無量義経徳行品第一の解釈をします。
徳行品では、はじめに菩薩の徳と行が讃えられ、次に声聞が讃えられ、最後に大荘厳菩薩が仏陀の徳と行を讃嘆します。他者を供養・恭敬・尊重・讃歎することは、人間関係において重要なことです。
: 第一通序-1 : 1.法・人・時・主・処の経の五事 : 経:是の如きを我聞きき。一時、仏、王舎城(おうしゃじょう)・耆闍崛山(ぎしゃくせん)の中に住したまい、 : 訳:このように私は聞きました。ある時、仏は、マガダ王国の都ラージャグリハの霊鷲山に住み、 : : 2.聴聞衆を明かす : (1)標 : 経:大比丘(びく)衆万二千人と倶なりき。菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)八万人あり。天(てん)・龍(りゅう)・夜叉(やしゃ)・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩睺羅伽(まごらが)あり。諸の比丘(びく)・比丘尼(びくに)及び優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)も倶なり。大転輪王・小転輪王・金輪・銀輪・諸輪の王・国王・王子・国臣・国民・国士・国女・国大長者、各眷属(けんぞく)百千万数にして自ら圍遶(いにょう)せると、仏所に来詣(らいけい)して頭面に足を礼し、遶(めぐ)ること百千匝(そう)して、香を焼き華を散じ、種々に供養すること已って、退いて一面に坐す。 : 訳:一万二千人の出家修行者と共にいました。大菩薩たちが、八万人いました。天上界の神々、ナーガ、ヤクシャ、ガンバルヴァ、アスラ、ガルダ、キンナラ、マホーラガたちが同席していました。多くの男女の出家修行者や在家修行者も同席していました。大転輪王、小転輪王、金輪・銀輪・諸輪の王、国王、王子、優れた家来たち、優れた人々、大長者たちが、それぞれ多くの眷属と共に集まっていました。人々は、次々と仏のもとへと進み、仏のみ足に額をつけて礼拝し、仏のまわりを右回りに巡りました。香をたき、花を散じ、様々に供養しおわって、退いて席へと戻りました。 : : 第一通序-1 : :
: 用語の意味 : 通序 仏教経典に共通する序文のこと。その経典が、いつ、どこで、説かれたのかを最初に明かしている。そこには、五事・六成就が書かれている。 : 五事 信・聞・時・主・処の経の五事のこと。 ①信=如是・・法成就。釈尊の説法を正確に記述しているということ。 ②聞=我聞・・人成就。この我とは、ほとんどの経典において、釈尊の侍者として説法を聞いた阿難のことをいう。 ③時=一時・・時成就。釈尊がこの説法をしたのが、いつであるかの記述。 ④主=仏・・主成就。この教えを説かれたのは釈尊に間違いないという記述。 ⑤処=住王舎城・・処成就。釈尊がどこで説法をしたのかの記述。 : 六成就 五事に衆成就(聴聞相手)を加えて、六成就という。 : : 王舎城(おうしゃじょう) ラージャグリハ Rājagṛha 中インドのマガダ国の首都。釈尊の生まれた紀元前五世紀頃、インドでは村から街へとコミュニティ形態が変化していた。王族の権力が大きくなり始め、バラモンを頂点とするカースト制に反発もあり、そのことから仏教に帰依する王族も多かったようである。マガダ国のビンビサーラ王も、その息子のアジャータシャトル王も仏教に帰依していた。マガダ国とは、当時のインドでは大きな国であり、この国ではカースト制度が緩かったという。 : 城(じょう) 日本の城のイメージではなく、街のことをいう。インドの街は、自衛のために四方を壁でぐるりと囲んでいた。 : 耆闍崛山(ぎしゃくせん) グリドラクータ Gṛdhrakūṭa グリドラクータを音写して耆闍崛山という。