仏教のお話

Rの会:譬諭品第三

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https://www.youtube.com/watch?v=9nI0Mlp7xxw&t=358s
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Rの会:妙法蓮華経譬諭品第三
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あらまし:方便品の説法を舎利弗が聞いて「真理と方便」を覚り、これまでの声聞根性を懺悔し、今後の精進を誓うのを見て、釈尊が舎利弗に授記をされました。これは、声聞最初の授記です。そして、釈尊は、「真理と方便」の教えを、より多くの人々に理解できるように「三車火宅の譬え」にして説かれました。
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譬諭とは
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太郎論:譬諭とは、アウパムヤ aupamya の訳で、「類似、比較、類義、類比」という意味です。ある事象を類似するものによって表現することです。たとえば、雪を見たことのない人に、雪とはどういうものかを伝える時に、「綿のように白い」「桜が舞うように空から降る」「氷のように冷たい」などと、何かに喩えるとイメージが伝わりやすくなります。妙法蓮華経というタイトルも、「蓮華のように最高の妙法」というように譬喩になっています。英語のメタファー metaphor のことです。譬諭・譬喩・比喩は、同じ意味です。

譬諭は、相手の知っていることでなければ通用しません。蓮華を知らない人に蓮華で喩えても意味がありません。たとえば、仏のことを「光り輝いており、温かく、まわりに影響のある人」というよりも、「太陽のような人」だと喩えたほうがイメージが伝わりやすいです。智慧を明かりに喩えたり、怒りを毒に喩えるなど、仏教では多くの譬喩が用いられています。

譬喩は、「開譬(かいひ)」と「合譬(がっぴ)」によって成り立っています。開譬とは、譬喩を開くことで、何らかを譬喩で表わすことです。合譬とは、喩えたことと教義とを合わせることです。単純な譬諭であれば、合譬は分かりやすいのですが、複雑な譬喩の場合は、合譬をするときに頭を使います。いきなり合譬はできませんので、法華経では、譬喩品の「三車火宅の譬え」によって開譬と合譬を説き、特に合譬を丁寧に伝えています。ここで、譬喩が、どのようなものなのかを学んでおかないと後で苦労します。というより、内容が分からなくなります。法華経の後半では、合譬が省略されるために、自分で合譬する必要があるからです。譬諭を譬喩として読まない人は、的外れな解釈をすることになります。

法華経は、別名が「譬喩経」というように、非常に多くの譬喩が使われています。よって、合譬する能力は身につけておく必要があります。
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ダルマ太郎
作成: 2024/05/08 (水) 17:53:53
最終更新: 2024/05/08 (水) 21:30:19
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19
ダルマ太郎 2024/05/11 (土) 13:00:43

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正しく領解する
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経:仏昔、波羅奈(はらない)に於て初めて法輪を転じ、今、乃ちまた無上最大の法輪を転じたもう。
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太郎訳:世尊は、昔、ヴァーラーナシー(波羅奈)において、最初の教えを説かれ、今、無上最大の教えを説かれました。
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太郎論:波羅奈とは、釈尊が初めて説法を行った鹿野園のある場所です。初めての説法のことを初転法輪といいます。説法の相手は、かつて一緒に苦行をした五比丘です。五比丘は、苦行を止めて乳粥を食べた釈尊を裏切り者として軽蔑し、遠く鹿野園に去りました。覚りを得た釈尊は、最初の説法の相手として五比丘を選んで会いに行きましたが、五比丘は釈尊を見て、相手にしないように示し合わせました。しかし、近づいてきた釈尊の神々しさに尊敬の意を表し、釈尊の説法を聞きました。その時の説法の内容は、中道・四諦だったといいます。この初転法輪によって、仏教が始まったと言いますから、重大な説法だったことが分かります。今ここで、釈尊は、妙法蓮華の教えを説かれました。神々はこの説法を初転法輪と同じく重要な説法だと受け止め、「今、乃ちまた無上最大の法輪を転じたもう」と言って喜んだようです。

このように法華経では、法華経を無上最大最高の教えだと讃えるシーンがよく出てきます。このことから、法華経は釈尊の説かれた教えの中で第一だと言われます。しかし、最高なのは妙法です。鳩摩羅什は妙法と訳しましたが、それまでは通常、正法と訳されました。阿含経にも使われている言葉です。妙法は、サッダルマ Saddharma の訳なので、正しい法という意味です。よって、直訳すると正法なのですが、甚深微妙の法なので、鳩摩羅什は妙法と訳したようです。

般若経では、智慧について説かれています。法華経では、智慧の対象である妙法について説かれています。よって、般若経と法華経はセットです。智慧と妙法を知ってこそ、能詮と所詮の一致が得られます。つまり、説くことと説かれることが一つになりますから、般若経と法華経は合わせて学ぶ必要があります。

龍樹は、二万五千頌般若経の解釈として、大智度論を著しました。百巻もある大作です。しかし、法華経の解釈本は出していません。龍樹は、般若経を学ぶことを勧めていたようです。般若経は、声聞衆に対して説かれましたが、法華経は菩薩に説かれた教えなので、非常に難解だからです。よって、法華経は簡単な教えではありません。大智度論を訳した鳩摩羅什も、法華経よりも般若経を押していたようです。日本では、般若経を学ばずに法華経を学ぶ傾向が強いのですが、法華経を理解するためには、般若経をまず学ぶ必要があります。

般若経を知らなければ、妙法を理解できませんので、妙法がなぜ最高なのかが分からないと思います。法華経を最高だと主張したいのなら、般若波羅蜜について深く学んだほうがいいです。
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正しく領解する
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20
ダルマ太郎 2024/05/11 (土) 13:19:40

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偈頌
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経:その時に諸の天子、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく。
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太郎訳:その時に、諸々の天上界の神々の子たちは、正しく領解したことをもう一度詩にして述べました。
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経)
 昔 波羅奈に於て 四諦の法輪を転じ
 分別して諸法 五衆の生滅を説き
 今また最妙 無上の大法輪を転じたもう
 この法は甚だ深奥にして 
 よく信ずる者あること少し
 我等 昔より来 
 数世尊の説を聞きたてまつるに
 未だ曾て是の如き 深妙の上法を聞かず
 世尊 この法を説きたもうに 我等 皆随喜す
 大智舎利弗 今尊記を受くることを得たり
 我等また是の如く 必ず当に作仏して
 一切世間に於て 最尊にして
 上あることなきことを得べし
 仏道は思議しがたし 
 方便して宜しきに随って説きたもう
 我が所有の福業 今世もしは過世
 及び見仏の功徳 尽く仏道に廻向(えこう)

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太郎訳)
 昔、ヴァーラーナシーにおいて
 四諦の法門を説かれ 分析して 五蘊の縁起を説き
 今はまた 最も優れた無上の大いなる教えを説かれました
 この教えは甚だ奥が深く 信じる者の少ない教えです
 私たちは昔よりこれまで
 多くの諸仏の教えを聞いてまいりましたが
 かつてこのような深く優れた最上の教えを聞いたことがありません
 世尊よ この教えをお聞きして 私たちは 皆 喜んでいます
 聖者シャーリプトラが 今 尊い成仏の予言を受けました
 私たちも同様に必ず成仏をして
 一切の世間において 最も尊く無上の境地を得たいと思います
 仏の道は難解です
 よって方便によって 相手に応じて教えを説きましょう
 私たちの持つ善業 今世 または過去世において
 諸仏に出会えたことの功徳を すべて仏道に廻向します

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偈頌
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21
ダルマ太郎 2024/05/11 (土) 14:18:31 修正

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廻向(えこう)とは
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太郎論:廻向とは、パリナーマナー pariṇāmanā の訳です。意味は、「転回・変化・変換」です。仏教では、自分の善根・功徳を自他の成仏へと振り向けることをいいます。化城諭品第七にある「願わくはこの功徳をもって 普く一切に及ぼし 我らと衆生と 皆共に仏道を成ぜん」という廻向文は有名です。日本では、廻向供養といって、読経供養の功徳を死者に廻向しますが、本来の廻向は、生きている者になされます。

廻向の思想は、初期仏教にはなく、大乗仏教において広まりました。初期仏教では、業報輪廻の思想が主に説かれており、自分の業報は自分が受け取るといわれていました。自業自得です。廻向思想では、自分の善業を他者に振り向けますので、業報思想にはなかった考え方です。この考え方によって、他者を救済するという根拠になっていますから、大乗仏教では重要な思想です。

「業報によって輪廻する」というのが業報輪廻です。輪廻するのは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という苦の世界です。修行によって成仏しなければ輪廻からは解脱できませんので、ほとんどの生物は、非常に長い間、苦の世界を漂うことになります。この思想は、実に残酷です。日本にも業報輪廻の思想が入ってきて、最近は、ドラマや映画でもテーマになっているため、若い人たちにも輪廻という言葉が一般的になりました。しかし、インドのように悲観的なイメージではなく、死に変わり生まれ変わっても苦の世界にいる、という考えはないようです。よって、輪廻からの解脱という考えもありません。成仏を願って修行しようという人は少ないようです。

よって、日本人には業報輪廻の恐怖が分かりませんが、インド人にとっては、すぐ近くにある恐怖です。この恐怖による苦しみを解決するのが仏教の一つのテーマでした。大乗仏教では、事物・現象は、仮だといいます。事実としてあるのではなく、概念として有るだけです。よって実体は有りません。輪廻もまた概念であり、幻のようなものですから、そのことに気づけば、一瞬で救われます。廻向思想は、そういう幻への執着から離れさせるための、有効な思想だったわけです。
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廻向とは
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22
ダルマ太郎 2024/05/11 (土) 15:16:55

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第二 譬説周 正説段
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舎利弗請問
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経:その時に舎利弗、仏に白して言さく。世尊。我今また疑悔なし。親り仏前に於て阿耨多羅三藐三菩提の記を受くることを得たり。この諸の千二百の心自在なる者、昔学地に住せしに、仏常に教化して言わく。我が法はよく生・老・病・死を離れて涅槃を究竟す、と。この学・無学の人、また各自ら我見、及び有・無の見等を離れたるを以て、涅槃を得たりと謂えり。しかるに今世尊の前に於て、未だ聞かざる所を聞いて、皆疑惑に堕せり。善哉、世尊。願わくは四衆の為に其の因縁を説いて疑悔を離れしめたまえ。
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太郎訳:その時に尊者シャーリプトラは、釈尊に申し上げました。世尊。私は、今、疑いの心はありません。世尊より、最高の授記を頂きました。この会座に集う千二百の心が自在な者たちに、昔、学びたいという心を起こさしめ、世尊は、いつもこのように教化してくださいました。私の説く教えは、生・老・病・死の苦を超越し、涅槃の境地に導きます、と。この学ぶ者、学び尽くした者たちは、それぞれが自ら、自己にとらわれた見解や「ある」にこだわる見方、「ない」にこだわる見方を離れることによって、涅槃を得たと思い込んでいます。なのに、今、世尊からこれまで説かれていた涅槃は仮の涅槃だということを初めて聞いて、皆が疑惑を感じています。素晴らしき世尊よ。どうぞ、この人々に対して、仮の涅槃と真の涅槃についてお説き頂き、人々の疑いをお晴らしください。
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舎利弗請問
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23
ダルマ太郎 2024/05/11 (土) 17:43:37

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如来答説
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開譬
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発起
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経:その時に仏、舎利弗に告げたまわく。我先に諸仏世尊の種々の因縁・譬諭・言辞を以て方便して法を説きたもうは、皆、阿耨多羅三藐三菩提の為なりと言わずや。この諸の所説は、皆菩薩を化せんが為の故なり。しかも舎利弗。今当にまた譬諭を以て更にこの義を明すべし。諸の智あらん者、譬諭を以て解ることを得ん。
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太郎訳:その時に釈尊は、尊者シャーリプトラに告げました。私は、先ほど、諸仏が様々な因縁、譬え話、語源によって方便の教えを説くことは、すべて無上最高の覚りへと人々を導くためだと説いたではありませんか。様々な教えは、すべて菩薩を教化するためです。では、シャーリプトラよ。今、真実の教えを譬え話にして説き明かしましょう。智慧のある者は、譬え話によって覚ることができるでしょう。
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方便品の要約
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太郎論:「諸仏世尊の種々の因縁・譬諭・言辞を以て方便して法を説きたもうは、皆、阿耨多羅三藐三菩提の為なりと言わずや。この諸の所説は、皆菩薩を化せんが為の故なり」というのは、方便品の要約です。「諸仏世尊が、様々な体験談、譬え話、語源によって方便の教えを説くのは、人々を無上の覚りへと導くためである」「様々な教えは、すべて菩薩を教化するためである」という二つのことを方便品では繰り返し説かれていました。

因縁とは、仏と弟子との過去の関係、譬え話とは、そのことと類似することによって、そのことを分かりやすくすること、語源とは、その言葉の語源を明かすことです。このような方便を用いて人々を成仏に導くのが諸仏の役目なのです。

因縁と譬諭は分かりやすいのですが、言辞は分かりにくいです。言辞を言葉づかいだと解釈する人もいますが、言辞とは、ニルクティ nirukti の訳なので、言葉づかいという意味ではなく、語源という意味です。サンスクリット原文ならば、ニルクティは見つけやすいのですが、漢訳だと分かりません。説明が困難なので、漢訳の場合は、あえて無視しているようです。よって、方便とは、因縁と譬諭によって説かれると思っておいた方が混乱しないかも知れません。

菩薩を教化するというのは、菩薩が自他の成仏を願っているからです。成仏を目指していなければ、成仏はできません。目的地が分からなければ、たどり着けないのと同じです。自分だけでなく、多くの人々と共に成仏を目指すことも重要です。自他の区別・差別を無くすことによって、成仏が可能になります。
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譬諭
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太郎論:釈尊は、舎利弗からの請問に応じて、方便によって真実を説くことを譬喩で説くことにしました。譬喩によって、まだ理解できていない弟子たちが、覚れる可能性があるからです。また、舎利弗に対して、譬喩の説き方を教えるためです。開譬と合譬を実際に説くことで、舎利弗は譬諭の説き方を学べます。また、法華経を読む人にも譬諭の実際を教えることができます。

この譬喩品によって、開譬と合譬を学んでおかないと法華経の後半が理解できなくなります。後半では、譬喩を開いても、合譬をしないことが多いので自分で読み解く必要があるからです。
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発起
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24
ダルマ太郎 2024/05/11 (土) 19:16:17

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総譬 「三車火宅のたとえ」
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経:舎利弗、もし、国邑聚落に大長者あらん。その年衰邁して、財富無量なり。多く田宅、及び諸の僮僕あり。その家広大にして、ただ一門あり。諸の人衆多くして一百・二百乃至五百人其の中に止住せり。堂閣朽ち故り、墻壁頽れ落ち、柱根腐ち敗れ、梁棟傾き危し。周そうして倶時に炊然に火起って舎宅を焚焼す。長者の諸子、もしは十・二十・或は三十に至るまでこの宅の中にあり。
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太郎訳:シャーリプトラよ。たとえば、どこかの国か、街か、村に大長者がいたとしましょう。その長者は、年をとり衰弱していますが、非常に裕福で、財産を大量に持っているとしましょう。多くの田畑や屋敷を持っており、奴隷たちもたくさん持っています。その屋敷は、非常に広く大きいのですが、出入り口は一つしかありません。その屋敷には多くの者が住んでいます。100人、200人、あるいは500人もの生命あるものたちが住所としています。その屋敷は、建築して永く経っており、立派ではありますが、あちこちが朽ちています。垣根や壁はくずれ落ち、柱の根元は腐れ、梁や棟は傾いていて危険な状態です。突然、数カ所で同時に火が起こり、屋敷が燃え始めました。長者には、子供たちがたくさんいます。10人、20人、あるいは30人もの子供たちが、この屋敷の中に居ました。
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総譬 「三車火宅のたとえ」
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25
ダルマ太郎 2024/05/11 (土) 19:22:03 修正

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別譬
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火を見る
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経:長者この大火の四面より起るを見て、即ち大に驚怖してこの念を作さく。我はよくこの所焼の門より安穏に出ずることを得たりといえども、しかも諸子等、火宅の内に於て嬉戯に楽著して、覚えず知らず、驚かず、怖じず。火来って身を逼め苦痛己を切むれども心厭患せず、出でんと求むる意なし。
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太郎訳:長者は、この大火が屋敷の四方から起こるのを見て、非常に驚き、恐怖を感じてこのように思いました。私は、火事の屋敷から、安全な場所に逃げ出すことが出来たけれど、私の子供たちは、まだ火宅の中にいて遊ぶことに夢中であり、火のことを知らず、驚かず、恐れていない。もう、そこまで火が迫って熱により熱くなっているのに、苦痛を感じず、遊びを止めることもなく、外に出ようともしない。
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別譬
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26
ダルマ太郎 2024/05/11 (土) 23:53:25

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几を捨てる
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経:舎利弗。この長者是の思惟を作さく。我身手(しんしゅ)に力あり。当に衣裓(えこく)を以てや、もしは几案(きあん)を以てや。(いえ)より之を出すべき。また更に思惟すらく。この舎は唯一門あり。しかもまた狭小なり。諸子幼稚にして未だ識る所あらず、戯処(けしょ)恋著(れんじゃく)せり。或は当に堕落して火に焼かるべし。我当に為に怖畏(ふい)の事を説くべし。この舎すでに焼く。宜しく時に疾く出でて火に焼害せられしむることなかるべし。この念を作しおわって、思惟する所の如く(つぶ)さに諸子に告ぐ。汝等速かに出でよ、と。父、憐愍(れんみん)して善言をもって誘諭(ゆゆ)すといえども、しかも諸子等嬉戯(きけ)楽著(ぎょうぢゃく)し肯て信受せず、驚かず畏れず、(つい)に出ずる心なし。またまた何者かこれ火、何者かこれ舎、云何なるをか失うとなすを知らず。ただ東西に走り戯れて父を視てやみぬ。
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太郎訳:シャーリプトラよ。この長者は、このように考えました。私は、力に自信がある。木の箱に入れるか、机の上にみんなを乗せて押して一気に助け出そうか? また、さらに考えました。この屋敷には門が一つしかない。しかも、狭くて小さい。子供たちは、幼稚でまだ火のことを知らない。遊びに夢中になっている。このままでは、火に焼かれてしまう。私は、子供たちに危険な状態だと説得するほうがいいのだろうか。この屋敷は火事だ。早く出て来なければ危険だ。火から逃げて、安全な所に出ることが必要だと教えることが先決だ。そう考えて、すぐに長者は、考えた通りのことを子供たちに言いました。子供たちよ! 速やかに出て来なさい! 父は、子供たちを哀れだと思い、一生懸命に声を掛けて誘い出そうとしますが、子供たちは、まだ遊びに夢中で知らんふりです。驚かず、怖れず、逃げようという心になりません。また、火とはどういうものかを知らず、屋敷がどういうものかを知らず、命を失うことがどういうことかも知りません。ただ、あちこちを走りまわり戯れて、たまに父を見ますが、気にもせず無視しています。
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几を捨てる
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27
ダルマ太郎 2024/05/12 (日) 20:34:13

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車を用う
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経:その時に長者即ちこの念を作さく。この舎すでに大火に焼かる。我及び諸子もし時に出でずんば必ず焚かれん。我今当に方便を設けて、諸子等をして斯の害を免るることを得せしむべし。父諸子の先心に各好む所ある、種々の珍玩奇異の物には情必ず楽著せんと知って、之に告げて言わく。汝等が玩好するところは希有にして得難し。汝もし取らずんば後に必ず憂悔せん。此の如き種々の羊車・鹿車・牛車、今門外にあり、以て遊戯すべし。汝等この火宅より宜しく速かに出で来るべし。汝が所欲に随って皆当に汝に与うべし。その時に諸子、父の所説の珍玩の物を聞くに、その願に適えるが故に、心各勇鋭して互に相推排し、競うて共に馳走し争うて火宅を出ず。
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太郎訳:その時に長者は、このように考えました。この屋敷は、すでに大火に焼かれている。子供たちは外に出なければ焼かれてしまう。私は、今、方便によって子供たちを救い出すしかないだろう。父は、子供たちが以前から欲しがっていた様々な珍しいおもちゃや不思議なものであれば興味を持つであろうと想い、子供たちに向かって叫びました。子供たちよ。お前たちが欲しがっていた物がここにあるぞ! 非常に珍しくて手に入れることが珍しい物だ。もし、今、手に入れなければ、きっと後悔するだろう。羊の車・鹿の車・牛の車が、今、門の外にある。これで、遊ぶのがいいだろう。子供たちよ。この火宅から速やかに出てきなさい。お前たちの欲しい車を与えよう。その時に子供たちは、父が言う車に興味を持ちました。それは、以前から欲しかった物だったのです。子供たちは、勢いよく相手を押しのけるように急ぎ、競って走り、争って火宅を出ました。
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車を用う
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28
ダルマ太郎 2024/05/13 (月) 14:26:22

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%%{fg:red}等しく大車を賜う%%
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経:この時に長者、諸子等の安穏に出ずることを得て、皆四衢道(くどう)の中の露地に於て坐してまた障碍無く、その心泰然として歓喜踊躍するを見る。時に諸子等各父に白して言さく。父先に許す所の玩好の具の羊車・鹿車・牛車、願わくは時に賜与したまえ。舎利弗。その時に長者各諸子に等一の大車を賜う。その車高広にして衆宝荘校(しゅうぼうしょうこう)し、周匝して欄楯(らんじゅん)あり。四面に鈴を懸け、また、その上に於て憲蓋を張り設け、また珍奇の雑宝を以て之を厳飾し、宝縄絞絡(ほうじょうきょうらく)して諸の華瓔(けよう)を垂れ、蜿筵(おんねん)を重ね敷き丹枕(たんちん)を安置せり。()するに白牛を以てす。膚色充潔(ふしきじゅうけつ)形体朱好(ぎょうたいしゅこう)にして大筋力あり。行歩平正にして、その疾きこと風の如し。また僕従多くして之を侍衛せり。所以は何ん、この大長者財富無量にして、種々の庫蔵(こぞう)悉く皆充溢(じゅういつ)せり。
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:
太郎訳:この時に長者は、子供たちが無事に出てきて、四つ角の露地に坐って障りなく、元気に歓喜踊躍しているのを見ました。その時に子供たちは、それぞれに父に言いました。お父さん。先ほど言っていた珍しい羊の車・鹿の車・牛の車を、どうぞ、僕たちに下さいな。シャーリプトラよ。その時に長者は、子供たちみんなに等しく同じように立派な大車を与えました。その車は、高く広く、宝で美しく飾られまわりには手すりがあります。四方に鈴がかけられていて、上部には布が張ってあって屋根となり、それにも珍しい宝が飾られています。美しい縄が屋根の張り出しから垂れていて、床には柔らかい座布団が敷かれており、赤色の枕が置かれています。この大車を引くのは白い牛です。皮膚は美しく清潔で、身体の形もよくて筋力があり、歩く姿は穏やかで整っており、走れば風のように早く進むことができます。大車のまわりには、多くの召使がいて、これを護衛しました。なぜ長者は、このような立派な大車を子供たちに与えたのでしょう? なぜならば、この長者は非常に金持ちであり、たくさんの倉庫には、それぞれに財産が充満していました。
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等しく大車を賜う
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29
ダルマ太郎 2024/05/14 (火) 11:04:36

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等しく大車を賜う-2
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経:しかもこの念を作さく。我が財物極まりなし。下劣の小車を以て諸子等に与うべからず。今この幼童は皆これ吾が子なり。愛するに偏黨(へんとう)なし。我の是の如き七宝の大車あってその数無量なり。当に等心にして各各(かっかく)に之を与うべし。宜しく差別すべからず。所以は何ん、我がこの物を以て周く一国に(たも)うとも、なお(とぼ)しからじ。何に況んや諸子をや。この時に諸子、各大車に乗って未曾有なることを得るは、本の所望に非ざるがごとし。
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太郎訳:しかも、長者はこのように思っていました。私の財物は無量だ。それなのに、子供たちにみすぼらしい車を与えるのはよくないことだ。この幼い子供たちは、みんな等しく私の子供だ。愛するのに偏ることはしない。私は、この立派な大車をたくさん持っている。みんなに等しく、それぞれにこれを与えよう。相手によって差別はしない。なぜならば、私は国中の人々に与えても、まだ、余る程にこの大車を持っているのだ。それなのに、なぜ自分の子供たちに与えないことがあるだろうか。この時に子供たちは、各々が大車に乗って遊び、非常に珍しい大車を得た喜びにひたっていますが、実は、もともと欲しい物を得たのではありません。
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等しく大車を賜う-2
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30
ダルマ太郎 2024/05/14 (火) 11:14:43

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長者虚妄せず
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経:舎利弗。汝が意に於て云何。この長者、等しく諸子に珍宝の大車を与うること寧ろ虚妄ありや不や。舎利弗の言さく。不なり。世尊。この長者、ただ諸子をして火難を免れその躯命を全うすることを得せしむとも、これ虚妄に非ず。何を以ての故に、もし身命を全うすれば便ちこれすでに玩好の具を得たるなり。況んやまた方便して彼の火宅よりしかも之を抜済せるをや。世尊。もしこの長者、乃至最小の一車を与えざるも、なお虚妄ならじ。何を以ての故に、この長者先にこの意を作さく。我方便を以て子をして出ずることを得せしめんと。この因縁を以て虚妄なし。何に況んや、長者自ら財富無量なりと知って、諸子を饒益せんと欲して等しく大車を与うるをや。
:
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太郎訳:シャーリプトラよ。あなたはどのように思いますか? この長者が平等に子供たちに対して珍しい大車を与えたことは、嘘をついたことになるのでしょうか? 尊者シャーリプトラは答えました。いいえ。嘘をついたことにはなりません。世尊。この長者は、子供たちを火宅から救出し、その身体と命を助けたのですから、これを、嘘とは申せません。なぜならば、もし命が助かれば、欲しかったおもちゃも得たことになるからです。しかも、おもちゃを与えようと言ったのは、方便によって、子供たちを救おうとしたからです。世尊。もし、この長者が、たとえ小さな車を与えなくても、それでも、嘘をついたことにはなりません。なぜならば、この長者は、先にこのように考えました。方便によって子供たちを救うのだと。長者は、方便によって子供たちを実際に救ったのですから、このことからも、嘘をついたことにはなりません。ましてや、この長者は、自分に無量の財産があることを知っておリ、子供たちに慈悲をもって幸せに導くために、大車を与えたのですから、嘘をついたことにはなりません。
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長者虚妄せず
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31
ダルマ太郎 2024/05/14 (火) 11:34:45

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合譬
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総譬に合す
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経:仏、舎利弗に告げたまわく。善哉善哉、汝が所言の如し。舎利弗、如来もまたまた是の如し。則ちこれ一切世間の父なり。諸の怖畏(ふい)衰悩(すいのう)憂患(うげん)・無明・暗蔽(あんぺい)に於て永く尽くして余なし。しかも悉く無量の知見・力・無所畏を成就し、大神力及び智慧力あって方便・智慧波羅蜜を具足す。大慈大悲常に懈倦(けげん)なく、恒に善事を求めて一切を利益す。しかも三界の朽ち故りたる火宅に生ずること、衆生の生・老・病・死・憂悲苦悩・愚痴暗蔽・三毒の火を度し、教化して、阿耨多羅三藐三菩提を得せしめんが為なり。
:
:
太郎訳:釈尊は、シャーリプトラに告げました。素晴らしい! あなたが、言った通りです。シャーリプトラよ、如来も長者と同じです。如来は、すべての者たちの父です。様々な、怖れ、衰え、悩み、苦しみ、病い、無智、煩悩などから、永く離れた者です。しかも、如来は、無量の智慧と人々を救う力と怖れずに教えを説く力を完成させており、大いなる超人的な能力と智慧の力を持っており、方便と智慧とを完全に具えています。大きな慈悲の心は変わることなく、常に人々の善き縁となるよう、すべてに利益を与えます。そのような仏が、古くて朽ちている火宅に現われるのは、人々の生老病死の苦、不安や悲しみ、苦悩、愚痴、煩悩、貪欲、無智、怒りなどの火を消して教化し、無上最高の悟りへと導くためです。
:
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総譬に合す
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32
ダルマ太郎 2024/05/14 (火) 17:45:46

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別譬に合す
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見火
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経:諸の衆生を見るに生・老・病・死・憂悲苦悩に焼煮せられ、また五欲財利を以ての故に種々の苦を受く。また貧著し追求するを以ての故に、現には衆苦を受け、後には地獄・畜生・餓鬼の苦を受く。もし天上に生れ及び人間に在っては、貧窮困苦・愛別離苦・怨憎会苦、是の如き等の種々の諸苦あり。衆生其の中に没在して歓喜し遊戯して、覚えず知らず驚かず怖じず、亦厭うことを生さず解脱を求めず。この三界の火宅に於て東西に馳走して、大苦に遭うと雖も以て患いとせず。舎利弗。仏これを見おわって便ちこの念を作さく。我はこれ衆生の父なり。その苦難を抜き無量無辺の仏智慧の楽を与え、それをして遊戯せしむべし。
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太郎訳:人々を見れば、生老病死の苦をはじめ、様々な辛さ、悲しさ、悩みに身を焼かれ、心を煮られています。また、見る楽しみ、聞く楽しみ、食べる楽しみ、嗅ぐ楽しみ、触れる楽しみを欲しがり、財産や物質などを手に入れようとするために様々な多くの苦を受けています。また、欲しいものに執着し、それを追い求めるために、現世では色んな苦しみを受け、来世でも、地獄・畜生・餓鬼の世界に墜ちて、大きな苦しみを受けることになります。もし、天上界に生まれ、神々となっても、または、人として地上界に生まれたとしても、貧困に窮する苦しみや、愛する者との別れ、怨みをもつ者との出会いなど様々な苦を受けることでしょう。人々は、このような苦の世界にいても、そのことに気づかず、気づいていても気にせず、快楽を求め、遊びに夢中で火宅を覚えず、知らず、驚かず、怖れていません。また、それを嫌だと思って逃げようともしません。この、恐ろしい火宅で、あちこちを走り回り、大きな苦に出会っても、立ち向かおうとしません。シャーリプトラよ。仏は、このような現実を見て思うのです。私は、人々の父です。皆さんの苦しみを抜き、無量の仏の智慧によって、最高の楽を与え、そのことで、本当の意味での自由自在の境地へと人々を導くことが願いなのです。
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見火
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33
ダルマ太郎 2024/05/14 (火) 17:52:10

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捨几
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経:舎利弗。如来またこの念を作さく。もし、我但神力及び智慧力を以て方便を捨てて、諸の衆生の為に如来の知見・力・無所畏を讃めば、衆生これを以て得度すること能わじ。所以は何ん。この諸の衆生未だ生・老・病・死・憂悲苦悩を免れずして、三界の火宅に焼かる。何に由ってかよく仏の智慧を解らん。舎利弗。彼の長者のまた身手に力ありといえども、しかも之を用いず。但慇懃(おんごん)の方便を以て諸子の火宅の難を勉済して、しこうして後に各珍宝の大車を与うるが如く、如来もまたまた是の如し。力・無所畏ありといえどもしかも之を用いず。
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太郎訳:シャーリプトラよ。如来は、またこのようにも思うのです。もし、私が、ただ神通力と智慧力だけを用い、方便を捨てて、如来の智慧・力を示し、恐れを取り除いたとしても、人々は、この教えによって悟ることができません。なぜならば、この人々は、まだ、生老病死の苦、憂い、悲しみ、苦悩から離れられず、世間の現象に振り回され、あたかも火宅で炎に焼かれているかのようです。どのようにすれば、仏の智慧を得ることが出来るのでしょう? シャーリプトラよ。話の中の長者は、肉体が立派であり、力持ちですが、力によって子供たちを救おうとはしませんでした。真心を込めた方便によって、子供たちを火宅から救いだし、無事に救出した後に、珍しい最高の大車を与えました。如来もまた同じように、人々を救う智力や人々の恐れを取り除く力があっても、それを用いません。
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捨几
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34
ダルマ太郎 2024/05/14 (火) 17:59:45

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用車-1
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経:ただ、智慧方便を以て三界の火宅より衆生を抜済せんとして、為に三乗の声聞・辟支仏・仏乗を説く。しかもこの言を作さく。汝等楽って三界の火宅に住することを得ること莫れ。麁弊(そへい)の色・声・香・味・触を貧ること勿れ。もし貧著して愛を生ぜば則ちこれ焼かれなん。汝等速かに三界を出でて、当に三乗の声聞・辟支仏・仏乗を得べし。我今汝が為にこの事を保任す、終に虚しからず。汝等ただ当に勤修精進すべし。如来この方便を以て衆生を誘進す。またこの言を作さく。汝等当に知るべし、この三乗の法は皆是れ聖の称歎したもう所なり。自在無繋(むけい)にして依求する所なし。この三乗に乗じて、無漏の根・力・覚・道・禅定・解脱・三昧等を以て自ら娯楽して、便ち無量の安穏快楽を得べし。
:
:
太郎訳:ただ、智慧と方便によって、世界のあらゆる苦しみから人々を救おうとして、そのために修行方法を声聞・縁覚・菩薩という三種に分けて説きました。そして、このように想うのです。みなさん、苦しみの世界の中で楽しみを求めてはいけません。眼、耳、鼻、舌、肌を楽しませるために、粗末なものを欲しがってはいけません。もし、色形、音声、香り、味、接触という外界のものに執着し、渇愛を起こせば、熱せられ、焼かれることになります。みなさんは、速やかにこの世界から抜け出して、声聞・縁覚・菩薩という三種の修行を得て下さい。私は、みなさんを相応しい道へと導きます。そのことを保証します。これは、誠であって偽りではありません。みなさんは、それぞれの道で修行に専念してください。如来は、この方便によって人々を導きます。そして、また、このように思うのです。みなさん、よく知っておいてください。この三乗の教えは、すべて聖なる者たちの称歎する内容です。縛られることのない自由自在の心で、依存や欲望がありません。この声聞・縁覚・菩薩の三種の修行をし、迷いのない五根、五力、七覚支、八正道、禅定、解脱、三昧などによって、自らが願って精進し、無量の安らかなる境地を得て下さい。
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用車-1
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35
ダルマ太郎 2024/05/14 (火) 18:06:09

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用車-2
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経:舎利弗。もし衆生あり、内に智性あって、仏世尊に従いたてまつりて法を聞いて信受し、慇懃に精進して速かに三界を出でんと欲して自ら涅槃を求むる、これを声聞乗と名く。彼の諸子の羊車を求むるを以て火宅を出ずるが如し。もし衆生あり、仏世尊に従いたてまつりて法を聞いて信受し、慇懃に精進して自然慧を求め、独善寂を楽い深く諸法の因縁を知る、これを辟支仏乗と名く。彼の諸子の鹿車を求むるを為て火宅を出ずるが如し。もし衆生あり、仏世尊に従いたてまつりて法を聞いて信受し、勤修精進して一切智・仏智・自然智・無師智・如来の知見・力・無所畏を求め、無量の衆生を愍念安楽し、天人を利益し一切を度脱する、これを大乗と名く。菩薩この乗を求むるが故に名けて摩訶薩とす。彼の諸子の牛車を求むるを為て火宅を出ずるが如し。
:
:
太郎訳:シャーリプトラよ。ある人々において、内面に智性があり、諸仏に従って教えを聞いて信じて受け、苦の世界から抜け出すためにきちんと精進し、自分から涅槃を求めたならば、これを声聞の修行といいます。譬えの中の子ども達が羊車を求めることによって火宅を脱出したことと同じです。ある人々において、諸仏に従って教えを聞いて信じて受け、覚りを求めて、きちんと精進し、独り静かに善行をして深く因縁を観察したならば、これを縁覚の修行といいます。譬えの中の子ども達が鹿車を求めることによって火宅を脱出したことと同じです。ある人々において、諸仏に従って教えを聞いて信じて受け、完全なる悟りを求めて、勤めて精進をし、多くの人々を憐れんで救いだし、天上界の神々と地上界の人々に功徳を回向し、大衆を成仏へと導いたならば、これを大乗といいます。成仏を求める者がこの修行をするとき、菩薩摩訶薩といいます。譬えの中の子ども達が牛車を求めることによって火宅を脱出したことと同じです。
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用車-2
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36
ダルマ太郎 2024/05/14 (火) 18:10:10

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等賜大車
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経:舎利弗。彼の長者の、諸子等の安穏に火宅を出ずることを得て無畏の処に到るを見て、自ら財富無量なることを惟うて、等しく大車を以て諸子に賜えるが如く、如来もまたまた是の如し。これ一切衆生の父なり。もし無量億千の衆生の、仏教の門を以て三界の苦・怖畏の険道を出でて、涅槃の楽を得るを見ては、如来その時に便ちこの念を作さく。我、無量無辺の智慧・力・無畏等の諸仏の法蔵あり。この諸の衆生は皆これ我が子なり。等しく大乗を与うべし。人として独滅度を得ることあらしめじ。皆、如来の滅度を以て之を滅度せん。是の諸の衆生の三界を脱れたる者には、悉く諸仏の禅定・解脱等の娯楽の具を与う。皆これ一相一種にして、聖の称歎したもう所なり。よく浄妙第一の楽を生ず。
:
:
太郎訳:シャーリプトラよ。譬えの長者の子ども達が、火宅を無事に抜け出せて、安心できる場所に移動できたのを見て、長者がどの子にも等しく大車を与えたように、諸仏も人々に最高の教えを与えます。仏は一切衆生の父です。もし、多くの人々が、諸仏の説く通りに修行をし、この世界の苦しみや恐怖、不安の険しい道を出て、涅槃の境地に入ったのを見たならばその時に如来は、このように想うでしょう。私は、諸仏と同じように無量の智慧と力と怖れを取り除く力を持っています。この世界の衆生は、皆、私の子です。全員平等に成仏の道を与えましょう。人によって異なる目的を示すことはありません。皆、諸仏と同じ目的を衆生にも示します。この苦しみの世界を脱け出る者には、全員に諸仏の禅定・解脱・三昧などの聖なる最高の境地、素晴らしい玩具を与えます。これらは、すべて同じものであり、聖なる者たちの称歎する境地です。よく、浄く優れ第一の楽を起こします。
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:
等賜大車
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37
ダルマ太郎 2024/05/14 (火) 18:45:02

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長者無虚妄
:
経:舎利弗。彼の長者の初め三車を以て諸子を誘引し、しかして後にただ大車の宝物荘厳し安穏第一なることを与うるに、しかも彼の長者虚妄の咎なきが如く、如来もまたまた是の如し。虚妄あることなし。初め三乗を説いて衆生を引導し、しこうして後にただ大乗を以て之を度脱す。何を以ての故に。如来は無量の智慧・力・無所畏・諸法の蔵あって、よく一切衆生に大乗の法を与う。ただ尽くしてよく受けず。舎利弗、この因縁を以て当に知るべし、諸仏方便力の故に、一仏乗に於て分別して三と説きたもう。
:
:
太郎訳:シャーリプトラよ。譬え話の長者が、はじめは三車で子ども達を誘ったのに、結果として、平等に宝石で飾った安全な大車を与えたことを誰も長者の嘘だと責めないように、如来もまた同様です。嘘偽りはありません。はじめは三乗を説いて人々を導き、修行が進んだ後に、平等に大乗の教えを説いて人々を成仏へと導きます。なぜならば、如来は無量の智慧と力と怖れのないこと、様々な教えを持っているのですから、よく一切の人々に大乗の教えを与えることが出来るのです。ただし、多くの人々はこの教えを受けようとはしません。シャーリプトラよ。このような理由によって、諸仏は、すべての人々を成仏に導くために方便力により、人々に応じて三乗を説くのです。
:
:
長者無虚妄
:
:

38
ダルマ太郎 2024/05/14 (火) 19:01:37

:
偈頌
:
経)
 仏重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく。

:
:
太郎訳)
 仏は、重ねて譬え話を偈頌にして説きました。

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:
開譬
:
総譬
:
経)
 譬えば長者 一の大宅あらん 
 その宅久しく()りて また頓弊(とんぺい)
 堂舎高く危く 柱根(くだ)け朽ち
 梁棟(りょうとう)傾き(ゆが)み 基陛(きべい)(くず)(やぶ)
 墻壁(しょうびゃく)やぶれさけ 泥塗(でいづ)(あば)け落ち
 覆苫(ふせん)乱れ墜ち 椽梠(でんりょ)(たが)い脱け
 周障屈曲して 雑穢(ぞうえ)充遍せり
 五百人あって その中に止住す

:
:
太郎訳)
 たとえば ここに長者がいて
 大きな屋敷を持っていたとしましょう
 その屋敷は建ってから随分となりますので
 老朽化が進んでいます
 屋敷は高くそびえ立派に見えますが
 実際は非常に危険な状態でした
 柱の根は くだけて腐り
 梁や棟は 傾いて歪み
 階段はくずれ穴が開き
 垣根や壁は 壊れて破れ
 泥や漆喰は はげて落ち
 屋根のムシロも乱れ落ち
 垂木も垂木を支える横木も抜けかかり
 まわりの壁は曲がりくねって
 屋敷中にゴミやガラクタが
 充満していました
 その屋敷には
 五百人が住んでいました

:
:
総譬
:
:

39
ダルマ太郎 2024/05/14 (火) 20:03:14 修正

:
欲界に火が起こる
:
焼かれる所の類
:
五鈍使禽獣(ごどんしきんじゅう)
:
経)
 ()(きょう)(じゅ) ()(しゃく)()鴿(ごう)
 蚖蛇(がんじゃ)(ふく)(かつ) 蜈蚣(ごく)蚰蜒(ゆえん)
 守宮(しゅぐう)百足(ひゃくそく) ()()(けい)()
 諸の悪虫の輩 交横馳走す
 屎尿の臭き処 不浄流れ溢ち
 蜣蜋(こうろう)諸虫(しょちゅう) しかもその上に集まり
 ()(ろう)野干(やかん) 咀嚼践踏(そしゃくせんどう)
 死屍を斉齧(ざいけつ)して 骨肉狼藉(こつにくろうじゃく)
 これに由って群狗(ぐんく) 競い来って搏撮(はくさつ)
 飢羸章惶(けるいしょうおう)して 処処に食を求め
 闘諍摣掣(とうじょうしゃせい)し 啀齔皐吠(がいざいごうばい)
 
:
:
太郎訳)
 トビ フクロウ クマタカ ハゲワシ
 カラス カササギ ハト イエバト
 毒ヘビ マムシ サソリ
 ムカデ ゲジゲジ
 ヤモリ オサムシ
 イタチ タヌキ ハツカネズミ ネズミ
 などの悪い虫どもが
 縦横無尽に走り回っています
 大小便の臭いがたちこめるところには
 不浄物が流れ込んで溜まっており
 糞虫の類がその上に集まっています
 オオカミが人の肉を喰い散らかし
 キツネやジャッカルは飢えて
 お互いを噛み争っています
 食べ残った肉片を求めて
 飢えた犬たちが群れて来て
 打ち合い掴みあいます
 飢えて痩せ衰えてガツガツし
 あちこちをうろついて食べ物をあさり
 食べ物があると争い闘って
 歯をむき出して吠えあっています

:
:
五鈍使禽獣
:
:

40
ダルマ太郎 2024/05/15 (水) 16:35:22

:
五利使鬼神(ごりしきじん)
:
経)
 その舎の恐怖 
 変ずる(かたち)是の如し
 処処に皆 
 ()()魍魎(もうりょう)有り
 夜叉・悪鬼あり 
 人肉を毒虫の属を食敢す 
 諸の悪禽獣
 孚乳産生(ふにゅうさんじょう)して 
 各自(おのおのみずから)
 (かく)し護る
 夜叉競い来り 争い取って之を食す
 之を食してすでに飽きぬれば 
 悪心(うた)(さか)んにして
 闘諍(とうじょう)の声 
 甚だ怖畏すべし

:
:
太郎訳)
 長者の屋敷の恐怖
 老朽化の様子はこのようでした
 また あちらこちらに
 化物・妖怪・怪物が潜んでいます
 夜叉や凶悪な鬼たちがいて
 人の死体や毒虫の類を食べました
 様々な獰猛な鳥たちや獣たちが
 卵を産み子を生み
 それぞれが隠して育てています
 しかし夜叉たちは それらを競って探し
 奪い合って食べてしまいます
 満腹となった夜叉たちの悪の心は増長し
 盛んになって さらに激しく争います
 闘い争う声は 非常に恐ろしいものです

:
:
五利使鬼神
:
:

41
ダルマ太郎 2024/05/15 (水) 18:29:34 修正

:
五利使鬼神-2
:
経)
 鳩槃荼鬼(くはんだき) 土埵(どだ)蹲踞(そんこ)せり
 或時は地を離るること 一尺二尺 往返遊行し 
 縦逸(じゅういつ)嬉戯(きげ)す (いぬ)の両足を捉って 
 撲って声を失わしめ 脚を以て(くび)に加えて 
 狗を怖して自ら楽む また諸鬼あり 
 その身長大に 裸形黒痩(らぎょうこくしゅ)にして 
 常にその中に住せり 大悪声を発して 
 叫び呼んで食を求む
 また諸鬼あり その咽 針の如し
 また諸鬼あり 首牛頭の如し
 或は人の肉を食い 或は復狗を食らう
 頭髪蓬乱(ぶらん)し 残害兇険(ざんがいくけん)なり
 飢渇(けかつ)にせまられて 叫喚馳走(けんかんちそう)

:
:
太郎訳)
 鳩槃荼鬼という小さな怪物が
 土間にうずくまっています
 ぴょんぴょんと屋敷中を跳びまわり
 自由に遊んでいます
 犬をみれば 犬の両足を捉えて押さえつけ
 殴って半殺しにし首を足で踏みつけ
 犬を怖がらせ それを楽しんでいます
 また 他にもさまざまな鬼がいます
 背は高く大きく 裸の身体は
 黒ずみ痩せこけています
 常に長者の朽ちた屋敷にいて
 大きな気持ちの悪い声で叫び呼んで
 いつも食べ物を求めています
 また 他にも鬼たちがいました
 その鬼たちの喉は細く針のようでした
 また 他にも鬼たちがいました
 それらの首は牛のようでした
 人の肉を喰らい
 または犬を食べています
 髪の毛をヨモギのようにぼさぼさに乱し
 その性質は残虐で
 荒々しく険しい態度でした
 飢えと渇きにせまられて
 喚き騒ぎながら
 走り回っていました

:
:
五利使鬼神-2
:
:

42
ダルマ太郎 2024/05/21 (火) 13:22:48

:
総じて利鈍を結す
:
経)
 夜叉・餓鬼 諸の悪鳥獣
 飢急にして四に向い 窓をうかがい看る

:
太郎訳)
 このような夜叉・餓鬼 様々な悪い鳥・獣たちは
 食べ物を探し求めながら 屋敷内をさ迷い
 窓から外を観察していました

:
:
火起の由
:
経)
 是の如き諸難 恐畏無量なり
 この朽ち故りたる宅は 一人に属せり
 その人近く出でて 未だ久しからざるの間

:
太郎訳)
 このように様々な難儀があり 無量の恐怖に満ちていました
 この古くて壊れそうな邸宅は ある一人の所有でした
 その人が近くに出かけてすぐに

:
:
火起の勢
:
経)
 後に宅舎に 忽然に火起る
 四面一時に その焔 倶に(さか)んなり
 棟梁椽柱(でんちゅう) 爆声震裂(ばくしょうしんれつ)
 摧折堕落(さいせつだらく)し 墻壁(しょうびゃく)崩れ倒る

:
:
太郎訳)
 邸宅に突然 火事が起こりました
 四方に火は燃え移り燃え盛り
 棟・梁・たるき・柱が
 音をたててくだけ
 垣や壁はくずれ落ちました

:
:
総じて利鈍を結す
:
:

43
ダルマ太郎 2024/05/24 (金) 18:22:01 修正

:
被焼の相
:
訳)
 諸の鬼神等 声を揚げて大に叫ぶ
 (ちょう)(じゅ)諸鳥(しょちょう) 鳩槃荼(くはんだ)
 周慞惶怖(しゅうしょうおうふ)して 自ら出ずること能わず

:
:
太郎訳)
 様々な鬼神たちは 大きな声をあげて叫びました
 クマタカやワシなどの鳥たち 鳩槃荼鬼などは
 慌てて逃げ惑いますが 自分の力では
 逃げ出すことができませんでした

:
:
色界に火が起こる
:
訳)
 悪獣毒虫 孔穴に蔵竄(ぞうざん)
 毘舎闍鬼(びしゃじゃき) またその中に住せり
 福徳薄きが故に 火に逼まられ
 共に相残害して 血を飲み肉を食らう
 野干の属 ならびにすでに前に死す
 諸の大悪獣 競い来って食敢(じきだん)
 臭煙蓬悖(しゅうえんぶぼつ)して 四面に充塞(じゅうそく)

:
:
太郎訳)
 悪い獣や毒虫たちは 穴を見つけてそこに逃げ込みました
 毘舎闍鬼も穴に入りました
 ところが これまで悪業を重ね 徳を積んでいなかったために
 火に囲まれ 責められて 自分だけでも助かろうと
 安全を求めて争い お互いに傷つけ合い
 血を飲み 肉を喰らいました
 ジャッカルたちは すでに死んでいました
 すると様々な悪獣たちが 競って集まり群がって
 その死骸に喰らいつきました
 臭いと煙が盛んにおこりたち あたり一面にたちこめました

:
:
被焼の相
:
: