仏教のお話

無量義経:徳行品第一 / 6

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ダルマ太郎 2024/05/27 (月) 23:14:22

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用語の意味
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法身(ほっしん)
ダルマ・カーヤ dharma-kāya
真理そのものの身体のこと。

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法身の大士
仏の自性である真如を体とする大菩薩のこと。

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五分法身
戒・定・慧・解脱・解脱知見の成就のこと。
五分法身とは、法身の大士が具えている五種の功徳性のこと。解脱身のこと。

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(かい)
シーラ śīla
仏教徒にとっての自分を律する内面的な道徳規範を戒といい、戒を守ることを持戒という。

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禅定(ぜんじょう)
ディヤーナ dhyāna
特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること。

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智慧(ちえ)
プラジュニャー prajñā
諸法実相を観察することによって体得できる実践的精神作用を慧といい、煩悩を完全に断つ主因となる精神作用を智という。

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解脱(げだつ)
ヴィモークシャ vimokṣa
煩悩に縛られていることから解放され、迷いの苦を脱すること。

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解脱知見(げだつちけん)
ヴィムクティ・ジュニャーナ・ダルシャナ vimukti-jñāna-darśana
解脱している事を自分自身で認識していること。

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用語の意味
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    ダルマ太郎 2024/05/28 (火) 02:57:23 >> 6

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    智慧(ちえ)とは
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    智慧とは、プラジュニャー prajñā の中国語訳です。般若(はんにゃ)とも訳されます。意味は、一切の現象や、現象の背後にある道理を見きわめる心作用のことです。つまり、真理を観る能力のことをいいます。智慧という言葉を智と慧に分けた場合、智は、ジュニャーナ jñāna の訳語で、ものごとを分けてとらえることです。つまり、分別(ふんべつ)です。慧はプラジュニャーの訳語です。分けずにとらえることです。つまり、無分別(むふんべつ)です。釈尊の覚りは、慧だといわれます。

    分別とは、認識するものと認識されるものを分けてみることです。主客が分かれているとみます。無分別は、認識するものと認識されるものを分けてみないことです。主客が分かれているとはみません。

    仏教の目的は成仏です。仏陀に成ることです。仏陀とは、真理に目覚めた者のことですから、真理を観察する智慧が完成しています。つまり般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)の境地に達しています。私たち凡夫は、智慧が煩悩に覆われているために真理を観ることができません。そこで、釈尊は、煩悩を滅し、智慧を得る道を示されました。たとえば、四諦の法門では、人生は苦であると言い、苦の原因は煩悩であり、煩悩を滅すれば安楽の境地に至り、そのために八正道を実践するようにと教えました。八正道は、智慧を得るための方法です。
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    智慧とは
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