霊鷲山(りょうじゅせん)のこと。王舎城の東北にあり、釈尊説法の場所として有名。鷲が多いこと、霊山だったことからも分かるように、この山の頂上では、鳥葬が行われていたという。死体が転がっている近くで、釈尊は生活をしていたようである。 : 声聞(しょうもん) シュラーヴァカ śrāvaka 教えを聴聞する者のこと。弟子のこと。初期仏教では、弟子たちは釈尊の教えを聞いて学んでいたので、出家・在家・男女の差はなく、全員を声聞と呼んでいた。部派仏教の時代になって、出家者の学問主義の弟子のことを声聞と言った。 : 比丘(びく) ビクシュ bhikṣu ビクシュを音写して比丘という。出家して具足戒を受けた男性修行者のこと。 : 菩薩(ぼさつ) ボーディ・サットヴァ bodhi-sattva 覚りを求める者のこと。菩提薩埵(ぼだいさった)を略して菩薩という。仏果を求め、菩提心を起こして仏道に入り、六波羅蜜の行を修する修行者。上求菩提・下化衆生。 : 摩訶薩(まかさつ) マハー・サットヴァ mahā-sattva 偉大なる者のこと。大乗の修行者。菩薩摩訶薩というように、菩薩と合わせて使われる。菩薩摩訶薩とは、大乗の菩薩のこと。 : :
: 菩薩とは : 菩薩とは、ボーディ・サットヴァ bodhi-sattva の音写です。「覚り+人」という合成語です。初期仏教では、覚りを得る前の釈尊のことをいいました。「覚ることが決まっている人」という意味です。他には、釈尊の次に成仏するといわれる弥勒も菩薩と呼ばれました。大乗仏教になると、「覚りを求める人」という意味で使われるようになりました。大乗は、みんなで成仏を目指すので、大乗仏教徒たちは自らを菩薩と呼びました。大乗の菩薩なので、菩薩摩訶薩ともいいます。摩訶薩とは、マハー・サットヴァ mahā-sattva の音写です。意味は、「大いなる人」です。
般若経典は、菩薩摩訶薩たちによって編纂されました。その中で、空の実践者としての菩薩摩訶薩が強調されています。しかし、声聞や縁覚は成仏できないといって差別したために、法華経の編纂者からは、三乗の菩薩だといわれています。一切衆生の成仏を願う一乗の菩薩とは区別されています。法華経では、菩薩とは、「一切衆生の覚りを求める人」であり、「自他を覚りに導く人」です。
大乗仏教は、紀元前後に起こりましたので、釈尊の時代にはありません。よって、無量義経や法華経の会に菩薩が参加することはありません。実在の人物だとされる弥勒菩薩が参加しているかも知れませんが、八万人もの菩薩が集うことはありません。それらの菩薩とは、法身の菩薩だといわれます。法身菩薩とは、真理・教えを体とする菩薩のことです。真理を覚った菩薩のことですから、仏に近い存在です。しかし、実在しているわけではなく、教義の象徴として登場します。たとえば、慈悲の象徴としての弥勒菩薩、智慧の象徴としての文殊菩薩、実践の象徴としての普賢菩薩というような感じです。経典で弥勒菩薩が登場したら慈悲についての教えが説かれ、文殊菩薩が登場したら智慧についての教えが説かれ、普賢菩薩が登場したら実践について説かれます。
無量義経・法華経は、菩薩への教えです。経典の中でも教菩薩法という言葉が頻繁に出てきます。無量義経では、大荘厳菩薩への説法という形式ですので、菩薩への教えだと分かりやすいのですが、法華経の前半は、声聞たちを対象にしています。会に参加している声聞たちを教化し、菩提心(覚りを求める心)を起して、未来に成仏することを予言し、全員を菩薩にしています。法師品第十以前は声聞への教えのように思えます。法師品からは、薬王菩薩・大楽説菩薩・文殊菩薩・弥勒菩薩などが説法の対象になっていますので、菩薩への教えだというのは明らかですが、法師品以前を菩薩への教えだと言えるのでしょうか?
法華経は、菩薩を対象にした実践指導です。声聞をどのようにして教化し、菩提心を起させ、菩薩としての自覚を持たせ、広宣流布を誓願させるかを、釈尊が実際に行い、菩薩たちに見せて、指導をしているわけです。このことから、教菩薩法といいます。釈尊は、声聞と菩薩を同時に教化しているのです。 : : 菩薩とは : :
: 用語の意味-2 : 八部衆(はちぶしゅう) 仏教を守護する天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩侯羅伽のこと。 : 天(てん) デーヴァ deva 天上界に住む神々のこと。もともとはヴェーダの神。仏教では、八部衆の一群として仏法を護っている。梵天、帝釈天など。 : 龍(りゅう) ナーガ naga インド神話の龍は、上半身は人間で頭に五頭の蛇がおり、下半身は大蛇の姿で表わされる。このように古代インドでは、半身半蛇の姿であったが、中国で、中国伝承の龍のイメージに変わって日本に伝わったため、日本の龍も中国的な大蛇風の姿で表わされる。天候を操る力があり、怒れば雨を降らさずに干ばつにし、怒りがおさまったら雨を降らせるという。釈尊の成道の時、ずっと守護したという伝説もある。 : 夜叉(やしゃ) 男:ヤクシャ yakṣa 女:ヤクシニー yakṣinī 古代インド神話に登場する鬼神。毘沙門天の眷属だといわれる。 : 乾闥婆(けんだつば) ガンダルヴァ gandharva インド神話では、帝釈天に仕える半神半獣の楽団に属し、神々が集まる宮殿において、美しい音楽を奏でる役割を担っている。神々の飲む霊薬「ソーマ」を守る役も果たしている。香を食事とし、身体からも芳しい香りを放つ。乾闥婆の妻は、天女のアプサラスである。 : 阿修羅(あしゅら) アスラ asura 意訳は非天。阿修羅は、元は天上界の神だったが、帝釈天との戦いに敗れて、海中に落とされ神の位も剥奪された。争いを好む。 : 迦楼羅(かるら) (巴)ガルダ garuda インド神話ではヴィシュヌ神の乗り物とされ、蛇や龍を食べて退治する。鳥頭人身有翼である。インドネシアの国営航空会社のシンボルであり、日本のカラス天狗のモデルだともいわれる。 : 緊那羅(きんなら) キンナラ kimnara 歌の上手な音楽の神。男性の緊那羅は半人半馬で、女性の緊那羅はキンナリーと呼ばれ、美しい天女の姿をしている。半人半馬のため人非人ともいう。 : 摩侯羅伽(まごらが) マゴラガ mahoraga 「大きな蛇」の意味。音楽神。身体が人間で、首から上がニシキヘビのような姿をしている。 : : 用語の意味-2 : :
: 用語の意味-3 : 比丘(びく) ビクシュ bhikṣu 出家して具足戒を受けた男性修行者のこと。 : 比丘尼(びくに) ビクシュニー bhikṣuṇī 出家して具足戒を受けた女性修行者のこと。 : 優婆塞(うばそく) ウパーサカ upāsaka 三帰五戒を受けた在家の男性修行者のこと。清信士、居士と訳す。 : 優婆夷(うばい) ウパーシカー upāsikā 三帰五戒を受けた在家の女性修行者のこと。清信女と訳す。 : 転輪王 チャクラヴァルティ・ラージャン cakravarti-rājan 古代インドの伝説上の理想の王。身に三十二相を具え、即位の時に天より輪宝を感得し、これを転じて四方を征服するので転輪王という。輪宝に金・銀・銅・鉄の四種があり、その輪宝の種類によって治める範囲が異なる。 : 国士・国女 中堅階級の男女のこと。 : 国大長者 地主や長者のこと。 : 囲遶(いにょう) 法会のとき、多くの人々が釈尊の周囲を右に回って礼拝すること。 : 匝(そう) 聖者のまわりを右回りに何回も回って、敬意と帰依を表わす。基本的には三匝する。 : 供養(くよう) プージャナー pūjanā 仏・菩薩・諸天などに、香・華・燈明・飲食などの供物を真心から捧げること。日本では、死者や祖先に対する追善供養のことも供養ということが多い。供養には、「利供養」「敬供養」「行供養」がある。 : ①利供養(りくよう)・・衣服臥具などの物品を捧げて供養すること。 : ②敬供養(きょうくよう)・・讃嘆・恭敬する供養。 : ③行供養(ぎょうくよう)・・仏法を実践する供養。 : : 用語の意味-3 : :
: 1)菩薩衆-1 : a.名を列ね数を唱える : 経:其の菩薩の名を、文殊師利法王子(もんじゅしりほうおうじ)・大威徳蔵法王子(だいいとくぞうほうおうじ)・無憂蔵法王子(むうぞうほうおうじ)・大弁蔵法王子(だいべんぞうほうおうじ)・弥勒菩薩(みろくぼさつ)・導首菩薩(どうしゅぼさつ)・薬王菩薩(やくおうぼさつ)・薬上菩薩(やくじょうぼさつ)・華幢菩薩(けどうぼさつ)・華光幢菩薩(けこうどうぼさつ)・陀羅尼自在王菩薩(だらにじざいおうぼさつ)・観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)・大勢至菩薩(だいせいぼさつ)・常精進菩薩(じょうしょうじんぼさつ)・宝印首菩薩(ほういんしゅぼさつ)・宝積菩薩(ほうしゃくぼさつ)・宝杖菩薩(ほうじょうぼさつ)・越三界菩薩(おつさんがいぼさつ)・毘摩跋羅菩薩(びまばつらぼさつ)・香象菩薩(こうぞうぼさつ)・大香象菩薩(だいこうぞうぼさつ)・師子吼王菩薩(ししくおうぼさつ)・師子遊戯世菩薩(ししゆけせぼさつ)・師子奮迅菩薩(ししふんじんぼさつ)・師子精進菩薩(しししょうじんぼさつ)・勇鋭力菩薩(ゆえいりきぼさつ)・師子威猛伏菩薩(ししいみょうぶくぼさつ)・荘厳菩薩(しょうごんぼさつ)・大荘厳菩薩(だいしょうごんぼさつ)という。是の如き等の菩薩摩訶薩八万人と倶なり。 : : b. 菩薩衆の徳を歎ずる : (a)自利 : ①法身 : 経:是の諸の菩薩、皆是れ法身の大士ならざることなし。戒(かい)・定(じょう)・慧(え)・解脱(げだつ)・解脱知見(げだつちけん)の成就(じょうじゅ)せる所なり。 : 訳:この菩薩たちは、皆、真理と一体となった高位の者たちです。戒律を守り、禅定をし、智慧が深く、迷いから離れ、迷いから離れていることを自覚していました。 : : ②止徳 : 経:その心禅寂にして、常に三昧に在って、恬安憺怕(てんなんたんぱく)に無為無欲なり。顛倒乱想(てんどうらんそう)、また入ることを得ず。静寂清澄(じょうじゃくしょうちょう)に志玄虚漠(しげんこまく)なり。これを守って動ぜざること億百千劫、無量の法門悉く現在前せり。 : 訳:その菩薩たちの心は落ち着いていて動じることがなく、常に一心に集中しており、現象に振り回されることなく常に安らかであり、ものごとにこだわることがありません。自己中心的ではなく、必要以上の欲もありません。真理を無視するような自分勝手な考えはなく、想いが乱れることもありません。心が澄んで静かに落ち着いており、志しは高く、広くて限りがありません。このことを守って長い間、動揺することなく、多くの教えを理解してきました。 : : ③観徳 : 経:大智慧を得て諸法を通達し、性相の真実を暁了(ぎょうりょう)し分別するに、有無長短、明現顕白なり。 : 訳:大きな智慧を得ていますので、世界の事物・現象を深く観ることができ、物事の特徴と本質を見通し、見分けるとき、そのものの特徴の有無、度合いをはっきりと見極めていました。 : : 1)菩薩衆-1 : :
不適切なコンテンツとして通報するには以下の「送信」ボタンを押して下さい。 現在このグループでは通報を匿名で受け付けていません。 管理者グループにはあなたが誰であるかがわかります。
どのように不適切か説明したい場合、メッセージをご記入下さい。空白のままでも通報は送信されます。
通報履歴 で、あなたの通報と対応時のメッセージを確認できます。
トピックをWIKIWIKIに埋め込む
次のコードをWIKIWIKIのページに埋め込むと最新のコメントがその場に表示されます。
// generating...
プレビュー
ここまでがあなたのコンテンツ
ここからもあなたのコンテンツ
:王舎城 ・耆闍崛山 の中に住したまい、比丘 衆万二千人と倶なりき。菩薩摩訶薩 八万人あり。天 ・龍 ・夜叉 ・乾闥婆 ・阿修羅 ・迦楼羅 ・緊那羅 ・摩睺羅伽 あり。諸の比丘 ・比丘尼 及び優婆塞 ・優婆夷 も倶なり。大転輪王・小転輪王・金輪・銀輪・諸輪の王・国王・王子・国臣・国民・国士・国女・国大長者、各眷属 百千万数にして自ら圍遶 せると、仏所に来詣 して頭面に足を礼し、遶 ること百千匝 して、香を焼き華を散じ、種々に供養すること已って、退いて一面に坐す。
第一通序-1
:
1.法・人・時・主・処の経の五事
:
経:是の如きを我聞きき。一時、仏、
:
訳:このように私は聞きました。ある時、仏は、マガダ王国の都ラージャグリハの霊鷲山に住み、
:
:
2.聴聞衆を明かす
:
(1)標
:
経:大
:
訳:一万二千人の出家修行者と共にいました。大菩薩たちが、八万人いました。天上界の神々、ナーガ、ヤクシャ、ガンバルヴァ、アスラ、ガルダ、キンナラ、マホーラガたちが同席していました。多くの男女の出家修行者や在家修行者も同席していました。大転輪王、小転輪王、金輪・銀輪・諸輪の王、国王、王子、優れた家来たち、優れた人々、大長者たちが、それぞれ多くの眷属と共に集まっていました。人々は、次々と仏のもとへと進み、仏のみ足に額をつけて礼拝し、仏のまわりを右回りに巡りました。香をたき、花を散じ、様々に供養しおわって、退いて席へと戻りました。
:
:
第一通序-1
:
:
:
王舎城
城
耆闍崛山 霊鷲山 のこと。王舎城の東北にあり、釈尊説法の場所として有名。鷲が多いこと、霊山だったことからも分かるように、この山の頂上では、鳥葬が行われていたという。死体が転がっている近くで、釈尊は生活をしていたようである。
声聞
比丘
菩薩 菩提薩埵 を略して菩薩という。仏果を求め、菩提心を起こして仏道に入り、六波羅蜜の行を修する修行者。上求菩提・下化衆生。
摩訶薩
用語の意味
:
通序
仏教経典に共通する序文のこと。その経典が、いつ、どこで、説かれたのかを最初に明かしている。そこには、五事・六成就が書かれている。
:
五事
信・聞・時・主・処の経の五事のこと。
①信=如是・・法成就。釈尊の説法を正確に記述しているということ。
②聞=我聞・・人成就。この我とは、ほとんどの経典において、釈尊の侍者として説法を聞いた阿難のことをいう。
③時=一時・・時成就。釈尊がこの説法をしたのが、いつであるかの記述。
④主=仏・・主成就。この教えを説かれたのは釈尊に間違いないという記述。
⑤処=住王舎城・・処成就。釈尊がどこで説法をしたのかの記述。
:
六成就
五事に衆成就(聴聞相手)を加えて、六成就という。
:
:
ラージャグリハ Rājagṛha
中インドのマガダ国の首都。釈尊の生まれた紀元前五世紀頃、インドでは村から街へとコミュニティ形態が変化していた。王族の権力が大きくなり始め、バラモンを頂点とするカースト制に反発もあり、そのことから仏教に帰依する王族も多かったようである。マガダ国のビンビサーラ王も、その息子のアジャータシャトル王も仏教に帰依していた。マガダ国とは、当時のインドでは大きな国であり、この国ではカースト制度が緩かったという。
:
日本の城のイメージではなく、街のことをいう。インドの街は、自衛のために四方を壁でぐるりと囲んでいた。
:
グリドラクータ Gṛdhrakūṭa
グリドラクータを音写して耆闍崛山という。
:
シュラーヴァカ śrāvaka
教えを聴聞する者のこと。弟子のこと。初期仏教では、弟子たちは釈尊の教えを聞いて学んでいたので、出家・在家・男女の差はなく、全員を声聞と呼んでいた。部派仏教の時代になって、出家者の学問主義の弟子のことを声聞と言った。
:
ビクシュ bhikṣu
ビクシュを音写して比丘という。出家して具足戒を受けた男性修行者のこと。
:
ボーディ・サットヴァ bodhi-sattva
覚りを求める者のこと。
:
マハー・サットヴァ mahā-sattva
偉大なる者のこと。大乗の修行者。菩薩摩訶薩というように、菩薩と合わせて使われる。菩薩摩訶薩とは、大乗の菩薩のこと。
:
:
:
菩薩とは
:
菩薩とは、ボーディ・サットヴァ bodhi-sattva の音写です。「覚り+人」という合成語です。初期仏教では、覚りを得る前の釈尊のことをいいました。「覚ることが決まっている人」という意味です。他には、釈尊の次に成仏するといわれる弥勒も菩薩と呼ばれました。大乗仏教になると、「覚りを求める人」という意味で使われるようになりました。大乗は、みんなで成仏を目指すので、大乗仏教徒たちは自らを菩薩と呼びました。大乗の菩薩なので、菩薩摩訶薩ともいいます。摩訶薩とは、マハー・サットヴァ mahā-sattva の音写です。意味は、「大いなる人」です。
般若経典は、菩薩摩訶薩たちによって編纂されました。その中で、空の実践者としての菩薩摩訶薩が強調されています。しかし、声聞や縁覚は成仏できないといって差別したために、法華経の編纂者からは、三乗の菩薩だといわれています。一切衆生の成仏を願う一乗の菩薩とは区別されています。法華経では、菩薩とは、「一切衆生の覚りを求める人」であり、「自他を覚りに導く人」です。
大乗仏教は、紀元前後に起こりましたので、釈尊の時代にはありません。よって、無量義経や法華経の会に菩薩が参加することはありません。実在の人物だとされる弥勒菩薩が参加しているかも知れませんが、八万人もの菩薩が集うことはありません。それらの菩薩とは、法身の菩薩だといわれます。法身菩薩とは、真理・教えを体とする菩薩のことです。真理を覚った菩薩のことですから、仏に近い存在です。しかし、実在しているわけではなく、教義の象徴として登場します。たとえば、慈悲の象徴としての弥勒菩薩、智慧の象徴としての文殊菩薩、実践の象徴としての普賢菩薩というような感じです。経典で弥勒菩薩が登場したら慈悲についての教えが説かれ、文殊菩薩が登場したら智慧についての教えが説かれ、普賢菩薩が登場したら実践について説かれます。
無量義経・法華経は、菩薩への教えです。経典の中でも教菩薩法という言葉が頻繁に出てきます。無量義経では、大荘厳菩薩への説法という形式ですので、菩薩への教えだと分かりやすいのですが、法華経の前半は、声聞たちを対象にしています。会に参加している声聞たちを教化し、菩提心(覚りを求める心)を起して、未来に成仏することを予言し、全員を菩薩にしています。法師品第十以前は声聞への教えのように思えます。法師品からは、薬王菩薩・大楽説菩薩・文殊菩薩・弥勒菩薩などが説法の対象になっていますので、菩薩への教えだというのは明らかですが、法師品以前を菩薩への教えだと言えるのでしょうか?
法華経は、菩薩を対象にした実践指導です。声聞をどのようにして教化し、菩提心を起させ、菩薩としての自覚を持たせ、広宣流布を誓願させるかを、釈尊が実際に行い、菩薩たちに見せて、指導をしているわけです。このことから、教菩薩法といいます。釈尊は、声聞と菩薩を同時に教化しているのです。
:
:
菩薩とは
:
:
:
八部衆
天
龍
夜叉
乾闥婆
阿修羅
迦楼羅
緊那羅
摩侯羅伽
用語の意味-2
:
仏教を守護する天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩侯羅伽のこと。
:
デーヴァ deva
天上界に住む神々のこと。もともとはヴェーダの神。仏教では、八部衆の一群として仏法を護っている。梵天、帝釈天など。
:
ナーガ naga
インド神話の龍は、上半身は人間で頭に五頭の蛇がおり、下半身は大蛇の姿で表わされる。このように古代インドでは、半身半蛇の姿であったが、中国で、中国伝承の龍のイメージに変わって日本に伝わったため、日本の龍も中国的な大蛇風の姿で表わされる。天候を操る力があり、怒れば雨を降らさずに干ばつにし、怒りがおさまったら雨を降らせるという。釈尊の成道の時、ずっと守護したという伝説もある。
:
男:ヤクシャ yakṣa 女:ヤクシニー yakṣinī
古代インド神話に登場する鬼神。毘沙門天の眷属だといわれる。
:
ガンダルヴァ gandharva
インド神話では、帝釈天に仕える半神半獣の楽団に属し、神々が集まる宮殿において、美しい音楽を奏でる役割を担っている。神々の飲む霊薬「ソーマ」を守る役も果たしている。香を食事とし、身体からも芳しい香りを放つ。乾闥婆の妻は、天女のアプサラスである。
:
アスラ asura
意訳は非天。阿修羅は、元は天上界の神だったが、帝釈天との戦いに敗れて、海中に落とされ神の位も剥奪された。争いを好む。
:
(巴)ガルダ garuda
インド神話ではヴィシュヌ神の乗り物とされ、蛇や龍を食べて退治する。鳥頭人身有翼である。インドネシアの国営航空会社のシンボルであり、日本のカラス天狗のモデルだともいわれる。
:
キンナラ kimnara
歌の上手な音楽の神。男性の緊那羅は半人半馬で、女性の緊那羅はキンナリーと呼ばれ、美しい天女の姿をしている。半人半馬のため人非人ともいう。
:
マゴラガ mahoraga
「大きな蛇」の意味。音楽神。身体が人間で、首から上がニシキヘビのような姿をしている。
:
:
用語の意味-2
:
:
:
比丘
比丘尼
優婆塞
優婆夷
囲遶
匝
供養 利供養 ・・衣服臥具などの物品を捧げて供養すること。敬供養 ・・讃嘆・恭敬する供養。行供養 ・・仏法を実践する供養。
用語の意味-3
:
ビクシュ bhikṣu
出家して具足戒を受けた男性修行者のこと。
:
ビクシュニー bhikṣuṇī
出家して具足戒を受けた女性修行者のこと。
:
ウパーサカ upāsaka
三帰五戒を受けた在家の男性修行者のこと。清信士、居士と訳す。
:
ウパーシカー upāsikā
三帰五戒を受けた在家の女性修行者のこと。清信女と訳す。
:
転輪王
チャクラヴァルティ・ラージャン cakravarti-rājan
古代インドの伝説上の理想の王。身に三十二相を具え、即位の時に天より輪宝を感得し、これを転じて四方を征服するので転輪王という。輪宝に金・銀・銅・鉄の四種があり、その輪宝の種類によって治める範囲が異なる。
:
国士・国女
中堅階級の男女のこと。
:
国大長者
地主や長者のこと。
:
法会のとき、多くの人々が釈尊の周囲を右に回って礼拝すること。
:
聖者のまわりを右回りに何回も回って、敬意と帰依を表わす。基本的には三匝する。
:
プージャナー pūjanā
仏・菩薩・諸天などに、香・華・燈明・飲食などの供物を真心から捧げること。日本では、死者や祖先に対する追善供養のことも供養ということが多い。供養には、「利供養」「敬供養」「行供養」がある。
:
①
:
②
:
③
:
:
用語の意味-3
:
:
:文殊師利法王子 ・大威徳蔵法王子 ・無憂蔵法王子 ・大弁蔵法王子 ・弥勒菩薩 ・導首菩薩 ・薬王菩薩 ・薬上菩薩 ・華幢菩薩 ・華光幢菩薩 ・陀羅尼自在王菩薩 ・観世音菩薩 ・大勢至菩薩 ・常精進菩薩 ・宝印首菩薩 ・宝積菩薩 ・宝杖菩薩 ・越三界菩薩 ・毘摩跋羅菩薩 ・香象菩薩 ・大香象菩薩 ・師子吼王菩薩 ・師子遊戯世菩薩 ・師子奮迅菩薩 ・師子精進菩薩 ・勇鋭力菩薩 ・師子威猛伏菩薩 ・荘厳菩薩 ・大荘厳菩薩 という。是の如き等の菩薩摩訶薩八万人と倶なり。戒 ・定 ・慧 ・解脱 ・解脱知見 の成就 せる所なり。恬安憺怕 に無為無欲なり。顛倒乱想 、また入ることを得ず。静寂清澄 に志玄虚漠 なり。これを守って動ぜざること億百千劫、無量の法門悉く現在前せり。暁了 し分別するに、有無長短、明現顕白なり。
1)菩薩衆-1
:
a.名を列ね数を唱える
:
経:其の菩薩の名を、
:
:
b. 菩薩衆の徳を歎ずる
:
(a)自利
:
①法身
:
経:是の諸の菩薩、皆是れ法身の大士ならざることなし。
:
訳:この菩薩たちは、皆、真理と一体となった高位の者たちです。戒律を守り、禅定をし、智慧が深く、迷いから離れ、迷いから離れていることを自覚していました。
:
:
②止徳
:
経:その心禅寂にして、常に三昧に在って、
:
訳:その菩薩たちの心は落ち着いていて動じることがなく、常に一心に集中しており、現象に振り回されることなく常に安らかであり、ものごとにこだわることがありません。自己中心的ではなく、必要以上の欲もありません。真理を無視するような自分勝手な考えはなく、想いが乱れることもありません。心が澄んで静かに落ち着いており、志しは高く、広くて限りがありません。このことを守って長い間、動揺することなく、多くの教えを理解してきました。
:
:
③観徳
:
経:大智慧を得て諸法を通達し、性相の真実を
:
訳:大きな智慧を得ていますので、世界の事物・現象を深く観ることができ、物事の特徴と本質を見通し、見分けるとき、そのものの特徴の有無、度合いをはっきりと見極めていました。
:
:
1)菩薩衆-1
:
: