝を地につけて礼拝し、合掌して、心を一つにして声を合わせ、詩を説き、仏の徳を讃えました。
:
:
用語の意味
:
瓔珞(ようらく)
菩薩の装飾品。首飾りや胸飾り。

:
(どう)
旗・吹き流し。

:
(ばん)
高く掲げて装飾にする旗。

:
軒蓋(けんがい)
:
()
ガーター gāthā
仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べたもの。

:
:
三業供養
:
:

19
ダルマ太郎 2024/05/30 (木) 23:08:41 修正

:
2.讚歎偈
:
(1)仏身歎-1
:
①真応二身
:
経)
 大いなる(かな) 大悟大聖主 
 垢なく 染なく 所著なし
 天・人・象・馬の調御師 
 道風徳香一切に薫じ

:
訳)
 大いなるかな! 
 最上の覚りを開かれた 大いなる聖主
 煩悩なく 迷いなく 執着なく
 天 人 動物たちの善き指導者となり
 行いは風 徳は香りとなって
 あらゆるものの心へと染み入り

:
:
②報身
:
経)
 智(しず)かに情(しず)かに
 慮凝静(りょぎょうじょう)なり 
 意滅し 識亡して 心また寂なり 
 永く夢妄の思想念を断じて 
 また諸大陰入界なし

:
訳)
 智慧定まり 心定まり 
 思慮もまた定まり
 意識滅し 心もまた滅し
 永く 夢 妄想が起こることなく
 また すべての因縁もありません

:
:
仏身歎-1
:
:

20
ダルマ太郎 2024/05/31 (金) 00:35:46 修正

:
③内証身(内密の身)
:
経)
 その身は 有に非ず また無に非ず 
 因に非ず 縁に非ず 自他に非ず 
 方に非ず 円に非ず 短長に非ず 
 出に非ず 没に非ず 生滅に非ず 
 造に非ず 起に非ず 為作に非ず 
 坐に非ず 臥に非ず 行住に非ず 
 動に非ず 転に非ず 閑静に非ず 
 進に非ず 退に非ず 安危に非ず 
 是に非ず 非に非ず 得失に非ず 
 彼に非ず 此に非ず 去来に非ず 
 青に非ず 黄に非ず 赤白に非ず 
 紅に非ず 紫種種の色に非ず

:
:
訳)
 その身体は
 有ではなく 無ではなく 因ではなく 縁ではなく
 自ではなく 他ではありません 四角ではなく 円ではなく
 短くも 長くもなく 出ではなく 没ではなく
 生まれるのでも 死ぬのでもありません
 造られたのではなく 起こったのではなく
 為すのでもなく 作るのでもありません
 坐っているのではなく 寝ているのではなく
 行くのでも 止まるのでもありません
 動くのではなく 転がるのではなく
 動きが止まっているのではなく
 進むのではなく 退くのではなく
 安全でも 危険でもありません
 肯定ではなく 否定ではなく
 得でも 損でもありません
 あちら側はなく こちら側はなく
 去るのではなく 来るのでもなく
 青ではなく 黄ではなく 赤でもなく 白でもなく
 紅ではなく 紫やその他の色でもありません

:
:
③内証身(内密の身)
:
:

21
ダルマ太郎 2024/05/31 (金) 10:04:02

:
法身仏
:
徳行品では、仏を讃嘆するとき、まず法身仏としての仏を讃えています。法華経の時代は、法身仏と応身仏という二身仏が説かれていました。法身仏とは、真理(法)を体とする仏のことです。応身仏とは、人々に応じて現れる仏のことです。化身仏ともいいます。肉体を持って生まれた釈尊のことですが、事物・現象のことでもあります。つまり、法身仏と応身仏とは、真理と現象のことです。現象は真理によってあり、真理は現象によってありますから、その二つはコインの裏表のように一体です。真理が事象として現れたものが応身です。

法華経では、法身仏と応身仏のことが説かれており、無量義経においても法身仏と応身仏のことが説かれていますので、法身仏について学ぶことは必要です。避けて通れば法華経・無量義経から離れてしまいます。法華経の後、唯識の時代に、仏の三身が説かれるようになりました。法身仏と応身仏に報身仏が加えられたのです。報身仏とは、修行の果報として成仏した仏のことです。法華経には、報身仏のことは説かれていませんが、中国・日本では法華経を三身仏として読む傾向が強いようです。

さて、経文にある「其の身は有に非ず亦無に非ず~」とはどういう意味なのでしょうか? 「その身は有るのではなく、無いのではない」というのは、非有非無の中道のことです。凡夫は、物事を有る、無いで判断しますが、真理においては、有るのではなく、無いのではありません。因縁によって生起し、滅しますから、個々の存在は、仮に存在し、仮に滅しています。あらゆる存在には実体はありません。これを「空」(シューニャ śūnya)といいます。大乗仏教の重要な教義です。

個の存在は空ですので、個そのものには特徴はありません。特徴とは、他と比べることによって認識されるのですから、個自体だけでは特徴は見出すことはできません。特徴とは、サンスクリットのラクシャナ lakṣaṇa の訳であり、中国語では、「相」と訳されました。特徴・形・しるし・記号などの意味があります。特徴が無いことを「無相」(アラクシャナ alakṣaṇa)といい、空と並んで大乗仏教では重視されます。

「因に非ず縁に非ず自他に非ず」という文以降は、無相について述べられています。凡夫は、言葉によって、そのものの特徴を知ろうとしますが、そもそも、真理においては特徴はありません。無相です。

真理は、固定してとらえることができませんので、真理を表すときは否定形を使います。肯定をすれば、何らかの概念にこだわる結果になりますので、無我・無常・無相・無作のように否定して表します。空とは、「無自性」のことですので、これも否定形です。ただし、これらの表現がそのまま真理のことをいうのではなく、真理へと導く方便であると知っておく必要があります。
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法身仏
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22
ダルマ太郎 2024/05/31 (金) 17:11:54 修正

:
④修徳の三身
:
経)
 戒・定・慧・解・知見より生じ
 三昧・六通・道品より発し
 慈悲・十力・無畏(むい)より起り
 衆生善業の因縁より出でたり

:
:
訳)
 持戒・禅定・智慧・解脱・解脱知見
 この徳を修められて
 仏さまは 生じられました
 三昧・六神通力・三十七道品
 これらの修行から
 仏さまは 発せられました
 慈悲・十力・四無畏
 これらのはたらきによって
 仏さまは 起きられました
 人々の善の行為の
 因縁により出現されました

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:
④修徳の三身
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:

23
ダルマ太郎 2024/06/01 (土) 00:12:24

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用語の意味-1
:
三学・五分法身
戒・禅定・智慧を修めることを「三学」という。仏道修行者が修めるべき基本的な修行項目のこと。また、三学に解脱・解脱知見を合わせて「五分法身」という。五分法身とは、法身の大士が具えている五種の功徳性のこと。解脱身のこと。

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(かい)
シーラ śīla
自分自身をコントロールする内面的な道徳規範を戒といい、戒を守ることを持戒という。

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禅定(ぜんじょう)
ディヤーナ dhyāna
特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること。

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智慧(ちえ)
プラジュニャー prajñā
諸法実相を観察することによって、体得できる実践的精神作用を慧といい、煩悩を完全に断つ主因となる精神作用を智という。

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解脱(げだつ)
ヴィモークシャ vimokṣa
煩悩に縛られていることから解放され、迷いの苦を脱すること。

:
解脱知見(げだつちけん)
ヴィムクティ・ジュニャーナ・ダルシャナ vimukti-jñāna-darśana
解脱していることを自分自身で認識していること。

:
三昧(さんまい)
サマーディ samādhi
心を一つの対象に集中して動揺しない状態。

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用語の意味
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24
ダルマ太郎 2024/06/01 (土) 01:06:37 修正

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用語の意味-2
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六神通(ろくじんずう)
シャド・アビジュニャー şađ-abhijñā
仏教において仏・菩薩などが持っているとされる六種の超人的な能力。六種の神通力。六通ともよばれ、止観の瞑想修行において、止行(禅定)による三昧の次に、観行(ヴィパッサナー)に移行した際に得られる、自在な境地を表現したものである。

神足通(じんそくつう)
自由自在に自分の思う場所に思う姿で行き来でき、思いどおりに外界のものを変えることのできる力。飛行や水面歩行、壁歩き、すり抜け等をし得る力。

天耳通(てんにつう)
世界すべての声や音を聞き取り、聞き分けることができる力。

他心通(たしんつう)
他人の心の中をすべて読み取る力。

宿命通(しゅくみょうつう)
自他の過去の出来事や生活、前世をすべて知る力。

天眼通(てんげんつう)
一切の衆生の業による生死を遍知する智慧。一切の衆生の輪廻転生を見る力。

漏尽通(ろじんつう)
煩悩が尽きて、今生を最後に二度と迷いの世界に生まれないことを知る智慧。生まれ変わることはなくなったと知る力。

:
三十七道品(さんじゅうしちどうほん)
菩提(覚り)に至るための三十七の修行法。四念処、四正勤、四神足、五根、五力、七覚支、八正道。

:
慈悲(じひ)
慈は、マイトリー maitrī の訳。ミトラ mitra からつくられた抽象名詞。マイトリーは、友情・親切・慈善の意味。ミトラは、友人・友情の意味。与楽。
悲は、カルナー karuṇā の訳。「人々の苦を抜きたい」という心。抜苦。

:
十力
仏や菩薩が持つ10種の力のこと。

:
四無畏(しむい)
仏・菩薩が説法する際に抱く、畏 (おそ) れることのない4種の自信。 仏では、一切智無畏・漏永尽無畏・説障道無畏・説尽苦道無畏、菩薩では、能持無畏・知根無畏・決疑無畏・答報無畏。

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用語の意味-2
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25
ダルマ太郎 2024/06/01 (土) 11:32:15 修正

:
⑤三十二相に約して内証身を歎ず
:
経)
 示して丈六紫金の(ひかり)を為し 
 方整照曜(ほうしょうしょうよう)として甚だ明徹(みょうてつ)なり
 毫相(ごうそう)月のごとく旋り
 (うなじ)に日の光あり 
 旋髪紺青(せんぱつこんじょう)にして
 (いただ)きに肉髻(にくけ)あり
 淨眼明鏡(じょうげんみょうきょう)のごとく上下に(まじろ)ぎ 
 眉しょう紺舒(こんじょ)にして
 (ただ)しき口頬(くきょう)なり
 唇舌(しんぜつ) 赤好(しゃっこう)にして
 丹華(たんげ)(ごと)く 
 白歯(びゃくし)の四十なる()珂雪(かせつ)のごとし
 額広く鼻(なが)く面門開け 
 胸に万字を表して師子の(むね)なり
 手足柔輭(にゅうなん)にして千輻(せんぷく)を具え 
 腋掌合縵(やくしょうごうまん)あって内外に握れり
 臂修肘長(ひしゅちょうちょう)にして指直く細し 
 皮膚細輭(さいなん)にして毛右に(めぐ)れり
 踝膝露現(かしつろげん)
 陰馬蔵(おんめぞう)にして 
 細筋鎖骨(さいこんさこつ) 鹿膊脹(ろくせんちょう)なり
 表裏映徹(ひょうりようてつ)し 浄くして垢なし 
 濁水(じょくすい)も染むるなく塵を受けず
 是の如き等の相三十二あり 
 八十種好(はちじっしゅごう)見るべきに似たり

:
:
⑤三十二相に約して内証身を歎ず
:
:

26
ダルマ太郎 2024/06/01 (土) 11:39:04 修正

:
⑤三十二相に約して内証身を歎ず 訳
:
訳)
 姿かたちとして 示されるのは
 身の丈 一丈六尺(4.8m)
 身体中より 紫金の光を発し
 姿勢正しく まわりを照らされ
 際立った存在です
 眉間の白い毛は月のように旋り
 うなじからは太陽のような光が四方に放射し
 頭髪は渦を巻き紺青色で
 頭頂は高く盛り上がっておられます
 眼は清らかでまるで鏡のようであり
 まぶたは上下にまじろぎます
 眉は紺色でスラリとのび
 口と頬は よく整っています
 唇と舌は赤く丹華のようで
 歯は雪のように白く
 四十本が揃っています
 額は広く 鼻は長く 面門は開いており
 胸には卍があり
 獅子のように胸を張っています
 手足は柔らかく車のような紋があり
 腋と手のひらには細い線があって
 内外に握ることができます
 手は長く指は細く真っ直ぐで
 皮膚のきめは細かく
 毛は右に渦巻いています
 くるぶしと膝は美しく現われていて
 性器は馬のように隠れており
 筋は細く鎖骨はしっかりとしています
 足は まるで鹿のように伸びています
 前も後も美しく清浄であって垢がありません
 濁った水に入っても汚れず
 塵も身体に付きません
 このように仏は三十二相があり
 細かく見れば八十種の
 よき相をお持ちです

:
:
三十二相に約して内証身を歎ず 訳
:
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27
ダルマ太郎 2024/06/01 (土) 13:31:22 修正

:
⑥有相の諸相好を遣って諸相好を示現する
:
経)
 而も実には相非相の色なし 一切の有相眼の対絶せり
 無相の相にして有相の身なり 衆生身相の相も亦然なり

:
訳)
 このように特徴のある姿をされていますが
 実際には 相があるとかないということを
 超越された方であり
 すべての相は 見たままではありません
 真実としては 相はありませんが
 人々のために 相を持って現れられました
 人々の相も またその通りです

:
:
⑦相の用
:
経)
 能く衆生をして歓喜し礼して
 心を投じ敬を表して慇懃なることを成ぜしむ
 是れ自高我慢の除こるに因って
 是の如き妙色の躯を成就したまえり

:
訳)
 人々は そのような仏さまの相をみて
 喜び 礼拝をなして
 心から帰依をし 敬意を表して
 真心を込めるようになります
 仏は 驕り高ぶりを捨てることによって
 このような素晴らしい相を得られました

:
:
有相の諸相好をのこって諸相好を示現する
:
:

28
ダルマ太郎 2024/06/01 (土) 13:36:12 修正

:
(2)帰敬歎
:
①能敬所敬の無著
:
経)
 今我等八万の衆
 倶に皆稽首して咸く
 善く思相心意識を滅したまえる
 象馬調御無著の聖に帰命したてまつる

:
訳)
 今 私たち八万の衆は
 ともに皆 深く敬意を表しています
 あらゆる思想や執着心 意識を滅せられ
 象や馬をうまく調教するように
 人々の心を善に導かれる
 執着のない聖なるお方に帰依いたします

:
:
②能説の教主
:
経)
 稽首して法色身
 戒・定・慧・解・知見聚に帰依したてまつる

:
訳)
 心から礼をなし
 法身としても 色身としても
 戒律・禅定・智慧・解脱
 解脱知見を成しとげられたことに
 帰依いたします

:
:
能敬所敬の無著
:
:

29
ダルマ太郎 2024/06/01 (土) 14:49:32 修正

:
②能説の教主
:
経)
 稽首して妙種相に帰依したてまつる 
 稽首して難思議に帰依したてまつる

訳)
 心から礼をなし 素晴らしいお姿に帰依いたします
 心から礼をなし 非常に深いお智慧に帰依いたします

:
:
③所説の法輪
:
経)
 梵音雷震のごとく響き八種あり 
 微妙清浄にして甚だ深遠なり
 四諦・六度・十二縁 
 衆生の心業に随順して転じたもう 
 もし 聞くことあるは(こころ)開けて 
 無量生死の衆結断せざることなし
 聞くことあるは 或は
 須陀洹(しゅだおん)斯陀(しだ)阿那(あな)阿羅漢(あらかん) 
 無漏無為(むろむい)の縁覚処 
 無生無滅(むしょうむめつ)の菩薩地を得
 或は 無量の陀羅尼(だらに) 
 無礙(むげ)楽説(ぎょうせつ)大弁才を得て 
 甚深微妙の偈を演説し 
 遊戯(ゆけ)して法の清渠(しょうこ)澡浴(そうよく)し 
 或は躍り飛騰(ひとう)して神足を現じ 
 水火に出没して 身自由なり
 如来の法輪相 是の如し 
 清浄無辺にして思議し難し
 我等咸く また共に稽首して 
 法輪転じたもうに
 時を以ってするに帰命したてまつる 
 稽首して梵音声(ぼんおんじょう)に帰依したてまつる 
 稽首して縁・諦・度に帰依したてまつる

:
:
所説の教主
:
:

30
ダルマ太郎 2024/06/01 (土) 16:02:32 修正

:
③所説の法輪 訳
:
訳)
 心から礼をなし 素晴らしいお姿に帰依いたします
 心から礼をなし 非常に深いお智慧に帰依いたします
 仏さまのお声は雷が鳴り響くように 多くの人々に広まります
 そのお声による教えは誰もが好きになれる声であり
 柔らかく違和感がなく智慧があり
 納得ができ正しく奥深く尽きることがなく
 他と比べることもない程に優れ 清浄で非常に奥深い趣があります
 四諦 六波羅蜜 十二因縁など
 人々の心と行いに応じて教えを説かれます
 もし この教えを聞くことができれば
 心から執着が除かれて 多くの変化への
 とらわれから 離れられています
 仏さまの教えを聞くことがあれば 声聞の弟子たちは
 まずは 思想の迷いを捨てて 須陀洹の位に入り
 次には (とん)(じん)()
 三毒を薄くして 斯陀含の位に進み
 次には 色欲・貪欲・財欲などの欲を捨てて 阿那含の位になり
 最後には 煩悩を捨てて 解脱の境地である
 阿羅漢の果を得ることができました
 または 煩悩なく 執着のない 縁覚の境地に入り
 または 無分別の菩薩の果を得ることができました
 あるいは 多くの善をすすめ悪をとどめる言葉や
 障害を乗り越えて、自由自在に
 すすんで説法をする大いなる説得力を得て
 非常に奥深く 極めて優れた詩を説き
 修行を自由自在に行って法の清らかな水路で洗い清め
 または 身を躍らせて空を飛びまわる様な神の足を現じ
 水中・火中に出入りしても身体は自由です
 如来の教えは以上の様に清浄無辺にして
 人々の考えの域をはるかに超えています
 私たちは また共に深く頭を下げ時に応じて説法をされる
 その教えに帰依いたします
 深く頭を下げ清きお声に帰依いたします
 深く頭を下げ 十二因縁・四諦の法門・六波羅蜜の
 教えに帰依いたします

:
:
所説の法輪
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:

31
ダルマ太郎 2024/06/02 (日) 09:27:54

:
用語の意味-1
:
帰依(きえ)
サラナガマナ śaraṇagamana
「拠り所にする」という意味。サラナは「避難所」、ガマナは「行く」。

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梵音(ぼんのん)
仏陀の妙なる音声のこと。

:
八音(はっとん)
如来の説法の音声に備わる八種のすぐれた特徴。極好音・柔輭(にゅうなん)音・和適(わちゃく)音・尊慧(そんえ)音・不女音・不誤音・深遠(じんのん)音・不竭(ふかつ)音。八種梵音声(はっしゅぼんのんじょう)

:
四諦(したい)
チャトゥル・アーリヤ・サティヤ catur-ārya-satya
四聖諦。四つの聖なる真理。苦諦・集諦(じったい)・滅諦・道諦。苦集滅道(くじゅうめつどう)。苦諦とは、迷いの世界であるこの世は、一切が苦であるという真理。集諦とは、苦の原因は、煩悩だという真理。滅諦とは、煩悩を滅すれば苦を滅することが出来るという真理。道諦とは、煩悩を滅するには八正道という修行方法が有効だという真理。

:
六度
六波羅蜜のこと。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若。菩薩の修行方法。

:
十二縁
十二因縁のこと。苦の原因と苦を滅する方法。

:
生死(しょうじ)
輪廻(サンサーラ saṃsāra)のこと。漢訳では、輪廻と訳さず、生死と訳すことが多い。迷いという意味でも使われる。

:
須陀洹(しゅだおん)
スローターパンナ srotāpanna
須陀洹は音写で、意訳は預流よる。「流れに入った者」のこと。覚りという流れに入ったということ。三結を断つことによって得られる境地。三結とは、三つの煩悩のことで、有身見・疑・戒禁取である。有身見とは、五蘊(身体と心)を自己だと思うこと、疑とは、教義への疑い、戒禁取とは、誤った戒律への執着のこと。あと最高でも七回、人間界・天上界を輪廻すれば覚りに達することができ、輪廻から解脱できる。

:
斯陀含(しだごん)
サクリダーガーミン sakṛdāgāmin
斯陀含は音写で、意訳は一来いちらい。一度天上界に転生した後に人間界に生まれて、輪廻から解脱できる。預流の段階で既に三結が断たれており、さらに貪・瞋・癡の三毒が薄くなった境地。

:
阿那含(あなごん)
アナーガーミン anāgāmin
阿那含は音写で、意訳は不還ふげん。この位に達すると、もう人間界に還ることはなく、梵天界に生まれ変わった後、死後は阿羅漢になる。五欲への執着(愛欲)、怒り(瞋恚)を断った境地。

:
阿羅漢(あらかん)
アルハット arhat
阿羅漢は音写で、意訳は応供おうぐ。供養を受けるのに相応しい者のこと。この境地に達すると輪廻から解脱して、涅槃に入ることができる。もともとは、如来の別称だったが、声聞の聖者の最高位となった。この場合の阿羅漢は、如来の境地ではない。つまり、無上の覚りを得た状態ではない。

:
:
用語の意味-1
:
:

32
ダルマ太郎 2024/06/02 (日) 09:35:47

:
用語の意味-2
:
無漏(むろ)
アナースラヴァ anāsrava
煩悩の無い状態。

:
無為(むい)
アサンスクリタ asaṃskṛta
因縁によって作られたものではないこと。涅槃のこと。作られたものではないので常住であり、変化が無い。無生無滅。因縁によって作られたものは有為という。

:
縁覚(えんがく)
プラティエーカ・ブッダ pratyeka-buddha
師につかず、独力で覚りを得る聖者のこと。僧伽から離れ、人里からも離れて、独りで修行するため、独覚ともいう。

:
無生無滅(むしょうむめつ)
涅槃の境地は、因縁によらないので変化が無い。変化がないので、生まれることが無く、また、滅することも無い。

:
菩薩(ぼさつ)
ボーディ・サットヴァ bodhi-sattva
覚りを求める修行者のこと。大乗の修行者のこと。

:
陀羅尼(だらに)
ダーラニー dhāraṇī
陀羅尼は音写で、意訳は総持、能持、能遮等。記憶して保つこと。暗記して繰り返しとなえる事で雑念を払い、無念無想の境地に至る事を目的とした。よって、呪文形式である。

:
無礙(むげ)
障害が無いこと。邪魔するものが無いこと。

:
遊戯(ゆけ)
心にまかせて自由自在に振る舞うこと。

:
自由(じゆう)
スヴァ・タントラ sva-tantra
自己確立。自立。束縛されない状態。解放。覚りの状態の同義語。

:
法輪(ほうりん)
ダルマ・チャクラ dharma-cakra
仏教の教義のこと。

:
帰命(きみょう)
ナモー namo
音写は南無。敬意、尊敬、崇敬をあらわす。

:
:
用語の意味-2
:
:

33
ダルマ太郎 2024/06/02 (日) 10:21:37 修正

:
(3)仏徳歎
:
1)因行
:
①総じて因行を歎ず
:
経)
 世尊 往昔の無量劫に 勤苦に衆の徳行を修習して
 我人天龍神王の為にし 普く一切の諸の衆生に及ぼしたまえり

:
訳)
 世尊は はるかなる昔より 非常に苦労をされ
 数々の徳行を修められました
 ご自分のためだけではなく 人や天の神々
 様々な魔神たちのためにされ その功徳は広く人々に及ぼしました

:
:
②別して六度を歎ず
:
経)
 よく一切の諸の捨て難き 財宝妻子及び国城を捨てて
 法の内外に於いて悋む所なく 頭目髄脳悉く人に施せり 
 諸仏の清浄の禁を奉持して 乃至命を失えども毀傷したまわず
 もし 人刀杖をもって来って害を加え 悪口罵辱すれども終に瞋りたまわず
 劫を歴て身を挫けども惓惰したまわず 昼夜に心を摂めて常に禅にあり
 遍く一切の衆の道法を学して 智慧深く衆生の根に入りたまえり

:
訳)
 とても捨てがたい様々な 財宝 妻子国城を捨てて
 それらの物質的な物 外面的なものだけではなく
 内面的な執着も 惜しむことなく捨て去りました
 その頭脳によって悟られたこと 目で正しくとらえられた世界は
 すべて他者に施され 諸仏によって唱えられた
 清浄なる戒律を大切に保たれて
 命にかけても破られる事はありませんでした
 もし人が刀や杖を持って現われて
 振りまわし危害を加えようとしても
 悪口を言い激しく罵っても
 一度たりとも お怒りになることはありませんでした
 非常に長い年月 修行を続けられても怠けることはなく
 昼も夜も心を穏やかにして乱れる事がなく
 この世の一切の修行の道 教えを学んでおり
 智慧が深く人々の機根を見通されています

:
:
仏徳歎
:
:

34
ダルマ太郎 2024/06/02 (日) 10:29:09 修正

:
(4)果徳
:
経)
 この故に今自在の力を得て 
 法に於いて自在にして法王と為りたまえり
 我 また(ことごと)くともに稽首して 
 よく諸の勤め難きを勤めたまえるに
 帰依したてまつる

:
:
訳)
 この様な理由から
 今、自在の力を得て
 教えにおいて自在にして
 法の王となられました。
 私たちは、また、ことごとく
 皆ともに頭を深く下げ
 よく諸々の勤め難くを勤められた
 そのご努力に心から帰依いたします

:
:
果徳
:
: